カテゴリー「Life, I Love you! (Dairy Life)」の106件の記事

2009年11月22日 (日)

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) (再掲)

歩くな仲間(HP)の過去記事ですが、「いいひと。」の話題のついでに、こちらにも転載しておきます。

オリジナル初出 2005年3月23日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

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1.思えば遠くへ来たものだ

2000年3月18日に、このホームページを開設してちょうど5周年。

今日(3月23日)はいみじくもフィリピンのマニラに赴任して丸一年になる。

「思えば遠くへ来たものだ」 中原中也の「頑是無い歌」という詩の一節であるが、私はむしろ武田鉄矢の海援隊の歌として知っている。思えばY2Kとかミレニアムとか鳴り物入りで始まった2000年から既に5年経ち、今、当然のごとくマニラでパソコンに向かっている。

そうだ、私がエジプト出張中におきた阪神・淡路大震災(1995年)も1月17日に10周年を迎えた。同じく3月20日は地下鉄オウムサリン事件から丸10年を迎える。今年は、戦後60周年でもある。

思えば1999年11月21日、20世紀を目前にして、「今、僕たちはどこにいて、どこへ行こうとしているのか」を確かめるために、誰に読んでもらうともなく、このエッセイを書き始めたのであった。しかしながら、‘どこ’にいて‘どこ’へ行こうとしているのかは、多分、いつになってもわからないであろう。

つまり、一瞬一瞬の積み重ねが生きているということであり、‘どこ’かが特定できるということは、動かないものと化してしまったときのみ、死んでしまったとき、つまり自分が自分で無くなったときに他者より相対的に位置付けるものでしかないということが、なんとなくわかってきた気がする。この人間を取り巻く世界もしかり。自分という個人の意思と全く関係なく、地球そのものが意思をもっているかのごとく、一瞬一瞬でその姿を変えていく。

今回、 “変わってくこと”“変わらずにいること”をテーマに、考察を進めてみたい。

2.“変わってくこと”“変わらずにいること”

 これは、槙原敬之の「遠く遠く」という歌の一節だ。大学で田舎を出て東京にきた主人公が、神宮「外苑」の桜をみて、ふるさとの友達を思い出す。「同窓会の案内状」の欠席に丸をつけた。

  「遠く遠く離れた街で

元気に暮らせているんだ

   大事なのは

  “変わってくこと”

  “変わらずにいること”」

 わたくしごとになるが、数日後の4月1日で35歳となる。高校時代までの18年間、大学で大阪にでて、就職で東京にでて、昨年からフィリピンへ、田舎を離れてから17年間。気が付かないうちに、田舎で過ごした時間を、それ以外で暮らした時間が上回ろうとしている。

万物は流転するのであり、町並みも人並も変わっていく。しかし本当にそうなのであろうか。そして、この歩みは果たして望ましいものであったのであろうか。どうも変わっていること自体を認めなくてはならないと思いつつも、変わらずにいてほしいと、心の奥底で願っている。そんな経験はないだろうか。

3.“あれから10年も”「10 years」(渡辺美里 1988)

~“あれからどれくらい僕らは歩いてこれたのかな”「夜空ノムコウ」(スマップ 1997)

非常に古い話で恐縮だが、私が大学生1年生のころ、渡辺美里の『ribbon』というアルバムが第ブレイクした。たとえば『恋したっていいじゃない』とか『Believe』、『シャララ』、『悲しいね』とかヒット曲も目白押しであったが、アルバムとして非常によく練られており、今でも、そのコンセプトアルバムとしての完成度が高いといえる。考えれば、渡辺美里の歌詞もよいか小室哲哉とか木根尚登とかTM Networkの面々や大江千里とかずいぶん豪華な作曲陣がサポートしたものである。

さてその中に、美里作曲、大江千里作曲の『10 years』という曲がある。

「空一面に広がった 夕焼け見てたら/もう二度と逢えないよな 気持ちになった」幼年時の幼友達(異性であろうか)の「二人ならんで笑った写真」を思い出しつつ、「あのころは何にでもなれる気がした」が「気がつけば 母の背を追いこしていた」。

「あれから10年も/この先10年も/行きづまり うずくまり かけずりまわり/この街に この朝に この掌に/大切なものは何か/今もみつけられないよ」

このアルバムが販売されたのが1988年の春かであろうか。とにかく1988年の冬にもはやっていた。1988年の夏に、ヨット部の合宿所でたまたま出航しなかったときに、船を整備していたときにも艇庫の中で、大学の近くのミスタードーナツ小野原店でバイトをしていた頃、夜中に店舗の掃除をしていたときにも、ラジカセでこのアルバムがガンガンかかっていたことを思いだす。

余談であるが、その後(1997年頃か)、スマップの『夜空ノムコウ』がはやったとき、ふと、この『10 years』とのシンクロ性を感ぜずにはいられなかった。変な例えだが、返歌というのであろうか。10年を隔てて、美里の歌に、回答しているような錯覚に陥った。

「あれから僕達は なにかを信じてこれたかな」の「あれ」というのが、どうも10年ぐらい前の思い出ではなかったのか。「夜空ノムコウには 明日が待っている」というのも、『10 years』の「夕焼け」に対応しているような気がしている。

さて、この『ribbon』に、同じく美里作詞・作曲で『Tokyo Calling』という曲もある。

「・・・自然だけが息をしてた土手の上にも/容赦のないセメントが流し込まれる」、「今も科学の進歩は限りなくて続けられて/失くしたくないものが 現在のため壊されていく」「山が削られて/川が汚されて/森もいつかは 切られて荒れ果ててゆくの」

とても15年以上も前の歌詞だと思えるであろうか。いい意味でなくて、「全く今と状況が変わっていない」という意味で。

実際そうだと思うのだが、ちょうど私より10年ぐらい年上の渡辺美里の世代は、まさに昭和35年代というか日本でガンガン「高度経済成長」に幼年時を過ごしている。その元風景が、アポロの月着陸であったり、東京オリンピックであったり、新幹線の開通であったり、1970年の大阪万博であったり、しかし同時にその科学や文明の正の面、ひかりの面だけを、この日本は経験したわけではなかった。カネミ油症、水俣病、四日市ゼンソク、公害列島とも言われた時代もまたこの60年代ではなかったのか。

しかしまあ、日本という国も第二次世界大戦から“わずか60年”で、戦後の焦土から復興し、先進国に復帰して、今では老人大国というかある面、先進国中でも急激な高齢化社会になってしまって、非常に長足の進歩を遂げたというか、人類の歴史の中でも、特に「開発」については、とんでもないトップランナーだったのですね。

4.「変わらずにいること」=「変わらないこと」、「変われないこと」?

確かに見た目は変わった。しかし、その心というか本質は変わっていないのではなかろうか。これは、物質にもあてはまり、人間にもあてはまる。彼や彼女は、服や立ち居振舞いも変わった(貧乏から金持ちになったのかな)かもしれないが、本質は変わっていないではないか。逆にそれが身近な人であればあるほど、変わらずにいてほしいものである。

つまり、いい方向?に変わることを望ましいと思いつつも、変わらずにいてほしいという願望が誰もがもっているのではないか。

この5年、開発の現場も大きく様変わりした。しかし、それは見かけだけのことではなかったのか。よく考えると訳のわからないカタカナ英語に振り回されてきただけなのではないか。

いや多分、本質的な転換があったのだろう。それは、「援助する側」が、“まず変わらなければならないこと”を悟ったことであろう。それはそれでかなりの進歩だと思う。実はあたりまえのことなのであるが…。

しかし、その先に、「援助される側」も“変わらなければならない”ということには、まだまだというか、今、逆に躊躇を感じるようになった。

そもそも、援助される側の人たちは‘変わる’必要があるのであろうか。彼らも‘変わらなければならない’のであろうか。彼らを開発や援助の旗の下に、‘変える’必要があるのであろうか。

ここで、「貧困」という言葉を、改めて取り上げてみたい。

5.貧しいことは‘いけないこと’なのか

(「貧しき友」『君たちはどう生きるか』吉野源三郎 1937(岩波文庫 1982)より)

 以前にも触れたが、『君たちはどう生きるか』という本の四章に「貧しき友」というエピソードがある。これは、主人公のコペル君(亡くなったお父さんが大きな銀行の重役だったという設定)が、同じ中学校の「油揚」などとからかわれている豆腐屋の浦川君の家を訪問したときのエピソードなのだが、その中で、東京の山手に住んでいるコペル君は、初めて踏み入れた貧しい街に住む浦川君を取り巻く環境に驚き、かつ考えさせられる。

 このコペル君の報告を聞いた「おじさんのNote」には「人間であるからには-貧乏ということについて-」以下のようなことが書かれている。

「・・・貧しい暮しをしている人というものは、たいてい、自分の貧乏なことに、引け目を感じながら生きているものなんだよ。 ・・・ もちろん、貧しいながらもちゃんと自分に誇りをもって生きている立派な人もいる」 「しかし、コペル君、たとえちゃんとした自尊心をもっている人でも、貧乏な暮しをしていれば、何かにつけて引け目を感じるというのは、免れがたい人情なんだ。・・・」

 厳密に言えば、「貧困」と「貧乏」「貧しい」という言葉の意味は違うかもしれない(日本語の中でも英語の中でも)が、あえてそれを無視して続けさせていただければ、今、開発の現場でやっている「貧困撲滅」とか「貧困削減」って一体、何なんだろうと思ってしまう。

 つまり、「貧困」自体は、先進国でもどの人間世界でも共通に抱えている問題であって、多分、人間がこの世に出現してから延々と続いているものなのではないのか。

 福祉の世界では、「絶対的貧困」と「相対的貧困」という言葉があるが、私にいわせてもらえば「貧困」とは、全て相対的なものである。つまり、もてるものともてないものがいるのはあたりまえのことではないか。欲張りな人間や、ずるい人間がいるのは古今東西、人間の摂理ではないのか。

 ミレニアム目標で、「貧困の削減」を高らかにうたっているが、2000年からわずか5年で、目標とした2015年での達成が不可能であることが誰の目にも明らかになってきた。

 私は、援助関係者の努力を茶化すわけでも他人事としていっているわけでもないが、「貧困撲滅」というより、「人間として尊厳をもって生きられる世界にする」これは、今、北の世界で話題になっている開発教育のテーマかもしれないが、お互いに尊敬をもって、差別や偏見をもたずに、物やお金をもっていることが幸せというか、開発具合(発展度?)の尺度であるような世の中を変えようではないかと、最近、つとに思う。

 「貧しき友」の中で、叔父さんが、どのような説明をしていくかについては、非常に興味深いことだと思うし、実際に素晴らしいことがかかれているので、続きはぜひ自分で読んで考えてみてほしい。この「自尊心」というのは非常に重要なキーワードだと思う。

6.人として

 つい最近、とある雑誌で以下のくだりを読んだとき、つい胸が詰まってしまった。

日本に出稼ぎに行った経験のあるフィリピン人女性らの座談会形式のインタヴュー記事「帰ってきたジャパユキさん」の中での、とある女性(アグネス)の発言。(注1)

「日本人って二種類いるのよね。ひとつは貧乏だとかバカだとかってフィリピン人を見下す日本人。もうひとつが貧乏だからかわいそうと思っている日本人。」

以下に、だから日本人はカモにしやすいというおしゃべりが続く。

日本人として恥ずかしいなどといえる高尚な自分でもなくて、理屈や頭ではいけないことと思っても、そう思っている日本人がいるのも無理はないなとなぜか納得してしまう。自分に微塵もそんな考えがないかというと、そうは100パーセント自信をもって言い切れるわけでもない。

 この文章を読んだとき、なにか非常に情けない気持ちになった。いいとか悪いとか以前に、そうだよなと思ってしまう悲しさ。フィリピン人女性が、日本人の男性(そもそもフィリピンパブにくる人に対するコメントであろうが)を、上記の二種類でしかないと言いきってしまう現実(リアリティー)。もっと、他の日本人もいるだろうと突っ込みたくなるが、その私の声は弱々しい。

 すでにお気づきであろうが、実は、上の二つのことは、全く同じことを言っている。1996年12月の発行だから、約10年も前の記事ではあるが、果たして私達、日本人は、どれだけ変わったのであろう。やっぱり全然、変わっていないのではなかろうか。

 武田鉄矢の「海援隊」に「人として」という歌がある。『3年B組金八先生』の第1シリーズのエンディングテーマであったが、ドラマを知らずとも、どこかできいたこともあるだろう。

「遠くまで見える道で 君の手を握りしめた/・・・思いのままに生きられず・・・/私は悲しみ繰り返す そうだ人なんだ/

人として人と出会い 人として人に迷い

人として人に傷つき 人として人と別れて

それでも人しか 愛せない」

同じく、武田鉄矢の歌で、以下の歌詞がある。

  「人の言葉に傷つけられても

   どこにも逃げまい

   破けた心を繕う糸は

   やっぱり人の言葉」

もっと、自分を、人を信じて、‘人として’生きていければよいのではないのであろうか。確かに地球環境問題とか、自然環境も大事であろうが、‘人しか愛せない’ということに、もっと自分が‘人間’であることに素直になっていいのではないか。

‘人として’・・・奢ることなく卑屈になることもなく、互いの尊厳(Dignity)を大切に。

たまたま、この地球という星の同時代に生まれ合わせた‘仲間’じゃないか。

 間違っているかもしれないけど。

聖週間(Holy week)の祝日休暇の初日、駐在して丸1年目のマニラにて。

注:

1.「帰ってきたジャパユキさん」 フィリピンのはまり方編集部編 『フィリピンのはまり方(創刊号)ニノイ・アキノ国際空港に降り立ったハマちゃん-「フィリピン通」日本一への旅立ち-』 1996

ずいぶん思わせぶりな副タイトルのフィリピンマニラ発行の雑誌。たまたま会社の事務所で見つけた。きわもの雑誌かと思いつつ、非常にまじめな内容で面白かった。

(この項 了)

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高橋しん 『いいひと。』 変わることと変わらないこと 1990年代再考

ずっと書きたかった原稿です。

09112200 高橋しん 『いいひと。』

ビックコミックス 小学館 「週間ビッグコミック・スピリッツ 1993年 号~1998年50号 掲載作品」

単行本 1993年~1999年

お薦め度: ★★★★☆

泣ける度: ★★★★☆

マンガとしての完成度: ★★★★☆

実は、私の1990年代は、この作品と共にあったと言っても過言ではありません。

中途採用で地元の名古屋本社の会社に入社したつもりが海外事業部が東京だったため、院浪していた京都から急遽、上京したのが1992年9月のこと。

将来的には東京に行きたかったのもあり、海外の仕事をすることも夢だったのも事実ではありますが、1992年は4月からニューチャレンジということで大阪から京都に引っ越したばかりで、半年もたたないうちに東京へ。そういえば、そのときの免許証には大阪、京都、東京の住所が書かれていました^^?

さて、中途採用で上京したものの、通常入社の新入社員から5ヶ月遅れで、しかもその13名は本社採用であったため、東京には5年以上年上の先輩や20年選手や、海外部の重鎮というかベテラン社員ばっかりのところに突っ込まれた?ものですから、いろいろ入社当時からミスというかトラブルメーカーというか、まあバカなことばかりやってきたものだと思います。確かに、東京採用の女性社員で年齢の近い方も何人もいらっしゃったけど男性社員はいなかったなあ。

とにかく9月7日付けで採用だったのですが、当時は生活環境も関西と関東では全然違うし、同期もいないし、もう右も左もわからないようなめざまぐるしい日々でした。

当時の会社は港区は赤坂の溜池交差点の近くにあり、昼は会社の上司や先輩と近くのめしやで外食だったのですが、たまたまひとりで、となりのコマツビルの地下一階の喫茶店にランチにいったときに、そこの置いてあった当時は隔週刊であったビッグコミック・スピリッツで、このマンガの初回を読んだのですね。、たしかに、1993年の春のことでした。

それ以来、2週間に少なくとも1回は、ひとりで、このマンガを読みにその喫茶店に通っていました^^?

なんていうのだろう、このマンガの主人公は、北野優二という北海道から東京に上京してきたフレッシュマンで、ライテックスという超一流のスポーツメーカーに就職したのですが彼の大学時代からの恋人や仲間たちと、会社で知り合った上司やまわりの人たちとの交流物語なのですが、やはり自分ともダブったところがあるのでしょう。

仕事の業務内容は、まったく違うのですが彼の経験というか、彼の周りを巻き込んだ一見常識破りの言動は、自分の未経験値?ともマッチしていたし、今思うと、私も漠然と感じていた社会というか会社に対するなぜというクエスチョンに、ゆーじ君自身が体を張って答えてくれていたような気もします。あくまでも彼流の解決?方法なのですが^^?

ところで、彼の信念は、「私の周りの人の幸せが、私自身の幸せだ」ということなのだそうですが…。

そんな甘い考えでこの世知辛い世の中生きていけるのかというのが大方の常識だと思うのですが、そんなゆーじくんが如何に、日々、身の回りの人たちと繰り広げるドラマで、実は漫画の連載途中で、1997年4月からにスマップの草薙剛くん主演でテレビドラマ化もされたので、こちらで知った方もいるかもしれない。

最初から漫画で見てきたものとしては、ドラマの出来はなんともかんともといったところで、最初の1回目はみたけどとても見られたものではなかったという感じでした。と言いつつも何回かみたような気もする。

まあ、それはそれとして、なかなか話がすすまないドラマではありますが、それでも当時の思想というか風潮というか、やはりバブル後に社会にでた私たちの世代の気持ちというか雰囲気を代弁していたような気がします。

作者の高橋しんさんが1967年9月8日生まれということもあり、やはり年代的にも近い(2学年上)ということもあったのだろうな。かなり共感できるエピソードがありました。

あと、各回のタイトルが、当時はやっていた主にJ-POPのタイトルや歌詞などから拾ってきたようなキャッチーなもので、そのときはあまりなんとも感じませんでしたが、その後、改めて読み返すごとに、そのタイトルから当時のミュージックシーンが浮かび上がってきて、描かれている世界や世界観のみならず、そのはやりの音楽が聴こえるみたいで、まさに1990年テイスト満載の作品でもあります。

なんか、前書きが長くなってしまいましたが、彼の言葉で非常に印象ぶかいのが次の2つのキーワード。

1. 「オレは変わらないから。」 そして、2.「想い出す」こと。

これって、実は宮本常一さんの言葉(※1)ともつながってくるのですが、1990年代というまさに時代がうねりを立てて、既存のパラダイムが音を立てて崩れ去っていった「失われた10年」を生きてきたわれわれ世代の高橋しんさんが、時代は変わっても「変わらないこと」(ところ)に、この主人公を置いたところに非常な聡明さというか時代に抗うわけでなく、また迎合するわけでもなく、‘時代’と‘個人’との距離をきちんととったということ、そのすごさが今更ながら非常に貴重に思えてきます。

※1 いろいろな人が引用していますが、『民俗学の旅』の最後の章の文章「私は長いあいだ歩き続けてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのはなんであろうか。発展というのは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。~後略~」(講談社学術文庫 1993年 234ページ)などを参照。

こちらの記事もご参照ください。

ブームの宮本常一?(『宮本常一 旅する民俗学者』を手にして) 2006年3月30日 作成http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-cc80.html (表紙の画像付)

俗な言い方ですが、私にとっての20歳代(1990年代)って、やっぱりいろいろな意味でも‘青春’であったといえますね。

実は、この文章は、2000年になってから早い時期に書き留めておきたかったのですが、結局10年近くかかってしまいました。(既に、2009年も11月22日)

あと、この漫画は、主人公が主人公の周りの普通の人たちが主人公であるという群像劇と申しましょうか、小説とかでは今までもあったかもしれませんが、漫画では非常に不思議というか、「何もしない(できない)」ヒーロー?というかたちをとっています。

というか、ゆーじは、変だけど、‘普通’の人代表というか、無垢?な子供大人というか「今までオレってやりたいことをやらなかったことってないんです。」という自由人、劇中では周りの人から、さまざまに評価されていますが、ある登場人物は、「あいつって、それほど‘いいひと’でもなかった」とか、またある人は「(偉大なる)無」とか、よくも悪くも言われているのですが、そうです、今はやりの言葉でいえば、ファシリテーターというか、彼の言動によって、彼に関わった人たちがそれぞれ自分の(熱い)想いとか考えに気づくというか気づきの‘きっかけ’、自分(たち)を見つめなおし、新たにスタートなりをきるための触媒としての狂言回しを担っていることに気づかされます。

最後の書き下しのプロジェクトでは、彼は何もやっていないというか、周りのみんなをその気にさせて、「決して個人ではたどり着けない(世界)」へと周りの登場人物をも、そして読者をも導きます。

最後のオチは言わないのがお約束ですが、彼のいた世界、彼がいる世界って、やはり一人ひとりが、やっぱり少しは生きやすい世界であるだろうという期待と期待を抱かせてくれます。

誰もが「いいひと。」になれる可能性を秘めた世界。決して大上段に世界平和や愛を語るのではなく、たとえどんなに世界が‘変わった’としても、‘変われない’自分(たち)をいつくしみ、‘忘れる’ことや‘忘れない’ことを恐れずに「想い出」を大切にしていく。

それぞれの人々、個人個人がもつ‘幸せ’な「想い出」を糧に、苦労や悲しみを「未来」へとつなげていく。そして、人の想いは、たとえ片想いであったとしても十分に価値のあるもので、‘小さな’幸せを紡いでゆく。

彼は「変わらない」ことによって、彼の周りの人を「変えていく」。そんな不思議な漫画です。

たかが漫画と侮ることなかれ、私はいろいろ行き詰ったり悩んだときに、それなりに前に進むための‘ちょっとばかり’の「勇気」をその都度、ゆーじ君から与えてもらったような気がします。

高橋しんさんのこの後の作品の「最終兵器彼女」も名作といわれていますが私はその頃は漫画を卒業というか全然読んでいないし、私にとっては「いいひと。」がベストというか、私の20歳代の生活というか‘青春の全て’であったような気もします。

この連載が終わってからは、スピリッツも全く読まなくなりましたね。他にもおもしろい連載があって、たとえば、玖保キリコさんの『バケツでごはん』とか、中川いさみさんの『大人袋』とか、本当におもしろくて今でもたまに読み返していますが、それらの作品が(いいひと。を含めて)終わってしまったのが、多分、同じ頃ではなかったのか、つまり1990年代の終わり頃(※)はなかったのかと思います。

※『バケツでごはん』 1993年5月3日号から1996年8月19日号まで「ビッグコミック・スピリッツ」で連載。『大人袋』 1995年4月24日号から1999年頃(手元にある単行本の第4巻の収録が、1998年9月14日号までの収録、確か第5巻で完了したはずです。) 

ともあれ、ちょっとマイケル・ジャクソンやオバマ大統領の「チェンジ」という言葉に対して、いや実はそれだけでいいのかというのが頭の片隅にあって、こんな昔話?を書いてみました^^?

あと、蛇足ですが、「変わること」と「変わらないこと」について、5年ほど前にも書いています。まあ、私の考えも基本的に‘変わっていない’です。当時と較べても^^?

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) 2005年3月23日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

ではでは^^?

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2009年11月 3日 (火)

大阪から戻りました。プチ旅行報告をとりあえず2つ書きました!

10月31日~11月1日まで、大阪と高槻にプチ旅行に行ってきました。

実は、時間的にも余裕はあったので、10月31日の大阪・梅田の用が済めばもっと西に足を伸ばすつもりだったのですが、「阪急古書のまち」にちょっとはまってしまい、想定外に古本を買い込みすぎてお金はなくなるわ、荷物は重いわで、11月1日に大阪外国語大学の恩師にお会いしてあるイベントに参加して、それでそのまま実家に退散?しました。

とりあえず、「ブログ版 歩く仲間」に2つの所用について、報告を書きましたのでご報告まで。

大阪外国語大学アラビア語科のOB会の設立総会に出席してきました^^? 2009年11月2日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/ob-86d2.html

道はまだまだ遥かかなた。でも、まず一歩から踏み出そう! 2009年11月3日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0622.html

ちょっと堅い内容ですが、まあ関心のある方は覘いてやってください。

後者は、「海洋民俗学~海からみる世界」というミクシイのコミュに対する書き込みです。まあ平たく言うと、なぜ大阪で散財?したかということの説明。でも自分では、高価な専門書を安く(ないけど)購入できて、非常にハッピイであると思っています。本当に。

いろいろ研究活動に徐々に力をいれていきたいと思っていますので、関心のある方は一緒にしばし歩いてみましょう。

ではでは^^?

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2009年10月31日 (土)

今日から大阪に行ってきます^^?

さて、明日よりいよいよ11月。実は2日が会社のお休みなので今日の土曜日に隔週休みが当たった?しばやんは、4連休となります。

ということで、今朝から大阪に行ってきます。午後に梅田で所用があるのですが、あとは関西の知り合い(恩師)とあったりあとはぶらぶらということで関西のあたりをうろうろプチ旅行してくるつもりです。

久しぶりに神戸にも行きたいし、西宮には仕事関係でも取引先があり関心があるし、足を伸ばして宮本常一さんの故郷の周防大島にも心を誘われるし、でもお金もないしということで、まあでたところ勝負で2~3日、行ってきます。

あと、ちょっと今日、大阪に行くのにあたっての決意?をブログ版 歩く仲間に書いてみました。

「ちょっと大胆 発言! & 今日、アラビア語の同窓会があります。」

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-9f74.html

ご参考まで^^?

ではでは^^?

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2009年10月25日 (日)

時代は変わる というか・・・仲間の帰国&同時多発的‘ネットワーク’ビッグバン @mixi 

仲間の三好さんが長期滞在のザンビアから5月末に帰国しているのを、今日たまたま知りました。ブログ版歩く仲間のリンクに載せていながら、実は最近、全然チェックしていませんでした。(ごめんね)

「ザンビア日記(Miyoshi@Zambia)・・・いま日本。」

http://zambia1.exblog.jp/

彼と初めて出会ったのは何年前になるだろう。もう10年位前になるのでしょうか。

いろいろ皆、立場や居場所を変えて、それぞれの現場で生きている。

それを思うと、仲間の活躍って本当にうれしいですよね。

卒業というのかなんというのかわかりませんが、みなそれぞれのペースで少しずつ成長していく。そんな節目は実際にあると思うし、逆に惰性の生活に流されてもいけないなと思いました。

ところで、ミクシイのネットワーク論について、「ブログ版 歩く仲間」にちょっと書いてみました。

同時多発的‘ネットワーク’ビッグバン @mixi 2009年10月25日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/mixi-fd77.html

最初の話に戻ると、彼はずっとザンビアにいたわけですがネットのウェブ(ブログ)での発信でほとんど時差もなく彼の動きがわかっていたわけだし、(ネットを通じて)近くに感じていたわけで、これって実はすごいことだなあと思います。

ホンの10年、20年前は想像もできなかったことですよ。これは。

これからは、岡田斗志夫が1995年に発表した『ぼくたちの洗脳社会』 (1998年 朝日文庫再録)で予言した本格的なネットワークによる情報戦争?が(既に)始まっているということが言えましょう。

こちらもよろしくね。

岡田斗志夫 『ぼくたちの洗脳社会』  ブログ掲載 2007年4月21日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_b630.html

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_12ff.html

パラダイム論の最高傑作。おそるべし、オタキング。 と私はのっけから煽っていますが、実にすごい本です。

最近レコーディング・ダイエットとか、オタク学関係の発言が多いですが、実は彼と同世代の中では突出した思想家だと私は思っています。ぜひ、偏見?を持たずに読んでみてください。

ではでは^^?

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2009年10月22日 (木)

こんな話題で盛り上がっています^^! 「未来は僕等の手の中」by ザ・ブルー・ハーツ

今、いろいろミクシイのコミュニティ関係でいろいろ活動をしているわけですが、ミクシイで知り合った人(学生さん)からこんな問いかけがありました。

「Q1: イスラム世界の1番の問題とは?

私は受験のためにイスラム世界について調べているんですが、もしよかったらイスラム世界の1番の問題とか知っておいたほうがいい事とか教えてくれませんか。」

「A2: イスラム世界 研究への道しるべ 

今のイスラームの一番の難しさは、「宗教‘戦争’」がらみで全て語られてしまうということだと思います。

‘テロとの闘い’しかり、‘イラン’、‘イラク’も‘アフガニスタン’も、イスラーム過激派とか宗教がらみで報道されていますが、本当の中東問題の根幹は、水問題・エネルギー問題など、‘資源問題’にまつわる欧米諸国との駆け引きが背後にあります。

欧米のメディア(日本のメディア)も盛んに宗教問題だと煽りますが、本当は資源を持つイスラーム諸国と、その利権を狙う欧米諸国との宣伝合戦であるといえましょう。

アルカイーダ(イラク・アフガニスタン)もターリバン(アフガニスタン)もムスリム同胞団(エジプト)も危険なテロ集団ではなく、もっと多様な社会的な背景と意味をもっだ集団であるということです。

このことを的確に論じている研究者(日本人、海外の人)の名前がすぐに思い浮かびません。(ちょっと最近のこの分野の研究動向に疎いという私の都合もありますが)

ともあれ、折角、イスラームやアラブを学ぶのでしたら、オーソドックスな文化、歴史をしっかり勉強したほうが後の応用がきくと思います。

まず、ここらへんの本を手にとって見てください。

『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』 @1991
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm
特に第1部 文献案内編

アラブ・イスラーム地理書・旅行記 勉強会 © 2003
参考図書(アラブ・イスラーム研究案内)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it0002.htm

不明な点はなんなりとお尋ねください。

ではでは^^?」

「Q2: 中東に平和はくるのでしょうか? 

ありがとうございます

アメリカが無駄に戦争するはずないですよねバッド(下向き矢印)
中東に平和は来るのでしょうか(;_;) 」

「A2: やはり若者の時代です。「未来は僕等の手の中」by The Blue Hearts

‘中東’というか‘世界’といったほうがよいのでしょう。

いまや一国や一地域の出来事が、すぐ世界の行く末に連結している時代ですから。

やはり日本人が立たないといけないと思いますね。


‘わたし’の平和学~冬が来る前に!
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html


なんか宣伝ばかり?でごめんなさい。

ではでは^^?」

なんか手持ちの駒だけで話をしている気がする。もっと新しいネタや情報を仕入れないと^^?

でもやっぱりこれが20年間の蓄積かしらんという気がしないでもないです。

ともあれ、時代や世界は日々刻々変わっているので常にアンテナを張っていないとダメですね。

ではでは^^?

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2009年10月21日 (水)

青空評論家? 空を見なよ!

というつんく♂率いるシャ乱Qの曲があったことを覚えておいででしょうか^^?

1996年のベストアルバムに入っているので、当然、それ以前の90年代初めの曲かと思いますが、私は結構好きな曲です。
Pict0003
さて、私の部屋の窓からみえる空の写真を適宜アップするようにします。

今日もよい天気だ。がんばっていきましょう。

ではでは^^?

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2009年10月18日 (日)

「イスラーム地理書・旅行記勉強会」を再開します!

という記事を、「ブログ版 歩く仲間」に書いてみました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-a789.html

もう、これはライフワークというか、どうしてもやりたいことなので、ぼちぼちとでもやり続けていきたいと思っています。

09101702_2 イブン・ジュバイル 藤本勝次・池田修監訳 『イブン・ジュバイルの旅行記』 講談社学術文庫 2009年7月13日 第1刷発行

09101703

イブン・バットゥータ イブン・ジュザイイ編

 『大旅行記』

エジプトで購入したアラビア語原典。

09101705_2 イブン・バットゥータ イブン・ジュザイイ編

家島彦一訳注 『大旅行記』 (全8巻)

平凡社 東洋文庫 1996年6月10日 初版~2002年9月25日 初版

ちょっと力というか恨み節が入っていますが、とりあえずミクシイに、「イスラーム地理書・旅行記勉強会」というコミュニティを作ってみましたので、関心のある方がぜひのぞいてみてください。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4600043

ではでは^^?

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2009年10月16日 (金)

‘居場所がある’というありがたさ^^!

最近ちょっと転職がらみの話題を振っていますが、先日、新しい?会社で近所の温泉ホテルに会場を借りてのビジネスミーティングというのがありました。つまり、会計年度が11月から10月なので、今年度のレヴューというよりむしろ新年度の事業計画を話しあう会合です。

社長を始め担当者がそれぞれの課題と方針を全社員(30名)の前で発表する。齢1年目の私も発表する機会が与えられました。ミーティングの後はお決まりの懇親会ということで、ともかく1年間続いたことを感謝。

昨日、ビジネスミーティングの資料を閲覧して、組織図に、‘ちゃんと’私の名前があるのを発見。当たり前といえば当たり前かもしれませんが、今年度は組織図の端っこに手書きでおまけ(補助)でアシスタントとして名前があったのが、今回は場所が変わっていました。

ともあれ、人間、‘居場所’があるというのは非常に重要なことです。

家族、友人はともかく、やはり社会人たるもの‘会社’イコール‘社会’とは思いませんが、‘社会’に足を置かなくてはなりません。つまり働く‘権利’と‘義務’です。

当たり前のことですが、「人間食っていかなくてはならない」、当然、目指すもの(幸せ)のかたちは人によって違うでしょうか、どうせ‘食う’ために‘働かなくては’ならないのなら、‘自分にあった仕事’で、‘よい同僚に囲まれた’職場であってほしいもの。

世界中のどれだけの人が日々働いているかわかりませんが、どれほどの人たちが自分の仕事や生活に満足しているのだろう? と ふとそう思いました。

自分の境遇の悪さを嘆く人も多くいるかと思いますが、運も実力のうちというか幸せを招くのも遠ざけるのも、本人の資質が実は9割ぐらいあるのではないかと思います。どんな逆境や悲惨な境遇に生まれついたとしても、その人が一生不幸から抜けだせないということが100%ではありません。

つまり、何パーセントか確率はわかりませんが、間違いなく何人かは‘どん底’から這い上がり?富や幸せをつかんでいる。立志伝というものが古今東西にあり、今でも人の生きる励みになっているのは、そういう人の世の真実を伝えているからなのでしょう。また逆に傍の誰がみても幸福な環境に生まれついても身を滅ぼすというか身を持ち崩すものが必ずいるのも世の常のことです。

あと気をつけなくてはならないのは、「禍福はあざなえる縄のごとし」ということですね。「Good times Bad times」ともいいますし、ある状態が未来永劫変わらないということはないということです。(まるで「平家物語」の世界ですね^^?)

ともあれ、「自分の居場所は自分で確保する」という気概と根性は持たんといかんなあと改めて感じました。

ではでは^^?

P.S.

人間いろいろ経験すると‘腹’が据わってくるものです。絶対に「降り止まない雨はない」のだし、「日の空けない夜もない」のです。たぶん、きっと。

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2009年10月12日 (月)

「世間知らずはまだ許されるが、世界知らずは罪ですらある」 リトルワールド散策レポート(その1) 2009年10月11日

という記事を、「ブログ版 歩く仲間」に掲載しました。
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-561d.html

Pict0013

エントランス部分

Pict0136_2 フランス アルザス地方の家

Pict0192_2

モロッコ ベルベルのテント(家畜用)

Pict0224_2

奥の黒い肉がダチョウの肉、手前の白い肉がワニの肉です。

サファリプラザのレストランで食することができます。

一応、ミクシイのメンバーのために、「開発民俗学~地域共生の技法」のトピックでも同じ記事を転載しておきました。

ぜひ、立ち寄ってみてやってください。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47090065&comment_count=2&comm_id=2498370

ではでは^^?

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