カテゴリー「Life, I Love you! (Dairy Life)」の141件の記事

2013年9月20日 (金)

101回目のプロポーズの最終場面の謎を解く 20年目にしてわかった真実?

初出:フェイスブックページ 2013年9月20日
<101回目のプロポーズの最終場面の謎を解く 20年目にしてわかった真実?>
しばやんプータロー学生なうです。
今日は人間環境大学で宗教学の講義を聴講してきました。伊藤利行先生は、イスラエルやユダヤ教の専門家ですが、日本と世界の「他界観」を「約束の地の系譜」というタイトルで、今日は日本人の起源と仏教が入る前の日本人の世界観・宇宙観みたいな話をA425ページのレジュメで解説していただきました。全部で15回の講義なので、講義録をまとめると本1冊になりますね。たぶん、そのつもりで講義録を作っているのだと思います。
初回の今回は、人類学のDNA判定による日本人の起源論と、宮家準「宗教民俗学」1989年の学説をかいつまんで紹介いただきました。実は宮家先生の本は東京大学出版会の450ページほどのA4の専門論文集で2009年の年末に東京で勉強会に呼ばれたときに早稲田大学の近くの古本屋で2000円で購入して私も持っていたのですが、積んだままになっていたもの。ああ、やっぱり論文をちゃんと読まないといかんなあと改めて実感。でも講義って基本的にライブなんですよね。伊藤先生は、ご自分で作られたレジュメを読んで説明するオーソドックスなスタイルの講義ですが、生で話を聞いて質問があれば質問もできる。
私も正直、大学の講義は結構適当に取っていましたが、今思うととてつもない貴重な機会(チャンス)を逃していたかもと20年ぶりに赤面しました。
まあ、大学時代は勉強だけをしているわけではありませんが、やっぱり勉強が本分だからなあ。少なくとも自分の知らない世界を極めんとする先生方がいくらもタダ(当然、授業料を払っているわけですが)惜しみなく教授していただけるのに、なんともったいないことをしたのかと反省しきりです。
まあ、リタイヤした先輩たちはさておき、一番働き盛りの43歳がこんなところでお茶を濁していていいのか!というツッコミが入りそうですが、まあ、今の時点で出世も社会的な地位も何もかも捨てて、次のステップに備えているわけなので、そこは自己責任?ということで今できることを粛々とこなしていこうと思います。
まあ明治維新の志士たちの多数は脱藩者であり浪人でもあったわけなので、確かに藩のお墨付きをもらった俊才たちも当然いましたが、まあ、人生において浪人の時期がなんどか(私は2度目)あってもいいのではないか。
それがありの世界になると日本もおもしろくなると思います。
そんなことをつらつら買いていたら、ふとあるドラマの最終回を思い出しました。
結果として前置きが長くなってしまってすみません。
そのドラマというのは、1991年にヒットしたあの曲、「タララ・ラララン」のイントロが懐かしい武田鉄矢演じる星野達郎の最後の101回目のプロポーズ、いわゆる「・・・ボクは、死にましぇ~ん」のあのドラマです。主題曲のチャゲ&飛鳥の「SAY YES」も爆発的にヒットしましたよね。
大きくは1980年代のバブリーな時代のトレンディドラマの流れにあって、異色を放った不思議な中年おっさんと全然、縁もゆかりもないハイソな音楽家の美人お姉さんとの恋物語、そう「101回目のプロポーズ」は、なぜかしばやんのお気に入りなんですよね。
あらすじは思いっきり省きますが、最後に星野達郎は会社も辞めて司法試験にも落ちて道路工事のアルバイトをやっているところに浅野温子演ずる矢吹薫が戻ってくるエンディング。正直言って、そんなプータローのところに音楽家のエリート&お嬢様の薫が戻って、なんとかなるのかしらんと、話としてはおもしろいけど、そんな理不尽なことがあるものかと、最後の結末にいまいち納得していませんでした。
ただ、今、自分が同じ立場になってみると、いや、あれもありだなと、20年ぶりに納得しました。
司法試験を落ちたことが問題ではない、道路工事の仕事をしていることが問題ではない。達郎が全てを捨てることによって、取り戻した(思い出した)‘プライド’こそが、薫さんにとっては、価値のあるものであったということです。
今後、どうなるかは当然、誰もわかりませんし、ドラマは何も語りません。ただ、達郎は、少なくとも司法試験を落ちるまでの彼と、落ちた後の彼は、まったく違った行動原理で人生に立ち向かったであろうことは、想像にかたくありません。
いやあ、脚本家の野村伸司さんのドラマがこれほど深いものであったとは!
20年ぶりの謎が解けて、とても得した気分です。そういうことだったのか。
達郎さん、よくやったなあということですね。42年をかけて、いや42年も自分を束縛していた自縛を解くとは! 当然、彼だけでは解くことのできないトラウマだったわけですが、101回もプロポーズをした意味があったということですね。
いやいや他人事じゃないですが^^?
ふと、そんなことを思い出しました!
ではでは^^?

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2013年1月 4日 (金)

2013 謹賀新年 (新年のご挨拶)

昨年2012年は後厄の年。無力感にとらわれたとき、二人の歌姫に心を癒されました。

 

 

ヘイリーさんの『祈り』(左上)というアルバムの中に「瑠璃色の地球」という一曲がありました。まさかアイドルの松田聖子さんの曲とは!

 

 

そのわずか半年後、12月29日に「SEIKO Ballad」というコンサートで、26年前のこの曲をいきなりCD越えのパフォーマンスで歌う聖子姫を目前にしたとき目頭が熱くなるのをおさえることができませんでした。

 

 

「あり続けること。」

 

 

彼女は昨年50歳を迎えました。今年はデビュー33年目を迎えます。

 

 

1980年に心ある人たちに発見されたダイアモンドの原石は例え(一部の)人が去ってしまったとしても人知れず、毎日毎日、姫に磨かれ続けられて30年後には発見者すら元の原石の姿形がわからないほどの大粒のダイアモンドになっていました。

 

 

‘現役’かつ‘永遠’のアイドル! まさに‘本物の姫様’でした。

 

 

私も仕切り直しです。今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

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初出: 2013年1月3日 年賀状

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2012年1月19日 (木)

スナフキンの気持ち!

って、なんだろうとふと今朝、通勤途中の車の中で思いました。スナフキンって誰?という方のためにちょっと説明すると、ムーミンの仲間でとんがりふちアリハットとギターを抱えた緑色と茶色っぽい服を着たムーミン谷では珍しい?ヒト型の人?でも不思議な人たち?ですよね。ミーとスナフキン以外はどう見てもヒト(型)ではないよなと今さらながら思います。

で、なんでスナフキンを思い出したかというと、そういえば、約20年前に前の会社の東京支社に最初に出勤というか社宅の鍵を貸してもらいにいったときのこと、中途採用の私は、確か9月6日の採用に合わせて8月末に、青春18切符で岡崎から金沢で学生をしていた弟を訪ねがてら東京に2日か3日かけていったのですが、ギターだけは引っ越しの車の載せたくなかったので、ギターを抱えてちょっと前に卒業旅行で行ったタイで買った蔓で編んだような汚いハットと白と紺色のボーダーの長袖のシャツと薄い青色のジーンズで、東京は赤坂溜池のビジネスマンの聖地?に鍵をもらいにいったのでした。

会社で出迎えてくれたそのとき初めてあった直属の上司が、一体何者が来たかと、思わず絶句してのけぞったというのも、今となれば、その気持ちもわかるよなあ、ということをなぜか思い出してしまったのでした。

移動の交通費も当然、新幹線ででるし、青春18切符でしかも寄り道してきたヤツはみたことないって、それはそうだ。

まあ、最初からハジケていたというか、きちがいというかチンドン屋というかオフィスビルにそんな格好で入るやつは絶対いない!たぶん^^?

で、話を戻すと、スナフキンも実は客観的にはへんなヤツであることを自覚していたのかなあということと、やっぱり放浪の旅にでてしまうのね、というところにちょっと親近感を感じてしまったという話。

でも、スナフキンっていいよな~^^?

結局、あの人は、どこまで‘行って’しまったのだろう、とふと思いました。

ではでは^^?

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2011年12月19日 (月)

しばやん、(なぜか)ブランド論を語る!

初出: 今、何している? 勝手に近況報告!<フリートーク> 2011年12月19日 @ 開発民俗学−地域共生の技法−
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46607600&comm_id=2498370

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今日、初めて長島スパーランドに行ってきました。会社の社員旅行で立ち寄ったのですが、11時から3時ちょっと前までフリータイムで、スパーランドに行ってもよし、アンパンマンミュージアムに行っても、何をしてもOKという企画だったのですが、私はアウトレットショップの長島ジャズドリームに行ってきました。同僚の何人かといったのですが、結局、いろいろショップを見てまわるのには、個人でまわったほうがいいわといことで単独行動。今までの海外で働いてきたので、いわゆる有名ブランドのロゴを知らないわけでもなかったのですが、ブランドというものを、真剣でもないけど意識しだしたのは、ホンの数年のこと。実は、最近確か去年か今年に、金持ちは長財布を使っているとか財布の値段の200倍が年収とかいう宗教みたいなビジネス書の著者にまんまとだまされた口なのですが、そういう眼で、ブランドを見てみると、それなりにおもしろい。以下、勝手に、しばやん流のブランド論をいってみます!

まずブランドとは何か! 一言でいうと素性がわかる商品やサービスであるということ、開発民俗学的にいうと‘ストーリー’を持った商品であると私は定義づけます。(たぶん、まじめなブランド論はあると思いますが、よく知らないので、適当に勝手に言っています。)

つまり、どこ(場所)の誰(人)が、こうこういう不満とか不自由から(理由)が何時何時(時期)に創立した会社なりが作った商品やサービスであるということ。それを‘素性がわかる’とか、‘ストーリーを持っ’ているといっているわけなのですが、実は、どんなものでも究極的にはブランドなんですよね。ただ、それが一般的な実用品だとか消耗品だとかに扱われてしまうと、ブランド‘力’は落ちるけど、逆に言えば、類似商品の代名詞になるくらいポピュラーなブランドだと勘づかれないような‘ブランド’もあります。例えば、セロハンテープとか、ホッチキスとかゼロックスとか、それは‘商品’名ではなくて‘ブランド’名だと全然、意識しないと気がつかないものもありますよね。

まあ、それはそれとして^^?

最近、思うのが、これからの世の中、ブランドというかストーリーのあるものしか‘モノ’でも‘サービス’でも売れないのではないかということを考えています。

これほど、モノや情報があふれてくると、本当に何が本物でよいものなのかが全くわからない、情報雑誌や専門家もあるけど、商売が絡んでくるとどれもこれもがボランティアでやっているとは到底思えなくて胡散臭くなってくる。そういう今の世の中であるからこそ、ブランドというものの価値が、以前に増して重要になっている。

結局、同じもの(実際には、中国とかどこかの同じ工場で作られている)に、ブランドのマークがあるかないかだけで、値段が倍半分どころか10倍も違ったりする。

確かに、そこを突っ込む玄人筋がいないわけではないですが、総じて、日本人はブランドに弱いといわれています。

でも、それはそれでいいと思います。

日本人の‘金’さえあれば何でもありという価値観の前には、ブランドのストーリーが持っているべき、誰向けのという消費者のカテゴリーというかクラス分け、もっと平たく言えば‘階層’というものを全く無視して、金で何とでもなる‘モノ’とか‘サービス’というブランドの記号性だけが流通してしまっている。その風潮は、たぶん世界的には、特にブランドオーナーにとってはあまり好ましくないものかもしれませんが、すでにブランドオーナーは、‘金’でその階層性という壁を売り渡してしまったというのが現実のところなのでしょう。

私が言うのもおかしいですが、日本には、本当の意味でのセレブレティはない。いわゆる‘セレブ’は日本にはいないと言い切ってしまってもいいでしょう。確かに、士族や華族、公家さんの家系が実際にはあるのでしょうけど、その生き方としては、セレブ‘性’を、明治、大正、昭和の150年で失ってしまったのではないか、と私は考えます。

もしかしたらひっそりと特定の‘クラス’の人たちとしか付き合いのない方もいらっしゃしゃるでしょうけど、日本ではメジャーではない。いや、見えないようにしているのかなあ^^?

まあセレブレティがないということは、逆に言えば、誰でもセレブになれるというとんでもない幸福な国(民)だとも言えます。

ともあれ、ブランド化ということが、マーケティング業界で言われてもう10年以上になるでしょうが、やっぱり私も、ブランドというのは大切だと思う。それが自己のアイデンティティであり、商品説明であるべきもの。つまり自分を説明できない(モノ)や(サービス)を売ること自体のモラルが問われる時代が、今の日本の社会ではないか。

だからこそ、個人としてもストーリーをもってお客様との‘共感’を得ながら、ことを勧めていく、そんなリーダーなり会社が強くなっていくのであろうなあと、今日、長島ジャズドリームのブランドショップをみて思いました。

なんとなく開発民俗学で、わざわざとびを立てるまでもないと思ったので、とりあえず、ここにメモしておきます。

ではでは^^?
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しばやん@長島ジャズ・ドリーム 2011年12月19日でした^^?

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2011年12月14日 (水)

Still a long way to go! まだまだ道は遠し、でも方向は間違っていない(たぶん^^?)

初出: mixi日記 2011年12月12日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1803507029&owner_id=11744733

2011年12月11日(日)に南山大学の大学院の説明会に行ってきました。いろいろな先生のお話が聞けて、個別の相談にものっていただき楽しいときを過ごすことができました。

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でもまあ大変な道ですわ、本当に^^?

先生が口々に大変だというのもわかります。でも一歩を踏み出さないことには、本当の難しさや大変さはわからないはず。大変なことをわかった上でそれでもやるかやらないか。

まあ、私にとっての人生の究極の選択の一つですね^^?でも出来ないことを考えてやるバカはいないもので、ハッピーエンディングだけを考えて、いかにやりぬくかを考えるべきです。ただ、撤退の仕方は考えておくべきでしょう。いろいろ準備を進めていけば、具体的な難しさが見えてくるはず。今は、あまり何も考えずに粛々と準備を進めていきます。

ここでもいろいろな出会いがありました。

道は一つではない、でも選ぶのは‘私’でありたいと思っています。

ではでは^^?

おまけ!

なかなか趣きのあるキャンパスでした^^?

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2011年11月15日 (火)

りぶらまつり2011 無事 終了しました^^?

祭のあと!ということで、先日、11月12日と13日におこなわれたりぶらまつりの報告を!

Img_1181 初出:

facebook : 2011年11月12日書き込みに大幅に加筆

http://www.facebook.com/#!/shibata.eichi

しばやん@ホームです。りぶらまつり2011、怒涛の2日間でした^^?いろいろ段取りが悪くて当日、プログラムの直前ですら準備ができておらず走りながら実行するという自転車操業の火の車状態でしたら、長尾さん、拮石さんという最強バックアップ軍団の仲間の力をえて、なんとか歩く仲間のプログラムをこなすことができました。
当然、OKAZAKI NEWSの山本さんやアース・アズ・マザーの村野さんというベテランの方々、そして多くの関係者の皆様のご協力とご支援があったからこそできたことで、総勢30名強の歩く仲間Xアース・アズ・マザーグループ全体として、テラス、302会議室、そして101会議室での全プログラムを無事、事故や問題なく終えることができました。本当にありがとうございました。いろいろ失敗や反省点も多かったですが、それはそれとしてラッピングはしますが、ご要望さえありましたら似たような企画を考えていきたいと思...っています。
ともあれ、みなさまお疲れ様でした。私も休みます。

自分で自分をほめてやりたい、かなり久しぶりに充実感のあったプロジェクトでした。

プロジューサー志望の歌って踊れる(ようになりたい)コンサルタント、MC(マスター・オブ・セレモニー)志望のしばやんとしては、それなりに手ごたえを感じた地元(岡崎)デビューでした。

名前を挙げ切れないほど多くのみなさん、ありがとうござました。

ではでは^^?
                                  おまけの写真など (2011年11月15日加筆)
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会いにくるアイドル!世界初のまちドル、岡崎市が誇る[さくらHR』 
今回、歩く仲間ともコラボ企画でインドの民族衣装とアクセサリーをつけてのモデルさんをやっていただきました^^?
最後に、エンディングセレモニーで、さくらんぼ(大塚愛)を5人で歌って踊ってくれました。基本的にアイドルとは縁がなかったしばやん的には、間近Img_1203_2 にステージを見ることができて、ちょっと感激!中学生と高校生の7名のグループ、今回は5名の参加ですが、ひたむきにがんばる姿をみて、考えさせられました^^?
老若男女を問わず、みんななにかしらの感動を求めている。そして、それぞれやりたい人がいて、それを支える人がいて、楽しむ人がいて、癒されたり勇気を与えてもらったりする。なにか、そんな人と人のぬくもりを特に3月11日の大震災をみんなが意識するようになったのではないか。これからの時代は、勝ち負けではなく、持っているものを‘シェア(共有)’していく時代になってくるのではないか。そんなことを感じました。
そうそう、新しいプロジェクトとして、mixiの中で、「まちの‘かたりすと’&‘つなぎすと’」というコミュニティを立ち上げました。
最初は、「世間師の日和見」というタイトルだったのですが、なんとなく、よそよそしくて背伸びしたようなタイトルだったので、全面的に、見直しました^^?
世界中、どこにいっても、どんな辺境地に行っても、なからずどんなところにも、いわゆる‘人物’はいるものです。
今回のりぶらまつりの実行委員会に参加して、そんなリーダーたちの何人かを、特に若い世代のニュージェネレーションの人物にお会いするきっかけとなりました。
世界の片隅から、何かをさけぶのがもう何年か前に流行ったみたい(私は映画も本もドラマも見ていない^^?)ですが、世界中のあらゆるところから、いろいろなムーブメントが一斉におこってこれば、世界ももう少し住みよくなるのにと思います。
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11月13日に、歩く仲間とアース・アズ・マザーズ、OKAZAKI NEWSなど、今回のりぶらまつりをきっかけに知り合って一緒にイベントを企画した仲間(大先輩方)と、「今がその時、チェンジ・ア・ワールド~岡崎から始まる初めの一歩~」というパネルディスカッションを6名でおこなったのですが、こじんまりとした中にも、熱心なお客様もいて、それなりに何かのチェンジのきっかけになったのではと思います。
私的には、ちょっと自分ばかりしゃべりすぎたかなという反省はあるものの、なぜ、‘ア’ワールドなのかについて、コメントしてくれた人がひとりいただけで、してやったりという気分です。
「私は、なんでチェンジ・ア・ワールドで、ザじゃなくてアなのかずっと気になっていたけど、みなさんの話を聞いてやっとわかりました。・・・」
まあ自分で言うと手前味噌になってしまうのでなんですが、メッセージがちょっとは届いたかなと、みんなでかんばって企画して準備をした甲斐があったというものです。
もう少し、落ち着いたら、自分なりにラップアップする予定です。
ではでは^^?

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2011年11月10日 (木)

国際協力・異文化理解・わくわくワークショップ@りぶらまつり2011

開催日時: 2011年11月12日(土)~13日(日)
開催場所: 愛知県(岡崎市中央総合図書館りぶらおよび周辺地域)
みなさん、こんにちは。

しばやん@歩く仲間です。
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/
Photo


ショートノーティスですが、今週末に愛知県の岡崎市の総合図書館まつりに出展します。

ぜひ、遊びに来てください。

プログラムは、こちらのりぶらまつりの公式HPをご覧ください。

■ りぶらまつり2011プログラムアーカイブスから
http://www.libra-sc.jp/project/2011101615323901.html

■ りぶらまつり2011プログラムから
http://www.libra-sc.jp/project/2011101611494724.html

このHPからはちらしのPDFファイルもダウンロードできます。

以下、企画のダイジェストです。

1. セミナー企画

入場無料。直接、会場にお越しください。

世界で起っていることの全ては‘われわれ’の問題であるということ。世界の仲間達はどんなことを考え、どのように日々を生きているのか。世界の‘今’を共に語り‘同じ地球人’として、‘よりよい世界’を実現するために、われわれが今、‘岡崎’でできることを一緒に考えてみませんか?


<第1部>

12日(土) 午後2時~4時 1階: 101会議室

国際協力の最前線 ~プロフェッショナルが語る世界の今~
国際開発コンサルタント、国際開発NGO、青年海外協力隊OVなどの活動報告です。

<第2部>
13日(日) 午後2時~3時 1階: 101会議室

セミナー 地域開発におけるよそ者の役割

農業・地域開発のプロが語る世界と日本のまちづくりの意外な接点とその極意とは?

<第3部>

13日(日) 午後3時30分~5時 3階: 302会議室

岡崎から始まる初めの一歩 ~ 今がその時チェンジ・ア・ワールド~

岡崎における国際協力と異文化理解のこれからについて、パネラーが問題提起をします。

※歩く仲間&内閣府認証NPO法人アース・アズ・マザー協働企画

<3Fテラス企画>

世界のフリマ・日本の市場・縁日ひろば
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■ 内閣府認証NPO 法人Earth as Mother(アース・アズ・マザー)
http://www.earthasmother.com/

「安全で安心して食せるおいしい作物づくりを中心とした、真農業の推進と、地球環境にやさしいコミュニティを創造する」をテーマに活動している団体です。
農薬除草剤・科学肥料不使用・有機全循環自然農法農産物、活動PR ご紹介資料 他

■ 認定NPO 法人 アジア日本相互交流センター・ICAN
http://www.ican.or.jp/

フィリピンの女性が1つ1つ心を込めて作った、手作りフェアトレード商品を販売します。
フェアトレードの小物、雑貨、キッチン用品等

■ 岡崎ブラジル協会(ABO)

ブラジルの食べ物を知って頂きたいのと、3月の東日本の震災を手助けする為に、Tシャツの売上の一部を寄付します。
Tシャツ(被災地支援)、手作りケーキ、ブラジル風焼肉まん、ブラジルお菓子

■ ぎたんじゃり友の会 国際理解を考える会
http://sky.geocities.jp/gitanjarihp/

だれでも参加できるお買いものを通して、社会貢献!フェアトレードの背景を知り、世界と地域をつなぎフェアな社会を築く。

フェアトレードの手工芸品(インドの山羊革のバッグや財布など、ペルーのオカリナ、インドのトンボ玉のアクセサリーなど)

■ インド&ベトナム料理 スバカマナ
http://shubhakamana.jp/

もちもちフワフワ元祖チーズナンが自慢のスバカマナ。カレーナンの他にフォーなどベトナム料理も人気です。

ナン(チーズ・ココナッツなど)、スパイス入りクッキー(シナモン・クローブなど)

■ インドアクセサリー ふぁらさっと

商品は全て現地で仕入れた物です。商品を通じてインドという国を少しでも感じてもらえると嬉しいです。

服、ショール、アクセサリー、雑貨

■ LOOB JAPAN (ロオブ)Love Our Own Brethren
http://loobinc.cart.fc2.com/

フィリピンのごみ山周辺住民が自立への想いを込めて作ったジュースパック製品。ぜひ見に来てください。

フィリピンのフェアトレード商品(ジュースパックをリサイクルして作った、カバン、財布、ポーチなど)

みなさま 会場でお待ちしております。

ではでは^^?

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2011年10月25日 (火)

ワールドコラボフェスタ2011@名古屋に行ってきました^^?

しばやん@ホームです。

先日、10月23日に名古屋のワールドコラボフェスタ2011に行ってきました。りぶらまつりで一緒にやってくださる歩く仲間メンバーとICANという国際NGOのスタッフを訪ねたのですが、そのついでに名古屋の国際協力に関する多くのボランティア団体や政府機関などの方々とお話をする機会ができました。

Img_1078 わたしは、1992年から東京で開発コンサルタントという職種で働いてきたので、ずっと開発援助業界に身をおいていた(2008年に退社、実家に戻りました)わけで、東京のグローバルフェスタなどでは海外コンサルティング企業協会(ECFA)とか海外地下水協会などで、出店する側だったのですが、今回は全くのおのぼりさん状態で、ビジターとして行ってきました^^?

でも2004年から2008年までフィリピンに駐在していたので、実は、2000年代の半ばでの日本の動きには疎かったのも事実で、転職して3年もたってみると、まあ東京と名古屋という場所が違うのはおいても、国際協力とかボランティアを巡る社会環境の変化に、もう驚きの連続でした。

さすが、名古屋というかいろいろな芸能人?北野大先生とかSKE48とかもステージに来ていたらしいし(実際には見逃しました^^?)まあ、それはいいとしても、私の関心は、なにより出展側、外務省の変貌にはもうびっくり!

本省からきている2人の女性スタッフと話をきいたのですが、今は、ODA予算の削減もあり、国民に外務省の仕事や国際協力に関して直接説明せねばと、課長みずから陣頭指揮をとって、日本の津々浦々の自治体や小中学校にまで、(わざわざ)本省から外務省スタッフを講師で派遣するようになったそうです。

JICAやJBIC(今はない)などはともかく、外務省までここまで市民にすりよる(いやな言い方ですが)とは、ほんの10年前では絶対に考えられないことで、コンサルタントであろうがNGOであろうが、本省に呼びつけるのが当たり前であったことを考えると、今では外務省のスタッフがNGOの事務所に打ち合わせにいくと聞いてまたまたびっくりで、とても信じられない気持ちで一杯です。

ともあれ、今年は東日本大震災もあり、官や民や市民などと言ってられないのが現実なのでしょう。イベントの全体の色調も、がんばれ日本という雰囲気があったと思います。まあ確かにいろいろあったので、何が一番の理由なのかよくわかりませんが、いや政権が変わったのが大きいのかなあ、少なくとも自分が想像していたより早く世の中は変わっているということを感じました。
Img_1084 

そして、名古屋も捨てたものではないと思うことしきり。

20年前、自分は東京に行って海外で働くとしゃにむになっていたのが、なんとも懐かしい。ああ、地元でもできたことがあったのでは、いやいや大阪、京都、東京、マニラと転々としてきたそのプロセスに価値があった?のだと思いたい。

結局、メーテルリンクの青い鳥のようなものでしょうか^^?

人はどこかに足場を持たなければならないそうですから、まあ地元から発信していくこともまた人生かなと思います。

でも、夢は大きく、もう一度、海外で駐在してみたいですね、ニューヨークか紛争地域の復興支援の現場か、どちらもありだと思いたい^^?

この5年10年の歩みが、いや実は毎日の日々の積み重ねが大切です。目の前の課題をこなしていかなくては、なかなか夢までたどり着けません。

ともあれ、いろいろ新しい仲間に出会えて、ちょっと勇気をいただいた一日でした。
そうそう、最後の締め?の前の「Global Connections」のパフォーマンスでは、1985年のUSA for Africaの「We are the World」とか、マイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」をみんなで合唱していました。そいういえば、両方ともマイケルが絡んでいたのだなあと、改めてマイケル・グッド・ジョブ!と思いました^^?
いい歌です。どちらも^^?

ではでは^^?

P.S.

出店やステージなど、いろいろおもしろかったのですが、話しに忙しくて写真はほとんど撮れませんでした。ちょっと残念^^?
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2011年10月 9日 (日)

私的な回想~ マッキントッシュとわたし。 1990年代の風景

初出: フェイスブック 2011年10月8日
http://www.facebook.com/arukunakama?sk=notes#!/note.php?note_id=288805407813472



コンピューターチルドレン。未来の教科書には1970年代に生を受けた今のアラフォー世代をそのようなラベルで呼ぶことでしょう。現代世界を切り拓いたコンピューター革命の時代。それは、まさに1980年代から1990年代にかけてのことでした。

リアルタイムでその時代を生きてきたわたしとしては、アップルには非常な思い入れがあります。
...
その当時、高校~大学生であったわたしには、1980年代後半のアップルの登場は、小さいくせにやたら高級な小さな一体型パソコン、マッキントッシュはとてもまぶしく、特にハイパーテキストでマックの思想=哲学を実現化した‘ハイパーカード’は新しい時代の‘何か’を感じさせてくれました。このわくわく感は、どう表現したらよいのでしょう。

TEXT主体のDOSベースのパソコンに飽き飽きしていたというか、正直、飽き足りなかったわたしはSomething NowということでGUIインターフェースで標準でマウスがついてくる絵も音楽も作れるコンピューターにどきもを抜かれました。

ところで文系の大学に進んだわたしが始めてコンピューターを買ったのが、実は1年生の時、1988年にNECの文豪MINI5というワープロ専用機が初めてでした。大学生時代のパソコン事情は当然、ウインドウなんてものはなく、MS-DOSベースしかもNECの88は、正直おもちゃのようなもので、N-88ベーシックなんて、まったくビジネスで使えない代物でした。

確かに88ではパソコンゲームはできましたが、まともなワープロソフトすらなく、98クラスでやっと一太郎(ワープロソフト)とかロータス1-2-3)(表計算)、桐(データベースソフト)などのビジネスソフトがやっとこさ使える状態。

大学卒業時にようやくウインドウズ3.1や(80)386が搭載された廉価なパソコンがエプソンから発売されたという次第で、確か大学の3年生か4年生の時点ではとてもMS-DOSの未来があるとは思われず、かといってマッキントッシュもこの小さいくせに50万から100万円もするという時代でようやく日本のキャノンがマックの販売店として売り込みをかけ始めたころで、しかもまだ日本語がまともに使える状態ではありませんでした。

ともあれ、マッキントッシュもウインドウズも‘日本語’で使えるように徐々に環境が整ってきたのが、1990年代の初めのことで、生涯で初めてのわたしのパソコン(先に触れたワープロを除く)は、社会人となってようやく手が届くようになった「クラシック」でした。実はスペック的にはSE/30のほうが性能がよかったのですが、それでも50万はしたのです。クラシックでさえ?30万円。モノクロで640×440という表示画面サイズは今となればなんだこれといわれそうですが、それでもMS-DOSの画面に較べれば全然、ましでマックのデスクトップはとにかくモノクロでも見やすく非常に洗練されたユーザーインターフェイスを持っていました。

そして、2台目のパソコンは、またもやマッキントッシュで、あの伝説の最強のノートパソコン、パワーブック(PB-180)、これまたモノクロではありましたが、すごいスペックでデスクトップに勝るとも劣らないポータブルパソコンでした。(確かにノートパソコンとは言いずらい。)

そうそう、NEDの98をベースに一太郎とロータスを使っていた前の会社に無理やり、マックを導入したのは確か1993年頃で上司とわたしです^^?

結局、1995年のウインドウズ95で、ようやくDOSでもウインドウがそれなりに使えるようになったことと、MS-WORDとMS-EXCLEがビジネスのディフェクトスタンダードとなってからは、ウインドウズマシンに振り戻しがあり、結局、IBMのTHINK PADが前の会社の特に海外部では全面的に導入されるようになりましたが、ともあれ一時期、マックでしかワードとエクセルが使えない時期がありました。

なにか振り返ると、なにげに時代を感じてしまいました。

そんなわたしも、マックのクラシックとPB-180を手放してからは、IBMのThink Pad一筋で、今、3代目のThink Padを使っているわけですが、それはまた別の話ということで^^?

しばやんの私的なマックとわたしの90年代を簡単に振り返ってみました。

ではでは^^?

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2011年10月 8日 (土)

夢みること=想像すること?と実現=実行すること!

初出: 2011年10月8日 mixi日記

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1783209744&owner_id=11744733

さて、アップル=スティーブ・ジョブスの記事の続きですが、彼は、「ハングリーであれ、バカであれ」と、彼が20歳代に大きな影響を受けた本を引用してスタンフォード大学でのスピーチを締めくくっていますが(さかんに彼の言葉であるがごとく引用されていますが、彼のオリジナルではないところがミソ!)、常に死を意識して、好きなことをやれということを言っていますが、彼が29歳で自分が作ったアップルを追われたときに、彼が踏みとどまる決心をしたという、「自分はその仕事を愛していた」という言葉は、非常に意味深長です。

愛する=好きなことをやれ、他人の評価や自分のつまらないプライドに煩わさせられる必要はない、今日、死ぬと思えば。20歳代から、毎朝、鏡をみて今日死ぬ(かもしれない)‘自分’がやらなければならないことをやったかどうかを反省して、満足いかない日が続けば、「何かを変えなければならない」と常に内省を繰り返したという話は、聴いていてじーんときました。

‘自分’がやるべきこと(仕事)をしているのかどうか、それは‘自分’にしかわからないことで、他人が評価できることでは決してありません。

つまり、‘自分’の夢なり希望のための‘自分’が努力をしているのか、成長しているのか、それこそが重要なことなのです。

おまけに今のアップルのCMを紹介します。

■ アップル(Apple)CM クレイジーな人たちがいる

http://www.youtube.com/watch?v=jIStLfVfwNg&feature=share

このベタさ、わたしはあまり評価しないというか、まさにマイケルジャクソンのマイケルジャクソンのMAN IN THE MIRRORのPVのパクリじゃないかしらと思うのですが、確かに世界を変えた人たちは、ない物を夢みただけじゃなくて、それを目に見えるモノやカタチにした人たち。

その他大勢のドリーマーと、頭一つ抜け出た‘天才’たちも結局は、同じ時代のゆりかご(渡辺美里)の中で、‘時代の子’であることは間違いない。天才を、それを支えた周りの環境(人、自然、天の声)、まあ時代の要請によって、ときとして‘奇跡’が起こる。

夢見ることと実現することの間は、確かにまだまだ遠いかもしれないけど、ひょうなことで簡単につながったりすることができる。でも今までの歴史をみると現実と夢をつなぐために多くの人がその架け橋の一部として人柱になってきた、橋を渡った人が偉いのではなくて、橋を架けるために体を挺して踏み台や土台になった人がなからずおり、その上に、橋がかかった。

そのことだけは、忘れてはならないと思います。

実は、銀河鉄道999の松本零二の哲学の受け売りかもしれませんが、ふとそんなことを、このスティーブとアップルを考えたときに思い出しました。

ありがとうスティーブ。あなたのかけた橋を使って、さらに先を目指す若人が、少なくとも一人はこの地球上にいます。心安らかにお眠りください。

合掌。

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