カテゴリー「歩く仲間HP 「アーカイブス」」の6件の記事

2009年11月22日 (日)

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) (再掲)

歩く仲間(HP)の過去記事ですが、「いいひと。」の話題のついでに、こちらにも転載しておきます。

オリジナル初出 2005年3月23日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

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1.思えば遠くへ来たものだ

2000年3月18日に、このホームページを開設してちょうど5周年。

今日(3月23日)はいみじくもフィリピンのマニラに赴任して丸一年になる。

「思えば遠くへ来たものだ」 中原中也の「頑是無い歌」という詩の一節であるが、私はむしろ武田鉄矢の海援隊の歌として知っている。思えばY2Kとかミレニアムとか鳴り物入りで始まった2000年から既に5年経ち、今、当然のごとくマニラでパソコンに向かっている。

そうだ、私がエジプト出張中におきた阪神・淡路大震災(1995年)も1月17日に10周年を迎えた。同じく3月20日は地下鉄オウムサリン事件から丸10年を迎える。今年は、戦後60周年でもある。

思えば1999年11月21日、20世紀を目前にして、「今、僕たちはどこにいて、どこへ行こうとしているのか」を確かめるために、誰に読んでもらうともなく、このエッセイを書き始めたのであった。しかしながら、‘どこ’にいて‘どこ’へ行こうとしているのかは、多分、いつになってもわからないであろう。

つまり、一瞬一瞬の積み重ねが生きているということであり、‘どこ’かが特定できるということは、動かないものと化してしまったときのみ、死んでしまったとき、つまり自分が自分で無くなったときに他者より相対的に位置付けるものでしかないということが、なんとなくわかってきた気がする。この人間を取り巻く世界もしかり。自分という個人の意思と全く関係なく、地球そのものが意思をもっているかのごとく、一瞬一瞬でその姿を変えていく。

今回、 “変わってくこと”“変わらずにいること”をテーマに、考察を進めてみたい。

2.“変わってくこと”“変わらずにいること”

 これは、槙原敬之の「遠く遠く」という歌の一節だ。大学で田舎を出て東京にきた主人公が、神宮「外苑」の桜をみて、ふるさとの友達を思い出す。「同窓会の案内状」の欠席に丸をつけた。

  「遠く遠く離れた街で

元気に暮らせているんだ

   大事なのは

  “変わってくこと”

  “変わらずにいること”」

 わたくしごとになるが、数日後の4月1日で35歳となる。高校時代までの18年間、大学で大阪にでて、就職で東京にでて、昨年からフィリピンへ、田舎を離れてから17年間。気が付かないうちに、田舎で過ごした時間を、それ以外で暮らした時間が上回ろうとしている。

万物は流転するのであり、町並みも人並も変わっていく。しかし本当にそうなのであろうか。そして、この歩みは果たして望ましいものであったのであろうか。どうも変わっていること自体を認めなくてはならないと思いつつも、変わらずにいてほしいと、心の奥底で願っている。そんな経験はないだろうか。

3.“あれから10年も”「10 years」(渡辺美里 1988)

~“あれからどれくらい僕らは歩いてこれたのかな”「夜空ノムコウ」(スマップ 1997)

非常に古い話で恐縮だが、私が大学生1年生のころ、渡辺美里の『ribbon』というアルバムが第ブレイクした。たとえば『恋したっていいじゃない』とか『Believe』、『シャララ』、『悲しいね』とかヒット曲も目白押しであったが、アルバムとして非常によく練られており、今でも、そのコンセプトアルバムとしての完成度が高いといえる。考えれば、渡辺美里の歌詞もよいか小室哲哉とか木根尚登とかTM Networkの面々や大江千里とかずいぶん豪華な作曲陣がサポートしたものである。

さてその中に、美里作曲、大江千里作曲の『10 years』という曲がある。

「空一面に広がった 夕焼け見てたら/もう二度と逢えないよな 気持ちになった」幼年時の幼友達(異性であろうか)の「二人ならんで笑った写真」を思い出しつつ、「あのころは何にでもなれる気がした」が「気がつけば 母の背を追いこしていた」。

「あれから10年も/この先10年も/行きづまり うずくまり かけずりまわり/この街に この朝に この掌に/大切なものは何か/今もみつけられないよ」

このアルバムが販売されたのが1988年の春かであろうか。とにかく1988年の冬にもはやっていた。1988年の夏に、ヨット部の合宿所でたまたま出航しなかったときに、船を整備していたときにも艇庫の中で、大学の近くのミスタードーナツ小野原店でバイトをしていた頃、夜中に店舗の掃除をしていたときにも、ラジカセでこのアルバムがガンガンかかっていたことを思いだす。

余談であるが、その後(1997年頃か)、スマップの『夜空ノムコウ』がはやったとき、ふと、この『10 years』とのシンクロ性を感ぜずにはいられなかった。変な例えだが、返歌というのであろうか。10年を隔てて、美里の歌に、回答しているような錯覚に陥った。

「あれから僕達は なにかを信じてこれたかな」の「あれ」というのが、どうも10年ぐらい前の思い出ではなかったのか。「夜空ノムコウには 明日が待っている」というのも、『10 years』の「夕焼け」に対応しているような気がしている。

さて、この『ribbon』に、同じく美里作詞・作曲で『Tokyo Calling』という曲もある。

「・・・自然だけが息をしてた土手の上にも/容赦のないセメントが流し込まれる」、「今も科学の進歩は限りなくて続けられて/失くしたくないものが 現在のため壊されていく」「山が削られて/川が汚されて/森もいつかは 切られて荒れ果ててゆくの」

とても15年以上も前の歌詞だと思えるであろうか。いい意味でなくて、「全く今と状況が変わっていない」という意味で。

実際そうだと思うのだが、ちょうど私より10年ぐらい年上の渡辺美里の世代は、まさに昭和35年代というか日本でガンガン「高度経済成長」に幼年時を過ごしている。その元風景が、アポロの月着陸であったり、東京オリンピックであったり、新幹線の開通であったり、1970年の大阪万博であったり、しかし同時にその科学や文明の正の面、ひかりの面だけを、この日本は経験したわけではなかった。カネミ油症、水俣病、四日市ゼンソク、公害列島とも言われた時代もまたこの60年代ではなかったのか。

しかしまあ、日本という国も第二次世界大戦から“わずか60年”で、戦後の焦土から復興し、先進国に復帰して、今では老人大国というかある面、先進国中でも急激な高齢化社会になってしまって、非常に長足の進歩を遂げたというか、人類の歴史の中でも、特に「開発」については、とんでもないトップランナーだったのですね。

4.「変わらずにいること」=「変わらないこと」、「変われないこと」?

確かに見た目は変わった。しかし、その心というか本質は変わっていないのではなかろうか。これは、物質にもあてはまり、人間にもあてはまる。彼や彼女は、服や立ち居振舞いも変わった(貧乏から金持ちになったのかな)かもしれないが、本質は変わっていないではないか。逆にそれが身近な人であればあるほど、変わらずにいてほしいものである。

つまり、いい方向?に変わることを望ましいと思いつつも、変わらずにいてほしいという願望が誰もがもっているのではないか。

この5年、開発の現場も大きく様変わりした。しかし、それは見かけだけのことではなかったのか。よく考えると訳のわからないカタカナ英語に振り回されてきただけなのではないか。

いや多分、本質的な転換があったのだろう。それは、「援助する側」が、“まず変わらなければならないこと”を悟ったことであろう。それはそれでかなりの進歩だと思う。実はあたりまえのことなのであるが…。

しかし、その先に、「援助される側」も“変わらなければならない”ということには、まだまだというか、今、逆に躊躇を感じるようになった。

そもそも、援助される側の人たちは‘変わる’必要があるのであろうか。彼らも‘変わらなければならない’のであろうか。彼らを開発や援助の旗の下に、‘変える’必要があるのであろうか。

ここで、「貧困」という言葉を、改めて取り上げてみたい。

5.貧しいことは‘いけないこと’なのか

(「貧しき友」『君たちはどう生きるか』吉野源三郎 1937(岩波文庫 1982)より)

 以前にも触れたが、『君たちはどう生きるか』という本の四章に「貧しき友」というエピソードがある。これは、主人公のコペル君(亡くなったお父さんが大きな銀行の重役だったという設定)が、同じ中学校の「油揚」などとからかわれている豆腐屋の浦川君の家を訪問したときのエピソードなのだが、その中で、東京の山手に住んでいるコペル君は、初めて踏み入れた貧しい街に住む浦川君を取り巻く環境に驚き、かつ考えさせられる。

 このコペル君の報告を聞いた「おじさんのNote」には「人間であるからには-貧乏ということについて-」以下のようなことが書かれている。

「・・・貧しい暮しをしている人というものは、たいてい、自分の貧乏なことに、引け目を感じながら生きているものなんだよ。 ・・・ もちろん、貧しいながらもちゃんと自分に誇りをもって生きている立派な人もいる」 「しかし、コペル君、たとえちゃんとした自尊心をもっている人でも、貧乏な暮しをしていれば、何かにつけて引け目を感じるというのは、免れがたい人情なんだ。・・・」

 厳密に言えば、「貧困」と「貧乏」「貧しい」という言葉の意味は違うかもしれない(日本語の中でも英語の中でも)が、あえてそれを無視して続けさせていただければ、今、開発の現場でやっている「貧困撲滅」とか「貧困削減」って一体、何なんだろうと思ってしまう。

 つまり、「貧困」自体は、先進国でもどの人間世界でも共通に抱えている問題であって、多分、人間がこの世に出現してから延々と続いているものなのではないのか。

 福祉の世界では、「絶対的貧困」と「相対的貧困」という言葉があるが、私にいわせてもらえば「貧困」とは、全て相対的なものである。つまり、もてるものともてないものがいるのはあたりまえのことではないか。欲張りな人間や、ずるい人間がいるのは古今東西、人間の摂理ではないのか。

 ミレニアム目標で、「貧困の削減」を高らかにうたっているが、2000年からわずか5年で、目標とした2015年での達成が不可能であることが誰の目にも明らかになってきた。

 私は、援助関係者の努力を茶化すわけでも他人事としていっているわけでもないが、「貧困撲滅」というより、「人間として尊厳をもって生きられる世界にする」これは、今、北の世界で話題になっている開発教育のテーマかもしれないが、お互いに尊敬をもって、差別や偏見をもたずに、物やお金をもっていることが幸せというか、開発具合(発展度?)の尺度であるような世の中を変えようではないかと、最近、つとに思う。

 「貧しき友」の中で、叔父さんが、どのような説明をしていくかについては、非常に興味深いことだと思うし、実際に素晴らしいことがかかれているので、続きはぜひ自分で読んで考えてみてほしい。この「自尊心」というのは非常に重要なキーワードだと思う。

6.人として

 つい最近、とある雑誌で以下のくだりを読んだとき、つい胸が詰まってしまった。

日本に出稼ぎに行った経験のあるフィリピン人女性らの座談会形式のインタヴュー記事「帰ってきたジャパユキさん」の中での、とある女性(アグネス)の発言。(注1)

「日本人って二種類いるのよね。ひとつは貧乏だとかバカだとかってフィリピン人を見下す日本人。もうひとつが貧乏だからかわいそうと思っている日本人。」

以下に、だから日本人はカモにしやすいというおしゃべりが続く。

日本人として恥ずかしいなどといえる高尚な自分でもなくて、理屈や頭ではいけないことと思っても、そう思っている日本人がいるのも無理はないなとなぜか納得してしまう。自分に微塵もそんな考えがないかというと、そうは100パーセント自信をもって言い切れるわけでもない。

 この文章を読んだとき、なにか非常に情けない気持ちになった。いいとか悪いとか以前に、そうだよなと思ってしまう悲しさ。フィリピン人女性が、日本人の男性(そもそもフィリピンパブにくる人に対するコメントであろうが)を、上記の二種類でしかないと言いきってしまう現実(リアリティー)。もっと、他の日本人もいるだろうと突っ込みたくなるが、その私の声は弱々しい。

 すでにお気づきであろうが、実は、上の二つのことは、全く同じことを言っている。1996年12月の発行だから、約10年も前の記事ではあるが、果たして私達、日本人は、どれだけ変わったのであろう。やっぱり全然、変わっていないのではなかろうか。

 武田鉄矢の「海援隊」に「人として」という歌がある。『3年B組金八先生』の第1シリーズのエンディングテーマであったが、ドラマを知らずとも、どこかできいたこともあるだろう。

「遠くまで見える道で 君の手を握りしめた/・・・思いのままに生きられず・・・/私は悲しみ繰り返す そうだ人なんだ/

人として人と出会い 人として人に迷い

人として人に傷つき 人として人と別れて

それでも人しか 愛せない」

同じく、武田鉄矢の歌で、以下の歌詞がある。

  「人の言葉に傷つけられても

   どこにも逃げまい

   破けた心を繕う糸は

   やっぱり人の言葉」

もっと、自分を、人を信じて、‘人として’生きていければよいのではないのであろうか。確かに地球環境問題とか、自然環境も大事であろうが、‘人しか愛せない’ということに、もっと自分が‘人間’であることに素直になっていいのではないか。

‘人として’・・・奢ることなく卑屈になることもなく、互いの尊厳(Dignity)を大切に。

たまたま、この地球という星の同時代に生まれ合わせた‘仲間’じゃないか。

 間違っているかもしれないけど。

聖週間(Holy week)の祝日休暇の初日、駐在して丸1年目のマニラにて。

注:

1.「帰ってきたジャパユキさん」 フィリピンのはまり方編集部編 『フィリピンのはまり方(創刊号)ニノイ・アキノ国際空港に降り立ったハマちゃん-「フィリピン通」日本一への旅立ち-』 1996

ずいぶん思わせぶりな副タイトルのフィリピンマニラ発行の雑誌。たまたま会社の事務所で見つけた。きわもの雑誌かと思いつつ、非常にまじめな内容で面白かった。

(この項 了)

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2009年2月10日 (火)

しばやん、ビートルズを語る。 (ビートルズ再入門-もう一度、全曲聞きたくなりました^^!)<歩く仲間より再録>

かなりの過去記事ですが、「歩く仲間HP」に埋もれていましたので、こちらでも紹介いたします。

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2006年2月15日アップ (2005年5月11日 作成)

しばやん、ビートルズを語る。

(ビートルズ再入門-もう一度、全曲聞きたくなりました^^!)

しばやんのマイブームは、ずばりThe Beatles です。

一昨年(2003年)の秋に『LET IT BE… NAKED』が、日本でも鳴り物入りで発売されたときに「うわー」と思ったのだか、実際にこのアルバムを買ったのはフィリピンに異動してからの2004年7月3日。昔から外国盤の方が音がいいという迷信がLPの時代からあって(なぜか日本プレス盤は評判が悪い)それもあって日本盤を買うのもなという気持ちだった。ちょっとマニアが入っていますが、何をいまさらビートルズという気がしないでもなかったからだ。

しかし、しばやんとビートルズとの関わりは、実は語れば長くなる。初めて洋楽を聞いたのが、ビートルズの「レットイットビー」、これが中学2年生(1984年)だから、かれこれ、もう20年も前になる。市の英語のスピーチコンテストで学校代表となって、確か市民会館で参加者みんなで歌いましょうという曲が、「レットイットビー」であった。1984年といえば、すでにジョンレノンは凶弾に倒れていたし(1980年12月8日ですか)、ビートルズという名前は知っていても、すでに過去のビックネームだと思っていた。

ところが、「レットイットビー」は、英語の歌詞のみならずメロディーも素晴らしいではないか。高校1年生の時にステレオを買ってもらったのがきっかけで、ずいぶんFMラジオ番組をカセットテープにエアチェックしたのだが、高校1年生の夏休みに、NHK FMで、確か『ポップアンドメロービートルズ』というタイトルで10日間でビートルズの全曲を一度にオンエア-したことがあって、それがきっかけで、初めてビートルズの全曲制覇をしました。このときのオンエアーは、テーマごとの選曲であったが、その2年くらい後に、再度NHK FMで、アルバム、シングルの発売順に全曲オンエア-されたこともありました。

ともあれ、高校時代にはすでにビートルズ全213曲を制覇していたわけでした。今思うと本当に懐かしいのですが、エアチェックしたカセットテープを擦り切れるというか音がへろへろになるまで聞いたものです。今となってはカセットテープも、エアチェックも死語だよな・・・。時代の移り変わりを実感します。

高校時代に、初めて自分の小遣いで買ったLPが、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。1987年にようやくビートルズの作品がCD化された直後に、初めて買ったCDが、『アビイ・ロード』と言えば、わたしのこだわりがわかるひとにはわかるでしょう。

さて何世代目かのビートルズファンかよくわかりませんが、話しを戻しますと、この『LET IT BE… NAKED』を聞いて、やはりうーんと唸ってしまいました。ご存知のとおり、最後に発売された『LET IT BE』は、メンバーの不協和音でまとまりきらなかった『GET BECK SESSION』をアレンジャーのフィルスペクターがプロジューサーとして彼流に味付けしたアルバムです。まるで内容がバラバラで、特にポールの曲が浮きまくっている。「レットイットビー」や「ロングアンドワインディングロード」など、ポールの名曲があるものの、ビートルズとしての統一感が欠けているなど、ビートルズが“最後”に発表されたアルバムとして、通の間では非常に評判の悪いものでした。

ご存知のとおり、最後にThe Beatles としてレコーディングされたアルバムは、『アビイ・ロード』です。ポールがビートルズ結成当初からのプロジューサー、5人目のビートルズとも言われるジョージ・マーティンに声をかけて、ビートルズの再結集をメンバーに呼びかけて実現したこの『アビイ・ロード』は、最後から2番目に発表されたアルバムですが、実は通の間では、ビートルズの最高傑作とか、ビートルズの“白鳥の歌”だと長い間、信じられて語り継がれてきました。かくいう、わたしも、そう思い込んでいました。

しかしながら、この『LET IT BE… NAKED』を聞いてみると、フィルスペクタ-盤では、いまいち落ち着きがなかった各楽曲が実に生き生きと再現されているではありませんか。改めて素材のよさというか、『GET BECK SESSION』に賭けたメンバーの想いがつたわってきました。一体、今までの『LET IT BE』というアルバムはなんであったのだろうかと思わずにはいられません。

しかしながら、逆にこうも言えましょう。『GET BECK SESSION』がうまくまとまらなかったからこそ、『アビイ・ロード』を作る必要性があったのだと。だから『アビイ・ロード』というアルバムがこの世に存在するのだと。もし、『LET IT BE』がNEKEDの形で存在していたら、『アビイ・ロード』は存在しなかったかもしれないと思うと、非常に複雑な気持ちがします。

今年4月に日本に一時帰国した際に、たまたま書店でみて、中山康樹氏の『これがビートルズだ』講談社現代新書2003年3月を買い求めたのですが、最新のビートルズ研究の成果が反映された非常にコンパクトで熱い想いを感じる好書でした。CDのアルバムを中心とした全213曲の曲目解説で、Lennon/McCartneyのどちらが主に作曲しただとか、レローディングの日付とか、非常にマニアックなスペックも載っていて、ちょっとこだわる人間はニマリとさせられるし、初心者もマニアも楽しめる楽曲紹介になっています。

この新書を買ったこともあり、フィリピンでちょくちょくアルバムをCDで集めだしていたこともあり、今、20年ぶりに改めてビートルズを聴きなおしているところです。

ところで、この新書は、『LET IT BE… NAKED』の発表前に発売されているのですよね。中山氏が、どのようにこの『LET IT BE… NAKED』を評価するのか、非常に興味津々です。聞いてみたいような聞いてみたくないような。

中山氏の主張とだぶりますが、ビートルズはアルバムで聴かないと全く面白くありません。あくまでA面B面があったレコードの世界の作品ですが、それぞれトータルアルバムとして選曲、曲順まで非常に練り上げられた完成度の高い作品ばかりです。まさに、曲順からして必然性があるというか、確かに個々にはクオリティの低いものも混じっていますが、アルバムとしての完成度の高さについては認めざるをえません。

さて、その中であえて1枚のアルバムといわれると本当に難しい。初期のアルバムの疾走感もすごいが、中盤におけるメンバーそれぞれの試行錯誤も面白い、円熟期の成熟さもまたよいということで、以下は、暫定的なお薦めです。

まず、とっつきやすいのは、①『A HARD DAY’S NIGHT』か、②『HELP!』の若さというか疾走感を味わうというのが手でしょう。

次は、やはり③『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』とか、④『ホワイト・アルバム』とか中期のアルバムでしょうか。⑤『マジカル・ミステリー・ツアー』もCDの構成を理解した上で聞けばおもしろいでしょう。ある程度、ビートルズの初期中期のアルバムを聞いた上で、⑥『アビイ・ロード』と⑦『レット・イット・ビー』に進むのでしょう。ある程度、ビートルズの歩みを知らないと、この後期のアルバムのよさはわからないと思います。

中山氏は文中で、ベストを集めた企画盤としての『赤盤(The Beatles/1962-1966)』、『青盤(The Beatles/1967-1970)』や『ビートルズ1(The Beatles 27#1 singles=1)をいきなり聞くことはよくないと語っています。しかしながら、最近では、ビートルズの全曲を日本で一度に聞くことはほとんどないので、これらのベスト盤を手がかりに、気に入った曲の入ったアルバムを聞いてみるというのもひとつのアプローチの仕方かもしれません。しかし、『アンソロジー』とか、『LET IT BE… NAKED』をいきなりはじめに聞くのはやめておいたほうがいいと思います。いずれもオリジナルの曲を知らないと楽しめないからです。

本当に、ビートルズはどれもが‘アルバム’として聴くことができる不思議なバンドです。

以 上

補筆:

歩く仲間のエッセイに加えるのに違和感を覚えたからであろうか、昨年(2005年)に文章を完成させつつも、アップロードを控えていた。しかしながら、このビートルズの音楽にはメロディーはもとより、その詞(リリック)において非常な影響を受けている。上記にも述べたLPにおけるトータルアルバムというコンセプト、『エリナーリグビー』という曲(『リボルバー』(1966)に収録)は、人気グループが初めて社会問題を歌った曲として有名だし、いろいろな意味で、今のミュージックシーンにおいて、深く通奏低音として、洋楽のみならず日本のポップスなど、いろいろなところで日に陰に影響を与えつづけている。

なお、昨年(2005年)12月8日は、ビートルズのメンバーのジョンレノンが暗殺されて25周年という節目の年でもあった。NHKなど、主要なメディアも、ニュースとして取り上げざるを得なかった。その影響力の大きさがしのばれよう。

まあ趣味の世界ではありますが、しばやんの精神世界のバックボーンのひとつとしてこのような記事が載ることもよしとしましょう。

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2008年12月15日 (月)

海への憧れ-海は隔てるものではなく、つなげるものである。

という記事を、ブログ版歩く仲間に掲載しました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-9639.html

これは、2004年9月2日に歩く仲間HPに「歩きながら考える」というエッセイの一環として書いたもので、ブログには載せていませんでした。

このたび、「海に生きる~海洋民俗学の世界」という連載を「ブログ版 歩く仲間」で取り上げます。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20842145/index.html

いろいろ考えてみると、私のやってきたことというか興味の範囲はかなり限られていてしかもそれぞれ連関しています。

こちらの「Life, I Love You!」のブログでは基本的にかたい話は取り上げたくないのですが、まあしばやんのB面もあるよということで。(実は両A面だったりする)

こんな言い方は、ドーナツ盤と呼ばれるレコードのシングル盤ならではの言い方ですね。もう既に死語なのかも^^?

ではでは^^?

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2008年12月12日 (金)

‘開発民俗学’への途~第1部 完結 (再掲しました)

歩く仲間HPでの企画、「‘開発民俗学’への途 第1部」のブログ版への再掲が完了しました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20855133/index.html

どうしてもブログ版だと読みにくいので、じっくり読みたい方は、こちらのオリジナルのHPもご参照ください。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

でも、まあ一体、誰のために書いているのだろう^^?

なんて、余分なことは考えずに、「第2部 幸福論」編の準備も進めていきたいと思います。

いま実家に帰っているのですが、今までやってきたことをたまには感傷もまじえながらじっくりと考え直す時間が持てたことも非常な幸せだと思います。

来年は、「歩く仲間」プロジェクトの20周年ですが、記念事業のひとつとして写真の整理もくわえておきます。

仕事やプライベートでいった世界中の写真を改めて整理してみると、また思い返すこともあるかもしれません。フォトエッセイ「世界のまちかどから」もしくは、詞集「言の葉拾い」というコーナーがあるので、それを充実させようと考えています。

ところで宮本常一さんのエッセイで、「一枚の写真から」という隠れた佳作がありますが(岩波現代文庫 (2001年) 『空からの民俗学』に収録)、しばやんバージョンも結構いけるかもしれない^^?

ともあれ、しばやんは今日も元気です。

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2008年12月 3日 (水)

世(界)は歌につれ、歌は世につれ 「泣ける唄が聴きたい! 番外編」

もう8年も前のものですが、「歩く仲間HP」より記事を転載させていただきます。(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00011.htm

しばやんの音楽との馴れ初めのひとつのエピソードとしてご参照ください^^?

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2000530

世(界)は歌につれ、歌は世につれ

 今、イランのテヘランに来て、約2週間になる。最近、出張で海外にでることも多くなったが、やはり何となくホテルというか町に慣れてくるのは、約10日間から2週間かかると感じる。

 テヘランは、町の北部にアルボルズ山脈を後背地にもち標高20003000mくらいのまさに山の斜面に位置する人口650万人ほどの大都会である。滞在中のホテルは町の中心部から少し北に上ったところにある。

 会社には、イラン滞在の経験者が多数在籍しており、出発前から山の斜面に町があるとは聞かされていたが、まさに百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、まさかこんな町並みとは思いもよらなかった。かなりの乾燥地と思いきや、北を眺めれば山脈があり、山頂には、まだ雪も残っているし、町の主なとおりの側溝が清流(幅1mほどの川、今では下水も流しているらしい)となっており、その中にかえでなどの背の高い木が水の中から(側溝の中心)生えており、実に効果的な灌漑をしている。(この側溝のなかに木を植える手法は、平地の公園でも見受けられる)車道の両側に、まず川があり、そして適度な歩道がある、しかも水が流れ街路樹も植わっている坂道とくれば、まったく適当な散歩道だ。まだ市内を動き回ったわけではないが、町の北から南にかけて山の斜面なので、とにかく坂道や階段が多い。

 さて、つい先日、ようやく慣れてきたので、ホテルの前の道を上下(南北)に少し散歩してみた。Raamtin Residence Hotelという長期滞在用のホテルに滞在しているのだが、ホテルの前の道を北に上っていくと、Park-e Saaiという公園がある。

始めての町についたときにまず必要なものは市街図と国全体の地図だ。国単位の地図は、日本でも大きな書店で購入可能であるが、特に都市図になると現地で調達するのが一番確実である。(ヨーロッパの町(スペイン、ドイツ)にいったときは、書店で買う市販の地図よりも、駅のインフォメーション等にただで置いてある地図や、マクドナルドなどの店舗の広告いりの地図のほうが、遥かにわかりやすく気が利いている場合も多い)そして、やはり自分のまわりの事物から攻めていく。

短期の観光旅行では難しいかもしれないが、やはりある程度、その土地(町)に慣れるまで、むやみやたらに歩き回らないことも必要だと思う。特に今回はイスラム圏ということもあり、そもそも写真を撮っていいのかとか、特に女性に対するマナーなど勝手がわからないときは、カメラをぶら下げたりして、旅行者膳としてぶらぶらするのは、大変危険である。日本では想像もつかないが、どの国でも軍隊や警察の存在は、素人目にみえなくとも非常に強力で、宗教的なタブーや風習というのも、ぱっと目にはみえないだけに非常に恐ろしい。(最近、グアテマラで観光客が村民に殺されたニュースは目に新しい。)

私は、基本的に写真を撮るのは、ある程度、その国の感覚がつかめてからでいいと思う。そして、かならず現地の人(ドライバーでも、ある程度つき合いがある人)にその都度確認するべきである。

 ところで、Park-e Saaiに何気なく入っていったのだが、入り口から想像するより内部がはるかに広く、主に鳥の(動物)園、(なぜか鳥に混じってウサギのコーナーがあった。)や、同じく斜面を利用した散歩道、噴水やお茶屋さん、ゲームセンターなど、夕方、7時を過ぎていたのにもかかわらず、子供ずれや友達ずれで大変にぎわっていた。ここテヘランは今、朝5時半頃から夜は9時ぐらいまで日が出ていることが、この時間感覚の違いであろう。詳しくは確認していないが、役所では朝8時から1時間の昼休みをはさんで、夕方4時までが定時である。多分、昼間熱い国の常で、一旦昼過ぎに店等もしまって、少し涼しくなる5時ぐらいから夜10時くらいまで、店が開いているのであろう。エジプトでも経験したが、朝早くや昼間は、商店街というか繁華街も店がしまっていてぱっとしないが、夕方、暗くなるといっせいに看板の電気がつき店開きをするという感じである。

 なかなかタイトルまでたどり着けないが、そのゲームコーナーの建物の中にミュージックソフトを扱っているレコード屋さんがあった。実は、私の海外に行ったときの楽しみの一つに、現地の音楽のテープやCDを買って帰るというのがある。近年では、東京の大きなレコード屋(ミュージックソフト屋というべきか)では、かなりマイナーな世界各国の音楽を扱うところも増えてきたが、やはり、音楽は現地で聞きかつ買うのに限る。日本でもそうだが、やはり流行り歌はどこの世界でもあり、非常に日常にとけこんでいる。世は歌につれ、歌は世につれとは、よく言われる言葉であるが、全く世界のどこにでも歌や踊りはあるし、素人でも実にわかりやすい。

 日本で、これらのCDやテープを買うのは、非常に冒険である。また、日本で世界の民族音楽というと非常に古典的な(伝統的な)ものがまだ中心だと思うが、実際に聴いて面白いのは、若者向けというかポップな流行歌のたぐいである。伝統的な楽器がいいという向きがあるかもしれないが、ポップなものでも、音階やリズムの違い、古くからの楽器も適当にエレキ化して(特に弦楽器はエレキギターのピックをつけるだけなのである意味簡単である。)演奏していたりで、古典とは違うが、やはりその国(地域)っぽい音がしている。

最近では、かなりマイナーな国(地域)でもミュージックテープに加えて(同時リリースで)CDが出回ってきているが、まだまだカセットテープが主流だ。店のおじさんに、適当にジャケットを指差しながら、適当にテープをかけてもらう。そして気に入ったものだけを買えばいい。(テープで視聴させてもらってCDを買うという手もある。)そして何よりうれしいのは、円の強さを差し引いたとしても、日本で買うよりはるかに安い。そして、思い出にも、モノとして残る。

アジアのタイやアフリカのエリトリアやブルキナ・ファソやエジプトの街中でも経験したが、日本みたいに新品のテープの封を開けてはいけないという感覚はないらしい。皆、視聴したうえで納得して買っている。逆に、封のあいたものを買わされる場合もあるが、それもまた楽しい。

ちょっと難しく考えたりすると、やはり歌というのは人々の魂の叫びであるようにも思う。やはり言葉の力を信じる者としては、紡がれる歌(詩、唄、詞)の意味などをフト考えてみたりもする。

匂い、音、空気、全てが、それぞれの地域で違う。ぜひ海外に行ったらミュージックテープ屋を冷やかして、気に入った音楽テープを購入することをおすすめする。

なお、オーディオ談義や、音楽談義もそれなりに好きであるが、また機会を改めて紹介したいと思う。

(この稿 了)

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2008年12月 1日 (月)

クラッシック音楽・聴き始め  (クラッシック編 其の壱)

先にふれた「大阪便り」 1989年12月15日号から抜粋して転載させていただきます。

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特集   クラッシック音楽・聴き始め  (クラッシック編 其の壱)

 わたしが、クラッシックを聴き始めたというのも、多分に偶然的なものである。だがまず言える事は、クラッシックが好きな友達に出会ったという事であろう。しかし、直接のきっかけとなったのは、ずばり、CDプレイヤーを購入したことである。ハードはとりあえず手に入ったので、次にはソフトも欲しくなるというので、たまたまCBSソニーのベストクラッシック100 音のカタログ Vol.1を手に入れた事が、大きな弾みになった。これは、名曲50曲の聴きどころを1分ぐらいづつ、1枚に収めたものである。

具体的に、最初に感動したのは、ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」の第四楽章を聴いたときだと思う。また、この曲の第二楽章の旋律は、「家路」として、よく知られている。それで、この交響曲の全体を聴いてみようと思った。そして、お決まりのパターンであるが、NHK・FMのクラッシック放送のお世話になるようになった。めぼしいものは片っ端から録音したものである。

次に思い出深いのは、ブラームスの交響曲第1番ハ短調作品68である。これは、大阪外国語大学のオーケストラの定期公演でたまたま聴いたのだが、第四楽章の旋律に感銘し、しかも、ピチカートにびっくりさせられた。実は、この時までわたしにはピチカートの音は聴こえてなかったのである。聞こえていたにせよ全く意識してなかったのだ。この経験はのちにも改めてしたのだが、音だけを聞いていたのだけでは聴こえていないということは結構あることみたいだ。最近、機会があれば行くようになったのだが、コンサートの意味はこんなところにもあるのかも知れない。また、コンサートは、その独特な雰囲気が、なんとも言えずいい。まさに、クラッシックの醍醐味、此処にありという気がする。例えアマチュアであれ(失礼)、生演奏というのはたいへん迫力のあるものだ。レコードしか聴かないクラッシックファンなんて絶対ありえないと思う。

さて、わたしはどちらかといえば、協奏曲や室内楽などの小編成のもののほうが好きだ。まず挙げたいのは、べートーベンのピアノ三重奏第7番変ロ長調作品97「大公」である。これは本当にわたしのお気に入りの曲で、初めて意識的にコンサートに行ったものである。ディオ林という夫がチェロで妻がピアノを弾くという、結構有名な音楽家を知ることができた思いもかけなかったチャンスでもあった。このコンサートでアンケートを書いたのがきっかけとなり、神戸の串乃家本店の松本さんからコンサートの案内や招待券などが送られるようになった。既に、大阪フィルや、神戸フィルに無料で行って来た。と、言うところで残りも僅かとなってしまったので、続編は、斯うご期待としよう。 (其の壱 完)

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