カテゴリー「テンラブ!(Cinema etc.)」の6件の記事

2013年8月17日 (土)

宮崎駿監督の「風たちぬ」をみてきました!

初出: 2013年8月16日 フェイスブック クロスロード・オブ・ハッピネス 書き込み
<宮崎駿監督の「風たちぬ」をみてきました!>
※ネタばれになりますのでできれば、見ていない人はこれを読まずに、まっさらな気持ちで映画に向き合うことをおススメします!
<<以下は、映画を見た人のみお楽しみください!>>
-------------------------
今日、時間をみて、いま話題のあの映画を見に行ってきました。いろいろ立ち寄り立ち寄りだったので、ちょっと開演時間に遅れるかなと思ったのですが、他の映画の予告編の間に席に着くことができて、本当にラッキーでした^^?
さて、まず一言でいうと、「普通の映画じゃん!」というのが私の率直な感想。
巷でいろいろ言われていますが、もう変な先入観や期待?をせずに、もう淡々とみてやってください。
私のポイントは3点のみ。
主人公の零戦の設計者堀越二郎は、幼少からの憧れのイタリアの航空機設計者ジャンニ・カプローニさんと夢の中で何度も対話をするのですが、物語の中ほど、カプローニさんが現役を引退するときに、「創造的ないい仕事ができるのは10年のみ、君はこの10年をどうするつもりだ」というようなニュアンス(一度みただけなので正確じゃないかも)のことを言います。映画の最後に、そのときから10年後、再度、夢の中でカプローニさんが、二郎に10年間を総括させます。
ネタばれになるので詳しくかけないのですが、私は、この「10年」という言葉にピクリと反応しました。二郎は地方出身ではありますが地方の名士の豪族の坊ちゃん出で、東京の大学(しかも帝国大学)の航空学科の卒業の英才ではあるので、もう就職してからも最初から頭角をあらわして、まあ秀才そのものの人生、いや正しく彼の能力を世界(国)のために役立てたのですが、彼としては彼なりの夢があり、彼なりに精一杯時代を生き、たぶん?やるべきことをやって10年を過ごした。
翻ってみるに、私は全然二郎と比べようも無いほど鈍感で何の制限もなく学ぶ機会がいくらでもあったのに、学校を出てから21年を過ごしてしまった。
まあ、それは仕方がないにせよ、あと10年で、私は何ができるのだろうか。世間や人の評価はともかく自分として納得のいく「こと」を成し遂げられるであろうか。
そんなことを思いました。
ということで勝負は10年(しか)ないことに気づかせてくれたことにまず感謝。
2点目は、そうですね。これまたネタばれになるのですが、「飛行機はのろわれた夢なのだ」というニュアンスなことをカプローニさんが二郎にとくところ。これって科学や技術そのもののことなんですよね。
私は、1991年の大学生のときに、「知は力なり、ただし開かれたものだなくてはならない」ということに気がつき、それを座右の銘としてきました。‘知’とは技術でも情報でもなんでもいい、一部の人がそれを独占するときに人類の悲劇が引き起こされてきました。ローマ時代に「衆愚政治」などという言葉がありましたが、私はそれでも、知は一部のエリートの特権階級だけのものではない。そして科学技術も情報も、それ自体には善悪もないということを繰り返し話して書いてきました。
つまり、薬は毒でもあり、同じ技術も情報も結局は使い方なのです。それを一部の人に任せていてはダメだ、(エリートにしてみれば)おろかな人たちばかりかもしれないけど、おろかな人たちの衆智のほうが結果として私は正しいと思っています。
今回の原発の問題も結局、問題はそこにあるわけで、エリートは知を独占して隠して自分たちだけでなんとかしようとしなくてもよいわけです。
三人寄れば文殊の知恵ではないですが、頭がいいと思っているエリートさんが思いもよらない方法で問題を解決することができるかもしれないでしょ^^?
とにかく力を広く開放することが大切だと思います。無理に押し込めておくとあるのは爆発だけでしょう!拡散して力が集まらないようにしなければならない。それがエントロピーの法則、熱力学の第2法則そのものです。って、適当に煙を巻いてもいけないのですが、科学が明らかにしてくれることって、結局、普通の当たり前の考え方や感じ方が正しいということを裏づけしてくれるものかもしれませんね。
まあ、パラダイムが変わってしまったら話は別でしょうが、同時代に生きている人たち、われわれがなんとなく不安に思っていること、間違っていると漠然と思うことを、いろいろ研究してみると、やっぱり間違っていたということになるんじゃないかなあ。
あと3つ目ですが、技術者の根性というか夢を持ってしまった人間の、その人としての課題を探求し知りたい、極めたいという衝動は、善悪とかの判断を超えて否定はできないなということです。
原子力の危険性や遺伝子組み換えやクローンの問題、倫理?的にはおかしくてもまずくても、それを追求し知りたいと思った人の欲望は歯止めがきかないし、はたがいくらブレーキをかけようと思っても、それこそ命を懸けてやろうとしている人を止めることは並大抵なことではできない。実際に、本意と不本意とに関わり無く、自分の信念に命をかけて殉教した人や人柱にされてきた人がいかに多かったことか。
もう我々はそんな人たちの屍の上に胡坐をかいて日常を送っているわけですよ。
私としては、そんなことをこの映画をみながら感じました。
何が本当に正しいのか、誰にもわかりません。この映画をみて感じることも千差万別でしょう。
ただできうることなら、こんな人のコメントなど読まずに、まっさらな状態で向き合ってほしい。
私はそう思います。
ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月28日 (木)

『ランウェイ☆ビート』 しばやんファンモンにはまる!

もう1ヶ月も前になりますが、蘭丸君、自分としてはドラマ「トランポリン」の瀬戸康志くん主演の『ランウェイ☆ビート』の映画をみてきました。

11042800

なにか自分的には、久しぶりに面白い映画でした。確かにいかにも的な安直な設定で、突っ込むところはいろいろあるけど、そんな意地悪を考えるより、素直にあったらいいなあと思える青春映画でした。

高校生が主人公ですが、やはり中学校や高校生って、大学生のそれとは違う青春があるというか、みなそれぞれの越し方というか歩いてきた道を思い出して感傷の琴線に触れるのでしょうね。

まあ、内容はともかく自分としての収穫は、主題歌を歌っているファンキーモンキーベイビーズを発見したこと。昨年の紅白歌合戦にでていたのは知っていましたが、なんかへんな奴らだな程度の認識でしたが、主題歌の「ランウェイ☆ビート」を聴いて、いいかも?から、早速、映画館と同じビルに入っているCDショップでいろいろ試聴して、いけるじゃんといった感じになりました。

11042801

ファンキーモンキーベイビーズ 『 ファンキーモンキーベイビーズ3(DVD付初回限定盤)』 2009年8月4日 MUCD8009 DREAMUSIC

通常盤と初回限定版があるのですが、絶対に限定盤がお薦めです。

お薦め度: ★★★★☆、泣ける度: ★★★★☆、アルバムとしての完成度: ★★★★☆

収録曲

CD: 

01 メロディーライン、 02 希望の唄、 03 桜、 04 おかえりなさい、 05 旅立ち、 06 告白、 07 ナツミ、 08 ガムシャラBOY、 09 風、10 雪が降る街、 11 ナイスショット、12 LOVE乱舞~恋のミッション~

DVD(VIDEO CLIP):

そのまんま東へ(主演:そのまんま東)、 恋の片道切符(山田花子)、 ALWAYS(ペナルティー)、 Loving Life(中嶋朋子)、 ちっぽけな勇気(脇知弘)、 もう君がいない(戸田恵梨香)、 旅立ち(石田卓也)、 告白(船越英一郎)、希望の唄(北乃きい)、桜(得意義美)

なんか、CDよりビデオクリップがよかったです。曲の背景となるようなイメージを旬の俳優がミニドラマとして演じる。非常にベタではあるけど、「告白」とか「桜」、「ちっぽけな勇気」、「Loving Life」、「旅立ち」とか、結構、ビデオクリップに泣けました。

まずは、一見、こちらのYou Tubeでも公開されているようです。

http://www.youtube.com/watch?v=duNhdasv3I4&feature=list_related&playnext=1&list=SPD1CE02B0E1DB0050

メーカーのクリップで、現在、19曲がリストされています。

ではでは^^?  

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月25日 (日)

映画 『チェ 28歳の革命』 に行ってきました^^?

ということで、昨夜(1月24日)土曜日のレイトショーで、以前より気になっていた、キューバ革命の闘士、チェ・ゲバラの映画に仕事帰りによってきました。
09012500
映画のHP
まだ、なんといってよいのかわかりませんが、久しぶりに感動するというか考えさせられる映画に出逢いました。

アルゼンチン人の青年医師、裕福な家庭に生まれ医師という超エリートの生活もできた男がなぜ革命に身を投じることになったのか、合計4時間30分の2部作の、1部では、チェの28歳でメキシコでフェデル・カストロと出会ってからキューバ革命のゲリラ戦で闘う2年間を本人が回顧するかたちで取り上げています。

自分自身、チェ・ゲバラの名前や顔写真?のシルエットの入ったTシャツやらステッカーを海外(なぜかフィリピンでもいた)のいろいろなところでみていたので、何かのイコンであることは知っていたのですが、今まで全く不勉強だったので、なんともコメントしようがありません。

ところで、2部作の後半部分、2部は、1月31日から公開です。彼は、キューバでカストロの右腕として革命を成功に導き(特に新兵の教育という意味で、また弁の立つ理論家としても有能でした。)、その後、革命政権の要職を1年足らずで退き失踪、そしてアフリカに中南米に、世界革命に身を投じます。

最後にはボリビアでゲリラ作戦中に当局につかまり、わずか39歳で処刑されます。

私は今年39歳になるのですが、今日、今のタイミングに彼に出逢えたというのも、何か天の采配が働いているのかもしれません。

そうそう、彼は医学生時代に中南米の各国を放浪し、貧しい人たちと出会い生き方に大きな方向転換をしました。

そもそも喘息もちで体もそれほど強くなかった彼が、なぜ革命、しかも武力闘争に投じたのか。

いろいろ謎が深まる一方ですが、2点ほど、気のついた言葉を。

「真の革命家は
偉大なる愛によって導かれる
人間への愛。正義への愛。真実への愛。
愛のない真の革命家を
想像することは不可能だ。」

革命とかクーデターとか社会主義革命、共産革命、そもそも政治用語自体がよくわからないのですが、フィデル・カストロとかチェ・ゲバラの映画での言動をみていると、どう考えても、‘革命家’というより‘レジスタンス’といったほうがいいと思う。

誰の側に立つのか、そこには、資本主義も社会主義も共産主義もないと思う。カストロ議長は独裁政権の悪の親玉みたいに資本主義社会からはみなされているようですが、そもそも彼らの目指したのはキューバ人によるキューバであったはず。

アメリカという資本主義・帝国主義と闘っただけ、誰のために。

そこに住んでいる搾取されている農民や労働者のために。

はっきりいって、今は、国民国家という概念自体が揺らいでいるが、キューバ人によるキューバ人のための政府、地元民のためを考える気持ちは十分、現在に通じるし共感できます。

わずか82名のカストロ率いるゲリラがグランマ号という漁船でキューバに密航し、時の政権を倒すゲリラ戦を繰り広げる。首都ハバナ陥落時には当初の同志は12名しか生き残っていなかったとされます。

そこまで激しい武力闘争に‘彼ら’を駆り立てたものは、一体なんであったのか。カストロやチェ・ゲバラは、革命に何を夢見たのか。

今年は、キューバ革命50周年、昨年2008年はチェ・ゲバラの生誕80周年、「20世紀最大のカリスマ」といわれる(映画のキャッチフレーズ)、私も今年はじっくり考えてみたいと思います。

ではでは^^?
P.S.
この前編(1部)では、1964年12月11日のアメリカはニューヨークでの国連総会でのチェ・ゲバラの演説とそのときのアメリカのジャーナリストとのインタヴュー風景が、革命当時の映像の間に挟まっている(インタヴューに答えながら革命当時を回想している)というスタイルをとっていますが、このインタヴューや国連総会での演説が、間違いなくカッコいい^^?
理屈や理念ではなく、ゲリラ戦の現場で鍛えられた彼の‘言葉’は、本当に哲学的です。間違っても形而上学的なものでもないし、詭弁でもありません。
彼の体験や行動が正しいのか私には判断できませんが、信念というか、‘志’があります。日本でいったら坂本龍馬とか幕末の若き青春群像と同列以上と考えられるではあるまいか。
両方とも、若くして途半ば(志半ば)にして亡くなったというところも似ているし^^?
実際、歴史には「たられば」の話は禁物ですし、それはできないことです。(それを想像すること自体は非常に意味があるとは思いますが)
まあ、その後の彼らが生き続けたという仮定はなしとして、現実だけを考えるとすると、まだこれから調べようと思いますが、私は、彼らの‘若さ’と‘行動’は評価しても、完全には絶賛できないと思う。というのは世界を変える過程で亡くなれば(殉死すれば)確かに伝説となり、悲劇のヒーローとして、「カリスマ」にも奉り上げられる。しかし、どんなことでもそうですが‘こと’をなした後の、つまらない日常と、ゼロから新しい秩序を築き上げていく地道な生活を、彼ら(ゲバラや龍馬)は、果たして送ることができたのであろうか。
ヒーローや強力なリーダー、もっといえば救世主、カリスマを求める民衆の気持ちがわからないわけではないが、それ(特定の優れた人たち)だけではこの‘世界’は変わらないし、既存の秩序を‘壊した’だけで、彼らは単なる‘デストロイヤー(破壊者)’だけで終わってしまう。たとえ旧秩序が、どうしようもない政府であり体制であったとしても。
私は、そこもふまえた上で、この(20)‘世紀のカリスマ’を考えてみたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

Music from Motion Pictures 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』 あるいはザ・ビートルズの時代について

ようやくというか映画(もとはミュージカル)のサウンドトラックが手に入りましたので、以下、紹介します^^?

08042802 サウンドトラック 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』

2007年

お薦め度: ★★★☆☆

泣ける度: ★★★☆☆

アルバムとしての完成度: ★★★☆☆

一口コメント:

この映画のタイトルは、もうわかる人はわかるというかザ・ビートルズの最後のアルバム『レット・イット・ビー』のA面3曲目。もう名曲中の名曲で、この映画自体、ザ・ビートルズの楽曲をモティーフに構成されています。

収録曲:

1.All My Loving、2.I Want to Hold Your Hand(抱きしめたい)、3.It Won't Be Long、4.I've Just Seen A Face、5.Let It Be、6.Come Together、7.I am the Walrus、8.Something、9.Oh! Darling、10.Strawberry Fields Forever、11.Across the Universe、12.Helter Skelter、13.Happiness is a Harm Gun、14.Black Bird、15.Hey Jude、16.Lucy in the Sky with Diamonds

ほぼ、映画で使われたのと同じ曲順なのがうれしい^^?

さて、この映画に関して、2008年3月10日の「歩く仲間通信」(メンバーにのみ発信・ブログ未収録)で以下の記事を書いています。よろしくご高覧ください^^?

-----------------------------------

☆☆☆ 映画 「アクロス・ザ・ユニバース(Across the Universe)」を観て

世界が大きく揺れていた時代 ‘ビートルズの時代’を考える ☆☆☆

ところで、昨日(3月9日)、マニラで、「アクロス・ザ・ユニバース」というビートルズの楽曲をモティーフにした映画をみてきました。もともとはミュージカルみたいですね。

たぶん、日本よりマニラのほうが公開が早いので、ネタばれになるといけないので多くは語れませんが、非常に考えさせられる映画でありました。

1960年代のアメリカとイギリス(ご丁寧にもリバプール出身の男の子)の大学生の3名の男女が主人公なのですが、ベトナム戦争とかコロンビア大学の学生紛争など、まさに時代に翻弄された若者たちの群像劇を描いた作品で、全編にビートルズの曲がモティーフのように通奏低音のように流れます。

かなり大胆なビートルズの歌曲の独自?な解釈やコンピュータグラフィックスの特殊映像も混じりますが、まあ今の時代なのでそれもありかなと^^?

でもこの戯曲化には賛否がわかれるでしょうね。基本的にはパロディなのですが、ふざけているようで実は本気!といったような非常に凝ったつくりで、思わずうーんと考え込んでしまうシーンがいくつかありました。

特に自分にとって衝撃だったのは、ビートルズの過激さというかラジカルさについて、まったく知らなかったことに気づかされたことです。単なるアイドルロックグループを脱皮して、カリスマとして神格化し、かつ社会現象となってしまった彼らは1970年時点で、‘ビートルズでありつづけること’をやめざるを得なくなったことに、ようやく気がつきました。

『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から『マジカル・ミステリーツアー』、『ホワイトアルバム』のわかりにくさの一端が少しだけども理解できた気がしました。やはりビートルズも時代の子だったんだと・・・。

また、「愛こそは全て(All You Need is Love)」と「ゲットバックセッション」の苦悩というか苦痛の一部も。

あとテイストとしては、1994年にアカデミー賞を総なめにした(6部門受賞)トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ(Forrest Gump)』に似ているかもしれない^^?ただ、『フォレスト・ガンプ』には、やはりアメリカ映画的な楽観的な明るさがありますが、(背景もアメリカンポップスだった気がする)、この『アクロス・ザ・ユニバース』は‘イギリス’のビートルズみたく、もう少し重くて暗いですね。

さて、この映画をみて改めて思ったのは、私もビートルズは好きで何度も記事として取り上げているのですが、実は時代背景というか、本当のライブな(生きた)ビートルズを、まったく知らなかったのではないかということです。たとえば、過去記事として以下があります。

1.しばやん、ビートルズを語る。 2006年2月15日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00029.htm

2.'GET BACK Session' by "The Beatles" 2007年4月3日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2007/04/get_back_sessio.html

3.イギリスよ、おまえもか? 1991年2月7日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/o00011.htm

唄は歌だけで存在しているのではなく、その歌われた場所やその時代背景についても想いをいたさないといけない。当然、言葉とメロディーはそれだけで十分価値があるのですが、たとえばビートルズの楽曲だけを取り上げて分析するのではなく、その時代背景や社会も含めた全体の中での価値や位置づけを考える必要がある。

上記の全てが、‘当時の現実’を踏まえていないということで、正直、今としては完全にボツにしたい気分です^^?

特に、上記3は、実は、当時、朝日新聞に投稿して、若干の校閲というか修正を受けて掲載されました。そのときの私は大学生であったわけですが、学部の某助教授が非常に苦虫をつぶした顔で、この記事についてコメントされたことを思い出します。つまり、団塊の世代でもあるその先生は、まさに1970年の学生紛争の当事者でもあったわけです。浅はかにも当時、そのような生き証人たちの現実を知らずに青臭いことをほざいていたのでした。(今思うと、本当に恥ずかしいです。)

☆☆☆☆ 共感と想像力について ☆☆☆☆

しかしながら、自分が生まれてもいない時代や、まったく見たことも聞いたこともない未知の世界や、その時代や地域に生きている人たちに対して、われわれはどこまで共感や実感をもてるものでしょうか。

えてして経験の多いものは、少ないものに対して、‘想像力の欠如’や‘心の貧しさ’をいいますが、それだけでことは済むのでしょうか。大概、シニアの優越感の充足や、自己満足に終わっていませんか?←自分も含めて^^?

また逆に、2001年のセプテンバー11(9月11日)のときに、一番、青春の感性の豊かなときに、高校生や大学生であった若者たちの心に刻み込まれた楔の重さと大きさは、ちょっと上の世代である私たちには、本当の意味でわからないかもしれない。

シニアの人と話すのと同時に若い学生さんと話していても、肝心のところが(自分として)理解できていないのではないかと思うことが、たまにあります。

同じ日本人でもわからないのに、他の国や他の地域の人たちとは当然、さらにギャップがありえます。

そうはいっても、古今東西、時代背景や地域や宗教文化が違っても、おやと思った疑問や課題の根っこみたいなものは世代や地域や人種や言葉を超えて、‘人として’なにかしら共有できるのではないか。そんな希望は持ち続けていきたいと思っています。

☆☆☆☆☆ 答えはなくても問い続けるということ ☆☆☆☆☆

ところで私の記事について、問題提起だけで回答がないとおっしゃった方がいました。でも、問題を立てない限り、解決や考えるという行為はありえないし、アウトプットにはいろいろな形態があるでしょうが、‘コト’は始まりません。

解決や回答のある問題のほうが少ないこともまた真実でしょうが、それはいったん、置いておきます。

私は、最近、自分で「考える人」であるよりも、むしろ、みんなに考えてもらうことを「問いかける人」でありたいと考えています。当然、自分‘が’考えることを放棄するつもりはありませんが、‘一人では’辿りつけない世界が‘きっと’あるはずですし、答えはすでに‘われわれの中’にあると思うからです。

(転載終わり)

---------------------------------------------------------------

せっかくなので、以下、今の時点で加筆します。

ところで、上記では「ベトナム戦争」と「ザ・ビートルズ」を過去の歴史上の事実?として書いていますが、自分達を翻って、今は全く‘戦争’のない時代か、‘芸術’が全く世界と闘うことをやめてしまった時代なのかというと、決してそうではないことに気がつきます。

つまり、たった今の瞬間にも、イラク戦争は続いているし、内戦や紛争は世界中で、切れ間なく続いているのです。

なにかの(スポーツの?)ニュースか本で、「今は、タイガー・ウッズやイチローなど、あと50年や100年後となったら完全に伝説となっている‘歴史’のただなかにわれわれは生きている。われわれは、その歴史ができているその瞬間に、同時代に生きていること(幸せ)に感謝しなければならない」といった主旨の発言を、最近、聞いたことがあることを思い出しました。

所詮、われわれは時代の子でしかない。われわれが直接関与できるのは、たった今のこのとき、現在でしかない。つまり‘過去’は変えられないけど、‘今’と今につながる‘未来’は「われわれの手の中」(*1)にあるのです。

たとえば、この映画も過去を懐かしむのではなく、‘現在’の世界そのものに対する問いかけであり、プロパガンダなのです。

あの1960年代と1970年は、なんだったのだ。その反省?は今に生きているのか。本の数十年前のことを、お前達(人間)は忘れてしまったのか、というメッセージだと思うのです。

今、日本では太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)は、生存者の高齢化により風化しつつあることが、繰り返し有識者(といわれるひと)やメディアで語られています。

しかし、ベトナム戦争って、まさにわれわれの父母の時代に起ったことで、2007年問題といわれていますが今、定年を迎えているという‘団塊の世代’にとっては、まさに‘原体験’なのです。

正直、私自身、父や母からその時の時代(つまり自分が生まれたころのこと)について、直接、話を聞いていません。

今の世の中、日本では、平和を語ることが流行です。セプテンバー・イレブン(2001年9月11日)の事件以来、その当時、小学生や子供であったものさえ(失礼な言い方ですが)、非常に大きな心の傷を残し、今の若者は概して、本気で‘平和’を希求してやみません。

しかし、それは日本だからこそできる‘のんき’な話で、世界中の大半が、以前、‘戦争’状態にあることを忘れてはなりません。

つまり、今、考えるべきは‘戦争’そのものなのです。

日本の平和教育の一番の致命的な欠点は、今かろうじて保たれている日本の‘平和’に胡坐をかき、平和のコインの裏側である‘戦争’についてはっきりと語らない、子供に教えないことです。

古代から今日に至るまで、世界で戦渦のないときは、一瞬ともありません。‘平和’を語れる‘特権’を、果たして日本人や先進国の一部の人はもっているのでしょうか。

自分自身、1993年にエティオピアとの30数年に及ぶ独立戦争を戦い抜いたエリトリアや、つい2002年5月20日に独立を果たした東ティモールで仕事をしたから言うわけではありませんが、とにかく日本人の平和ボケというか無神経さにかなりの苛立ちを感じています。

あなた(わたしも含まれるわけですが)の‘平和’な生活のかげで、いかにつらい状況(貧困より戦争のほうがたちが悪いです)におかれた人がそれこそゴマンといることを、あなた(わたし)は、わかっているのか。 と。

ともあれ、私は、‘わたし’の平和学を、自分が今、生きている世界(地球)の戦争と平和を語り続けていきたいと思います。

注:*1 今、40歳前後の方は、ほぼ間違いなく覚えていると思いますが、「未来は僕等の手の中」と歌ったのが、1985年の「ブルーハーツ」でした。この曲は堂々、1987年発表の『THE BLUE HEARTS』というメジャー初アルバムのA面第1曲目に収録されています。

☆ ザ・ブルー・ハーツ 『ザ・ブルー・ハーツ』 2008年3月31日 の記事も参照ください。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/03/za.html

ではでは^^?

(この項、了)

P.S.

このような記事はどちらかというと「ブログ版 歩く仲間」で取り上げるべき内容でしたが、アルバムの紹介ということであえてこちらにしました。

このような内容に関心のある方は、こちらのページもご高覧いただくと幸いです。

「わたし’の平和学~冬が来る前に!」 @ 「ブログ版 歩く仲間」

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

ではでは^^?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月28日 (月)

尾道といえば・・・さびしんぼう?

どうも単純な性格で、axbxcxさんのコメントを読んで、唐突に、もう20年も前の胸キュンを想い出しました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/01/2008_927e.html

さて、axbxcxさんが昨年いらっしゃった尾道といえば、そう大林宣彦監督の「尾道三部作」(初期)というべきか、原田知世主演の「時をかける少女」、小林聡美の「転校生」、そして、富田靖子(いずれも男優の主演は尾見としのり)の「さびしんぼう」(1985)をまず思い出しました。

Sabishinbou 大林宣彦監督作品 『さびしんぼうシナリオ写真集』 旺文社 1985

DVD発売 東宝 TDV2608D 2001年7月

お薦め度(映画に対しての): ★★★☆☆

一言コメント: 児童文学の傑作、山中恒さんの『なんだかへんて子』が原作。映像が時代がかっていますが、私の青春の映画のひとつで、ある意味、普遍的なテーマを抱えていると思います。

なんか、昔の心の傷に思いがけず触ってしまったという不意打ち感があったわけですが、この「さびしんぼう」と「転校生(これも同じく山中恒さんの「おれがあいつであいつがおれで」が原作)」の二つの映画は、しばやんの高校時代の思い出と切り離せません。

もともと封切られたのは、中学生時代なのですが、高校のとき、とある友人に薦められて観てキュンときたのがこの2本。まだ詳しくは語れませんが、この友人の影響で、大学入試の後か合格発表の後、大阪の受験した大学から広島、尾道、倉敷へと18切符とユースホステルの一人旅に出たのでした。

あったあった、気になって探したユースホステルの会員証のスタンプに、63.3.5. 広島ユースホステル、’88.3.6 尾道友愛山荘、63.3.7 倉敷ユースホステルとありました。偶然というか本当に20年前のことでした。

ということで、axbxcxさんの話にもどると、尾道はよかったですよ~ということですね。特に映画のシーンというか風景を追体験してまわった記憶が今でも残っています。

ところで、この時に初めて大阪より西に山陽本線を鈍行で移動したのですが、なぜか瀬戸内海の豊かさみたいなものを感じましたねえ。その後も大学が大阪だったので、なんどか中国地方や九州も旅しましたが、わたしはやっぱり西国系というか、西日本のほうが好きです。

あー、なんか日本をゆっくり旅してみたくなりました。途上国の何もない田舎もいいけど、日本の田舎って、小京都という言葉があるように結構全国、津々浦々生活に根付いた知恵と貴族や武家の文化、農漁民だけでなく商業の文化、神道や仏教の文化などいろいろ重層的なものがあるのですよね。食べ物や伝統工芸品に端的に見られるように、いろいろな技術や文化が名もなき人によって伝えられ、それぞれの土地にあわせて改善されていく。

やっぱり海外の仕事を(好きで)してはいますが、逆に、Love Japan! 日本好きです^^!といった想いに、突然とらわれることがあります。

なぜか、axbxcxさんの書き込み。つぼにはまりました^^?

P.S.

宮本常一の故郷、大島、わたしも行ってみたいですね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年4月 2日 (月)

‘No day but today’ by "RENT"

昨年の4月に、ブロードウェー・ミュージカルを映画化した『RENT』という映画をたまたま最終日に見る機会がありました。

1980年代のアメリカニューヨークのイーストビレッジの下町のアパートに間借りする(RENT)若者たちが主人公です。それぞれ夢をもって大都会の片隅で名もなく生きる8名の仲間たち。同性愛(レズ、ゲイ)のカップル、ミュージシャン志望の男の子、麻薬におぼれるダンサー志望の女の子、ジャーナリスティックな映画監督を目指す男の子。それぞれ夢や希望をもちながらも、なかなか世の中そんなに簡単ではない。

貧しい生活の中で、それぞれパートナーを見つけて、それぞれ挫折と挑戦を繰り返しながら、自分のやりたいことを見つけなおしていくひとつのロードウェイ映画です。結論が衝撃的なのですが、ネタばれになるので、この場ではいえません。

Rent_vcd_1

脚本・作詞・作曲:Jonathan Larson (Feb.4, 1960 - January 25, 1996)

Revolution Studios, Columbia Pictures,Sony Pictures,   2005

これは、フィリピンのVCD(ヴィデオCD)のジャケットなので、日本とは違うと思います。

でもまあ、劇場(映画館)の入り口に「うたっても踊ってもOK」という貼紙があったのは、昔2001年に川越に小旅行でいって一人旅して、これまたぶらりと入った矢口史靖監督の『ウォーターボーイズ』以来です。映画をみて県立川越高校まで足を延ばしたのは言うまでもありません^^?

レントの話にもどると、悲しく切ない話であるのに、なぜか最後に希望がもてるのはなぜなのでしょうか。わたしは、この映画自体が、最初のオープニングの曲(Seasons of Love)にあるように、"525,600min"(これは1年にあたりますが(60分×24時間×365日間)をどう生きるか・どう生きたのか、「No day but today」というサブ・タイトルにあるようなあくまでも今・現在の一瞬を大切にしなければならないというメッセージの故でしょう。

そういえば、クリスマスから次のクリスマスの1年間のドラマでした。「No day but today」は、非常に象徴的な意味を持っています。(←今ごろ気づくお間抜けなわたし^^!)

今まで、仕事で開発途上国の貧困問題とか扱ってきたつもりだけど、変な話だけど、途上国だけでなく先進国もやんでいるんだなあ。先進国に生まれたから全て幸せということは決してありえない。先進国の中でも別の意味での貧困、例えば日本でも所得格差、ワーキング・プアやホームレスなど大きな社会問題になっているように、どこもかしこも貧困問題だらけです。

少なくとも途上国の田舎では食えないことはあっても、麻薬とかAIDSとかはなかったと思うのです。(実際には、途上国でも麻薬やAIDSが蔓延しているところもあるので、そうは簡単ではないのですが)

ただひとついえることは、どんな社会に生きていても一分一秒の価値は変わらないであろうこと。やはり嬉しいこともあれば悲しいこともある、そしてなによりも一人では生きられないという人の性といいましょうか。家族や、なによりも‘仲間’の大切さを教えてくれる映画でした。

‘貧困’ってなにをいうのだろう、家族、仲間など‘共同体の意味’ってなんだろう。そんなことを、あらためて考えさせられた力作でした。

P.S.

過去の記録をみてみたら、ちょうど、2006年4月2日で1年前のことでした。いろいろ気になっていて文章にしたかったのですが、結局1年かかってしまいましたね^^?

これもネタばれなのですが‘テンラブ’というこの映画紹介のコーナーは、ウーピー・ゴールドバードの『天使にラブ・ソングを2』からとりました。これもたまたま見た映画なのですが、非常にツボにはまりました。また別途紹介で取り上げます。

ではでは^^?

| | コメント (1) | トラックバック (0)