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しばやん's コレクション

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2016年11月 5日 (土)

Japanese Folklore and Development (開発民俗学)の提唱 (2020年までのロードマップ)

今まで、ずっと「開発民俗学」の適切な英訳(意味としてもことばとしてもしっくりくる)を考えてきたわけですが、2016年10月30日の朝に、ふと思いつきました。

そうだ、素直に、「Folklore and Development」でよいのではないかと。

最近、愛知用水の研究に取りかかっているのですが、その過程で、山崎延吉を知ったことがきっかけでした。その中で、柳田國男の民俗学と農政学、さらには農本主義との接点についての疑問といいますか関心がでてきたのです。

山崎は、明治の6年(1873年)に石川県の金沢に生まれ、東京帝国大学農科大学を卒業し、愛知の碧海郡(現安城市周辺)の安城農林学校の校長かつ愛知県の農政にかかる要職を歴任してのちに帝国農会の主席幹事や国会議員などとして、日本の農民教育と農政に深くかかわりました。

山崎延吉研究には、膨大な研究蓄積もあり、いろいろな論点があるのですが、私の愛知用水研究とのからみでいれば、もともとは愛知用水事業の推進者であった篤農の久野庄太郎、農業技師の浜島辰雄を中心に調べようとしていたのが、どうしても彼らのお師匠さんであった山崎延吉が彼らおよび愛知用水事業の推進に果たした役割自体を深く調べざるを得なくなったというのが本当のところです。

それらの詳細については、修士論文の中で明らかにする予定ですが、山崎延吉を調べようとすると、少なくとも下記のキーワードを押さえることが必要となってきます。

・「安城農林学校」で展開された「開かれた学校」に代表される農民教育方針
・「日本デンマーク」大正から昭和初期に全国的に有名となった愛知県、特に碧海郡の農業先進地。
・『農村自治の研究』 明治41年(1908年)に出版され幾度も改訂を重ねた延吉の出世作。
・『農村計画』 昭和2年(1927年)に出版された「都市計画」に対する農村振興策。
・「農民道』
・「農本主義」
・「帝国農会」
・「小作争議」
・「農村経済更生運動」
・日本の植民地時代の朝鮮における農村振興五ヵ年計画における農村指導
・「全農学校」
・「興村行脚」 本格的には明治39年(1908年)から昭和29年(1954年)の没まで継続的に行われた「農民へ働きかける目的で農村を講演旅行すること」(神谷2001、132頁)

一言でいえば、明治末から昭和初期の日本の農村振興のための農民教育を体を張って実践した人ということでしょうか。「興村行脚」として、日本国内ばかりか台湾、朝鮮、満州に足を伸ばしています。日本農政の神様といわれた中央官僚かつ政治家の石黒忠篤が山崎延吉の銅像によせた讃文によれば、

「先生は愛知農業発展の原動力たるに止らず、各地よりの懇情に其席暖まることなく、行脚の足跡全国台朝に汎く講演の回数一万五千を超えた。嘗て先生の啓発指導に浴したる多数の人は皆其高邁なる識見堅実なる実行を敬慕して忘れ得ぬであろう。」(神谷2001、9頁)

とあります。実は、今年の夏休み、愛知用水というよりむしろ山崎延吉の資料ばかりあさっていました。さいわい、山崎延吉の拠点、安城市は私の住む岡崎市の隣の市で、私の家のすぐ近くの愛知県立農業大学(以前の、追進農場)は、まさに山崎延吉が指導した愛知県農業試験場の下部機関でした。

ともあれ、この数ヵ月、山崎延吉を調べれば調べるほど、彼が愛知用水事業推進に直接間接に果たした役割の大きさと、彼自身の魅力というものに感じ入りました。

ここで疑問というか、課題として浮かび上がってくるのは、そもそも日本の「農本主義」とはなんであったかということがまず一つ、そして私が追及している「民俗学」とは、そもそも何が母体となって生まれたのかという疑問です。

実は、今年の初めに、『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』講談社選書メチエ(2015年1月)という佐谷眞木人という本を知りました。それ以前にも、柳田國男と南進政策(植民地行政)との関わりについては、川村湊 『「大東亜民俗学」の虚実』 講談社選書メチエ 1996年)という問題提起の一般向け書籍もあったわけですが、佐谷さんの本のほうが、より直接に柳田の心根に迫るような分析を加えていました。

つまり、農政官僚であった柳田がなぜ、民俗学を起こそうとしたのか、その一つが、「国際連盟」の委託統治委員としての挫折と、実際にヨーロッパに足を落として柳田が悟ったこと、それに加えて、なにかもっと決定的なものがあったのではないか。

そのミッシングリンクを、先日、たまたま名古屋市立大学の図書館で見かけた、この研究者の著作が埋めてくれそうなのです。

藤井隆至 『柳田国男 『産業組合』と『遠野物語』のあいだ』 「評伝・日本の経済思想」 日本経済評論社 2008年8月 

藤井氏の著作を調べてみるとさらにこのような大著をあらわしていることがわかりました。

『柳田國男 経世済民の学 -経済・倫理・教育-』 名古屋大学出版会 1995年9月

ようやく手元に届いたところなので、両著とも読み込みはこれからですが、自分としては、一つの結論といいましょうか、今度の研究の方向性がみえてきた気がしています。

今まで、開発民俗学をどのように英訳しようかとずっと悩んでいましたが、ドイツ語起源の「folklore」の精神を柳田が継承したのであれば、フォークロアの原義に含まれる「開発に対抗する後発国としての民族運動」がすなわち「開発民俗学」そのものであるから、あえて「開発」を「民俗学」に付け加える必要はなく、もとより「フォークロア」が含んでいた「開発」を表にだしさえすればよい。

という、シンプルな結論になります。つまり、「開発」と「民俗学」を並べればすむ話で、「開発」の「民俗学」、Folklore of Development や Folklore in Developmentと英訳する必要はない。また、Folkloreにかわる英語を新たに探す必要もなく、Folkloreの内在する意味をはっきりさせるために、Folklore and Development として、日本人以外の読者向けには、Japanese Folklore and Development とあえて「日本の」開発民俗学という言い方をすれば、Folkloreの学問としての可能性を開くことになり、これは、結果として柳田國男の「一国民俗学」を「世界民俗学」に開くことにもつながるという結論(作業仮説)にいたりました。

※上記の記載は、私の今までの研究の成果から自由に作文していますが、日本の民俗学の位置づけや起源について、この本がよくまとまっています。こちらの「フォークロア」に関する説明なども参考にするつもりです。
新谷尚紀 『民俗学とは何か 柳田・折口・渋沢に学び直す』 吉川弘文館 2011年5月

当然、裏付けの研究はこれからですが、この先、5年の私が提唱する「開発民俗学」の方向性が見えてきた気がします。

「開発民俗学の展開 2016年~2020年の中期計画

開発民俗学の研究・実践を次の3つの区分においておこなう。

1.理論研究

「Japanese Folklore and Development, Preliminary Study」というタイトルで、2020年を目標に英文で論文を発表する。

1-1 諸外国における民俗学の起源と現状

日本の民俗学にあたる外国語にはいろいろなものがあります。一番近いとされるFolkloreについても各国でとらえ方が違うようです。そして、Folkloreは、AnthropologyやSociologyともEconomicsとも違うとされています。ここでは、世界に通じるfolkloreの意味とその起源と現在におけるニュアンスについて確認をおこないます。これは、日本の民俗学を説明するにあたって避けて通ることができない最低限の準備作業です。

1-2 柳田國男、折口信夫、渋沢敬三、宮本常一らの民俗学者の「開発」現象に対する想いと考えを確認する。

1-3 上記では主に柳田國男と渋沢敬三、宮本常一にあたるかと思われるが、民俗学者と農政実務家との関わりと「開発実践」について検証する。ここで農政実務家として表にでてくるのは、新渡戸稲造、山崎延吉、石黒忠篤、安岡正篤、那須皓、東畑精一らがまずあげられよう。

1-4 結論としては、「日本の民俗学は、近代資本主義の日本への浸透という緊張関係の中で生まれ、都市部というよりむしろ農村部の疲弊に対する貧困対策を、過去の先祖の生活の知恵に探ろうとした実践学であり、農政への還元はのちには希薄となっていたが、少なくとも柳田國男と宮本常一は現場での調査と実践を中央の政策レベルに結び付けようとした足元からの社会変革のための「学問」であった」という側面があったことを証明する。

1-5 世界民俗学に向けた提言

上記で検証したfolkloreとdevelopmentとの関わりを基盤とした、開発人類学(Anthropology of Development, Development Anthropology)とは違う「Folklore and Development」の研究方法と実践の可能性について提言をおこなう。

2. 事例調査(ケーススタディ)

2-1 「愛知用水の研究」として、修士論文として2018年3月までにまとめる。

地域の重層性とチェンジエージェントの役割を中心に、愛知用水事業を「文化運動」としてソーシャル・イノベーション論で読み解く。ディスプリンとしては、「イノベーション普及学」をベースに、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)論、ネットワーク論、開発コミュニケーション学、地域開発論、参加型開発論など、地域と開発にかかわる議論と方法論を駆使して事例分析をおこなう。

2-2 フィリピンの地方開発論

詳細は未定。できれば、フィリピンへの開発コンサルタント時代の2004年3月から2008年6月までの駐在期間におこなったフィリピンの農業行政機関と現地調査の経験を生かしてフィリピンの地域開発についてケーススタディを行いたい。

3.開発実践

3-1 日本の地域づくり、まちづくり、むらおこしへのコミットメント

適宜、必要と自分の関心に応じて、地域づくりでがんばっている人を応援する中間支援をおこなう。

3-2 地域開発に関するコンサルティング

これは、上記とは違って契約ベースで調査やコンサルティングを行う。クライアントとしては市町村などの行政組織、民間企業やNGOやNPOなどの各種団体。国内外を問わない。

3-3 開発民俗学に関する情報発信

研究成果や実践の過程を(クライアントとの守秘義務に反しない範囲において)、私のもつブログやホームページ、SNSなどのチャンネルを通じて適宜、世界に対して発信する。

私の情報に関するポリシーは、基本、「公開」が原則で、それは、「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなくてはならない 柴田英知@1991」というクルドによる。」

以上を、この先、5年ほどの行動指針としてみました。

関心のある方のコメントや応援・激励、議論をお待ちしております。

これは軽く読み流していただいて結構なのですが、私のこの5年の活動の悲願は、自前の研究機関を採算がとれるように独立させることです。スポンサーの申し出をお待ちしております。

もちろん、競争研究基金の獲得にも努力しますが、やりたいことに対して時間と先立つお金が、全然足りません。フィリピンでのフィールドワーク、書籍資料の収集、興村行脚のための旅費などお金にある程度余裕がないと、最低限、必要なことすらが実現できません。

まずは、社会から必要とされるコンテンツ(中身)がないとはじまらないのですが、個人の努力プラスアルファの要素が必要だとも感じています。

ともあれ、「幸せに生きたい」とねがうわたしたちの、障害を取り除くための知的な貢献をしたいと考えて実践してきますので、ともに「歩く仲間」の常時募集をしております。

ではでは^^?

柴田 英知

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