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2015年5月22日 (金)

開発民俗学への途を一歩でも進めるために今、わたしができること(改めて)

あらためて仕切りなおします。

人生ままならないとはいいますが、実際にそうだと思います。

アジア保健研修所の契約が更新されないと知ったときに、私は、今後なにがあっても以下のことに気をつけようと心に誓いました。

1. 他人の見た、もしくは他人が思う自分こそが、自分だと認める。

2. いいわけしない。

まあ、両方とも同じようなことを言っていますが、要は人のせいにしないということです。

「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび」

とは、「にんげんだもの」の相田みつをさんの言葉ですが、しみじみ、そう思うことにしました。そして、福祉施設の社長さんから、こういわれたこともショックではありましたが、上のことを裏書するような言葉でした。

「まわりの99パーセントの人はそうしない。あなたは、自分の感覚がおかしいことを知らんといかんと思う。」

そんなニュアンスのことを、私がミスをするたびに、ことあるごとに言うわけです。

昔だったら、自分が正しくて、まわりの方がおかしいとか間違っていると気色ばんでいたでしょうが、今回は、さすがに身にしみました。いや、自分が勝手に自分を正しいとしたところで、果たして、それでよかったことがあったのかしらと思ったときに、今まで何十年も何度も何度も同じようなこと/ところを指摘され、現実に問題となって人と摩擦が生じているということは、結局、こちらが間違っていたと考えざるを得ない。

昔から、「素直な人」は伸びるとか「聞く力」が大切だという「言葉」は、何度も聞いてはいたのですが、結局、実践できていない。つまり、「言葉」として知っていても、「体現もしくは実践」できなければ、それは、わかっているとはいえない。

これは、先に先輩の言葉として利用者さんの名前を覚えることについてのエピソードで紹介したことですが、結局、これに尽きると思うのです。

このことに気づいたことにより、自分がどこまで変われるかいささか心もとないところもありますが、とにかく、「人のいうことは(一旦)正しい」としなければ、何も進まないということを、今、考えています。

さて、上記のモードであることを確認した上で、なおかつ「開発民俗学」なるものを提唱し続ける意味はあるのか。

既に、何人かの大学の先生に指摘されていますが、実は名称なんてどうでもよいのですが、私が引っかかっている「何か」については、私「個人」として納得いくまでやり続けないといけないと思います。

この後、項を改めて、今後の研究計画の枠組みなどについて、具体的に今現在での考えを示せたらと思います。

(続く)

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