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しばやん's コレクション

カテゴリー「1. 作業メモ」の27件の記事

2016年11月17日 (木)

いざ、“言葉”を探す旅へ 開発民俗学への途 第三ステージへ

みなさん、こんにちは。

ご無沙汰しております。

先日、11月13日(日)に名古屋市立大学の大学祭で、大学院の仲間と、地域づくりに関するシンポジウムとセミナー、パネル展示なとをおこなうことができました。

5月の参加の応募から、地域づくりユニットの院生仲間と、いろいろディスカッションを重ねて内容の検討から講師の選定・出演依頼を経て、なんとかかんとか終えることができたといった感じです。本当に、仲間の熱意と、大学の先生方、学生係の方など周囲のご理解とご協力がなければ、全く形にならなかったと思います。重ねてになりますが、みなさまに感謝感謝の日々です。

当日の、「名市大地域づくり劇場 全四幕」では、県下の市民活動の実践者の講師のみなさまの実践報告と、フロアとのパネルディスカッション、終了後の懇親会と朝から一日、熱い議論がなされました。

いろいろな重要な論点はあるのですが、ここではあえて自分の今後の活動に引き付けて、このシンポジウムをおこなってみなさまから受けた刺激をどうつなげていくのかについて述べたいと思います。

まず思ったのは、ゲストの人びとの実践活動について、ほとんどの参加者は知らないという事実、たとえば「おやこ劇場」(広中さん)という活動については、知っている人は知っているが知らない人は全く知らない。岡崎の籠田公園の芝生緑化についても、今、この公園を初めて訪れた人は、最初から「こんなものだ」と思ってしまう。今の状態に至る過去の経緯やその中で活躍というよりむしろ苦労した人たちのことは知らなければ知らないままで済んでしまう。これは、桜山商店街でまちプロジュースのメンバーが工夫しておこなっている「まちとーーく」や菅原さんが豊田市で試みた「つなぎすと」の養成についてもしかり、正直、知っている人のほうが少ないでしょう。

しかし、確実に、彼女らの活動を頼りにして、またそれから影響を受けて自分の生き方や行動や考え方を変えて自分の生につなげている人がいる。これもまた事実です。

今回は、本当にたまたまですが、講師の4名とも女性で、失礼ながら全国区の有名人ではありません。しかしながら、この実践を通じて得られた体験に基づく“言葉”は、少なくとも参加者には説得力と実在感を持って受け入れられたと思います。つまり、人のまねごとの誰かが言っていたような空虚な“言葉”ではなく、実体をもった“言葉”であるのです。

私自身、さまざまな経験から多くを学んでいますが、特に若い人たちに対して、「体験が全て」というつもりは全くありません。そもそも若者に体験や経験を期待することは無理ですし、逆に大昔の過去の栄光の体験や経験をもって説教された私としても、そのような先輩に対していやな思いしかありません。

教えたり諭すのではなく、ありのままの体験や経験や考え方を話し合うことにより、互いに気づきあう。経験絶対ありきではなく、どれほど空想的な夢想でも希望でもいいじゃあないですか。少なくとも自分の知らない“何か”を信じて考えている生きている他者が、この地球上にいることを知ることは、たとえ何百歳になっても必要なことであるし、実際に、全ての人間そのものが不十分で不完全で、万物を知るもの(たぶんそれを神をいう人々がいる)に絶対になれるはずもわけがないのです。

結局、われわれは、「単なる人間」であることに甘んじなければならないし、それ以上でもそれ以下のものでもない。その「単なる人間」として社会や他者と交わっていかざるを得ないわけです。

ただ、今回のシンポジウムを聞きながら、また自分でも話をしながら思ったことは、どんなことでも「言葉」として表せられないと、人間世界では「認識」されないということでした。世の中ちまたにたくさんの生の営みがあり、よい事も悪いことも含めてさまざまな‘世の中’の動きがあります。

しかしながら、コマーシャルなニュースになるのは、海の砂の一粒もなく、学術研究でさえ、人間が生きる世界(宇宙を含む)のほんのほんの一部のことを取り扱っているにすぎません。

私は、日本発信の「開発学」ということにこの15年ほどこだわって生きてきましたが、それは具体的に何をすることなのか正直わかっていませんでした。

ただ、今年の4月に大学院に入って講義に出て先生方の話しや自分の研究を進めるうちに、少なくとも学問の世界で、人類に貢献(なんとおおげさな)には、“言葉”で人びとの生を拾っていることしかないことに気が付きました。

今まで、開発援助の世界で働いてきて、どうにもしっくりこなかったのは、世界中のどんな辺鄙な途上国でさえ、それぞれの地域に固有の考え方や生き方があり、たとえ“英語”や”フランス語”など先進国(とされる)西欧(近代)文明国の“言葉”とは発音も綴りも(文字すらない場合もありますが)まったく違っても、たぶん人間が生きていくのに必要な“智慧”を示す言葉は以前からあったし、今でも常にあり続けたという事実です。

つまり、近代的に“開発”されなくてもすでに、その地にあった人間の生は保証されていたということを、あまりにいわゆる頭のいい人たちは、見逃してきたのではないか。

昔、ギリシア人はアフリカ北岸のアルジェリアの人たちを「ベルベル人」すなわち「何をいっているのかわからない人」だと決めつけ、自分より劣ったものとしました。イスラームを受け入れたベドウィンの人たちは、イスラーム化する前の自分たちの先祖の時代を「ジャーヒリーヤの時代」すなわち「無明時代」となずけました。

他人事だと笑ってはいけません。今、世界の最先端をいっていると自負している西欧のひとたちですら、ルネサンス(再興)の前の時代を、「暗黒の中世」と呼びつけ、今の自分の生きている時代より劣ったものだと決めつけたのです。これは、古今東西どこでも大昔から人間、特に支配(したがる)者が繰り返してきた常套手段で、エジプトから中国からたぶん人間が文明を発明した時から、ずっとやり続けてきたことなのです。

今の視点でみればどうなのか。少なくとも、われわれはアラビアのイスラーム時代の前が無明時代ではなく、「幸福なアラビア」であったことも、中世が暗黒時代でもなかったことはわかっています。しかしながら、今、現在の20世紀について冷静に判断することは、ほぼ不可能に近いでしょう。

何がいいたいかというと、パラダイムが変わると世の中の考え方すなわち常識自体が変わってしまうということ、パラダイムが変わる際には、必ずほぼ間違いなく「新しい価値観」を表す“言葉”が生まれてきたし、これからも生まれていくだろうという事実です。

今、私は社会人経験ほぼ25年での経験をもって学位論文をまとめようとしています。これは、13年前に手探りで始めた「開発民俗学への途 第一部」の順当で正当な「第二部」ではあるのですが、その先に来るものは、別に“学問”でなくてもよいのではないか。

ふとそんなことを思いました。

論文をまとめつつ、心は次のステージへ。たぶん、私は、新しいパラダイムを示す“言葉”を探しに、次なる旅に乗り出すことになるのだろうと思いました。

その“言葉”は当然、今自分が立っている足元にある。それは、ほぼ間違いなく地球上のどこかである。日本でも先進国でも開発途上国でも、どこでもが「現場」となりえます。たぶん、どこかの「現場」に足をつけながら、私は“言葉”を探していきたい。それは、ほぼ間違くなく「日本語」だけではない。私は、日本や日本人だけをみているわけではなく、地球という環境に生きているわけで、地球上の人びとが“仲間”なのです。

したがって、便宜的ですが、「英語」なり、世界中の誰もが理解できる「共通認識を表せるような言葉」を探さざるを得ないし、もしなければ、新しい”言葉”をつくってしまったほうが早いのかもしれませんね。つまり、その〝言葉”は日本語や英語で解釈ができるが代替はできないという〝言葉”です。〝Kaizen”とか”Mottainai”とか、日本語起源である必要もありません。

こう考えていくとオリジナリティや起源を尊重するとすると、ローカルな概念と言葉を、グローバルに世界で流通するようにするということが、その解答となりうるかも知れません。この戦略は多元的な地球の価値をつくっていくという意味で、二重の意味で重要なことです。具体的には、ローカル起源の考え方や言葉を英語などで解説し、世界中で理解できるように解説していく。完全に人造語ではなく、世界のローカルな概念を、そこで使われている”言葉”と共に世界中で理解できるようにしていく。これこそが、〝言の葉”拾いの世界行脚ということになりますね。

結局、日本人だけのためでなく地球人が読んでわかるものを書かなければならない。特に途上国の〝言葉”を持っていないと思われている人たちのために。

そのために、どこへ行くのがベストなのか。今の時点では、まったくわかりませんが、たぶん何かに導かれていくのだろうなあと思います。

とりあえずは、「今やるべきことをきちんとやっていくこと。」これは社会人になって7,8年目ごろに自分の父親ほどの年齢の先輩コンサルタントから口を酸っぱくして指導されたことでもありました。自分が世の中で、学ばせていただいたことのいくつかでも次の世代に継承していければよいと思います。

まだまだスタート地点にも立っていない。でも前に進むしかない。

そんなことを今、考えています。

ではでは^^?

2016年11月 5日 (土)

Japanese Folklore and Development (開発民俗学)の提唱 (2020年までのロードマップ)

今まで、ずっと「開発民俗学」の適切な英訳(意味としてもことばとしてもしっくりくる)を考えてきたわけですが、2016年10月30日の朝に、ふと思いつきました。

そうだ、素直に、「Folklore and Development」でよいのではないかと。

最近、愛知用水の研究に取りかかっているのですが、その過程で、山崎延吉を知ったことがきっかけでした。その中で、柳田國男の民俗学と農政学、さらには農本主義との接点についての疑問といいますか関心がでてきたのです。

山崎は、明治の6年(1873年)に石川県の金沢に生まれ、東京帝国大学農科大学を卒業し、愛知の碧海郡(現安城市周辺)の安城農林学校の校長かつ愛知県の農政にかかる要職を歴任してのちに帝国農会の主席幹事や国会議員などとして、日本の農民教育と農政に深くかかわりました。

山崎延吉研究には、膨大な研究蓄積もあり、いろいろな論点があるのですが、私の愛知用水研究とのからみでいれば、もともとは愛知用水事業の推進者であった篤農の久野庄太郎、農業技師の浜島辰雄を中心に調べようとしていたのが、どうしても彼らのお師匠さんであった山崎延吉が彼らおよび愛知用水事業の推進に果たした役割自体を深く調べざるを得なくなったというのが本当のところです。

それらの詳細については、修士論文の中で明らかにする予定ですが、山崎延吉を調べようとすると、少なくとも下記のキーワードを押さえることが必要となってきます。

・「安城農林学校」で展開された「開かれた学校」に代表される農民教育方針
・「日本デンマーク」大正から昭和初期に全国的に有名となった愛知県、特に碧海郡の農業先進地。
・『農村自治の研究』 明治41年(1908年)に出版され幾度も改訂を重ねた延吉の出世作。
・『農村計画』 昭和2年(1927年)に出版された「都市計画」に対する農村振興策。
・「農民道』
・「農本主義」
・「帝国農会」
・「小作争議」
・「農村経済更生運動」
・日本の植民地時代の朝鮮における農村振興五ヵ年計画における農村指導
・「全農学校」
・「興村行脚」 本格的には明治39年(1908年)から昭和29年(1954年)の没まで継続的に行われた「農民へ働きかける目的で農村を講演旅行すること」(神谷2001、132頁)

一言でいえば、明治末から昭和初期の日本の農村振興のための農民教育を体を張って実践した人ということでしょうか。「興村行脚」として、日本国内ばかりか台湾、朝鮮、満州に足を伸ばしています。日本農政の神様といわれた中央官僚かつ政治家の石黒忠篤が山崎延吉の銅像によせた讃文によれば、

「先生は愛知農業発展の原動力たるに止らず、各地よりの懇情に其席暖まることなく、行脚の足跡全国台朝に汎く講演の回数一万五千を超えた。嘗て先生の啓発指導に浴したる多数の人は皆其高邁なる識見堅実なる実行を敬慕して忘れ得ぬであろう。」(神谷2001、9頁)

とあります。実は、今年の夏休み、愛知用水というよりむしろ山崎延吉の資料ばかりあさっていました。さいわい、山崎延吉の拠点、安城市は私の住む岡崎市の隣の市で、私の家のすぐ近くの愛知県立農業大学(以前の、追進農場)は、まさに山崎延吉が指導した愛知県農業試験場の下部機関でした。

ともあれ、この数ヵ月、山崎延吉を調べれば調べるほど、彼が愛知用水事業推進に直接間接に果たした役割の大きさと、彼自身の魅力というものに感じ入りました。

ここで疑問というか、課題として浮かび上がってくるのは、そもそも日本の「農本主義」とはなんであったかということがまず一つ、そして私が追及している「民俗学」とは、そもそも何が母体となって生まれたのかという疑問です。

実は、今年の初めに、『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』講談社選書メチエ(2015年1月)という佐谷眞木人という本を知りました。それ以前にも、柳田國男と南進政策(植民地行政)との関わりについては、川村湊 『「大東亜民俗学」の虚実』 講談社選書メチエ 1996年)という問題提起の一般向け書籍もあったわけですが、佐谷さんの本のほうが、より直接に柳田の心根に迫るような分析を加えていました。

つまり、農政官僚であった柳田がなぜ、民俗学を起こそうとしたのか、その一つが、「国際連盟」の委託統治委員としての挫折と、実際にヨーロッパに足を落として柳田が悟ったこと、それに加えて、なにかもっと決定的なものがあったのではないか。

そのミッシングリンクを、先日、たまたま名古屋市立大学の図書館で見かけた、この研究者の著作が埋めてくれそうなのです。

藤井隆至 『柳田国男 『産業組合』と『遠野物語』のあいだ』 「評伝・日本の経済思想」 日本経済評論社 2008年8月 

藤井氏の著作を調べてみるとさらにこのような大著をあらわしていることがわかりました。

『柳田國男 経世済民の学 -経済・倫理・教育-』 名古屋大学出版会 1995年9月

ようやく手元に届いたところなので、両著とも読み込みはこれからですが、自分としては、一つの結論といいましょうか、今度の研究の方向性がみえてきた気がしています。

今まで、開発民俗学をどのように英訳しようかとずっと悩んでいましたが、ドイツ語起源の「folklore」の精神を柳田が継承したのであれば、フォークロアの原義に含まれる「開発に対抗する後発国としての民族運動」がすなわち「開発民俗学」そのものであるから、あえて「開発」を「民俗学」に付け加える必要はなく、もとより「フォークロア」が含んでいた「開発」を表にだしさえすればよい。

という、シンプルな結論になります。つまり、「開発」と「民俗学」を並べればすむ話で、「開発」の「民俗学」、Folklore of Development や Folklore in Developmentと英訳する必要はない。また、Folkloreにかわる英語を新たに探す必要もなく、Folkloreの内在する意味をはっきりさせるために、Folklore and Development として、日本人以外の読者向けには、Japanese Folklore and Development とあえて「日本の」開発民俗学という言い方をすれば、Folkloreの学問としての可能性を開くことになり、これは、結果として柳田國男の「一国民俗学」を「世界民俗学」に開くことにもつながるという結論(作業仮説)にいたりました。

※上記の記載は、私の今までの研究の成果から自由に作文していますが、日本の民俗学の位置づけや起源について、この本がよくまとまっています。こちらの「フォークロア」に関する説明なども参考にするつもりです。
新谷尚紀 『民俗学とは何か 柳田・折口・渋沢に学び直す』 吉川弘文館 2011年5月

当然、裏付けの研究はこれからですが、この先、5年の私が提唱する「開発民俗学」の方向性が見えてきた気がします。

「開発民俗学の展開 2016年~2020年の中期計画

開発民俗学の研究・実践を次の3つの区分においておこなう。

1.理論研究

「Japanese Folklore and Development, Preliminary Study」というタイトルで、2020年を目標に英文で論文を発表する。

1-1 諸外国における民俗学の起源と現状

日本の民俗学にあたる外国語にはいろいろなものがあります。一番近いとされるFolkloreについても各国でとらえ方が違うようです。そして、Folkloreは、AnthropologyやSociologyともEconomicsとも違うとされています。ここでは、世界に通じるfolkloreの意味とその起源と現在におけるニュアンスについて確認をおこないます。これは、日本の民俗学を説明するにあたって避けて通ることができない最低限の準備作業です。

1-2 柳田國男、折口信夫、渋沢敬三、宮本常一らの民俗学者の「開発」現象に対する想いと考えを確認する。

1-3 上記では主に柳田國男と渋沢敬三、宮本常一にあたるかと思われるが、民俗学者と農政実務家との関わりと「開発実践」について検証する。ここで農政実務家として表にでてくるのは、新渡戸稲造、山崎延吉、石黒忠篤、安岡正篤、那須皓、東畑精一らがまずあげられよう。

1-4 結論としては、「日本の民俗学は、近代資本主義の日本への浸透という緊張関係の中で生まれ、都市部というよりむしろ農村部の疲弊に対する貧困対策を、過去の先祖の生活の知恵に探ろうとした実践学であり、農政への還元はのちには希薄となっていたが、少なくとも柳田國男と宮本常一は現場での調査と実践を中央の政策レベルに結び付けようとした足元からの社会変革のための「学問」であった」という側面があったことを証明する。

1-5 世界民俗学に向けた提言

上記で検証したfolkloreとdevelopmentとの関わりを基盤とした、開発人類学(Anthropology of Development, Development Anthropology)とは違う「Folklore and Development」の研究方法と実践の可能性について提言をおこなう。

2. 事例調査(ケーススタディ)

2-1 「愛知用水の研究」として、修士論文として2018年3月までにまとめる。

地域の重層性とチェンジエージェントの役割を中心に、愛知用水事業を「文化運動」としてソーシャル・イノベーション論で読み解く。ディスプリンとしては、「イノベーション普及学」をベースに、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)論、ネットワーク論、開発コミュニケーション学、地域開発論、参加型開発論など、地域と開発にかかわる議論と方法論を駆使して事例分析をおこなう。

2-2 フィリピンの地方開発論

詳細は未定。できれば、フィリピンへの開発コンサルタント時代の2004年3月から2008年6月までの駐在期間におこなったフィリピンの農業行政機関と現地調査の経験を生かしてフィリピンの地域開発についてケーススタディを行いたい。

3.開発実践

3-1 日本の地域づくり、まちづくり、むらおこしへのコミットメント

適宜、必要と自分の関心に応じて、地域づくりでがんばっている人を応援する中間支援をおこなう。

3-2 地域開発に関するコンサルティング

これは、上記とは違って契約ベースで調査やコンサルティングを行う。クライアントとしては市町村などの行政組織、民間企業やNGOやNPOなどの各種団体。国内外を問わない。

3-3 開発民俗学に関する情報発信

研究成果や実践の過程を(クライアントとの守秘義務に反しない範囲において)、私のもつブログやホームページ、SNSなどのチャンネルを通じて適宜、世界に対して発信する。

私の情報に関するポリシーは、基本、「公開」が原則で、それは、「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなくてはならない 柴田英知@1991」というクルドによる。」

以上を、この先、5年ほどの行動指針としてみました。

関心のある方のコメントや応援・激励、議論をお待ちしております。

これは軽く読み流していただいて結構なのですが、私のこの5年の活動の悲願は、自前の研究機関を採算がとれるように独立させることです。スポンサーの申し出をお待ちしております。

もちろん、競争研究基金の獲得にも努力しますが、やりたいことに対して時間と先立つお金が、全然足りません。フィリピンでのフィールドワーク、書籍資料の収集、興村行脚のための旅費などお金にある程度余裕がないと、最低限、必要なことすらが実現できません。

まずは、社会から必要とされるコンテンツ(中身)がないとはじまらないのですが、個人の努力プラスアルファの要素が必要だとも感じています。

ともあれ、「幸せに生きたい」とねがうわたしたちの、障害を取り除くための知的な貢献をしたいと考えて実践してきますので、ともに「歩く仲間」の常時募集をしております。

ではでは^^?

柴田 英知

2016年10月11日 (火)

チェンジエージェント考~旅する職能集団

久しぶりに記事をアップします。


今年の4月から名古屋市立大学の大学院に通っているのですが、ようやく大学院での講義だけではなく、仕事も含めた一連の生活にやっと慣れてきたところです。

ともあれ、9月最終週から後期に入って、ようやく研究の方向性を調整しつつあるところです。

確かに、愛知用水という題材を修士論文という形に落とし込むためには、先生方の指導もあり、たぶん、それはそれとしてやっていけそうなのですが、はて、本当にやりたいことってなんだろうと思ったときに、結局、下記に要約されるのではないかと思いました。

「開発コンサルタント」論というより、その生き方そのものに、私は一番関心があるし、明らかにして世に問うべきものだと。

べたな青臭い考えかもしれませんが、私は、本気で、今の世界を変えていくことに関心をもっています。ただ、自分が何もしなくても地球はまわっているし、世界はどんどん自分とは関係なしに変容しています。

だが、果たして手をこまねいて世間に流されるだけで、自分は生きている意味はあるのか、自分が生まれてきた意味があるのかと思ったときに、やはり川の流れに棹をさすと申しましょうか、少なくとも自分なりの価値観=「真善美」に基づいて、世界や世間に対してコミットメントしていく必要があるのではないか。

そのよりどころになるのが、自分にとっては、たままた出会って歩いてきた「アラブ・イスラーム」への関心であり、職業としての「開発コンサルタント」というものです。

国際開発コンサルタントの一番の醍醐味を、以前、私は、「大臣まで最貧層まで相手にできる」と看破しました。世界の開発援助の現場で、このような役割を担えるのは、「コンサルタント」という職能者しかありません。

その「開発コンサルタント」の資質として、一番、大切なものは、ずばり、「チェンジエージェント」としての役回りができるかということです。

私は、「優れた開発コンサルタント}=「究極のチェンジエージェント」であるという現場でみてきた諸先輩方の実態(実績)と同時に、そうであるべきという強い個人的な思いがあるからです。

もう少し、話を普遍的なものにすると、古今東西の旅する「職能集団」は、すべからく「開発コンサルタント」としての機能を、常に異郷の地で果たしてきました。

そうです。この「旅する人々」が、ずっと私が子供のころから追い求めてきた憧憬(ロマン)の対象でありました。

これは、私がアラブ・イスラーム地理書に象徴されるような、旅する人々のことを考えれば容易に導かれる簡単な類推であると同時に、歴史的にも事実であると思います。

そして、「チェンジエージェント」のもつ「よそ者性」について、私は一番、関心を持っています。この「よそ者性」こそが世界を変える、いや変えてきたと私は思うのです。

「よそ者性」、それは、広く世界を旅するものが、不断に持つもの。風の人が持たざるを得ない宿命とでもいったものでしょう。

ただ、そうはいっても、その「よそ者性」が、ひとびととひとびとをつなぎ、現状を打破するブレークスルーとなる破壊力をもった「危険なもの」であることには留意をしなければなりません。

大体、預言者は、自分のコミュニティーには受け入れられず、「石もて追わるるもの」であり、いくら正しく、よいことをしたとしても「人柱」とされる可能性が極めて高いもの。

私が、「開発民俗学」などというのは、このチェンジエージェントのもつ「異人性」、「よそ者」と伝統社会との軋轢にこそ、価値と未来への可能性があると信ずるからに相違ありません。

結局、ひとつひとつ実証を重ねていくしかないのですが、ふと、初心を振り返ってみる必要性を、今の時点で感じました。

愛知用水の研究もまた、そのようなところにアドレスしていかなくてはと思います。

雑駁な感想ですが、たぶん、私の研究の最上位目標はこれだという確認でした。

ではでは^^?

2016年3月28日 (月)

地域社会を視る眼…今、コミュニティを考える

2016年3月28日 作成、 2016年3月29日 現在

自分の覚えとして、近年のコミュニティを考えるのにあたって参考になりそうな邦語文献をリストアップしてみました。

1.ソーシャル・キャピタル論

学際的な領域で、定義そのものにもゆらぎがあるように思われる。まずは、近年の各学問分野の到達点を包括的にみたこちらから。

●稲葉陽二/大守隆/近藤克則/宮田加久子/矢野聡/吉野諒三編 『ソーシャル・キャピタルのフロンティア』 ミネルヴァ書房 2011年3月

取り上げられる分野は、全体像:ソーシャルキャピタルとは(稲葉陽二)、政治(坂本治也)、経済(大守隆)、経営・ネットワーク理論(金光淳)、開発論(坂田正三)、NPO/コミュニティ(西出優子)、犯罪(高木大資)、教育(露口健司)、通信情報技術(柴内康文)、健康(高尾総司)など、分野ごとの解説が特徴である。

2.地域をどうとらえるか

2.1 地域社会学

ソーシャルキャピタル論に限らず、対象とされるのは、地域そのものである。俯瞰的に地域をめぐる議論や視角を知るためには、こちらの事典が参考になる。

●地域社会学会編 『新版 キーワード地域社会学』 ハーベスト社 2011年5月

いわゆる大項目事典で、項目ごとの総説とキーワード紹介・関連文献案内となっている。たとえば、1 理論と方法、【総説】、イエ/ムラ論、シカゴ学派、構造分析・・・という感じで、小項目(キーワード)が見開き2ページで解説されている。
大分類を列挙すると、I 理論と方法、II 都市と農村、III 空間と場所、IV リージョンとコミュニティ、V 分権と自治、VI 開発と福祉、VII 土地と環境 となり、和文人名索引、和文事項索引、欧文人名索引、欧文事項索引が充実しており、自分の知りたいキーワードからの逆引きが可能である。

ちなみに、この事典では、「ソーシャル・キャピタル」の独立項目はない。逆にいえば、地域社会研究においてソーシャル・キャピタルという概念自体が新しいものであるということと、今までの地域社会学として蓄積された研究業績を常に振り返る必要があるということがいえよう。

2.2 公共社会学

コミュニティを結果として扱った研究は先に述べたとおり多くのディスプリンからのアプローチがあるが、社会学の視点からコミュニティ概念を探ろうとしたのもが下記である。

●金子勇 『コミュニティの創造的探求 公共社会学の視点』 新曜社 2011年3月

著者の実証的な研究課題は、「「都市化とコミュニティ」、「高齢化と地域福祉」、「少子化と子育て支援」に三分されるが、その根底にコミュニティ社会システム論を置き、経験的に実証可能なコミュニティ理論の探求を心がけてきた」(i 頁)とあり、この著書では、「コミュニティ社会学の探求」から始まり、コミュニティ「の社会学史」、「の応用社会学」、「の社会福祉学」など一貫して、コミュニティを中心に議論している。また、ソーシャル・キャピタルについては、「コミュニティとソーシャル・キャピタル」の一章を割いている。


(この項、続く)

2016年3月21日 (月)

開発民俗学をめぐる冒険 カケラを拾い集める旅

みなさん、おはようございます。

今回は、まったくの裏話のつぶやきです^^?

とある若い仲間が今年の4月からの大学院進学を決めました。その方は、大学時代にスタディツアーでいったとある国で少数民族に行きあい開発と権力について深く感じられ自身でNGOを立ち上げたり、同地で活動する国際機関の現場事務所に頼み込んでインターンをさせてもらったりと、まあアクティブに実践の道を歩まれているわけですが、ふと進学前に、立ち止ったわけなんですね。

それは、自分が以前にフェイスブックに書いた記事をシェア(引用)する形で、今の思いをつづっているわけですが、一言でいうと、その時に感じた自分の想いを深めるために今の行動をしているというわけです。

私も、つくづく、さもありなんと思って、下記のようなメッセージを書き込みました。

「私もブログやホームページを2000年からやっていますが、自分が書いたことって意外と忘れがち。時に道に迷った時に、ふと昔の自分の言葉に励まされるってことはこれからもずっとあるはず。そんな昔の言葉をみて思うのは、結局、自分ってあまり変わっていないなあということ。

生きる上での根っこの根源的な問いというのはたぶん15歳くらいできまっちゃっているんじゃないかなあとも思います。そして自分の問題は、自分よりはるかに優れた人でさえ、私の代わりに解いてくれないということ。結局、自分の宿題は自分で解くしかない。

最後にひとこと。やはり続けていくことが一番大事だと思います。私も46歳にしてようやく、大学院。問題解きのスタートラインに立ったところだと感じています。またどこかでお会いしましょう!」

その絡みで思ったのは、自分の考えや想いは一体どこにあるのだろうということ。

みなさん、日々、いろいろなことを考え行動していると思うのですが、その行動の元になる心で感じたり頭で考えていることって、一体、どこにあるのでしょう。

私は、大学時代、アラビア語の先生から、「情念」という言葉を教えていただきました。でも大体、普段の生活ではそのような言葉は使わないですよね。一体、どんな文脈でその言葉を先生が話されたのか忘れましたが、もしかしたら、それはその先生のお気に入りのキーワードだったのかもしれない。

私も、その後、「情念は時空を超えて」などという風に、知ったかぶりで使わせていただいていますが、何が「情念」を「時空を超え」させるのだろう。

それを考えると、結局、「言葉」と「モノ」だと思うのです。私は、「モノはモノであって、(単なる)モノでない」というような物言いをします。

男の子らしく?オーディオやカメラとかいわゆるギニックが好きなのですが、別に工芸品でなくても人が作ったモノすべてに、それを作った人の想いや思想がこめられています。以前、プラモデルも好きでミリタリーフィギィアもいろいろ研究?しましたが、兵器と考えるとおぞましいのですが、戦車にせよ車にせよ、それぞれのお国柄といいましょうか、明らかに設計思想には哲学があり、モノとしての機能美があり、何にどう使うかはさておいたところでの美しさがあることは間違いありません。

ちょっと脱線しましたが、この15年の自分を振り返ってみると、結局、自分の頭をクラウド空間、ウェブのインターネット上に置いてしまっているような気がします。

なぜ、自分しか関係ないようなことを、たとえばこのブログに書こうとするのか。自己顕示欲?自己満足、人にえばりたい気持ち?ナルシスト、まあ、どれもあたっているかもしれませんが、自分にとっての一番の効能は、頭の考えを「文字」として固定できるというところにあります。

よくノートの効能として、忘れるために書くなどと言われますが、ノートというモノに書いてしまうと、場所は取るし、紛失する、もしくは物理的に処分しなくてはならないときもあります。何よりまずいのは、段ボールに詰めて物置にしまいこんでしまったら、もうその内容も、ノートの存在さえも忘れてしまうのです。

だから私は、ブログなど電脳空間に投げ入れてしまいます。ただ、それにも問題はあってブログにせよホームページにせよ、階層が深くなればなるほど、その記事そのものを探すことが難しくなります。どこかにはある。でもすぐにアクセスできない。ということで、グーグルなどの検索技術そのものが、今日では重要になってくるわけですね。また断線しましたが^^?

いや、ほんと、自分でも確かこんなこと書いたはずだけど、どのブログのどのページだったっけと、探してしまったり、書いてしまったこと自体を忘れてしまっています。でも、私はノートや紙切れに書くよりウェブに残しておいたほうが、まだ探しやすいと思います。

あと、自分がまったく忘れていた記事を、他人のごとく初めて読んだ気持ちになることもまた快感?です。何か、いいこと書いてあるじゃん。って、これを書いたのは俺か!ということが最近ありました。逆に凹んだときには、書いたことが自分を責めたりもします。偉そうなことを書いておきながら、行動や実績が伴っていないじゃないか。穴があったら入りたいと思うこともありますが、それでも、その書き込みを消さずに置いておくと、時間が経ってみたらいつの間にかできていたり、それほど深刻なことでもなかったということもあります。

ともあれ、私が書いた記事は、先日思い立ってブログやHPの記事をプリントアウトしてみようと思ったら、A4で数千枚ありそうです。(印刷用紙が途中でなくなってしまったので、まだ作業中ですが)

さて、そんなに書き散らしたモノは、一体、どの空間をさまよっているのでしょう。たぶん、自分でもとっくに書いたことすら忘れてしまったカケラを拾い集めつつ、また新しいカケラを撒き散らしていく。

たぶんこれからの数年間は、カケラを拾ってはつなぎ合わせて、なんらかの形のあるモノとしていく。そんな過程の繰り返しなのだろうと思います。

そうそう、そのためのプラットホームが「クロスロードオブハッピネス」というホームページです。それが私のコンサルティングのベース基地となるものなので、近日中のオープンを目指します。

ではでは^^?

おまけ。

<私の書き散らしたカケラたち (たぶん開設順)>

一部、更新が滞っているものもあり赤面の至り。でも、この際に、全体構成を考えてやり直します。


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ではでは^^?

2016年1月22日 (金)

【フィールドワーク・現地調査をおこなう上で重要なこと】

私がフィールドワークもしくは現地調査をおこなう上で重要だと考えることを5点あげるとすると、重要度順に下記のようになる。

1)誠実であること、

2)自分の立ち位置=外部者であることの自覚、

3)現地に入る理由が明確であること、

4)地域の重層性を意識し、周辺に目を配ること、

5)偶然を必然にかえる後じまい、が挙げられる。

以下にそれぞれを詳述する。

1)誠実であること:

フィールドワークや現地調査の地域や調査対象(モノ、ヒト、無形文化など全て)、調査目的などがなんであれ、一番重要なことは、調査者が自分自身に対しても現地に対しても誠実であることである。もともとのきっかけが学術研究であれ仕事であれ、調査資金を出すクライアント、調査者である私、調査対象を代表する現地のヒト(ビト)を少なくとも、3者の利害関係が衝突するのがフィールドワークの常である。

その中で、委託者であるクライアント(外部のみならず自分であることも含む)と現地のヒトビトとの間に立つ調査者は、必然的に狭間に立つ存在であり、特に、調査の進捗や結果、目標のためにクライアントと現地のヒトビトとの利害が相反する場合には、自分がどちらの側の人間であるのか思い悩み、他者のみならず自分の気持ちまでも偽らなければならない場面に追い込まれる可能性が常にある。

私が職業として社会調査などをおこなう開発コンサルタントの一番最初に教えられたことは、「うそをつくな」ということであった。

2)自分の立ち位置=外部者であることの自覚:

自分の職場や住んでいるところを調査する場合であっても、フィールドワークや調査というコンテクストにおいては、調査者である自分は、調査対象に対して常に絶対的に外部者であることを自覚すべきである。いくら気心の知れた友達であれ、なんの利害関係もないなかでの雑談・おしゃべりと、フィールドワークの一環であるインタビューの中での会話を同質のものであるととらえることは、事実の誤認のもとであり、時には信義則や調査倫理の逸脱となりかねない。

文化人類学的な長期的な調査や、調査目的を最初の時点で定めようとしないフィールドワークにおいては、調査対象であるインフォーマントとの信頼関係の熟成(ラポール)を、調査を円滑に進めるための潤滑油として推奨する考え方もあるが、特に海外における仕事としての調査やフィールドワークを考える際には、一部の特定のヒトとの過度な親密な関係は調査の全体や、さまざまな利害関係者が同じ地域に重層的に存在する場合においては有害ともなりうる。

特に開発援助などの、外部からの資金や技術を持った専門家の介入の現場では、主に調査のフィールドワークに従事する開発コンサルタントや開発NGOの専門家は、資金提供者であるドナー、業務内容の範囲をきめるクライアントなどの性格により、政府側もしくは住民側など、特定の一部の立場からフィールドワークを行うことがある。その場合に、クライアントやドナーの立場からある方向性をもった調査結果を求められる場合が少なくない。その場合、調査される側にとってみれば、明らかな特定の意思を背後にもった外部者であることは見た目にも明らかであって、純粋な学術研究であっても、調査結果が調査者や調査対象のヒトビトの意図しないところで、特に政治的に使われることは十分意識しておく必要がある。つまり、調査者がどんな意図であれ、調査対象者にとってはいつまでたっても外部者なのである。

またその調査を、調査する側と調査をされる側の、間にたつチェンジエージェントとして、利害対立するとされる両者を‘つなぐもの’として、双方が利用しようとすることは日常的に起こっていることであり、調査者がその渦中に知らず知らずにも巻き込まれていることは決して珍しいことではない。

逆に、外部者として、調査する側、される側の利益の調整や、同じ調査対象の内部での権力関係の調整などに調査者本人の意図をもって介入することも可能である。同時に、「外部者としての役割や介入」を、調査対象のヒトから期待されることは、よくあることでもある。このような外部者ならではの、力の自覚と立場の優位さについて、調査者本人が自覚していることは当然のことであるといえる。

また同時に気をつけなくてはならないのが、調査をする側、調査をされる側と想定されているヒト以外の、双方が意図的にせよ無意識にせよ、外部者にみせまいとするヒトやモノがある可能性が非常に高いことを忘れてはならない。これは、犯罪にかかわることや社会構造など地域の構造的な暴力や、障害者や被差別民の存在など、当面の調査やフィールドワークの対象ではないと、そのことを知るヒトが意図的に隠していることはよくありうる。このように、外部者である調査者が容易に知ること自体が難しい「見えないヒトビト」がいるということを前提に調査対象に向き合わなければならない。

3)現地に入る理由が明確であること:

上記の1)、2)から必然的に導き出されることとして、なぜ外部者である調査者が、調査対象=現地にいなくては、いかなくてはならないのかについて、調査者側に説明責任があることを理解しなくてはならない。自己の研究が目的の場合でも、クライアント、調査者である自分と調査対象との関係について、クライアント、調査対象のヒトビト、そしてなにより自分自身に対して、それぞれ自分自身の言葉で、現地に入る理由を常に考えておく必要がある。

これは、必ずしも一つだけの理由や一つの言葉しかだめという意味ではなく、それぞれの立場のヒトに対して、それぞれが納得できるであろう大義はあらかじめ持っておくほうが、調査者の立ち位置について糾弾されたときに、自分のみならず自分が調査で関わったヒトビトの利益を守ることにつながる場合があるからである。

4)地域の重層性を意識し、周辺に目を配ること:

特にクライアントが自分でない場合、否、自分であっても、フィールドワークや現地調査は、時間とお金の制限を持ったプロジェクト形式でおこなわれるのは通例であり、その調査自体が、その枠内で所与の成果を収めるように、最初から研究や調査の枠組みが決められていることが多い。

その場合に、いくら短期間で、予算的にも行動範囲が制限させられたとしても、一フィールドワーカーとしては、調査対象の、全体的な理解が求められる。

ここでいう全体的とは、理性的かつ論理的な意味での、調査目的や調査対象と当初定めた対象を取り巻く物理的なモノ、ヒト、コト、そして忘れてはならないのが、その同じ場所におけるトキ(時間)という四次元的な理解、さらには身体感覚、いわゆる視覚、聴覚、触角、味覚、嗅覚など五感を通じた調査対象の理解である。

どうしても現地滞在期間が短い場合、現時点でも、ヒト、モノ、コトの観察や調査だけに時間を取られ、それ以上の想像力を働かすことは困難であるが、まさにその場所で過去に何があったのかを知ることが、現状を理解するのに決定的な裏付けや理由である場合が少なからずある。特に、現時点で見えないヒトは、過去の何かがきっかけで、その場における存在を、現状をみせようとするヒトに意図的に不可視化させられている場合が多い。

また、五感に代表される身体感覚については調査や研究のアウトプットとしてあらわされることはあまり重視されていないが、クライアントやその他、調査結果をシェアしたいと思う外部の人たちに対して、臨場感やリアリティの再現という意味においては、圧倒的なわかりやすさとなる。

全体的な把握というものは、現地に行くことができる調査者にしかない特権でもあり、いかなる調査の枠組みであれ、調査者が意識しておくべきことである。

5)偶然を必然にかえる後じまい:

調査や研究が、そもそもプロジェクトという枠組みをとる限り、調査対象との接触は、原則、一期一会のものとなることは必然である。もちろん、研究者や職業調査者の場合であれ、同じ場所に時間をおいて、何度も訪問して継続的な調査を行う場合や、違う調査でもたとえば対象機関レベルでの担当者として10年、20年と人間関係を続けていることは全然珍しいことではない。

ただし、調査やフィールドワークのあり方によっては、調査対象から二度と来てほしくないと拒絶される場合が少なからずある。そもそも、調査対象の選定、その調査やフィールドワークにいく調査者が選ばれたこと自体、偶然であり、調査対象との関わりも、その時にたまたまの偶然で重要なインフォーマントにあったりあわなかったり、調査のプロセス自体も計画通りにいかず偶然に左右されることが通常である。その中で、出会ったヒトビトに対してできることは、1)誠実に、2)自分の外部者として立場を理解してもらったうえで、3)現地にそれなりの正当性を持って入り、4)公正で公平な外部者としての分をわきまえることが、結果として、このヒトにあってよかったという調査対象のヒト、モノ、コトに対しての誠意となりうる。

結局、とどのつまりは、ヒトとしての付き合いが求められているのであり、調査者や研究者である以前に、生まれや育ちがいくら違ったとしても、一人の人間であるという共通理解なくしては、フィールドワークや調査はなりたたないと私は考える。

それが、たとえ偶然の出会いであったとしても、結果として未来からみたときに、必然の出会いであったと調査者本人にとっても調査対象のヒトにとっても、互いにそう思えることは調査者冥利につきるであろう。

少なくとも、一期一会の偶然は、双方にとって貴重な必然であったと思えるようなフィールドワークや調査を心がけるべきである。

2016年1月22日 柴田 英知

2015年12月 3日 (木)

国家による大規模インフラ事業についての一考察

これは、大学院の予備校の論述力強化という講義の課題として書いた研究計画書の骨子をタイプしたものです。2015年12月2日 16:00~17:30 原稿用紙に手書き。

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課題:大学院入学後の研究テーマと意義 (1,000文字)

「国家による大規模インフラ事業についての一考察」

 私は、国際開発学における国家(政府)による大規模インフラ整備に関心があります。自分自身、1992年から2008年まで、農業土木を専門とする民間開発コンサルタント会社に勤務し、多くの国で政府開発援助(ODA)による地域開発の調査・計画・設計・施工管理(工事)の各段階の具体的なオペレーションを経験してきました。開発途上国の具体的な地域・コミュニティに対して、国家による社会基盤整備としてのインフラ建設と、国内外のNGOによる中小規模のコミュニティ開発は、共に開発援助と呼ばれています。年代ごとにその戦略や手法に変化がありますが、基本的な枠組みとして、時間と予算が定まったプロジェクトとしての地域社会への介入行為であるといえます。

 私の研究テーマは、日本の戦後復興事業として昭和30年代に世界開発銀行の融資案件として日本の農林省が実施した愛知用水事業に関わった地域住民、日本政府、そして世銀などの内部、外部アクターの具体的な行動とつながりを検証することにより、大規模インフラ整備の実体を明らかにすることです。

 先行研究を述べますと、ODAなど国家主導によるインフラ整備により地域開発については、対象範囲が広大であるため、政治や経済面からのマクロな実証研究が多い。大規模なインフラ整備による地域住民への不利益を告発するNGOによる研究は、取材源は不利益を受けた住民が主体であるため国家の意向や実際に国の出先機関で住民と接している公務員との具体的なやりとりを配慮したものではない。ODAの一部やNGOによる中小規模な農村開発プロジェクトの当事者による実践研究にはプロジェクト内部の詳細と具体的なアクター間のやりとりついても報告した実証研究は数件あるものの、国家による大規模インフラ整備とは、事業対象地域の広さや影響を受ける人口、投入の大きさについて大きな差異があり、それらの中小規模事業の経験から得られた教訓はそのまま採用するわけにはいかないという側面があります。

 本研究では、大規模開発事業の構想段階から実施に移されるまでのプロセスをアクター個人の動機、相互の関係、全体における役割を生存する関係者から再構成し、事業遂行のメカニズムを明らかにします。また、公共事業と住民とのかかわりについて新しい視座を提供します。

(原稿用紙25文字×40行)

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ちなみに、この課題の構成についての指示事項は下記のとおりです。

(ポイント:構成例)

第1段落: 関心のある領域

第2段落: 研究テーマ/目的

第3段落: 研究テーマの補足説明 (先行研究、独自性)

第4段落: 研究の意義 (学問的意義、社会的意義)

構成から1時間半で考えて原稿用紙に書き付けるわけですが、ワープロではないので修正は消しゴムで文章を消して、書き直すという繰り返しで、時間一杯でなんとか制限文字数の中に収めました。

細かくみていくと気になるところもありますが、そういう勢いで書いた文章なので、ひとつの演習課題として、そのままの文面を公開します。

以上

2015年9月27日 (日)

人生の究極の目標・・・自分ブランディング再考

みなさん、こんにちは。

ご無沙汰しております。久しぶりに新しい記事を書きます。

今、同時並行で3つのプロジェクトをまわしているので、ごだごだと前置きばかりを綴っている余裕はありませんが、改めて自分のミッションというのを確認してみました。


1.人生の究極の目標(大目標)

世界に通用する自立した裸足の研究者になる。

※‘裸足の研究者’とは、鶴見良行が1970年代の後半からPARC(アジア太平洋資料センター)のアジア塾(アジア研究会)で育てようとした「自前の研究者」のこと。(鶴見良行『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995 の全体および村井吉敬の「解説に代えて」p221を参照のこと。)

だたし、私にとっての‘研究者’の意味は、「知は力なり、。ただしそれは開かれたものではならない」という自分の信念を実現できる存在であるということで、職業や肩書のことをいうのではありません。


2.そのために必要なこと。


2-1 その時々に出来るベストをつくす。 【大前提】

全ての行動原理の根本におく。限られた時間とリソースを最高のパフォーマンスにつなげる。


A.継続するために・・・自分であり続けるために。 


2-2 健康であること。【普段】

糖尿病の気があるので、ヘモグロビンの数値が標準以下になるまでは禁酒する。
そして日々の体力づくりと、メンタルケアに努める。


2-3 誰のために何をやっているかを常に意識すること。【普段】

私欲に固執してひとりよがりにならないように気をつけ、自分の言動に責任を持つ。


2-4 目先のことに一喜一憂しない。【普段】

全てのことは必然であり、まぐれや偶然はないと思うこと。あと、お金は絶対に簡単に片手間で簡単に稼げるものではないことを肝に銘じておくこと。


B.世界に通用するために

2-5 英語で発信ができるようにすること。【10年以内】

世界に通用するためには英語で論文を発表できるようにアカデミックライティングやプレゼンテーションのテクニックを身につける。


C.自立するために(経済的に、精神的に)

2-6 複数の生計手段を持つこと。【3年以内】

1.ウェブショップのオーナー
2.セミナー講師
3.共同事業の推進プロジューサー


D.裸足の研究者(=意に沿わない研究をしない)であるために

2-7 経済的に自立していること (2-6がベース)

2-8 権威や権力に対しておもねることなく一定の距離を保つこと 【普段】

・誰からもなにものからも常に学ぶ気持ちを持ち、自分の間違いについてはあやまり改める勇気を持つこと。

・先入観や思い込みで人を判断せずに、誰に対しても分け隔てなく付き合うこと。

・義理人情は大切。しかし金の貸し借りは絶対にしない。※貸したお金は戻ってこないものと思うこと。

以上は、大目標を中心とした3×3の9つの升目(グリッド)に入れることができます。

そして、それぞれの項目(2-1~2-8)を実現するために、それぞれの項目をさらに9つの升目にいれて、より深く具体的な達成手段を検討し、行動計画に落とし込んでいきます。

ではでは^^?

2015年6月24日 (水)

博士論文までのロードマップ 2015年6月24日現在

みなさん、こんばんわ!

今、大学院進学のための研究室訪問を再開したのですが、先生にアポをとるのに自己紹介と研究計画を事前にお伝えしないといけません。その作業の中で、研究計画を見直す機会がありましたので、編集の上、下記に転載しておきます。
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○○先生


お世話になります。岡崎市在住の柴田英知と申します。

今まで、1992年から2008年まで、開発コンサルタント会社で、主に政府開発援助による海外の農業インフラ整備の仕事に携わってまいりました。私自身は、大阪外国語大学のアラビア語の出身で、理系のエンジニアの人たちと一緒に、主に社会開発の分野で業務をしてきたのですが、家庭の事情もあり、2008年に、2004年3月から2008年6月までのフィリピンのマニラ事務所駐在の任が解けたのを機に、地元の愛知県にもどってきました。

愛知県では、ボート用品のウェブショップの営業企画(5年間)や、NGOの研修スタッフ(公益財団法人アジア保健研修所)で1年2ヶ月などの仕事をしてまいりましたが、今年の春に契約が切れたのを機に独立して事業を行うとともに、大学院の進学を検討しております。

もともとは東西交流史で中世地中海のシチリア島の歴史をやろうと思っていたのですが、大学卒業時に大学院進学ができなかったため、開発援助の実務を経験しての再度の研究者への挑戦となりました。

今時点の問題意識を後述しますが、自分の事業を抱えての院生となりますので、物理的な時間等についてもいろいろ制約条件もあり、修士の2年はともかく博士論文に至るまでにはかなりの長期戦になることを覚悟しております。

以下が研究課題です。

■研究課題の一覧(2015年6月24日現在)

■研究領域: 開発人類学、異文化コミュニケーション

●大テーマ: イノベーション普及論 (エベレット・ロジャースの研究を踏まえて)

1)地域の重層性(自然・社会・文化・歴史・人種/民族など人間にかかる全てにかかる領域)と、2)異文化接触のメカニズム(接合・コンフリクトなど)を歴史的、地域的に分析・分類して、3)事実に基づいた地域共生/共存のあり方を明らかにする。

※これが、私が生涯をかけて終始、一貫して追求していきたいテーマです。

●中テーマ: フィリピンミンダナオの民族文化と開発(仮題)

東南アジア島嶼部(具体的には)フィリピンのミンダナオにおける地域の重層性を明らかにした上での、開発(援助)の諸相について報告を行なう。地域は中部ミンダナオ地域で、年代は1800年代より2000年以降まで。具体的なプロジェクトとして、日本の円借款で実施されたマリトゥボク・マリダガオ灌漑事業(リグワサンマーシュ北部。ピキットとコタバトの間にあります)を取り上げ、その開発計画の前史から、その進捗過程と、周りの地域や他の開発プロジェクトへの波及効果についても明らかにする。

■期限: 2021年3月

※博士論文としてまとめることを考えています。修士課程を除いて、少なくとも3年はかかるのではないでしょうか。修士課程では、別途、記載する小テーマにそって基本的なところをまとめていきます。それが、博士論文の前半の3分の1くらいの内容になる(する)つもりです。

特にミンダナオについての資料は、日本の研究者については、それなりに目配りをしているつもりですが、フィリピンでしか手に入らない文献資料や、現地の踏査、現地調査(インタビューなどを含む)のため、フィリピンには、少なくとも3~5回は、足を運ばないといけないでしょう。それを考えると、年に2回、フィリピンに通えたとしても最低3年かかります。当然、修士課程の時点から、前倒しで現地調査をしていく必要があります。

●小テーマ:

修士論文:フィリピンにおけるコミュニティ認識と外部者の役割(ミンダナオ開発における当事者の意識と開発推進者(トラベリング・エンジニア※開発NGOスタッフを含む)との交流を中心に) (仮題)

※調査方法の詳細については、研究計画書にまとめる予定です。

その修士論文を書く前提の基本理論の整理として、修士論文とは別に次の論考を発表することを考えています。

その1:「イノベーション普及論」の開発学研究における今日的な意味とその課題(仮題)

・E. ロジャーズの「イノベーション普及論」の、特に「普及研究の歴史(原著第5版の第2章)」及び「普及研究の貢献と批判(同上 第3章)」は、三藤利雄の和訳(2007)では「普及論の研究者としては読んでおくべきものであろうが、その他の分野の研究者あるいは実務家にとってはそれほどの必要性はない」との判断で訳出されていない。

その未訳部分をレビューすることにより、1)ロジャーズが第5版を執筆した2003年までの研究の流れを概観し、その問題意識を踏まえつつ、2)日本における「イノベーション普及論」研究の動向(2003年以降の動きも含む)を学問分野を問わず概観する。その上で、3)日本の開発学研究における「イノベーション普及論」の重要性と課題を明らかにする。

■調査方法: 日本語の書籍を中心とした文献調査

■期限: 2015年8月末 → 国際開発学会全国大会(例年10月末頃)で発表する。

その2:総合的地域研究と地域開発の接点~地域の重層性認識における日本のアカデミックな研究と実践の振り返り~(仮題)

・私が大学生時代に垣間みた「イスラームの都市性」(1988~1990)研究以来、日本の学界を挙げて文部科学省の予算で世界の各地域を対象とした学際的な総合的地域研究が行なわれてきたが、果たして開発援助の現場に、その日本の研究者の膨大な知見が反映され、または生かされてきたのか?さらにいえば、学界と開発援助業界の間でイントラクティブなやり取りが果たしてあったのであろうか。この10年ほどはその教育機関を修了して業界へ入ってくるものが多いが、基本的に現場の人間と学界の人間との交流は「個人的なつながり」でしかあり得なかったのはないか。

(アジア経済研究所の佐藤寛(前国際開発学会会長)が中心になってすすめた「開発援助と人類学(勉強会)」(1994年2月~2008年4月)には、2000年以降、数回参加している程度ではありますが、この勉強会の重要性は十分に認識しております。)

そのような問題意識を元に、1)世界の主に開発途上国といわれる地域を対象とした大型の総合地域研究のリストアップと、2)実際に研究会を指導したリーダー達の回想記なども引用しつつ、3)それらの日本の総合的な地域研究が示した地域の重層性のモデルのいくつかを提示する。

■調査方法: 公刊資料等の文献調査/研究者へのインタヴュー

■期限: 2016年8月末 → 国際開発学会全国大会(例年10月末頃)で発表する。

以 上

2015年5月29日 (金)

コミュニティ再考・・・地域の重層性との絡みより

キーワード: コミュニティ、ソーシャル・キャピタル、
【コミュニティ論の現在】

イノベーション普及論研究にあたって、まず必要なことは基礎的な用語の定義と、その内容の再確認であろう。

私の最大の関心は、地域の重層性と、そこに生きざるを得ない人々の共存の実践と思想を明らかにすることである。

つまり、世界は決して一面的なものではなく、少なくともその人間集団の居住単位の「コミュニティ」をそのまま所与のものとして議論を進めることはできないと考える。

コミュニティを考える一つの基本的な文献として、金子郁容他編(2009)での議論を参考にする。同時に、「ソーシャル・キャピタル」についても考察しているので、併せて参考にする。特に政策概念としてのソーシャル・キャピタルについて、各国・機関のソーシャル・キャピタル計測にかかる動向および主な指標を一覧していることは興味深い。(第2章)

また同書では、「複合型コミュニティモデル」と「コミュニティ社会基盤」という‘モデル’と‘ツール’を設定している。(第3章)

そして金子らの最終的な関心としては、上に2つ上げたモデル(概念)のまちづくりとコミュニティづくりへの活用がある。当然の帰結だとは思うが、わたしとしては、そのモデルやツール自体について、もっと具体的な考察を行いたい。

○金子郁容、玉村雅敏、宮垣元編著 『コミュニティ科学 技術と社会のイノベーション』 勁草書房 2009年11月

【コミュニティとその個人への介入の研究:コミュニティ心理学について】

コミュニティ心理学はアメリカに発祥したが、日本にもほぼ同時期に同じ問題意識を共有していたと安藤(2009年3月)はいう。安藤もまずコミュニティの定義から確認しており(第1章)、その部分も参考になる。また、「介入」にかかる分析はイノベーション普及学を考えるうえでも直接に関連するであろう。特に、マレルによる「(6つの)コミュニティ介入の類型」の表は参考になる。

ただし、後半の実例は心理学のフィールドに特化しているため直接に参考になるわけではない。またこの「コミュニティ心理学」というキーワードから福祉の現場実践の中でもまた大きなキーワードであることがわかった。改めて福祉分野の研究動向も視野に入れないといけないと実感した。

○安藤延男 『コミュニティ心理学への招待 基礎・展開・実践』 新曜社2009年3月

○マレル,S.A. 安藤延男(監訳) 『コミュニティ心理学』 新曜社 1977

以上
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