miki 「海洋民俗学~海からみる世界」

2009年11月 3日 (火)

道はまだまだ遥かかなた。でも、まず一歩から踏み出そう!

ということで、今回の大阪行きの収穫の2つ目は、海洋民俗学関係の専門書を「阪急古書のまち」で古本屋めぐりで偶然にも漁れたこと。ゲットした本は下記のとおり。

○田辺悟 『海浜生活の歴史と民俗』 慶友社 考古民俗叢書 2005 (13,000円+税)
○野本寛一 『海岸環境民俗論』 白水社 1995 12,000円(税込)

両方とも新古というか古本で買ったからまだしも、う~ん、実は、非常に高い買い物でした。

でも「海洋民俗学」をやると宣言してしまったからには、これらの専門論文集に食らいつかないといけないというか、実際に手にとってみて、これは手元において(読まねば)と、直感した次第。

ちらっとみただけですけど、非常にそそられる本です。両方共に今までの研究史が載っているのが非常にうれしい。

ともかくこれらを足がかりにすれば、すくなくとも2005年までの研究成果は概観できるはず、ということで、これからの「海洋民俗学」の研究の弾みになりそうです。

あと、この2著をみて思ったのは、野本先生はともかく田辺先生は、この道で一筋で45年もやっているのに、私は、「開発民俗学」とか「アラブ・イスラーム地理書・旅行記」もやるといっている点。

でも私には私にしかできないことがある。この3つは、それ以上の多くの興味(単なる浮気心)を削って絞り込んだものなので、きっちりとやってやりましょうと、改めて気持ちを引き締めています。

ふんどしを締めなおすというか、もうこれだけ投資をすれば、もうやるしかないというところで、ミクシイのコミュも盛り上げていきたいと思います。

といったところで、2つ目の収穫の報告は終わりです。

ではでは^^?

P.S.

mixi「海洋民俗学~海からみる世界」のアドレスはこちらです。(ミクシイのメンバーでないと見ることができません。関心のある方はしばやんまでメールください。)

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4578156

ではでは^^?

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2009年10月10日 (土)

フィリピンにて改めて海を考える 「海への憧れ (その2)」 2004年9月2日

さて、フィリピンに住みだして約5ヶ月がたつ。フィリピンは日本国土の8割の面積をもつと大小7000もの島からなる東南アジアの代表的な島嶼国家だ。確かに、アジアの島嶼部での仕事についたのは、2001年の東チモールが初めてだが、1992年にヨット部の仲間とタイからシンガポールまで卒業旅行で周ったときから、海とそこに暮らす人たちに関心を払ってきた。特にプーケット島で初めて感じた南の海の美しさは本当に忘れられない。

大学時代に淀川の河口で下水みたいに汚れた海でヨットを練習していた身としては、南国そのもののヤシの木と白浜を見た日にはまるで別世界かのように思えた。しかしながら、ほんの100年前までは、日本も世界有数の美しい浜をもつ島国であった。

陸地を海から眺めてみると何がみえるのだろう。どう考えても大陸の陸続きの国々と海に浮かぶ島々の社会構造は全く異質のものに思えてくる。地球の7割が海であるというのに、(くしくも人間の体の7割は水分である)私達は、その存在をあまりにぞんざいに扱ってきたのではなかろうか。

 フィリピンにきて早々に鶴見良行氏の『東南アジアを知る』という岩波新書を読み返してみた。もう5年ほど前に読んでいたはずだが、今回は、なぜか印象が全く違って迫ってきた。アメリカの国籍をもち東京大学の法学部という学歴を持ち、国際文化会館の企画部長という西欧のエリートと日常的にやり取りする立場にあったはずの鶴見氏は、1965年にべ平連の運動に参画するアジアを意識するようになる。

彼は、1970年に44歳からこのフィリピンからアジアを本格的に歩きだしたといってよい。彼が最初に取り上げたバタアン州のマリベレス保税(輸出)加工区(ここは、くしくも太平洋戦争時のバターン死の行進の出発地点でもある)やスービックの米軍基地跡地については、実は私も実際に休みに行って来た(通った)ところではないか。岩波新書で1982年に出版された『バナナと日本人』の舞台のミンダナオ島なんて会社が長年、仕事をしてきたところではないか。実際、私も7月に1週間ほどダバオとコタバトと現地調査に行ったばかりだ。

「鶴見さんが歩いた道を、30数年後に自分も歩いている。」何かそんな気がして、鶴見氏の存在自体がとても他人事ではなく思えてきた。

その気で手元の本を読み返してみると、「歩く仲間」の大先達として尊敬する、宮本常一氏も日本史家の網野善彦氏も最終的には海から日本や世界を見つめ直そうとしている。網野氏本人が、宮本氏と鶴見氏にかなり近いところにいたことは、『歴史と出会う』という新書にふれられている。

さらに傑作であったのが、鎌田慧氏が、1984年に『アジア絶望工場』というルポルタージュの中で、「《特別対談》アジアの民衆と日本人」というタイトルで、鎌田慧氏と鶴見良行氏が対談を行っている。しかも、その話題の中で、鶴見氏が、東京外国語大学の三木亘先生から、家島彦一先生のダウ船の論文をもらったなどと話しており、私は思わずうーんと唸ってしまった。私の尊敬する5名(Giant Stepsを参照)のうちの3名がすでに1984年の段階でクロスオーバーしている。もう20年以上も前である。まるで関係のないような分野の人たちでも、なぜか互いに惹かれあうものがあったということであろう。私の人間関係にとっても、まるで別々のルートで知った人たちが、実は、私などが知る数年も前から知り合いであった。本当に、人の縁の不思議さを感じる。家島彦一先生とは、1990年頃に、鶴見良行先生とも、1990年にはじめて、全く別の場所でお会いしている。(「歩きながら考える008」および「地球環境論」の項目を参照。)

それはともかく、今回、しばやんの本棚に「フィリピン・アジア島嶼部関係」という項目を新たに設けることにした。東チモールからたまたま入った東南アジア島嶼地域の世界。天の意思というか、まったくこれまでパズルとも思っていなかった断片断片が、今になって急速にパズルとしての全体像を結ぼうとしているような気がする。当然、まだまだ欠けている断片があるのは当然のことだが、それは今度のお楽しみということで。

しかし、フィリピンに駐在になって、仕事としては、全くイスラームから離れてしまうのかなと、実はちょっとがっかりしていたのも本音だが、まさかミンダナオ島のイスラーム教徒地域の開発というテーマで、まだまだ新たにイスラームにかかわりあうことになるとは。本当に天の配材というか、塞翁が馬というべきか、まさに‘海’がつないだ‘縁’としかいいようがない。

私は、海の人と山の人と平地の人は、かなり違った価値観をもって生きてきたし実際に今でも違うのではと感じている。別のところでも書いたが、マニラというかフィリピンのあちこちで見かけるマリア像と海の関係など、非常にいろいろな疑問やなぜがいっぱいで、本当に見るもの触れるものが新鮮で、本当にわくわくしている。特に{宗教と開発}の関係について、多分みんな重要と感じてはいるだろうが、具体的なモノグラムとしての経験なり体験を踏まえた研究はまだまだ世にそれほど多くないのではなかろうか。

参考:

Giant Steps: http://homepage1.nifty.com/arukunakama/gsteps.htm

「フィリピン・アジア島嶼部関係」 @ 『しばやんの本棚』:http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blistpa.htm

「歩きながら考える008: 「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて 2000年2月5日」 : http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm

「『地球環境論』とその周辺(大阪外国語大学1990年度講義)」: http://homepage1.nifty.com/arukunakama/h0003.htm

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