開発民俗学・私論

2009年11月 8日 (日)

‘ジャム’セッション ~‘場’をつくるということ

というテーマで、文章をまとめようと思っています。とりあえず今日は時間をかけられないのでメモ書き程度にとどめます。

・壁を作らない。

・つなげる(あるものを)

・(市民を)巻き込む

・その場所に関わるということ

・風の人、土の人

・その(土)地から始める。

・‘場’を作るのは‘人’そのもの。

・‘人’から始める地域づくり。

・外部者の役割 

・現状分析(フィールドワーク)と関係作り(ファシリテーション)

・優れた開発コンサルタントは例外なく卓越したファシリテーターでありフィールドワーカーである。

・ある場所から始めよう。

附論:

まちづくりにおけるファシリテーター論

実はまちづくりや開発教育の分野ではあたりまえのことであった!

○対談 平山恵 清水義晴 『ファシリテーターのための入門書 ワークショップは宝の山 ~国際協力からまちづくりまで~ 』 パラダイムシフト文庫1 1998年

○森良 『新版 ファシリテーター入門』 エコ・コミュニケーションセンター 1999

※参加型開発を語る際に、ワークショップ、ファシリテーターは必要不可欠な要素。そこにフィールドワークの手法を持ち込むことは、経験のあるファシリテーターは無意識に‘比較’という手法を使って地域やワークショップの参加者の現状分析を行っている。

私の経験から:

Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語)
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として) 200354http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

『開発コミュニケーション』をめぐる課題 200354http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000192.htm

第5回 NGOカレッジ 「参加型開発と私たち」 シャプラニール 定松栄一さんの講座を受講したこと。←これは結構大きい。平山さんにもこの講座でお会いしている。

(とりあえずここまで) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 3日 (火)

道はまだまだ遥かかなた。でも、まず一歩から踏み出そう!

ということで、今回の大阪行きの収穫の2つ目は、海洋民俗学関係の専門書を「阪急古書のまち」で古本屋めぐりで偶然にも漁れたこと。ゲットした本は下記のとおり。

○田辺悟 『海浜生活の歴史と民俗』 慶友社 考古民俗叢書 2005 (13,000円+税)
○野本寛一 『海岸環境民俗論』 白水社 1995 12,000円(税込)

両方とも新古というか古本で買ったからまだしも、う~ん、実は、非常に高い買い物でした。

でも「海洋民俗学」をやると宣言してしまったからには、これらの専門論文集に食らいつかないといけないというか、実際に手にとってみて、これは手元において(読まねば)と、直感した次第。

ちらっとみただけですけど、非常にそそられる本です。両方共に今までの研究史が載っているのが非常にうれしい。

ともかくこれらを足がかりにすれば、すくなくとも2005年までの研究成果は概観できるはず、ということで、これからの「海洋民俗学」の研究の弾みになりそうです。

あと、この2著をみて思ったのは、野本先生はともかく田辺先生は、この道で一筋で45年もやっているのに、私は、「開発民俗学」とか「アラブ・イスラーム地理書・旅行記」もやるといっている点。

でも私には私にしかできないことがある。この3つは、それ以上の多くの興味(単なる浮気心)を削って絞り込んだものなので、きっちりとやってやりましょうと、改めて気持ちを引き締めています。

ふんどしを締めなおすというか、もうこれだけ投資をすれば、もうやるしかないというところで、ミクシイのコミュも盛り上げていきたいと思います。

といったところで、2つ目の収穫の報告は終わりです。

ではでは^^?

P.S.

mixi「海洋民俗学~海からみる世界」のアドレスはこちらです。(ミクシイのメンバーでないと見ることができません。関心のある方はしばやんまでメールください。)

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4578156

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月23日 (金)

「開発ファシリテーションとフィールドワーク(FAFID)」 第10回勉強会 参加しました^^?

前から言っていましたが、ようやくというか初めて標記の勉強会に参加することができました。しかも第10回勉強会ということで、主宰の日本福祉大学の小國和子先生の、報告1「場を成す人々への注目 → 発表の題目は、フィールドワークがアクションになる場で -開発援助の現場におけるアクターの相互作用への注目-」という今までの勉強会の総括的な発表と、関西学院大学の吉野太郎先生の「震災後神戸の支援現場から:緊急支援から多文化なまちづくりセンターへの変遷とターニングポイント」という2本立ての発表がありました。

いずれも熱のこもった発表で、非常に学ぶ点がございました。しかも今回は、国立民族学博物館の鈴木紀先生と、日本福祉大学の穂坂光彦先生らのコメントや参加者の質問やコメントもあり、学界側の見方?も感じることができました。

でも重ね重ね思うことは、開発援助の現場と学界の乖離というかその距離感でした。3分間のコメント発表では全然、語れませんでしたが、自分の考えたきたことと勉強会の方向性の近いところと、やはり前提条件の立て方の違いからくる距離、でもその違いや距離なりがわかったことでどこに私が橋をかければよいのかがみえてきたともいえます。

まあ不十分なコメントなので、語れなかったことは別途、歩く仲間の記事として取り上げていきたいと思います。

とりあえず明日も仕事なので筆をおきます。

非常に満足な勉強会でした。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月12日 (月)

「世間知らずはまだ許されるが、世界知らずは罪ですらある」 リトルワールド散策レポート(その1)

昨日、歩く仲間オフ会第1弾である野外民族博物館リトルワールドの散策に‘ひとり’でいってきました。

結局、メンバーが集まらなかったということですが、ひとりだったので、オフ会の‘下見’ということで第0回ということにしておきます^^?

Pict0136

さて、もう10何年かぶりに行ってきたのですが、結論から。

「世間知らずはまだ許せるが、世界知らずは罪ですらある」というのか私の今回のリトルワールド散策で気がついたことです。

どういうことか。

昨今、これほどメディアが発達し、地球の裏側のニュースが瞬時に映像で伝わってしまう現代世界に生きるわれわれは、もっともっと世界に対する関心と責任を持たなければならないということです。

‘世間’があっての‘世界’があるのではなく、‘世界’があるからこそ‘世間’があるのだと思います。つまり、世界、この場合、社会と読み替えたほうがよいかも知れませんが、‘世界=社会’があるからこそ、‘世間=社会規範’があるのです。

特に、若い人は、世間知らずでもいい、というか知らなくて当たり前です。ただ心は‘世界’に開いておいてほしい。

郷にいらずんば郷に従えといいます。‘世界=社会’によって‘世間’の常識は違っていて変わっていて当たり前なのです。

その原理さえわかっていれば、別に日本の‘世間’に生き難さを感じる必要はありません。私は16年間、多くの地域・国で仕事をしてきました。フィリピンにも4年3ヶ月、駐在員として住んできました。

結論は、それぞれの場にふさわしい立ち居振る舞いをせよ。ということです。日本では、日本の‘世間’にあわせる(たふり)をすればよいのです。

まず、前提は、世界は違うということ。それはかなり恣意的にゆがめられたものであることを実感として胆に命じること、というか感じるしかないのでしょうね。実際には。

世界の民族博物館ということで、このリトルワールドには、いわゆる少数民族や極限に生きる人たちの住居が村のごとく、ピンではなく、もう少し広い範囲で復元されています。

Pict0192

欧米のキリスト教徒という‘異教徒’に征服されて絶滅させられた種族や民族の住居をみると本当に涙がでてきます。

宣教というプロパガンダの元に、いかにひどい侵略と略奪がおこなわれたのか。

独りよがりの‘正義’や‘良心’がいかに、異なる人たちを壊滅まで追い込んでしまったのか。欧米の知識人に、どこまで自分の立っている大本に暴力と傲慢があるのかを自覚して気がついている人がいるのでしょうか。

サイードがオリエンタリズムをいったところで、結局、本質的に自分を絶対安全圏の知的特権階級においている人は、多分、死ぬまでわからないのでしょう。

ともあれ、われわれはさいわい、ほどほどに理知的であり感覚的です。はっきりいって、理知的に論理的にというより感情に流され、日々を生きています。

そんな普通の人の感覚を共有すること。これを、文化人類学者の片倉もとこ先生は、「平のひと」の感覚と呼び、普通の人を、その‘生きる社会そのものの中’で捉えることを提唱されました。

これを、「ホーリスティック・アプローチ」と呼びます。

分断して、細かくして世界するというアプローチは、依然として有効ですし、この日本でも男性的な‘会社’社会では、それなくして回らないのは周知のとおりです。

しかし、‘会社’の逆さ読みが‘社会’ではありません。これは当たり前のことですよね。

‘社会’あっての‘会社’であり、その逆は絶対にありえません。

男の‘会社’に対する女の‘社会’、老人や子供の‘社会’、そういう全ての清濁併せ呑むのが‘文化人類学’や、‘民俗学’的なアプローチです。

あと、リトルワールドで思ったのは、人間、五感を使って‘世界’や‘社会’を見なければならないということ。

Pict0224

「神々は細部に宿る」といいますが、細かいところに気がつかずして‘人間’や‘社会’の理解はありえません。

野外展示の家屋や、その庭先を見つつ、結局、400枚くらい写真を撮ってしまいました。つまり、それだけ私には‘発見’というか‘気になる点’があったということです。

私が、こういう風景をみて、何を感じたのか。たぶん言われるとあ~あということばかりだと思いますが、ぜひ、‘歩く仲間’達とシェアーしたかったですね。

まあ、今回は‘下見’で第0弾なので、次回の第1回も同じフィールドで開催しちゃいましょう。

11月か12月に実施したいので、関心のある方は、メッセください。

日程を決める際に優先的にご希望を伺うようにいたします。

とりあえず、レポート(その1)ということで。

ではでは^^?

(この項、了)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月10日 (土)

いわゆる京大スクールについて<覚書>

最近、どうも京大スクールの地域研究グループのことが周辺で話題になるというが自分の眼の届く範囲に頻繁に登場するので、ちょっとしたメモを残したい。

以前、梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』が私の知的?生活の始まりと書いたが、今、自宅に戻って実際に読書記録の「京大カード」を手に取り直してみると、間違うことない、「1986年12月7日」が000番で、それがまさにこの書名が記載されていた。

もう22年も前のことになる。ちょうど高校2年生の冬の話。確かこれをきっかけに1年間に100冊の本(雑誌を除く)を最初から最後まで読むということを目標にしてやってきたのだが、確かに数年前まで、そのペースを保っていた。(十何年か前からパソコンで読書管理をしてきたのだが、ファイルを壊してしまったこともあって、この数年は記録をしていない。)

57冊目 1987年7月10日 読了 本多勝一 『戦場の村』 朝日文庫 1981

59冊目 1987年7月12日 読了 本多勝一 『殺される側の論理』 朝日文庫 1982

64冊目 1987年7月16日 読了 鎌田慧 『現代社会100面相』 岩波ジュニア 1987

66冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『殺す側の論理』 朝日文庫 1984

67冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』 朝日文庫 1984

68冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『事実とは何か』 朝日文庫 1984

74冊目 1987年8月26日 読了 岡倉古志郎 『死の商人 [改訂版]』 1962 

ちょっと脱線したが、この記録を見返すとすごい。私の問題意識は、高校時代に既にインプットされていたようです^^?

閑話休題。

私の研究スタイルがどうも京大学派にあるらしいということで、京大の人物列伝。こんな本を読むと京大人脈の一端がうかがわれるのではないかということで、今手元にある内幕暴露的な本の書名をちょっとだけ紹介。

○藤本ますみ 『知的生産者たちの現場』 講談社文庫 1987

※梅棹忠夫氏の秘書による京大人文科学研究所の人物とその現場の空気を伝える。(未読)

○高谷好一 『地域研究から自分学へ』 京都大学学術出版会 学術選書 2006

※京大東南アジア研究センターの創設からを個人の研究史と交えて語る。(未読)

○川勝平太 『文明の海洋史観』 中公叢書 1997

※生態史観-戦後京都学派(今西学派)ということで、唯物史観と親和性の高い東大アカデミズムと対置して歴史観について述べる中である程度詳しく言及している。(未読)

○早瀬晋三 『歴史空間としての海域を歩く』 法政大学出版局 2008

※歴史研究と地域研究の架橋を試み、海域史の構築を試みる筆者のフィールドノート及び書評。京大学派への直接の言及はこの本では控えているが、彼の研究の延長上で、鶴見良行と京大東南アジア研究センターの地域研究に対する強烈な対抗意識があることは本人も明言している。(『海域イスラーム社会の歴史 ミンダナオ・エスノヒストリー』 岩波書店 2003 の「はしがき」を参照)  (未読)

どうも未読の書の紹介ばかりですみませんが、‘フィールド’を重視する地に足のついた「地域研究」と「歴史研究」も視野にいれた「開発民俗学」や「海洋民俗学」を考えるには、(戦後)京大学派は絶対に押さえておかなくてはならないことを改めて確認した次第。

ではでは^^?

蛇足ながら

20年前の学生時代は全く意識していなかったというかわかりませんでしたが、人と人のつながりは特に学問の世界では非常に重要。誰が誰と交友関係があり、どのような学問的な刺激を受けて、また与え合っているか。この人のつながりがみえてくると思考パターンが見えてくるというかおもしろい、ということにようやくこの10年ぐらいで気がつきました。

先行研究や研究者間の交流を調べて読み解くことは後進にとっては非常に重要なことだと思います。

ではでは^^?

(この項 了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月18日 (水)

「時代の子」の意味について <天才論 その3>

少し間が空いてしまいましたが、天才論のその3にいかせていただきます。

前回、天才は所詮、‘時代の子’であるというところで終わっていました。

ここから語り継ぐにあたって、‘時代’についての考察をもう少し深めてみます。もうネタばれになってしまうのですが、ここで私が言っている‘時代’を‘パラダイム’と読み替えてもよいでしょう。

これは歴然たる真実だと思うのですが、天才とされる人たちは、ほぼ例外なく「自分が何をやっているのか」について自覚している、もしくは確信しているということがいえます。前回、半歩先をいくトレンドメーカーの話を例にだしましたが、天才は‘天才的な’‘閃き’をもつばかりではなく、それがどれほどのものなのかを案外と自覚していると私は思います。

こんな話があります。ホイチョイ・プロダクションというトレンドメーカーの(マンガ家)集団の社長さん(代表?)が雑誌かマンガのインタヴュー記事(たしか対談記事)でこんな主旨のことを語っていました。

このホイチョイ・プロダクションは、つまりトレンドメーカーというか、たしかマンガ雑誌とかで若者向けとかいわゆるこれからはやりめのトレンドを分析して先取りして大衆?に示すという木村和人みたいないわゆる‘トレンドメーカー’なのですが、あるインタヴューでこの社長さんが、次のような質問を受けました。

「(トレンドメーカーの)○○さんの今まであった映画で一番お薦めの作品は何ですか?」

答えて曰く、「その時々で、最高だとされているランキング一番のもの」

この話を読んで、ミュージシャンをやっている友達と話し合ったのですが、二人とも、「これは正しい」という話で落ち着きました。

つまりミュージシャンの彼と話したというところがミソなのですが、通例、このような場合、インタヴューアーも含めて、そんなトレンドメーカーといわれる人は、一体、どんなマイナーな素晴らしい(隠れた)名作を紹介してくれるのだろうと期待するわけです。しかし、一番平凡というか、世のランキングの一番。

友達と話したのは、「そうそう、生半可な奴ほど、(普通)人との違いを強調したがる。」ということでした。特にミュージシャンなんて、人との差別化が商売みたいなものです。また、私もかなりのへそ曲がりなのですが、世間ではやると逆に天邪鬼に、(音楽を)聴いたり(映画を)見に行きたくなくなるものです。そして、自分はこんなマイナーなすごいのを知っているとかついつい自慢したくなるじゃないですか。俺は、一般大衆と違う(すごい奴な)のだと。

でも、トレンドメーカーと呼ばれる人ほど、実際の普通の人が好きなものを熟知している。逆にそれを知らずして、「人の半歩先」を歩くことができないわけです。

ミュージシャンの友達との話に戻ると、「いくら通の間で評判が悪かったり、へたな奴(ミュージシャン)でも、大衆に受けるということは、それなりのものはもっているんだよね」ということです。

人を感動させるのは、緻密で計算しつくされた(心のない)演奏や技巧(テクニック)ではありません。‘へたうま’とはよく言いますが、なにかいくらつたなくても伝えたいもの、伝わるものをもっている、そもそも大衆に受けるとは、そんなことだと友達は言っていました。

ちょっと脱線が過ぎたようですが、つまり、どんな‘天才的なこと’であれ、その時代に受け入れられ、しかもそれなりに支持されないことには、まったく(その時において)意味を成さないのです。

ちょっと訂正、‘まったく’というのは言いすぎですね。よく「早世の天才」とか「時代が早かった」天才論がなされることはあることですが、そのような後から発見された「天才」がいないわけではありませんが、歴史をみてみても、そのような天才が後世において、発掘されることは非常にまれです。

大体、天才をでっちあげるというか後世で持ち上げる人というか黒幕が必ずいるわけです。ちょっといやな言い方をしましたが、そのような「発見された天才」は大抵、‘発見した人’の意図というものが間違いなくあり、それは取り上げられた‘天才’が望んだであろう‘評価’とは別の側面で価値づけされることが、ままあります。それがいいとか悪いとか、当然、個々の場合で違いますし、ここで一概にいうこともできませんが、後世の人が発見した「天才」は一般的にちょっと注意が必要です。

さて、後世で発見される場合にせよ、その「天才」は、発掘や発見されるだけの「なにか」を在命中に残さなくてはなりません。

その「なにか」とは、別に本や論文など‘書かれたもの’でもなく、単になんらかの‘物語’であればよいわけです。その天才の‘言動’が何らかの形で伝わればよいわけです。本人が残さなくても、周りにいる人がそれを語り伝えればよいわけですから、極端なこと、ひとつの‘武勇伝’となるような行動を一度でも起こせば、その‘武勇伝’が必要となる範囲でそれは、‘物語’となり‘伝説’となるわけです。そういう語り伝えの伝言ゲームの世界の中で、「田舎のおっちゃん」の「とある言動」が「天才」の「伝説」となりうるのです。

もうここでお気づきになられた方もいらっしゃるかと思いますが、つまり「天才」や「英雄」はそんな「世の中」の雰囲気の中でつくられていく場合が多いし、その「天才」なり「英雄」が重宝されるのは、みんなの役に立つというか好ましい言動だけがその「伝説」として語り継がれるのです。

結局、「天才」とは過去であれ未来であれ、その「時代」を生きる普通の人たちが評価するものであり、決して「自称天才」はありえないというか、そもそもお呼びではないのです。

話を戻しますと、「天才的な」ひらめきや言動をもった人は、間違いなく自分の言動が世間にどのように評価されるかということを自覚して行動しています。

卑近な例で言うと、将棋の羽生棋士や大リーグのイチロー、フィギアスケートの浅田真央さんでも、自分がやろうとしていること自分がしていることを、非常に冷静に‘世界’の中に位置づけていると思います。そうです。彼らは確信をもって‘天才的’なパフォーマンスを世界に見せ付けてくれているのです。逆に無意識にまたは無自覚に‘天才的な’ことをする人は、非常に珍しいのではないのでしょうか。

つまり、何をすれば‘世界’や‘世間’が認めてくれるのか、その壁なり頂点を見極めた上で努力を続けているのか「天才」の世界だと思うのです。

話を学問の世界にもっていっても、いわゆる「大先生」といわれるような方は、私が知っているだけでも例外なく、謙虚にしかし貪欲に‘世界’のスタンダードというものを知ろうとしています。学問の世界でも、どの世界でもそうですが、プロの世界では年の老若は実はあまり関係がありません。手塚治虫が、最晩年まで同業の漫画家やクリエーター達に嫉妬してどんな若い人に対してでもライバル心を抱き続けたことは非常によく知られた話ですが、大家といわれる人ほど、新しいもの好きで、若者の動きもしっかりウォッチしているのが世の常のようです。

ちょっと話が飛ぶようですが、「天才的」な人ほど、‘世界’のレベルを知っているし、‘大衆が求めているもの’を知っている、もしくは知ろうとしている、さらには、彼らにわかってもらえるような伝達の手段を考えている。こんな気がします。

「天才の俺様のいうことがわからない‘大衆’はバカだ」という天才は古今東西をみても、絶対にありえなかったと私は思います。

逆にわかってしまった「天才」には、彼や彼女なりが達しえたものを広く‘大衆’に伝える義務があります。その「天才的な」ものを広く人と分かち合うことができてやっと人は彼や彼女を「天才」だと認めるのです。

そういう意味で、天才は「大衆性」をもたなくてはならないし、その言動は、いわば誰にでもわかる「普遍性」をもたなくてはならないのです。もし「天才」として‘世界’や‘世間’に認めてもらいたいのであれば。

その‘世界’なり‘世間’を考えると、いよいよ「パラダイム」論に入っていかなくてはなりません。

とりあえず、今日のところはここまで。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

山泰幸、川田牧人、古川彰編 『環境民俗学 新しいフィールド学へ』 未来志向の民俗学(帯より)

ようやく時代がしばやんに追いついたのか、しばやんが時代に追いついたのか、今後、開発民俗学を考えていくのにあたって、非常に参考にある教科書が発売されました。

09020100 山泰幸、川田牧人、古川彰編 

『環境民俗学 新しいフィールド学へ』 

昭和堂 2008年11月11日 初版

お薦め度: ★★★★★

一口コメント:

実は2ヶ月前に発売されたばかりの本ですが、ようやくでたというか、私的にはちょうどこんな道案内がほしいと思っていたところに、ひょんなきっかけで、たまたま豊橋の大型書店にのぞいた際に見つけました。

鳥越皓之氏らの「環境民俗学」の動きは横目で気にしてはいたものの、なにか胡散臭くてちょっと距離をおきたいなあと思っていたのですが、当然、それをもふまえて近年の人類学や社会学、分野では共有論(コモンズ論)や資源論、自然論をふまえたうえで、これからの‘環境’民俗学の俯瞰図を示していただいたということで、すぐ役にたちそうな内容です。

最近(この2,3年ほど)、関心をもちだした野本寛一氏や秋道智彌氏、民俗学からは当然のことながら、柳田国男、宮本常一、千葉徳爾、坪井洋文、香川洋一郎、赤坂憲雄、京大の人文研や東南アジア研究所、探検部?など京大の地域研究のグループ(今西錦司、川喜多次郎、梅棹忠夫、米山俊直、高谷好一、福井勝義など)、民間人の鶴見良行氏のグループ(村井吉敬、宮内泰介なども含む)など、私が今まで開発民俗学の視野の中にいれてきた研究者達が、当然のことながら含まれていることも非常にうれしく自分のやってきた方向性にほのかな自信?をもちました。そうそう、これまた当然ですが、内発的開発論の鶴見和子も上がっていますね。

ともあれ、今日購入したばかりですが、じっくりと読んでみたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月29日 (木)

「天才」とその時代性について <天才論 その2>

天才論の続きです。

3. 天才の大衆性と普遍性

その1では、天才そのものについて考察しましたが、天才を取り巻く外部環境についてもふれておく必要があります。

今までのおさらいでは、「天才性」とか「天才的」なひらめきは全ての人が持ちうる。ただし、それを客観的な外部の人が認めるかたちやモノにすることが非常に困難である。しかし、それを成し遂げて「天才」と目されている人たちは、例外なく本人の「天才性」に自信を持っており、天賦の才(タレント)に加えて、他人との競争ではなく「自分自身の限界というか可能性を極めるべく、日々、努力していることを述べました。

ところで、そもそも論に戻りますが、誰が「天才」を認定するのでしょうか。それは間違いなく、同時代もしくは後の時代の普通の人たちです。繰り返しになりますが、‘未来’の「天才」をわれわれは知ることも想像することもできません。

ここで、「早すぎた天才」などという言葉を思い出していただきたいのですが、つまり同時代であれ、過去の「天才」であれ、他人が、もっと平たくいえば、われわれ自身が、‘誰か’を「天才」と認定しなければ、客観的に「天才」とは認められない。

もっと厳密にいうと「世間」が認めないと、どれほど能力があり才能があり「天才的」なひらめきをもっている人でも「天才」とはみなされないのです。

唐突ですが、よくマーケッティング論でいわれているのが、「時代の半歩先を歩く」というトレンドに関する理論?があります。

つまり「時代」に早すぎていては、われわれ一般大衆といいましょうか「世間」は反応できないし、トレンドを創りだすことはできないのです。

これはトレンドのみに限らず、「天才」論についても同じことがいえましょう。「天才」は時代に、‘半歩’というか‘一歩’先んじた存在でなくてはなりません。

時代の‘半歩’なら、まだわれわれの想定内であれ、ちょっと目利きの人なら十分わかる範囲の突出性です。まあトレンドメーカーというか凡人に少し毛が生えた程度と考えてもいい。しかし、「天才」と目されるには、もう少し突出している、時代の先を行っていなければなりません。しかし、‘一歩’というのがミソです。

現実には、天才は2,3歩先を行っている、もしくは本当には100歩先をいっているのかもしれませんが、一般大衆が理解できるのは、せめて‘一歩’とか2、3歩先のみであるといってよいと思います。

なにが結局いいたいかといいますと、「天才」とはその彼の生きている「時代」もしくは、その「大衆」に理解できることやモノを成し遂げた人であるともいえるのです。

そうそう、‘高い再現性’をもってというのも「天才」の条件にいれておきましょう。これは「天才性」の「ひらめき」を持続して、常にどんなときにでも客観的にみえる‘モノ’にまで昇華するというところで述べたことと重なりますが、「天才」は、当時の世界の、一歩先、2歩、3歩先のことやモノを、なんども「大衆」が納得するまでみせつける必要性があるのです。

とりあえず、「天才」の「大衆」との絡みといいましょうか接点について、つまりは「時代性」に触れた上で、さらに「天才」の「普遍性」について述べたいと思います。

まずは、「コロンブスの卵」について。

特にスポーツ界では、常に記録は破られる運命にあり、逆にそのためにスポーツがあるともいえましょう。団体戦はともかく、個人戦では、水泳でもマラソンでもスケートでもなんでも新しい技や時間を競う競技では、タイムにおける新記録の樹立が目的であり、「天才」たちがしのぎを削るところです。

ところで、常のことですが新しい記録がだされた場合、それ以前のレコードホルダーの価値は全くなくなってしまうのでしょうか。タイムトライアルでは、そう考えられがちですが、実は走ることひとつにおいても革新的なタイムが現れるには、なんらかのそれまでとは違った技術なりの「ひらめき」があり、それを型もしくは今までの言葉でいうと‘モノ’に定着させた人が必ずいます。

フィギアースケートや体操競技を思い出していただくとわかるように、常に「技」という‘モノ’は進歩しており、あらたな型や‘モノ’が常に模索されています。昔は「超ウルトラC」であった技が、今では、誰でもこなせる難易度の低い技になってしまったということは誰でも簡単に思い当たるでしょう。

しかも昔は、10年くらい新しい‘モノ’の賞味期限?があったのですが、今では日進月歩というか日時の単位で新しい‘モノ’はライバル達に研究され、普通の‘モノ’化されています。

これは将棋界などスポーツ以外の競技の世界でも全く同じで、羽生さんを始め、どの棋士も時代の流れの速さを実感を込めて語っています。

しかし、ここで忘れてはいけないのが、「最初の一歩」を踏み出した人の人間世界への貢献です。新しい記録や技術が生まれたからといって、過去の「天才」の相対的な位置がかわるにせよ、その「天才性」についての価値がなくなるわけではありません。

もうひとつ付け加えると、「天才性」の再評価は、常にありえます。でも、その話はおいておいて、「普遍性」について話を戻すと、過去の「天才」と目される人たちは、その記録や発見、業績自体が一般的なものとなってしまっても、記録が破られたとしても、初めてその域に達した「先駆者」としての‘価値’や、その‘先見性’や‘生き様’において時代を越えて共感や感動を与える、いわば「普遍性」といったものをもっていますし、その突出性の輝きは失われることがありません。

つまり単純な成績(記録)や業績だけが「天才」を決める要素ではないということでもあります。

ここでは、「天才」のもつ「普遍性」について、舌足らずながらも触れてみました。

4. 天才とその時代性について

さて、前項で「天才」のもつ「普遍性」について触れてみましたが、ここでいう「普遍」とは厳密な意味での「普遍」ではありません。「普遍性」という言葉をあえて使っている意味がわかりますでしょうか。

結論からいいますと、「普遍」とは実は未来永劫に存在しません。わかりやすくいうと、‘絶対’「普遍」の‘モノ’はないということです。「普遍性」とは「普遍」につながるであろう(可能)‘性’という意味で私は使っています。つまり、その「天才」がモノをなした時代において、かなりの「普遍性」を有したし、その時代の文脈からいって、未来の人たちも、「天才」の成したモノの「普遍性」を感じる確度が高いということを前段ではいっているのです。

このように「普遍」な‘モノ’がないということを前提にすると、何に照らし合わせて「天才」の「普遍」(性)を評価するのか。これは結局、彼なり彼女の生きた時代と地域に照らし合わせて判断するしかありません。

結論的なことをいってしまいますと、結局

「天才とは、所詮、‘時代’の子供なのです。」

次項(その3)では、この「時代性」について、考察をさらに進めます。

とりあえずこの項は了ということで。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月28日 (水)

いわゆる「天才(主義)」について <頭の整理>

ミクシイというSNSのとあるコミュニティで、トビ主(トピックを立てた人)とコミュニティのメンバーの方々と延々と、とある議題で盛り上がっているのを斜め横からみつつ、どうも自分自身も頭がこんがらがってしまいそうなので、あえて私自身のブログで私の考えの整理をしたいと思います。

ちなみに、元のトピックでのトビ主と参加者のやり取りに触発されたとはいえ、あくまで以下の論考での理解と分析は私にございますので、コメントは私までお願いいたします。

元のトピックを読まなくても文章として理解できるように論述するつもりですが、論理に飛躍がございましたらごめんなさい^^?

------------------------------------

1: 問題の所在: そもそも「天才」とはなにか?

元のトピックでは、トビ主が「天才」の定義なしに、議論を進めていますが、私は議論を進めるために、まず自分の理解する「天才」を定義しようと思います。

「天才」とは、文字からすれば「天賦の才能を持った人」。英語では「タレント」ともいわれますが、一般的な意味合いでは、これまで生きてきた実在の突出した人物をさしていることが多いと思います。まず定義としては、「今まで生きてきた」ここがポイントです。未来の来るべき「天才」は、今、現在の時点では定義も想定もできません。

では、今まで生きてきた実在の天才はと具体的にいうと、たとえば私の身近に感じる(考えるではない)ところは、スポーツ界では、野球選手の「イチロー」、将棋界では、「羽生善治」、フィギュアスケート女子の「浅田真央ちゃん」、マンガ界では「手塚治虫」でしょうか。芸術界でもいろいろありそうだし、さらに研究者という括りでは、さらに多くの「天才的」な人々が上げられるでしょう。

ここで、私は「天才的」という言葉をあえて使ったことに気がつきましたでしょうか。

私の問題提起は、果たして生まれてから死ぬまで一生「天才であった」人は実はいないのではないかということです。

勝負師やスポーツ選手など芸術や技術を‘みせる’人たちは、「天才」としてわかりやすいのでまず例に取り上げたいのですが、たとえばイチローは「4割以上」の打者でしょうか。棋士の羽生さんは、百戦練磨なのでしょうか。羽生さんでも今までの対戦成績は、7割にちかい6割で、それぞれの分野での一人者とも「天才」といわれる人でも100%の「天才ぶり」(=あえていうと)を発揮することはできないし、実際にそれは今の時点で不可能であるといえます。

つまり何がいいたいかというと、「天才」と呼ばれる人たちでも「100%完璧はない」。しかし、では何が凡人と違うかというと、「天才的な」瞬間を多くもっていたり、「天才的な」瞬間を長く再現できる、自分の意思で「天才的な」瞬間をコントロールできるという面で、人から大きなアドバンテージを得ている=それが勝負強さや成果(結果)につながっているといえると思います。

逆にいうと、誰にでも「天才的な」瞬間はあるのです。あってもその頻度が低いか、本当に神がかりというか自分ではコントロールできない「ひらめき」。

「天才性」というのは、そんな「天才的」な「ひらめき」をいうのだと私は定義したい。

つまり、誰もが「天才性」をもっている、「天才的」な「ひらめき」は、人生の中で何度か味わうことができることを、まず最初に述べさせていただきます。

2. では「天才」と呼ばれる人たちは、凡人とどう違うのか。

上記の「天才性」や「天才的」なものと、実際に「天才」とみなされる人たちとの具体的な関連は、また凡人との違いは一体何なのでしょうか。

これは、上記のイチローや羽生さん、真央ちゃんをみていただくとすぐにわかると思いますが、彼らは、突出した「天才的な」技術やひらめきをもっているだけではなく、その業界の中で、人一番努力し続けているということがいえると思います。

そうだ、柔道の「柔ちゃん」こと田村(谷)亮子選手を忘れていました。彼女が確かアテネオリンピックの前のインタヴューで語った言葉は、「世界一の練習をしたから負けるわけがない」。

つまり天才的な資質に加えて日々の努力をしていること、これが天才のひとつの典型であり条件の一つなのでしょう。

また浅田真央ちゃんがいっている「自分のベストをだしきる。最高の演技をする」という言葉にも、天才の秘密のひとつが隠れされています。

つまり、天才(的)な人は、たとえ百万とライバルがいようとも、自分を高めることに精一杯で、人を引きずり落とそうとか、人の足を引っ張ったりとか、ましてやライバルの失敗を祈ったりとか、そんなことは、‘全く’考えません。

自分のベストを出し切ることが‘全て’であると信じきっているのです。

別の言い方をすれば、「天才」は「自己責任を常に意識している」、自分を信じている(自信を持っている)ともいうことができましょう。

結局、ありきたりの答えになってしまいますが、天才とは、

「自分の能力を信じて、‘天才的なひらめき’を大切に、その才能や‘ひらめき’を磨き続ける、追究し続けるための日々の努力を怠らない人」ということもできましょう。

でも、こうして考えると、結局、「天才」も所詮は人間だなあと思いませんか。

‘天才的なひらめき’が、何であるのかは当然人によって違うのでしょうが、自分が「天才的だ」と思える自分の‘何か’を信じてそれを大切に磨いていく、そうすることが、それぞれの人生における「天才的」なものをなんらかの具体的なモノに変えていくことができるのです。

これは、あなたにも私にもできることです。そう自覚して自分を信じることさえできれば。

3. 客観的な「天才」とは。

「天才的」な「ひらめき」の大切さについては、前項で理解いただけたと思いますが、では本当の?いわゆる客観的にいわれる「天才」とは?

それは、「天才的な」ひらめきを他人から客観的に「具体的な見える‘モノ’」にまで昇華した人だけが、客観的な「天才」を名乗ることもできるし、人からそう称されるのです。

つまり、‘かたち’として具体的に実体をもった「天才性」を明示することができなければ、少なくとも他人からは「天才」として認められることはありません。

「自称天才」そんなものに全く価値がないことは、自称する‘本人’が一番わかっていることなのであえて繰り返しませんし、前述の「天才」を‘名乗る’人が本当にいるのか、私は疑問です。

何がいいたいかというと、「天才」は他人が評価することであって、自分で名乗るものでもことでもないのです。あと、真央ちゃんみたいに、自分の‘天才性’を案外自覚していない人(天才)がいるのかもしれない^^?

ただ、凡人のせめてもの慰めとして、「天才的な」瞬間が誰にでもあることは、互いに認めてもよいと思います。

自分を「天才」とはいわないまでも、「あれ、今の俺って‘天才的’じゃん」と自覚することは大いにありなのです。

ちょっと脱線しましたが、本論に戻ると、「天才」とは他人に認められるものであるし、認められるだけの‘何か’をモノにした人、時系列でいうと、誰にでもある‘天才的’な‘ひらめき’を、「誰でもみることができるモノ」にしてしまうことが、その人が「天才」たる最低条件なのです。

とりあえず、私が「天才」とは、と仮に問われたときに、上記のような理由と背景で‘定義づけ’するであろうことをここに表明いたします。

ところで、ある「天才」の「天才的」な部分と、そうではない部分が、当然のことながら同じ人間に同居することも申し添えておきますね。

「天才」だからって、「天才性」を発揮している部分に限らず、人として生きていくことに最低限必要なマナーなりルールを守らなければならないこともまたいわずもがななことです。

「天才」は何をやってもいいのか、自分の「天才性」を発揮できる分野でもわがままな好き勝手なことをしていいのか。当然、そんなわけはありません。

自称天才にありがちな話かと思いますが、そんなバカな話はありませんので、くれぐれも注意しましょう。自分の「天才性」を自分で褒めてあげてもいいです。そこまでは認めますが、それを盾に社会に楯突くというか反逆することはできません。常識で考えても。

そもそもいわずもがなの蛇足ではありますがあえて述べさせていただきました。

ではでは^^?

(天才論 1部 この項 了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

愛知県でオフ会を企画しています。できれば2月8日に^^?

ミクシイというSNSで「開発民俗学 地域共生の技法」というコミュをやっているのですが、初回のオフ会を2月に設定したいと思います。

突然の申し出ですみませんが、できましたら、2月8日(日)に愛知県の岡崎の近辺、名古屋もしくは豊橋で。詳しい情報は、コミュのトピックで流しますので、ご関心のある方は、以下にアクセスを。 もちろんミクシイのメンバー以外の方の参加も大歓迎です。
生しばやんに会いたい方?はぜひご連絡ください。
(フィリピンで、「しばやんだ~」と全く見知らぬ人にいわれた日にゃー・・・。結構、個人的には感慨深いものがありました。正直言って。あと、私のHPとブログを全部読みましたという方もいらっしゃいました。A4でプリントアウトすると300枚以上はあるのではないでしょうか。かなりの分量があるはずなのに。自分ですら全部の記事を覚えていません^^?)
ともあれ、ミクシイに入っている方は、こちらもチェックしてください。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=38962034&comment_count=1&comm_id=2498370


一部抜粋します。

--------------------------


オフ会の議題その1「初顔合わせ フリートーク それぞれの開発民俗学」

っていっても、そもそも「開発民俗学」の定義なんて決まっていないので、平たくいきます。

1.このコミュニティの意図と展望(自己紹介もかねて) しばやんより
2.参加者の自己紹介 
3.共に取り上げたいテーマ (ブレインストーミング)
4.課題の設定 (2,3テーマくらいか、当然参加者にもよりますが)
5.テーマごとの今後の勉強会の方針の検討
6.ラップアップ

7.フリーセクション (お茶会もしくはお食事会)

とりあえずは、東岡崎の近辺の公共施設(一案として、りぶらの会議室←間違いなくかなり難しいですが、日程さえ決まれば、たとえば康生町の近辺の会議室の手配を行います。)と、二次会の設定

スケジュールとしては、午後1:30に会場に現地集合して4時か5時に終わって、お茶かお食事でもしましょうといった流れでしょうか。

もう少し、議題を練ってみます。

なにか議題や会場の場所などについてコメントがありましたらご遠慮なくご連絡ください。

ではでは^^?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年1月14日 (水)

マザーテレサは、「愛の反対語は、無関心」 といいました^^?

パレスチナ情勢は、全然光明がみえず、依然、混迷を続けているようです。

果たして自分に何ができるのか、何が一体、正しいことなのか。そんなことを考えています。

‘知る’ことと‘行動’すること。

かのマザーテレサは「愛の反対語は、無関心」と看破しました。

見てみぬふり、知らぬふり、確かに何もしなくても生きていけるかもしれませんが、その無関心は自分自身に間違いなく戻ってくるものだと思います。

ちょっと話題が外れますが、この「開発民俗学」のコミュを「一国民俗学」ではなくて「比較民俗学」へとの架け橋となるべく鍛えていきたいと思っています。

同じ地上に生きるものとしての感動を分かち合いたい、共感の学問、血の通った学問であってほしいと思います。

‘学問’の定義自体も難しいですね。ここであえて‘学問’といったのは、追体験できるというか筋道立てて検証できるための道筋のひとつとして、単なる個人的な感動にとどめておきたくない、そんな技法なり手法として示したいという意図で使っています。

能書きばかりいっていてもだめですな^^?

具体的な事例にそって考えていきます。

-----------------------------------

ということで、「mixi「開発民俗学 ~地域共生の技法」で、メンバーの意見を募っています。

わからなくてもわからないなりに声をあげていくこと、われわれの人生や未来を、どこかの誰か偉い人やモノに簡単に預けてはいけません。

自分の住む世の中は、自分でよくしていく。

そんな心意気を忘れないでいきたいと思っています。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月11日 (日)

一筋の挑戦が‘わだち’となり‘道’となる 開発民俗学への途 再開

別のところでも触れましたが転職して地元に戻ったので、いろいろな意味で生活パターンが変わりました。

とりあえず海外駐在から戻ってうれしいのが当たり前といえば当たり前ですが、日本語の書籍の多さです。別のトビにも書きましたが、地元の公共図書館が、それぞれリニューアルしており、かなり使えるところがこれまたうれしいです。

最近、雄山閣の『講座 日本の民俗学』を紐解いています。とりあえず、年末に、「第11巻、民俗学案内」、今日、それを返して、「第1巻 民俗学の方法」を借りてきました。

実は学説史って私は好きで、知の系譜というか、誰がどの時点(時代背景)でどのような問題意識をもってどのような研究や著作を著したかが非常に気になります。あと研究者間の師弟関係とか影響の与え合いなど。

いろいろ仕事や今までの経験を振り返ってみて、結局、人間、他者(モノでもよい)との交流なり接触がないのと、個人として成長しないのではないか、というようなことを考えています。

個人も知識も個(孤)として存在しているわけではなく、異なった他者と他者ががスパークというかぶつかったときに、なにか新しいモノがあらたに生まれる、結局、小さなその積み重ねが今日の世界を形作っているような気がします。

夢を描く人、それを実行する人、人はいろいろな立場で世界や社会と向き合い、お互いに影響を与えながら社会に貢献し、またその便益を得ています。

としてみると、この世に無用な生はありえないのではないか。まったく無駄ないらないものは、そもそもこの世にはないのではないかという気もします。

ちょっと脱線しましたが、過去の道筋を振り返りつつ、その先の途を模索する。そんな人生を歩んでいきたいですね。

脱線ついでに思い出した言葉を。

松本零士のマンガで、『わだち』という四畳半世界を描いたものがあります。内容は忘れてしまっているのですが、確かその最初の導入のところで、

「誰かが歩いた‘わだち’が 新しい道となる」といったような格言?が書かれていたようなおぼろげな記憶があります。

山での海でも誰かが新しい道を見つけようとして(世界に)挑戦を試みます。当然、道なき道の先に何があるのか誰も知りません。行き倒れたり自然の障壁に生命すら落としてしまう可能性は多分にあったのでしょう。でも、誰かが通った一筋は、多くの人がその後を歩くことにより‘わだち’となり、いずれかは‘道’となります。

思えば、地上も海上にもそんな無数の一筋があり、そのいくつかが目に見える‘道’として現前にあるという言い方もできるのかもしれません。

そんな時空も遠く離れた遥かかなたの歩く仲間である先人達のことを思いつつ、新しい時代への一筋を模索していきたい。

ふと、そんなことを思いました。

なんか話が終わってしまったので、本の紹介は改めて書き直します。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 8日 (木)

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか? (2002年の記事の再掲です。)

すでに7年前の記事ですが、中東問題に対する私のスタンスがよくわかると思いますので、あえてここに再掲載させていただきます。ちなみに、「勉強会」は約10回の活動を経て、私のフィリピン駐在のため終了しております。

アラブ・イスラーム地理書・旅行記 勉強会 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm

ではでは^^?

-------------------------------------

2002年9月1日

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか?

(同時多発テロ一周年によせて)

2001年9月11日、アメリカのニューヨーク、ワシントンD.C.その他で突如勃発した同時多発テロは、たぶん同時代に生きる多くの人々にとって決して忘れることのできないものとなったであろう。イスラームの挑戦とか、多くの論者がさまざまな私案を発表しているが、その背景はそんなに簡単に一言で言い表せられるものではないのだろう。

約10年前、私は、大阪の片田舎で、ほぼ世間と隔離された環境でオレ本(オレンジブック=電話帳のイエローページみたいな厚くて馬鹿でかい本)などというミシガン大学で編まれたアラビア語の教科書と日々格闘していた。何かがあると信じて入ったアラビア語学部、当初の目論見では、モロッコからイラクまで、北アフリカからアラビア半島まで話されているというアラビア語を勉強すれば、たとえどんな職業に就こうともつぶしがきくし、などと浅はかにも考えていた。

大学入学当時に想定していた職業は、外交官になってもいいし、現代の問題をやってジャーナリストになってもいいし(当時、イラン・イラク戦争の問題やパレスチナ問題など話題に事欠かなかった)、中世史をやって研究者なってもいいし(当時、ようやく「イスラームからみた十字軍」などという本が話題になりつつあり、近代ヨーロッパ文明に対するイスラームの中世における優位性を「再」発見しようとする大きなムーブメントのなかにあった。)という気もあったし、まあ月並みで今思えば大甘ちゃんな「青年よ大志をいだけ」という言葉しか知らない若造であった。あと、イスラームという宗教に、近代西欧文明に対する精神的なアンチテーゼとなりうる「何か」があるのではとも考えていた。

そんな学生時代のある日、イラクとクウェートとの間で湾岸戦争が勃発した。(1990年~1991年)当時から、イスラーム世界は、10年ごとに問題?を起こすといわれていた。近年だけを振り返っても、下記のような数字に見ることができるだろう。

1967 年 六月戦争(第3次中東戦争)、

1973年 アフガンで王政打倒のクーデター、共和制へ、十月戦争(第4次中東戦争)、

1979年 イラン革命、

1980年       イラン・イラク戦争始まる。1988年 イラン・イラク戦争終結、

1990-1991年 湾岸戦争、

2001年9月11日 8:45 アメリカ同時多発テロ(ニューヨーク、ワシントンD.C.)

2001-2002年 テロに対する戦争(2002年 アフガン陥落)

 ちょうど1989年には中国で天安門事件があり、ドイツではベルリンの壁崩壊があり、冷戦終結のムードの中で、なぜ、湾岸戦争なのか?という思いを感じた人たちの数は数億を下らないであろう。その後、残念ながら、冷戦終結後にも引き続き地域紛争は続き、1945年の第二次世界大戦自体が、まだ終わっていないなどという識者がいるほどである。

 そんな学生時代、イラクへの空爆をテレビでリアルタイムに見なければならなかったことは、はっきりいって精神的苦痛の何者でもなかった。(物理的にはテレビ受信装置があって、キャメラで捕らえた映像をリアルタイムで衛星放送することなど技術的には当時でも難しいことではなかった。)なぜ、人は平気で、まるでテレビゲームをみるように戦争を「眺める」ことができるのだろうか?あの爆撃の下で、何万人の人の命が失われようと、「正義」を語るあなたの前に全ての人間はひれ伏せなくてはならないのであろうか?

 この現実感覚のなさとでもいうのだろうか、ブラウン管の向こうに見えるものと今生きている自分と何の接点もなく、まるで映画でもみているような浮遊感に陥れてしまうメディアのあり方は、倫理上、決して許されるものではないと思う。(これは、その後、数年後に「マトリックス」という映画でみごとに逆説的に描き出された。放映当時は知らず、数年前に始めてみたが、はっきりいって、私はこの映画のコンセプトというかリアリティのあり方に戦慄を覚える。まさに現実と仮想との狭間を突くようなテーマであったから。)

 2001年9月11日の午後11時過ぎに、明日提出の仕事の最終取りまとめをしていた私たちは、約10年前と同じく、まるで、ハリウッド映画をみるように「航空機が、ワールドトレードセンタービルに突っ込んでいく」のを、なすすべもなく、ただただみつめるしかなかった。

 さて、1991年当時に戻ってみると、「湾岸戦争」などというものに、アラビア語やイスラームを学ぶものとして出会ってしまったがゆえに、青臭い正義感などを差し置いて、ふとこんなことを思ったのである。

 今、イスラームやアラブに関して、現代的な話題にばかり目がいってしまっている。あやしげな軍事評論家や、知ったかぶりのコメンテーターが偉そうに語るほど、アラブやイスラームは上っ面だけの簡単なものであろうか?果たして、われわれ日本人は、彼らの何をどれだけ知っているのだろうか。中世ヨーロッパのルネサンス以前の最先端地域であったアラブ・イスラームのコスモポリタンな都市文化(文明)について、まだ十分に日本では研究されていない。そうだ、こんなに移り変わりの激しい現代史を追うよりも、もっと歴史的に掘り起こして、われかれの違いを知ることは十分意味があることなのではなかろうか?

 そんな私が卒業論文のテーマとして取り組んだのが、中世12世紀におけるイタリアのシチリアであった。当時、ノルマン朝で12世紀ルネッサンスの一つの拠点となったイタリアのパレルモの宮廷は、イスラーム教徒、キリスト教徒やユダヤ教徒、ギリシャ語、ラテン語とアラビア語の入れ混じる高度に成熟した文化を誇っていた。その側面を見るのに使ったのが、イブン・ジュバイルというアンダルシア(スペイン)のイスラーム教徒の旅行記であった。そのシチリアは、「寛容と共生」の精神を具現したものと後世、言い習わされてきたが、果たしてどのような世界であったのだろうか?残念ながら、アラブ側からの資料では、とてもシチリアの中世世界を解き明かすことはできない。たまたま、高山博という15歳年上の研究者が、すでにラテン語、ギリシャ語、加えてアラビア語の原著から12世紀のシチリアの研究を、当時(1991年)で、もう10年来研究していることを知って、あっさりとシチリア自体の研究は諦めた。

 (イブン・ジュバイルの『旅行記』は、藤本勝次・池田修監修で1992年に関西大学出版部より和訳が公刊されている。また、高山博先生のシチリアに関する研究は、『中世地中海世界とシチリア王国』 東京大学出版会 1993年、『神秘の中世王国 ヨーロッパ、ビザンツ、イスラーム文化の十字路』 東京大学出版会 1995年として、公刊されている。)

 ともあれ、中世のイスラーム社会は、「知(識)を求めよ。中国からモロッコまで、ゆりかごから墓場まで」(アラブのことわざ)」と言われるほど、広域なネットワーク社会を誇り、実に多くのイスラーム教徒が、「平和の家・戦争の家」というイスラーム圏とそれ以外の異教徒の世界との区別意識は持ちつつも、メッカへの巡礼を契機というかきっかけにして、世界中へ商売もしくは学問追及の旅に乗り出していったのである。(この状況については、『アラビアンナイト』でも多くの説話として取り上げられている。例えば「シンドバードの冒険」は特に有名であろう。ただし、異本扱いだが。)

 1991年当時、イスラームの大旅行家といわれたイブン・バッツゥータの旅行記は、前嶋信次先生の抄訳しかなかったし、他のイスラームの文学者、文化人の著作についても、高校の教科書で名前とその主著書について大学受験のために暗記させられるものの、完全なアラビア語から日本語訳された翻訳書は、皆無の状況であった。これは、ちょっと考えればわかるが、彼ら(アラブ・イスラーム教徒)の誇るべき先達たちの業績を、日本人は全く知らないということなのである。つまり、誰もが国語や社会で常識として知っているアラブ文学史上の綺羅星の数々を、われわれ日本人は不幸にも全く知らないのだ。)

 その後、ほぼ10年経って、確かにイスラームに対する日本人の理解は進んできたといえ、当然、関係者の真摯な努力には敬服するが、まだまだ、このイスラームの知識人たちの残した膨大なアダブ文学や地理学・旅行記に関する地道な書誌学的な研究や、一般日本人への紹介の作業は、その課題の広大さに比して、遅々としてしか進んでいないようにみうけられる。

 現実問題として、アラビア語原典を読めるような高度なアラビア語古典の知識を身に付けることは、一朝一夕にできることではなく、アラビア語の会話ですら、けっして日本人にとってやさしいことではない。

昨年(1991年) 、イブン・バットゥータの『大旅行記』の原典(アラビア語)からの日本語全訳を完成させられた家島彦一先生にある研究会でお会いしたとき、この翻訳を思い立って完成するまで20年かかったとおっしゃっていたことを思い出すと、確かに、この手の作業は果てしのない事業だとも思ってしまうのである。(また、ある学生より、家島先生に「30年やってようやくアラビア語が少し分かるようになりました。」といわれて絶句したということも別の機会に聞いた。)

それでも、たとえそうはいっても、このまま手をこまねいていてよいものであろうか?決して採算ベースに乗らなくても、はやり(流行)でなくても、やはりアラブ・イスラームの古典を研究して、日本人の教養というのは大げさにせよ、知識の一部に、ちょうど中国やヨーロッパの古典と同じく、アラブ・イスラームの考え方の一端でも共有することができるのならば、今後の21世紀の世界市民の一翼を担ううえで、大きなアドバンテージを得ることができると考えられる。

このイスラーム地理学・旅行記研究は、大学を卒業後、就職して働きながらも、何となく頭の片隅を離れない10年来の宿題であった。必ずしも、十分にこのことだけに時間をさけるわけではないが、たとえ遅々として進まなくても、多分、「開発学研究」のあわせ鏡となるライフワークの一つになると思う。

 今後、2003年1月を目処に、上記にかかる読書会を計画している。また、この勉強会の成果も踏まえて、HP上に、『アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会』というコーナーを展開していきたい。関心のある方の、ご参加やご指導をよろしくお願いいたします。

読書会の詳細はこちらへどうぞ。

(この項終わり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

混迷のパレスチナ情勢にアラビスト・しばやん起つ^^?

年頭のご挨拶のやりとりの中で、偶然にも2名の方から、パレスチナ問題についてのコメントや宗教についての個人的な関心と問い合わせを寄せられた。

一昨年から、「冬が来る前に!」ということで、21世紀の雲行きの懸念を私も感じていたわけであるが、年末からのイスラエルのパレスチナは混迷の度を深めているようで、先に連絡をいただいたある人は非常な懸念を述べていた。

たぶん、そうなのであろう。

ところで、このようなシチュエーションは、中東では近代史の問題として実は第一次世界大戦前後からくすぶっていたと思うが、はっきりいって‘今’の中東問題は、20世紀の問題であると言い切ってもよい。

ということで、今度、この問題にも大阪外国語大学でアラビア語を20年前に専攻したものとしてコミットメントしていきたいと思う。

別にアラビア語がべらべら読めるわけではない。しかし、大学入学前から持っていた問題意識の延長で、アラブ・イスラーム(世界研究)ということで地域研究を志したものとして、もう一度みなさんと、「何が問題なのか」について、じっくりと考えてみたいと思います。

とりあえず決意表明ということで^^?

P.S.

実は2001年9月11日のセプテンバーイレブン(アメリカ同時多発テロ)の後にも、下記に示す活動を起こしました。

今までの「歩く仲間」における中東問題への取り組みはおいおい紹介していきますが、しばやんのアラブへの熱い想いにつきましては、まず、こちらをご覧ください。

2002年9月1日 

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか? 

(同時多発テロ一周年によせて)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00018.htm

あと「‘私’の平和学 ~冬が来る前に!」という、このブログにあるトピックではアラブ・イスラームについての問題意識をふまえて綴っています。過去の記事は、こちらもしくは本文の下のタグで検索ください。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 3日 (土)

今日、今から 「地域活き生き・アドバイザー」を名乗ることにしました^^?

この三が日、非常に穏やかでよい天気を迎えています。

Pict0266 自分の部屋から見た今年の初日の出。

岡崎・愛知

2008年1月1日 6時25分49秒

Konica・Minolta DiMARGE Xg

28mm(35mm換算) F6.7 1/1000

昨年の10月より実家に戻って、2階の姉のいた部屋を自分の部屋にしていただいたのですが、北東の角部屋でちょっと日中は寒いもの、窓が完全に東側と北側を向いてありますので、ベッドから朝日をみることができます。

毎日、朝日が拝めるのも、本当にありがたいことです。

さて、今朝、起きてふと思いついたのですが、自称「地域活き生き・アドバイザー」を名乗ることにしました。

世の中、結局言ったもの勝ちみたいなところがあるので、謙譲や奥ゆかしい態度をとっていても単なる自己満足に過ぎないので、ずうずうしくも自分なりの生き方を追及していこうと思います。

今年は、新年そうそうのHPのリニューアルを予定しています。今年の抱負も前回の記事で宣言したところなので、方針を早めに打ち出して後は実行する年にしたいと思っています。

昨年の記事に書いて、少しもやもやしていたのですが、将来的には、「アドバイザー」から「コーディネーター」、「コンサルタント」、最終的には「プロジューサー」にまで歩を進めていきたいと思います。

「プロジューサーになりたい^^?」 http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-453d.html

それには当然、経験と実績も必要だと思いますのでまあじっくりと取り組むことにします。

これからもよろしくお引き立ての程、よろしくお願いいたします。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 2日 (金)

対談 開発コンサルタントとは? を転載させていただきました^^?

駆け足ですが、対談を全文転載させていただきました。

もう丸5年前の記事ですが、現状はそれほど変わっていないと思います。

あらためて自分で読み返してみて、「開発コンサルティング」の云々というより、「どう外部者がその地域と関わるか」という点に自分が論点を置いていたことに気づかされます。

海外の開発援助のテクノクラート(※)である「開発コンサルタント」の話ではありますが、この命題自体は国内外を問わず現実に起きている日常茶飯の課題であると私は思っています。

※プロフェッショナル論は、私も多大な関心をもっていますが、少なくとも日本の開発コンサルタントの現状を(私の立場からですが)みるに、この場では、「開発(援助)のプロフェッショナル」とはあえて言いたくありません。

開発にプロはいらないという逆説につなげることもできますが、私の見立てでは、日本人のプロの開発コンサルタントは数名(知っているかぎりでも)いらっしゃますが、ほとんどの人たちは‘テクノクラート’に留まっているというか、それ以上の責任も権限も持たされていないということもできる、という点を指摘しておきたいと思います。裏を返せば、そこまでの仕事をさせてもらっていない、ということもできましょう。

このトピックでは、‘これから’の開発コンサルティングを語る場です。今までのところは‘現状’の報告ということで、ご了承ください。

だからどうなのだ、という私見がないわけでもないのですが、まだ獏としていますので改めてお話しようと思います。ただ方向性としては、‘コンサルタント’といいつつも、‘プロ’ではない素人の‘代弁者’であってほしいというようなことは、なんとなく考えています。

ではでは^^?

-------------------------------

ところでこの企画は、ミクシイ(SNS)の『開発民俗学 地域共生の技法』(http://mixi.jp/view_community.pl?id=2498370)でのトピック、「「開発コンサルタント」もしくは「コンサルティング」について語ろう」(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38126575&comm_id=2498370)と、連動しております。

もしミクシイに入られている方でご関心のある方は、ぜひこちらのコミュへもお立ち寄りください。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 1日 (木)

2009 新年のご挨拶と 新年の抱負など^^?

みなさま、あけましておめでとうございます。

ということで新年をご挨拶を、「Life, I Love You!」のほうに掲載させていただきました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/01/post-00da.html

まあ、ご存知の方はご承知でしょうが、昨年10月に地元にUターン転職いたしました。

確かに開発コンサルタント会社を辞しましたが、コンサルタントマインドみたいなものは大事に磨き続けようと考えております。

さて、今年の抱負です。

1.転職先で実績をあげる

新しい会社と業務に慣れて新しい業界でのスタンスを早く確立する。とにかく新しいことばかりなので毎日勉強ばかりです。ちょっと年をいっているので新人が時間をかけてじっくりと身につけることを駆け足でマスターしないといけない。とにかくこれが最優先で最重要事項です。

2.生活基盤の整備

ちょっと大げさですが、地(地元)に足をつけて‘生きる’ための環境を整える。

3.開発民俗学と海洋民俗学の研究を進める。

基本的に海外勤務でなくなったので、ライフワークとして上記の2テーマはしつこく追っかけていく。

4.地元においてオフ会活動をおこなう。

せっかく愛知県に帰ってきたので、地元(岡崎、名古屋、豊橋など)での人的な交流を計画的、もしくは偶発的にも進めていく。

5.学会復帰と新規デビュー

日本中東学会と国際開発学会にちゃんと帰国届けを出して正式復帰する。人類学、民俗学関係の学会にもあらたに顔をだしてみるというネットワークの再構築をおこないます。

ということで、公私いろいろなイベントを企画・実行していきたいと思います。

東方西走、今年もさらにパワーアップして日本を駈け抜ける風となりたいです^^?

と書くと、まるで、ブームの「風になりたい」ではないか、いやいや「千の風になって」いや、こちらはかなり違うということで、今年もよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月28日 (日)

ブームの宮本常一?(『宮本常一 旅する民俗学者』を手にして)

ちょっとというかかなり以前に書いた記事ですが、いまだに宮本常一さんはブームみたいなので、便乗転載を^^?

開発民俗学についてはこちらからどうぞ。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/contents.htm

ではでは^^?

-------------------------------------------------------

2006年3月30日 作成

ブームの宮本常一?(『宮本常一 旅する民俗学者』を手にして)

Photo 佐野眞一責任編集 

『宮本常一 旅する民俗学者』 

「KAWADE道の手帖」

河出書房新社 2005

久しぶりに日本に帰国したときのこと(3月8日~13日)、わずか1週間弱(6日間)の滞在であったが、仕事や自宅への里帰りを別にした楽しみの一つが書店めぐりである。やはり地方だと大きな本屋が限られるので、今回は東京で会議があったのちの土曜日に東京の八重洲ブックセンターを、田舎の愛知県では名古屋に行って三省堂を覗いてみた。

ところで、マニラには日本の本を売る本屋がない。2万人とか5万人の日本人がマニラに住むといわれているのに、まったく本屋がないというのは、本当に不思議な話だ。その理由としてもしかしたら、東京からマニラまで3時間半から4時間半で着いてしまうという、その近さのゆえかもしれない。

ともあれ、わたしは本の背を読むというか、本は直接手にとってぱらぱら読んでから実際に購入するかを検討する。とてもタイトルだけでは実際に購入しようとは思えない。結構、わたしがほしいような専門書は、万とまではいわないが数千円(の後半)する本が多い。その分、本当に自分の求めるものなのか実物にあたって吟味しなくてはならない。また、大きな本屋の本棚をみるだけで、いろいろ世の中の動きというか学界の動向を知ることもできるのも楽しみである。

さて今回、日本で購入した本の中で掘り出し物だと思ったのは、名古屋で買った佐野眞一責任編集 『宮本常一 旅する民俗学者』 河出書房新社 2005である。「KAWADE道の手帖」というムックの1冊である。宮本学ブームの立役者の一人である編集者の佐野氏によると、今年2006年は宮本の生誕100年にあたるそうである。東京でも名古屋の本屋でも、確かに民俗学のコーナーに「宮本常一」コーナーがあって、関連本も著作集も続々出版されているようである。その中でも、この本は表紙の写真がよかった。また、単行本・著作集未収録コレクションや、彼を知る人のエッセイ、評論、ブックガイドなど非常に盛り沢山の内容で、宮本ワールドへの導入として最適の本ではないかと思う。

碩学へのアプローチの仕方として、その周辺から入る、つまり関連本や解説本から入る方法と、直接その著作に取り組むという二つの方法があると思う。学生時代は、ついつい時間の制限もあり、また単純に手抜きから安直に解説本を読んでレポートをまとめたりすることもあったのだが、やはり今思うと、これはと思う著者については一冊一冊こつこつ読み重ねていくほうがよいと思う。わたしにとっての、そのような対象は、すでにGiant Stepsで触れているが、宮本常一、前嶋信次、家島彦一、鶴見良行、鎌田慧らである。何とか死ぬまでに読みたいと思うのが、前嶋先生の『アラビアンナイト』であったり、家島先生のイブンバッツータの『大旅行記』であったり、宮本先生の『著作集』(現在、46巻プラス別巻2)であったりする。蛇足だが、これは音楽でも同じで、わたしは気に入ったアーティストのアルバムは、結果としてほとんど全部そろえてしまう。たとえば、ビートルズであったり、サザンオールスターズ、槙原敬之、スピッツ、ミスターチルドレンであったりする。これはまた別の話であるが。

さて、著作集が沢山ある著者を攻略する?にあたっては、やはりその著作の書かれた時代背景をきちんと押さえておく必要がある。というのは、やはり人は変らないようで考えが変っていることもあるので、その著作の書かれた順序と、彼をとりまく世の中の空気というものも押さえておかないと、とんでもない勘違いというか浅い読み方になってしまうことがある。たぶんそれを避けるためにも関連本というものの意味があるのであろう。また、彼を取り巻く周囲の人の肉声というのも、非常に興味深い。別のところでも紹介したが、たとえば鶴見良行については、アジア太平洋資料センター編『鶴見良行の国境の越え方』 アジア太平洋資料センター 1999は、非常に面白かった。

ということで、この宮本関連本も楽しんで読んでいる。まだ読んでいる途中であるが、気になる一節があったので、以下に紹介したい。

「前略・・・。

町づくりという未体系化なままの運動のようなもの、それに参加している人間には宮本常一の弟子と言わずとも、深く影響された者が非常に多い。・・・中略・・・。その誰もが急がず、早急な結論を出そうとしない。プランを立てる、つまり計画するという近代的な方法とは別な、先ず人々に聞いてみよう、現実を見続けてみようという、一見何の成果も得られるような姿勢をとりたがる。しかし、その歯がゆいような姿勢が急激な変化、進歩という名の闇雲な変化の速力にブレーキをかける役割を果す事がある。

民俗学は哲学と同じに、現代では何かを作る側に荷担する役割、機能を果すことはほとんど皆無に等しい。・・・ 後略。」 (太字は筆者)

石山修武 「座りながら立ち尽し 巨大な減速装置」 上掲書15ページ。

このような文章をみると思わず、ニンマリとしてしまう。わたしも開発コンサルタントの端くれとして、特に地域開発を志している。確かにタスクとしては巨大なインフラ整備だけではなく(それも扱っているのだが)、もっと草の根と目される生計向上などのプロジェクトなど具体的な施策を立案し、かつ実施しなければならない。

ただし草の根といわれるプロジェクトも結局、資本主義のパラダイムに則った近代化のためのものであることには留意しなくてはならない。断言はできないが、市民社会とかNGOの活動が開発援助の世界でODAに対するオルタネーティブとしていろいろな場でうんぬんされているが、所詮、‘資本主義社会’である現在世界を無視したプロジェクトはありえないし、あったとしてもそれは空想でしかないと思う。

フィリピンにきて、より現場に近づいて思うのは、本当にこの資本主義化、近代的なスキームの導入が本当にフィリピンの田舎の人たちに適合しているのかという根本的な疑問や気づきが、歩けば歩くほどでてくる。

とはいえ、わたしは学者でも批評家でもでもない。実務家(であるコンサルタント)として、わたしに何ができるのか。

日本の民俗学から世界に足を踏み出した『開発民俗学』の歩みとその問いかけは、まさに始まったばかりである。

蛇足ながら:

この本のサブタイトルに「旅する民俗学者」とあるが、「旅する」というところが形容矛盾ではないかと思った。民俗学をやるような‘泥臭い’人間が、‘旅’をしなくてどうするねん!と思わず突っ込みたくなったことも率直にふれておく。

(この項、了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月22日 (月)

開発コンサルタント論 ちょっとブレイクを^^?

いま、開発コンサルタントについての対談を再掲載しているわけですが、ちょっとブレイクを^^?

もう5年以上前の記事ですが、自分でいうのもなんですが熱いというか暑苦しいというかあっちっちといった感じですね。

でも基本的な考え方は変わっていませんし、自分がその(業界)世界から抜けたとはいえその実態は対して変わっていないというか変わらないのではないかと思います。

「コンサルタントはリサーチャーでもプランナーでもない」という話を、いろいろなところで書いていますが、今の世の中、本当のコンサルタントが住みにくいというか生き難い時代になっていると思います。

まずは、開発途上国自体も、それなりに成熟しつつある、もしくは第二次世界大戦後、50年も60年も経つのに、全く変わっていないもしくは戦前より状況が悪くなっているところもあり、ありていにいえば、「開発=成長神話」が崩れてきたともいえるでしょう。

もちろん、その開発援助の業界の内部にいる人たちは目の前の仕事をこなすのに手一杯で、自分が立っている場所を考え直す時間も余裕もないのは十分わかります。

しかしながら、前回も述べたように、われわれが正しいと思ってやってきたこと全てが間違った仮説というか間違った前提にたって努力してきたという可能性も(非常につらいことですが)考えてみる必要があるでしょう。

はっきりいって、私は「貧困と‘闘う’」というコロンボプラン以来唱えられているスローガン自体が気に入りません。

私は、その自分が立っている足場自体を今の時点で見直せということを言っているのです。

その見直すにあたってのひとつのキーワードが、「パラダイム(論)」です。

私は本気で、世界を変えたいと思っています。「パラダイム」を変えたらどうなるのか。正直、私はどうなるのか見当もつきません。

でも今、足元から「パラダイム」自体を見直すしか、未来を開く可能性はないと思います。

「お前の考え方が正しいか間違っているかは時代が証明するだろう」と嘯く友人がいるとしましょう。

私は、こう言います。「時代はわれわれ自身が変えるものであるし、変えることもできる」と。

P.S.

私は神(と呼ばれるもの)の存在を否定するものではありません。人間や生命以上のものが存在することを認めたうえでも、‘人類にとっての’未来は変えられると思っています。もし地球や世界が、人間を必要としなくなったら・・・ それはそれで事実として認めざるを得ないでしょう。

私はイージーな「持続的な開発とか成長」を語ることに、まったく意味を感じていません。そんな小手先の言葉遊びや自己満足に浸る以前に、もっと考えることややるべきことががあるだろうというのが、私のスタンスです。

ちょっと口が滑りましたが^^? 

発言するからには責任が伴います。まあ自分への戒めということで肝に銘じて生きていきたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

そろそろ、‘ゼロベース’で考えるときなのでは?

ということを最近考えている。

まだ考えがまとまっているわけではないので、素描程度のメモでしかないが、気になる点を数点。

1.開発コンサルタントのダイナミクスは、国家元首から市井の人々まで広く付き合うことができる点がまずあげられる。

つまり上からも下からのアプローチも取りうる。現在、開発コンサルタントの知見の活用で国家レベルや国を超えたレベルでの全体構想をコンサルティング業務に入れていこうと動きがあるらしい。

しかしながら、その前提が、「国家ありきの開発」構想でよいのかという根本的な疑問が残る。実務家の世界では、最初から業務範囲(TOR)が定められていることは必須であるし別に珍しいことではない。

ただ私が引っかかるのが、与件を与件として全部認めなくてはならないのかということなのだ。この与件とは、俗に国際世論というか世界銀行やIMFや国連が提唱しているような「グローバル」なんとかというやつである。

私は、・・・ やはりこの与件自体を洗いなおす必要があるのではないかと思う。

全ての近代科学は‘与件’というか‘前提条件’がなければ‘論理’的な思考はできないとされている。でも、その与件や前提条件が仮にも間違えていれば、いくら‘論理’を重ねたところで間違った答えしか返ってこない。

私は、この与件や前提条件を疑えと言っている。

たんなる酔狂の叫びなのか誰にもわからない。自分もそんなに確信や自信があるわけではないが・・・ たぶん、この前提条件が間違っていると感じている。

具体的な論考は、今後の「開発民俗学への途 第2部 幸福論」や「開発コンサルティングを想う」の中で徐々に取り上げていきたいと考えている。

誠に歯切れの悪い記事ではあるが、とりあえず今日はここまで。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月20日 (土)

対談 開発コンサルタントとは? (目次)

さっそくですが、歩く仲間HPの過去記事から、「対談 開発コンサルタントとは?」という記事を取り上げます。もう5年も前の記事ですが、しばやんの越し道の一端がわかるかと思いますので、よろしくおつきあいください。

なお、オリジナルの記事はこちらです。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm

---------------------------------

対談・開発コンサルタントとは?
(2003年7月23日~2003年9月16日:掲示板の記録)
All rights reserved by E. Shibata & T. Matsuyama© 2003-04

2004年6月1日

イギリスに留学して開発学を学んでいた“つかささん”としばやんが、お互いのHPの掲示板上で日本の開発コンサルタント業界についてトークバトルを繰り広げました。

質問内容も回答についても、たぶんに主観的なものが混じっており必ずしも統計的な正しさを保証するものではありませんが、その分、本音のトークとなったと思います。

 ただし、あくまで一例としてご覧いただけたら幸いです。

なお、つかささんのHPはこちらです。↓
『Development Studies: Hypocrisy or True Altruism』

http://members.at.infoseek.co.jp/tsukasamatsuyama/


               目 次

1.                初めてこの対談を読む方へ  (転載略)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc001.htm

2.                対談者略歴           (転載略)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc002.htm

(以下の3~17.の内容を、このブログに転載します。)

3.                開発コンサルタントとは? しばやん 2003/08/05

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc003.htm

4.                質問 (その1) つかさ  2003/08/05

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc004.htm

5.                 回答(1-1) しばやん  2003/08/09

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc005.htm

6.                 回答(1-2) しばやん 同上

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc006.htm

7.                質問 (その2) つかさ  2003/08/10

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc007.htm

8.                 回答(2-1) しばやん  2003/08/14

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc008.htm

9.                 回答(2-2) しばやん  同上

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc009.htm

10.          回答(2-3) しばやん  同上

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc010.htm

11.          回答(2-4) しばやん  同上

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc011.htm

12.         質問 (その3) つかさ  2003/08/18

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc012.htm

13.          回答(その3) しばやん  2003/08/20

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc013.htm

14.         質問 (その4-1) つかさ  2003/09/02

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc014.htm

15.         質問(その4-2) つかさ  同上

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc015.htm

16.         質問(その4-3) つかさ  同上

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc016.htm

17.          回答(4)(無事のお帰りを!) しばやん  2003/09/16  (転載略)

18.         対談を終えて しばやん 2004/5/10  (転載略)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc018.htm

19.         対談を終えて つかさ 2004/5/23  (略)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc019.htm

----------------------------------------------------------

主に対談の実際のやり取りの部分を、このブログに再掲させていただきたいと思います。非常に的確かつ鋭い突っ込み(質問)をしていただいたつかささんに改めて感謝の意を表したいと思います。この質問がなければ、このような記事の展開にはなりませんでした。

同じような疑問をもっている人たちにとって、非常に参考になるのではないかと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月19日 (金)

ぼくたちの「未来日記」 ~ 開発コンサルティングを想う ~

というコラムを新連載します。

「開発コンサルタント」という生き方に関して今思うところを書き綴ろうと思います。

思えば大学卒業以来16年間、日本の政府開発援助の世界で働いてきたわけですが、その経験をふまえ、日本と世界の未来を語る、これからの開発コンサルティングを語るコラムとします。

思えば地域研究の世界から、まさにアラビアンナイトを原語で読むというような幻想的な世界から開発援助業界の只中に、なんの心の準備もないまま飛び込んで右も左もわからずに突っ走ってきましたが、会社内外の諸先輩方、よき同僚よき仲間に恵まれて、東方西走に世界を飛び回るチャンスを与えていただきました。

今は地元に戻って、マリン業界で新たな天地を開こうとしておりますが「コンサルタント」という生き方について常に考えていきたいと思っております。

このコラムでは、今までに私が書いてきたエッセイの再掲載も含め、未来志向の「開発コンサルタント」論をみなさまと共有していきたいと思います。

今後とも引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

ではでは^^?

P.S.

当然のいわずもがなのことですが、守秘義務規定に抵触するような記事を書くことはありえません。暴露的な記事を期待されても全く無駄です^^?

ただ、「失敗学」の考え方を援用するならば、なぜうまくいかなかったかという例をとりあげる可能性はありますが、特定の個人やプロジェクトを取り上げないように十分に気をつけるつもりです。

われわれが考えるべきは、、何をやってはいけない(いけなかった)のかと、何をこれからすればよいのか、行動や考えるにあたって、どこに気をつければよいのかというシンプルなことだけです。

他人の誹謗中傷をするつもりもありませんし、逆に受け付ける気もありませんので、その点はよろしくご了承ください。

ではでは^^?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

「特集 人類学と開発援助」 『国際開発研究 Vol.17, No.2 2008年11月』 

国際開発学会の標記の特集号が、ようやく手元に届きました^^?

Photo 国際開発学会に入って何年ぐらいになるのでしょうか。今年の6月までフィリピンのマニラに駐在していたので会社宛に送付してもらっていたのですが、転職もしたことだし、そろそろ住所変更の手続きをしなければ。

とにかく、もとの会社から転送してもらって手元に届いたばかりなので、じっくり読ませていただこうと思います。

私も着目している同世代の気鋭の研究者達が投稿しているので、彼らが何を書いているのか、今から楽しみです。

別に気負っても仕方がありませんが、彼らが学界というか研究者から開発に入ったのに比べて、自分は開発援助業界の中で問題意識を高めてきたという自負があります。

大学の友達からしばやんが営利企業に入るとは信じられないといわれつつも援助業界にもまれて実務をやってきました。

ちょっと事情で、一旦、開発援助の世界から離れましたが「開発民俗学」への途を決してあきらめたわけではありません。

今は、別のステージで修行中というか充電中といったところでしょうか。私は私の途をゆく。ただ、それだけのことです。

論文を読み終わったら、別途、報告させていただきます。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 1日 (月)

「歩く仲間プロジェクト」20周年を迎えるにあたって <予告編その1>

基本的に思いつきで行動しているので深い意味はないのですが、ようやく転職後の生活も落ち着いてきたので、来年度の抱負を(徐々に)語りたいと思います。

「歩く仲間プロジェクト20周年」にあたって

最近、ふと気がついたのですが「歩く仲間」のホームページを立ち上げたのが、2000年3月18日なのですが、そのもととなる「歩きながら考える世界と開発」のエッセイの初めの部分を書き出したのが、1999年1121のことでした。つまり、「歩く仲間」プロジェクトの10周年となります。

「始めに(今、僕達はどこにいて、どこへ行こうとしているのか」http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0001.htm

また、同時に大学生時代に始めた個人通信「大阪便り」の第1号「創刊の辞」は、1989年12月15日となっています。つまり、この「歩く仲間‘前史’」を含めると、しばやんの発信は、ちょうど20周年を迎えることになります。

「大阪便り」 第1号 1999年12月15日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/o0001.htm

上記に鑑み、以下のような「歩く仲間」20周年事業を考えました^^?

第1弾 「開発民俗学への途 第2部 ‘幸福論’ 編」 の執筆

ちょっと休止していた「開発民俗学への途」の第2部を「幸福論」というサブタイトルで開始します。

2007年のテーマとして「‘わたし’の平和学~冬が来る前に」ということをとりあげましたが、世界の状況は、ますます厳しいものとなりつつあるようです。アドレスは下記のとおりですが、この方面での書き込みは現在ちょっと控えています。というか、正直いいましてかなり重過ぎますわ。テーマ的に^^?

「‘わたし’の平和学 ~ 冬が来る前に!」

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

ご案内の方もいらっしゃるかと思いますが、日本でも本格的に「貧困論」の研究がすすみつつあるようです。

手元にチラシがありますが、「初の貧困研究専門誌、10月に創刊」ということで、青木紀編集長、岩田正美、布川日佐史、福原宏幸、松本伊知朗の4氏の編集委員からなる「貧困研究会」による『貧困研究』が年2回刊を目指して、明石書店より創刊されます。

今、その創刊号の目次をみて、私は次のような事を思いました。既に今までにいろいろなところに書いていますが、今までの西欧近代化資本主義のパラダイムに則った「貧困」や「開発」研究には、全くとは言いませんがほとんど追究する‘意味がない’と私は考えています。

現状認識が間違っている、つまり問題を立てた世界と現実の世界が違ってしまっている現状でいくら特殊などの時代と世界状況に立脚した理論モデルをだましだまし使っても新しい次の地平線にはいけませんよというところに、素人で在野ではありながら果敢にも(無謀にも)挑戦しようと思います。

大思想家とされる先人たちも、そもそも時代の子であり、必ずしもその生きていたその時代にその思想の真価が世の人たちに評価されたわけではありません。

ともあれ、今までの「貧困」研究の延長として現在の先進国の貧困と、開発途上国の貧困や開発問題を考えていいのかについて、私は今までの経験から、かなりの疑問を感じていますので、逆に裏をかいて、「何が幸福か」ということを考えることにより、「貧困」の意味、もしくは今の世の「貧困」というラベルにこめられた意味をあぶりだすことができるのではないかと考えています。

第2弾 その他 いろいろ

ということで、まずは、「開発民俗学」における「幸福論」の追及、たぶん、次の優先順位としては「海洋民俗学」の執筆準備、今までの開発コンサルタントとして関わってきた国々の想い出の整理、具体的には写真の整理とウェブへの掲載、ちょこちょこと買い集めた世界の現場で手に入れた「宝物」の整理と紹介みたいなことにも取り組んでいきたいと思っています。

あと、HP自体の大きな構成換えも考えています。

ということで、20周年目の「歩く仲間」は、さらにパワーアップしていきたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月20日 (木)

ひとりNGOの勧め -ODA50周年に寄せて- <アーカイブスより>

2004101

ひとりNGOの勧め -ODA50周年に寄せて-

But I’ m not the only one. John Lennon, Imagine 1971より>

最近、特に開発関係の仕事に進みたいという人から相談を受けることが多い。当然、その場で結論をだせないにせよ、本人と直接会って話しをするほうがよいのはわかっている。しかし、必ずしもお互い時間を取れるわけでもないし、このHPをみてのE-mailをくださる方も多いので、とりあえずE-mailで回答することも多い。その質問内容をみると、それぞれいわば生まれも育ちも違うはずなのであるが、質問に一定のパターンがあるようにもみうけられる。ここでは、そんな典型的な?質問に対する私の基本的なスタンスを述べたいと思う。

1.勉強が先か、現場が先か。

すでに大学を卒業して社会人として働いている方からの問い合わせに多くみられるのだが、きっかけはいろいろだが仕事として「開発」に関わりたい、今、実際に働いている分野は、直接、開発と関係ないのだが、将来的に開発の開発専門家としてのキャリアパスを見つけたいのだがどうしたらよいかという質問が非常によく寄せられる。

 

 その背景をもう少し細かく見ると、自分の大学で専攻したことと仕事のいずれもが、自分のめざす開発専門家として求められる資質と違うのではないかというケースと、自分が大学や仕事で専攻した分野での経験を生かして、国際協力の仕事に転職したいのだがというケースの二つに大きく分かれるようである。

いずれにせよ、個人の問題意識を述べられた上で次にくる質問は、何々の分野の専門家になりたいのだが、専攻した(したい)分野を生かすためにあらためて海外の大学院に留学したい、もしくは国際NGOなりでとにかく途上国開発の現場にでたいのだが、どこにアクセスしたらよいかと問い合わせだ。もっとダイレクトに、留学したほうがいいのか現場を先にみたほうがよいのでしょうかという質問だ。

言い訳ではないが、わたしは別に就職のカウンセラーでも何の権限をもっているわけでもないのだが、そうは言っても、せっかく質問していただいた人たちには、大体、次のようなアドバイスをしている。

優先順位

チェックポイント

その理由

自分の好きな分野を大事に。

確かに実務の現場として技術的に求められる分野やこれからはやりそうな分野はあるが、あくまで本人の興味関心にあったことをやってほうがいい。しかしながら、逆に社会人の人はその仕事として経験した分野から大きく離れた分野にいきなり挑戦するのもかなり厳しいとも思う。

自分の好きな世界の地域を選択して、実際に現場に触れてみることがよいのではないか。

ある程度自分の専門としたい分野が決まった人に次に勧めるのは、自分が好きな地域をある程度、絞って実際に現地に行くことをお勧めする。詳細な理由は、後述する。

上記を一言でまとめると、好きな分野と地域をある程度、決めてかかったほうがいいですよということである。確かに、あたりまえのことだ。

当初の「勉強が先か現場が先か」という問題にもどると、私としては、もし時間が許すなら、まず自分の関心のある地域にいって、これは単なる旅行でもNGOのスタディツアーでもなんでもいい、もしその国や地域が気に入ったのなら、その地域や国をベースに、その国で求められている技術やレベルを基準に、自分の学ぼうとする専門性とのフィードバックをしつつ、具体的に、自分のやりたい(勉強したい)ことや、自分の弱点、強みを見出してみるのがよいのではないかと思う。

 私は、某国立大学の外国語学部でアラビア語を勉強したのが、その時に、同窓の友達、先輩をみて、入学当初の言語、すなわち地域の選択が、いかに難しいかということをつくづく感じた。別のところでも書いたが、私は大学地代を通じて結局、卒業するまでアラビア語圏はもとより外国旅行をしなかった。確かに15年も以前のことで通貨価値もちがうし、他の理由もあるのだが、今になって思うと、アラビア語を選んだのは、非常な賭けであったと思う。

幸いにも関心をもって今まで勉強を続けてこれたが、少なくとも私の知る限りの二つの国立の外国語大学では、1年生から専攻言語の授業があり、少人数の蛸壺教育で、1年生から専攻語学の単位がとれないと進級できなかった。つまり、その言葉なり地域なり、もしくは先生にあこがれて入学した人はいいが、逆に、英語や他の言葉をやりたいのだが、とにかく外国語大学に入ってしまえと入学したはいいが結局、専攻語になじめなかった方は、実に辛い思いをしたと思う。

また、最初は関心があってはいったが、実際に現地にいってみたらあまり思ったほど楽しい地域ではなかったという話しを、実に意外なほど多く見聞きした。

当然、こちら側の思い入れも大切なのだが、相手というか言語や地域も、人を選ぶのだ。これは結局、相性としかいいようがない。

 別のところ(歩きながら考える[013])でも書いたが、言葉を学ぶとしたら、英語を中心に、フランス語、スペイン語ができるといいが、それに加えて、私はぜひ自分のフィールドというか好きな国の言葉を学んだらよいと思うのである。どんなきっかけでもよい。たまたまというか、自分の気に入った国があって、それが結果として途上国であるかもしれないが、そこで現地の人と友達になれたら、そこはあなたにとって単なる開発援助の対象でも国際協力の対象ではなく、あなたの友達が住んで生きている現場なのだ。(これでは、まるで『星の王子様』の世界ではないか^^?)

上に戻る

2.「3つのC」で考える

ちょっと脱線するが、最近、3つのCというものを考えている。これは、いわば気づきの3段階のキーワードを並べたものだ。

段階

キーワード

そのココロ

Conscious, Concern, Care

まず気づくこと。かまうこと。

Collaborate, Cooperate

共に働く(遊ぶ)こと。共に生きること

Commitment, Courage

自分の立場に責任をもつこと。励ますこと

 実は、まだ漠然と考えているだけで、2と3の順番や、どの単語がそれぞれの段階でベストなのかは決めかねているのだが、援助の現場で求められている他者(世界)の認識には、上記のステップがあるのではないか。

 まず、自分とは違う他人に気づくこと。そして、一緒に考えたり遊んだりすること。さらに踏み込んで、例え地球の裏側であってもその他人を仲間として自分の中に位置付けて、一生の友達として自分なりに覚悟をきめること。そんないわば赤の他人を受け入れることには当然、勇気が必要だ。

今の日本の現状をみても、非常に世知辛い世の中ではある。特に、都会では「袖ふれあうのもなにかの縁」などいうことわざは死語と化しているであろう。また逆に、「一期一会」とはいう言葉もある。そういえば「小さな親切、大きなお世話」などというCMが日本の流行語大賞を取ったのは果たして何(十)年前のことであろう。

それはさりなん、逆に今の世のだこそ、‘仲間’の問題を自分の問題として共に考えようとする、ちょっとした勇気が今の世の中に求められているのではないか。

国際協力とか開発援助とかいうと、確かに今では日本の社会において社会的関心も高まり、それなりのステータスというか地位を得ているが、これはそんなに昔のことでもない。また、別にODANGOだけが、この世界を「開発」しているわけではない。市井の本当に普通の人たちの経済活動が、この資本主義(国民国家)世界を現実的に形成しており、世界を回しているのだ。現在の「日の沈まない帝国」とはすなわち「多国籍企業」でもあるのである。

今までの、いやこれから先もずっと先進国は先進国だけでは生きていけないし、逆に途上国は途上国だけでは生きていけない。日本もしかり、決して孤島ではなく、地球上の全ての地域や国と、簡単には目に見えなくても密接なつながりをもって存在している。もう「官」とか「民間企業」とか「市民社会(NGO)」とか便宜的なラベリングをやめようではないか。だって、私たちは、「役人」であったり「会社員」であるのと同時に「家族」の一員であり、たまには「市民活動(NGOなど)」に参加したりしている、普通の人たちではないか。ひとりひとりが、いろいろな仮面を持って、この現実社会に実際に生活しているのである。

 最近、大学の中国の地域研究をしている恩師と開発についてE-mailでやり取りすることがあった。ちょうどその私の返信の中に、まさに今の私の心境を表している一文があるので、以下に転載させていだたく。

「  ~前略~  私のHP上でも、いろいろ紹介しているように、若い援助に関心のある仲間は、本当に自然体で「開発援助」を考えていると思います。今、この文章を書きながら、たまたま、ふと思ったのですが、私にとっては、この援助の仕事も、ある意味「遊び」でやっているところもあるし、なにより”援助”される人を、私は「友達」というか「仲間」として認識していることに、あらためて気がつきました。

たまたま、生まれや育ちが違うだけで、本質的には、同時代を共有している仲間じゃん。 実は、2年前にフィリピンに出張にきたときにパナイ島のイロイロで知り合った国家灌漑庁の灌漑事務所で働く女性の友達(歩きながら考える[019]を参照)から2年前に、「Mr.Shibataは、他の日本人と全然ちがう。30パーセントが日本人で、30パーセントがフィリピン人で、後の40パーセントは、何人だかわからない。」とコメントされておりますので、とても私が標準的な日本人とは思えないのですが、ただ、私が日本で「若手会」と称してつきあっていた日本人の仲間は、ある面、同じような思考パターンをもっていました。彼女達とは、駐在してからも出張を絡めて遊びにいって今でも仲間としてたまに連絡をとりあっています。  ~後略~  」

以前、開発教育を語ったとき(歩きながら考える[013])にも述べたが、日本のことと、英語圏のことと、そしてもうひとつの定点観測をすべきフィールドをもつこと。つまり、三角検証(Triangulation)できるようなポジションに自分を置くこと。特に海外に一生つきあっていけるような仲間を持つことが、大切なのではないか。

上に戻る

3.ひとりひとりずつの花を咲かそう

 一昨年であろうか。人気グループ(スマップ)の歌で、「世界にひとつだけの花」という歌が日本で大変はやった。うろ覚えで申し訳ないが、「Number One でなくてよい。Only One でよい。世界でひとつだけの花を咲かせよう」という意味の歌詞であったと思う。実は7年ほど前に同じような言葉を聞いていた。1997年の日記の「今年のはじめに」の欄にこんなことを書いていた。

「・・・今年は一歩進めて地域社会に生きる。普通の人々のなにげない生き方に共鳴し、共感する。そんな人の間で生きてゆくことに心をそそぎたい。昨年末(1996年)のテレビで見た海援隊ライブで、武田鉄矢が恩師の言葉として引用した言葉「折れたるは折れたるままに、小さきは小さきままに咲くコスモスの花」にあるように、物事をありのままにうけとめ、決して自分の尺度で計らずに、皆がそれぞれの立場で花を咲かせる、輝けるような一年に今年はしたい。」

それぞれの人たちが、それぞれの立場でプライドを持って生きていけたらどんなにか素晴らしいことかと思う。

今、開発援助業界は、日本に限っていえば、とてつもない買い手市場で、競争も激しいときく。特に、すでに社会で働いている人にとって、隣の芝は青いではないが、なにかとても崇高な‘社会貢献’をしているようにみえるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。公務員であれ民間企業であれ、自営業であれ社会人として社会のため人のために働くということは、それぞれが貴重で大切なことだと思う。

私は、途上国でも日本でも、路上で日々の糧を得ようと手を伸ばす人たちにコインを渡すようなことはしない。なぜならば、私は日々の実践として、これらの貧困やよりよい社会を築くために闘っているという自負があるからだ。

別に‘開発援助’の現場に働くことだけが人生ではない。それぞれの立場で、よりよい世界を目指してがんばることに意味があるのだと思う。観光旅行でもいい、NGOのスタディツアーでもいい。自分の足で歩いて自分で良かれと思うことを実践する。ちょっと問題意識をもって、世界のさまざまの土地に生きる生身の人々と対話を始める。それぞれが、ほんのちょっとだけでもお互いに‘よい想い’を共有できたらそれだけで十分な国際理解であり‘開発援助’ではないか。

「歩く仲間通信[018]で冗談みたいな話しとして語ったが、会社や組織の一員というだけではない、自分で考え自分で動ける自分というものを持つこと。すなわち、「ひとりNGO」という生き方を提唱したい。

これはいわずもがなのことであるが、単なる帰属集団や体制批判でもないし、社会に背を向けて勝手なことをやるということではない。あくまで社会の中の自分というのを踏まえた上で、‘自分’を語ってよいのではないかという、ささやかな独立宣言の勧めである。

2004106日は、日本が戦後コロンボプランに参加して50周年、つまりODA50周年となる。例年のごとく、10月の第一週の土日の2日間、すなわち2004102日、3日と東京の日比谷公園で、「国際協力フェスティバル」が行われる。残念ながら、私はマニラで参加できないが、関東近辺の方は散歩がてら足をのばしてみたらいかがであろうか。

国際協力フェスティバルの主宰者によるホームページは、以下のとおりである。


http://icf.visitors.jp/

やはり、何をやるにも、「旅は道連れ、世はなさけ」である。歩く「仲間」とのよき出会いを。

この項 了

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年11月12日 (水)

宮本常一+案渓遊地 『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』

出版直後に見かけてはいたのですが、ようやく購入しました^^?

Cci20081112_00000 宮本常一+案渓遊地

 『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』

みずのわ出版、1000円

2008年4月

お薦め度: ★★★★★

一口コメント:

学術的なフィールドワーカーのみならず地域研究や開発援助に携わる人(特に日本人)は必読。

ロバート・チェンバースを読んで感動している場合ではない。

という2つ目のセンテンスは極論ですが、元開発コンサルタントとして、特に開発途上国の開発に携わるコンサルタントなどの実務者に限らずいわゆるお上の人にも読んでいただきたい一冊です。

A5サイズで、事項索引を入れても、わずか118ページのブックレットですが、その訴えるテーマは古くて新しいというか、ずばり「開発倫理」の本です。

歩く民俗学者、歩く仲間の大先輩の宮本常一氏が、1972年に、『朝日講座・探検と冒険 7』に著した小論「調査地被害-される側のさまざまな迷惑」(のちに未来社版 『宮本常一著作集 第三一巻に、「調査地被害」として再録)を第2章に全文を引用して、直接、宮本氏から指導を受けたフィールドワーカー(研究者)である案渓氏が、日本の南の島々でのフィールドワークで体験(経験)した、今なお続く調査地被害、特に調査‘される側’の声をふまえて考察した論文を再録しています。

なお、宮本氏の「調査地被害」という論文については、『歩く仲間-歩きながら考える世界と開発』のブログ(HP)の中で何度も取り上げておりますので、私の立場と理解についてはこちらを参照ください。

>われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(2005年7月3日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

>文化人類学の1990年代を振り返る  (2005年7月3日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

>ブームの宮本常一?  (2006年4月1日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

>人類学者の皆様に ~援助の‘効率化’って何?~ (2007年2月10日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog051.htm

>人類学者の皆様に(補足1) ~援助‘する’側、援助‘される’側の認識について~ (2007年2月18日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog052.htm

>実務者不在の議論(その1) (2007年4月14日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog063.htm

>実務者不在の議論(その2) (2007年4月14) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog064.htm

実は、3月に日本に一時帰国して、大型書店で平積されたこの本をみたとき、宮本氏の論文の再掲ならば、わざわざ買う必要もないと思ってあえて購入しなかったのですが、今回、案渓氏の論文を読んで、‘いまだに’調査地被害が、日本で続いていることに暗然たる気持ちになりました。

上の私の論考でも触れていますが、今の開発援助に関心のある勉強しているはずの若い人たちの間でも、本多勝一の「殺す側の論理」と「殺される側の論理」の議論についても知らない人が多い。既に時代遅れの二項分類ともいわれていますが、これは、ロバート・チェンバースのいう「アッパー」と「ローワー」の議論と同様以上に重要な概念だと思います。

ともあれ、人文科学を目指す人のみならず、広く(地域)社会に関わろうとする人たちは必読の小冊子です。

そうそう、蛇足かもしれませんが、一言で上記の問題を語れば、

「人として」ということではないのかなとも思います。「倫理」と大きな声でいうものではなく、人の迷惑や痛みを考えることとは、人として当たり前のことでもあります。

それを「学問」や「開発」のためというのを錦のお旗というか言い訳にするのは、どうしたものかと思いますね。あなたも私も社会に対して‘上から目線’になっていませんか。自分への戒めとして^^?

P.S.

別のところでも書きましたが、宮本氏のフィールドワーク論(方法論のみならず倫理を含む広い意味での)を編集した『旅に学ぶ』は、フィールドワークに関心を持つ人はぜひ手元において味読していただきたい論集です。

Cci20081113_00000

宮本常一 『宮本常一著作集 旅に学ぶ』 第31集

未来社 1986年 2800円

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

ちょっとお値段が高いのがキズですが、どれを読んでも氏の鋭い視線を感じます。現場で何をみればよいのか。

「あるく みる きく 考える」は氏のモットーでもありましたが、フィールドワーカーである『歩く仲間』の必携書ともいえるでしょう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年5月28日 (水)

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 ~ まず‘違い’を認めるということ

最近、伊藤亜人著 『文化人類学で読む日本の民俗社会』という本を読んでいるのだが、これがまた知的刺激に富むというか、一言でいうと非常におもしろい。

---------------------------------------------------------

08052800 <コラム1>

伊藤亜人

『文化人類学で読む日本の民俗社会』

有斐閣選書 有斐閣 2007年12月発行

お薦め度: ★★★★★

対象レベル: 中級以上

一口コメント: 

補注が全くないので、ある程度の予備知識や専門知識がないと何を言おうとしているのかわかりにくいのではないかと思う。

つまりこの本だけでは氏の考えの根拠をトレースしにくい。しかし取り上げている項目は非常に多岐にわたり、おもしろい視角を提供している。

日本の民俗学の死角をついているというか、(文化)人類学との比較の視点が私には新鮮であった。

------------------------------------------------------------------

つまり概説書でもなく教科書でもないのだが、氏の長年の日本の及び韓国、中国での民族学調査の経験を元に、東京大学系の文化人類学の重鎮としてのキャリアから、日本の民俗と民俗学を逆照射している点が非常におもしろい。

特に私の興味を引いたのは、日本の民俗学(者)や、われわれ日本人が自明だと思っている概念や事実がそうではなく、民俗学者が民俗語彙として使っている専門用語でさえも(文化)人類学の範疇では、かなりの厳密な用法上の注意がいるということ。

開発‘民俗’学を語ろうとしている私にとって、世界と対話するには、ちゃんと文化人類学とか社会学など近接人文社会科学で使われている専門用語の裏側にまで注意を払わなければ、対話が成り立たないということがわかっただけでも大きな収穫であった。

まだ読了していないので、詳細はコメントは後に譲りたいが、ここで3点ほどメモ書きを。

1.開発‘民俗’学は、広義には、世界で言われるところの「開発人類学」や「開発民族学」の一部門であることは疑いようもないし、事実であろう。

2.しかしながら、日本の「民俗学」の発展過程で培ってきた概念用語や方法論は、十分、世界に通用する普遍性をもつ可能性はある。

これは、今、あわせて読んでいる上田和男他編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978 の内容(柳田国男以降の研究史)を見ても十分証明?できると思う。

-------------------------------------

08052803 <コラム2>

上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編

『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

お薦め度: ★★☆☆☆

対象レベル: 中級以上

一口コメント:

‘古い’といわれて久しいが、やはり‘民俗学’のオーソドックスな学説史の簡易なハンドブック(当然、1970年代まで)としての価値はまだあると思う。柳田国男の高弟たちが分担執筆している点でも興味深い。

-----------------------------------

3.ただし、そのためには世界的に通じる共通言語をもたなければならない。つまり、適当な翻訳語を無自覚に使うのではなく、たとえば英語のもつ意味と、日本語の民俗語彙の持つその‘違い’をふまえたうえでの議論をしなければ、専門用語で書かれた論文であったとしても、言葉が通じないばかりか全く意味が通じない可能性が非常に高いということである。

私は、そもそもは、日本人の開発に関わるひとりとして、日本人のセンスや知見について、特に日本人自身の注意を喚起するつもりで、「開発民俗学」などを提唱してきたが、やはり本当のターゲットは、日本人だけではなく世界の誰もが共有できる知を提示することにあることに気がついた。

結局、仲間内で盛り上がるだけの‘閉じた世界’ではだめなのだ。

私は自信をもって、日本の民俗学の知見を世界に発信していきたいと思う。

そのためには、相手の‘土俵’に乗ることも必要であろう。だが、相手の概念用語だけを使う必要は全くない。新しい‘土俵’を新たに作り出すことも必要だと思う。

とにかく、いかに日本の民俗学と世界の人類学との距離があることにきずかせてくれたこの本は一つの手引きになろう。

まず‘違い’を認めた上で、共通なものや共感できるモノやコトを探っていく。それが21世紀の知のあり方であると思う。

詳細や具体的な論考は今後に待て、といったところでとりあえず今日は筆をおかせていただきます。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月16日 (金)

「持続的な(経済)成長」や「環境にやさしい(科学技術)」や「貧困削減」について

日本で7月に洞爺湖サミットを控えているためか、最近、上記の言葉をよく日本のニュースで聞いたり新聞などで目にするが、どうも違和感を感じている。

自分自身、その中というか非常に身近なところにいるはずなのだが、なぜしっくりとこないのだろう。別に世論に棹をさすわけではないが、何が気になるのか以下に綴りたい。

「持続的な(経済)成長」

今、地球環境問題や貧困の問題が、ビックイッシューとして、専門的にはグローバルイッシューといわれているが、茶の間にも上るようになってきたが、私にいわせれば、別に今日に始まったことではなく、私が学生時代の20年前でも既にビッグイッシューであった。

その時に、地球環境論という大学のリレー式講義で学んだのは、エントロピーの理論、具体的には熱力学の第2法則であり、つまり閉鎖系では熱は無限大に増大する。定常状態を保つには開放系でなければならないということだった。その時点で、理系のエントロピー学者が提起したのは、今までの経済学は、負の生成物を外部経済として経済の外に締め出して、永久の経済成長を謳ったが、実は物質の循環を無視した(寸断した)上で、かつ閉鎖系での成長のみを夢想?したために、経済活動をすればするほど負の蓄積がたまるという負の連鎖を生み出している。

つまり結論として、(自然)科学法則に従う限り、「持続的な経済成長」はありえないというのが既に当時でも「答え」であった。

「環境にやさしい(科学技術)」

最近、公害を減らすとか環境にやさしい科学技術とかいって、太陽光とか風力とか水力(これは納得できる)が改めて脚光を浴びているが、太陽光発電と原子力については、火力発電と較べても、はるかに効率が悪い。つまり半導体を作ったり原子力の原料を生成することや原子力サイクルを安全に維持するために多くの化石燃料、つまり石油をつかうので、ただ普通に火力発電を行ったほうが、はるかにエネルギー効率がいいというのもまた、20年前でも科学的?には、常識であった。

「貧困削減」

20年前と較べて非常に悪くなったと思うのは、ここまで世界の‘貧困’が日本の茶の間で語られるようになったことである。

私にいわせれば、‘貧困’の定義自体があやしいし、その実体について、具体的にはどう定義されたりイメージされているのかが非常にあやふやだ。

まあ世銀や国連がその言葉(貧困)を盛んに煽り立てたという気がしないでもないが。

つまり、‘貧困’状態は、いつでもどこの社会でもあったと思う。ただ、その露出のされ方というか取り上げられ方がおかしいのだ。

少なくとも私の学生時代は、アフリカやアジアの途上国に対して自然災害や人災(戦災も含む)による具体的な「飢餓」などの事件は話題になったが、事件性のない「貧困」自体が問題になったという気がしないのだ。

昔から「恵まれない子に愛の手を」とかいう実体が判らない抽象的なアジテートは大きらいであったが、どうも「貧困削減」という言葉も、最近、そのような軽い言葉に成り下がってしまった気がする。

「実体が判らない」ということを具体的にいうと、つまり「誰にとっての」とか「何(誰と)に較べて」とか「本人はそのことをどう思っているの」という話者の立場が非常にあいまいであることに私は不信感を感じるのである。

また‘貧困’自体は、途上国にかぎらず日本にもアメリカにもどの社会にも存在するし、どの時代を振り返ってみても、全く‘貧困’と縁のなかった社会はなかったと思う。繁栄の陰に貧困あり、もしくはみんなが貧困? でもその場合、みんなが同じ程度、貧困である場合、彼らは、互いに‘貧困’だといいあうのだろうか。

「貧困」の辞書的な意味としては、「貧乏」とか「困窮」、「不足」などがあるが、日本語の場合、物理的な‘モノ’がない場合にも使うが、精神的な‘コト’を示す場合もある。

つまり‘貧困’とは、「貧しい」ことと「不足」であることをさすようだが、いずれも‘何か’との比較を前提にした言葉であることに注目したい。逆に言えば、比較すべき‘何か’を持たない(知らない)人にとっては、自分の何が「貧しく」て{不足」しているのかを気がつくことは非常に難しい。

結局、何かをわかったつもりの人が、上から目線で「お前は貧困だ」といわなければ、当の言われる人にとってみれば、何が‘貧困’なのかわからないのである。それは、何かとの比較によってしかわからない。逆にいえば、そう言われた人が別の尺度をもってきて、言った人に向かって「お前は貧困だ」ということも原理的に可能である。たぶん、それは、「貧困なる精神」とでもいうのであろう。(これでは、まるで本多勝一だ。こりゃ^^?)

本来の「貧困」の意味は、もっと多様でいろいろな側面や性質を持つはずである。また福祉学では常識であるが、人生の年代によっても「貧困線」を下回る危機がおとずれる。同じ人であっても時期によって貧困になるときも、それを乗り越えられることもある。つまり時間的な流れの中でも、その状態を検討しなければならない。

ところで、そもそも今、学問的に言われている「絶対的貧困」も「相対的貧困」も‘貧困’そのものを指し示したものではない。

もともとは「困窮」状態を経済的に割り戻したのが貧困線だとされているが、そもそも「貧困」理論の根本的な弱点は、経済尺度だけで物事を測ろうとしたところである。

つまり貨幣に換算できる‘もの’の尺度でしか測れないという点は、いかんともしがたい。基本的に旧来の貧困線は、相互扶助とかの社会関係性(ソーシャル・キャピタル論として近年、話題になっている)については見落としというか計算に入っていない可能性も高い。

HDI(人間開発指標)は、それを克服すべく生み出されたといわれているが、それでも‘ものさし’をつくった人間‘が’知覚する‘測れるモノ’の組み合わせでしかない。

ここでは、‘ものさし’の議論をするつもりはないが、誰に都合のよい‘ものさし’、もっと広くいえば‘ルール’であるのかについては、常に考えるようにしたほうがいいと思う。

内省も含めて、得てして力を自覚しているものは自分の都合のいい‘ものさし’で物事を測ったり、自分の‘土俵’だけで人と争いがちではないかという点を指摘しておく。

あとどうしても納得がいかないのが、なぜ「途上国=貧困」という図式が特に日本ではイージーに成り立ってしまうのかが不思議でならない。

最近の若者は、はるかに以前の世代のものに較べて確実に世界が近くなっているはずだ。あなたが旅先でみたものは、「貧困」だけなのであろうか。そこに住む人たち、彼らが作った建造物、着物、食べ物、彼らが手を加えてきた自然など、その土地の歴史や文化を感じるとき、それは「貧困」とは直接違ったものを感じているはずだ。

あと気をつけてほしいのが、どんな途上国でも、ほぼ間違いなくわれわれよりはるかに大金持ちの特権階級(エリート)がいるという現実。彼らが政治や経済などの国の基幹を握り締めていて、その既得権益は容易には手放さない。

また、日本には階層があっても階級がないといわれるが、どの世界でも階層はおろか階級というものが厳然として存在する。階級を越えて下克上とか出世ができる世界は、世界を見渡しても、ほとんど存在しないといわれている。

今、ちょっとおもしろいと思っているのが、インドの「カースト」は「階級」ではなくて「棲み分け」だという話である。今西進化論(生態論)にもつながる話だと思うが、欧米人(イギリス時?)が「階級」と捕らえたこと自体が間違いであるという話がある。このような世界観の読み替え自体、非常に興味があるので、わたしももっと詳しく追及していきたい。

とにかく、時代のデマゴーグや誰かの言った(書いた)理屈や理論にだまされずに、自分の眼でみて自分の頭で考える。自分の納得できない(よくわからない)言葉に惑わされないように生きていきたいものだと思う。

(この項、了)

P.S.

「貧困」論については、以前より社会福祉の文脈で捕らえなおそうとしているが、訳のわからないというか非常に議論の錯綜している難しい問題である。上記では、端的な私見を述べたが本来は、いろいろな学説(経済学、社会学、その他の諸学)をふまえて書き直したほうがいいと思う。

ただ、気をつけなくてはならないのは、自分がどのパラダイムに立つかによって、見方がかなり異なってしまうことである。私は、自分の拠って立つところを無自覚に意見を述べることはしたくない。

学説というか学者の本で不満なのは、その自分が拠って立つところに無自覚なものが少なくないことである。そこを差し引きしつつ本を読まなければならないところが面倒くさいのだが、それがまたおもしろかったりする。まあ、どうでもよいつぶやきですが。

ではでは^^?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月30日 (水)

佐々木直彦 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

前回、ブログで、リサーチャー(研究者)とプランナー(計画者)とコンサルタントは違うという話をさせていただいたが、では、コンサルタントって何かということに、非常にクリアに答えてくれる本があるので、ここで、紹介させていただく。

Photo 佐々木直彦

 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

日本能率協会マネジメントセンター 1998年12月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 最近、ようやく‘コンサルタント’という言葉もポピュラーなものとなってきた観があるが、いざその定義、実際の業務として何をしているのだろうという疑問が湧き出してくる。

最近でこそ、ITコンサルタント、経営コンサルタントなど時代の最先端なイメージがあるが、そもそも日本におけるコンサルタントとは、コンサルティング・エンジニア(技術士に代表される)と経営コンサルタント(中小企業診断士)であった。

この本では、副題にあるように「Consulting Skill and Consulting Mind」とあるように、コンサルタントの業種に限らず、そもそも‘コンサルタント’の「技術」と「その心掛け」について広く語っている。

私自身は、‘開発’コンサルタントという業界の末席にいるわけであるが、佐々木氏のいう「コンサルティングマインド」そして、その技術や方法論に非常に共感と感動を受けた。

佐々木氏は、コンサルティングを、このように定義する。

「コンサルティング能力とは、未来に向けて、クライアントの問題解決や夢実現を助ける能力を言う。」

その過程として、以下のステップを掲げる。(括弧内は引用)

「I.問題の発見

II.解決策の立案

III.プレゼンテーション

IV.変革の推進」

前回、「研究から実践」にというところで苦情を呈したわけであるが、研究では上記のステップでいえば、「I.問題の発見」に留まっているというか、その問題を「学問の場」への還元はするが、実際の現場(フィールド)にフィードバックがないことが多いし、次のIIからIVまでのステップが基本的にないのである。(なくても許されてしまう?)(*)

この本は、「コンサルティング能力」のあり方を根本に問うており、知識ではなく、「生き方」としての「コンサルティング・マインド」について論じている点、セクターや分野に限らず汎用性があると考えられる。

この本で述べられているステップ、方法論そのもののロジックは、まさに「開発コンサルタント」がやっていることと同じである。

参考までに、第1章から第4章の目次を以下に掲げる。

「序章 なぜ「コンサルティング能力」が必要なのか (詳細は略)

第1章 問題を発見する

 アプローチ能力

 リサーチ能力

 取材・インタヴュー能力

 問題整理・構造化・分析能力

 レポート作成能力

第2章 解決策を立案する

 コア・コンセプト設定能力

 目標設定能力

 ビジョン創造能力

 プロセス設計能力

 メソッド開発能力

第3章 プレゼンテーションを設計する

 プレゼンテーション構成力

 企画書作成能力

 話力・説得力

 総合的演出力

第4章 変革を推進する

 浸透化・巻き込み能力

 プロジェクト推進尿力

 組織文化変革能力

 葛藤処理能力

第5章 自己価値を創造する (詳細は略)」

また、以前コンサルタントは必ず‘落としどころ’を考えて行動するということを書いたが、この本でも、リサーチの段階から、つまり「フィールドワーク」の段階から、クライアントに対する(変革への)フィードバック、ワークショップ(ファシリテーション)を常に考えていることを明確に述べている。

つまり、それが「コンサルティング能力」なのである。

今日の企業社会では、自己変革と、新たな市場開拓に向けて、さらには社内的にも「コンサルティング能力」が必要とされている。

「開発コンサルタント」に関心をある方のみならず、どんな職業であれ自らの未来を自ら切り拓いていきたい人に広く薦められる一冊である。

(この項、了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

映画 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』 あるいはザ・ビートルズの時代について

という記事を、ブログ「Life, I Love You!」のほうにカキコしました^^?

映画のサントラ(サウンド・トラック)の紹介ということで、Lifeに書きましたが、内容はバリバリの硬派で、やはりこちらに書くべき内容でした。

「‘わたし’の平和学~冬が来る前に!」のカテゴリーであるべき?内容ですので、こちらにリンクを張っておきます。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/04/music_from_moti_4865.html

お手数をおかけしますが、ご高覧いただけましたら幸いです。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 あるいはプロジェクトデザインと評価について

開発(援助)の制約条件である「プロジェクト」と、その「プロジェクト」の円滑な運用の鍵を握る「評価(Evaluation/Assessment)」に関して考察してみました。

Photo

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 国際開発ジャーナル社 2003年9月発行

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 国際協力プロジェクト(ODAやNGOを問わず)のプロジェクトデザインと評価を考える際の基本的なツール(道具)を示してくれた適切な入門書。ただし、内容は濃くある程度の‘開発’と‘プロジェクト’の基礎知識がないと理解はむずかしいであろう。

正直、ようやく読了したというのが実感である。仕事柄、書籍のチェックや購入は結構早いほうだと思うが、積読や拾い読みが多く、どの本も読了するのに時間がかかる場合が多い。

私は梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』 (岩波新書)で習ったごとく、完全に読了しなければ「読んだ本」としてカウントしない。まあ非効率なこだわりではあるが^^?

さて、一口コメントで述べたことだが2点ほど詳細に言及したい。

1つ目: ‘開発’と‘プロジェクト’との関係について

‘開発’行為と‘プロジェクト’という概念というかイメージがある程度ないと、この本の記述は理解しにくい。

そもそも‘開発行為’すなわち、外部からの強制的?な働きかけ、あるいは‘地域’の‘内発的な発展’のどちらについてもいえるのであるが、そもそもそのような‘もの’は、普通に考えてわかるように静かにというかひそかに潜行して徐々に時間をかけて社会変容をもたらすものであると考えられる。

現実の世界は、徐々に変わっていくのであって、今日からとか何時から突然に何かが変わるということは非常にまれなことであり、傍目にはそう見えても、実はそれが現れるまでに非常に長い潜伏期間がある。私は、‘開発’とは基本的に、個人個人の(社会)認識が変わることによりもたらされる、受容される、内部から創造されていくものであると思う。

私の唱える「開発民俗学」は、適切な言い方かどうかは別だが、それを助ける乳母の役目を担うものとして、さすらいの「風の人(異人=まれ人)」と地に足をおろした「地の人」との‘交流劇’というドラマを想定している。

人と人が出会うことによって生まれる‘何か’が、その地域社会を変えていく、またそれは「風の人」自体も変えていく。

そのような(時間的に)長期的な視野と、地理的な広がり(異質な地域性がぶつかったほうがそのインパクト(衝撃)が大きい)の両面に目配りしたフィールドを設定する。

ところが、ご存知のとおり、現代の社会は、そのような長期的なものの見方や地域の違いに配慮したものの見方は、しない・できない構造となっている。これは、近代世界の資本主義社会のパラダイムそのものの弱点といってもよい。

つまり何がいいたいのかというと、そもそも時間をかけてはぐくむべき文化や社会(変容)に対して、近代世界は、「プロジェクト」という枠組みでしか取り組めないという現実である。(最近、援助業界では「プログラム・アプローチ」という言葉を持ち出しているが、所詮それは「プロジェクト・アプローチ」とその拠って立つところが同じである。つまり同じものと扱っても、まったく問題がないので以下の論考ではそれも含むものとする。)

さて、「プロジェクト」とは何か。いろいろな定義があるのは承知だが、ここでは、PMBOKによる定義は以下のとおりである。

「プロジェクトとは、独自の成果物またはサービスを創出するための有期活動である。」(*1)

また日本における「プロジェクト&プログラムマネジメント(P2M)」による定義は以下である。

「プロジェクト(project)とは、特定使命(Specifice Mission)を受けて、始まりと終わりのある特定期間に、資源、状況など特定の制約条件(constraints)のもとで達成をめざす、将来に向けた価値創造事業(Value Coreation Undertaking)である。」(*2)

ここでのポイントは、プロジェクトには①特定の目的があり、②資源の制約があり、かつ③期間の限定がある、ということである。

ちなみに、上記に引用したガイドブックにしたがうと、「①スコープ・品質、②期間、③資源(ヒト・カネ・モノ)」をプロジェクトの3要素としている。(*3)

先に述べた「現実の世界」つまり、ばらつきがあり、不特定であり、私の理論にいう「人と人が出会うこと」により‘何か’が生まれるなんて、悠長で偶発的で、適当なもの、が「開発」なり「内発的発展」の要であるという考え方とは180度とはいわないものの、かなりベクトルが違うことにお気づきになるであろう。

さはいいなん、開発援助の現場では、以前から今まで、さらには、これからも近代資本主義のパラダイムである「プロジェクト」形式でしか、(発展)途上国への介入ができないという問題をかかえている。

ODA事業に対しては、その「プロジェクト」形式であることは比較的わかりやすいが、NGOの行う事業についても同じ「プロジェクト」をめぐる問題が発生している。つまり、NGOといえども、特定の同じ地域に何年、何十年もエグジットプラン(Exit Plan、脱出計画)なしで、事業を続けることは‘金銭的’にも‘支援者’に対してもできないのである。

ボランティアの支援者に対して、10年やっても20年やっても、全然地域の貧困が解決しませんということはいえるわけもない。

つまり、この本は、「プロジェクト」の入口と出口を考えたときに、何がどのようによくなりもしくは悪くなかったのか、地域やそこに住む人々がどのように変わったかを知る=評価のための総合的な案内書であるといえよう。

------------------------------------------------------------------

注: プロジェクトマネジメント資格認定センタープラネット・ワーキンググループ 『めざせ! P2Mプロジェクトマネジャー PMS【プロジェクトマネジメント・スペシャリスト】』 日本能率教会マネジメントセンター 2002 より引用。*1は、同29ページ、*2は30ページ、そして*3は、36ページを参照のこと。

------------------------------------------------------------------

2つ目: 実務者のツールの扱いの難しさについて = アンチョコ的なマニュアルとして読んでほしくはないということ。

この本は、全員がNGOの駐在員など実務者であり開発フィールドワーカーの第一線にたつ人たちが共著しているという点で興味深いと共に、ぱっと読みでは気がつきにくいであろうが、個々の執筆者のそれぞれの現場でのフィードバックに基づく記述は、なかなか細に射り穿ったものである。

その点で、非常に評価されるべきもので、コンパクトなチェックリストとして実務家の助けになるであろう。

ただし、「プロジェクト」という概念を受け入れたという上での、アンチョコなマニュアルやガイドラインとして使われかねない危険性もある。

またこの本について、先に‘案内書’と書いたが、フィールドワーク論、アンケート論、質的調査法、統計処理法など、個々の技術(テクニック)や、そもそも方法論の背景にある思想については、別途、社会学や経済学などの基本的な考え方を研究する必要があるともいえる。

したがって、大学生や院生にいいたいのは、この本は表面だけを読んでもわからない(イメージがわきにくい)ので、せめて学部では基礎的なディスプリンの‘考え方’を身につけることをお薦めしたい。当然、このような‘実務’や‘実践’の世界のテクニックを知ることは無駄ではないが、初歩的な基礎なしには、社会科学手法は使えませんよということを、繰り返しになるが強調したい。

また、評価をデザインすることは、とりもなおさずプロジェクト・デザインの精度を高めるということにつながることも蛇足ながら付け加えておこう。

つまり、(事後)評価(Evaluation)は、事前評価(Assessment)と表裏一体のものであり、Evaluationの技術は、そのまあAssessmentに使えるということである。

私自身、新規のプロジェクトの事前調査をおこなったときに、並行してこの本を読んでいたのだが、その手法や考え方は非常に参考になった。

逆にいえば、プロジェクトを立案する際には、当然、このレベルの評価スキルを持っていないとだめだということの裏返しでもあろう。

本音では、「プロジェクト」を越えた‘何か’がしたいと思っているのであるが、当面は与えられた「プロジェクト」というものの‘精度’を上げる、これはアセスメント・評価およびマネージメントのいずれの側面に対してもであるが、ことに力を注いでいる。

だが、私はそのような努力をすることは、‘明日への一歩’につながっていると信じたい。

(この項、了)

P.S.

プロジェクト評価に関して、2冊ほど類書を紹介しておく。いずれの本も日本の援助(特にODA)のプロジェクト評価を考える上で参考になると思われるので、前褐書と併読されることをお薦めする。

Pcm PCM読本編集委員会 

『PCM手法の理論と活用』

国際開発高等教育機構(FASID)

2001年5月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

日本のODAにおけるPCM活用の実体について第一戦の実務者が語るおそらく日本で一番適切な事例書であり理論書。

PCM手法(PDMを含む)に関しては、いろいろな批判も多いが、現場で実践している人たちのこの本を読まずして批判を口にするなかれと言いたい。(ほとんど全ての問題(批判)について実務者のレベルで考察している)

Photo_3 独立行政法人国際協力機構 企画・評価部評価管理室編 

『プロジェクト評価の実践的手法 考え方とつかい方 JICA事業評価ガイドライン 改訂版』

国際協力出版会 2004年3月

お薦め度: ★★☆☆☆

一口メモ: JICAにおける事業評価ガイドラインということで紹介させていただくが、内容は非常に難しい。ただ、現実の業務(プロ)の現場で求められている作業やレベルの一端がわかるというメリットはある。

そもそも‘事業評価’だけでも一つのプロフェッションになってしまうのだが、私としては、当事者(NGOや、評価以外の専門を持つ方)が自分で評価ができることを目指した前掲書(国際協力プロジェクト評価)で、‘プロジェクト’や‘評価’の概要をつかんだ上で読まれることをお薦めする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

「フィールドワーク」と「ワークショップ」の連続性と渾然一体性について

お断り。

mixi「開発民俗学 「地域共生の技法」」に2008年4月24日に書き込んだ私の記事を以下、転載させていただきます。

-------------------------------------------------------------

Pict7122

(写真説明:

2007年3月のミンダナオでのワークショップの様子。ローカルコンサルタント(私の助手?)が、プロジェクト受益者にインタヴューをおこなっています。なお、この調査は記事のプロジェクトとは関係ありません。)

-------------------------------------------------------------

<その1>

河童のKantarrowさんの『RRA 普及・向上委員会』コミュの トピック 「RRAの有用性について意見をお聞かせください」に以下のような書き込みをしました。

みなさんのご参考まで、転載させていただきます。

<2008年03月27日に書き込みました>
-------------------------------------------------------------

河童のKantarrowさん、こんにちは。

メンバーに入れされていただきましたしばやん@マニラです。

農業・水資源・地域開発の開発コンサルタント会社の駐在としてフィリピンに駐在して5年目になります。

基本的に農業専門の会社なので、農業・農村開発の仕事が圧倒的に多いのですが、ここでは自分の実際に行ったワークショップから。

まずフィリピンの水利組合強化の技プロの事業評価を行ったのですが、現場でトレーニングの達成度を調べるのに、政府としてとっている指標のアップデートとは別に、①灌漑システムのマップ作り(これは水利組合ごと)、②季節カレンダー(雨季乾季と農作業とトレーニングの時期の適切さを検討するため)そして、これらの水利組合メンバーによる作業と平行して③フォーカスグループディスカッションを行いました。

あと水利組合のヒストリーとかいくらでもRRAで特に‘視覚化’してやりたい作業はあったのですが、いかんせん時間の縛りと大中小3地区、合計30近くの水利組合を同時に評価しなければならなかったため、つかうツールをかなり限定(同じ作業を全てでやって比較する必要があったため)した記憶があります。

ちなみに、これはJICA業務の事業評価なので、DAC5項目の、ようはJICA事業評価の枠組みの中で、RRAのツールを使ったという位置づけです。

とりあえず、まずは一件ということで、ご参考まで。

ではでは^^?

-------------------------------------------------------------

<その2>

上の原稿の続きです。

<2008年03月27日に書き込みました>
-------------------------------------------------------------

Pict7112

(写真説明:

同じく2007年3月のミンダナオでの調査。プロジェクト担当のNGOの方に彼らのプロジェクトの概要を説明していただいています。

出席者は、われわれマニラからの調査団の他に、受益者側として、プロジェクト管理のNGO(写真の説明している女性)と受益者の住民たちで、NGOのプロジェクト概要の説明の後に、皆でグループ・ディスカッションをおこないました。記事の例とは全く別の調査です。)

-------------------------------------------------------------

2件目として、最近の実例ですが、NGOの社会開発プロジェクトの調査を行いました。これはNGOの職員が対象でしたが、①プロジェクトサイトのマッピング、②活動のストラテジーのテーブル化、③NGO連合の相関図などの作成を行いました。

RRAの本質はワークショップによる参加者の全員参加と‘視覚化’だと私は思います。

先の水利組合もそうですが、地元の人にマップを書かせると非常に正確で、しかもそのできたマップをみんなの前に張った上でフォーカスグループディスカッションを行い、その場で、情報をどんどんマップ上に書き込んでいくことができます。あと、④SWAT分析の、StrengthとWeaknessの部分のみの表をつくってもって参加者みんなで共有をしました。

あとワークショップ形式のフォーカスグループディスカッションの利点は、あくまで1,2時間のまとまった時間が取れればという前提ですが、最初にワークショップで明らかにしたいことを先に説明して、みんなにワークショップの作業を割り振りして手を動かしてもらっている間に、特定の人をつかまえてキーインフォーマントインタヴューを行ったりと、柔軟な調査ができるということもあげられると思います。

やっぱり、みなさん体を動かすのがおもしろいようですね。いろいろ書いたりみたいしていると、だんだんと意見や考えがまとまってくるようです。

「RRAを使ってみて、具体的に有用だった点は何でしたか?」に関して言えば、私が農村部でワークショップを行う場合、マップ作りは絶対に欠かせませんし、そのみんなで作ったマップを元に現地踏査を行うと非常に現状の理解=課題の発見、改善策のひらめきにつながります。

いま「RRA実践マニュアル」を拝見させていただいておりますが、「技法」と「倫理」をわけるべきだというご主張、まったく同感です。私にいわせれば、「フィールド科学」の「技法」は「技法」として、プロを名乗るからには習熟すべきだと思います。それをどのようにつかうのかが「倫理」の問題なのですが、今の日本の開発援助の現状を見る限り、今の時点では、一緒くたにして議論すべきではないと感じています。

まだ「技法」を「ツール(道具)」としても使いこなせていないのではないか、ツールを使うことがファシリテーターの自己満足に留まっていないかとか非常に危惧するところです。とはいえ、私もまだまだ修行中の身ですが^^?

これからもよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

P.S.

RRAとPRAの区分けの件、私もごっちゃに使っているかもしれませんが、名称には実はあまりこだわっていません。前者のJICA、後者はJBICの委託調査ですが、これらは最初からスコープが決まっていますので、‘自由’な‘PRA’は原理的にできません。どうしても‘答え’をだすというか‘裏付けるため’の「ツール(道具)」をつかっているだけという気がします。

外部者が内部者の現状を効率的につかもうとしている点では、JICAやJBIC業務は、ほとんどの場合が、RRAか、よくてもそれに毛が生えた程度のレベルのRRAしかできていないのが実情ではないかと思います。

ではでは^^?

-------------------------------------------------------------

<その3>

2008年4月24日に「mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」」に引き続き、以下の書き込みをしました。

-------------------------------------------------------------

上記について、ちょっと補足説明させていただきます。

「研究」と「実践」が、根本的に違うのは「現状認識」にだけ留まっていてはだめだということです。

「‘リサーチャー(研究者)’と‘プランナー(計画立案者)’と‘コンサルタント’は全然、似て異なるものだ。」とは、会社の先輩の弁ですが、実践者としてのコンサルタントは、必ず‘落としどころ’を考えて、調査や計画を立てます。

そういう意味で、わたしは、方法と目的を完全に分けて考えています。RRAやPRAなどの‘ツール(道具)’は所詮、‘方法’であって‘目的’ではありません。

逆にいえば、‘目的’を達するためにツールや方法を選ぶのであって、割り切っていってしまえば‘目的’を遂行する以上の調査をする必要はありません。

そうはいっても、外部者が内情を簡単にわかると決して錯覚してはいけません。私が気をつけていることは少なくとも3点あります。

その1. その地域の歴史と地理をできるだけ事前に調べておく。これは地図の準備や二次史料(関連の調査報告書、分野を問わない関連する学術書や一般書の収集と流し読み)

その2. 現地調査に当たっての適切なアシスタントの選択と手配。通例、現場に行くのはカウンターパートである相手国政府の役人が多いですが、当然、彼らの立場ゆえの問題もあります。そんなときにはレンタカーのドライバーなども裏を取る上で、有力なアシスタントとなりえます。

その3. 主体的にフィールドワーク(具体的にはRRAやPRAのツールを使った調査)とワークショップを組み立て、必ず調査結果のフィードバックをステーキホルダーに返した上で議論することを心がけています。

この、フィールドワークとワークショップは、別々にやることもありますが、私の場合、すでに渾然一体化している場合が多いです。みんなでRRAやPRAのツールを使ってワークショップをしながら、なんらかの実施のための方向性をつかむ、できればその場で、ステーキホルダーの(現状)認識の一致と可能であれば合意をとってしまう、そんなことを考えており実際に実践しようと努力しています。

こんなところが、以前、井上真編「躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ」の書評で突っ込んだところなのです。全文はこちら。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_15d8.html

ちょとだけ引用すると

「第三点目として、「フィールドワーク」の先にあるものといいますが、その次のステップを考えたいと思います。

例えば、私はといえば、ひそかな望みとして、開発コンサルタントとして‘実践’から‘研究’へ道筋を探ることと同時に有意な実務者やアカデミシャンを育てたいと考えています。
つまり井上氏のいわく「総合格闘技」である「フィールドワーク」の先にあるものとして、「共同・協同作業の場」としての「ワークショップ」を通じた「たまり場・フォーラム」を私は構想しております。 そんな試みが、2000年3月18日にHPを立ち上げた「歩く仲間」の一連の歩みです。」

いまさら私がいうことではありませんが、「フィールドワーク」と「ワークショップ」の連続性と渾然一体性については結構、開発コンサルタントの実践の現場は、まあ、こんなもんというか当たり前のプロセスだと思います^^?

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

中尾文隆編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』 あるいは時代と学説史について

非常に興味ぶかい本でした。タイトルが甘い(あんちょこ本っぽい)?からといって内容を見くびることなかれ^^?

Photo 中尾文隆/平成柳田国男研究会 編著 

『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』

秀和システム 2007年3月15日 初版

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: (日本)民俗学の父、柳田国男の業績を俯瞰するのに最適な一冊。特に、彼の生きた時代背景をおさえている点、および代表的な柳田国男論の抄録がなされている点もユニーク。

正統的な?柳田国男継承者からはでてこないような視角が興味を誘います。

さて、以前、学説史をおさえることの重要性について、軽く触れましたが、この本を読むと、その必要性を具体的に改めて認識することができました。

タイトルが悪い?ので、単なるアンチョコ本に間違えられそうですが、内容はきわめてまともな概説書です。

特に、サブ・タイトルにあるように、「逆立した柳田像を重層的に検証する!」とあるように、柳田国男の神秘というか、彼が語ったこと、語らなかったことを時代背景とともに検証した点が非常にスリリングです。

当然のことですが、一人の思想家なり学者が生まれるには、その時代背景と彼を取り巻く環境(社会環境、人脈など)のまさに偶然としかいえないような作用・副作用が必要です。

また一つの時代を生き抜き、一つの時代を創ったということは、逆にいえば、その時代のもつよい意味でも悪い意味でも制約を免れることはできません。

平たくいってしまうと、英雄だろうが平民であろうが、誰もがその時代を生きた‘時代の子’という制約を免れることができないのです。

最近、民俗学をちょっとまじめに勉強しようとして、柳田国男に挑戦しようとしていたところなのですが、彼の「農政学」への挫折、戦争(日露戦争、第一次大戦、満州事変、敗戦)と民俗学との関連、「木曜会」という私的なサロンを通じて、いかに彼が「民間伝承論」から「民俗学」へと日本各地の趣味の民俗学徒を組織だてていったのか、非常におもしろい視角を示してくれました。

ぜひ、直接手にとっていただきたいのですが、特に、私が興味を引いた点を2点ほど。

まず一つ目は、先住民としての「山人論」と、「海上の道」で日本人の祖形を求めた柳田国男は、当初よりアイヌと沖縄という‘内なる異民族’を視野に入れていました。

なんのためか、それは台湾と朝鮮という植民地経営のため?というトンでもない意見が提示されます。しかし時代背景と、彼を取り巻く人脈をみるとあながちそうでないとはいいきれないところがある。

そもそも柳田が学問として学び、最初の職業(農商務省の役人)として選択した「農政学」自体に対して、彼なりの思い入れと戦略があったものと思われます。しかし、なぜそれが「民俗学」へと変容していったのか、非常に大きな闇というか謎が横たわっているといえましょう。

二つ目は、そのような大きな時代制約を負った「民俗学」または「文化人類学」自体が植民地主義ときわめて密接に結びついたものであったことは、今では広く言われていることですが、なぜそのような「民俗学」や「文化人類学」をいまだに学び発展継承していかなくてはならないかということです。

この本にも見られるように、そもそも‘学’の立ち上がり自体は非常に個人的な問題意識と、やはり時代が求めている、つまり同じような志なり問題意識を持った者たちが、互いに情報共有のネットワークを結ぶことにより、徐々に一‘門’としての‘学問(門)’というものが生まれてきます。

日本の民俗学は、やはり世界に十分誇るべき、‘野の学問’だと思います。これは、「近代(主義)」と「西欧の学問(体系)」と「国民国家(主義)」という、いわば外圧によってこじ開けられ壊れかけた‘原日本人’のアイデンティティを探し、新興の国民国家である‘日本国’という身を守り、日本という地域に住む人々の‘日本人という共同幻想’を創り、「日本国民国家」としてあがらうための一つの思想的な理論武装であったともいえます。

逆にいえば、明治初期(8年)に生を受けた柳田国男をして大成されたものの、そもそも‘明治’という時代背景なしには「日本の民俗学」は成立し得なかったともいえますし、柳田がいなくても、似たような思想や運動は起りえたともいえましょう。

こうして考えてみますと、今、「民俗学」や「文化人類学」を語ること(研究)ややること(実践)することとは、どのような意味があるのかを、自分の趣味や楽しみを越えたレベルでもう一度、定義しなおすことが必要だといえます。

今、「開発民俗学」を語るとは。非常に重たい宿題ではありますが、これまで柳田国男や彼に続く多くの先達が積み上げてきた「(日本)民俗学」の学問知と経験、さらには世界に眼を向けて植民地主義の片棒を担いだという宿命を背負ったまま、研究と実践を続けている「人類学」に対して、われわれが新たに何を積み上げることができるかという問題でもあります。

まだまだ先は全く見えませんが、そもそもの志、たとえば柳田が語った「世のため人のため」の学問という言葉は、たとえその裏の真意がなんであれ信じていきたいと思います。

蛇足ながら:

そもそも「学説史」を押えることは大切ですよということを言いたかっただけなのですが、結論は別の方向にいってしまいました。

別のところでも書きましたが、誰がどのような時代背景の中で、誰に向かって発言したのか。これを押さえないと、彼の言説(学説)を正しく理解することはできない。

意図的に誤読することも当然、可能ですし、その可能性というか発展性を否定するつもりはありませんが、時代背景をふまえない批判や非難は議論に当たらないと私は思います。所詮、われわれも含めて‘時代の子’という制約は、絶対に逃れられないのですから。

また、ちょっと社会人?をやっているおかげで、理想(理念)と現実を分けて考えれるように鍛えられました^^?つまり、当然、なんらかの望ましいこと(理想・理念)を夢想することが勝手ですし、それはそれで大切なことですが、だからといって現実を、こんなのうそだとか、こんなことはあってはならないと考えることは、全く別だということです。

どれほど残酷で醜い酷いことがおこなわれていようと、現実は現実として直視しなければならない。それを認めたうえで、次の手を考えることができると思うのです。

幸い、私はまだそんな修羅場や地獄は見ていません。でも、それをさけたり隠蔽することなく、勇気をもって立ち向かっていきたいと思います。最悪の自体の可能性も否定はしない。まだまだそれでも立ち上がれるだけの力を持ち続けたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月13日 (日)

ブログとHPの記事の相互乗り入れについて(ルールみたいなもの)

さて、最近、mixiで「開発民俗学 「地域共生の技法」」というコミュニティをはじめたという話をしましたが、今、現実の問題として、どこを私(しばやん)の活動拠点とするかということが持ち上がってきました。

今まで、「ブログ版 歩く仲間」は、いわばしばやんの発信基地で、それを順次、「人類と開発フォーラム(HP)」にアーカイブしていくという手順をとっていましたが、たんなる言いっぱなしの言説ではなく、議論を深めるということを考えると、「ブログ版 歩く仲間」に掲載するより、むしろ「mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」」に投稿するほうが効率がよい?のです。

そのmixiのコミュの特徴として、①関心のあるメンバーしかコミュに入っていない。それはすなわち②ある程度のリアクションが期待できる。現実に、③全員ではありませんが、常連でコメントをいただけるメンバーができつつある。という現状を鑑みると、「ブログ版 歩く仲間」で、いわば、しばやんが言いっぱなしでいるよりも、mixiのコミュで議論したほうがいいわいなということになります。

しかしながら、mixiの弱点というか問題点は、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の弱点である限られたメンバーでしか情報が共有できないということです。たとえば、mixiのメンバー‘しか’、mixi内部でおこなわれているあらゆるコミュニケーションに加わることができません。これは、SNSのそもそもの原理なので、それはデジタルデバイドだとか不公平だという類の問題ではないのです。

そこで、私は自分の倫理基準と良心に従って、以下のガイドラインを自ら設けたいと思います。

①mixiのコミュニティのもつ固有のルール、つまりこの場での議論をコミュニティの外部に持ち出さない。を第1ルールとする。

②しかしながら、署名原稿であり、他のコミュニティのメンバーとの協議の結果ではない、たとえば問題提起や情報提供の記事については、個人のメディア(私の場合、今のところ「人類と開発フォーラム(HP)」、「ブログ版 歩く仲間」、「Life I Live You!」の3つ)での発表を認めていただくこととする。

③現実のところたとえ署名記事とはいえ、議論やアイデアは、他者とのやり取りがきっかけになることが多く、まったくシングルアローンの言説というのは、ほとんどありません。従いどうしてもmixiなりの他者の言説に触れざるをえない場合は、その他者の匿名性を確保する(伏字にするなど)という手段をとりたいと思います。

基本的に、mixiコミュでの議論(他者とのやり取り)は、外部に持ち出さないというルールを自分に課したいと思いますので、関係各位のご理解をお願いいたします。

ということで、結局、一番ホットな「開発民俗学」の議論は、mixiコミュ内部でおこなわれることになります。

もし、この記事をみて、「mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」」に関心をもって、議論に参加したい人で、mixiのメンバーでない方は、個別にしばやんまでご相談ください。

ちょっと廻りくどいことになってしまいますが、それぞれのメディアのルールということでご了承をお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

mixiコミュ「開発民俗学」のご紹介

mixiというソーシャルネットワークの中で、「開発民俗学」のコミュニティを、2007年08月12日から運用しています。まだメンバー十数人の弱小コミュですが、まあマイペースで仲間と共にコンテンツを創っていきたいです。

以下に案内文を再録します。ご関心のある方は、mixiで検索、もしくはしばやんにご連絡ください。ではでは^^?

P.S.

「2008年3月24日 加筆」

ソーシャルネットワークとは、やはり限られたメンバーの中での限られたやり取りで基本的にオープンエンドのものではありません。トピックという項目ごとに参加者が意見を出し合ってひとつのコミュニティを作り上げていくという性質のもので、このコミュは私が主催しているとはいえ、すでにメンバーの皆さんの‘共有の財産’になってしまっております。

基本的に対話の世界なので、発言者の問いと答えにより、いかようにも深化している特質をもっており、インスピレーションがインスピレーションを呼ぶという知の連鎖反応が既におきつつあります。

すでに私の手を離れているという意味で、このコミュでの議論の成果を、私の一存で持ち出すことは難しいと思いますので、mixiに参加していない方で、もしこのコミュニティに参加したいと思われる方は、直接しばやんまでご連絡ください。mixiへの招待も、私からさせていただきます。

「2008年6月4日 加筆」

ちょっと内容をアップデートしましたので、[4月23日 更新版]に差し替えさせていただきました。また、部分的に簡略化させていただきました。ちなみに、現在48名のメンバーの方が参加されています^^?

---------------------------------------------------------------------

「開発民俗学 「地域共生の技法」」

みなさん、初めまして。           [2008年4月23日 更新]

しばやん@マニラ・フィリピンです。

もともと大学ではアラビア語を専攻しており、特に関心のあったのは中世の東西交渉史で、実はアラブ・イスラームの地理書・旅行記を専攻しようと思っていたのですが、何を間違えたのか?開発援助の現場に飛び込んで15年になります。

現在、農業・水資源・地域開発が専門の開発コンサルタント会社の社員としてフィリピンに駐在して5年目になります。


1. はじめに

   「開発学」ミーツ「(日本の)民俗学」=「開発民俗学」

「開発民俗学」というものを提唱しだして数年になります。概念自体は目新しいものではありませんが「(現状)認識論」、「実践論」について日本の民俗学の碩学たちのフィールドワーカーとしての知見に学ぼうという意味で、あえて「開発‘民俗’学」を名乗ってみました。
経緯と内容について以下に説明していきたいと思います。


2.開発民俗学とは:

mixiコミュの中でも開発に関するコミュニティはすでにいろいろあります。

なぜ、あえて「開発‘民俗’学」なのか。

私は、開発コンサルタントの仕事を通じて途上国の人々と接するうちに自分の現状認識の甘さと、そもそも現地の人が持っている能力の素晴らしさにいやというほど気がつかされました。所詮、外部者でしかない我々援助関係者に何ができるのか。そんな中で出会ったのが‘歩く学問’に繋がる‘日本人’のフィールドワーカーたちの巨大な足跡でした。

そんななかで、ようやくたどり着いたのが宮本常一の民俗学でした。

自分自身の‘開発の現場’に対する内省と‘歩く巨人達’への畏敬から2000年3月18日より「歩く仲間」というプロジェクトを始めました。(現在は「人類と開発フォーラム」と改名しています。)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/index.htm

ちなみに、しばやんの敬愛する「Giant Steps (巨人達の足跡)」は、こちらをご参照ください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/gsteps.htm


このコミュニティでは、「開発民俗学」を仮に以下のように定義づけたいと思います。(私の文章の引用です。)

「・・・この日本語に特有の「民族学」と「民俗学」という2つのミンゾク学は、実に示唆に富むと思う。この日本語にいう「民俗学」は、柳田國男にいう、いわば日本文化の元の形(基層文化)を探るという側面があるのだが、それだけではなく、宮本常一氏のいう、実際に生きている人たちの生きる糧となるような学問のあり方、自分の足元を知ることにより、日々の生活をよりよりものにつくり変えていくという、‘実践の民俗学’という側面もあると思う。

つまり外部者として、(途上)国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗学’を創っていきたい。・・・」 2003年11月

全文はこちら; http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r006.htm

こんな趣旨で「開発民俗学への途」という講座を掲載しています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm 
(2000年7月15日~2007年4月29日)第1部完結


ところで最近、日本民俗学の父、柳田國男が「世のため人のための民俗学」を唱えていたことを知りました。そして、宮本常一のいう「民俗学という学問は体験の学問であり、実践の学問である」というテーゼを元に「日本人としての開発(民俗)学」を創っていきたいと思います。

「開発‘民俗’学を語るからには」 2008年3月21日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_77d6.html


注: 

2008年3月22日にサブタイトルとして「地域共生の技法」というサブタイトルを追加しました。これは「開発民俗学の理論的な根拠」のトピックで、○○さんとの対話からでてきた言葉です。その経緯を一部紹介させていただきます。

「前略~私は「開発」というと上(行政・学識・権力)からの視点というように読み込んでしまいます。
また、別トピックで触れましたが「民俗学」は現代と向き合っていないイメージが強すぎます。
だから「開発民俗学」というと、「政府よりの地域懐柔策」に私には思えてしまうのです。 ~後略」

当然、そのような垂直で上からの‘開発’を目指すものではなく、水平レベルもしくは‘肩書き’にとらわれない個人のネットワークを目指す私としては、そのようなイメージはどうしてもさけたいため、体を現すために、○○さんのおっしゃる「地域共生の技法」という言葉を採用させていただきました。

また、○○さんのおっしゃる

「私が、この用語を使うならば、重視することは、地域ごとに存在する、その地域ならではの(伝統的な)「暮らしかた」(それを「技法」といっても「生活の知恵」といっても「生活文化」といっても「伝統文化」といっても「民間伝承」といってもいいと思います)を、グローバリゼーションの時代、地球環境問題の時代における「技法」に、どう再生し、アレンジし、そして、「実行」していくか、という点だと思います。」

という精神を最大限尊重していきたいと考えます。

詳しい経緯は、ぜひ、直接このトピックをお読みいただきますようお願いいたします。トピック「開発民俗学の理論的な根拠 <理論総論>」  <リンク先は省略>


3. 方法論など

また、実技・実践論の方法論的な手法として「フィールドワーク」と「ワークショップ(ファシリテーション)」を重視しています。

「開発民俗学への途~第二ステージへ」 2008年3月20日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_5b72.html

「開発学研究入門(基礎理論編)」 2000年8月15日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

「現状分析の視座をどこに置くのか?補論」2005年7月3日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0032.htm

トピック「「現地調査や開発実践の現場」を語ろう^^?」の1~3にて、「フィールドワーク」と「ワークショップ」の関係について触れています。

<リンク先は省略>


なお、地域研究への目配りについては、以下を参照ください。

「地域研究について」 2008年3月21日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_da1e.html


4. キーワード:

私のいうテーゼは、開発社会学、開発人類学、内発的発展論や国内外の地域づくりという文脈で、すでになんども語られていることで特に目新しいことではありませんが、私のスタンスとして、国内外における外部者(カタリスト)の役割に注目したいと思います。

「Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語) 2003年5月4日
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として)」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

あえて、三つあげれば「異人論(まれびと論)」、「海と山の民」、「パラダイム論」にこだわっていきたいと思います。ちなみにそれぞれトピックを立てています。

なお、私が守備範囲としているキーワードは、私のブックリストの下記のページを参照ください。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blistk1.htm


5.  ご利用にあたって:   <省略>


6. お断り <重要>

このコミュニティは、しばやんの外部サイト、今のところ「人類と開発フォーラム(HP)」、「ブログ版 歩く仲間」および「Life I Live You!」の3つ)と密接な連携と関連性をもっております。したがいまして、情報の取り扱いにつきまして制限(ルール)を示させていただきました。コミュニティへの参加に当たって、ぜひご一読いただきますようお願いいたします。(2008年4月13日 追加)  

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/hp_ffb6.html (別のリンクですが内容は同じです。)

7. 「開発民俗学宣言」ってほどでもないですが^^?

「開発民俗学とは、現代の問題から出発するにせよ、過去の歴史に謙虚に学び、そこに住む人たちと未来を創造していくものである。」っていえたらかっこいいなあ^^? 2006年12月1日

全文はこちらをどうぞ^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2006Summer.htm


   しばやんと一緒に新しい‘実践の学問’を創ってみませんか^^?


8. 終わりに (どーでもいい?)おまけ

☆ しばやんって実はこんなやつです^^? 

ちょっと恥ずかしい秘蔵写真(ゆるキャラとのトゥーショット!)を公開しています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/si000.htm

☆ ちなみに普段着のしばやんは、こんな感じです^^?

「Life, I love You!」(趣味の写真と音楽のブログです)←本当はこちらを書くほうが楽しい?
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/


最後まで長文を読んでいただいてありがとうございました。
ちょうど8項目の末広がりということでお後もよろしいようで^^?

これからも、ぜひ、よろしくお願いいたします。

ではでは^^?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「地域研究」について

「開発民俗学」にとって、「地域研究」は既に内臓(ビルトイン)されたものと私は考えています。

すでにお気づきのとおり、アラビア語を専攻として、しかも東西交渉史やアラビア語の地理書旅行記に関心をもつ私が「地域研究」を志向していることはいうまでもありません。

今回、日本に帰国して前々から気になっていた「京都大学東南アジア研究センター地域研究叢書」の一冊を購入しました。

Photo

立本成文 『地域研究の問題と方法(増補改定) 社会文化生態学の試み』 京都大学学術出版会 第二版(増補) 2001 (初版 1996) 

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: まだ完全に読んだわけではありませんが、1993年の 矢野暢編集責任 『地域研究の手法』 (『講座 現代の地域研究 一』 弘文堂に、前田成文名の論文の再構成といった感じなので、注は詳しく新しくなっているものの、それほど論旨が深化しているとは思えません。

逆に、『地域研究の手法』のほうが、東南アジア研の他の個性的な碩学たちがそれぞれの地域研究観を語っている上で、貴重であるといえます。ちょっと手に入りにくいかもしれませんが、『講座 現代の地域研究』は、関心のある方は、全巻読む価値があると思います。というより、私は読みたい^^?

実は、京都大学の東南アジア研究センターは以前からチェックしていました。既に「しばやんの本だな」にも地域研究関係の本はかなりリストアップしていますが、京大系の研究者は独特というか、つまり梅棹忠夫、今西錦司と、フィールド科学を専門とする、まあ俗にいう京大学派の伝統があって、ちょっと変わったところでは、ジャーナリストの本多勝一も京大の探検部出身ですよね。

自分が研究者に関心を持ったのも、梅棹忠夫の『知的生産の技術』 岩波新書 1969ですから、京大の学風は、はっきりいって好きです。

さて、地域研究というと、まとまったシリーズとして、1990年初頭の矢野暢所長?の頃の2セットがあります。

企画編集代表 矢野暢 『講座 東南アジア学』 (全10巻 別巻1) 弘文堂 1991

矢野暢編集代表 『講座 現代の地域研究』 (全4巻) 弘文堂 1993

さはいいなん、『講座 現代の地域研究』の第1巻の『地域研究の手法』しか持っていませんが、研究者兼フィールドワーカーたちの熱い思いがこめられているように感じました。

たぶん、このシリーズの後に、地域研究叢書が始まったと思うのですが、まあそうそうたる研究者集団です。

ともあれ、日本の地域研究のレベルは決して低くないので、これらの先達たちの研究を貪欲に学んでいこうと思います。

ではでは^^?

P.S.

ところでもうお気づきかもしれませんが、これらのフィールドワークや地域開発にかかる書籍がブームのように刊行されたのは、1990年の初頭から半ばのことでした。つまり、私の大学時代にはなかったわけです。もし、これらの書籍や研究者に、大学の3,4年生で出会っていれば別の道もあったのかもしれない。

つくづく、めぐり合わせの妙ということを思います。特に、今、大学生や高校生でいる若い人たちへ、「本は新しいものを買いなさい。特に教科書レベルのものは絶対に大型書店で新刊で買うべきです。」

本当に、若い人たちがうらやましいと思いますね。ともあれ、私のHPやブログは自分がやってきたことや理解したところの整理という意味も含めてつくっています。

とにかく学生時代、何も手がかりがなかった。いまでこそ、研究案内は分野ごとにいくらもありますが、当時は先生にご指導いただきつつもまったくの手探りでした。

私は、このHPやブログの自分の書いた記事によって、仮に全て自分の本なりをなくしたとしてもあるレベルまでは簡単にリセットできると考えています。つまり、「しばやんの本だな」は、まさに自分が‘生き残る’ための文献リストなのです。

そういった意味で、ぜひ‘私’の歩いてきた途を「ショートカット」としてご利用していただけたらと思います。

★しばやんの本だな=ブックリスト★ (ひらかれた‘知’の世界をめざして!)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/contents.htm

特集: お勧めの手引き(読書案内)

リファレンスワーク入門

開発学研究入門(基礎理論編)

民俗学の視点

文化人類学の1990年代を振り返る

『開発コミュニケーション』をめぐる課題

キリスト教および‘力’をより深く理解するために(読書案内)

自分の頭で考えるということ

アジア島嶼部研究のダイナミズム

実践的」外国語の身につけ方

★アラブ・イスラーム関係★

<勉強会>

アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会

<学習ガイド>

アラブ・イスラーム学習ガイド@1991

アラブ・イスラーム研究案内@2003

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月20日 (木)

開発‘民俗’学を語るからには

ということで、最近、柳田國男の研究を始めています。

もともと学説史は好きで、学界で誰が何をやっているかについて常にウオッチしている(大学で学んだアラビア・イスラーム研究の頃から)つもりなのですが、この‘民俗学’の世界も奥が深い。今までに読んだ主な概説書や学説史は以下のとおり。

1. AERA MOOK 『民俗学がわかる。』 朝日新聞社 1997

2. 小松和彦+関一敏編 『新しい民俗学へ 野の学問のためのレッスン26』 せりか書房 2002

3. 上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

今、3をひいゆう言いながら読んでいるのですが、これが実におもしろい。要は研究分野ごとの研究解題と文献案内なのですが、1978年当時とはいえ、純粋な「柳田」民俗学の後継者たちが執筆しているだけあって、非常に内容が濃いです。

また、結局、日本の「民俗学」を語るには、「柳田國男」理解が必要不可欠であることも、改めて実感しました。

ところで、3月15日~18日まで一時帰国していたのですが、ここでおもしろい柳田國男本を発見。

4.福田アジオ 『民俗学者 柳田国男』 神奈川大学評論ブックレット 御茶の水書房 2000

08032802 お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 非常に簡潔に柳田國男の業績と時代背景がまとめてあると思います。業績というか彼の「考え方」を身近な直系の弟子筋の方が語っているので、國男の内面にまで突っ込んだ記述がほろりと見られます。また日本の民俗学の流れも、さらりと触れています。

わずか66ページのブックレットですが、結構内容は濃いと思います。でも逆に、ちょっと割高な感じが^^?

5. 中尾文隆/平成柳田国男研究会編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本 逆立した柳田像を重層的に検証する!』 秀和システム 2007

4は、まさにお弟子さんというか日本の民俗学界の重鎮、5はありがちなアンチョコ本と思いきや、まじめな柳田論、特にその思想と歴史背景というか周辺状況にも目を配った概説書です。

ところで、4のブックレットから、一点、引用させてください。福田氏いわく、

「次に(柳田国男の)二番目の特色ですが、彼は経世在民ということを出張しました。現在柳田国男を研究する人たちは、柳田国男の学問の特色を経世在民という言葉で捉えています。しかし柳田国男自身はこの経世在民という四つの漢字で自分の学問を説明しませんでした。普通には「世のため人のため」という言い方をしました。あるいは学問救世と説明しました。・・・ とにかく柳田国男は自分の学問は世のため人のためにする学問だということを言いました。言い換えれば実際の社会で要求していること、あるいは社会で起っていることを解明することを民俗学の使命としたわけです。」 上掲書(4) 15ページ

まさに、私が、大学時代に漠然と感じた「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなくてはならない(1991)」ということと同じことをいっています。

知識や学問は人を傷つけたり貶めるものではありません。やはり人や世の中の役に立つものであってほしい。

そもそも日本の「民俗学」が「世のため人のため」のものであると創始者自身が語っていたことを知って、この「開発民俗学」を提唱する意を強くしました。

P.S.

趣味の学問ですが、学界のルールには従うものとします。これは、鶴見良行氏が「裸足の研究者」でありながら、学界のルールにこだわったことは本人も、また周りの人も等しく認めているところです。

鶴見良行 『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995

アジア太平洋資料センター[編] 『鶴見良行の国境の越え方』 月間オルタ増刊号 アジア太平洋資料センター 1999

でも、また鶴見さん自身も志を大切にした人であったことを思い出しました。ジャーナリストの鎌田慧もそうだよな。私も自分のやっていることの方向性が間違っていないことを改めて実感しています。

あと蛇足ですが、柳田国男、宮本常一、鶴見良行の誰もが、本格的には30歳を超えてから、それぞれの学問的なキャリアを独学でつくりあげています。柳田氏が、『後狩詞記』を出したのが35歳、宮本氏が『周防大島を中心としたる海の生活誌』をアチック・ミューゼアムから出版したのが29歳、ただし彼が研究生活を始めたのはアチックに入った32歳。鶴見氏が初の論文集『反権力の思想と行動』を刊行したのが、44歳のとき。

これを考えたら、しばやんも全然OKじゃんという気がします(何が?)。

並べるのもおこがましいですが^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 4日 (火)

米坂浩昭 『裏道国際派』

08030400 米坂浩昭 『裏道国際派』 新潮社 OH!文庫 2000年

同業他社(IC NET) 米坂元社長の記念すべき著作。

2000年10月10日発行なのですが、あまりの赤裸々な内容に業界内部の人間にも衝撃を与えました。

あまりに語られてこなかった開発コンサルタントと援助業界を、日本の援助機関、国際機関、民間コンサルタントと経験してこられた幅広い視点で解説してくれます。

特に、「第四章 若い人たちへ」は、国際協力や国際貢献を職業として考える高校生・大学生に広く読んでもらい秀逸なガイドです。

多くの仲間が、これをもっと若い頃に知っていれば、とぼやいていました^^?

P.S.

若い仲間と話していて、日本では絶版でなかなか手に入りにくいとか。新刊では手に入れにくいかもしれませんが、がんばってぜひ読んでみてください。

ではでは。

---------------------------------------------------------------------

P.R. こちらもどうぞあ立ち寄りください^^?

しばやんの本棚 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blist.htm

開発援助に関心のある方へ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

開発学研究入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

アマゾン.comの書評 http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A3H7QFD50WW4Z3?ie=UTF8&%2AVersion%2A=1&%2Aentries%2A=0

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 6日 (月)

4.日本における‘平和学’について

ちょっと準備不十分だが、私の問題意識のみメモしておく。

日本に果たして本当の意味の‘平和学’はあるのだろうか。広島、長崎で、人類史上初の原爆の被害を蒙ったということは歴史上の事実であるが、私が世界を回る中で感じたことは、平和のコインの裏面である戦争(学)との関係であった。

いま、平和学というか‘平和’を学問的にも深めようという動き、これは‘テロとの闘い’や‘復興支援’や‘紛争解決’の手段としての‘平和学’への日本国内、特に若い人たちの間でも関心が高まっていることは事実として認めるのだが、どこまで根を張ったものなのか疑わしいというのが、私の本音である。

諸外国における文民と武人との関係や、軍隊や職業軍人の社会的な地位の高さについては、今までも触れてきたと思うが、世界の常識では「戦争」と「平和」はいわばコインの両面という認識が一般的である。(これはよいとか悪いの問題ではない。)

そんなときに、日本の一部のとある政党ではないが、‘平和’しか考えないことは、その思想的にもバランスを欠くし、実際、それは学問的にも浅く、‘戦争’という反面をみないことの危険性は、百害あって一利なしだと思うからである。

この続きは、歩く仲間(HP)にてお楽しみください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog089.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月22日 (日)

3. 開発の究極目標? 制度設計

最近、とみに考えることがある。‘開発’の究極の目的というか目標って果たしてなんだろうか。

いろいろ世の中のはやり言葉は一旦無視して、自分の言葉で考えると、それは、「制度設計」およびそれにかかわるもろもろではないかと思う。

今まで、特に日本のODAの現場ではインフラストラクチャー(俗にいうハード、最近は社会(経済)資本ともいう)の有償資金協力や無償資金協力が主力であることを、特に欧米先進国の援助形態と較べて批判されてきた。このこと自体について説明と反論が必要なのであろうが、一旦それはおいておいて、だからこそ、最近では‘社会開発’とか‘人間開発’などいうソフト面での援助の必要性が叫ばれるようになって、具体的には、「教育」、「保健衛生」、「安全な飲料水」などの分野におけて実際に事業量も増えてきている。昨今では、さらに難民対策とか平和構築とか新しい分野の業務が増えてきている。

また既存のインフラ整備においても、事業完成後、特にインフラ設備の引渡し後の「維持管理」の重要性と、その分野の梃入れがいまさらながらクローズアップされている。いわく「ものはできたが、維持管理できない。これでは援助効果があがっていない(役に立っていない)」と、いかにもマスコミが飛びつきそうな安直な批判につながっている。

確かに至極もっともな指摘で、現場でもそれが最大の問題の一つであることは間違いない。

ところでだ、その「ソフト」の強化にあたって援助の対象者に対して「トレーニング(教育・訓練)」(以下、‘トレーニング’)という方法がとられているのであるが、その現状に対して2点問題点を指摘しておく。

一点目としては、「具体的なモノを対象にした‘トレーニング’でないと意味がない」ということ。

二点目は、「その‘トレーニング’の目的というか目指す方向が果たして‘正しい’のか」という問題である。

この続きは、歩く仲間(HP)でお楽しみください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog086.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月13日 (日)

2.参加型開発理論の盲点、スケールの問題

わたしも業界人のひとりとして、参加型開発とかミレニアムディベロップメントゴールなどに無関心ではいられない。ここでは、参加型開発とODA、NGOとの議論で何がかみ合わないかについて私見を述べたい。

1.スケールの問題

わたしは、開発の専門家として関連する人には、出来る限りあって話をしようとしているが、NGOの方と話していて、特に違和感を感じることがある。

ずばりスケールの問題である。スケールとは、事業規模、具体的には対象とする地域の面積、受益者の数、技術的なアプローチの仕方などをいう。特に、わたしはODAの仕事をしている開発コンサルタント会社に籍をおいていることもあり、どうしてもわたし(たち)が考えるアプローチは、国家政策から次第に管区、州、市町村という風に、トップダウンで‘政策’の整合性を検証しつつ、ボトムアップの計画を立案しようと考える。

ここで、参加型開発について一言いいたいのが、現地の人々のリアリティを重視しようとする方針そのものには何の批難すべき点はない。しかし、ボトムアップだけでよいのかというのが、そもそも論としてある。確かに、英国のロバートチェンバース氏ら欧米の開発コンサルタント(研究者)が主に得意としている(ブラック)アフリカや中南米、西南アジアの一部の国、地域では、国家組織と従来の歴史的な住民組織の二重構造が、国家政策と実際の住民の求めているものとの乖離という問題を起こしてきたもの事実であろう。もっといえば(欧米の)国際開発機関の現地政府や、その中の開発対象地域へのプロジェクトの押付がいかに間違っていたかの方が問題なのであるが、彼らのそれなりに自己批判しているようなので、それはさておく。

しかし、問題は2点ある。

この続きは、歩く仲間(HP)でお楽しみください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog078.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1.社会保障制度考

今まで、‘発民俗学への途’という集中講義を書いてきたが、ほぼ第1期の目処がついたので、方法論・各論へと入ろうと思う。この連載では、私自身の問題点の整理を一義的に考えているため、かならずしも結論があるわけではない。ただし、問題意識の立て方やアプローチの仕方で参考になることもあるのではないかと思う。当然、読者諸賢の批判的なご意見も賜りたいと思っている。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

1.社会保障制度考

今、(日本の)社会福祉関係の分野の教科書*を読んでいる。主に‘貧困’概念の整理、貧困把握の仕方、公的扶助論、セイフティネットの考え方について、社会福祉ではどう考えているかについて調べたいというのが理由である。

*岩田正美、岡部卓、清水浩一編 『貧困問題とソーシャルワーク』 有斐閣 2003

非常によい教科書だとは思うのだが、読むうちに、ううん?と立ち止まってしまった。学問の自明性というか、われわれは論を進める際に、自分が立っている土台というかスタート地点に無自覚に立脚していることが多い。

この教科書では日本の社会保障制度を語っているのだが、「近代資本主義」社会となった明治というより昭和の戦後を中心に語っており、「近代国家」であるという前提条件を自明のこととして議論が進められていく。しかしながら、この枠組みで語られる「公的扶助=生活保護制度」は、あくまでシステムありきの制度設計上の議論であり、なにを貧困とするのかなど欧米各国と日本とのそれぞれの社会構成や歴史・地理の違いなどを一旦無視して、欧米の「(近代)社会保障制度」をそのまま日本に持ってきて、その適用の可能性を探っている(という現実を)ことを教えているのに過ぎない。つまり理論的な根拠や制度設計を疑ってもいけないし、あくまでも現行法理論上での現場での適用の仕方を考えろと励ましているのに過ぎないのである。

まあ、日本の学問自体が、その足元を深く考えないで枝葉の応用を考えるというきらいはあるのだが。

ところで、藤原正彦氏も『国家の品格』で言っているが、「論理はスタート地点を決めなければいけないが、スタート地点を決めるのは論理ではなく感性である」というテーゼがある。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_2a1d.html

↑ちょっとけなしているようだが、実は結構私の考えているところと非常に似ている点が多い。ただ議論の進め方が雑だと私は言っているのである。

われわれの世界を考える際に、やはり‘ユートピア’ではなく現実に生きる世界を議論の対象としなければならない。われわれ日本人の場合は、たまたま「近代資本主義社会」であるというだけである。確かに、日本の内部にもいろいろな側面を併せ持っていることは自明であり、その前近代的要素が場合によっては濃厚に残っていることは事実である。しかしながら、なぜか‘学問’的に考える人つまり大学の先生がいうことは、それを暗黙の了解として‘理論’的に議論を進めてしまうので、どうも私はついていけない。

というか、議論の出発点の自覚が必要なのではないかということなのである。

開発民俗学的に考えるとしたら、やはりまずその当該の地域なり国なりがどんな社会的な現実に立っているかの提示が必要であると考える。

公的扶助、セーフティネットの問題は、4,5年前から問題意識をもってみているが、日本の論調は、やはり金銭的な側面で捉えられているものが多いように見受けられる。特に途上国開発を考えるには、まず現状の把握と、その文脈にたった公的扶助、セーフティネットの‘再’構築が必要であると考える。

この続きは、歩く仲間(HP)でお楽しみください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog077.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)