開発民俗学・私論

2009年11月23日 (月)

高橋しん 『いいひと。』 変わることと変わらないこと 1990年代再考 他

という記事を、「Life, I Love You!」のほうにカキコしました^^?

実は、こちらの「歩きながら考える」のカテゴリーに入るべき内容だと思うのですが、漫画のレヴューというかたちをとっているので、まあ、あちらで扱ったわけです。ともあれ、久しぶりに力の入った文章なので、ぜひご高覧を^^?

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/11/post-8e5b.html

あとついでに、こちらも「歩く仲間HP」のアーカイブからもってきました。

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) (再掲) 2005年3月23日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/11/5-42d4.html

この記事を再読してみて思ったのですが、「歩く仲間HP」の最初の文章は、1999年11月21日だったとのことなので、ちょうど10年前に、このプロジェクトが始まったということで、たまたま偶然の一致とはいえ、何か不思議な機縁を感じています。今日が、2009年11月22日であることは決して偶然ではない、そんな気がします。

なぜ、自分が、「変わること」と「変わらないこと」にこだわっているのかよくわかりませんが、たぶんそれが、今後の私の言動の方向性を決めていくのだなあと漠然と感じています。

また改めて、「歩く仲間」プロジェクトの20周年、「歩く仲間HP」の10年の総括を近々しなくてはならないのではないかということで、とりあえず今日は筆をおきます。

ではでは^^?

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2009年11月16日 (月)

【歩く仲間通信】 歩く仲間20周年プレセッション&「マイケル・ジャクソン論」(途中ですが^^?)

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。日本もいよいよ冬らしく、日々寒くなってきました。新型インフルエンザなど、みなさまお元気ですか。

柴田 英知 @愛知です。

前回は、転職1年ということで、ちょっとまじめ?な話題でしたが、今回は、近況報告などなどです。

さて、今日(2009年11月15日)、姉の長女、長男、つまり私の姪っ子、甥っ子になるわけですが、彼らの学祭というか「美中祭」なるものに両親といってきました。

美中すなわち愛知県岡崎市の公立(市立)美川中学校は、私と姉、さらには両親の母校でもあります。(ちなみに弟だけは、新しく小学校区にできた竜南中学校です。)思えば、1985年3月に卒業しているので、既に24年も経ったことになります。

メインは、クラス対抗の合唱コンクール。そういえば、私の3年5組は、この合唱コンクールで学年優勝したんだよなあなどということを思い出しながらステージを見ていました。ところで、知っている方にご報告。昨年、講堂というか体育館が建て替えとなって、今回の舞台は新築1年目の体育館で、なんだこれといった感じで、古い体育館はすでになく時間がなくてキャンパス(とはいわないか)?をみる時間的な余裕がなかったのですが、いろいろ校舎もグランド周りも変わっていて何か全然違うところに来たみたい。でもあえて言えば、桜の木とか植物だけは変わっていなかったみたい。でも、もう20数年ぶりにきてみれば変わっているのも当たり前のことですよね^^?

で、話を戻すと、やっぱり学生時代というかその時にしかできないことってあるし、やっぱり中学生はいつの世にあっても中学生らしくあってほしい、そんなことを感じました。

実は、私は田舎が嫌いで、特に狭い?人間関係が嫌で中学生、高校生の頃から地元を離れることを考えていました。広い世界つまり海外への憧れは小学生の頃からあったのも事実ですが、やっぱり田舎に埋もれる?ことを本能的に怖れていました。

この土地で生まれて育って、また地元の人と結婚して、絶対に地元から出たくないという考え方の人も少なくありません。きっと。でも自分は、とてもそんなことは考えられなかった。絶対に東京に行って‘世界を股に架けて働く’ということを小学生、中学生のときから考えていました。

ところで小中高のエピソードをひとつ。実は、小学校4年生から高校3年生まで無遅刻無欠席なんです。私^^? 正確にいうと小学5年生の2月の半日でればいいだけの土曜日に休んでしまったので、小学校5年生だけは皆勤賞をもらえなかったのですが、半日(わずか!)休まなければ、小学校6年生のときに3年間連続皆勤賞ももらえたはずでした。中学校と高校では、ばっちり3年間皆勤賞をいただきましたがね・・・。

つまり何がいいたいかというと、中学校、高校と決して楽しいことばかりではなかったけど、いじめやシカト(みたいな)ものに会いつつも、自分は常に(いやそうでもなかったかもしれないけど)顔や頬を上に向けて毎日学校に通いました。

強さ、タフさっていろいろな定義があると思いますが、クラス一の暴れん坊だったり力自慢でも結構簡単に風邪で休んだり、まあ暴れん坊に限って怪我をして学校を休むケースもあったりしたわけですが、私は、誰にでも学校に来る(たとえ嫌でも)という面では、つまり気迫というか気合では誰にも負けていなかったと思います。‘ずる休み’なんて全く考えられなかったし。つまり私の辞書にそのコトバはありませんでした。キッパリ。

そういえば、前の会社の直属の上司というか先輩も元気で(乱暴?)な人でしたが、とにかくタフな方でした。実は彼も小学校から高校まで無遅刻無欠席だということを何年か後になにかのきっかけで本人から聞いて、さもありなんというか笑ってしまった記憶があります。徒然草の吉田兼好も言っていますが、大体、元気な人は病弱だとか弱い人の気持ちがわからなくて、「健康なひと」は「友とするのにわろき人」だそうです。自分もそうなっていないのか意識しているので、折に触れて反省というか、時々に自分の言動を振り返るようにしています。

今改めて思うのは、やっぱり人間、心技体というと大げさなのですが、まず体も心も健康であってほしいものだなと思います。前の会社のとき隣の(道向かいの)商社の先輩が、「(体育会系で)脳みそも筋肉」と冗談めかして商社マンの実態?を話してくれましたが、まず体が第一。これは本当のことです。頭も心もまず体が結構で丈夫でなかったら、どうしても弱気になったり悪いことを考えてしまいがち。

前職で見聞きした先輩や仲間との日々を今、しみじみ振り返って思うと、海外の仕事をずっと30年も40年もやり続けてきた人たちは、間違いなく「サバイバー(生還者)」であるといえます。大体、誰も只者ではない^^?ちなみにアメリカで「ザ・サバイバー」というのはほぼ間違いなく朝鮮戦争やベトナム戦争からの生還者、それも傷痍軍人などを指します。英語の辞書の意味以上に深い意味があるものなのですね。コトバって。

ところで上司というか同じチームで働いた先輩に、よく海外の現場で、「豚やろう」とか「死ね」といって小突かれましたが(まあ誰とは言いませんが^^?)、同じチームの先輩の誰もが厳しく‘訳の全くわかっていない’若造を、よく鍛えてくれたものだと思います。思えば、いろいろバカなことばかりやってきましたが、よくもまあ野放しというか自由にやらせて、失敗をしてもよくもまあ(しっかりと)尻拭いをしていただいたものだと思います。

若気の至りとかいいますが、現実の海外の仕事の現場では、バカなことをすれば間違いなく「死」にます。しかもツーリストやひとりの旅人ならまだよい(よくありませんが)。今の開発コンサルタントの人がどう意識というか自覚しているのか知りませんが、ホンの10年ほど前は、JICA(現 独立行政法人 国際協力機構)の仕事で海外に行くときには、青パスといって、準公務員の外交官パスポートを渡航のたびに作ってもらっていたのです。つまり、身分は、JICA MEMBERとかJICA LEADERということで調査の対象である当該国そして経由地の国名しか入っていない一回しか使えないもので、JICAの依託職員という立場で仕事に臨んでいたのでした。

まあ、日の丸を背負っていたといえば‘コトバ’では簡単ですが、その緊張感たるや、上司や先輩が‘バカな’若者を罵倒してシバキ倒すのも理解できるというものでしょう。実際、バカなことをしてひとつ事件に巻き込まれれば、個人や会社の恥に納まらず日本人の特に日本の外交政策にも影響を与えかねません。外交官パスポートを持ったものが死んだり誘拐されたりした日には!、もう想像つきますよね。イラクのNGO諸君がゲリラ?に拘束された問題で「自己責任」論議が日本の各界で沸き起りましたが、途上国の開発援助のプロである開発コンサルタントの我々からしてみれば、「‘素人’が何(バカなこと)をやっているんだ」というのが偽りのない本音でした。

若い人にはっきりいっておきます。とにかく、海外の仕事は民間であろうが政府の仕事であろうが「生きて還ってくる」ことが一番大切なことです。どんなことに巻き込まれても、逃げれるのであれば、命からがら逃げ帰ればよい。中途半端な「英雄的な精神」や、「自己犠牲」は全く‘無駄’だし、‘あなた’の「自己満足だけ」のために死ぬのはそもそも卑怯だし、絶対に‘残された人たち’のことを考えてください。これは家族や友人に限らずあなたが死んだことにより、あなたの‘遺体’のみならず、あなたが投げ出した‘全て’の尻拭いをせざるを得ない(多分あなたの会ったこともないさまざまな多くの)人たちのことをしっかりと胸に刻んで行動してください。

偉そうなことを言っていますが、そういえば、この言葉も、とあるJICAの現地事務所長の言葉でした。「部下の(若い)駐在員にいつも言っていることだが」という前置きの中で、「お前の仕事は、現地で成果を挙げることでもなんでもなく、とにかく‘生きて(日本に)還ってくること’が一番、最優先されるべきだ」と折節に後輩に語っているそうです。実際に、自分でも経験がありますが、海外赴任というと、とかく意気込んでそれなりの活躍をして手土産やり手柄という実績をもって帰任したいと誰もが思うものです。でも、いろいろありますわなあ。相手国の政府や政治の問題、自分もつまらないトラブルに巻き込まれる怖れもありますが、そもそも途上国相手の仕事が、すぐに赴任早々に軌道にのって、とんとん拍子ですすむ‘わけ’がない。

海外での赴任生活に慣れるだけで、少なくとも半年、カウンターパート(相手国政府の役所や役人)との人間関係を作るので最低でも1年、できれば2年、つまり会計年度でいう2サイクルはほしいところ。ちょっと現地や現地の人たち(カウンターパートを当然含む)に慣れた頃には、もう帰国間近であるというのは、よく聞く話ですし、実際に私も、ちょっと軌道に乗りかけるまで、やはり‘丸2年’はかかりました。

特に若いうちは熱意が空回りして初めての海外駐在では、ほぼ間違いなく現地のみんなの‘お荷物’にはなっても、‘手土産’を日本にもって帰ることはできません。でもいいのです。JICAでも商社でもメーカーでも海外駐在をやるような人たちは、何度となく海外赴任の機会はあり、それぞれ違った立場で現場に立ち向かいます。平たく言うと、「リベンジ」は可能なのです。その雪辱を味わったその国でリベンジできるのは稀だとしても、どこかで失敗をバネに結果として成果を挙げてくれれば。組織としては。だからこそ「死ぬなよ」ということなのです。

私も今は両親と田舎に住んでいますが、生涯であと1、2回は海外駐在(2年とか5年くらい)なら可能だと思っていますし、その気はあります。いちおう誰がこのメールを読んでいるのかわかりませんので、本音を言っておきます。機会さえあえば、周囲の状況が許せば、世界のどこへでも飛びまっせ!とは、ここではっきり言っておきます!(リクルート?よろしくお願いします。まだFA宣言していませんが、10年以内にはなんとか次のステージの目処を立てますので^^?)

なにか、雑談ばかりになってしまいましたが、強引にまとめると、まあ振り返れるふるさとというか学園があることはやはりいいことだということ、そのときその場でできることをとにかくやりきること、心身ともに健康であること(そうであったほうがいいよということ)。まあ、これらのことはいつでもどこでも何歳になっても言えることですがね^^?

そうだ、今日の美中祭で、中学生の合唱コンクールの後で、PTAのママさんコーラスのOGたちのグループがゲスト公演をしたのですが、その一曲が、アンジェラ・アキの「手紙~拝啓十五の君へ~」でした。まだ、40歳にもならない若造としては、まだこの曲を聴いて涙を流したくないなあ、と思いつつ、歌詞とハーモニーに聴きいっていました。ちょっと‘だけ’、眼に涙を浮かべて^^?

さて、今回のブログ更新の報告です。とりあえず2点のみピックアップしました。

その1. 「歩く仲間」のHPの前身となる「大阪便り」を外大時代に発刊したのが、平成元年(1989年)12月15日となります。まあ何を「歩く仲間」の始まりとみなすかは微妙な問題でもありますが、仮に、この個人通信(B5版片面刷り)とすれば、あと1ヶ月で、ちょうど丸20年となります。

『大阪便り』及び『江戸瓦版』・・・‘歩く仲間’前史
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/o000.htm

いろいろ20周年記念のイベントなどを考えていますので(その実施は来年から)、そのプレセッションとして過去記事の紹介をちょっとずつしていきたいと思います。

その2. 2009年6月26日に急死した「マイケル・ジャクソン論」を書きついでいます。

まだまだ書きかけですが、いちおう3本の論文?を書きましたのでお披露目しておきます。

「マイケル・ジャクソン 『スリラー』 25周年」 2008年2月21日作成(以下同)
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/02/25_6dda.html

「マイケル・ジャクソン 『THIS IS IT』 2009年10月28日全世界同時公開」 2009年11月14日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/11/this-is-it-c986.html

「フィンガー5 『個人授業』(Finger 5 First Album)あるいは‘和製ジャクソン5’のこと」 2009年11月15日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/11/finger-5-first-.html

長文ついでに、「マイケル・ジャクソン 『THIS IS IT』 2009年10月28日全世界同時公開」から、ちょっとだけ本文を引用させていただきます。
今、映画 『THIS IS IT』 は、まだロードショーにかかっていますので、マイケル・ジャクソンを知っている人も知らない人も、ぜひぜひ観にいってやってください。いろいろな‘気づき’があると私は信じます。

「~前略~

今までは、マイケルのビートの効いた「踊り」と、もうこれはジャクソン5時代からの天性‘歌’のうまさに眼をくらまされていたというか、少なくとも私は、実はソロ以降のマイケルの曲は唄の歌詞を考えたり読むものではなく、ただなんとなくビートで心地よく聞く(聞き流す)もの、ダンスシーンで無駄にむやみに消費される‘街’の音楽というかさざめきとでもいうような街のビートのひとつでしかなかったと思います。

しかし、改めて、ヒット曲の歌詞の内容をつぶさにみてみると、耳や体に心地よい‘ビート’としてのみ聞き逃してよかったものなのか、もっと真摯‘唄’の心に想いを寄せる必要があったのではないのか。

いや、今からそれを始めようと思います。実は、マイケルの‘別’の読み方、聴き方を示唆していただいたのが、大学の恩師の先生でした。たまたま大阪に行ってお会いした折に、非常に、マイケルの話で盛り上がってしまって・・・。まあ、その方向での私の読みというか‘聴き込み’は、まだこれからなので、一旦、この映画についてまとめます。

世界中から‘カリスマ’であるマイケルとの競演することを夢見てオーディションに参上した何十カ国からの若者達や、競演のミュージシャン達。この映画は、作為がないというかリハーサル映像やコンサート用に準備したビデオクリップなどを、淡々とつなぎ合わせただけのものですが、いかにマイケルが‘人’を愛したのか、また人から愛されたのか、天才といってもよいと思いますが、当代稀有の天才ミュージシャンのマイケル、超一流の仕事の流儀というか、一流のプロの仕事がいかようなものなのか、またその一流のものどおしの競演=コラボレーションが如何に凄いものを生み出すのか、生み出しうるのかということを、われわれは追体験することができます。

バックミュージシャンやダンサー達が如何にマイケルを尊敬して慕っていたのかは置いておいても(当然、わかることですが)、逆にマイケルが如何に謙虚にスタッフみんなを盛り立て盛り上げ、彼‘のみ’に見えていた‘ビジョン’にみんなを導こうとしていたのか、天才の、いや凄い人の本当の‘凄さ’を魅(見)せつけられた気がしました。

とにかく、凄い人ほど、謙虚で頭が垂れているということを見ただけでも、私には非常に大きな収穫でした。‘凄い’人で、威張ったり人を脅かしたり、ハッタリをいう人はいない(はずだ)ということを感じただけでも眼が肥えたという感じです。つまり如何にも偉そうにする人ほど‘小者’で‘偽者’であるかということですね。他山の石というか、これから人生を生きてゆく上で、非常なヒントになりました。

さて、この映画だけだと実は私のマイケル理解に不足がありました。先に話した恩師より教えてもらった『ライブ・イン・ブカレスト』(1992年にチャウセスク政権崩壊直後のルーマニアはブカレストで行われたマイケル・ジャクソンの全世界ツアーである「デインジュラス・ツアー」の記録映像)を、この映画をみた後で買って、今日実際に見てみて、非常にストンとマイケルの凄さとこの映画の凄さがわかりました。

今思うと、アルバム『スリラー』の佳曲「ヒューマン・ネイチャー」は今でも好きだけど、「ブラック・オア・ホワイト」、「アース・ソング」、そして何より「マン・イン・ザ・ミラー」のメッセージが非常に気になるというか心に刻まれました。

「マン・イン・ザ・ミラー」自体は、アルバム『バッド』に収録されているので1987年の作品なのですが、やはりこれがその後のマイケルの大きなターニングポイントになったのではないか、新しいNEWマイケルの萌芽が既に1987年の段階であったのかということを感じさせます。

識者が、「オバマが今(大統領で)いるのは、マイケル・ジャクソンがいたからだ。彼(黒人大統領)の出現を50年早めた」というような主旨のことを発言したとメディアが報じていましたが、この「マン・イン・ザ・ミラー」を聴いて、その歌詞を読んで、それかもしれないと素直に思いました。オバマ大統領の好きな「チェンジ」も「イエス・ウィ・キャン」もマイケルやそれ以前の黒人歌手や運動家が何度となく歌って語ってきたことなのではないか。

特に、この「マン・イン・ザ・ミラー」=すなわち‘自分’が、まず変わる(チェンジする)こと、世界を変えるには「マン・イン・ザ・ミラー」から変えるしかないというメッセージは、今でもというか20年後の今でこそその普遍的な価値をもって語り継がれる、いや歌いつなぐべきことなのでしょう。

私の2009年のベストな‘泣ける唄’は、今、この場で「マン・イン・ザ・ミラー」であることを宣言?してこの項を終えたいと思います。

~後略~」

このあとで、書いている自分もびっくりの「マイケル=キリスト 殉死(パッション)説」なるものの可能性について気がついてしまったというか言及しています。このテーマは実は非常に展開がおもしろくなりそうなテーマなので、改めてもう1本、別の問題とも絡めて近日中に文章にするつもりです。

長々と長文につきあっていただきありがとうございました。貴重なお時間をありがとうございました。

また気になったら、私のブログやミクシイのコミュなりに足あとを残して言っていただけますとさいわいです。もちろんメッセ大歓迎です。

この地球の空の下、どこかでまたお会いしましょう。

ではでは^^?

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2009年11月 8日 (日)

‘ジャム’セッション ~‘場’をつくるということ

というテーマで、文章をまとめようと思っています。とりあえず今日は時間をかけられないのでメモ書き程度にとどめます。

・壁を作らない。

・つなげる(あるものを)

・(市民を)巻き込む

・その場所に関わるということ

・風の人、土の人

・その(土)地から始める。

・‘場’を作るのは‘人’そのもの。

・‘人’から始める地域づくり。

・外部者の役割 

・現状分析(フィールドワーク)と関係作り(ファシリテーション)

・優れた開発コンサルタントは例外なく卓越したファシリテーターでありフィールドワーカーである。

・ある場所から始めよう。

附論:

まちづくりにおけるファシリテーター論

実はまちづくりや開発教育の分野ではあたりまえのことであった!

○対談 平山恵 清水義晴 『ファシリテーターのための入門書 ワークショップは宝の山 ~国際協力からまちづくりまで~ 』 パラダイムシフト文庫1 1998年

○森良 『新版 ファシリテーター入門』 エコ・コミュニケーションセンター 1999

※参加型開発を語る際に、ワークショップ、ファシリテーターは必要不可欠な要素。そこにフィールドワークの手法を持ち込むことは、経験のあるファシリテーターは無意識に‘比較’という手法を使って地域やワークショップの参加者の現状分析を行っている。

私の経験から:

Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語)
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として) 200354http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

『開発コミュニケーション』をめぐる課題 200354http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000192.htm

第5回 NGOカレッジ 「参加型開発と私たち」 シャプラニール 定松栄一さんの講座を受講したこと。←これは結構大きい。平山さんにもこの講座でお会いしている。

(とりあえずここまで) 

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2009年11月 3日 (火)

道はまだまだ遥かかなた。でも、まず一歩から踏み出そう!

ということで、今回の大阪行きの収穫の2つ目は、海洋民俗学関係の専門書を「阪急古書のまち」で古本屋めぐりで偶然にも漁れたこと。ゲットした本は下記のとおり。

○田辺悟 『海浜生活の歴史と民俗』 慶友社 考古民俗叢書 2005 (13,000円+税)
○野本寛一 『海岸環境民俗論』 白水社 1995 12,000円(税込)

両方とも新古というか古本で買ったからまだしも、う~ん、実は、非常に高い買い物でした。

でも「海洋民俗学」をやると宣言してしまったからには、これらの専門論文集に食らいつかないといけないというか、実際に手にとってみて、これは手元において(読まねば)と、直感した次第。

ちらっとみただけですけど、非常にそそられる本です。両方共に今までの研究史が載っているのが非常にうれしい。

ともかくこれらを足がかりにすれば、すくなくとも2005年までの研究成果は概観できるはず、ということで、これからの「海洋民俗学」の研究の弾みになりそうです。

あと、この2著をみて思ったのは、野本先生はともかく田辺先生は、この道で一筋で45年もやっているのに、私は、「開発民俗学」とか「アラブ・イスラーム地理書・旅行記」もやるといっている点。

でも私には私にしかできないことがある。この3つは、それ以上の多くの興味(単なる浮気心)を削って絞り込んだものなので、きっちりとやってやりましょうと、改めて気持ちを引き締めています。

ふんどしを締めなおすというか、もうこれだけ投資をすれば、もうやるしかないというところで、ミクシイのコミュも盛り上げていきたいと思います。

といったところで、2つ目の収穫の報告は終わりです。

ではでは^^?

P.S.

mixi「海洋民俗学~海からみる世界」のアドレスはこちらです。(ミクシイのメンバーでないと見ることができません。関心のある方はしばやんまでメールください。)

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4578156

ではでは^^?

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2009年10月23日 (金)

「開発ファシリテーションとフィールドワーク(FAFID)」 第10回勉強会 参加しました^^?

前から言っていましたが、ようやくというか初めて標記の勉強会に参加することができました。しかも第10回勉強会ということで、主宰の日本福祉大学の小國和子先生の、報告1「場を成す人々への注目 → 発表の題目は、フィールドワークがアクションになる場で -開発援助の現場におけるアクターの相互作用への注目-」という今までの勉強会の総括的な発表と、関西学院大学の吉野太郎先生の「震災後神戸の支援現場から:緊急支援から多文化なまちづくりセンターへの変遷とターニングポイント」という2本立ての発表がありました。

いずれも熱のこもった発表で、非常に学ぶ点がございました。しかも今回は、国立民族学博物館の鈴木紀先生と、日本福祉大学の穂坂光彦先生らのコメントや参加者の質問やコメントもあり、学界側の見方?も感じることができました。

でも重ね重ね思うことは、開発援助の現場と学界の乖離というかその距離感でした。3分間のコメント発表では全然、語れませんでしたが、自分の考えたきたことと勉強会の方向性の近いところと、やはり前提条件の立て方の違いからくる距離、でもその違いや距離なりがわかったことでどこに私が橋をかければよいのかがみえてきたともいえます。

まあ不十分なコメントなので、語れなかったことは別途、歩く仲間の記事として取り上げていきたいと思います。

とりあえず明日も仕事なので筆をおきます。

非常に満足な勉強会でした。

ではでは^^?

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2009年10月12日 (月)

「世間知らずはまだ許されるが、世界知らずは罪ですらある」 リトルワールド散策レポート(その1)

昨日、歩く仲間オフ会第1弾である野外民族博物館リトルワールドの散策に‘ひとり’でいってきました。

結局、メンバーが集まらなかったということですが、ひとりだったので、オフ会の‘下見’ということで第0回ということにしておきます^^?

Pict0136

さて、もう10何年かぶりに行ってきたのですが、結論から。

「世間知らずはまだ許せるが、世界知らずは罪ですらある」というのか私の今回のリトルワールド散策で気がついたことです。

どういうことか。

昨今、これほどメディアが発達し、地球の裏側のニュースが瞬時に映像で伝わってしまう現代世界に生きるわれわれは、もっともっと世界に対する関心と責任を持たなければならないということです。

‘世間’があっての‘世界’があるのではなく、‘世界’があるからこそ‘世間’があるのだと思います。つまり、世界、この場合、社会と読み替えたほうがよいかも知れませんが、‘世界=社会’があるからこそ、‘世間=社会規範’があるのです。

特に、若い人は、世間知らずでもいい、というか知らなくて当たり前です。ただ心は‘世界’に開いておいてほしい。

郷にいらずんば郷に従えといいます。‘世界=社会’によって‘世間’の常識は違っていて変わっていて当たり前なのです。

その原理さえわかっていれば、別に日本の‘世間’に生き難さを感じる必要はありません。私は16年間、多くの地域・国で仕事をしてきました。フィリピンにも4年3ヶ月、駐在員として住んできました。

結論は、それぞれの場にふさわしい立ち居振る舞いをせよ。ということです。日本では、日本の‘世間’にあわせる(たふり)をすればよいのです。

まず、前提は、世界は違うということ。それはかなり恣意的にゆがめられたものであることを実感として胆に命じること、というか感じるしかないのでしょうね。実際には。

世界の民族博物館ということで、このリトルワールドには、いわゆる少数民族や極限に生きる人たちの住居が村のごとく、ピンではなく、もう少し広い範囲で復元されています。

Pict0192

欧米のキリスト教徒という‘異教徒’に征服されて絶滅させられた種族や民族の住居をみると本当に涙がでてきます。

宣教というプロパガンダの元に、いかにひどい侵略と略奪がおこなわれたのか。

独りよがりの‘正義’や‘良心’がいかに、異なる人たちを壊滅まで追い込んでしまったのか。欧米の知識人に、どこまで自分の立っている大本に暴力と傲慢があるのかを自覚して気がついている人がいるのでしょうか。

サイードがオリエンタリズムをいったところで、結局、本質的に自分を絶対安全圏の知的特権階級においている人は、多分、死ぬまでわからないのでしょう。

ともあれ、われわれはさいわい、ほどほどに理知的であり感覚的です。はっきりいって、理知的に論理的にというより感情に流され、日々を生きています。

そんな普通の人の感覚を共有すること。これを、文化人類学者の片倉もとこ先生は、「平のひと」の感覚と呼び、普通の人を、その‘生きる社会そのものの中’で捉えることを提唱されました。

これを、「ホーリスティック・アプローチ」と呼びます。

分断して、細かくして世界するというアプローチは、依然として有効ですし、この日本でも男性的な‘会社’社会では、それなくして回らないのは周知のとおりです。

しかし、‘会社’の逆さ読みが‘社会’ではありません。これは当たり前のことですよね。

‘社会’あっての‘会社’であり、その逆は絶対にありえません。

男の‘会社’に対する女の‘社会’、老人や子供の‘社会’、そういう全ての清濁併せ呑むのが‘文化人類学’や、‘民俗学’的なアプローチです。

あと、リトルワールドで思ったのは、人間、五感を使って‘世界’や‘社会’を見なければならないということ。

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「神々は細部に宿る」といいますが、細かいところに気がつかずして‘人間’や‘社会’の理解はありえません。

野外展示の家屋や、その庭先を見つつ、結局、400枚くらい写真を撮ってしまいました。つまり、それだけ私には‘発見’というか‘気になる点’があったということです。

私が、こういう風景をみて、何を感じたのか。たぶん言われるとあ~あということばかりだと思いますが、ぜひ、‘歩く仲間’達とシェアーしたかったですね。

まあ、今回は‘下見’で第0弾なので、次回の第1回も同じフィールドで開催しちゃいましょう。

11月か12月に実施したいので、関心のある方は、メッセください。

日程を決める際に優先的にご希望を伺うようにいたします。

とりあえず、レポート(その1)ということで。

ではでは^^?

(この項、了)

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2009年10月10日 (土)

いわゆる京大スクールについて<覚書>

最近、どうも京大スクールの地域研究グループのことが周辺で話題になるというが自分の眼の届く範囲に頻繁に登場するので、ちょっとしたメモを残したい。

以前、梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』が私の知的?生活の始まりと書いたが、今、自宅に戻って実際に読書記録の「京大カード」を手に取り直してみると、間違うことない、「1986年12月7日」が000番で、それがまさにこの書名が記載されていた。

もう22年も前のことになる。ちょうど高校2年生の冬の話。確かこれをきっかけに1年間に100冊の本(雑誌を除く)を最初から最後まで読むということを目標にしてやってきたのだが、確かに数年前まで、そのペースを保っていた。(十何年か前からパソコンで読書管理をしてきたのだが、ファイルを壊してしまったこともあって、この数年は記録をしていない。)

57冊目 1987年7月10日 読了 本多勝一 『戦場の村』 朝日文庫 1981

59冊目 1987年7月12日 読了 本多勝一 『殺される側の論理』 朝日文庫 1982

64冊目 1987年7月16日 読了 鎌田慧 『現代社会100面相』 岩波ジュニア 1987

66冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『殺す側の論理』 朝日文庫 1984

67冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』 朝日文庫 1984

68冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『事実とは何か』 朝日文庫 1984

74冊目 1987年8月26日 読了 岡倉古志郎 『死の商人 [改訂版]』 1962 

ちょっと脱線したが、この記録を見返すとすごい。私の問題意識は、高校時代に既にインプットされていたようです^^?

閑話休題。

私の研究スタイルがどうも京大学派にあるらしいということで、京大の人物列伝。こんな本を読むと京大人脈の一端がうかがわれるのではないかということで、今手元にある内幕暴露的な本の書名をちょっとだけ紹介。

○藤本ますみ 『知的生産者たちの現場』 講談社文庫 1987

※梅棹忠夫氏の秘書による京大人文科学研究所の人物とその現場の空気を伝える。(未読)

○高谷好一 『地域研究から自分学へ』 京都大学学術出版会 学術選書 2006

※京大東南アジア研究センターの創設からを個人の研究史と交えて語る。(未読)

○川勝平太 『文明の海洋史観』 中公叢書 1997

※生態史観-戦後京都学派(今西学派)ということで、唯物史観と親和性の高い東大アカデミズムと対置して歴史観について述べる中である程度詳しく言及している。(未読)

○早瀬晋三 『歴史空間としての海域を歩く』 法政大学出版局 2008

※歴史研究と地域研究の架橋を試み、海域史の構築を試みる筆者のフィールドノート及び書評。京大学派への直接の言及はこの本では控えているが、彼の研究の延長上で、鶴見良行と京大東南アジア研究センターの地域研究に対する強烈な対抗意識があることは本人も明言している。(『海域イスラーム社会の歴史 ミンダナオ・エスノヒストリー』 岩波書店 2003 の「はしがき」を参照)  (未読)

どうも未読の書の紹介ばかりですみませんが、‘フィールド’を重視する地に足のついた「地域研究」と「歴史研究」も視野にいれた「開発民俗学」や「海洋民俗学」を考えるには、(戦後)京大学派は絶対に押さえておかなくてはならないことを改めて確認した次第。

ではでは^^?

蛇足ながら

20年前の学生時代は全く意識していなかったというかわかりませんでしたが、人と人のつながりは特に学問の世界では非常に重要。誰が誰と交友関係があり、どのような学問的な刺激を受けて、また与え合っているか。この人のつながりがみえてくると思考パターンが見えてくるというかおもしろい、ということにようやくこの10年ぐらいで気がつきました。

先行研究や研究者間の交流を調べて読み解くことは後進にとっては非常に重要なことだと思います。

ではでは^^?

(この項 了)

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2009年2月18日 (水)

「時代の子」の意味について <天才論 その3>

少し間が空いてしまいましたが、天才論のその3にいかせていただきます。

前回、天才は所詮、‘時代の子’であるというところで終わっていました。

ここから語り継ぐにあたって、‘時代’についての考察をもう少し深めてみます。もうネタばれになってしまうのですが、ここで私が言っている‘時代’を‘パラダイム’と読み替えてもよいでしょう。

これは歴然たる真実だと思うのですが、天才とされる人たちは、ほぼ例外なく「自分が何をやっているのか」について自覚している、もしくは確信しているということがいえます。前回、半歩先をいくトレンドメーカーの話を例にだしましたが、天才は‘天才的な’‘閃き’をもつばかりではなく、それがどれほどのものなのかを案外と自覚していると私は思います。

こんな話があります。ホイチョイ・プロダクションというトレンドメーカーの(マンガ家)集団の社長さん(代表?)が雑誌かマンガのインタヴュー記事(たしか対談記事)でこんな主旨のことを語っていました。

このホイチョイ・プロダクションは、つまりトレンドメーカーというか、たしかマンガ雑誌とかで若者向けとかいわゆるこれからはやりめのトレンドを分析して先取りして大衆?に示すという木村和人みたいないわゆる‘トレンドメーカー’なのですが、あるインタヴューでこの社長さんが、次のような質問を受けました。

「(トレンドメーカーの)○○さんの今まであった映画で一番お薦めの作品は何ですか?」

答えて曰く、「その時々で、最高だとされているランキング一番のもの」

この話を読んで、ミュージシャンをやっている友達と話し合ったのですが、二人とも、「これは正しい」という話で落ち着きました。

つまりミュージシャンの彼と話したというところがミソなのですが、通例、このような場合、インタヴューアーも含めて、そんなトレンドメーカーといわれる人は、一体、どんなマイナーな素晴らしい(隠れた)名作を紹介してくれるのだろうと期待するわけです。しかし、一番平凡というか、世のランキングの一番。

友達と話したのは、「そうそう、生半可な奴ほど、(普通)人との違いを強調したがる。」ということでした。特にミュージシャンなんて、人との差別化が商売みたいなものです。また、私もかなりのへそ曲がりなのですが、世間ではやると逆に天邪鬼に、(音楽を)聴いたり(映画を)見に行きたくなくなるものです。そして、自分はこんなマイナーなすごいのを知っているとかついつい自慢したくなるじゃないですか。俺は、一般大衆と違う(すごい奴な)のだと。

でも、トレンドメーカーと呼ばれる人ほど、実際の普通の人が好きなものを熟知している。逆にそれを知らずして、「人の半歩先」を歩くことができないわけです。

ミュージシャンの友達との話に戻ると、「いくら通の間で評判が悪かったり、へたな奴(ミュージシャン)でも、大衆に受けるということは、それなりのものはもっているんだよね」ということです。

人を感動させるのは、緻密で計算しつくされた(心のない)演奏や技巧(テクニック)ではありません。‘へたうま’とはよく言いますが、なにかいくらつたなくても伝えたいもの、伝わるものをもっている、そもそも大衆に受けるとは、そんなことだと友達は言っていました。

ちょっと脱線が過ぎたようですが、つまり、どんな‘天才的なこと’であれ、その時代に受け入れられ、しかもそれなりに支持されないことには、まったく(その時において)意味を成さないのです。

ちょっと訂正、‘まったく’というのは言いすぎですね。よく「早世の天才」とか「時代が早かった」天才論がなされることはあることですが、そのような後から発見された「天才」がいないわけではありませんが、歴史をみてみても、そのような天才が後世において、発掘されることは非常にまれです。

大体、天才をでっちあげるというか後世で持ち上げる人というか黒幕が必ずいるわけです。ちょっといやな言い方をしましたが、そのような「発見された天才」は大抵、‘発見した人’の意図というものが間違いなくあり、それは取り上げられた‘天才’が望んだであろう‘評価’とは別の側面で価値づけされることが、ままあります。それがいいとか悪いとか、当然、個々の場合で違いますし、ここで一概にいうこともできませんが、後世の人が発見した「天才」は一般的にちょっと注意が必要です。

さて、後世で発見される場合にせよ、その「天才」は、発掘や発見されるだけの「なにか」を在命中に残さなくてはなりません。

その「なにか」とは、別に本や論文など‘書かれたもの’でもなく、単になんらかの‘物語’であればよいわけです。その天才の‘言動’が何らかの形で伝わればよいわけです。本人が残さなくても、周りにいる人がそれを語り伝えればよいわけですから、極端なこと、ひとつの‘武勇伝’となるような行動を一度でも起こせば、その‘武勇伝’が必要となる範囲でそれは、‘物語’となり‘伝説’となるわけです。そういう語り伝えの伝言ゲームの世界の中で、「田舎のおっちゃん」の「とある言動」が「天才」の「伝説」となりうるのです。

もうここでお気づきになられた方もいらっしゃるかと思いますが、つまり「天才」や「英雄」はそんな「世の中」の雰囲気の中でつくられていく場合が多いし、その「天才」なり「英雄」が重宝されるのは、みんなの役に立つというか好ましい言動だけがその「伝説」として語り継がれるのです。

結局、「天才」とは過去であれ未来であれ、その「時代」を生きる普通の人たちが評価するものであり、決して「自称天才」はありえないというか、そもそもお呼びではないのです。

話を戻しますと、「天才的な」ひらめきや言動をもった人は、間違いなく自分の言動が世間にどのように評価されるかということを自覚して行動しています。

卑近な例で言うと、将棋の羽生棋士や大リーグのイチロー、フィギアスケートの浅田真央さんでも、自分がやろうとしていること自分がしていることを、非常に冷静に‘世界’の中に位置づけていると思います。そうです。彼らは確信をもって‘天才的’なパフォーマンスを世界に見せ付けてくれているのです。逆に無意識にまたは無自覚に‘天才的な’ことをする人は、非常に珍しいのではないのでしょうか。

つまり、何をすれば‘世界’や‘世間’が認めてくれるのか、その壁なり頂点を見極めた上で努力を続けているのか「天才」の世界だと思うのです。

話を学問の世界にもっていっても、いわゆる「大先生」といわれるような方は、私が知っているだけでも例外なく、謙虚にしかし貪欲に‘世界’のスタンダードというものを知ろうとしています。学問の世界でも、どの世界でもそうですが、プロの世界では年の老若は実はあまり関係がありません。手塚治虫が、最晩年まで同業の漫画家やクリエーター達に嫉妬してどんな若い人に対してでもライバル心を抱き続けたことは非常によく知られた話ですが、大家といわれる人ほど、新しいもの好きで、若者の動きもしっかりウォッチしているのが世の常のようです。

ちょっと話が飛ぶようですが、「天才的」な人ほど、‘世界’のレベルを知っているし、‘大衆が求めているもの’を知っている、もしくは知ろうとしている、さらには、彼らにわかってもらえるような伝達の手段を考えている。こんな気がします。

「天才の俺様のいうことがわからない‘大衆’はバカだ」という天才は古今東西をみても、絶対にありえなかったと私は思います。

逆にわかってしまった「天才」には、彼や彼女なりが達しえたものを広く‘大衆’に伝える義務があります。その「天才的な」ものを広く人と分かち合うことができてやっと人は彼や彼女を「天才」だと認めるのです。

そういう意味で、天才は「大衆性」をもたなくてはならないし、その言動は、いわば誰にでもわかる「普遍性」をもたなくてはならないのです。もし「天才」として‘世界’や‘世間’に認めてもらいたいのであれば。

その‘世界’なり‘世間’を考えると、いよいよ「パラダイム」論に入っていかなくてはなりません。

とりあえず、今日のところはここまで。

ではでは^^?

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2009年2月 1日 (日)

山泰幸、川田牧人、古川彰編 『環境民俗学 新しいフィールド学へ』 未来志向の民俗学(帯より)

ようやく時代がしばやんに追いついたのか、しばやんが時代に追いついたのか、今後、開発民俗学を考えていくのにあたって、非常に参考にある教科書が発売されました。

09020100 山泰幸、川田牧人、古川彰編 

『環境民俗学 新しいフィールド学へ』 

昭和堂 2008年11月11日 初版

お薦め度: ★★★★★

一口コメント:

実は2ヶ月前に発売されたばかりの本ですが、ようやくでたというか、私的にはちょうどこんな道案内がほしいと思っていたところに、ひょんなきっかけで、たまたま豊橋の大型書店にのぞいた際に見つけました。

鳥越皓之氏らの「環境民俗学」の動きは横目で気にしてはいたものの、なにか胡散臭くてちょっと距離をおきたいなあと思っていたのですが、当然、それをもふまえて近年の人類学や社会学、分野では共有論(コモンズ論)や資源論、自然論をふまえたうえで、これからの‘環境’民俗学の俯瞰図を示していただいたということで、すぐ役にたちそうな内容です。

最近(この2,3年ほど)、関心をもちだした野本寛一氏や秋道智彌氏、民俗学からは当然のことながら、柳田国男、宮本常一、千葉徳爾、坪井洋文、香川洋一郎、赤坂憲雄、京大の人文研や東南アジア研究所、探検部?など京大の地域研究のグループ(今西錦司、川喜多次郎、梅棹忠夫、米山俊直、高谷好一、福井勝義など)、民間人の鶴見良行氏のグループ(村井吉敬、宮内泰介なども含む)など、私が今まで開発民俗学の視野の中にいれてきた研究者達が、当然のことながら含まれていることも非常にうれしく自分のやってきた方向性にほのかな自信?をもちました。そうそう、これまた当然ですが、内発的開発論の鶴見和子も上がっていますね。

ともあれ、今日購入したばかりですが、じっくりと読んでみたいと思います。

ではでは^^?

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2009年1月29日 (木)

「天才」とその時代性について <天才論 その2>

天才論の続きです。

3. 天才の大衆性と普遍性

その1では、天才そのものについて考察しましたが、天才を取り巻く外部環境についてもふれておく必要があります。

今までのおさらいでは、「天才性」とか「天才的」なひらめきは全ての人が持ちうる。ただし、それを客観的な外部の人が認めるかたちやモノにすることが非常に困難である。しかし、それを成し遂げて「天才」と目されている人たちは、例外なく本人の「天才性」に自信を持っており、天賦の才(タレント)に加えて、他人との競争ではなく「自分自身の限界というか可能性を極めるべく、日々、努力していることを述べました。

ところで、そもそも論に戻りますが、誰が「天才」を認定するのでしょうか。それは間違いなく、同時代もしくは後の時代の普通の人たちです。繰り返しになりますが、‘未来’の「天才」をわれわれは知ることも想像することもできません。

ここで、「早すぎた天才」などという言葉を思い出していただきたいのですが、つまり同時代であれ、過去の「天才」であれ、他人が、もっと平たくいえば、われわれ自身が、‘誰か’を「天才」と認定しなければ、客観的に「天才」とは認められない。

もっと厳密にいうと「世間」が認めないと、どれほど能力があり才能があり「天才的」なひらめきをもっている人でも「天才」とはみなされないのです。

唐突ですが、よくマーケッティング論でいわれているのが、「時代の半歩先を歩く」というトレンドに関する理論?があります。

つまり「時代」に早すぎていては、われわれ一般大衆といいましょうか「世間」は反応できないし、トレンドを創りだすことはできないのです。

これはトレンドのみに限らず、「天才」論についても同じことがいえましょう。「天才」は時代に、‘半歩’というか‘一歩’先んじた存在でなくてはなりません。

時代の‘半歩’なら、まだわれわれの想定内であれ、ちょっと目利きの人なら十分わかる範囲の突出性です。まあトレンドメーカーというか凡人に少し毛が生えた程度と考えてもいい。しかし、「天才」と目されるには、もう少し突出している、時代の先を行っていなければなりません。しかし、‘一歩’というのがミソです。

現実には、天才は2,3歩先を行っている、もしくは本当には100歩先をいっているのかもしれませんが、一般大衆が理解できるのは、せめて‘一歩’とか2、3歩先のみであるといってよいと思います。

なにが結局いいたいかといいますと、「天才」とはその彼の生きている「時代」もしくは、その「大衆」に理解できることやモノを成し遂げた人であるともいえるのです。

そうそう、‘高い再現性’をもってというのも「天才」の条件にいれておきましょう。これは「天才性」の「ひらめき」を持続して、常にどんなときにでも客観的にみえる‘モノ’にまで昇華するというところで述べたことと重なりますが、「天才」は、当時の世界の、一歩先、2歩、3歩先のことやモノを、なんども「大衆」が納得するまでみせつける必要性があるのです。

とりあえず、「天才」の「大衆」との絡みといいましょうか接点について、つまりは「時代性」に触れた上で、さらに「天才」の「普遍性」について述べたいと思います。

まずは、「コロンブスの卵」について。

特にスポーツ界では、常に記録は破られる運命にあり、逆にそのためにスポーツがあるともいえましょう。団体戦はともかく、個人戦では、水泳でもマラソンでもスケートでもなんでも新しい技や時間を競う競技では、タイムにおける新記録の樹立が目的であり、「天才」たちがしのぎを削るところです。

ところで、常のことですが新しい記録がだされた場合、それ以前のレコードホルダーの価値は全くなくなってしまうのでしょうか。タイムトライアルでは、そう考えられがちですが、実は走ることひとつにおいても革新的なタイムが現れるには、なんらかのそれまでとは違った技術なりの「ひらめき」があり、それを型もしくは今までの言葉でいうと‘モノ’に定着させた人が必ずいます。

フィギアースケートや体操競技を思い出していただくとわかるように、常に「技」という‘モノ’は進歩しており、あらたな型や‘モノ’が常に模索されています。昔は「超ウルトラC」であった技が、今では、誰でもこなせる難易度の低い技になってしまったということは誰でも簡単に思い当たるでしょう。

しかも昔は、10年くらい新しい‘モノ’の賞味期限?があったのですが、今では日進月歩というか日時の単位で新しい‘モノ’はライバル達に研究され、普通の‘モノ’化されています。

これは将棋界などスポーツ以外の競技の世界でも全く同じで、羽生さんを始め、どの棋士も時代の流れの速さを実感を込めて語っています。

しかし、ここで忘れてはいけないのが、「最初の一歩」を踏み出した人の人間世界への貢献です。新しい記録や技術が生まれたからといって、過去の「天才」の相対的な位置がかわるにせよ、その「天才性」についての価値がなくなるわけではありません。

もうひとつ付け加えると、「天才性」の再評価は、常にありえます。でも、その話はおいておいて、「普遍性」について話を戻すと、過去の「天才」と目される人たちは、その記録や発見、業績自体が一般的なものとなってしまっても、記録が破られたとしても、初めてその域に達した「先駆者」としての‘価値’や、その‘先見性’や‘生き様’において時代を越えて共感や感動を与える、いわば「普遍性」といったものをもっていますし、その突出性の輝きは失われることがありません。

つまり単純な成績(記録)や業績だけが「天才」を決める要素ではないということでもあります。

ここでは、「天才」のもつ「普遍性」について、舌足らずながらも触れてみました。

4. 天才とその時代性について

さて、前項で「天才」のもつ「普遍性」について触れてみましたが、ここでいう「普遍」とは厳密な意味での「普遍」ではありません。「普遍性」という言葉をあえて使っている意味がわかりますでしょうか。

結論からいいますと、「普遍」とは実は未来永劫に存在しません。わかりやすくいうと、‘絶対’「普遍」の‘モノ’はないということです。「普遍性」とは「普遍」につながるであろう(可能)‘性’という意味で私は使っています。つまり、その「天才」がモノをなした時代において、かなりの「普遍性」を有したし、その時代の文脈からいって、未来の人たちも、「天才」の成したモノの「普遍性」を感じる確度が高いということを前段ではいっているのです。

このように「普遍」な‘モノ’がないということを前提にすると、何に照らし合わせて「天才」の「普遍」(性)を評価するのか。これは結局、彼なり彼女の生きた時代と地域に照らし合わせて判断するしかありません。

結論的なことをいってしまいますと、結局

「天才とは、所詮、‘時代’の子供なのです。」

次項(その3)では、この「時代性」について、考察をさらに進めます。

とりあえずこの項は了ということで。

ではでは^^?

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