開発学の101冊

2008年6月 6日 (金)

石弘之編 『環境学の技法(Social Methods of Environmental Studies)』

ご存知、東京大学大学院新領域創生科学研究科環境学研究系の研究者(教員)たちによる教科書です。

Photo 石弘之編 

『環境学の技法(Social Methods of Environmental Studies)』

東京大学出版会

2002年4月 初版

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

元朝日新聞記者の石弘之氏が率いる東大の環境学科の若手先鋭の研究者の作った教科書。発売されてすぐの2004年10月に購入して読んだのですが、さすがに内容の濃さとそのレベルにはうならされました。(もう既に石教授は退官されています。)

ところで1990年代の前半、特に少子化、国際化、バブル崩壊後、日本の競争力にかげりが見えてきたことなど、さまざまな要因の中で、大学や大学院の役割に対する社会的な批判とより現代社会にあった高等教育への要望の高まりのもと1994年に大学改革が行われたわけですが、その時に最も混乱が大きかったのは、一般教育課程と専門教育課程の区別が実質なくなったことでしょう。その中で、いわば一般教育過程の先生だけで学部なりを作らなくてはならなくなって、また上記の社会のニーズにこたえるためにも、かなりの無理な学部の再編成やら混乱が生じました。

その中で、特に時流といいますか時代の要請で、環境学や国際関係にかかるさまざまな学部・大学院の設置が行われたことは特記すべきことであったと思います。

特に、国際開発(関係)学についても、文部省は分野ごとに重点校を置き、1992年ごろから独立した国際開発学にかかる多くの大学院を設置しました。

そのような大きな時代の流れの中で、東京大学も学部・大学院改革を行ったわけですが、東大は、国際開発に関しては、まず大学院に新領域創生科学研究科の環境学研究系をおきました。

つまり「環境学」といいつつも、かなり国際開発学にも眼を配った大学院であるといえます。

この本は、そのような混乱期の日本の環境学・国際関係学の大きな波を一つ超えたところで編まれた本で、今までの日本における環境学の流れと、今後の方向性を示したということで、今後も読み継がれる価値があると思います。

それとおもしろいのが、1994年に先の大学改革に絡んで、東大の教養課程の教科書として小林康夫氏や、船曳建夫氏ら若手教官?により『知の技法』と『Universe of English』など新しいタイプの教科書が多く出され、社会人の間でも非常に話題になりました。私も数冊読みましたが、この本も、多分にもれず「技法」という言葉を使っているところもニクイですね。

目次

はじめに 石弘之・佐藤仁

I 問題を設定する

第1章 環境学は何を目指すのか 環境研究の新たな枠組みの構築 石 弘之

第2章 「問題」を切り取る視点 環境問題とフレーミングの政治学 佐藤仁

II 状況を解釈し、一般化する

第3章 個別現象限りの知見に終わらせない工夫 永田淳嗣

第4章 環境評価と新しい経済モデルの方向性 R.ノーガード

III データを集め、判断する

第5章 環境学におけるデータの十分性と意思決定判断 松原望

第6章 越境するフィールド研究の可能性 井上真

本の横帯に「文系からの直球勝負」とありますが、その名に恥じない内容とは思いますが、実際には執筆者の6名のうちの半分は理系の学部というかバックグランドです。

まあ、逆にいえば、環境学も国際開発学も、文系一本やりでも理系一本やりでもだめというか、コアはもちつつも、双方、もっといえば全てに目配りができないとダメだということなのでしょうね。多分。

繰り返しになりますが、この本は「技法」というかものの考え方に重点を置いているので、そういう意味では最新のフィールド科学の手法や成果を取り入れていますし、「技法」としては、あまり古くならないものを持っていると思います。

そういう意味で、やはり一つの教科書としてお薦めできると思います。タイトルに関わらず、広く国際開発や新しいフィールド科学に関心のある人に読んでもらいたい本です。

ではでは^^?

P.S.

ところで、「技法」について私見を一言。

私は「技法」と「倫理」は別のものだと考えていますし、逆に分けて考えるべきだと思います。特に環境(学)や開発(学)については、どうしても情緒的な感情論に流されがちですが、それでもやはり正確な現状認識としての科学的な、論理的な「思考」や「技法」も必要です。当然、それが全てではないことは言うまでもありませんが、私が思うに、現状認識が一般に甘いのではないかということを、マスコミや有識者といわれる人たちに関しても思うことが多々あります。

また逆に「技法」はある程度の訓練で身につけることができると思いますが、「倫理」感や「思想」そのものは教えきれない(教育で押し付けられるものではない)という側面があると思います。

そのような意味で、東大の一連の「技法」シリーズは、学問の限界をわきまえているというか、その割り切った考え方が好きです。

考え方は教えるけれども答えは自分で考えなさい的な突っ放し方、つまりあえて「倫理」に踏み込まないというバランス感覚は、非常に評価できると思います。

また「技法」というか「技」は、技として常に磨いていないと、いざというときに「現場」で全く使えないのですよね。でも「現場」から「技法」に立ち返るというかフィードバックは当然あるべきですし、「技法」自体も個々人で進化(深化)させていくべきものだと思います。

まあ、私がいうことでもありませんし、まったくの蛇足ですが。

ではでは^^?

(この項 了)

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2008年5月28日 (水)

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 ~ まず‘違い’を認めるということ

最近、伊藤亜人著 『文化人類学で読む日本の民俗社会』という本を読んでいるのだが、これがまた知的刺激に富むというか、一言でいうと非常におもしろい。

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08052800 <コラム1>

伊藤亜人

『文化人類学で読む日本の民俗社会』

有斐閣選書 有斐閣 2007年12月発行

お薦め度: ★★★★★

対象レベル: 中級以上

一口コメント: 

補注が全くないので、ある程度の予備知識や専門知識がないと何を言おうとしているのかわかりにくいのではないかと思う。

つまりこの本だけでは氏の考えの根拠をトレースしにくい。しかし取り上げている項目は非常に多岐にわたり、おもしろい視角を提供している。

日本の民俗学の死角をついているというか、(文化)人類学との比較の視点が私には新鮮であった。

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つまり概説書でもなく教科書でもないのだが、氏の長年の日本の及び韓国、中国での民族学調査の経験を元に、東京大学系の文化人類学の重鎮としてのキャリアから、日本の民俗と民俗学を逆照射している点が非常におもしろい。

特に私の興味を引いたのは、日本の民俗学(者)や、われわれ日本人が自明だと思っている概念や事実がそうではなく、民俗学者が民俗語彙として使っている専門用語でさえも(文化)人類学の範疇では、かなりの厳密な用法上の注意がいるということ。

開発‘民俗’学を語ろうとしている私にとって、世界と対話するには、ちゃんと文化人類学とか社会学など近接人文社会科学で使われている専門用語の裏側にまで注意を払わなければ、対話が成り立たないということがわかっただけでも大きな収穫であった。

まだ読了していないので、詳細はコメントは後に譲りたいが、ここで3点ほどメモ書きを。

1.開発‘民俗’学は、広義には、世界で言われるところの「開発人類学」や「開発民族学」の一部門であることは疑いようもないし、事実であろう。

2.しかしながら、日本の「民俗学」の発展過程で培ってきた概念用語や方法論は、十分、世界に通用する普遍性をもつ可能性はある。

これは、今、あわせて読んでいる上田和男他編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978 の内容(柳田国男以降の研究史)を見ても十分証明?できると思う。

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08052803 <コラム2>

上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編

『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

お薦め度: ★★☆☆☆

対象レベル: 中級以上

一口コメント:

‘古い’といわれて久しいが、やはり‘民俗学’のオーソドックスな学説史の簡易なハンドブック(当然、1970年代まで)としての価値はまだあると思う。柳田国男の高弟たちが分担執筆している点でも興味深い。

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3.ただし、そのためには世界的に通じる共通言語をもたなければならない。つまり、適当な翻訳語を無自覚に使うのではなく、たとえば英語のもつ意味と、日本語の民俗語彙の持つその‘違い’をふまえたうえでの議論をしなければ、専門用語で書かれた論文であったとしても、言葉が通じないばかりか全く意味が通じない可能性が非常に高いということである。

私は、そもそもは、日本人の開発に関わるひとりとして、日本人のセンスや知見について、特に日本人自身の注意を喚起するつもりで、「開発民俗学」などを提唱してきたが、やはり本当のターゲットは、日本人だけではなく世界の誰もが共有できる知を提示することにあることに気がついた。

結局、仲間内で盛り上がるだけの‘閉じた世界’ではだめなのだ。

私は自信をもって、日本の民俗学の知見を世界に発信していきたいと思う。

そのためには、相手の‘土俵’に乗ることも必要であろう。だが、相手の概念用語だけを使う必要は全くない。新しい‘土俵’を新たに作り出すことも必要だと思う。

とにかく、いかに日本の民俗学と世界の人類学との距離があることにきずかせてくれたこの本は一つの手引きになろう。

まず‘違い’を認めた上で、共通なものや共感できるモノやコトを探っていく。それが21世紀の知のあり方であると思う。

詳細や具体的な論考は今後に待て、といったところでとりあえず今日は筆をおかせていただきます。

ではでは^^?

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2008年4月30日 (水)

佐々木直彦 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

前回、ブログで、リサーチャー(研究者)とプランナー(計画者)とコンサルタントは違うという話をさせていただいたが、では、コンサルタントって何かということに、非常にクリアに答えてくれる本があるので、ここで、紹介させていただく。

Photo 佐々木直彦

 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

日本能率協会マネジメントセンター 1998年12月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 最近、ようやく‘コンサルタント’という言葉もポピュラーなものとなってきた観があるが、いざその定義、実際の業務として何をしているのだろうという疑問が湧き出してくる。

最近でこそ、ITコンサルタント、経営コンサルタントなど時代の最先端なイメージがあるが、そもそも日本におけるコンサルタントとは、コンサルティング・エンジニア(技術士に代表される)と経営コンサルタント(中小企業診断士)であった。

この本では、副題にあるように「Consulting Skill and Consulting Mind」とあるように、コンサルタントの業種に限らず、そもそも‘コンサルタント’の「技術」と「その心掛け」について広く語っている。

私自身は、‘開発’コンサルタントという業界の末席にいるわけであるが、佐々木氏のいう「コンサルティングマインド」そして、その技術や方法論に非常に共感と感動を受けた。

佐々木氏は、コンサルティングを、このように定義する。

「コンサルティング能力とは、未来に向けて、クライアントの問題解決や夢実現を助ける能力を言う。」

その過程として、以下のステップを掲げる。(括弧内は引用)

「I.問題の発見

II.解決策の立案

III.プレゼンテーション

IV.変革の推進」

前回、「研究から実践」にというところで苦情を呈したわけであるが、研究では上記のステップでいえば、「I.問題の発見」に留まっているというか、その問題を「学問の場」への還元はするが、実際の現場(フィールド)にフィードバックがないことが多いし、次のIIからIVまでのステップが基本的にないのである。(なくても許されてしまう?)(*)

この本は、「コンサルティング能力」のあり方を根本に問うており、知識ではなく、「生き方」としての「コンサルティング・マインド」について論じている点、セクターや分野に限らず汎用性があると考えられる。

この本で述べられているステップ、方法論そのもののロジックは、まさに「開発コンサルタント」がやっていることと同じである。

参考までに、第1章から第4章の目次を以下に掲げる。

「序章 なぜ「コンサルティング能力」が必要なのか (詳細は略)

第1章 問題を発見する

 アプローチ能力

 リサーチ能力

 取材・インタヴュー能力

 問題整理・構造化・分析能力

 レポート作成能力

第2章 解決策を立案する

 コア・コンセプト設定能力

 目標設定能力

 ビジョン創造能力

 プロセス設計能力

 メソッド開発能力

第3章 プレゼンテーションを設計する

 プレゼンテーション構成力

 企画書作成能力

 話力・説得力

 総合的演出力

第4章 変革を推進する

 浸透化・巻き込み能力

 プロジェクト推進尿力

 組織文化変革能力

 葛藤処理能力

第5章 自己価値を創造する (詳細は略)」

また、以前コンサルタントは必ず‘落としどころ’を考えて行動するということを書いたが、この本でも、リサーチの段階から、つまり「フィールドワーク」の段階から、クライアントに対する(変革への)フィードバック、ワークショップ(ファシリテーション)を常に考えていることを明確に述べている。

つまり、それが「コンサルティング能力」なのである。

今日の企業社会では、自己変革と、新たな市場開拓に向けて、さらには社内的にも「コンサルティング能力」が必要とされている。

「開発コンサルタント」に関心をある方のみならず、どんな職業であれ自らの未来を自ら切り拓いていきたい人に広く薦められる一冊である。

(この項、了)

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2008年4月27日 (日)

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 あるいはプロジェクトデザインと評価について

開発(援助)の制約条件である「プロジェクト」と、その「プロジェクト」の円滑な運用の鍵を握る「評価(Evaluation/Assessment)」に関して考察してみました。

Photo

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 国際開発ジャーナル社 2003年9月発行

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 国際協力プロジェクト(ODAやNGOを問わず)のプロジェクトデザインと評価を考える際の基本的なツール(道具)を示してくれた適切な入門書。ただし、内容は濃くある程度の‘開発’と‘プロジェクト’の基礎知識がないと理解はむずかしいであろう。

正直、ようやく読了したというのが実感である。仕事柄、書籍のチェックや購入は結構早いほうだと思うが、積読や拾い読みが多く、どの本も読了するのに時間がかかる場合が多い。

私は梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』 (岩波新書)で習ったごとく、完全に読了しなければ「読んだ本」としてカウントしない。まあ非効率なこだわりではあるが^^?

さて、一口コメントで述べたことだが2点ほど詳細に言及したい。

1つ目: ‘開発’と‘プロジェクト’との関係について

‘開発’行為と‘プロジェクト’という概念というかイメージがある程度ないと、この本の記述は理解しにくい。

そもそも‘開発行為’すなわち、外部からの強制的?な働きかけ、あるいは‘地域’の‘内発的な発展’のどちらについてもいえるのであるが、そもそもそのような‘もの’は、普通に考えてわかるように静かにというかひそかに潜行して徐々に時間をかけて社会変容をもたらすものであると考えられる。

現実の世界は、徐々に変わっていくのであって、今日からとか何時から突然に何かが変わるということは非常にまれなことであり、傍目にはそう見えても、実はそれが現れるまでに非常に長い潜伏期間がある。私は、‘開発’とは基本的に、個人個人の(社会)認識が変わることによりもたらされる、受容される、内部から創造されていくものであると思う。

私の唱える「開発民俗学」は、適切な言い方かどうかは別だが、それを助ける乳母の役目を担うものとして、さすらいの「風の人(異人=まれ人)」と地に足をおろした「地の人」との‘交流劇’というドラマを想定している。

人と人が出会うことによって生まれる‘何か’が、その地域社会を変えていく、またそれは「風の人」自体も変えていく。

そのような(時間的に)長期的な視野と、地理的な広がり(異質な地域性がぶつかったほうがそのインパクト(衝撃)が大きい)の両面に目配りしたフィールドを設定する。

ところが、ご存知のとおり、現代の社会は、そのような長期的なものの見方や地域の違いに配慮したものの見方は、しない・できない構造となっている。これは、近代世界の資本主義社会のパラダイムそのものの弱点といってもよい。

つまり何がいいたいのかというと、そもそも時間をかけてはぐくむべき文化や社会(変容)に対して、近代世界は、「プロジェクト」という枠組みでしか取り組めないという現実である。(最近、援助業界では「プログラム・アプローチ」という言葉を持ち出しているが、所詮それは「プロジェクト・アプローチ」とその拠って立つところが同じである。つまり同じものと扱っても、まったく問題がないので以下の論考ではそれも含むものとする。)

さて、「プロジェクト」とは何か。いろいろな定義があるのは承知だが、ここでは、PMBOKによる定義は以下のとおりである。

「プロジェクトとは、独自の成果物またはサービスを創出するための有期活動である。」(*1)

また日本における「プロジェクト&プログラムマネジメント(P2M)」による定義は以下である。

「プロジェクト(project)とは、特定使命(Specifice Mission)を受けて、始まりと終わりのある特定期間に、資源、状況など特定の制約条件(constraints)のもとで達成をめざす、将来に向けた価値創造事業(Value Coreation Undertaking)である。」(*2)

ここでのポイントは、プロジェクトには①特定の目的があり、②資源の制約があり、かつ③期間の限定がある、ということである。

ちなみに、上記に引用したガイドブックにしたがうと、「①スコープ・品質、②期間、③資源(ヒト・カネ・モノ)」をプロジェクトの3要素としている。(*3)

先に述べた「現実の世界」つまり、ばらつきがあり、不特定であり、私の理論にいう「人と人が出会うこと」により‘何か’が生まれるなんて、悠長で偶発的で、適当なもの、が「開発」なり「内発的発展」の要であるという考え方とは180度とはいわないものの、かなりベクトルが違うことにお気づきになるであろう。

さはいいなん、開発援助の現場では、以前から今まで、さらには、これからも近代資本主義のパラダイムである「プロジェクト」形式でしか、(発展)途上国への介入ができないという問題をかかえている。

ODA事業に対しては、その「プロジェクト」形式であることは比較的わかりやすいが、NGOの行う事業についても同じ「プロジェクト」をめぐる問題が発生している。つまり、NGOといえども、特定の同じ地域に何年、何十年もエグジットプラン(Exit Plan、脱出計画)なしで、事業を続けることは‘金銭的’にも‘支援者’に対してもできないのである。

ボランティアの支援者に対して、10年やっても20年やっても、全然地域の貧困が解決しませんということはいえるわけもない。

つまり、この本は、「プロジェクト」の入口と出口を考えたときに、何がどのようによくなりもしくは悪くなかったのか、地域やそこに住む人々がどのように変わったかを知る=評価のための総合的な案内書であるといえよう。

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注: プロジェクトマネジメント資格認定センタープラネット・ワーキンググループ 『めざせ! P2Mプロジェクトマネジャー PMS【プロジェクトマネジメント・スペシャリスト】』 日本能率教会マネジメントセンター 2002 より引用。*1は、同29ページ、*2は30ページ、そして*3は、36ページを参照のこと。

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2つ目: 実務者のツールの扱いの難しさについて = アンチョコ的なマニュアルとして読んでほしくはないということ。

この本は、全員がNGOの駐在員など実務者であり開発フィールドワーカーの第一線にたつ人たちが共著しているという点で興味深いと共に、ぱっと読みでは気がつきにくいであろうが、個々の執筆者のそれぞれの現場でのフィードバックに基づく記述は、なかなか細に射り穿ったものである。

その点で、非常に評価されるべきもので、コンパクトなチェックリストとして実務家の助けになるであろう。

ただし、「プロジェクト」という概念を受け入れたという上での、アンチョコなマニュアルやガイドラインとして使われかねない危険性もある。

またこの本について、先に‘案内書’と書いたが、フィールドワーク論、アンケート論、質的調査法、統計処理法など、個々の技術(テクニック)や、そもそも方法論の背景にある思想については、別途、社会学や経済学などの基本的な考え方を研究する必要があるともいえる。

したがって、大学生や院生にいいたいのは、この本は表面だけを読んでもわからない(イメージがわきにくい)ので、せめて学部では基礎的なディスプリンの‘考え方’を身につけることをお薦めしたい。当然、このような‘実務’や‘実践’の世界のテクニックを知ることは無駄ではないが、初歩的な基礎なしには、社会科学手法は使えませんよということを、繰り返しになるが強調したい。

また、評価をデザインすることは、とりもなおさずプロジェクト・デザインの精度を高めるということにつながることも蛇足ながら付け加えておこう。

つまり、(事後)評価(Evaluation)は、事前評価(Assessment)と表裏一体のものであり、Evaluationの技術は、そのまあAssessmentに使えるということである。

私自身、新規のプロジェクトの事前調査をおこなったときに、並行してこの本を読んでいたのだが、その手法や考え方は非常に参考になった。

逆にいえば、プロジェクトを立案する際には、当然、このレベルの評価スキルを持っていないとだめだということの裏返しでもあろう。

本音では、「プロジェクト」を越えた‘何か’がしたいと思っているのであるが、当面は与えられた「プロジェクト」というものの‘精度’を上げる、これはアセスメント・評価およびマネージメントのいずれの側面に対してもであるが、ことに力を注いでいる。

だが、私はそのような努力をすることは、‘明日への一歩’につながっていると信じたい。

(この項、了)

P.S.

プロジェクト評価に関して、2冊ほど類書を紹介しておく。いずれの本も日本の援助(特にODA)のプロジェクト評価を考える上で参考になると思われるので、前褐書と併読されることをお薦めする。

Pcm PCM読本編集委員会 

『PCM手法の理論と活用』

国際開発高等教育機構(FASID)

2001年5月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

日本のODAにおけるPCM活用の実体について第一戦の実務者が語るおそらく日本で一番適切な事例書であり理論書。

PCM手法(PDMを含む)に関しては、いろいろな批判も多いが、現場で実践している人たちのこの本を読まずして批判を口にするなかれと言いたい。(ほとんど全ての問題(批判)について実務者のレベルで考察している)

Photo_3 独立行政法人国際協力機構 企画・評価部評価管理室編 

『プロジェクト評価の実践的手法 考え方とつかい方 JICA事業評価ガイドライン 改訂版』

国際協力出版会 2004年3月

お薦め度: ★★☆☆☆

一口メモ: JICAにおける事業評価ガイドラインということで紹介させていただくが、内容は非常に難しい。ただ、現実の業務(プロ)の現場で求められている作業やレベルの一端がわかるというメリットはある。

そもそも‘事業評価’だけでも一つのプロフェッションになってしまうのだが、私としては、当事者(NGOや、評価以外の専門を持つ方)が自分で評価ができることを目指した前掲書(国際協力プロジェクト評価)で、‘プロジェクト’や‘評価’の概要をつかんだ上で読まれることをお薦めする。

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2008年4月15日 (火)

中尾文隆編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』 あるいは時代と学説史について

非常に興味ぶかい本でした。タイトルが甘い(あんちょこ本っぽい)?からといって内容を見くびることなかれ^^?

Photo 中尾文隆/平成柳田国男研究会 編著 

『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』

秀和システム 2007年3月15日 初版

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: (日本)民俗学の父、柳田国男の業績を俯瞰するのに最適な一冊。特に、彼の生きた時代背景をおさえている点、および代表的な柳田国男論の抄録がなされている点もユニーク。

正統的な?柳田国男継承者からはでてこないような視角が興味を誘います。

さて、以前、学説史をおさえることの重要性について、軽く触れましたが、この本を読むと、その必要性を具体的に改めて認識することができました。

タイトルが悪い?ので、単なるアンチョコ本に間違えられそうですが、内容はきわめてまともな概説書です。

特に、サブ・タイトルにあるように、「逆立した柳田像を重層的に検証する!」とあるように、柳田国男の神秘というか、彼が語ったこと、語らなかったことを時代背景とともに検証した点が非常にスリリングです。

当然のことですが、一人の思想家なり学者が生まれるには、その時代背景と彼を取り巻く環境(社会環境、人脈など)のまさに偶然としかいえないような作用・副作用が必要です。

また一つの時代を生き抜き、一つの時代を創ったということは、逆にいえば、その時代のもつよい意味でも悪い意味でも制約を免れることはできません。

平たくいってしまうと、英雄だろうが平民であろうが、誰もがその時代を生きた‘時代の子’という制約を免れることができないのです。

最近、民俗学をちょっとまじめに勉強しようとして、柳田国男に挑戦しようとしていたところなのですが、彼の「農政学」への挫折、戦争(日露戦争、第一次大戦、満州事変、敗戦)と民俗学との関連、「木曜会」という私的なサロンを通じて、いかに彼が「民間伝承論」から「民俗学」へと日本各地の趣味の民俗学徒を組織だてていったのか、非常におもしろい視角を示してくれました。

ぜひ、直接手にとっていただきたいのですが、特に、私が興味を引いた点を2点ほど。

まず一つ目は、先住民としての「山人論」と、「海上の道」で日本人の祖形を求めた柳田国男は、当初よりアイヌと沖縄という‘内なる異民族’を視野に入れていました。

なんのためか、それは台湾と朝鮮という植民地経営のため?というトンでもない意見が提示されます。しかし時代背景と、彼を取り巻く人脈をみるとあながちそうでないとはいいきれないところがある。

そもそも柳田が学問として学び、最初の職業(農商務省の役人)として選択した「農政学」自体に対して、彼なりの思い入れと戦略があったものと思われます。しかし、なぜそれが「民俗学」へと変容していったのか、非常に大きな闇というか謎が横たわっているといえましょう。

二つ目は、そのような大きな時代制約を負った「民俗学」または「文化人類学」自体が植民地主義ときわめて密接に結びついたものであったことは、今では広く言われていることですが、なぜそのような「民俗学」や「文化人類学」をいまだに学び発展継承していかなくてはならないかということです。

この本にも見られるように、そもそも‘学’の立ち上がり自体は非常に個人的な問題意識と、やはり時代が求めている、つまり同じような志なり問題意識を持った者たちが、互いに情報共有のネットワークを結ぶことにより、徐々に一‘門’としての‘学問(門)’というものが生まれてきます。

日本の民俗学は、やはり世界に十分誇るべき、‘野の学問’だと思います。これは、「近代(主義)」と「西欧の学問(体系)」と「国民国家(主義)」という、いわば外圧によってこじ開けられ壊れかけた‘原日本人’のアイデンティティを探し、新興の国民国家である‘日本国’という身を守り、日本という地域に住む人々の‘日本人という共同幻想’を創り、「日本国民国家」としてあがらうための一つの思想的な理論武装であったともいえます。

逆にいえば、明治初期(8年)に生を受けた柳田国男をして大成されたものの、そもそも‘明治’という時代背景なしには「日本の民俗学」は成立し得なかったともいえますし、柳田がいなくても、似たような思想や運動は起りえたともいえましょう。

こうして考えてみますと、今、「民俗学」や「文化人類学」を語ること(研究)ややること(実践)することとは、どのような意味があるのかを、自分の趣味や楽しみを越えたレベルでもう一度、定義しなおすことが必要だといえます。

今、「開発民俗学」を語るとは。非常に重たい宿題ではありますが、これまで柳田国男や彼に続く多くの先達が積み上げてきた「(日本)民俗学」の学問知と経験、さらには世界に眼を向けて植民地主義の片棒を担いだという宿命を背負ったまま、研究と実践を続けている「人類学」に対して、われわれが新たに何を積み上げることができるかという問題でもあります。

まだまだ先は全く見えませんが、そもそもの志、たとえば柳田が語った「世のため人のため」の学問という言葉は、たとえその裏の真意がなんであれ信じていきたいと思います。

蛇足ながら:

そもそも「学説史」を押えることは大切ですよということを言いたかっただけなのですが、結論は別の方向にいってしまいました。

別のところでも書きましたが、誰がどのような時代背景の中で、誰に向かって発言したのか。これを押さえないと、彼の言説(学説)を正しく理解することはできない。

意図的に誤読することも当然、可能ですし、その可能性というか発展性を否定するつもりはありませんが、時代背景をふまえない批判や非難は議論に当たらないと私は思います。所詮、われわれも含めて‘時代の子’という制約は、絶対に逃れられないのですから。

また、ちょっと社会人?をやっているおかげで、理想(理念)と現実を分けて考えれるように鍛えられました^^?つまり、当然、なんらかの望ましいこと(理想・理念)を夢想することが勝手ですし、それはそれで大切なことですが、だからといって現実を、こんなのうそだとか、こんなことはあってはならないと考えることは、全く別だということです。

どれほど残酷で醜い酷いことがおこなわれていようと、現実は現実として直視しなければならない。それを認めたうえで、次の手を考えることができると思うのです。

幸い、私はまだそんな修羅場や地獄は見ていません。でも、それをさけたり隠蔽することなく、勇気をもって立ち向かっていきたいと思います。最悪の自体の可能性も否定はしない。まだまだそれでも立ち上がれるだけの力を持ち続けたいと思います。

ではでは^^?

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2008年4月 7日 (月)

井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』

08040700_2 井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』 世界思想社 2006年7月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

フィールドワークに関心のある方、特に国際開発や地域研究の‘実践’面にに関心にある方は必読です^^?

直接、国際協力の現場や、村落開発に役立つハウツーものではありませんが、フィールド、すなわち現場に向き合う心構えみたいなものを若い研究者や実務者が自らの苦労や悩みもさらけ出して読者に語りかけています。

私にとっては、執筆者23名中、直接の知り合いが3名もいるのは、なぜかうれしい(この数が多いのか少ないのかは別にして)。また以前から関心をもっていた井上先生や関良基氏のフィールドにいたる道が読めたのも、うれしかったです。でもまあ、同世代というか私より若い研究者(博士課程)も活躍しているのをみると、いよいよ自分もがんばらねばと思います。

ちなみに井上真氏は、コモンズ論との絡みで2000年ごろから研究動向や著書をウオッチしていました。

森林(資源)管理に個人的に興味を持ったのは、東ティモールの農林水産業開発計画のJICA開発調査に参加したことと、フィリピンでの案件に主体的にかかわりあうようになってからです。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030026.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha000.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha004.htm

考えてみれば、私の記事のほとんどがフィールドワークからのフィードバックとか気づきがきっかけになって書かれています^^?

内容について、三点ほど。

まず一点目。

今、‘開発(援助)’と‘(文化)人類学’やいわゆる理系の研究者(井上氏は林学が専門)との接点が非常に近くなっており、たとえばアジア経済研究所の佐藤寛氏も、もともとは社会学が専攻の地域研究者(アラビア半島のイエメンが研究の始まり)が、地域研究の対象地(フィールド)が現実に‘開発(事業)’に巻き込まれていくことを体験して、否応なく開発研究の場に眼を向けざるを得なくなったという背景があります。

いわゆる‘学者’の‘研究’から実務者の‘実践’を考えざるを得なくなった、井上氏もご本人も語っているように、‘研究’から‘実践’をつなごうという井上スクールの格闘を語った本でもあるのです。

その意味で、各執筆者の心の葛藤というか気づきの過程が丁寧に書かれていることに、大変共感を覚えました。

第二点目としては、また逆に開発コンサルタントの実務者として物足りないのは、彼らの気づきは、実は、われわれが常日頃の開発援助の現場で日夜考え格闘していることでもあるのです。

わたし自身の反省でもあるのですが、もっと早くから学界との交流を考えればよかった。ともに現場(フィールド)での苦労や経験を分かち合えればよかったと思います。私個人の開発コンサルタントとしての‘フィールド’との格闘については、「歩きながら考える」や「開発民俗学への途」で赤裸々に語っているとおりです。

「‘開発民俗学’への途 <連続講座> (第1部) 完結」 2000年7月15日~2007年4月29日 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

「歩きながら考える・・・‘世界’と‘開発’」 2000年3月18日より継続中。 特に1999年から2000年の最初期に書かれた記事を参照。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000.htm

とはいえ、今でもこの井上氏のような‘学者’はまれですし、私は基本的に、日本の援助関係者という面に限りますが、NGOとODAの中でもJICAの青年海外協力隊と技術協力プロジェクトの専門家と、開発調査や無償資金協力、円借款をいわば‘開発援助のプロ’として実施している「開発コンサルタント」とは似て異なるものだと思っております。

あまりに「開発コンサルタント」の現場からのフィードバックが少なすぎる。個人的には、コンサルタント仲間がブログやHPをもっている例をいくらかは知っていますが、受注業務の、つまり発注者があるなかでの守秘義務によって、肝心のプロジェクトのことは、ほとんど公開することが法的にも倫理的にも‘原則’できません。

ですが、最前線の「開発コンサルタント」を抜きにした開発援助論は、不毛というかかなり限られた議論になりがちです。なんとか、これはあと数年間でなんとかならないものかと私はもう十年近く考えています。

第三点目として、「フィールドワーク」の先にあるものといいますが、その次のステップを考えたいと思います。

例えば、私はといえば、ひそかな望みとして、開発コンサルタントとして‘実践’から‘研究’へ道筋を探ることと同時に有意な実務者やアカデミシャンを育てたいと考えています。
つまり井上氏のいわく「総合格闘技」である「フィールドワーク」の先にあるものとして、「共同・協同作業の場」としての「ワークショップ」を通じた「たまり場・フォーラム」を私は構想しております。 そんな試みが、2000年3月18日にHPを立ち上げた「歩く仲間」の一連の歩みです。

「人類と開発フォーラム(歩く仲間改め)」、よろしかったらぜひお尋ねください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/

また、ミクシーをやっている方は、「mixi開発民俗学 「地域共生の技法」」もよろしくお願いします。紹介文はこちらを参照ください。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/mixi_1551.html

P.S.

この本はいわゆるフィールドワークの教科書ではありません。フィールドワークで感じたことを綴った本です。方法論的なフォローは、基本的に井上氏の「序章 フィールドワークを語り伝える」だけです。

また逆に、氏が紹介している参考書のほとんどは、私もかなり以前に紹介しています。

ご参考までに、「mixi開発民俗学 「地域共生の技法」」に書き込んだ私の文章を以下に転載します。

トピック: 「(現状)認識論」 方法論や着眼点など(リテラシー、フィールドワークなど)」

私は、大学生時代から調査の方法論について非常に関心がありました。1990年代の初めは、やはり学問的にも大きな転換期であったと思います。例えばコンピューターの本格導入、文献サーベイからフィールドサーベイへの調査方法自体の変革などがありました。

特に海外の地域研究において、日本の戦争直後までは文献サーベイが中心であったのが、戦後20年たって1960年後半からようやく日本人研究者の本格的な現地調査が始まった。つまり1955年前後生まれの研究者から実際に海外に留学や現地調査にフィールド調査にでるようになって実証的な調査に取り組めるようになったと考えられます。

1990年代の初めは、それらの本格的に現地調査を行なった人たちは、まだまだ35歳前後でまだまたその研究成果や方法論を語ることが少なかったように思われます。

ここでは、文献中心の調査方法諭とフィールドワークを中心にした方法諭を紹介します。

【リファレンスワーク入門】 1991年11月
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

【開発学研究入門-基礎理論編】 2000815
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

【民俗学の視点-現状分析の視点】 2000812日 200573日補筆
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0032.htm

個人的な覚書で当然、見落としも多いかと思います。また最近、インターネット時代に対応した新しい調査方法も、調査の分析手法もどんどん発達していると思います。 」

以上、引用おわり。

ではでは^^?

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2008年3月21日 (金)

「地域研究」について

「開発民俗学」にとって、「地域研究」は既に内臓(ビルトイン)されたものと私は考えています。

すでにお気づきのとおり、アラビア語を専攻として、しかも東西交渉史やアラビア語の地理書旅行記に関心をもつ私が「地域研究」を志向していることはいうまでもありません。

今回、日本に帰国して前々から気になっていた「京都大学東南アジア研究センター地域研究叢書」の一冊を購入しました。

Photo

立本成文 『地域研究の問題と方法(増補改定) 社会文化生態学の試み』 京都大学学術出版会 第二版(増補) 2001 (初版 1996) 

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: まだ完全に読んだわけではありませんが、1993年の 矢野暢編集責任 『地域研究の手法』 (『講座 現代の地域研究 一』 弘文堂に、前田成文名の論文の再構成といった感じなので、注は詳しく新しくなっているものの、それほど論旨が深化しているとは思えません。

逆に、『地域研究の手法』のほうが、東南アジア研の他の個性的な碩学たちがそれぞれの地域研究観を語っている上で、貴重であるといえます。ちょっと手に入りにくいかもしれませんが、『講座 現代の地域研究』は、関心のある方は、全巻読む価値があると思います。というより、私は読みたい^^?

実は、京都大学の東南アジア研究センターは以前からチェックしていました。既に「しばやんの本だな」にも地域研究関係の本はかなりリストアップしていますが、京大系の研究者は独特というか、つまり梅棹忠夫、今西錦司と、フィールド科学を専門とする、まあ俗にいう京大学派の伝統があって、ちょっと変わったところでは、ジャーナリストの本多勝一も京大の探検部出身ですよね。

自分が研究者に関心を持ったのも、梅棹忠夫の『知的生産の技術』 岩波新書 1969ですから、京大の学風は、はっきりいって好きです。

さて、地域研究というと、まとまったシリーズとして、1990年初頭の矢野暢所長?の頃の2セットがあります。

企画編集代表 矢野暢 『講座 東南アジア学』 (全10巻 別巻1) 弘文堂 1991

矢野暢編集代表 『講座 現代の地域研究』 (全4巻) 弘文堂 1993

さはいいなん、『講座 現代の地域研究』の第1巻の『地域研究の手法』しか持っていませんが、研究者兼フィールドワーカーたちの熱い思いがこめられているように感じました。

たぶん、このシリーズの後に、地域研究叢書が始まったと思うのですが、まあそうそうたる研究者集団です。

ともあれ、日本の地域研究のレベルは決して低くないので、これらの先達たちの研究を貪欲に学んでいこうと思います。

ではでは^^?

P.S.

ところでもうお気づきかもしれませんが、これらのフィールドワークや地域開発にかかる書籍がブームのように刊行されたのは、1990年の初頭から半ばのことでした。つまり、私の大学時代にはなかったわけです。もし、これらの書籍や研究者に、大学の3,4年生で出会っていれば別の道もあったのかもしれない。

つくづく、めぐり合わせの妙ということを思います。特に、今、大学生や高校生でいる若い人たちへ、「本は新しいものを買いなさい。特に教科書レベルのものは絶対に大型書店で新刊で買うべきです。」

本当に、若い人たちがうらやましいと思いますね。ともあれ、私のHPやブログは自分がやってきたことや理解したところの整理という意味も含めてつくっています。

とにかく学生時代、何も手がかりがなかった。いまでこそ、研究案内は分野ごとにいくらもありますが、当時は先生にご指導いただきつつもまったくの手探りでした。

私は、このHPやブログの自分の書いた記事によって、仮に全て自分の本なりをなくしたとしてもあるレベルまでは簡単にリセットできると考えています。つまり、「しばやんの本だな」は、まさに自分が‘生き残る’ための文献リストなのです。

そういった意味で、ぜひ‘私’の歩いてきた途を「ショートカット」としてご利用していただけたらと思います。

★しばやんの本だな=ブックリスト★ (ひらかれた‘知’の世界をめざして!)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/contents.htm

特集: お勧めの手引き(読書案内)

リファレンスワーク入門

開発学研究入門(基礎理論編)

民俗学の視点

文化人類学の1990年代を振り返る

『開発コミュニケーション』をめぐる課題

キリスト教および‘力’をより深く理解するために(読書案内)

自分の頭で考えるということ

アジア島嶼部研究のダイナミズム

実践的」外国語の身につけ方

★アラブ・イスラーム関係★

<勉強会>

アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会

<学習ガイド>

アラブ・イスラーム学習ガイド@1991

アラブ・イスラーム研究案内@2003

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2008年3月20日 (木)

開発‘民俗’学を語るからには

ということで、最近、柳田國男の研究を始めています。

もともと学説史は好きで、学界で誰が何をやっているかについて常にウオッチしている(大学で学んだアラビア・イスラーム研究の頃から)つもりなのですが、この‘民俗学’の世界も奥が深い。今までに読んだ主な概説書や学説史は以下のとおり。

1. AERA MOOK 『民俗学がわかる。』 朝日新聞社 1997

2. 小松和彦+関一敏編 『新しい民俗学へ 野の学問のためのレッスン26』 せりか書房 2002

3. 上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

今、3をひいゆう言いながら読んでいるのですが、これが実におもしろい。要は研究分野ごとの研究解題と文献案内なのですが、1978年当時とはいえ、純粋な「柳田」民俗学の後継者たちが執筆しているだけあって、非常に内容が濃いです。

また、結局、日本の「民俗学」を語るには、「柳田國男」理解が必要不可欠であることも、改めて実感しました。

ところで、3月15日~18日まで一時帰国していたのですが、ここでおもしろい柳田國男本を発見。

4.福田アジオ 『民俗学者 柳田国男』 神奈川大学評論ブックレット 御茶の水書房 2000

08032802 お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 非常に簡潔に柳田國男の業績と時代背景がまとめてあると思います。業績というか彼の「考え方」を身近な直系の弟子筋の方が語っているので、國男の内面にまで突っ込んだ記述がほろりと見られます。また日本の民俗学の流れも、さらりと触れています。

わずか66ページのブックレットですが、結構内容は濃いと思います。でも逆に、ちょっと割高な感じが^^?

5. 中尾文隆/平成柳田国男研究会編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本 逆立した柳田像を重層的に検証する!』 秀和システム 2007

4は、まさにお弟子さんというか日本の民俗学界の重鎮、5はありがちなアンチョコ本と思いきや、まじめな柳田論、特にその思想と歴史背景というか周辺状況にも目を配った概説書です。

ところで、4のブックレットから、一点、引用させてください。福田氏いわく、

「次に(柳田国男の)二番目の特色ですが、彼は経世在民ということを出張しました。現在柳田国男を研究する人たちは、柳田国男の学問の特色を経世在民という言葉で捉えています。しかし柳田国男自身はこの経世在民という四つの漢字で自分の学問を説明しませんでした。普通には「世のため人のため」という言い方をしました。あるいは学問救世と説明しました。・・・ とにかく柳田国男は自分の学問は世のため人のためにする学問だということを言いました。言い換えれば実際の社会で要求していること、あるいは社会で起っていることを解明することを民俗学の使命としたわけです。」 上掲書(4) 15ページ

まさに、私が、大学時代に漠然と感じた「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなくてはならない(1991)」ということと同じことをいっています。

知識や学問は人を傷つけたり貶めるものではありません。やはり人や世の中の役に立つものであってほしい。

そもそも日本の「民俗学」が「世のため人のため」のものであると創始者自身が語っていたことを知って、この「開発民俗学」を提唱する意を強くしました。

P.S.

趣味の学問ですが、学界のルールには従うものとします。これは、鶴見良行氏が「裸足の研究者」でありながら、学界のルールにこだわったことは本人も、また周りの人も等しく認めているところです。

鶴見良行 『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995

アジア太平洋資料センター[編] 『鶴見良行の国境の越え方』 月間オルタ増刊号 アジア太平洋資料センター 1999

でも、また鶴見さん自身も志を大切にした人であったことを思い出しました。ジャーナリストの鎌田慧もそうだよな。私も自分のやっていることの方向性が間違っていないことを改めて実感しています。

あと蛇足ですが、柳田国男、宮本常一、鶴見良行の誰もが、本格的には30歳を超えてから、それぞれの学問的なキャリアを独学でつくりあげています。柳田氏が、『後狩詞記』を出したのが35歳、宮本氏が『周防大島を中心としたる海の生活誌』をアチック・ミューゼアムから出版したのが29歳、ただし彼が研究生活を始めたのはアチックに入った32歳。鶴見氏が初の論文集『反権力の思想と行動』を刊行したのが、44歳のとき。

これを考えたら、しばやんも全然OKじゃんという気がします(何が?)。

並べるのもおこがましいですが^^?

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開発民俗学への途~第二ステージへ

3月15日から18日まで一時帰国していました^^?でも、日本って本当にいいですよね。早速、おもしろそうな本を仕入れてきたので、以下、紹介します。

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 有斐閣選書 有斐閣 2007
菅原和孝編 『フィールドワークへの挑戦 <実践>人類学入門』 世界思想社 2006
井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』 世界思想社 2006

期せずも、菅原氏は、京都大学系(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)、井上氏は、東京大学系(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)です。改めて東大、京大の層の厚さを実感。

この開発援助業界に入って15年、仕事をこなすことは当然として、趣味として「開発民俗学」なるものを提唱してきました。孤軍奮闘という感がなかったわけではないですが、ようやく学界でも実務家の経験がフィードバックされるようになって、実際に使える学問、実践の学問というものが生まれてきた気がします。

今は、マニラですが日本に帰ったら、彼ら先生とそのお弟子さんたちとのネットワーキングも具体的に考えたいです^^?

まあ、今でもできるか。メールも発達しているし。

P.S.

mixiで、「開発民俗学」というコミュニティを運営しています。このブログでの開発民俗学を深めると同時に、コミュニティという特性を生かした参加者との対話を通して新たな第二ステージに突入です。

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2008年3月11日 (火)

佐野眞一責任編集 『宮本常一 旅する民俗学者』

何度となく取り上げている宮本常一氏の著作の水先案内として、とりあえず以下の本を紹介します。

Photo 佐野眞一責任編集 『宮本常一 旅する民俗学者』 河出書房新社 KAWADE道の手帖 2005年4月

お薦め度: ★★★★☆

直接、この本を手に取った感想として、

「ブームの宮本常一? 『宮本常一 旅する民俗学者を手にして)』 2006年3月30日 としてまとめています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

また、同じ国際開発コンサルタント仲間のaxbxcxさんと、以前、こんなやり取りをしました。

「唄を聴いたら現地にいこう!私の現場主義」 2007年4月28日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2007/04/post_8937.html#comments

このやり取りの中で、私も自分の過去記事をまとめていますので、ご参照あれ^^?

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P.R. こちらもどうぞあ立ち寄りください^^?

しばやんの本棚 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blist.htm

開発援助に関心のある方へ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

開発学研究入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

アマゾン.comの書評 http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A3H7QFD50WW4Z3?ie=UTF8&%2AVersion%2A=1&%2Aentries%2A=0

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2008年3月 4日 (火)

米坂浩昭 『裏道国際派』

08030400 米坂浩昭 『裏道国際派』 新潮社 OH!文庫 2000年

同業他社(IC NET) 米坂元社長の記念すべき著作。

2000年10月10日発行なのですが、あまりの赤裸々な内容に業界内部の人間にも衝撃を与えました。

あまりに語られてこなかった開発コンサルタントと援助業界を、日本の援助機関、国際機関、民間コンサルタントと経験してこられた幅広い視点で解説してくれます。

特に、「第四章 若い人たちへ」は、国際協力や国際貢献を職業として考える高校生・大学生に広く読んでもらい秀逸なガイドです。

多くの仲間が、これをもっと若い頃に知っていれば、とぼやいていました^^?

P.S.

若い仲間と話していて、日本では絶版でなかなか手に入りにくいとか。新刊では手に入れにくいかもしれませんが、がんばってぜひ読んでみてください。

ではでは。

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P.R. こちらもどうぞあ立ち寄りください^^?

しばやんの本棚 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blist.htm

開発援助に関心のある方へ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

開発学研究入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

アマゾン.comの書評 http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A3H7QFD50WW4Z3?ie=UTF8&%2AVersion%2A=1&%2Aentries%2A=0

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2007年7月20日 (金)

岩田正美 『現代の貧困』

先の記事でも触れましたが、最近、福祉と開発の問題の接点を探っています。

Photo_23 岩田正美 『現代の貧困 - ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 ちくま新書 2007年5月

お薦め度: ★★★★☆、 一口批評: 現代日本の貧困問題を考えるのにMust Readの骨太の貧困論。逆に「一億層中流社会」という幻想に浮かれていた日本の‘貧困’研究のプア-さを嫌でもわからせてくれる本。

ようやくというか、まともな日本の「貧困」論の本だと思う。筆者は、「・・・日本では高度成長以降、多くの人々にとって「貧困はもはや解決した」ものとなり・・・ある人々を貧困だとレッテルを貼るのはそれらの人々の人権を脅かすことになるという「優しい配慮」があって、それが貧困への関心を封印してきた」ともいい、日本では「貧困」の「再発見」という問題意識自体が薄れてきていた(実際に貧困調査が長いことなされていなかった)ことをまず語っているが、そもそもそこに問題があったといえよう。

この著書では、欧米での貧困の「再発見」の歴史と、日本の現在の「貧困」問題について、著者の長年の実証調査によって、統計データの裏側まで読み解こうとしている。現代日本の貧困研究の一人者の初心者向けではあるが非常にエスプリのきいた掌作といえよう。

あえて1点のみコメントする。

この本では欧米の‘貧困’の「再発見」の歴史や経緯についても簡単に触れているが、私としては、その測定方法の日本への適応方法について、もうすこし批判的な考察がほしかった。つまり、今の開発のトレンドをみるに、特にMillenium Development Goals(MDGs)をみると明らかに社会福祉の概念の開発援助への適合が感じられるのである。しかし、私の立場からいうと、このMDGsの「貧困」概念自体が非常に恣意的なものにすぎない。

もっといえば、なぜ先進国で(しかも、それをかなり恣意的に調査して得られた)尺度でもって貧困を測ろうとするのか、全く理解ができない。

つまり、日本でも途上国でも、それぞれの地域の状況に沿った「貧困研究」があってからこそ、「貧困ライン」なりが検討されるべきであり、まず最初に‘尺度ありき’では断じてないはずなのである。

今、日本でも「格差社会」の到来を愁う言論と同時に、先進国の例(ケース)を単純にもってこようとする動きがあるが、歴史や地域差を無視した「方法」の適合は決してありえない。私が、大学研究者に不満なのは、時にして‘前提条件’を無視した論理を展開して平気な人がいることである。(この岩田氏のことではないのだが)

つまり、日本の社会福祉改革に、フランスやアメリカなどの実例を解決策の一つをして持ってこようとする人が多いが、わたしが言いたいのは、その欧米の研究者は、彼等の研究書や論文では、‘彼等の中で常識であるフランスやアメリカなりの「格差社会」である現実’にあえて触れていない(自明のものであるから)ということを無視して、それを日本なりに答えだけをもってこようとする論調があるということである。

前提条件が違えば、当然、その解決の経緯も結論も違ってくるはずである。

そういう意味で、この岩田氏のような地味な実証調査の積み重ねが望まれるとともに、特に国際比較においては、もっともっと慎重であるべきだということをこの場で言わせていただく。

P.S.

この本での「貧困ライン」の解説(2章 貧困の境界)は、援助関係者もMust Readである。いかに「MDGs」やUNDPの「HDI」の一部の‘指標’が適当(いいかげん)なものであるかがわかる。

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2007年7月 4日 (水)

国際開発コンサルタントのプロジェクト・マネジメント

ようやく読み終えた、というのが率直な感想です。

いろいろなところで他人に紹介しつつも、たぶん購入してから丸3年半後に読了。うーんという感じです。例えば、以下のページなど。↓

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc018.htm

Pm コーエイ相互研究所(日本工営グループ) 『国際開発コンサルタントのプロジェクト・マネジメント』 国際開発ジャーナル社 2003

お薦め度: ★★★☆☆、 

一言コメント: 業界内部の人間にとっても難しいです。かなり理想的というか行間に込められたエッセンスは非常に濃ゆいものがあります。

実は最近、「開発援助と開発コンサルタント」ということで日本NGOの方や学生さんの前で話す機会がありました。でも、まあ「開発コンサルタント」って、非常に説明に難しい職業です。以前、つかささんとの対話で、いい本がでたよって紹介していますが、やはりこの本はプロのコンサルタント(同業他社)の現役バリバリのそれぞれの専門家が分担執筆していますので浅く広くなぞっているようでいて、かなり行間に込められたメッセージが濃ゆいです。

その面では、開発業界やコンサルタントの予備知識がない人には、かなりとっつきづらいと考えられるでしょう。逆に、実際にコンサルタントやNGOとして現場をもっている人にとってはリトマス紙というかチェックリスト的な読み方もできましょう。でも、基本的な立場が、伝統的な社会基盤整備、すわなちハードのインフラ整備の調査・計画・実施(施工管理)をおこなってきたコンサルティング・エンジニアの観点からかかれていますので、社会開発というか、ソフト系のコンサルタントを目指す人には、ちょっとなじみがわかないだろうなと思います。

ところで、私のプレゼンでは、「コンサルタントは、川上から風下までトータル・コーディネイトを目指し、調査・研究にとどまるのでなく、事業の実施までを見据えて活動するものだ。」「プロとして、クライアント、ドナー、施工業者などから公正中立の立場で、専門家の立場で最適案を追及する倫理規範が重要である。」ことを特に強調しましたが、そのラインから言っても、この本は、‘伝統的な’コンサルタントのあり方を示したひとつの教科書の位置づけが与えられるでしょう。

少なくとも、日本語では、この類書は少ないというか、わたしは知りません。今までにも英語の教科書の和訳本はいくらかありましたが。

でも、このグローバリゼーションの世の中、開発コンサルタントのあり方自体が難しくなってきているなあと思います。当然、民間企業なので利益もあげなければならない、しかしながら金儲けだけではなく、その仕事で得た知見は、国益を越えたものまで見えてしまうというか政策提言にまでつながるものを経験として日々学習しているのに、結果というか実態としては、ひとつの民間(下請)業者の立場にとどまることを余儀なくされている。

最終章(第18章 プロジェクト・マネジメントの将来)の「18.3 パートナーシップの促進」の項で、「地球益のため」とか、「コンサルタントの社会還元」とか、コンサルタントとして「ロマンを追いつづけていく」ことにふれられていますが、果たしてどこまで社会的に認められていくものでしょうか。

だからこそ、‘パートナーシップ’ということが謳われているのでしょうが。 まだまだこの日本社会の中で、的確に認知されるまで「Long Way to Go」という気がしています。まあ、地道に共感できる・してもらえる‘仲間’を増やしていくしかないのでしょうね。できる範囲で。

おっと、結局、「歩く仲間」という落ちになってしまいました^^?

おあとがよろしいようで^^!

P.S.

開発コンサルタントに関心のある方は、こちらも参照ください。↓

対談 開発コンサルタントとは:

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm

開発援助に関心のある方へ:

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

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2007年5月14日 (月)

本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』

axbxcxさんと議論?していて、本多勝一は懐かしいという話と、でも「二分論」はちょっと古いよねという話で盛り上がったのだが、その際、ままや、この話はもう本当に古い議論なのかという点と、自分の思考パターンが深く本多勝一氏の論理によっていることにあらためて気がついて愕然とした。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2007/05/post_cf38.html

いまはやりの言葉でいえば、『反西洋思想』の一つの急先鋒が1960年代から1970年代にかけての本多勝一ではなかったのか。本多勝一は、わたしが中学校から高校生時代にかけて非常に傾倒したジャーナリスト(というか思想家?)で、当時、朝日文庫版の「本多勝一シリーズ」はほぼ全巻読破していたと思う。残念ながらいま手元に数冊しかないので、彼の「二分論」がよく現われている著作として以下を挙げる。

Photo_12 本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』 朝日新聞社 朝日文庫 1984

お薦め度: ★★★★☆、 一言コメント: 日本人で人文科学や社会科学を志すものはマストの文献。

結局、一言コメントで全て語ってしまいましたが、今の社会で活躍している1955年生まれ以降の世代の研究者やノンフィクション(ジャーナリストやルポライター)を書くもので、本多勝一の影響を受けていないものは皆無であると思う。いたらそれはもぐりであろう。

わたしは、大学生から社会人になるにつれて、少