開発学の101冊

2009年2月22日 (日)

鶴見良行 『対話集 歩きながら考える』

最近、おもしろい本を公共図書館で発見したので、ここに紹介します。

09022200

鶴見良行 『対話集 歩きながら考える』 大田出版 2005年6月

実は鶴見良行先生については、私も学生自体に一度だけ直接謦咳に触れたことがあるのですが、非常にユニークな方でした。

この対話集は、1972年から1993年までにおこなわれた12本の対話を編集部が選んで再録したものです。確かに時代設定が古いというか問題意識として既に古いと思われるものもありますが、その時代背景を考えると、やはりその先見性というか足で歩いた問題意識の高さに今更ながら驚かされます。

実は、まだ自分でも読んでる最中なので、一概にコメントできませんが、その対談相手を見ても、非常に彼の幅広さと関心の高さを感じます。いくつかの対談は別の初出誌や対談相手の著作で読んでいましたが、これだけまとまった対話を一冊で読めるというのは、かなりお買い得だと思います。ご参考までに、対談者とタイトルをあげさせていただきます。

・アジアを歩きながら考える 加藤祐三

・「もうからない英語」を語ろう 國弘正雄・鹿野力

・「国際化」と土着 見田宋介

・一九二〇年代、闇の中の周辺文化 永川玲二

・アジアの民衆と日本人 鎌田慧

・越境する東南アジア 山口文憲

・アジアとは何か 板垣雄三

・チャハラ号航海記 内海愛子・中村尚司・新妻昭夫・藤林泰・村井吉敬・森本孝

・アジアと日本の<海の民> 網野善彦

・海民の世界から見直す日本文化 大林太良・網野善彦

・アジア海道 - 漂海民をめぐって 門田修

・<インタヴュー> 忘れられた海の歴史を追って <聞き手> 秋道智彌

・解説 無所有へのまなざし 花崎皋平

全521ページ 2800円+税

P.S.

以前、「歩きながら考える・・・ ‘世界’と‘開発’」というマイ名刺を持ち歩いていまして、この本のタイトルをみてどきっとしました。

でも考えてみれば、鶴見さんとの出会いも私のバックボーンのひとつとなっているのでしょうね。実際に。

いやはや^^?

今までに鶴見さんに触れた文章については以下も参照ください。

2000年2月5日

「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて 
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm

2004年9月2日

海への憧れ-海は隔てるものではなく、つなげるものである。
<アジア島嶼部研究のダイナミズム>

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00023.htm

なお、最近、「海洋民俗学」というものも始めました。ご関心のむきはこちらもどうぞ。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20842145/index.html

ではでは^^?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年2月 1日 (日)

山泰幸、川田牧人、古川彰編 『環境民俗学 新しいフィールド学へ』 未来志向の民俗学(帯より)

ようやく時代がしばやんに追いついたのか、しばやんが時代に追いついたのか、今後、開発民俗学を考えていくのにあたって、非常に参考にある教科書が発売されました。

09020100 山泰幸、川田牧人、古川彰編 

『環境民俗学 新しいフィールド学へ』 

昭和堂 2008年11月11日 初版

お薦め度: ★★★★★

一口コメント:

実は2ヶ月前に発売されたばかりの本ですが、ようやくでたというか、私的にはちょうどこんな道案内がほしいと思っていたところに、ひょんなきっかけで、たまたま豊橋の大型書店にのぞいた際に見つけました。

鳥越皓之氏らの「環境民俗学」の動きは横目で気にしてはいたものの、なにか胡散臭くてちょっと距離をおきたいなあと思っていたのですが、当然、それをもふまえて近年の人類学や社会学、分野では共有論(コモンズ論)や資源論、自然論をふまえたうえで、これからの‘環境’民俗学の俯瞰図を示していただいたということで、すぐ役にたちそうな内容です。

最近(この2,3年ほど)、関心をもちだした野本寛一氏や秋道智彌氏、民俗学からは当然のことながら、柳田国男、宮本常一、千葉徳爾、坪井洋文、香川洋一郎、赤坂憲雄、京大の人文研や東南アジア研究所、探検部?など京大の地域研究のグループ(今西錦司、川喜多次郎、梅棹忠夫、米山俊直、高谷好一、福井勝義など)、民間人の鶴見良行氏のグループ(村井吉敬、宮内泰介なども含む)など、私が今まで開発民俗学の視野の中にいれてきた研究者達が、当然のことながら含まれていることも非常にうれしく自分のやってきた方向性にほのかな自信?をもちました。そうそう、これまた当然ですが、内発的開発論の鶴見和子も上がっていますね。

ともあれ、今日購入したばかりですが、じっくりと読んでみたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

「特集 人類学と開発援助」 『国際開発研究 Vol.17, No.2 2008年11月』 

国際開発学会の標記の特集号が、ようやく手元に届きました^^?

Photo 国際開発学会に入って何年ぐらいになるのでしょうか。今年の6月までフィリピンのマニラに駐在していたので会社宛に送付してもらっていたのですが、転職もしたことだし、そろそろ住所変更の手続きをしなければ。

とにかく、もとの会社から転送してもらって手元に届いたばかりなので、じっくり読ませていただこうと思います。

私も着目している同世代の気鋭の研究者達が投稿しているので、彼らが何を書いているのか、今から楽しみです。

別に気負っても仕方がありませんが、彼らが学界というか研究者から開発に入ったのに比べて、自分は開発援助業界の中で問題意識を高めてきたという自負があります。

大学の友達からしばやんが営利企業に入るとは信じられないといわれつつも援助業界にもまれて実務をやってきました。

ちょっと事情で、一旦、開発援助の世界から離れましたが「開発民俗学」への途を決してあきらめたわけではありません。

今は、別のステージで修行中というか充電中といったところでしょうか。私は私の途をゆく。ただ、それだけのことです。

論文を読み終わったら、別途、報告させていただきます。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 2日 (火)

第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)

第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)

2000815

 道具箱というコーナーを設けたのは、適宜、情報ソースの整理をして読者の便宜を図るということに加えて、この講座を順番に読むことを通じて、読者に同時に一緒に考えてもらいたいという意図がある。

今、IT革命などという言葉が巷をにぎわせているが、やはりそれは一方的な情報の受け手(消費者)になることではなく、イントラクティヴ(双方向的)な人間同士の対話を目指すべきであろう。

ここで基本理論編として取り上げたのは、自分で考えていくためには、それなりの方法論があるということがまず一点。そして学ぶことの究極の目的は発信することにあり、そのためのテクニックが必要不可欠(表裏一体)であるということが一点。また、1990年代のコンピューターの発達と普及に従って、既存の知の枠組みや道具立て自体が変わってしまったことが一点。それら新しい知の体系として開発学を考えるための道具と、‘開発’学の入門書とリファレンス類を厳選して取り上げた。

主に、1990年代以降の動きを扱う。情報処理技術についての‘初歩の初歩’については、注1を参照のこと。

 追記;

Wakate-kai」協調プロジェクトとして「開発援助へ関心のある方へ(情報源へのアクセスについて)」において、おすすめの「ホームページ」および「基本文献」の紹介を行った。情報的に新しいので、こちらも参考のこと。(20021015日)

民俗学および地理学の現地調査(フィールドワーク)に関するマニュアル類については、第3講の補論も参照のこと。(2005626日)

A1990年代以降の知の世界

41 野村一夫 『社会学の作法・初級編 社会学的リテラシー構築のためのレッスン【改訂版】』 文化書房博文堂 1999 (初版 1995) (1,600円;価格はあくまで参考。適宜確認のこと。)

42 東郷雄二 『東郷式 文科系必修研究生活術』 夏目書房 2000 (1,900円)

43 坪田一男 『理系のための研究生活ガイド テーマの選び方から留学の手続きまで』 講談社ブルーバックス 1997 (760円)

44 中川昌彦 『図解 自己啓発と勉強法 楽しみながら自分を育てる』 日本実業出版社 1996 (1,262円)

(概説)

1990年以降に決定的に変わったのは、知の地平線や水平線がはるかに広がったことがあげられよう。ここでは詳細は述べないが、網野善彦、阿部謹也、家島彦一などが、それぞれ日本、ヨーロッパ、イスラーム世界の中世史において、今までの文献資料中心であった歴史学・社会学において、それ以外の全人間的なアプローチを駆使し、新たな学問の地平線を切り開いた。その世界は深く広いが、その前提と主体的に現代と切り結んだところに意味があるのではないかと思っている。それぞれが、自分と現在(現実世界)との格闘を語っている。(別途、「歩きながら考える」で取り上げます。)

 そこで、まず取り上げたいのは、現代社会に生きるということはどういうことかを考えようとする41である。私は、以前、大学院への進学を試みたことがあったが、その際に、悩んだのは「外大生にはディスプリンがない」という俗説であった。母校や後輩の名誉のためにもあえていいたいが、結局、今では「そもそもディスプリン(パラダイム)にこだわることより、作法(リテラシー)を身につけることのほうが重要ではないか」と思うようになった。

今の大学の世界では、三文字学部というものがなくなりつつある。(つまり、文学部、農学部など)単に、看板が変わっただけと思ってはいけない。80年代から、「学際的interdisciplinary」とかいう言葉が出てきたが、その当時は、それぞれの「専門」のディスプリンをもった人たちが集まって研究するというスタイルであったと思うが、今では「理系」や「文系」という考え方自体がなくなりつつあり、「マルチ・ディスプリン」があたりまえという時代に突進している。決して専門家を否定するわけではないが、あえてどこかに足場を置くとしたら、まず「読み書き作法」であるというのは、あながち見当違いではないであろう。また、野村氏のいう<見識ある市民>とは、今だからこそ求められていると思う。

そして、42(文科系)と43(理系)では、今の時代の研究スタイルを端的に語っている。前者の著者が1951年生、後者が1955年生、あえていえば、41の著者は1955年生まれである。つまり、今の学生が教わるであろう先生方のある標準的な感覚ともいえよう。

また、1990年代の必須アイテムとして浮上してきたのが、パソコン・インターネットを利用した新しい学習スタイルである。残念ながら、私が注1を書いた90年代初頭は、この新しい研究方法の体系ができていなかった。4123とも、最新のリファレンス情報が盛り込んであり、いずれも持っていて損はない。(特に、31は、今、現代社会を主体的に生きようと考えるときに必携である。)

 44は、ビジネス書であるがあえてここに紹介する。私は、はっきり断っているように一介のビジネスマンに過ぎないが、逆に‘仕事をしながら(もちながら)考えていく’道を、この本ははっきりと示してくれた。また、パソコン、インターネットについて、「マルチメディア時代の自己啓発」として1章をさいてあつかっている。

入社して5年目くらいまでは、なかなか学生時代みたいに専門書を読むことができず、頭を休ませる(冷やす)ために、ずいぶん俗にいうビジネス書や血液型や相性の本、人生論や人間関係の本を、息ぬきとして読んだものである。

その中で感じたのは、ビジネス書は、現場に密着しているためトピックも早いし、実務に関する専門的な技術面については、はるかに具体的でくわしい。確かに玉石混交ではあるが、非常に興味深いジャンルではある。(学生さんとかはあまり関心がないと思うが、学問とは全く別の次元で理論が展開されていて結構参考になります。)

B.情報処理論の最前線

45 メイヤー,JJ./黒川康正 『ビジネスマン奇跡の整理術・時間活用術』 三笠書房 1998 (1,400円)

46 壺阪龍哉 『超図解 奇跡の整理術 パソコン以前の33の法則』 かんき出版 1997 (1,300円)

(概説)

456は、あえてビジネス書という分野から、最新の実践的な情報処理理論を持ってきた。45は、まさに‘目からうろこ’の本で、読後、仕事がずいぶんはかどるようになった。(別に、タイムマネジメントの手法や考え方を礼賛するわけではないが、「仕事をする」という実務上は、大変役に立つ知恵ではある。)

また、46も、‘パソコン以前’といっているが、逆にパソコン時代でこその情報処理理論である。

C.新しい調査・研究手法

47 佐藤郁哉 『フィールドワーク 書をもって街へ出よう』 新曜社 ワードマップ 1992 (1.800円)

48 佐藤誠編 『地域研究調査法を学ぶ人のために』 世界思想社 1996 (1,950円)

49 古川久雄 「現地調査―歩く・見る・聞く」、矢野暢編『地域研究の手法』 弘文堂 (講座現代の地域研究 一)1993 (4,800円)

410 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊・編 『路上觀察學入門』 筑摩書房 1986 (ちくま文庫版あり)

411 中村尚司・広岡博之編 『フィールドワークの新技法』 日本評論社 2000 (2,000円)

412 嘉田由紀子・槌田劭・山田國廣編著 『共感する環境学 地域の人びとに学ぶ』 ミネルヴァ書房 2000 (2,500円)

(概説)

主に、フィールドワーク、地域研究、現地調査にかかる本を上げる。時代はフィールドワークというか、社会科学系の学問においても、かなり実証的な地域や地に足のついた研究がでてきたが、これはやはり時代の要請といえると思う。また、ようやく以前から地道にその調査に取り組んできた人が学会の前面にでてきたともいえるし、これは自然科学からの応用という見方もあろう。なお、47の著者は1955年生、48の編者は1948年生で、やはり新しい感覚ともいえよう。

49は、本格的な現地調査論で具体的な示唆に富む。また、489に関連するが、特に第三世界に関する地域研究(Area Study)についても現在ブームの観があり、なおかつ「開発」学ともからむのだが、これら第三世界をあつかうのには、かなり周到な準備が必要だと思う。90年代に入って、地域研究のみならず、歴史、社会学やあらゆる学問分野にかかるシリーズものの研究書がいろいろ組まれており、なおかつ最新の研究の成果が織り込まれているが、ここではあえてふれないし、その場ではない。ただ、本当に「地域研究」や「開発」に取り組もうとすると、かなりローカルな問題を考えなければならないし、さらに言えば、その地域の言葉に対しても関心をもたないといけないであろう。

410は、ある意味で民間での取り組み。実は最近、地理学や民俗学、考現学、(文化)人類学などの隣接科学が面白い。本当に「歩く」学問がポピュラーになってきたと思う。(注2

 

 全く最近であるが、京都よりまた「歩く」学問の概説書がでた。411は龍谷大学の先生方、412は京都精華大学の先生方がまとめたもの。いずれも今までの学問の枠を越えたセッションをおこなっている。わかる人はわかると思うが、例えば中村氏、槌田氏、山田氏は、すでに30年以上現場を歩きつづけている大ベテラン。(実は、私は1990年度の大阪外大での鶴見良行氏と同じく『地球環境論』というリレー式な講義でお会いしている。まったくもって当時の神前、高山、津田、松野、深尾先生方の人脈と先見の明に深く感謝しております。)

この「歩く」学問は間違いなく、21世紀の学問の一つの方向性を示すものであろう。

民俗学および地理学の現地調査(フィールドワーク)に関するマニュアル類については、第3講の補論も参照のこと。(2005626日)

D.‘開発’学入門

413 アジア経済研究所・朽木昭文・野上裕生・山形辰史編 『テキストブック開発経済学』 有斐閣ブックス 1997 (2,300円)

414 佐藤寛編 『援助研究入門 ― 援助現象への学際的アプローチ』 アジア経済研究所 アジアを見る眼 1996 (1,442円)

415 坂元浩一 『国際協力マニュアル 発展途上国への実践的接近法』 勁草書房 1996 (2,500円)

416 国際開発ジャーナル社編 『国際協力ガイド 20002001年版』 国際ジャーナル社 1999 (1,000円)

(概説)

 近日の、開発や援助を巡る学会、民間、市井の動きは、非常に激しく、毎日のように、開発にかかる新刊書や情報が流れている。今回の「基礎理論編」ではあえて‘開発’学にかかる本は最小限とする。

 413は、開発経済学の入門テキストであり、比較的新しく90年代の日本人学者の最新成果を踏まえているため、次の段階へのステップへとなろう。(「今後の学習案内」や「用語解説」が充実。ただし、この時点では翻訳されていなかったM・トダロの開発経済学(第6版)』国際協力出版会 19987,000円)があることには留意のこと。)

 414は、313と同じくアジア経済研究所が中心となってまとめた「開発経済学」以外からの開発へのアプローチが述べられている。本講座も、特に開発経済学を扱ったものではないし、今後はこのような学際的なさまざまな分野の知恵を「開発」や「援助」に持ち込むことになるのであろう。必ず413と併読してほしい。

 415は、経済屋としての視点が強いが、援助の実践の場で、どのような段取りが求められているかが垣間みられる。途上国の資料へのアクセス方法等、資料編が充実しており、一種のチェックリストして使える。

 416は、月刊の業界紙である『国際開発ジャーナル』が取りまとめた国際機関、政府系機関、民間、NGO、研究機関など日本の援助とその周辺のガイド。年度版であるため比較的情報が新しいこと、また現場の声が多く掲載されていることが業界に関心のある人の参考になるであろう。

E.レファレンス

417 編集協力 国際協力事業団 『国際協力用語集 【第2版】』 国際協力ジャーナル社 1998 (初版1987) (3,000円)

418 海外経済協力基金開発援助研究会編 『経済協力用語辞典』 東洋経済新報社 1993 (2,400円)

419 二宮書店編 『データブックオブザワールド 世界各国要覧 2000年版』 二宮書店 2000 (520円)

420 帝国書院編 『綜合 地歴新地図 -世界・日本― 三訂版』 帝国書院 1997 (1,500円)

421 M.L. (Mert) Yockstick  Concise Earth Book World Atlas  Graphic Learning International Publishing Corporation, Boulder, Colorado, USA. 1987

(概説)

 編者にみられるように、417は、主に技術協力、無償資金協力の窓口である国際協力事業団(JICA)、418は有償資金協力(円借款)の窓口である国際開発銀行(JBIC;海外経済協力基金(OECF)は輸出入銀行と統合されてJBICとなった)が取りまとめている。トピックや記事の解説に濃淡があるため、可能であれば両方とも常備することが望ましい。

419は、倹価であるがコンパクトに世界各国の統計資料が掲載されている。

420は、高校向けの地図帳(アトラス)ではあるが、サテライトイメージや歴史的な地名が重ね書きしてあるので、現地の重層的かつ立体的な理解に非常に役に立つ。

4 - 21は、例外的に英語の本を取り上げるが、実際日本語で気のきいたアトラスは少ない。この本の特徴は、地上のでこぼこが立体的に書いてあること、地名が結構詳しいこと。以前、Timeの定期購読のおまけでもらったものだが、非常にコンパクトで重宝している。もし、機会があったら気の利いた英語のアトラスも探してほしい。(海外でも利用しようとするとき、カタカナの地名が書いてあるような日本製のアトラスはほとんど使い物にならない。現地調査に使える道具については、49を熟読・参照のこと。)

これらのリファレンス類は、全般的かつ一般的なものなので、ぜひ手元においてほしい。(特に、419420のような資料は最新版を手に入れること。)

---------------------------------------------------------------------------------

注1:柴田英知 「第ニ部 リファレンスワーク入門」『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』 シーシャの会 1991(電子ファイル版2000)にて、リファレンスワーク、ビブリオグラフィーという観点から、主に文系の書籍データへのアクセス方法について論じた。

注2:柴田英知 「「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて」『歩きながら考える(008009)』 2000において、それぞれ宮本常一、鶴見良行、鎌田慧を取り上げて、市井における「歩く」学問を論じた。宮本常一および民俗学の視点については、第3講の補論を参考のこと。

(この項 おわり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月12日 (水)

宮本常一+案渓遊地 『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』

出版直後に見かけてはいたのですが、ようやく購入しました^^?

Cci20081112_00000 宮本常一+案渓遊地

 『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』

みずのわ出版、1000円

2008年4月

お薦め度: ★★★★★

一口コメント:

学術的なフィールドワーカーのみならず地域研究や開発援助に携わる人(特に日本人)は必読。

ロバート・チェンバースを読んで感動している場合ではない。

という2つ目のセンテンスは極論ですが、元開発コンサルタントとして、特に開発途上国の開発に携わるコンサルタントなどの実務者に限らずいわゆるお上の人にも読んでいただきたい一冊です。

A5サイズで、事項索引を入れても、わずか118ページのブックレットですが、その訴えるテーマは古くて新しいというか、ずばり「開発倫理」の本です。

歩く民俗学者、歩く仲間の大先輩の宮本常一氏が、1972年に、『朝日講座・探検と冒険 7』に著した小論「調査地被害-される側のさまざまな迷惑」(のちに未来社版 『宮本常一著作集 第三一巻に、「調査地被害」として再録)を第2章に全文を引用して、直接、宮本氏から指導を受けたフィールドワーカー(研究者)である案渓氏が、日本の南の島々でのフィールドワークで体験(経験)した、今なお続く調査地被害、特に調査‘される側’の声をふまえて考察した論文を再録しています。

なお、宮本氏の「調査地被害」という論文については、『歩く仲間-歩きながら考える世界と開発』のブログ(HP)の中で何度も取り上げておりますので、私の立場と理解についてはこちらを参照ください。

>われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(2005年7月3日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

>文化人類学の1990年代を振り返る  (2005年7月3日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

>ブームの宮本常一?  (2006年4月1日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

>人類学者の皆様に ~援助の‘効率化’って何?~ (2007年2月10日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog051.htm

>人類学者の皆様に(補足1) ~援助‘する’側、援助‘される’側の認識について~ (2007年2月18日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog052.htm

>実務者不在の議論(その1) (2007年4月14日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog063.htm

>実務者不在の議論(その2) (2007年4月14) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog064.htm

実は、3月に日本に一時帰国して、大型書店で平積されたこの本をみたとき、宮本氏の論文の再掲ならば、わざわざ買う必要もないと思ってあえて購入しなかったのですが、今回、案渓氏の論文を読んで、‘いまだに’調査地被害が、日本で続いていることに暗然たる気持ちになりました。

上の私の論考でも触れていますが、今の開発援助に関心のある勉強しているはずの若い人たちの間でも、本多勝一の「殺す側の論理」と「殺される側の論理」の議論についても知らない人が多い。既に時代遅れの二項分類ともいわれていますが、これは、ロバート・チェンバースのいう「アッパー」と「ローワー」の議論と同様以上に重要な概念だと思います。

ともあれ、人文科学を目指す人のみならず、広く(地域)社会に関わろうとする人たちは必読の小冊子です。

そうそう、蛇足かもしれませんが、一言で上記の問題を語れば、

「人として」ということではないのかなとも思います。「倫理」と大きな声でいうものではなく、人の迷惑や痛みを考えることとは、人として当たり前のことでもあります。

それを「学問」や「開発」のためというのを錦のお旗というか言い訳にするのは、どうしたものかと思いますね。あなたも私も社会に対して‘上から目線’になっていませんか。自分への戒めとして^^?

P.S.

別のところでも書きましたが、宮本氏のフィールドワーク論(方法論のみならず倫理を含む広い意味での)を編集した『旅に学ぶ』は、フィールドワークに関心を持つ人はぜひ手元において味読していただきたい論集です。

Cci20081113_00000

宮本常一 『宮本常一著作集 旅に学ぶ』 第31集

未来社 1986年 2800円

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

ちょっとお値段が高いのがキズですが、どれを読んでも氏の鋭い視線を感じます。現場で何をみればよいのか。

「あるく みる きく 考える」は氏のモットーでもありましたが、フィールドワーカーである『歩く仲間』の必携書ともいえるでしょう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年6月 6日 (金)

石弘之編 『環境学の技法(Social Methods of Environmental Studies)』

ご存知、東京大学大学院新領域創生科学研究科環境学研究系の研究者(教員)たちによる教科書です。

Photo 石弘之編 

『環境学の技法(Social Methods of Environmental Studies)』

東京大学出版会

2002年4月 初版

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

元朝日新聞記者の石弘之氏が率いる東大の環境学科の若手先鋭の研究者の作った教科書。発売されてすぐの2004年10月に購入して読んだのですが、さすがに内容の濃さとそのレベルにはうならされました。(もう既に石教授は退官されています。)

ところで1990年代の前半、特に少子化、国際化、バブル崩壊後、日本の競争力にかげりが見えてきたことなど、さまざまな要因の中で、大学や大学院の役割に対する社会的な批判とより現代社会にあった高等教育への要望の高まりのもと1994年に大学改革が行われたわけですが、その時に最も混乱が大きかったのは、一般教育課程と専門教育課程の区別が実質なくなったことでしょう。その中で、いわば一般教育過程の先生だけで学部なりを作らなくてはならなくなって、また上記の社会のニーズにこたえるためにも、かなりの無理な学部の再編成やら混乱が生じました。

その中で、特に時流といいますか時代の要請で、環境学や国際関係にかかるさまざまな学部・大学院の設置が行われたことは特記すべきことであったと思います。

特に、国際開発(関係)学についても、文部省は分野ごとに重点校を置き、1992年ごろから独立した国際開発学にかかる多くの大学院を設置しました。

そのような大きな時代の流れの中で、東京大学も学部・大学院改革を行ったわけですが、東大は、国際開発に関しては、まず大学院に新領域創生科学研究科の環境学研究系をおきました。

つまり「環境学」といいつつも、かなり国際開発学にも眼を配った大学院であるといえます。

この本は、そのような混乱期の日本の環境学・国際関係学の大きな波を一つ超えたところで編まれた本で、今までの日本における環境学の流れと、今後の方向性を示したということで、今後も読み継がれる価値があると思います。

それとおもしろいのが、1994年に先の大学改革に絡んで、東大の教養課程の教科書として小林康夫氏や、船曳建夫氏ら若手教官?により『知の技法』と『Universe of English』など新しいタイプの教科書が多く出され、社会人の間でも非常に話題になりました。私も数冊読みましたが、この本も、多分にもれず「技法」という言葉を使っているところもニクイですね。

目次

はじめに 石弘之・佐藤仁

I 問題を設定する

第1章 環境学は何を目指すのか 環境研究の新たな枠組みの構築 石 弘之

第2章 「問題」を切り取る視点 環境問題とフレーミングの政治学 佐藤仁

II 状況を解釈し、一般化する

第3章 個別現象限りの知見に終わらせない工夫 永田淳嗣

第4章 環境評価と新しい経済モデルの方向性 R.ノーガード

III データを集め、判断する

第5章 環境学におけるデータの十分性と意思決定判断 松原望

第6章 越境するフィールド研究の可能性 井上真

本の横帯に「文系からの直球勝負」とありますが、その名に恥じない内容とは思いますが、実際には執筆者の6名のうちの半分は理系の学部というかバックグランドです。

まあ、逆にいえば、環境学も国際開発学も、文系一本やりでも理系一本やりでもだめというか、コアはもちつつも、双方、もっといえば全てに目配りができないとダメだということなのでしょうね。多分。

繰り返しになりますが、この本は「技法」というかものの考え方に重点を置いているので、そういう意味では最新のフィールド科学の手法や成果を取り入れていますし、「技法」としては、あまり古くならないものを持っていると思います。

そういう意味で、やはり一つの教科書としてお薦めできると思います。タイトルに関わらず、広く国際開発や新しいフィールド科学に関心のある人に読んでもらいたい本です。

ではでは^^?

P.S.

ところで、「技法」について私見を一言。

私は「技法」と「倫理」は別のものだと考えていますし、逆に分けて考えるべきだと思います。特に環境(学)や開発(学)については、どうしても情緒的な感情論に流されがちですが、それでもやはり正確な現状認識としての科学的な、論理的な「思考」や「技法」も必要です。当然、それが全てではないことは言うまでもありませんが、私が思うに、現状認識が一般に甘いのではないかということを、マスコミや有識者といわれる人たちに関しても思うことが多々あります。

また逆に「技法」はある程度の訓練で身につけることができると思いますが、「倫理」感や「思想」そのものは教えきれない(教育で押し付けられるものではない)という側面があると思います。

そのような意味で、東大の一連の「技法」シリーズは、学問の限界をわきまえているというか、その割り切った考え方が好きです。

考え方は教えるけれども答えは自分で考えなさい的な突っ放し方、つまりあえて「倫理」に踏み込まないというバランス感覚は、非常に評価できると思います。

また「技法」というか「技」は、技として常に磨いていないと、いざというときに「現場」で全く使えないのですよね。でも「現場」から「技法」に立ち返るというかフィードバックは当然あるべきですし、「技法」自体も個々人で進化(深化)させていくべきものだと思います。

まあ、私がいうことでもありませんし、まったくの蛇足ですが。

ではでは^^?

(この項 了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月28日 (水)

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 ~ まず‘違い’を認めるということ

最近、伊藤亜人著 『文化人類学で読む日本の民俗社会』という本を読んでいるのだが、これがまた知的刺激に富むというか、一言でいうと非常におもしろい。

---------------------------------------------------------

08052800 <コラム1>

伊藤亜人

『文化人類学で読む日本の民俗社会』

有斐閣選書 有斐閣 2007年12月発行

お薦め度: ★★★★★

対象レベル: 中級以上

一口コメント: 

補注が全くないので、ある程度の予備知識や専門知識がないと何を言おうとしているのかわかりにくいのではないかと思う。

つまりこの本だけでは氏の考えの根拠をトレースしにくい。しかし取り上げている項目は非常に多岐にわたり、おもしろい視角を提供している。

日本の民俗学の死角をついているというか、(文化)人類学との比較の視点が私には新鮮であった。

------------------------------------------------------------------

つまり概説書でもなく教科書でもないのだが、氏の長年の日本の及び韓国、中国での民族学調査の経験を元に、東京大学系の文化人類学の重鎮としてのキャリアから、日本の民俗と民俗学を逆照射している点が非常におもしろい。

特に私の興味を引いたのは、日本の民俗学(者)や、われわれ日本人が自明だと思っている概念や事実がそうではなく、民俗学者が民俗語彙として使っている専門用語でさえも(文化)人類学の範疇では、かなりの厳密な用法上の注意がいるということ。

開発‘民俗’学を語ろうとしている私にとって、世界と対話するには、ちゃんと文化人類学とか社会学など近接人文社会科学で使われている専門用語の裏側にまで注意を払わなければ、対話が成り立たないということがわかっただけでも大きな収穫であった。

まだ読了していないので、詳細はコメントは後に譲りたいが、ここで3点ほどメモ書きを。

1.開発‘民俗’学は、広義には、世界で言われるところの「開発人類学」や「開発民族学」の一部門であることは疑いようもないし、事実であろう。

2.しかしながら、日本の「民俗学」の発展過程で培ってきた概念用語や方法論は、十分、世界に通用する普遍性をもつ可能性はある。

これは、今、あわせて読んでいる上田和男他編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978 の内容(柳田国男以降の研究史)を見ても十分証明?できると思う。

-------------------------------------

08052803 <コラム2>

上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編

『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

お薦め度: ★★☆☆☆

対象レベル: 中級以上

一口コメント:

‘古い’といわれて久しいが、やはり‘民俗学’のオーソドックスな学説史の簡易なハンドブック(当然、1970年代まで)としての価値はまだあると思う。柳田国男の高弟たちが分担執筆している点でも興味深い。

-----------------------------------

3.ただし、そのためには世界的に通じる共通言語をもたなければならない。つまり、適当な翻訳語を無自覚に使うのではなく、たとえば英語のもつ意味と、日本語の民俗語彙の持つその‘違い’をふまえたうえでの議論をしなければ、専門用語で書かれた論文であったとしても、言葉が通じないばかりか全く意味が通じない可能性が非常に高いということである。

私は、そもそもは、日本人の開発に関わるひとりとして、日本人のセンスや知見について、特に日本人自身の注意を喚起するつもりで、「開発民俗学」などを提唱してきたが、やはり本当のターゲットは、日本人だけではなく世界の誰もが共有できる知を提示することにあることに気がついた。

結局、仲間内で盛り上がるだけの‘閉じた世界’ではだめなのだ。

私は自信をもって、日本の民俗学の知見を世界に発信していきたいと思う。

そのためには、相手の‘土俵’に乗ることも必要であろう。だが、相手の概念用語だけを使う必要は全くない。新しい‘土俵’を新たに作り出すことも必要だと思う。

とにかく、いかに日本の民俗学と世界の人類学との距離があることにきずかせてくれたこの本は一つの手引きになろう。

まず‘違い’を認めた上で、共通なものや共感できるモノやコトを探っていく。それが21世紀の知のあり方であると思う。

詳細や具体的な論考は今後に待て、といったところでとりあえず今日は筆をおかせていただきます。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月30日 (水)

佐々木直彦 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

前回、ブログで、リサーチャー(研究者)とプランナー(計画者)とコンサルタントは違うという話をさせていただいたが、では、コンサルタントって何かということに、非常にクリアに答えてくれる本があるので、ここで、紹介させていただく。

Photo 佐々木直彦

 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

日本能率協会マネジメントセンター 1998年12月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 最近、ようやく‘コンサルタント’という言葉もポピュラーなものとなってきた観があるが、いざその定義、実際の業務として何をしているのだろうという疑問が湧き出してくる。

最近でこそ、ITコンサルタント、経営コンサルタントなど時代の最先端なイメージがあるが、そもそも日本におけるコンサルタントとは、コンサルティング・エンジニア(技術士に代表される)と経営コンサルタント(中小企業診断士)であった。

この本では、副題にあるように「Consulting Skill and Consulting Mind」とあるように、コンサルタントの業種に限らず、そもそも‘コンサルタント’の「技術」と「その心掛け」について広く語っている。

私自身は、‘開発’コンサルタントという業界の末席にいるわけであるが、佐々木氏のいう「コンサルティングマインド」そして、その技術や方法論に非常に共感と感動を受けた。

佐々木氏は、コンサルティングを、このように定義する。

「コンサルティング能力とは、未来に向けて、クライアントの問題解決や夢実現を助ける能力を言う。」

その過程として、以下のステップを掲げる。(括弧内は引用)

「I.問題の発見

II.解決策の立案

III.プレゼンテーション

IV.変革の推進」

前回、「研究から実践」にというところで苦情を呈したわけであるが、研究では上記のステップでいえば、「I.問題の発見」に留まっているというか、その問題を「学問の場」への還元はするが、実際の現場(フィールド)にフィードバックがないことが多いし、次のIIからIVまでのステップが基本的にないのである。(なくても許されてしまう?)(*)

この本は、「コンサルティング能力」のあり方を根本に問うており、知識ではなく、「生き方」としての「コンサルティング・マインド」について論じている点、セクターや分野に限らず汎用性があると考えられる。

この本で述べられているステップ、方法論そのもののロジックは、まさに「開発コンサルタント」がやっていることと同じである。

参考までに、第1章から第4章の目次を以下に掲げる。

「序章 なぜ「コンサルティング能力」が必要なのか (詳細は略)

第1章 問題を発見する

 アプローチ能力

 リサーチ能力

 取材・インタヴュー能力

 問題整理・構造化・分析能力

 レポート作成能力

第2章 解決策を立案する

 コア・コンセプト設定能力

 目標設定能力

 ビジョン創造能力

 プロセス設計能力

 メソッド開発能力

第3章 プレゼンテーションを設計する

 プレゼンテーション構成力

 企画書作成能力

 話力・説得力

 総合的演出力

第4章 変革を推進する

 浸透化・巻き込み能力

 プロジェクト推進尿力

 組織文化変革能力

 葛藤処理能力

第5章 自己価値を創造する (詳細は略)」

また、以前コンサルタントは必ず‘落としどころ’を考えて行動するということを書いたが、この本でも、リサーチの段階から、つまり「フィールドワーク」の段階から、クライアントに対する(変革への)フィードバック、ワークショップ(ファシリテーション)を常に考えていることを明確に述べている。

つまり、それが「コンサルティング能力」なのである。

今日の企業社会では、自己変革と、新たな市場開拓に向けて、さらには社内的にも「コンサルティング能力」が必要とされている。

「開発コンサルタント」に関心をある方のみならず、どんな職業であれ自らの未来を自ら切り拓いていきたい人に広く薦められる一冊である。

(この項、了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 あるいはプロジェクトデザインと評価について

開発(援助)の制約条件である「プロジェクト」と、その「プロジェクト」の円滑な運用の鍵を握る「評価(Evaluation/Assessment)」に関して考察してみました。

Photo

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 国際開発ジャーナル社 2003年9月発行

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 国際協力プロジェクト(ODAやNGOを問わず)のプロジェクトデザインと評価を考える際の基本的なツール(道具)を示してくれた適切な入門書。ただし、内容は濃くある程度の‘開発’と‘プロジェクト’の基礎知識がないと理解はむずかしいであろう。

正直、ようやく読了したというのが実感である。仕事柄、書籍のチェックや購入は結構早いほうだと思うが、積読や拾い読みが多く、どの本も読了するのに時間がかかる場合が多い。

私は梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』 (岩波新書)で習ったごとく、完全に読了しなければ「読んだ本」としてカウントしない。まあ非効率なこだわりではあるが^^?

さて、一口コメントで述べたことだが2点ほど詳細に言及したい。

1つ目: ‘開発’と‘プロジェクト’との関係について

‘開発’行為と‘プロジェクト’という概念というかイメージがある程度ないと、この本の記述は理解しにくい。

そもそも‘開発行為’すなわち、外部からの強制的?な働きかけ、あるいは‘地域’の‘内発的な発展’のどちらについてもいえるのであるが、そもそもそのような‘もの’は、普通に考えてわかるように静かにというかひそかに潜行して徐々に時間をかけて社会変容をもたらすものであると考えられる。

現実の世界は、徐々に変わっていくのであって、今日からとか何時から突然に何かが変わるということは非常にまれなことであり、傍目にはそう見えても、実はそれが現れるまでに非常に長い潜伏期間がある。私は、‘開発’とは基本的に、個人個人の(社会)認識が変わることによりもたらされる、受容される、内部から創造されていくものであると思う。

私の唱える「開発民俗学」は、適切な言い方かどうかは別だが、それを助ける乳母の役目を担うものとして、さすらいの「風の人(異人=まれ人)」と地に足をおろした「地の人」との‘交流劇’というドラマを想定している。

人と人が出会うことによって生まれる‘何か’が、その地域社会を変えていく、またそれは「風の人」自体も変えていく。

そのような(時間的に)長期的な視野と、地理的な広がり(異質な地域性がぶつかったほうがそのインパクト(衝撃)が大きい)の両面に目配りしたフィールドを設定する。

ところが、ご存知のとおり、現代の社会は、そのような長期的なものの見方や地域の違いに配慮したものの見方は、しない・できない構造となっている。これは、近代世界の資本主義社会のパラダイムそのものの弱点といってもよい。

つまり何がいいたいのかというと、そもそも時間をかけてはぐくむべき文化や社会(変容)に対して、近代世界は、「プロジェクト」という枠組みでしか取り組めないという現実である。(最近、援助業界では「プログラム・アプローチ」という言葉を持ち出しているが、所詮それは「プロジェクト・アプローチ」とその拠って立つところが同じである。つまり同じものと扱っても、まったく問題がないので以下の論考ではそれも含むものとする。)

さて、「プロジェクト」とは何か。いろいろな定義があるのは承知だが、ここでは、PMBOKによる定義は以下のとおりである。

「プロジェクトとは、独自の成果物またはサービスを創出するための有期活動である。」(*1)

また日本における「プロジェクト&プログラムマネジメント(P2M)」による定義は以下である。

「プロジェクト(project)とは、特定使命(Specifice Mission)を受けて、始まりと終わりのある特定期間に、資源、状況など特定の制約条件(constraints)のもとで達成をめざす、将来に向けた価値創造事業(Value Coreation Undertaking)である。」(*2)

ここでのポイントは、プロジェクトには①特定の目的があり、②資源の制約があり、かつ③期間の限定がある、ということである。

ちなみに、上記に引用したガイドブックにしたがうと、「①スコープ・品質、②期間、③資源(ヒト・カネ・モノ)」をプロジェクトの3要素としている。(*3)

先に述べた「現実の世界」つまり、ばらつきがあり、不特定であり、私の理論にいう「人と人が出会うこと」により‘何か’が生まれるなんて、悠長で偶発的で、適当なもの、が「開発」なり「内発的発展」の要であるという考え方とは180度とはいわないものの、かなりベクトルが違うことにお気づきになるであろう。

さはいいなん、開発援助の現場では、以前から今まで、さらには、これからも近代資本主義のパラダイムである「プロジェクト」形式でしか、(発展)途上国への介入ができないという問題をかかえている。

ODA事業に対しては、その「プロジェクト」形式であることは比較的わかりやすいが、NGOの行う事業についても同じ「プロジェクト」をめぐる問題が発生している。つまり、NGOといえども、特定の同じ地域に何年、何十年もエグジットプラン(Exit Plan、脱出計画)なしで、事業を続けることは‘金銭的’にも‘支援者’に対してもできないのである。

ボランティアの支援者に対して、10年やっても20年やっても、全然地域の貧困が解決しませんということはいえるわけもない。

つまり、この本は、「プロジェクト」の入口と出口を考えたときに、何がどのようによくなりもしくは悪くなかったのか、地域やそこに住む人々がどのように変わったかを知る=評価のための総合的な案内書であるといえよう。

------------------------------------------------------------------

注: プロジェクトマネジメント資格認定センタープラネット・ワーキンググループ 『めざせ! P2Mプロジェクトマネジャー PMS【プロジェクトマネジメント・スペシャリスト】』 日本能率教会マネジメントセンター 2002 より引用。*1は、同29ページ、*2は30ページ、そして*3は、36ページを参照のこと。

------------------------------------------------------------------

2つ目: 実務者のツールの扱いの難しさについて = アンチョコ的なマニュアルとして読んでほしくはないということ。

この本は、全員がNGOの駐在員など実務者であり開発フィールドワーカーの第一線にたつ人たちが共著しているという点で興味深いと共に、ぱっと読みでは気がつきにくいであろうが、個々の執筆者のそれぞれの現場でのフィードバックに基づく記述は、なかなか細に射り穿ったものである。

その点で、非常に評価されるべきもので、コンパクトなチェックリストとして実務家の助けになるであろう。

ただし、「プロジェクト」という概念を受け入れたという上での、アンチョコなマニュアルやガイドラインとして使われかねない危険性もある。

またこの本について、先に‘案内書’と書いたが、フィールドワーク論、アンケート論、質的調査法、統計処理法など、個々の技術(テクニック)や、そもそも方法論の背景にある思想については、別途、社会学や経済学などの基本的な考え方を研究する必要があるともいえる。

したがって、大学生や院生にいいたいのは、この本は表面だけを読んでもわからない(イメージがわきにくい)ので、せめて学部では基礎的なディスプリンの‘考え方’を身につけることをお薦めしたい。当然、このような‘実務’や‘実践’の世界のテクニックを知ることは無駄ではないが、初歩的な基礎なしには、社会科学手法は使えませんよということを、繰り返しになるが強調したい。

また、評価をデザインすることは、とりもなおさずプロジェクト・デザインの精度を高めるということにつながることも蛇足ながら付け加えておこう。

つまり、(事後)評価(Evaluation)は、事前評価(Assessment)と表裏一体のものであり、Evaluationの技術は、そのまあAssessmentに使えるということである。

私自身、新規のプロジェクトの事前調査をおこなったときに、並行してこの本を読んでいたのだが、その手法や考え方は非常に参考になった。

逆にいえば、プロジェクトを立案する際には、当然、このレベルの評価スキルを持っていないとだめだということの裏返しでもあろう。

本音では、「プロジェクト」を越えた‘何か’がしたいと思っているのであるが、当面は与えられた「プロジェクト」というものの‘精度’を上げる、これはアセスメント・評価およびマネージメントのいずれの側面に対してもであるが、ことに力を注いでいる。

だが、私はそのような努力をすることは、‘明日への一歩’につながっていると信じたい。

(この項、了)

P.S.

プロジェクト評価に関して、2冊ほど類書を紹介しておく。いずれの本も日本の援助(特にODA)のプロジェクト評価を考える上で参考になると思われるので、前褐書と併読されることをお薦めする。

Pcm PCM読本編集委員会 

『PCM手法の理論と活用』

国際開発高等教育機構(FASID)

2001年5月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

日本のODAにおけるPCM活用の実体について第一戦の実務者が語るおそらく日本で一番適切な事例書であり理論書。

PCM手法(PDMを含む)に関しては、いろいろな批判も多いが、現場で実践している人たちのこの本を読まずして批判を口にするなかれと言いたい。(ほとんど全ての問題(批判)について実務者のレベルで考察している)

Photo_3 独立行政法人国際協力機構 企画・評価部評価管理室編 

『プロジェクト評価の実践的手法 考え方とつかい方 JICA事業評価ガイドライン 改訂版』

国際協力出版会 2004年3月

お薦め度: ★★☆☆☆

一口メモ: JICAにおける事業評価ガイドラインということで紹介させていただくが、内容は非常に難しい。ただ、現実の業務(プロ)の現場で求められている作業やレベルの一端がわかるというメリットはある。

そもそも‘事業評価’だけでも一つのプロフェッションになってしまうのだが、私としては、当事者(NGOや、評価以外の専門を持つ方)が自分で評価ができることを目指した前掲書(国際協力プロジェクト評価)で、‘プロジェクト’や‘評価’の概要をつかんだ上で読まれることをお薦めする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

中尾文隆編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』 あるいは時代と学説史について

非常に興味ぶかい本でした。タイトルが甘い(あんちょこ本っぽい)?からといって内容を見くびることなかれ^^?

Photo 中尾文隆/平成柳田国男研究会 編著 

『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』

秀和システム 2007年3月15日 初版

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: (日本)民俗学の父、柳田国男の業績を俯瞰するのに最適な一冊。特に、彼の生きた時代背景をおさえている点、および代表的な柳田国男論の抄録がなされている点もユニーク。

正統的な?柳田国男継承者からはでてこないような視角が興味を誘います。

さて、以前、学説史をおさえることの重要性について、軽く触れましたが、この本を読むと、その必要性を具体的に改めて認識することができました。

タイトルが悪い?ので、単なるアンチョコ本に間違えられそうですが、内容はきわめてまともな概説書です。

特に、サブ・タイトルにあるように、「逆立した柳田像を重層的に検証する!」とあるように、柳田国男の神秘というか、彼が語ったこと、語らなかったことを時代背景とともに検証した点が非常にスリリングです。

当然のことですが、一人の思想家なり学者が生まれるには、その時代背景と彼を取り巻く環境(社会環境、人脈など)のまさに偶然としかいえないような作用・副作用が必要です。

また一つの時代を生き抜き、一つの時代を創ったということは、逆にいえば、その時代のもつよい意味でも悪い意味でも制約を免れることはできません。

平たくいってしまうと、英雄だろうが平民であろうが、誰もがその時代を生きた‘時代の子’という制約を免れることができないのです。

最近、民俗学をちょっとまじめに勉強しようとして、柳田国男に挑戦しようとしていたところなのですが、彼の「農政学」への挫折、戦争(日露戦争、第一次大戦、満州事変、敗戦)と民俗学との関連、「木曜会」という私的なサロンを通じて、いかに彼が「民間伝承論」から「民俗学」へと日本各地の趣味の民俗学徒を組織だてていったのか、非常におもしろい視角を示してくれました。

ぜひ、直接手にとっていただきたいのですが、特に、私が興味を引いた点を2点ほど。

まず一つ目は、先住民としての「山人論」と、「海上の道」で日本人の祖形を求めた柳田国男は、当初よりアイヌと沖縄という‘内なる異民族’を視野に入れていました。

なんのためか、それは台湾と朝鮮という植民地経営のため?というトンでもない意見が提示されます。しかし時代背景と、彼を取り巻く人脈をみるとあながちそうでないとはいいきれないところがある。

そもそも柳田が学問として学び、最初の職業(農商務省の役人)として選択した「農政学」自体に対して、彼なりの思い入れと戦略があったものと思われます。しかし、なぜそれが「民俗学」へと変容していったのか、非常に大きな闇というか謎が横たわっているといえましょう。

二つ目は、そのような大きな時代制約を負った「民俗学」または「文化人類学」自体が植民地主義ときわめて密接に結びついたものであったことは、今では広く言われていることですが、なぜそのような「民俗学」や「文化人類学」をいまだに学び発展継承していかなくてはならないかということです。

この本にも見られるように、そもそも‘学’の立ち上がり自体は非常に個人的な問題意識と、やはり時代が求めている、つまり同じような志なり問題意識を持った者たちが、互いに情報共有のネットワークを結ぶことにより、徐々に一‘門’としての‘学問(門)’というものが生まれてきます。

日本の民俗学は、やはり世界に十分誇るべき、‘野の学問’だと思います。これは、「近代(主義)」と「西欧の学問(体系)」と「国民国家(主義)」という、いわば外圧によってこじ開けられ壊れかけた‘原日本人’のアイデンティティを探し、新興の国民国家である‘日本国’という身を守り、日本という地域に住む人々の‘日本人という共同幻想’を創り、「日本国民国家」としてあがらうための一つの思想的な理論武装であったともいえます。

逆にいえば、明治初期(8年)に生を受けた柳田国男をして大成されたものの、そもそも‘明治’という時代背景なしには「日本の民俗学」は成立し得なかったともいえますし、柳田がいなくても、似たような思想や運動は起りえたともいえましょう。

こうして考えてみますと、今、「民俗学」や「文化人類学」を語ること(研究)ややること(実践)することとは、どのような意味があるのかを、自分の趣味や楽しみを越えたレベルでもう一度、定義しなおすことが必要だといえます。

今、「開発民俗学」を語るとは。非常に重たい宿題ではありますが、これまで柳田国男や彼に続く多くの先達が積み上げてきた「(日本)民俗学」の学問知と経験、さらには世界に眼を向けて植民地主義の片棒を担いだという宿命を背負ったまま、研究と実践を続けている「人類学」に対して、われわれが新たに何を積み上げることができるかという問題でもあります。

まだまだ先は全く見えませんが、そもそもの志、たとえば柳田が語った「世のため人のため」の学問という言葉は、たとえその裏の真意がなんであれ信じていきたいと思います。

蛇足ながら:

そもそも「学説史」を押えることは大切ですよということを言いたかっただけなのですが、結論は別の方向にいってしまいました。

別のところでも書きましたが、誰がどのような時代背景の中で、誰に向かって発言したのか。これを押さえないと、彼の言説(学説)を正しく理解することはできない。

意図的に誤読することも当然、可能ですし、その可能性というか発展性を否定するつもりはありませんが、時代背景をふまえない批判や非難は議論に当たらないと私は思います。所詮、われわれも含めて‘時代の子’という制約は、絶対に逃れられないのですから。

また、ちょっと社会人?をやっているおかげで、理想(理念)と現実を分けて考えれるように鍛えられました^^?つまり、当然、なんらかの望ましいこと(理想・理念)を夢想することが勝手ですし、それはそれで大切なことですが、だからといって現実を、こんなのうそだとか、こんなことはあってはならないと考えることは、全く別だということです。

どれほど残酷で醜い酷いことがおこなわれていようと、現実は現実として直視しなければならない。それを認めたうえで、次の手を考えることができると思うのです。

幸い、私はまだそんな修羅場や地獄は見ていません。でも、それをさけたり隠蔽することなく、勇気をもって立ち向かっていきたいと思います。最悪の自体の可能性も否定はしない。まだまだそれでも立ち上がれるだけの力を持ち続けたいと思います。

ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 7日 (月)

井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』

08040700_2 井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』 世界思想社 2006年7月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

フィールドワークに関心のある方、特に国際開発や地域研究の‘実践’面にに関心にある方は必読です^^?

直接、国際協力の現場や、村落開発に役立つハウツーものではありませんが、フィールド、すなわち現場に向き合う心構えみたいなものを若い研究者や実務者が自らの苦労や悩みもさらけ出して読者に語りかけています。

私にとっては、執筆者23名中、直接の知り合いが3名もいるのは、なぜかうれしい(この数が多いのか少ないのかは別にして)。また以前から関心をもっていた井上先生や関良基氏のフィールドにいたる道が読めたのも、うれしかったです。でもまあ、同世代というか私より若い研究者(博士課程)も活躍しているのをみると、いよいよ自分もがんばらねばと思います。

ちなみに井上真氏は、コモンズ論との絡みで2000年ごろから研究動向や著書をウオッチしていました。

森林(資源)管理に個人的に興味を持ったのは、東ティモールの農林水産業開発計画のJICA開発調査に参加したことと、フィリピンでの案件に主体的にかかわりあうようになってからです。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030026.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha000.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha004.htm

考えてみれば、私の記事のほとんどがフィールドワークからのフィードバックとか気づきがきっかけになって書かれています^^?

内容について、三点ほど。

まず一点目。

今、‘開発(援助)’と‘(文化)人類学’やいわゆる理系の研究者(井上氏は林学が専門)との接点が非常に近くなっており、たとえばアジア経済研究所の佐藤寛氏も、もともとは社会学が専攻の地域研究者(アラビア半島のイエメンが研究の始まり)が、地域研究の対象地(フィールド)が現実に‘開発(事業)’に巻き込まれていくことを体験して、否応なく開発研究の場に眼を向けざるを得なくなったという背景があります。

いわゆる‘学者’の‘研究’から実務者の‘実践’を考えざるを得なくなった、井上氏もご本人も語っているように、‘研究’から‘実践’をつなごうという井上スクールの格闘を語った本でもあるのです。

その意味で、各執筆者の心の葛藤というか気づきの過程が丁寧に書かれていることに、大変共感を覚えました。

第二点目としては、また逆に開発コンサルタントの実務者として物足りないのは、彼らの気づきは、実は、われわれが常日頃の開発援助の現場で日夜考え格闘していることでもあるのです。

わたし自身の反省でもあるのですが、もっと早くから学界との交流を考えればよかった。ともに現場(フィールド)での苦労や経験を分かち合えればよかったと思います。私個人の開発コンサルタントとしての‘フィールド’との格闘については、「歩きながら考える」や「開発民俗学への途」で赤裸々に語っているとおりです。

「‘開発民俗学’への途 <連続講座> (第1部) 完結」 2000年7月15日~2007年4月29日 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

「歩きながら考える・・・‘世界’と‘開発’」 2000年3月18日より継続中。 特に1999年から2000年の最初期に書かれた記事を参照。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000.htm

とはいえ、今でもこの井上氏のような‘学者’はまれですし、私は基本的に、日本の援助関係者という面に限りますが、NGOとODAの中でもJICAの青年海外協力隊と技術協力プロジェクトの専門家と、開発調査や無償資金協力、円借款をいわば‘開発援助のプロ’として実施している「開発コンサルタント」とは似て異なるものだと思っております。

あまりに「開発コンサルタント」の現場からのフィードバックが少なすぎる。個人的には、コンサルタント仲間がブログやHPをもっている例をいくらかは知っていますが、受注業務の、つまり発注者があるなかでの守秘義務によって、肝心のプロジェクトのことは、ほとんど公開することが法的にも倫理的にも‘原則’できません。

ですが、最前線の「開発コンサルタント」を抜きにした開発援助論は、不毛というかかなり限られた議論になりがちです。なんとか、これはあと数年間でなんとかならないものかと私はもう十年近く考えています。

第三点目として、「フィールドワーク」の先にあるものといいますが、その次のステップを考えたいと思います。

例えば、私はといえば、ひそかな望みとして、開発コンサルタントとして‘実践’から‘研究’へ道筋を探ることと同時に有意な実務者やアカデミシャンを育てたいと考えています。
つまり井上氏のいわく「総合格闘技」である「フィールドワーク」の先にあるものとして、「共同・協同作業の場」としての「ワークショップ」を通じた「たまり場・フォーラム」を私は構想しております。 そんな試みが、2000年3月18日にHPを立ち上げた「歩く仲間」の一連の歩みです。

「人類と開発フォーラム(歩く仲間改め)」、よろしかったらぜひお尋ねください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/

また、ミクシーをやっている方は、「mixi開発民俗学 「地域共生の技法」」もよろしくお願いします。紹介文はこちらを参照ください。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/mixi_1551.html

P.S.

この本はいわゆるフィールドワークの教科書ではありません。フィールドワークで感じたことを綴った本です。方法論的なフォローは、基本的に井上氏の「序章 フィールドワークを語り伝える」だけです。

また逆に、氏が紹介している参考書のほとんどは、私もかなり以前に紹介しています。

ご参考までに、「mixi開発民俗学 「地域共生の技法」」に書き込んだ私の文章を以下に転載します。

トピック: 「(現状)認識論」 方法論や着眼点など(リテラシー、フィールドワークなど)」

私は、大学生時代から調査の方法論について非常に関心がありました。1990年代の初めは、やはり学問的にも大きな転換期であったと思います。例えばコンピューターの本格導入、文献サーベイからフィールドサーベイへの調査方法自体の変革などがありました。

特に海外の地域研究において、日本の戦争直後までは文献サーベイが中心であったのが、戦後20年たって1960年後半からようやく日本人研究者の本格的な現地調査が始まった。つまり1955年前後生まれの研究者から実際に海外に留学や現地調査にフィールド調査にでるようになって実証的な調査に取り組めるようになったと考えられます。

1990年代の初めは、それらの本格的に現地調査を行なった人たちは、まだまだ35歳前後でまだまたその研究成果や方法論を語ることが少なかったように思われます。

ここでは、文献中心の調査方法諭とフィールドワークを中心にした方法諭を紹介します。

【リファレンスワーク入門】 1991年11月
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

【開発学研究入門-基礎理論編】 2000815
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

【民俗学の視点-現状分析の視点】 2000812日 200573日補筆
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0032.htm

個人的な覚書で当然、見落としも多いかと思います。また最近、インターネット時代に対応した新しい調査方法も、調査の分析手法もどんどん発達していると思います。 」

以上、引用おわり。

ではでは^^?

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008年3月21日 (金)

「地域研究」について

「開発民俗学」にとって、「地域研究」は既に内臓(ビルトイン)されたものと私は考えています。

すでにお気づきのとおり、アラビア語を専攻として、しかも東西交渉史やアラビア語の地理書旅行記に関心をもつ私が「地域研究」を志向していることはいうまでもありません。

今回、日本に帰国して前々から気になっていた「京都大学東南アジア研究センター地域研究叢書」の一冊を購入しました。

Photo

立本成文 『地域研究の問題と方法(増補改定) 社会文化生態学の試み』 京都大学学術出版会 第二版(増補) 2001 (初版 1996) 

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: まだ完全に読んだわけではありませんが、1993年の 矢野暢編集責任 『地域研究の手法』 (『講座 現代の地域研究 一』 弘文堂に、前田成文名の論文の再構成といった感じなので、注は詳しく新しくなっているものの、それほど論旨が深化しているとは思えません。

逆に、『地域研究の手法』のほうが、東南アジア研の他の個性的な碩学たちがそれぞれの地域研究観を語っている上で、貴重であるといえます。ちょっと手に入りにくいかもしれませんが、『講座 現代の地域研究』は、関心のある方は、全巻読む価値があると思います。というより、私は読みたい^^?

実は、京都大学の東南アジア研究センターは以前からチェックしていました。既に「しばやんの本だな」にも地域研究関係の本はかなりリストアップしていますが、京大系の研究者は独特というか、つまり梅棹忠夫、今西錦司と、フィールド科学を専門とする、まあ俗にいう京大学派の伝統があって、ちょっと変わったところでは、ジャーナリストの本多勝一も京大の探検部出身ですよね。

自分が研究者に関心を持ったのも、梅棹忠夫の『知的生産の技術』 岩波新書 1969ですから、京大の学風は、はっきりいって好きです。

さて、地域研究というと、まとまったシリーズとして、1990年初頭の矢野暢所長?の頃の2セットがあります。

企画編集代表 矢野暢 『講座 東南アジア学』 (全10巻 別巻1) 弘文堂 1991

矢野暢編集代表 『講座 現代の地域研究』 (全4巻) 弘文堂 1993

さはいいなん、『講座 現代の地域研究』の第1巻の『地域研究の手法』しか持っていませんが、研究者兼フィールドワーカーたちの熱い思いがこめられているように感じました。

たぶん、このシリーズの後に、地域研究叢書が始まったと思うのですが、まあそうそうたる研究者集団です。

ともあれ、日本の地域研究のレベルは決して低くないので、これらの先達たちの研究を貪欲に学んでいこうと思います。

ではでは^^?

P.S.

ところでもうお気づきかもしれませんが、これらのフィールドワークや地域開発にかかる書籍がブームのように刊行されたのは、1990年の初頭から半ばのことでした。つまり、私の大学時代にはなかったわけです。もし、これらの書籍や研究者に、大学の3,4年生で出会っていれば別の道もあったのかもしれない。

つくづく、めぐり合わせの妙ということを思います。特に、今、大学生や高校生でいる若い人たちへ、「本は新しいものを買いなさい。特に教科書レベルのものは絶対に大型書店で新刊で買うべきです。」

本当に、若い人たちがうらやましいと思いますね。ともあれ、私のHPやブログは自分がやってきたことや理解したところの整理という意味も含めてつくっています。

とにかく学生時代、何も手がかりがなかった。いまでこそ、研究案内は分野ごとにいくらもありますが、当時は先生にご指導いただきつつもまったくの手探りでした。

私は、このHPやブログの自分の書いた記事によって、仮に全て自分の本なりをなくしたとしてもあるレベルまでは簡単にリセットできると考えています。つまり、「しばやんの本だな」は、まさに自分が‘生き残る’ための文献リストなのです。

そういった意味で、ぜひ‘私’の歩いてきた途を「ショートカット」としてご利用していただけたらと思います。

★しばやんの本だな=ブックリスト★ (ひらかれた‘知’の世界をめざして!)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/contents.htm

特集: お勧めの手引き(読書案内)

リファレンスワーク入門

開発学研究入門(基礎理論編)

民俗学の視点

文化人類学の1990年代を振り返る

『開発コミュニケーション』をめぐる課題

キリスト教および‘力’をより深く理解するために(読書案内)

自分の頭で考えるということ

アジア島嶼部研究のダイナミズム

実践的」外国語の身につけ方

★アラブ・イスラーム関係★

<勉強会>

アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会

<学習ガイド>

アラブ・イスラーム学習ガイド@1991

アラブ・イスラーム研究案内@2003

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月20日 (木)

開発‘民俗’学を語るからには

ということで、最近、柳田國男の研究を始めています。

もともと学説史は好きで、学界で誰が何をやっているかについて常にウオッチしている(大学で学んだアラビア・イスラーム研究の頃から)つもりなのですが、この‘民俗学’の世界も奥が深い。今までに読んだ主な概説書や学説史は以下のとおり。

1. AERA MOOK 『民俗学がわかる。』 朝日新聞社 1997

2. 小松和彦+関一敏編 『新しい民俗学へ 野の学問のためのレッスン26』 せりか書房 2002

3. 上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

今、3をひいゆう言いながら読んでいるのですが、これが実におもしろい。要は研究分野ごとの研究解題と文献案内なのですが、1978年当時とはいえ、純粋な「柳田」民俗学の後継者たちが執筆しているだけあって、非常に内容が濃いです。

また、結局、日本の「民俗学」を語るには、「柳田國男」理解が必要不可欠であることも、改めて実感しました。

ところで、3月15日~18日まで一時帰国していたのですが、ここでおもしろい柳田國男本を発見。

4.福田アジオ 『民俗学者 柳田国男』 神奈川大学評論ブックレット 御茶の水書房 2000

08032802 お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 非常に簡潔に柳田國男の業績と時代背景がまとめてあると思います。業績というか彼の「考え方」を身近な直系の弟子筋の方が語っているので、國男の内面にまで突っ込んだ記述がほろりと見られます。また日本の民俗学の流れも、さらりと触れています。

わずか66ページのブックレットですが、結構内容は濃いと思います。でも逆に、ちょっと割高な感じが^^?

5. 中尾文隆/平成柳田国男研究会編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本 逆立した柳田像を重層的に検証する!』 秀和システム 2007

4は、まさにお弟子さんというか日本の民俗学界の重鎮、5はありがちなアンチョコ本と思いきや、まじめな柳田論、特にその思想と歴史背景というか周辺状況にも目を配った概説書です。

ところで、4のブックレットから、一点、引用させてください。福田氏いわく、

「次に(柳田国男の)二番目の特色ですが、彼は経世在民ということを出張しました。現在柳田国男を研究する人たちは、柳田国男の学問の特色を経世在民という言葉で捉えています。しかし柳田国男自身はこの経世在民という四つの漢字で自分の学問を説明しませんでした。普通には「世のため人のため」という言い方をしました。あるいは学問救世と説明しました。・・・ とにかく柳田国男は自分の学問は世のため人のためにする学問だということを言いました。言い換えれば実際の社会で要求していること、あるいは社会で起っていることを解明することを民俗学の使命としたわけです。」 上掲書(4) 15ページ

まさに、私が、大学時代に漠然と感じた「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなくてはならない(1991)」ということと同じことをいっています。

知識や学問は人を傷つけたり貶めるものではありません。やはり人や世の中の役に立つものであってほしい。

そもそも日本の「民俗学」が「世のため人のため」のものであると創始者自身が語っていたことを知って、この「開発民俗学」を提唱する意を強くしました。

P.S.

趣味の学問ですが、学界のルールには従うものとします。これは、鶴見良行氏が「裸足の研究者」でありながら、学界のルールにこだわったことは本人も、また周りの人も等しく認めているところです。

鶴見良行 『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995

アジア太平洋資料センター[編] 『鶴見良行の国境の越え方』 月間オルタ増刊号 アジア太平洋資料センター 1999

でも、また鶴見さん自身も志を大切にした人であったことを思い出しました。ジャーナリストの鎌田慧もそうだよな。私も自分のやっていることの方向性が間違っていないことを改めて実感しています。

あと蛇足ですが、柳田国男、宮本常一、鶴見良行の誰もが、本格的には30歳を超えてから、それぞれの学問的なキャリアを独学でつくりあげています。柳田氏が、『後狩詞記』を出したのが35歳、宮本氏が『周防大島を中心としたる海の生活誌』をアチック・ミューゼアムから出版したのが29歳、ただし彼が研究生活を始めたのはアチックに入った32歳。鶴見氏が初の論文集『反権力の思想と行動』を刊行したのが、44歳のとき。

これを考えたら、しばやんも全然OKじゃんという気がします(何が?)。

並べるのもおこがましいですが^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

開発民俗学への途~第二ステージへ

3月15日から18日まで一時帰国していました^^?でも、日本って本当にいいですよね。早速、おもしろそうな本を仕入れてきたので、以下、紹介します。

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 有斐閣選書 有斐閣 2007
菅原和孝編 『フィールドワークへの挑戦 <実践>人類学入門』 世界思想社 2006
井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』 世界思想社 2006

期せずも、菅原氏は、京都大学系(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)、井上氏は、東京大学系(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)です。改めて東大、京大の層の厚さを実感。

この開発援助業界に入って15年、仕事をこなすことは当然として、趣味として「開発民俗学」なるものを提唱してきました。孤軍奮闘という感がなかったわけではないですが、ようやく学界でも実務家の経験がフィードバックされるようになって、実際に使える学問、実践の学問というものが生まれてきた気がします。

今は、マニラですが日本に帰ったら、彼ら先生とそのお弟子さんたちとのネットワーキングも具体的に考えたいです^^?

まあ、今でもできるか。メールも発達しているし。

P.S.

mixiで、「開発民俗学」というコミュニティを運営しています。このブログでの開発民俗学を深めると同時に、コミュニティという特性を生かした参加者との対話を通して新たな第二ステージに突入です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月11日 (火)

佐野眞一責任編集 『宮本常一 旅する民俗学者』

何度となく取り上げている宮本常一氏の著作の水先案内として、とりあえず以下の本を紹介します。

Photo 佐野眞一責任編集 『宮本常一 旅する民俗学者』 河出書房新社 KAWADE道の手帖 2005年4月

お薦め度: ★★★★☆

直接、この本を手に取った感想として、

「ブームの宮本常一? 『宮本常一 旅する民俗学者を手にして)』 2006年3月30日 としてまとめています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

また、同じ国際開発コンサルタント仲間のaxbxcxさんと、以前、こんなやり取りをしました。

「唄を聴いたら現地にいこう!私の現場主義」 2007年4月28日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2007/04/post_8937.html#comments

このやり取りの中で、私も自分の過去記事をまとめていますので、ご参照あれ^^?

---------------------------------------------------------------------

P.R. こちらもどうぞあ立ち寄りください^^?

しばやんの本棚 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blist.htm

開発援助に関心のある方へ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

開発学研究入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

アマゾン.comの書評 http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A3H7QFD50WW4Z3?ie=UTF8&%2AVersion%2A=1&%2Aentries%2A=0

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 4日 (火)

米坂浩昭 『裏道国際派』

08030400 米坂浩昭 『裏道国際派』 新潮社 OH!文庫 2000年

同業他社(IC NET) 米坂元社長の記念すべき著作。

2000年10月10日発行なのですが、あまりの赤裸々な内容に業界内部の人間にも衝撃を与えました。

あまりに語られてこなかった開発コンサルタントと援助業界を、日本の援助機関、国際機関、民間コンサルタントと経験してこられた幅広い視点で解説してくれます。

特に、「第四章 若い人たちへ」は、国際協力や国際貢献を職業として考える高校生・大学生に広く読んでもらい秀逸なガイドです。

多くの仲間が、これをもっと若い頃に知っていれば、とぼやいていました^^?

P.S.

若い仲間と話していて、日本では絶版でなかなか手に入りにくいとか。新刊では手に入れにくいかもしれませんが、がんばってぜひ読んでみてください。

ではでは。

---------------------------------------------------------------------

P.R. こちらもどうぞあ立ち寄りください^^?

しばやんの本棚 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blist.htm

開発援助に関心のある方へ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

開発学研究入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

アマゾン.comの書評 http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A3H7QFD50WW4Z3?ie=UTF8&%2AVersion%2A=1&%2Aentries%2A=0

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月20日 (金)

岩田正美 『現代の貧困』

先の記事でも触れましたが、最近、福祉と開発の問題の接点を探っています。

Photo_23 岩田正美 『現代の貧困 - ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 ちくま新書 2007年5月

お薦め度: ★★★★☆、 一口批評: 現代日本の貧困問題を考えるのにMust Readの骨太の貧困論。逆に「一億層中流社会」という幻想に浮かれていた日本の‘貧困’研究のプア-さを嫌でもわからせてくれる本。

ようやくというか、まともな日本の「貧困」論の本だと思う。筆者は、「・・・日本では高度成長以降、多くの人々にとって「貧困はもはや解決した」ものとなり・・・ある人々を貧困だとレッテルを貼るのはそれらの人々の人権を脅かすことになるという「優しい配慮」があって、それが貧困への関心を封印してきた」ともいい、日本では「貧困」の「再発見」という問題意識自体が薄れてきていた(実際に貧困調査が長いことなされていなかった)ことをまず語っているが、そもそもそこに問題があったといえよう。

この著書では、欧米での貧困の「再発見」の歴史と、日本の現在の「貧困」問題について、著者の長年の実証調査によって、統計データの裏側まで読み解こうとしている。現代日本の貧困研究の一人者の初心者向けではあるが非常にエスプリのきいた掌作といえよう。

あえて1点のみコメントする。

この本では欧米の‘貧困’の「再発見」の歴史や経緯についても簡単に触れているが、私としては、その測定方法の日本への適応方法について、もうすこし批判的な考察がほしかった。つまり、今の開発のトレンドをみるに、特にMillenium Development Goals(MDGs)をみると明らかに社会福祉の概念の開発援助への適合が感じられるのである。しかし、私の立場からいうと、このMDGsの「貧困」概念自体が非常に恣意的なものにすぎない。

もっといえば、なぜ先進国で(しかも、それをかなり恣意的に調査して得られた)尺度でもって貧困を測ろうとするのか、全く理解ができない。

つまり、日本でも途上国でも、それぞれの地域の状況に沿った「貧困研究」があってからこそ、「貧困ライン」なりが検討されるべきであり、まず最初に‘尺度ありき’では断じてないはずなのである。

今、日本でも「格差社会」の到来を愁う言論と同時に、先進国の例(ケース)を単純にもってこようとする動きがあるが、歴史や地域差を無視した「方法」の適合は決してありえない。私が、大学研究者に不満なのは、時にして‘前提条件’を無視した論理を展開して平気な人がいることである。(この岩田氏のことではないのだが)

つまり、日本の社会福祉改革に、フランスやアメリカなどの実例を解決策の一つをして持ってこようとする人が多いが、わたしが言いたいのは、その欧米の研究者は、彼等の研究書や論文では、‘彼等の中で常識であるフランスやアメリカなりの「格差社会」である現実’にあえて触れていない(自明のものであるから)ということを無視して、それを日本なりに答えだけをもってこようとする論調があるということである。

前提条件が違えば、当然、その解決の経緯も結論も違ってくるはずである。

そういう意味で、この岩田氏のような地味な実証調査の積み重ねが望まれるとともに、特に国際比較においては、もっともっと慎重であるべきだということをこの場で言わせていただく。

P.S.

この本での「貧困ライン」の解説(2章 貧困の境界)は、援助関係者もMust Readである。いかに「MDGs」やUNDPの「HDI」の一部の‘指標’が適当(いいかげん)なものであるかがわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月 4日 (水)

国際開発コンサルタントのプロジェクト・マネジメント

ようやく読み終えた、というのが率直な感想です。

いろいろなところで他人に紹介しつつも、たぶん購入してから丸3年半後に読了。うーんという感じです。例えば、以下のページなど。↓

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc018.htm

Pm コーエイ相互研究所(日本工営グループ) 『国際開発コンサルタントのプロジェクト・マネジメント』 国際開発ジャーナル社 2003

お薦め度: ★★★☆☆、 

一言コメント: 業界内部の人間にとっても難しいです。かなり理想的というか行間に込められたエッセンスは非常に濃ゆいものがあります。

実は最近、「開発援助と開発コンサルタント」ということで日本NGOの方や学生さんの前で話す機会がありました。でも、まあ「開発コンサルタント」って、非常に説明に難しい職業です。以前、つかささんとの対話で、いい本がでたよって紹介していますが、やはりこの本はプロのコンサルタント(同業他社)の現役バリバリのそれぞれの専門家が分担執筆していますので浅く広くなぞっているようでいて、かなり行間に込められたメッセージが濃ゆいです。

その面では、開発業界やコンサルタントの予備知識がない人には、かなりとっつきづらいと考えられるでしょう。逆に、実際にコンサルタントやNGOとして現場をもっている人にとってはリトマス紙というかチェックリスト的な読み方もできましょう。でも、基本的な立場が、伝統的な社会基盤整備、すわなちハードのインフラ整備の調査・計画・実施(施工管理)をおこなってきたコンサルティング・エンジニアの観点からかかれていますので、社会開発というか、ソフト系のコンサルタントを目指す人には、ちょっとなじみがわかないだろうなと思います。

ところで、私のプレゼンでは、「コンサルタントは、川上から風下までトータル・コーディネイトを目指し、調査・研究にとどまるのでなく、事業の実施までを見据えて活動するものだ。」「プロとして、クライアント、ドナー、施工業者などから公正中立の立場で、専門家の立場で最適案を追及する倫理規範が重要である。」ことを特に強調しましたが、そのラインから言っても、この本は、‘伝統的な’コンサルタントのあり方を示したひとつの教科書の位置づけが与えられるでしょう。

少なくとも、日本語では、この類書は少ないというか、わたしは知りません。今までにも英語の教科書の和訳本はいくらかありましたが。

でも、このグローバリゼーションの世の中、開発コンサルタントのあり方自体が難しくなってきているなあと思います。当然、民間企業なので利益もあげなければならない、しかしながら金儲けだけではなく、その仕事で得た知見は、国益を越えたものまで見えてしまうというか政策提言にまでつながるものを経験として日々学習しているのに、結果というか実態としては、ひとつの民間(下請)業者の立場にとどまることを余儀なくされている。

最終章(第18章 プロジェクト・マネジメントの将来)の「18.3 パートナーシップの促進」の項で、「地球益のため」とか、「コンサルタントの社会還元」とか、コンサルタントとして「ロマンを追いつづけていく」ことにふれられていますが、果たしてどこまで社会的に認められていくものでしょうか。

だからこそ、‘パートナーシップ’ということが謳われているのでしょうが。 まだまだこの日本社会の中で、的確に認知されるまで「Long Way to Go」という気がしています。まあ、地道に共感できる・してもらえる‘仲間’を増やしていくしかないのでしょうね。できる範囲で。

おっと、結局、「歩く仲間」という落ちになってしまいました^^?

おあとがよろしいようで^^!

P.S.

開発コンサルタントに関心のある方は、こちらも参照ください。↓

対談 開発コンサルタントとは:

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm

開発援助に関心のある方へ:

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月14日 (月)

本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』

axbxcxさんと議論?していて、本多勝一は懐かしいという話と、でも「二分論」はちょっと古いよねという話で盛り上がったのだが、その際、ままや、この話はもう本当に古い議論なのかという点と、自分の思考パターンが深く本多勝一氏の論理によっていることにあらためて気がついて愕然とした。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2007/05/post_cf38.html

いまはやりの言葉でいえば、『反西洋思想』の一つの急先鋒が1960年代から1970年代にかけての本多勝一ではなかったのか。本多勝一は、わたしが中学校から高校生時代にかけて非常に傾倒したジャーナリスト(というか思想家?)で、当時、朝日文庫版の「本多勝一シリーズ」はほぼ全巻読破していたと思う。残念ながらいま手元に数冊しかないので、彼の「二分論」がよく現われている著作として以下を挙げる。

Photo_12 本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』 朝日新聞社 朝日文庫 1984

お薦め度: ★★★★☆、 一言コメント: 日本人で人文科学や社会科学を志すものはマストの文献。

結局、一言コメントで全て語ってしまいましたが、今の社会で活躍している1955年生まれ以降の世代の研究者やノンフィクション(ジャーナリストやルポライター)を書くもので、本多勝一の影響を受けていないものは皆無であると思う。いたらそれはもぐりであろう。

わたしは、大学生から社会人になるにつれて、少し距離をおくようになったが「支配される側とされる側」という「二分論」議論は、当時非常に説得力もあったし、今でも十分の妥当性と説得力をもっているものと考える。

いま、社会全体がオブラートで包んだようになっていて、白黒はっきりさせるな(できない)とか、とかく灰色であることを強調して人を煙に巻く、つまり自分を絶対安全圏において、いかにももっともらしいことをいう知識人というか有識者が非常に多い。こだわるようだが、安倍晋三総理の「歴史認識は有識者(歴史学者)にゆだねる」発言は絶対にわたしは許さない。どうせあなたはお抱え学者に自分の好きなことを代弁させるつもりなのだろうということがみえみえである。それほど、われわれはお人よしの馬鹿ではない。小賢しいことをしていると、そのうち足元をすくわれますよ。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2007NewYear.htm

ともあれaxbxcxさんへの返答でも書いたが、‘自分自身の立場’を自覚せよという意味では、援助業界に限らず、人間世界に生きていく上で最低限のエチケットというか重要なマナーを教えていただいた気がする。

「今まで、本多勝一の影響で、「客観というものは存在しない」というところまではきていたのですが、自分の‘主観’自体を客観視するというところまでは思い至りませんでした。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030028.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog052.htm

でも「する側、される側」の理論というのも、そもそもは、自分を‘客観化’し、世間でいわれている‘客観’に惑わされずに、自分で主体的に自分の立場(=‘主観’)を選びなさいという意味では、自己の相対化による主体性と、自覚をもつという意味で、同じようなことを意味していたのかもしれません。」

本多勝一については、以下の文章でもふれているので、ご参考まで。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00015.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

でもまあ、本多勝一本人もさることながら、彼を取り巻く環境、京大探検部とか、京都学派の存在もあわせて評価されるべきではなかろうか。

関西系の学問のテイストって実は私も好きで、これは大阪で大学生をしてみてよくわかった。そもそも大阪外大も貿易商の奥さんのおばちゃんが私財で作った大学だし、関関同立や阪大、府大、市大、神大、竜谷大、国際仏教大学など、いろいろ東京とは違ったテイストの学問的な土壌があるような気がする。京大で言えば、梅棹忠夫、今西錦司、京大の人文研、東南アジア研究所(いまのアジア・アフリカ地域研究所)など、非常にユニークな仕事をしていると思う。

いかんせん、関西人は、まだ社会への発言度が小さいというか東京ほどメディアにのりにくいというきらいはあるが、結構、本多勝一みたいな鬼っ子のような形で、中央(東京)で気を吐いているのかもしれない。

本書に掲載のうち、「職業としての新聞記者」(1971)、「海外取材の旅」(1971)、「私の取材方法と認識論」(1981)などは、確かに古い議論かもしれないが、今でも示唆に富むと思う。

P.S.

今の時代に、本多勝一のエッセンスを伝えるものとして、彼の認識論、フィールドワーク論、ジャーナリスト論(取材・執筆論)についてのダイジェストがあってもよい気がする。つまり今の若い人に読めといっても時代背景がわからないので、かなりとっつきにくいものと既になっていないか。誰が編者がついて、時代背景の解説をつけたアンソロジーができれば、非常にすっきりとこの思想家(ジャーナリスト)の輪郭がつかめると思うのだが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年5月11日 (金)

鎌田慧 『ぼくが世の中に学んだこと』

‘開発学’を語る以前にどうしても触れなければならない本がある。

Photo_10 鎌田慧 『ぼくが世の中に学んだこと』 筑摩書房 ちくま文庫 1992

(初出:ちくま少年図書館70 1983)

お薦め度: ★★★★☆

実は、既に歩く仲間HPの中で何度も触れているので、そちらも参考にしていただくとして、私が一番、このジャーナリストの著者から学んだことは、「普通の人たちの営み」といおうか、鎌田氏は「下積みのひとびと」といっているが、そのかけがえのなさとでもいおうか。

最後の章に「ひとびとの中で」という節がある。

「大学にはいるまえに町工場ではたらいたことで、ぼくはごく一部のことだとはいえ、社会を体験した。・・・/フリーになったおかげで、いろいろなところで、いろんなひとと出会うことができた。それも、「取材」で会う、というよりは、おなじ場所にいる仲間としての話しあいができたのだった。/新日本製鉄やトヨタ自動車や旭硝子など、日本でも有数の大企業ではたらいて、そこがはたからおもわれているような楽園でないことを知った。・・・その工場の最下層で、名も知れず死んでいく数多くのひとと出会うことができたのだった。/このひとたちは、けっしてめぐまれていなかったが、みんな冗談好きの仲間おもいのひとたちだった。あまりに心優しいからこそ、いまの社会ではめぐまれない、ということなのかもしれない。…」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0009.htm

私は鎌田慧よりかなり後になって民俗学者の宮本常一の著作と出会ったわけであるが、この歩く仲間の巨人達の‘人’をみる目は限りなくやさしい。

たとえどれほど科学が発達しようとも、どれほど世の中が便利になろうとも、かならず‘下積みのひとたち’はいるし、彼らがいなければ、この資本主義社会は回っていかない。開発援助とかいって、国外の‘目に見える’貧困を追う前に、日本の中で何が起こっているのか自分の足元をみようとしないわれわれ自身の‘精神の貧困さ’*を問題にすべきではなかろうか。

*「貧困なる精神」とは同じくジャーナリストの本多勝一のルポルタージュ全集のタイトル。このネタは、‘貧困’を語る際にぜひ使ってみたい。すなわち、‘貧困’とは物質的なものではないのですよ。何十年も前から‘精神’と結びつけて考えている日本人がいるのですよという意味で…。欧米の人は眼を白黒させるだろうなあというのは、勝手な私の想像でしょうか^^?

P.S.

ものをみる目の確かさという点で、鎌田慧の取材術(というか精神)には学ぶべき点が多い。今では、手に入りにくいかもしれないが、以下の本はフィールドワーク論として読んでも興味深い。

Photo_11 鎌田慧 『ルポルタージュを書く』 岩波書店同時代ライブラリー 1992 (単行本 1984)

「ルポルタージュは、現在から描いてもいいし、過去から描いてもいいのだけれど、やはり現在と過去がつながっていて、それからその先どこまでみえるかはべつにしても、先につながっていくはずのものです。・・・先がそこから変わっていく、現在の動きの中から未来が変わっていくというその先をみたい。変えることに参加したい。そういう方向にむけたものを読みたいし、書いていきたい。・・・/ひとつの事実が提示されて、世界観を変えてしまうようなもの、そんなルポルタージュを期待しています。」 (171ページ)

開発民俗学の途もかくありたいものです^^?

実は、この本の一節を以下の記事で紹介していますので、ご参照ください。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2006Summer.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』(2)

さて、前回の記事が中途半端になってしまったので、再度、ここで解説に挑戦します。

岡田氏は、‘洗脳社会’という言葉で何をいおうとしたのでしょうか。目次に沿って、そのパラダイムシフトをみてみましょう。(以下の文章は基本的に、岡田氏の言葉の引き写しもしくは再構成です。)

<岡田氏のパラダイム論>

狩猟時代   (モノ不足、時間あまり)

 ↓

「第一の波」=「農業革命」 (トフラーいうところの)

 ↓

管理社会と身分制度の成立→奴隷制、封建制度の誕生

 ↓

古代科学帝国の成立と限界 (モノあまりからモノ不足へ)

 ↓

「中世」 (モノ不足、時間余り) ⇒ 「高度抽象文明」

 ↓

15世紀の新大陸発見+科学の発展 ⇒ (モノ余り・時間不足の時代)

 ↓

「第2の波」=「産業革命」 (トフラー)

科学技術の発達、合理的思考法、民主主義、経済主義

「自由経済競争社会」 ⇒ 「自我の確立」を求める社会

 ↓

「第3の波」=「情報革命」 (トフラー)

「モノ不足、情報余り」の時代

「情報余り社会とは、一つの事実に対する様々な解釈、様々な価値観や評価・世界観といったイメージがあふれる社会」すなわち「洗脳社会」である。

 ↓

「自由洗脳競争社会」

マスメディアの衰退とマルチメディアの台頭によって、洗脳行為が双方向になり、いままで権力者が独占していた洗脳行為が、マルチメディアの発達によって民衆に解放されつつある。

私たちの生活の変化は、「日常生活において、被洗脳者、つまりイメージ消費者である私たちは、多くのイメージや価値観の中から自分が気にいったものを複数選択していること。/価値観やイメージが増えれば増えるほど、同じ価値観を共有するグループが刑されること。/私たちはそんなグループの中で、自分の価値観を基に複数選択して自分の生活をコーディネイトしていること。」に、すでに現れており、こうした人間関係の細切れ化は、これからもどんどん激化する。これは、「結婚」や「家族」の解体をも意味する。

 ↓

「何ものにも自分の人生を縛られない」という自由を得ることができる(社会)。

以上に岡田氏の理論をかいつまんでみましたが、氏いわく、現代社会は以上の世界観で読み解けるというものです。ほんまかいなと思うむきもあるかと思いますが、かくいうわたし自身は非常なる‘納得’をもって氏の論に合意してしまっているのです。

氏がいうところの近代/現代のパラダイムである『科学至上主義*=「科学や合理主義は、私たちを幸せにする」という価値観』や『経済至上主義=「一生懸命働くことが、みんなの幸せにつながる」という価値観』を、わたしもすでに素直に信じられないのです。

* 科学主義とは民主主義、資本主義、西欧合理主義、個人主義といった価値観を含む一つの世界観をいう。

なにか、ついポロリとカミングアウトしてしまったような後味の悪さが残りますが、わたしも近代のパラダイムに乗っかりながら、自分も裨益しながらも「現代社会」を居心地悪く感じている「洗脳社会」世代の一員であることは、間違いありません。

でなければ、そもそもこんなブルグもやりませんって^^? すでに洗脳戦線に参戦しているって感じです。

最後に、あえての私の「洗脳社会」論に対する疑問をのべます。

疑問というか、そもそも論なのですが、今の現代社会が全て、「近代社会/現代社会」の段階に至っているわけではありません。文明論や歴史論で陥りがちなことですが、現実の世界ではいろいろな段階の「社会」がそのまま共存しているのです。そもそも社会発達論ってわたしは嫌いなのですが、全体を俯瞰しようと抽象化すると具体的な‘現実’そのものを見落としてしまいます。ある意味、この岡田論は、日本とか一部の西欧地域では妥当なところもあるでしょう。しかし、それ以外の地域では、「自由経済競争社会」にも至っていない(いやな言い方!)地域が多く、まさにそれが「グローバリズム」に適応できる地域(国)とそうでない地域(国)との大きな摩擦を引き起こしているのです。

「狩猟社会」、「農耕社会」、「封建社会」など言い方(ラベル)はどうでもいいですが、それはそれでよい(認める)というところまでいかないと、これからの世界はきびしいと思います。

まあ、最後は、「グローバリズム」はあきらめて、何でもありの世界のまま=ほっておくのも手かもしれません。

結局、国連とか国際機関というチョー近代的な組織のいう論理は、『科学至上主義』『経済至上主義』の枠(フレームワーク、パラダイムといってもよい)から一歩も踏みだせていないのです。変な話ですが、それらの「科学主義」や「経済主義」の考え方が全ての地球の人類ができるようになるために、何百年かかることか。(すでに何百年も啓蒙や教育に字間を費やしていることを考えてみましょう)

わたしは、誰でもわかるような、もっとシンプルな原理・原則があるはずだと思います。もしくは、すべてのパラダイムの存在を可とするような、「メタ・パラダイム」というか。

おっと、形而上学や「メタ」理論に走るまいと思っていたのに、結構それも好きだったりして^^?

まあ、現実世界のフィールドワークから、どう「小」理論、「大」理論を展開するのか。やっぱりどこかで抽象化は必要だと思うのです。飛躍しすぎてもいけませんが、いつまでもバタバタと地べたを這いずり回って事実だけを重ねてもみえない‘もの’があるのではと思います。

いろいろ考えることがあると楽しいですわ、本当に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』

パラダイム論の最高傑作。おそるべし、オタキング。

Bokutachi 岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』 朝日新聞社 朝日文庫 1998(単行本は、1995)

お勧め度: ★★★★★、 ジャンル: パラダイム論

少し古くなってしまったが、この本を読まずしてパラダイム論を語るなかれ。確か、2000年ごろたまたま図書館で借りて読んで、のぞけそった覚えがある本である。(すぐ購入しようとしたが、なかなか手に入らなかった記憶がある。)

著者は1958年生まれ、アニメやコンピューターゲームのプロデューサー・社長、俗にいうオタク文化の情報発信者。1992年の東京大学教養学部オタク文化論ゼミの非常勤講師など、‘オタク学’のオーソリティーというか、知る人ぞ知るすごい人なのである。‘トンデモ本’というジャンルを一躍有名にしすめたドンデモ学会の創設メンバーの一人でもあると思う。

この本を一言で説明すると「アルビン・トフラーの『第3の波』(1980年)と境屋太一の『知価革命-工業社会が終わる 知価社会が始まる』(1985年)を敷衍して、‘新しい’パラダイム論を展開した」ところにあると思う。

つまり、戦後世代のパラダイム=21世紀のパラダイムを先取りしたとでもいおうか。特に、パラダイムの考え方とその説明、今まで支配的であった旧世代の考え方を『トフラー・境屋タイプ』、『私たち=若者を中心に広がりつつある価値観』(=戦後世代、私がいうところの1955年以降生まれの世代 しばやん補足)という2つの価値観を仮に設定し、今までとこれからのパラダイムを考えてみるというものである。

トフラーのいう、第一の波(農業革命)、第2の波(産業革命)、第三の波(情報革命)の特に、第三の波について、それは、第2の波である産業革命によって形作られたパラダイム、たとえば、「自由競争」「民主主義」とかニュートン力学などによって代表されるパラダイムでは読み解くことができないことを、境屋の「豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しいと感じる、人間のやさしい情知」というキーワードで読み解くという試みである。

ちなみに、岡田は、「高度情報化社会」を「洗脳化社会」と読み解きます。

うーん、ここまで書いてきて、非常に解説が難しいことに気がつきました。一言、非常にわかりやすい本です。ぜひ原本にふれてみてください。

自分の立っているこの‘世界’が決してひとつの世界ではなく、常に新しい‘パラダイム’によって解釈しなおされてきた、きわめて恣意的なものであったことに気がつくでしょう。つまり、すでにわれわれは‘パラダイム’によって常に洗脳されているのです。

自分がそのようなものに縛られていることに気がついたとき、あなたは昨日や今日とは違う明日へ一歩を踏み出していることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

開発学の101冊 凡例

「開発学の101冊」、これは、『開発民俗学への途』の第8講に位置づけられるものである。とりあえず、はじめの一冊を紹介したが、ここで凡例をまとめてみたい。

構成:

1.表紙写真、

2.タイトル (著者名、タイトル、出版社、出版年)

3.お薦め度: 星マークによる五段階評価。(例 ★★★☆☆ 3つ星のお薦め度)

4.使える度: ◎購入する価値があるかも。、○知っておくとよいかも。

5.ジャンル: 「ディスプリンによる分類」(A)、もしくは「調査・方法論」(B)

上記について補足説明すると、まず「3.お薦め度」と「4.使える度」については、あくまで私の主観であるので適当に参考にしていただきたい。なぜなら開発学の分野はとても広いので、何でもかんでも読む必要はないし、全てを買うわけにもいかないだろうからである。まあ、おもしろそうだと思えば手にとってみてください。

また5のジャンルについてはあまり細目を決めていない。今の時点で考えられるのは、A: ディスプリンに関わるラベリング B.調査・方法論くらいで、Aについては、通常どのように分類されるかをラフに書くぐらいのことしか考えていない。実は書籍や論文のジャンル分けというのはあまり意味がないと思う。同じ本でも、哲学書としても読めるし、社会学としても経済学としても、つまり読む人の関心によってどうとでも読めてしまうのである。

したがって、このブックガイドでは、広い分野から、開発学、特に開発民俗学を考えるのに参考になりそうな本をA分類の本として取り上げることとする。

ただし、調査・方法論の本は、ディスプリンを問わず、いわば共通のテクニックみたいな側面もあるので、それはそれで一分類(B)とする。

ところで‘歩く仲間’の大先輩の鶴見良行氏がおもしろいことを言っている。

「学問の技術と方法は、鎖の輪のように、重なりあっている。この二重部分の核心にあるのが関心や問題意識だ。ややアカデミックにいうと、作業仮説である。この核心から右に行くと技術になり、左に進むと方法にゆきつく。」 138頁 「フィールドワークの方法」『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995

このたとえでいうと、‘関心や問題意識’を高めるための本(A)と、技術や方法についての本(B)という区分ということもできよう。

もし一冊でも、読者の方におもしろそうな本があると思っていただければ幸いである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日沖宗弘 『プロ並に撮る写真術II』

Cci00015 日沖宗弘 『プロ並に撮る写真術 II 心を揺さぶる写真をとるために』 勁草書房 1993

1.お薦め度: ★★★☆☆、 2.使える度: ◎ (凡例は下述)

3.ジャンル: 調査・方法論 (凡例は下述)

前回、『開発民俗学への途』で予告した100冊の本(ここでは101冊と仮にしておく)について、どういう形で発表するか考えてみた。一気に101冊を選んで概説をつけることは逆にやさしいことだが、この手のリストは、今までにもいろいろ試みている。したがって、ひとつひとつ解説を多くして小出しにすることにした。

まず一冊目、何にしようかと迷った。一言でいうと「不思議な本」である。写真術の名のとおりの本でありながら、単なる‘カメラ’や写真‘技術’の本ではない。内容は、クラシック・カメラやレンズの案内、作例紹介、写真をめぐる日沖氏の精神論というか宇宙論というか人生論というか、非常に‘哲学’的な内容で、カメラや写真に関心を持つ人はぜひ手にとってほしい。

日沖氏、いわく、「小さく軽くて丈夫でよく写り、応用がきいて愛着がわく」カメラを追い求めていくと、「一部のクラシックカメラ(1930~60年代)」に行き着いたということで、特に仏像や日本画の研究者として美術写真のプロとして、古今のレンズ・カメラを彷徨した記録でもある。

私が写真に関心をもって自分でカメラを買ったのは、実は非常に遅く、大学を卒業してからのことであった。それまでは、「写るんです」をまじめ?に使っていた。さすがに、卒業旅行でタイなど東南アジアに海外旅行に行くので、ようやくしぶしぶ購入したというのが正しい。まず最初のカメラは、オリンパスのμパノラマ、最初期型の黒のボディーのもので、35mmの単眼レンズのものだった。たまたまデザインがよかったのと、小型軽量でスライドスイッチひとつでパノラマが写ることと、レンズカバーがスイッチになっていて余計なボタンがなくシンプルであったことが選んだ理由だったと思う。

しかしまた、このカメラは非常によく写った。レンズは、f3.5とすこし暗いのだが、写真の絵が非常にビビッドなのである。また軽量でコンパクトなので世界中に持ち歩いたが、非常にタフであった。エジプトの北東シナイの調査で、沙漠で写真を撮ったときもほかの人のカメラが砂を噛んで故障したときも、私のカメラだけは、全く故障知らずであった。

結局10年近く使ったが、最後に、ヨット部のファミリーデーで海に行ったときに、ハーバーのスロープでヨットを引き上げるのを手伝った際に、うっかりズボンのポケットに入れたままで塩水の洗礼を受けて一発でお釈迦となった。

そのときに思ったのが、電池がなくても写るカメラがほしいという気になってクラシックカメラに関心をもって、ライカを買おうということになったのだが、その失敗や、その後のことについては、またあらためて述べることとする。

とにかく今はデジタルカメラや、カメラ付き携帯電話が全盛の世の中であるが、研究や仕事でよい写真を撮ってみたいと思う人は、ぜひ一読することをお薦めする。

ローライ・コードなど2眼カメラから、ライカ、コダックレチナ、コンタックス(カール・ツァイス)ヴィテッサ、ローライ35など往年のクラシックカメラ(レンジファインダーのみならず1眼レフのコンポについても詳しい)の購入ガイドと読むこともできるが、氏の‘本物をみる目’というものを垣間みるのは非常に興味深いと思う。

主な目次: 「今、なぜ写真なのか」、「初心者の皆さんへ」、「取材・撮影旅行の実際」、「取材を前提としたカメラシステムの選び方」、「名レンズを味わうシステム」、「新型カメラ・クラシックカメラの使いこなし」 など精神論から実践論まで。

ちなみに、同シリーズとして、正篇「ひとりで仕事をする研究者・ライターのために」からIVまであるが、正篇、II、IIIを読んだ経験からは、このIIが一番、内容がまとまっていると思われる。とにかく不思議な本である。

なお、氏はオーディオや車おたく?でもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)