アラブ・イスラーム関係

2009年11月 2日 (月)

大阪外国語大学アラビア語科のOB会の設立総会に出席してきました^^?

2009年10月31日と11月1日と大阪、高槻と一泊二日でプチ旅行にいってきました。

数年前まで、私はそれほど積極的に大阪外国語大学卒業とかアラビア語科の専攻であることを公言していませんでしたが、卒業して10年15年と経つうちにそのスゴサに気がついた次第。その直接にきっかけは、フィリピン駐在時に現地で本当にお世話になった外大卒業生のOB・OG会の咲耶会のマニラ支部にちょんなきっかけで紹介してもらって顔を出したのが、大きなきっかけであると思います。

2007年の大学統合で、大阪外国語大学は大阪大学の外国語学部となり単科大学および大学院(修士まで)の歴史を閉じたわけですが、10月31日に梅田の新阪急ホテルで行われたアラビア語科の同窓会「アラビア語会(仮称)」の設立総会に出席させていただき、非常に感銘を受けました。

日本でアラビア語科を置いているのは、ほとんど普通の人は知らないと思いますが、大阪外国語大学と東京外国語大学のみ。私の1988年4月の入学当時、大阪が25名の定員、確か東京も25人か30人で、つまりアラビア語科の卒業生(人によって留年したりで違いますが)というか同期生は日本で50人か60名しかいないわけです。

そもそも外国語大学でマイナーな言語を専攻する時点で、奇人変人なわけですが、この競争率って実は東大や京大に入るより難しいのではないかともいえます。

今回のOB会に話を戻すと、昭和17年から平成21年までの68年間に大阪でアラビア語を専攻した卒業生の総数は、1036名、案内状を送付するために必要な住所がわかった人だけで879名、宛先不明で案内状が届かなかった人が189名、つまり710名に案内が行き設立総会に出席したのが60名。この60名を多いととるのか少ないととるのかはわかりませんが、ほぼ卒業生の10名にひとりが出席したとのことです。また、社会人として現役の方がほとんどで、東京や海外駐在している人を考えれば、やはりこの60名は非常に大きな数であるといえましょう。

なにか話が長くなりそうなので、ここら辺で一旦筆をおきますが、恩師の池田修大先生にも会えたし、助教授だった高階先生や講師であった森高先生、同期25名のうちの一人、Kさんや2年上の先輩方、後輩数名とか同じキャンパスで過ごした近い世代の仲間や上は85歳の黎明期のOBから最近卒業したばかりのOB・OGにお会いできたことは非常な喜びでした。

やっぱり、それなりどころかしゃんとがんばらねばと思います。繰り返しになりますが日本に50人しか同期がいないアラビア語の専門家の学校の卒業生として。

ではでは^^!

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2009年10月31日 (土)

ちょっと大胆 発言! & 今日、アラビア語の同窓会があります。

今日、大阪で大阪外国語大学アラビア語専攻生の同窓会の設立総会が昼からあり、今から大阪に行ってきます。

古典アラビア文学研究の一人者の池田修先生(大阪外国語大学元学長)がこの春、叙勲されたとのことでこの同窓会の結成のきっかけとなったそうですが、もう20年前に直接授業をいただいた身としては、やはり感慨深いものがあります。

当時の助教授の諸先生方もちかぢか定年というような時の移りの早さに驚くと共に、折角の機会で学界に留まった同期や先輩達にも久しぶりに会いたいなというところ、昭和17年から平成21年までに大阪でアラビア語を専攻した卒業生の総数は、1,000名を越えるそうで、今日は何名いらっしゃるのか非常に楽しみです。

さてこの同窓会とは別に外大の恩師にアポイントをいただいています。

唐突な宣言ですが、あと10年以内に私は「博士号」をとります。

一旦、あきらめた研究者への道ですが、まあ人生流転の中でなんとなくチャンスが巡ってきた感じもしますし、「勉強はいつでも(どこでも)できるから」という母の言葉に結局、納得していなかったということですかね。別に‘博士号’がほしいわけではありませんが、自分の生涯といいますか生き方の‘ケジメ’として大学を卒業して18年(いつの間にか?)ぶりに‘取り’に行きます。

まあ別にそれが目的ではありませんが、若い人に私の今までの経験や知識を伝えていくにはそんな‘肩書き’もあったほうが便利かな?と。まあ、そういうポストに自分をおきたいというわけです。

すぐには進学することは現実とてもできませんが、10年スパンで、いろいろ情報収集と(先生方と)戦略会議ということで^^?

ではでは^^?

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2009年10月22日 (木)

【日本中東学会】第26回 年次大会研究発表 申し込み

を昨夜、E-mailでしました。

12月11日(金)が締め切りで、来年の年次大会は、2010年5月8日(土)9日(日)に中央大学で行われます。

日本中東学会のホームページはこちら!

http://wwwsoc.nii.ac.jp/james/

まあ、採用されるかどうかわかりませんが、一応、レジュメということで自分のメモとしてここにアップしておきます。もし通ったら、5月9日(日)に発表することになるそうです。(全ての研究発表は5月9日のみ)

題目: 開発現象と地域研究 ~開発民俗学の視角から~ (仮題)

概要:

私はアラビア語科出身者として、約16年間、国際開発コンサルタントとしてUAE、エリトリア、エジプト、イランなど中近東のみならずブルキナファソ、フィリピン(ミンダナオ)での農業・水資源・地域開発に携わってきた。これらの長短期の調査経験より、開発援助における調査・計画立案・事業実施の各段階においてどのような社会配慮が行われているのかについて国際協力機構による具体的なプロジェクトについて地域研究もしくは開発民俗学の視点より分析し、今後の国際協力及び地域研究のあり方についての提言を行うものとする。なお私の提唱する開発民俗学とは「…外部者として、途上国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗学’を創っていきたい。」と要約できる。

(399文字)

でもまあ、400字でプレゼンするのってなかなか難しいですね。

このタイトルで、しばらくこのブログに記事を掲載してみようかなと思います。

ではでは^^? 

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2009年10月17日 (土)

「イスラーム地理書・旅行記勉強会」を再開します!

アラビア語関係の研究は一旦、封印していたのですが、まあ転職して1年も経つことだし、ライフワークの3つの柱の一つとして、「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」を再開することにしました。

手始めに、ミクシイで、「mixi イスラーム地理書・旅行記勉強会」というコミュニティを立ち上げました。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4600043

なぜ、今なのかと問われれば、まずこのニュースをお伝えしたい。

09101702 イブン・ジュバイル 藤本勝次・池田修監訳 『イブン・ジュバイルの旅行記』 講談社学術文庫 2009年7月13日 第1刷発行

文庫本 1,450円(税別)

何が言いたいかというと大阪外国語大学のアラビア語学科の恩師、池田先生と関西のアラビストグループの翻訳となるこの本、実は私が20年前に大学のときに、まさに先生や院生の方々が取り組んでいたプロジェクトで、原本は、1992年3月に『イブン・ジュバイル 旅行記』として、関西大学東西学術研究所 訳注シリーズ 6 として発表されました。

以下が原本の表紙です。

09101704著者・監訳者は上記に同じ  『イブン・ジュバイル 旅行記』、関西大学東西学術研究所 訳注シリーズ 6

関西大学出版部 6,500円(税込)

A5版 ハードカバー

非常に立派な装丁なのですが、学術書でいかんせん定価がめちゃくちゃ高い。

もう、はしたないとかみっともないとか大人げないとか、なんといわれようとかまいません。

本当に、今の大学生が本当にうらやましい。そして悔しい。

開発コンサルタントというそれなりにチャレンジングな職業について世界を股に、自分もまた旅してきましたが、1992年の当時、自分がどうしてもやりたかったことが、アラビア語の地理書・旅行記の研究だったのです。

いろいろ理由があって紆余曲折があって、結局就職してアラビア語の世界からは一旦離れざるを得ませんでした。

でも社会人になっても日本中東学会なんぞに顔を出し続けたのも、まだ自分の中で不完全燃焼であったからに他なりません。その不満?が爆発したのが2003年から東京で有志を募って始めた「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」なのですが、10回ほど続けることができましたが、初学者も多く、とても研究とまではいきませんでした。

どんなときでも常に視野というか頭の片隅にあったのが、アラブの大旅行家「イブン・バッツゥータの大旅行記」を写本の収集から現地踏査まで20年以上の月日をかけて完成させた家島彦一先生でした。もう20年前にたしか第5回か6回の関西大学でおこなわれた日本中東学会の総会で初めてお会いした家島彦一先生でした。そのご活躍を近くまた遠く背中をみながら、胸に暖めてきた情熱。

やっぱり、これはやってやろう。思えば池田修先生、日本人でアラブ・イスラームの地理書研究の一人者である竹田新先生の門下生として、やはり私がやらないといけないでしょう。(家島先生は、竹田先生のご紹介だったと思います。)

ということで、とりあえずミクシイで‘仲間’を募りつつ独学を続けていきたいと思います。

09101703

さて、これはエジプトで仕事をしたときにエジプト人の秘書にカイロの大本屋で購入してもらったイブン・バッツゥータの『旅行記』の原書です。

1999年2月28日 カイロで購入とメモがあります。

ともあれ、家島先生の平凡社 東洋文庫版の全8巻の完訳もあるし、まあぼちぼちとやっていきます。

そうそう、開発援助の現場で足で歩いた世界の感触・体験から説き起こす「開発民俗学」、ヨット部経験から現職につながる「海洋民俗学」への途は、この「アラブ・イスラーム地理書・旅行記研究」と全く矛盾しないどころか互いに補完しあうものであることを申し添えておきましょう。

この3つのテーマをひとりで縦横に語れるのは、日本広しといえども‘私’しかいないと思います。

たぶん^^?

そのうちに学界にカムバックするからな!と勝手に東の空をみて思う今日この頃です^^?

ではでは^^?

(おまけ)

家島先生の力作。

09101705_2 イブン・バットゥータ イブン・ジュザイイ編

家島彦一訳注 『大旅行記』 (全8巻)

平凡社 東洋文庫 1996年6月10日 初版~2002年9月25日 初版

また、サイドストーリーとしてこんな本もだされています。

09101706 家島彦一 『イブン・バットゥータの世界大旅行 14世紀イスラームの時空を生きる』 平凡社 平凡社新書 2003年10月20日

ところで、いろいろ偉そうに書いていますが、まだ和訳すら読んでいません^^?

でもいつか読もうと本棚を温めて?積読状態を維持しておりました。最近は、特に専門書はそもそも印刷部数が少ない上にあっという間に本屋の本棚から落ちてしまいますので、気がついたときに市中在庫だけと思って購入しないとすぐ手に入らなくなってしまいます。それはそれとして。

まあ開発コンサルタントの仕事が忙しかったのもありますし、老後の楽しみ?に取っておいたという側面もありますが、本棚にあるこれらの本の背をなんとはなしにみてはじりじりとしたプレッシャーを感じていたのも事実です。

はっきりいって仕事をしながら、全く仕事と関係のない専門書やアラビア語の本を読むのは不可能とはいえないまでも、現実として自分にはできませんでした。

現在もマリン業界に身をおいているため、当然、それほど趣味に時間をさくわけにはいきません。とはいえ、本職に力をいれるのは当然のことですが、目先の売上げや人間関係などだけに一喜一憂するのはどうしたものかと私は思います。

もう少し、ロマンを持って生きて行きたいなと、常々思っていますし、好きなことをする息抜きもないと人間、すぐに煮詰まってしまいます。

以前、進学をあきらめたとき、「勉強ならいつでもできるから」と母親には諭されました。それは事実ですが、もし職業としてそれを生業にするのなら、つまり研究者になるためには、その全く儲けにならないどころか勉強をさせていただくためにお金を払い続けなくてはならないつらい時期は、やはり当然‘その時’に経験しなければならない‘壁’というか‘道’であったと、今にして思います。

あの時やらなければ、職業「勉強家?」には成れなかった。続けていたとしても果たしてどうなったのか、今となっては全くわかりません。

でも現実として、私は就職して、全く違った分野で一から経験や勉強を実社会でさせていただきました。16年間も海外の仕事に携わることができ、毎年1年の何ヶ月かを開発途上国で働いてきました。最後は4年あまりの駐在員経験もできました。もともと政府開発援助の仕事なので、民間企業とはいえ、これは会社の経費というより「国民の税金」を元に世界を旅することができました。

思えば、1995年にアラブ首長国連邦のドバイを皮切りに、エリトリア、エジプト、ブルキナファソ、イラン、東ティモール、フィリピンなど短期や長期に住み込んで「歩きながら考える」機会を与えていただきました。多分、100回以上、国際線の飛行機に乗っていると思います。

ともあれ、たまたまというか日本の地元に戻りましたので、それらの経験をやはりなんらかのかたちで社会に還元していきたいと思っています。

そんなかんなで、常に「歩く仲間」を求めて自分の生きる途を追求していきたいと思いますので、関心や興味をいだく方がおられましたら、まずちょっとだけでも一緒に歩いてみましょう。

これは、まさに、10年前に「歩く仲間」プロジェクトを立ち上げたときの言葉のそのままなのですが^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0000.htm

ともあれ、これからもよろしくお願いいたします。

ではでは」^^?

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2009年1月22日 (木)

イスラエルで反戦デモ <転載記事>

ミクシイの友人から日記の転載の許可をいただきましたので、以下、転載させていただきます。

陽ちゃんママさんの日記より。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1055976479&owner_id=6360679&comment_count=5

このトピックは、「ガザのこどもたちさらーむ」の記事の続報と捉えていただいて結構です。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-6cf2.html

ではでは^^?

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イスラエルで反戦デモ   2009年01月18日23:02
派遣村とガザ侵攻であけた2009年。
↓↓知らなかった。ので思わずコピーしました。

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イスラエル首都でも市民が反戦に立ち上がる
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イスラエルのガザ侵攻に対して、3日(土)、イスラエル国内でも
大規模な抗議デモがありました。

テルアビブのデモでは、イスラエル全土から駆けつけた人々、
約1万人(!)が参加。イスラエルの人口は 700万弱、日本で
いえば 18万人(!!)が参加した勘定になります。

イスラエルの平和人権団体グシュ・シャローム(シオニスト左派)
が主導して、その他 23団体の呼びかけで実施されました。

同日、パレスチナ系人口の多い北部のサクニーンでもパレスチナ
系市民主体のデモがあり、こちらは 10万人が参加しています。
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3649584,00.html

しかし、日本のマスメディアでは黙殺されているのではない
でしょうか? 紹介しているのは、オルターナティヴのメディア、
個人ブログだけです。

マスメディアも共犯して、あからさまな情報操作が行われている
ことを、如実に表わす一例です。

以下、グシュ・シャロームのウェブページより、同デモの記事の
邦訳です。
〔邦訳: 岡真理/TUP; 凡例: (原注) [訳注]〕
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2009年1月3日 (土)
テルアビブで大規模反戦デモ

エフド・バラク[イスラエル国防大臣]がガザに対する残虐な地上
攻撃を軍に命令していたその頃、テルアビブでは、イスラエル
全土から駆けつけた、戦争に反対するおよそ一万人の人々が、
一大デモ行進を行った。テルアビブの幹線道路のひとつである
イブン・グヴィロル通りの 4車線すべてデモの人々で埋め尽く
された。参加者は、ラビン広場からシネマテックまで2キロの
道のりをずっと歌を歌い、旗を振りながら行進した。

「選挙戦は子どもたちの死体の上でするものじゃない!」参加者
はヘブライ語で韻を踏みながら叫ぶ。「孤児や未亡人は選挙宣伝
の道具じゃない!」「オルメルト、リヴニ、バラク! 戦争は
ゲームじゃない!」「全閣僚が戦争犯罪者だ!」「バラク、バラク、
心配するな――ハーグ[国際刑事裁判所]で会おう!」「もうたく
さんだ――ハマースと話し合え!」

プラカードの文句も似たようなものだった。バラクの選挙スロー
ガンをもじったものもあった。たとえば「バラクに愛想がないの
は、殺人者ゆえ!」(バラクのスローガンの原文は「バラクに愛想
がないのは、指導者ゆえ!」)。こんなのもある「2009年『選挙』
戦争に反対!」「6議席戦争!」。これは、戦争初日の世論調査で、
バラク率いる労働党が 6議席獲得の見込みと出たことに当てつけ
ている。

このデモ実施の前には、警察との衝突があった。警察は、右翼の
暴徒がデモ隊を攻撃するのを抑えることができないからと言って、
デモを禁じるか、少なくとも制限しようとしたのだった。なかで
も、警察はデモの組織者たちに、参加者がパレスチナの旗を掲げ
るのを禁じるよう求めてきた。組織者たちは高等裁判所に請願し、
結果、裁判所は、パレスチナの旗を合法と判断し、警察にデモ隊
を暴徒から守るよう命じた。

デモの実施は、グシュ・シャロームと、平和のための女性連合、
壁に反対するアナーキスト、ハダシュ、オルターナティヴ情報
センター、ニュー・プロファイルなど 21の平和団体が決定した。
メレツとピース・ナウは公式には参加していないが、同団体の
多くのメンバーがデモにやってきた。[イスラエル]北部からは
約1000人のアラブ系市民が 20台のバスを連ねて到着した。
サクニーンで行われたアラブ系国民主体の一大デモを終えて
すぐその足で来たものだ。

組織者たちにとっても、これだけの数の参加者があったことは
驚きだった。「第二次レバノン戦争開始の 1週間後、私たちが
反戦デモの動員に成功したのは 1000人だけだった。今日、1万人
の人々が参加したという事実は、戦争への反対が今回ははるかに
強いことの証だ。もしバラクが自分の計画を続けるなら、世論は
数日で全面的に戦争反対に転じるかもしれない。」

グシュ・シャロームの巨大な旗にはヘブライ語とアラビア語と
英語で次のように書かれていた「殺すのを止めろ! 封鎖を止めろ!
占領を止めろ!」。これらデモのスローガンは、封鎖の解除と
即時停戦を求めるものだ。

この抗議行動の日、極右は力ずくでデモを粉砕するために動員を
かけた。警察は暴動の阻止に極力、努め、ラビン広場からシネマ
テック広場までの 1マイルの行進は比較的平穏に運んだ。しかし、
参加者が警察との合意に基づき解散し始めたとき、右翼の一大
群集が彼らを攻撃し始めたのだった。警察は、それまでは両陣営
を近づけさせないようにしていたのだが、その場から姿を消した。
暴徒はこのあと、デモ隊の最後尾の参加者たちを取り囲み、嫌が
らせをし、小突き回した挙句、デモ参加者たちの最後の何人かが
シネマテックの建物に逃げ込むと、建物を包囲した。暴徒は建物
の内部に押し入ろうとし、 デモ参加者を「片付けてやる」と
脅したが、ぎりぎりになって何人かの警官が到着し、入り口を
守った。暴徒たちは長いこと、その場を立ち去らなかった。

このような状況のため、行進の最後に予定されていた市民集会を
開くことは不可能となった。スピーチもなされなかった。以下は、
グシュ・シャロームを代表してウリ・アヴネリがするはずだった
スピーチの英訳である。


私たちは
裏切り者だといわれる。
私たちは
イスラエルを破壊する者だといわれる。
私たちは
犯罪者だといわれる。

しかし私たちは言い返そう、
犯罪者とは
この犯罪的で無益な戦争を
始めた者たちだと!

無益な戦争、
なぜなら政府が
150万の
ガザ住民に対する
封鎖をやめさえすれば
カッサーム・ロケットを止めることは
できたのだから。

犯罪的な戦争、
なぜなら、なによりもまず、
これは公然にして恥知らずにも
エフド・バラクとツィピ・リヴニの
選挙戦の一部だから。

エフド・バラクを告発する。
国会の議席数をふやすために
イスラエル国防軍の兵士を利用したかどで。

ツィピ・リヴニを告発する。
自分が首相に
なるために
殺し合いを奨励したかどで。

エフド・オルメルトを告発する。
悲惨な戦争を利用して
腐敗と汚職とを
糊塗しようとしたかどで。

ここにいる
勇気と分別ある聴衆を代表して
この演台から
私は彼らに要求する。
今すぐ戦争をやめよ!
無益に私たちの兵士そして市民の
血を流すのをやめよ!
ガザの住民の
血を流すのをやめよ!

地上部隊の侵攻によって
もたらされるは
さらなる惨事、
大虐殺の応酬、
そしてなにより
おぞましい戦争犯罪!

この戦争の後
どの将軍も
戦争犯罪のかどで
逮捕される恐怖を抱かず
欧州の地に
足を踏み入れることはできまい。
他に方法はないと
私たちは言い聞かせられている。
それは違う!!!
今でさえ、そう、まさにこの瞬間にも、
停戦は可能なのだ。
わたしたちが殺人的な封鎖を
解除することに同意するならば、
わたしたちがガザの人々が尊厳をもって
生きることを認めるならば、
わたしたちがハマースと対話するならば。

南部の人々、
スデロット、
アシュドッド、 ビールシェバの人々よ、
聞いてほしい。
私たちとてあなたがたの苦しみは分かる ――
ともに住んでいるわけではなくても、
よく分かっている。
でもこの戦争が
あなたがたの状況を変えはしないということもまた
私たちは知っている。
政治家連中はあなたがたを食いものにしている。
政治家連中はあなたがたに乗じて
戦争を行なっている。
あなたがたも分かっているでしょう!

オルメルト、バラク、リヴニに
要求する。
兵士をガザに送るな!
お前たち 3人とも、戦争犯罪人として告発されるだろう!
お前たち 3人とも、この代償を払うことになるだろう!

今、お前たちに敬礼している
イスラエルの大衆は
明日はお前たちを罰するだろう。
それが第二次レバノン戦争で
起こったこと。
それが今度もまた
起こるだろう!

そしてここに立っているみなさん、
老いも若きも
男も女も
ユダヤ人もアラブ人も、
この身の毛のよだつ戦争に
最初の日から、
最初の瞬間から、
孤立し毒づかれながらも、
抗議の声をあげたみなさん ――
みなさんこそが真の英雄です!

誇りに思ってください、
心から。
みなさんはヒステリーと無知の嵐の只中にいて
吹き飛ばされることもなく
しっかと立っているのだから!
家庭のなかだけでなく、
ここ街頭においても、
皆さんは正気を保っています!

世界中の何百万の人々がみなさんを見ていて、
敬意を表しています。
みなさん一人ひとりに。

一人の人間として、
一人のイスラエル人として、
一人の平和を求める者として、
わたしは今日
ここにいることを誇りに思います。


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原文: "MASSIVE DEMONSTRATION AGAINST THE WAR" (Saturday 03/01/09)
平和人権団体 Gush Shalom のウェブページ上の英文声明
URI: http://zope.gush-shalom.org/home/en/events/1231029668
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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2009年1月19日 (月)

わたしにできること → 使ってやってください^^?

今日、岡崎のまちづくりのワークショップに参加してきました。

都心部の再開発がテーマなのですが、運営側のNPOの準備も基調講演も大変素晴らしく、有意義な会であったと思います。さっそく、私もNPOのメンバーにいれていただきました。

ところで、当たり前のことかもしれませんが、いるところには人がいるものだなあと実感。

まだ岡崎再デヴュー間もないですが、徐々に自分の生活圏を広げていきたいと思っています。

ところで、先般のパレスチナの記事について、ミクシイのほうで書き込みをひとついただきました。

「なかなかみたことも聞いたこともないところのことについては想像力が働かない。もっと身近で見たり触れたりすることのできる場所が必要ではないか」

やはり正確を期すために、ちょこっと引用させていただきますと、

「~略~

私の「リアル」じゃないんです。きっと多くの方がそうだと思います。

~略~ 写真や資料の展示会、イベントなど、自らの足を運んで見聞きできる・体験できる施設や機会が必要だと思います。

自分とは全く常識の違う世界。その世界の実情をいきなり理解しろ、というのは、口で言うより難しいことですよね。」

確かにおっしゃるとおりで、そのとおりです。

でも「リアル」ってなんだろう、最近とみに「想像力が大事」っていうけど、実は本当に非常に難しいことです。

でも、このコメント非常に参考になりました。

やはり私がやらなければダメだなと。リアルを伝えるには、リアルに生身の人間が語らなくてはならない。本やテレビでは発信側のメッセージは十分に伝えることができません。このミクシイやブログなどもしかり。

せめてというか地元岡崎でなんらかの発信ができるように‘手段’を考えてみます。ブログとかでのメッセージでは十分想いが伝えられないような気がします。たんなる一方的なメッセージではだめですね。

双方向のイントラクティブなコミュニケーションも模索してみます。

私にできそうなことやなにか要望がありましたら、ぜひぜひカキコしてやってください。

ではでは^^?

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2009年1月17日 (土)

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991) の目次です。

という記事の目次を紹介します。案内にあるように、私が大学生のときにつくったガイドですが、まだまだつかえるところもあるだろうということで^^?

最近結構いろいろなところでいっていることですが、どれほどまわり道であったとしても結局人間というか「生物は個体進化を繰り返す」しかないと思います。つまり‘自分本人’が学び続けなければ、何もわからないままで一生を終わってしまいます。

思えば、私も最近いい気になって、宮本常一氏の「あるくみるきく」を語っていますが、実はあまり言及されていないものの、彼の本当に尊敬できる点のひとつが「あるくみるきく」に加えて、というかその基盤として、膨大なモノ(文献資料など)を「読んでいる」ということです。

民俗学者「宮本常一」は、渋沢敬三との合作であって、渋沢翁が自宅のアチックミュージアムに宮本氏を居候させて彼の蔵書や人脈を自由に利用させなければ、宮本氏の「あるくみるきく」は非常に薄っぺらいものになっていたであろうと私は推測します。

私は、自分でやってきたという自負をもって、以下をご紹介します。当時手に入る限り、時間も自分の受容能力も省みず、書物を漁りノルマのように読みまくったという原体験は出来る限りの死力をつくしたということで、今でのひとつのよりどころとなっています。

当然、その後、17年の学問の進歩はすさまじいものです。でも、古典は古典であり、逆に基礎的なもののほうが一冊あたりの投資価値というか情報価値が多いです。どうしても後発組は先人の肩の上に乗って、その上に、少しを積み重ねる(それが難しい)わけですから、情報の密度は最初に言った人のほうが濃いです。

ともあれ、日本の中東研究者の言説はおもしろいです。巨人とでもいうべき学識が多くいるような気がしますね。身内びいきみたいですが^^?

ではでは^^?

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http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)



しばやんが、大阪外国語大学アラビア語学科の大学4回生の時にまとめた‘アラブ’や‘イスラーム’に関心がある人たちへの、究極?の学習ガイドです。(第一部、第三部)

また、リファレンスワーク(資料検索の初歩)について一章を設け、特に文系の資料検索にかかる‘コツ’みたいなものについてもふれています。(第二部) 

ただし、第四部、付録2については内容が古いので、利用にあたっては各自の責任で事前にご確認ください。

なお、1990年以降の文献につきましては、「しばやんの本だな」(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blistai.htm)および「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm)のコーナーもご参照ください。

『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』

 

電子ファイル版©2000.May.5

再録に際して 「あらたな地平線をめざして」 2000年5月5日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g0001.htm

初版©1991 (以下の収録内容は初版のとおり。但し、挿絵、図版を除く。)

<目 次>

 まえがき http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g001.htm                      

 第一部 文献案内編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g002.htm

    「アラビア語学習案内(辞書・文法書の紹介)」 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g002.htm

    「中東世界へのアプローチ(BOOK GUIDE)」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g003.htm

     <HOP>(初級編)    <STEP>(中級編)  

     <チョット休憩>(番外編)   <JUMP>(上級編)  

 第二部 リファレンスワーク入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

    1、はしがき                     

    2、資料の検索と整理術                

    3、第三部に関する文献案内とその補足         

 第三部 目録編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g008.htm

    「イスラム、アラブ関係書(文献目録)」        

     <その他>

     <単行本>

    <文庫本>

    <新書本>

 第四部 住所録編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g011.htm

    「イスラム、アラブ関係施設住所録」          

     <書店>       <専門図書館等> 

     <研究機関>     <レコード店>  

     <学会等>      <アラビア料理店>

 付録 1、雑誌類一覧  http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g010.htm                  

    2、アラビア語を教えてくれる所http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g013.htm          

 あとがきにかえて(旅行の勧め) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g014.htm

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2009年1月16日 (金)

ガザのこどもたち さらーむ

みなさんご存知の日本の誇るアラブ人類学者の片倉もとこ先生から、次のようなメッセージをいただきました。ようはこのメッセージを広く伝えてほしいとのことですが、具体的に何をするのか何ができるのかは、私もよくわかりません。

でも、この際、それもみなさんそれぞれ考えてみませんか^^?

このメッセージをみて何かを感じた人は、一言、自分のできること、思ったことを書いていただけませんでしょうか。ここではなく、直接、しばやんにメッセージを送っていただいて結構です。

では、よろしくお願いいたします。

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FACSIMILE TRANSMITTAL

Prossor Dr. KATAKURA Motoko(片倉もとこ)
Director General
  International Research Center for Japanese Studies
〒157-0062 世田谷区南烏山2-31-31-819
FAX 03-3305-6755

DATE: 2009 年 1  月  日
TO:
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パレスチナ、ますますひどいことになっています。
子どもたちの悲痛な泣き声が、耳をつんざく気がします。

戦闘している両方の背後に、武器産業が、がっちりとガードをかためています。今しも、おこっている世界経済不況を、戦争で解決しようという動きもあります。ヒズボラのうしろにいるイランと、イランに怨念のあるアメリカとの戦争にまで発展しかねません。戦争景気を期待している人たちもいます。

日本アラブ協会50周年記念式典祝賀会が、1月26日に挙行の予定ですが、お祝いの会をするかわりに、その予算をガザの子どもたちにおくることにしたほうが、アラブ協会のイメージもあがるでしょう。人間を愛しアラブを愛する人が、こんな悲惨な事態になっているなかで、のほほんと祝杯をあげるわけには、いかないでしょう。

そのかわりに、アラブを正しく理解できる「智恵の館」「さらーむの里」建設を記念事業としてやるのはどうでしょうか。いったん戦争がおこってしまえば、狂気と醜悪が人間を人間でなくしてしまいます。戦争をおこさないための智恵を出しあいたいと思うのです。さらーむ(平和)への想いがつのります。日本も、アメリカ、イスラエル、アラブに、それぞれ人を送るくらいのことは、たとえ徒労におわろうとも、するべきでしょう。

死者が千人をこえ、その三分の一が子供たちだという報をききながら、、、、、

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2009年1月14日 (水)

マザーテレサは、「愛の反対語は、無関心」 といいました^^?

パレスチナ情勢は、全然光明がみえず、依然、混迷を続けているようです。

果たして自分に何ができるのか、何が一体、正しいことなのか。そんなことを考えています。

‘知る’ことと‘行動’すること。

かのマザーテレサは「愛の反対語は、無関心」と看破しました。

見てみぬふり、知らぬふり、確かに何もしなくても生きていけるかもしれませんが、その無関心は自分自身に間違いなく戻ってくるものだと思います。

ちょっと話題が外れますが、この「開発民俗学」のコミュを「一国民俗学」ではなくて「比較民俗学」へとの架け橋となるべく鍛えていきたいと思っています。

同じ地上に生きるものとしての感動を分かち合いたい、共感の学問、血の通った学問であってほしいと思います。

‘学問’の定義自体も難しいですね。ここであえて‘学問’といったのは、追体験できるというか筋道立てて検証できるための道筋のひとつとして、単なる個人的な感動にとどめておきたくない、そんな技法なり手法として示したいという意図で使っています。

能書きばかりいっていてもだめですな^^?

具体的な事例にそって考えていきます。

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ということで、「mixi「開発民俗学 ~地域共生の技法」で、メンバーの意見を募っています。

わからなくてもわからないなりに声をあげていくこと、われわれの人生や未来を、どこかの誰か偉い人やモノに簡単に預けてはいけません。

自分の住む世の中は、自分でよくしていく。

そんな心意気を忘れないでいきたいと思っています。

ではでは^^?

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2009年1月 8日 (木)

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか? (2002年の記事の再掲です。)

すでに7年前の記事ですが、中東問題に対する私のスタンスがよくわかると思いますので、あえてここに再掲載させていただきます。ちなみに、「勉強会」は約10回の活動を経て、私のフィリピン駐在のため終了しております。

アラブ・イスラーム地理書・旅行記 勉強会 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm

ではでは^^?

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2002年9月1日

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか?

(同時多発テロ一周年によせて)

2001年9月11日、アメリカのニューヨーク、ワシントンD.C.その他で突如勃発した同時多発テロは、たぶん同時代に生きる多くの人々にとって決して忘れることのできないものとなったであろう。イスラームの挑戦とか、多くの論者がさまざまな私案を発表しているが、その背景はそんなに簡単に一言で言い表せられるものではないのだろう。

約10年前、私は、大阪の片田舎で、ほぼ世間と隔離された環境でオレ本(オレンジブック=電話帳のイエローページみたいな厚くて馬鹿でかい本)などというミシガン大学で編まれたアラビア語の教科書と日々格闘していた。何かがあると信じて入ったアラビア語学部、当初の目論見では、モロッコからイラクまで、北アフリカからアラビア半島まで話されているというアラビア語を勉強すれば、たとえどんな職業に就こうともつぶしがきくし、などと浅はかにも考えていた。

大学入学当時に想定していた職業は、外交官になってもいいし、現代の問題をやってジャーナリストになってもいいし(当時、イラン・イラク戦争の問題やパレスチナ問題など話題に事欠かなかった)、中世史をやって研究者なってもいいし(当時、ようやく「イスラームからみた十字軍」などという本が話題になりつつあり、近代ヨーロッパ文明に対するイスラームの中世における優位性を「再」発見しようとする大きなムーブメントのなかにあった。)という気もあったし、まあ月並みで今思えば大甘ちゃんな「青年よ大志をいだけ」という言葉しか知らない若造であった。あと、イスラームという宗教に、近代西欧文明に対する精神的なアンチテーゼとなりうる「何か」があるのではとも考えていた。

そんな学生時代のある日、イラクとクウェートとの間で湾岸戦争が勃発した。(1990年~1991年)当時から、イスラーム世界は、10年ごとに問題?を起こすといわれていた。近年だけを振り返っても、下記のような数字に見ることができるだろう。

1967 年 六月戦争(第3次中東戦争)、

1973年 アフガンで王政打倒のクーデター、共和制へ、十月戦争(第4次中東戦争)、

1979年 イラン革命、

1980年       イラン・イラク戦争始まる。1988年 イラン・イラク戦争終結、

1990-1991年 湾岸戦争、

2001年9月11日 8:45 アメリカ同時多発テロ(ニューヨーク、ワシントンD.C.)

2001-2002年 テロに対する戦争(2002年 アフガン陥落)

 ちょうど1989年には中国で天安門事件があり、ドイツではベルリンの壁崩壊があり、冷戦終結のムードの中で、なぜ、湾岸戦争なのか?という思いを感じた人たちの数は数億を下らないであろう。その後、残念ながら、冷戦終結後にも引き続き地域紛争は続き、1945年の第二次世界大戦自体が、まだ終わっていないなどという識者がいるほどである。

 そんな学生時代、イラクへの空爆をテレビでリアルタイムに見なければならなかったことは、はっきりいって精神的苦痛の何者でもなかった。(物理的にはテレビ受信装置があって、キャメラで捕らえた映像をリアルタイムで衛星放送することなど技術的には当時でも難しいことではなかった。)なぜ、人は平気で、まるでテレビゲームをみるように戦争を「眺める」ことができるのだろうか?あの爆撃の下で、何万人の人の命が失われようと、「正義」を語るあなたの前に全ての人間はひれ伏せなくてはならないのであろうか?

 この現実感覚のなさとでもいうのだろうか、ブラウン管の向こうに見えるものと今生きている自分と何の接点もなく、まるで映画でもみているような浮遊感に陥れてしまうメディアのあり方は、倫理上、決して許されるものではないと思う。(これは、その後、数年後に「マトリックス」という映画でみごとに逆説的に描き出された。放映当時は知らず、数年前に始めてみたが、はっきりいって、私はこの映画のコンセプトというかリアリティのあり方に戦慄を覚える。まさに現実と仮想との狭間を突くようなテーマであったから。)

 2001年9月11日の午後11時過ぎに、明日提出の仕事の最終取りまとめをしていた私たちは、約10年前と同じく、まるで、ハリウッド映画をみるように「航空機が、ワールドトレードセンタービルに突っ込んでいく」のを、なすすべもなく、ただただみつめるしかなかった。

 さて、1991年当時に戻ってみると、「湾岸戦争」などというものに、アラビア語やイスラームを学ぶものとして出会ってしまったがゆえに、青臭い正義感などを差し置いて、ふとこんなことを思ったのである。

 今、イスラームやアラブに関して、現代的な話題にばかり目がいってしまっている。あやしげな軍事評論家や、知ったかぶりのコメンテーターが偉そうに語るほど、アラブやイスラームは上っ面だけの簡単なものであろうか?果たして、われわれ日本人は、彼らの何をどれだけ知っているのだろうか。中世ヨーロッパのルネサンス以前の最先端地域であったアラブ・イスラームのコスモポリタンな都市文化(文明)について、まだ十分に日本では研究されていない。そうだ、こんなに移り変わりの激しい現代史を追うよりも、もっと歴史的に掘り起こして、われかれの違いを知ることは十分意味があることなのではなかろうか?

 そんな私が卒業論文のテーマとして取り組んだのが、中世12世紀におけるイタリアのシチリアであった。当時、ノルマン朝で12世紀ルネッサンスの一つの拠点となったイタリアのパレルモの宮廷は、イスラーム教徒、キリスト教徒やユダヤ教徒、ギリシャ語、ラテン語とアラビア語の入れ混じる高度に成熟した文化を誇っていた。その側面を見るのに使ったのが、イブン・ジュバイルというアンダルシア(スペイン)のイスラーム教徒の旅行記であった。そのシチリアは、「寛容と共生」の精神を具現したものと後世、言い習わされてきたが、果たしてどのような世界であったのだろうか?残念ながら、アラブ側からの資料では、とてもシチリアの中世世界を解き明かすことはできない。たまたま、高山博という15歳年上の研究者が、すでにラテン語、ギリシャ語、加えてアラビア語の原著から12世紀のシチリアの研究を、当時(1991年)で、もう10年来研究していることを知って、あっさりとシチリア自体の研究は諦めた。

 (イブン・ジュバイルの『旅行記』は、藤本勝次・池田修監修で1992年に関西大学出版部より和訳が公刊されている。また、高山博先生のシチリアに関する研究は、『中世地中海世界とシチリア王国』 東京大学出版会 1993年、『神秘の中世王国 ヨーロッパ、ビザンツ、イスラーム文化の十字路』 東京大学出版会 1995年として、公刊されている。)

 ともあれ、中世のイスラーム社会は、「知(識)を求めよ。中国からモロッコまで、ゆりかごから墓場まで」(アラブのことわざ)」と言われるほど、広域なネットワーク社会を誇り、実に多くのイスラーム教徒が、「平和の家・戦争の家」というイスラーム圏とそれ以外の異教徒の世界との区別意識は持ちつつも、メッカへの巡礼を契機というかきっかけにして、世界中へ商売もしくは学問追及の旅に乗り出していったのである。(この状況については、『アラビアンナイト』でも多くの説話として取り上げられている。例えば「シンドバードの冒険」は特に有名であろう。ただし、異本扱いだが。)

 1991年当時、イスラームの大旅行家といわれたイブン・バッツゥータの旅行記は、前嶋信次先生の抄訳しかなかったし、他のイスラームの文学者、文化人の著作についても、高校の教科書で名前とその主著書について大学受験のために暗記させられるものの、完全なアラビア語から日本語訳された翻訳書は、皆無の状況であった。これは、ちょっと考えればわかるが、彼ら(アラブ・イスラーム教徒)の誇るべき先達たちの業績を、日本人は全く知らないということなのである。つまり、誰もが国語や社会で常識として知っているアラブ文学史上の綺羅星の数々を、われわれ日本人は不幸にも全く知らないのだ。)

 その後、ほぼ10年経って、確かにイスラームに対する日本人の理解は進んできたといえ、当然、関係者の真摯な努力には敬服するが、まだまだ、このイスラームの知識人たちの残した膨大なアダブ文学や地理学・旅行記に関する地道な書誌学的な研究や、一般日本人への紹介の作業は、その課題の広大さに比して、遅々としてしか進んでいないようにみうけられる。

 現実問題として、アラビア語原典を読めるような高度なアラビア語古典の知識を身に付けることは、一朝一夕にできることではなく、アラビア語の会話ですら、けっして日本人にとってやさしいことではない。

昨年(1991年) 、イブン・バットゥータの『大旅行記』の原典(アラビア語)からの日本語全訳を完成させられた家島彦一先生にある研究会でお会いしたとき、この翻訳を思い立って完成するまで20年かかったとおっしゃっていたことを思い出すと、確かに、この手の作業は果てしのない事業だとも思ってしまうのである。(また、ある学生より、家島先生に「30年やってようやくアラビア語が少し分かるようになりました。」といわれて絶句したということも別の機会に聞いた。)

それでも、たとえそうはいっても、このまま手をこまねいていてよいものであろうか?決して採算ベースに乗らなくても、はやり(流行)でなくても、やはりアラブ・イスラームの古典を研究して、日本人の教養というのは大げさにせよ、知識の一部に、ちょうど中国やヨーロッパの古典と同じく、アラブ・イスラームの考え方の一端でも共有することができるのならば、今後の21世紀の世界市民の一翼を担ううえで、大きなアドバンテージを得ることができると考えられる。

このイスラーム地理学・旅行記研究は、大学を卒業後、就職して働きながらも、何となく頭の片隅を離れない10年来の宿題であった。必ずしも、十分にこのことだけに時間をさけるわけではないが、たとえ遅々として進まなくても、多分、「開発学研究」のあわせ鏡となるライフワークの一つになると思う。

 今後、2003年1月を目処に、上記にかかる読書会を計画している。また、この勉強会の成果も踏まえて、HP上に、『アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会』というコーナーを展開していきたい。関心のある方の、ご参加やご指導をよろしくお願いいたします。

読書会の詳細はこちらへどうぞ。

(この項終わり)

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