フィリピン関係

2009年2月 1日 (日)

東南アジアで聴くアメリカ音楽~クリスマスインサマー@フィリピン

開発民俗学のコミュへの書き込みに対する私のコメントですが、なにか楽しげな話題なので、ちょっと引用させていただきます。

開発民俗学 「地域共生の技法」
想い出の唄を語ろう! <フリーセッション>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37638846&comment_count=6&comm_id=2498370

-----------------------------
(前略)

でも本当にバンコクやマニラで洋楽が聴けるというのも考えてみればへんな話ですよね。

マニラというかフィリピンは20世紀の始めにアメリカの植民地であったので、太平洋戦争後の歴史もふまえて、まあアメリカ文化の影響が大きいのはわかるのですが、タイや他のアジアの国でもアメリカ文化はあふれています。これが都市部だけの問題なのかわからないのですが。

あと笑ってしまうので、フィリピンのクリスマスデコレーション。
クリスマスツリーや、電飾の飾り物が9月から街を彩るのですが、ホワイトスノーのクリスマスツリーやサンタクロースの飾り物はないだろう!と思うのですが、なにげにマニラのモールでは欧米のクリスマス用品が売られています。

日本では手に入らないようなおもしろいクリスマスグッズがあるので、私は個人的に非常にフィリピンの「クリスマス・イン・サマー」も好きなのですが、文化的にみたらどうなんでしょうか。

また世界中がケーブルテレビネットワークで結ばれて、都会では24時間世界中の最新のニュースや情報が入るようになっているので、特に都会のエリート層にとっては(文化的に)なんでもありの状況になっているのは、日本の東京の例をとるまでもなく途上国でも同じなんだろうかなあと思います。

フィリピンのマニラで暮らしておもしろかったのは、日本を相対的にみれることでしょうか。NHKなんて、大本営発表ではないですが、かなり恣意的なニュースしか流していないこともよくわかりましたし、(CNNやBBCのみならず、他の国のテレビと比べてしまうと)フィリピンのマスメディアも結構すごかったです。あと、フィリピンでも韓流がブームだったなあ。

でもそのようなグローバルな地平線の中で、選ばれていく‘情報’ってなんなのだろうと思いますね。

なにかかなり脱線してしまったような気もしますが^^?

ではでは^^?

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2008年10月30日 (木)

For your Smile しばやん@ギマラス島

ということで、フィリピンの写真を「Life, I Love You!」にアップしました。

Cci20081029_00000 「マンゴーを売る兄弟(たぶん)」

しばやん@ギマラス島

フィリピン

2005年3月

「歩きながら考える」の「ブログ版 歩く仲間」はちょっと充電中ですが、「Life, I Love You!」のブログは再開しました。

ぜひぜひ遊びにいってやってください。

ではでは^^?

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2008年4月22日 (火)

フィリピンで歩きながら考えたこと

暫定的なものですが、しばやんがフィリピン‘で’歩きながら考えたこと(記事)をリストアップしてみました。

実は、HPとブログを2つも持っているので、どこにどの記事があるのやら検索が大変なのです。駄文や雑文もありますので、まあフィリピンがメインの舞台で、ちょっと後で読み返したいような記事をピックアップしてみました^^?

一応、古い順です。

フィリピンのレイテ島とマニラで考えたこと
(あるいは地域間格差のこと) 2002年8月25日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00017.htm

Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語) 2003年5月4日
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

海への憧れ-海は隔てるものではなく、つなげるものである。
<アジア島嶼部研究のダイナミズム> 2004年9月2日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00023.htm

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) 2005年3月23日 

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

しばやんのアウティング@スービック 2005年6月2日
(米軍 海軍基地跡とピナツボ火山噴火の後をみて思ったこと)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00027.htm

フィリピン‘で’開発を考える 2006年2月15日 アップ

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/rc003.htm

『封建領主は、単なる‘悪の親玉’なのか!』 2006年12月1日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2006Summer.htm
しばやんon the site現場に謙虚であること。 2006年4月19日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog023.htm

‘生きる’ということ。 2006年5月7日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog025.htm

詞集 『ことのは(言の葉)拾い』(フォトエッセイ) はじめに 2006年12月10日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha000.htm

日は昇り、日は沈む あたりまえのことなれど、同じものはなし。 2007年1月15日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha004.htm

農民の比較 70年前の日本とフィリピン 2007年3月8日(木)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog056.htm

ある調査風景 ・・・ ミンダナオ島の農地改革地区  2007年4月20日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha009.htm

なお、最新の記事は、こちらも参照ください。

「フィリピン関係」 @ 『ブログ版 歩く仲間』

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat3695801/index.html

「halo halo life(in Philippine)」 @ 『Life, I Love You!』

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/halo_halo_lifein_philippine/index.html

ではでは^^?

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2007年7月29日 (日)

10回目の勉強会^^?

今日、会社の事務所のビルの会議室にて、「第10回 NGO懇談会」と「第10回 フィリピンで開発を考える」共催の勉強会が行われました。

両方とも基本的にクローズな会なので詳細は省きますが、前者はとあるきっかけでフィリピンで活躍する日本のNGOの方々の懇談会にオブザーバーみたいな形で参加させていただいたのがきっかけ、後者は、2005年6月10日にODA関係の方と私の二人が発起人となって始めた勉強会です。

「フィリピンで開発を考える」の方は、当初、月に1回を目処にしていたものの、メンバーの異動(任期が終わっての帰国)や、講演者の手配も難しく、2005年に4回、2006年に4回、2007年は、今回で2回目で、ようやく10回目を数えました。

思えば、東京では「若手会」をやったり、「アラブ・イスラーム地理書勉強会」をやったり、自分ながら、よくやってきたと思います。ちょっと、‘自分で自分をほめてやりたい’気分。

幸いなのは、幹事というか世話人の仕事が自分には、まったく苦にはならないということ。「パシリのしばやん」って言われていた(自称)こともあったっけ。

だいたい幹事には役得?があるものだそうですが、全然、そんなおいしいことはなし。

↑このままでいいのか?という声もありますが、それもよしとしましょう^^?

‘歌って踊れるコンサルタント’、さらには‘MCしばやん’(マスター・オブ・セレモニー)をめざす男。でも、やっぱり旅の仲間は必要ですな。ちょっと‘しみじみ’してしまいました。

でも、インフォーマルセクター(実は単なる飲み会)担当のパシリから、ちょっと‘まじめな’会のオーガナイザーへ。しばやんは、常に進化し続けます。

↑誰に語っているのやら^^!

ではでは。

P.S.

昔とった杵柄っていうか、いずれもまだ機会があれば再開したいと思っています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm 若手会について

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it0004.htm 地理書勉強会

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog045.htm MCしばやん

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00012.htm 歌って踊れる

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030018.htm ‘はびこって’いたわたし

また、フィリピン在住の方で、上記2つの勉強会に関心のある方は、しばやんまでご連絡ください。

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2007年4月25日 (水)

選挙の季節 フィリピンも!

さて、久し振りにフィリピンの話題にふれます。ところで、日本でも統一地方選が4月22日(日)に終わったところですが、以前もふれているように、ここフィリピンも5月14日投票・即日開票の中間選挙に向けて全国津々浦々、選挙活動の真っ只中です。

Pict7375 まずは、マニラの市街の様子から。フィリピンではバランガイ(最小行政単位、日本でいう町内会みたいな規模と感じです)ごとに、主に守護聖人によるフィエスタというお祭りが年に一回あるのですが、そのときに、道路の上に常にセットされている?糸にというかコードに、カラフルなカラーの旗をつけてフィエスタ気分を盛り上げます。

先日、マニラに住む日本人の仲間と話す機会があったのですが、フィリピン生活経験がもう5年以上になる彼女がいわく、「フィリピンの選挙が、フィエスタ(お祭り)であることが、ようやくわかった。」というエピソードを紹介しましょう。「なんか、選挙になると(NGOの生計向上のプロジェクトのメンバーの)お母さん方が、全然、活動に参加しないのよね。なんで、そんなに忙しいのかってきいたら、「選挙で。」って別に何もしているわけでもないのに町が選挙で盛り上がってしまっていて、「いろいろ大変なのよ。」ってことで、そうか、こちらの人にとっては、選挙も祭りと同じ(非日常の場)なのだ。と納得した。」ということで、確かに、みかけだけとってもこりゃフィエスタですわ。

Pict7398 もう、町の商店の壁にもポスターがべたべたです。あとすごいのが、トライスクル(三輪自転車のタクシー)の客席の後ろに候補者のポスターをはったり、候補者の名前入り(さらにすごいのは顔写真つき)のカラフルなTシャツをおそろいできて乗務していたり、本当に、一目で選挙中だなあと感じます。(そのうち、写真を掲載しますね。)

Pict7399 ところで、フィリピンの選挙の激しさもまたよく知られているところです。

フィリピンはそもそも今でも‘国’でないという話があるのですが、まるで地方の豪族というか茗家というか一部の有力なファミリーに政治・経済からアンダーグランドまで牛耳られているという話もあり、選挙では、本当にファミリー対ファミリーの抗争というか、政敵の暗殺というか、実に血をみる激しい選挙運動が繰広げられます。そもそも犯罪率も高い上に、選挙になるとさらに熱くなるというところです。

日本では、投票日直前の4月18日に長崎市長が暴力団に狙撃されたということで、非常に大きなニュースになっていますが、‘フィリピンの選挙で血をみるのは結構あたりまえだからなあ’と、すっかりフィリピンボケしている自分に気がついて、ちょっとぞっとしました。

「暴力や武力による民主主義や自由な言論への挑戦は、断固として許してはならない」というような言説が日本で高まっていると思うのですが、そのようなこともありうる世界(フィリピンも一例)に身をおいてみると、そこまで‘民主主義’や‘自由’が絶対無比の価値をもつものなのだろうかと、ちょっと身を引いて立ち止まってみたくなります。(フィリピンも建前としてはアメリカの忠実な弟子(20世紀初頭から太平洋戦争までアメリカの統治下に置かれた)であり、‘民主主義’国であるのも、また事実であり真実です。)

確かに‘あるべき理念’の‘ひとつ’なのかもしれないが、まだまだ世界は広いし、そこまでたどり着いていないというか、多分わかっていても実現できていない地域や国があるのも事実です。この事実や現実に対して、とにかく‘民主主義はすばらしい’のだから、みんな全世界がそのルールに従うべきというのは、わたし的には、かなり無理があるなと思います。‘Democracy’と日本語にいう‘民主主義’とは実は似て異なったものとなってしまっています。もともと明治時代に輸入された概念は、言葉を変えると共に、その中味も日本人が勝手に作り変えてしまいました。別に英語や元の言語による‘本来’の定義に戻れという気もないし、その必要はありません。

なんとなく(本当は違っているかもしれないけど)合意できる範囲での意味での共通認識がもてれば、まずはいいのではないのかと、そして、やはり、世界は言葉ありきではないので、現実から、誰もが共感・同意できる価値観を探っていく。わたしは、多分、それは非常に簡単(シンプル)な言葉であるだろうと想像しますが、それだけでもOKではないかと思うのです。

無理に‘理念’や‘あるべき論’からはいるのではなく、現実の世界から我々がその場でできる範囲での実行と、そのちょっと先にあるであろう‘理想’を追っていく、そんな仕事(生活と言い換えてもいいのですが)の仕方がしていきたいと思います。

現実を見据えた上で、何をするのか、何ができるのか。世界というか世の中、いろいろチャレンジング(挑戦しがいのある)です^^?

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2007年3月 8日 (木)

農民の比較 70年前の日本と今のフィリピン

今週の日曜日(3月4日)から今日まで、ミンダナオ島に調査に行ってきました。

ダバオを起点に、中部ミンダナオの農地改革地区を見てまわったのですが、やはり久し振りの現場は心踊るものがあります。

以前、別のところでも書いたと思いますが、私は、大体3冊ぐらいの本を並行して読んでいます。特に旅行のときは、それなりに移動中とか集中して読めるので、旅に持っていく本を選ぶのは、それなりの楽しさがあります。

さて、これら旅先で読む本は自宅や町中の日常で読むのとは別の趣があります。今回は、ずいぶん前から読みかけてはいたのですが、なかなかページが進まなかった文庫本 猪俣津南雄 『踏査報告 窮乏の農村』 岩波文庫 1982 を持っていきました。旅先には、やはり文庫本か新書本がかさばらなくていい。

Konkyu ところで、この本、天下の岩波とはいえ今の飽食というか贅沢な日本の世の中、いかにも売れそうにないタイトルです。私の持っていった本は定価400円のところ300円で買った古本で、1988年時点で5刷。その当時としては結構売れたのでしょうか^^?

この本は、戦闘的マルクス経済学者である猪俣津南雄氏が、昭和9年の昭和恐慌下の東北から中国地方まで、解説にいわく青森から岡山まで2府16県にわたる農村踏査して書いた報告(ルポルタージュ)で、「初篇 窮乏のさまざまの型」、「中篇 農民から観た農村対策」そして、「終篇 農民の喘ぎ求めるもの」からなっています。

開発途上国の農村開発の仕事が会社の本業で、私もその末席に名を連ねているわけですが、途上国の農村を考える場合に、少なくともアジアに限ってみても、やはり日本の経験は非常に参考になります。

確かに、人間もメンタリティーも自然状況も違うのですが、マルクス経済学者であるのを差し引いても、特に貧農を分析するのにあたって、「自然経済と商品経済の矛盾」と看破しているあたり、問題意識の立て方、その実地調査の経験、事前に質問票を関係者に送っていたようですが、広範な行政官、農民をインタヴューして得た生の声の分析は、今でも十分、納得できるものでしょう。

ただ、わずか70年しか昔でないのに、しかも自分の生まれ育った日本のことなのに、ここに描かれた農村や農民が具体的にイメージできなかったのが個人的には残念でした。それだけ、私たちの生活が変わってしまったことと、農民が大多数であった祖父母の時代から、給与所得者が大多数となった父母の時代、そして、職業の選択肢がサラリーマンしか思い浮かばないようなわれわれの世代の断絶と、都市化の進捗の激しさをも象徴しているのでしょう。

ともあれ、今、先進国の開発援助のコンサルタントや学者の間で話題になっている地域開発や農村開発の理論や政策が、既に、70年前の日本でうまくいかなかったことが如実に説明されていることを知るのは、まったくもって皮肉なことです。今から挑戦しようとしているアイデアが、もうとっくの昔に失敗しているよと、いわれるようなものですから。

でも、われわれはうすうす気づきはじめていることなのですが、実は「貧困」問題は「資本主義の近代経済学」では解くことができません。今、途上国で起こっていることは、この本で述べられているような「自然経済と商品経済」の相克というか、今風に言えば、「如何にグローバリズムと対峙するか」という問題なのです。

まあ、実際に、フィリピンの農地改革地区の農民をインタヴューしながら、70年前の祖父母の時代の日本の農民に想いをいたすというのも、楽しい?というかむしろ切ない体験でした。

所詮、自分は外国人で通りすがりの異人でしかないのだけれど、実際に、この地に足を踏ん張って生きていかなければならない人たちが、どこに行ってもいるわけです。

せめて彼らの気持ちに「寄り添いたい」という気持ちが大切なのではないかと思います。それだけしかできないことは辛くもありますが、それもまた現実と受け止めていくしかないのでしょうね。もしかしたら、このようなものいい自体が傲慢なのかもしれません。

まあ、あきらめずにしつこくやっていきましょう。

ではでは^^?

P.S.

ところで、自分は右翼でも左翼でもないつもりですが大学生時代に「マルクス経済学」の講義を履修しなかったのを、今になって後悔しています。‘ぐらい’なんていうと、本当に失礼ですが、やはりマルクス経済学の取っ掛かりくらいは押さえておきたかった。

まあ思い立ったらなにやらで、いろいろやりたいことやら知りたいことが増えて、それもまた幸せなことです。日が暮れてなお道遠しとならないように^^?

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2007年2月 2日 (金)

5月の選挙の前哨戦がはじまりました!

しばやん@マニラです。

2007年も明けたかとおもったら、もう2月です。

こちらフィリピンのマニラも本当はもう乾期になって、どんどん暑くなるはずが、ここ数日曇りがちで、結構、朝が寒いっす。とはいえ、日本に比べたら全然暖かいのですが・・・。

私の会社は基本的に日本の政府開発援助の仕事がメインなので、これから日本でいう年度末(3月)に向けて、いろいろフィリピンでもプロジェクトも動き出しそうで、その受注活動に弊マニラ事務所の忙しい日が、当分、続きそうです。やはり仕事あっての駐在員ですから、いろいろ考えたり準備したり忙しいのはありがたいことだと思います。

ところで、フィリピンの政治面では、やはり今年は非常に大きな節目の年で、5月14日がフィリピンの中間選挙(国会の半数および地方行政団体)の開票日ということで、いよいよ立候補の受け付けが始まり、フィリピン全土での選挙戦がどんどん激しくなりそうです。こちらは、本当に、飛び道具がでるというか、非常に命を賭けた激しい選挙戦があらゆるところで繰り広げられます。大体、選挙の度に、何人もの死者を出しているようです。とにかく、外国人は用心するにこしたことはありません。

また現職の政治家も議席を守るのに必死で、選挙の3ヶ月前から新規の予算執行ができなくなることから、駆け込み公共事業が、あらゆるところでどんどん始まっています。日本でも年度末の予算消化?のための公共事業がたまに問題になりますが、こちらの選挙の直前の公共事業は市中の失業対策にくわえて、現職政治家の実績づくりの意味が大きく、とにかく「だれだれプロジェクト」という写真入りの垂れ幕があらゆるところで貼られています。フィリピン国民にとっては、それでも公共事業が行われる(大盤振る舞い?)こと自体は、よいことなのか嬉しいことなのか、外国人としては、非常に気になるところでもあります。

では、今月も、がんばっていきましょう。

ではでは^^?

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2006年9月30日 (土)

台風ミレニヨ(第15号)

お元気ですか。

先週、9月28日(木)にマニラ首都圏を直撃した、台風ミレニヨの被害はまだまだ続いています。9月30日現在、71名が死亡、多数の方が洪水や土砂すべりなどで依然行方不明です。

とりあえず私はマニラの限られたところしかわからないのですが、とにかく風が強くて、多くの街路樹や、道路沿いの縦20メートル横10メートルというような巨大広告塔(ビルのうえなどに鉄柱でフレームがあり布?の広告が貼られている)がごろごろ倒れていたり、水路沿いの地区は冠水していたり、電気が切れたり、マニラでもまれにみる被害だそうです。

まだまだ復旧が続いていますが、また来週にも新しい台風が来るそうです。

ともあれ、元気にやっています。

しばやん

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2006年5月 7日 (日)

‘生きる’ということ。

しばやん@マニラです。

いきなり大上段なタイトルで恐縮ですが、フィリピンに暮らしてみて、最近、特に日本との対比という意味で、こんなことを考えています。

わたしの視野や視点というのも極めて限られた経験でしかないのですが、特に日本と比べて、ここのフィリピンの人たちのほうが、‘生きる’ということに対して真剣なのではないのかと感じています。

基本的に首都のマニラに暮らしているので、そこをベースに考えるしかないのですが、アーバンプア(都市の貧困)の問題は、眼にも入りやすいし、頭の痛いところですが、単なる貧しいひとや卑しい仕事をしている人、ぐうたらな人とか、憐憫の目だけで見ていいのかという根本的な問題があります。これは、道徳の教科書に書いてあるような理屈や理論の話ではなくて実感として、どうとらえるかという問題で、わたしは書いています。

仕事柄、マニラを車でいろいろ移動することが多いのですが、特にフィリピンのドライバーは、道路渋滞で待たされることが嫌いみたいで、とにかくわき道に入って、いくら大回りでも車を動かしていたほうがよいという思考パターンがあるようで、よく下町というかスラムのわき道に入ったりするのですが、そんなところで、ドライバーの話を聞くと非常に勉強になります。

たとえば、昔は、ギャングが抗争していてもっと物騒だったとか、あのベンダー(路上で物を売る人)のおばちゃんやおじちゃんは、何十年も前からやっているとか、今日の話では、あの汚い身なりで道路をうろうろしているおじちゃんは、昔はタバコや小物を道路で売ったり、その後、道路の交通整理をやっていたが、食べられなくなって精神がおかしくなって、今は、道路をうろうろしてコインを手に入れようとしているとか、あのおばちゃんは、何十年前はきれいだったとか、その変遷というか歴史を聞いていると、人に歴史ありというか、今にいたるそれぞれの生活の格闘を感じたり、スラムの住民自体が、再開発のためにバラックを、ミニシパリティからお金をもらって壊していたり、片やプロのスラム住民というか、再開発の立退き料を目当てに自分の家があるのに紛争地に住み込んでいる住民(たいてい、元締めの乞食の親分みたいな手配師がいるみたいですが)の話や、政府が強制移転させたり、再定住のための団地を作っても、スラムの人はお金が払えなくて結局、そこに住めなくて、その団地がゴーストタウンになっているとか、その物自体を見ながら考えるということは、非常に勉強になります。

この手の話は、非常に多くていろいろ具体例をいくらでも挙げたいのですが、それらをみて思うことは、本当に、生きるということに対して、誰もが必死に生きている。確かに傍目には、ぐうたらで仕事にしていなくて(実際は3Kの仕事や水商売をやっていたりしているあわけです)、昼まっから博打をしたり遊んだり歌ったりしているようですが、少なくとも日本の人より’生きる’ということに必死になっているのではないかと、最近、つくづく思います。

フィリピンでは、6ヶ月以上雇用すると正社員にして社会保障をすることが事業所に義務付けられています。これは、たぶん労働者の身分保証のための法律がそもそもの出発点であったと思うのですが、資本主義のオーナーはこれは逆手にとって、コンビニやファーストフードなど特にサービス業の従業員は、6ヶ月未満の短期契約を強いられています。つまり、6ヶ月ごとに次に契約してもらえるかどうかを、常に気にしなければならないということです。フィリピンは、小学校6年の後に、中学校と高校が一緒になった5年のハイスクールがあり、その後に大学となるわけですが、ハイスクールを卒業すると、17歳か18歳なのですが、正規社員で雇われるのには、20歳かなにか2年ぐらいの空白期間があって、実際、ハイスクール卒業では、マニラ首都圏ではまともな職業に就けません。フィリピンの失業率は、公式には10数パーセントといわれていますが、実際には、先に述べたように契約社員も多く、特に若者の失業率(仕事がない)が高く、潜在失業率は、40パーセントにもなるという話もあります。

それでも、みな生きていかなくてはならない。最近、フィリピンに住んで十何年になるという日本人の方と話したのですが、たとえばスカベンジャー(ゴミ拾いの人、フィリピンではスモーキーマウンテンが有名。今は、パタヤスというところにゴミ捨て場が移動しているようですが)の人に対して、いろいろマスコミが取り上げたり、NGOが教育支援とか里親支援とかしていますが、一つの職業としてみれば別に恥ずかしいことでも哀れむべきことでもなく、社会が必要としていることであり、それで生計を立てること自体を問題にすべきではないという話をしました。私は、それが適切な言葉であるかどうかはさておき、彼が「人間分別機みたいなものですよ」といったときに、それはそれで真実であるかもしれないと思いました。

途上国の廃棄物処理については、現在、結構、ODAの現場でもホットな課題であります。しかし大規模なプラントや焼却施設や分別施設の建設以前に、人件費の安い途上国では、人力での分配はあたりまえであり、しかも職業としてなりたっていること自体は、それなりに積極的に評価すべきことであると思います。日本的な発想で、3K排除のために機械をいれればよいという問題ではないと思います。

ゴミを拾って分別して再利用するためにそれぞれのマテリアルの専門の収集業者に渡して、お金をもらって生きていく。そのこと自体は、日本でもそうですが、特に都市では必ず必要なことであり、現実の社会の役に立っているという意味で、全く、後ろ指を指されたり、蔑視されたり、ましてや憐れみを受ける言われもないはずである。というのは、外部者の勝手な言い分であるというのは、わかった上での話ですが。(ここで、日本の被差別部落のことや、日本で、いわゆる3Kの仕事に従事している人のことを頭の片隅に忘れないことは、開発コンサルタントとして非常に大切なことだと私は考えています。)

ともあれ、よい悪いは別にして、日々頑張っている人をみると自分も自分の立場で頑張らなくてはと思います。少なくとも、もっと働くということや生きることに対して、真剣に、そして貪欲にならないといけないなと感じました。

今、日本では片や、フリーターとかニートとか、ちょっと前の言葉ですがパラサイトシングルとかいう状態の若者が問題になっているようです。私が言うことではないことは重々承知の上であえて言わせていただければ、綺麗ごとや格好つけていないで、もっと‘生きる’ことに対して真剣にならないと、先進国とか途上国という以前に、人間として恥ずかしいのではないかと思います。

先進国とか途上国とか生まれ育った環境を抜きに、裸の人間として勝負するというしたら、誰が、どんな人が尊敬すべき人なのでしょうか。

ちょっと、そんなことを考えてみてもよいのではないかと思いました。

自分への内省を多分に込めて、この文章を書かせていただきました。

ではでは^^?

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2006年4月19日 (水)

しばやんon the site 現場に謙虚であること。

しばやんです。

フィリピンでは、4月13日(木)から16日(日)までHolyweek(復活祭、イースター)のお祭りで、祝日休暇でした。

わたしは、それを機会に、ネグロス島のバゴロド市を中心に、サトウキビのプランテーションを見に行ってきました。目的は、バゴロドの島向かいのパナイ島のイロイロ市の国家灌漑局の友達(そう、例の3人のマリアです)と旧交を温めることと、バゴロドの青年海外協力隊の仲間を訪ねることなど、まあ駆け足ではありましたが、人と会う旅でした。なんか半分仕事だか遊びだかわからないようなところもありましたが。

また詳細は別途報告したいと思いますが、今回、特に強く感じたことは、もっと現場に対して謙虚にならなくてはならないのではないかということです。

ネグロス島は、1980年代の半ばに国際砂糖価格の暴落で、アシエンダ制という大土地所有地主の持つプランテーションで働く、土地なし農民が、特にその子供が飢餓に見舞われ、日本でも、ネグロスキャンペーンとかのNGOによって、封建制による貧困の島として、大々的にメディアで取り上げられたことがありました。

今回の旅は、それを10何年ぶりに検証したいという気持ちがあったこともあります。ビクトリアスという企業というか製糖工場の城下町での、砂糖のプランテーション、柵で囲われたゴルフ場や住宅地、病院、教会まで全ての施設が整った広大な敷地を見てまわったことも感動ではありましたが、それは、在る意味で想定内の話で、わたしの3つの驚きは、以下のとおりです。

①ヴィクトリアスの製糖工場の敷地内にある教会は、「怒りのキリスト」という壁画が有名なのですが、それが極彩色であったこと、壁画の前の梁に、フリーメンソンのシンボルのピラミッドの眼と天秤秤のモチーフがあったこと、フリーメンソンは世界を股にかけたちょっと怪しげな秘密結社という見方もありますが、基本的には技術者集団であったと思います。脱線ですが、昨年の、「ナショナルトレジャー」というアメリカの映画はフリーメンソンを一つの伏線として使っており、フィクションではあるのですが、アメリカという国とフリーメンソンとの関わりについて非常に興味深い内容でした(どこまで本当なのかさっぱりわかりませんが)

②ヴィクトリアスの北の村で、カートホイール教会という観光名所にいったのですが、それが、アシエンダの領主の館の付属の教会であったことと、その教会と領主の館の間に、19世紀後半のイギリス製のボイラー跡があったこと、つまり領主が自前の製糖工場を敷地内に持っていて、たぶんそれは当時にあっては、まさに最先端技術であったであろうこと。今は領主は住んでいませんが、家来というか執事が、屋敷合切を管理していました。屋敷の前には、馬が繋がれて調教されていたようですし、なにか異次元に紛れ込んだような気がしました。

③しかも圧巻は、この館はグスマン家という19世紀末にフランスの貴族が移民してきて、フィリピンの女性と結婚して荘園の領主となったのが起こりで、その屋敷がまさにその建物であったこと。100年以上、ずっとこの館はそこにありつづけているのです。またグスマン氏の子孫たちは、地主として、地方政治家として、バゴロドの茗家として今にいたるまで権勢をもっていること、そして、4,5年ごとに、世界中のグスマン家の子孫が、(アメリカ、オーストラリア、フランス、まさにワールドワイドです)この屋敷で一族のファミリーパーティーを開いているということ。これば偶然、シラエという別の町の歴史資料館の建物をみて、なにかヴィクトリアスの北の村の建物と似ているなということで、その展示資料をみて気がついたのですが、今に生きる歴史を図らずも体験してしまい、思わず唸ってしまいました。

今の現在、地主制なんて封建時代で庶民というか平等であるはずの世界人民の敵というニュアンスで、否定的にとらえられがちですが、果たして本当に、「搾取」や「略奪」だけの社会であったのだろうか、中世や近世は暗黒時代でしかありえなかったのだろうかということを考えざるを得ません。

‘ポストコロニアル’とか’オリエンタリズム’という言葉を知るということは、社会科学をかじった人間にとっては、まさに常識の話なのですが、果たしてわれわれは自分の言葉でその実態を語る事ができるのだろうか。どこかの誰かがいった権威の言葉をなぞって、わかった気持というか気分になっているだけなのではなかろうか。

わかったつもりの古典的な学術用語こそ、自分の体で、身体感覚としてとらえなおす必要があるのではなかろうか。

そんなことを改めて感じた今回の旅でした。

ではでは。

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