カテゴリー「開発民俗学」の記事

2013年12月 2日 (月)

<ついに完成!歩く仲間ブックレット第1弾> 増刷しました。

<ついに完成!歩く仲間ブックレット第1弾>


2013年11月30日の国際開発学会での口頭発表にあわせて、『われわれの物語を創るために 開発民俗学研究序説』を刊行しました。(2017年6月9日に増刷しました。)

ご希望の方には、謹呈させていただきます。メールでお問い合わせください。
※海外に在住の方には、PDFファイルでの提供になります。詳しくはお問い合わせください。

ではでは^^? 柴田 英知 2013年12月2日 (2017年6月16日 加筆修正)


20131130
P5


下記に、まえがきを転記します。ご高覧ください。

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ひととひとをつなぐことによりモノと情報が流れる
-まえがきにかえて-

知は力なり。そしてそれは開かれたものでなくてはならない。(柴田英知 1991)
ただし、その裏書として、
「「他人の気持ちがよくわかる人」は誉め言葉だが、わかった気持ちを弄ぶことができるのもそういう人。」(現代会社の基礎知識 中川いさみ『大人袋③』小学館 1998 159頁)

 本著は、わたくし柴田英知の『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩の初歩』 シーシャの会(1991)に続く2冊目の著作となる。1970年生まれ、新人類といわれた団塊ジュニアの世代である私が1992年3月に大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部アラビア・アフリカ語学科アラビア語専攻を卒業し、株式会社三祐コンサルタンツという農業・水資源・地域開発の専門民間開発コンサルタント会社で、東京をベースに12年間、2004年3月より2008年6月までフィリピンのマニラ駐在員として政府開発援助(ODA)の現場で、歩きながら考えた‘世界’と‘開発’についてのささやかな論考である。

 ようやく仕事に慣れ始めた30歳前後から自分(達)のやっていることについての疑問や迷いが生じるなか、ひょんなきっかけからホームページを開設し(2000年3月18日)、「歩きながら考える」というエッセイと並行して「開発学への途(のちに開発民俗学に変更)」という連載をホームページ上で展開することとした。

 また同時に、会社の名刺とは別に、「歩く仲間」の名刺をもって、武者修行のためNGOや学会のセミナーや勉強会に他流試合にのぞみ、若手会という同世代の開発援助関係者(開発コンサルタント、政府関係者、NGOスタッフ、大学(院)生)などのインフォーマルなネットワークの世話人などをさせていただいた。

 この東京での経験は、マニラに駐在した際に、邦人駐在員のODA関係者とNGO関係者、留学生や在フィリピン研究者による「フィリピンで開発を考える勉強会」の発足にも活かすことができたと思う。

 私は、学問的には、アラビア史の前嶋信次先生、民俗学者の宮本常一先生、イスラーム史、インド洋交易史の家島彦一先生の研究スタイルと、その合わせ鏡として、裸足の研究者鶴見良行氏とルポライターの鎌田慧氏の現代を見る眼から多くを学んできた。(注1)

 今回は、なぜ私が、「開発民俗学」というものを考えざるを得なかったのかについて、いささか個人の内面の吐露的な‘主観的’な論考を中心に取り上げた。しかしながらこの主観的なるものも、世界中の多くの先達や仲間との対話の中から生まれたもので、「歩く仲間」と一緒に議論するなかで、みなで創ってきたものであるともいえる。

 さて、ここで簡単に「開発民俗学」の志を述べたい。もとよりこのような学問分野は、寡聞のかぎりでは、現在、日本には存在しないと思われる。(石川鉄也氏が、『山を忘れた日本人 山から始まる文化の衰退 彩流社 2010 にて「開発の民俗学」を提唱されているが異なるものと考える。)

本文にも収録されているが、私の文章を引用したい。

「ところで、学問として開発人類学というものがある。この人類学にはいろいろな分類があるのだが、その別称として‘民族’学という言い方がある。この民族学とは、外部世界の見聞を自分の世界にもってかえって、同国人の気づきを促すという効用をもっている。今までの歴史上では、これは先進国の研究者が、未開な地域を訪れて、そこで収集した経験(事物も含む)を自分および自国民のために役立てるというケースが多かったのだが、私は、逆に、外部者として私たちが介入することにより、現地に住んでいる人たちの気づきをうながし自分たち自身のことを自分で研究してよりよい世界を自分たちで創造していける、そんな、開発‘民俗’学というものがあってもよいのではないかと考えるようになった。

 この日本語に特有の「民族学」と「民俗学」という2つのミンゾク学は、実に示唆に富むと思う。この日本語にいう「民俗学」は、柳田国男にいう、いわば日本文化の元の形(基層文化)を探るという側面があるのだが、それだけではなく、宮本氏のいう、実際に生きている人たちの生きる糧となるような学問のあり方、自分の足元を知ることにより、日々の生活をよりよいものにつくり変えていくという‘実践の民俗学’という側面もあると思う。

 つまり外部者として、(途上)国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗’学を創っていきたい。かってな造語だが、そのようなものがあってもよいのではと、最近考えるようになった。」 柴田英知 「開発‘民俗’学の構想」(2003年11月3日)

「「つまり、書くとは「過去の事件や現代の人間を描いたりしながらも、けっしてそれで完結するものでなく、現代をテコにしながら、未来をこじあけるものでなければならない」し、そこには「批判と変革の志」がなければならない、ということ。」(鎌田慧の取材姿勢について、吉岡忍が要約したもの。吉岡忍「解説」 鎌田慧『ルポルタージュを書く』 岩波同時代ライブラリー 1992 221頁

これを私なりにもじると「開発民俗学とは、現代の問題から出発するにせよ、過去の歴史に謙虚に学び、そこに住む人たちと未来を創造していくものである。」って言えたらかっこいいなあ^^!」 柴田英知 「封建領主は、単なる‘悪の親玉’なのか!」(2006年12月1日)

「ひるがえって、‘開発民俗学’が求めるものは何か。それぞれが生きる場としての地域に戻って(立って)、それぞれが最もふさわしいものを自らが選び取っていく、そのためには自分の足場を考える地場の‘民俗(学)者’が育たなければならないし、彼らが地域のリーダーとしてそれぞれの地域を変えていく。またそれらの‘民俗(学)者’をつなぐべき異人としてのカタリストも必要であろう。これらの人々をNGOのシャプラニールでは、前者を「土の人」、後者を「風の人」と読んでいる。見事なネーミングだと思う。

 昨今、社会開発や人間開発が叫ばれているが、その足元にあること、そもそも何のための‘開発’なのかを、常に振り返ることが必要であることを改めてここで強調させていただく。また同時に、‘開発’を考えることは、‘途上国’のことを考えるのではなく、‘先進国’のありかた自体、もっといえば、われわれ自身の生き方で問うものであることを繰り返したい。」 柴田英知 「開発の究極目標?制度設計」 (2007年7月22日)

 今、私は、2008年にフィリピン駐在から帰国したのを機に、家庭の事情で開発コンサルタントの職を辞し、親元である愛知県に戻ってきた。転職してマリングッズの専門商社で5年間、通信販売の企画営業としてウェブショップの運営というマーケティングの現場体験を積むと同時に、地元の岡崎市のまちづくりや市民活動に関わって、あらためて‘開発民俗学’の裾野を広げることができたと思う。

 この1992年~2008年の政府開発援助の中での開発コンサルタント経験と、2008年~2013年の民間営利企業でのマーケティング経験は、政策レベルから小売まで、風上から風下までの一貫した開発戦略の実践を図らずも現場で学ばせていただいたともいえよう。

そうした国内外の地域のためにがんばる多くの人たちとの交流は、改めて、「人と人をつなぐことにより、モノと情報が流れる」ということの重要性を裏付けてくれた。

 今、21年間の社会人経験を経て、開発民俗学を創るために、あらためて大学院進学のチャンスを与えてくれた三つの祐について感謝したい。三つの祐(たすけ)とは、天の助け、地の助け、人の助けをいう。海外業務には危険な地域での仕事もあったが、幸い事故や事件に巻き込まれずに仕事を全うできたこと。私を影に日向に助け支えてくれた人々への感謝は言葉に表しきれないが、それでも機をみるには、天の配慮ともいうべき導きがあった。

 ちなみに三祐とは、戦後復興の大きな礎となった愛知県の知多半島部とその先の篠島へと水を運ぶ愛知用水を創った男たちが興した農業土木の専門コンサルタンツである三祐コンサルタンツの社名そのものである。篤農家、久野庄太郎翁を技術面で支えた農業土木技師浜島辰雄先生は、新入社員研修で愛知用水をバスで回りながら、続けてこういう「なぜコンサルタンツか、それは、専門家であるコンサルタントが助け合って協働するから複数形なのだ」と。このとおり、本書には「戦後日本を代表する初の大規模総合開発プロジェクト“愛知用水事業”」に携わったエンジニアたちの熱き心の一端が垣間見られるかもしれない。この素晴らしい先輩、上司、同僚の仲間の全てには感謝しきれないほどの恩恵をいただいていたことに関して、なんらかの恩返しができればと常に考えている。(注2)

 なお、本書は、2013年2月23日に最後のフィールドワークに旅立たれた片倉もとこ先生にささげたい。1990年5月の関西大学で開かれた日本中東学会 第6会 年次大会で初めてお会いしたのをきっかけに、研究会や講演セミナーなどいろいろなところで先生の謦咳にふれさせていただき著書やお話から多くのヒントをいただいた。特に「平の人」と「ホーリスティック」アプローチに関して多大な影響を受けている。この開発民俗学の構想に関して一番、最初に相談いたしたく、また指導をいただけたらとずっと考えていたのだが、それもかなわぬ夢となってしまった。

 まだまだ開発民俗学への途は緒についたばかりである。今まで私を助け叱咤激励そして鞭撻していただいた世界中の多くの仲間に感謝すると共に、何らかの体をなしたときに改めて喜びを分かちあえる日が遠くない将来にくることを願ってやまない。

2013年11月30日

柴田 英知

注1 Giant Steps!(巨人たちの足跡) 2001年2月25日現在

 しばやんが敬愛する『歩く』仲間の大先輩方のコーナーをここに設けました。
 しばやんが、今まで生きてきて本物だと思える仕事をされてきた大先輩に、宮本常一先生、前嶋信次先生そして家島彦一先生がまず挙げられます。

 彼らの代表的な著作や翻訳書を通じて彼らの思索の足跡をたどりつつ、そして、その合わせ鏡として現在の社会を見る眼ということで鶴見良行先生と鎌田慧先生の著作やその仕事を、「歩く仲間」に広く紹介させていただきたいと思います。

宮本 常一(民俗学者) 1907年~1981年
主な業績;
常民の発見、及び民俗学の基本的な課題の探求
『忘れられた日本人』
『宮本常一著作集』

前嶋 信次(アラビア史)1903年~1983年
主な業績;
イスラーム・アラビア史の啓蒙、及び『アラビアンナイト』の日本語初の原典訳

家島 彦一(イスラム史・東西交渉史)1939年~
主な業績;
インド洋交易史の解明、及びイブンバトゥータ『大旅行記』の原典全訳

鶴見 良行(裸足の研究者)1926年~1994年
主な業績;
辺境から中央を見ることによる東南アジア史の解明と海の民の再発見。
『バナナと日本人』、
『ナマコの眼』

鎌田 慧(ルポライター)1938年~
主な業績;
日本の高度成長の裏側を労働者や社会的弱者の立場で告発。
『自動車絶望工場』、
『ぼくが世の中に学んだこと』

 当然、これらの先達にめぐり合うまで多くの先生や、諸先輩、仲間の導きがありました。全ての、『歩く仲間』に深く感謝しております。

Thanks a lot for your suggestions !

注2:括弧の部分は、高崎哲郎 『水の思想土の思想 世紀の大事業 愛知用水』 鹿島出版会 2010 の帯の言葉を引用した。愛知用水事業については、同著を参照されたい。

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2013年12月 1日 (日)

しばやん@国際開発学会 第24回大阪大会 1日目 終了しました!

しばやん@大阪です。フェイスブックにアップした内容を転記しておきます。



<発表が終わりました> (11月30日の夜にアップ)


今朝は、5時30分起きで、大阪に来ています。今日は阪大の吹田キャンパスで国際開発学会です。まずは、9:30からの開始に間に合ってやれやれ。なんとか私の発表も無事終わりました。座長は民博の鈴木紀先生で、コメンテーターは龍谷大学の斎藤文彦先生、たぶんこの分野を代表する先生方にコメントをいただき、今後の展開について貴重なアドバイスをいただきました。今まではアマチュアでの発表でしたが、これからは学界に入りますので、心して学ぼうと思います。


国際開発学会 第24回 大阪大会 第1日目 雑感


2013年12月1日 7:17


しばやん@大阪のホテルです。


昨日の国際開発学会のまとめです。(敬称略)


A.開発実践と「感情」 セッション5 関根久雄、小國和子、佐藤峰


民博での共同研究の中間報告。自分の関心が一番あるところでもあるので、全体を見た上での評価やコメントが必要。軽率なコメント/質問をしてしまったことをかなり反省しております。
先生方には、改めて私のコメントの主旨を説明する必要があると思いますので、なるべく早くフォローします。


B.人道支援とコミュニティ セッション8 座長 鈴木紀、コメンテーター 斎藤文彦(龍谷大学)


1.大規模災害における国際支援受入調整システムに関する研究 阪本真由美


2.われわれの物語を創るために 柴田英知


自分の発表について反省を書きます。


斎藤コメントは主に3点:


コメント1:地域組織の概念図{地域社会」概念の重層性(松野弘)が不適切。発表の内容ともあっていない。


回答: 地方自治体に関する社会学者の模式図であることと、私自身、整理が十分できていません。地域研究などさまざまな分野での先行研究があるので、これから大学院に進学するにあたって整理していきたい。


コメント2:キータームの定義ができていない。たとえば、「チェンジエージェント」と「つなぎすとと」など同じ意味(こと)をいっているのか不明確。


回答: 今回の発表では、ロジャースのチェンジエージェントの意味で使っているので、基本的に同じ概念(ポジション)にあるものです。ご指摘のとおり、語句の定義はこれに限らず、整理仕切れていないところがありますので、先の概念図も含めて、先行研究をしっかりレビューしたいと思っていますので、今後の課題とさせてください。


コメント3: 学会での発表は先行研究のまとめではない。新しい知見なり自分の研究の成果がないと学会発表としては不十分。


回答: おっしゃるとおりだと思います。これから大学院に行きますので、その中でがんばりたい。引き続きご指導をお願いいたします。


鈴木コメント:


セッション中では、特になし。終了後の口評で、今後の研究方針についてお話をしました。主にアウトプットの仕方、誰のためにどのような研究がしたいかというような問いでした。口頭では回答しましたが、もう少し考えたいので、ここでは記載を控えます。


C:紛争影響圏における効果的な地方行政強化・コミュニティ開発 セッション13 小池治座長、コメンテーター:峯陽一


主にJICAプロジェクト関係者による発表:


柴田のコメントは以下のとおり。


1.コミュニティの把握として、地縁型組織とテーマ型組織に分けて考えるべき。


2.コミュニティにはさまざまなものがあるが、JICAの紛争地域の開発経験という意味では、私の個人的な経験にしても、エリトリアや東ティモール、フィリピンのミンダナオ地域の経験がある。事例でフィリピンのミンダナオを取り上げているが、この地域には、世銀、ADB,EU,USAIDなどさまざまな国際機関がコミュニティ開発プロジェクトを行なっている。特に、農地改革省(DAR)には、コミュニティ開発の蓄積がかなりあるので、それらを参考にしたらどうか。


3.ミンダナオに限っていえば、コミュニティ開発の現場においては、UNDPなど国際機関は全て現地のフィリピン人のNGOなど、ローカルスタッフを使って開発実践をしている。国際機関のオフィサーが実際にオペレーションを行なっているわけではないので、実際にフィールドレベルで事業を推進しているスタッフの話を聞くべきである。マニラや東京では、現場はわからない。
 


ということで、セッション終了後に、自分自身、ミンダナオ地域の先行事業についての現地調査をして、報告書をJBICに提出しているので参考にしてくださいとお願いしておきました。


ちょっとセンシティブな問題もあるので、この件については個別にフォローしたいと考えています。


D:パネルディスカッション:アフリカの子どもたちの未来像:保健医療:教育分野の開発がもたらすもの


ファシリテーター:中村安秀(大阪大学)、パネリスト:内海成治(京都女子大学)、垣本和宏(大阪府立大学)、永岡宏昌(CanDo)


柴田の感想:アフリカのように難しいことは英語やフランス語のテキストになってしまう地域では、自国語で知識の蓄積ができないということは、かなりのハンディキャップではないか。もっと在知を蓄積、活用できなものか。


懇親会での中村先生の話:確かに難しい。しかし現実には英語やフランス語がわかるエリートはいるし、言語人口が少ないところで、特に科学的な知識については英語やフランス語を使うのはやむをえないところもあるのではないか。


このパネル・ディスカッションでは、4名のパネラーが具体的な開発実践を踏まえた報告がありましたので、つっこみどころ満載で、また別途、私のコメントをまとめてみたいと思います。


以上、取り急ぎの報告(自分のメモ)です。


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2013年11月 9日 (土)

政府開発援助による農業・農村開発…開発コンサルタントの視点から

地域主体の国際協力・岐阜DCC 勉強会配布資料


※2013年11月8日に行われたセミナーの配布資料です。

政府開発援助による農業・農村開発…開発コンサルタントの視点から

柴田 英知


<開発援助の世界について>


1.開発コンサルタントと開発援助業界


2.政府開発援助のスキームとその特徴


※開発民俗学講義 第1回より抜粋説明




<開発民俗学の射程 ~ 地域研究×地域開発>


3.つなぐひと=チェンジエージェントの立ち位置とその役割


4.地域共生の技法 フィールドワーク~ワークショップ&ファシリテーション


5.われわれの物語を創るために


※地域開発におけるよそ者の役割-フィリピン・ビサヤ地方の灌漑システムの事例考察-
 パワーポイント資料配布


○柴田英知(しばたえいち)のプロフィール


地域開発と地域研究をクロスさせるべく大学院への進学を準備中。国際開発援助に関心のある実務者や市民、学生のネットワーク「若手会」や、2004年から2008年のフィリピン駐在時には官民の援助関係者のネットワーク「フィリピンで開発を考える」勉強会の世話人などを歴任。2008年に転職して地元の愛知に戻ってからは、国際協力・異文化理解のセミナーを主宰するなど、歌って踊れるコンサルタントを目指してネットワーキングやまちづくりの達人をめざして活動している。


また、2000年よりホームページ、メルマガ、複数のブログやフェイスブックなどで情報を発信し続けている。








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2013年10月27日 (日)

「開発民俗学への途・・・学習編」を開始しました!

みなさんこんにちは!

しばやん@りぶら図書館です。

今はどこへでもパソコンを持ち込みで、しかもルーターを持参すれば、常時インターネット環境でウェブが使えるようになりました。
今、図書館にいるのですが、今日日の図書館にはちゃんとパソコン専用席というのがあるんですね。まだ開館4~5年目という新しい施設だからこその配慮かもしれませんが、これからの公共施設にはパソコン利用者への配慮がきっと必要になってくると思います。
したがって家で勉強するより図書館でやったほうが資料もそろっているし、パソコンも使えるしということで、ますます仕事?のモバイル化が進むと思います。都会部に限らず田舎でもパソコン片手に作業している人が急増していますもんね。特に、喫茶店や電車の車内でさえ、よくやるわと思います。
さて、今回のアップは、「開発民俗学への途・・・学習編」のご紹介です。
■開発民俗学への途・・・学習編 2013年9月24日
おっと、ちょうど1ヶ月くらいたったことになりますね。
このブログでは、今までこちらの歩く仲間で書いていた「開発民俗学」の構築過程の記事を掲載しようと考えています。
今までどおり、「歩きながら考える」のライト?なエッセイ類はこちらに残しますが、ちょっと生煮えの作業過程のものは全て「~学習編」に移します。
もし関心のある方は、軽く覗いてみてください。
ではでは^^?

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2013年10月20日 (日)

<アジアのお祭り AHIオープンハウスに参加して>

:初出: クロスロードオブハッピネス書き込み 2013年10月15日
 
https://www.facebook.com/groups/crossroads.of.happiness/
 
昨日、こちらにおじゃま?してきました。今回、アジア保健研修所(AHI)の国際研修に縁があってお手伝いする機会がありまして、9月28日の研修生との交流会と10月14日のオープンハウスにボランティアとして参加しました。
 
今回、自分がグループコーディネーターとして9月28日のネパールのデパックさんのシンドゥリ郡総合開発の事例と、10月4日には、通訳として同じくネパールのユーエヌさんのカーペット産業の女性労働支援会の2つのNGO組織のセミナーの日本人向けプレゼンテーションのお手伝いをしました。また10月14日には、パキスタンのヘクターさんのエイズ啓発協会のジプシーや性転換者などのマイナリティーへの支援のお話を聞く機会がありました。
 
それぞれ、非常に興味深く深い話があったわけですが、無理にまとめると結局、地元の人がそれぞれの現場でがんばらなくてはならないんだなということと、やっぱり現場のほうが現地現地の状況にあったトライアルアンドエラーを繰り返しており、確実な実践を積み重ねている、英語?の教科書には書いていないような先進的な取り組みを日々実践しているという当たり前のことの確認でした。
 
日本人が外部から、いくら専門家とはいえフィールドの専門家として現地で活動することは難しいということは、もう散々いろいろなところで書いてきましたが、やっぱりそうかということと、現場でがんばっている彼らとどう関わっていけるのかという、‘その先の課題’について考えるきっかけを与えてくれました。
 
とりあえずキーワードを挙げると、1)ピア・トレーニング(ターゲットグループの中で優秀なリーダーを候補者を選んで、彼ら彼女らに集中的にトレーニングする)の重要性(パキスタン、ヘクターさんの事例)、2)カーペット工場ごとに女性グループを組織化していくオルグの重要性と、決して政府や工場オーナーと敵対関係にならずに、彼ら自体の意識かも同時に進めること(ネパール ユーエヌさん)、3)ターゲットグループに対して貯蓄の週間をつけさせ、まずグループ内での話し合いやローンの貸付から初めて、希望者のニーズに合わせて生計向上プロジェクトをローンの中で取り組ませる。その生計向上プロジェクトの費用については国内外の援助機関から予算を引っ張ってくて予算とプロジェクト管理をローカルNGO本体でおこない、トランスパレンシーを高めるため地方政府とドナー団体と共同でプロジェクトのモニターリングをおこない、基本、全ての事業は地方の末端行政機関をかませる(ネパール ディパックさん)など、改めて彼らの机上ではない現場での経験の積み重ねに感銘を受けました。
 
さて、ヘクターさんのセッションの最後に、女子大生の一人が、「私も教育とか医療分野で国際協力の仕事がしたいのですが、何を勉強すればよいのですか」と質問しました。ヘクターさんは、「コミュニティ・ディベロップメント」、「ジェンダー」、「ヒューマンライツ(人権)」、「ピースビルディング(平和構築)」などを学ばなくてはならないとアドバイスをしていましたが、横でそれを聞きながら、果たして日本の大学教育で、どこまで彼女のような関心のある若者をトレーニングできるのか、ふと疑問に思ってしまいました。彼女自身も、開発専門家への道が簡単ではなく、いろいろな経験をつまなくてはならないことはわかっているのですが、いやそれだけに切実な質問だったのでしょう。
 
私も21年前に、右も左もわからずに(開発)援助業界に空手(大学ではアラビア語を専攻)で学卒で飛び込んで、右往左往しながら仕事を通じて現場に学んだものとしてもいろいろ思うところがありました。確かに私が大学に入学した1988年当時では開発学を学べる大学も大学院もなく(1991年に国際開発系の大学院が国立大学でようやく設置された)、理系はともかく、文系で開発を学ぼうとするものは全てイギリスやアメリカの修士課程に留学するという時代から、すでに20年。
 
かなり多くの大学や大学院が公私を含めていささか乱立しているかに見える中で、どこまで日本の教育体制が整ったのか、そしてそれは英米流の開発学ではなく、日本の学問伝統の中で、日本国内での研究蓄積、社会学、民俗学、法学、経済学など人文社会系のみならず理系の学問も含め、日本の学問伝統を踏まえた開発学というものがあるのかどうなのか、改めて検証する必要があるのではないかということと同時に、職業人育成機関の大学や大学院としてみたときに、開発や援助の専門家育成は、たぶんマイナーな一部の学生だけに特化したカリキュラムの構成はむずかしいであろうということも考えなくてはなりません。
 
ともあれ、私もいずれ教育に関わる一員として、なにを若者に伝えることができるのかについて真剣に考えないといけないと考えさせられました。
 
とりあえず、開発援助(業界)について、地域開発と地域研究について、こちらのプラットホームを持っていますので、お茶を濁すようですが、いくらかでも参考にしていただけたらと思います。
 
 
https://www.facebook.com/notes/柴田-英知/mixiコミュ開発民俗学のご紹介/1557721201611

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2013年9月 8日 (日)

<2020年 東京オリンピックについて思うこと>

初出:フェイスブック書き込み 2013年9月8日


<2020年 東京オリンピックについて思うこと>

ついにオリンピック開催国が決まりましたね。正直、東京は難しいと思っていました。自分的にはイスタンブールくらいがおもしろいと思っていました。

ちょっと断片的にテレビニュースをみだたけですが、なによあの安倍さん(首相)の「放射能(汚染は)完全にコントロールされている。(Under control)」という断定振り!もうあきれて、お前はアホかとテレビに突っ込みそうになりましたが、あのブラフ(はったり)はなんとかならないですかねえ。面の皮が厚いとはこういうことをいうと、つくづく思いました。

まあ、考え方によっては安倍さんが世界的な失笑を買うという泥をかぶったといえなくともないので、今後は、安倍さんの悪口はやめて事実のみを見据えてやるしかないなと思いました。

とにかく今、われわれ日本人がやらなくてはならないのは、福島の原発の現実と、真の東日本大震災の復興とは何か、そして来るべき南部トラフ大地震に備えることです。この3点をきちんとやらないことには、2020年を迎えることができません。結局、ぶつくさ文句をいいつつも、自分も時代の子であり、日本人だなあと今回つくづく思いました。

また一連の日本代表団の映像をみて思ったことは、私的な話ではありますが、ああ、自分は前に出る必要はないんだなということ。今まで、若い頃は、自分が自分がで、出しゃばってきましたが、これからは裏方に徹しようと思いました。言動として表にでてくるものは実は、ほんの一部で、それをパフォーマンスする人々の内面世界にこそ、焦点を当てるべきではないかと。

それを踏まえて、これからは執筆とセミナーと小集団活動で自分のまわりから、そして同時にインターネットを使って、全世界へ向けて情報発信をしていきます。

お前ごときに語るだけのものがあるのか?と、みなから突っ込まれそうですが、わたし自身がもっていないくても、‘あなた’の中にある語るべきものをひき出せれはよいことで、具体的な戦略としては、先人の語りを引き出し、それを共有するチャンネルや場を設けること。つまり場をつくる、場の設営をする裏方に徹しようと思っています。

これからはコラボレーションワークが多くなるなあという予感と、自分としての課題研究=開発民俗学の構築にしか、私の存在価値はないと思います。

今まで散々、心身含めて放浪してきましたが、いつまでも目的もなく彷徨っているわけにはいきません。着地点を見据えて、そこに向けて収束させていく。それが、今後の10年の課題です。

5年後: 開発民俗学ネットワークの構築(国内) 50歳までに博士号。(のこり7年)

10年後: 開発民俗学ネットワークの構築(世界)

さて、では開発民俗学とはなにか?それは、一言でいうと、「日本発の開発学」です。まず、私はこれから博士号を取るまでは、ディスプリンとして「開発民俗学」の位置づけを行なわなくてはなりませんが、究極の目的は、世界中で、それぞれの場所で、それぞれそこに住む人が自分の足元を掘り起こし、誇りと自信をもって地域に活きて生きてほしいということです。そして願わくば、その物語をみんなで共有できたらよいのでなないか。つまり‘平の人’による足元からの世界革命です。今日日、世界革命などというととんでもない時代錯誤に思われるかもしれまんが、もう少し上品にいうと「パラダイムを書き換える」ということです。

パラダイムが変わることを、端的にいうと、「天と地がひっくり返る」ということです。地動説から天動説へのパラダイム・チェンジが、まさにそのことでしょう。

ただ、意地悪な人はいうんですよね。結局、われわれは天動説という言葉は知っていても、いまだに?日は昇るという人間の言葉や認識は変わっていないではないかと。

確かに日が昇るとは、私だっていいますよ。確かに表面的には地球と太陽の関係、特に人間がみる現象面では何も変わっていないのかもしれません。でも天動説というテーゼを受け入れた時点で、自分のみている世界は全く変わっていなくても、地動説ではない天動説があるという可能性を認めたということで、そこを深めれば、天動説的な見方ができるようになるのかもしれない。

つまり自分の既存の価値観以外のものの存在を知ることが、何かが変わるきっかけとなると思うのです。

まずは、地球が太陽をまわっているかもしれないと気づくこと、そんな自分の足元を揺さぶるようなきっかけ作りを世界中で仕掛けていく。そうすれば、人間としてのあるべき姿に気づくのではないかと思います。

まあ、私がいわなくても世界中で、日夜みなさんがやっていることなんですけどね。自分なりのやり方で、その戦場?に参戦したいというだけの話です。

‘チェンジ・ア・ワールド’

まずは、そこから始めましょう!
ではでは^^?


2013年9月8日

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2013年9月 1日 (日)

われわれの物語を創るために― コミュニティ開発におけるチェンジエージェント ―(提出稿)

初出:フェイスブック ノートブック 2013年8月31日


<われわれの物語を創るために>


学会の発表の応募を完了しました。いつも期限ぎりぎりの応募なのですが、やることはやったので、果報は寝て待て!ですか。とりあえず、次のプロジェクトに取り掛かります。応募書類の最終稿をPDFにしておきましたので、よろしかったら適当に拡散してください。いちおう、本文を下記に転載しておきます。


■PDFファイルはこちらから!
「20130831.PDF」をダウンロード

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2013年8月31日 応募書類 最終稿


われわれの物語を創るために
― コミュニティ開発におけるチェンジエージェント ―


柴田英知(歩く仲間 主任研究員)


Who shall tell ‘our story’?
Some remarks on change agents in community development.


Eichi Shibata (Chief consultant, Aruku-nakama as “Fellowship for endogenous development” )


 発表者は1992年より16年間、農業・水資源開発を専門とする開発コンサルタント会社で主に政府開発援助の仕事に関わってきた。農業開発とは多くの開発途上国においては首都圏内での開発事業と大きく異なる地方都市を含む農漁山間地での地域開発の側面を多分にもち、原則、自然環境の制限下における地理的に区切られた一定の地域を、食料生産の農林水産業の第一次産業、食品加工の第二次産業、そして生産物の流通とさらに付加価値を高めたサービス業の第三次産業などあらゆる産業が連関する一つの‘人間の生活圏’として再構築する総合地域開発事業そのものである。


 発表者のみならず、国内外の地域開発、つまり国家・広域な地域から草の根のコミュニティにいたるあらゆるレベルにおけるプロジェクトの立案・計画・事業の実施を手がけてきた開発コンサルタント会社のスタッフが蓄積してきた経験知は、開発途上国のみならず日本の地域開発、特に市町村レベルの新しい自治における市民と行政の協働のあり方に大きな示唆をあたえるものと考えられる。


 今回の発表では、今までに発表してきた地域開発における‘よそ者(性)’をもったチェンジエージェントの役割と可能性について改めて次の2つのフィールドにおける比較を通じて明らかにしたい。


 まず、発表者が2004年3月から2008年6月まで駐在したフィリピンの南部にあるミンダナオ島の紛争地域におけるJICAを含むさまざまな国際機関の活動を、具体的には農業省国家灌漑庁や農地改革省などの複数の二国間援助のプロジェクトマネージメントオフィス(省庁のスタッフと開発コンサルタントのプロジェクトチーム)のスタッフ、特に現場レベルでのフィールドワーカーであるローカル開発NGOスタッフのプロジェクトサイトにおける立ち居振る舞いについて報告する。特に、コミュニティ開発プロジェクトの展開において各プロジェクトが留意した点、ソーシャル・プレパレーションの重要性と、地域住民とプロジェクト(スタッフ)との間にどのようにして信頼関係を構築したのか、どのような葛藤や問題があったのかをチェンジエージェントに焦点をあてて考察する。


 次に、日本において、まさに現在進行形の少子化高度高齢化社会の切迫しつつある財政状況下における行政と市民の‘新しい公共’の創出の現場における‘市民’の役割を、愛知県の豊田市の活動実践に学びたい。豊田市では平成の大合併の状況下、「(1)新たな地方自治システムの下で誰が自治を担うのか。(2)住民自らが課題を解決するための力を強化するには、どのような取り組みが必要とされているのか。(3)市民活動を支え、進めるための人材育成や活動をどのように実践し展開すれば、市民活動が効果的に促進されるのか。」という問題意識の元に、ある一人の市民が「とよた市民活動センター」の職員という立場を得て、ソフト・システムズ方法論によるアクションリサーチの一環として市民活動コーディネーター「つなぎすと」事業をその立役者の一人として実践し、かつ記録した。(※)


 この国内外のコミュニティ開発におけるチェンジエージェントの果たした役割とその有用性と限界について、プロジェクト形成段階における現状認識のための‘フィールドワーク’、ビジョンを共有しグループダイナミクスを引き起こす‘ワークショップ’&‘ファシリテーション’をキーワードにその他の地域やプロジェクトへの適用・拡散可能性についても視野にいれて検討し、そのコアとなる‘チェンジエージェント’や‘つなぎすと’のあるべき姿や資質面に踏み込んで提言をおこないたい。


※2004年から2011年までの実践記録が博士論文としてまとめられている。菅原純子『思いをつないで自治を拓く 市民活動促進に関する実践的研究』 ブイツーソリューション 2013年5月

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2013年8月29日 (木)

われわれの物語を創るために ―コミュニティ開発におけるチェンジエージェント―

明日が提出締め切り! とりあえず、審査用の要旨、A4 1枚の原稿を仕上げました!いいかも^^?
われわれの物語を創るために ―コミュニティ開発におけるチェンジエージェント―
2013年8月29日 22:48
国際開発学会口頭発表予定稿 2013年8月29日 初稿
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われわれの物語を創るために
―コミュニティ開発におけるチェンジエージェント―
柴田英知(歩く仲間 主任研究員)
Who shall tell ‘our story’?
Some remarks on change-agents in the community development.
Eichi Shibata (Chief consultant, Aruku-nakama )
発表者は1992年より16年間、農業・水資源開発を専門とする開発コンサルタント会社で主に政府開発援助の仕事に関わってきた。農業開発とは、特に多くの開発途上国においては首都圏内での開発事業と大きく異なる、地方都市を含む農漁山間地での地域開発の側面をたぶんにもち、原則、地理的に自然環境の制限下における人間の生活圏を食糧生産、すなわち農林水産業の第一次産業、食品加工の第二次産業、そして生産物の流通とさらに付加価値を高めたサービス業の第三次産業のあらゆる産業の再構築する総合地域開発事業そのものである。
発表者自身の経験だけではなく会社の経験として、国家・地域から草の根のコミュニティにいたるあらゆるレベルのプロジェクトの立案・計画・事業の実施にかかる経験は、開発途上国のもいならず日本の地域開発、特に市町村レベルの新しい自治における市民と行政の協働のあり方に大きな示唆をあたえるものと考えている。
今回の発表では、今までに発表してきた地域開発における‘よそ者’感をもったチェンジエージェントたちの役割について、次の2つのフィールドにおける比較を通じて明らかにしたい。
まず、発表者が2004年3月から2008年6月まで駐在したフィリピンにおけるミンダナオ島の紛争地域におけるJICAを含むさまざまな国際機関の活動を、主に現場レベルでのフィールドワーカーであるローカル開発NGOスタッフや農業省国家灌漑庁や農地改革省の複数の二国間援助のプロジェクトマネージメントオフィス(役所のスタッフと開発コンサルタントのプロジェクトチーム)のメンバーの開発現場における立ち居振る舞いについて報告する。特に、この地で行なわれたコミュニティ開発プロジェクトの展開において各プロジェクトが留意した点、ソーシャル・プレパレーションの重要性と地域住民とプロジェクト(スタッフ)との間で、どのように信頼関係を構築したか、どのような葛藤や問題があったのかをチェンジエージェントの観点から明らかにする。
次に、日本において、まさに現在進行形の少子化高度高齢化社会の切迫しつつある財政状況下における行政と市民の‘新しい公共’の創出の現場における‘市民’の役割を、愛知県の豊田市の活動実践に学びたい。豊田市では、平成の大合併の状況下、「(1)新たな地方自治システムの下で誰が自治を担うのか。(2)住民自らが課題を解決するための力を強化するには、どのような取り組みが必要とされているのか。(3)市民活動を支え、進めるための人材育成や活動をどのように実践し展開すれば、市民活動が効果的に促進されるのか。」という問題意識の元に、市民活動コーディネーター「つなぎすと」事業を一人の市民がとよた市民活動センターの職員という立場を得て、ソフト・システムズ方法論によるアクションリサーチとして、2004年から2011年までかけて実践した。(※)
この国内外のコミュニティ開発におけるチェンジエージェントの果たした役割とその有用性と限界について、特に仕込みの段階における現状認識のためのフィールドワーク、ビジョンを共有しグロループダイナミクスを引き起こすワークショップ&ファシリテーションの重要性について、そのコアとなる「つなぎすと」、「チェンジエージェント」のあり方や資質面に踏み込んで検討と提言をおこないたい。
※菅原純子『思いをつないで自治を拓く 市民活動促進に関する実践的研究』ブイツーソリューション 2013年5月

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2013年8月12日 (月)

<特別企画>国際開発コンサルタント人生49 年 竹内清二さんをお招きして

◆クロスロード・オブ・ハッピネス しあわせがゆきあうところ◆

<特別企画>国際開発コンサルタント人生49年 竹内清二さんをお招きして

日時:2013 年8 月25 日(日) 午前10 時~12 時 【入場無料】

於:岡崎市図書館交流プラザ(りぶら) 201 会議室 電話: 0564-23-3111(代表)
   ※名鉄名古屋本線東岡崎駅より徒歩20 分、バス5 分、岡崎公園(岡崎城)北側

演題:私が体験した海外業務(後進国の開発援助事業に携わったサラリーマン人生)

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<竹内清二さんからのメッセージ>

私は昭和39 年に株式会社三祐コンサルタンツに入社して以来、水資源の開発を中心に海外・国内事業に携わってきました。今回この様な業務を通じて体験したことを皆様にご報告できることを大変光栄に思います。

報告内容の概要は以下を想定しています。
1.自己紹介、2. 愛知用水事業について、3. 世界の食糧事情と貧困状況(水資源の観点から)、4. 参加した発展途上国の援助事業、5.現場について(ことば、衣食住、日常の暮らし、身近で見た動植物、遺跡・文化・景観など)、6 開発援助事業から見えたこと、7.質疑応答


<竹内清二氏 略歴>

昭和16年8月26日生まれ(71歳)、国立岐阜大学農学部工学科卒業(昭和39年3月)、株式会社三祐コンサルタンツ(昭和39年4月~平成21年8月:海外事業本部理事にて退職)、
資格:技術士(農業部門 第16775号) 、APECエンジニア(JP1-1-000484、TOEIC 730点


<主な業務内容>

東南アジア、中近東、及びアフリカ地域における水資源開発計画、農業・農村地域開発計画の策定等に対するコンサルタンツサービス、及び相手国政府職員への技術指導

<主催> 歩く仲間・・・歩きながら考える‘世界’と‘開発’

主任研究員/国際開発フィールドワーカー/地域活き生きコーディネーター柴田英知

E-mail: bxf00517@nifty.com 携帯電話: 080-5151-6406

■フェイスブックグループページ: クロスロード・オブ・ハッピネス しあわせがゆきあうところ


■チラシのPDFファイルはこちらからダウンロードできます。
以上

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2013年6月 8日 (土)

<しばやんミーツ伊勢崎賢治先生@国際協力塾 2013年5月25日>

初出:クロスロード・オブ・ハッピネス@フェイスブック  2013年6月8日 ※一部 加筆修正しました。


なんでもメモしておかないとすぐに忘れてしまうので書き付けておきます。


前回、2013年5月25日にフィリピンのマニラで社会事業をおこなうユニカセの中村八千代さんの話をしましたが、そのセミナーはGLMインスティチュート (社会開発系の開発コンサルタント会社のグローバルリンクマネジメントのNGO部門)が行なった国際貢献塾の一コマであったわけですが、ゲストに東京外国語大学の伊勢崎先生と、早稲田大学の高橋華生子先生が参加されました。

実は、その件で上京を決めたのは、中村さんがフィリピン時代の同志だったことに加えて、伊勢崎先生に会いたかったからです。

伊勢崎先生とは、微妙にニアミスしていまして、東ティモールでは先生が2000年3月から2001年5月 まで、 国連東ティモール暫定統治機構上級民政官としてアイナロ州知事をされていた最後くらいに、私もJICAの農林水産業開発計画調査(東ティモール全国レベルの国家開発計画の立案)で現地に入っておりまして、ただ現場ではあえす、たしか2006年か2007年で国連平和大学に日本財団が日本人を対照に留学制度をつくったのですが、その国連平和大学自体は、中南米のコスタリカにあるのですが、互角研修をフィリピンのマニラのアテネオデマニラでおこないました。私もちょうどフィリピンに駐在しており、この国連平和大学の留学生たちとは、マニラで一緒に勉強会をした仲なのですが、そこに、つまりアテネオ大学に伊勢崎先生が講師で出張講義にいらっしゃったんですよね。留学生の仲間にそれを聞いて、私も会いたいなあと思いつつも、そこでも合えず!まあ、こちらも一民間人でしたからね。

そんなかんなで、伊勢崎先生に実際に会いたいなあとずっと思っていたわけなのですが、今回の中村さんのセミナーで、ようやくご本人にお会いすることができました。

セミナー後の雑談の席なので、ちょっと伊勢崎先生もほろよい気分でしたが、思ったより気さくな方で、私の開発民俗学構想を例の開発民俗学連続ゼミナールのチラシをもとに語らせていただきました。(恐れしらずのしばやん!)

私が特に宮本常一先生にずいぶん学んでいるといったら、先生から、「考現学の今和二郎(こんわじろう)」先生の話がでました。

実は、伊勢崎先生は、早稲田大学の建築学科をでていて、ずいぶん今先生がお気に入りみたいで、宮本先生のことも当然、よく知っていらっしゃるようでした。

私も15年くらい前でしょうか、赤瀬川源平の「トマソン」がらみで、考現学には触れていましたので、ここでも話が盛り上がってしまい、伊勢崎先生の日本の民俗学理解は、かなりのものだと感じました。

そして「開発民俗学」を英語にしたらどうなるかを一緒に考えてくれました。例えば、「‘Folklore’じゃないよなあ(※)」とか、どうすればいいかなあと^^? 結局、まとまらなかったのですが、開発(の)人類学とは別のものと「日本の民俗学」を理解されているようで、とても心強くなりました。※※

※フォークロアの英語の意味は口承伝承とかの意味が強いです。また当然、フォークロアの学会もありますが、日本の民俗学会とは性格が異なっているというのを、私も最近、菅豊先生の本とかで読んで知っていましたので、意味が違っちゃうなあと!

※※開発人類学についてもいろいろな意味があるので、開発民俗学がそれに含まれるという考え方も当然あります。

そして、最後に、

「いいんじゃないんですか。アメリカが学ばなければならないことですね」

とおもしろがってくれました。それで私は、さすが先生、アメリカに先行事例があって先生がいるということで、「アメリカ‘で’学べ」ということかと、自分の聞き間違えじゃないかと聞き直したところ、

「アメリカが一番、わかっていない。ただ、あいつらがわかるかどうかはわからない」というようなニュアンスのことをおっしゃいました。

つまり、本当に「アメリカ‘が’」が、正しかったのです。ほんまかいなと思いましたが、本当のことです。

ただ、これは本当に立ち話なので、どこまで先生がわかっておっしゃているのか真意はわかりませんが、かなり意を強くしましたね^^?

今先生の名が、伊勢崎先生の口からでるとは、全く想定していなかったので、なにか変なところでつながるものだなあと思いましたね。

ともかく「おもしろい」といっていただいただけで、私は素直にハッピーでした^^?

ただ、アメリカは一枚岩ではないし、いろいろな立場で本当にいろいろな方がいらっしゃいます。単純化しては絶対にいけないのですが、英語で、発信していく意味は十分にあると思います。

だからというわけではありませんが、しばやんの開発民俗学による?世界ツアーを現実化すべく、英語でも発信していこうと、ちょっとだけ発奮しました^?

さすがに歳なので無謀なことはいえません。ただ、ちょっとづつ出来る範囲で英語の文章もブログやフェイスブックなどでアップしていこうと思います。

たんなる私の覚えのメモではありますが、まあひとつの(開発民俗学成立前の?)エピソードのひとつとして記録しておきます。

ではでは^^?


(この項、了)

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