開発民俗学

2008年12月12日 (金)

第8講: 残された課題と展開の方向性 <第1部 完結>

第8講:残された課題と展開の方向性

2007429

2000715日に筆を起こして、結局、ほぼ7年間にわたって講座を書きついできたが、一旦、筆を置くこととしたい。当然、私の開発民俗学への途は続くわけであるが、当初想定していた目次に立ち返り、何が原因で執筆が止まっていたのかを検証するとともに、今後の残された課題と展開の方向性を述べたい。

第8講 ‘開発民俗学’を考える100冊 (道具箱=ブックガイド)

<今の時点での総括と今後の展望>

当初の構想としては、前半部で、開発学にはじめてふれる方に対して、まず現場からの問題の立て方を紹介しようとした。まず現場に立つこと(開講にあたって、第1講)、そして、「開発」を考える際に、主に2つのアプローチがあることを紹介した。一つは、開発経済学に代表される社会科学的なアプローチであり、また一つは工学的な科学・技術的なアプローチである。一見、違った入り口にみえ、ソフトとハードという違った事象を扱っているようにみえつつも、実は両方とも「近代科学」に基盤をおく、ひとつのイデオロギー(パラダイム)に則ったコインの両面であることを指摘した(第2講)。第3講では、この近代科学という専門知識をもった「専門家としてのバイアスめがね」を一旦置いておいた上で、現実をどうとらえるのかについて言及した。ここでは率直に、科学的なデータと現実世界(現状)の乖離について問題意識を提起した。第3講の補論では、民俗学の視点を紹介した。引き続き、第4講では、開発学研究入門として基礎的な方法論について言及した。ここでは、社会学を中心とするリテラシーと調査・研究方法、情報処理論、フィールドワーク論、開発学の基本的なリファレンスとその使い方の手引きを紹介した。

ここで、基本的な文系の学問の作法というかリテラシーについて、ある意味、紹介しきってしまっている。第5講と第6講では、なぜ、わたしが「開発民俗学」なるものに関心をもつようになったのかを語った。第7講では、日本における“人類学(民族学)”と“民俗学”の現状について主に文化人類学の教科書を比較することにより報告した。当初、想定していた民俗学と開発との関係については言及できなかったため、それを第8講の課題とした。しかしながら、第7講でも触れたようにそれは、民俗学の範疇のみにとどまるものではないため、一旦、この講義とは別の形でふれることとしたい。

第9講 貧困の定義を考える (社会福祉と開発・援助の間にあるもの)

<今の時点での総括と今後の展望>

開発や援助を考える際に、‘貧困’をどう捉えるかという根本問題にぶち当たる。そもそも論であると言ってもよい。この講義では、NGOや社会福祉論が考える‘貧困’概念と、今まで開発・援助の世界で言われてきた‘貧困’概念についての比較検討を当初、想定していた。

現在、開発を考える際に、‘NGOの役割’は軽視することができなくなってきている。また‘宗教共同体として受益者の共同体をとらえること’や、社会福祉論にいう‘セーフティネット’という考え方の援用が必要となってきた。

NGOが多く唱える‘人間としての共感’論とか‘開発支援’という考え方は、実は開発援助の特にODAの世界ではあまり重視されてこなかったと思うし、厳密にいうと出自を別にしていたのではないかと思われる節がある。実際には最近のODA関係者や開発をめざす若者はNGO活動を通じて途上国に関心をもったり、そのNGO的なマインドを十二分にもっていることは当たり前でもあるが、その根底となる考え方や行動原理はずいぶん異なるものであった。

NGO論については私の専門ではないが、実務上の必要や個人的な関心より、2000年以前より、個人的に日本のNGOの方々と接触するようになった。その中で感じたのは、NGOの基盤は、そもそもミッション(社会的な使命感)が創立の動機となっていることと、キリスト教や仏教などの宗教的なバックボーンをもったいわば宗教的な慈善団体を発祥とするものが意外と多いことに気がついた。そもそも宗教とは全体的なもので、経済・政治・あらゆる人間生活を規定し共同体としての一体感を求めるものである。わたしも開発における宗教の役割と重要性については、すでにいろいろなところで言及している。それはさておき、開発を考えるのに、当然対象受益者に向かい合うのに、この宗教・共同体として理解することが必要不可欠である。また、援助や支援をする側のNGOを、ミッションによる共同体(実際は、もっと緩やかなつながりである場合が多いが)と捉えることもできる。

つまり、NGOや地元の受益者をミッション共同体としてとらえること、その共同体の理念の中にある貧困問題への社会的な対応を考えることは、社会福利論と非常に重なるところがある。

そのような問題意識から、NGOとの対話、社会福祉の立場からみた開発へのコミットについて研究をすすめようとしていた。その過程で、2003年頃から、特にセーフティネットと貧困をどう社会福利論の立場で考えているのか、実践に生かそうとしているのかについて解き明かそうとした。

しかしながら、今の時点で社会福祉論自体に、わたし自身が物理的に深入りできないので、読者に対して私の問題意識を上記に示し、今後の手がかりとなるであろう教科書をここで示すこととする。(*未読)

○ 庄司洋子・杉村宏・藤村正之編集 『貧困・不平等と社会福祉』(これからの社会福祉②) 

有斐閣 1997 *

○ 岩田正美・岡部卓・清水浩一編 『貧困問題とソーシャルワーク』 

(社会福祉基礎シリーズ⑩公的扶助論) 有斐閣 2003 *

○ 古川孝順、岩崎晋也、稲沢公一、児島亜紀子 『援助するということ 

社会福祉実践を支える価値規範を問う』 有斐閣 2002

また、社会福祉分野の研究を進めるのに道先案内として、以下の本も上げられる。

○ 平岡公一、平野隆之、副田あけみ編 『社会福祉キーワード[補訂版]』 有斐閣 

有斐閣双書キーワードシリーズ 2003 (初版1999)

特に、日本でも高齢化社会の進展や、いじめ社会にたいする関心の高まりなどから介護や福祉系の仕事や学部に人気が高まっているようで、1990年代の後半から非常に多くのシリーズや教科書が出版されているようである。そういう意味で、今の若者は、これらの切り口から開発援助や開発支援を考えてくるのに違いない。*

それは、それで非常に好ましいことで、経済効率や短期的な視野に陥りがちな今の援助業界の閉塞性を打ち破ってくれるひとつのきっかけになるのではないかと思う。社会福祉の問題は、社会開発や教育開発の問題とも重なり合ってくる。‘開発民俗学’を考える際に、この社会福祉論の知見は必須であると考えられる。この方面での思索と研究は今後も続けていきたい。

*:昨日(2007428)、たまたまグーグッていて今、大学一年生となった女性のブログをみたのだが、開発‘支援’という言葉を使っているのをみて非常に驚いた。これは、開発援助ではなく開発支援という言葉を使うということは、哲学的にも非常に大きな意味があると思う。全然、違うパラダイムで若者は動こうとしているのかもしれない。

10講 誰のための開発?(内発的発展論から参加型開発へ)

<今の時点での総括と今後の展望>

この講義では、1990年代から日本の援助業界、特にNGO活動の理論的バックボーンとなった鶴見和子や西川潤らのいう「内発的発展論」と1990年代に大幅な進化を遂げた「参加型開発論」について、自分なりのその連関と今後のその発展可能性について整理を試みようと考えてこの講を置いた。しかしながら、現実の援助業界の動きの激しさに巻き込まれて落ち着いて考察する時間がなかったこと、すでにビックネームがいろいろな総括をしているので、あえて私がこれをする必要性が薄れてきている気がする。

また、そもそも学界も実業界も、さまざまな概念がぶつかりあって、時には融合して社会の大きな潮流をなっている。たとえば、ビックネームとして、鶴見和子、西川潤、原洋之介、池本幸生、ロバート・チェンバース、アマルティア・センが上げられるのはもちろんであるが、今の国際開発学会の先生方でも、少なからず上記の2つの潮流の影響を受けたうえで発言や論文の執筆を行なっていることであろう。つまり、今の若い学生諸君にとってはあたりまえすぎる言葉であるかもしれない。

逆に、私自体は上記の論者の本をほとんど読んでいないし、直接に影響を受けたと思っているわけでもない。つまり、この点でこの項を書くのに私は不適切であるかもしれない。

しかしながら、これらの概念につらなる1980年代から90年代の学問的な潮流の中で、多くの日本人の第一線の実務者・研究者に接する機会があり、実際に、彼らは間違いなくその潮流の中におり、互いに影響を与え合っていた。私としては、鶴見良行氏、片倉もとこ先生とか家島彦一先生とか鎌田慧氏らのフィールドワークを実践する人たちの現場感覚と、‘内発的発展論’と‘参加型開発’という理論とどうクロスオーバーするのかという観点での私論は展開できると思う。

その面で、引き続きフォローしたいテーマではあるが、少し旬を逃してしまった感があるので、また別の切り口で勝負をしたい。

11講 ひとびと(現地の人と専門家と第三者(市民))をつなぐべきもの

12講 ‘開発民俗学’のめざすもの ~Over the Rainbow  新たなる挑戦~

<今の時点での総括と今後の展望>

10講までに上記のような検討を行った上で、自分としての‘開発民俗学’のめざすものを展開するのが、第11講と第12講である。

タイトル自体は悪くないし、今の段階でも暫定的なことがいえるのかもしれないが、まだまだ時期尚早であるという気がしてきている。

多分、私のいう‘開発民俗学’は、かなり開発倫理学に寄ったものとなるであろう。

しかしながら、今まで強調していたことは、A.いかに現状を認識するかに関して、‘フィールドワークの技術’や ‘リサーチメソッド’などの方法論にも配慮が必要なこと、B.様々な‘既存知’を縦横に利用する必要性があること、C.細かい細分化して分析することも必要ではあるが、本当は全体として捉える‘ホーリスティックなアプローチ’が必要であることの3つで、主にテクニックや心構えといった初歩的なことであった。

これらのことについては、実は第7章までにそのエッセンスを語りつくしている気がしている。つまり今の私のレベルで他人に示せるものは出し尽くしたといえる。バリエーションはあれ、基本的に考えかたは変わらないし、歩く仲間HPの他のページでも同じ問題意識にもとづき実例やその理論(まで至っていないけど)の検証を積み重ねようとしている。

すでに必要な道具はお渡ししました。あとは実践あるのみである。

ということで、『開発‘民俗’学への途 (第1部)』を完結させていただきます。

第2部では、第1部での積み残しやその後の実践を踏まえた上で、次のステージ、‘21世紀のパラダイム論’にまで踏み込んだ考察を行ないます。

ここまで、長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。特に、これから開発や援助を考えてみたい人や、実際に実務者を目指す人のツール箱の一つとしてご活用いただけたら幸いです。

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2008年12月11日 (木)

第7講:日本における開発と“人類学(民族学)”と“民俗学”

7:日本における開発と“人類学(民族学)と“民俗学”

2005531日 着手 / 2007218日 完成

この講では、私の提唱する開発民俗学を、日本の学界のどこに同定するかについての試論を述べたい。まず二つの断りがある。これは、‘日本における’と前もって断わっている理由は、欧米の応用人類学(Applied Anthropology)の一部として確立しつつあるとみられる開発人類学(Development Anthropology)とは別のものとして本稿を扱うのではなく日本における‘二つのミンゾクガク’の範疇で、日本の研究者の問題意識と‘開発人類学’の現在を押さえておきたいからである。

1.日本における文化人類学の守備範囲

まず日本における文化人類学の教科書を比較してみた。日本における標準的な教科書って一体なんだろうと考えると意外にこれ一冊で完全というのは少ない。そもそも一つの学問分野の構成を概観するというのは非常に難しいことではあるし、学問は日々どんどん細分化し進化している。結局、項目的に広く押さえているものとして、祖父江孝男の『文化人類学入門』(初版1979、増補改訂版1990)が一番、網羅的であるということがわかった。

祖父江孝男 『文化人類学入門 増補改訂版』 中公新書 1990(初版1979の目次立てによるAE5冊のテキストの目次・内容の比較表 筆者作製(2005

<元のHPを参照ください。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r007.htm >

ここでは、この詳細にたちいることはさけたい。ただ言えることは、これらのオーソドックスな教科書からは、なかなか現在社会と切り結ぶ文化人類学というところまでなかなかたどり着けないことだ。

したがって、特に、これから文化人類学の世界に触れようとする初学者の人については、上述の祖父江『文化人類学入門』と、1990年以降の研究の成果を知るためのショートカットとして、以下のキーワード集を手元に置くことをお薦めしたい。 

山下晋司・船曳建夫編 『文化人類学キーワード』 有斐閣 有斐閣双書KEYWORD SERIES 1997

綾部恒雄編 『文化人類学最新術語100』 弘文堂 2002

2.             開発の人類学を正面にだした論文集

 ここで、「開発人類学」、「開発の人類学」をタイトルにした論文集を概観する。

     岩波講座 『開発と文化』 岩波書店

     青柳まちこ編 『開発の文化人類学』 古今書院 2000

     足立明「経済2 開発現象と人類学」 米山俊直編 『現代人類学を学ぶ人のために』 世界思想社 1995

     前川啓治 「開発の人類学」 綾部恒雄編『文化人類学最新術語100』 弘文堂 2002

→参考文献 前川啓治 『開発の人類学―接合から翻訳的適応へ』 新曜社 2000

 Gardner, K and D. Lewis, Anthropology, Development, and the Post-Modern Challenge, London: Pluto press, 1996

     栗本英世 「開発と文化-開発は誰のために行われ、その社会・文化的影響は難だろうか」 山下晋司、船曳建夫編 『文化人類学キーワード』 有斐閣双書 2001

→参考文献 岡本真佐子 『開発と文化』 岩波書店 1996

佐藤幸男 『開発の構造-第3世界の開発/発展の政治社会学』 同文舘 1989

玉置泰明 「開発と民族の未来-開発人類学は可能か」 会田・大塚和夫編 『民族誌の現在』 弘文堂 1995

結局、日本では、系統的な『開発人類学』の教科書は、まだまだ確立していない発展途上であることがわかる。開発援助の現場からの声を反映しているものは、ほとんどないといってよい。以上のうち、実は、青柳編(2000)および岩波講座『開発と文化』については、その掲載論文を全部読破したわけではない。特に、岩波講座に至っては、1巻しか所有していない。当然、日本にいれば図書館なども活用して全巻の内容を最低でもレヴューすべきなのであるが、20044月より海外駐在のためそれもままならない状況である。

したがって、これ以上、日本の文献のレヴューが物理的にも不可能であるため、ここで、一旦、筆を置くこととする。(2005531日)

2007218日 加筆分

3.マニラ駐在による制約条件と今後の考察方法について

前回、上記のところまで書き進んだところで、筆が止まってしまった。これからどうか続けていくのか、日本語ではあまり参考になる教科書がないということだけで、この項を切り上げてしまっていいのだろうか。

言い訳になるが、マニラ駐在の私は、日本での出版状況に関しては年に2,3回の一時帰国の際に、主に東京の大型書店(新宿 紀伊国屋本館および南館、八重洲ブックセンターなど)を駆け足でチェックしているに過ぎない。朝日新聞の読書欄や業界紙『国際開発ジャーナル』などをチェックしているとはいえ、最低でも手にとって中味を検証できないかぎり無責任なコメントはかけない。

ほぼ1年半経つが、あまり有用な情報を書き加えられそうにないので、一旦、ここでHPにアップロードすることにする。

ただし、私自身の整理として以下の作業は引き続き行いたい。

1.欧文(主に英語になってしまうが)の基本的な教科書の内容と援助業界における人類学の適用状況の確認。ただし、これだけで大きな作業となってしまうので、主に日本人で学説史みたいな整理を試みる方がいるとしたら、ぜひ、その知見を参考にさせていただきたい。

⇒ そのような研究動向の確認と紹介を行うこととする。

2.開発人類学のすべての側面を取り扱おうとすると膨大な作業となってしまうので、当面、私自身が目指そうとする「開発民俗学」の理論的な枠組み(前提といってもよい)を構築するのに参考となるであろう主に日本の民俗学、地域研究、社会学、経済学、環境学などの到達点の整理を行う。これには、歴史学など周辺領域にも目を配ったものとしたい。

その際に、できるだけ具体的な分析・論証を行ったものを中心に検討し、形而上学的なものは必要ないかぎり取り上げない。視野にいれないという意味ではないが、実践の学問である「開発民俗学」においては、抽象的な理論や精神論はとりあえずおいておきたい。再現可能であるとまでいわないまでも、誰もが具体的に想像や理解できる、いわば‘事実’や‘もの’に基づいた論考の方が面白いし、理論的にも応用の幅が広いと考えるからである。

⇒ そのような問題意識にたって、いわば100冊の本のような開発民俗学の基礎理論を支えるような論考を取り纏める。今の段階では、日本人の研究者の到達点を明らかにすることを目標とする。つまり、原則、日本語の本ということになるが心配するなかれ、良質の研究者は当然、彼・彼女の対象分野の欧米の学説はきっちり押さえているので、博士論文クラスの研究書なら、それなりのレファレンスがついているので、初心者がいきなり億兆の欧米のいわば洋書にあたる必要はない。

また、当然のことながら同時に良質な翻訳書も取り上げる。翻訳には翻訳のよさも問題点もあるのだが、まず手っ取り早く相手(欧米の研究者)にタックルするのなら、翻訳書の数をこなして、欧米の研究者の問題意識に向き合うことが肝要であると考える。

という方針で、今後の考察(注1)を進めたい。ただし、‘歩きながら考える’および‘開発民俗学 雑記’においても同じようなテーマに触れたものがあるので、注2に紹介したい。

(この項、了)

注:

1.当初、第7講で扱う予定であったブックガイドは上記の理由により、「第8講 ‘開発民俗学’を考える100冊 (道具箱=ブックガイド)」ということであらためて取り上げる事としたい。

2.タイトルとリンクは以下のとおり。実は、このHP全体が同じテーマで記載されています。特に、“歩きながら考える~世界と開発~”のコーナーには関連する記事は多いので、関心ある方は、その目次を参照ください。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000.htm

関連1 ひとりNGOの勧め -ODA50周年に寄せて- (2004101日)

     (歩きながら考える024http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00024.htm

関連2 われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(200573日)  (歩きながら考える028-1http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

関連3 文化人類学の1990年代を振り返る  (2005年7月3日)

     (歩きながら考える028-2http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

関連4 ブームの宮本常一?  (200641日)

     (歩きながら考える030http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

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2008年12月 7日 (日)

第6講:開発‘民俗’学の構想

第6講:開発‘民俗’学の構想

2003113

開発‘民俗’学の構想

最近、開発’民俗’学なるものへの関心が、個人的に高まっている。この2年半ほど東チモールやフィリピンでの実際の開発事業の現場に足を踏み入れたのだが、計画といういわば青写真の段階ではなくて、パイロット調査とか円借款、無償資金協力の工事の現場では、実際に地域住民や役所の人たちと、まさに現実のモノに対して言葉を交わす機会が増えた。現場では、まあ、だましたりだまされたりではないですが、実際に生きている人たちと外部者であるわれわれと、結局、援助なんて生身の人と人の関係なんだなと考えさせられることが多々あった。その中で、いわば入り口であるモノを作ること自体は、ある意味で簡単だが、果たして実際に作られるモノなりを使う人たちのことをどこまで理解しているのかについて反省する機会がいろいろあった。

つまり技術や習慣などを切り売りで、よいとこだけをとってもってこようとしても、結局うまく機能しない。その技術をささえる人々の心というかソフトの部分で納得してもらわないと、ぜんぜん受け入れられない。そんな光景を、図らずも数件みる機会があった。

また、日本人の民俗学者の宮本常一氏の著作から継続的に学んできた影響であると思うが、宮本氏のいうところの、「民俗学という学問は体験の学問であり、実践の学問であると思っている」という言葉を無意識に咀嚼しつつあったからかもしれない。この民俗学を「開発学」と読み替えれば、まさにそのままではないかと、最近、折にふれて感じている。

宮本常一氏は、明治から大正、昭和と日本の発展を、地球を4周したと言われるほど日本をくまなく歩いて農民の文化を伝えるとともに、農業技術や新しい伝聞を体ひとつで伝えてまわった。この世間師の姿に、ひとつのすぐれたコンサルタントとしてのあり方がシルエットのように透けてみえてくるのである。

宮本氏は、民俗学者であると同時に、日本を歩いて回る中で農業技術指導を行い、地方の篤農とか、身のまわりの世界を少しでも自分たちでよくしようとそれぞれの土地でがんばっている人たちのネットワークを作るような仕事を行った。そして離島や林間地の村々の調査をするだけでなく、その現状と苦境を肌で感じて、著作を通じて広く世間に訴えるだけではなく、庇護者であった渋沢敬三(明治時代の立役者のひとりであった渋沢栄一の孫)の友人であった政治家や役人に対して離島振興法や山間地振興にかかる法律などのいわば開発のための法律立案などに関して政策提言も行っている。これは、今はやりの言葉でいえばアドボカシーそのものである。(詳細については、自伝的著作である『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993を参照。)

以前から何度か書いてきたことだが、結局、開発開発というけれど、現地に実際に住んでいる人たちが、自分たちでなんとかしようと思わない限り、世の中というか世界は変わらないのではないか、そんな実例を、昨年、フィリピンのある農業開発の現場で見てきた。歩きながら考える No019 Three Maria’s Tale(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm)を参照。

先日も、国連/世界銀行のイラク復興緊急調査に唯一日本人で参加されたコンサルタントの方と話す機会があったのだが、「特にイスラーム地域の復興なんて、とても外国人ではできない。ただし‘カタリスト’としての外国人の意味はあるのでは」というコメントをいただいた。

ところで、学問として開発人類学というものがある。この人類学にはいろいろな分類があるのだが、その別称として‘民族’学という言い方がある。この民族学とは、外部世界の見聞を自分の世界にもってかえって、同国人の気づきを促すという効用をもっている。今までの歴史上では、これは先進国の研究者が、未開な地域を訪れて、そこで収集した経験(事物も含む)を自分および自国民のために役立てるというケースが多かったのだが、私は、逆に、外部者として私たちが介入することにより、現地に住んでいる人たちの気づきをうながし自分たち自身のことを自分で研究してよりよい世界を自分たちで創造していける、そんな、開発‘民俗’学というものがあってもよいのではないかと考えるようになった。

この日本語に特有の「民族学」と「民俗学」という2つのミンゾク学は、実に示唆に富むと思う。この日本語にいう「民俗学」は、柳田国男にいう、いわば日本文化の元の形(基層文化)を探るという側面があるのだが、それだけではなく、宮本氏のいう、実際に生きている人たちの生きる糧となるような学問のあり方、自分の足元を知ることにより、日々の生活をよりよいものにつくり変えていくという‘実践の民俗学’という側面もあると思う。

つまり外部者として、(途上)国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗’学を創っていきたい。かってな造語だが、そのようなものがあってもよいのではと、最近考えるようになった。

(実は、ある席で、開発民族学を研究している人と、上記のようなことを話したら「確かにそれはあるうる」という言葉をいただいた。大体、人間の考えることにそれほど違いはない、しかもこのような考え方自体も時代の要請というか、多分、多くの方も考え始めていると思う。)

最近、英国の社会人類学という学問や応用人類学の開発人類学といったものに、現状を認識するための‘ツール’としての魅力を感じている。もちろん、この人類学的な調査は単なる学問的な興味だけでもなく、開発する側の調査をちゃんとしてやったという免罪のためや、事業の実施にあたって対象地の人や土地を標本のごとくモノとして扱い記述するためだけの、いわば自己満足のためにあるのではない。これは、あくまでも、彼ら自身にバトンというか自分自身をみなおす視角を提供(これだけで、かなり傲慢で高所にたった言い方であるが)するための、いわば現状理解のための手段にすぎない。

つまり、社会構造を分析するツール自体に関しての理解を深めた上で、それを使って何をどうするかについては、自分たちで白紙の状態から考えてみたい。例えていえば、いわば包丁の持ち方と使い方だけを知っていて、何をどう料理したらいいのかについては、相手と一緒に考えながら料理をつくっていくといったことがしたいと思っている。

ツールや学問のその限界を承知した上で、その先にあるものを考えていきたいと思う今日この頃である。

(了)

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2008年12月 5日 (金)

第5講: 学問の世界と実践の世界

第5講:学問の世界と実践の世界

2003113

知的ワンダーランドとしての大学教育(あるいはわくわく感との出会い)

さて、学問の世界と実践の世界というテーマであるが、実践の世界にはいる前段としての、日本における高等教育について私見を述べたい。自分の体験以上のことを述べる気もないし、高所にたって発言する立場にはない。あくまで私にとっての価値である。今までの自分の経験だけいうと、非常に恵まれた環境に育ったと思う。親と上司は選べないというが、人間は環境の産物である限り、生まれ育った環境というものの影響は大きい。小学校、中学校まではともかく、やはり高等学校への進学というのは、一つの社会人デビューの過程なのではないか。誰もが感じていることだが、やはり進学するにつれて、友達のあり方に違いがでてくる。悲しいかな15年ぶりに小学校の同級会にいったとしても、ほとんどの‘昔’の友達とは話が合わなくなっていることを事実として認めざるをえない。これは、よい悪いの問題ではなく事実である。それをどう考えるか、私はある意味仕方がないことと思う。

ただ、考えておかなくてはならないことは、いくら高校や大学の進学率が高くなったとはいえ、現実、中学校卒で、つまり義務教育を終えて働いている仲間が少なからずというか多くいるという事実である。やれ、どこの誰それは、どこの高校に入った、どの大学に入ったとうわさにするが、例えどんな形であろうと‘学ぶ’機会を与えられたものは、それだけで素晴らしい。開発教育、これは文盲の人たちへの(初等)教育という面と、先進国における開発教育という両面があると思うが、この教育という問題についても関心があるのだか、文盲の人がはじめて文字が読めるようになったことについての次のエピソードを忘れられない。

正確な出典は忘れてしまったのだが、日本の戦後に夜間中学で初めて文字を習った老婆が、文字がわかるようになって、初めて夕日の沈むのをみて泣けてきたという話がある。これは、老婆に言わせると、「言葉が読めるまでは、太陽が昇ったり沈んだりすることについて、特に意識してこなかった。しかし、言葉を知ることによって、その事実を別の目で捉えることができるようになった。」というような話であったと思う。

今の日本では、文盲というのは、ほとんど限りなくゼロパーセント近くなっているのだが、それは、ほんの最近の出来事であることを忘れてはならない。特に、高齢の不安定な時代に生きた人たちのうちには、戦争や家庭の事情で小学校すらいけなかった方々が今で多くいらっしゃるのも事実なのである。

私は、これからの時代は、Respect (each other)という言葉とPrideという言葉がますます重要になってくると思う。またいやみな言葉であるかもしれないが、Nobles Oblige という言葉を胸に刻んでいきたい。誰もが、そもそも生まれながらにして優れたその人なりの才能をもっている。これを、Talent という。(これは、日本語のタレントとは違う。英語のtalentは、‘天賦の才能’という意味である。)そして、戦争や貧困に苦しまずに、平和に生きる中で、それぞれの好きなことをやって(自由)それぞれの個性や才能を思う存分伸ばすことができる社会が望ましいことは、地上の誰もが考えていることである。残念ながら、たまたま生まれたところが違ったばっかりに(子供には何の責任もないのに)限られた人間しか、その自由を享受していないことも、誰もがわかっていることである。

そのような限られた範囲での自由しかないかもしれないが、現世における人の生き方における共生・協業のあり方として、私は、{それぞれ(の個人)ができることをすればよい}と考えている。つまり、お金のある人はお金を、時間のある人は時間を、労力をだそうが、アイデアをだそうが、それぞれができる範囲で力をあわせるだけでかなりのことができると思う。それはともあれ、残念ながら、学問の楽しさに気がつかずに生きていかざるを得ない場合が、全地球的にみれば実はほとんどの人たちの現実であるかもしれない。学校を楽しいと思える、しかも経済的にも社会的にも長期の在学期間を認めてもらえる環境に生きていること、それは本当にそれぞれの個性をみがく、もしくは自分を見つめる時間が与えられるということで、極めてありがたいことなのである。

私は、改めて自分を振り返ってみて、大学教育をワンダーランドと思えるほど幸せな学生時代をおくることができたのだが、そうは言いつつも、学べば学ぶほど自己矛盾というか、好き勝手に自分のためだけに勉強するだけでよいのかという気もしてきた。これは、やはり湾岸戦争という時代背景もあったとは思うのだが、その疑いの種はもっと以前にまかれていたような気もするのである。

“学問とはすべからく現実社会と闘うためのものである。

またまた挑発的な言葉であるが、私は、「勉強すれば勉強するほどバカになる。」ということを、この数年いろいろなところで語っている。字句どおりにとっていただいても結構なのだが、あえて、解説すれば以下のようになる。

 すなわち、大学、大学院(私はその教育を受けていないので語る資格がないのを承知の上での話だが)と、‘勉強、勉強すればするほど、先達の‘既成概念’や、考え方の‘枠組み’に取り込まれてしまって、普通の人の、もっと素直にいえば自分の気持ちや主観や感覚に対する自信を失ってしまう可能性があるという側面があるということだ。確かに、今まで営々と築かれてきた学問の成果を批判する気も否定する気もない。ただ、俗にディスプリンをいわれているものは、西欧の分割して理解するという手段の発達によって、素直に全体に受け止めればよいものを、社会、経済、政治、科学など、限られた切り口のみで理解しようとしてしまう。そして、その学問伝統は、その学問自体が育った環境(国、言語圏、地域)などの地理的、時代背景という時間的な制約を受けていることを、あまり意識しないまま、完成された手法、体系として所与のものとして存在を主張する。

 私は、はっきりいって、20世紀は主義(ism)の時代であったと考える。つまり、国民国家主義、資本主義、帝国主義、社会主義、共産主義等々、それは、確かに分析概念としては非常に便利であるし、現在でもそれなりの意味をもっているが、限られた地域での経験に基づいて導き出された理論や概念を、分析手法や概念、様式として、他の地域なり国なりの現象を分析するのに流用すると、理論に現実をあわせるという本末転倒なことが起きてしまって、実際の社会と理論がまったくでないにせよかみ合わなくなってしまっているのが、現代の状況であると思う。

実は、先日(2003112日)、早稲田大学で開かれた『イスラームとIT』という国際シンポジウムの「アレクサンドリア図書館とイスラム的“知”の可能性」というセクションで、くしくも高橋一生先生が、「今後の学問体系はどうあるべきなのか」という吉村作治先生の質問に対して答えた言葉は、「たとえば19世紀のヨーロッパで生まれた自然、社会、人文科学という学問体系も、当初は、その当時の実社会の実態に即した仕分けであったが、それが時代を経るにつれて学問と社会の乖離が起こってきた。20世紀にアメリカで生まれてきた国際関係学や学際的な現場志向が強い、プログラム志向の学問とは、そのヨーロッパの学問分類が現実にそぐわなくなってきたことへの反省から生まれてきた。今後の学問のあり方をあえていえば、現場志向がより重要であることはみな結論としてわかってきており、やはり研究対象が問題であって、道具として何学を使うのか、結果として何学になるのかについては、あまり意識されなく(問題にならなく)なってきているのではないか。」というコメントをしていた。現実の分析結果としての、学問体系、確かに私自身が考えていることと、全く同じではあるが、たとえば今の私のこの文章に対して社会的な評価はどうなるのか。素人のたわごととして片付けられてしまう可能性の方が、今の世の中では、はるかに多いことであろう。

 私も、大学を卒業して仕事をしながら、いろいろ考えかつ考えを文章化してもきた。確かに5年ほど前までは、「ディスプリンがなくても、リテラシーされあればどうにかなる」と思って、いや思い込もうとして生きてきた。しかしながら、この2年程前から、そうはいっても‘タイトル’なり、‘ラベル’なしに世の中と闘うことに疲れてきたのも事実である。特にイスラーム分野にかかる総合的な学際的な研究現場とその成果を横目でみてきたものとしては、学際的な研究とは、それぞれの学問分野の専門家が協業してこそ成果があるという、結局、学際を目指すものはそれぞれのディスプリンを持たなければならないということも事実としてみてきた。これは開発の現場でもそうである。総合的に全体を把握すること自体は、以前にまして非常に仕事の上でも重要になっているのだが、それは個人のやるべき部分をこなした上で求められることなのである。

今まで仕事を続ける上で、社会人ならディスプリンはなくても何とかなると思っていたのだか、やはりここらで素直にかぶとを脱ぐ。「やはり学問にも仕事にもディスプリンは必要だ。」ただし、この但し書きだけはつけておく。「学問は、すべからく現実社会と闘うためにある」ということを。

‘開発学’とは体験の学問であり、実践の学問である。(宮本常一氏の言葉のもじり)

 さて、ここで実践というか生きる糧としての‘開発学’をめぐる私の研究の方向性を以下に示したい。以前より、海外の社会に対する関心と共に、日本の社会自体自体のあり方についても関心を払ってきた。その現在、まさにわれわれが生きている地球世界を考える上で、実は以前より非常にこだわっている問題があり、それが‘開発学’における学問というのを超えて実践というものへと心をかきたてるのである。

あまり人には話してこなかったが、‘開発という現象’以前に、私が‘開発’された状態であるとされる近代科学や近代世界に疑問を抱くようになったもともとのきっかけは、1982年の中学校一年生の時に、たまたま市の施設(岡崎の太陽の城という青少年施設)で『人間を返せ』という映画を見たことに始まる。これは『10フィート運動』による映写会であった。これは日本の市民団体が寄付金を募り、広島の原爆投下直後にアメリカ軍が記録した映像記録を、まさに10フィートづつアメリカから買い戻していくという運動である。

これは、たぶん30分にも満たない上映時間であったと思うが、実は私は映画の途中で気持ち悪くなりというか、本当にぶっ倒れてしまった。その映画のタイトルでもあった峠三吉の「人間をかえせ」という詩自体は、多分、教科書では知っていたが、モノクロ(白黒)ではあったが、原爆直後のとても人間とは思われない形相の人たちの映像を見たときに、自分の中に強く刷り込まれることとなった。(今となって思えば、モノクロでよかったと思う。あのケロイドややけどで焼け爛れた、とても人間とは思えない形相の人たちの映像は、とても今でもカラーでは直視できないであろう。)多分、その時に意識したことは、「人間の尊厳」という言葉であったと思う。なぜ、日本だけがアメリカに原子爆弾を2発も投下されなければならなかったのか。これは、今でも疑問だし、西欧文化、特に白人優越主義に対して、初めて疑問を持った瞬間だともいえよう。

そのときの気持ちや考えの結果は2つに集約された。「将来外交官になって、アメリカとソ連を握手させてやろう」、もう一つは、「西洋近代主義のアンチテーゼとして何かがあるのではないか。人間として平和で平等な世界を何とかして築けないものなのか。そのためには、どのような思想がありえるのか」ということであったと思う。

 結局、一つ目の夢は大学時代の1991年に冷戦構造が終わったことにより果たされない夢となってしまった。(実際には、大学1,2年では、外交官試験を受けることも考えて法律とか勉強しようとしていたが、アラブ・イスラームの勉強と両立できなかったことと、なぜ西欧の知識体系だけを、‘万国’共通の規範(ルール)として学ばなければならないかについて、自分の中で納得できない部分があって、結局、法律・経済等の外交官試験に受かるため(だけ)の勉強を投げ出してしまっていたという現実もある。)

 だが、二つ目の問題については、未だに解決に至っていない。これは、その後、えた・非人など被差別部落のことなど偏見や差別の問題や、当時、南北問題といわれていた先進国と後進国(発展途上国)との貧富の差の問題等、いろいろバリエーションを代えて中学校、高等学校と学習の対象となっていったが、私にいわせれば、根源的には、‘人間の尊厳’をどう考えるかという問題である。

差別や偏見をもたらしているもの、それは結局、個人の心の問題であると思う。自分にプライドを持つこと。それは、とりもなおさず、自分を除く人間すべてが同じものをもっていること。自分が相手を恐れているのと同様、相手も自分を恐れている、多分、人を先に威嚇したり、力で押さえつけようと攻撃を仕掛けるのは、自分に自信がないからである。(これは、はっきりと欧米人の今までの、彼ら以外の民族や人種に対して行ってきた性癖を意識して発言している。)

そういう意味で、相手を対等に同じ‘人間’として認める。という個々人の心のレベルでの国際化やグローバリズムについては、まだまだ諸についたばかりだ。(私は、少なくとも自分の年齢より若い世代については、この点では、きわめて楽観している。特に国際化、国際化などと声をあげなくても、すでに日本には多くの外国人が生活しており、すでに社会環境として国際化されてしまっている。今の子供たちは、今の私たちより、はるかに先入観のない世代であってほしいと願っている。)

原爆への嫌悪というかショックについての話にもどるが、その後、広島には大阪外国語大学の入試を受けた後に、瀬戸内海地方の一人旅にでかけ、広島、尾道とユースホステルを使って脚を伸ばしたこと、その後、大学4年の時に、九州一週を行った青春18切符の旅の過程で長崎を訪ねたこと、この2つの被爆地を実際に自分の足で訪れ、自分の目で現場をみたことを、ここに述べておく。青臭い正義感かもしれないが、まだ私の中では、第二次世界大戦(大東亜戦争)は終わっていない。

今(2003年)現在では、はるかに戦後生まれの人の方が人数的には増えていることは事実なのだが、戦前、戦中に生きた人々は、まだまだ多く在命中だ。私は、勝手な若輩の言い草であるかもしれないが、ここらでちゃんと第二次世界大戦の総括を、それぞれの個人がしておかないと、みんな死ぬに死にきれないのではないかと思う。確かに、非常に辛い体験であったと思う。人に言えないようなことが誰しもあるに違いない。しかし家族にも何も告げずに、全て自分で抱え込んで墓場まで持っていこうというのは、一見、子孫というか子供にやさしいようにみえて、結果的には、子孫を、日本人を駄目にするのではないか。

未だにファナティックに、未だに南京大虐殺はなかったといってみたり、‘自虐史観’反対なんていう‘プチ・ナショナリズム’が近年蔓延しつつあるようだが、もっと素直に、自分たちの過ちについて、事実を事実として語るべきではないのか。

今、イラク戦争に関して、アメリカの言語学者のノーム・チョムスキーが9・11以降にアメリカや世界中で講演しているのは、アメリカの帝国主義だけが過ちを犯しているのではなく、今までの力のあるものは常に暴力をふるってきたことであり、いくつもの9・11が歴史的に繰り返されてきたということである。これは、イスラーム研究者である東京大学名誉教授の板垣雄三先生の最近の講演会で聞いた話でもあるのだが、「パレスチナのユダヤ人問題についても、幾度となく歴史の過程で繰り返されてきたものである」というのと呼応する。

 あまりに脱線してしまったが、いろいろな経緯を経て、たまさか、私は‘開発’の現場に足を踏み入れてしまった。はっきりいって、近代化や西欧への‘開発’が全てと思っているわけでもなく、もし仮に外部者として、ある社会に介入するとすれば、以下にその開発による負のインパクトを小さくするかの方に関心がある。これは、近代科学を否定するものではないし、自分の立っている立場をわきまえた上での、自分への挑戦である。しかし、あくまで自分の小さな胸につかえた刺をとるための努力と実践を考えて続けていきたい。それは、すなわち、「偏見や差別のない平和な社会をつくること」それは、「一人だけではできなくても、同じことを考えている仲間はかならずいるということ」を信じて生きていきたい。

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「特集 人類学と開発援助」 『国際開発研究 Vol.17, No.2 2008年11月』 

国際開発学会の標記の特集号が、ようやく手元に届きました^^?

Photo 国際開発学会に入って何年ぐらいになるのでしょうか。今年の6月までフィリピンのマニラに駐在していたので会社宛に送付してもらっていたのですが、転職もしたことだし、そろそろ住所変更の手続きをしなければ。

とにかく、もとの会社から転送してもらって手元に届いたばかりなので、じっくり読ませていただこうと思います。

私も着目している同世代の気鋭の研究者達が投稿しているので、彼らが何を書いているのか、今から楽しみです。

別に気負っても仕方がありませんが、彼らが学界というか研究者から開発に入ったのに比べて、自分は開発援助業界の中で問題意識を高めてきたという自負があります。

大学の友達からしばやんが営利企業に入るとは信じられないといわれつつも援助業界にもまれて実務をやってきました。

ちょっと事情で、一旦、開発援助の世界から離れましたが「開発民俗学」への途を決してあきらめたわけではありません。

今は、別のステージで修行中というか充電中といったところでしょうか。私は私の途をゆく。ただ、それだけのことです。

論文を読み終わったら、別途、報告させていただきます。

ではでは^^?

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2008年12月 2日 (火)

第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)

第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)

2000815

 道具箱というコーナーを設けたのは、適宜、情報ソースの整理をして読者の便宜を図るということに加えて、この講座を順番に読むことを通じて、読者に同時に一緒に考えてもらいたいという意図がある。

今、IT革命などという言葉が巷をにぎわせているが、やはりそれは一方的な情報の受け手(消費者)になることではなく、イントラクティヴ(双方向的)な人間同士の対話を目指すべきであろう。

ここで基本理論編として取り上げたのは、自分で考えていくためには、それなりの方法論があるということがまず一点。そして学ぶことの究極の目的は発信することにあり、そのためのテクニックが必要不可欠(表裏一体)であるということが一点。また、1990年代のコンピューターの発達と普及に従って、既存の知の枠組みや道具立て自体が変わってしまったことが一点。それら新しい知の体系として開発学を考えるための道具と、‘開発’学の入門書とリファレンス類を厳選して取り上げた。

主に、1990年代以降の動きを扱う。情報処理技術についての‘初歩の初歩’については、注1を参照のこと。

 追記;

Wakate-kai」協調プロジェクトとして「開発援助へ関心のある方へ(情報源へのアクセスについて)」において、おすすめの「ホームページ」および「基本文献」の紹介を行った。情報的に新しいので、こちらも参考のこと。(20021015日)

民俗学および地理学の現地調査(フィールドワーク)に関するマニュアル類については、第3講の補論も参照のこと。(2005626日)

A1990年代以降の知の世界

41 野村一夫 『社会学の作法・初級編 社会学的リテラシー構築のためのレッスン【改訂版】』 文化書房博文堂 1999 (初版 1995) (1,600円;価格はあくまで参考。適宜確認のこと。)

42 東郷雄二 『東郷式 文科系必修研究生活術』 夏目書房 2000 (1,900円)

43 坪田一男 『理系のための研究生活ガイド テーマの選び方から留学の手続きまで』 講談社ブルーバックス 1997 (760円)

44 中川昌彦 『図解 自己啓発と勉強法 楽しみながら自分を育てる』 日本実業出版社 1996 (1,262円)

(概説)

1990年以降に決定的に変わったのは、知の地平線や水平線がはるかに広がったことがあげられよう。ここでは詳細は述べないが、網野善彦、阿部謹也、家島彦一などが、それぞれ日本、ヨーロッパ、イスラーム世界の中世史において、今までの文献資料中心であった歴史学・社会学において、それ以外の全人間的なアプローチを駆使し、新たな学問の地平線を切り開いた。その世界は深く広いが、その前提と主体的に現代と切り結んだところに意味があるのではないかと思っている。それぞれが、自分と現在(現実世界)との格闘を語っている。(別途、「歩きながら考える」で取り上げます。)

 そこで、まず取り上げたいのは、現代社会に生きるということはどういうことかを考えようとする41である。私は、以前、大学院への進学を試みたことがあったが、その際に、悩んだのは「外大生にはディスプリンがない」という俗説であった。母校や後輩の名誉のためにもあえていいたいが、結局、今では「そもそもディスプリン(パラダイム)にこだわることより、作法(リテラシー)を身につけることのほうが重要ではないか」と思うようになった。

今の大学の世界では、三文字学部というものがなくなりつつある。(つまり、文学部、農学部など)単に、看板が変わっただけと思ってはいけない。80年代から、「学際的interdisciplinary」とかいう言葉が出てきたが、その当時は、それぞれの「専門」のディスプリンをもった人たちが集まって研究するというスタイルであったと思うが、今では「理系」や「文系」という考え方自体がなくなりつつあり、「マルチ・ディスプリン」があたりまえという時代に突進している。決して専門家を否定するわけではないが、あえてどこかに足場を置くとしたら、まず「読み書き作法」であるというのは、あながち見当違いではないであろう。また、野村氏のいう<見識ある市民>とは、今だからこそ求められていると思う。

そして、42(文科系)と43(理系)では、今の時代の研究スタイルを端的に語っている。前者の著者が1951年生、後者が1955年生、あえていえば、41の著者は1955年生まれである。つまり、今の学生が教わるであろう先生方のある標準的な感覚ともいえよう。

また、1990年代の必須アイテムとして浮上してきたのが、パソコン・インターネットを利用した新しい学習スタイルである。残念ながら、私が注1を書いた90年代初頭は、この新しい研究方法の体系ができていなかった。4123とも、最新のリファレンス情報が盛り込んであり、いずれも持っていて損はない。(特に、31は、今、現代社会を主体的に生きようと考えるときに必携である。)

 44は、ビジネス書であるがあえてここに紹介する。私は、はっきり断っているように一介のビジネスマンに過ぎないが、逆に‘仕事をしながら(もちながら)考えていく’道を、この本ははっきりと示してくれた。また、パソコン、インターネットについて、「マルチメディア時代の自己啓発」として1章をさいてあつかっている。

入社して5年目くらいまでは、なかなか学生時代みたいに専門書を読むことができず、頭を休ませる(冷やす)ために、ずいぶん俗にいうビジネス書や血液型や相性の本、人生論や人間関係の本を、息ぬきとして読んだものである。

その中で感じたのは、ビジネス書は、現場に密着しているためトピックも早いし、実務に関する専門的な技術面については、はるかに具体的でくわしい。確かに玉石混交ではあるが、非常に興味深いジャンルではある。(学生さんとかはあまり関心がないと思うが、学問とは全く別の次元で理論が展開されていて結構参考になります。)

B.情報処理論の最前線

45 メイヤー,JJ./黒川康正 『ビジネスマン奇跡の整理術・時間活用術』 三笠書房 1998 (1,400円)

46 壺阪龍哉 『超図解 奇跡の整理術 パソコン以前の33の法則』 かんき出版 1997 (1,300円)

(概説)

456は、あえてビジネス書という分野から、最新の実践的な情報処理理論を持ってきた。45は、まさに‘目からうろこ’の本で、読後、仕事がずいぶんはかどるようになった。(別に、タイムマネジメントの手法や考え方を礼賛するわけではないが、「仕事をする」という実務上は、大変役に立つ知恵ではある。)

また、46も、‘パソコン以前’といっているが、逆にパソコン時代でこその情報処理理論である。

C.新しい調査・研究手法

47 佐藤郁哉 『フィールドワーク 書をもって街へ出よう』 新曜社 ワードマップ 1992 (1.800円)

48 佐藤誠編 『地域研究調査法を学ぶ人のために』 世界思想社 1996 (1,950円)

49 古川久雄 「現地調査―歩く・見る・聞く」、矢野暢編『地域研究の手法』 弘文堂 (講座現代の地域研究 一)1993 (4,800円)

410 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊・編 『路上觀察學入門』 筑摩書房 1986 (ちくま文庫版あり)

411 中村尚司・広岡博之編 『フィールドワークの新技法』 日本評論社 2000 (2,000円)

412 嘉田由紀子・槌田劭・山田國廣編著 『共感する環境学 地域の人びとに学ぶ』 ミネルヴァ書房 2000 (2,500円)

(概説)

主に、フィールドワーク、地域研究、現地調査にかかる本を上げる。時代はフィールドワークというか、社会科学系の学問においても、かなり実証的な地域や地に足のついた研究がでてきたが、これはやはり時代の要請といえると思う。また、ようやく以前から地道にその調査に取り組んできた人が学会の前面にでてきたともいえるし、これは自然科学からの応用という見方もあろう。なお、47の著者は1955年生、48の編者は1948年生で、やはり新しい感覚ともいえよう。

49は、本格的な現地調査論で具体的な示唆に富む。また、489に関連するが、特に第三世界に関する地域研究(Area Study)についても現在ブームの観があり、なおかつ「開発」学ともからむのだが、これら第三世界をあつかうのには、かなり周到な準備が必要だと思う。90年代に入って、地域研究のみならず、歴史、社会学やあらゆる学問分野にかかるシリーズものの研究書がいろいろ組まれており、なおかつ最新の研究の成果が織り込まれているが、ここではあえてふれないし、その場ではない。ただ、本当に「地域研究」や「開発」に取り組もうとすると、かなりローカルな問題を考えなければならないし、さらに言えば、その地域の言葉に対しても関心をもたないといけないであろう。

410は、ある意味で民間での取り組み。実は最近、地理学や民俗学、考現学、(文化)人類学などの隣接科学が面白い。本当に「歩く」学問がポピュラーになってきたと思う。(注2

 

 全く最近であるが、京都よりまた「歩く」学問の概説書がでた。411は龍谷大学の先生方、412は京都精華大学の先生方がまとめたもの。いずれも今までの学問の枠を越えたセッションをおこなっている。わかる人はわかると思うが、例えば中村氏、槌田氏、山田氏は、すでに30年以上現場を歩きつづけている大ベテラン。(実は、私は1990年度の大阪外大での鶴見良行氏と同じく『地球環境論』というリレー式な講義でお会いしている。まったくもって当時の神前、高山、津田、松野、深尾先生方の人脈と先見の明に深く感謝しております。)

この「歩く」学問は間違いなく、21世紀の学問の一つの方向性を示すものであろう。

民俗学および地理学の現地調査(フィールドワーク)に関するマニュアル類については、第3講の補論も参照のこと。(2005626日)

D.‘開発’学入門

413 アジア経済研究所・朽木昭文・野上裕生・山形辰史編 『テキストブック開発経済学』 有斐閣ブックス 1997 (2,300円)

414 佐藤寛編 『援助研究入門 ― 援助現象への学際的アプローチ』 アジア経済研究所 アジアを見る眼 1996 (1,442円)

415 坂元浩一 『国際協力マニュアル 発展途上国への実践的接近法』 勁草書房 1996 (2,500円)

416 国際開発ジャーナル社編 『国際協力ガイド 20002001年版』 国際ジャーナル社 1999 (1,000円)

(概説)

 近日の、開発や援助を巡る学会、民間、市井の動きは、非常に激しく、毎日のように、開発にかかる新刊書や情報が流れている。今回の「基礎理論編」ではあえて‘開発’学にかかる本は最小限とする。

 413は、開発経済学の入門テキストであり、比較的新しく90年代の日本人学者の最新成果を踏まえているため、次の段階へのステップへとなろう。(「今後の学習案内」や「用語解説」が充実。ただし、この時点では翻訳されていなかったM・トダロの開発経済学(第6版)』国際協力出版会 19987,000円)があることには留意のこと。)

 414は、313と同じくアジア経済研究所が中心となってまとめた「開発経済学」以外からの開発へのアプローチが述べられている。本講座も、特に開発経済学を扱ったものではないし、今後はこのような学際的なさまざまな分野の知恵を「開発」や「援助」に持ち込むことになるのであろう。必ず413と併読してほしい。

 415は、経済屋としての視点が強いが、援助の実践の場で、どのような段取りが求められているかが垣間みられる。途上国の資料へのアクセス方法等、資料編が充実しており、一種のチェックリストして使える。

 416は、月刊の業界紙である『国際開発ジャーナル』が取りまとめた国際機関、政府系機関、民間、NGO、研究機関など日本の援助とその周辺のガイド。年度版であるため比較的情報が新しいこと、また現場の声が多く掲載されていることが業界に関心のある人の参考になるであろう。

E.レファレンス

417 編集協力 国際協力事業団 『国際協力用語集 【第2版】』 国際協力ジャーナル社 1998 (初版1987) (3,000円)

418 海外経済協力基金開発援助研究会編 『経済協力用語辞典』 東洋経済新報社 1993 (2,400円)

419 二宮書店編 『データブックオブザワールド 世界各国要覧 2000年版』 二宮書店 2000 (520円)

420 帝国書院編 『綜合 地歴新地図 -世界・日本― 三訂版』 帝国書院 1997 (1,500円)

421 M.L. (Mert) Yockstick  Concise Earth Book World Atlas  Graphic Learning International Publishing Corporation, Boulder, Colorado, USA. 1987

(概説)

 編者にみられるように、417は、主に技術協力、無償資金協力の窓口である国際協力事業団(JICA)、418は有償資金協力(円借款)の窓口である国際開発銀行(JBIC;海外経済協力基金(OECF)は輸出入銀行と統合されてJBICとなった)が取りまとめている。トピックや記事の解説に濃淡があるため、可能であれば両方とも常備することが望ましい。

419は、倹価であるがコンパクトに世界各国の統計資料が掲載されている。

420は、高校向けの地図帳(アトラス)ではあるが、サテライトイメージや歴史的な地名が重ね書きしてあるので、現地の重層的かつ立体的な理解に非常に役に立つ。

4 - 21は、例外的に英語の本を取り上げるが、実際日本語で気のきいたアトラスは少ない。この本の特徴は、地上のでこぼこが立体的に書いてあること、地名が結構詳しいこと。以前、Timeの定期購読のおまけでもらったものだが、非常にコンパクトで重宝している。もし、機会があったら気の利いた英語のアトラスも探してほしい。(海外でも利用しようとするとき、カタカナの地名が書いてあるような日本製のアトラスはほとんど使い物にならない。現地調査に使える道具については、49を熟読・参照のこと。)

これらのリファレンス類は、全般的かつ一般的なものなので、ぜひ手元においてほしい。(特に、419420のような資料は最新版を手に入れること。)

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注1:柴田英知 「第ニ部 リファレンスワーク入門」『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』 シーシャの会 1991(電子ファイル版2000)にて、リファレンスワーク、ビブリオグラフィーという観点から、主に文系の書籍データへのアクセス方法について論じた。

注2:柴田英知 「「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて」『歩きながら考える(008009)』 2000において、それぞれ宮本常一、鶴見良行、鎌田慧を取り上げて、市井における「歩く」学問を論じた。宮本常一および民俗学の視点については、第3講の補論を参考のこと。

(この項 おわり)

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2008年11月30日 (日)

第3講 補論1&2 民俗学の視点

第3講:現状分析の視座をどこにおくのか?(補論)

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

2000812

200573日補筆

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

本来ならば、日本の援助機関、国際機関やNGO等の基準なりガイドラインを比較検討して論ずるべきであろうが、あえて主観で上記の項目をあげた。特にUNDPHDIなどについてもふれようと思ったが、逆にこのようなことは他の教科書をみれば、既に比較検討されていることであるし、逆にマニュアルやガイドラインを作ろうとすると何でもかんでも詰め込んでしまいチェックリストが膨大になるだけで、結局、何が本質なのか訳がわからなくなってしまうからである。

ここで逆に読者に検討をお願いしたいのは、日本の民俗学研究や農業地理学などのフィールド調査で培われた分析・分類や調査手法である。

3-1 上野和男・高桑守史・福田アジオ・宮田登編 『新版 民俗調査ハンドブック』 吉川弘文館 1987

3-2 大島暁雄・佐藤良博・松崎憲三・宮内正勝・宮田登編 『図説 民俗探訪事典』 山川出版社 1983

3-3 文化庁内民俗文化財研究会編著 『民俗文化財のてびき-調査・収集・保存・活用のために-』 第一法規出版 1979

上記2冊とも、日本の民俗学調査のハンドブックで両者とも図版や取り扱い範囲が広く、特に途上国でフィールドワークを行う際にも、非常に参考になるものである。3-1は、特に民俗調査の方法と質問表文例について、村落から親族、生産技術、衣食住など日本を対象にしているものの、全ての人間生活の側面を扱っており、その意味でも目のつけどころがわかる。3-2については、I.衣食住、II.ムラの仕組みと信仰、III.生業とくらしIV.民俗芸能と、地域の人間生活全てを図解しているところが非常に参考になる。上記2冊とも、ぜひ手元に置いておきたい。3-3は、文化庁が定めた民俗文化財にかかる分類や調査のガイドライン。上記2点があれば特に必要ないか。

3-4 市川健夫 『フィールドワーク入門 地域調査のすすめ』 古今書院 1985

 

 地理学者による日本の地域調査の入門書。特に農業にかかる農作物を切り口にした農村調査、山村、漁村、観光地、工業地域、都市地域などの地域特性に沿った調査方法を列記している点が特筆にあたる。

3-5 坂本英夫 『農業経済地理』 古今書院 1990

 

 上記に引き続き地理学者による農業地理学の入門書。筆者がいうように「経済要因を抜きにした農業地理の研究の多くは常識以上に這い上がれなかった」ことより経済要因にも配慮した基本的な入門書。新しい課題だけでなく主要な学説を押さえているところがうれしい。また「終章 農業地理学の研究調査法」は次のステップへの参考となる。

3-6 宮本常一 『民具学の提唱』 未来社 1979

 民具から各地域ごとの生業の成り立ちへ想いをはせる。具体的なものから人と地域を考える宮本氏の手法を垣間みることができる。われわれ日本人の祖先が、いかに現地の現状にあわせて道具をきめ細かく発達させていったのか、民具により技術や文化の伝播をも知ることができる。

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

宮本常一氏の自伝的著作である『民俗学の旅』講談社学術文庫 1993より、彼の世の中をみる視点の原点となった父の教えを、上記の私の上げた項目との比較という意味で下記に引用させていただく。若干略させていただいたが、この部分に限らず、ぜひ全文を味読してほしい。

(1)   汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。・・・

(2)   村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。・・・

(3)   金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

(4)   時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(5)   金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

(6)   私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。・・・しかし身体は大切にせよ。・・・しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

(7)   ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

(8)   これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

(9)   自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」 (前掲書3738頁)

 

しかし実に簡潔にして要を得た教えだと思う。世の中をみる視座というものは、そんなに複雑に考える必要はない。本質とはきわめて簡単(Simple)に存在するものだということを感じさせられる。

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第3講: 現状分析の視座をどこにおくのか?

第3講:現状分析の視座をどこにおくのか?

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

2000812

2003113日補筆

 今の日本のODAをめぐる論議では、社会基盤整備のための大型の公共事業による施設物への案件の偏重に対する批判が続出している。確かに過大な施設の維持管理などフォローアップを含めた運用をみると、必ずしも全ての援助案件が成功しているとはいいがたい。そのなかで、具体的なよいプロジェクトを考える前提条件を順次、検討していきたい。

 まず、現状分析の視座をどこにおくのかという問題がある。何を持って問題の出発点とするのか。これをクリアにしないことには、全てが進まない。確かに、経済的な現状分析は一つのアプローチの仕方ではあるが、その尺度自体の該当性については、慎重な検討が必要と考えられる。

 世界銀行(WB)や国連開発計画(UNDP)等のいう経済的なあるいは社会的な尺度(指数)は一つの手がかりではあるが、それで一体なにがわかるのであろうか。当然、違いを比較するためには、もとになる指数と比べるものとの何らかの定量的な比較ができるのは望ましいことであろう。しかし、その指数を利用するのにあたって、われわれ自分自身が理解できる数字であるかどうかについて厳密に認識しなくてはならないと思う。つまり、数字はある意味で抽象的なものである。その数字の背後にあるものを理解することは、想像力のみならず体験に基づく経験なりが必要である。その実感を伴った指数としてどのようなものがあるのかを検討したい。

(補論1、2を参照)

見えるものと見えないものについて

 例えば、開発調査などでは、統計数字の収集、社会調査、自然条件調査の実施等によって、それぞれの分野の専門家の分担作業によって、当該地域なりの現状が解明されていく。

新入社員時代の一番の問題点は、現場に行かないことには現場の状況はわからないということであった。例えば、下記の項目について、現場を知らないものにどれだけの想像力の飛躍を求められるであろうか。

A.目に見える指標;

1.人の姿。(服装、足元、)2.店の種類(衣食住)それぞれの様子。3.軍隊、警察の存在。4.市場の状況。5.都市および郊外の様子。6.村落の様子。7.子どもの姿。8.朝、昼、晩の人の動き。9.繁華街の様子。10.学校(義務教育)の様子。11.公共施設とその清掃状況。12.食堂の賑わいと食べ物の種類。などなど。

B.眼に見えない指標;

1.音。2.時間をめぐる習慣。3.暦。4.祝日や休日観。5.人生観。6.来世観。7.幸福感。8.音楽や踊りに対する感性。9.隣人及び他人に対する接し方。10.宇宙観。11.嫌悪感の基準。などなど。

 開発をめぐる社会調査の盲点として近年いわれているのが、定量調査と定性調査をどのように組みあわせるかということである。例えば、上記にあげるようなことは、目に見えることも、見えないことも合せて、調査結果として、表面にあらわれにくいことは容易に想像がつく。まさに現地を知っているものは、上記のアトマスフィアを踏まえて何らかの評価を下しているはずであるが、現場を知らない者に、統計数字などだけで現状を伝えるのは非常に難しいといえよう。

現場の匂いを感じさせない開発計画(計画と実施の間に横たわるもの)

そして、上記とは別のいわゆる‘客観的なデータ’を基に、例えば開発調査では、短期(5年先)、中期(1015年先)、長期(20年先以上)の開発プログラムが組まれていく。国家100年の計とはよく言われるが、30年や50年さらには100年先までを見越した開発プログラムを立てることは非常に難しい。いくら図面があるとはいえ二次元で描かれた未来予想図は、現地に住んでいる人をしても、なかなか現場の匂いがしない無味乾燥した報告書というか紙束といえなくはないケースも多々あると思う。(私がその報告書を書く立場の人間である責任を放棄しているわけではないことは、あらかじめ断っておく。)

しかし、特に文系の人間が考えなければならないことは、実際に計画が実施にいたって目に見える開発現象が起こった時になってはじめてバタバタと目先の変化ばかりを嘆いても仕方がないということである。例えば、ダムひとつを作るのには計画から始めて調査を重ねて、実際に物として完成するのに1015年の時間がかかるということだ。物が出来る頃になって、やれ環境破壊だなどと騒いでも、それは既に10年前以上の研究の積み重ねがあるのである。確かに当初の計画時点の社会状況と完工時の社会状況が大幅に変わることは多々あることであり、今の大規模開発に対する批判はその20年まえ30年まえのプログラムに対する異議申し立てであることは間違いない。しかし、例えば瀬戸大橋が計画・実証研究など20年近くの時間をかけて完工したことに対してなぜ大きな反対や批判がないのか。つまり、物によって評価が違うということが、この“開発”問題の難しいところである。確かに余計なものをつくる必要はないかもしれないが、実際に必要としている人がいて、言い方は悪いが利権というものも存在する。

もっと具体的に足元をみてみれば、都市の区画整理や県道、市道の整備一つをとっても、個人の損得、利権をめぐるいろいろな地域住民の葛藤が生ずる。例えば故郷の隣町のこと、田んぼや畑の間に、市の開発プログラムによって市道の整備が行われることになった。これも多分、10何年越しのプロジェクトであろう。道ができるということは、必然的に人と物流の変化をもたらす。道路完成後に地域住民の中で話題になったのは、誰がこの開発で儲けたかというやっかみ混じりの陰口である。やはり時流をみるのに敏い人いるもので、自分の畑をうまく売りはらって自分の家を建て替えるもの、郊外大型店舗に土地貸するもの、自分で店をもって商売がえをするもの、駐車場にするもの、アパートを建てるもの、また逆に、土地転がしのディベロッパーに対して頑なに自分の土地を売らずに畑仕事にこだわるもの、さて道ができてふたを開けてみると、道路成金がいれば、まったく損とはいわないまでも以前と全く変わらないもの、明らかに、“開発”の恩恵を蒙った者とそうでない者が存在する。少なくとも今の私有財産を認める日本の社会では、結局、うまくやるかそうでないかは個人の才覚にまかされてしまうことは、否定できない。が、結局感情的には何らかのしこりが残ったりする。為政者というかプログラムを組んだものは、技術的には完璧な仕事をしたのであろう。しかも当然地域住民のヒアリングもして、当該インフラ完成後についてもある程度の青写真を描いていたはずであるが、実際にものが出来た後の社会の変化について、絶対に100パーセントの予想は不可能で、心理的なケアーまで計画段階で組み込むことは、不可能といえよう。そんななかで、作業をせざるを得ないとしたら、果たしてどこまで考えることが可能であろうか。

 今の時点での私の暫定的な答えとしては、結局、施設完工後の維持管理(O&MOperation and Maintenanceともいう)については、その地域の人たちが責任をもってやらざるをえないと思う。確かに、天から降ってきたようなプロジェクトかもしれない。また、廃棄物の焼却場とか明らかに負の遺産を背負わされる場合にはどうすればいいのか。はっきりいって今の時点では、私はそのようなプロジェクトについて評価する能力はない。ただ言えるのは、一概にそれは駄目だと言い切れないということ、必要悪などといいたくないが、それでも必要なものもあることは、それがいつどこに必要かは別にして認めざるを得ないということだ。

 この開発による社会の変化はもとより、定性的な社会の側面に対する配慮と第三者からの理解については、さらなる研究と、プロジェクトのあらゆるステージにおける、いろいろな角度からの評価が必要である。しかも、その内容については、一般論に陥らずに、具体的に個々のケースについて考えていくことは、口で言うよりはるかに難しいといえよう。

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補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

(次ページを参照)

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2008年11月29日 (土)

第2講: 「開発」をめぐる論議

第2講:「開発」をめぐる論議

200081

 開発に対するアプローチとして、その前提条件がどこにあるのかをまず確認しなければならない。私は、特に系統だった開発についての教育を受けたわけではないので、かなり論理に飛躍や見落としが多いと思われるが、とりあえず私見の範囲でまとめると、いままでの、この分野に関するアプローチとして主に次の2つがあるように思う。

1.開発経済学に代表される社会科学的なアプローチ

‘開発’を経済学が引っ張ってきたという側面はかなりあると思う。そもそも経世済民から、経済という和製語が生まれたとはよく言われていることである。しかし、幕末以来、外来の思想(科学)として輸入してきたこの概念を消化し、自国(この場合、日本)を超えて、世界に適用させようと日本の学界が動き出して、かつ実証的な成果が現れだしたのは、恐らく1970年代以降ではないか。その成果の発表に先立つ現場に足のついた「アジア」を見据えた研究の出発点は、多分、戦後にあり、ある程度日本の戦後復興が落ち着いてきてからだと思う。

(海外への展開の萌芽としては、日清、日露戦争に遡れるかもしれないし、満鉄など特殊な機関があったことも事実であろう。そして大東亜戦争を戦い抜くため、もしくは純粋に学術的な興味から、あるいは他分野である歴史・地理などの立場から地域研究を推進した先達たちの問題意識や功績や経験は、いま改めて別の視点からきちんと系統だって評価されなければならない。)

ここで使っている「開発経済学」の定義自体をまずはきちんと学問的に押さえなくてはならないと思うが、乱暴に社会科学的なアプローチとしてくくってしまうと、いま話題の「開発社会学」や「開発政治学」等も基本的にこの社会科学的なアプローチといえるであろう。

2.鉱工業・農業・社会開発に代表される工学「(CivilEngineering」としての科学・技術的なアプローチ

しかし、‘開発’の理論的な枠組みはどこにあれ、実際に開発自体を推進してきたのは、全地球上で普遍と思われた科学・技術自体ではなかろうか。特に、文系の学部から見落とされがちであるが、経済発展の基盤となる社会基盤の整備から、もっと小さく公衆衛生の改善プロジェクトまで、純粋に科学的・工学的・技術的なアプローチであると言い切ってしまうのは乱暴すぎるだろうか。いくらソフト型開発といっても、その前提条件としているのは、科学・技術的な知識そのものだと思う。

ところで上記の2つアプローチをみて、単純に気がつくのは、いずれも近代科学の成果を利用もしくは応用して‘開発’をはかろうとしている点であろう。こう考えてくると、‘開発’というもの自体の位置付けというか、定義づけがあらためて必要となってくる。このこと自体が、この小論の目的でもあり、単純に結論づけられるものではないので、まず考える視座というものから確認していきたい。(第3講を参照)また、文脈により括弧つきで‘開発’という言葉を使うことを許していただきたい。(ここでは暫定的に、和語の‘開発’について議論しているが、先進国の中での、例えば’development’という言葉を使おうとすれば、それ自体に対する別の考察が必要である。)

 とりあえず、今確認したいことは、‘開発’をめぐる論議の全てとはいわないが、主だったものは、やはり暗黙の前提として‘近代的な’世界における‘開発’の実践なりが前提として討議されているのではないか、ということである。

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補足1:結果としての‘開発’行為をどう考えるか?

実は、非常に見落とされがちなのだが、実際に世界に‘開発’を輸出し実施、推進しているのは、多国籍企業等、民間による直接・間接的な投資による世界の単一市場化であろう。本稿では、「開発援助の現場」での‘開発’を前提に論を書き進めているが、現実の民間の動きのほうがはるかに速く、ある意味で政策や学問レベルとは全く違った座標軸で世界を変えている気もする。ただし、本稿での議論の対象とはしない。

補足2:‘脱’開発をめぐる論議とは?

 当然視野にいれなければならないと思うが、いかんせん今の私の力に負えない。今後の講義でいくつかその動きを紹介したいが、個人的には、単なる‘裏返し’の‘開発’議論であってはならないと思う。また、同時に‘開発’自体の位置付けが日本では明確にできていないとも思う。加えて、例えばエジプトの新聞で読んだが、’Development’ の推進や、‘Living Standard’の向上等の言葉は、いわば錦の旗ではないが生きた言葉として途上国では民間に流布している現実もある。したがって、今の時点で‘脱’開発を議論するのは時期尚早な気がするし、‘開発’自体の中味を問い直すほうが先であろう。

(参考文献;第3講を参照。)

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2008年11月27日 (木)

第1講:現場からみた開発

第1講:現場からみた開発

2000715

ところで、人は一体誰のために、また何のために生きようとするのであろうか。世のため人のためと言っては、あまりに話が大きくなってしまいすぎるが、実際の問題として、世界の“開発”のための“援助”をとりまく業界は存在する。

実際に目に付くのは、政府高官の国際政治がらみの巨大なプロジェクトの数々や、特にうまくいっていないものをマスコミは格好の餌食として広報してくれるが、実際には表には積極的にでてこないが、日本として、そして世界として国際機関、2国間協力をとわず、膨大な数のプロジェクトが現在進行中である。

個々の内容は、はっきりいって技術的な専門家の仕事である。実務担当者として、援助機関の職員、調査・計画を行うコンサルタント、実際の工事や調達を行うサプライヤー(商社)、コントラクター(建設)が、先進国サイドとしてあげられよう。そして、受け手(途上国サイド)として、カウンターパート(先方政府機関の担当役人)、実際に便益を受けるべき民衆・住民がいる。

いままで、この極めて密接な実務担当者たちの声は、表にでることなく(国家政策の大規模開発の場合、通例、計画自体が実施に移されるまで、公正な入札等のために原則、非公開である)、出来たもの、見えるもののみ批判が集中している。

日本の実施したプロジェクトに限ってみても、例えば、とある途上国に行って、この社会インフラ(空港、道路、地下鉄、橋、建物etc.)の建設にあたって日本の企業が計画・設計・施工したことをよっぽど関心がなければ知らないし、見てもわからない場合が大多数であろう。さらにダムや取水施設など山の中にあったり、水道施設のように地中に埋設しているものについては、全く見えないか、仮に街中にあっても道路の下のものには、全く気がつかないで通りすぎているのだろう。

これら巨大建造物や社会インフラについて、国内の事業についても、あまりに普通の人たちの関心は低い。瀬戸大橋やレインボーブリッジ、新幹線、高速道路、なにか全てあって当たり前のもの、はるか昔からそれがあったかのように思いこんでいないだろうか。

確かに、与えられているものを十二分に利用し、恩恵にあうのは当然のことであるし、都会生活者は特に、自分のゴミの処分すらできない。ひとたび災害に遭えば、ライフラインなどと言われる電気、水道、ガス、電話、鉄道、道路などの破壊は、住民に確実かつ致命的な被害と長期にわたる“不便”をもたらす。

ところで、この“便利さ”は、いつからのものかと考えれば、実はそんなに昔からのものではない。トイレや台所回り、洗濯機、冷蔵庫など、身の回りの生活設備にしても、実はこれほど普及するのは、つい最近のことである。

時代が進むと、何が変わって、何が変わらないのか。何がよくなって、何が悪くなったのか、特に渦中にいる私たちは、気がつかずに日常を過ごしている。自転車、スクーター、バイク、自動車など移動手段、テレビやラジオやカメラなど、情報機器のありがたさに気がつかないほど、日本はわずかな年月で、“みんな”の耐久消費材としてしまった。

物に囲まれる幸せさ、まさかこの数年で、テレビが各部屋に、個人が携帯電話を、テレビゲーム機やパソコンすら、みんなの玩具や文房具扱いになると誰が想像したであろう。なんでもある世界、そして物がなくてもかまわない世界。物質中心的で、みんな文字が読めて書けて、計算もできる世界と、文字をもたない世界、どちらがいいのか。人間の条件とは一体なんなのであろうか。

現実の世界は厳しい、特に途上国にいくと本当に何もないようなところで人が住んでいる。ブルキナ・ファソの地方では、全く昔ながらの生活があった。国際機関や各国の援助で、ハンドポンプ付の井戸が掘られたとはいえ、その村の酋長さんの家にはラジオとスプリングが剥き出しの鉄製のベッドと、自転車しかなかった。村の市場でたむろしていた男たちは、みな誇らしげにラジオを身につけていた。学校もあるとはいえ、彼らの何人が“高等”教育を受けているのであろう。いや何人が、読み書き計算ができるのであろう。

エリトリアに行ったときのこと、アスマラという60万人ほどの首都は、イタリアの植民地であったこともあり、モダンな西洋風な洋館のたつ街区があると思えば、町のはずれの岡の回りは、給水車がドラム缶に水を配っていた。町の市場では、親父が座っているものの、外国人である私に英語で話し掛けて、数字を計算して領収書を書いてくれたのは、小学生2、3年生かと思われる息子である少年であった。(当然、現地人相手には親父の方が貫禄がある。)

パワーエリートと民衆との接点はどこにあるのであろうか。政府の高官に付き合うのと同時に市井の人に触れ合うと、逆に亀裂や溝の深さにたじろぐことが多々あった。しかしどこでも英語学習熱があり、特に子どもに対する教育熱心さには、驚かされる。話が、どんどん飛躍してしまうが、私たちは、何を学ぶことによって、豊かになっていってきたのであろう。この日本で生きていくためには、文字は読めないといけないし、計算もできないといけない。道路の渡り方や電気・水道・ガスそのものというより、それら見えないものの危険さおよび、その器具の取り扱いを知らなければならない。文字を知らなければ、本当に生きていけない。

逆に、勉強どころではなく自然条件の厳しさに必死に戦わなければ生きていけない世界の人たちがいる。果たして、よりよい世界とは何なのであろうか。BHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)の充足がまず必要といわれるが、一体、私たちはどこから手をつけていったらいいのだろうか。特に職業として、開発に取り組まざるを得ない人たちは、どこに足場を置いているのであろうか。専門家の世界として、個々人に専門の技術が求められる職場で、私は何を足場に生きていけばいいのであろうか。

(参考文献;0-13も関連します。しかし、とりあえず海外に行って歩いてみることをお薦めします。)

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開講にあたって:いま‘開発’を考えるとは

開講にあたって: いま‘開発’を考えるとは

2000715

世の中、この日本国内に限っても途上国や開発に対する人々の関心は、非常に高まっている。ほんの10年前は、まだ欧米以外の外国に関心をもつものはいても少数であったと思う。当然、かなりマニアックな先人が多くいたことは承知の上であるが、実際、私が12年前に「アラビア語」を大学で専攻しようとした時、高校(それなりに進学校であったが)の同級生からは、随分、奇特な人とみられたと思う。

全く今思えば本当に不思議なくらいイスラームに関する認識が変わった。たった10年前なのに、ムハンマドはマホメットと言われていたし、イスラーム教徒(いまではムスリムという専門用語も定着してきたが、当時には、回教などという古い言葉を使う人もいた)は4名まで妻をもてるとか、「右手にコーランを左手に剣を」などという言葉がまことしやかに学校教育の場で語られていたように思う。

さて、そんな世論や風潮がいかに変わってきたかという、‘超’現代(*)の移り変わりについては、みなさんそれぞれが実感していると思うので詳細ははぶくが、本講でよってたつしばやんの立場について、若干、先に説明したい。

しばやんは、1970年(昭和45年)生まれである。(大阪)万博が行われたとか、よど号ハイジャックがあった年とか、「ドラえもん」が少年マンガ紙に連載開始された年と言ってもいいであろう。

世代論というか、生まれ育ちの環境は、人間形成にかなり大きな影響を占めると思われるので、ことあるごとに、それと踏まえずこのホームページで語られると思うが、逆に今、学生をしている人たちとかに対して、まず強調したいのは、「日本もホンの50数年前までは途上国であった」という歴史的事実である。

当然、戦後25年もたって生まれた私が、当時のよすがを知る由はないが、しばやんが共感できる一つの立場として、上記の言葉を軸に、今の‘開発’問題を考えていきたい。

あくまで、この講義はしばやんの実感から書き起こすが、項の終わりに出来る限りその都度、関連する参考文献をあげて読者の参考としたい。

まず、この「日本」の戦後についての手軽な概論として下記の本の立場というかスタンスを大いに参考にしていることを述べておく。

(参考文献)

0-1 加々美 光行 『アジアと出会うこと』 河合文化教育研究所 河合ブックレット30 1997

0-2 木村治美 『こころと技術革新』 文春文庫 1989(学習研究社 1985

0-3 朝日新聞学芸部 『台所から戦後が見える』 朝日新聞社 1995

*しばやんは、仮定①1955年以降に生まれた日本人は、それ以前の世代の人と人種が違うかと思うほど発想方法というかセンスがかなり違うのではないか、②1992年か93年以降は、‘「超」現代’と言ってよいのではないかと考えている。この件は別項目として「歩きながら考える」で取り上げたい。(ちなみに、当然、お気づきだと思うが、野口悠紀夫氏の『「超」整理法』が中公新書で発表されたのが1993年である。)

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「‘開発民俗学’への途 (第1部)」を転載します。 (目次)

『人類と開発フォーラム』(歩く仲間HP)上で掲載した小論です。ちょっと目立たないところにあるので、ブログのほうも転載することにします。よろしくご高覧ください^^?

続きが待てない人は、こちらへどうぞ。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

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開発民俗学’への途(第1部)連続講座>

All rights reserved by Eichi Shibata@2000-2008

今、開発を考えるとはどういうことなのか。しばやんといっしょに考えてみましょう。

しばやん書き下しの‘歩く仲間’のための実践的な「現場からの開発学入門」です。

※タイトルを「‘開発’学への途」から「‘開発民俗学’への途」に変更しました。(2005/4/15)

開発民俗学・私論を新規に連載開始します。関連記事の紹介もこちらで行います。

 (2008/1/27) New

「開発学の101冊」もあわせてお楽しみください。2008/1/27) New

2000年7月15日作成

2008年1月27日現在

                    

目 次

<第1部>

開講にあたって いま‘開発’を考えるとは (2000715日)

第1講 現場からみた開発 (2000715日)

第2講 開発をめぐる論議 (200081日)

第3項 現状分析の視座をどこにおくのか?(2000812日、2003113日補筆)

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

第4講 開発学研究入門(道具箱=ブックガイド) (2000815日)

第5講 学問と現場の違い (2003113日)

第6講 開発‘民俗’学の構想 (2003113日)

第7講 日本における開発と‘人類学(民族学)’と‘民俗学’

2007218日)2005515日着手、2007218日完成)

第8講 残された課題と展開の方向性 2007429

閉講にあたって 果てしなき挑戦 - 今後の課題 - 2007429

<コラム>

コラム1 「実践的」外国語の身につけ方 (2003831日)

コラム2 日本におけるログフレーム導入の歴史 (2005710日)

コラム3 フィリピン‘で’開発を考える (2006215日)

<関連講座のご案内>

開発民俗学・私論および

関連記事の紹介はこちらへどうぞ。

開発学の101冊はこちらへどうぞ。

<第2部>(予告編)

残された課題:

☆ 貧困の定義を考える (社会福祉と開発・援助の間にあるもの)

☆ 誰のための開発?(内発的発展論から参加型開発へ)

☆ ひとびと(現地の人と専門家と第三者(市民))をつなぐべきもの

☆ ‘開発民俗学’のめざすもの ~Over the Rainbow  新たなる挑戦~

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2008年11月 8日 (土)

身辺整理?

が何時まで続くかということですが、ようやく身の回りも落ち着きつつあります。

フィリピンからダンボール箱30箱をかかえて(実は船便)帰国して、東京で家捜しをして落ち着く間もなく転職Uターン。

6月30日に帰国してから、本当にあっという間に5ヶ月目。6月に帰国する際には、まさかこんなことになるとは夢にも思っていませんでしたが、9月末に東京を引き払い、10月1日から実家の近くで働きだし、ようやく1ヶ月。

引越しで、また東京から愛知へ荷物を送り出して、車は買いいの、まったく360度違う(こりゃ同じだ)いや180度違う仕事について、ともかくも1ヶ月。

なんとか無事に自動車通勤ができるのも、仕事にがんばれるのも、周りの皆様の理解と協力があっての賜物。やはり、まずは一番身近な家族に一番感謝ということでしょうか。

東京から愛知に戻る際に、開発関係の本は知人にまとまって引き取ってもらい、アラブ・イスラーム関係も整理して、そのうちまとまってどなたかに寄贈するつもりです。

仕事とは別に続けていきたいのは、①開発民俗学、②海洋民族学かな^^?
地域というか地方からの発信は前者①については十分可能であると思うし、海外業務の総括というかフィードバックにも取り組みたい。後者②は、実はマリン関係の仕事に転職したので、まったくの趣味ではなく取り組めそう。

ちょっとずつではありますが、体勢を立て直してこれからもがんばって生きたいと思います。

今思うのは、あまり手を広げてしまっては全然収束しない。

捨ててこそ浮かぶ瀬もありというか、開発援助とアラブ・イスラームを捨てた自分に何ができるのか、自分でもわくわくしています。

どこにいても、しばやんはしばやん、自分の途を歩むのみ。

これからもよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

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2008年6月 6日 (金)

石弘之編 『環境学の技法(Social Methods of Environmental Studies)』

ご存知、東京大学大学院新領域創生科学研究科環境学研究系の研究者(教員)たちによる教科書です。

Photo 石弘之編 

『環境学の技法(Social Methods of Environmental Studies)』

東京大学出版会

2002年4月 初版

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

元朝日新聞記者の石弘之氏が率いる東大の環境学科の若手先鋭の研究者の作った教科書。発売されてすぐの2004年10月に購入して読んだのですが、さすがに内容の濃さとそのレベルにはうならされました。(もう既に石教授は退官されています。)

ところで1990年代の前半、特に少子化、国際化、バブル崩壊後、日本の競争力にかげりが見えてきたことなど、さまざまな要因の中で、大学や大学院の役割に対する社会的な批判とより現代社会にあった高等教育への要望の高まりのもと1994年に大学改革が行われたわけですが、その時に最も混乱が大きかったのは、一般教育課程と専門教育課程の区別が実質なくなったことでしょう。その中で、いわば一般教育過程の先生だけで学部なりを作らなくてはならなくなって、また上記の社会のニーズにこたえるためにも、かなりの無理な学部の再編成やら混乱が生じました。

その中で、特に時流といいますか時代の要請で、環境学や国際関係にかかるさまざまな学部・大学院の設置が行われたことは特記すべきことであったと思います。

特に、国際開発(関係)学についても、文部省は分野ごとに重点校を置き、1992年ごろから独立した国際開発学にかかる多くの大学院を設置しました。

そのような大きな時代の流れの中で、東京大学も学部・大学院改革を行ったわけですが、東大は、国際開発に関しては、まず大学院に新領域創生科学研究科の環境学研究系をおきました。

つまり「環境学」といいつつも、かなり国際開発学にも眼を配った大学院であるといえます。

この本は、そのような混乱期の日本の環境学・国際関係学の大きな波を一つ超えたところで編まれた本で、今までの日本における環境学の流れと、今後の方向性を示したということで、今後も読み継がれる価値があると思います。

それとおもしろいのが、1994年に先の大学改革に絡んで、東大の教養課程の教科書として小林康夫氏や、船曳建夫氏ら若手教官?により『知の技法』と『Universe of English』など新しいタイプの教科書が多く出され、社会人の間でも非常に話題になりました。私も数冊読みましたが、この本も、多分にもれず「技法」という言葉を使っているところもニクイですね。

目次

はじめに 石弘之・佐藤仁

I 問題を設定する

第1章 環境学は何を目指すのか 環境研究の新たな枠組みの構築 石 弘之

第2章 「問題」を切り取る視点 環境問題とフレーミングの政治学 佐藤仁

II 状況を解釈し、一般化する

第3章 個別現象限りの知見に終わらせない工夫 永田淳嗣

第4章 環境評価と新しい経済モデルの方向性 R.ノーガード

III データを集め、判断する

第5章 環境学におけるデータの十分性と意思決定判断 松原望

第6章 越境するフィールド研究の可能性 井上真

本の横帯に「文系からの直球勝負」とありますが、その名に恥じない内容とは思いますが、実際には執筆者の6名のうちの半分は理系の学部というかバックグランドです。

まあ、逆にいえば、環境学も国際開発学も、文系一本やりでも理系一本やりでもだめというか、コアはもちつつも、双方、もっといえば全てに目配りができないとダメだということなのでしょうね。多分。

繰り返しになりますが、この本は「技法」というかものの考え方に重点を置いているので、そういう意味では最新のフィールド科学の手法や成果を取り入れていますし、「技法」としては、あまり古くならないものを持っていると思います。

そういう意味で、やはり一つの教科書としてお薦めできると思います。タイトルに関わらず、広く国際開発や新しいフィールド科学に関心のある人に読んでもらいたい本です。

ではでは^^?

P.S.

ところで、「技法」について私見を一言。

私は「技法」と「倫理」は別のものだと考えていますし、逆に分けて考えるべきだと思います。特に環境(学)や開発(学)については、どうしても情緒的な感情論に流されがちですが、それでもやはり正確な現状認識としての科学的な、論理的な「思考」や「技法」も必要です。当然、それが全てではないことは言うまでもありませんが、私が思うに、現状認識が一般に甘いのではないかということを、マスコミや有識者といわれる人たちに関しても思うことが多々あります。

また逆に「技法」はある程度の訓練で身につけることができると思いますが、「倫理」感や「思想」そのものは教えきれない(教育で押し付けられるものではない)という側面があると思います。

そのような意味で、東大の一連の「技法」シリーズは、学問の限界をわきまえているというか、その割り切った考え方が好きです。

考え方は教えるけれども答えは自分で考えなさい的な突っ放し方、つまりあえて「倫理」に踏み込まないというバランス感覚は、非常に評価できると思います。

また「技法」というか「技」は、技として常に磨いていないと、いざというときに「現場」で全く使えないのですよね。でも「現場」から「技法」に立ち返るというかフィードバックは当然あるべきですし、「技法」自体も個々人で進化(深化)させていくべきものだと思います。

まあ、私がいうことでもありませんし、まったくの蛇足ですが。

ではでは^^?

(この項 了)

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2008年5月28日 (水)

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 ~ まず‘違い’を認めるということ

最近、伊藤亜人著 『文化人類学で読む日本の民俗社会』という本を読んでいるのだが、これがまた知的刺激に富むというか、一言でいうと非常におもしろい。

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08052800 <コラム1>

伊藤亜人

『文化人類学で読む日本の民俗社会』

有斐閣選書 有斐閣 2007年12月発行

お薦め度: ★★★★★

対象レベル: 中級以上

一口コメント: 

補注が全くないので、ある程度の予備知識や専門知識がないと何を言おうとしているのかわかりにくいのではないかと思う。

つまりこの本だけでは氏の考えの根拠をトレースしにくい。しかし取り上げている項目は非常に多岐にわたり、おもしろい視角を提供している。

日本の民俗学の死角をついているというか、(文化)人類学との比較の視点が私には新鮮であった。

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つまり概説書でもなく教科書でもないのだが、氏の長年の日本の及び韓国、中国での民族学調査の経験を元に、東京大学系の文化人類学の重鎮としてのキャリアから、日本の民俗と民俗学を逆照射している点が非常におもしろい。

特に私の興味を引いたのは、日本の民俗学(者)や、われわれ日本人が自明だと思っている概念や事実がそうではなく、民俗学者が民俗語彙として使っている専門用語でさえも(文化)人類学の範疇では、かなりの厳密な用法上の注意がいるということ。

開発‘民俗’学を語ろうとしている私にとって、世界と対話するには、ちゃんと文化人類学とか社会学など近接人文社会科学で使われている専門用語の裏側にまで注意を払わなければ、対話が成り立たないということがわかっただけでも大きな収穫であった。

まだ読了していないので、詳細はコメントは後に譲りたいが、ここで3点ほどメモ書きを。

1.開発‘民俗’学は、広義には、世界で言われるところの「開発人類学」や「開発民族学」の一部門であることは疑いようもないし、事実であろう。

2.しかしながら、日本の「民俗学」の発展過程で培ってきた概念用語や方法論は、十分、世界に通用する普遍性をもつ可能性はある。

これは、今、あわせて読んでいる上田和男他編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978 の内容(柳田国男以降の研究史)を見ても十分証明?できると思う。

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08052803 <コラム2>

上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編

『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978

お薦め度: ★★☆☆☆

対象レベル: 中級以上

一口コメント:

‘古い’といわれて久しいが、やはり‘民俗学’のオーソドックスな学説史の簡易なハンドブック(当然、1970年代まで)としての価値はまだあると思う。柳田国男の高弟たちが分担執筆している点でも興味深い。

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3.ただし、そのためには世界的に通じる共通言語をもたなければならない。つまり、適当な翻訳語を無自覚に使うのではなく、たとえば英語のもつ意味と、日本語の民俗語彙の持つその‘違い’をふまえたうえでの議論をしなければ、専門用語で書かれた論文であったとしても、言葉が通じないばかりか全く意味が通じない可能性が非常に高いということである。

私は、そもそもは、日本人の開発に関わるひとりとして、日本人のセンスや知見について、特に日本人自身の注意を喚起するつもりで、「開発民俗学」などを提唱してきたが、やはり本当のターゲットは、日本人だけではなく世界の誰もが共有できる知を提示することにあることに気がついた。

結局、仲間内で盛り上がるだけの‘閉じた世界’ではだめなのだ。

私は自信をもって、日本の民俗学の知見を世界に発信していきたいと思う。

そのためには、相手の‘土俵’に乗ることも必要であろう。だが、相手の概念用語だけを使う必要は全くない。新しい‘土俵’を新たに作り出すことも必要だと思う。

とにかく、いかに日本の民俗学と世界の人類学との距離があることにきずかせてくれたこの本は一つの手引きになろう。

まず‘違い’を認めた上で、共通なものや共感できるモノやコトを探っていく。それが21世紀の知のあり方であると思う。

詳細や具体的な論考は今後に待て、といったところでとりあえず今日は筆をおかせていただきます。

ではでは^^?

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2008年5月25日 (日)

ジョジョの奇妙な冒険DVDとコーラン問題

mixiの日記で、先日取り上げた記事ですが、どうも気になるのでこちらにも転載させていただきます。

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<関連の新聞記事>
「アニメ「ジョジョ」イスラム圏の批判で一部出荷停止」(共同) IZAβ版 2008年5月22日 22:38
「コーラン」登場の批判、昨年から数百のサイトに-アニメ「ジョジョ」」 時事ドットコム 2008年5月22日 20:31
「アニメ 「ジョジョの奇妙な冒険」 中東で高まる批判」 FujiSankei Business i 2008年5月23日

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「あまりに安易な行動だったのではないかと思います。」  2008年5月24日

「ジョジョDVD コーランで批判 」の毎日新聞の記事について

ジョジョの原本を見ていないし(基本的に今マニラだし)限られた情報だけでコメントするのも難しいので一言だけコメントを。

ニュースに対するミクシイの書き込みでもずいぶん紛糾していますが、アラビスト(しかしムスリム(イスラム教徒)ではない)としてのしばやんとしては、また余計なことをやってしまったなあという感じです。

作者(漫画家)ではなくて、アニメの製作スタッフがなにげにコーランだと知らずに文字をそもそも何も書いていない本に転記してしまったという説明はたぶんそれなりに正しい(うそではないと思いたい)と思いますが、でも配慮がないよなあ。

たまに他のマンガでも見かけますが、とんでもないアラビア文字が何の脈略もなく書かれていることがあります。

なんで、こんな場面にこんな言葉が・・・?もう絶句という感じで。

イスラーム書道(カリグラフィー)が日本でも最近話題になっているようですが、神の言葉(コーラン)に対しては細心の注意が必要です。それは単なるわけのわからない文様でもなく‘一枚の紙切れ’では決してないのですから。

海外や日本でも、怪しげな漢字や日本語をプリントしたTシャツを着た人(特に外国人が多い)がいますが、その文字を読める日本人が、冗談だと笑うぐらいのギャグならいいのですが、間違ってもイスラーム教徒が自分の命より大切だとする神や神の言葉を軽々しく扱ったとしたら、いくら知らなかったとか、悪気はなかったといったとしても、かなりの制裁を受けることは、彼らの立場に立ってみれば常識というか当たり前のことです。

古い話題ですが、「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐教授は、それだけ?で暗殺されましたからね。

私が大学で学んだ15年前に較べたらそれなりにイスラームやムスリム(イスラーム教徒)についての情報が日本でも増えてきたと思いますが、それにしても、依然として偏向した意見も多く、マスコミ自体も識者とされるコメンテーターも、‘全くわかっていない’のではと耳を疑うことが今でのあります。

もう少し、隣人としてのイスラーム(教徒)についての配慮が必要なのではないでしょうか。昔とった杵柄というかちょっと古い情報ですが、しばやんからの情報提供として。

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

しばやんって何者といわれそうですが、開発コンサルタントが仕事ですが、アラブ・イスラームは大学時代からしつこく?勉強し続けています。

歩きながら考えるがモットーです。

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この記事では、とりあえず「DVDの作成者の脇が甘い」ということと「軽々しくこんな?情報だけでイスラームやイスラーム教徒をジャッジするな」を主張したのですが、どうも気になって、今日(5月25日)、以下の記事をmixiの日記のコメントとして追加しました。
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いろいろ気になって情報を集めているのですが、どうも今回の事件?が誰かの‘意図’によってつくられたものではないかという気もしてきました。

陰謀説に組するものではありませんが、どうも裏がありそうですね。経緯も怪しいし、どうも誰かのメディアに対する、もしくは特定のメディアの情報操作があったような気がします。

でも実際には、マスメディアの報道によって、事実や真実とは違った派生的な情報までが行きかい、果てには元の情報とは違った情報が話題になってしまう。

どうもこちらのマスメディア社会の構造そのものが恐ろしい気がします。これでは市民参加の情報戦というか、別に今の世の中で専門家の優位性や特別性を持ち上げる気はしませんが、どうもみんな手探りで不確かな情報や憶測や思い込みだけで‘世論’というか、なんらかの‘雰囲気’や‘空気’が生み出されてしまう。

この後、この問題が変な展開をたどらないことを祈っています。

P.S.

どうもなんらかの悪意をもったものが情報を操作したという疑惑が抜け切れません。私も‘なにか’に洗脳されているのかなあ。
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こう書き込んだ直後に、こんなブログの記事を見つけましたので、ひとつの見方として紹介します。
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「ジョジョの奇妙な冒険のイスラム教冒涜問題」
このブログでは、ある通信社のマッチポンプではないかという説をあげております。
実際、これからもいろいろな意見や議論がでてくると思いますが、私としましては、どうも裏がありそうですよということのみ述べさせていただいて、一旦、この件につきましては筆をおかせていただきたいと思います。

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2008年5月16日 (金)

「持続的な(経済)成長」や「環境にやさしい(科学技術)」や「貧困削減」について

日本で7月に洞爺湖サミットを控えているためか、最近、上記の言葉をよく日本のニュースで聞いたり新聞などで目にするが、どうも違和感を感じている。

自分自身、その中というか非常に身近なところにいるはずなのだが、なぜしっくりとこないのだろう。別に世論に棹をさすわけではないが、何が気になるのか以下に綴りたい。

「持続的な(経済)成長」

今、地球環境問題や貧困の問題が、ビックイッシューとして、専門的にはグローバルイッシューといわれているが、茶の間にも上るようになってきたが、私にいわせれば、別に今日に始まったことではなく、私が学生時代の20年前でも既にビッグイッシューであった。

その時に、地球環境論という大学のリレー式講義で学んだのは、エントロピーの理論、具体的には熱力学の第2法則であり、つまり閉鎖系では熱は無限大に増大する。定常状態を保つには開放系でなければならないということだった。その時点で、理系のエントロピー学者が提起したのは、今までの経済学は、負の生成物を外部経済として経済の外に締め出して、永久の経済成長を謳ったが、実は物質の循環を無視した(寸断した)上で、かつ閉鎖系での成長のみを夢想?したために、経済活動をすればするほど負の蓄積がたまるという負の連鎖を生み出している。

つまり結論として、(自然)科学法則に従う限り、「持続的な経済成長」はありえないというのが既に当時でも「答え」であった。

「環境にやさしい(科学技術)」

最近、公害を減らすとか環境にやさしい科学技術とかいって、太陽光とか風力とか水力(これは納得できる)が改めて脚光を浴びているが、太陽光発電と原子力については、火力発電と較べても、はるかに効率が悪い。つまり半導体を作ったり原子力の原料を生成することや原子力サイクルを安全に維持するために多くの化石燃料、つまり石油をつかうので、ただ普通に火力発電を行ったほうが、はるかにエネルギー効率がいいというのもまた、20年前でも科学的?には、常識であった。

「貧困削減」

20年前と較べて非常に悪くなったと思うのは、ここまで世界の‘貧困’が日本の茶の間で語られるようになったことである。

私にいわせれば、‘貧困’の定義自体があやしいし、その実体について、具体的にはどう定義されたりイメージされているのかが非常にあやふやだ。

まあ世銀や国連がその言葉(貧困)を盛んに煽り立てたという気がしないでもないが。

つまり、‘貧困’状態は、いつでもどこの社会でもあったと思う。ただ、その露出のされ方というか取り上げられ方がおかしいのだ。

少なくとも私の学生時代は、アフリカやアジアの途上国に対して自然災害や人災(戦災も含む)による具体的な「飢餓」などの事件は話題になったが、事件性のない「貧困」自体が問題になったという気がしないのだ。

昔から「恵まれない子に愛の手を」とかいう実体が判らない抽象的なアジテートは大きらいであったが、どうも「貧困削減」という言葉も、最近、そのような軽い言葉に成り下がってしまった気がする。

「実体が判らない」ということを具体的にいうと、つまり「誰にとっての」とか「何(誰と)に較べて」とか「本人はそのことをどう思っているの」という話者の立場が非常にあいまいであることに私は不信感を感じるのである。

また‘貧困’自体は、途上国にかぎらず日本にもアメリカにもどの社会にも存在するし、どの時代を振り返ってみても、全く‘貧困’と縁のなかった社会はなかったと思う。繁栄の陰に貧困あり、もしくはみんなが貧困? でもその場合、みんなが同じ程度、貧困である場合、彼らは、互いに‘貧困’だといいあうのだろうか。

「貧困」の辞書的な意味としては、「貧乏」とか「困窮」、「不足」などがあるが、日本語の場合、物理的な‘モノ’がない場合にも使うが、精神的な‘コト’を示す場合もある。

つまり‘貧困’とは、「貧しい」ことと「不足」であることをさすようだが、いずれも‘何か’との比較を前提にした言葉であることに注目したい。逆に言えば、比較すべき‘何か’を持たない(知らない)人にとっては、自分の何が「貧しく」て{不足」しているのかを気がつくことは非常に難しい。

結局、何かをわかったつもりの人が、上から目線で「お前は貧困だ」といわなければ、当の言われる人にとってみれば、何が‘貧困’なのかわからないのである。それは、何かとの比較によってしかわからない。逆にいえば、そう言われた人が別の尺度をもってきて、言った人に向かって「お前は貧困だ」ということも原理的に可能である。たぶん、それは、「貧困なる精神」とでもいうのであろう。(これでは、まるで本多勝一だ。こりゃ^^?)

本来の「貧困」の意味は、もっと多様でいろいろな側面や性質を持つはずである。また福祉学では常識であるが、人生の年代によっても「貧困線」を下回る危機がおとずれる。同じ人であっても時期によって貧困になるときも、それを乗り越えられることもある。つまり時間的な流れの中でも、その状態を検討しなければならない。

ところで、そもそも今、学問的に言われている「絶対的貧困」も「相対的貧困」も‘貧困’そのものを指し示したものではない。

もともとは「困窮」状態を経済的に割り戻したのが貧困線だとされているが、そもそも「貧困」理論の根本的な弱点は、経済尺度だけで物事を測ろうとしたところである。

つまり貨幣に換算できる‘もの’の尺度でしか測れないという点は、いかんともしがたい。基本的に旧来の貧困線は、相互扶助とかの社会関係性(ソーシャル・キャピタル論として近年、話題になっている)については見落としというか計算に入っていない可能性も高い。

HDI(人間開発指標)は、それを克服すべく生み出されたといわれているが、それでも‘ものさし’をつくった人間‘が’知覚する‘測れるモノ’の組み合わせでしかない。

ここでは、‘ものさし’の議論をするつもりはないが、誰に都合のよい‘ものさし’、もっと広くいえば‘ルール’であるのかについては、常に考えるようにしたほうがいいと思う。

内省も含めて、得てして力を自覚しているものは自分の都合のいい‘ものさし’で物事を測ったり、自分の‘土俵’だけで人と争いがちではないかという点を指摘しておく。

あとどうしても納得がいかないのが、なぜ「途上国=貧困」という図式が特に日本ではイージーに成り立ってしまうのかが不思議でならない。

最近の若者は、はるかに以前の世代のものに較べて確実に世界が近くなっているはずだ。あなたが旅先でみたものは、「貧困」だけなのであろうか。そこに住む人たち、彼らが作った建造物、着物、食べ物、彼らが手を加えてきた自然など、その土地の歴史や文化を感じるとき、それは「貧困」とは直接違ったものを感じているはずだ。

あと気をつけてほしいのが、どんな途上国でも、ほぼ間違いなくわれわれよりはるかに大金持ちの特権階級(エリート)がいるという現実。彼らが政治や経済などの国の基幹を握り締めていて、その既得権益は容易には手放さない。

また、日本には階層があっても階級がないといわれるが、どの世界でも階層はおろか階級というものが厳然として存在する。階級を越えて下克上とか出世ができる世界は、世界を見渡しても、ほとんど存在しないといわれている。

今、ちょっとおもしろいと思っているのが、インドの「カースト」は「階級」ではなくて「棲み分け」だという話である。今西進化論(生態論)にもつながる話だと思うが、欧米人(イギリス時?)が「階級」と捕らえたこと自体が間違いであるという話がある。このような世界観の読み替え自体、非常に興味があるので、わたしももっと詳しく追及していきたい。

とにかく、時代のデマゴーグや誰かの言った(書いた)理屈や理論にだまされずに、自分の眼でみて自分の頭で考える。自分の納得できない(よくわからない)言葉に惑わされないように生きていきたいものだと思う。

(この項、了)

P.S.

「貧困」論については、以前より社会福祉の文脈で捕らえなおそうとしているが、訳のわからないというか非常に議論の錯綜している難しい問題である。上記では、端的な私見を述べたが本来は、いろいろな学説(経済学、社会学、その他の諸学)をふまえて書き直したほうがいいと思う。

ただ、気をつけなくてはならないのは、自分がどのパラダイムに立つかによって、見方がかなり異なってしまうことである。私は、自分の拠って立つところを無自覚に意見を述べることはしたくない。

学説というか学者の本で不満なのは、その自分が拠って立つところに無自覚なものが少なくないことである。そこを差し引きしつつ本を読まなければならないところが面倒くさいのだが、それがまたおもしろかったりする。まあ、どうでもよいつぶやきですが。

ではでは^^?

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2008年4月30日 (水)

佐々木直彦 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

前回、ブログで、リサーチャー(研究者)とプランナー(計画者)とコンサルタントは違うという話をさせていただいたが、では、コンサルタントって何かということに、非常にクリアに答えてくれる本があるので、ここで、紹介させていただく。

Photo 佐々木直彦

 『新・知的ビジネス・スキル講座 コンサルティング能力』

日本能率協会マネジメントセンター 1998年12月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 最近、ようやく‘コンサルタント’という言葉もポピュラーなものとなってきた観があるが、いざその定義、実際の業務として何をしているのだろうという疑問が湧き出してくる。

最近でこそ、ITコンサルタント、経営コンサルタントなど時代の最先端なイメージがあるが、そもそも日本におけるコンサルタントとは、コンサルティング・エンジニア(技術士に代表される)と経営コンサルタント(中小企業診断士)であった。

この本では、副題にあるように「Consulting Skill and Consulting Mind」とあるように、コンサルタントの業種に限らず、そもそも‘コンサルタント’の「技術」と「その心掛け」について広く語っている。

私自身は、‘開発’コンサルタントという業界の末席にいるわけであるが、佐々木氏のいう「コンサルティングマインド」そして、その技術や方法論に非常に共感と感動を受けた。

佐々木氏は、コンサルティングを、このように定義する。

「コンサルティング能力とは、未来に向けて、クライアントの問題解決や夢実現を助ける能力を言う。」

その過程として、以下のステップを掲げる。(括弧内は引用)

「I.問題の発見

II.解決策の立案

III.プレゼンテーション

IV.変革の推進」

前回、「研究から実践」にというところで苦情を呈したわけであるが、研究では上記のステップでいえば、「I.問題の発見」に留まっているというか、その問題を「学問の場」への還元はするが、実際の現場(フィールド)にフィードバックがないことが多いし、次のIIからIVまでのステップが基本的にないのである。(なくても許されてしまう?)(*)

この本は、「コンサルティング能力」のあり方を根本に問うており、知識ではなく、「生き方」としての「コンサルティング・マインド」について論じている点、セクターや分野に限らず汎用性があると考えられる。

この本で述べられているステップ、方法論そのもののロジックは、まさに「開発コンサルタント」がやっていることと同じである。

参考までに、第1章から第4章の目次を以下に掲げる。

「序章 なぜ「コンサルティング能力」が必要なのか (詳細は略)

第1章 問題を発見する

 アプローチ能力

 リサーチ能力

 取材・インタヴュー能力

 問題整理・構造化・分析能力

 レポート作成能力

第2章 解決策を立案する

 コア・コンセプト設定能力

 目標設定能力

 ビジョン創造能力

 プロセス設計能力

 メソッド開発能力

第3章 プレゼンテーションを設計する

 プレゼンテーション構成力

 企画書作成能力

 話力・説得力

 総合的演出力

第4章 変革を推進する

 浸透化・巻き込み能力

 プロジェクト推進尿力

 組織文化変革能力

 葛藤処理能力

第5章 自己価値を創造する (詳細は略)」

また、以前コンサルタントは必ず‘落としどころ’を考えて行動するということを書いたが、この本でも、リサーチの段階から、つまり「フィールドワーク」の段階から、クライアントに対する(変革への)フィードバック、ワークショップ(ファシリテーション)を常に考えていることを明確に述べている。

つまり、それが「コンサルティング能力」なのである。

今日の企業社会では、自己変革と、新たな市場開拓に向けて、さらには社内的にも「コンサルティング能力」が必要とされている。

「開発コンサルタント」に関心をある方のみならず、どんな職業であれ自らの未来を自ら切り拓いていきたい人に広く薦められる一冊である。

(この項、了)

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2008年4月28日 (月)

映画 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』 あるいはザ・ビートルズの時代について

という記事を、ブログ「Life, I Love You!」のほうにカキコしました^^?

映画のサントラ(サウンド・トラック)の紹介ということで、Lifeに書きましたが、内容はバリバリの硬派で、やはりこちらに書くべき内容でした。

「‘わたし’の平和学~冬が来る前に!」のカテゴリーであるべき?内容ですので、こちらにリンクを張っておきます。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/04/music_from_moti_4865.html

お手数をおかけしますが、ご高覧いただけましたら幸いです。

ではでは^^?

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2008年4月27日 (日)

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 あるいはプロジェクトデザインと評価について

開発(援助)の制約条件である「プロジェクト」と、その「プロジェクト」の円滑な運用の鍵を握る「評価(Evaluation/Assessment)」に関して考察してみました。

Photo

NPO法人アーユス編 『国際協力プロジェクト評価』 国際開発ジャーナル社 2003年9月発行

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント: 国際協力プロジェクト(ODAやNGOを問わず)のプロジェクトデザインと評価を考える際の基本的なツール(道具)を示してくれた適切な入門書。ただし、内容は濃くある程度の‘開発’と‘プロジェクト’の基礎知識がないと理解はむずかしいであろう。

正直、ようやく読了したというのが実感である。仕事柄、書籍のチェックや購入は結構早いほうだと思うが、積読や拾い読みが多く、どの本も読了するのに時間がかかる場合が多い。

私は梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』 (岩波新書)で習ったごとく、完全に読了しなければ「読んだ本」としてカウントしない。まあ非効率なこだわりではあるが^^?

さて、一口コメントで述べたことだが2点ほど詳細に言及したい。

1つ目: ‘開発’と‘プロジェクト’との関係について

‘開発’行為と‘プロジェクト’という概念というかイメージがある程度ないと、この本の記述は理解しにくい。

そもそも‘開発行為’すなわち、外部からの強制的?な働きかけ、あるいは‘地域’の‘内発的な発展’のどちらについてもいえるのであるが、そもそもそのような‘もの’は、普通に考えてわかるように静かにというかひそかに潜行して徐々に時間をかけて社会変容をもたらすものであると考えられる。

現実の世界は、徐々に変わっていくのであって、今日からとか何時から突然に何かが変わるということは非常にまれなことであり、傍目にはそう見えても、実はそれが現れるまでに非常に長い潜伏期間がある。私は、‘開発’とは基本的に、個人個人の(社会)認識が変わることによりもたらされる、受容される、内部から創造されていくものであると思う。

私の唱える「開発民俗学」は、適切な言い方かどうかは別だが、それを助ける乳母の役目を担うものとして、さすらいの「風の人(異人=まれ人)」と地に足をおろした「地の人」との‘交流劇’というドラマを想定している。

人と人が出会うことによって生まれる‘何か’が、その地域社会を変えていく、またそれは「風の人」自体も変えていく。

そのような(時間的に)長期的な視野と、地理的な広がり(異質な地域性がぶつかったほうがそのインパクト(衝撃)が大きい)の両面に目配りしたフィールドを設定する。

ところが、ご存知のとおり、現代の社会は、そのような長期的なものの見方や地域の違いに配慮したものの見方は、しない・できない構造となっている。これは、近代世界の資本主義社会のパラダイムそのものの弱点といってもよい。

つまり何がいいたいのかというと、そもそも時間をかけてはぐくむべき文化や社会(変容)に対して、近代世界は、「プロジェクト」という枠組みでしか取り組めないという現実である。(最近、援助業界では「プログラム・アプローチ」という言葉を持ち出しているが、所詮それは「プロジェクト・アプローチ」とその拠って立つところが同じである。つまり同じものと扱っても、まったく問題がないので以下の論考ではそれも含むものとする。)

さて、「プロジェクト」とは何か。いろいろな定義があるのは承知だが、ここでは、PMBOKによる定義は以下のとおりである。

「プロジェクトとは、独自の成果物またはサービスを創出するための有期活動である。」(*1)

また日本における「プロジェクト&プログラムマネジメント(P2M)」による定義は以下である。

「プロジェクト(project)とは、特定使命(Specifice Mission)を受けて、始まりと終わりのある特定期間に、資源、状況など特定の制約条件(constraints)のもとで達成をめざす、将来に向けた価値創造事業(Value Coreation Undertaking)である。」(*2)

ここでのポイントは、プロジェクトには①特定の目的があり、②資源の制約があり、かつ③期間の限定がある、ということである。

ちなみに、上記に引用したガイドブックにしたがうと、「①スコープ・品質、②期間、③資源(ヒト・カネ・モノ)」をプロジェクトの3要素としている。(*3)

先に述べた「現実の世界」つまり、ばらつきがあり、不特定であり、私の理論にいう「人と人が出会うこと」により‘何か’が生まれるなんて、悠長で偶発的で、適当なもの、が「開発」なり「内発的発展」の要であるという考え方とは180度とはいわないものの、かなりベクトルが違うことにお気づきになるであろう。

さはいいなん、開発援助の現場では、以前から今まで、さらには、これからも近代資本主義のパラダイムである「プロジェクト」形式でしか、(発展)途上国への介入ができないという問題をかかえている。

ODA事業に対しては、その「プロジェクト」形式であることは比較的わかりやすいが、NGOの行う事業についても同じ「プロジェクト」をめぐる問題が発生している。つまり、NGOといえども、特定の同じ地域に何年、何十年もエグジットプラン(Exit Plan、脱出計画)なしで、事業を続けることは‘金銭的’にも‘支援者’に対してもできないのである。

ボランティアの支援者に対して、10年やっても20年やっても、全然地域の貧困が解決しませんということはいえるわけもない。

つまり、この本は、「プロジェクト」の入口と出口を考えたときに、何がどのようによくなりもしくは悪くなかったのか、地域やそこに住む人々がどのように変わったかを知る=評価のための総合的な案内書であるといえよう。

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注: プロジェクトマネジメント資格認定センタープラネット・ワーキンググループ 『めざせ! P2Mプロジェクトマネジャー PMS【プロジェクトマネジメント・スペシャリスト】』 日本能率教会マネジメントセンター 2002 より引用。*1は、同29ページ、*2は30ページ、そして*3は、36ページを参照のこと。

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2つ目: 実務者のツールの扱いの難しさについて = アンチョコ的なマニュアルとして読んでほしくはないということ。

この本は、全員がNGOの駐在員など実務者であり開発フィールドワーカーの第一線にたつ人たちが共著しているという点で興味深いと共に、ぱっと読みでは気がつきにくいであろうが、個々の執筆者のそれぞれの現場でのフィードバックに基づく記述は、なかなか細に射り穿ったものである。

その点で、非常に評価されるべきもので、コンパクトなチェックリストとして実務家の助けになるであろう。

ただし、「プロジェクト」という概念を受け入れたという上での、アンチョコなマニュアルやガイドラインとして使われかねない危険性もある。

またこの本について、先に‘案内書’と書いたが、フィールドワーク論、アンケート論、質的調査法、統計処理法など、個々の技術(テクニック)や、そもそも方法論の背景にある思想については、別途、社会学や経済学などの基本的な考え方を研究する必要があるともいえる。

したがって、大学生や院生にいいたいのは、この本は表面だけを読んでもわからない(イメージがわきにくい)ので、せめて学部では基礎的なディスプリンの‘考え方’を身につけることをお薦めしたい。当然、このような‘実務’や‘実践’の世界のテクニックを知ることは無駄ではないが、初歩的な基礎なしには、社会科学手法は使えませんよということを、繰り返しになるが強調したい。

また、評価をデザインすることは、とりもなおさずプロジェクト・デザインの精度を高めるということにつながることも蛇足ながら付け加えておこう。

つまり、(事後)評価(Evaluation)は、事前評価(Assessment)と表裏一体のものであり、Evaluationの技術は、そのまあAssessmentに使えるということである。

私自身、新規のプロジェクトの事前調査をおこなったときに、並行してこの本を読んでいたのだが、その手法や考え方は非常に参考になった。

逆にいえば、プロジェクトを立案する際には、当然、このレベルの評価スキルを持っていないとだめだということの裏返しでもあろう。

本音では、「プロジェクト」を越えた‘何か’がしたいと思っているのであるが、当面は与えられた「プロジェクト」というものの‘精度’を上げる、これはアセスメント・評価およびマネージメントのいずれの側面に対してもであるが、ことに力を注いでいる。

だが、私はそのような努力をすることは、‘明日への一歩’につながっていると信じたい。

(この項、了)

P.S.

プロジェクト評価に関して、2冊ほど類書を紹介しておく。いずれの本も日本の援助(特にODA)のプロジェクト評価を考える上で参考になると思われるので、前褐書と併読されることをお薦めする。

Pcm PCM読本編集委員会 

『PCM手法の理論と活用』

国際開発高等教育機構(FASID)

2001年5月

お薦め度: ★★★★☆

一口コメント:

日本のODAにおけるPCM活用の実体について第一戦の実務者が語るおそらく日本で一番適切な事例書であり理論書。

PCM手法(PDMを含む)に関しては、いろいろな批判も多いが、現場で実践している人たちのこの本を読まずして批判を口にするなかれと言いたい。(ほとんど全ての問題(批判)について実務者のレベルで考察している)

Photo_3 独立行政法人国際協力機構 企画・評価部評価管理室編 

『プロジェクト評価の実践的手法 考え方とつかい方 JICA事業評価ガイドライン 改訂版』

国際協力出版会 2004年3月

お薦め度: ★★☆☆☆

一口メモ: JICAにおける事業評価ガイドラインということで紹介させていただくが、内容は非常に難しい。ただ、現実の業務(プロ)の現場で求められている作業やレベルの一端がわかるというメリットはある。

そもそも‘事業評価’だけでも一つのプロフェッションになってしまうのだが、私としては、当事者(NGOや、評価以外の専門を持つ方)が自分で評価ができることを目指した前掲書(国際協力プロジェクト評価)で、‘プロジェクト’や‘評価’の概要をつかんだ上で読まれることをお薦めする。

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2008年4月25日 (金)

「フィールドワーク」と「ワークショップ」の連続性と渾然一体性について

お断り。

mixi「開発民俗学 「地域共生の技法」」に2008年4月24日に書き込んだ私の記事を以下、転載させていただきます。

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Pict7122

(写真説明:

2007年3月のミンダナオでのワークショップの様子。ローカルコンサルタント(私の助手?)が、プロジェクト受益者にインタヴューをおこなっています。なお、この調査は記事のプロジェクトとは関係ありません。)

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<その1>

河童のKantarrowさんの『RRA 普及・向上委員会』コミュの トピック 「RRAの有用性について意見をお聞かせください」に以下のような書き込みをしました。

みなさんのご参考まで、転載させていただきます。

<2008年03月27日に書き込みました>
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河童のKantarrowさん、こんにちは。

メンバーに入れされていただきましたしばやん@マニラです。

農業・水資源・地域開発の開発コンサルタント会社の駐在としてフィリピンに駐在して5年目になります。

基本的に農業専門の会社なので、農業・農村開発の仕事が圧倒的に多いのですが、ここでは自分の実際に行ったワークショップから。

まずフィリピンの水利組合強化の技プロの事業評価を行ったのですが、現場でトレーニングの達成度を調べるのに、政府としてとっている指標のアップデートとは別に、①灌漑システムのマップ作り(これは水利組合ごと)、②季節カレンダー(雨季乾季と農作業とトレーニングの時期の適切さを検討するため)そして、これらの水利組合メンバーによる作業と平行して③フォーカスグループディスカッションを行いました。

あと水利組合のヒストリーとかいくらでもRRAで特に‘視覚化’してやりたい作業はあったのですが、いかんせん時間の縛りと大中小3地区、合計30近くの水利組合を同時に評価しなければならなかったため、つかうツールをかなり限定(同じ作業を全てでやって比較する必要があったため)した記憶があります。

ちなみに、これはJICA業務の事業評価なので、DAC5項目の、ようはJICA事業評価の枠組みの中で、RRAのツールを使ったという位置づけです。

とりあえず、まずは一件ということで、ご参考まで。

ではでは^^?

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<その2>

上の原稿の続きです。

<2008年03月27日に書き込みました>
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Pict7112

(写真説明:

同じく2007年3月のミンダナオでの調査。プロジェクト担当のNGOの方に彼らのプロジェクトの概要を説明していただいています。

出席者は、われわれマニラからの調査団の他に、受益者側として、プロジェクト管理のNGO(写真の説明している女性)と受益者の住民たちで、NGOのプロジェクト概要の説明の後に、皆でグループ・ディスカッションをおこないました。記事の例とは全く別の調査です。)

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2件目として、最近の実例ですが、NGOの社会開発プロジェクトの調査を行いました。これはNGOの職員が対象でしたが、①プロジェクトサイトのマッピング、②活動のストラテジーのテーブル化、③NGO連合の相関図などの作成を行いました。

RRAの本質はワークショップによる参加者の全員参加と‘視覚化’だと私は思います。

先の水利組合もそうですが、地元の人にマップを書かせると非常に正確で、しかもそのできたマップをみんなの前に張った上でフォーカスグループディスカッションを行い、その場で、情報をどんどんマップ上に書き込んでいくことができます。あと、④SWAT分析の、StrengthとWeaknessの部分のみの表をつくってもって参加者みんなで共有をしました。

あとワークショップ形式のフォーカスグループディスカッションの利点は、あくまで1,2時間のまとまった時間が取れればという前提ですが、最初にワークショップで明らかにしたいことを先に説明して、みんなにワークショップの作業を割り振りして手を動かしてもらっている間に、特定の人をつかまえてキーインフォーマントインタヴューを行ったりと、柔軟な調査ができるということもあげられると思います。

やっぱり、みなさん体を動かすのがおもしろいようですね。いろいろ書いたりみたいしていると、だんだんと意見や考えがまとまってくるようです。

「RRAを使ってみて、具体的に有用だった点は何でしたか?」に関して言えば、私が農村部でワークショップを行う場合、マップ作りは絶対に欠かせませんし、そのみんなで作ったマップを元に現地踏査を行うと非常に現状の理解=課題の発見、改善策のひらめきにつながります。

いま「RRA実践マニュアル」を拝見させていただいておりますが、「技法」と「倫理」をわけるべきだというご主張、まったく同感です。私にいわせれば、「フィールド科学」の「技法」は「技法」として、プロを名乗るからには習熟すべきだと思います。それをどのようにつかうのかが「倫理」の問題なのですが、今の日本の開発援助の現状を見る限り、今の時点では、一緒くたにして議論すべきではないと感じています。

まだ「技法」を「ツール(道具)」としても使いこなせていないのではないか、ツールを使うことがファシリテーターの自己満足に留まっていないかとか非常に危惧するところです。とはいえ、私もまだまだ修行中の身ですが^^?

これからもよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

P.S.

RRAとPRAの区分けの件、私もごっちゃに使っているかもしれませんが、名称には実はあまりこだわっていません。前者のJICA、後者はJBICの委託調査ですが、これらは最初からスコープが決まっていますので、‘自由’な‘PRA’は原理的にできません。どうしても‘答え’をだすというか‘裏付けるため’の「ツール(道具)」をつかっているだけという気がします。

外部者が内部者の現状を効率的につかもうとしている点では、JICAやJBIC業務は、ほとんどの場合が、RRAか、よくてもそれに毛が生えた程度のレベルのRRAしかできていないのが実情ではないかと思います。

ではでは^^?

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<その3>

2008年4月24日に「mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」」に引き続き、以下の書き込みをしました。

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上記について、ちょっと補足説明させていただきます。

「研究」と「実践」が、根本的に違うのは「現状認識」にだけ留まっていてはだめだということです。

「‘リサーチャー(研究者)’と‘プランナー(計画立案者)’と‘コンサルタント’は全然、似て異なるものだ。」とは、会社の先輩の弁ですが、実践者としてのコンサルタントは、必ず‘落としどころ’を考えて、調査や計画を立てます。

そういう意味で、わたしは、方法と目的を完全に分けて考えています。RRAやPRAなどの‘ツール(道具)’は所詮、‘方法’であって‘目的’ではありません。

逆にいえば、‘目的’を達するためにツールや方法を選ぶのであって、割り切っていってしまえば‘目的’を遂行する以上の調査をする必要はありません。

そうはいっても、外部者が内情を簡単にわかると決して錯覚してはいけません。私が気をつけていることは少なくとも3点あります。

その1. その地域の歴史と地理をできるだけ事前に調べておく。これは地図の準備や二次史料(関連の調査報告書、分野を問わない関連する学術書や一般書の収集と流し読み)

その2. 現地調査に当たっての適切なアシスタントの選択と手配。通例、現場に行くのはカウンターパートである相手国政府の役人が多いですが、当然、彼らの立場ゆえの問題もあります。そんなときにはレンタカーのドライバーなども裏を取る上で、有力なアシスタントとなりえます。

その3. 主体的にフィールドワーク(具体的にはRRAやPRAのツールを使った調査)とワークショップを組み立て、必ず調査結果のフィードバックをステーキホルダーに返した上で議論することを心がけています。

この、フィールドワークとワークショップは、別々にやることもありますが、私の場合、すでに渾然一体化している場合が多いです。みんなでRRAやPRAのツールを使ってワークショップをしながら、なんらかの実施のための方向性をつかむ、できればその場で、ステーキホルダーの(現状)認識の一致と可能であれば合意をとってしまう、そんなことを考えており実際に実践しようと努力しています。

こんなところが、以前、井上真編「躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ」の書評で突っ込んだところなのです。全文はこちら。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_15d8.html

ちょとだけ引用すると

「第三点目として、「フィールドワーク」の先にあるものといいますが、その次のステップを考えたいと思います。

例えば、私はといえば、ひそかな望みとして、開発コンサルタントとして‘実践’から‘研究’へ道筋を探ることと同時に有意な実務者やアカデミシャンを育てたいと考えています。
つまり井上氏のいわく「総合格闘技」である「フィールドワーク」の先にあるものとして、「共同・協同作業の場」としての「ワークショップ」を通じた「たまり場・フォーラム」を私は構想しております。 そんな試みが、2000年3月18日にHPを立ち上げた「歩く仲間」の一連の歩みです。」

いまさら私がいうことではありませんが、「フィールドワーク」と「ワークショップ」の連続性と渾然一体性については結構、開発コンサルタントの実践の現場は、まあ、こんなもんというか当たり前のプロセスだと思います^^?

ではでは^^?

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2008年4月22日 (火)

フィリピンで歩きながら考えたこと

暫定的なものですが、しばやんがフィリピン‘で’歩きながら考えたこと(記事)をリストアップしてみました。

実は、HPとブログを2つも持っているので、どこにどの記事があるのやら検索が大変なのです。駄文や雑文もありますので、まあフィリピンがメインの舞台で、ちょっと後で読み返したいような記事をピックアップしてみました^^?

一応、古い順です。

フィリピンのレイテ島とマニラで考えたこと
(あるいは地域間格差のこと) 2002年8月25日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00017.htm

Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語) 2003年5月4日
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

海への憧れ-海は隔てるものではなく、つなげるものである。
<アジア島嶼部研究のダイナミズム> 2004年9月2日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00023.htm

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) 2005年3月23日 

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

しばやんのアウティング@スービック 2005年6月2日
(米軍 海軍基地跡とピナツボ火山噴火の後をみて思ったこと)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00027.htm

フィリピン‘で’開発を考える 2006年2月15日 アップ

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/rc003.htm

『封建領主は、単なる‘悪の親玉’なのか!』 2006年12月1日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2006Summer.htm
しばやんon the site現場に謙虚であること。 2006年4月19日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog023.htm

‘生きる’ということ。 2006年5月7日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog025.htm

詞集 『ことのは(言の葉)拾い』(フォトエッセイ) はじめに 2006年12月10日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha000.htm

日は昇り、日は沈む あたりまえのことなれど、同じものはなし。 2007年1月15日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha004.htm

農民の比較 70年前の日本とフィリピン 2007年3月8日(木)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog056.htm

ある調査風景 ・・・ ミンダナオ島の農地改革地区  2007年4月20日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/kotonoha009.htm

なお、最新の記事は、こちらも参照ください。

「フィリピン関係」 @ 『ブログ版 歩く仲間』

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat3695801/index.html

「halo halo life(in Philippine)」 @ 『Life, I Love You!』

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/halo_halo_lifein_philippine/index.html

ではでは^^?

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2008年4月15日 (火)

中尾文隆編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』 あるいは時代と学説史について

非常に興味ぶかい本でした。タイトルが甘い(あんちょこ本っぽい)?からといって内容を見くびることなかれ^^?

Photo 中尾文隆/平成柳田国男研究会 編著 

『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本』

秀和システム 2007年3月15日 初版

お薦め度: ★★★☆☆

一口コメント: (日本)民俗学の父、柳田国男の業績を俯瞰するのに最適な一冊。特に、彼の生きた時代背景をおさえている点、および代表的な柳田国男論の抄録がなされている点もユニーク。

正統的な?柳田国男継承者からはでてこないような視角が興味を誘います。

さて、以前、学説史をおさえることの重要性について、軽く触れましたが、この本を読むと、その必要性を具体的に改めて認識することができました。

タイトルが悪い?ので、単なるアンチョコ本に間違えられそうですが、内容はきわめてまともな概説書です。

特に、サブ・タイトルにあるように、「逆立した柳田像を重層的に検証する!」とあるように、柳田国男の神秘というか、彼が語ったこと、語らなかったことを時代背景とともに検証した点が非常にスリリングです。

当然のことですが、一人の思想家なり学者が生まれるには、その時代背景と彼を取り巻く環境(社会環境、人脈など)のまさに偶然としかいえないような作用・副作用が必要です。

また一つの時代を生き抜き、一つの時代を創ったということは、逆にいえば、その時代のもつよい意味でも悪い意味でも制約を免れることはできません。

平たくいってしまうと、英雄だろうが平民であろうが、誰もがその時代を生きた‘時代の子’という制約を免れることができないのです。

最近、民俗学をちょっとまじめに勉強しようとして、柳田国男に挑戦しようとしていたところなのですが、彼の「農政学」への挫折、戦争(日露戦争、第一次大戦、満州事変、敗戦)と民俗学との関連、「木曜会」という私的なサロンを通じて、いかに彼が「民間伝承論」から「民俗学」へと日本各地の趣味の民俗学徒を組織だてていったのか、非常におもしろい視角を示してくれました。

ぜひ、直接手にとっていただきたいのですが、特に、私が興味を引いた点を2点ほど。

まず一つ目は、先住民としての「山人論」と、「海上の道」で日本人の祖形を求めた柳田国男は、当初よりアイヌと沖縄という‘内なる異民族’を視野に入れていました。

なんのためか、それは台湾と朝鮮という植民地経営のため?というトンでもない意見が提示されます。しかし時代背景と、彼を取り巻く人脈をみるとあながちそうでないとはいいきれないところがある。

そもそも柳田が学問として学び、最初の職業(農商務省の役人)として選択した「農政学」自体に対して、彼なりの思い入れと戦略があったものと思われます。しかし、なぜそれが「民俗学」へと変容していったのか、非常に大きな闇というか謎が横たわっているといえましょう。

二つ目は、そのような大きな時代制約を負った「民俗学」または「文化人類学」自体が植民地主義ときわめて密接に結びついたものであったことは、今では広く言われていることですが、なぜそのような「民俗学」や「文化人類学」をいまだに学び発展継承していかなくてはならないかということです。

この本にも見られるように、そもそも‘学’の立ち上がり自体は非常に個人的な問題意識と、やはり時代が求めている、つまり同じような志なり問題意識を持った者たちが、互いに情報共有のネットワークを結ぶことにより、徐々に一‘門’としての‘学問(門)’というものが生まれてきます。

日本の民俗学は、やはり世界に十分誇るべき、‘野の学問’だと思います。これは、「近代(主義)」と「西欧の学問(体系)」と「国民国家(主義)」という、いわば外圧によってこじ開けられ壊れかけた‘原日本人’のアイデンティティを探し、新興の国民国家である‘日本国’という身を守り、日本という地域に住む人々の‘日本人という共同幻想’を創り、「日本国民国家」としてあがらうための一つの思想的な理論武装であったともいえます。

逆にいえば、明治初期(8年)に生を受けた柳田国男をして大成されたものの、そもそも‘明治’という時代背景なしには「日本の民俗学」は成立し得なかったともいえますし、柳田がいなくても、似たような思想や運動は起りえたともいえましょう。

こうして考えてみますと、今、「民俗学」や「文化人類学」を語ること(研究)ややること(実践)することとは、どのような意味があるのかを、自分の趣味や楽しみを越えたレベルでもう一度、定義しなおすことが必要だといえます。

今、「開発民俗学」を語るとは。非常に重たい宿題ではありますが、これまで柳田国男や彼に続く多くの先達が積み上げてきた「(日本)民俗学」の学問知と経験、さらには世界に眼を向けて植民地主義の片棒を担いだという宿命を背負ったまま、研究と実践を続けている「人類学」に対して、われわれが新たに何を積み上げることができるかという問題でもあります。

まだまだ先は全く見えませんが、そもそもの志、たとえば柳田が語った「世のため人のため」の学問という言葉は、たとえその裏の真意がなんであれ信じていきたいと思います。

蛇足ながら:

そもそも「学説史」を押えることは大切ですよということを言いたかっただけなのですが、結論は別の方向にいってしまいました。

別のところでも書きましたが、誰がどのような時代背景の中で、誰に向かって発言したのか。これを押さえないと、彼の言説(学説)を正しく理解することはできない。

意図的に誤読することも当然、可能ですし、その可能性というか発展性を否定するつもりはありませんが、時代背景をふまえない批判や非難は議論に当たらないと私は思います。所詮、われわれも含めて‘時代の子’という制約は、絶対に逃れられないのですから。

また、ちょっと社会人?をやっているおかげで、理想(理念)と現実を分けて考えれるように鍛えられました^^?つまり、当然、なんらかの望ましいこと(理想・理念)を夢想することが勝手ですし、それはそれで大切なことですが、だからといって現実を、こんなのうそだとか、こんなことはあってはならないと考えることは、全く別だということです。

どれほど残酷で醜い酷いことがおこなわれていようと、現実は現実として直視しなければならない。それを認めたうえで、次の手を考えることができると思うのです。

幸い、私はまだそんな修羅場や地獄は見ていません。でも、それをさけたり隠蔽することなく、勇気をもって立ち向かっていきたいと思います。最悪の自体の可能性も否定はしない。まだまだそれでも立ち上がれるだけの力を持ち続けたいと思います。

ではでは^^?

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2008年3月21日 (金)

mixiコミュ「開発民俗学」のご紹介

mixiというソーシャルネットワークの中で、「開発民俗学」のコミュニティを、2007年08月12日から運用しています。まだメンバー十数人の弱小コミュですが、まあマイペースで仲間と共にコンテンツを創っていきたいです。

以下に案内文を再録します。ご関心のある方は、mixiで検索、もしくはしばやんにご連絡ください。ではでは^^?

P.S.

「2008年3月24日 加筆」

ソーシャルネットワークとは、やはり限られたメンバーの中での限られたやり取りで基本的にオープンエンドのものではありません。トピックという項目ごとに参加者が意見を出し合ってひとつのコミュニティを作り上げていくという性質のもので、このコミュは私が主催しているとはいえ、すでにメンバーの皆さんの‘共有の財産’になってしまっております。

基本的に対話の世界なので、発言者の問いと答えにより、いかようにも深化している特質をもっており、インスピレーションがインスピレーションを呼ぶという知の連鎖反応が既におきつつあります。

すでに私の手を離れているという意味で、このコミュでの議論の成果を、私の一存で持ち出すことは難しいと思いますので、mixiに参加していない方で、もしこのコミュニティに参加したいと思われる方は、直接しばやんまでご連絡ください。mixiへの招待も、私からさせていただきます。

「2008年6月4日 加筆」

ちょっと内容をアップデートしましたので、[4月23日 更新版]に差し替えさせていただきました。また、部分的に簡略化させていただきました。ちなみに、現在48名のメンバーの方が参加されています^^?

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「開発民俗学 「地域共生の技法」」

みなさん、初めまして。           [2008年4月23日 更新]

しばやん@マニラ・フィリピンです。

もともと大学ではアラビア語を専攻しており、特に関心のあったのは中世の東西交渉史で、実はアラブ・イスラームの地理書・旅行記を専攻しようと思っていたのですが、何を間違えたのか?開発援助の現場に飛び込んで15年になります。

現在、農業・水資源・地域開発が専門の開発コンサルタント会社の社員としてフィリピンに駐在して5年目になります。


1. はじめに

   「開発学」ミーツ「(日本の)民俗学」=「開発民俗学」

「開発民俗学」というものを提唱しだして数年になります。概念自体は目新しいものではありませんが「(現状)認識論」、「実践論」について日本の民俗学の碩学たちのフィールドワーカーとしての知見に学ぼうという意味で、あえて「開発‘民俗’学」を名乗ってみました。
経緯と内容について以下に説明していきたいと思います。


2.開発民俗学とは:

mixiコミュの中でも開発に関するコミュニティはすでにいろいろあります。

なぜ、あえて「開発‘民俗’学」なのか。

私は、開発コンサルタントの仕事を通じて途上国の人々と接するうちに自分の現状認識の甘さと、そもそも現地の人が持っている能力の素晴らしさにいやというほど気がつかされました。所詮、外部者でしかない我々援助関係者に何ができるのか。そんな中で出会ったのが‘歩く学問’に繋がる‘日本人’のフィールドワーカーたちの巨大な足跡でした。

そんななかで、ようやくたどり着いたのが宮本常一の民俗学でした。

自分自身の‘開発の現場’に対する内省と‘歩く巨人達’への畏敬から2000年3月18日より「歩く仲間」というプロジェクトを始めました。(現在は「人類と開発フォーラム」と改名しています。)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/index.htm

ちなみに、しばやんの敬愛する「Giant Steps (巨人達の足跡)」は、こちらをご参照ください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/gsteps.htm


このコミュニティでは、「開発民俗学」を仮に以下のように定義づけたいと思います。(私の文章の引用です。)

「・・・この日本語に特有の「民族学」と「民俗学」という2つのミンゾク学は、実に示唆に富むと思う。この日本語にいう「民俗学」は、柳田國男にいう、いわば日本文化の元の形(基層文化)を探るという側面があるのだが、それだけではなく、宮本常一氏のいう、実際に生きている人たちの生きる糧となるような学問のあり方、自分の足元を知ることにより、日々の生活をよりよりものにつくり変えていくという、‘実践の民俗学’という側面もあると思う。

つまり外部者として、(途上)国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗学’を創っていきたい。・・・」 2003年11月

全文はこちら; http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r006.htm

こんな趣旨で「開発民俗学への途」という講座を掲載しています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm 
(2000年7月15日~2007年4月29日)第1部完結


ところで最近、日本民俗学の父、柳田國男が「世のため人のための民俗学」を唱えていたことを知りました。そして、宮本常一のいう「民俗学という学問は体験の学問であり、実践の学問である」というテーゼを元に「日本人としての開発(民俗)学」を創っていきたいと思います。

「開発‘民俗’学を語るからには」 2008年3月21日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_77d6.html


注: 

2008年3月22日にサブタイトルとして「地域共生の技法」というサブタイトルを追加しました。これは「開発民俗学の理論的な根拠」のトピックで、○○さんとの対話からでてきた言葉です。その経緯を一部紹介させていただきます。

「前略~私は「開発」というと上(行政・学識・権力)からの視点というように読み込んでしまいます。
また、別トピックで触れましたが「民俗学」は現代と向き合っていないイメージが強すぎます。
だから「開発民俗学」というと、「政府よりの地域懐柔策」に私には思えてしまうのです。 ~後略」

当然、そのような垂直で上からの‘開発’を目指すものではなく、水平レベルもしくは‘肩書き’にとらわれない個人のネットワークを目指す私としては、そのようなイメージはどうしてもさけたいため、体を現すために、○○さんのおっしゃる「地域共生の技法」という言葉を採用させていただきました。

また、○○さんのおっしゃる

「私が、この用語を使うならば、重視することは、地域ごとに存在する、その地域ならではの(伝統的な)「暮らしかた」(それを「技法」といっても「生活の知恵」といっても「生活文化」といっても「伝統文化」といっても「民間伝承」といってもいいと思います)を、グローバリゼーションの時代、地球環境問題の時代における「技法」に、どう再生し、アレンジし、そして、「実行」していくか、という点だと思います。」

という精神を最大限尊重していきたいと考えます。

詳しい経緯は、ぜひ、直接このトピックをお読みいただきますようお願いいたします。トピック「開発民俗学の理論的な根拠 <理論総論>」  <リンク先は省略>


3. 方法論など

また、実技・実践論の方法論的な手法として「フィールドワーク」と「ワークショップ(ファシリテーション)」を重視しています。

「開発民俗学への途~第二ステージへ」 2008年3月20日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_5b72.html

「開発学研究入門(基礎理論編)」 2000年8月15日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

「現状分析の視座をどこに置くのか?補論」2005年7月3日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0032.htm

トピック「「現地調査や開発実践の現場」を語ろう^^?」の1~3にて、「フィールドワーク」と「ワークショップ」の関係について触れています。

<リンク先は省略>


なお、地域研究への目配りについては、以下を参照ください。

「地域研究について」 2008年3月21日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_da1e.html


4. キーワード:

私のいうテーゼは、開発社会学、開発人類学、内発的発展論や国内外の地域づくりという文脈で、すでになんども語られていることで特に目新しいことではありませんが、私のスタンスとして、国内外における外部者(カタリスト)の役割に注目したいと思います。

「Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語) 2003年5月4日
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として)」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

あえて、三つあげれば「異人論(まれびと論)」、「海と山の民」、「パラダイム論」にこだわっていきたいと思います。ちなみにそれぞれトピックを立てています。

なお、私が守備範囲としているキーワードは、私のブックリストの下記のページを参照ください。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blistk1.htm


5.  ご利用にあたって:   <省略>


6. お断り <重要>

このコミュニティは、しばやんの外部サイト、今のところ「人類と開発フォーラム(HP)」、「ブログ版 歩く仲間」および「Life I Live You!」の3つ)と密接な連携と関連性をもっております。したがいまして、情報の取り扱いにつきまして制限(ルール)を示させていただきました。コミュニティへの参加に当たって、ぜひご一読いただきますようお願いいたします。(2008年4月13日 追加)  

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/hp_ffb6.html (別のリンクですが内容は同じです。)

7. 「開発民俗学宣言」ってほどでもないですが^^?

「開発民俗学とは、現代の問題から出発するにせよ、過去の歴史に謙虚に学び、そこに住む人たちと未来を創造していくものである。」っていえたらかっこいいなあ^^? 2006年12月1日

全文はこちらをどうぞ^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2006Summer.htm


   しばやんと一緒に新しい‘実践の学問’を創ってみませんか^^?


8. 終わりに (どーでもいい?)おまけ

☆ しばやんって実はこんなやつです^^? 

ちょっと恥ずかしい秘蔵写真(ゆるキャラとのトゥーショット!)を公開しています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/si000.htm

☆ ちなみに普段着のしばやんは、こんな感じです^^?

「Life, I love You!」(趣味の写真と音楽のブログです)←本当はこちらを書くほうが楽しい?
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/


最後まで長文を読んでいただいてありがとうございました。
ちょうど8項目の末広がりということでお後もよろしいようで^^?

これからも、ぜひ、よろしくお願いいたします。

ではでは^^?

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2008年3月20日 (木)

開発民俗学への途~第二ステージへ

3月15日から18日まで一時帰国していました^^?でも、日本って本当にいいですよね。早速、おもしろそうな本を仕入れてきたので、以下、紹介します。

伊藤亜人 『文化人類学で読む日本の民俗社会』 有斐閣選書 有斐閣 2007
菅原和孝編 『フィールドワークへの挑戦 <実践>人類学入門』 世界思想社 2006
井上真編 『躍動するフィールドワーク 研究と実践をつなぐ』 世界思想社 2006

期せずも、菅原氏は、京都大学系(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)、井上氏は、東京大学系(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)です。改めて東大、京大の層の厚さを実感。

この開発援助業界に入って15年、仕事をこなすことは当然として、趣味として「開発民俗学」なるものを提唱してきました。孤軍奮闘という感がなかったわけではないですが、ようやく学界でも実務家の経験がフィードバックされるようになって、実際に使える学問、実践の学問というものが生まれてきた気がします。

今は、マニラですが日本に帰ったら、彼ら先生とそのお弟子さんたちとのネットワーキングも具体的に考えたいです^^?

まあ、今でもできるか。メールも発達しているし。

P.S.

mixiで、「開発民俗学」というコミュニティを運営しています。このブログでの開発民俗学を深めると同時に、コミュニティという特性を生かした参加者との対話を通して新たな第二ステージに突入です。

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2007年7月29日 (日)

10回目の勉強会^^?

今日、会社の事務所のビルの会議室にて、「第10回 NGO懇談会」と「第10回 フィリピンで開発を考える」共催の勉強会が行われました。

両方とも基本的にクローズな会なので詳細は省きますが、前者はとあるきっかけでフィリピンで活躍する日本のNGOの方々の懇談会にオブザーバーみたいな形で参加させていただいたのがきっかけ、後者は、2005年6月10日にODA関係の方と私の二人が発起人となって始めた勉強会です。

「フィリピンで開発を考える」の方は、当初、月に1回を目処にしていたものの、メンバーの異動(任期が終わっての帰国)や、講演者の手配も難しく、2005年に4回、2006年に4回、2007年は、今回で2回目で、ようやく10回目を数えました。

思えば、東京では「若手会」をやったり、「アラブ・イスラーム地理書勉強会」をやったり、自分ながら、よくやってきたと思います。ちょっと、‘自分で自分をほめてやりたい’気分。

幸いなのは、幹事というか世話人の仕事が自分には、まったく苦にはならないということ。「パシリのしばやん」って言われていた(自称)こともあったっけ。

だいたい幹事には役得?があるものだそうですが、全然、そんなおいしいことはなし。

↑このままでいいのか?という声もありますが、それもよしとしましょう^^?

‘歌って踊れるコンサルタント’、さらには‘MCしばやん’(マスター・オブ・セレモニー)をめざす男。でも、やっぱり旅の仲間は必要ですな。ちょっと‘しみじみ’してしまいました。

でも、インフォーマルセクター(実は単なる飲み会)担当のパシリから、ちょっと‘まじめな’会のオーガナイザーへ。しばやんは、常に進化し続けます。

↑誰に語っているのやら^^!

ではでは。

P.S.

昔とった杵柄っていうか、いずれもまだ機会があれば再開したいと思っています。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm 若手会について

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it0004.htm 地理書勉強会

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog045.htm MCしばやん

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00012.htm 歌って踊れる

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030018.htm ‘はびこって’いたわたし

また、フィリピン在住の方で、上記2つの勉強会に関心のある方は、しばやんまでご連絡ください。

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2007年4月15日 (日)

‘みる’ということ ある対話より

先日、シニアのコンサルタントの方とお話しする機会があった。彼いわく、見るには3つの段階があるとのこと。

A: 見えるものが見えない人

B: 見えるものしか見えない人

C: 見えないものも見える人

いちおう説明すると、Aは、視野が狭かったり先入観で眼に入っている現実そのものを、みることができない人、Bは、見えるものしか見えない人(まあ、普通の人という意味ですか)。Cは、想像力と経験がものをいうというか見えていないものも見えてしまう人。

その後、彼いわく見るためには訓練がいるとことに話が続いたのだが、彼が自分をどうとらえているのか、どういう意図でこのような議論をしたのかということは一旦、置いておいて、そののち一人で、果たして自分はどれにあたるのか、どういう意味の例えであるのかについて、つらつら考えてみた。

今時点の結論からいうと、本人がどう思うかは別にしてAの人が世の中の大多数であろうこと、そしてBの人間であると自己断定するのは非常に難しいであろうこと、もし自分をこのスケールに位置づけるとしたら、下記の感じでありたいと思った。(○が私の理想とするポジション)

  A ---○- B ----- C

彼が自分自身をどう考えているのか、わたしをどこに位置づけているのかは、今は問わない。もし彼がCをよい意味での価値を置いているとしたら、わたしは、本当にそうだろうかと思う。

Cの‘見えないものも見える’ということは、想像力の問題、シンパシーの問題、さらにいえば経験の問題、思考の柔軟性の面など確かに重要であることは認める。

しかし、自分が、‘見えないものを見える’と考えてしまうところに、傲慢があるのではなかろうか。

わたしは、Aの人こそ、‘人間’として共感が持てる。自分をBだと自信をもって言い切れる人がどれほどいるか知らないが、そう思うことにについてもそれは勘違いではないかと言いたい。

いくら気をつけたところで、必ずといっていいほど見落としがあるものである。これは、宮本常一が渋沢敬三の言葉として何度となく繰り返していることで、私の仕事での経験や人生を振り返ってみてもBというよりむしろAの‘見えていることすら見えなかった’という経験のほうが多い。何であの時、気が付かなかったのだろうと、反省というか後悔することしきりである。

Cのようなことを平気で語るというのは、ある意味、無茶だと思う。‘見えていないことが見えた’と言ったり考えたりするのは、その本人が言っているだけで、なんら‘見えないもの’を見たという証明や根拠がないからである。

‘見えないものがある’という仮説を立てたり、そういう前提を持つことは必要で重要なことである。しかし、それは仮説であって、もし‘見えなかったものが見えた’というのであれば、‘見えなかったのもの’について必ず裏をとるというか検証しなければならない。

‘生涯一書生’という言葉がある。Cのような人が現実にいるかもしれないし、別にそれを否定する気はないが、Cのような考え方は‘専門家のわな’のひとつの典型のような気もする。

自分はといえば、別にそうなりたくもないし、わかったつもりでも見落としがあるはずだと思っておいたほうがいいと思う。少なくともAとBには、それなりの、つまり‘本人が見た’というリアリティがある。しかし、Cの‘見えないことが見える’ということには何の根拠もない。単なる‘自分がわかっている’、‘見えている’という思い込みだけである。これは、科学的な態度としてもどうかなと思う。

別に、シニアの方がいわんとしたことは、私の上の議論とは関係ない別のことをいおうとしていたのだと思う。以上の考察は、単なる私の解釈であることを申し添えておく。

P.S.

ところで、実は‘みる’ということについて、自分なりに以前も、考察したことがあった。参考までに紹介させていただく。

『開発民俗学への途』: 

「第3講: 現状分析の視座をどこにおくのか?」 2000年8月12日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r003.htm

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実務者不在の議論(補足)

そういえばと思って、仲間の環に吉田鈴香さんの雑誌記事のブログをリンクしました。

国際支援ジャーナリスト 吉田鈴香の人物レポート「国際協力を仕事にした女性たち」

http://blog.5012.jp/nikkeiwoman/essay2/

吉田さんは、直接面識がございませんが、国際開発ジャーナルという業界紙でもよく記事を掲載されています。この出版社は、私のHPの別のところ「SKNS :http://homepage1.nifty.com/arukunakama/l001.htm]や「開発援助に関心のある方へ:http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm」でも紹介(リンク)がありますが、ここでも再掲しましょう。

国際開発ジャーナル社:http://www.idj.co.jp/

まあ、開発援助業界は、業界紙も少ないし、専門のジャーナリスト自体も少ない。それはそれで仕方のないことかもしれませんが、誰かベンチャーでもっとこのような情報発信をしていただきたいものです。

私の新しいHPもアドボカシーや情報発信についても正面にとりあげたいと思います。

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2007年4月14日 (土)

実務者不在の議論(その2)

さて、ちょうど10年程前から、日本の開発援助の世界でも「参加型開発」とか、PCM、PRAなどの概念やツールが入ってきて、特にJICAの開発調査の世界で、参加型バブルみたいなことがあった。

私はそのころ海外部には属していたが契約管理や事務方の書類作成など後方支援の仕事をしており、社内でも、そのような調査に参画した方々が新しい概念やツールに夢中になっているのを横目で見てきた。しかしながら、そのような渦中にいながらも、自分は非常に醒めていたのを思い出す。

例えば、アフリカでパイロット調査や実証調査を行なう。今までは、JICAの開発調査の中ではやってこなかった。当然、新しいトライアルでいろいろ調査を行なう側のコンサルタントも日々、新しい経験の連続だ。だが、それを横で見つつも、私は、「パイロットや実証調査をする受益者の人たちは調査団(調査主体と言ったほうがよい)のモルモットではない。彼らには彼らの生活がかかっているのだ。」と思っていた。

私は、大学でアラビア語を学び、地域研究の入り口のようなことを学んできた。少なくとも人文系の自分にとっては、現地の歴史、風土、人間文化に対する社会配慮は常識の話で、特にアラブ・イスラーム関係については、大学時代から日本の最先端の一流の研究者の方々の謦咳にふれる機会も多く、歴史、文化、人類学、日本の研究者の関心と、その研究成果について、なんとなくつかんでいた。

特にイスラーム地域の開発を考える場合、ザカート(喜捨)やワクフ制度などの土地制度や社会保障制度が全然西欧とは違うことや、宗教の生活面における制約が大きいことなど当たり前の話であり、特に日本の中世研究では世界レベルでも非常によい研究を行なっている。しかしながら、それらの日本の学界の知見は、援助業界ではそれほど知られてもおらず生かされてもいなかった。今でもギャップというか溝があると思う。

しかし、一見古臭い歴史研究や社会学的・人類学的な研究は、当然、今の現実世界と対峙するのに有効であり、特に‘開発援助’などという大きな社会的な介入にあたっては当然、踏まえておくべきことである。

ただし、なんどでもいっていることだが、仮にそのような知見を持っていたとしてもそれを「効率的に」「効果的に」使うことに対しては私は反対である。

「誰のために」、「何のために」という基本的な力の方向性を定めぬままの力の行使は例えば、「諸刃の刃」のようなもので、自分も相手も傷つけてしまうと思う。

私は、開発推進論者ではない。あえて言えば、消極的開発論者というか単なる実務家でありたいと思っている。もし、開発が歴史的な必然であれば(実は先進国の意図が大きいのは明らかなのであるが)、その自然や社会に対する主に悪影響をすこしでも緩和しようと思っているだけである。

あと、自分のモットーとして、「内部から変える」ということを常に思っている。もし、今の援助業界に問題があるとすれば、外部からコメントや文句をいうだけでなく内部の人間が変えていく。それは、ずっと意識してやっている。

さて、最近の学界と実務者の世界の接近で気になるのは、「研究の手段としての開発援助」を考える人(特に若い人)が増えているのではないかということだ。

私にとっての開発援助は仕事であって、研究や自分の趣味の対象ではない。当然、自分の観点からの分析はする。しかし、自分の趣味のために仕事をしているわけではない。

変な言い方だが、自分の研究のために援助の現場を利用するというのは邪道ではないかと思う。「学界」と「実務」の世界を橋渡しするというと聞こえはいいが、それぞれの分を守った上での共同はできるはずである。

逆に、学界には、声を出したくてもいろいろな事情で自ら話すことのできない「実務者」の声を聞いて、社会に問うてくれることを期待したい。

私は、援助業界に限らず、日本の社会すべてが実務者のこえが適切に社会に還元されているとは思わない。例えば、新聞記事のいかに表面的なことか。これは、ジャーナリストや学界の怠慢というべきではないか。もし、オピニオンリーダーを自認するのであれば。

まあ、そんな個人的な不満も踏まえ、新しいHPを近々開設します。

「(自分のほしいものが)なければ、自分で作ってしまえ」 これも私のモットーのひとつです。

ではでは^^?

P.S.

ところで私の会社は農業・水資源開発・地域開発が専門のコンサルタント会社である。「参加型開発」などという言葉が話題になる前から、農業・地域開発は、農民や受益者の参加型の開発計画を立案し、事業を実施してきた。これは日本でも海外でも同様である。PRAなどという言葉以前に、そのような調査はしてきたし、受益者の声を聴く。これがなければ、どんな農業開発の事業も行うことができなかった。と、シニアのコンサルタントたちが笑っていたのを思い出す。

「学者」には目新しいことでも、「実務者」にとっては当たり前のことって、いくらでもあるのです。本当に^^?

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実務者不在の議論(その1)

最近、なぜ、日本の国際開発学会のうち、特に人類学系の人たちの研究方針に関して疑問というか危惧を感じているのか、ちょっと考えてみた。

一言でいうと、「実務者の不在」である。少なくとも日本の開発援助を語るのには、概略2万人とも3万人ともいわれるコンサルタント・エンジニアの存在を無視するわけにはいかない。

確かに彼らは、民間企業の人間で、JICAやJBICの仕事をしているとはいえ、それは契約ベースでの話しで、しかも契約上の守秘義務という問題がある。(わたしもその業界の内部の人間ではあるが)

あと、スキームの問題もある。日本の一般では、青年海外協力隊やNGOの国際協力活動は目にもつきやすいし、近年は、いろいろな紹介されるチャンネルも多いが、逆に、JICAが行なっている開発調査は、ほとんどの人が内容も知らないし、円借にいたっては、どうしても経済インフラばかりという偏見?もあるし、実際には多くの日本人がコンサルタント業務を担当していても相手国政府から雇われているということもあり、日本では大きなニュースとして取り上げられない。

しかしながら、多くの日本の普通の観光客が利用している例えばアジアの空港や高速道路、鉄道など、ほとんどの主要インフラが日本人の税金で作られている(円借なので、正確には相手国政府から返してもらっているわけであるが)ことに、誰も気が着かないし、二本政府も積極的に知らせようともしていない。

例えば、フィリピンでは、ニノイ・アキノ国際空港の第2ターミナルや、マニラの高速道路、LRT(軽架鉄道)あと、目に見えにくい水道やパッシグ・マリキナの排水事業も、日本の援助が使われている。またサマール島とレイテ島を結ぶ美しい道路架橋も日本の援助だ。

つまり地元の観光資源や社会基盤となって十二分に地元社会に貢献しているのに、日本の文字はそこにない。サマール島の橋にいたっては、日本語の旅行ガイドブックに載っているくらいなので、それなら、これは日本の援助で作りましたと注をつけていただきたいくらいだ。

ちょっと脱線したが、日本の開発学界に、これらのコンサルタントやエンジニアの実務者の声を積極的に聞こうという雰囲気があまりみられない。彼らは、当然、積極的に発言する立場にないし、先の守秘義務ではないが、言いたくてもいえないことも多い。

しかし、彼ら、実務者を抜きに、「ODA改革」や「ODAタスクフォース」など委員会などを、官や有識者(学界、ジャーナリズムなど)だけで構成することに対して、非常に違和感を感じる。当然、業界団体を通じた介入というか陳情?はしているのは承知のうえであるが。

何度もいうようであるが、開発の道、30年、40年という実務家のプロが日本には何万人もいるのであるが、彼らの声は、ほとんどメディアでは聞くことができない。

まるで存在しないかのように。

ただし、これは日本の全ての働くお父さん・お母さんについていえることである。みんなそれぞれ社会に貢献しているのに、一部の人の間でしか、その経験や業績は語られない。

まあ、そのようなささやかな経験や幸せを語るメディアが存在しないというのも、事実であると思う。

(この項、続く)

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2007年4月 7日 (土)

人の話しをきくということ(ミンダナオ調査)

3月にミンダナオに調査に行ったときのワンショットです。

Ruth_interview 農地改革の仕事で、EUの援助している中部ミンダナオ農地改革地区サポート事業のプロジェクトサイトをみてきました。

ローカルコンサルタントと一緒に受益者の話を聞くのですが、実はしゃちほこばった公式な?インタビューよりも何気ない世間話の方が、おもしろい話を聴くことができます。左の女性は3人のマリアで紹介したルースさん。パナイ島のイロイロの水利組合の組織化の実践者でもある彼女の冗談交じりの話はおばちゃんたちにも受けていました。

こんなときに、外部者の限界とその利点を感じますね。ワークショップやインタヴューではどうしても言葉ができないので、英語のできるローカルコンサルタントや同行してもらう役人のスタッフや、現場のNGOに通訳を頼まなければならない。でも実際、彼らも興にのってくると現地語でどんどん話が進んでしまうので、いちいち通訳してもらえるわけではない。でもなんとなく何が話題になっているかはわかるものです。この話に十分入り込めないところは外部者しかも外国人の限界でしょう。

でも外部者の利点は、違った視点で現場でみることができたり、特に他地域と較べた話ができることでしょう。特に非構造的インタヴューでは、ローカルスタッフが当たり前だと思っているところを、しつこく何でとか、どうしてと突っ込むことができること。政府の職員も受益者や農民が当たり前だと思っていてわざわざ記録にとらなかったり話題にもならない点を突っ込むと、お互いに目からうろこ的な発見があったりします。

個人的には、こんな七面倒くさい理屈よりも単純に、さまざまなところに行って、自然にふれて、人にあって、特に子供の顔をみるのが楽しいということが自分のモーティベーションを高めているのだと思います。

Children_1 左の写真は、上の写真とは別の農地改革地区の写真ですが、この集落は山奥にあり、近年、砂利道ができるまでは、バイクや馬が通れるくらいの小道しかなく、ふもとの町まで、丸一日かかったとのころで、当然ながら電気もなかったところだそうです。プロジェクトによって簡易水道施設ができたり、多目的集会場、保健所ができたりする。このEUのプロジェクトのひとつの特色は、NGOが村に住み込んで住民の組織化を図っていくところです。インフラ整備は、1年に1個のみ。極力、住民負担と地方自治体の貢献を重視する。今回の調査では、事業の実施のグッドプラクティスを検証するというのがひとつの大きな目的だったのですが、現場から非常に学ぶ点がありました。教訓としては、教科書に書いてあるような結構当たり前の答?ばかりのような気もするのですが、それが単なる理論でなく実践の裏づけがあるということ。その1点だけでも、現場を見にいった価値があるというものです。

ところで、これらの子供たちは、先住民族の部族の人たちで、1-6年生まで400人、7クラスで先生が8名、午前と午後の2回の授業があるそうです。小学校の完了率は一学年70名ほどのうち20数名、つまり30パーセントしか卒業できない。小学生で、片道10Kmを2時間かけて歩いて通っている子もいるそうです。高校はこの集落にはなく、近隣の3つの集落に1つの高校があるそうです。当然ながら、高校進学率も10%以下と低く、毎日、片道3時間かけて歩いて通っているそうです。

つくづく如何にわれわれ日本人が恵まれていることかと思わずにはおられません。

スタッフの一人から、「この子供たちは日本人なんてみたことがない」と言われましたが、それもさもありなんという感じで、一体、自分に何ができるのだろう、この出会いに対して自分はどこまで真剣さをもっていたのだろうかと思う今日この頃です。

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2007年3月 8日 (木)

農民の比較 70年前の日本と今のフィリピン

今週の日曜日(3月4日)から今日まで、ミンダナオ島に調査に行ってきました。

ダバオを起点に、中部ミンダナオの農地改革地区を見てまわったのですが、やはり久し振りの現場は心踊るものがあります。

以前、別のところでも書いたと思いますが、私は、大体3冊ぐらいの本を並行して読んでいます。特に旅行のときは、それなりに移動中とか集中して読めるので、旅に持っていく本を選ぶのは、それなりの楽しさがあります。

さて、これら旅先で読む本は自宅や町中の日常で読むのとは別の趣があります。今回は、ずいぶん前から読みかけてはいたのですが、なかなかページが進まなかった文庫本 猪俣津南雄 『踏査報告 窮乏の農村』 岩波文庫 1982 を持っていきました。旅先には、やはり文庫本か新書本がかさばらなくていい。

Konkyu ところで、この本、天下の岩波とはいえ今の飽食というか贅沢な日本の世の中、いかにも売れそうにないタイトルです。私の持っていった本は定価400円のところ300円で買った古本で、1988年時点で5刷。その当時としては結構売れたのでしょうか^^?

この本は、戦闘的マルクス経済学者である猪俣津南雄氏が、昭和9年の昭和恐慌下の東北から中国地方まで、解説にいわく青森から岡山まで2府16県にわたる農村踏査して書いた報告(ルポルタージュ)で、「初篇 窮乏のさまざまの型」、「中篇 農民から観た農村対策」そして、「終篇 農民の喘ぎ求めるもの」からなっています。

開発途上国の農村開発の仕事が会社の本業で、私もその末席に名を連ねているわけですが、途上国の農村を考える場合に、少なくともアジアに限ってみても、やはり日本の経験は非常に参考になります。

確かに、人間もメンタリティーも自然状況も違うのですが、マルクス経済学者であるのを差し引いても、特に貧農を分析するのにあたって、「自然経済と商品経済の矛盾」と看破しているあたり、問題意識の立て方、その実地調査の経験、事前に質問票を関係者に送っていたようですが、広範な行政官、農民をインタヴューして得た生の声の分析は、今でも十分、納得できるものでしょう。

ただ、わずか70年しか昔でないのに、しかも自分の生まれ育った日本のことなのに、ここに描かれた農村や農民が具体的にイメージできなかったのが個人的には残念でした。それだけ、私たちの生活が変わってしまったことと、農民が大多数であった祖父母の時代から、給与所得者が大多数となった父母の時代、そして、職業の選択肢がサラリーマンしか思い浮かばないようなわれわれの世代の断絶と、都市化の進捗の激しさをも象徴しているのでしょう。

ともあれ、今、先進国の開発援助のコンサルタントや学者の間で話題になっている地域開発や農村開発の理論や政策が、既に、70年前の日本でうまくいかなかったことが如実に説明されていることを知るのは、まったくもって皮肉なことです。今から挑戦しようとしているアイデアが、もうとっくの昔に失敗しているよと、いわれるようなものですから。

でも、われわれはうすうす気づきはじめていることなのですが、実は「貧困」問題は「資本主義の近代経済学」では解くことができません。今、途上国で起こっていることは、この本で述べられているような「自然経済と商品経済」の相克というか、今風に言えば、「如何にグローバリズムと対峙するか」という問題なのです。

まあ、実際に、フィリピンの農地改革地区の農民をインタヴューしながら、70年前の祖父母の時代の日本の農民に想いをいたすというのも、楽しい?というかむしろ切ない体験でした。

所詮、自分は外国人で通りすがりの異人でしかないのだけれど、実際に、この地に足を踏ん張って生きていかなければならない人たちが、どこに行ってもいるわけです。

せめて彼らの気持ちに「寄り添いたい」という気持ちが大切なのではないかと思います。それだけしかできないことは辛くもありますが、それもまた現実と受け止めていくしかないのでしょうね。もしかしたら、このようなものいい自体が傲慢なのかもしれません。

まあ、あきらめずにしつこくやっていきましょう。

ではでは^^?

P.S.

ところで、自分は右翼でも左翼でもないつもりですが大学生時代に「マルクス経済学」の講義を履修しなかったのを、今になって後悔しています。‘ぐらい’なんていうと、本当に失礼ですが、やはりマルクス経済学の取っ掛かりくらいは押さえておきたかった。

まあ思い立ったらなにやらで、いろいろやりたいことやら知りたいことが増えて、それもまた幸せなことです。日が暮れてなお道遠しとならないように^^?

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2007年2月24日 (土)

構想10年? 新企画 第2弾の予告です。

さて、今現在、2007年4月1日の開設(公開)を目指して、新しいホームページの作成およびコンテンツの準備をすすめています。

タイトルは、ずばり、『開発と人間道場』 (英文名: The Colosseum of Humanities and Development) (本当は、「開発と人間性(=人文科学)(にかかる)道場」というのが和名で言いたいことです。)

まあふざけたネーミングといわず聞いてください。実は、1998年5月2日に「柴田スクール開催について」という企画書?というか手書きのメモを何のきっかけだか作成していました。俗にいう‘人生設計’というやつでしょうか。たぶん、それなりに仕事にも慣れて、その先の‘道’に迷っていた時代であったのかもしれません。多分、たまたま読んでいた自己啓発本に触発されて、‘とりあえず’書いてみただけなのかもしれません。

その後、その存在すら忘れていたのですが、もしかしたら、『歩く仲間』のHPの開設(2000年3月18日)も、このメモに既に予言されていたことなのかもしれません。

結局、この企画書をパソコンでタイプしたのは、2004年6月24日なのですが、自分はすっかり忘れていたのに、結構いいことが書いてあったりなんかします。これって、本当に俺が書いたのって気がしないでもないのですが、やはり書いてみるということは非常に大切なことですね。

以前、日本でたしか『未来日記』というテレビドラマ(ノン・フィクション?)がありました。

うろおぼえなのですが、確か素人(公募?)の若い男性と女性が、‘未来日記’というノートを手がかりに出会い、交際を深めていくというロードムービー的なドキュメンタリータッチの番組で、そのハプニングを視聴者も楽しむという番組がありました。そうそう、ちょうど最近でしたら、「あいのり」っていう番組のノリです。

この‘未来日記’の「実現度」が結構あって、他人事ながら、‘ほんまかいな’と突っ込みをいれつつも、でもこんなことが実際にあったらいいなと期待してみていた覚えがあります。

さて、やはり頭で思っているだけ