カテゴリー「実地活用事例紹介」の記事

2011年8月 6日 (土)

ワークショップ時に気をつけること 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その5 完結>

(その4の続きです。)

<ワークショップ時に気をつけること>

・相手を待たせない、予定時間を絶対にオーバーさせない、できれば予定より早く切り上げることを考えます。

・ワークショップの時間は、約90分を目安に計画を立て、実際に作業を進めます。延長しても最大2時間が限度でしょう。そして、参加者に疲れが見えたら、潔くワークの途中でも切り上げる勇気が必要です。聞き取れなかった点、現地の人が言い足りなかった点については、きっと後で個別に話しにきたりとか補う方法がいくらでもあります。

・参加者に、かならず‘満足感’というお土産を持たせること。これは物理的なモノではなく、「参加してよかった」という‘感動’と‘気づき’です。ワークショップで作成した資源マップやスケジュール表の模造紙は、調査の取りまとめのために一時借りることはあっても最終的にはグループに返却するようにしてください。

このような協同して作った‘モノ’は、参加したことの思い出であると共に、後で振り返ったときに、そのワークショップでの‘気づき’を忘れないためにも必要なものとなります。

いずれにせよ、基本は、あまり外部者がでしゃばらないこと、ワークショップの際も、裏方に回ってグループワークの作業自体を現場のリーダー格となる人たちにやってもらってください。それは彼らの経験にもなりますし、外部者にとっては、全く別の観点からの意味があります。自分がでしゃばらないことによって、外部者には、作業を外から見て必要に応じてグループワークに参加したり、個別インタヴューをしたりする余裕と時間が生まれます。実際、私はこのやり方で、かなり効率的に情報収集をすることができました。

あと、あまり過度の期待は持たないことですね。これは自分自身にも、相手にとっても期待値が大きすぎるとがっかり感が大きくなりますので、あまり身構えたりがんばる感を出さずに、さりげなくなにげにワークショップを運営しましょう。

とにかく参加者がグループワークを通じて、彼ら自身の力を感じて、グループダイナミクスが彼ら自身の言動の中から生まれてくるようにすること。

外部者がでしゃばって、ハッパをかける問題ではありません。一番、切実なのはなによりも彼ら自身なのですから。

あと調査結果の現地へのフィードバックを忘れないこと。報告書、写真などできるだけ、早く現地の人に手渡すようにしましょう。

ということで、とりあえず気のついた点をまとめてみました。

まあ、いろいろ漏れがあるとは思いますが、現場をみて適当?にアレンジして使ってみてください。

ではでは^^?

この項 了

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全体を通じての注意点 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その4>

<その3の続きです>

3.全体を通じての注意点

まず、現地がかなり疲労していることに配慮しなければなりません。そのためにやるべきことを列挙します。

<現地前にやっておくこと>

・できるだけ事前に現地情報を集める。

日々、現場は動いています。しかしながら都市や町ごとの地誌、地理や産業情報などは基本的に大きくは変わらないし、逆に変わり果ててしまった現状をみても想像できない‘かつてあった’土地情報を前もって調べておくことは、現地でワークショップを行うのにヒントとなることがあります。

・すでに活動の外部者ネットワークにコンタクトする。

当然、現地の市町村や現地のキーインフォーマントを捕まえることは必要ですが、彼らはすでに動いているプロジェクトで正直、手一杯です。

つまり、彼らとすでに協業を始めている外部者のネットワークの仲間にいれてもらうことを考えます。

彼らは現地駐在員とは別に東京など被災地の外部に基地をもっている場合が多いので、できるだけ被災地から遠い、また外部者に近いところ、たとえば東京内部で現地をよく知ったインフォーマントを捕まえて、外部者から見た現状分析を聴いてみましょう。

いろいろなヒントがあると思います。

あと、外部者から攻めることのもう一つのメリットは、現地踏査やワークショップのダブりを事前に防ぐ目的があります。つまり自分のデザインしたワークショップなりがすでに試みられていたとしたら、現地の人から何をしにきたといわれかねません。

大体、人の考えることは似通っていますので、今まで試みられてきたことをなるべくできる範囲で、振り返っておく、そしてロールプレインしておくことが必要です。

<現地に入ってから気をつけること>

・まずは自分の体調管理です。見知らぬ土地に乗り込むこととは、物理的な体力的な疲れとは別に緊張感からかなりとストレスを体は感じています。

決して、無理をしないこと。

・計画は時間的な余裕をもって、ワークショップでは調査項目を欲張らずに、自分の都合だけでワークショップや調査を進めないこと。これは、特に被災地支援では絶対に守るべき鉄則です。

ふつうの平穏時の農村調査でも人を動員してワークショップをするのは結構、根回しやら準備やら大変なのに、みな現場にかかりきりの被災地では絶対に無理に動員しないこと。今回、ワークショップ案を示しましたが、とても思うようなステークホルダーは、一度の集まりません。その場合は、潔く調査方法を変えることを考えるべきです。

たとえば、自分が聞きたいステークホルダーのグループごとにフォーカスグループインタヴューを行います。それぞれ作業中のグループの元に自ら足を運んで、彼らの作業現場で、少しだけ時間をとってもらい(目安として20~30分以内)、手の好いていそうな個人からそれぞれ話を聞きます。

<続く>

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ワークショップデザイン(続き) 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その3>

<その2の続きです。>

ここまで書いてきて、これだけの内容で盛りだくさんだとわかりましたので、現地踏査と、全体ワークショップは下記のように分けることにしましょう。

・地区ごとのワークショップ(ワークショップA)

1.ステークホルダー (同前)

2.ワークショップ作業内容 (上記のA-1 全員参加による地図とスケジュール表づくりのみ)

3.アウトプット

3.1 ワークショップ結果(A-1で作った地図とスケジュール表)

3.2 全体ワークショップ(A-2)への参加者の決定

ここまでの作業を、5箇所全てで行います。たぶんこれだけで、1.5~2時間かかりますので、5箇所回ったら、1日目で3箇所、2日目で2箇所が限度でしょう。またはファシリテーショングループを2つに分けて、1日目にそれぞれ、3箇所、2箇所でワークショップを行い5箇所のデータを1日目中に集めておくのも手です。

<2日目>

午前:

地区毎のワークショップの残りと、ファシリテーショングループメンバー内での調整ミーティング

午後:

・全体ワークショップ (ワークショップA-2) (約2~3時間)

5地区から選出されたメンバーとファシリテーショングループでワークショップを行います。内容は、先にA-2で述べたとおりです。

このワークショップは午前11時頃から昼食をはさんで行い2時か3時に終わるようにします。この場で、一旦、地元の方には帰っていただきます。

なお、ワークショップで作った模造紙は、作業用に一旦借りる形にして、後で必ず地元の人に返却するようにしてください。

・ラップアップミーティング (外部者のみ) (1時間)

ファシリテーショングループと、外部者のみでワークショップ結果について話し合い、今後の援助計画について、大体のコンセンサスを得て、この場で決められないことについて、それぞれ持ち帰ってもらうように手配します。

(続く)

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ワークショップのデザインについて 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その2>

(その1の続きです。)

・アクティビティ(ワークショップA)

ワークショップAでは、地区ごとの問題点・課題と、将来への展望をあげてもらうことを目的として2つのアクティビティを行う。

A-1 全員参加による地図とスケジュール表つくり (約1時間)

作業を行うのは、多くても7~8名くらいが限度なので、出席者が多い場合は、地区を2つか3つにわけて、それぞれ現地に詳しいメンバーを中心にグループで、下記の資料をまとめさせる。調査者及びカウンターパートは、このグループワークには直接参加せず、タイムキーパーとグループの作業状況をみながら、必要に応じて詳細の説明や資料への加筆を求めたり、個別インタヴューを行う。

1.資源マップ (リソースマップという)

A1かB1の模造紙を準備する。地区のなかで絵心のある人に基本はフリーハンドで地区の主要施設(道路、公共施設、ランドマークなど)を書いてもらった上で、以下の作業を行う。

・被害が甚大なところの網掛け (次に下記のランク分けをする)

A)実施中プロジェクト

網掛け部分に直接、事業名、内容、実施主体、プロジェクト期間 (始まりと終了予定を押さえること)

B)実施してないところ

 網掛け部分でまだ事業が実施されていないところについて、下記の仕分けと優先順位をつける。

B-1 すでにプロジェクトの計画があるもの

 とりあえずわかっている範囲の内容を上記にならって書き込む。

B-2 新規のプロジェクト

 AとB-1以外で必要なプロジェクトを地図上に落とし込む。

2.スケジュール表

2-1 営農カレンダー

1年間の営農・漁業についてのシーズンカレンダーを作る。特に第一次産業の復興にあたっては、現実の作付や漁業についての開始時期を押さえることが必須である。

2-2 スケジュール表

今後、数年にわたる上記1.資源マップで抽出したプロジェクト(A:実施中、B-1.計画中)の実施時期を落としこむ。

ここまでで、現地の現状の把握を行う。

 

A-2 全員ワークショップ (約1時間)

A-1で作成した資源マップとスケジュール表(2種)を元にプレゼンテーションと全体討議を行う。アウトプットは、A-1と同じく模造紙に直接、書き込みながら参加者全員の面前で取りまとめていくこと。

1.プレゼンテーション (20~30分)

A-1 で準備した1.資源マップと2.スケジュール表について、グループごとに発表をしてもらう。1グループのプレゼンテーションは5~10分を目処。事実確認の質問のみにとどめ、次の全体討議の時間を確保する。

2.全体討議 (40~30分)

1で行った各グループ発表内容と全体についての討議を行う。討議内容には、最低限、下記の内容が含まれることが望ましい。

a. 実施中のプロジェクトについての問題点と課題の抽出

b. 実施していないところ(B-1.計画があるところ、B-2.計画のないところ)における新規プロジェクトの優先順位(※)と課題の抽出  ※基本的に計画があるところについてもゼロベースで見直すこと。

c. 全体を通した実施体制の見直し。

・実施中のプロジェクトからの振り返りを具体的にしてもらうこと。

・特に新規プロジェクトについては、実施主体と予算の確保、スケジュールについてできる限り具体的にスケジュールに落とし込む。

出来上がりのアウトプットとしては、下記のものが考えられる。

1)実施中のプロジェクト毎の問題点と課題、

2)新規プロジェクトの概要一覧、

3)全体のスケジュール表(実施中、新規を含む)、

4)実施体制の見直し内容(レッスンラーント、組織図など)

(続く)

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国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その1>

初出: JICAコミュニティ&開発民俗学コミュ @mixi

元(国際)開発コンサルタント会社勤務のしばやん@開発民俗学です。

いままで私もずっと海外の開発援助の現場で働いてきましたが、正直、今回の東日本大震災を見ると、実は海外も国内もないなということを切々と感じています。

実際に、開発民俗学コミュや開発コンサルタントの仲間で現地入りしている人が数名いることも知っています。

このトビでは、そのような実体験や、国際協力や開発援助に関心のあるかたならではの智恵を出しあって現地で働く外部者(政府関係者、自衛隊、ボランティアなど地元民以外全て)や被災地の人たちを励ましてみませんか。

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自分のコミュ(開発民俗学-地域共生の技法-)の仲間が被災地でプロジェクトをやるみたいで、ワークショップについてのつぶやきがあったことに触発されて、こんな文章を書いてみました。

◆ 被災地におけるワークショップのあり方について<東北大震災がらみ>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64187697&comm_id=2498370

自分自身、全然被災地には足を踏み入れていませんが、開発途上国での現地調査の経験からこんな調査デザインをしてみました。

以下、引用です。

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仲間のつぶやき(2011年8月5日):

「地元学などの資源マップやワークショップ時のマインドマップについてのコツやポイントを知ってたら、教えてください。来週末の被災地域におけるワークショップに活かしたいと思います。」

これを受けて:

実はここら辺についても、開発民俗学への途(第2部)で、そのうち?に取り扱う予定だったのですが、そもそも論というか導入編で手間取ってしまったので、ここに別のトビとして扱います。

ポイントのみを列記します。

1.事前準備で確認しておくこと。

・現地でどれだけ時間が割けるのか。

・どのようなステークホルダーを集めることができるのか。

・ワークショップの場所はどこで?

・どのような道具を使うことができるのか。

・対象地域の範囲は?

・カウンターパート(現地での受け入れ先)の立場と人数

 

2.モデルケース

今回、あまり現地に対して、調査者・ファシリテーターなどいずれにせよ‘外部者’が土地勘や人脈がない場合を想定します。

現地調査期間を2日間とした場合のワークショップの組み方です。

<1日目>

午前中: 

・カウンターパートとの打合せ 

事務所で1時間: 地図を元に調査地の概要とワークショップの目的などを確認する。

・現地踏査 

(このケーススタディでは、対象が市で、町村が市街地を中心に5地区とする)

カウンターパートとともに5地区すべてを外部者自身が見て回る。今回の現状に即して言えば、被害状況よりむしろ現場で、どのようなアクターがいてどのような力関係で作業しているかに注目すること。

※被災地には、多くの外部者(自衛隊、ボランティアなど)が入り込んでいる。誰が実際の現地の住民なのか、現地の住民がいたら、彼らに自衛隊やボランティアなど外部者の活動についてのコメントをもらうようにしたい。

現場での活動の内容と、外部者の言動が、押し付けで高圧的なものになっていないかに気をつける。

・ 地区ごとのワークショップ(ワークショップA)

事前にカウンターパートに5地区全ての地元有力者(町内会長など)に地区毎の踏査~ワークショップがあることを通知しておいてもらう。できれば、地元の有力者ら数名には現地踏査にも同行してもらう。

この地区ごとのワークショップへの参加者は、原則的には、地元有力者に人選してもらうが、下記のようなステークホルダーが含まれることが望ましい。

地元民: 地元有力者グループ(町内会長、議員、郵便局長、警察) 

      商業従事者(小売のみならず卸売、流通業者も含むこと)

     農業、漁業従事者

     シニア(リタイア組み)

     近所のおばちゃん

     若い専業主婦(幼児づれ)

     若者(高校生、大学生など)

     子供(中学生、小学生など)

外部者: 市町村の役職

     NGO団体(※)

     自衛隊(※)

     ※実際に、現地で活動している人が望ましいが、広域活動NGOや自衛隊の一つ上のグループ長がいてもよい。

ファシリテーター: 調査者およびカウンターパート

とりあえずここまで。

ちょっと規模が大きくなりすぎましたので、後で見直します。

(続く)

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2011年6月17日 (金)

11.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き) <外部者(異人)論 その3>

前回の続きですが、ちょっとおさらいを。今から2項に入ります。

<開発民俗学のアプローチの特徴>

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放

2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し

3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。

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ちょっと間があいてしまいました。

私自身も、東京に行ったり、ちょっと脱線していたので、いざ、元に話を戻そうとすると自分も書きたいことを忘れてしまっていてつらいところがあります。

さて、我彼の二分論というか二元論については、さんざん「文化人類学への問い」の中で述べてきたことなので、簡単にスルーさせていただきます。このあたりの私の考え方については、開発民俗学のコミュの中でもトビを立てていますので、こちらをご参照ください。以下、引用。

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「文化人類学」への問い <理論各論>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29255205&comm_id=2498370

決して近親憎悪というわけではありませんが、私は「文化人類学(まあ民俗学も含まれるかもしれませんが)」に関しては、かなり過激な発言(苦言)をしております。あえて皆様のご教示を仰ぎたいところです。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0001.htm

>われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(2005年7月3日)
>文化人類学の1990年代を振り返る  (2005年7月3日)
>ブームの宮本常一?  (2006年4月1日)
>「貧困(削減)」という名の「差別のラベル=人種差別」?2007年2月10日
>人類学者の皆様に ~援助の‘効率化’って何?~ 2007年2月10日
>人類学者の皆様に(補足1)
>~援助‘する’側、援助‘される’側の認識について~ 2007年2月18日
>実務者不在の議論(その1) 2007年4月14日
>実務者不在の議論(その2) 2007年4月14日
>実務者不在の議論(補足) 2007年4月15日

これらの論考は実務者でありながら研究者を目指している自省の記でもあり、たんなる批判ではなく、建設的な提言と考えていただけますと幸いです。

忌憚のないご意見を聞かせていただければと思います。また、批判ではなく建設的なご提言がいただければとも思います。

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ただ、今の社会科学系の学界の動向としても、すでに我彼の二元論は‘古い’との話もいろいろなところで聞いていますので、まあ克服されつつある‘古くて新しい’問題であるとのみいっておきましょう。

まあ一つだけ古めの記事を引用しておきましょう。

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われわれの物語を紡ぐために:文化人類学への問い。  2005年7月3日
(彼岸と此岸を繋ぐもの。しかし、そもそも川はあるのか?)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

われわれの物語を紡ぐために:文化人類学への問い。

(彼岸と此岸を繋ぐもの。しかし、そもそも川はあるのか?)

“開発民俗学への途”の中で、日本における「民族学(文化人類学)」と「民俗学」についてまとめようとして、この数年いろいろ教科書とかを読み漁っているのだが、あまりの民族学(文化人類学)のお粗末さにあきれるというか、かなりがっくりきている。

いつから日本人はこんなに傲慢になったのだろう。そもそも中高生の頃から、文化人類学は気に食わなかったが(詳しくは言及しないが本多勝一の影響がかなり大きい)、いま改めて見直してみても、その基本的な弱点が克服されていないように見受けられる。(注1)

しかし、なぜ同じ‘人間’を‘他者’としてしか認識できないのであろうか。欧米がオリエンタリズムで自分と違うものを、‘未開’なりとラベリングするのはいい。というのは、彼らは自分達とは違う世界を、彼ら‘のみ’が知らなかったのだから。しかしながら、中国やインド文明を知っていたはずの‘日本’人が、欧米人のマネをする必要はあるまい。そもそも日本という‘国家’は、明治以後できたという言説もあるが、実際16世紀に宣教師が来るまでは、隣国の中国や朝鮮が日本人のお手本であった。「未開人」を扱うのが、「文化人類学」で、「文明社会」を扱うのが「社会学」だと。馬鹿を言ってはいけない。人から学ぶのに、人間を学ぶのに、そもそも私とあなたの人間の間に上下などあるわけがない。これは福沢諭吉の一節(「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」『学問のすすめ』1872~76年)でもあるが、この感覚が、日本に紹介されてたかだか130年ほどしか経っていないというのもまた驚くべき真実であるが。

さて、明治時代を通じて日本は今までの経験と同じく西欧文明のいわば一番よいとおもわれる部分のみを摂取しようとしてきた。彼らの中の野蛮性や未開性には気づかないふりをしながら。私は、実際の欧米への留学生達は、かの国の醜いところに酷いところに気づいていたと思う。ただ、日本の人たちの‘幻想’をこわさないためにあえて言わなかっただけだと思う。もしくは、自分の眼が間違っていると思ってしまったのかもしれない。

ともあれ、今改めて文化人類学を学んでみて、その‘まなざし’に対して、どうしても納得がいかない。なぜ、他人を知ることによって自分を見つめなおすことだけが自己目的となっているのか。いつまでも‘他者’でしかありつづけない‘他人’に対して何をなしうるのか、また何をなしてきたのか。文化人類学の専売特許とされたフィールドワークによって、彼らの世界にあなたは何をもたらしたのか。あなたの知識や経験は、そのエスノグラフィー(民俗誌)は、誰のために何のために使われたのだろうか。

今、日本の開発に関心をもつ文化人類学者の間では、「開発人類学」とか「開発の人類学」とかが話題になっているらしいが、いずれも自分の立場だけを問題にしている。相手の立場はどうなっているのか。単なる客体でしかないのか。文明国民のわれわれの彼岸にしかいない人たちなのか。

ここで、特に若い人たちのためにはっきり言っておく。21世紀のこの世の中、どこを探しても未開人や原住民、ついでに先住民といい変えてもよいが、そのような現代社会(資本主義世界と言ってもいい)から隔離された人たちは存在しない。(100%と言い切るだけの勇気はないが。)

開発学を学んでいる若い人にも言っておく。いろいろ開発途上国、低開発国いろいろなラベルはあるが、そんな‘ドル’という経済単位でしか測れない国家や民族は存在しない。私は、なぜ、中国やインド、アラブ・イスラームの国々、どこでもよいが、これらのそれぞれ長い歴史や文化をもった国々を、‘開発途上国’とよぶのか私には全く理解できない。

マクロ的な観点から世界を見るときに、便宜上、話を簡単にするために、地域分けやランク分けやグループ分けという手段がとられることが非常に多い。(注2)

しかしながら、このランクやグループに何の必然性もないことも強調しておく。逆に、かなり悪意の恣意が働いていることのほうが多い。

たとえば、アフリカにエティオピアという国がある。今では‘アフリカ’で全くの途上国のように思われているが、以前はプレスタージョンの国といってヨーロッパがカトリックを受け入れる遥かに以前からのキリスト教国なのだ。まだまだラテン(ローマ)もゲルマンもキリスト教を受け入れる前からの筋金入りのキリスト教国を、いざその事実がわかると正統派(オーソドックス)を自称する人たちは自分達のセクトの都合だけで異教や邪教だと退けてきた。

これは、今でも日常的にみられる現象ではなかろうか。歴史や経緯を全く無視して、現時点での自分の尺度だけで割り切ろうとする人たちのいかに多いことか。

今はたまたま、エコノミクスという尺度だけで世界をランクづけしているが、ただそれだけのことである。

たとえば世界で一番歌のうまい人たちとか踊りのうまい人たちとか、料理のうまい人たちの国とか、芸術性の豊かな人たち、ちょっと評価が難しいが、道徳心の高いとか敬虔な人たち、親切な人たちの住む国(地域)とかいう全く違った観点(物差し)でみると、ずいぶん、この世界も違って見えるだろうと思う。これが、自然情況と宗教を中心としたそれぞれ何百年にも何千年にもわたる価値体系の集大成としての地域を形作っていることはいうまでもない。

文化人類学の目的の一つである「自分(達)自身を知る」ということは、個人にとっても社会にとっても非常に大切なことだと思う。しかし、何かを較べて、自分の優位さだけを確認するような行為はやめてほしいし、するべきではないと思う。それぞれ、よいところもあれば悪いところもあるし、そもそも、その尺度自体が非常にあやしい。それぞれ持っている物差しが違うということは、当然まず一番最初に押さえておくべきことであろう。

「文字をもっている」「もっていない」とか、「あれを知らない」「これを知っている」とか、量や質の違いを問題にすることはもうやめよう。それぞれが、すでに何百年も何千年も生き続けてきたこと自体が、それぞれ尊いことなのだ。

世の文化人類学者たちよ、研究対象と自分を分けたり、調査する側とかされる側という彼岸や此岸という見方を捨てて、それぞれ単なる人間のひとりひとりであると地面に立ってみませんか。そもそもあなたと彼らとの間には、川もなければ溝も谷もありません。みんな、泣いたり笑ったり歌ったり踊ったりする、あたりまえの人間です。たまたまあなたは先進国で教育を受けた‘権威’ある人かも知れませんが、権威と、人間の‘尊厳’とは全くなんの関係もありません。

自分達の物語を書くでもなく、彼らの物語を書くのでもなく、われわれの物語を書いてみませんか。調査する側でもなくされる側でもなく、同じ地球を共有する人間として物語を。

蛇足ながら:

ここまで書いてしまうと、どうしても‘開発’という行為や‘開発コンサルタント’という立場に身を置く自分自身に言及をせざるを得なくなってくる。

しかしながら、この問題は、今後ずっと考えつづけていく宿題として残しておきたい。自分は何をやっているのか、誰のために、何のために生きているのか。言葉にしたら‘ウソ’になりそうで、たぶん、その時々で‘ブレ’そうで正直言って重く辛い宿題だ。

ただ私自身は、‘偉そう’に言っているぐらいのことは実践しようとしている、少なくと実践しようと思っていると自分に言い聞かせたい。

とかなんとか言っているけど、でも本当は、結構、この環境というか、こういう立場を楽しんでいるというのが本音である。自分は、幸い人が好きだし、難しい問題にぶち当たったときほど燃えてくるほうだし、お人よしの馬鹿というかそもそも楽天的な人間だし。そのとき、そのときの情況や人とのやり取りを楽しんでいる。

深刻ぶって考えても、結局、評価は他人がするものであり、所詮、人間は自分の顔すらリアルタイムで自分の目でみることができないのだ。自分だけのための自分もいないし、誰かさんのためだけの自分でもない。

まあ適度に自分の周りの世界をかき回して、そういえば、あんなやつがいたなあとか、楽しい‘仲間’がいたなあと、なにかの折に人に想い出してもらえれば、それだけでも生まれてきた価値があったのではなかろうか。

あえていえば、それが‘私にとって’の「われわれの物語」ということにしておこう。

(この項 了)

注1,2は、次ページに移動しました。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

注1: 文化人類学の1990年代を振り返る 

そもそも門外漢の素人であるしばやんごときに、このような問題提起を受けること自体、専門の文化人類学者の方々にとっては片腹痛いことかもしれない。以上の論点は、「文化人類学」に対する非常に極端なステレオタイプな見方の一つであることも承知している。もしかしたら、すでに終ってしまっている(克服された)問題なのかもしれない。

特に1990年代以降の文化人類学会や、日本のマスコミをつぶさにみてみると上記に述べたような課題を克服すべく多大な努力が行われてきたことは敬意に値する。

たとえば、文化人類学の現在については、以下のキーワード集が参考になった。

○  山下晋司・船曳建夫編 『文化人類学キーワード』 有斐閣 有斐閣双書Keyword Series 1997

○  綾部恒雄編 『文化人類学最新術語100』 弘文堂 2002

これらのキーワード集をぱらぱらめくってみると、いかに文化人類学が自己脱皮を果たそうと苦戦している様子が垣間みられる。

テレビ・マスコミは、そもそもあまり見たいのでよく知らないが、『世界不思議発見』や『世界うるるん旅行記』などの啓蒙番組、『猿岩石』に始まる同時並行ドキュメンタリーなとは、私の幼少時代に見た川口浩の怪しげな探検隊(タイトルを失念)のドキュメンタリー(といえるのか)とは隔世の感がある。

また最近、新しいシリーズの始まったNHKの『シルクロード』1984を始めとする良質な映像番組は日本人の啓蒙に非常に大きな役割りを果たしてきた。また近年ブームの、『ユネスコの世界遺産』にかかる映像番組は、あらゆる世界の叡智や不思議を茶の間に身近なものにしてくれたと思う。

ところで、本文で文化人類学批判をしてはいるのの、その文化人類学に対して個人的には非常に思い入れというか期待感があるのも事実である。実際、人文地理学に関心のあった私は、大学受験に当たって南山大学の文化人類学科とかスペイン語、愛知大学の地理学科も併願していた。第一希望は、東京外国語大学のアラビア語、第二希望が大阪外国語大学のアラビア語であったが・・・結局、大阪外大のアラビア語に進んだ。

そもそもこの文化人類学に対する近親憎悪?については、中学生や高校時代に読んだ本多勝一の一連のルポルタージュによるところが大きい。本多勝一の本領は、『アラビア遊牧民』や『カナダ=エスキモー』、『ニューギニア高地人』などの文化人類学の成果に数えられるルポルタージュよりもむしろ、その後の『戦場の村』、『アメリカ合州国』『中国の旅』などの中期の作品から明確な哲学として現れてきたと思う。

私はリアルタイムの読者ではないが『殺される側の論理』『殺す側の論理』などの視点は、少なくとも日本人で人文科学を志すものにとって、すでに古典というか常識になっていると思うのだが、果たして今の高校までの学校教育ではどのように扱われているのだろうか。

この数年、開発学や途上国のことに関心をもつ大学生や大学院生と話すことも多い。そんなときに結構、本多勝一を知らない人も多くて愕然とすることもある。

特に、開発学については、まだまだ日本語で読める本も少なく(この10年、ねずみ算的に急激に増えていることは知っているが)特に理論面や実践面では外国語の翻訳本を読むのもよい。

しかし、もっと日本人自身の葛藤というか問題意識といったものも押さえておいたほうがよいのではないか。いろいろなところで強調しているが、私は日本人のセンスというのは、世界的にみてもそれほど悪くないのではないかと思っている。だからこそ、この「歩く仲間」の‘日本語版’では、日本人の業績にこだわりたいと思っている。

‘英語’版では、日本人以外の英語を読める読者のために別の観点から切り込みたい。できれば、5年以内に本格的にスタートできればと思っている。

注2: 地政学と地域研究について 

文化人類学の兄弟みたいなもので地政学というものもある。その地政学的な観点からの地域分けは意味があるというおっしゃる方がいると思うが、これは「地域研究」自体の危険性に踏み込むことになるので、「地域研究」と「開発学」との絡みで別途論ずることとしたい。

以 上
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今回、久しぶりに自分の文章を読み返したわけですが、‘5年以内に英語版’を書くと2005年7月3日に自分が書いたのをみて、ちょっと赤面。やはり修論は英語で書かなくてはならないのか?ということなのでしょうか^^?

今日は、もうちょっと先までと思いましたが、引用だけで終わってしまいました。大体、私が書いているようなことはすでに了解済みのことだと思いますので、次回は、‘リアリティ’というキーワードで切り込みます。

ではでは^^?

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2011年5月24日 (火)

10.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き) <外部者(異人)論 その2>

前回の続きですが、ちょっとおさらいを。今は、1項の途中です。

<開発民俗学のアプローチの特徴>

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放

2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し

3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。

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さて、20世紀までのパラダイムでは、あるべき‘人(間)’のモデルとでもいうべきもの(理想)があり、そのモデルに近づくことにより人類は‘幸せ’になれるとでもいう、‘~イズム(主義)’の時代でした。

これは、まるで岡田斗司夫(※)の世界ですが、我々はすでに‘一つ’の‘~イズム(主義)’が完遂できれば万人が幸せになれるという無邪気な世界ではないことに気がついてしまっているのです。

つまり、世界はすでに多様であり一つの考え方にまとまれるほど‘人間’は賢くもないし謙虚でもない、また一つの‘~イズム(主義)’や‘イデオロギー’が世界を支配することはありえないし、誰もが望んで‘さえ’いないということなのですね。

※1958年生まれの‘オタキング’の岡田斗司夫氏を、私は丁度12年先輩の現代日本における稀有な知性というか哲学者であると私はリスペクトしています。こちらの記事もご参照ください。彼が1995年に著した‘パラダイム論’についての私の感想文というかメモです。

岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』 2007年4月23日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog069.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog070.htm

まあ、私が言うまでもないことですが^^?

さて、私が、この1項でいいたいのは、頭のいい?人が‘頭で考えた’あるべき(想像された)人(間)を基準に、現実の人間を判断するのではなく、あるがままの人間に向き合って、そこから、つまり平の人の現実から物事を考える、少なくとも‘考えること’をスタートさせるべきだということです。

もっというと、プロトタイプの‘農民’や‘漁民’がその地域にいるのではなく、その地域にいる人は、どういう人なのか、という考え方の逆転、というかあたりまえのことですが、現場から考えろということを強く強調したい。

今までの私が関わってきた国際機関の開発調査などで感じたことは、初めに‘農民’という言葉ありきで、実際にその‘住民’がどのような生業により生活(=生存)しているのかということが見落とされていたというか、その住民‘個人’の社会における役割の多様性や多面性についての理解と含みを持たせていなかったことが、のちの計画立案の妨げや足かせになった場合もあるということです。

固有名詞は出しにくいのですが、たとえば、ある地区の住民は‘農民’であるだけではなく、漁民でもあった、つまり半農半漁民であったり(ある湖の周辺にすむ人たちの例ですが、乾季は農業、耕地が水没してしまう雨季は漁業をして生業を立てます)、農民であると共に商人であったりと、普通の‘平の人’の生存戦略は、我々の想像を超えて多様であり多彩であります。

これは、ちょっと‘考えれば’わかることではなく、そのような実例をつぶさにみることにより‘見えてくる’ことなのですが、少なくとも現場経験のない少ない人は、そのような’現実’があるという可能性を、頭の隅においておくと、(開発の)教科書に書いてあることと、‘現場’との違いのギャップに驚くことも少なくなると思います。

この項は、単純にモデル化された科学的な‘カッコつきの人(間)ありきで開発の現場を考えるのではなくて、本当に普通の人(‘平’の人)のもつ、人(間)のアイデンティティの重層性と、生活の多様性の(ある)現実を、素直に受け入れ、かつ実体として考えていきましょう、というところで、一旦、締めくくらせていただきます。

第1項 了

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2011年5月21日 (土)

9.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き)

<外部者(異人)論 その1>

ステークホルダー分析の途中ではあるのですが、ここで、ステークフォルダーの一部でもある‘外部者’というものについて考えてみたいと思います。

私の提唱する「開発民俗学」では、現地の人(土の人)に対する外部者(風の人)の役割や、その両者の‘関係性’の重要性について認識し、かつ、その相互が出会うことによる‘ケミストリー(化学反応・融合)'や、その‘グループダイナミスク’の仕組みや可能性に光をあて、いやむしろその‘ケミストリー’をいかにベターのものにするかについて考察していきたいと考えています。

ここのところが開発民俗学の最重要の胆のひとつなのですが、何が今までのアプローチと違い、‘新しいのか’、その理由を3つにまとめたいと思います。

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放

2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し

3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。

まあ、思いつきですが、私が‘外部者(異人)論’にこだわるのは、上の3つの理由からです。簡単に、かつ具体的に上記の説明を試みます。

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放

私の思想の根底にあるのは、分断され細分化されつくしてしまった‘近代(的)な’「人(間)論」の限界をやぶるというか、‘枠’そのものをはずして、‘人(間)’そのものに向き合わないことには、21世紀は一日たりとも進んでいかないのではないかという‘危機感’があります。

今までにいろいろなところで書いてきましたが、20世紀は、‘イズム’の世紀で、それこそさまざまな‘あるべき人(間)’像が語られ、またそれを理想として、世界の各地で‘望ましい人(間)が住む(であろう)ユートピア’の建設が夢見られてきただけではなく、それを目指して現実に(建設が)おこなわれてきました。

直近の卑近な例で言えば、「資本主義社会(‘第1世界’)」も「共産主義社会(‘第2世界’)」も、‘あるべき人(間)’のための、‘国家’建設でした。でも、結局、この分類で、‘第3世界’と呼ばれたのは、その他大勢の、あまり「資本主義社会」とも「共産主義社会」とも違う、「開発途上国」でした。

「開発途上国」といわれる地域や国の、伝統・歴史やその多様性については、まったく無視され、「資本主義」か「共産主義」のどちらかであるか、という観点のみから‘世界地図’のそれぞれの‘ピース(地域・国)’の色分けをおこなおうとしました。

これが、俗に言う「(東西)冷戦」って奴ですが、1992年以降に生まれた若い世代の人については、もう過去のことで、教科書で習うような‘歴史的’な事実です。

でも少なくとも、1970年生まれの私達の世代にとっては、「冷戦」は教科書に書かれたことではなく、生活の中での‘リアル(現実)’でした。

1945年の第二次世界大戦後に、‘世界’は平和と秩序と安定を取り戻したといわれていましたが、実は、太古から今日の今に至るまで、この地球という‘世界’に戦火の止んだ‘瞬間’はありません。

今のこの瞬間にも、‘世界’のどこかで銃声がとどろき、なんの罪のない、普通の'平’の人が殺され死んでいます。

この項は、途中ですが、一旦、筆をおきます。

実に重要なポイントなので、少し頭を冷やして書き継ぎます。

ではでは^^?

バックステージ:

‘みえてしまった人’というのは実際にいたし、これからもいるであろうし、いや、‘今’の自分は、その領域に足を突っ込んでしまった?のではないかという気がしている。

なんというのであろうか、人(間)の行く末が、私には直感的にわかるというか、まだ言葉にするには時間がかかるが、今まで生きてくるなかでたぶん幼少のことから感じてきた獏とした不安みたいなものに対する‘解き明かし’が、この数年、‘自分’の‘言葉’として問わず語りに、まさに頭から‘こぼれ落ちてくる’ような気がしているばかりか、実際にこうして手が勝手に文字を綴っている。

しばやんも‘預言者’の仲間入りか^^?というような無邪気な話でなく、正直、なんで自分がこんなことを、‘誰のためにでもなく’書いているのかがよくわからない。

これを書いて、果たして、‘金’になるのか → 全然そんなことは考えていないし、今のところは‘一銭’にもなっていない。

自己顕示欲もしくは自己満足。 → まあそうであろうけど、‘偉そう’にこんなことを書いて、誰が喜ぶかとか考えると、おもしろいといってくれる人と、今までとは違った‘世界’を見せつけられることで‘既得権’や自分の‘心の安定(平安)’を奪われることで、不愉快に思われ反感を持つ人も多いであろう。

たぶん、半数以上は‘不愉快’じゃないかあ。自分が今、‘立っているところ’に‘ケチ’をつけるような私の物言いに対して、しかも‘自分のことを棚にあげて’ ^^?

先の章の最後の部分を書いているとき、ふと急に、マイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」が聞きたくなって書くのをやめました。つまり、マイケルも‘世界が見えてしまった人’なのではないかと。

まあ、マイケルと自分(しばやん)を並べるのもおかしいし、そもそも‘不遜な’ことですが・・・^^?

ではでは^^?

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2011年5月19日 (木)

8.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き)

<ステークホルダーとは (続き)>

前回、‘現地(現場)’におけるステークホルダーの一部について触れました。とりあえず、‘地域住民’と‘行政’についてのみ述べましたが、このわけ方は、あまりに大雑把過ぎるし、それぞれの中身そのものも可変的なものであり、つまり‘定義'付けにより、どのようにでも切り取れるということに言及しました。それぞれの中身を議論することは、一定の意味はあるものの、この講義では、そこには踏み込みません。

なぜか?

さて、ここで考えなくてはならないことは、誰がその‘定義’をするのかということなのです。つまり「ステークホルダー」を規定するのは、ステークホルダーの範疇に入っている‘人(たち)’ではなく、その‘現地(現場)’のいわば‘外部’にいるものであること。しかもそれは、一定の‘力’を持っている‘外部’者が、ステークホルダーの‘枠組'自体を決めてしまっているということ(事実)です。

これが、開発民俗学の一番の胆の部分です。

つまり、私が今までの社会科学全般について‘不信’を感じるところなのです。

‘科学’的であろうとすると、どうしても‘客観性’を求められ、‘恣意’的なものを排除するように求められます。しかし、それが論理の一貫性を欠く根本的な原因であり、近代‘知’の致命的な欠陥なのです。

近代科学は、‘枠’がないと成立ちません。その‘枠’は通例、森羅万象を、ある人(通例個人)が、彼(彼女)のめがね(バイアス)をもって分解することによって、いわばある一つのものを細かくわけて、しかも極限の分子や‘素粒子’まで分解して、その素粒子なりの分析結果をもって、部品を組み立てなおすことによって全体(一つのもの)を定義づけ‘わかろう’とします。

しかし、‘素粒子’そのものを見ることは不可能である(作用・反作用の関係)で、見るために何らかの力(光、レーザー、ビーム?)をあてた時点で、‘素粒子’自体が‘変質’してしまい、元の‘かたち’をすでにとどめていないのです。

つまり、分解しつくすという‘プロセス’そのものが、方法(論)として破綻してしまっているのです。物理学というか、‘(西欧的な)科学’の限界なのです。

‘(西欧的な)科学’を、もっと広く‘知’の一部だと考えると、‘知’の可能性は、一気に広まります。つまり、閉じ込められた‘(西欧的な)科学’を素直に、広くその(それを規定する)‘枠組み’から解き放つことにより、それ自体がもつ呪縛から解き放たれ、さらなる深化(進化)の可能性が生まれます。

今、私が開発民俗学で考えていることは、今までの常識とされてきた考え方の‘枠組み’自体を相対的に、'ひとつ’の‘知(恵)’と捉えなおすことにより、今現在の‘危機’を乗り越えようというところなのです。

これが、私なりの、「近代の超克」なのです。

明治や戦前の「近代の超克」と私の思想が根本的に違うことは、‘哲学’を語るのに、難しい‘言葉’はいらない。ということなのです。

その時世で広く認められた‘エスタブリッシメント’とされるものに組せず、‘平の人’の感覚で、‘常識’を疑い、足元から構築しなおす。その行為自体が‘エスタブリッシメント’そのものであるという、自己矛盾はおいておき、まあ21世紀のパラダイムは、今この時点で作っていくものなのではないのでしょうか。

かなり脱線してしまいましたが、この項では、‘外部者’が彼(彼女)の‘枠(フレームワーク)’でもって、‘現地(現場)’を規定しているという、今までの社会のあり方(通念)、そのものに疑問を持つ必要があるという問題を提起させていただきました。

次回は、いよいよ‘外部者’とはなにかについて論を進めます。

この項、了

なにか自分で書いてきて、楽しくなってきました。‘外部者’論そのものが、‘異人論’であり‘カタリスト’論なのです。まあ、次回も期待して?続きをまっていてください。

ではでは^^?

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2011年5月17日 (火)

7. 今、起こっている危機。原発=原爆 しばやんのコミットメント!

さて、昨日(5月17日)のニュースで、実は福島第1原発の第1号炉が、地震直後の時点で、すでにメルトダウンを起こしていたことが報道されました。

ある程度は想定されていたこととはいえ、目が真っ暗になりました。やはりというか・・・。

それにしても、やりきれないです。ウランやプロトニウムという‘心’がないものとの、‘目に見えない’、終わりがあるともないともいえない(半減期○○万年ってどういうこと。人間の感覚では認識出来ません)戦いとの始まり。終わりの始まりというか、すでに原子力の扉を開けてしまった時点で想定、いや‘偉人’といわれるキュリー婦人でさえ、‘天才’といわれるアインシュタインでされ、彼らの‘天才とされる頭’でも想像できなかったのでしょう。

でも、まあ本当にアインシュタインはとんでもない‘天災’ですなあって、だじゃれを言っている場合ではない。

アインシュタインは、第三帝国(ドイツ)が原爆の開発を進めているから、この究極の力をヒトラーに先に手にいれられるくらいなら、アメリカがその力を持つべきだとトルーマン大統領に進言して、マンハッタン計画が始まったわけですが。

この魔物(原爆=原発)をいったいどうしたものでしょうか。

おっと、前フリが長くなってしまいましたが、私と原爆=原発との闘いについては、こちらをご覧ください。

‘わたし’の平和学~冬が来る前に! 2007年5月6日~ 連載中

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.htm

えい、まあついでにちょっとだけ転載してしまいましょう!

連載第2回:

なぜ‘冬が来る前に!’なのか? 2007年5月7日

初出: ブログ版 歩く仲間

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_122a.html

今回、「歩く仲間ブログ」に、‘冬が来る前に!’というカテゴリーを作成しました。このテーマについては、2007年の‘歩きながら考える’の特集記事として「歩く仲間HP」で今年の通年テーマとして考えています。

2007年 新年のご挨拶
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2007NewYear.htm

冬が来る前に (その1) 2007年を迎えるにあたってhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00031.htm

冬が来る前に (その2) ダーウィンの悪夢をみてhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog046.htm

すこし以前の記事ですが、こんなんもあります。

アメリカ同時多発テロと東ティモールのPKF http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030024.htm

チェチェン武装勢力のモスクワ劇場占拠事件に思うhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030028.htm

剣を取る者はみな剣で滅びる(マタイ26-52) 映画“パッション(キリストの受難)”をみてhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00021.htm

しばやんのアウティング@スービック(米軍 海軍基地跡とピナツボ火山噴火の後をみて思ったこと) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00027.htm

イギリス・ロンドン同時多発テロ勃発

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030041.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog011.htm

誰のための旗? 国旗を掲げるということ。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog033.htm

テーマは、‘開発(援助)’というより、それ以前からの私の問題意識、例えば、差別、原爆のこと、死の商人のことなどを扱います。その中で、私自身の‘反西洋思想’をも扱います。書きたいことがいろいろあるのですが、まとめて書くのもしんどいので、断片的になってしまうかもしれませんが、折節につづっていきたいと思います。

想定されるテーマ

1.なぜ、私が原爆や平和や差別にこだわるのか?

2.私の(擬似)被爆体験 ~1985年4月11日 人間をかえせ をみて~

3.平和のハットトリック・プラス・ワン(被爆地巡礼(広島、長崎、夢の島)+ゲルニカ@マドリッド)~

4.死の商人とは(ちょっと気が重いテーマ、でもある程度ふれざるを得ない)

5.差別と辺境地 ~異人論考~

6.‘知は力なり、ただし、開かれたものでなくてはならない’ しばやん@1991

7.なぜ、今、平和憲法が必要なのか。日本国憲法・再考

8.21世紀に求められる総合的な知の体系(パラダイム)とは?

う~ん。いかにも難しそう^^?でも、そんなに肩の凝るような話ではないです。なぜなら、私の体験というか経験からおこした話のなので、決して理論や理屈や、形而上学の話ではないからです。

過去のネタもいろいろあるのですが、やはりビビッドな感動を与えてくれた映画や考えるきっかけをつくってくれた本など関連する最新の話題についても同じカテゴリーで紹介していきたいと思います。

また裏の目的として、日本国憲法施行60周年に対する‘しばやんなり’の議論のネタだしということを考えています。 ← これは、ちょっとというか‘かなり’本気です。

よろしくご高覧ください^^?

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とりあえず、今日の講義はここまで。

うーん。単に東日本大震災からの復興について書けばいいと思っていたのに、原発=原爆についても同時並行で考えなくてはならなくなってしまった。

困ったけど、やりましょう。私が。

まあ、まかせなさい。 1985年4月11に‘心に被爆’してしまった私にしか負えない十字架があるとすれば、死ぬまで‘自分’で闘い続けるしかないのでしょう。まあ、夢が破れても、私の屍を乗り越えていってくれる仲間が一人でもあることを信じて。

ではでは^^? 

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