カテゴリー「大学院への道^^?」の記事

2013年10月20日 (日)

<しばやん@総合研究大学院大学オープンキャンパス?>

初出:フェイスブック書き込み 2013年10月19日
<しばやん@総合研究大学院大学オープンキャンパス?>
今日、大阪にとんぼ返りで行って帰ってきました^^?
実は、岩田慶治先生追悼シンポジウムに参加するのが目的で大阪は吹田の万博公園の国立民族学博物館に行ったのですが、そこで渋澤敬三さんのアチックミュージアム展という特別展が実施中といううれしい誤算と、なんと文化科学研究科の地域文化学専攻と比較文化学専攻の大学院の説明会が、たまたまシンポジウムと同じ時間に隣の部屋でやっていたので、そちらに浮気?して参加してしまいました。
臨機応変といいましょうか、平たく言えば行きあたりばったりなのですが、年に1度しかない説明会ですし、これは渡りに船だと、飛び込みで当日受付で参加してきました。
ご存知の方は少ないかと思いますが、民博は総合研究大学院大学、つまり大学共同利用機関のひとつで、博士課程のみの大学院があり、日本の文化人類学研究のメッカです。毎年定員3名ですが、学生の能力がなければ取らないので、1名とか2名とか定員割れしているのですが、2年くらい海外でフィールドワークをしているので、現在、定員18名(2つ専攻があり一つの専攻あたり3名×3年かける2専攻)のところ、休学者を含め在学が20名で、先生(研究者)が46名もいるという研究者養成機関です。
今日も、日本全国から20名近くの進学希望者が説明会にきていました。この数年は、9名くらいが試験を受けて受かっているのが各専攻2名程度で4名。
在学生の方や先生もおっしゃっていましたが、要はよい指導教官を見つけることができるかが鍵みたいです。主副担当教員に加えて2名ほど指導教官がつくみたいでみっちりと学位をとるために指導してくれるそうです。
私に能力があるかどうかは別にして、いろいろ先々のことも考えて進路を考えないといけないなあと、改めて思いました。
あと、オープンキャンパスの後に、岩田先生のシンポジウムに戻って、最後の2つの発表を聞いて、懇親会にでて帰ってくるという一日でした。
明日は、少しはゆっくりします。
ではでは^^?

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2013年9月27日 (金)

学生生活2週間が終わって思ったこと

初出:フェイスブック 2013年9月27日
<学生生活2週間が終わって思ったこと>
しばやん@ホームです。
プータロー浪人生の2週間が終わりました^^?
今日は、国民年金と国民保健の手続きに行ってきました。前の会社に健康保険証をと離職票を返却にいって、社長や同僚・先輩に挨拶。2週間しか経っていないのに、いきなり旧友にあったような懐かしい感じ。快く送り出していただいた会社の方全てに感謝感謝です。
ある意味、自分がいなくても世界は回っているし、なんというんですが、みなが働いている中で例えば川の流れや重力みたいな公権力の力に逆らってというより無視されて浮遊している感じ。まあ、21年間、働いてやっと得たモラトリアムなので、とっとと次に進むべき道に、できるだけはやく軌道修正したいものです。いい加減、プータローも飽きてきたし、今までみたいに働きながら研究を続けられるようなポジション、つまり生活費にキュウキュウすることなく、でも自分にしかできないことに、それなりの時間をつかうことができるような立場にたどり着きたいものです。
今週の振り返り。
やっぱり、大学や大学院に通いながら浪人をするのは大正解。火曜日から金曜日まで授業があるので、朝から夕方まで、もしくは、週2日は昼の大学の公開講座受講と夜間大学院の科目等履修生がダブるので、9時から夜の9時半まで授業で、物理的には仕事をしているのと全然変わらない。
全然、プー太郎をしている感がありません。授業のない時間は、生協の食堂の端のテラスで景色を見ながら本を開いたり、図書館で本を読んだり移動したりで、フルで考える時間があるのがとてもうれしい。
大体先生の顔も覚えてきたし、大学院でも学ぶ仲間の顔がなんとかわかってきたので、徐々に時間をかけて一人でも仲間になっていけばよいと思いし、あせる必要はなし。
やっぱり完全に仕事をやめてよかったと思うのは、昨日、名古屋大学で研究会があったんですが、たまたま事業の空きがあったので、遠征して大先生方とも話ができたし、なんとなく研究者の仲間の環がみえてくるようになればしめたものです。
この平日の昼間のセミナーにも参加というのが一番、おいしいかもしれない。夜間大学院だけだったら、昼間は仕事で身動きができないですからね。今は、時間が会いさえすれば、それこそ日本全国どこにでも師や仲間を訪ねることができるわけです。この自由さは、もうやみつきになりそうですね。
あと、自分は、結局、部屋に閉じこもって勉強するタイプではないことがよくわかりました。基本は歩く中で考えひらめきを得て、図書館で先行研究を探るタイプ。
今、人間環境大学、日本福祉大学院、中京大学、南山大学の図書館、名古屋の図書館全て、当然もちろん地元の岡崎市と幸田町の図書館の全てが無料で使えるのでとてもラッキー。
自分の体とノートとパソコンがあれば、どこでも勉強ができます。
ということで、ぼちぼちと確実に一歩づつやっていこうと思います。
ではでは^^?

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2013年8月18日 (日)

しばやん@日本福祉大学オープンキャンパス

初出:フィエスブック クロスロード・オブ・ハッピネス 2013年8月18日 書き込み 2013年8月19日 修正

<しばやん@日本福祉大学オープンキャンパス>

実はしばやんの夏休みと書き始めようとしたのですが、結局、4日間、ほぼ出ずっぱりで、行事もいろいろ参加したので散文になってもいけないと思い、4日目の今日のお話を。

実は、今回、日本福祉大学のオープンキャンパスにいってきました。目当ては国際福祉開発学部と社会福祉学部です。

40過ぎのおっさんがなにをふらふら若者(自分の姪っ子が大学1年生)のところに顔を出しているのだ!と突っ込まれそうなのですが、大学院への進学を目指していますので、きわめてまじめなアプローチだとご容赦ください。
ということで、今回のオープンキャンパス、非常に満足のいくものでした。国際開発と福祉、実は福祉の視点って重要で、私もかなり以前から関心をもってみてきました。

1.社会保障制度考 2007年5月13日(日)

地域開発を考えるときに、何が大切かというとホーリスティックに全体を見ないといけない。つまりあらゆるセクターに目配せをしないといけません。例えば、産業振興(農業含む)のためのハードの社会基盤整備(道路、港湾、工業開発など箱物)、そして保健医療・教育などのソフト面と制度面での整備、実はこれをやるのには、マルチパーパスホールなどハード面での整備も欠かせません。

そして、次に考えることは、誰が実際にソフト・ハードを動かすのか、利用する側だけではなく、医師、看護師、保健所のおばさん、教師など、供給する側の整備も同時に進める必要があります。

そして、たぶん、そのソフト・ハードののモノと人的資源とを結びつけて全体としてサイクルをまわす、つなぐ人、コーディネーターが一番事業の成否の鍵をもつ要そのものだと思います。

まあ、開発民俗学で視野にいれているのはそのような地域開発コーディネーターであるわけですが、その仕事って、実は日本の福祉の現場でのケアマネージャーそのものの業務と非常に似ているところがあるんですよね。

日本でもこの10年ほど(もっと前かもしれませんが)貧困問題がクローズアップされて社会福祉の分野への社会的な関心が高まっていますが、実はフィリピンに駐在する前、2000年頃から、そのような分野で活躍する仲間の姿をみて自分でもいろいろアンテナを張っていました。

今回、この説明会でも、福祉という視点の重要さを改めて感じましたね。

あと社会福祉学の先生の模擬講義で、「しあわせを考える」学問だと「ふくし(漢字ではないらしい)」を位置づけていた話を聞いて、わが意を得たりと思いました。
ちょっと感動したのが、今回は、高校生向けの大学(入試)説明会だったわけですが、制服を着た多くの学生のうちに、目の見えない人や耳の聞こえない人、車椅子の人などを多く見かけてこと。つまり学校として、そのような障害学生支援を徹底してやっているということなんですよね。

国際福祉開発学部の説明会で気がついたのですが、耳の聞こえない仲間のために、学生さんがボランティアで先生の話を手書きで紙の上に書いて、それをOHPみたいにカメラでパソコンに取り込んで映像で、その仲間の前のモニターに投影するという作業をやっていました。

あと、他の教室のゼミではすり鉢教室の一角で耳が聞こえない人のために手話通訳をしているのも見かけました。

いやあ、こんな当たり前のことができていないんですよね。アメリカではアファーマティブ・アクションといって、社会的な不平等や不利益をこうむっている人を、日本語でいえば‘下駄を履かせる’という活動がもう20年以上前から当たり前のようにやられていて(この話はアメリカ法講座という法律予備校のゼミを1995年位前に講義で聞いてびっくりした覚えがあります)ついには、逆差別などが問題になっているというのに、当時でも今でも日本はこういうところは全然、まだまだ社会として‘当たり前’のことではない。


実は、途上国の開発問題を考える・勉強するとは、こんな世界の先進国の潮流や常識を知ることでもあるんです。結局、その国なりがどの位置にあるかは別にして、世界中で何が問題であり、どのような対策がとられているか、先進国、後進国をとわずみて聞いて学んで、結局は自分たちの生活自体を見つめなおす、いいところは取り入れる。結局、海外を学ぶことは自分たちをより深く知るということにつながるんですよね。

いろいろ脱線しましたが、まあ、そんな当たり前のことが出来ているし、やろうとしている。これは地味ですが大切なことだと思います。

そして、国際福祉開発学部の模擬事業で、久しぶりに小國和子先生にお会いして講義を受けてきました。というよりゼミの内容を学生さん、3年生だけではなく入学して半年の1年生がパワーポイントを使ってプレゼンテーションするんです。あとスカイプでイギリスに留学中の3年生ともテレビ電話?してしまうし、いや~!学生やるじゃん!という感じでした!みごとな参加型の学生を中心としたプレゼンテーション。あとで懇親会で発表した学生さんと同じテーブルだったので、いろいろ聞いてみたのですが、よくもまあ入学半年も経たないのに成長するものだなあと、眼を見張りました!本当にびっくりです。

まだ開設してから6年で卒業生も少ないみたいですが、このような教育ならおもしろい人が育つなあと改めて感じました。これはおもしろい。なにより学生が活き活きとしているところがいい。
私も先生やスタッフに、特に環境づくりについていろいろ学ばなければと思いました。一人の努力ではなく、たぶんチームとして方向性を決めてやっているんだなあということです。
まだまだ日本も捨てたものではないし、その中で自分に何ができるかをしっかりと考えないといけないと思いました。

あと蛇足ですが、予備校の先生による「小論文の書き方」なる試験のためのゼミがありまして、これが結構、しばやん的にはツボにはまりました。そうか、設問に答えるための小論文は、そのように考えて問題を解くのか!と。これは大学院入試でも使えるなあ!と、とても得した気分です^^?

なにか全体的に抽象的な話になってしまってすみませんが、今後の私の活動にもリフレクションがあることと思います。

よし、今日から私もがんばろうと思いました。

ではでは^^?

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2013年7月14日 (日)

しばやん@JICA地球ひろば&名古屋大学国際開発研究科(GSID)

初出: facebook 2013年7月13日 タイムライン


しばやん@ホームです。今日も暑かったですねえ。今日は、JICA中部の地球広場で地球案内人の第1回目の研修に行ってきました。


実は、こっそり?でもないですが、地球案内人というボランティアに応募していたんです。先月末に面接があって、今日と来週の研修に参加して問題がなければ、ボランティアに登録してくれるそうです。


採用された場合、月に一回程度の頻度の半日のボランティアで交通費補助がでるくらいですが、なにより名古屋に出かけるきっかけになりますし、結局、現場に近いことがしたいのですよね。


もう開発援助の現場を離れて5年になりますから、どうしても援助の最新のトレンドにも疎いし、なによりそのような会話をする機会が今の生活では、まったくないので、なるべく人や情報の近くに身をおこうというわけです。


まあ、はりきりすぎずにボランティアや職員の方々と、あと当然、来館者の方々とゆる~い話を楽しもうと思っています。


さて、午後はその足で名古屋大学の国際開発研究科の大学院の説明会にいってきました。いろいろな先生や院生の方とお話をして生の声が聞けてよかったです。
とても充実したプログラムだとは思うのですが、やはり修士の2年間ってとても時間的に短いですね。あたらめて思いました。


ある先生に話したのですが、博士課程にいくのであれば、「なんでも勢いだから最初から5年間で(博士号を)取るべくみっちり集中的に勉強をしたほうがいい」とのことでした。やはり途中で働いたらとか考えていたら、いろいろ忙しいし、くじけたりもするし、とのことです。あと、他の先生にもいわれたのですが、修士で就職する人と博士を目指す人とでは当然のことですが、指導の違ってくるとのことでした。本日の結論としては、もっと「どの学問分野で貢献したいのか」の的を絞って最初からその分野の院に進学したほうがよいとのことでした。


まあ、当たり前といえば当たり前のことかもしれませんが、アウトプットの中身をもっと絞り込んでいく必要を痛感しました。


「開発学」という学問分野があるにはあるのですが、私の場合、漠とした「開発学」に興味があるわけではありません。


開かれた学問、足元からのしあわせの構築ということを考えているので、別にフィールドは海外も国内も関係なく、それぞれの現場のもともとある資源、特に宗教や文化や歴史を踏まえた身の丈にあったよりよい生活を追求するお手伝いができればよいのであって、経済的な豊かさだけではなく、生きがいですとか夢や希望といったものにもアドレスしたいと思っています。ただそれが嵩じると単なる形而上学になってしまいますので、あくまで実学や実践と結びついた具体的な情報や技術やもののやりとりをしたいと思っています。


先にふれた先生が、内山節さんのことを引き合いに出し、農業からはいって哲学になってしまうといわれましたが、結局、そういうことだと思います。そもそもPh.Dとはそういうことですからね。


ともあれ、いろいろこちらの大学院の先生のやられていることや守備範囲の一端はわかったので、もう少し進路について考えてみようと思います。


試験:前期のみ


願書受付期間:2013年8月7日~8月13日
第1次試験: 2013年9月11日(水)
第2次試験: 2013年9月12日(木)
合格発表: 2013年9月18日(水)


すでに出願まで1ヶ月を切っていますよ。これは大変だ!

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2013年6月13日 (木)

歩く仲間通信 国際開発学会発表終わりました 心を新たに!

初出: メルマガ 2013年6月11日(火)
 
みなさん、こんにちは。 世界の風来坊しばやんこと柴田英知です。
ここのところ、2週間おきくらいに東奔西走の日々を送っています。 2週間前の東京行きについては、こんな感じです^^?
 
 
↑実は、しばやんのフィリピン駐在員時代の仲間の中村八千代さんという社会企業家の セミナー参加が目当てだったのですが、ここでもおもしろい出会いがありました^^?
 
そして、つい先週末(6月7日から9日)も金曜日に会社を休んで、午前中に愛知県内の 大学院の 研究室訪問、午後には、東京外国語大学のアジア・アフリカ研究所(AA研)で行なわ れた 今年3月に急逝した山口昌男先生の追悼のシンポジウム、土曜日は、宇都宮大学での国 際開発学会  第14回春季大会で口頭発表、その後、懇親会のあとで3次会まで付き合って朝1時ま で飲んで、 次の日曜日は、横浜で旧知の前職の会社の大先輩にお会いしてと、もう人と会って語っ て、 頭がぐにゅぐにゅの怒涛の3日間を過ごしました。
 
ようやくサラリーマンの日常に戻りつつあるという感じです。 今回の旅は、最初から想定していた再会は当然あったものの、サプライズでうれしかっ たのが、 全く想像もしていなかった再会があったこと。 特に、府中の東京外国語大学のシンポジウムの会場で、元AA研所属のイスラーム研究 者の 家島彦一先生に、かれこれ10年ぶりぐらいで再会できたことは本当にラッキーでした 。
 
実は、大学時代にアラブ・イスラーム地理書・旅行記の研究を志したしばやんにとって 大阪外国語大学の竹田新先生(日本のイスラーム地理書研究の一人者)と慶應大学の 前嶋信次先生の愛弟子の家島先生は、もう神様みたいな存在で、大学生時代からもう2 5年くらいの お付き合いとなるのですが、家島先生はますます元気に、アラビア語研究の道を歩んで いらっしゃって イブン・バットゥータの『大旅行記』に引き続き、がんがんと中世のアラビア語の旅行 記の アラビア語原典からの日本語訳を進められていて、なんと最近、あらたに「イブン・ジ ュバイル の旅行記」の翻訳にとりかかったとのこと。 平凡社の東洋文庫で5冊ほどの分量で、あと10年かかるとのことでした。いわく「今 でも毎日、 5時間から10時間、机に向かっているんだ。簡単な(単純なアラビア語の)単語ほど むずかしい。 毎日、辞書を引いている」とのことで、まだまだやることがいくらでもあるとのことで 、先生いわく 「大学3年生のことからアラビア語を50年やってもまだまだわからないことばかり」 だそうで、 「時間がもったいなくて仕方がない」とのこと。 結局、21年前に大学院進学を(一旦)あきらめた私ですが、先生の学問への情熱に改 めてふれて、 なにか胸に熱いものがこみ上げてきました。
 
家島先生の凄いところは、漢籍、英語、フランス語などの二次資料ではなく、アラビア 語の写本を 実際に現地に訪ねて、つまりイブン・バットゥータの足跡を実際に研究費を途切れるこ となく 取り続けて現地踏査して、今まで知られていなかった写本を発掘してアラビア語写本の 校訂をした上で、 さらに日本語に訳してしまったというところで、私は勝手に、前嶋信次先生と宮本常一 先生の 学問伝統を受け継ぐ正統派の大学者だと思います。 ついでにいうと私は勝手にこの三方を師とあがめ、鶴見良行さんと鎌田慧さんを合わせ 鏡としています。
 
Giant Steps !(巨人たちの足跡) 2001年2月25日現在
しかし、まあなんという贅沢な布陣だ。やっぱり私が歩んできたこの12年は間違ってい なかったと 胸を張っていえますね^^? あと、しばやんのアラブ・イスラーム地理書・旅行記についての想いはこちらも参照。
 
 
しかしまあ、いくつ、私はつまみかけの夢の欠片を持っていることやら! 今回の旅の過程で、大学院進学のことやあれやこれやで、かなり辛らつな意見を先生方 からいただきま したが、やっぱり私は自分を信じてやりたいことをやります。
 
今回の面談や学会などでの対話を通じた進路指導についての今の時点での私にとっての 傾向と対策を まとめてみました。
 
1.大学院に進学して、博士号までとっても100%教職はない(と思え)
 
→ 確かに個人的な思い入れや意地もあるが、最低限、修士号(マスター)は開発コン サルタントの 仕事をやるには絶対に必要。マスターがないと自分がやろうと思うレベルの国際協力機 構(JICA) などの公募案件を競争で勝ち抜くのは難しい。
 
2.大学院は先生だけではなく一緒に切磋琢磨する院生の仲間が必要。
 
→ これについては、少なくとも修士課程は家庭の事情で、愛知県内の大学院しか考え ていないので、 非常にシビアで難しい問題。ただし、同世代の准教授クラスの仲間に研究会などを自分 から声をかけて 井の中の蛙にならないように学外に仲間を求めることにします。
 
3.人類学は教科書を読んでわかるものではなく、先生をみて、また共に研究するもの 。
 
→ 特にフィールドワークについては教えれるものではないことを、数名の人類学の先 生から聞かされ ました。これは真実だと思います。 どれだけフィールドに関わった(ているか)が重要との言葉もありましたが、これは私 が 開発コンサルタントとして、16年間‘開発コンサルタント’の大先輩、諸先輩方から24 時間教育?で、 現場でオンザジョブで学んだこと、すなわち実践活動をベースにするしかない。 確かにいろいろフィールドワークの流儀はあるでしょうが、この分野については、常に 少なくとも和書には 眼を通してきたので、それほど心配はしていません。心配は、理論的なところですが、 誰もが通る道で あれば、ただ、やるべし。学問修行に王道はないことは承知の上で門をたたいているの ですから。
 
4. 修士でやろうとしていることと博士でやろうとしていることの飛躍がありすぎ。 どちらを やっても一生の仕事である。
 
→ 了解しました。軸を絞り込んで、整理してみます。
 
ということで、作戦を変更です。当面のキーワードとして、フィールドワーク、ファシ リテーション、 ワークショップとチェンジエージェントと場を中心においています。
 
さいわい、この分野は 今、日本の(国際)開発学会でもホットな分野なので研究仲間に事欠かないと思います 。
 
1.修士論文のテーマ 日本における地域と開発にどのように在住の民俗学徒がかかわったのか。
 
柳田國男が民俗学を提唱したその背景と、当時の在野の民俗学徒が郷土の開発に対して どのようなかかわりをしたのか、特に伝書鳩として中央と地方をつないだチェンジ エージェントとしての宮本常一にとっての学問と実践について明らかにする。
 
2.博士論文のテーマ 愛知用水と三祐精神(スピリッツ)※三祐とは、天の助け、地の助け、人の助けのこと 。
 
戦後復興の農業分野での大きな礎となった地域総合開発事業を地元(足元)から推進し た篤農の 久野庄太郎氏と開発コンサルタントの先駆け農業技師、浜島辰雄氏をとりまく、多くの 人々、 特に地方と中央をつないだ人と人の物語をひろっていく。
 
■しばやんの前職の三祐コンサルタンツについては、こちらの記事も参照ください。
 
そしてその想いを受け継いた技師(コンサルティングエンジニア)たちの、その後の物 語は、 次のステージで^^? 実は愛知用水公団のエンジニアを束ねてつくられた三祐コンサルタンツの物語は、戦後 の日本の 農業開発の歴史でもあるし、日本の農業分野の政府開発援助の物語でもあるということ 。
 
こんなにおいしい?テーマをほっておけるかということで、社会・自然環境配慮の視点 から、 地域と開発について、平の人々(by 片倉もとこ先生)の想いを丹念にひろっていけれ ばと思います。
 
さて、家島彦一先生ではないですが、本当に時間が惜しくなってきました。 これからも、いろいろな活動に取り組んでまいりますので、引き続き叱咤激励を お願いいたします。
 
ではでは^^?
 
おまけ:
 
■2013年6月8日の国際開発学会での発表について 口頭発表の採択にあたってかなり理事会でもめたと会長から伺いました。物議を かもし出したしばやんの最新の発表です。
 
 
■同上 パワーポイント資料はこちらからダウンロードすることができます。
 
実は、パワーポイント資料でかなり書き直していますので、ぜひレジュメだけでなく、 パワーポイントの資料をご高覧ください。
 
なお、この発表については、あと1章を付け加えて、なるべく早くひとつの論文と してちゃんと注(リファレンス)をつけて、まとめてみたいと思っています。
 
ではでは^^?
 
柴田英知
 
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おまけです。 なお、しばやんは最近、活動拠点をフェイスブックに移しています。こちらのページも よろしくお願いいたします。
 
 
しばやんと友達関係になった人は、こちらのセッションにご参加いただけます。
 
 
しばやんの市民向け開発民俗学連続ゼミナールについてはこちらもご参照。
 
 
 
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国際協力・異文化理解・わくわくワークショップ 2013 情念は時空を超えて!
 
地域研究(中世アラブ・イスラーム旅行記)研究者が地域開発に 出会ったら!
 
むかしむかしのこと、獣や人が歩くことによって轍ができ、その轍が多くの仲間によっ て 踏み固められることにより道となり、やがて道と道とがまじわるところ(辻)ができ ました。そんなところに人々はそれぞれの‘地域’の‘モノ’と‘情報’を持ち寄り、 お互いが持っていないものを補い合い、様々な‘しあわせ’について情報交換をしまし た。争いもあればロマンスが生まれたかもしれません。
 
天下の、もとい世界の風来坊を目指す?しばやんこと柴田英知が、国際開発コンサル タントとして歩いてきた‘途’を紹介します。
 
<ゼミナール概要>
 
第1回 4月21日(日)むらさきかん
■はじめに: イスラーム地域研究と地域開発 -宗教理解と個人の志について-  開発プロジェクトとその構造について
 
 
第2回 4月28日(日)りぶら
■コーラン読みのイスラーム知らず ~本を置いて世界をみよう~
- しばやんの世界のまちかどから 第1回 -
 
 
第3回 7月7日(日)午後1時30分~3時 <平成25年度前期りぶら講座>
 
■国際協力・異文化理解セミナー しばやんの世界あっちこっちめぐり
- しばやんの世界のまちかどから 第2回 -
 
政府開発援助の仕事で滞在したエジプト、イラン、エリトリア、 ブルキナファソ、東ティモール、フィリピンなどで見聞きしたちょっと いい話?を写真のスライドを中心に語ります。
 
第4回 7月21日(日)むらさきかん 午前10時~12時
 
■国際開発学会春季大会の口頭発表内容についての報告 開発援助実践の現場で‘第三舞台’の創造は可能か?…
 
参加型開発を超えて! 開発援助の現場における外部者の役割と、共に物語をつくるということについて語りま す。これは、2011年の国際開発学会での発表続編にあたります。
 
※レジュメやプレゼンテーション資料はこちらからダウンロードできます。
 
 
 
第5回 7月27日(土) りぶら 第301会議室
 
■地域総合開発プロジェクトのあり方について フィリピン・ミンダナオ島における円借款事業とプロジェクト形成調査について、
 
東ティモールの復興援助の経験を踏まえて、現実とあるべき論について語ります。
 
第6回 特別編 8月25日(日) りぶら 第201会議室
 
■開発コンサルタント人生50年(仮題) 竹内清二さんを迎えて
 
元三祐コンサルタンツのしばやんの人生の大先輩に、日本のODAの黎明期から実際に 携わったプロジェクトの数々を伺います。
 
対象者: 開発援助や国際協力、海外でのボランティアに関心をもつ高校生、実際に職 業として開発のプロを目指している大学生、大学院生、NGOs実務家、地域開発やまちづ くりに関心をもつ自治体やNPOsのスタッフなど。
 
形式: 参加者の数によりますがセミナー形式もしくはワークショップ形式でおこない ます。 関連テキスト:
 
 
 
 
 
 
 
主宰: 国際開発フィールドワーカー(社会・自然環境配慮)/地域活き生きコーディネーター
 
天下の、もとい世界の風来坊を(ひそかに)もくろむ しばやん こと 柴田 英知
 
 
 
 
 
 
趣味のブログ Life, I love you!  実はこちらを書くほうが楽しい^^?
 
 
 
 
 
ではでは^^?
 
柴田 英知 〒444-0802 愛知県岡崎市美合町三ノ久保33-5
 
携帯電話: 080-5151-6406
 
E-mail: bxf00517@nifty.com

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2013年4月28日 (日)

修士論文を英語で書きます。 開発コンサルタントとしての宮本常一!

ちょっとメモ書き^^?

Some note on Dr. Tsuneichi Miyamoto, an Japanese fieldworker / anthropologist of Japanese folklore as development consultant.

Contents.

1. Brief history on the origin of Japanese folklore studies focusing on Mr. Kunio Yanagita and others.

2. How and by whom Dr. Miyamoto had learned and train himself as an fieldworker/ anthropologist.

3. Dr. Miyamoto's commitment to his era as an essayist, a lobbyist and a consultant.

4. His methods on fieldwork and facilitation skills in the communities on the grounds.

5. How should we success and learn from his actions as one development consultant.

まあ、簡単にいうと宮本常一さんを開発コンサルタントとして読み解いてみようという試みです。

実は修士論文では、柳田國男以来の民俗学者たちが如何に開発という問題に向き合ってきたかを野の学問であった黎明期の日本各地の好事家たちにさかのぼって、どのような志をもって民俗学が始まったのかを、その起源(オリジン)に立ち返って考察しようと考えています。

その大きな流れの中で、宮本常一さんの考えたこと、やったことを位置づけたい。宮本学だなどと、隔離するのではなく、やはり大きくは日本の民俗学が、当初、考えていたことを具現化したひとつが宮本常一さんと澁澤敬三さんの、社会に対してのコミットメントであったと思うのです。

キーワードは、ネットワーキングと巻き込み力、それぞれの足元を掘り下げるということでしょうか。

当初、日本語で修士論文を書こうと思っていましたが、やっぱり英語で書くことにしました。

上記の目次は、大学院の入試に提出する論文の中身です。 まず(入院前に)方向性と落としどころを考えておいて、修士課程では、常一さんが如何に柳田國男さんや澁澤敬三さん、そして同期や先輩の民俗学者そして、日本各地の民衆から学んだかを明らかにしていきたいと思います。

これを、英語でも日本語でも発表すると、日本人だけではなく、外国の特に開発途上国の仲間も学問と実社会のかかわりのあり方のひとつのヒントになるのではないかと思います。

かなり野心的ではありますが、日本発の開発学の一例になるのではないかとひそかに期待しております。 

いろいろみなさんのご意見やひらめき、感想をお聞かせください。 ではでは^^?

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2013年3月18日 (月)

入院して出所するまで!21年目のリベンジ・・・大学院挑戦記(その1)

もとより平坦な道などそもそもないのであるが^^?

ここでは、しばやんの博士号への道を眺望してみたいと思います。
とりあえずとある大学院の先生に送ったラブレター?です^^? 研究計画(案)と簡単な略歴に触れています。
実は、私が考えていることはかなり危険で既得権とか今までの常識を覆すものになるであろうと思っています。たぶん、いろいろな方面からの風当たりも強くなるだろうなあと思いつつも、俺がやらずに誰がやるということで、私しかできない研究であると思っています。
もう15年も前のことでしょうか。クライアントの先輩(JICA職員)のとある方がいいました。

「(組織が)変わるには20年かかる」と。全くそのとおりだと思います。若手会でそれぞれ組織や立場が違う同年代の仲間と語り合う中で、私は「完璧な組織などないし、どんなところにも問題や不満はある。でも、それぞれの組織の‘中’から自分たちが満足のいくものに変えていこう」というようなことを何度となく熱く語ってきました。

5年前に、開発援助の世界からは脱落?した私が何をいまさら何をいっているかと仲間や先輩からどやされそうですが^^! それぞれの立場でできることをやるということで、この5年間の雌伏は私が次のステップに行くための貴重な経験であったことに間違いがありません。

独立独歩で研究活動を続けることがいかに困難なことか。経済的な独立なしに(社会に対して)自由な研究やコミットメントはできません。

できるところまでやってやろうというのが今の心境です。いいかげん両親や姉弟もあきれているし、やってみたら?とまるで他人事だし。結局、誰の責任でもなく自分の責任でやるしかないなと。
前の会社の上司のひとりが言いました。「勇気」が必要だと。確かにその通りです。一旦、胆をくくったら後は、いかに‘うまくやるか’だけで、やめるとか失敗するとか、そんな余計なことは一切考えないものです。100%、成功することしか考えない。

またまだ何も始まっていません。でも始めようとしている。それがたぶん大事なことだろうと思います。うまくいき‘つつ’あると、進行形で考える。これも誰かの言葉でたぶん本で読んで教わったことです。なになにしつつある。道の半ばと思えば、最後まで歩き続けるしかないでしょう!
みなさまのご指導、ご鞭撻をお願いいたします。
ではでは^^?
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<略歴>
1970年4月1日 愛知県岡崎市に生まれる。
1992年 大阪外国語大学 アラビア語専攻 卒業
1992年~2008年8月 株式会社 三祐コンサルタンツ 海外事業部で政府開発援助の主に社会開発分野のコンサルティング業務に従事。うち、2004年3月~2008年6月までフィリピン共和国マニラ事務所駐在員
2008年9月~現在 株式会社ジェイエスピー 通信販売部門でマリングッズのうちボート用品の営業企画業務に携わる。
<修士論文テーマ>
日本の民俗学者がいかに地域開発というものに対してコミットメントしたのか?
柳田國男ら黎明期の民俗学者から渋沢敬三・宮本常一、そしてその後の民俗学者たちが、日本の国土開発にかかわる行政・地域住民らに如何に対峙してきたのかについてまとめたいと思っています。
<博士論文テーマ>
「フィリピンのミンダナオ島の歴史と開発について」
前職の三祐コンサルタンツは、愛知用水の発起人である篤農家の久野庄太郎さんが、世銀の借款事業のひとつとして行われたこの国家事業の愛知用水をつくるために日本全国から集められた農水省の俊英のエンジニアたちを事業完了後にまとめて引き取って起こした会社です。ちなみにその他の世銀の借款事業とは、黒部第四ダム建設であったり、新幹線であったり名神高速道路であったりします。
つまり民間企業でありながら、いわば農水省のコンサルタントとして、農水省の国内外の農業・水資源・地域開発事業にいわば役所の影の黒子としてかかわり続けているのですが、さすがに創立50周年も経つと農水の影響も薄くなってきますが、フィリピンについては、アジア開発銀行ができた1970年代の初めから継続的に、日本のODAの一部として全土の農業開発計画と事業実施に40年間以上かかわっています。
フィリピンのミンダナオ島についても多くの事業(計画から円借款による事業実施まで)を実施しており、特に、西部のムスリムミンダナオ開発について、円借款事業で行ったマリトゥボク・マリダガオ灌漑事業は、1980年代から2008年まで継続的に事業を実施してきました。私自身も駐在員時代、何度も足を運び、会社の資料、フィリピン政府の関係省庁や現場スタッフとも親交を結んでおり、現在、和平交渉と同時に行われてる世銀やADB,EUやその他の国際機関、日本の政府援助、NGOによる援助など、ほぼ全ての業務を詳細に調査する機会を2007年に持ちました。(この調査結果は当時のJBIC(国際協力銀行)の委託業務として英文の報告書にまとめました。JBICの内部資料のため外部に公表できません。)
それらの調査を通じて感じたことや、さらに深く調べる必要があると思ったことなど、コタバトとその東部のピキットにいたるリグワサンマーシュ(湖)のいわゆる中部ミンダナオ地区について、15世紀以来のイスラーム流入にさかのぼる異民族・多文化の競合の約束の土地・ミンダナオの開発について民族誌的な研究をまとめたいと思っています。
たぶん、一番の専門は大阪市立大学の早瀬晋三先生かと思いますが、私はもっと宗教的なところですとか開発についての考え方、現在との絡みということで、いろいろな先生の謦咳に触れたいと思っています。
ちなみにイスラーム関係では、前嶋信次先生とその弟子の家島彦一先生のダウ船のインド洋世界の研究に深くほれ込んでいます。大阪外国語大学での先生は、古典アラビア語の池田修先生と、アラビア語の地理書が専門の竹田新先生についています。学者ではないかもしれませんが、鶴見良行さんの著作や、ルポライターの鎌田慧さんの思想にも傾倒しています。
民族学では大塚和夫先生や小杉泰先生(政治学)のアプローチよりむしろ片倉もとこ先生や堀内勝先生のアプローチが好きです。日常生活に目を向けるのですが、言葉とか現地の人のコンテクストに、より寄り添っている感じがするので。
ちなみに、博士論文は、今、私は43歳になるのですが、50歳までにまとめようと思っています。つまり、博士課程に進学したのち、1~2年のフィリピンでのフィールドワークが必要だと思っています。フィリピンでの受け入れ先は、アテネオ・デ・マニラの日本文化研究の永井博子先生に、フィリピン駐在中にお世話になっていますので、その縁を大切に研究拠点をフィリピンにも設けたいと思っています。
<生涯のテーマ>
1.開発民俗学の樹立
今まで開発援助の現場からの(日本)民俗学への接近について2000年から2008年まで雑文を書いてきましたが、今後は、逆に、日本の民俗学からみた開発(現象)について研究をまとます。

2.日本の政府開発援助の歴史の取りまとめ
 
そして、日本の途上国の開発援助の実務者たち、特に開発コンサルタントと呼ばれる技術者たちの足跡を正しくアーカイブして日本の開発思想を世界に発信していきたいです。
特に円借款業務については、公的には日本は相手国政府に資金を貸しているだけ?のため、全ての責任は相手国政府にあるというスタンスをとっていますが、実は、日本人のコンサルタントが、必ず相手国政府に雇われてプロジェクトの運営に深くかかわりあっています。設計から施工業者や調達先の選定まで、全て相手国政府の代理人として全て日本人がかかわっています。
今までは、開発コンサルタントの守秘義務と、相手国政府の事業であることから一部NGOなどにより批判的な研究や反対運動はあったものの、それはその円借款事業の全てを把握したものではなく、公表されている資料や統計のホンの一部の調査による、事業の部分的な批判や研究に過ぎません。
日本の政府援助の歴史は、もう55年ほどになりますが、最初期の日本の戦後賠償から始まる政府開発援助の最前線で働いてきた民間の開発コンサルタントたちは、年齢的には80歳、90歳となり、多くの方々はすでに鬼門に入っています。
しかもその当時、一番若かったスタッフでさえも70歳以上となり、多くの民間人開発コンサルタントの先輩方のその知識と経験は、守秘義務の制限のために、記録に残すことができずに、その全てを墓場に持っていかざるを得ない状況になっています。
その秘められた日本人エンジニアたちの開発途上国での苦悩と活躍を正しく継承していくことは、植民地支配から始まった拓殖学としての開発学しか生み出していないイギリス、フランス、遅れてきた宗主国アメリカのいわゆる現在、世界開発銀行や国際連合の‘開発学’とは全く別のものであることの証明と、日本の農村開発の歴史の振り返りになると考えられます。
つまり、柳田國男や渋沢敬三は、欧米の人類学や民族学を学びつつも、その先に、別のものをみていたのではないかというのが、修士論文における私の仮説で、博士論文は、私がアラブ・イスラーム研究に手を染めて感じた地域研究の視点が、いかに現在、世界中で行われている世銀や国連流の‘開発’の問題点をあぶりだすことにつながると確信しています。
ちなみに、テーマ2の日本の開発援助の歴史の取りまとめは、とてもひとりでできることではありません。しかしながら、全ての業務分野での研究が必要です。そのための仕込みとして、私はいろいろなところで問題提起をしてきました。
仮にですが今の方向性として、日本の円借款業務について、産官学による聴き語りの手法によるアーカイブを試みたいと考えております。
この件については、2011年秋の国際開発学会で問題提起をして、会長の佐藤寛氏(日本貿易振興機構、元アジア経済研究所)や加藤理事(JICA総合研修所副所長)他、数名の大学研究者に同意をいただいていることを申し添えます。つまり、この研究については、早速、修士課程在籍中からとりかかる予定です。
ともあれ、21年の社会人経験とお金?を全て後半生の研究者人生につぎ込む所存です。
ちなみに、近日中に起業しますが、それでも学費が生活や家計を圧迫することには変わりません。
それでも博士号取得と教職を目指してやりぬく覚悟です。
よろしくご指導ください。
その後の論考はこちらを参照ください。
以上、よろしくお願いいたします。
柴田 英知
〒444-0802 愛知県岡崎市美合町三ノ久保33-5
携帯電話: 080-5151-6406
E-mail: bxf00517@nifty.com

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2011年9月 7日 (水)

しばやんミーツ藪谷あや子先生@人間環境大学in 岡崎 <研究者への道>

初出: mixi日記 2011年9月7日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1772025479&owner_id=11744733

先日、9月4日(日)に地元の人間環境大学でオープンキャンパスがあったので覗いてみました。基本的に大学の説明会なので、直接は関係ないのですが、なにより地元(車で10分)という近さと、平成12年に開校という新しい大学なのですが、京都大学の先生が中心に創った大学なので学習内容と先生の構成がおもしろそうだと思ったのが理由です。

◆ 人間環境大学

http://www.uhe.ac.jp/

実は、朝から説明会があったのですが、台風が来ていたので、前日のHPで天候によってはないかもという掲示があったので、中止だろうと思っていたところ、念のために昼にウェブで調べたら朝からやっていたとのこと、午後3時終了のところとりあえず駆けつけたときには、すでに2時半!でした^^?

すでに説明や実習はほとんど終わっていたのですが、せっかくなので入試・広報課の人に大学と大学院(修士まであります)資料だけもらって帰ろうとしたときに、個別相談の教室で話していたのですが、他の机に面談が終わって座っていらっしゃった藪谷先生に声をかけていただきました。

実は、博士までとりたいという話を先生が聞きつけて、関心をもっていただいたようです。最初は雑談でしたが、結局、3時で閉場のところを場所を移して、5時過ぎまでみっちり大学院についての話を聞くことができました。先生は、京大の経済学をでて、学部卒で吹田市の職員で行政に関わっていたそうですが、恩師に声をかけてもらってワーキングスチューデントとして博士をとられたそうで、30年にわたる行政経験と、財政学というか経済学の基礎をしっかり持ったスゴイ先生であることが初対面ではありましたらひしひしと伝わってきました。

現在は地域経済論を専門にされているそうですが、公共政策(NPM)もやっているそうで、さすがに現場をもっていた人は違うと思いました。

先生の経歴とか、自分の研究したいところと非常に近いところにあるのですが、博士をとりたいといったら、いろいろ具体的なアドバイスをいただきました。

結論的には、博士をとるのなら、やはり研究する環境(場)が整っている歴史のある学校にいったほうがよいとのことでした。

理由として、人文系の学問は基本的に、対話なので、先生と話をしなければならない。まわりに議論できる友達が必要だ。博士課程は職場と一緒。素人とシステマチックに教育を受けるのでは全然違う。など。

また、藪谷先生の博士論文は、琵琶湖の水を利用する農業の水利組合の研究だそうです。吹田市の総合開発計画に携わった関係で、他の課の職員と水利組合などいろいろ調査をしたそうで、コモンズ論というか、今までの慣行法のおもしろさにはまったそうです。その絡みで水がらみの水利権とかの研究もされたそうなので、いろいろ話がおもしろそうです。まさに、農業開発では、その水利慣行とか、既存の人間関係、社会の重層性、非常に課題も問題も多いんですよね。

あと興味深かったのが、日本の土地改良区の場合、自作農だけがメンバーなので小作は入っていないこと、それが、また問題ともおっしゃっていました。これって、さすがだと思いましたね。開発の現場で私も何度もワークショップをしていますが、‘みえない’住民が、どこそかに居る気がするというか、実際に居ても出てこれないわけです。フィリピンの水利組合の調査でも、実際に同じことがありました。

きっちりと現場を押さえることは本当に重要ですよね、しかも自分は、海民とか職人とか移動する人たちにも関心があるので、さらに難しそうです。

あと研究者の人って、本当に広く勉強されています。学問のディスプリンはあるのでしょうが、実際の研究は、それを元に2つ三つ別の方法論も使っているのではないのでしょうか。学問に終わりなしというか改めてへんな?ところに首を突っ込んでしまったとも思いました。

ともあれ、大変そうだ。でもチャレンジのし甲斐がありそうだというところで、さらに調べてみます。

ではでは^^?

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2011年7月27日 (水)

今、改めて大学院への進学を考える!

mixiの「開発民俗学-地域共生の技法-」のコミュニティで、大学院進学についてのトピックを立てました。

研究(者)への途~進学相談室~ <各論>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63702552&comm_id=2498370

そこに、こんな記事を書き込みました。

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最近、いろいろ自分を振り返ってみると、約20年前に大学4年のときに就職活動もせずに思い立って大学院進学を考えたという話をなんどか書いていますが、もう一度、なぜその時に‘失敗をした’のかを考えてみたいと思います。

端的に言うと…。

結局、なんのビジョンもなかったということに尽きるのでは!といってしまうと話が終わってしまうので、なぜ進学を断念したのかを、冷静に考えてみます。

私は小学校の5年生のときからボーイスカウトをシニアだから高校生まで続けていたのですが、ずっとお世話になっていた隊長さんに、実は大学院浪人時代に悩み相談というか進路相談というか、急に思い立って地元に会いに行きました。(当時、京都に下宿していた。)

その時にいわれたのが、「(京都大学の)院なんかに入ろうとしている人は、最初から大学に入学するときから、そこまで見据えて狙ってきているのに、にわかに勉強しても勝てっこない」といったような趣旨の話でした。

自分としては、確かに1992年の湾岸戦争でエジプト留学が流れていわばやけ?で進学しようと急に思い立ったわけで、大学時代の成績も全然よくなかったし、そもそも、大学進学時に、浪人してでもなんとしてでも(京大に)入学して大学院に進学するなんてビジョンも根性もなかったので、それもそうだと思って、就職活動に力を入れたのでした。

今思うと、この展開、おや?という気がしないわけでもありませんが、ただ、その当時、30歳代半ばか40歳くらいの‘大人’だったボーイスカウトの団長さんの言葉に、現実に心を動かされたし、実際にそのアドバイスにしたがってよかったと今では思います。

なぜか。

やっぱり結局、単なる思い付きだったんですよね。京大の文学部の西南アジア史って、結局はイランとかトルコは強かったけどアラビア語そのものを扱うわけではなかったし、もう少し正確にいうと、歴史研究は必ずしも原点資料が読めなくてよいというか、英語やフランス語などの欧米の研究成果をふまえた上で、歴史学のディスプリン’にしたがって論文を書けばよいのであって、アラビア語の原典で読めるに越したことはないけれど、‘別に英語やフランス語の翻訳で読んで‘歴史’を書けばよいということなのです。(かなり乱暴な話ですが)

また確かに歴史学の‘ディスプリン’そのものを学びなおすのであれば、大学生3年生くらいから編入学したほうが、まわり道に見えて実は近道であったし、そんな歴史の‘れ’の時も学んでいないものが、歴史で論文を書こうとすること自体が無謀なことなのでした^^?(確か、このことも、ボーイスカウトの隊長さんも言っていました。)

それと実際に、西南アジア史の研究室に聴講生として通ったわけですが、現実にスゴイ人たちばかりで、学部の3,4年生の人たちも進学を考えている人の何人かと友達になりましたが、確かに男の子で進学希望の人は、どうしてもめざす先生がいて浪人してまでも京大の門をくぐり、実際に入学前からやりたい‘なにか’を持っているようでした。

確かに、こんなに高い‘目的意識’を持った人に、私みたいなポット出な気まぐれな挑戦者が勝てるわけがない(入試&定員がある)とは、さすがに向こう見ずの私も、5月か6月になったら気がつきましたね。

あと自己弁護ですが、実は、その当時、アラビア語の地理書とか旅行記をやろうと漠然と考えていたのですが、これをまともに教えることができる私の関心にある分野の研究者は、実は大阪外国語大学(母校)の竹田新先生と、東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の家島彦一先生しか!いなかったわけです。

また、どの大学でどんな先生がいて、どんな学風で研究・教育が行われているのか、全くその当時の私は知りませんでした。全然、自分が行こうとしている世界がどんな構造で、どんな人(達)がいるところなのか、どんな研究(学習)環境なのか、全く調べていなかった。こんな準備もなしで、行き当たりばったりでうまくいくはずがありません。冷静に考えるまでもなく!

確かに、文系で大学院に進んだら食べていけないといわれていた時代ですから、いつまでも親のすねをかじるわけにもいかないし、京大の大学院生の先輩が結構、まじめにバイトをしているのをみて、好きなことをするために自分の時間をつかってバイトする(たとえば中高生の家庭教師といっても全然、自分の研究には関係がない)のは、なにかいやだな。やはりやりたいことに一番時間を使いたいというのもあって、やっぱりやめておこうということになりました。

さいわい紆余曲折はあったものの、開発コンサルタント会社に就職できたのは、やっぱり奇跡というか運がよかったとしかいいようがありません。すてる神があれば拾う神があるというか、今思うと、本当に自分の意思というより他人に拾われた人生でした。

まあ、どう言いつくろってみても、所詮、負け犬の遠吠えでしょうが、結局、就職に舵をきった決め手は、母親の「勉強なんてどこでもいつでもできるで」という言葉でした。

職業研究者だけが研究者ではないというか、好きな人はどんな環境にあっても勉強や研究を続けて、それなりの成果を出しています。

そうそう、その時に私は「自分は野に下るけど、決して学問のための学問はしまい」と幼心に誓ったのでした。

まあ、結果として、「開発援助」という全く違ったフィールドで経験も積めて、今はドロップアウトしたおかげで、それほどノルマもなく、自分の人生へのリベンジの作戦が練れる。これは、千載一遇のチャンスです。

もう、この今の時点でやるしかない、ここでチャンスを逃したら私の20年間のまわり道が無駄になってしまう。ここで博士をとりにいくしかないなというのが、今の偽らざる心境です。

そこそこ仕事も忙しいのに、なぜそこまで思いつめるのか?

自分にもわかりませんが、結局、(自分の)本職をまっとうしたいというか、仮に(自分の)能力とでもいえるものがあるとすれば、(自分が)一番好きで自信の持てる分野でその力を発揮すべきだというのが今の私の信念です。

とりあえず他者の評価はおいておいてね!(← 脇というか詰めがあまい^^?)

ということで、研究者への道を模索していきたいと思います。

ではでは^^?

P.S.

最近、‘大人’ぶる人が、物知り顔に、「できることとやりたいことは違う」といろいろなところでのたまわっていますが、私は、そんな言葉は、本人が気付けばよいことで、わざわざ若者に‘助言’する必要はないと思います。

みんなそれぞれ(の立場や年齢で)悩んで転んで心に血を出して自分の限界を知った上で、生きていくのだし生きてきたのだから。

そんな言葉より、若者の不安を取り除き、自分で勝手に思い込んでいる天井や障害を取り除く方向で励ましてやるのが‘大人’の務めだと私は思います。

ではでは^^?

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2011年7月 9日 (土)

今後の見通しと目標<夢物語?>

最近、大学院へはいるための学習法(研究法)について、いろいろ本を漁っています。主に図書館で^^?結局、研究計画書~将来ビジョンがないとだめなことがわかりました。

人生、実験・トライアル&エラーの繰り返しだとは思いますが、今までほど適当にやっていてもだめということで、この10年、20年の目標を決めてがんばろうと思います。

<40歳代>

生活基盤を固める → ①独立・自立する。(自営業・できれば研究とは関係ないもの)

研究生活にシフトする。 → ②大学院・修士できれば博士まで取る。

ジャパンツアー → ③開発民俗学の講演・セミナーを国内50箇所で行う。

<50~60歳代>

①事業に道筋をつける。年商1000万円

②専門家として、大学教員もしくは国際公務員としてもう一花咲かせる。

③ワールドツアー → 開発民俗学を世界中(先進国の教育機関、市民団体、途上国においては実践を通じて)に広める。

④開発民俗学叢書 = しばやんの著作全集をウェブ公開し、誰でも簡単にアクセスできるようにする。

<70歳代>

一応、隠居かな^^?あとは公職から離れ、気まま着のままに世界に呼ばれて出かける。

悠々自適ってところですか^?

まあ、勝手な目標ですが、きっとできるはず。

ではでは^^?

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