‘開発民俗学’への途 (第1部)アーカイブより

2008年12月12日 (金)

第8講: 残された課題と展開の方向性 <第1部 完結>

第8講:残された課題と展開の方向性

2007429

2000715日に筆を起こして、結局、ほぼ7年間にわたって講座を書きついできたが、一旦、筆を置くこととしたい。当然、私の開発民俗学への途は続くわけであるが、当初想定していた目次に立ち返り、何が原因で執筆が止まっていたのかを検証するとともに、今後の残された課題と展開の方向性を述べたい。

第8講 ‘開発民俗学’を考える100冊 (道具箱=ブックガイド)

<今の時点での総括と今後の展望>

当初の構想としては、前半部で、開発学にはじめてふれる方に対して、まず現場からの問題の立て方を紹介しようとした。まず現場に立つこと(開講にあたって、第1講)、そして、「開発」を考える際に、主に2つのアプローチがあることを紹介した。一つは、開発経済学に代表される社会科学的なアプローチであり、また一つは工学的な科学・技術的なアプローチである。一見、違った入り口にみえ、ソフトとハードという違った事象を扱っているようにみえつつも、実は両方とも「近代科学」に基盤をおく、ひとつのイデオロギー(パラダイム)に則ったコインの両面であることを指摘した(第2講)。第3講では、この近代科学という専門知識をもった「専門家としてのバイアスめがね」を一旦置いておいた上で、現実をどうとらえるのかについて言及した。ここでは率直に、科学的なデータと現実世界(現状)の乖離について問題意識を提起した。第3講の補論では、民俗学の視点を紹介した。引き続き、第4講では、開発学研究入門として基礎的な方法論について言及した。ここでは、社会学を中心とするリテラシーと調査・研究方法、情報処理論、フィールドワーク論、開発学の基本的なリファレンスとその使い方の手引きを紹介した。

ここで、基本的な文系の学問の作法というかリテラシーについて、ある意味、紹介しきってしまっている。第5講と第6講では、なぜ、わたしが「開発民俗学」なるものに関心をもつようになったのかを語った。第7講では、日本における“人類学(民族学)”と“民俗学”の現状について主に文化人類学の教科書を比較することにより報告した。当初、想定していた民俗学と開発との関係については言及できなかったため、それを第8講の課題とした。しかしながら、第7講でも触れたようにそれは、民俗学の範疇のみにとどまるものではないため、一旦、この講義とは別の形でふれることとしたい。

第9講 貧困の定義を考える (社会福祉と開発・援助の間にあるもの)

<今の時点での総括と今後の展望>

開発や援助を考える際に、‘貧困’をどう捉えるかという根本問題にぶち当たる。そもそも論であると言ってもよい。この講義では、NGOや社会福祉論が考える‘貧困’概念と、今まで開発・援助の世界で言われてきた‘貧困’概念についての比較検討を当初、想定していた。

現在、開発を考える際に、‘NGOの役割’は軽視することができなくなってきている。また‘宗教共同体として受益者の共同体をとらえること’や、社会福祉論にいう‘セーフティネット’という考え方の援用が必要となってきた。

NGOが多く唱える‘人間としての共感’論とか‘開発支援’という考え方は、実は開発援助の特にODAの世界ではあまり重視されてこなかったと思うし、厳密にいうと出自を別にしていたのではないかと思われる節がある。実際には最近のODA関係者や開発をめざす若者はNGO活動を通じて途上国に関心をもったり、そのNGO的なマインドを十二分にもっていることは当たり前でもあるが、その根底となる考え方や行動原理はずいぶん異なるものであった。

NGO論については私の専門ではないが、実務上の必要や個人的な関心より、2000年以前より、個人的に日本のNGOの方々と接触するようになった。その中で感じたのは、NGOの基盤は、そもそもミッション(社会的な使命感)が創立の動機となっていることと、キリスト教や仏教などの宗教的なバックボーンをもったいわば宗教的な慈善団体を発祥とするものが意外と多いことに気がついた。そもそも宗教とは全体的なもので、経済・政治・あらゆる人間生活を規定し共同体としての一体感を求めるものである。わたしも開発における宗教の役割と重要性については、すでにいろいろなところで言及している。それはさておき、開発を考えるのに、当然対象受益者に向かい合うのに、この宗教・共同体として理解することが必要不可欠である。また、援助や支援をする側のNGOを、ミッションによる共同体(実際は、もっと緩やかなつながりである場合が多いが)と捉えることもできる。

つまり、NGOや地元の受益者をミッション共同体としてとらえること、その共同体の理念の中にある貧困問題への社会的な対応を考えることは、社会福利論と非常に重なるところがある。

そのような問題意識から、NGOとの対話、社会福祉の立場からみた開発へのコミットについて研究をすすめようとしていた。その過程で、2003年頃から、特にセーフティネットと貧困をどう社会福利論の立場で考えているのか、実践に生かそうとしているのかについて解き明かそうとした。

しかしながら、今の時点で社会福祉論自体に、わたし自身が物理的に深入りできないので、読者に対して私の問題意識を上記に示し、今後の手がかりとなるであろう教科書をここで示すこととする。(*未読)

○ 庄司洋子・杉村宏・藤村正之編集 『貧困・不平等と社会福祉』(これからの社会福祉②) 

有斐閣 1997 *

○ 岩田正美・岡部卓・清水浩一編 『貧困問題とソーシャルワーク』 

(社会福祉基礎シリーズ⑩公的扶助論) 有斐閣 2003 *

○ 古川孝順、岩崎晋也、稲沢公一、児島亜紀子 『援助するということ 

社会福祉実践を支える価値規範を問う』 有斐閣 2002

また、社会福祉分野の研究を進めるのに道先案内として、以下の本も上げられる。

○ 平岡公一、平野隆之、副田あけみ編 『社会福祉キーワード[補訂版]』 有斐閣 

有斐閣双書キーワードシリーズ 2003 (初版1999)

特に、日本でも高齢化社会の進展や、いじめ社会にたいする関心の高まりなどから介護や福祉系の仕事や学部に人気が高まっているようで、1990年代の後半から非常に多くのシリーズや教科書が出版されているようである。そういう意味で、今の若者は、これらの切り口から開発援助や開発支援を考えてくるのに違いない。*

それは、それで非常に好ましいことで、経済効率や短期的な視野に陥りがちな今の援助業界の閉塞性を打ち破ってくれるひとつのきっかけになるのではないかと思う。社会福祉の問題は、社会開発や教育開発の問題とも重なり合ってくる。‘開発民俗学’を考える際に、この社会福祉論の知見は必須であると考えられる。この方面での思索と研究は今後も続けていきたい。

*:昨日(2007428)、たまたまグーグッていて今、大学一年生となった女性のブログをみたのだが、開発‘支援’という言葉を使っているのをみて非常に驚いた。これは、開発援助ではなく開発支援という言葉を使うということは、哲学的にも非常に大きな意味があると思う。全然、違うパラダイムで若者は動こうとしているのかもしれない。

10講 誰のための開発?(内発的発展論から参加型開発へ)

<今の時点での総括と今後の展望>

この講義では、1990年代から日本の援助業界、特にNGO活動の理論的バックボーンとなった鶴見和子や西川潤らのいう「内発的発展論」と1990年代に大幅な進化を遂げた「参加型開発論」について、自分なりのその連関と今後のその発展可能性について整理を試みようと考えてこの講を置いた。しかしながら、現実の援助業界の動きの激しさに巻き込まれて落ち着いて考察する時間がなかったこと、すでにビックネームがいろいろな総括をしているので、あえて私がこれをする必要性が薄れてきている気がする。

また、そもそも学界も実業界も、さまざまな概念がぶつかりあって、時には融合して社会の大きな潮流をなっている。たとえば、ビックネームとして、鶴見和子、西川潤、原洋之介、池本幸生、ロバート・チェンバース、アマルティア・センが上げられるのはもちろんであるが、今の国際開発学会の先生方でも、少なからず上記の2つの潮流の影響を受けたうえで発言や論文の執筆を行なっていることであろう。つまり、今の若い学生諸君にとってはあたりまえすぎる言葉であるかもしれない。

逆に、私自体は上記の論者の本をほとんど読んでいないし、直接に影響を受けたと思っているわけでもない。つまり、この点でこの項を書くのに私は不適切であるかもしれない。

しかしながら、これらの概念につらなる1980年代から90年代の学問的な潮流の中で、多くの日本人の第一線の実務者・研究者に接する機会があり、実際に、彼らは間違いなくその潮流の中におり、互いに影響を与え合っていた。私としては、鶴見良行氏、片倉もとこ先生とか家島彦一先生とか鎌田慧氏らのフィールドワークを実践する人たちの現場感覚と、‘内発的発展論’と‘参加型開発’という理論とどうクロスオーバーするのかという観点での私論は展開できると思う。

その面で、引き続きフォローしたいテーマではあるが、少し旬を逃してしまった感があるので、また別の切り口で勝負をしたい。

11講 ひとびと(現地の人と専門家と第三者(市民))をつなぐべきもの

12講 ‘開発民俗学’のめざすもの ~Over the Rainbow  新たなる挑戦~

<今の時点での総括と今後の展望>

10講までに上記のような検討を行った上で、自分としての‘開発民俗学’のめざすものを展開するのが、第11講と第12講である。

タイトル自体は悪くないし、今の段階でも暫定的なことがいえるのかもしれないが、まだまだ時期尚早であるという気がしてきている。

多分、私のいう‘開発民俗学’は、かなり開発倫理学に寄ったものとなるであろう。

しかしながら、今まで強調していたことは、A.いかに現状を認識するかに関して、‘フィールドワークの技術’や ‘リサーチメソッド’などの方法論にも配慮が必要なこと、B.様々な‘既存知’を縦横に利用する必要性があること、C.細かい細分化して分析することも必要ではあるが、本当は全体として捉える‘ホーリスティックなアプローチ’が必要であることの3つで、主にテクニックや心構えといった初歩的なことであった。

これらのことについては、実は第7章までにそのエッセンスを語りつくしている気がしている。つまり今の私のレベルで他人に示せるものは出し尽くしたといえる。バリエーションはあれ、基本的に考えかたは変わらないし、歩く仲間HPの他のページでも同じ問題意識にもとづき実例やその理論(まで至っていないけど)の検証を積み重ねようとしている。

すでに必要な道具はお渡ししました。あとは実践あるのみである。

ということで、『開発‘民俗’学への途 (第1部)』を完結させていただきます。

第2部では、第1部での積み残しやその後の実践を踏まえた上で、次のステージ、‘21世紀のパラダイム論’にまで踏み込んだ考察を行ないます。

ここまで、長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。特に、これから開発や援助を考えてみたい人や、実際に実務者を目指す人のツール箱の一つとしてご活用いただけたら幸いです。

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2008年12月11日 (木)

第7講:日本における開発と“人類学(民族学)”と“民俗学”

7:日本における開発と“人類学(民族学)と“民俗学”

2005531日 着手 / 2007218日 完成

この講では、私の提唱する開発民俗学を、日本の学界のどこに同定するかについての試論を述べたい。まず二つの断りがある。これは、‘日本における’と前もって断わっている理由は、欧米の応用人類学(Applied Anthropology)の一部として確立しつつあるとみられる開発人類学(Development Anthropology)とは別のものとして本稿を扱うのではなく日本における‘二つのミンゾクガク’の範疇で、日本の研究者の問題意識と‘開発人類学’の現在を押さえておきたいからである。

1.日本における文化人類学の守備範囲

まず日本における文化人類学の教科書を比較してみた。日本における標準的な教科書って一体なんだろうと考えると意外にこれ一冊で完全というのは少ない。そもそも一つの学問分野の構成を概観するというのは非常に難しいことではあるし、学問は日々どんどん細分化し進化している。結局、項目的に広く押さえているものとして、祖父江孝男の『文化人類学入門』(初版1979、増補改訂版1990)が一番、網羅的であるということがわかった。

祖父江孝男 『文化人類学入門 増補改訂版』 中公新書 1990(初版1979の目次立てによるAE5冊のテキストの目次・内容の比較表 筆者作製(2005

<元のHPを参照ください。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r007.htm >

ここでは、この詳細にたちいることはさけたい。ただ言えることは、これらのオーソドックスな教科書からは、なかなか現在社会と切り結ぶ文化人類学というところまでなかなかたどり着けないことだ。

したがって、特に、これから文化人類学の世界に触れようとする初学者の人については、上述の祖父江『文化人類学入門』と、1990年以降の研究の成果を知るためのショートカットとして、以下のキーワード集を手元に置くことをお薦めしたい。 

山下晋司・船曳建夫編 『文化人類学キーワード』 有斐閣 有斐閣双書KEYWORD SERIES 1997

綾部恒雄編 『文化人類学最新術語100』 弘文堂 2002

2.             開発の人類学を正面にだした論文集

 ここで、「開発人類学」、「開発の人類学」をタイトルにした論文集を概観する。

     岩波講座 『開発と文化』 岩波書店

     青柳まちこ編 『開発の文化人類学』 古今書院 2000

     足立明「経済2 開発現象と人類学」 米山俊直編 『現代人類学を学ぶ人のために』 世界思想社 1995

     前川啓治 「開発の人類学」 綾部恒雄編『文化人類学最新術語100』 弘文堂 2002

→参考文献 前川啓治 『開発の人類学―接合から翻訳的適応へ』 新曜社 2000

 Gardner, K and D. Lewis, Anthropology, Development, and the Post-Modern Challenge, London: Pluto press, 1996

     栗本英世 「開発と文化-開発は誰のために行われ、その社会・文化的影響は難だろうか」 山下晋司、船曳建夫編 『文化人類学キーワード』 有斐閣双書 2001

→参考文献 岡本真佐子 『開発と文化』 岩波書店 1996

佐藤幸男 『開発の構造-第3世界の開発/発展の政治社会学』 同文舘 1989

玉置泰明 「開発と民族の未来-開発人類学は可能か」 会田・大塚和夫編 『民族誌の現在』 弘文堂 1995

結局、日本では、系統的な『開発人類学』の教科書は、まだまだ確立していない発展途上であることがわかる。開発援助の現場からの声を反映しているものは、ほとんどないといってよい。以上のうち、実は、青柳編(2000)および岩波講座『開発と文化』については、その掲載論文を全部読破したわけではない。特に、岩波講座に至っては、1巻しか所有していない。当然、日本にいれば図書館なども活用して全巻の内容を最低でもレヴューすべきなのであるが、20044月より海外駐在のためそれもままならない状況である。

したがって、これ以上、日本の文献のレヴューが物理的にも不可能であるため、ここで、一旦、筆を置くこととする。(2005531日)

2007218日 加筆分

3.マニラ駐在による制約条件と今後の考察方法について

前回、上記のところまで書き進んだところで、筆が止まってしまった。これからどうか続けていくのか、日本語ではあまり参考になる教科書がないということだけで、この項を切り上げてしまっていいのだろうか。

言い訳になるが、マニラ駐在の私は、日本での出版状況に関しては年に2,3回の一時帰国の際に、主に東京の大型書店(新宿 紀伊国屋本館および南館、八重洲ブックセンターなど)を駆け足でチェックしているに過ぎない。朝日新聞の読書欄や業界紙『国際開発ジャーナル』などをチェックしているとはいえ、最低でも手にとって中味を検証できないかぎり無責任なコメントはかけない。

ほぼ1年半経つが、あまり有用な情報を書き加えられそうにないので、一旦、ここでHPにアップロードすることにする。

ただし、私自身の整理として以下の作業は引き続き行いたい。

1.欧文(主に英語になってしまうが)の基本的な教科書の内容と援助業界における人類学の適用状況の確認。ただし、これだけで大きな作業となってしまうので、主に日本人で学説史みたいな整理を試みる方がいるとしたら、ぜひ、その知見を参考にさせていただきたい。

⇒ そのような研究動向の確認と紹介を行うこととする。

2.開発人類学のすべての側面を取り扱おうとすると膨大な作業となってしまうので、当面、私自身が目指そうとする「開発民俗学」の理論的な枠組み(前提といってもよい)を構築するのに参考となるであろう主に日本の民俗学、地域研究、社会学、経済学、環境学などの到達点の整理を行う。これには、歴史学など周辺領域にも目を配ったものとしたい。

その際に、できるだけ具体的な分析・論証を行ったものを中心に検討し、形而上学的なものは必要ないかぎり取り上げない。視野にいれないという意味ではないが、実践の学問である「開発民俗学」においては、抽象的な理論や精神論はとりあえずおいておきたい。再現可能であるとまでいわないまでも、誰もが具体的に想像や理解できる、いわば‘事実’や‘もの’に基づいた論考の方が面白いし、理論的にも応用の幅が広いと考えるからである。

⇒ そのような問題意識にたって、いわば100冊の本のような開発民俗学の基礎理論を支えるような論考を取り纏める。今の段階では、日本人の研究者の到達点を明らかにすることを目標とする。つまり、原則、日本語の本ということになるが心配するなかれ、良質の研究者は当然、彼・彼女の対象分野の欧米の学説はきっちり押さえているので、博士論文クラスの研究書なら、それなりのレファレンスがついているので、初心者がいきなり億兆の欧米のいわば洋書にあたる必要はない。

また、当然のことながら同時に良質な翻訳書も取り上げる。翻訳には翻訳のよさも問題点もあるのだが、まず手っ取り早く相手(欧米の研究者)にタックルするのなら、翻訳書の数をこなして、欧米の研究者の問題意識に向き合うことが肝要であると考える。

という方針で、今後の考察(注1)を進めたい。ただし、‘歩きながら考える’および‘開発民俗学 雑記’においても同じようなテーマに触れたものがあるので、注2に紹介したい。

(この項、了)

注:

1.当初、第7講で扱う予定であったブックガイドは上記の理由により、「第8講 ‘開発民俗学’を考える100冊 (道具箱=ブックガイド)」ということであらためて取り上げる事としたい。

2.タイトルとリンクは以下のとおり。実は、このHP全体が同じテーマで記載されています。特に、“歩きながら考える~世界と開発~”のコーナーには関連する記事は多いので、関心ある方は、その目次を参照ください。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000.htm

関連1 ひとりNGOの勧め -ODA50周年に寄せて- (2004101日)

     (歩きながら考える024http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00024.htm

関連2 われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(200573日)  (歩きながら考える028-1http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

関連3 文化人類学の1990年代を振り返る  (2005年7月3日)

     (歩きながら考える028-2http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

関連4 ブームの宮本常一?  (200641日)

     (歩きながら考える030http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

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2008年12月 7日 (日)

第6講:開発‘民俗’学の構想

第6講:開発‘民俗’学の構想

2003113

開発‘民俗’学の構想

最近、開発’民俗’学なるものへの関心が、個人的に高まっている。この2年半ほど東チモールやフィリピンでの実際の開発事業の現場に足を踏み入れたのだが、計画といういわば青写真の段階ではなくて、パイロット調査とか円借款、無償資金協力の工事の現場では、実際に地域住民や役所の人たちと、まさに現実のモノに対して言葉を交わす機会が増えた。現場では、まあ、だましたりだまされたりではないですが、実際に生きている人たちと外部者であるわれわれと、結局、援助なんて生身の人と人の関係なんだなと考えさせられることが多々あった。その中で、いわば入り口であるモノを作ること自体は、ある意味で簡単だが、果たして実際に作られるモノなりを使う人たちのことをどこまで理解しているのかについて反省する機会がいろいろあった。

つまり技術や習慣などを切り売りで、よいとこだけをとってもってこようとしても、結局うまく機能しない。その技術をささえる人々の心というかソフトの部分で納得してもらわないと、ぜんぜん受け入れられない。そんな光景を、図らずも数件みる機会があった。

また、日本人の民俗学者の宮本常一氏の著作から継続的に学んできた影響であると思うが、宮本氏のいうところの、「民俗学という学問は体験の学問であり、実践の学問であると思っている」という言葉を無意識に咀嚼しつつあったからかもしれない。この民俗学を「開発学」と読み替えれば、まさにそのままではないかと、最近、折にふれて感じている。

宮本常一氏は、明治から大正、昭和と日本の発展を、地球を4周したと言われるほど日本をくまなく歩いて農民の文化を伝えるとともに、農業技術や新しい伝聞を体ひとつで伝えてまわった。この世間師の姿に、ひとつのすぐれたコンサルタントとしてのあり方がシルエットのように透けてみえてくるのである。

宮本氏は、民俗学者であると同時に、日本を歩いて回る中で農業技術指導を行い、地方の篤農とか、身のまわりの世界を少しでも自分たちでよくしようとそれぞれの土地でがんばっている人たちのネットワークを作るような仕事を行った。そして離島や林間地の村々の調査をするだけでなく、その現状と苦境を肌で感じて、著作を通じて広く世間に訴えるだけではなく、庇護者であった渋沢敬三(明治時代の立役者のひとりであった渋沢栄一の孫)の友人であった政治家や役人に対して離島振興法や山間地振興にかかる法律などのいわば開発のための法律立案などに関して政策提言も行っている。これは、今はやりの言葉でいえばアドボカシーそのものである。(詳細については、自伝的著作である『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993を参照。)

以前から何度か書いてきたことだが、結局、開発開発というけれど、現地に実際に住んでいる人たちが、自分たちでなんとかしようと思わない限り、世の中というか世界は変わらないのではないか、そんな実例を、昨年、フィリピンのある農業開発の現場で見てきた。歩きながら考える No019 Three Maria’s Tale(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm)を参照。

先日も、国連/世界銀行のイラク復興緊急調査に唯一日本人で参加されたコンサルタントの方と話す機会があったのだが、「特にイスラーム地域の復興なんて、とても外国人ではできない。ただし‘カタリスト’としての外国人の意味はあるのでは」というコメントをいただいた。

ところで、学問として開発人類学というものがある。この人類学にはいろいろな分類があるのだが、その別称として‘民族’学という言い方がある。この民族学とは、外部世界の見聞を自分の世界にもってかえって、同国人の気づきを促すという効用をもっている。今までの歴史上では、これは先進国の研究者が、未開な地域を訪れて、そこで収集した経験(事物も含む)を自分および自国民のために役立てるというケースが多かったのだが、私は、逆に、外部者として私たちが介入することにより、現地に住んでいる人たちの気づきをうながし自分たち自身のことを自分で研究してよりよい世界を自分たちで創造していける、そんな、開発‘民俗’学というものがあってもよいのではないかと考えるようになった。

この日本語に特有の「民族学」と「民俗学」という2つのミンゾク学は、実に示唆に富むと思う。この日本語にいう「民俗学」は、柳田国男にいう、いわば日本文化の元の形(基層文化)を探るという側面があるのだが、それだけではなく、宮本氏のいう、実際に生きている人たちの生きる糧となるような学問のあり方、自分の足元を知ることにより、日々の生活をよりよいものにつくり変えていくという‘実践の民俗学’という側面もあると思う。

つまり外部者として、(途上)国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗’学を創っていきたい。かってな造語だが、そのようなものがあってもよいのではと、最近考えるようになった。

(実は、ある席で、開発民族学を研究している人と、上記のようなことを話したら「確かにそれはあるうる」という言葉をいただいた。大体、人間の考えることにそれほど違いはない、しかもこのような考え方自体も時代の要請というか、多分、多くの方も考え始めていると思う。)

最近、英国の社会人類学という学問や応用人類学の開発人類学といったものに、現状を認識するための‘ツール’としての魅力を感じている。もちろん、この人類学的な調査は単なる学問的な興味だけでもなく、開発する側の調査をちゃんとしてやったという免罪のためや、事業の実施にあたって対象地の人や土地を標本のごとくモノとして扱い記述するためだけの、いわば自己満足のためにあるのではない。これは、あくまでも、彼ら自身にバトンというか自分自身をみなおす視角を提供(これだけで、かなり傲慢で高所にたった言い方であるが)するための、いわば現状理解のための手段にすぎない。

つまり、社会構造を分析するツール自体に関しての理解を深めた上で、それを使って何をどうするかについては、自分たちで白紙の状態から考えてみたい。例えていえば、いわば包丁の持ち方と使い方だけを知っていて、何をどう料理したらいいのかについては、相手と一緒に考えながら料理をつくっていくといったことがしたいと思っている。

ツールや学問のその限界を承知した上で、その先にあるものを考えていきたいと思う今日この頃である。

(了)

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2008年12月 5日 (金)

第5講: 学問の世界と実践の世界

第5講:学問の世界と実践の世界

2003113

知的ワンダーランドとしての大学教育(あるいはわくわく感との出会い)

さて、学問の世界と実践の世界というテーマであるが、実践の世界にはいる前段としての、日本における高等教育について私見を述べたい。自分の体験以上のことを述べる気もないし、高所にたって発言する立場にはない。あくまで私にとっての価値である。今までの自分の経験だけいうと、非常に恵まれた環境に育ったと思う。親と上司は選べないというが、人間は環境の産物である限り、生まれ育った環境というものの影響は大きい。小学校、中学校まではともかく、やはり高等学校への進学というのは、一つの社会人デビューの過程なのではないか。誰もが感じていることだが、やはり進学するにつれて、友達のあり方に違いがでてくる。悲しいかな15年ぶりに小学校の同級会にいったとしても、ほとんどの‘昔’の友達とは話が合わなくなっていることを事実として認めざるをえない。これは、よい悪いの問題ではなく事実である。それをどう考えるか、私はある意味仕方がないことと思う。

ただ、考えておかなくてはならないことは、いくら高校や大学の進学率が高くなったとはいえ、現実、中学校卒で、つまり義務教育を終えて働いている仲間が少なからずというか多くいるという事実である。やれ、どこの誰それは、どこの高校に入った、どの大学に入ったとうわさにするが、例えどんな形であろうと‘学ぶ’機会を与えられたものは、それだけで素晴らしい。開発教育、これは文盲の人たちへの(初等)教育という面と、先進国における開発教育という両面があると思うが、この教育という問題についても関心があるのだか、文盲の人がはじめて文字が読めるようになったことについての次のエピソードを忘れられない。

正確な出典は忘れてしまったのだが、日本の戦後に夜間中学で初めて文字を習った老婆が、文字がわかるようになって、初めて夕日の沈むのをみて泣けてきたという話がある。これは、老婆に言わせると、「言葉が読めるまでは、太陽が昇ったり沈んだりすることについて、特に意識してこなかった。しかし、言葉を知ることによって、その事実を別の目で捉えることができるようになった。」というような話であったと思う。

今の日本では、文盲というのは、ほとんど限りなくゼロパーセント近くなっているのだが、それは、ほんの最近の出来事であることを忘れてはならない。特に、高齢の不安定な時代に生きた人たちのうちには、戦争や家庭の事情で小学校すらいけなかった方々が今で多くいらっしゃるのも事実なのである。

私は、これからの時代は、Respect (each other)という言葉とPrideという言葉がますます重要になってくると思う。またいやみな言葉であるかもしれないが、Nobles Oblige という言葉を胸に刻んでいきたい。誰もが、そもそも生まれながらにして優れたその人なりの才能をもっている。これを、Talent という。(これは、日本語のタレントとは違う。英語のtalentは、‘天賦の才能’という意味である。)そして、戦争や貧困に苦しまずに、平和に生きる中で、それぞれの好きなことをやって(自由)それぞれの個性や才能を思う存分伸ばすことができる社会が望ましいことは、地上の誰もが考えていることである。残念ながら、たまたま生まれたところが違ったばっかりに(子供には何の責任もないのに)限られた人間しか、その自由を享受していないことも、誰もがわかっていることである。

そのような限られた範囲での自由しかないかもしれないが、現世における人の生き方における共生・協業のあり方として、私は、{それぞれ(の個人)ができることをすればよい}と考えている。つまり、お金のある人はお金を、時間のある人は時間を、労力をだそうが、アイデアをだそうが、それぞれができる範囲で力をあわせるだけでかなりのことができると思う。それはともあれ、残念ながら、学問の楽しさに気がつかずに生きていかざるを得ない場合が、全地球的にみれば実はほとんどの人たちの現実であるかもしれない。学校を楽しいと思える、しかも経済的にも社会的にも長期の在学期間を認めてもらえる環境に生きていること、それは本当にそれぞれの個性をみがく、もしくは自分を見つめる時間が与えられるということで、極めてありがたいことなのである。

私は、改めて自分を振り返ってみて、大学教育をワンダーランドと思えるほど幸せな学生時代をおくることができたのだが、そうは言いつつも、学べば学ぶほど自己矛盾というか、好き勝手に自分のためだけに勉強するだけでよいのかという気もしてきた。これは、やはり湾岸戦争という時代背景もあったとは思うのだが、その疑いの種はもっと以前にまかれていたような気もするのである。

“学問とはすべからく現実社会と闘うためのものである。

またまた挑発的な言葉であるが、私は、「勉強すれば勉強するほどバカになる。」ということを、この数年いろいろなところで語っている。字句どおりにとっていただいても結構なのだが、あえて、解説すれば以下のようになる。

 すなわち、大学、大学院(私はその教育を受けていないので語る資格がないのを承知の上での話だが)と、‘勉強、勉強すればするほど、先達の‘既成概念’や、考え方の‘枠組み’に取り込まれてしまって、普通の人の、もっと素直にいえば自分の気持ちや主観や感覚に対する自信を失ってしまう可能性があるという側面があるということだ。確かに、今まで営々と築かれてきた学問の成果を批判する気も否定する気もない。ただ、俗にディスプリンをいわれているものは、西欧の分割して理解するという手段の発達によって、素直に全体に受け止めればよいものを、社会、経済、政治、科学など、限られた切り口のみで理解しようとしてしまう。そして、その学問伝統は、その学問自体が育った環境(国、言語圏、地域)などの地理的、時代背景という時間的な制約を受けていることを、あまり意識しないまま、完成された手法、体系として所与のものとして存在を主張する。

 私は、はっきりいって、20世紀は主義(ism)の時代であったと考える。つまり、国民国家主義、資本主義、帝国主義、社会主義、共産主義等々、それは、確かに分析概念としては非常に便利であるし、現在でもそれなりの意味をもっているが、限られた地域での経験に基づいて導き出された理論や概念を、分析手法や概念、様式として、他の地域なり国なりの現象を分析するのに流用すると、理論に現実をあわせるという本末転倒なことが起きてしまって、実際の社会と理論がまったくでないにせよかみ合わなくなってしまっているのが、現代の状況であると思う。

実は、先日(2003112日)、早稲田大学で開かれた『イスラームとIT』という国際シンポジウムの「アレクサンドリア図書館とイスラム的“知”の可能性」というセクションで、くしくも高橋一生先生が、「今後の学問体系はどうあるべきなのか」という吉村作治先生の質問に対して答えた言葉は、「たとえば19世紀のヨーロッパで生まれた自然、社会、人文科学という学問体系も、当初は、その当時の実社会の実態に即した仕分けであったが、それが時代を経るにつれて学問と社会の乖離が起こってきた。20世紀にアメリカで生まれてきた国際関係学や学際的な現場志向が強い、プログラム志向の学問とは、そのヨーロッパの学問分類が現実にそぐわなくなってきたことへの反省から生まれてきた。今後の学問のあり方をあえていえば、現場志向がより重要であることはみな結論としてわかってきており、やはり研究対象が問題であって、道具として何学を使うのか、結果として何学になるのかについては、あまり意識されなく(問題にならなく)なってきているのではないか。」というコメントをしていた。現実の分析結果としての、学問体系、確かに私自身が考えていることと、全く同じではあるが、たとえば今の私のこの文章に対して社会的な評価はどうなるのか。素人のたわごととして片付けられてしまう可能性の方が、今の世の中では、はるかに多いことであろう。

 私も、大学を卒業して仕事をしながら、いろいろ考えかつ考えを文章化してもきた。確かに5年ほど前までは、「ディスプリンがなくても、リテラシーされあればどうにかなる」と思って、いや思い込もうとして生きてきた。しかしながら、この2年程前から、そうはいっても‘タイトル’なり、‘ラベル’なしに世の中と闘うことに疲れてきたのも事実である。特にイスラーム分野にかかる総合的な学際的な研究現場とその成果を横目でみてきたものとしては、学際的な研究とは、それぞれの学問分野の専門家が協業してこそ成果があるという、結局、学際を目指すものはそれぞれのディスプリンを持たなければならないということも事実としてみてきた。これは開発の現場でもそうである。総合的に全体を把握すること自体は、以前にまして非常に仕事の上でも重要になっているのだが、それは個人のやるべき部分をこなした上で求められることなのである。

今まで仕事を続ける上で、社会人ならディスプリンはなくても何とかなると思っていたのだか、やはりここらで素直にかぶとを脱ぐ。「やはり学問にも仕事にもディスプリンは必要だ。」ただし、この但し書きだけはつけておく。「学問は、すべからく現実社会と闘うためにある」ということを。

‘開発学’とは体験の学問であり、実践の学問である。(宮本常一氏の言葉のもじり)

 さて、ここで実践というか生きる糧としての‘開発学’をめぐる私の研究の方向性を以下に示したい。以前より、海外の社会に対する関心と共に、日本の社会自体自体のあり方についても関心を払ってきた。その現在、まさにわれわれが生きている地球世界を考える上で、実は以前より非常にこだわっている問題があり、それが‘開発学’における学問というのを超えて実践というものへと心をかきたてるのである。

あまり人には話してこなかったが、‘開発という現象’以前に、私が‘開発’された状態であるとされる近代科学や近代世界に疑問を抱くようになったもともとのきっかけは、1982年の中学校一年生の時に、たまたま市の施設(岡崎の太陽の城という青少年施設)で『人間を返せ』という映画を見たことに始まる。これは『10フィート運動』による映写会であった。これは日本の市民団体が寄付金を募り、広島の原爆投下直後にアメリカ軍が記録した映像記録を、まさに10フィートづつアメリカから買い戻していくという運動である。

これは、たぶん30分にも満たない上映時間であったと思うが、実は私は映画の途中で気持ち悪くなりというか、本当にぶっ倒れてしまった。その映画のタイトルでもあった峠三吉の「人間をかえせ」という詩自体は、多分、教科書では知っていたが、モノクロ(白黒)ではあったが、原爆直後のとても人間とは思われない形相の人たちの映像を見たときに、自分の中に強く刷り込まれることとなった。(今となって思えば、モノクロでよかったと思う。あのケロイドややけどで焼け爛れた、とても人間とは思えない形相の人たちの映像は、とても今でもカラーでは直視できないであろう。)多分、その時に意識したことは、「人間の尊厳」という言葉であったと思う。なぜ、日本だけがアメリカに原子爆弾を2発も投下されなければならなかったのか。これは、今でも疑問だし、西欧文化、特に白人優越主義に対して、初めて疑問を持った瞬間だともいえよう。

そのときの気持ちや考えの結果は2つに集約された。「将来外交官になって、アメリカとソ連を握手させてやろう」、もう一つは、「西洋近代主義のアンチテーゼとして何かがあるのではないか。人間として平和で平等な世界を何とかして築けないものなのか。そのためには、どのような思想がありえるのか」ということであったと思う。

 結局、一つ目の夢は大学時代の1991年に冷戦構造が終わったことにより果たされない夢となってしまった。(実際には、大学1,2年では、外交官試験を受けることも考えて法律とか勉強しようとしていたが、アラブ・イスラームの勉強と両立できなかったことと、なぜ西欧の知識体系だけを、‘万国’共通の規範(ルール)として学ばなければならないかについて、自分の中で納得できない部分があって、結局、法律・経済等の外交官試験に受かるため(だけ)の勉強を投げ出してしまっていたという現実もある。)

 だが、二つ目の問題については、未だに解決に至っていない。これは、その後、えた・非人など被差別部落のことなど偏見や差別の問題や、当時、南北問題といわれていた先進国と後進国(発展途上国)との貧富の差の問題等、いろいろバリエーションを代えて中学校、高等学校と学習の対象となっていったが、私にいわせれば、根源的には、‘人間の尊厳’をどう考えるかという問題である。

差別や偏見をもたらしているもの、それは結局、個人の心の問題であると思う。自分にプライドを持つこと。それは、とりもなおさず、自分を除く人間すべてが同じものをもっていること。自分が相手を恐れているのと同様、相手も自分を恐れている、多分、人を先に威嚇したり、力で押さえつけようと攻撃を仕掛けるのは、自分に自信がないからである。(これは、はっきりと欧米人の今までの、彼ら以外の民族や人種に対して行ってきた性癖を意識して発言している。)

そういう意味で、相手を対等に同じ‘人間’として認める。という個々人の心のレベルでの国際化やグローバリズムについては、まだまだ諸についたばかりだ。(私は、少なくとも自分の年齢より若い世代については、この点では、きわめて楽観している。特に国際化、国際化などと声をあげなくても、すでに日本には多くの外国人が生活しており、すでに社会環境として国際化されてしまっている。今の子供たちは、今の私たちより、はるかに先入観のない世代であってほしいと願っている。)

原爆への嫌悪というかショックについての話にもどるが、その後、広島には大阪外国語大学の入試を受けた後に、瀬戸内海地方の一人旅にでかけ、広島、尾道とユースホステルを使って脚を伸ばしたこと、その後、大学4年の時に、九州一週を行った青春18切符の旅の過程で長崎を訪ねたこと、この2つの被爆地を実際に自分の足で訪れ、自分の目で現場をみたことを、ここに述べておく。青臭い正義感かもしれないが、まだ私の中では、第二次世界大戦(大東亜戦争)は終わっていない。

今(2003年)現在では、はるかに戦後生まれの人の方が人数的には増えていることは事実なのだが、戦前、戦中に生きた人々は、まだまだ多く在命中だ。私は、勝手な若輩の言い草であるかもしれないが、ここらでちゃんと第二次世界大戦の総括を、それぞれの個人がしておかないと、みんな死ぬに死にきれないのではないかと思う。確かに、非常に辛い体験であったと思う。人に言えないようなことが誰しもあるに違いない。しかし家族にも何も告げずに、全て自分で抱え込んで墓場まで持っていこうというのは、一見、子孫というか子供にやさしいようにみえて、結果的には、子孫を、日本人を駄目にするのではないか。

未だにファナティックに、未だに南京大虐殺はなかったといってみたり、‘自虐史観’反対なんていう‘プチ・ナショナリズム’が近年蔓延しつつあるようだが、もっと素直に、自分たちの過ちについて、事実を事実として語るべきではないのか。

今、イラク戦争に関して、アメリカの言語学者のノーム・チョムスキーが9・11以降にアメリカや世界中で講演しているのは、アメリカの帝国主義だけが過ちを犯しているのではなく、今までの力のあるものは常に暴力をふるってきたことであり、いくつもの9・11が歴史的に繰り返されてきたということである。これは、イスラーム研究者である東京大学名誉教授の板垣雄三先生の最近の講演会で聞いた話でもあるのだが、「パレスチナのユダヤ人問題についても、幾度となく歴史の過程で繰り返されてきたものである」というのと呼応する。

 あまりに脱線してしまったが、いろいろな経緯を経て、たまさか、私は‘開発’の現場に足を踏み入れてしまった。はっきりいって、近代化や西欧への‘開発’が全てと思っているわけでもなく、もし仮に外部者として、ある社会に介入するとすれば、以下にその開発による負のインパクトを小さくするかの方に関心がある。これは、近代科学を否定するものではないし、自分の立っている立場をわきまえた上での、自分への挑戦である。しかし、あくまで自分の小さな胸につかえた刺をとるための努力と実践を考えて続けていきたい。それは、すなわち、「偏見や差別のない平和な社会をつくること」それは、「一人だけではできなくても、同じことを考えている仲間はかならずいるということ」を信じて生きていきたい。

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2008年12月 2日 (火)

第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)

第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)

2000815

 道具箱というコーナーを設けたのは、適宜、情報ソースの整理をして読者の便宜を図るということに加えて、この講座を順番に読むことを通じて、読者に同時に一緒に考えてもらいたいという意図がある。

今、IT革命などという言葉が巷をにぎわせているが、やはりそれは一方的な情報の受け手(消費者)になることではなく、イントラクティヴ(双方向的)な人間同士の対話を目指すべきであろう。

ここで基本理論編として取り上げたのは、自分で考えていくためには、それなりの方法論があるということがまず一点。そして学ぶことの究極の目的は発信することにあり、そのためのテクニックが必要不可欠(表裏一体)であるということが一点。また、1990年代のコンピューターの発達と普及に従って、既存の知の枠組みや道具立て自体が変わってしまったことが一点。それら新しい知の体系として開発学を考えるための道具と、‘開発’学の入門書とリファレンス類を厳選して取り上げた。

主に、1990年代以降の動きを扱う。情報処理技術についての‘初歩の初歩’については、注1を参照のこと。

 追記;

Wakate-kai」協調プロジェクトとして「開発援助へ関心のある方へ(情報源へのアクセスについて)」において、おすすめの「ホームページ」および「基本文献」の紹介を行った。情報的に新しいので、こちらも参考のこと。(20021015日)

民俗学および地理学の現地調査(フィールドワーク)に関するマニュアル類については、第3講の補論も参照のこと。(2005626日)

A1990年代以降の知の世界

41 野村一夫 『社会学の作法・初級編 社会学的リテラシー構築のためのレッスン【改訂版】』 文化書房博文堂 1999 (初版 1995) (1,600円;価格はあくまで参考。適宜確認のこと。)

42 東郷雄二 『東郷式 文科系必修研究生活術』 夏目書房 2000 (1,900円)

43 坪田一男 『理系のための研究生活ガイド テーマの選び方から留学の手続きまで』 講談社ブルーバックス 1997 (760円)

44 中川昌彦 『図解 自己啓発と勉強法 楽しみながら自分を育てる』 日本実業出版社 1996 (1,262円)

(概説)

1990年以降に決定的に変わったのは、知の地平線や水平線がはるかに広がったことがあげられよう。ここでは詳細は述べないが、網野善彦、阿部謹也、家島彦一などが、それぞれ日本、ヨーロッパ、イスラーム世界の中世史において、今までの文献資料中心であった歴史学・社会学において、それ以外の全人間的なアプローチを駆使し、新たな学問の地平線を切り開いた。その世界は深く広いが、その前提と主体的に現代と切り結んだところに意味があるのではないかと思っている。それぞれが、自分と現在(現実世界)との格闘を語っている。(別途、「歩きながら考える」で取り上げます。)

 そこで、まず取り上げたいのは、現代社会に生きるということはどういうことかを考えようとする41である。私は、以前、大学院への進学を試みたことがあったが、その際に、悩んだのは「外大生にはディスプリンがない」という俗説であった。母校や後輩の名誉のためにもあえていいたいが、結局、今では「そもそもディスプリン(パラダイム)にこだわることより、作法(リテラシー)を身につけることのほうが重要ではないか」と思うようになった。

今の大学の世界では、三文字学部というものがなくなりつつある。(つまり、文学部、農学部など)単に、看板が変わっただけと思ってはいけない。80年代から、「学際的interdisciplinary」とかいう言葉が出てきたが、その当時は、それぞれの「専門」のディスプリンをもった人たちが集まって研究するというスタイルであったと思うが、今では「理系」や「文系」という考え方自体がなくなりつつあり、「マルチ・ディスプリン」があたりまえという時代に突進している。決して専門家を否定するわけではないが、あえてどこかに足場を置くとしたら、まず「読み書き作法」であるというのは、あながち見当違いではないであろう。また、野村氏のいう<見識ある市民>とは、今だからこそ求められていると思う。

そして、42(文科系)と43(理系)では、今の時代の研究スタイルを端的に語っている。前者の著者が1951年生、後者が1955年生、あえていえば、41の著者は1955年生まれである。つまり、今の学生が教わるであろう先生方のある標準的な感覚ともいえよう。

また、1990年代の必須アイテムとして浮上してきたのが、パソコン・インターネットを利用した新しい学習スタイルである。残念ながら、私が注1を書いた90年代初頭は、この新しい研究方法の体系ができていなかった。4123とも、最新のリファレンス情報が盛り込んであり、いずれも持っていて損はない。(特に、31は、今、現代社会を主体的に生きようと考えるときに必携である。)

 44は、ビジネス書であるがあえてここに紹介する。私は、はっきり断っているように一介のビジネスマンに過ぎないが、逆に‘仕事をしながら(もちながら)考えていく’道を、この本ははっきりと示してくれた。また、パソコン、インターネットについて、「マルチメディア時代の自己啓発」として1章をさいてあつかっている。

入社して5年目くらいまでは、なかなか学生時代みたいに専門書を読むことができず、頭を休ませる(冷やす)ために、ずいぶん俗にいうビジネス書や血液型や相性の本、人生論や人間関係の本を、息ぬきとして読んだものである。

その中で感じたのは、ビジネス書は、現場に密着しているためトピックも早いし、実務に関する専門的な技術面については、はるかに具体的でくわしい。確かに玉石混交ではあるが、非常に興味深いジャンルではある。(学生さんとかはあまり関心がないと思うが、学問とは全く別の次元で理論が展開されていて結構参考になります。)

B.情報処理論の最前線

45 メイヤー,JJ./黒川康正 『ビジネスマン奇跡の整理術・時間活用術』 三笠書房 1998 (1,400円)

46 壺阪龍哉 『超図解 奇跡の整理術 パソコン以前の33の法則』 かんき出版 1997 (1,300円)

(概説)

456は、あえてビジネス書という分野から、最新の実践的な情報処理理論を持ってきた。45は、まさに‘目からうろこ’の本で、読後、仕事がずいぶんはかどるようになった。(別に、タイムマネジメントの手法や考え方を礼賛するわけではないが、「仕事をする」という実務上は、大変役に立つ知恵ではある。)

また、46も、‘パソコン以前’といっているが、逆にパソコン時代でこその情報処理理論である。

C.新しい調査・研究手法

47 佐藤郁哉 『フィールドワーク 書をもって街へ出よう』 新曜社 ワードマップ 1992 (1.800円)

48 佐藤誠編 『地域研究調査法を学ぶ人のために』 世界思想社 1996 (1,950円)

49 古川久雄 「現地調査―歩く・見る・聞く」、矢野暢編『地域研究の手法』 弘文堂 (講座現代の地域研究 一)1993 (4,800円)

410 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊・編 『路上觀察學入門』 筑摩書房 1986 (ちくま文庫版あり)

411 中村尚司・広岡博之編 『フィールドワークの新技法』 日本評論社 2000 (2,000円)

412 嘉田由紀子・槌田劭・山田國廣編著 『共感する環境学 地域の人びとに学ぶ』 ミネルヴァ書房 2000 (2,500円)

(概説)

主に、フィールドワーク、地域研究、現地調査にかかる本を上げる。時代はフィールドワークというか、社会科学系の学問においても、かなり実証的な地域や地に足のついた研究がでてきたが、これはやはり時代の要請といえると思う。また、ようやく以前から地道にその調査に取り組んできた人が学会の前面にでてきたともいえるし、これは自然科学からの応用という見方もあろう。なお、47の著者は1955年生、48の編者は1948年生で、やはり新しい感覚ともいえよう。

49は、本格的な現地調査論で具体的な示唆に富む。また、489に関連するが、特に第三世界に関する地域研究(Area Study)についても現在ブームの観があり、なおかつ「開発」学ともからむのだが、これら第三世界をあつかうのには、かなり周到な準備が必要だと思う。90年代に入って、地域研究のみならず、歴史、社会学やあらゆる学問分野にかかるシリーズものの研究書がいろいろ組まれており、なおかつ最新の研究の成果が織り込まれているが、ここではあえてふれないし、その場ではない。ただ、本当に「地域研究」や「開発」に取り組もうとすると、かなりローカルな問題を考えなければならないし、さらに言えば、その地域の言葉に対しても関心をもたないといけないであろう。

410は、ある意味で民間での取り組み。実は最近、地理学や民俗学、考現学、(文化)人類学などの隣接科学が面白い。本当に「歩く」学問がポピュラーになってきたと思う。(注2

 

 全く最近であるが、京都よりまた「歩く」学問の概説書がでた。411は龍谷大学の先生方、412は京都精華大学の先生方がまとめたもの。いずれも今までの学問の枠を越えたセッションをおこなっている。わかる人はわかると思うが、例えば中村氏、槌田氏、山田氏は、すでに30年以上現場を歩きつづけている大ベテラン。(実は、私は1990年度の大阪外大での鶴見良行氏と同じく『地球環境論』というリレー式な講義でお会いしている。まったくもって当時の神前、高山、津田、松野、深尾先生方の人脈と先見の明に深く感謝しております。)

この「歩く」学問は間違いなく、21世紀の学問の一つの方向性を示すものであろう。

民俗学および地理学の現地調査(フィールドワーク)に関するマニュアル類については、第3講の補論も参照のこと。(2005626日)

D.‘開発’学入門

413 アジア経済研究所・朽木昭文・野上裕生・山形辰史編 『テキストブック開発経済学』 有斐閣ブックス 1997 (2,300円)

414 佐藤寛編 『援助研究入門 ― 援助現象への学際的アプローチ』 アジア経済研究所 アジアを見る眼 1996 (1,442円)

415 坂元浩一 『国際協力マニュアル 発展途上国への実践的接近法』 勁草書房 1996 (2,500円)

416 国際開発ジャーナル社編 『国際協力ガイド 20002001年版』 国際ジャーナル社 1999 (1,000円)

(概説)

 近日の、開発や援助を巡る学会、民間、市井の動きは、非常に激しく、毎日のように、開発にかかる新刊書や情報が流れている。今回の「基礎理論編」ではあえて‘開発’学にかかる本は最小限とする。

 413は、開発経済学の入門テキストであり、比較的新しく90年代の日本人学者の最新成果を踏まえているため、次の段階へのステップへとなろう。(「今後の学習案内」や「用語解説」が充実。ただし、この時点では翻訳されていなかったM・トダロの開発経済学(第6版)』国際協力出版会 19987,000円)があることには留意のこと。)

 414は、313と同じくアジア経済研究所が中心となってまとめた「開発経済学」以外からの開発へのアプローチが述べられている。本講座も、特に開発経済学を扱ったものではないし、今後はこのような学際的なさまざまな分野の知恵を「開発」や「援助」に持ち込むことになるのであろう。必ず413と併読してほしい。

 415は、経済屋としての視点が強いが、援助の実践の場で、どのような段取りが求められているかが垣間みられる。途上国の資料へのアクセス方法等、資料編が充実しており、一種のチェックリストして使える。

 416は、月刊の業界紙である『国際開発ジャーナル』が取りまとめた国際機関、政府系機関、民間、NGO、研究機関など日本の援助とその周辺のガイド。年度版であるため比較的情報が新しいこと、また現場の声が多く掲載されていることが業界に関心のある人の参考になるであろう。

E.レファレンス

417 編集協力 国際協力事業団 『国際協力用語集 【第2版】』 国際協力ジャーナル社 1998 (初版1987) (3,000円)

418 海外経済協力基金開発援助研究会編 『経済協力用語辞典』 東洋経済新報社 1993 (2,400円)

419 二宮書店編 『データブックオブザワールド 世界各国要覧 2000年版』 二宮書店 2000 (520円)

420 帝国書院編 『綜合 地歴新地図 -世界・日本― 三訂版』 帝国書院 1997 (1,500円)

421 M.L. (Mert) Yockstick  Concise Earth Book World Atlas  Graphic Learning International Publishing Corporation, Boulder, Colorado, USA. 1987

(概説)

 編者にみられるように、417は、主に技術協力、無償資金協力の窓口である国際協力事業団(JICA)、418は有償資金協力(円借款)の窓口である国際開発銀行(JBIC;海外経済協力基金(OECF)は輸出入銀行と統合されてJBICとなった)が取りまとめている。トピックや記事の解説に濃淡があるため、可能であれば両方とも常備することが望ましい。

419は、倹価であるがコンパクトに世界各国の統計資料が掲載されている。

420は、高校向けの地図帳(アトラス)ではあるが、サテライトイメージや歴史的な地名が重ね書きしてあるので、現地の重層的かつ立体的な理解に非常に役に立つ。

4 - 21は、例外的に英語の本を取り上げるが、実際日本語で気のきいたアトラスは少ない。この本の特徴は、地上のでこぼこが立体的に書いてあること、地名が結構詳しいこと。以前、Timeの定期購読のおまけでもらったものだが、非常にコンパクトで重宝している。もし、機会があったら気の利いた英語のアトラスも探してほしい。(海外でも利用しようとするとき、カタカナの地名が書いてあるような日本製のアトラスはほとんど使い物にならない。現地調査に使える道具については、49を熟読・参照のこと。)

これらのリファレンス類は、全般的かつ一般的なものなので、ぜひ手元においてほしい。(特に、419420のような資料は最新版を手に入れること。)

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注1:柴田英知 「第ニ部 リファレンスワーク入門」『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』 シーシャの会 1991(電子ファイル版2000)にて、リファレンスワーク、ビブリオグラフィーという観点から、主に文系の書籍データへのアクセス方法について論じた。

注2:柴田英知 「「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて」『歩きながら考える(008009)』 2000において、それぞれ宮本常一、鶴見良行、鎌田慧を取り上げて、市井における「歩く」学問を論じた。宮本常一および民俗学の視点については、第3講の補論を参考のこと。

(この項 おわり)

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2008年11月30日 (日)

第3講 補論1&2 民俗学の視点

第3講:現状分析の視座をどこにおくのか?(補論)

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

2000812

200573日補筆

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

本来ならば、日本の援助機関、国際機関やNGO等の基準なりガイドラインを比較検討して論ずるべきであろうが、あえて主観で上記の項目をあげた。特にUNDPHDIなどについてもふれようと思ったが、逆にこのようなことは他の教科書をみれば、既に比較検討されていることであるし、逆にマニュアルやガイドラインを作ろうとすると何でもかんでも詰め込んでしまいチェックリストが膨大になるだけで、結局、何が本質なのか訳がわからなくなってしまうからである。

ここで逆に読者に検討をお願いしたいのは、日本の民俗学研究や農業地理学などのフィールド調査で培われた分析・分類や調査手法である。

3-1 上野和男・高桑守史・福田アジオ・宮田登編 『新版 民俗調査ハンドブック』 吉川弘文館 1987

3-2 大島暁雄・佐藤良博・松崎憲三・宮内正勝・宮田登編 『図説 民俗探訪事典』 山川出版社 1983

3-3 文化庁内民俗文化財研究会編著 『民俗文化財のてびき-調査・収集・保存・活用のために-』 第一法規出版 1979

上記2冊とも、日本の民俗学調査のハンドブックで両者とも図版や取り扱い範囲が広く、特に途上国でフィールドワークを行う際にも、非常に参考になるものである。3-1は、特に民俗調査の方法と質問表文例について、村落から親族、生産技術、衣食住など日本を対象にしているものの、全ての人間生活の側面を扱っており、その意味でも目のつけどころがわかる。3-2については、I.衣食住、II.ムラの仕組みと信仰、III.生業とくらしIV.民俗芸能と、地域の人間生活全てを図解しているところが非常に参考になる。上記2冊とも、ぜひ手元に置いておきたい。3-3は、文化庁が定めた民俗文化財にかかる分類や調査のガイドライン。上記2点があれば特に必要ないか。

3-4 市川健夫 『フィールドワーク入門 地域調査のすすめ』 古今書院 1985

 

 地理学者による日本の地域調査の入門書。特に農業にかかる農作物を切り口にした農村調査、山村、漁村、観光地、工業地域、都市地域などの地域特性に沿った調査方法を列記している点が特筆にあたる。

3-5 坂本英夫 『農業経済地理』 古今書院 1990

 

 上記に引き続き地理学者による農業地理学の入門書。筆者がいうように「経済要因を抜きにした農業地理の研究の多くは常識以上に這い上がれなかった」ことより経済要因にも配慮した基本的な入門書。新しい課題だけでなく主要な学説を押さえているところがうれしい。また「終章 農業地理学の研究調査法」は次のステップへの参考となる。

3-6 宮本常一 『民具学の提唱』 未来社 1979

 民具から各地域ごとの生業の成り立ちへ想いをはせる。具体的なものから人と地域を考える宮本氏の手法を垣間みることができる。われわれ日本人の祖先が、いかに現地の現状にあわせて道具をきめ細かく発達させていったのか、民具により技術や文化の伝播をも知ることができる。

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

宮本常一氏の自伝的著作である『民俗学の旅』講談社学術文庫 1993より、彼の世の中をみる視点の原点となった父の教えを、上記の私の上げた項目との比較という意味で下記に引用させていただく。若干略させていただいたが、この部分に限らず、ぜひ全文を味読してほしい。

(1)   汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。・・・

(2)   村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。・・・

(3)   金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

(4)   時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(5)   金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

(6)   私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない。・・・しかし身体は大切にせよ。・・・しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

(7)   ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

(8)   これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

(9)   自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」 (前掲書3738頁)

 

しかし実に簡潔にして要を得た教えだと思う。世の中をみる視座というものは、そんなに複雑に考える必要はない。本質とはきわめて簡単(Simple)に存在するものだということを感じさせられる。

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第3講: 現状分析の視座をどこにおくのか?

第3講:現状分析の視座をどこにおくのか?

補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

2000812

2003113日補筆

 今の日本のODAをめぐる論議では、社会基盤整備のための大型の公共事業による施設物への案件の偏重に対する批判が続出している。確かに過大な施設の維持管理などフォローアップを含めた運用をみると、必ずしも全ての援助案件が成功しているとはいいがたい。そのなかで、具体的なよいプロジェクトを考える前提条件を順次、検討していきたい。

 まず、現状分析の視座をどこにおくのかという問題がある。何を持って問題の出発点とするのか。これをクリアにしないことには、全てが進まない。確かに、経済的な現状分析は一つのアプローチの仕方ではあるが、その尺度自体の該当性については、慎重な検討が必要と考えられる。

 世界銀行(WB)や国連開発計画(UNDP)等のいう経済的なあるいは社会的な尺度(指数)は一つの手がかりではあるが、それで一体なにがわかるのであろうか。当然、違いを比較するためには、もとになる指数と比べるものとの何らかの定量的な比較ができるのは望ましいことであろう。しかし、その指数を利用するのにあたって、われわれ自分自身が理解できる数字であるかどうかについて厳密に認識しなくてはならないと思う。つまり、数字はある意味で抽象的なものである。その数字の背後にあるものを理解することは、想像力のみならず体験に基づく経験なりが必要である。その実感を伴った指数としてどのようなものがあるのかを検討したい。

(補論1、2を参照)

見えるものと見えないものについて

 例えば、開発調査などでは、統計数字の収集、社会調査、自然条件調査の実施等によって、それぞれの分野の専門家の分担作業によって、当該地域なりの現状が解明されていく。

新入社員時代の一番の問題点は、現場に行かないことには現場の状況はわからないということであった。例えば、下記の項目について、現場を知らないものにどれだけの想像力の飛躍を求められるであろうか。

A.目に見える指標;

1.人の姿。(服装、足元、)2.店の種類(衣食住)それぞれの様子。3.軍隊、警察の存在。4.市場の状況。5.都市および郊外の様子。6.村落の様子。7.子どもの姿。8.朝、昼、晩の人の動き。9.繁華街の様子。10.学校(義務教育)の様子。11.公共施設とその清掃状況。12.食堂の賑わいと食べ物の種類。などなど。

B.眼に見えない指標;

1.音。2.時間をめぐる習慣。3.暦。4.祝日や休日観。5.人生観。6.来世観。7.幸福感。8.音楽や踊りに対する感性。9.隣人及び他人に対する接し方。10.宇宙観。11.嫌悪感の基準。などなど。

 開発をめぐる社会調査の盲点として近年いわれているのが、定量調査と定性調査をどのように組みあわせるかということである。例えば、上記にあげるようなことは、目に見えることも、見えないことも合せて、調査結果として、表面にあらわれにくいことは容易に想像がつく。まさに現地を知っているものは、上記のアトマスフィアを踏まえて何らかの評価を下しているはずであるが、現場を知らない者に、統計数字などだけで現状を伝えるのは非常に難しいといえよう。

現場の匂いを感じさせない開発計画(計画と実施の間に横たわるもの)

そして、上記とは別のいわゆる‘客観的なデータ’を基に、例えば開発調査では、短期(5年先)、中期(1015年先)、長期(20年先以上)の開発プログラムが組まれていく。国家100年の計とはよく言われるが、30年や50年さらには100年先までを見越した開発プログラムを立てることは非常に難しい。いくら図面があるとはいえ二次元で描かれた未来予想図は、現地に住んでいる人をしても、なかなか現場の匂いがしない無味乾燥した報告書というか紙束といえなくはないケースも多々あると思う。(私がその報告書を書く立場の人間である責任を放棄しているわけではないことは、あらかじめ断っておく。)

しかし、特に文系の人間が考えなければならないことは、実際に計画が実施にいたって目に見える開発現象が起こった時になってはじめてバタバタと目先の変化ばかりを嘆いても仕方がないということである。例えば、ダムひとつを作るのには計画から始めて調査を重ねて、実際に物として完成するのに1015年の時間がかかるということだ。物が出来る頃になって、やれ環境破壊だなどと騒いでも、それは既に10年前以上の研究の積み重ねがあるのである。確かに当初の計画時点の社会状況と完工時の社会状況が大幅に変わることは多々あることであり、今の大規模開発に対する批判はその20年まえ30年まえのプログラムに対する異議申し立てであることは間違いない。しかし、例えば瀬戸大橋が計画・実証研究など20年近くの時間をかけて完工したことに対してなぜ大きな反対や批判がないのか。つまり、物によって評価が違うということが、この“開発”問題の難しいところである。確かに余計なものをつくる必要はないかもしれないが、実際に必要としている人がいて、言い方は悪いが利権というものも存在する。

もっと具体的に足元をみてみれば、都市の区画整理や県道、市道の整備一つをとっても、個人の損得、利権をめぐるいろいろな地域住民の葛藤が生ずる。例えば故郷の隣町のこと、田んぼや畑の間に、市の開発プログラムによって市道の整備が行われることになった。これも多分、10何年越しのプロジェクトであろう。道ができるということは、必然的に人と物流の変化をもたらす。道路完成後に地域住民の中で話題になったのは、誰がこの開発で儲けたかというやっかみ混じりの陰口である。やはり時流をみるのに敏い人いるもので、自分の畑をうまく売りはらって自分の家を建て替えるもの、郊外大型店舗に土地貸するもの、自分で店をもって商売がえをするもの、駐車場にするもの、アパートを建てるもの、また逆に、土地転がしのディベロッパーに対して頑なに自分の土地を売らずに畑仕事にこだわるもの、さて道ができてふたを開けてみると、道路成金がいれば、まったく損とはいわないまでも以前と全く変わらないもの、明らかに、“開発”の恩恵を蒙った者とそうでない者が存在する。少なくとも今の私有財産を認める日本の社会では、結局、うまくやるかそうでないかは個人の才覚にまかされてしまうことは、否定できない。が、結局感情的には何らかのしこりが残ったりする。為政者というかプログラムを組んだものは、技術的には完璧な仕事をしたのであろう。しかも当然地域住民のヒアリングもして、当該インフラ完成後についてもある程度の青写真を描いていたはずであるが、実際にものが出来た後の社会の変化について、絶対に100パーセントの予想は不可能で、心理的なケアーまで計画段階で組み込むことは、不可能といえよう。そんななかで、作業をせざるを得ないとしたら、果たしてどこまで考えることが可能であろうか。

 今の時点での私の暫定的な答えとしては、結局、施設完工後の維持管理(O&MOperation and Maintenanceともいう)については、その地域の人たちが責任をもってやらざるをえないと思う。確かに、天から降ってきたようなプロジェクトかもしれない。また、廃棄物の焼却場とか明らかに負の遺産を背負わされる場合にはどうすればいいのか。はっきりいって今の時点では、私はそのようなプロジェクトについて評価する能力はない。ただ言えるのは、一概にそれは駄目だと言い切れないということ、必要悪などといいたくないが、それでも必要なものもあることは、それがいつどこに必要かは別にして認めざるを得ないということだ。

 この開発による社会の変化はもとより、定性的な社会の側面に対する配慮と第三者からの理解については、さらなる研究と、プロジェクトのあらゆるステージにおける、いろいろな角度からの評価が必要である。しかも、その内容については、一般論に陥らずに、具体的に個々のケースについて考えていくことは、口で言うよりはるかに難しいといえよう。

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補論1:定性・定量のベンチマークの考え方(民俗学の視点)

補論2:宮本常一氏の父(宮本善十郎)の「世の中をみる十か条」

(次ページを参照)

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2008年11月29日 (土)

第2講: 「開発」をめぐる論議

第2講:「開発」をめぐる論議

200081

 開発に対するアプローチとして、その前提条件がどこにあるのかをまず確認しなければならない。私は、特に系統だった開発についての教育を受けたわけではないので、かなり論理に飛躍や見落としが多いと思われるが、とりあえず私見の範囲でまとめると、いままでの、この分野に関するアプローチとして主に次の2つがあるように思う。

1.開発経済学に代表される社会科学的なアプローチ

‘開発’を経済学が引っ張ってきたという側面はかなりあると思う。そもそも経世済民から、経済という和製語が生まれたとはよく言われていることである。しかし、幕末以来、外来の思想(科学)として輸入してきたこの概念を消化し、自国(この場合、日本)を超えて、世界に適用させようと日本の学界が動き出して、かつ実証的な成果が現れだしたのは、恐らく1970年代以降ではないか。その成果の発表に先立つ現場に足のついた「アジア」を見据えた研究の出発点は、多分、戦後にあり、ある程度日本の戦後復興が落ち着いてきてからだと思う。

(海外への展開の萌芽としては、日清、日露戦争に遡れるかもしれないし、満鉄など特殊な機関があったことも事実であろう。そして大東亜戦争を戦い抜くため、もしくは純粋に学術的な興味から、あるいは他分野である歴史・地理などの立場から地域研究を推進した先達たちの問題意識や功績や経験は、いま改めて別の視点からきちんと系統だって評価されなければならない。)

ここで使っている「開発経済学」の定義自体をまずはきちんと学問的に押さえなくてはならないと思うが、乱暴に社会科学的なアプローチとしてくくってしまうと、いま話題の「開発社会学」や「開発政治学」等も基本的にこの社会科学的なアプローチといえるであろう。

2.鉱工業・農業・社会開発に代表される工学「(CivilEngineering」としての科学・技術的なアプローチ

しかし、‘開発’の理論的な枠組みはどこにあれ、実際に開発自体を推進してきたのは、全地球上で普遍と思われた科学・技術自体ではなかろうか。特に、文系の学部から見落とされがちであるが、経済発展の基盤となる社会基盤の整備から、もっと小さく公衆衛生の改善プロジェクトまで、純粋に科学的・工学的・技術的なアプローチであると言い切ってしまうのは乱暴すぎるだろうか。いくらソフト型開発といっても、その前提条件としているのは、科学・技術的な知識そのものだと思う。

ところで上記の2つアプローチをみて、単純に気がつくのは、いずれも近代科学の成果を利用もしくは応用して‘開発’をはかろうとしている点であろう。こう考えてくると、‘開発’というもの自体の位置付けというか、定義づけがあらためて必要となってくる。このこと自体が、この小論の目的でもあり、単純に結論づけられるものではないので、まず考える視座というものから確認していきたい。(第3講を参照)また、文脈により括弧つきで‘開発’という言葉を使うことを許していただきたい。(ここでは暫定的に、和語の‘開発’について議論しているが、先進国の中での、例えば’development’という言葉を使おうとすれば、それ自体に対する別の考察が必要である。)

 とりあえず、今確認したいことは、‘開発’をめぐる論議の全てとはいわないが、主だったものは、やはり暗黙の前提として‘近代的な’世界における‘開発’の実践なりが前提として討議されているのではないか、ということである。

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補足1:結果としての‘開発’行為をどう考えるか?

実は、非常に見落とされがちなのだが、実際に世界に‘開発’を輸出し実施、推進しているのは、多国籍企業等、民間による直接・間接的な投資による世界の単一市場化であろう。本稿では、「開発援助の現場」での‘開発’を前提に論を書き進めているが、現実の民間の動きのほうがはるかに速く、ある意味で政策や学問レベルとは全く違った座標軸で世界を変えている気もする。ただし、本稿での議論の対象とはしない。

補足2:‘脱’開発をめぐる論議とは?

 当然視野にいれなければならないと思うが、いかんせん今の私の力に負えない。今後の講義でいくつかその動きを紹介したいが、個人的には、単なる‘裏返し’の‘開発’議論であってはならないと思う。また、同時に‘開発’自体の位置付けが日本では明確にできていないとも思う。加えて、例えばエジプトの新聞で読んだが、’Development’ の推進や、‘Living Standard’の向上等の言葉は、いわば錦の旗ではないが生きた言葉として途上国では民間に流布している現実もある。したがって、今の時点で‘脱’開発を議論するのは時期尚早な気がするし、‘開発’自体の中味を問い直すほうが先であろう。

(参考文献;第3講を参照。)

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2008年11月27日 (木)

第1講:現場からみた開発

第1講:現場からみた開発

2000715

ところで、人は一体誰のために、また何のために生きようとするのであろうか。世のため人のためと言っては、あまりに話が大きくなってしまいすぎるが、実際の問題として、世界の“開発”のための“援助”をとりまく業界は存在する。

実際に目に付くのは、政府高官の国際政治がらみの巨大なプロジェクトの数々や、特にうまくいっていないものをマスコミは格好の餌食として広報してくれるが、実際には表には積極的にでてこないが、日本として、そして世界として国際機関、2国間協力をとわず、膨大な数のプロジェクトが現在進行中である。

個々の内容は、はっきりいって技術的な専門家の仕事である。実務担当者として、援助機関の職員、調査・計画を行うコンサルタント、実際の工事や調達を行うサプライヤー(商社)、コントラクター(建設)が、先進国サイドとしてあげられよう。そして、受け手(途上国サイド)として、カウンターパート(先方政府機関の担当役人)、実際に便益を受けるべき民衆・住民がいる。

いままで、この極めて密接な実務担当者たちの声は、表にでることなく(国家政策の大規模開発の場合、通例、計画自体が実施に移されるまで、公正な入札等のために原則、非公開である)、出来たもの、見えるもののみ批判が集中している。

日本の実施したプロジェクトに限ってみても、例えば、とある途上国に行って、この社会インフラ(空港、道路、地下鉄、橋、建物etc.)の建設にあたって日本の企業が計画・設計・施工したことをよっぽど関心がなければ知らないし、見てもわからない場合が大多数であろう。さらにダムや取水施設など山の中にあったり、水道施設のように地中に埋設しているものについては、全く見えないか、仮に街中にあっても道路の下のものには、全く気がつかないで通りすぎているのだろう。

これら巨大建造物や社会インフラについて、国内の事業についても、あまりに普通の人たちの関心は低い。瀬戸大橋やレインボーブリッジ、新幹線、高速道路、なにか全てあって当たり前のもの、はるか昔からそれがあったかのように思いこんでいないだろうか。

確かに、与えられているものを十二分に利用し、恩恵にあうのは当然のことであるし、都会生活者は特に、自分のゴミの処分すらできない。ひとたび災害に遭えば、ライフラインなどと言われる電気、水道、ガス、電話、鉄道、道路などの破壊は、住民に確実かつ致命的な被害と長期にわたる“不便”をもたらす。

ところで、この“便利さ”は、いつからのものかと考えれば、実はそんなに昔からのものではない。トイレや台所回り、洗濯機、冷蔵庫など、身の回りの生活設備にしても、実はこれほど普及するのは、つい最近のことである。

時代が進むと、何が変わって、何が変わらないのか。何がよくなって、何が悪くなったのか、特に渦中にいる私たちは、気がつかずに日常を過ごしている。自転車、スクーター、バイク、自動車など移動手段、テレビやラジオやカメラなど、情報機器のありがたさに気がつかないほど、日本はわずかな年月で、“みんな”の耐久消費材としてしまった。

物に囲まれる幸せさ、まさかこの数年で、テレビが各部屋に、個人が携帯電話を、テレビゲーム機やパソコンすら、みんなの玩具や文房具扱いになると誰が想像したであろう。なんでもある世界、そして物がなくてもかまわない世界。物質中心的で、みんな文字が読めて書けて、計算もできる世界と、文字をもたない世界、どちらがいいのか。人間の条件とは一体なんなのであろうか。

現実の世界は厳しい、特に途上国にいくと本当に何もないようなところで人が住んでいる。ブルキナ・ファソの地方では、全く昔ながらの生活があった。国際機関や各国の援助で、ハンドポンプ付の井戸が掘られたとはいえ、その村の酋長さんの家にはラジオとスプリングが剥き出しの鉄製のベッドと、自転車しかなかった。村の市場でたむろしていた男たちは、みな誇らしげにラジオを身につけていた。学校もあるとはいえ、彼らの何人が“高等”教育を受けているのであろう。いや何人が、読み書き計算ができるのであろう。

エリトリアに行ったときのこと、アスマラという60万人ほどの首都は、イタリアの植民地であったこともあり、モダンな西洋風な洋館のたつ街区があると思えば、町のはずれの岡の回りは、給水車がドラム缶に水を配っていた。町の市場では、親父が座っているものの、外国人である私に英語で話し掛けて、数字を計算して領収書を書いてくれたのは、小学生2、3年生かと思われる息子である少年であった。(当然、現地人相手には親父の方が貫禄がある。)

パワーエリートと民衆との接点はどこにあるのであろうか。政府の高官に付き合うのと同時に市井の人に触れ合うと、逆に亀裂や溝の深さにたじろぐことが多々あった。しかしどこでも英語学習熱があり、特に子どもに対する教育熱心さには、驚かされる。話が、どんどん飛躍してしまうが、私たちは、何を学ぶことによって、豊かになっていってきたのであろう。この日本で生きていくためには、文字は読めないといけないし、計算もできないといけない。道路の渡り方や電気・水道・ガスそのものというより、それら見えないものの危険さおよび、その器具の取り扱いを知らなければならない。文字を知らなければ、本当に生きていけない。

逆に、勉強どころではなく自然条件の厳しさに必死に戦わなければ生きていけない世界の人たちがいる。果たして、よりよい世界とは何なのであろうか。BHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)の充足がまず必要といわれるが、一体、私たちはどこから手をつけていったらいいのだろうか。特に職業として、開発に取り組まざるを得ない人たちは、どこに足場を置いているのであろうか。専門家の世界として、個々人に専門の技術が求められる職場で、私は何を足場に生きていけばいいのであろうか。

(参考文献;0-13も関連します。しかし、とりあえず海外に行って歩いてみることをお薦めします。)

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開講にあたって:いま‘開発’を考えるとは

開講にあたって: いま‘開発’を考えるとは

2000715

世の中、この日本国内に限っても途上国や開発に対する人々の関心は、非常に高まっている。ほんの10年前は、まだ欧米以外の外国に関心をもつものはいても少数であったと思う。当然、かなりマニアックな先人が多くいたことは承知の上であるが、実際、私が12年前に「アラビア語」を大学で専攻しようとした時、高校(それなりに進学校であったが)の同級生からは、随分、奇特な人とみられたと思う。

全く今思えば本当に不思議なくらいイスラームに関する認識が変わった。たった10年前なのに、ムハンマドはマホメットと言われていたし、イスラーム教徒(いまではムスリムという専門用語も定着してきたが、当時には、回教などという古い言葉を使う人もいた)は4名まで妻をもてるとか、「右手にコーランを左手に剣を」などという言葉がまことしやかに学校教育の場で語られていたように思う。

さて、そんな世論や風潮がいかに変わってきたかという、‘超’現代(*)の移り変わりについては、みなさんそれぞれが実感していると思うので詳細ははぶくが、本講でよってたつしばやんの立場について、若干、先に説明したい。

しばやんは、1970年(昭和45年)生まれである。(大阪)万博が行われたとか、よど号ハイジャックがあった年とか、「ドラえもん」が少年マンガ紙に連載開始された年と言ってもいいであろう。

世代論というか、生まれ育ちの環境は、人間形成にかなり大きな影響を占めると思われるので、ことあるごとに、それと踏まえずこのホームページで語られると思うが、逆に今、学生をしている人たちとかに対して、まず強調したいのは、「日本もホンの50数年前までは途上国であった」という歴史的事実である。

当然、戦後25年もたって生まれた私が、当時のよすがを知る由はないが、しばやんが共感できる一つの立場として、上記の言葉を軸に、今の‘開発’問題を考えていきたい。

あくまで、この講義はしばやんの実感から書き起こすが、項の終わりに出来る限りその都度、関連する参考文献をあげて読者の参考としたい。

まず、この「日本」の戦後についての手軽な概論として下記の本の立場というかスタンスを大いに参考にしていることを述べておく。

(参考文献)

0-1 加々美 光行 『アジアと出会うこと』 河合文化教育研究所 河合ブックレット30 1997

0-2 木村治美 『こころと技術革新』 文春文庫 1989(学習研究社 1985

0-3 朝日新聞学芸部 『台所から戦後が見える』 朝日新聞社 1995

*しばやんは、仮定①1955年以降に生まれた日本人は、それ以前の世代の人と人種が違うかと思うほど発想方法というかセンスがかなり違うのではないか、②1992年か93年以降は、‘「超」現代’と言ってよいのではないかと考えている。この件は別項目として「歩きながら考える」で取り上げたい。(ちなみに、当然、お気づきだと思うが、野口悠紀夫氏の『「超」整理法』が中公新書で発表されたのが1993年である。)

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