カテゴリー「‘わたし’の平和学~冬が来る前に!」の記事

2015年11月15日 (日)

【2015年11月14日 フランス・パリの同時多発テロに思う】

初出:フェイスブック書き込み クロスロードオブハッピネス 2015年11月15日 9:25AM
※2015年11月16日 修正 安倍晋三さんの記事が間違っていたことと、文意にそぐわないため、一旦、削除します。

【パリの同時多発テロに思う】

みなさん、おはようございます。

昨日、またまたわれわれの未来を考える上で、非常に悲しい事件がおきました。そうパリにおける無差別テロです。まだ全容も背景もよくわかりません。

イスラム国が犯行声明を出しているとはいえ、つい先日もテロがあり、厳重警戒下であったはずの、5大国フランスの国力をもってしても防げなかったという事実は、その他すべての世界の限りなく100%に近い国々ではテロを防ぐことができないという厳正な事実を示しています。

別に落ち着いた他人事論をするつもりは、まったくありませんが、憤りや怒り以前に、この真実を目の当たりにしたときの、無力感のようなものを感じています。

さて、安保法案も通った、われわれ日本人は、これをみて何を思いどう行動するのか。非常に興味深い問題で、それはまさに自分自身の問題でもあるのですが、今、私が少なくともグループのメンバーの方にメッセージとして伝えられること、伝えたいことは、つまり

テロとの闘いに勝つことはできない。

「テロ(リスト)」という言葉の向こうにいる「人」が誰であるのかをまずは見極めること。

われわれが闘うべき、いやわれわれを敵とみなしている(さざるをえなく)人たちとはどこの誰で、なぜ、われわれを憎むまでになってしまったのか、その根本原因を知らない、少なくとも知ろうとしなない限り、彼らは絶対に私たちの目の前に現れないことでしょう。

いや、実は「テロリスト」というのは、われわれが見えない(みようとしない)だけで、われわれの内部にいるのではないかと思います。

だから今回のフランスであり、どこであれ「われわれ」しかいないと思い込んでいる中で、いともたやすく「テロリスト」がテロを実行できてしまう。

詭弁とか、自分を絶対安全圏においた無責任の放言とおおもいになるかもしれませんが、私としては、このような戦争と平和にまつわるさまざまな社会事象(問題)については、中学1年生(15歳)のときから30年間、継続的にずっと世界を歩きながら考え続けています。

ともあれ、今、われわれができることは、

即時に「テロとの闘い」を辞めること。

そして、「テロ(リスト)」とは何かを改めて冷静に考え直すこと。自分でいくら考えてもわからない(いわゆる先進国のインテリの)人たちは、まず自分がテロとみなした人に頭を下げて教えてもらうしかないでしょうね。

「われわれ(先進国の人)が、あなたがテロを起こさざるを得なくなるまでに追い詰めてしまった理由を教えてください」

今回のフランスの件でも、実行犯で逃げ切れなかった人はすべて「死んで」います。

さらに広くとらえると、たとえばアメリカがこれまでのテロリスト容疑者に対してしたことは、なんだったのでしょうか。結局、秘密の軍事施設に閉じ込めて拷問して(闇で殺してしまった)だけなのではないのでしょうか。テロリストへの尋問(拷問)から、何を、アメリカは学ぶことができたのでしょうか。その学んだこと(拷問で聞き出したこと)は、今までの世界の民衆の、いや太陽の面前にさらされたことは、たったの一度でもあったのでしょうか。

わたしは、今の世界システム自体にノーをいいたい。

自分の気に入らないもの、敵対するものを「テロリスト」とレッテル付けして武力で威嚇し、さらには虫けらのように自分たちの殺人兵器の在庫処分のために、無用の紛争や戦争をひきおこし、この血にまみれた「お金」だけを神とあがめたてる。

極論ですが、そんな馬鹿なことに価値を置き、それを「成功」としている世界的には本当に少数な人たちと、悲しいかな、そんな「成功」を、うらやましく思い、そうなりたい、それを人生の究極の目的としている人も現実にたくさんいるのです。

わたしもいわゆる”世俗的な”「成功」に関心がないわけでもありません。

でもね。その「成功」が何かを踏みつけにして誰かの犠牲にしか成り立たないものであるのであれば、「成功」の定義そのものを見直そうと考えるのは当たり前のことだと私は思います。

今、われわれがなすべきことは、

そもそも、「テロリスト」って何なの。勝手に頭が‘よさそうな’人が、自分の都合のよいように、適当にでっち上げた「敵」なんじゃないの。

本当の「テロリスト」とされた人って、どんな人などと個人のレベルで知ろうとすることが、今、求められています。

とにかく今、各国の当局者にいいたいのは「テロリスト」であろうというだけで「射殺」しないでもらいたい。「死人に口なし」といいますが、これは先進国による巧妙な「証拠隠滅」です。

イラクの「サダム・フセイン」にせよ、アフガニスタンの「ビン・ラディン」という「悪の枢軸」の大親分、「テロリスト」の元締めを、一言も世界に向けて釈明させることなく「処刑」してしまった先進国のスーパーパワーの人たち。これは、少なくとも彼らが代弁すべき「テロリスト」の発言を未来永劫に封印してしまったという、彼らの支持層だけではなく、世界市民のすべてに対する罪であると、私は断罪します。

自分の都合のよいルールしか作らない、自分の都合で勝手にルールを曲解する。敵とされる人の言論を封じ込め、口を開かせることなく「処刑する」、「世界の警察」は、私は必要としないし正直要りません。

ここで、うちの安倍晋三くんが、「テロとの闘いにもっともっとがんばる。自衛隊を世界の警察としてもっと活躍してもらう」などと言ったら、もう笑うしかないですね。正直、泣き笑いです。

わからないときほど、立ち止まって考える。

今までやってきたことが間違っていたのかもしれないと気がついたら、逆に、反対のことを考える。

つまり、われわれが勝手に「テロリスト」といっている人って誰なの。この定義(ラベリング)が間違っているのではないの?と思うのが、普通の大人の考えることです。

自分の足元を、自分の思い込みや固定観念を疑うことなしに、「テロリストはいけないんだ。もっともっと懲らしめてやる」というのは小学生以下の幼児の発想です。

安倍晋三さん。私は、あなたがそれほどの幼児ではないと思っていますよ。吉田茂の孫が、それほどおろかではありますまいと、私は信じたいです。 (2015年11月16日削除。ちなみに、安倍晋三さんは、岸信介の孫、佐藤榮作の曾孫にあたります。吉田茂の孫は麻生太郎でした。訂正の上、削除します。)

ではでは。

この文章に関するすべての質問や議論は受けて立ちます。
ただし、公開の場での討論を希望します。

影でコソコソやられても、私は、まったく対応いたしませんので、あらかじめご了承ください。

2015年11月15日 AM9:25 フェイスブック書き込み 初出。

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2013年11月 9日 (土)

ビッグデータと秘密保護法案・・・グローバルな盗聴・傍受に反対する!

初出:フェイスブック書き込み 2013年11月9日


<ビッグデータと秘密保護法案・・・グローバルな盗聴・傍受に反対する!>


まずこちらの記事をご覧ください。




これは例えばフェイスブックなどソーシャルネットワークサービス(SNS)やアマゾンなどのネットショップなど、いわゆるインターネット上のサイバー空間だけの話ではありません。


つまりSNSのアカウントが使えなくなるなどの云々の枝葉の問題ではなく、現実世界の問題に直結する根源的な問題をはらんでいます。


すなわち、すでに世界中が盗聴や傍受されているということです。


今、マーケティングの世界で「ビックデーター」という言葉が話題になっています。その心は、本来のターゲット以外のあらゆるデーターを収集することによって世論予測ができるというもので、先日、テレビのニュースでも取り上げられました。


NHKのニュースで、医療研究期間が、ツイッターやウェブでの「インフルエンザ」というマスのデータを収集分析することにより、日本各地のインフルエンザの流行の予想ができるというもので、つぶやきがでてきてから1週間で間違いなくその地域で感染が爆発的に増えているという研究だそうです。


つまりマスのビックデータを分析することで、流行など、ちょっと先の未来に対してマーケティング(という情報操作や世論の誘導)ができるということで、そのビックデータとは、このフェイスブックを含むSNSやメールなどの、マスの普通の人たちの個人情報に他なりません。


ここで怖いのは、すてにビックデータは収集され活用されている事実、では誰がビックデータを集めているかというと、フェイスブックやグーグル、アマゾン、アップルなど大手のプロバイダーやソフト企業、中小のネット販売企業も含まれるでしょう、民間の全てのインターネット企業が、個人の購買記録やつぶやき(商品やサービスに対するコメントなど)を日常的にあつめ、分析し、あまつさえグループ企業で顧客データとして共有しということを、当たり前のごとくやっているわけです。


あと気をつけるべきは、日本人の日本語のつぶやきが世界中で閲覧できるということです。グーグルのウェブ翻訳機能の昨今の充実をみればわかるように、たぶん、私のこの文章も投稿されるや否や、30秒で英語になって地球の裏側でも誰でも彼でも見ることができるのが、現代のインターネット社会であるということです。


私は、基本的にウェブに文字を書くこと自体、自分をさらけ出すことだと思っています。つまり、傍受や盗聴されていることを自覚しつつ、文章を書いているということです。完全に衆目に去られている、場合によっては、私の言葉が曲解されるだけではなく、意図的に部分的に悪用される危険があることも承知した上でサイバー空間を生きています。


そういう意味で、安倍政権の「秘密保護法案」に反対なのです。政権にそのようなスパイ行為をすることに法的にお墨付きを与えることは断じてあってはなりません。


これは、憲法の精神に反することで、私は違憲であると考えます。


第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


第20条 宗教の自由は何人に対してもこれを保障する。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


第23条 学問の自由は。これを保障する。


マスコミのもっともらしい解説記事を読むより、そもそも原則、プリンシパルに戻って、自分の頭で考える。それがいわゆる「民主主義」の精神だと思うのですが、いかがなものでしょうか。


以上は、私の個人の意見ですが、このようなマスコミのまとめもありますので、ご参考まで。


ではでは^^?


秘密保護法案の危うさ あの国家秘密法と同じ!? (東京新聞)(東京新聞「こちら特報部」9月15日)

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2013年11月 3日 (日)

<プリンシパルと覚悟について・・・ 山本太郎さん問題によせて>

初出:フェイスブック書き込み 2013年11月2日


<プリンシパルと覚悟について・・・ 山本太郎さん問題によせて>


最近、山田太郎さんの天皇直訴?問題が話題になっていますが、今回はそのことについて、今時点の私の考えを述べます。

いきなり結論ですが、正直なところ、単なる‘パフォーマンス’か!と思います。

この事件の前も伊豆大島を慰問?してネット中継でつまらないミソ(自衛隊に関してスタッフとのやり取り)をつけているし。まあこの件についてはカメラマン(秘書)がバカかと思いますが、それはさておき、あまりに常識がないということと品がない。大島に関しては、遊び気分で行ったと人に思われるような服装や態度はあかんでしょう。結局、福島の直訴についても、結局、同じ眼でみてしまうわけですよ。

山本太郎さんの言いたいことや気持ちはわからないでもないが、がやり方が間違っているし、その言動について人につっこまれるような脇の甘さはいかんともしがたい。この点だけは、ちゃんと反省して国会議員としての軽率な言動についてまずはきちんと国民に謝罪すべきだと思います。

天皇陛下の政治利用については、そう取られても仕方がない。自民党がどうのこうのではなく、まず、そのようなことはしない。必要だと思えば、国会で議論すればよいこと。ゲリラ戦と割り切り、こうなることを見込んでやったのならそれもまたありの気もしますが、あまりに弁明が子供じみている。

しかも、陛下が福島原発や大震災の現状を知らないと思ってやったというのなら、その太郎さんの前提(思い込み)は決定的に間違っていると思います。皇室は皇室で、たぶん天皇陛下自らが悩んで考えてできるかぎりのことは既にしているし、実際に現場をみているわけですからね。天皇陛下が知らないわけではない、象徴天皇という憲法上の立場から動けないのですから。

きついことを言いますが、「簡単に天皇に頼るな!自分たちでなんとかしろ!それが日本国民だろう!」ということと、「少なくとも遊び感覚でちゃらちゃらしたやつに現場をみたなどと言われたくない」というのが私の本音です。

伊豆大島の件については、まずはきちんと現地の人や自衛隊員に謝罪をしてほしいと思います。

山本太郎さん、政治の世界で生きていくのなら清濁併せ飲んだ上で、組めることころとは組む、闘うべきところは闘うとやり方を考えないと、簡単につぶされちゃいますよ。海千山千の大先生?方がごろごろいるわけですから!

さて、その話は置いておいて、結局テレビやマスコミで、今ではフェイスブックなどのSNSでわいわいがやがややっていますが、そんな勢力闘争の足の引っ張り合いや権力争い、誹謗中傷などをみて誰がおもしろくて何の役にたつのか!ということが気がかりなのです。

最近、私は自分の生き方のプリンシパルとして、「‘楽しい’と‘おもしろい’」を基準としてよいのではないかと感じています。

あくまで感じているというところがミソで、理屈ではなく全くの感情(フィーリング)なんです^^?

大学のヨット部の同期の仲間で、もう25年も前になりますが、「オレは自分の好きなことしかせーへん」と豪語していた人がいました。学生時代には、あまり語ったことがなかったのですが、卒業する頃からいろいろ深く話すようになって、就職してから数年後の会話でしたら、私も当時、入社したてだったので、「いや、社会人だったらそれはまずいやろう」と言ったかどうかは忘れましたが、心の中でそんなことができるもんか!と思っていました。

たぶん、別のところにも書いたかと思いますが、とにかくユニークなやつで、大学時代から、フィアットのパンダというビンテージカーに乗ってみたり、3万円のトラサルディのジーパンとかタグホイヤーのフォーミュラワンという時計をつけてみたり、かと思えば、こだわらないところは全くこだわらない人で、しかしその自分のスタイルのためには深夜バイトもいとわずといったなにかスゴイ人で、卒業後に彼の滋賀の実家にいってびっくりしたのがアンチークの掛け時計のコレクションで、これは奇人だと思ったわけですが・・・。

結局、彼は彼なりのスタイルを貫いたみたいですね。

商社に入って10年後くらいにはイタリアのランボルギーニカウンタックを買ったときいて、またびっくりしたわけですが、(大阪で乗せてもらいました)会社の飲み会には付き合わず、部署も3年おきくらいにいろいろまわされたわけですが、本人も腐ることなく東京と大阪といろいろ異動しつつ、今は中南米のある国の所長さんをやっています。確か2回目か3回目かの海外駐在なのかな、こんな人が大手商社(6大商社の一つです)に、入ったわいいけどやってけるのかと思っていましたが、確かにいろいろありましたが、20年間、第一線で商社マンをやっています。

なにがいいたいかというと、ああ、こういう生き方もありかということなんですよね。新入社員当時の私は、まわりの大人の常識で、「好き勝手に生きれるわけなんてあるもんかい」と思っていたのですが、できてしまう人もいる。ただ、生き方を貫くのは本当に大変なことだと思うのです。

私が開発コンサルタントを退職するときに職場の大先輩から、「勇気」という言葉をいただいきましたが、決断と勇気は、社会で生きていくのに絶対に必要です。

一言でいうと「覚悟」ということでしょうか。

私もなんども挫折して失敗してまわり道をしてきましたが、そのときに、思う方向に進めなかったのは、準備ができていなかったことに加えて、覚悟ができていなかったからだと思います。

逆にいえば、覚悟ができないうちは準備ができていない、だから天は先に進ませないといえるのかもしれません。

まあ、世の中うまくできているなあと思いますね。

今回のことは、山本太郎さんにとっては、政治生命がかかっている大きな試練だと思います。だからこそ、謙虚に間違いは間違いだと認めた上で、建設的な議論を周囲の全ての方々とするようにしてほしい。安直な‘ヒーロー’になりたい感や中途半端な‘正義感’は、すぐに底が割れます。ここでしっかり叩かれて、再度、立ち上がれることができれば本物となりましょう。

私は、今の時点では、彼の自分の軽率な言動についての反省がきちんとなされない限りは相手にしません。(彼のブログの弁明は非常に見苦しいもので、正直、がっかりしました。)どのように今の世界をみるのも自由なので、私が言えるのは、それぞれが自分なりに考えてみようよということだけですね。

10年前の記事を引用して、なにか今回に関してヒントになるかと思ったのですが、結局、私はまだまだ何もわかりません。

ただ、変わったところは「‘楽しい’と‘おもしろい’」という自分の感覚に素直になろうという気持ちになったという事だけですね。たぶん^^?

蛇足になりますが、‘楽’しようとか'つまらないことは知らない’というつもりではないので^^?一見、つまらなそうなことでも、自分が楽しいと思えばおもしろいものに変わりますし、逆に、私がどのように思おうが思わまいが、それはそれとしてたぶんすっとあり続けるわけです、

つまり無視するつもりはありませんが、積極的に応援はしないということです。自分が楽しいとかおもしろいと思うところを突き詰めてなぜおもしろいのか楽しいかを言語化していくということでしょうか。そこから逆に何が楽しくなくおもしろくないかがみえてくるとも思うのです。まずは自分の心の奥の声に耳をかたむけてみる。理屈や論理とは別のところで、直感が何を求めているのか、なにに心地よさを感じているのかを突き詰めてみる。人の意見や話は一旦、外に置いておいて、そんな時間や余裕が必要なのではないのでしょうか。


ではでは^^?

おまけ:

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2013年8月11日 (日)

68年目の長崎の日に思うこと

初出:フェイスブック クロスロード・オブ・ハッピネス(しあわせがゆきかうところ)書き込み 2013年8月9日


<長崎の日に思うこと>

今日は、長崎に原爆が投下されて68年目となる。廣島は、高校を卒業した3月に(1988年)に大阪外国語大学を受験してからそのまま中国地方の一人旅で寄って、長崎は、大学3年生の夏休みに九州は福岡の同級生(同じ学生寮(下宿)の隣室の友仲間、彼はロシア語)が里帰りするのに便乗して九州一周の旅に出た際に立ち寄った。

もう22年も昔のこととなる。

その記憶が新しいときに書いた「大阪便り 1991年8月29日」の記事の一つがこちら!

「(前略)


    長崎でのすれ違い・・・学友の死

 のっけから、センセーショナルな話題となって申し訳ないのだが、8月23日(金)早朝に、長崎の病院でガンで亡くなられた、アラビア語科4年の歳田直美さんに謹んで冥福の辞を述べる。タイトルに対して若干の説明を加えなければならないが、つまり、こういうことである。8月9日から親友の久富君と九州へと旅立った小生は、実は13日と14日に長崎を訪れていたのだが、この8月にチュニジア留学への出発が決まっていた彼女が、8月の初めから長崎の病院に入院していたとはつゆ知らず、もう出発したか、または準備が忙しかろうと全然声をかけずに素通りしてしまったという訳なのである。

 大阪と長崎のどちらにいるのか知らなかったなどと、幾ら言い訳を考えてみても仕方がなく、7月12日の夏休み前の最後のゼミでみんなと一緒にチュニジア料理を食べ(チュニジア留学から帰国したての先輩がいたため)、別れ際に「これでもう会えないね」(当然!留学のため)などと言葉を交わして別れた矢先の事であった。
  合掌   

(後略)」

長崎は出島、浦上天主堂原爆の像など、ひととおり?は被災地を歩いたつもりだが、今日、ふと思い出したのはわずか21歳で亡くなった友達のこと。彼女が、生まれてから召されるまでの年月がすでに経ってしまったこと。この私のその後の22年間は、なんであったのだろうか。それほど近しい友達でもなかったけど、卒業式の懇親会のときに彼女がいなかったことを口々に語った彼女の女友達のことをも想い出す。

以前にも「屍を乗り越えて」というテーマの文章を書いた覚えがあるが、やっぱり夢や希望をたくさん抱えた何の罪も無い、たまたまそこに居合わせただけの普通の人を無差別に殺戮するのはダメでしょう。

ただですら、人はそれぞれの一生を全うするに必死になっているのに、何の権利があって人のしあわせに(国家が)干渉して介入してくるのか。

本当に、安倍首相とひざを突き合わせて話がしてみたい。(←妄想DJやっぱり松田聖子のめがねオヤジさんのキメ?言葉。相手は聖子ちゃんだけど)

道は(まだまだ遥かに)遠くて日が暮れて、ということにならないように、一歩ずつ歩いて行くしかないのかなあ!

そういえば、以前紹介したユニカセの中村八千代さんが、お話で、「三歩進んで2.9歩下がって」とか話していたことを思い出しました。いわく「一歩でも進めれればいいじゃん(0.1歩という現実に較べて)」って、う~ん、言葉に重みがあるなあ!

21歳で逝った彼女にも、なんらかの天命があった。残された人たち(わたしたち)にとっての天命はなんなのでしょうかねえ。

行くも地獄残るも地獄、生きるも地獄死ぬのも地獄、よく言われますが、やはり死ぬことを考えてもいいけど、生きているうちに(自分に)できることをやって、心軽やかに逝きたいものです。

改めて合掌。

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2013年8月 7日 (水)

68年目の廣島原爆投下の日に思うこと

初出:フェイスブック クロスロード・オブ・ハッピネス 2013年8月6日の書き込み


<68年目の廣島原爆投下の日に思うこと>  2013年8月6日


しばやん@ホームです。先週末の東京往復と、そのまま仕事でもう火曜日ですね。そう、今日は廣島の原爆投下68周年だそうです。NHKのBSニュースで。「はだしのゲン」という漫画の特集をやっていました。日本に留学中のイラン人の女子学生がペルシャ語版を2年がかりで翻訳して、イランの当局を説得して先月に、イランでペルシャ語版が発売になったことと、アメリカでも注目を集めているというイランとアメリカでの現地取材の報告がありました。ちなみに、すでに20ヶ国語に翻訳されているそうです。


あれから68年、43歳の私が知る由もありませんが、68年!たっても日本は原子力の悪魔の力の前に身をすくめて息をしています。当時、訳もわからず原子の業火に焼き殺された人は、そんな同胞をみて悔しさに涙も枯らした゜日本人’は、一体、どこにいってしまったのでしょうか。そして、亡くなった人たちは68年後の現代をみて何を感じるのでしょうか。


あまりにひどいことだと思います。あの時、焼き野原で、日本の復興を誓った人たちはどこへ行ったのでしょうか。


平和憲法の戦争放棄を期待と驚きで見守った日本人はどこにいったのでしょうか。


私は、昭和22年8月2日に発行された文部省の中学校一年用の社会科の教科書「あたらしい憲法のはなし」が大好きです。


私は、現代社会を、「未完の民主主義」の時代だと認識しています。もっと言えば民主主義自体を疑ってもいるし、単純に手放しでよいものといえるだけの知識も確信もありません。

いや、本能的に、出来ない(たどり着けない)ものだと感じています。ただ、今の時点でとりあえずの方向性を示しているとはいえ、もっとよいもの(具体的な案があるわけではなりません)がでてきたら、過去のものとなってしまうものであると思っています。でも今までの主義からすれば、まあよかったかなという評価は与えれれるでしょうが。


戦中派のいわゆる岩波知識人たちは、民主主義と平和の姿を描ききれなかった、ビジョンとして示しきれなかったのではないかと思っています。


世の中、有識者などといわれるエリートだけの世界ではないので、彼らをせめるのもお門違いで、要は、日本人それぞれが、それぞれの立場で、どれだけあの太平洋戦争を教訓として乗り越えようとしたかというだと思います。


子供も大人もお年よりももう一度、原爆時代の刹那さをかみ締めたらよいと思います。われわれの‘ちっぽけな’しあわせは、誰かさんの指先のボタン一つで簡単に吹き飛んで焼き尽くされてしまうのですから。


‘貧困’と(いわれるもの)と闘うことより、原爆や原発をなくす戦いのほうがよっぽどみのりもあるでしょうし、なにより明日への希望があります。


今の地球の限られた資源を考えると、貧困の大多数の人たちがいるからこそ、ほんの一部の人たちが豊かな生活を送れるのであり、もしみんなが豊かになってしまったら簡単に地球は定員オーバーで、それこそそれぞれのグループが生き残るための戦場、自分のグループ以外のものを必死で減らそうとする殺戮ばかりの地獄となるでしょう。


もう遅すぎるかもしれない、でもなんとかまともな世界に軌道を修正したい。そんなことを考えています。


参考:ちょっと古い記事ではありますが^^?




この項 了

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2013年7月30日 (火)

今、考えるべきこと - 参議院選を自民党の圧勝で終えて!

初出: facebook グループ クロス・ロード・オブ・ハッピネス 投稿 2013年7月30日





しばやん@ホームです。ここのところ他人の記事のシェアが多かったですが、久しぶりに文章を書きます。先ほど、麻生さんの記事をシェアさせていただきましたが(渡辺さんありがとう)どうも政治家‘大’先生のおごりとしか思えません。


■ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演 2013年7月30日07時32分  読売新聞


一体、政治家って何様!という気がしてなりません。特に2世3世(それ以上もいるはず)議員は、本当に始末に終えないという気がします。


ただ、この場では悪口をいうところではないので、個人名を挙げることはしませんが、このような‘大’先生たちのバカなというか人をなめくさった言動を見聞きするたびにこんなことを考えています。


いや、思い出すといったほうがいいでしょう。


まずは、こちらをご覧ください。






その2で、鶴見良行さんの『東南アジアを知る-私の方法ー』岩波新書 1995年11月20日 について、今、読んでいると書いていますが、その本の中にこのような一節があります。
<

II マラッカ海峡にて (p53~80)


ここで、「マレー半島のクラ地峡(南部タイ)に原子力を利用して運河を掘るという計画があって」1973年に東京で最初の国際会議を開くという7月の日本経済新聞の小さな記事に鶴見さんは、敏感に反応します。つまり「原子力で土木工事をするということは、水爆の地下実験の延長、はっきり言えば水爆を使って運河を掘るということです。」それで、その年の秋に、彼は当時の勤め先の国際文化会館の「東南アジアの文化交流の催しがたまたまマレーシアであったから」それに便乗して?クラというところに行き、会議のあと、そこをずっと歩きます。結局、その計画は、一旦は棚上げされますが、彼はそこでこう考えます。


「運河計画から気づいたこと」 (p70)


(前略)
(1)クラ地域の住民は、水爆についても、運河についても、知識が皆無でした。計画は、住民の知らないうちに始まり、知らないうちの消えたのです。


(2) (略)


(3) (前略)クラ運河計画に参加した日本人学者は多い。だが、大学は、知的批判者を生産するシステムになっていない。(後略)


(4) それではどうするか。三つの”場”を有機的に結びつける発想が必要だと思います。三つの“場”とは、(a)知識の場、(b)運動の場、(c)第三世界の場。


(中略)


しかし、知は知だけでは力になることはありません。知は運動と結びついて初めて力となります。日本の今日の運動の多くは、議会制民主主義やイデオロギー運動を別にすると-それを別にするのは、そこから新しい第三世界についての認識が生まれてきそうにないからですー被害者の運動です。市民運動は、こうした性格を持っています。痛みがあるから運動には馬力があるが、力だけでは暴力になりかねない。無知は恐ろしいのです。


(後略)


V 海の側からみる (p144~164)
2 猟師とタモと落ちた魚


『ナマコの眼(まなこ)』という著書に関連して、「知と力」について触れています。


『現実の問題を解決するために、学問があらかじめ蓄えておいた知識を力(政治・運動)に提供するといった恵まれたケースよりも、」「公害反対運動と公害学のように」「すでに起こってしまっている困難や矛盾を解決するために、学問が現実の後追いをする場合のほうが多いような気が」すると述べ、引き続き、ODAについても言及しています。


「たとえば、今日、日本政府のODAについて第三世界からの批判があり、」それについての研究として、「ODA政策改善のためには、環境アセスメントが必要だと指摘しています。その環境とは、自然環境だけではなく、社会的・文化的環境をもふくみ、たぶん後者のほうがより重要で」あることを指摘しています。


例えば、「インド」などでダムを建設するプロジェクトがあるとすれば、「事前に環境アセスメントをおこなうには、自然科学・社会科学でしっかりした訓練を受け、しかも現地語をマスターした五、六人のチームによる一年間の調査が必要」であると説きます。このくだりは開発援助業界にいたものとして、かなり耳が痛いところではありますが!


「知無き力は暴走になりますし、力と連動しない地籍生産は象牙の塔にこもります。


(中略)


しかし、ナマコについて本を書いてみようと考え出した七〇年代末ごろから、つぎのようなことをおぼろげながら考えていました。


工業団地開発や水爆利用をする工業先進国の力は、いずれはナマコ文化圏にも押し寄せてくるにちがいない。私の知の力は、九牛の一毛、それを押しとどめるにはいたらないだろうけれど、先をこしてそこで待ちかまえてやろう。そんなことを漠然と考え、海辺を歩いていたのです。」(p160~161)


ながながと引用してしまいましたが、この本を最初に読んだときからずっとこの言葉が頭の片隅にありました。


私が大学生のときに、湾岸戦争が起こり、トマホークが落とる爆弾のその下で何人もが死んでいく中で(それをテレビで見ている)、イスラーム研究者(学界)は、人が目の前の死んでいくことに対して、なにを悠長に歴史や文化などを‘研究’しているのだと憤ったこともありました。




「(前略)この地球環境論が始まった当時、やはりどうしても、現代の問題にばかり眼がいって仕方がなかった。なぜなら、いまの中東地域は現代的な問題の巣窟みたいなところであったからである。戦争もあれば、都市問題、民族問題、宗教の問題、環境問題、出稼ぎの問題難民の問題。まさになんでもありだ。


 そんなとき、夏休みに東京で「イスラ-ムの都市性」についてのサマースクールが開かれた。5日にわたった大がかりもので、朝から晩まで90分の講義が15本も続いた。一日おきの懇親会という名のコンパに付き合って、いろいろな先生方や若い学生達と個人的に話し合う機会を持ったことは大きな収穫であったと思う。しかし、わたしは、その時、この文部省の特別研究費によるこの学際的な大プロジェクトの真意(かならずしも、1つとは限らないと思うが)が、全然わからなかった。自分自身の問題として捉えられなかったのである。現代のことしか見ていなかったわたしは、なにを悠長に、都市のプランとか、伝統にこだわっているのかと思った。その伝統こそが1つの鍵であったのだが、そのときは知る由もない。


 そんなわけで、夏休みが終わってからも悶々としていたのだが、10月頃、今度は大阪で、このプロジェクトに関する講演会があった。ここで、クウェート問題を、イスラームの都市性に絡めて東大の板垣雄三先生が説明された。そこで、わたしは、自分なりにではあるが、イスラームの都市性研究の意味がやっと解ったのである。(後略)」


まあ、22年も昔の若かりしときの言葉なので、ご笑覧いただければいいのだが、今、現代をみて思うことは、今、騒ぐことも大切であるが、もっと肝心なのは5年後、10年後の日本を救えるか?というと大げさだが、5年後、10年後に、はっきりと今の政治家に対してノーといえ、かつ別の道を示すために、「先をこしてそこで待ちかまえてやろう」という静かな?闘志がふつふつと沸いてくるのを感ぜざるを得ないのである。


たぶん、2000年から始めた「歩く仲間」プロジェクトも、そのための布石というかそのための下準備であったと、たぶん振り返ると思えるときがくるのではないかと13年間、やってきてそう思う。


まだまだ、逆風は強いと思いますが、倦まず弛まず(by地球物理学者 竹内均先生)やっていくしかないなあと思う今日この頃である。


※「倦まず弛まず」は、竹内均先生が、確か中学校のときに文化講演会で語った言葉で、このフレーズだけおぼろげに覚えています。


(この項 了)

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2011年9月10日 (土)

今、改めて日本の平和を考える・・・ セプテンバー11から10年に思うこと

初出: mixi日記 2011年9月10日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1773105468&owner_id=11744733

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから、明日で、はや10年を迎える。10年一昔とも言うが、正直、もう10年経ってしまったこと自体が信じられない気もする。

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セプテンバー・イレブンやグランド・ゼロについては、今までも折に触れて書いてきたことなので、あえて繰り返さずに、‘今’思うことを書き連ねてみる。

先日、8月28日に隣町(市)の「第24回豊田市平和を願う戦争展」で、沢田昭二先生の「原爆も原発も作らないで」という講演を聞きにいったのだが、その時、たまたま同じ建物の中にある豊田市国際交流教会のイベントで、TIAナショナルデーのスイス・デーとして、豊田市出身で外務省の専門調査員でスイスのジュネーブに勤務していた田中極子さんの「スイス~永世中立国の表と裏」という話を聞いてきた。

のどかな牧用地、ハイジの世界、セントバーナード犬、高級腕時計やアーミーナイフなど優れた品質と技術をもつ職人さんの国、モンブランのスキー場やレマン湖のほとりの高級リゾート地、国際赤十字発祥の地、そして近世史では国際連盟本部(国連欧州本部)をはじめとする国際機関の本部の街などスイスって、日本人の‘憧れ’のヨーロッパの中でも特異な地位を占めていると思うが、それは、いわずと知れた‘永世中立国’という‘素晴らしい’看板であろう。

田中さんは、その表に触れつつも、メディアもほとんど伝えない裏のスイスについて具体的に説明をしてくれました。まず、なぜフランス、イタリア、オーストリア、ルクセンブルグという大国にはさまれながらも独立を保ってきたのか、たとえば、銀行業界、世界に名だたる預金者の個人情報を絶対に明かさないとされるスイス銀行、ナチスへの戦争協力、結局、小国ならであのしたたかさと大嵐に巻き込まれざるをえない地政学的な国際環境、何よりも永世中世国とはいえ、海軍ももち(海もないのに)、全体で300日程度ではありますが、他国のように一度におこなわれず、20代から40代にわたって短期間で長期間おこなわれる徴兵制など、その素晴らしい‘看板’の裏の知られざる一面を教えていただきました。

スイスの傭兵部隊、武装中立、小火器(ライフルや鉄砲)を国ではなく個人が管理する民間防衛など、自分の国は自分で守るという思想や考え方、もういい悪いではなく、そうせざるには生き延びてこれなかった‘小国’の‘悲哀’と‘プライド(誇り)’と、もうなんといってよいかわかりませんがわれわれ日本の漠然とした‘平和’主義と、全くベクトルの中身も違う‘勝ち取る・生き残る‘平和’の一例について、認識を新たにすると同時に、いやままよ、それが‘世界’の‘平和’常識だとしても、日本の‘平和’は甘たるくっていかんという‘変な’有識者的?反省をすればよいのかといえば、やはり私はノーといいたい。

そうそう、重要なことを言い忘れるところでした。田中さんの報告によれば、スイスとイスラエルは、100%だそうです。何がか?核シェルターの全人口に対する配備率だそうです。ちなみに、ベスト5は、3位 ノルウェー 88%、4位 アメリカ 82%、5位 ロシア 79%、6位 イギリス 67%、 そして我が祖国の日本は、0.02%。

いかに日本の‘平和’が特異なものであるか、アメリカの‘核の傘の下’にあることの重要性に気づかざるを得ないでしょう。‘タダ’でもらった「0.02%」では決してありません。それ相応の‘国際貢献’をしているからこその、日本の‘平和’であることを、決して忘れてはなりません。感情や気分で発言することは簡単ですが、現実をふまえないとただの‘空論’で終わってしまいます。

ところで、イヴァン・イリイチは『シャドウ・ワーク』という論文集(岩波全書)の中で‘平和’について言及しているが、今手元にないのでうろ覚えであるが、「平和は、言葉によって意味が違う」ということを言っている。すなわち一口に‘平和’といっても、その地域と人によってその意味するものが違う、そもそも語源からして違うではないか、というような前フリから論を起こしている。

彼の‘平和’論はさておき、ここで気をつけなければならないことは、同じとされる言葉、たとえば日本人の‘平和’と欧米人が使う‘peace’という言葉は生まれも育ちも内容も、‘全く’違うものである‘かも’しれないということ。

言葉と意味、その歴史的な背景をおさえることの重要性は、強調しすぎることはない。

つまり、日本人の持つ「平和」の意味を、他国の人たちに懇切丁寧に噛み砕いて説明すること、‘言葉’(だけ)ではなく、その含意する‘もの’や‘こと’を共有(シェア)すること。

ようは‘我々’も‘彼ら’も‘自分’が何を考えているのか、感じているのかを‘自分’だけではわかりえない。他者と対面・対話することにより‘我彼’の違いや共通点を知り、ひいては‘自分’自身を知ることになるということ。

そういう意味で、これからの時代は‘個人’の思いや感情をシェアすることが、ますます重要になってくるのであろうと思う。

何々‘主義’というイズム(~ism)の時代は20世紀をもって完全に‘終わった’と私は思う。これは、私だけがいっているのではなく、何人もがいろいろな場所で発言していることであるが、この10年を振り返っても容易に‘わかること’で、今のわかもの(自分も含め)は、正直、資本主義も社会主義も何も信じてはいない。過去の遺骸がまだ力を持っていることは認めつつも、すでに形骸化して惰性で走っているということもわかっている。

実は、内部で新陳代謝がおこなわれていることを認めないわけではないが、古い皮袋に新しい酒を入れたところで、所詮、その‘皮袋’自体が変わるわけではない。

そんな‘皮袋’は捨てたら、別にビニル袋だって、いや‘袋’に囲い込んで貯めるではなくて、つまりストックを全部フローに変えてもいいのでないのか。

まずは、ラベルやレッテルという‘袋’概念自体を疑いなさい、袋がどうであれ、‘中身’をどう使うのか(活用?)するのかを考えるほうが、よっぽど今の時代に必要なことであると言える。

まあ、(一見)‘活用’できないような‘無駄’を排除するものではなく、逆にその無駄が必要だと私は思いますが^^?

ともあれ、この10年、私達は、それなりに‘進歩’というか‘思索’を深めることができたと思う。

2007年頃、私は‘冬が来る前に’ということで、かなり世界の行方に不安を感じていたが、10年目のセプテンバー11を迎えるにあたって、いやまだまだできる。阪神大震災ではないが、この2011年3月11日の東日本大震災が日本のみならず、世界の人々の‘気づき’のきっかけの一つとして、今後の世界に大きな影響をもたらすと信じている。

「夜明けの前の夜が一番暗い」とは『詞集たいまつ』のむのたけじ氏の言葉であったと思うが、何かが変わっていく、そんな胎動のディケイド(10年)であったと私は考えたい。

2011年9月10日 愛知の実家にて 柴田 英知

参考:

私の今までの‘平和’についての思索については、こちらの記事をご参照ください。

■ ‘わたし’の平和学~冬が来る前に! @ブログ版 歩く仲間

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

ではでは^^?

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2011年9月 1日 (木)

第24回 豊田市平和を願う戦争展に行ってきました^^? <わたしの平和学>

初出: 日記@ミクシイ 2011年9月1日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1770022576&owner_id=11744733

先日、8月最後の日曜日の28日に、隣町の豊田市の豊田産業文化センターで開かれた標記のイベントに参加してきました。

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お目当ては、沢田昭二さんの「原爆も原発ももう作らないで」という講演会。10時30分からの開始でしたが、初めての慣れないところで駐車場を探してうろうろしてしまい、20分くらい遅刻。一番、肝心なご自身の被爆体験のところは聞き逃してしまったのですが、広島・長崎への原爆投下の歴史的意味を語られた第2章から、3章.原爆による被害、4章.日本の原水爆禁止運動の歴史、5.福岡第一原子力発電所の事故、6.放射能被爆の人体影響など、原子物理学者となってずっと続けてきた研究での知見を惜しげもなく、非常にわかりやすい資料でパワーポイントで説明していただきました。

昭和6年生まれといいますから、もう80歳にもなるのに、全くお年を感じさせない明晰な説明に感心しきり。

どうも素人というか文系人間は、感情的にこれらの問題を考えてしまうのですが、放射能にはアルファ線とガンマ線とあってなど、それらが具体的にどのように生命体(当然、人間を含む)に影響するのか、理詰めに説明されると、いかにあやふやな知識とその言説が世の中にまかり通っているのか、改めて考え直さずにはいられませんでした。

実は、私は、全くの不勉強というか無知だったのですが、沢田先生は、実はWikipediaにも載っているような著名な理論物理学者であり、かつ原水爆禁止日本協議会代表理事という活動家でもあったのでした。

ああ、無知って恐ろしい!平気で歩く仲間の名刺をお渡ししてきました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E6%98%AD%E4%BA%8C

このあと、豊田の産業文化センターで、併設のプラネタリウムでヤッターマンの説明動画をみたり、同じ建物の中にある豊田市国際交流協会のTIAナショナルデーなるセミナーで、スイス・デーとういことで、豊田市出身の外務省専門調査員の田中極子さんの、「スイス~永世中立国の表と裏」ということで、主に裏事情を教えていただいたり、しっかり一日楽しんで帰りました。

ところで、澤田先生の講演会が終わった後に、海軍兵学校の生徒だったというシニアの方が、沢田先生に話しかけていました。この人は、8月21日に江田島からボートで上陸して広島経由で地元の愛知に戻ってきたという話をされていましたが、普段、知らなければ知らないでなにげに通り過ぎている人たちの、それぞれの戦争と戦後、それぞれの生き越し道を考えるとなにか頭がくらくらしてきました。

そうだ、今の80から90歳の人たちは、戦前派であり戦中派であり、実際に戦争を闘ってきたというか耐えてきたんだと思うと、いくら戦後66年といったところで、全然、昔のことではない。

この岡崎や豊田市も、‘軍需'工場の豊田があったり海軍の飛行場があったり、さらに豊川には海軍工廠があったり、もうべたべたの戦時体制下に組み込まれた中枢地域だったのでした。

これから日本が戦争をするとしたら、日本の主要都市部は間違いなく重要な戦略拠点となるのでしょう。特に、太平洋ベルトの諸都市には、大きな工場があり産業が集積しているからで、もう空から爆弾が落ちてこれば、絶対に逃げられっこありません。

以前、アフガニスタン戦争でトヨタのピックアップをタリバン(テロリスト?)が使っているといって、世界中からバッシングがありましたが、そもそも科学に正義も悪もない。

民需品が、即、兵器に変わるのが現代の科学技術(テクノロジー)なのです。アメリカの軍需産業(宇宙開発を含む)は、かなりの技術を日本の民間企業の技術に負っています。町工場が、人工衛星を作るというのが、少し以前に話題になりましたが、日本の中小企業の匠の技が、巨大な(軍事)技術を支えている。

これは事実です。

もう、戦争反対とか平和がどうたらこうたらと話している場合ではないでしょう。

即、この一触触発の極めて不安定な世界情勢の中で日本(人)が綱渡りをしているとしたら、もうすぐにでも手を打たないとダメでしょう。

どこに着地点を持っていくのか。どう‘綱’から降りて‘地’に足を着けるのかそこを真剣に考えないといけません。

ともあれ、夢見る‘現物’主義者の私としては、これからはもっと政治などにもコミットしていかざるを得ない。

別に、青臭い‘正義感’ではなくて、‘自分’が生き残るためには、他人、特にどこ(誰)を見ているのかわからないような‘政治家’には、危なくて怖くて我々の命を任せて置けないというのが本音です。

くだらない見栄やプライドではなく、本当によい‘仕事’をしてくれる人がいい加減でてこなければ、冗談というか嘘でしょう^?

本当に、小学生や中学生に笑われるというか、真剣にバカにされてしまいます。いい年こいた‘大人’が何をやっているのだと。

まあ、テレビ番組にでてくるような‘生意気な’こしゃまっくれた子役はともかく‘普通’の子供にすら愛想をつかされている、これではさすがにまずいでしょう。

今こそ、‘大人’力を子供に見せ付けてやるときなのではないかと思います。

ともあれ、時間がかかりますが、一歩一歩着実に、今よりほんの‘少し’でも住みよい世界にしていきたいものですね。

ではでは^^?

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2011年8月 7日 (日)

せめて60億分の一の責任をとろう!<広島原爆投下66年目の日に思うこと>

と、先ほど終わったNHKの原爆の特番を見て思いました。

今日は、66年目の広島原爆投下の日です。NHKでは、こんな内容の特集番組をやっていました。私も最後の半分ぐらいをみただけですが、こんな事実が65年ぶりに判明したそうです。

軍部は、広島に原爆を投下に来たB-29について、米軍が特殊な暗号通信を送っていたこと、8月6日の原爆投下前にも、特殊な記号が使われたことがわかったこと、広島の被害からその特殊爆弾が、原爆だとほぼ軍部は掌握していたこと、しかるに国会答弁なのでは原爆であることを一切隠して認めなかったこと。

軍部は、3日後に原爆をつんだ米軍機が長崎に向かっていることを約5時間前に知っていながら、つまり広島のときと全く同じ特殊な記号の暗号通信を5時間前に解読して上層部に伝えていたのにも関わらず、長崎に避難命令も、さらには長崎からわずか10kmの海軍飛行基地に対して迫りくるB-29の迫撃命令を出さなかったこと。

その後、ポツダム宣言の受諾の方針が決まったらすぐに諜報本部の書類を全て焼き捨てることを命じたこと。

実際の当事者の何人かがインタヴューに応じていましたが、結局、自分達の陸軍の幹部がいたこと証言する人。暗号を解読したり、戦闘機乗りで当時、飛行場でスタンバイしていたパイロットの人など、本当に末端でまじめに職務というか任務を全うして働いていたスタッフにとってみれば、上層部の判断と(無)行動はあまりにやるせない。 自分達の努力が一部の人たちの手の中で握りつぶられてしまったという現実を65年後に、知らされた彼らの顔には、その無念さがありありと見て取れました。

自分の保身だけを考える‘お偉い方々’。

よく天皇や軍部、政治家など戦争当時のトップの責任を問う声が大きいのですが、確かにその責任は、普通の庶民に較べてはるかに大きいのは事実なのであるのですが、それを言うだけで事が済むのかという問題が残ります。

私としては、まず、‘彼ら’に期待することをやめることを提案したいと思います。所詮、‘彼ら’も‘我々’も‘弱い’ひとりの‘人間’でしかないのですから。

日本人、当時、7~8,000万人か?の命運が、わずか数十名?のトップの‘手’にあったというのも、おかしなことだと思いませんか?冷静に考えて。

今の国会の場合、1億1千万人の命運が、わずか600名以下の政治家の手の中にある? 馬鹿をいってはいけない。 ということは、やはり実際に戦争を生きた彼らにも、今を生きている我々にも、それぞれの個人個人の責任はあってしかるべきだと思いませんか。

ともあれ、この太平洋戦争が明らかにしたことは、軍隊に任せておいたら日本はつぶされる、つまりあまりにくだらないプライドや自身の保身(戦争責任者として裁かれる)のために、普通の人が平気で切り捨てられ、さらには‘人柱’にされる。

これが、軍隊と兵士の‘論理’であるということ。当然、そうでない、筋を通して自分の‘責任’に見合った言動をした指導者や知識人たちがいることを否定するつもりはありませんが、残念ながら、自分の保身に走ってしまったそうでない人たちの方が結局は多かったのじゃないかと思うし、仮に下のものが正しいことをしようとしても上のものに握りつぶされたり、非国民とか言われて実際に殺されてしまったんじゃないかとも思います。ともかく結果として軍部の証拠隠滅が図られたことは‘事実’であるということ。これは否定できません。

私は、これからの世の中、限られた人に‘自分’の命を預けるという、この20世紀の馬鹿げた言動を、絶対に繰り返したくないと思います。特に武力を持った軍人は絶対に信用したくありません。

最近、ダグラススミス氏の「非常識な」憲法? 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社ライブラリー(2004)を読んでいるのですが、それによると、国が合法的に‘人殺し’を認めた20世紀が人類の歴史のなかで一番、戦闘行為でなくなった人が多いそうです。そして軍隊や警察は、自国民を守るのではなく、自国民を弾圧して殺傷するケースのほうが他国の人たち(軍人、民間人)を殺害するよりも多いそうです。彼が引用しているランメルという研究者の数字では、国家が殺人した約2億人のうち、約1億3千万人が自国民を殺している。国家による「正当」な戦死は3千4百万人に対して、民間人で殺されたのは1億7千万人。軍人より民間人の被害が5倍。

こんな馬鹿な話しが現実に、この20世紀には起こされてきたということです。結局、割を食うのは普通の‘民間人’じゃないですか。ただ私の推測では、その‘民間人’の中の一定数は、兵士の教育を受けた人で‘軍人’の資格はあったとしても、ようはオン・デューティではなかったので‘民間人’としてカウントされたんだろうと思います。

ともあれ、これほど原爆やら細菌兵器やらロボット兵器やらさまざまな兵器がある21世紀では、完全武装で殺人の訓練を受けた職業軍人が死ぬことは‘ほとんど’なく、普通の‘市民’がいとも簡単に殺されていくのでしょう。

アメリカは‘掃討作戦’なんて言っていますが、ゲリラやテロリストを標的にしているといいつつも、現実にはそのまわりの普通の人も巻き込んだジェノサイド(全殺戮)以外のないものでもないのです。

さて、国も政府も、(自分達を守るべき)軍隊も警察も信ずるに足りないとしたら、もうやることはわかりますよね。

自分の身は自分で守るということです。軍隊も警察も結局は上位が絶対という‘縦’の組織であるとしたら、上が一旦、間違えば、彼ら(軍人、警察)に間違った命令を覆す権限も拒否権すらもありません。

いかに軍隊や警察力に頼った組織が内部的には弱いものであるかとうことです。間違った人がトップになれば、組織の成り立ち上、それにしたがわなくてはならないのですから。

とにかく、(他)人に自分の運命や命を任せることを止めて、せめて自分の分だけは、つまり今の世界の‘60億分の一’の人としての責任は自分で取るようにしましょう。

よく戦争では、お国や女や子供のために戦ったというが、それは欺瞞であり自分を慰めているだけ。それは、相手国の兵士も同じことを思っている、なぜ戦いたくない、人を傷つけたくないという自分の‘本能’に素直になれないのか。

そしてついでに言っておくと、女だろうが子供だろうが‘自分なり’に、自分の‘命’や‘幸せ’を守りなさいということ。少なくとも、そのための努力をそれぞれの立場ですべきだと思うし、実際には出来ていると思う。日本の非核とか戦争反対運動の担い手は、はっきり言って母であり妻である女性です。

そもそも、なぜ、強いものと弱い(守るべき)ものとに分ける必要があるのか。

私が言うまでもなく、男も女も子供も老人も所詮は、弱い‘人間’でしかないでしょう。

まず自分の‘命’を守ることを、この65億の人たちが、本当に一生懸命に考えて、‘弱いもの’どおし助け合えば、‘力’を持つとされる‘強い’人(たち)に勝てるかも知れない。

とにかく、死の商人と裏で手を結んでいるような某国の責任ある立場のもの(父子)が、‘平’の人たちから‘政治家’という力のある立場から、引き摺り降ろされないのかが、私には正直、不思議でならない。やっぱり死の商人って儲かるのかなあとか、よっぽどの利権なのだろうなとかんぐってしまいます。でも実は普通の民間会社が、兵器の個々の構成部品を作っているという現実があるのも事実なのですが^^?

ともあれ、21世紀の僕たちには‘英雄’や‘ヒーロー’はいらない。

自分が自分のために自分の‘ヒーロー’であること。

そんな生き方がかっこよくなってくるんじゃないかなあと思う。

あと、事のついでに言っておきます。(たぶん、後では言えなくなるかもしれないから)

私があと何年か生きて、ノーベル平和賞にノミネートされたとしても‘絶対’に私は、ダイナマイト王のアルフレッド・ノーベル氏の‘贖罪の血’のついたメダルは辞退します。(一緒にやってきた仲間が欲しがるかもしれないけど、それはその時に考えるとして)

なにも、これは今までノーベル賞を受賞してきた人たちを侮辱しているわけではなく、しかるべき委員会に認められ世界的にも一定の(高い)評価を得ている‘賞’そのものを否定しているわけではなく、私も人並みに、この‘賞’自体はリスペクトはしていますが、ただ‘自分’ならいらないということです。この点は、私の(生き方の)‘主義’の問題で,別に赤の他人と議論するところではないので、よけいなツッコミはしないように^^?

ともあれ、科学の力は、とんでもないものを持ってきてくれたなあというのが、この数ヶ月の正直な感想です。

とにかく私は私で非核反戦の運動を自分なりにやっていきます。

それがたとえ、60億分の一人の働きでしかないとしても。

あと、本気で日本の政治家に怒っているので、これからは、私がちゃんと地元から立候補する政治家を一人ひとりチェックします。与党や野党は関係なく、‘人’として信用できる人しか‘清き'一票を託せないし、仮に私の押した候補が落選したとしたら(今まで99%そのパターンでしたが)、当選した政治家のところに押しかけてでも、勝手なことはさせないというか言うべきことは言います。

馴れ合いで茶番な‘政治’にはうんざりです。看板・地盤・カバンなどという‘過去の遺産’はもう認められない。2世だろうが3世だろうが能力のないものはやらんでよし。

ということで、これからはもっと政治にもコミットしていきます。

たとえ60億分の一人だって、本気になれば‘世界’を変えられる。

私は、そう思って生きてきたし、たぶん、これからも生きていきたいと思っています。

なんか書きたいだけ書いたらすっきりしたけど、たぶん、この記事が非難轟々になるのがなんとなく目に浮かびますが、そのときはそのときまで。

受けて立ちましょう。かかってらっしゃい。

ということで。

ではでは^^?

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2011年5月20日 (金)

‘平凡’な‘平和’ No Music No Life! 歌う心を探る

基本的に、思いつきで書いているけど!

自分の部屋で、プリンセス・プリンセスのCDを聞いて、ミクシイのレヴューをみていたら不意に泣けてきた。

時代と共にある、唄の数々を思った。

時代がどんなにいいときも、悪いときでも、いや辛いときほど、人は悲しみ悼む歌ばかりでなく、それでもどれほどつらいときでも‘明日を信じる’唄を歌ってきた。

歌のフォーマットには、3つしかないという話を聞いたことがある。

1. 出会いの歌

2. 別れの歌

3.、その他

ミクシイの人のレヴューをみていると、唄はそれぞれの人の心の中にずっと生き続けて折節に、その人を、その社会を、その世界を支え、力を与えてきた。

自分には、何の唄をつくる力もない。でも、人の唄を共有し、一緒にみんなで歌うことはできる。

私は、政府開発援助の仕事で、青パス(厳密にはグリーンパス)という半分外交官みたいなパスポートをつくってもらって国の予算で、途上国で仕事をしてきた。

いわば‘国’の予算で留学させてもらったといってもよい。

途上国は、単に‘貧しい’だけではない。いや、経済的な問題より、政治的な、もっといえば一部の‘人間’の利権や権益だけのために、紛争に巻き込まれている地域や国があまりに多すぎる。その一部の‘人間’の影には、実は先進国のフィクサーたちの影がある。(あまり突っ込むと自分が危ないけど)

実は、途上国の問題は途上国だけでは解決できない。

もっと根本的に、世界の(国々)のあり方、いや‘生き方’をかけないことには、いたちごっこで何の解決にもつながらない。

私には、本当の敵が見えている気がするのだが、一人ではとても立ち向かえないし、今は、そのときではない。

まあ、‘正しさ’がへたに‘力’を持つと、‘悪’が‘力’を持つ(持っている)よりさらに始末が悪いということも歴史が証明しているので、あまり‘正しさ’というか‘正しいと思われること’を追究することは控えたほうがよいのだが、でももう少しなんとかならないものか。

本当に、今の福島の原発ではないが、人類は自滅への道を歩んでいるようにしか思えない。

もう、頭のよい人や声の大きな人のいうことや方向性について、疑問をもって、自分の身の回りの‘平凡’な‘平和’を考えて、いや‘平和’に生きてよいのではないか。

戦うべきは、高所から見下ろした‘平和’や‘ユートピア’であって、自分がすでに持っている‘幸せ’を守り広めていくところにこの21世紀の人類生き残りのポイントがあるのではないか。

と私は思う。

間違っているかもしれないけど。

ではでは^^?

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