‘わたし’の平和学~冬が来る前に!

2008年4月28日 (月)

映画 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』 あるいはザ・ビートルズの時代について

という記事を、ブログ「Life, I Love You!」のほうにカキコしました^^?

映画のサントラ(サウンド・トラック)の紹介ということで、Lifeに書きましたが、内容はバリバリの硬派で、やはりこちらに書くべき内容でした。

「‘わたし’の平和学~冬が来る前に!」のカテゴリーであるべき?内容ですので、こちらにリンクを張っておきます。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/04/music_from_moti_4865.html

お手数をおかけしますが、ご高覧いただけましたら幸いです。

ではでは^^?

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2008年3月 7日 (金)

‘わたし’の平和学~冬が来る前に!

さて、昨年(2007年)に「冬が来る前に!」というテーマを立てたのですが、その記事の更新が滞っていました。でも考えてみると取り上げたい内容は、まさに、‘わたし’と‘平和’とのかかわりでしたので、すっぱりとタイトルを替えて、そして、また過去の記事を振り返りながら言及をすすめていきたいと思います。

まず、ご紹介したいのは以下の記事です。

1.わたしと「平和学」と「開発援助(本職」です^^?)」とのかかわりについて

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/rc003.htm

「フィリピンで開発を考える」(2006215日)というタイトルですが、私の関心の移り変わりと、なぜ「開発民俗学」をとなえているのか、それをどう仕事に生かそうとしているのかに触れています。

2.「なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか?(同時多発テロ一周年によせて) 2002年9月1日」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00018.htm

キーワード: 同時多発テロ、テロとの闘い、中東世界、湾岸戦争、イランイラク戦争、パレスチナ問題、中世シチリア、「寛容と共生」の精神、ノルマン朝、パレルモ、12世紀ルネサンス、「平和の家・戦争の家」、中世イスラーム世界、「知(識)を求めよ。中国からモロッコまで、ゆりかごから墓場まで、マグレブ(モロッコ)から中国まで」(アラブのことわざ)」などでしょうか。

ここではあえて目の前の現実(現在)だけに一喜一憂することなく歴史的にその地域と背景をとらえなおすことの重要さを述べています。

3.「2年目の9.11(ナイン・イレブン)の前に考える (自分の頭で考えるということ) 2003年9月9日」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00020.htm

実は、5年も前の記事ですが、基本的に私のスタンスは変わっていません。

キーワードは、エリトリア、東ティモール、千年王国、宮本常一氏が聞いた、渋沢敬三氏(終戦当時財務大臣)の日本の戦争放棄(第9条)の成立にかかる秘話、ノーム・チョムスキー、9.11、死の商人、軍隊と警察、むのたけじ、山のかなた、アフガン戦争、イラク戦争、などでしょうか。

思えば、1997年にエリトリア、2001年には東ティモールと、紛争直後の地域に開発援助の調査団員として入国させていただいて、期せずも、非常に貴重な経験をさせていただきました^^?

今でもフィリピンのミンダナオの紛争地域の仕事にもかかわっているし、私もそのうちに「平和構築専門家」の看板を掲げようかしらん^^?

「社会配慮」の専門家として紛争地域への社会配慮は難しいだけにチャレンジングですし、そもそもアラビア語を学んだことをきっかけに地域研究や歴史研究の視点を身につけた(まだ修行中ですが)しばやんって結構、奇特な経歴の持ち主かもしれない。

‘時代’がやっと‘しばやん’に追いついてきた*って感じ^^? なわけないか^^?

*ダウンタウンの浜ちゃん(H・Jangle with T)の「WOW WARTONIGHT」(1997年)という曲の歌詞より。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030035.htm ご参考まで^^?

このブログ内の過去記事をみるには、「’わたし’の平和学~冬が来る前に!」のカテゴリーを参照ください。 → ぜひ、初めての方はご一読を^^?

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

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2007年8月 6日 (月)

4.日本における‘平和学’について

ちょっと準備不十分だが、私の問題意識のみメモしておく。

日本に果たして本当の意味の‘平和学’はあるのだろうか。広島、長崎で、人類史上初の原爆の被害を蒙ったということは歴史上の事実であるが、私が世界を回る中で感じたことは、平和のコインの裏面である戦争(学)との関係であった。

いま、平和学というか‘平和’を学問的にも深めようという動き、これは‘テロとの闘い’や‘復興支援’や‘紛争解決’の手段としての‘平和学’への日本国内、特に若い人たちの間でも関心が高まっていることは事実として認めるのだが、どこまで根を張ったものなのか疑わしいというのが、私の本音である。

諸外国における文民と武人との関係や、軍隊や職業軍人の社会的な地位の高さについては、今までも触れてきたと思うが、世界の常識では「戦争」と「平和」はいわばコインの両面という認識が一般的である。(これはよいとか悪いの問題ではない。)

そんなときに、日本の一部のとある政党ではないが、‘平和’しか考えないことは、その思想的にもバランスを欠くし、実際、それは学問的にも浅く、‘戦争’という反面をみないことの危険性は、百害あって一利なしだと思うからである。

この続きは、歩く仲間(HP)にてお楽しみください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog089.htm

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平和のハット・トリック+ワン(その1)

1.全てはここから始まった。

今日(2007年8月6日)、世界は人類史上初の実験ではない戦略兵器としての62年目の原爆投下の日を向かえた。いわずもがなの広島の原爆投下の日である。1945年8時15分、ところで、セプテンバー・イレブンで、いちやく(再)有名となったのが、ニューヨークのワールド・トレードセンター跡地をいう「グランド・ゼロ」という言葉なのであるが、この「グランド・ゼロ」の元もとの地が、「広島」であったことを誰が知っているであろうか。(実は不明ながら、私も指摘されるまで気が付かなかったというより知らなかった。)

さて、なぜ‘いまさら’なのだが、私にとっては、今年は「広島」と逢ってから四半世紀つまり25周年にあたるのである。

この続きは、歩く仲間(HP)でお楽しみください^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog088.htm

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2007年5月 7日 (月)

日本国憲法 施行60周年

さて、今年の憲法記念日(5月3日)は、今までとは非常に違った風向きとなったようである。朝日新聞の記事によると、つまり、改憲論議がいよいよ高まっているそうなのだ。日本で実地に体験できたわけではないので、今、フィリピンのマニラで思うことを述べる。

実は、もう3年半ほど前になるが、2001年9月11日のアメリカの同時多発テロに関して記事を書いた際に、日本国憲法第9条について触れている。この記事より再度、引用させていただく。

Photo_4 宮本常一 『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993年(単行本は1978年)

お薦め度: ★★★★★、 ジャンル: 民俗学

以下、非常に長くなるが、最近何度目かに読み返して、気がついた宮本常一氏の文章を引用したい。(『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993、146頁を参照)終戦直後の昭和21年に渋沢敬三氏を東京に尋ねた折の時のこと。

「ちょうど役所(先生は当時大蔵大臣であった)から帰ってきた先生は「幣原さん(当時首相)は大変なことを考えておられる。これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられる」と昂奮気味に話された。

「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」と言われた。」

今、安倍晋三首相が、教育基本法を改定し、さらには改憲論を持ち出しているが、私は、非常な危機感を感じている。それを、なぜ、どう考えたらよいのか、そんなことを考えるきっかけを、このブログでも取り上げていきたいと思っている。

面倒なようでも自分で考えるということを怠ってはならない。日本国憲法について、2冊、紹介させていただく。いずれも税込み300円の小冊子だ。ぜひ手近において、折節に読みかえしてほしい。

Photo_5 文部省教科書 『復刊 あたらしい憲法のはなし』 小さな学問の書② 童話屋 2001年

お薦め度: ★★★★☆

私は、今でもこの日本国憲法の第9条を解説した部分を読むと、その崇高な理念とそれを学童に教え説こうとした執筆者の熱意に目頭が熱くなってくる。たぶん、本文で触れた渋沢敬三氏の言葉にあるようなことを、まさにみんなで考えようとしていた時代を感じることができる。

Photo_6 童話屋編 『日本国憲法 付 教育基本法 英訳日本国憲法』 小さな学問の書① 童話屋 2001

お薦め度: ★★★★☆、

今年の誕生日(4月1日)に、何をもさておいて、わたしは『あたらしい憲法のはなし』と『日本国憲法』を読み返した。今年は、憲法にこだわってみたい。

私のスタンスは、基本的には3年半前と変わっていない。‘死の商人’や‘キリスト教原理主義’などにも触れているので、ぜひ以下を参照されたい。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00020.htm

「2年目の9.11(ナイン・イレブン)の前に考える (自分の頭で考えるということ) 2003年9月9日」

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なぜ‘冬が来る前に!’なのか?

今回、「歩く仲間ブログ」に、‘冬が来る前に!’というカテゴリーを作成しました。このテーマについては、2007年の‘歩きながら考える’の特集記事として「歩く仲間HP」で今年の通年テーマとして考えています。

2007年 新年のご挨拶
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2007NewYear.htm

冬が来る前に (その1) 2007年を迎えるにあたってhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00031.htm

冬が来る前に (その2) ダーウィンの悪夢をみてhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog046.htm

すこし以前の記事ですが、こんなんもあります。

アメリカ同時多発テロと東ティモールのPKF http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030024.htm

チェチェン武装勢力のモスクワ劇場占拠事件に思うhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030028.htm

剣を取る者はみな剣で滅びる(マタイ26-52) 映画“パッション(キリストの受難)”をみてhttp://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00021.htm

しばやんのアウティング@スービック(米軍 海軍基地跡とピナツボ火山噴火の後をみて思ったこと) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00027.htm

イギリス・ロンドン同時多発テロ勃発

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030041.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog011.htm

誰のための旗? 国旗を掲げるということ。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog033.htm

テーマは、‘開発(援助)’というより、それ以前からの私の問題意識、例えば、差別、原爆のこと、死の商人のことなどを扱います。その中で、私自身の‘反西洋思想’をも扱います。書きたいことがいろいろあるのですが、まとめて書くのもしんどいので、断片的になってしまうかもしれませんが、折節につづっていきたいと思います。

想定されるテーマ

1.なぜ、私が原爆や平和や差別にこだわるのか?

2.私の(擬似)被爆体験 ~1985年4月11日 人間をかえせ をみて~

3.平和のハットトリック・プラス・ワン(被爆地巡礼(広島、長崎、夢の島)+ゲルニカ@マドリッド)~

4.死の商人とは(ちょっと気が重いテーマ、でもある程度ふれざるを得ない)

5.差別と辺境地 ~異人論考~

6.‘知は力なり、ただし、開かれたものでなくてはならない’ しばやん@1991

7.なぜ、今、平和憲法が必要なのか。日本国憲法・再考

8.21世紀に求められる総合的な知の体系(パラダイム)とは?

う~ん。いかにも難しそう^^?でも、そんなに肩の凝るような話ではないです。なぜなら、私の体験というか経験からおこした話のなので、決して理論や理屈や、形而上学の話ではないからです。

過去のネタもいろいろあるのですが、やはりビビッドな感動を与えてくれた映画や考えるきっかけをつくってくれた本など関連する最新の話題についても同じカテゴリーで紹介していきたいと思います。

また裏の目的として、日本国憲法施行60周年に対する‘しばやんなり’の議論のネタだしということを考えています。 ← これは、ちょっとというか‘かなり’本気です。

よろしくご高覧ください^^?

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2007年5月 6日 (日)

.‘幻想’の「近代人」と‘実態’としての「近代資本主義」 (藤原正彦 『国家の品格』を読んで)

2年前に非常に話題になった本を、遅ればせながらようやく読んでみました。

Photo_3 藤原正彦 『国家の品格』 新潮社 新潮新書 2005年11月20日

話題度: ★★★★☆、 お薦め度: ★★☆☆☆

トンでも本度: ★★★★☆

一言評価: 話題についていくために読んでもいいが、内容はかなりいいかげん。

2005年末の発売以来、いろいろなところで話題になっており、近しい友人からも薦められていたのだが、ようやく、マニラ日本人会図書館で借りて読みました。

一言でいうと、「気持ちはわかるが、かなり論理に飛躍がある」といった感じです。もとより、「第2章「論理」だけでは世界が破綻する」、「第3章 自由、平等、民主主義を疑う」、「第5章 「武士道精神の復活を」、「第6章 なぜ「情緒と形」が大事なのか」というような問題の立て方をしているのですから、論理はどうでもよい(と本人は言ってはいないが)我田引水的な個性的な理論を組み立てています。

問題点が2点、1.上記2章、3章で言っていることは正しいし、特に、第3章のことはわれわれの世代では既に常識になっており、氏のいわんとせんところは分かりますが、なぜ、「武士道精神」なのか、というところがよくわからない。2.また奇異に感じるのが、なぜそこまで、「欧米」にこだわり反発するのかです。

以下、わたしの自論を述べます。

1.‘幻想’の「近代人」と‘実態’としての「近代資本主義」

「欧米」の「近代資本主義」が破綻しているのはもう、私たちにはわかりきっています。このことについては、私のHPやブログで何度も述べていることです。あと、私の今の到達点としては、「近代資本主義」を始め、近代・現代のパラダイムは、ほんの世界の片隅の方だか10億未満の先進国といわれる人たちの中で共有されていると信じられているだけであり、世界人口を60億人とすると、わずか5分の1の人だけの価値感(もう宗教といってもいいのですが)でしかありません。‘実態’として存在する近代資本主義、しかしながら決してたどり着くことのできない‘幻想’の「近代人」ということは、岡田斗司夫が既に12年も前に述べていますし、彼以下の世代は、とっくに「近代人」になることをあきらめています。

ここで気をつけなくてはならないのが、「欧米」自体をもっと相対化する必要があります。日本人は、すぐ日本人vs欧米人という対立を持ち出しますが、そこでは「欧米」自体の多様性と階層性が無視されています。ラベリング理論の限界であるのですが、結局、われわれが使っているのは「欧米」というステレオタイプの、われわれ日本人が勝手に作り上げた「欧米」像でしかないということに気をつける必要があります。

今、「反西洋思想」(Occidentalism)という言葉が話題になっていますが、これは、エドワード・サイードが言い出した「オリエンタリズム」という概念と密接に関連することは明らかなのですが、われわれに必要なのは、個々の人間をみることであり、実態や実感のわかない「概念」用語に、わかりもしないのに振り回されることではありません。

藤原氏もある程度に、具体的な‘西欧人’との会話を引用していますが、これは、彼いうところの「世界のトップ・エリート」との会話がほとんどです。つまり、普通の市井の人との会話から生まれた議論ではありません。彼の知っている限られたエリートや、「欧米史」の一部の知識から話しているだけのことです。(彼の言っていることは、一般の日本人には受けるが、学界では常識の話。)

われわれは、先進国でも黒人や移民、マイナリティー、テレビや映画の表舞台には、なかなか(決してとはいわない)でてこない‘普通’の人たちをどこまで知っているのでしょうか。ましてやイスラームの人たちや、世界中の長い歴史と文化をもつ‘途上国’といわれる人たちが、日常考えていること、彼らの行動規範をどれほど知っているのでしょうか。

21世紀を生きかつ考える際に、絶対に押さえておかなくてはならないのは、イスラーム(特に、エジプト、イラン)、インド、中国など、文字に書かれた長い歴史をもつ人々の世界観、無文字世界ではあっても、それなりの倫理と論理をもつ世界のひとたち、つまり、①西欧、②日本、③文字文化をもつ今まで(中世まで)の先進国世界、④無文字世界の人たちに対する理解の、少なくとも4つの尺度を持つ必要があると思います。

当然、そんな教育は日本ではやっていないので、自分で身につけようと努力する人でないと、「21世紀の国際人」は語れないでしょう。

2.日本のソフトウェアは、「武士道」だけではない。

ここで、私が勉強している「開発民俗学」に引きつけていうと、世界はそれほど単純で簡単なものではないということと、世の中の重層構造にもっと眼を向ける必要がある。ということです。私の敬愛する歩く仲間の大先達のみなさまは、‘普通’の人たちの世界に暖かいまなざしと尊敬、信頼の念を置いています。宮本常一、鎌田慧、家島彦一、鶴見良行、前嶋信次、どなたもそれぞれの分野で偉大な業績を上げている方々ですが、実際に現場から問題を立てて、記録に残されない普通の人々の喜怒哀楽を共にする。アラビア史の前嶋先生に限って言えば時代的な制約があったにせよ、他の方全てが、フィールドワークを研究の出発点として、‘大’理論から遠くはなれて、事実を積み重ねて自論を展開していきます。

また少なくとも、日本を語るには、網野善彦、宮本常一の現状認識の方法論を知らなければならないと思います。彼らの書いてあることがいい(絶対と言っている)のではなくて、その対象へのアプローチの仕方にこそ、学ぶことが多いということです。

私は、まだ「武士道」自体について調べていないのですが、もし自分が調べるとしたら、1.「武士道」の考えからの歴史(的変遷)を通史的に、しかも武士とは違う人たちの価値観との違いを押さえていくこと、たぶん「武士道」だけの価値観は‘純粋には’抽出されないであろうというところまでみえていますが、2.仮に「武士道」のエッセンスが概定されたとしても、それを現代に生かすためには、かなりの取捨選択が必要であろう、つまり21世紀の価値観で、新たに「武士道」たるものを再発見していく、今の価値判断で間違っているとかおかしいものは思い切って省いていくという作業が必要であると思います。

つまり、「武士道」の再構成が、今、求められているのです。私が思うに、それは既に、藤原氏のいうものとも新渡戸稲造のいう「武士道」とも違ったものになっているだろうと思います。

ぶっちゃけていわせていただけば、別に「武士道」などという‘過去の栄光’というか‘看板(ラベル)’を使わなくても、シンプルに、日本人の‘価値観’を世界に問うてゆけばよいのではないでしょうか。

全てのものが‘よい’とは、納得いただけないでしょうが、いくらかの部分は世界的に同意・納得いただけるかもしれません。つまり、藤原氏のいうところの、‘普遍的な’価値観のある一部分を、日本の知見から提示できるのかもしれません。私としては、それだけで、十分に日本人の世界における‘存在価値’というもの、これが、藤原氏のいう「国家の品格」と同じ‘もの’であるのかわかりませんが、であろうと思います。

P.S.

ここまで書いてきて、なんで、みんな‘セットメニュー’が好きなのかと思いました。「近代資本主義」にせよ、「イスラーム」にせよ、この「武士道」にせよ、それぞれの宇宙観や世界観を内在しています。でも、このセットメニューを受け入れるか受けいれないかを議論するのではなくて、それぞれの‘いいとこどり’をするというアプローチがあってもよいし、それが、まさに日本人が今までやってきたことなのではないのでしょうか。

私は、「よいものはよい」ということを、それぞれが主張しあって、優劣を決めるのではなく、「それもあり」なのだということを、それぞれが学んでいくことが、世界の多様性と未来への可能性を確保することにつながると想うのですが、いかがでしょうか^^?

あと問題を単純化するのがみんな好きだなあと思いましたね。絶対に論文としては、この本のような進め方はNGだと思います。みなさんの情緒に訴えるというか、まあメディアをうまく使っているといえば、それまでですが、もっと‘自分で考える’必要があると思います。冗談ではなく、本当に。

(この項 了)

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