まちの風景(フィリピン)

2008年10月30日 (木)

For your Smile しばやん@ギマラス島

ということで、フィリピンの写真を「Life, I Love You!」にアップしました。

Cci20081029_00000 「マンゴーを売る兄弟(たぶん)」

しばやん@ギマラス島

フィリピン

2005年3月

「歩きながら考える」の「ブログ版 歩く仲間」はちょっと充電中ですが、「Life, I Love You!」のブログは再開しました。

ぜひぜひ遊びにいってやってください。

ではでは^^?

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2008年3月 3日 (月)

「人生たかが30000日」

Pict8344_2One day at Manila

March 3, 2008

Konica-Minolta DiMAGE Xg

5.7-17.1mm/1:2.8-3.6

F2.8, 1/60sec. Wide

という言葉を、たしかmixiでブラウズして発見しました。「辛いことがあっても人生たかが30000日という友達の言葉で、くよくよせずに生きています」といった文脈であったと思います。

でもそれにしても、それってすごいことだと思いませんか^^?「たかが」というか、日にちで考えると、がんばって80歳まで生きても30000日にたどり着かない。

ということは、逆説めきますが、その一日一瞬の貴重さがみえてくるようです。

あなたにとっても私にとっても人生たかが・されど30000日の一日を、この地上でシェアーしている。この一瞬の出会いは、30000の一の確率以下の奇跡であると思うと、もっと今日を大事にしないといけないと思いました^^?

ではでは。

P.S.

フォトエッセイ 詞集 『言の葉拾い』 を、このブログで再開します^^?

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2006年4月19日 (水)

しばやんon the site 現場に謙虚であること。

しばやんです。

フィリピンでは、4月13日(木)から16日(日)までHolyweek(復活祭、イースター)のお祭りで、祝日休暇でした。

わたしは、それを機会に、ネグロス島のバゴロド市を中心に、サトウキビのプランテーションを見に行ってきました。目的は、バゴロドの島向かいのパナイ島のイロイロ市の国家灌漑局の友達(そう、例の3人のマリアです)と旧交を温めることと、バゴロドの青年海外協力隊の仲間を訪ねることなど、まあ駆け足ではありましたが、人と会う旅でした。なんか半分仕事だか遊びだかわからないようなところもありましたが。

また詳細は別途報告したいと思いますが、今回、特に強く感じたことは、もっと現場に対して謙虚にならなくてはならないのではないかということです。

ネグロス島は、1980年代の半ばに国際砂糖価格の暴落で、アシエンダ制という大土地所有地主の持つプランテーションで働く、土地なし農民が、特にその子供が飢餓に見舞われ、日本でも、ネグロスキャンペーンとかのNGOによって、封建制による貧困の島として、大々的にメディアで取り上げられたことがありました。

今回の旅は、それを10何年ぶりに検証したいという気持ちがあったこともあります。ビクトリアスという企業というか製糖工場の城下町での、砂糖のプランテーション、柵で囲われたゴルフ場や住宅地、病院、教会まで全ての施設が整った広大な敷地を見てまわったことも感動ではありましたが、それは、在る意味で想定内の話で、わたしの3つの驚きは、以下のとおりです。

①ヴィクトリアスの製糖工場の敷地内にある教会は、「怒りのキリスト」という壁画が有名なのですが、それが極彩色であったこと、壁画の前の梁に、フリーメンソンのシンボルのピラミッドの眼と天秤秤のモチーフがあったこと、フリーメンソンは世界を股にかけたちょっと怪しげな秘密結社という見方もありますが、基本的には技術者集団であったと思います。脱線ですが、昨年の、「ナショナルトレジャー」というアメリカの映画はフリーメンソンを一つの伏線として使っており、フィクションではあるのですが、アメリカという国とフリーメンソンとの関わりについて非常に興味深い内容でした(どこまで本当なのかさっぱりわかりませんが)

②ヴィクトリアスの北の村で、カートホイール教会という観光名所にいったのですが、それが、アシエンダの領主の館の付属の教会であったことと、その教会と領主の館の間に、19世紀後半のイギリス製のボイラー跡があったこと、つまり領主が自前の製糖工場を敷地内に持っていて、たぶんそれは当時にあっては、まさに最先端技術であったであろうこと。今は領主は住んでいませんが、家来というか執事が、屋敷合切を管理していました。屋敷の前には、馬が繋がれて調教されていたようですし、なにか異次元に紛れ込んだような気がしました。

③しかも圧巻は、この館はグスマン家という19世紀末にフランスの貴族が移民してきて、フィリピンの女性と結婚して荘園の領主となったのが起こりで、その屋敷がまさにその建物であったこと。100年以上、ずっとこの館はそこにありつづけているのです。またグスマン氏の子孫たちは、地主として、地方政治家として、バゴロドの茗家として今にいたるまで権勢をもっていること、そして、4,5年ごとに、世界中のグスマン家の子孫が、(アメリカ、オーストラリア、フランス、まさにワールドワイドです)この屋敷で一族のファミリーパーティーを開いているということ。これば偶然、シラエという別の町の歴史資料館の建物をみて、なにかヴィクトリアスの北の村の建物と似ているなということで、その展示資料をみて気がついたのですが、今に生きる歴史を図らずも体験してしまい、思わず唸ってしまいました。

今の現在、地主制なんて封建時代で庶民というか平等であるはずの世界人民の敵というニュアンスで、否定的にとらえられがちですが、果たして本当に、「搾取」や「略奪」だけの社会であったのだろうか、中世や近世は暗黒時代でしかありえなかったのだろうかということを考えざるを得ません。

‘ポストコロニアル’とか’オリエンタリズム’という言葉を知るということは、社会科学をかじった人間にとっては、まさに常識の話なのですが、果たしてわれわれは自分の言葉でその実態を語る事ができるのだろうか。どこかの誰かがいった権威の言葉をなぞって、わかった気持というか気分になっているだけなのではなかろうか。

わかったつもりの古典的な学術用語こそ、自分の体で、身体感覚としてとらえなおす必要があるのではなかろうか。

そんなことを改めて感じた今回の旅でした。

ではでは。

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