「勝ち負けなんてどうでもいいじゃないですか」
とその人は言った。
もう少し正確にいうと、「‘負け’という‘現実’を認めたっていいじゃないですか」ということになる。
おっしゃるとおりのことであろうことで当たり前のことかもしれないが、それができてこなかった人が若干、一名いる。
自分がどう思おうと、相手がそれをどのように思うかは、全く別のこと。人にあわせてもらうより、人にあわせるほうが万倍もやさしいこと。
‘気づきの大切さ’を説く人間が、一番、身近にあってほしい人たち、家族や会社の上司、先輩、同僚や、仕事を離れた愛すべき仲間たちの気持ちに‘気づ’かずに、いたずらに相手を不愉快にさせ、会話や対話以前のところで、足を遠ざかせてしまっていた。(ことがたくさんあったらしい。自分は気がつかなかったけれども。)
今後は、どうしようか^^?
「今から今日から」という言葉を教えてくれた仲間もいた。
「明日がある」ではなく、今、この瞬間から自分の‘不覚’を意識して生きていくしかないでしょう。
さて、今日もまた始まりました。事実は事実として認めた上で、もう一度、もう何度でも顔を上げて歩き出しましょう。*
そうだよね。
ではでは^^?
*頑固でバカだけど、こんなしばやんを、「打たれ強い」と評価?してくれた上司もいました。あきれ果てた上での言葉でしょうが、こんな不名誉?な言葉とは今後、縁を切りたいと思います。「‘鉄’は熱いうちに打て」といいますが、‘鉄’を打つ人には、それなりの意図があるわけで、かたくなに‘変形’しない鉄というのもどうしようもないもので、こんなんいらんわということになってしまいます。
そうだな、もう少し、10倍くらい出世?して、「打てば響く‘鐘’」を目指したいですね。ダイヤモンドの‘原石’も、‘鉄の塊’もいいけど、磨かれたダイヤモンドや、たとえばですが‘鐘’のほうがいいに決まっている^^?
いくら素材がよくても(素質があっても)‘原石’や‘鉄の塊’の地位に留まっていることは、あまりに惜しいし、もったいない。そのものにとっても、周りのものにとっても。
ふとそんなことを思いました^^?
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