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2013年9月

2013年9月27日 (金)

学生生活2週間が終わって思ったこと

初出:フェイスブック 2013年9月27日
<学生生活2週間が終わって思ったこと>
しばやん@ホームです。
プータロー浪人生の2週間が終わりました^^?
今日は、国民年金と国民保健の手続きに行ってきました。前の会社に健康保険証をと離職票を返却にいって、社長や同僚・先輩に挨拶。2週間しか経っていないのに、いきなり旧友にあったような懐かしい感じ。快く送り出していただいた会社の方全てに感謝感謝です。
ある意味、自分がいなくても世界は回っているし、なんというんですが、みなが働いている中で例えば川の流れや重力みたいな公権力の力に逆らってというより無視されて浮遊している感じ。まあ、21年間、働いてやっと得たモラトリアムなので、とっとと次に進むべき道に、できるだけはやく軌道修正したいものです。いい加減、プータローも飽きてきたし、今までみたいに働きながら研究を続けられるようなポジション、つまり生活費にキュウキュウすることなく、でも自分にしかできないことに、それなりの時間をつかうことができるような立場にたどり着きたいものです。
今週の振り返り。
やっぱり、大学や大学院に通いながら浪人をするのは大正解。火曜日から金曜日まで授業があるので、朝から夕方まで、もしくは、週2日は昼の大学の公開講座受講と夜間大学院の科目等履修生がダブるので、9時から夜の9時半まで授業で、物理的には仕事をしているのと全然変わらない。
全然、プー太郎をしている感がありません。授業のない時間は、生協の食堂の端のテラスで景色を見ながら本を開いたり、図書館で本を読んだり移動したりで、フルで考える時間があるのがとてもうれしい。
大体先生の顔も覚えてきたし、大学院でも学ぶ仲間の顔がなんとかわかってきたので、徐々に時間をかけて一人でも仲間になっていけばよいと思いし、あせる必要はなし。
やっぱり完全に仕事をやめてよかったと思うのは、昨日、名古屋大学で研究会があったんですが、たまたま事業の空きがあったので、遠征して大先生方とも話ができたし、なんとなく研究者の仲間の環がみえてくるようになればしめたものです。
この平日の昼間のセミナーにも参加というのが一番、おいしいかもしれない。夜間大学院だけだったら、昼間は仕事で身動きができないですからね。今は、時間が会いさえすれば、それこそ日本全国どこにでも師や仲間を訪ねることができるわけです。この自由さは、もうやみつきになりそうですね。
あと、自分は、結局、部屋に閉じこもって勉強するタイプではないことがよくわかりました。基本は歩く中で考えひらめきを得て、図書館で先行研究を探るタイプ。
今、人間環境大学、日本福祉大学院、中京大学、南山大学の図書館、名古屋の図書館全て、当然もちろん地元の岡崎市と幸田町の図書館の全てが無料で使えるのでとてもラッキー。
自分の体とノートとパソコンがあれば、どこでも勉強ができます。
ということで、ぼちぼちと確実に一歩づつやっていこうと思います。
ではでは^^?

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2013年9月10日 (火)

歩く仲間通信 しばやんの‘民僕’宣言!(長文です)

初出: 歩く仲間メルマガ 2013年9月8日


みなさん、こんにちは。
いよいよ9月ですね。ご無沙汰しております。世界の風来坊しばやんこと柴田英知です。

いやあ、ちょっとフライイングの発表ではありますが、本当にプー太郎になってしまいました^^?21年ぶりの浪人生です。(大学卒業後に三祐コンサルタンツに入るまで半年ほど院浪をしていました。)

正確に申しますと、今の会社を9月20日付けで退社して、来年の4月からの大学院進学に向けて受験勉強に取り掛かります。

実は、今、マリングッズの専門商社で全国通信販売のボート用品の企画営業の仕事をしているのですが、11月から新会計年度が始まるんです。ちょうど今は24期の最後の大詰めのところなのですが、繁忙期で売り上げピークの7月8月が終わって、会社も次期の準備に入るところなので、10月31日の期末を待たずに来期の戦力からはずしてもらうことにしました。

いやあ、会社の期にあわせて退職することは決めていたことなので、ちょっと早まったかと思いましたが、実は9月半ばから大学(院)の後期授業が始まるんですよね。というわけで、9月17日から愛知県は岡崎市内の人間環境大学で市民講座受講(大学生と同じ授業)と、名古屋の日本福祉大学大学院の科目等履修生に通いながら、受験勉強をすることになります。

人間環境大学は修士課程までなのですが地元で電車と徒歩で30分かからないですし、農学系(自然環境)と(環境)経済学系の先生が多くいらっしゃいますので、今回の講座では生態学や景観生態学や環境経済学、地域経済学系の授業を受けます。

そして、日本福祉大学大学院のほうは、社会福祉学と医療・福祉マネジメント研究科の地域福祉論とか医療福祉経営や医療福祉経済の授業などを取ります。

実は、開発民俗学というものを学問的にディスプリンとして磨くのに、何学を基盤におくのか、ずっと迷っています。地域研究×地域開発(の実践)を掲げる学問なので、理論研究ではなくて、なるべく地域(地元)や実務や実践に足を下ろしたディスプリンでありたいと思っています。

ここまで書いてみて、なんだこれって川喜多二郎先生のいう「野外科学」そのものだと苦笑い。大阪市立大学と東京工業大学で先生が教鞭をとっていたと、たった今、手元の中公新書(『野外科学の方法 思考と探検』1973)をみて、自分の不明をまたまた恥じました。なんだ、だから東工大にまちづくり職人?の学問伝統があるのかと!

それはさておき、福祉の視点から見た地域開発計画の立案と実践というのもありかなと、受講する先生方の教科書をみながら考えています。(自然環境については、今からきわめるのはとても無理だと思います。)

それと同時に地元のNGOのセミナーなどのイベントにも時間の許す限り関わっていこうと思っています。実は、地元でとても興味ぶかいところがあるんですよ。ちょうど私がやろうとしている分野を実践しているところで、今年の3月にひょんなきっかけでセミナーに参加してスタッフの人たちとお話をしたのですが、とてもいい感じでした。

まずは、9月28日(土)の研修生との交流ワークショップにこちらにボランティアスタッフとして参加しますので、関心のある方はぜひどうぞ遊びにきてください。

■アジア保健研修所 2013年度国際研修テーマ:


さてさて、やっぱり博士号までやるとなると5年以上の長丁場となりますので、たんなるプー太郎では干上がってしまいますので、大学院は社会人の院生を多く受け入れているところで、夜間とか働きながら授業に出れる(先生と院生に会える。ここがポイント)ところにしようと思っています。※いろいろと大学院訪問で先生方に教えていただいたことがヒントになりました。個別にお礼すべきですが失礼いたします。

希望としては、日本福祉大学院の医療・福祉マネジメント研究科【夜間大学院】か、名古屋市立大学院の人間文化研究科【昼夜開講】のどちらかに進学できればと思っています。

とにかく22年ぶりの学校なので、無理をせずマイペースで準備をすすめていきます。

散々引っ張った挙句のタイトルの言葉ですが、今回、2020年に東京オリンピックの開催が決まったことについて今朝、文章を書きました。そして、夕方に外出した帰り道の車の中で、ふとひらめきました。

ちょっと、その流れを説明します。



一部引用

「(前略)

とにかく今、われわれ日本人がやらなくてはならないのは、福島の原発の現実と、真の東日本大震災の復興とは何か、そして来るべき南部トラフ大地震に備えることです。この3点をきちんとやらないことには、2020年を迎えることができません。

(中略)

つまり、これからは執筆とセミナーと小集団活動で自分のまわりから、そして同時にインターネットを使って、全世界へ向けて情報発信をしていきます。

お前ごときに語るだけのものがあるのか?

わたし自身がもっていなくとも、‘あなた’の中にある語るべきものをひき出せれはよいことで、具体的な戦略としては、先人の語りを引き出し、それを共有するチャンネルや場を設けること。

つまり場をつくる、場の設営をする裏方に徹しようと思っています。

これからはコラボレーションワークが多くなるなあという予感と、自分としての課題研究=開発民俗学の構築にしか、私の存在価値はないと思います。

今まで散々、心身含めて放浪してきましたが、いつまでも目的もなく彷徨っているわけにはいきません。着地点を見据えて、そこに向けて収束させていく。それが、今後の10年の課題です。

5年後: 開発民俗学ネットワークの構築(国内)
50歳までに博士号。(残り7年) (※実は、2020年のオリンピックの年です!今気がつきました)

10年度: 開発民俗学ネットワークの構築(世界)

開発民俗学とはなにか?

それは、一言でいうと、「日本発の開発学」です。私はこれから博士号を取るまでは、ディスプリンとして「開発民俗学」の位置づけを行なわなくてはなりませんが、究極の目的は、世界中で、それぞれの場所で、それぞれそこに住む人が自分の足元を掘り起こし、誇りと自信をもって地域に活き活きと生きてほしい。願わくば、その物語をみんなで共有できたらよいのでないか。

つまり‘平の人’(by 片倉もとこ先生)による足元からの世界革命です。

今日日(きょうび)、世界革命などというと、とんでもない時代錯誤に思われるかもしれませんが、もう少し上品にいうと「パラダイムを書き換える」ということです。パラダイムが変わることを端的にいうと、「天と地がひっくり返る」ということです。地動説から天動説へのパラダイム・チェンジが、まさにそのことでしょう。

意地悪な人はいうんですよね。結局、われわれは天動説という言葉は知っていても、いまだに?日は昇るという人間の言葉や認識は変わっていないではないかと。

確かに日が昇るとは、私だっていいますよ。確かに表面的には地球と太陽の関係、特に人間がみる現象面では何も変わっていないのかもしれません。でも天動説というテーゼを受け入れた時点で、自分のみている世界は全く変わっていなくても、地動説ではない天動説があるという可能性を認めたということで、そこを深めれば、天動説的な見方ができるようになるのかもしれない。

つまり自分の既存の価値観以外のものの存在を知ることが、何かが変わるきっかけとなると思うのです。

まずは、地球が太陽をまわっているかもしれないと気づくこと、そんな自分の足元を揺さぶるようなきっかけ作りを世界中で仕掛けていく。

そうすれば、人間としてのあるべき姿に気づくのではないかと思います。
まあ、私が言わなくても世界中で、日夜みなさんがやっていることなんですけどね!

自分なりのやり方で、その戦場?に参戦したいというだけの話です。

‘チェンジ・ア・ワールド’
まずは、そこから始めましょう!」

引用おわり。

ということで、私は公務員が自嘲的にいう‘公僕’ではなく、世界で暮らしている人たちのしあわせに幾分かにでも貢献できる‘民’僕として人々に仕えてもよいのではないかと、ふと今日、ドライブ中に思いました。実際のところ、何も公的な肩書きも後ろ盾もないので、公僕でないことは自明なのですが。

基本、思いつきの言葉が多いのですが、たぶんフーテンの寅さんも、自分というより、周りの人たちのしあわせに幾分かでも貢献した‘みんなの’アイドル?ではなかったのかという気がしてきました。(寅さんについては、語りだしたら終わらないので、またの機会に!)

おいおい本当に世界の風来坊でいいのか?と心配される方がもしかしたらいるかもしれませんが。

そうですね。まあ、なんとかなるでしょう^^?

願わくば、一緒に研究に取り組んでいただいて、研究費の幾分かをお裾分けしていただいたらさいわいです。

自分としては、自分で食べていけるだけのことは最低限やっていこうと思いますので、それ以外のところでコラボレーションしましょう。

以上、長文をご覧いただきありがとうございました。

季節の変わり目で体調を崩しやすい時期ではありますが、みなさんもお体に気をつけて実りの秋を満喫できるように精進しましょう。

またみなさま方にお会いできることを楽しみにしております。

ではでは^^?

柴田 英知
歩く仲間主任研究員/地域活き生きコーディネーター






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2013年9月 8日 (日)

<2020年 東京オリンピックについて思うこと>

初出:フェイスブック書き込み 2013年9月8日


<2020年 東京オリンピックについて思うこと>

ついにオリンピック開催国が決まりましたね。正直、東京は難しいと思っていました。自分的にはイスタンブールくらいがおもしろいと思っていました。

ちょっと断片的にテレビニュースをみだたけですが、なによあの安倍さん(首相)の「放射能(汚染は)完全にコントロールされている。(Under control)」という断定振り!もうあきれて、お前はアホかとテレビに突っ込みそうになりましたが、あのブラフ(はったり)はなんとかならないですかねえ。面の皮が厚いとはこういうことをいうと、つくづく思いました。

まあ、考え方によっては安倍さんが世界的な失笑を買うという泥をかぶったといえなくともないので、今後は、安倍さんの悪口はやめて事実のみを見据えてやるしかないなと思いました。

とにかく今、われわれ日本人がやらなくてはならないのは、福島の原発の現実と、真の東日本大震災の復興とは何か、そして来るべき南部トラフ大地震に備えることです。この3点をきちんとやらないことには、2020年を迎えることができません。結局、ぶつくさ文句をいいつつも、自分も時代の子であり、日本人だなあと今回つくづく思いました。

また一連の日本代表団の映像をみて思ったことは、私的な話ではありますが、ああ、自分は前に出る必要はないんだなということ。今まで、若い頃は、自分が自分がで、出しゃばってきましたが、これからは裏方に徹しようと思いました。言動として表にでてくるものは実は、ほんの一部で、それをパフォーマンスする人々の内面世界にこそ、焦点を当てるべきではないかと。

それを踏まえて、これからは執筆とセミナーと小集団活動で自分のまわりから、そして同時にインターネットを使って、全世界へ向けて情報発信をしていきます。

お前ごときに語るだけのものがあるのか?と、みなから突っ込まれそうですが、わたし自身がもっていないくても、‘あなた’の中にある語るべきものをひき出せれはよいことで、具体的な戦略としては、先人の語りを引き出し、それを共有するチャンネルや場を設けること。つまり場をつくる、場の設営をする裏方に徹しようと思っています。

これからはコラボレーションワークが多くなるなあという予感と、自分としての課題研究=開発民俗学の構築にしか、私の存在価値はないと思います。

今まで散々、心身含めて放浪してきましたが、いつまでも目的もなく彷徨っているわけにはいきません。着地点を見据えて、そこに向けて収束させていく。それが、今後の10年の課題です。

5年後: 開発民俗学ネットワークの構築(国内) 50歳までに博士号。(のこり7年)

10年後: 開発民俗学ネットワークの構築(世界)

さて、では開発民俗学とはなにか?それは、一言でいうと、「日本発の開発学」です。まず、私はこれから博士号を取るまでは、ディスプリンとして「開発民俗学」の位置づけを行なわなくてはなりませんが、究極の目的は、世界中で、それぞれの場所で、それぞれそこに住む人が自分の足元を掘り起こし、誇りと自信をもって地域に活きて生きてほしいということです。そして願わくば、その物語をみんなで共有できたらよいのでなないか。つまり‘平の人’による足元からの世界革命です。今日日、世界革命などというととんでもない時代錯誤に思われるかもしれまんが、もう少し上品にいうと「パラダイムを書き換える」ということです。

パラダイムが変わることを、端的にいうと、「天と地がひっくり返る」ということです。地動説から天動説へのパラダイム・チェンジが、まさにそのことでしょう。

ただ、意地悪な人はいうんですよね。結局、われわれは天動説という言葉は知っていても、いまだに?日は昇るという人間の言葉や認識は変わっていないではないかと。

確かに日が昇るとは、私だっていいますよ。確かに表面的には地球と太陽の関係、特に人間がみる現象面では何も変わっていないのかもしれません。でも天動説というテーゼを受け入れた時点で、自分のみている世界は全く変わっていなくても、地動説ではない天動説があるという可能性を認めたということで、そこを深めれば、天動説的な見方ができるようになるのかもしれない。

つまり自分の既存の価値観以外のものの存在を知ることが、何かが変わるきっかけとなると思うのです。

まずは、地球が太陽をまわっているかもしれないと気づくこと、そんな自分の足元を揺さぶるようなきっかけ作りを世界中で仕掛けていく。そうすれば、人間としてのあるべき姿に気づくのではないかと思います。

まあ、私がいわなくても世界中で、日夜みなさんがやっていることなんですけどね。自分なりのやり方で、その戦場?に参戦したいというだけの話です。

‘チェンジ・ア・ワールド’

まずは、そこから始めましょう!
ではでは^^?


2013年9月8日

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2013年9月 1日 (日)

われわれの物語を創るために― コミュニティ開発におけるチェンジエージェント ―(提出稿)

初出:フェイスブック ノートブック 2013年8月31日


<われわれの物語を創るために>


学会の発表の応募を完了しました。いつも期限ぎりぎりの応募なのですが、やることはやったので、果報は寝て待て!ですか。とりあえず、次のプロジェクトに取り掛かります。応募書類の最終稿をPDFにしておきましたので、よろしかったら適当に拡散してください。いちおう、本文を下記に転載しておきます。


■PDFファイルはこちらから!
「20130831.PDF」をダウンロード

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2013年8月31日 応募書類 最終稿


われわれの物語を創るために
― コミュニティ開発におけるチェンジエージェント ―


柴田英知(歩く仲間 主任研究員)


Who shall tell ‘our story’?
Some remarks on change agents in community development.


Eichi Shibata (Chief consultant, Aruku-nakama as “Fellowship for endogenous development” )


 発表者は1992年より16年間、農業・水資源開発を専門とする開発コンサルタント会社で主に政府開発援助の仕事に関わってきた。農業開発とは多くの開発途上国においては首都圏内での開発事業と大きく異なる地方都市を含む農漁山間地での地域開発の側面を多分にもち、原則、自然環境の制限下における地理的に区切られた一定の地域を、食料生産の農林水産業の第一次産業、食品加工の第二次産業、そして生産物の流通とさらに付加価値を高めたサービス業の第三次産業などあらゆる産業が連関する一つの‘人間の生活圏’として再構築する総合地域開発事業そのものである。


 発表者のみならず、国内外の地域開発、つまり国家・広域な地域から草の根のコミュニティにいたるあらゆるレベルにおけるプロジェクトの立案・計画・事業の実施を手がけてきた開発コンサルタント会社のスタッフが蓄積してきた経験知は、開発途上国のみならず日本の地域開発、特に市町村レベルの新しい自治における市民と行政の協働のあり方に大きな示唆をあたえるものと考えられる。


 今回の発表では、今までに発表してきた地域開発における‘よそ者(性)’をもったチェンジエージェントの役割と可能性について改めて次の2つのフィールドにおける比較を通じて明らかにしたい。


 まず、発表者が2004年3月から2008年6月まで駐在したフィリピンの南部にあるミンダナオ島の紛争地域におけるJICAを含むさまざまな国際機関の活動を、具体的には農業省国家灌漑庁や農地改革省などの複数の二国間援助のプロジェクトマネージメントオフィス(省庁のスタッフと開発コンサルタントのプロジェクトチーム)のスタッフ、特に現場レベルでのフィールドワーカーであるローカル開発NGOスタッフのプロジェクトサイトにおける立ち居振る舞いについて報告する。特に、コミュニティ開発プロジェクトの展開において各プロジェクトが留意した点、ソーシャル・プレパレーションの重要性と、地域住民とプロジェクト(スタッフ)との間にどのようにして信頼関係を構築したのか、どのような葛藤や問題があったのかをチェンジエージェントに焦点をあてて考察する。


 次に、日本において、まさに現在進行形の少子化高度高齢化社会の切迫しつつある財政状況下における行政と市民の‘新しい公共’の創出の現場における‘市民’の役割を、愛知県の豊田市の活動実践に学びたい。豊田市では平成の大合併の状況下、「(1)新たな地方自治システムの下で誰が自治を担うのか。(2)住民自らが課題を解決するための力を強化するには、どのような取り組みが必要とされているのか。(3)市民活動を支え、進めるための人材育成や活動をどのように実践し展開すれば、市民活動が効果的に促進されるのか。」という問題意識の元に、ある一人の市民が「とよた市民活動センター」の職員という立場を得て、ソフト・システムズ方法論によるアクションリサーチの一環として市民活動コーディネーター「つなぎすと」事業をその立役者の一人として実践し、かつ記録した。(※)


 この国内外のコミュニティ開発におけるチェンジエージェントの果たした役割とその有用性と限界について、プロジェクト形成段階における現状認識のための‘フィールドワーク’、ビジョンを共有しグループダイナミクスを引き起こす‘ワークショップ’&‘ファシリテーション’をキーワードにその他の地域やプロジェクトへの適用・拡散可能性についても視野にいれて検討し、そのコアとなる‘チェンジエージェント’や‘つなぎすと’のあるべき姿や資質面に踏み込んで提言をおこないたい。


※2004年から2011年までの実践記録が博士論文としてまとめられている。菅原純子『思いをつないで自治を拓く 市民活動促進に関する実践的研究』 ブイツーソリューション 2013年5月

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