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2013年8月

2013年8月29日 (木)

われわれの物語を創るために ―コミュニティ開発におけるチェンジエージェント―

明日が提出締め切り! とりあえず、審査用の要旨、A4 1枚の原稿を仕上げました!いいかも^^?
われわれの物語を創るために ―コミュニティ開発におけるチェンジエージェント―
2013年8月29日 22:48
国際開発学会口頭発表予定稿 2013年8月29日 初稿
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われわれの物語を創るために
―コミュニティ開発におけるチェンジエージェント―
柴田英知(歩く仲間 主任研究員)
Who shall tell ‘our story’?
Some remarks on change-agents in the community development.
Eichi Shibata (Chief consultant, Aruku-nakama )
発表者は1992年より16年間、農業・水資源開発を専門とする開発コンサルタント会社で主に政府開発援助の仕事に関わってきた。農業開発とは、特に多くの開発途上国においては首都圏内での開発事業と大きく異なる、地方都市を含む農漁山間地での地域開発の側面をたぶんにもち、原則、地理的に自然環境の制限下における人間の生活圏を食糧生産、すなわち農林水産業の第一次産業、食品加工の第二次産業、そして生産物の流通とさらに付加価値を高めたサービス業の第三次産業のあらゆる産業の再構築する総合地域開発事業そのものである。
発表者自身の経験だけではなく会社の経験として、国家・地域から草の根のコミュニティにいたるあらゆるレベルのプロジェクトの立案・計画・事業の実施にかかる経験は、開発途上国のもいならず日本の地域開発、特に市町村レベルの新しい自治における市民と行政の協働のあり方に大きな示唆をあたえるものと考えている。
今回の発表では、今までに発表してきた地域開発における‘よそ者’感をもったチェンジエージェントたちの役割について、次の2つのフィールドにおける比較を通じて明らかにしたい。
まず、発表者が2004年3月から2008年6月まで駐在したフィリピンにおけるミンダナオ島の紛争地域におけるJICAを含むさまざまな国際機関の活動を、主に現場レベルでのフィールドワーカーであるローカル開発NGOスタッフや農業省国家灌漑庁や農地改革省の複数の二国間援助のプロジェクトマネージメントオフィス(役所のスタッフと開発コンサルタントのプロジェクトチーム)のメンバーの開発現場における立ち居振る舞いについて報告する。特に、この地で行なわれたコミュニティ開発プロジェクトの展開において各プロジェクトが留意した点、ソーシャル・プレパレーションの重要性と地域住民とプロジェクト(スタッフ)との間で、どのように信頼関係を構築したか、どのような葛藤や問題があったのかをチェンジエージェントの観点から明らかにする。
次に、日本において、まさに現在進行形の少子化高度高齢化社会の切迫しつつある財政状況下における行政と市民の‘新しい公共’の創出の現場における‘市民’の役割を、愛知県の豊田市の活動実践に学びたい。豊田市では、平成の大合併の状況下、「(1)新たな地方自治システムの下で誰が自治を担うのか。(2)住民自らが課題を解決するための力を強化するには、どのような取り組みが必要とされているのか。(3)市民活動を支え、進めるための人材育成や活動をどのように実践し展開すれば、市民活動が効果的に促進されるのか。」という問題意識の元に、市民活動コーディネーター「つなぎすと」事業を一人の市民がとよた市民活動センターの職員という立場を得て、ソフト・システムズ方法論によるアクションリサーチとして、2004年から2011年までかけて実践した。(※)
この国内外のコミュニティ開発におけるチェンジエージェントの果たした役割とその有用性と限界について、特に仕込みの段階における現状認識のためのフィールドワーク、ビジョンを共有しグロループダイナミクスを引き起こすワークショップ&ファシリテーションの重要性について、そのコアとなる「つなぎすと」、「チェンジエージェント」のあり方や資質面に踏み込んで検討と提言をおこないたい。
※菅原純子『思いをつないで自治を拓く 市民活動促進に関する実践的研究』ブイツーソリューション 2013年5月

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2013年8月18日 (日)

しばやん@日本福祉大学オープンキャンパス

初出:フィエスブック クロスロード・オブ・ハッピネス 2013年8月18日 書き込み 2013年8月19日 修正

<しばやん@日本福祉大学オープンキャンパス>

実はしばやんの夏休みと書き始めようとしたのですが、結局、4日間、ほぼ出ずっぱりで、行事もいろいろ参加したので散文になってもいけないと思い、4日目の今日のお話を。

実は、今回、日本福祉大学のオープンキャンパスにいってきました。目当ては国際福祉開発学部と社会福祉学部です。

40過ぎのおっさんがなにをふらふら若者(自分の姪っ子が大学1年生)のところに顔を出しているのだ!と突っ込まれそうなのですが、大学院への進学を目指していますので、きわめてまじめなアプローチだとご容赦ください。
ということで、今回のオープンキャンパス、非常に満足のいくものでした。国際開発と福祉、実は福祉の視点って重要で、私もかなり以前から関心をもってみてきました。

1.社会保障制度考 2007年5月13日(日)

地域開発を考えるときに、何が大切かというとホーリスティックに全体を見ないといけない。つまりあらゆるセクターに目配せをしないといけません。例えば、産業振興(農業含む)のためのハードの社会基盤整備(道路、港湾、工業開発など箱物)、そして保健医療・教育などのソフト面と制度面での整備、実はこれをやるのには、マルチパーパスホールなどハード面での整備も欠かせません。

そして、次に考えることは、誰が実際にソフト・ハードを動かすのか、利用する側だけではなく、医師、看護師、保健所のおばさん、教師など、供給する側の整備も同時に進める必要があります。

そして、たぶん、そのソフト・ハードののモノと人的資源とを結びつけて全体としてサイクルをまわす、つなぐ人、コーディネーターが一番事業の成否の鍵をもつ要そのものだと思います。

まあ、開発民俗学で視野にいれているのはそのような地域開発コーディネーターであるわけですが、その仕事って、実は日本の福祉の現場でのケアマネージャーそのものの業務と非常に似ているところがあるんですよね。

日本でもこの10年ほど(もっと前かもしれませんが)貧困問題がクローズアップされて社会福祉の分野への社会的な関心が高まっていますが、実はフィリピンに駐在する前、2000年頃から、そのような分野で活躍する仲間の姿をみて自分でもいろいろアンテナを張っていました。

今回、この説明会でも、福祉という視点の重要さを改めて感じましたね。

あと社会福祉学の先生の模擬講義で、「しあわせを考える」学問だと「ふくし(漢字ではないらしい)」を位置づけていた話を聞いて、わが意を得たりと思いました。
ちょっと感動したのが、今回は、高校生向けの大学(入試)説明会だったわけですが、制服を着た多くの学生のうちに、目の見えない人や耳の聞こえない人、車椅子の人などを多く見かけてこと。つまり学校として、そのような障害学生支援を徹底してやっているということなんですよね。

国際福祉開発学部の説明会で気がついたのですが、耳の聞こえない仲間のために、学生さんがボランティアで先生の話を手書きで紙の上に書いて、それをOHPみたいにカメラでパソコンに取り込んで映像で、その仲間の前のモニターに投影するという作業をやっていました。

あと、他の教室のゼミではすり鉢教室の一角で耳が聞こえない人のために手話通訳をしているのも見かけました。

いやあ、こんな当たり前のことができていないんですよね。アメリカではアファーマティブ・アクションといって、社会的な不平等や不利益をこうむっている人を、日本語でいえば‘下駄を履かせる’という活動がもう20年以上前から当たり前のようにやられていて(この話はアメリカ法講座という法律予備校のゼミを1995年位前に講義で聞いてびっくりした覚えがあります)ついには、逆差別などが問題になっているというのに、当時でも今でも日本はこういうところは全然、まだまだ社会として‘当たり前’のことではない。


実は、途上国の開発問題を考える・勉強するとは、こんな世界の先進国の潮流や常識を知ることでもあるんです。結局、その国なりがどの位置にあるかは別にして、世界中で何が問題であり、どのような対策がとられているか、先進国、後進国をとわずみて聞いて学んで、結局は自分たちの生活自体を見つめなおす、いいところは取り入れる。結局、海外を学ぶことは自分たちをより深く知るということにつながるんですよね。

いろいろ脱線しましたが、まあ、そんな当たり前のことが出来ているし、やろうとしている。これは地味ですが大切なことだと思います。

そして、国際福祉開発学部の模擬事業で、久しぶりに小國和子先生にお会いして講義を受けてきました。というよりゼミの内容を学生さん、3年生だけではなく入学して半年の1年生がパワーポイントを使ってプレゼンテーションするんです。あとスカイプでイギリスに留学中の3年生ともテレビ電話?してしまうし、いや~!学生やるじゃん!という感じでした!みごとな参加型の学生を中心としたプレゼンテーション。あとで懇親会で発表した学生さんと同じテーブルだったので、いろいろ聞いてみたのですが、よくもまあ入学半年も経たないのに成長するものだなあと、眼を見張りました!本当にびっくりです。

まだ開設してから6年で卒業生も少ないみたいですが、このような教育ならおもしろい人が育つなあと改めて感じました。これはおもしろい。なにより学生が活き活きとしているところがいい。
私も先生やスタッフに、特に環境づくりについていろいろ学ばなければと思いました。一人の努力ではなく、たぶんチームとして方向性を決めてやっているんだなあということです。
まだまだ日本も捨てたものではないし、その中で自分に何ができるかをしっかりと考えないといけないと思いました。

あと蛇足ですが、予備校の先生による「小論文の書き方」なる試験のためのゼミがありまして、これが結構、しばやん的にはツボにはまりました。そうか、設問に答えるための小論文は、そのように考えて問題を解くのか!と。これは大学院入試でも使えるなあ!と、とても得した気分です^^?

なにか全体的に抽象的な話になってしまってすみませんが、今後の私の活動にもリフレクションがあることと思います。

よし、今日から私もがんばろうと思いました。

ではでは^^?

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2013年8月17日 (土)

ゆるキャラやアイドルが跋扈する世界

初出:フェイスブックグループ クロスロード・オブ・ハッピネス 2013年8月16日
<ゆるキャラやアイドルが跋扈する世界>
日本は、なんとも不思議な国だと思います。
かつて実業家松下幸之助は、PHP(研究所)を創立しました。これは、月刊の小冊子やPHP新書など出版物でも有名ですよね。私も長いこと知らなかったのですが。PHPとは「“Peace and Happiness through Prosperity”という英語の頭文字をとったもので、“繁栄によって平和と幸福を”という意味のことばです。これは、物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人々の上に真の平和と幸福をもたらそうという願いを表したもの」だそうです。
日本の戦後68年にわたる経験、終戦後の復興~高度成長~失われた10年?などの時代を経て、たぶん1970年ごろには、そのPHP実現の糸口をつかんでいたと思います。
そういえば、前の首相の野田佳彦さんは、松下政経塾の第1期生でしたね。
さて、その日本の陽の部分の影にはレッドパージや公害問題など影の部分も当然あるわけで、戦時中の軍部の暴走?についての総括はできていないし、製鉄業界、製造業界における人間の機械化、公害以外にも労働争議など深刻な人権被害もあったわけでも、今でも短期非正規労働者、ホームレスの問題、いったい何が幸せなのだろうかと考えてしまいます。
最近、富みにマスコミで取り上げられるゆるキャラや市井のアイドルたち、一見満ち足りた街を歩く若者へのインタビュー、確かに東京中心目線でみれば、そんな簡単なしあわせ画像を切り取ることは作成側の意図でなんとでもなるのでしょう。
いや、マスコミ批判をすることが目的ではありません。
実は、陽と影はあってしかるべきなので、そのこと自体に文句をいっているのではなく、陽の部分しか見ようとしない、見せようとしないマスコミ、いや人間の属性について、それでいいのかなあと思うわけです。
開発の問題に話を戻すと、さまざまなよいと思われる計画や事業を相手国政府も考えるし、われわれもそれをお手伝いする、もっと小さな善意のNGOの活動でもいいでしょう。日本人が乗り込んできてさまざまなストーリーを描いてみせる。
でも、それを覚めた目でみている人たちが少なからずいる。いいことばっかりいって、裏があるのではないか、ただほど高いものはないよなあと(世界の)人たちは日本人をそんな風にみているのではないか。
ただね。日本の今の繁栄があるのは、その影で泣いたり命を落とした人がたくさんいるということなんです。
誰も勝者の勝ち組の話なんて聞きたくない、勝てなかったものの物語に人は自分を重い涙を流すのです。
戦争問題もなんでもそう。まずはあったという事実を認めること。いい悪いとか格好や見得は張らない。あったことから問題を立て直す。
今の政府のように都合の悪いことは、知らせない、頬かむりをする姿勢、これはもう何十年と続く与野党を問わない政治家の属性なのかもしれませんが、昔みたいに暴力で恫喝したりできる時代ではないですからね。
アメリカの元CIA職員ではないですが、どんどん内部告発も増えているし、それができる時代になりつつあるわけです。
私の最近考える人物とは、清濁を併せ呑んだ上で、それでもあるべき理念を語ることができる人かな。
結局、陽も陰も同等に語ることができ(自分に都合の悪いことを隠さない)、自分(達)の至らなさを反省しつつも、それを置いておいても、あるべきヴィジョンを語る。
人は時に、そのような人を理想主義者というよりむしろキチガイか馬鹿かと思うでしょう。実際に、‘口ほどのこと’ができずに世を去っていく人のほうが大多数なのでしょう。
でも、その人が実現できなかったことでも、口に出して語ったという事実は事実として残ります。
昔、あんなキチガイがおったけど、50年経ってみれば、それが当たり前に実現してしまっている。いや、今は昔より時間が速度がどんどん加速していますからね。
となると、ゆるキャラに代表される人間以外の生物?やロボットと、なにげに50年後は仲良く隣人として暮らす世の中になるかもしれない。アイドルやコスプレキャラがなにげ日常に同居している。そう、日本の子供向け?のアニメーションの日常生活、古くはアトムやドラえもんの世界が、わずか数十年先の日本なのかもしれない。
そう思うと、日本は世界の最先端をいっている。少なくとも心情的にも現実にも、われわれはゆるキャラという異生物とコスプレアイドルを、すでに受け入れてしまっている。
で、その後の世界ですかが。
正直、私には読み切れませんね。
ただ、今までのところは受け入れてきているけど、もっと仮想現実の世界が今の現実に割り込んできた人間は人間の形であることに意味を見出すのでしょうか。もっというと脳さえあれば、あとは何もいらない時代になるのかもしれません。
そうマトリックスの世界が描いているように!この手のSFドラマって、やたらと多いんですよね。少なくともマトリックスが1997年で15年前だし、源流をさかのぼれば30年や50年くらい、いやもっとさかのぼれるのでは!
まあ、取り留めのない話ですが、少なくとも今の時代は、現物感覚、モノに即して歴史が、日本の陽と影をみることができるわけですから、特に若い人は実際にその場にいってモノに触れてそこであったこと、そこにいた人たちのことに想いをめぐらしたいものですね。
そうそう、戦争の話を直に当事者から聞けるのはあと5年くらいしか時間がないのかもしれません。
私ができることは限られていますが、そんな現実に向き合い陽と影を伝えていこうとしている人たちを応援していきたいと思います。
自分自身、それをアーカイブしてかつ発信していくことはずっと続けていきたいと思っています。
別に、誰に頼まれたわけでもないけれど!
ではでは^^?

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2013年8月12日 (月)

<特別企画>国際開発コンサルタント人生49 年 竹内清二さんをお招きして

◆クロスロード・オブ・ハッピネス しあわせがゆきあうところ◆

<特別企画>国際開発コンサルタント人生49年 竹内清二さんをお招きして

日時:2013 年8 月25 日(日) 午前10 時~12 時 【入場無料】

於:岡崎市図書館交流プラザ(りぶら) 201 会議室 電話: 0564-23-3111(代表)
   ※名鉄名古屋本線東岡崎駅より徒歩20 分、バス5 分、岡崎公園(岡崎城)北側

演題:私が体験した海外業務(後進国の開発援助事業に携わったサラリーマン人生)

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<竹内清二さんからのメッセージ>

私は昭和39 年に株式会社三祐コンサルタンツに入社して以来、水資源の開発を中心に海外・国内事業に携わってきました。今回この様な業務を通じて体験したことを皆様にご報告できることを大変光栄に思います。

報告内容の概要は以下を想定しています。
1.自己紹介、2. 愛知用水事業について、3. 世界の食糧事情と貧困状況(水資源の観点から)、4. 参加した発展途上国の援助事業、5.現場について(ことば、衣食住、日常の暮らし、身近で見た動植物、遺跡・文化・景観など)、6 開発援助事業から見えたこと、7.質疑応答


<竹内清二氏 略歴>

昭和16年8月26日生まれ(71歳)、国立岐阜大学農学部工学科卒業(昭和39年3月)、株式会社三祐コンサルタンツ(昭和39年4月~平成21年8月:海外事業本部理事にて退職)、
資格:技術士(農業部門 第16775号) 、APECエンジニア(JP1-1-000484、TOEIC 730点


<主な業務内容>

東南アジア、中近東、及びアフリカ地域における水資源開発計画、農業・農村地域開発計画の策定等に対するコンサルタンツサービス、及び相手国政府職員への技術指導

<主催> 歩く仲間・・・歩きながら考える‘世界’と‘開発’

主任研究員/国際開発フィールドワーカー/地域活き生きコーディネーター柴田英知

E-mail: bxf00517@nifty.com 携帯電話: 080-5151-6406

■フェイスブックグループページ: クロスロード・オブ・ハッピネス しあわせがゆきあうところ


■チラシのPDFファイルはこちらからダウンロードできます。
以上

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2013年8月11日 (日)

68年目の長崎の日に思うこと

初出:フェイスブック クロスロード・オブ・ハッピネス(しあわせがゆきかうところ)書き込み 2013年8月9日


<長崎の日に思うこと>

今日は、長崎に原爆が投下されて68年目となる。廣島は、高校を卒業した3月に(1988年)に大阪外国語大学を受験してからそのまま中国地方の一人旅で寄って、長崎は、大学3年生の夏休みに九州は福岡の同級生(同じ学生寮(下宿)の隣室の友仲間、彼はロシア語)が里帰りするのに便乗して九州一周の旅に出た際に立ち寄った。

もう22年も昔のこととなる。

その記憶が新しいときに書いた「大阪便り 1991年8月29日」の記事の一つがこちら!

「(前略)


    長崎でのすれ違い・・・学友の死

 のっけから、センセーショナルな話題となって申し訳ないのだが、8月23日(金)早朝に、長崎の病院でガンで亡くなられた、アラビア語科4年の歳田直美さんに謹んで冥福の辞を述べる。タイトルに対して若干の説明を加えなければならないが、つまり、こういうことである。8月9日から親友の久富君と九州へと旅立った小生は、実は13日と14日に長崎を訪れていたのだが、この8月にチュニジア留学への出発が決まっていた彼女が、8月の初めから長崎の病院に入院していたとはつゆ知らず、もう出発したか、または準備が忙しかろうと全然声をかけずに素通りしてしまったという訳なのである。

 大阪と長崎のどちらにいるのか知らなかったなどと、幾ら言い訳を考えてみても仕方がなく、7月12日の夏休み前の最後のゼミでみんなと一緒にチュニジア料理を食べ(チュニジア留学から帰国したての先輩がいたため)、別れ際に「これでもう会えないね」(当然!留学のため)などと言葉を交わして別れた矢先の事であった。
  合掌   

(後略)」

長崎は出島、浦上天主堂原爆の像など、ひととおり?は被災地を歩いたつもりだが、今日、ふと思い出したのはわずか21歳で亡くなった友達のこと。彼女が、生まれてから召されるまでの年月がすでに経ってしまったこと。この私のその後の22年間は、なんであったのだろうか。それほど近しい友達でもなかったけど、卒業式の懇親会のときに彼女がいなかったことを口々に語った彼女の女友達のことをも想い出す。

以前にも「屍を乗り越えて」というテーマの文章を書いた覚えがあるが、やっぱり夢や希望をたくさん抱えた何の罪も無い、たまたまそこに居合わせただけの普通の人を無差別に殺戮するのはダメでしょう。

ただですら、人はそれぞれの一生を全うするに必死になっているのに、何の権利があって人のしあわせに(国家が)干渉して介入してくるのか。

本当に、安倍首相とひざを突き合わせて話がしてみたい。(←妄想DJやっぱり松田聖子のめがねオヤジさんのキメ?言葉。相手は聖子ちゃんだけど)

道は(まだまだ遥かに)遠くて日が暮れて、ということにならないように、一歩ずつ歩いて行くしかないのかなあ!

そういえば、以前紹介したユニカセの中村八千代さんが、お話で、「三歩進んで2.9歩下がって」とか話していたことを思い出しました。いわく「一歩でも進めれればいいじゃん(0.1歩という現実に較べて)」って、う~ん、言葉に重みがあるなあ!

21歳で逝った彼女にも、なんらかの天命があった。残された人たち(わたしたち)にとっての天命はなんなのでしょうかねえ。

行くも地獄残るも地獄、生きるも地獄死ぬのも地獄、よく言われますが、やはり死ぬことを考えてもいいけど、生きているうちに(自分に)できることをやって、心軽やかに逝きたいものです。

改めて合掌。

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2013年8月 7日 (水)

68年目の廣島原爆投下の日に思うこと

初出:フェイスブック クロスロード・オブ・ハッピネス 2013年8月6日の書き込み


<68年目の廣島原爆投下の日に思うこと>  2013年8月6日


しばやん@ホームです。先週末の東京往復と、そのまま仕事でもう火曜日ですね。そう、今日は廣島の原爆投下68周年だそうです。NHKのBSニュースで。「はだしのゲン」という漫画の特集をやっていました。日本に留学中のイラン人の女子学生がペルシャ語版を2年がかりで翻訳して、イランの当局を説得して先月に、イランでペルシャ語版が発売になったことと、アメリカでも注目を集めているというイランとアメリカでの現地取材の報告がありました。ちなみに、すでに20ヶ国語に翻訳されているそうです。


あれから68年、43歳の私が知る由もありませんが、68年!たっても日本は原子力の悪魔の力の前に身をすくめて息をしています。当時、訳もわからず原子の業火に焼き殺された人は、そんな同胞をみて悔しさに涙も枯らした゜日本人’は、一体、どこにいってしまったのでしょうか。そして、亡くなった人たちは68年後の現代をみて何を感じるのでしょうか。


あまりにひどいことだと思います。あの時、焼き野原で、日本の復興を誓った人たちはどこへ行ったのでしょうか。


平和憲法の戦争放棄を期待と驚きで見守った日本人はどこにいったのでしょうか。


私は、昭和22年8月2日に発行された文部省の中学校一年用の社会科の教科書「あたらしい憲法のはなし」が大好きです。


私は、現代社会を、「未完の民主主義」の時代だと認識しています。もっと言えば民主主義自体を疑ってもいるし、単純に手放しでよいものといえるだけの知識も確信もありません。

いや、本能的に、出来ない(たどり着けない)ものだと感じています。ただ、今の時点でとりあえずの方向性を示しているとはいえ、もっとよいもの(具体的な案があるわけではなりません)がでてきたら、過去のものとなってしまうものであると思っています。でも今までの主義からすれば、まあよかったかなという評価は与えれれるでしょうが。


戦中派のいわゆる岩波知識人たちは、民主主義と平和の姿を描ききれなかった、ビジョンとして示しきれなかったのではないかと思っています。


世の中、有識者などといわれるエリートだけの世界ではないので、彼らをせめるのもお門違いで、要は、日本人それぞれが、それぞれの立場で、どれだけあの太平洋戦争を教訓として乗り越えようとしたかというだと思います。


子供も大人もお年よりももう一度、原爆時代の刹那さをかみ締めたらよいと思います。われわれの‘ちっぽけな’しあわせは、誰かさんの指先のボタン一つで簡単に吹き飛んで焼き尽くされてしまうのですから。


‘貧困’と(いわれるもの)と闘うことより、原爆や原発をなくす戦いのほうがよっぽどみのりもあるでしょうし、なにより明日への希望があります。


今の地球の限られた資源を考えると、貧困の大多数の人たちがいるからこそ、ほんの一部の人たちが豊かな生活を送れるのであり、もしみんなが豊かになってしまったら簡単に地球は定員オーバーで、それこそそれぞれのグループが生き残るための戦場、自分のグループ以外のものを必死で減らそうとする殺戮ばかりの地獄となるでしょう。


もう遅すぎるかもしれない、でもなんとかまともな世界に軌道を修正したい。そんなことを考えています。


参考:ちょっと古い記事ではありますが^^?




この項 了

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