« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月

2013年5月28日 (火)

‘第三舞台’論 - プレゼンテーション資料(案)

初出:facebookノート 2013年5月28日

----------------------------------
プレゼンテーション資料のl構成(案)
 
1.フォーマット
 
パワーポイントで作成する。
 
2.方針
 
図表を中心にして、コンセプト図を見てもらいながら説明する。
 
3.図表の内容(案)
 
- 舞台の絵 ステージと観客席
 
- 東京タワー作戦 見る存在でありながら見られる存在である
 
- 四次元把握の図その1
人の場合 人を中心に前後左右上下 プラス 時間軸
 
- 四次元把握の図その2
地域の重層性 空間軸、時間軸、
 
- 違った立場があるということを認めること
 
A と B の二つの立場の違いを図示してみる
※空間的な隔たり、アッパー・ローワー、外と内、ホームとアウェイ など、立場(まさにそうだ)が違うものが出会うときにどのような出会いがあるのかを図示する。
※異文化コミュニケーション論のフレームワークがおもしろいかもしれない!
 
- 場をつくるということ
A と B に加えて、Cという場を設定する。
※cが、どのような位置に当たるのかをシュミレーションする。そのなかで望ましいcのあり方とは何かを考えてみる。
 
- Cという場が成り立つために必要な条件
仮にAにとってもBにとっても心地よいCという場が存在するとしたら、その前提条件になるものは何であるかを考えてみる。
 
- A, B, Cともにそれぞれの場から漏れているものとは何かを考える。
その場から漏れるには少なくとも二つの側面がある。空間的・物理的に漏れ落ちる。そして精神的に漏れ落ちる ←実はこれが一番、厄介。なぜなら、自覚がないからに漏れていること自体に気が付いていない。
 
- 全て漏れなく救わなくてはならないのか。
あえて見てみぬふりをする。時期尚早と後回しにする。実はどちらもありで、現実は意図しようがしまいが漏れている不完全な状態で動いていることのほうが常態。
※ここでフィールドワークにより、AはBの目を持って、BはAの目を持ってそれぞれの自分の足元を見直すことが必要、
 
- 場の存在に気がつき、それぞれの違いと共通点に気がつくことができる人
A, B のそれぞれの場の特性に気がつき、それぞれを代表して掛け合うことが出来るインターフェイスが必要、それをチェンジエージェントと呼ぶ。てチェンジエージェント間の交渉でCという場所の設定が行なわれる。
 
- チェンジエージェントの資質と、その限界
個人に重きを置くも、その個人であるが故の限界も同時に存在する。いや個人の限界こそが、その場の限界となっているケースは多い。
 
- 限界を乗り越えるために必要なもの → 学びつつける個人と組織
時間、集団管理体制、グループメンバー間でのディスカッション。
AでもなくBでもなく、Cという新たな場所に立つことにより、見えてくるもの。
※ワークショップ(グループワーク)とファシリテーション
→ 場がもたらす高揚 = グループダイナミクス
 
- AとBは、Cという場に立つことにより、初めて、AとBを相対化してみることが出来る。
A,B,Cは、それぞれ異なるものである。しかしCは、AでもなくBでもないことにより、A, Bそれぞれの立場のものにとって、価値のあるものとなる。
つまり、A と B は、Cがあることにより、WIN=WINの立場に立つことができる。逆に言えば、A と B の二者間のみの関係性において、WIN=WIN の関係を築くことは難しいといえる。
なぜならば、それぞれの土俵に引き込もうという力学が必ず働くからである。
最初から、AでもなくBでもないCという場を設けることをゴールにするほうが、A,B 間交渉は容易である場合が多い。なぜなら、Cは、AにとってもBにとっても、ホームではなくアウェイであるという前提が事前に了解されているからである。
 
- Cというコモンズ(共有地)の重要性
Cのことを、コモンズ、公共圏、アジール、無縁などということもできる。
すなわち、Cという場をつくることは古今東西、人間社会でなんどTぽなく繰り返されてきたことであり、なんら特別なものではない。
 
それがすなわち地域の重層性であり、地域は人間の生活の営みによってのみ再生産されていくものである。
 
地域の重層性を掘り起こすこと、自分の足元を掘り起こすことが地域の過去、現在、未来を開くものであるといえよう。
 
- 開発民俗学およびチェンジエージェントの立ち位置
 
その地域を識る手立てのひとつのツール(手段・道具)として、(開発)民俗学が存在する。
 
つまり、地域の地理や歴史を識るための「フィールドワーク」、自分たちを語りかつ知るための「ワークショップ」、それを手助けするための「ファシリテーション」の3つの技術を持ったものを、チェンジエージェントといってもよいであろう。
 
おのずと答えは、自分(たち)の中にある。チェンジエージェントは、それを表出するのを手助けするだけである。
 
- チェンジエージェントの素質について
 
チェンジエージェントのこころの根底にあるのは、よそ者(性)である。
 
地域開発に必要な者として、「若者、ばか者、よそ者」と広くいわれているが、「若者」は、大人ではないという「よそ者」、「ばか者」も常識人ではないという「よそ者」であるといえよう。
 
すなわち三者に共通するのは、「よそもの(性)」そのものであるといえよう。
 
この項 了

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月21日 (火)

<開発民俗学ゼミナール 第1回>

とりあえずアップしてみました。


いやあ、ずいぶん恥ずかしいものです。みっちり1時間20分、動画ではあるのですが、今回は、あまりに動画を話がリンクしていませんので音声だけ聞いていただいても結構です^^? 最初に準備したプレゼンテーション資料もつけておきますが、プレゼンテーション資料に沿っていませんので自分で自習?してください。

ではでは^^?




いいかも!
以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

<国際開発学会発表に向けて 覚書>

<国際開発学会発表に向けて 覚書>




さて、レジュメを先に提出してしまったものの、パワーポイント資料をどうしようかと考えています。


提出した資料から、それほどは内容が変わることはまずいだろうと思いつつも、一体、自分は何が一番いいたいのだろうかと考えてみました。


まず、発表自体の制約条件から。


発表の時間が、ひとり20分で質疑応答をいれても30分。
かなり駆け足でやらないといけない。・・・ つまり脱線している余裕はない。

本当は、個々の事例の積み上げなのですが、プロジェクトや事業の背景を説明している時間がない。

となると、この発表では、ものの見方や抽象的なモデルの提示だけでもよいのではないか。つまりフレームワークの提示をする。

↑ う~ん。フレームワークに対して嫌悪感をもつ私自身が、フレームワークに逃げ込む?とは!


フレームの構成(案)


1.地域の重層性


1.1 例えばスクールマッピングなど、広域の地域開発計画を立てる場合、村落や集落名のリストから、机上で計画を立てる場合が多い。

それは、実際の地理的な条件や制約についての考察がない場合が多い。
(そもそも地図がなかったり、河川域については季節によってボーダーが容易に変更になる。山村部では、自然の障壁(谷川でアクセスできないなど)が、村落リストだけではわからない)

1.2 移住民の植民地の場合、過去の地域の歴史について断絶がある。また土地の所有権がはっきりしない。それがゆえに土地の所有権、利用権について複数の当事者の間で揉め事が起こりやすい。それを調整するのに時間がかかったり、後々の災難を防ぐために、その地域での事業に手がつけられない。


2.不在地主やその場にいない避難民の土地や事業への参加をどうするのか。

2.1 そこにいる人だけできめていいのか。外部者には、現場の人間(グループ)関係がみえないため、特定のグループにのみ加担してしまう場合がある。

2.2 外部者がいないときのプロジェクトの管理ができない。勢力地図が変わることによりプロジェクトが台無しもしくはゼロに戻ってしまう危険性が常にある。

2.3 影のモラルや社会構造に外部者は気がつかない。

鶴の一声はどの世界にもありうるし、真の実力者がわからずにモノごとを、とりあえずその場にいる人たちだけで進めがちである。

2.4 その場で当然のように排斥されている人たちの存在に気がつかない。

なぜなら現地のマジョリティにとって、それは当然のことであるから。その場に居合わせる必要性も感じないし、いなくても全く違和感はない。そのことを外部者は気がつかない。

2.5 いなくなった人たちのことは誰も語らない。


3.ローカルコンテクストが読めない。

3.1 当然のように援助を受け取る人たち(ただし、もらったらそのまま捨てている)

3.2 現場の人たちが求めるものを提供できない外部者。

外部者は自分がもっているもの、自分の力でできることしか現場に提供できないと考えがちである。もっと柔軟に、現場にあったものをほしいものを与えるもしくは共に開発することができないものか。

3.3 あとは野となれ山となれでもよい(場合もある)

外部者がいなくなったあとでも、ひとつのプラットフォームが残ることにより、残ったそのプラットフォームのマンバー間のやり取りで、新しいプロジェクトが生まれることがある。それは、直接的なプロジェクトの効果ではなくとも、間接的な効果であると評価できないものだろうか。


結論:

プロジェクトそのものの成否より、プロジェクトのために集まった者たちの間で、なんらかのアリーナ(場)ができればよいのではないか。それをつくることにもっと力を注ぐべきではないか?

う~ん。全然、まとまっていない!

明日、また考えよう!


ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月19日 (日)

声を上げない被援助者たち

初出: グループ クロスロード・オブ・ハッピネス 2013年5月19日書込



ふと、ブルーハーツの歌と今朝(2013年5月19日)のNHKのニュースでのワンシーンをみて考えました。まずNHKのニュースですが、現代の貧困ということで母子家庭など子供の貧困のことを取り上げて、援助団体の人のコメントや民間支援団体の奨学金を得て1年予備校に通って、つまり浪人して大学に進学した男の子のインタビューがありましたが、その中で、ふと違和感を感じました。


ザ・ブルー・ハーツ 『ザ・ブルー・ハーツ』  泣ける唄が聴きたい!2008年3月31日 (月)


私は開発民俗学を提唱する中で、あらゆる人たちがそれぞれの場所で自分を卑下することなく胸を張って生きていけることを、まずの目標としているのですが、これは一般的なロールモデルにあった落ちこぼれ?をつくらないという方向性ではありません。どんな職業であれ、どんな学歴であれ、どんなハンディキャップを持っている人であれ、それぞれに社会における持ち場があるのであり、どんな職業についていても人間としての尊厳をもって自信をもって生きていける世の中、それぞれ不完全な人間が、自分の持っていないところは人に助けてもらい、自分の持っているもので他の人に貢献する、そんな相互扶助が当たり前にできる世の中、そうであるべきとまでは言い切れませんが、いろいろなものさしが多数当たり前に存在する世界であってほしいと思っています。


なにかいま援助する側だけの熱い?想いばかりがニュースになって、では本当に困っている人は、どんな努力?をしているのというところが見えにくいのです。


貧困の定義自体をきちんとしなければというところもありますが、本当に貧困者が困っているのか、客観的とか、援助する側の想いはともかく当事者がどうしたいのかがわからない、そんな気がします。


思えば、1980年代も積み木くずしとか家庭崩壊、不良、いじめ、不登校いろいろ問題はあったはずです。


でも、なんかそんな不良な中学生や高校生を、それはそれとして取り込むだけの社会があったと思うのです。そんなやんちゃな人ほど、世の中の厳しさにあってまとも?な社会人、いや人として今を生きていると思うのです。


人生に浮き沈みにあることは当たり前のことで、人の一生においても貧困ラインは一定ではありません。確かに、その‘とき’というものは大切です。しかし、そんなに恵まれた人たちばかりではありませんし、みな思うようにいかないつらい時期を絶対にもっていると思うのですね。


結局、援助というものは、人間としての試練の場を奪っているのではないか。


そのときは大事です。でも人生、なんどでもリベンジできるのだし、みな働きながらお金をためて学校に入りなおしている人も何人でもいるのではないですか。


ふと、国民皆徴兵制を復活させるべきだという政治家が、この10年ぐらいのしていることを思い出しましたが、それとは別に、当事者自体が気付くことがあるだろうし、徴兵令や援助(支援)の網とは別にそれぞれが自分にあった人生を生き抜く力をつけてほしい。


そのために、いろいろな立場の人たちの経験をシェアすることが、まずは大切だと思います。


いま、大学生や若い人の間で、世界の途上国で小学校を建てることがはやりのようになっています。そもそも政府の事業の青年海外協力隊も、日本の青年教育の一環であるといってもよいでしょう。


ちいさな達成感や、貢献している感は、大切です。


でも本当の教育とは、学校という箱があっただけでは解決しない問題が、教室の周りにいくらでもあることを若者は知ることでしょう。


それを知ることが、彼らのためのではなく、自分にとっての学びであることにやがてきづくでしょう。


とにかく、今は何でもありの時代です。さまざまのアプローチの仕方があってもいいし、なんでもできることをやってみることは大切です。


人と人が会うことにより、なにかが生まれる。


その中で、さまざまなドラマやモノ、コトが生まれてきました。


ただ、やっぱり言いたい。


本当に当事者は、なにを思っているのかと。
本当に叫ばなければならないのは、まわりの‘ものわかりのよい’大人のサポーターじゃないだろう。


もっと世界に対して自分の気持ちを声を出してぶつけてみろよ。ブルーハーツみたいに!


ブルーハーツだって、何の役に立ったのかはわからない。でも、声を出すことによって、その声を聞いた誰かが何かのアクションを起こしたのかもしれない。


わたしは、最近、アイドルの松田聖子さんをだしにして、大衆文化論に取り組んでいますが、世界を動かしているのは、一部のトップの人ではなく、まちがいなくその他大勢の‘平の人(by 片倉もとこ)’であることを確信しました。


そして大体において、その平の人のセンスや感覚は間違っていない。ただ、うまくベクトルがあっていないなと思うことはあるわけですが^^?


ともあれ、実際の現場でそこにいる人が何を考えているのか何をみているのか、そして、何が見えていないのかについて一緒に考えるための手助けをするのが開発民俗学であり、学問的な‘技法’です。これは自分で自分の足元を見つめなおすためのもので、学者さんやサポーターはいりません。


自分で考えて動く、身のまわりの何かを変える、そのための道具となるべきもの、そんなものを提供していきたいと思います。


いや、それぞれ、みなさんから提供してもらってシェアする場をつくること自体が私の課題ですね。


他の人が、どのように学問と関わっているのか、関わっていこうとしているのかは私にはわかりませんが、自分にとっての学問とはそんなものであってほしいと思っています。


ではでは^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 8日 (水)

開発援助実践の現場で‘第三舞台’の創造は可能か? -参加型開発を超えて!-

しばやん@ホームです。先日、5月7日の期限ぎりぎりで、下記の原稿を、国際開発学会第14回 春季大会の口頭発表用に事務局に提出しました。

とりあえず、こちらにアップしておきます。

----------------------------------------------------
開発援助実践の現場で‘第三舞台’の創造は可能か?
-参加型開発を超えて!-


歩く仲間主任研究員/地域活き生きアドバイザー
柴田英知

キーワード: 開発援助、参加型開発、プロジェクト・フォーミュレーション、フィールドワーク、チェンジエージェント


1. はじめに

論者は1992年より16年間、農業・水資源と地域開発を専門とする開発コンサルタント会社に勤め、その後も地元の‘まちづくり’の中で常に誰の何のための活動(開発)なのかを模索し続けている。今回の発表では劇作家の鴻上尚史の「第三舞台」を参考に、開発援助の現場における‘関係性’に焦点を当てて非日常(ハレ)である開発援助プロジェクトと平の人(by 片倉もとこ)の日常(ケ)との相克、特に現状把握の難しさ、そしてVHHMA(Variety mixture Holistic and Hybrid Multiple Approach) という考え方ならびに‘われわれの物語’を創るということについて報告したい。


2. 時間と空間を共有するということ-‘舞台=現場’と‘関係性’について

1980年代の小劇場ブームの立役者のひとり劇作家の鴻上尚史はスタッフとキャストがつくる「第一舞台」、観客席のある「第二舞台」そして両者が「共有する幻の舞台。すなわち客と劇団が最上の形で共有する」舞台の創造の可能性を「第三舞台」という劇団名に託した。

例えば「天使は瞳を閉じて」(1988)という舞台にこのようなやり取りがある。収容所と思しきところから逃げ出そうとする登場人物たちは監視者から銃撃を受けて壁までたどり着くことができない。そこで『東京タワー作戦』なる作戦を試みる。「私達は、「オトリ」と「本隊」というふうに分類しているからだめなんだ。」「全員がオトリになりながら、全員が本隊になるんだ。」「東京タワーは、街から見られる存在でありながら、東京タワーに上れば、街を見る存在に変わる。つまり東京タワーは、見られる存在でありながら。」「見る存在なんだ!」

これはほんの一例であるが鴻上尚史はその他の戯曲においても徹底的に‘関係性’にこだわっているようにみられる。この「見る存在でありながら見る存在」であるという視点は、すなわち~ 年代にかけて人文科学系の研究者、特に文化人類学徒の盲を解放した考え方に他ならない。つまり完全なる客観性は確保しえないということと、関係性という相互作用により変化する現状を把握することの難しさを改めて考えさせられたのである。課題はここにおいて、現場でいかに関わりあうかという問題に置き換えられる。


3. ロバート・チェンバースの参加型開発の視点について

さて前述の演劇の世界の言葉を流用すれば、参加型開発を提唱するR・チェンバースは、開発援助の現場で外部専門家が「第一舞台」の主人公であった状況を批判して、「第二舞台」のお客様とされてきた住民を「第一舞台」の主人公として引き出すことを提案した。つまり彼の理論は、「第一舞台」の専門家が描くブループリント的な中央からの開発を否定し「第二舞台」の住民こそが主人公であるべきだと、それまでの開発援助のパラダイムにおける主客の転換に大きく貢献したといえよう。そしてその20 年後には、外部専門家自体が「第一舞台」から降りることをいわば‘開発倫理’の問題として改めて提起している。外部(専門家)からの働きかけではなく、住民自体が内発的な開発をめざし志すことが「参加型開発」であると定義しなおしたといえよう。

しかしながらステークホルダーの捕らえ方に根本的な見落としがあるのではないか。つまり「第一舞台」と「第二舞台」(どちらが外部者でどちらが地元民でも関係なく)の両者が同じ‘時間’と‘空間’=すなわち‘場’を共有することにより、「第一舞台」でも「第二舞台」でもない、新たな「第三舞台」を創る可能性を忘れてはいないだろうか。


4. 開発援助の現場における現状認識の実情(緊急援助と開発援助)

国際協力を論ずる場合、実施機関による分類とは別に緊急援助と開発援助という区分で分けられる場合がある。その違いと何が難しいのかについて掘り下げてみたい。

(1) 東ティモールとフィリピンのミンダナオ島の緊急援助の現場から

まず論者が2001 年から2004 年まで複数の国際機関、日本政府の業務でかかわった東ティモールの復興支援業務と、2004 年から2008 年にかけてマニラ駐在員としてかかわったフィリピンのミンダナオ島の平和構築支援の業務での経験を紹介したい。

① ステークホルダーのあいまいさ

緊急援助の場合、まず誰をカウンターパートとするかということ以外にもプロジェクトにかかわる‘ステークホルダーのあいまいさ’が大きな問題である。政府開発援助の場合、カウンターパートが政府関係者であるのは間違いないにせよ受益者であるべき開発対象地域の‘住民’の実態が非常にわかりにくい。

東ティモールの場合、国家と地方行政を担っていたテクノクラートでもあるインドネシア人の行政官が全て帰国してしまい、また騒乱の中で多くの既存の資料や政府関連施設が焼き払われてしまったために、人的資源というソフトだけではなく、ハードとしての役所としての資料や情報が、いきなり断ち切られた状態になってしまった。

またフィリピンのミンダナオ島においても戦闘行為で紛争地帯に入ることができないため国家の末端行政機関が十分に機能しておらず、加えて政治的理由により、フィリピン政府、ARMM 政府とバンサモロ開発庁という複数の行政機関が連立することとなった。

さらに平和時における開発援助の場合であっても、中央官庁の政策レベルで計画されていることと、地方出先機関の実情と現状把握のレベルの違いがあまりに大きいことがある。

特に国際機関や二国間援助のいわゆる政府開発援助においては、事業規模が大きい場合が多いので、どの段階から地域行政機関そして実際の受益者である住民を巻き込むのについては、非常にセンシティブにならざるを得ない。

このように実際の開発現場の現状がわからない場合でも、目的となる住民がどのような人たちなのか、例えばどのような生業で生計を立てているのかがよくわからないままに中央レベル(援助機関、カウンターパート機関の中央部、開発コンサルタントなど)で開発計画を立案してしまう場合が非常に多い。

また現地で既に多くの事業が実施されており機能している有効なネットワーク(人脈、ファシリティーなど)が存在していたとしても、中央レベルではそれを知らない、もしくはその重要性が十分認識されにくいことを指摘したい。つまり既存のネットワークが持つ成功と失敗の経験が、新しいプロジェクトの立案に十分に反映されないためが故の失敗例を東ティモールでもミンダナオでも見聞きした。


② プロジェクト設計時における選別の是非について

例えばミンダナオのケースであるが、事業開始時点でプロジェクトの対象者を社会的弱者、例えば‘先住民・マイノリティ’‘女性・子供’などの一定の枠組みに絞り、本部で対象地域を選別して、当事者の知らないところでその‘枠’に入らない周辺の集落や住民がプロジェクト対象から落とされているケースが複数のプロジェクトで見受けられた。特に地理的な要因に配慮が足りない場合に、同じ地域でありながらプロジェクトの恩恵を受けるものと受けないものができると同時に、プロジェクトを実施する援助団体の違いにより近接している集落の間で同じような事業内容、例えば給水施設の建設の住民負担率などにバラつきが生じて不平等が生まれているケースがあった。

③ 見えるものと見えないもの

また、プロジェクト側で排斥された住民とは別に、集落の中で主要で多数派を占める‘メジャー’な住民から排除されているマイナーな住民についてのアプローチが不十分になりがちである。マイナーである理由として民族的な問題と地理的な問題があり、同じ集落と外部からは思われているにもかかわらずメジャーの住民から周縁だと思われている住民がいた。つまりメジャーである住民にとっては、彼らが‘見ようとしていないマイナーな住民’も同じプロジェクトの受益者であるという意識がないために問題として顕在化しにくい。そのためドナーがマイナーな住民の存在自体に全く気がつかないケースがあり、結局プロジェクトの実施が現地の差別を固定して住民間の格差をさらに広げてしまうという問題が生じている。そのような既存の不平等や差別に対してプロジェクトはどのようにアドレスできるのか、またアドレスすべきなのかという問題が残る。

これらの例のように、現場の実態把握の重要性がこれほど指摘されているのにもかかわらず、緊急支援の場合は特にプロジェクト形成時には現地の状況が十分わかっていないことが非常に多いといえよう。


(2) 開発援助の現場からフィリピンのパナイ島の地元民による地域開発(事業)

開発援助の例として地域住民が主体的に推進する地域開発について前回の学会発表で紹介したフィリピンのパナイ島での事例をとりあげる。その中で論者は他者性をもった現地のチェンジエージェントが、外部のチェンジエージェントと緩やかなネットワークにより外部者とプロジェクト対象地域の住民を新たな‘プラットホーム’に乗せることにより地域開発を推進していることを報告した。そして日常(性)に対比して非日常かつ一過性であるプロジェクト(事業)をいかに地域に取り込もうとしているのかについて、ダブル・チェンジエージェントという概念モデルを使って説明を行なった。つまり結果として、プロジェクトという「第一舞台」、それに参加させられた受益者の「第二舞台」が協働で作り出した「第三舞台」というプラットホームが、この現場では既に創りだされていたことになる。

5. 結びに代えて…VHHMA(Variety-mixture Holistic and Hybrid Multiple Approach)と‘われわれの物語’を創るということ

VHHMA とは論者の造語であるが、あえて日本語にすると「複雑でまぜこぜのまま全体的によいとこどりであらゆる側面からアプローチ」するという意味である。そもそも世界そのものが多様性(variety)をもって互いに混ざり合っているもの(mixture)であり、全体をありのまま(holistic)に、そしてよいところを掛け合わせて(Hybrid)、多面的に(Multiple)に接近(approach)すること、これは近代科学が進めてきた世界を単純に(Simplify) 切り離して(separate)分析して(analyze) 単純化する(unify)アプローチ、SSAUA (Simplify,separate, analyze and unify approach) に対立するものともとれるが、逆にそのようなアプローチを補完するものであるともいえる。

果たしてプロジェクトという時間と予算の限られた枠組みの中で、VHHMA を実現できるのか?VHHMA は分析や単純化そしてフレームワークを拒むものであり、早速の解決を目指さない。つまりプロジェクトでそれを行なうことは現実には非常に難しいものといえる。

だからこそ、非日常(ハレ)である開発プロジェクトという「第一舞台」に、日常(ケ)を生きる「第二舞台」の現地民が邂逅することによって、すなわち‘時間’と‘空間’を共有する全ての当事者が「第三舞台」を創ることによって「第一舞台」の予算と時間の枠を取り外し「第一舞台」が去ったあとも「第二舞台」の住民は、新たな「第三舞台」の物語を続けていくことを可能とさせる。これが‘われわれの物語’を創るということである。

また、この一度「第三舞台」を創ったという経験こそが、現地の日常に色を添え、また次なるプロジェクト「第一舞台」を呼び込む受け皿(プラットホーム)になるといえよう。

その「第一舞台」と「第二舞台」の間に立って、異なる文化を仲介し翻訳しさらには調整して、それぞれの住民にとって居心地のよい「第三舞台」を創りだすチェンジエージェントたちのことを論者は「ダブル・チェンジエージェント」と改めて命名したい。

今後の課題として、1.VHHMA とは具体的に何であるのか、そして、2.いかに‘われわれの物語’を創るのかが挙げられるが、それを説明し、かつ実現化する有効な手段の一つとして、フィールドワークとファシリテーションおよびワークショップがあげられることを指摘して今回の報告を終えたい。


2013年5月6日 提出 最終稿

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »