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2012年1月30日 (月)

複合生業論の開発現場への適応可能性について<理論各論>

というテーマをmixiの開発民俗学-地域共生の技法ーで綴っています。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49412237&comm_id=2498370

そのトピックへの最新の書き込みです。
私は、ミクシイのコミュニティのほうが継続的に分類を立てて記事を掲載できるので、そのスタイルシートが好きです。
フェイスブックではどうも情報がウォールを流れてしまうので、もし関心のある方がいらっしゃいましたらミクシイの
コミュをお尋ねください。

ではでは^^?

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ひさしぶりにこちらのトビに書き込みします。

本当に、いまさらなのですが、宮本常一さんの『生業の歴史』 未来社 1993 をゲットしました。
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E5%8F%8C%E6%9B%B8%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%91%E8%A1%86%E5%8F%B2-%E5%AE%AE%E6%9C%AC-%E5%B8%B8%E4%B8%80/dp/4624221079

最近、徐々に少しずつ読み出したところなのですが、非常に考え方がおもしろい。

なにか常一さんって、歩く民俗学者など、‘歩く’ところばかりが強調されていますが、実は渋沢敬三宅のアチックミュージアムという巨大な資料館に寝泊りして古今東西の書籍や民具に囲まれて研究を続けた人で、私は実は‘歩く’ばかりでなく、めちゃくちゃ‘読んだ’人でもあると思います。これは、宮武骸骨氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%AD%A6%E5%A4%96%E9%AA%A8) や南方熊楠氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0)にも通じるところなのですが、この3名はまさに図書館・博物館に住み込んで、そこを拠点に研究を行なったのでした。(骸骨は東大法学部の明治新聞雑誌文庫、南方氏は大英博物館東洋調査部)

つまり歩く以前に文献調査も抜かりなかったということで、なんていうのだろう、過去の(研究)蓄積と現場でのフィールドワークを掛け合わせたところで新たな理論構成というよりむしろ埋もれていた‘事実’の発掘と再構築をおこなったという評価ができるのではないかと思います。

この生業の歴史も、宮本常一さんなりの歴史‘理論’構築で、今の研究水準からすれば抜けや漏れもあるはずなのに、不思議とリアリティがあるというかさもありなんという気にさせられてしまう不思議な本です。

研究者には、資料の全体をみて(埋もれてしまった)絵やストーリーが見えてしまう‘ヒラメキ’タイプと資料の抜けや漏れが気になって、さらに埋もれているであろうミッシング・ピースを埋めようとする‘重箱’タイプと、極論、二つにわかれると思うのですが、当然、どちらも大切ですが、私としてはある程度の資料をもってストーリーを活き活きと描いてしまうタイプのほうがスタイルとしては好きです。

当然、抜けや漏れは少ないに越したことはないですが、ストーリーやビジョンを示したほうが、他の人も協働がしやすいし、より深いところにいけるのではないかと思います。

かなり脱線しましたが、この本は、そんな常一さんのヒラメキの書であると共に、その視点や考え方について非常に学ぶところの多い問題の書であるといえます。

詳しいレビューは別途、書く予定ですが、現実の‘事実’から過去の歴史に学び推理を重ねる。フィールドから考えるとはどういうことかを、改めて考えさせれました。

ではでは^^?

(加筆) 2012年1月29日

人と生活=なりわい(生業)?

今、宮本常一さんの『生業の歴史』を読んでいるわけですが、彼のアプローチでいつも感心するのは、具体的な人やモノから考えるということ。生活者の感覚というか上からの目線ではなく、具体的な人々の生活から問題を提起するところに秀逸性を感じる。よく政治家の生活感覚のなさが問題になるが、学者もそうではないか、理論や理屈から入るとどうしても非現実的な数字や概念が一人歩きしてしまう。ホンマにそうなのかということで立ち止まらなくてはならないはずなのに、何か‘リアル’にかけた‘数’や‘規範’にしばられて具体的なものが見えなくなってしまっている。当たり前のことが当たり前にいえる世界、これは簡単そうで非常に難しいところ。でもよくもまあこれほど具体的な話を拾ってくるというか、どういうアンテナをしているんだろう!と思います。今となってみると昭和も遠くになりにけりということで、常一さんのみた大正、昭和が遠くなりつつあるのもまた事実。まあ、それはそれとして‘今’を語り‘書く’ことが未来の‘歴史’になるということ。今の平成に起きていること、2012年に起きていることをその時、その場で書き留めること。それが未来のヒントになる。民俗学も学問も全て未来のためにある。そんなことを考えつつ、彼(常一さん)のまなざしに想いを重ねます。民俗学の可能性は、今の‘現実’と‘人’と寄り添うこと。こんなことを考えつつ^^?

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