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2011年12月 4日 (日)

【es002】プロジェクトXから10年・・・なぜ、今、プロジェクト【es】なのか?

初出: facebookページ 2011年12月4日

http://www.facebook.com/#!/note.php?note_id=319736351387044

今からちょうど10年ほど前、2000年~2005年頃までNHK総合テレビで「プロジェクトX挑戦者たち」というドキュメンタリー番組が、静かな反響を呼び、最後には国民的な番組として、特に団塊の世代以上の多くの企業戦士たちの熱い涙を誘ったことを覚えているだろうか。あのテーマ曲と、田口ツモヲの語りを忘れられない人もいよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88X%E3%80%9C%E6%8C%91%E6%88%A6%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%9C

確かに過剰な演出もあったかもしれないが、大体が事実に基づいたそれぞれの「物語」は、全く背景や当時を知らない若い世代にも多くの共感と感銘を与えた。私もその口ではあるのだが、少しひねくれた見方をすれば、失われた10年に対する日本人の鬱憤を晴らすかのような、プロパガンダのような(国営の)番組であったといえるかもしれない。

テーマ曲である中島みゆきの「地上の星」やエンディング曲の「ヘッドライト・テールライト」も、はやりに流行ったし、中島みゆきが黒部第4ダムの坑道の中よりライブで、紅白歌合戦に参加したことを思い出す人も多かろう。

しかしである。「地上の星」を熱くカラオケで歌うシニアを見て、なにか違和感を感じた若者はいなかったのであろうか。というのは、まさに私がそんな若者であったからである。つまり30歳頃で、ちょっと社会人も板についてきた頃、何をここまでのめりこんでいるんだというのも本音であった。

私の感覚では、団塊の世代より10歳くらいシニアの人たち、そう戦後の復興期に青年期を過ごし、実際に昭和30年代から40年代への高度成長期を、日本社会の主人公として生き抜いた方々の思い入れは、正直、団塊ジュニアである私みたいな1970年生まれの若造には、まったく理解できなかった。

いや、たぶん理解できるフリをする意味のないことを知っていたというほうが正しい。本能的に、若者は知ったフリをしてはいけないのだとわたしは感じていた。正直、シニアがカラオケにこめた想いの重さはわからなかった。ただ軽いものではないのだろうなとは感じた。

きっとリアルタイムに生きてきた世代にとっては、若造が訳知り顔をすることは感情的にもしっくりとこないものがあったのではないか。そんなシニアの横顔を、なぜか今、ふと思い出してしまった。

それらの楽曲の入った中島みゆきの「短篇集」というアルバムを、今、もう10年ぶりくらいかに聞いているのだが、なんというのであろう、平成も10年も経った頃の番組であったはずなのに、もろに‘昭和’テイストなものであったことを改めて感じる。

さて、ということで本題に入る。

プロジェクトXは、各回の読みきり?の番組として確か数年にわたる長寿番組となり、とりあげられたプロジェクトも書籍やDVDになるなど、今での貴重な日本の戦後復興や高度成長の時代、いや最近のプロジェクトも取り上げていたからもっと、広い意味での「日本人」が関わった(特記すべき)「プロジェクト」大全とでもいえるだけのボリュームと内容になっている。

「事実は小説より奇なり」とは言い古された言葉ではあるが、まさに、この番組を見て眼からうろこの新発見が多かったのではないか。特に業界やインサイダーにとっては常識でも、それ以外の人にとっては新奇でかつ重要な教訓や学びを与えてくれた。

実際に、このことは非常に重要なことである。つまり、内部の‘者’にとってはあたりまえのことでも、外部者から見るとまったく常識でもないとんでもないことってありませんか。

この番組名のプロジェクト「X」とは未知数の「X」という意味であると、どこかで聞いた?覚えがあるのであるが、これはこれでよい。不特定多数の視聴者に、さまざまなプロジェクトのバラエティ(多様性)を伝えるのであるから。

しかし、私がいう【es】とは、英語でいえば、「it」であり、「その」プロジェクトのことである。

「それ」とは何か。これを「日本の開発コンサルタントが携わった開発援助プロジェクト」のことだと、私は考えている。

開発学は、欧米ではそれなりの歴史があるのかもしれないが、日本では大学院レベルの教育が行われるようになったのは1992年頃のこと、実は私が大学を卒業した年であるのだが、まだ20年の歴史も持たない。

しかし、開発の時代を狭くトルーマン大統領の「開発のための闘い」をスタートとしてわずか60年、第2次世界大戦より戦後復興プロジェクトの開始としても65年、少ないとはいえ先進国、以前は第一世界といわれた資本主義陣営と第二世界といわれた社会主義陣営は、覇を競うがごとく、第三世界と呼ばれたアジアやアフリカの新興国を。、それぞれの陣営に引き込むべく、膨大な開発の実践を世界中で展開してきた。

ここで忘れてはならないことは、学校教育という場では20年の経験しかないとはいえ、日本の開発援助の歴史は、1955年のコロンボプラン加盟にさかのぼってすでに55年の長きにわたろうとしているのである。

私は、1992年より縁があって、日本のトップの開発コンサルタント企業の一つに席を置かせていただいたのであるが、その中には、驚くような、サムライ・コンサルディング・エンジニアたちが生息していた。

実は、世間には全く知られてはいないがそれこそ‘無数’にあるプロジェクトXの現場に、私も居合わせることになったのである。

2008年に事情があって16年間にわたった開発コンサルタント会社社員という立場にピリオドを打ったのであるが、一旦埋め込まれた(開発)コンサルタント的な生き方自体を変えるつもりは全くない。

最近は、地域活き生きアドバイザーなどと称して、まちづくりに顔を出したりしているのも、その延長線上のことで、現在の仕事とは全く関係がないが、生き方としては筋を通していると思う(たぶん^^?)。

ある研究者は、「(開発)コンサルタントのDNA」とでもいうものがあるということを言った。半分冗談であろうが、私もその言わんとするところは、なんとなくわかる気もする。

なにか、前口上ばかりで全然、本題に入れませんが^^?

正直、このプロジェクトを進めるのには気が重いところもある。なぜなら、プロジェクトは‘生きている’から、現在、進行形の‘物語’であるからである。

当然、生きているこということは、切れば血もでるというか、名誉や利権やさまざまな利害関係がある。

特に、開発援助業界は、1980年代の終わりの強烈なODAバッシングや2000年中頃の不祥事など、マスコミに対する不信感や社会に対して‘開く’ことを潔しとしないというか、本能的な恐怖感がある。

加えて「コンサルタントとしての倫理」、つまり業務上知りえた情報を外部に漏らしてはならないとする「守秘義務」という大きな「壁」もある。

開発コンサルタントが表にでない理由と(言い訳)は、それこそ、きりがないくらい、いくらでもある。

そもそもであるが、内部の人間は、自分の目の前の仕事をこなすだけで手一杯で、人のことにかまっていられないという現実もある。

しかし、‘誰’のために人が働いているのかということを冷静に胸に手を当てて考えてみれば、自分のためや自己実現のためというを一旦、横に置いてみると、我々の答えは案外シンプルである。

少なくとも、わたしにとっては明白で、「あなたの笑顔のために(For Your Smile)」でしかない。

いや、それがまた難しいのであるが^^?

11月26日と27日に名古屋大学で国際開発学会の第22回大会が行われたのですが、私は、2つのセッションでフロアから発言した。

一つは、26日の「Influencing:開発の民族誌研究の影響力」というセッションで、Influencingをめぐるパネラー達の発言に対して、「研究者がとか実務家(開発コンサルタントを含む)などと議論している場合ではない。影響を与えるべき対象は「普通の国民」である。私は、2003年ごろから開発民俗学を提唱して勝手に情報発信をしている」とついつい勢いで言い切ってしまった。

まあ、半分以上本気でやっていることなので、それはそれでいいのだが、開発コンサルタントも学界(学者)も机上の開発論を戦わすことより実際に’平の人’の理解と協働がなければ、開発(学)自体がなりたたない、と私は思う。

私がいたずらに開発を礼賛しているわけではないことは、「開発民俗学-地域共生の技法-」なのでの葛藤をみていただければわかるのだが、これからは、開発する/されるの(二元論的な)対立ではなく、共に何が一番‘われわれ’にとってよいことなのか考えあう時代なのではないかと思う。

次の発言は、11月27日の「開発と社会学」という企画のセッションで、またも同じような展開で、社会学と実務者との距離を嘆く?ような内容だったので、いや待て、「社会学の学者達が懸念するようなことは、すでに開発援助の現場では現実的な課題として日夜コンサルタント達は格闘している。開発業界で生きている(食べている)人が日本に20,000人いるといわれているが、この学会には2000人しかいないではないか。残りを占める開発援助業界のプロ達(特に開発コンサルタント)たちは、50年間、開発援助の実務に携わってきたが、日本の政府開発援助の黎明期のコンサルタント達は、もう80歳や70歳を迎えて、何も語ることなく墓場に知識と経験をもっていってしまう。今の時点でアーカイブしないと日本の開発学会そのものの大きな損失となる。」というようなことを思わず言い切ってしまった。

若気の至りとはいえ、とんでもない啖呵をきってしまったものである。私も言ってしまってからびっくりというか、話の流れとはいえ、実はこれはもう10年来、持ち続けてきた私の実感でもあるので口に出した以上は実は腹をくくっている。

この場で言わなくてもずっと考えていたことであるし、たぶんそのうちに取り組むべき私の課題が、少し前倒しになっただけだと思う。

結局、‘誰か’がやらなければならないことだし、今、やらなければ現実に「間に合わない」のも事実であるからである。

これはもう、しっちゃかめっちゃかというかパンドラの箱を開くようなとんでもないことになったとも思うが、もうこの際、勢いでやってしまえという気にもなる。

さてさて、どう具体化するかは現在、検討中。

ただ、うまくやらないといかんなということだけはわかっています。

近いうちに地下にもぐらないとまずいかなとも思いつつ、一旦、筆を置きます。

ではでは^^?

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