« 国際開発学会第22回秋季大会 いよいよです^^? | トップページ | 【es001】ESSCES (エセス)略して【es】プロジェクト始動! 国際開発学会の宿題です^^? »

2011年11月27日 (日)

国際開発学会大会終わりました^^? アラビア語学科卒の仲間にあいました(雑感)

初出: mixi日記 2011年11月27日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1799389072&owner_id=11744733

しばやん@ホームです。無事、学会の発表が終わりました。そして、新しい歩く仲間との出会いがありました。このようなチャンスに巡りあえたことに深く感謝。感動のあまりいうこともないのですが、とりあえず1点、報告を^^?

その1. 45分の一の希少性? 外大生との邂逅。

私は1988年に大阪外国語大学外国語学部アラビア・アフリカ語学科アラビア語専攻に入学して、1992年に卒業しているのですが、今回、初めてたまたま同期の東京外国語大学のアラビア語卒業の方にお会いしました。実は、東京外語を滑った口としてはなんともいえない感慨がありました。というのは、明らかに彼女とは入試であっているはずだし、なにかが間違えば?同級生だった可能性もあったのです。

大阪外大は、2007年に大阪大学に吸収されてしまったので、今はもう跡形もないのですが、私としては本当に大阪に行ってよかったと思います。

山奥の住宅地のど真ん中にあり学生街も何もなく、ただ墓石階段があるだけ?で「サナトリウム」とかボロクソいわれまくりの箕面キャンパスですが、1学年690名の単科大学で26外国語の学科がタコツボみたいに押し込められたキャンパスで、しかも7割の女子学生の中で、その閉塞感に耐え切れずに週末はヨット部で大阪北郊ヨットハーバーで1年のうち108日合宿していたわけですが、今思うとそれもまた良かったと思えるから不思議です。つまり1年は海にいたので、3年以下(たぶん)しか学校には行っていなかったのですが、いろいろなチャレンジをすることができました。

例えば、スカイメイトの会員となって、機会があれば東京などに勉強に行ったりしたのも、キャンバスの狭さと刺激のなさゆえの結果だと思います。

大学2年生のときの関西大学での日本中東学会の第6回大会のかばん持ちに始まり、3年生のときの東大の東洋文化研究所で行われた「イスラームの都市性研究」の大学生・院生向けの6日間かのサマースクール(合宿)なんだかんだと、東京の研究者(先生や学生)の層の厚さに目を開かされたり、今思えば、よく時間があったなあという生活をしていました。

結果的に、山奥で勉強に集中できたのも事実だし、東京に出たら出たで、きっと刺激が多すぎて、自分は流されてしまって結局、何も出来なかったかもしれないし、そんなことが走馬灯のように頭を巡りました。

ともあれ、当時、東京外語は20名の定員だったので、大阪外大とあわせて日本で合計わずか45名、実はうち3名が今までになくなっているので、42名しか同期生は存在しません。実は、大阪外大にしかない、ビルマ語が15名定員だったので、それほど極端ではないですが、国連公用語にしては、わずか42名がプロパーだったのが、20年前の日本の学問状況だったわけです。変な話ですが、東大や京大に入るのよりも狭き門なのかもしれません(勝手な妄想!)

だからといって何も背負っているわけではありませんが、今思い返してみると、大阪外大は英国におけるロンドン大学(連合)の中のSOAS(スクール・オブ・オリエント・アンド・アジア・スタディーズ)とでもいうべき存在であったのではないかと思います。つまり(英国帝国主義時代の植民地時代の)地域研究のメッカの日本版であったのではないかと^^?実は、東京外語は幕府の翻訳所が母体なので、最初から東大の一部になったり、欧米6ヶ国語が始まりの官製通訳・翻訳所で、かなり政策的にも使われていますが、かたや大阪外大は、神戸の貿易商のおばちゃんが商業の為につくった私立の学校を国が買い上げたという経緯があり、もともとアジアの言葉が中心でした。貿易港の神戸や商人の町大阪、公家の町京都の京阪神文化の中の、大阪外国語大学は官学というよりも商人のための専門学校で、商社、メーカーに就職が強いというのは、そもそも当たり前という歴史・地理的なキャラクターを持っています。

研究者や官庁や政治に近いのは東京外語で、商業に強いのは大阪外大というのは、あながち嘘ではありません。

ともあれ、学生は4年の在学期間中に言語を習得して、さらにそれを元に゜何か’を学ぶつもりが、実際には1年から4年生まで言語の習得(だけ)に追われてしまうのが実状なのですが、実は先生は、その言語を自由の操れるそれこそ言語学だけではなく、社会学、地理学、文学、法学などさまざまなディスプリンの専門家(達人)がそれこそごろごろいらっしゃいました。社会学とか‘学’のディスプリンの部分が、先生個人についているので、ディスプリンそのものを学ぶことは難しいのですが、先生達は、そのディスプリンを使った最先端の専門研究 を学生への語学指導と並行しておこなっていました。これは、実は、すごいことなのです。地域の言葉ができてディスプリンもあるということは^^?

つまり、地域研究において(現地の)言葉ができることが必須です。実は、それほどスゴイ先生が多く在籍していたのにも関わらず、学生たちは語学科という‘タコツボ’にハマってよその学部の学生や先生とほとんど触れ合うことなく4年を終え卒業していくのでした。

大阪外大は、のちに世界言語文化研究センターを持ちますが、大学院併設ではなく、大阪大学と合併することによって、言葉のできる地域研究者の密度が薄くなってしまったと聞きます。つまり一部のディスプリン以外の先生は、阪大の既存の学部の生徒を見ることになってしまったのです。

ともあれ、そんな希少価値の学部の姉妹校!の同期生に会えただけでも、今回はよかったなあと思いました。

彼女もアラビア語というより別のディスプリン(政治学)を身につけてアフリカ研究を続けているわけですが、私は結局、ディスプリンを持たずに今まで流されて?きてしまいました。

いや逆に言えば、マルチディスプリン環境下で育ったので、あえて一つに絞る必要を感じなかったのかも知れません。社会学や人類学や法律学を元に地域研究をやるのではなく、いきなり地域研究者のアリーナにいたことが、こだわりなく、どんなディスプリンでも偏見なく?受け入れ使ってみよう、いいとこ取りしようというという、今の日和見な学問態度につながっているのかもしれません。

ともあれ、アラブやイスラームの地域研究に理解があって、開発援助の実務経験もある人は、実はあまりいません。いや一回り上に、両方の学会で活躍しているアジア経済研究所の佐藤寛先生がいらっしゃるわけですが、たぶん佐藤先生もイスラームの知識や経験(イエメンの研究)があったこそ、2000年以降の独創的な研究をすることができたのであろうと、私は勝手に思っています。つまり中東研究者は、独特というか一筋縄ではいかないユニークな方が多いということです。(たぶん、他の学会は知りませんが^^?)

私は、やはり佐藤寛先生の後を受けて、地域研究(Area Study)と地域開発(Rural Development)の両方の実践のできる研究者を目指したいと思います。さいわい、私はそれができる基礎教育を受けて、かつ実務経験(開発コンサルタント16年)を持つという一番おいしいポジションにいます。実は^^?

ともあれ、その佐藤寛先生が、第8代の学会の会長になられて、開発学会の研究者の世代交代みたいなものを、今回、強く感じました^^?

いろいろ、他にも触れたい話題が一杯あるのですが、とりあえず今日の報告はここまで。

ではでは^^?

|

« 国際開発学会第22回秋季大会 いよいよです^^? | トップページ | 【es001】ESSCES (エセス)略して【es】プロジェクト始動! 国際開発学会の宿題です^^? »

開発民俗学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101961/53351126

この記事へのトラックバック一覧です: 国際開発学会大会終わりました^^? アラビア語学科卒の仲間にあいました(雑感):

« 国際開発学会第22回秋季大会 いよいよです^^? | トップページ | 【es001】ESSCES (エセス)略して【es】プロジェクト始動! 国際開発学会の宿題です^^? »