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2011年11月 6日 (日)

りぶらまつり2011(11月12~13日)のセミナー企画で伝えたいこと

初出: フェイスブック 2011年11月6日

http://www.facebook.com/arukunakama?sk=notes#!/note.php?note_id=302955856398427

について、参加者向けにまとめてみました。 参考までに転載いたします。

実は、もう10年来、ずっと言ってきていることなので、歩く仲間のHPやブログをみれば、似たようなことばかり書いてあるのですが、まあご参考まで^^?

あと、こちらのページもご参照ください。「開発民俗学への途」の中にはまだ位置づけられない思索の断片(エッセイ)を載せています。かなり過激なことも書いてあります。正直言って^^?

■ 歩きながら考える・・・‘世界’と‘開発’

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000.htm

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ちょっと原点にもどって、再度、内容を説明させていただきます。

今回のワークショップを企画するにあたって、私は、岡崎市民として何ができるのか、われわれ(プレゼン側)が、岡崎から‘世界’に出たことによって、何を学んできたのか、そして岡崎市民の住む‘この世界’と、テレビ越しにみる‘世界’となにがどう違うのか、ということについて、語ってみようと思いました。

ところで、‘世界’といっても、非常に広いもので、それこそ、欧米の先進国の大都市こそが世界だという人もいれば、ヒマラヤやオーストラリア、アフリカなどの大自然をとっさに思い浮かべるひともいるでしょう。

昨今では、テレビでも海外取材番組が増えて、芸能人がなにげに海外ロケをこなしています。

ただ、気をつけなくてはならないのは、特に切り取られた‘映像’は、それを切り取った‘側’の意図や思惑があり、世界の全てをテレビカメラが映しているわけではなく、とれを撮った側の‘主観’によってつくられた‘物語(ストーリー)’のための映像なのです。

あと、普通の市民もなにげに海外旅行に行く世の中になりました。熟年シニア世代もリタイアした第2の人生として、なんども何箇所も海外旅行を楽しんでいる方々もこの岡崎にも大勢いらっしゃいます。

私は、開発や援助の対象となるような‘開発途上国’の姿が、テレビがよくとりあげる先進国や途上国でも一部の観光リゾートと同じとも違うとも思いません。

しかし、なぜメディアはアジアやアフリカをとりあげる時に、ことさら悲惨な貧困や紛争などばかりをとり上げるのでしょうか。

答えは単純です。それらの衝撃的な映像やお涙ちょうだいの‘物語’のほうが、人々の関心を引きやすいし、なによりも商業的に儲かるからなのです。

全てのテレビ映像が、そんな単純な金儲けだけの意図でつくられているわけではないことは、重々承知の上ですし、それもまた‘一つの真実’であることは認めます。

でも、というかだからこそ、私は、そんな‘ニュース’になるような特殊な真実ではなくて、普通の‘平の人’(by片倉もとこ先生)の普通の‘日常’や‘気持ち’について、ちょっと具体的に語ってみたいのです。

結論は、一つです。

‘途上国も先進国もない。確かに、自然環境や住生活環境、特に社会基盤の整備状況などの違いはありますが、住んでいるのは‘平の人’であり、われもかれも同じ人間じゃないか。

ことさらに構えることもなく、普通に‘人として’向き合えばよいのであって、先進国のセレブをうらやむこともないし、途上国の‘貧しい’人たちを哀れんだりましてや蔑む必要も理由も全くない。

そして、もし‘彼ら’と何らかのかかわりを持ったのであれば、我彼の線引きをして、‘絶対安全圏’に自分を置いたまま‘ガラス越し’に何かをするのではなくて、一緒に、われわれの‘物語’を紡いでみたらどうなのかな?

一緒に、何が‘われわれ’にとって‘幸せ’なのかを考えて行動してみたら、何かが生まれて始まるのではないか。

そんなことを私は、考えています。世界平和や平等とか大きな‘ビッグワード’を語るのではなく、もっと‘ささやか’で、かつ‘自分たち’ができる範囲での、‘小さな一歩’でよいのではないか。

私はパネルディスカッションのタイトルの中で、「チェンジ・‘ア’・ワールド」という言葉を使いましたが、‘世界’そのものを変えるのではなく、自分の半径3m以内のところから、まずは自分のちいさな、ささやかな世界(ワールド)から変えていく、見つめなおしてみるほうが、遠回りのようでみえて、実は、一番確実に、‘世界’を変えていくことになる。

なぜなら、そのようなことを考えているのは、‘私’だけではないから^^?

You may say, I am just a dreamer. But I'm not the only one.

I hope someday you'll  join us.

And the world will be as one.

Imagine, John Lennon, 1971

と、かの元ビートルズのジョンレノンさんも言っています。私は、個人的には最後の一節に、異論がありますが^^?

ともあれ、私は、こんなことをつらつら考えて、この20年間世界を歩いてきました。

あと思うのは、世界の問題も日本で起きている問題も、実は、全く一緒。そしてその解決方法もたぶん、同じような‘方法論’が使えるのではないか。それを模索中であるわけですが、私は、その方法論を、「開発民俗学」というものとして体系づけられないかということで、勝手に2003年ごろから提唱しています。

■ 開発民俗学への途 (第1部) 2000年~2008年

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

■ 開発民俗学への途 (第2部) 2011年~ 進行中。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2/index.html

あと、関連でみていただきたいのが、次の論考です。

■ “半径三メートルの実感”((c)妹尾河童)・・・自分の感性を信じること(椎名誠『インドでわしも考えた』を読んで)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00015.htm

■ 2001年あるいは、21世紀の始まりに想うこと (あたりまえの時代もしくは本物(ライブ)の時代の到来)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00016.htm

ともあれ、伝えたいメッセージの胆は、「歩きながら考える」 おっと、結局、歩く仲間のテーマに戻ってしまいました。

私の歩く仲間構想の始まりは、こちらです。

■ 私的かつちょっと長い前書き(“歩く仲間”構想とは) 2000年3月18日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0000.htm

つまり振り出しに戻ったということですね。

お後がよろしいようで。

ではでは^^?

柴田 英知

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