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2011年10月23日 (日)

11月26日の国際開発学会で口頭発表をします^^?<バックステージ>

ようやくというか、ついに国際開発学会の口頭発表の原稿が完成しました。

もともとわたしは、国際開発(援助)畑なのですが、3年前に開発コンサルタント会社を退社して田舎に戻って、今は本業の傍ら、地域活き生きアドバイザーとして自分の足元のまちづくりに対して、ちょびちょびコミットしています。

2011年11月26日と27日に国際開発学会の第22回大会が名古屋大学で開催されるのですが、11月26日の午後1時より3時までのセッションで、口頭発表をすることになりました。

フィリピンの事例なのですが、日本のまちづくりと全く同じ構造なので、日本のまちづくり関係者にも参考になるのではないかと思います。

よろしくご高覧ください^^?

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まず、問題意識といいますか、バックステージを紹介させていただきます。

初出: 書き込みNo.14 2011年10月22日

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65516943&comm_id=2498370

トピック: 地域開発におけるよそ者の役割 -国際開発学会口頭発表原稿‐ @開発民俗学-地域共生の技法-

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バックステージということで、若干の補足を^^?

大体、提出したものが全てなので、(現実には、口頭発表なので、その場で内容を変えることが可能といえば可能なのですが)、あとでつべこべ言っても仕方がないのですが、正直、2の考察の論理の運びには、まだまだ説明不足というか抽象的すぎて全然、学術的?ではないと思います。

結局、自分の‘想い’の投影なのではないか、事実と(希望的)推測をまぜこぜにしているのではないか、論理的ではないという指摘については、たぶん、正しく答える(申し開きする)自信がありません。

ただこの事例でまずわかって欲しいのは、ある一人の取り組みから‘何か’が変わり始める、そして、それが実を結ぶというか成果が出始めるのは、この例では、単純に考えても6年から7年、少なくとも5年以上かかっています。さらにいえば、ルースがこのプロジェクトに巻き込まれるまでに、彼女の大学や職場経験(NGOでの活動を含む)の10年をさらに加算しなければなりません。

わたしは、開発コンサルタント業務として、例えば農業開発のパイロットプロジェクトを開発調査中で実証調査でやる場合や、技プロ(プロジェクト方式技術協力)の事業の事前評価などで計画を立てるとき、まず対象となる農民グループを選んで、組織化とトレーニングのスケジュールを立てるのですが、半年でグループを立ち上げて、営農指導をこの時期から始める(現実には自然状況に合わせてトレーニングしなければならないので、タイミングをはずすと1年間、何もできないことになってしまう)と、勝手にこちらの都合でバーチャートを引いてしまうのですが、果たして、そんなことが現実に可能なのかどうか。

そして、外部からのプロジェクトとは、全く関係なく現地の人たちは‘生活を懸けて’日々の営農生活をおくっているわけです。そんな中に、外部者が‘民主的な’PCMとかいうワークショップをおこなって、外部者の‘プロジェクト’に参加させられていく。

それが、俗にいう‘参加型’開発の一つの例なのですが、わたしは、根本的にこのような‘手法’に対して不信感と正直‘やってられない感’を持っています。

そんな都合よく、農民は動いてはくれません。

もう一つ、重要なポイントは、ルースをはじめ‘三人のマリア’は、間違いなく農民側というより外部者である‘我々’側の立場の人間です。例えば、日本の開発NGOのスタッフを大学の先生や修士や博士が、それなりのバックグランドをもって活動しているようなもので、ファシリテートや住民組織化やプロジェクトマネジメントの‘専門家’です。

ただ、われわれ外国人よりも受益者の農民に距離が近いというだけで、拠って立つ思想や考え方は、驚くほど外部者のそのものです。

つまり、われわれが住民組織の開発に介入するためには、受け入れやすいようなオブラートなりお膳立てをしないと簡単には‘内部’に入り込めませんよということです。

たぶん、開発NGOの世界では常識なのでしょうが、現地の優秀なスタッフをカウンターパートとしてうまく使ってプロジェクトを実施ということは、ODAでも全く同じことで、役人かもっと住民に近いレベルかという違いだけで、実際にプロジェクトを動かそうとすると、より住民にわれわれ計画者が考えるシナリオを理解してもらい共感してもらい実施してもらうかという点に全てがかかってきます。シナリオに書かれた理念がより下のレベルに浸透していけばいくほど、その‘シナリオ’自体の実施率は高まることでしょう。

しかしながら、誰がその‘シナリオ’を書くのかという点については、(われわれ計画者には)なんの反省も内省もありません。

それが、120%正しい(彼らが進むべき)道だと信じ込んでしまっているわけですから。

ここで、わたしが考えているのが、シナリオを書く力自体を住民に渡していなくてはならない、もしくは、ともに考えていかなくてはならない。そのことを、‘われわれ(自身)’の物語を作るという言い方をしているのです。

それが、開発民俗学の一つのゴールであると思うのですが、この‘かかわりのエートス’(京都大学の東南アジア研究センターの地域研究者の合言葉)なとということをまじめに考え出すと、実は一生をかけた生き方の問題となってしまいます。

う~ん。人生は短い。わたしみたいに浮気というか腰の据わらない人間にとっては、風のごとく、ぶらぶらいろいろなところを巡りたいわけですが、まじめに地域研究や地域開発をやろうとすると、体がいくつあっても足りません。しかも相手は自然(環境)と人間ですから、天候などによるさまざまな物理的な障害のみならず、人間関係というよけいなストレスもあるわけですよ、ちょっと考えただけでも^^?

まあ、それでも、一人ひとりの幸福のためにみんなで何かができないのか、それを地域のみんなで考えていくことはとても大切なことだと思います。そのために必要なのが、みんなで話し合い考えるための‘場’を作るということ。それも開発民俗学の重要な実践課題です。

実は、その先にある困難も見えてはいるのですが、今の時点ではいいますまい。

ともあれ、そんなことを考えつつ、とっかかりとして口頭発表の文章を書いてみました。レジュメはこちらです。

http://www.facebook.com/arukunakama?sk=notes#!/note.php?note_id=295989390428407

ではでは^^?

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