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2011年10月

2011年10月23日 (日)

地域開発におけるよそ者の役割 -フィリピン・ビサヤ地方の灌漑システムの事例考察-

2011年10月21日(金)提出原稿

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地域開発におけるよそ者の役割

-フィリピン・ビサヤ地方の灌漑システムの事例考察-

歩く仲間 主任研究員/地域活き生きアドバイザー 

柴田 英知

*[連絡先] E-mail: bxf00517@nifty.com, 歩く仲間-歩きながら考える‘世界’と‘開発’ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/

キーワード: 開発援助、チェンジエージェント、よそ者の役割、フィールドワーク、ファシリテーション

 

1.はじめに

近年、日本の政府開発援助(ODA)の実施にあたり、開発途上国における施設(ハード)の建設のみならず施設引渡し後の維持管理体制の確立の重要性が指摘されており、実際に施設を運用する関係者(政府職員、受益住民など)に対するトレーニングや施設の維持管理のための住民組織化支援などをソフトコンポーネントとしてプロジェクトに当初より組み込むことが必須となっている。

そもそも受益者である地域住民重視の開発を目指す以上、ハードだけでないソフトの整備も必須であることは、今日の援助業界の常識であるといえる。

論者は、1992年より16年間、農業開発と地域開発を専門とする開発コンサルタント会社に勤務してきたが、いまだに計画段階では、現実に誰が‘そのプロジェクト’の主人公なのか、誰がソフトの整備を担うのかについて、具体的なイメージなしに‘あるべき組織図’を青写真として描いているように思われる。

ここでは2002年におこなわれたJBICの水利組合に関する現地調査で出会ったフィリピン・パナイ島のイロイロ市近郊にある一つの国営灌漑施設事務所の女性の灌漑者開発職員(IDO)を紹介するとともに、実際のプロジェクトのアクター分析とチェンジエージェント=よそ者(性)の重要性について論じたい。

この事例の特筆すべき点は、公共政策を学んだ女性IDOが自分のNGOなどの経験を生かして地元の灌漑者組合(IA)の組織化に大きな役割を果たしたこと。IAの組織強化に当たっては灌漑や作物など技術的な専門家としてではなく、ファシリテーターとして専門家と農民の間をつなぐ、いわば専門家の翻訳者として同時に情報の伝達者として機能したこと。IDOがプロジェクトを通じて外部のプロジェクト関係者や地元NGOより広く学び、ついにはIDOが他ドナーより資金を引き出すための”仕掛け”を考えるまでになったことである。

地方の一国営灌漑システムのIDO及びIAが、本部である国家灌漑庁(NIA)の予算とは別に、他の行政機関(農業省および関連団体)や地方自治体、財団法人、民間企業に加えて、外国政府(日本、オーストラリア)などの外部資金を獲得する能力を身につけたことに対して、NIA本部職員の間に大きな期待感があると同時に、他地域での再現可能性についての懸念の声も多い。今一度、彼女らIDO及びIAの生の声に立ち返ってその歴史と成功の要因を検討してみたい。

2.国営アガナン・サントバーバラ川灌漑システムの三人のマリア(灌漑者開発職員)

(1)灌漑システムの概要

アガナン・サントバーバラ川国営灌漑システム(ASBRIS)は、フィリピンのビサヤ地方・パナイ島のイロイロ市の北方約15kmに位置するアガナン川及びサント・バーバラ川を水源とする約5,300haの灌漑面積をもつ国営灌漑システムである。このシステムは国家灌漑庁(NIA)の第5管区灌漑事務所の下、ASBRIS国家灌漑システム事務所が、この灌漑システムを実際に利用する11の灌漑者組合(IA)の合計2,569名の組合員と共に運営・管理している。この灌漑システムでは、ハードウェアとしての灌漑施設の増改修やソフトウェアとしての灌漑者組合強化のためのトレーニングプロジェクトが継続的に実施されてきた。

プロジェクトの主なアクターとして①NIA本部派遣の灌漑エンジニア、②3人のマリアといわれた女性の灌漑者開発職員(IDO)、④灌漑者組合長、④青年海外協力隊で赴任した団員、⑤地元NGOがあげられる。

以下に、2002年の現地調査時にIDOの一人であるルース及びIA組合員に対しておこなったインタビューをもとに、さまざまなプロジェクトの概要を述べる。

(2)1990年~2000年頃までの灌漑システムを巡る活動

①1990年始め

アジア開発銀行の灌漑者組合強化プログラムが始まる。NIAの灌漑エンジニア1名が赴任する。(1980年代にも世界銀行のプログラムがあったが自然消滅した経緯あり)

②1994~1996年

日本の無償資金協力による灌漑施設の改修、収穫後処理施設の建設がおこなわれた。灌漑施設の改修によりハードウェアとしての灌漑効率の上昇が見られたが、収穫後処理施設については、維持管理費用が全くなかったため、実際に管理を担当するIDOが維持管理費用を捻出するのに苦労した。

1994年頃に3人のマリアの一人、ルースのIDO赴任による灌漑者組合(IA)の組織化が始まり、灌漑者組合長を中心としたトレーニングによりIA間の協調体制の整備とそれらの連合を実現させた。具体的かつ顕著な成果をあげた活動は下記の2点である。

a) 話し合いによってIA間の水配分のルールをつくった。(乾季は上流のみ灌漑して、下流地域は畑作を奨励)、b)基礎資金積立による所得向上への取り組み。(基礎資金の積立により他の機関から融資をうけることができるようになる。最初は11人のIAリーダーだけで16,000ペソを基金として積立、のちに組合員にも活動の輪を広げた)

(3)2000年頃からでてきた成果

①水利費の徴収率の向上

組合員のハードに対する信頼や改修事業への感謝の気持ち及び実際の所得向上によって、水利費の支払い意欲が高まる。結果としてa)2002年度に優秀灌漑者組合の第2位としてNIA本部より表彰(第1位は地方灌漑システムで規模及び運営形態が違うので、国営灌漑システムではトップの成績)、b)水利費支払い率の上昇(25~30%から60%へ)、c)農業省からの融資(マイクロファイナンス)に対して償還率100%の達成、d)オーストラリア政府の地域開発資金の獲得などの成果をあげることができた。

②灌漑者組合参加によるメリットと学び

組合員から挙げられたIA参加のメリットは以下のとおりである。a)種を安く買うことができる。b)機械を貸してもらうことができる。c)融資を受けることができる。d)スタディーツアーに参加することができる。e)家の中にいてはわからない”新しい”情報にふれることができるなど。

特記すべき点として、IDOが女性を対象にしたプログラムを推進していることもあり、女性の参加率が35%にも達していることが上げられる。また半数の組合員が夫婦で組合活動に参加している。(夫婦の場合でも、選挙権は1票)

③今後の課題

ただし今後の問題として、水路の上流と下流の組織の間での水の絶対量の不足による灌漑栽培できる作物の違いによる所得格差(分配方法については5年程前に上流下流のIA間で同意すみ)については克服できておらず、それは水利費の支払い率が上流部では当初25~30%から60%に上がったのに対して下流部では25%に留まっているのに如実に示されている。

(4) その他の外部からの働きかけ

日本政府の灌漑施設の補修と収穫後処理施設の無償資金協力が大きなハード面でのステップとなり、ソフト面の協力として、その後、収穫後処理施設の運営強化のため青年海外協力隊(JOCV)3名が派遣された。彼らは収穫後処理施設を拠点にさまざまな生計向上プロジェクトを実施した。うち一人は敷地内に集会場を建設するための日本の援助を申請して実現した。

なお、これらの外部者(JOCV)について、IDOや組合員はおおむね肯定的で好意的な見方をしている。つまり、外部者の眼にさらされることが刺激や励みになるというのである。これらの外部からの働きかけが継続的かつ重層的に行われたことについて、今一度留意を促したい。

2.考察と今後の課題 -よそ者(性)とチェンジエージェントについて-

(1)灌漑者開発職員(IDO)の専門と立ち位置について

ルースらIDOの大学での専門は公共管理などで技術者ではない。つまり技術的な面については、NIAの灌漑エンジニアや地元NGOの技術スタッフの協力に全面的に負っており、彼女らは自ら“ファシリテート”に徹したと語っているが、そのことが成功の一つのポイントだと考えられる。

また、組合員とのインタビューの中で、冗談で3人のマリアがいずれも独身で熱心に農民との協議に参加したこと(歌って踊ってなどのアフターファイブの付き合いも積極的にしたこと)や、彼女らIDOすべてが地元の出身であること(前任の4名のIDOは他の地方出身)がプロジェクト成功のポイントであるといった指摘が組合員よりあげられた。またルースの組合員への働きかけは決して権威的でなく、冗談も交えて実にうまく彼らの意見を引き出しており、そのファシリテーション技術自体、非常に興味ぶかいものであった。

彼女らはいずれも30歳前後と年齢は若いが、地元民であることと、インテリであることがうまく組合員に受けいれられてチェンジエージェントと成り得たと考えられる。つまり彼女らの生家は農民出身ではあるものの、今の立場は農民ではないということはポイントの一つである。同じ農民の立場であれば、あれほど思い切った提案ができるのか、またそれが組合員から受けいれられたのかは不明である。つまり、農民の組合員とは違う、なんからのよそ者(性)があったことについての考察が必要である。

(2)よそ者としてのチェンジエージェント

チェンジエージェントは、カタリスト(キャタリスト)ともいわれ、主に外部者としての役割と機能を持って、ある組織の内部と外部の橋渡しをする、いわば異質のものをつなぐことにより組織に変革をもたらす人をいう。しかしながら、その立ち位置は、内部者でありながら外部者でもあるという相反する利益や利害の間に立つという非常に難しいポジションでもある。

ルースを始めIDOメンバーと個人的に話しあう機会がその後何度もあったが、時折、地元では優秀な大学卒業の彼女達に対して、農民からある意味、‘よそ者’として見られているという個人的な悩みを聞かされた。大学へ進学できること自体がエリートであり、実際には契約ベースの雇用であったとしてもIDOは国家公務員でもある。なお、3人のマリアの一人は働きながらも国立フィリピン大学ビサヤキャンパスで修士課程も修了している。

この事例では、地元民でありながらチェンジエージェントでありえた3人のマリアを考察したが、現実には、地元民とは異なる行動原理をもつ‘よそ者’としての自覚と立ち位置を持っていた。言い換えれば、全くのよそ者が水利組合の人間関係の内部に入り込めなかったのに対して、彼女たちが地元民だから溶け込めたのではなく、彼女たちは自分の中の‘よそ者’意識をうまくオブラートに包んで地元の農民と接しているともいえる。

また彼女達自身が、よそ者意識をもっているがゆえにプロジェクトを取り巻く全くのよそ者(外部者)の意見や知見を咀嚼して自らの活動に選択的に取り入れることができたともいえる。

ところで、私は2001年に静岡県三島市で開かれた国際地域開発学会大会で「(地域開発には)うまく地元民を引き込む”仕掛け”をするチェンジエージェントが重要」ということについて学んだのだが、誰がチェンジエージェントになれるのかについてこの例に則して考えてみると、現実の地元民とか外部者という属性とは別に、よそ者(性)というものが要素としてあげられるのではないか。

つまり、チェンジエージェントには地元に足場を持つ「土の人」と外部に接点をもつ「風の人」の二つの側面があることを指摘したい。これは「地元にある程度住みつづけることを前提とした人しかチェンジエージェントになれない」という訳ではなく、よそ者(性)を持ったものはチェンジエージェントになりうる可能性があるということである。逆に言えば、外部者が常に必ずチェンジエージェントになれるわけではないのである。

外部者がチェンジエージェントとして機能するためには、この矛盾する要素を併せ持つ必要がある。住民に仲間として受け入れられるための要素(この例では地元民であること)が必要でありながらも、外部者としての立場(IDO)も持つという二面性を兼ね備えなければならない。いわば自分自身の中に、よそ者(性)すなわち外部性をもつ必要があるともいえる。このように2つのペルソナを持つことは、個人においては非常なストレスの元でもあり、かなり意識しないとできないことでもある。

つまり、外部者である‘よそ者’こそ、プロジェクトの内部者から外部者が求められる機能について自覚的にあらねばならない。そして自分がチェンジエージェントであるばかりでなく、プロジェクトの現場ごとに‘よそ者(性)’を持ったチェンジエージェントを発掘し育てるという意識が必要である。

最後に、ルースから言われたこんな言葉で発表を締めくくりたい。「ミスター柴田は、30%が日本人で、30%がフィリピン人、残りの40%は何人だかわからない」。つまり、自分の中のよそ者(性)を意識することがチェンジエージェントの重要な要件の一つであると、わたしは今、考えている。

(了)

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11月26日の国際開発学会で口頭発表をします^^?<バックステージ>

ようやくというか、ついに国際開発学会の口頭発表の原稿が完成しました。

もともとわたしは、国際開発(援助)畑なのですが、3年前に開発コンサルタント会社を退社して田舎に戻って、今は本業の傍ら、地域活き生きアドバイザーとして自分の足元のまちづくりに対して、ちょびちょびコミットしています。

2011年11月26日と27日に国際開発学会の第22回大会が名古屋大学で開催されるのですが、11月26日の午後1時より3時までのセッションで、口頭発表をすることになりました。

フィリピンの事例なのですが、日本のまちづくりと全く同じ構造なので、日本のまちづくり関係者にも参考になるのではないかと思います。

よろしくご高覧ください^^?

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まず、問題意識といいますか、バックステージを紹介させていただきます。

初出: 書き込みNo.14 2011年10月22日

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65516943&comm_id=2498370

トピック: 地域開発におけるよそ者の役割 -国際開発学会口頭発表原稿‐ @開発民俗学-地域共生の技法-

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バックステージということで、若干の補足を^^?

大体、提出したものが全てなので、(現実には、口頭発表なので、その場で内容を変えることが可能といえば可能なのですが)、あとでつべこべ言っても仕方がないのですが、正直、2の考察の論理の運びには、まだまだ説明不足というか抽象的すぎて全然、学術的?ではないと思います。

結局、自分の‘想い’の投影なのではないか、事実と(希望的)推測をまぜこぜにしているのではないか、論理的ではないという指摘については、たぶん、正しく答える(申し開きする)自信がありません。

ただこの事例でまずわかって欲しいのは、ある一人の取り組みから‘何か’が変わり始める、そして、それが実を結ぶというか成果が出始めるのは、この例では、単純に考えても6年から7年、少なくとも5年以上かかっています。さらにいえば、ルースがこのプロジェクトに巻き込まれるまでに、彼女の大学や職場経験(NGOでの活動を含む)の10年をさらに加算しなければなりません。

わたしは、開発コンサルタント業務として、例えば農業開発のパイロットプロジェクトを開発調査中で実証調査でやる場合や、技プロ(プロジェクト方式技術協力)の事業の事前評価などで計画を立てるとき、まず対象となる農民グループを選んで、組織化とトレーニングのスケジュールを立てるのですが、半年でグループを立ち上げて、営農指導をこの時期から始める(現実には自然状況に合わせてトレーニングしなければならないので、タイミングをはずすと1年間、何もできないことになってしまう)と、勝手にこちらの都合でバーチャートを引いてしまうのですが、果たして、そんなことが現実に可能なのかどうか。

そして、外部からのプロジェクトとは、全く関係なく現地の人たちは‘生活を懸けて’日々の営農生活をおくっているわけです。そんな中に、外部者が‘民主的な’PCMとかいうワークショップをおこなって、外部者の‘プロジェクト’に参加させられていく。

それが、俗にいう‘参加型’開発の一つの例なのですが、わたしは、根本的にこのような‘手法’に対して不信感と正直‘やってられない感’を持っています。

そんな都合よく、農民は動いてはくれません。

もう一つ、重要なポイントは、ルースをはじめ‘三人のマリア’は、間違いなく農民側というより外部者である‘我々’側の立場の人間です。例えば、日本の開発NGOのスタッフを大学の先生や修士や博士が、それなりのバックグランドをもって活動しているようなもので、ファシリテートや住民組織化やプロジェクトマネジメントの‘専門家’です。

ただ、われわれ外国人よりも受益者の農民に距離が近いというだけで、拠って立つ思想や考え方は、驚くほど外部者のそのものです。

つまり、われわれが住民組織の開発に介入するためには、受け入れやすいようなオブラートなりお膳立てをしないと簡単には‘内部’に入り込めませんよということです。

たぶん、開発NGOの世界では常識なのでしょうが、現地の優秀なスタッフをカウンターパートとしてうまく使ってプロジェクトを実施ということは、ODAでも全く同じことで、役人かもっと住民に近いレベルかという違いだけで、実際にプロジェクトを動かそうとすると、より住民にわれわれ計画者が考えるシナリオを理解してもらい共感してもらい実施してもらうかという点に全てがかかってきます。シナリオに書かれた理念がより下のレベルに浸透していけばいくほど、その‘シナリオ’自体の実施率は高まることでしょう。

しかしながら、誰がその‘シナリオ’を書くのかという点については、(われわれ計画者には)なんの反省も内省もありません。

それが、120%正しい(彼らが進むべき)道だと信じ込んでしまっているわけですから。

ここで、わたしが考えているのが、シナリオを書く力自体を住民に渡していなくてはならない、もしくは、ともに考えていかなくてはならない。そのことを、‘われわれ(自身)’の物語を作るという言い方をしているのです。

それが、開発民俗学の一つのゴールであると思うのですが、この‘かかわりのエートス’(京都大学の東南アジア研究センターの地域研究者の合言葉)なとということをまじめに考え出すと、実は一生をかけた生き方の問題となってしまいます。

う~ん。人生は短い。わたしみたいに浮気というか腰の据わらない人間にとっては、風のごとく、ぶらぶらいろいろなところを巡りたいわけですが、まじめに地域研究や地域開発をやろうとすると、体がいくつあっても足りません。しかも相手は自然(環境)と人間ですから、天候などによるさまざまな物理的な障害のみならず、人間関係というよけいなストレスもあるわけですよ、ちょっと考えただけでも^^?

まあ、それでも、一人ひとりの幸福のためにみんなで何かができないのか、それを地域のみんなで考えていくことはとても大切なことだと思います。そのために必要なのが、みんなで話し合い考えるための‘場’を作るということ。それも開発民俗学の重要な実践課題です。

実は、その先にある困難も見えてはいるのですが、今の時点ではいいますまい。

ともあれ、そんなことを考えつつ、とっかかりとして口頭発表の文章を書いてみました。レジュメはこちらです。

http://www.facebook.com/arukunakama?sk=notes#!/note.php?note_id=295989390428407

ではでは^^?

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2011年10月19日 (水)

石の上にも3年!いやいやディケイド(10年)で考える^^?

初出: mixi日記 2011年10月19日
転職して丸3年が経った。全く違った職種への転進であったが、なんとなくわかったところもあるが、まだまだわからないところのほうが多い。

何に、ストレスを感じているかというと、ずばり考え方の違い!もっと自分に柔軟性があれば、素直な心があればと思うが、性格(‘考え方と行動のクセ’と誰かが定義していた)が合わないというか、今までに培われた経験や考え方が逆に足を引っ張っていると感じないわけでもない。

ともあれ、まだまだ思うとおりにいかないというか、わたしの‘思う’ところが見事に指示者の思惑と見事に外れるものだから、もうあきれるというか苦笑してしまう。

まあ、それもまた現実である。3年は長いようでも短いし、3年ばかり?で何かが‘わかる’ほど、世の中、甘くないということで、日々がんばっています。というところは、置いておいて^^?

本当に、‘常’に自分の「得手に帆を揚げて」生きれればいいのですが、まあそんなわけにはいかない。それが、また人生なのでしょう^^?

さて、とはいえ、「石の上にも3年」の意味がちょこっとだけわかったことに加えて、最近、特に若い人と話していて思いついたことがある。

実は、若者のぼやき?というか、先が見えない感についてのつぶやきに対して、わたしは、こんなことを話したり書き込んだりしている。

ある20歳代の若者へのメッセージ。直接お会いしたことはないのですが、ミクシイつながりで、以前、進路について電話でお話したことがある‘歩く仲間’の一人です。

先に見えないというような主旨のつぶやきに対して、わたしはこんなことを書き込みました。

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まあ、見えないのが当たり前というか、結果として轍が道になるのであって、そんなにあせることもないと思いますよ。

あ、でも社会にでること=目標が見つかる。というわけではありませんね。たぶん、社会にでて不本意?なこともするうちに、目標が純化されるというか、これではないという消去法で浮かび上がってくるのだとわたしは今でこそ思います。実際にやってみると思っていたのと違っていたとか、これはもう(絶対に)やりたくないとかいうことが、社会にでると嫌でもわかるというのがメリットかな。

まあ、20歳代は、門前の小僧習わぬ経を読むで、とにかく(組織に)言われるがままをやってみる。30歳代は、20歳代に培ったものを元に、他流試合に出てみる(自分の組織とは別のところ(道場)の門をたたく、まあ道場破りというより先輩の胸を貸してもらう出稽古みたいなものです。)40歳代になって、やっと独り立ちして自分の名前で勝負する、まあいい加減外をみてくると、間合いがわかるというか、戦うよりむしろ、相手に潰されたり飲み込まれずに自己主張できる、アライアンスとかコラボレーションが楽しめる立場に立てるといったところでしょうか。

とにかく、最初は、型に入ってみるのも手ですよ。たぶん、答えはあなたの中にすでにあります。でもそれは岩石をたたいたり磨いたりするようなもので、他者という砂で磨かないと輝きださないでしょう。ダイヤの原石を磨くには、より硬いものと接することが必要です。まあ、原石の中身がなんであるかもわかりませんが、センスがなければうちわでもいいという人がいるくらいですから、せめて自分だけは宝石をもっていると考えておきましょう。

まあ、ぼちぼちやってください。

ではでは^^?

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なにか、他人事だと偉そうなことがいえますが、自分のことになるとなかなかということも、つらつら書いてきて思いました。

まだまだ(自分は)青いなあと思いつつ。

いいかも!

ではでは^^?

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2011年10月 9日 (日)

地域開発におけるよそ者の役割 -国際開発学会口頭発表原稿‐

初出: 2011年10月9日 mixiコミュ 開発民俗学-地域共生の技法-

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65516943&comm_id=2498370

来る2011年11月26日の口頭発表の原稿(ドラフト)を以下に転載します。報告要旨ということで、A4の4枚とのことでテーマと文字数を調整しました。実際の口頭発表時間は20分、質疑応答の10分とあわせて合計30分なのですが、たぶんこの原稿だけだと全然時間がもたない!と思われます。

まあそれは別途プレゼン資料(パワーポイント)作成時に考えることにして、このレジュメにおいては、取り上げるプロジェクトとわたしの‘気づき’の概要を示すことにして、実際の発表では、このレジュメ以降の動きと、わたしが「開発民俗学」として考えていることを聴衆にぶつけていきたいと考えています。

こちらのトビも参照ください。

■ プロファイ(プロジェクト・フォーメーション、プロジェクト・ファインディング)における2,3の留意点・・・ 開発民俗学の視点から <講座>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64344414&comm_id=2498370

なにか、ちょっとわくわくしてきました。

ぜひ、お気軽にコメントください。

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2011年10月8日作成 初稿

地域開発におけるよそ者の役割

-フィリピン・ビサヤ地方の灌漑システムの事例考察-

歩く仲間 地域活き生きアドバイザー 柴田 英知

キーワード: 開発援助、チェンジエージェント、よそ者の役割 、フィールドワーク、ファシリテーション

1.はじめに

近年、日本の政府開発援助(ODA)の開発途上国における施設(ハード)の建設のみならず、施設引渡し後の維持管理体制の確立の重要性が叫ばれており、実際に施設を運用する関係者(政府職員、受益住民など)に対するトレーニングや維持管理のための組織化支援をソフトコンポーネントとしてODAプロジェクトに事前に組み込むことが必須となっている。

これは、世界的な人権意識の高まり、そして自然環境問題への関心の高まりと、当然無関係ではない。特に住民参加や住民の視点に立った開発を求めるNGOなどの提言を受けて、ほぼ全ての開発援助機関において、例えば国際協力機構の「社会環境配慮ガイドライン」などに代表されるプロジェクトを受け入れる社会や自然環境についての事前アセスメントの整備とそれへの配慮の重要性が指摘されている。そもそも、受益者である住民重視の開発を目指す以上、ハードだけでないソフトの整備も必須であることは援助業界の常識となりつつある。

論者は1992年~2008年まで農業・地域開発が専門の開発コンサルタント会社に勤務し、開発調査、無償資金協力、有償資金協力など大小20件ほどの案件に携わってきた。その中で、特に1990年代から顕著化してきた住民参加型のプロジェクトのあり方について、政府開発援助(ODA)の一アクターである開発コンサルタントの立場で、主に社会開発という文脈で現実のODAプロジェクトにおける参加型開発と社会・自然環境配慮という観点より、プロジェクトのアクター分析とチェンジエージェントの重要性について論じたい。

ここでは2002年にJBICの水利組合に関する現地調査で出会ったフィリピン・パナイ島のイロイロ島にある国家灌漑施設事務所の女性の組織開発職員(IDO)を紹介する。

この事例の特筆すべき点は、プロジェクトを通じてIDO自体が、地元のNGOや外部のプロジェクト関係者より学び、ついにはIDO自体が他のドナーより資金を引き出すための”仕掛け”を考えるまでになったことであろう。

国家予算にとどまらない外国政府などの外部資金からの灌漑システムが主導を取った資金集めが可能になるほどIDOスタッフ及び水利組合員自体が能力を身につけたということに、NIA本部にも非常な期待感があると共に、他地域での復元可能性があるのかについての懸念も多い。今一度、彼女らIDO及び水利組合員の生の声に立ち返って成功要因を検討してみたい。

2.三人のマリアとサミカサ国家灌漑システム(NIS)

(1)灌漑システムの位置

サミカサ国家灌漑システム(サミカサNIS)は、フィリピンのビサヤ地方・パナイ島のイロイロ市の北方○kmに位置する○○川を水源とする国家灌漑システムである。(※1)このシステムは国家灌漑庁(NIA)の第5管区灌漑事務所の下、サミカサ国家灌漑システム事務所が直接の水利組合員との窓口となり、この灌漑システムを実際に利用する11の水利組合と合計○○の組合員によって運営されている。

この灌漑システムは、○○年に最初に取水口と用水路が建設されて以来、度重なるハードウェアとしての灌漑施設の増改修やソフトウェアとしての水利組合の強化トレーニングが実施されてきた。

プロジェクトの主なアクターとして①NIA本部派遣の灌漑エンジニア、②3人のマリア(IDO)、③農民グループの長、④青年海外協力隊で赴任した団員、⑤地元NGOの参画をあげたい。

以下に、2002年の調査時に3人のマリアの一人であるルース及び水利組合員に対しておこなったインタビューをもとにプロジェクトの概要を説明する。

(2)1990年~2000年頃までの国家灌漑システムを巡る活動

①1990年始め

アジア開発銀行の灌漑者組合(IA)強化プログラムが始まる。NIAの灌漑エンジニア1名が赴任する。(80年代にも世界銀行のプログラムがあったが自然消滅した経緯あり)

②1994~1996年

日本の無償資金協力の実施による灌漑施設の改修、収穫後処理施設の建設がおこなわれた。その結果として施設の改修によりハードウェアとしての灌漑効率の上昇が見られたが、収穫後処理施設については、維持管理費用が全くなかったため、実際に管理を担当するIDOが維持管理費用を捻出するのみ苦労した。

1994年頃に3人のマリアの一人、ルースの赴任による水利組合員の組織化が始まり、水利組合の長による協調体制の整備(11の水利組合)とそれらの連合を実現させた。具体的かつ顕著な成果をあげた活動は下記の2点である。

1) 話し合いによって水配分のルールをつくった。(乾季は上流のみ灌漑して下流地域は畑作を奨励)、

2)基礎資金積み立てによる所得向上への取り組み。(基礎資金を積み立てることにより、他の機関から融資をうけることができるようになる。最初は11人のIAリーダーだけで16,000ペソを基金として積み立て、のちに各農民に積み立ての輪を広げた)

(3)2000年頃からでてきた成果

①水利費の徴収率の向上

水利組合員のハードに対する信頼・感謝の気持ち及び実際の所得向上によって、水利費の支払い意欲が高まる。結果として、1)2002年のベスト水利組合の第2位としてNIA本部より表彰(第1位はCIS(地方灌漑システム)でシステムが違うので、国家灌漑システムではトップの成績)、2)水利費支払い率の上昇(25~30%から60%へ)、3)農業省からの融資(マイクロファイナンス)に対して償還率100%の達成、4)オーストラリア政府の地域開発資金のカウンターパートとなった。

②水利組合によるメリットと学び

IA会員の農民から挙げられたIA参加のメリットは下記のとおりである。

1)種を安く買うことができる。2)機械を貸してもらうことができる。3)融資を受けることができる。4)スタディーツアーに参加することができる。5)家の中にいてはわからない”新しい”情報にふれることができるなど。

特記すべき点として、IDOが女性を対象にしたプログラムを推進していることもあり、女性の参加率が35%にも達していることが上げられる。また半数の組合員が夫婦で参加している。(夫婦の場合でも、選挙権は1票)

③今後の課題

ただし今後の問題として、水路の上流と下流の組織の間での、水の絶対量の不足による灌漑栽培できる作物の違いによる所得格差(分配方法については5年程前に上流下流のIA間で同意すみ)については克服できておらず、それは水利費の支払い率が上流部では当初25~30%から60%に上がったのに対して下流部では25%に留まっているのに確実に示されている。

(4) その他のプロジェクトを取り巻く環境

忘れてはいけないのは、灌漑施設の補修と収穫後処理施設の日本の無償資金援助が大きなハード面でのステップとなり、ソフト面の動きとして、その後日本が収穫後処理施設の運営のため、青年海外協力隊3名を派遣して、彼らが地元農民と協力したこと(最後の一人は集会場の建設について日本の援助を申請して実現した。)などの外部からの働きかけも大きかったことである。 

それと平行して、フィリピン側としてNIA本部よりの灌漑エンジニアによる組合強化の継続的な働きかけ(10年間)、4年前にNGO出身の女性のルース。メンチら、3人のマリアがIDOとして、地元パナイ島のNGOスタッフの協力も得ながら、農民に対してファシリテートを行ったことが大きな成功の要因だと考えられる。

つまり様々な働きかけが継続的かつ重層的に行われたことについて、今一度留意を促したい。

2.考察と今後の課題

(1)IDOの特殊性について

まずIDOらの大学での専門は公共管理(Public Administration)で技術者ではないので、技術的な面については、NIAの灌漑エンジニアやNGOの協力に負っており、“ファシリテート”に徹したことも成功のポイントだと考えられる。

サミカサIAでの農民とのインタビューの中で、冗談で3人のマリアがいずれも独身で熱心に農民との協議に参加したこと(歌って踊ってなどのアフターファイブの付き合いも積極的にしたこと)や、彼女らIDOすべてが、地元の出身であること(以前の4名のIDOは、他の地方からきているものが多かった)がポイントであるといった指摘が農民自体より挙げられた。同時に、ルースの農民への働きかけは決して権威的でなく、冗談も交えて実にうまく彼らをのせて彼ら自身の意見を引き出しており、そのファシリテーション技術自体、非常に興味ぶかいものであった。

彼女らはいずれも年齢は若い(30歳前後)が、地元民であることと、インテリであることがうまく農民に受けいれられて、チェンジエージェントと成り得たと考えられる。

特に、彼女らは農民出身ではあるものの、今の立場は農民ではない)ということはポイントの一つである。逆に、同じ農民の立場であれば、あれほど思い切った提案ができるのか、またそれが農民から受けいれられるのかは不明である。つまり、なんからの異人性があったことの考察が必要である。

②チェンジエージェントとよそ者の役割について

わたしは、2000年前後から自分の知る政府開発援助の現場だけではなく開発NGOの活動や、開発教育や日本のまちづくりの勉強会において知見を広めてきたわけであるが、2001年に静岡県三島市で開かれた国際地域開発学会大会で学んだ「うまく地元民を引き込む”仕掛け”をするチェンジエージェントが重要」ということについて、そのよいサンプルをこの事例にみたような気がした。

チェンジエージェントとは、カタリスト(キャタリスト)ともいわれ、必ずしも全てがそうではないが、主に外部者としての役割と機能を持って、組織の内部と外部の橋渡しをする、いわば異質のものをつなぐという役割をもって組織に変革をもたらす人をいう。

この事例では、地元民でありながらチェンジエージェントたりえた3人のマリアを考察したが、全くのよそ者が水利組合の人間関係の内部に入り込めなかったのに対して、彼女たちは自分の中の外部性(異質性)をうまくオブラートにくるんで組織作りに貢献している。また逆にプロジェクトを取り巻く全くの外部者(よそ者)の意見や知見を、チェンジエージェントである彼女達が咀嚼して翻訳して、自らの活動に選択的に取り入れたという「学習する組織」の実践、そのものであったと言い換えることもできる。

以上を通じて、チェンジエージェントには地元に接点をもつ「土の人」と外部に足場を持つ「風の人」の二つの側面をあることを指摘したい。つまり「地元にある程度住みつづけることを前提とした人しかチェンジエージェントになれない」という訳ではなく、外部者(よそ者)は必然的にチェンジエージェントたりうる可能性があるということである。

しかしながら、外部者がチェンジエージェントとして機能するためには、矛盾する要素を重ね持つ必要がある。住民内部に仲間として受けいれられるための要素(この例では地元民)が必要でありながらも、現実には外部者としての立場(IDO)をあわせ持つ必要があるという二重性を兼ね備えなければならない。いわば自分自身の中に外部性を合わせもつ必要がある。この2つのペルソナを同時にもち続けることは、個人においては、かなり意識しないとできないことである。

つまり、外部者であるよそ者は、外部者に求められる機能について自覚的にあらねばならないと共に、自分がチェンジエージェントであるばかりでなく、プロジェクトのサイトごとにチェンジエージェントを発掘し育てるという意識が必要である。

最後に、ルースから言われたこんな言葉で発表を締めくくりたい。「ミスター柴田は、30%が日本人で、30%がフィリピン人、残りの40%は何人だかわからない」。つまり、自分の中の異人性を持ち続けることがチェンジエージェントの重要な要件の一つであるとわたしは、今、考えている。

(この項 了)

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