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2011年9月19日 (月)

誰のための‘場’なのか? <その1>

初出: ‘場をつくる’ということ ファシリテーション&ワークショップ入門<各論> @mixi 開発民俗学-地域共生の技法- http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48194843&comm_id=2498370

最近、まちづくりの現場に駆り出されるというか、勝手に参加しています^^?

具体的には、「りぶらまつり2011」というプロジェクトとなのですが、市立の総合図書館の年に一度のお祭りで、図書館としてだけではなく、市民活動のゆりかごとしての位置づけもあり、ようは市民団体の活動の発表の‘場’をつくろうということだと思うのですが、実際に、実行委員会に参加しているのは、実際に、‘活動している’団体のリーダーばかりです。

自分自身、大阪に大学にでてから東京、海外とぶらぶらしてきましたが、正直、それほど住んでいる地域の問題に関わってきたとはいえません。会社員という身分、会社員としての現場が、東京(特に新宿や霞ヶ関)や開発途上国のフィールド(首都圏の政府機関も開発対象となる地方も含めて)であれ、いずれも一過性の‘旅人’としてのかかわりであり、別に会社と心中する気もないし、いくら‘家庭的’な会社であったとしても、それはビジネス主体の擬似的なものでしかない。つまりは、‘足場’をもたないかかわりしか現実には持っていなかったわけです。まあ、結婚していれば、地元への足掛かりができたかもしれませんが^^?

ともあれ、振り返ってみると、あまりに‘風の人’でありすぎたなと。とはいえ、ある土地に人を通じての‘かかわり’ができれば、腐れ縁というか、親心というか思い入れも出てくるわけですが、基本的には私にはそれが稀薄であったといえます。

でも、一旦、かかわりを持つと、それはそれで楽しいものですね。結局、通りすがりの旅人的なかかわりではなくて、'同じ場’を共有した人としてのつながりができる、しかも何か具体的な課題に仲間で取り組むと、目的を持ったグループワークのダイナミクスとか達成感といったものに大きな感動とカタルシスを感じます。

結局、その時に重要なのは、自分が何者で何を、具体的には、その‘場’で、その‘過程(プロセス)’を通してしたいのかだと思います。

何の目的もなく、主体もない‘かかわり’には意味がないとは言えませんが、あまり双方にとって益のあるものではない。なぜなら、何の発言も行動もなければ、居て‘いない’ものに等しいからです。

つまり、場に関わる主体的な人としての態度、それが全て観られて値踏みされているということです。

現場に関わるには、自分の全人格的な'モノ’を出していかざるを得ない。そんな人と人との‘作用’と‘反作用’が、よりその‘場’を盛り上げていく。

そんな活動の積み重ねが、人生を生きるということでもあるのでしょう。

ということで、場を巡る議論は尽きないといいますが、私の開発民俗学の中では非常に重要な位置をしめます。

誰のための?という問いかけは、そういう意味で常に考慮しなくてはならないことなのです。

具体的な考察は、次項以降で、説明してきます。

ではでは^^?

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新しい講座の緒言です。

このような専門?講座を主にmixiのコミュで展開しています。もし関心のある方がいらっしゃいましたら、ぜひミクシイの会員になって、下記のコミュをお尋ねください。

mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」

http://c.mixi.jp/kaihatsu_minzokugaku

ではでは^^?

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