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2011年9月

2011年9月26日 (月)

外部者の役割について あるいはNGO/NPOとODAの違いについて

初出: mixi開発民俗学-地域共生の技法- 2011年9月25日

■‘地域’づくりと‘開発民俗学’ <各論>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64432390&comm_id=2498370

外部者の役割について あるいはNGO/NPOとODAの違いについて

昨日(9月24日)に、りぶらでまちづくりNPOの「りた」の方とお話をしてきました。やはり同郷で、りぶらまつり2011の打ち合わせということもあったのですが、全然、違うフィールドを歩いてきたはずなのにいろいろ共感するところが多くて、気づきと学びがいろいろありました。企画についてのヒントも一杯いただいて感謝感謝です。

かねてよりの持論なのですが、日本も世界も抱えている問題は一緒。まちづくりや地域開発の課題は、みごとに地域を問わず、同じような難しさを抱えています。

ところで、東日本大震災をいろいろなNPOが支援しているのですが、このりたも例外ではなく、専任のスタッフを割り当てていて、この震災に当たっての取り組みについても、具体的な経験を語ってくれました。

実は、先週(9月17日)に、名古屋でNPO法人ICANの事務局長を訪問していろいろ話をしたのですが、そのときの彼らの震災への取り組みの話も、りたさんと基本的な課題は一緒。初期対応のことと外部者としてできることについて、いろいろヒントになることを伺いました。

このICANさんと話して気がついて言葉に出したことなのですが、官費依存?の開発コンサルタントとNPOの決定的な違いは、能力はどちらも負けず劣らずということですが、自分で動けるということ。

事務局長さんが語った「私の団体も、要請があってすぐに(東日本大震災の復興に)対応できた。今回の大震災で明らかになったことは行政の対応の遅さとNPOの機動力の高さ、これを被災地の人たちも知ったし、政治家も目の当たりにした。だって、電話一本で、NPOはすぐ翌日に現地に人とモノをだせた」という話を受けて私は、こんな話をしました。

「NPOというのは、‘かまど’みたいなもので、常に種火を欠かさずにメンテナンスしているから、インプットがあればすぐに活動ができる。しかし、開発コンサルタントや行政は、基本的に予算がないと動けない。特にODAの場合、政府の予算に頼っているから、日本と対象国の国家予算、つまり会計年度に予算組みできないと、すぐに1年、2年取り掛かが遅れてしまう。また、いくら開発コンサルタント会社や役人に能力がある(個人がたくさんいたとしても、ガスコンロみたいなもので、燃料と、その都度の着火がないと動けない。ただし、その火力というか能力は‘かまど’とは比べものもないほど大きいモノであったとしても、すぐに動かせない。

逆に、NPOはかまどの火を絶やさないようにするのに、多大な努力が必要である。だって、燃料が入ってくる当てもなく常にスタンバイしていなければならないから。」

私のこの言葉が、実際のNPOの現実をどれほど反映しているのかは実際にわかりませんが、開発援助という世界で、ODAとNGO/NPOや国際機関の仕事の仕方を垣間見てきた私の直感というか感想です。

たぶん、どんぴしゃであたらずとも遠からずなのではないかと思いますが^^?

さて、人と人とのネットワークや、人ありきの地域開発は、こう考えてみると「時間と予算というフレームありき(制限される)」‘プロジェクト’という考え方とは‘根本的’に相容れません。

それが結局、役所仕事(ODA)に16年携わった結論だと言えば、絶対に、開発コンサルタントという現場で、一体、お前は何をやってきたのかとつっこまれそうで、なにか情けない気持ちにもなるのですが、結局、人と人をつなげたりするのはODA業務のTOR(業務指示書)には入っておらず、メンバーである当事者の自覚というか全くのボランタリーな精神に頼っているのが、今の援助の現場の現実なのではないか。

ふとそんなことを、ICANさんと話しながら考えていました。そういう面では、外部者であることに対して、NGO/NPOの人たちのほうが自覚的であると思いますが、ODAであれNGO/NPOであれ所属や組織を問わず、結局、その中の‘個人個人’の資質によってプロジェクトのアウトプットが、大きく変わってくる。

これがプロジェクトが‘水物’といわれるゆえんなのでしょうが、そうは言っても、全ての人にカタリストやチェンジエージェントの素質があるかというと決してそうではない。

結局は、人間が好きかどうかという根源的な問題に還元されてしまうのでしょうが、ただ、気がついていないだけの人は多いと思うので、私としては、現地の人や外部者にそれぞれの(期待されている)役割とその力について、もっと自覚してほしいと思っています。

‘期待されている’とか書くと、上から目線の‘誘導’ととられかねませんが、自分の‘立場’をふまえる/わきまえることは、どの現場でも決定的に必要で重要なことです。

それをわかった上で、どう自分が振る舞うのか。やはり何も考えずに直感で直情的に動くのは、あまりよいことではない。

人間関係では、修復不可能は決定的な失敗となることもありえます。平たくいうと信頼をなくすということですが、それを修復するのは無理とはいいませんが、とてつもなく時間がかかる場合があります。

まあ、そんなカラリストの悩みというか辛さを、mixiの「世間師の日和見」という新しいコミュで、生々しく?語り合いたいと思っているのですが・・・ まだメンバーが私だけ^^?

結局、最初に触れた「りた」さんとの話し合いのポイントにまで触れられませんでしたが、それはそれでまた改めてとりあげます。

ではでは^^?

こちらもよろしく!

■ 世間師(しょけんし)の日和見

http://mixi.jp/view_community.pl?id=5789545

※ミクシイ会員にならないとみれませんが^^?

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2011年9月24日 (土)

これからの民俗学について<各論>

初出: mixi開発民俗学-地域共生の技法- 2011年9月24日

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65210262&comm_id=2498370

というあるミクシイのコミュニティのトピック名に引かれて、ついつい書き込みをしてしまいました^^?

■これからの民俗学って @ 「日本民俗学」学生の寝宿

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33572878&comm_id=489775

私がバリバリの「日本民俗学」に対して口を挟む立場には、全くないのですが、これからの学問のあり方を考えるのに、適切な?レッスンだと思って、思うところを書き込んでみました。

みなさんの、(開発)民俗学に関するご意見をお聞かせください。

ではでは^^?

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しばやん@愛知です。

開発民俗学-地域共生の技法-というコミュを勝手にやっているものですが、いまさらながら書き込みを^^?

http://c.mixi.jp/kaihatsu_minzokugaku

今年の3月11日の東日本大震災で実際に被害に遇われた方々および心を痛めている多くの方々に、心よりのお見舞いを申し上げます。

そして、改めて平和で平凡な日々が続いてきたことに深く感謝したいと思います。当然ながら幾度もの自然災害や悲惨な事件が起きてきたこともまた事実です。でも戦後復興、阪神大震災など、いろいろな苦難や困難を乗り越えてきたのもまた事実です。

つまり何がいいたいかというと、今こそ、それぞれの立場での踏ん張りが必要なのではないかと思います。

そして、民俗学の可能性も、その原点に立ち返ったところにあると思います。

私は、もともと大学ではアラビア語専攻で卒論では中世シチリアなどに手を出しましたが、一番の関心は、現代の世界の紛争や貧困、差別などの問題でした。多民族や宗教、文明(ちょっと大きくなりますが)の共存の思想というのが一貫したテーマで、そもそもの始まりは、広島の原爆に対する怒りと‘本当’の平和の模索です。

農業・水資源・地域開発の専門の開発コンサルタント会社の社員として国際開発援助の現場で16年間働いてきましたが、やはり政治やシステム的にどうしようもないところと、資本主義という経済システムの世界の津々浦々が飲み込まれていく、その尖兵の一部を開発援助が担っているという自覚、それは植民地主義に使われた人類学など‘学’そのものの持つ、傲慢さと暴力性とシンクロするのですが、その渦中にいても、不思議と‘絶望’は感じませんでした。

正直、私はミレニアムディベロップメントゴールとか‘持続可能な’開発など、頭から信じていません。今の‘環境’ブームや‘フェアトレード’ブームなどにも、心の中では一線を画しています。

では何を私は現場でみて信じたのか。それは、それぞれの地域に現実に生きる人たちの力強い‘生活’そのものでした。

フィリピンでも4年ほど駐在員をさせていただきましたが、基本的に農業開発は各国の地方でかつ辺境地での仕事が大半でした。当然、政府開発援助なので政府の中央官庁の役人をカウンターパートとして一緒に仕事をするのですが、人括りに途上国の‘パワーエリート’というより、実際に名前も顔もあり、その現場現場でしたたかに生きる一人ひとりの個人の集まりでした。また逆に地方には地方の顔役というか、日本でいう篤農家とでもいうのでしょうか、必ず‘人物’が地に足を着けてそれぞれの場所に居ました。

私のコミュではカタリスト、民俗学的にはまれびともその要素をもっていると思うのですが、チェンジエージェントや外部者の役割なども積極的にとりあげていますが、そんな地方の地域開発(というときな臭いですが)地域の人々の生活の向上に努める人々のネットワーキングに、これからの21世紀のあり方として、非常な可能性を感じています。人と人がつながることにより情報やモノが流れるようになる。インターネットなど外部環境もこのような情報の水平化と‘平の人’(by 片倉もとこ先生)の直接間接の交流を加速させています。

元々は、人文地理学をやりたくて中学生頃から文化人類学などにも関心をもってきたのですが、仕事での体験を通じて、文化人類学ではなく日本の民俗学に関心が移ってきました。やはりサイードのオリエンタリズムが出てから日本の学界も大きなゆさぶりがあったということですね。日本中東学会は学生時代からずっと続けていますが、90年代の研究者はかなりの自省を強いられました。イスラーム学だけに限らず‘地域研究’そのものが出来なくなったわけではありませんが、その後の大学改革でさらに変な方向に行ったと思います。そんなわけで、ようやく学界が正常化したのが2000年を越えてからなのではないか、それはやはり私と同世代のアラフォーの人たちが新しい問題意識で既存の学問を立て直したのではないか、そんなことを勝手に今にして思っています。

さて、いまさらなのですが、柳田國男や折口信夫などの原点に戻って、民俗学を学んでいます。

2000年前後に、宮本常一を知って、民俗学の可能性に引き込まれた私ですが、その方向性も重要でおもしろいのですが、柳田國男の問題の立て方自体がおもしろくてたまりません。一国民俗学とか言われていますが、彼自身は、もともとは欧米の人類学や民俗学を広く視野に入れた世界レベルの学問に育てていきたかったのだと私は思います。

とにかく、地元の人に考えさせる学問、‘野の学問’という魅力は絶対になくしてはいけないと私は思っています。

なにか取り留めのない話になりましたが、自分のトビでは、‘学問’の実用性とか実践性についても考えていきたいと思っています。

■ 被災地におけるワークショップのあり方について<東日本大震災がらみ>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64187697&comm_id=2498370

■ 「東日本大震災と開発民俗学」 一開発コンサルタントが思うこと。<‘開発民俗学’への途 (第2部)>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=62072221&comm_id=2498370

まあ、辛いときほど、声を掛け合って互いに励ましあいながらがんばりましょう。

ではでは^^?

蛇足ですが、私は学問は学問であってもよい、もっといえば、全然社会の役にたたないものであったほうがよいと思います。

今、国立民族学博物館の先生などが、実践の人類学とか称して、世の中の役にたつ研究をやろうとこの10年くらいやっているようですが、私に言わせてば問題の立て方が間違っていて、やらんでもいいようなことに顔を出しているという感じがしています。

つまり学界の人が考える‘問題’と、実際の普通の人が直面している‘問題’は微妙に違うということなのです。普通の人が持ちかけた、もしくは持ち出した‘問題’なのか、学者がこれこそが‘問題’なのだと自分の専門家としての見地から作った‘問題’なのか。これが問題です。

私も近い将来、学界に戻ることを考えていますが、私だったら学生には、実世界では役にたたない学問をこそ教えたい。いや、問題の立て方とか見方や切り込み方を教えたい。その‘道具’をどう使うかは、学生本人にゆだねたい、そんなことを考えています。

一応、このトビの本旨に戻る?と、私は、実はそのようなことを考えています。

ではでは^^?

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2011年9月23日 (金)

誰のための‘場’なのか? <その2>

初出: ‘場をつくる’ということ ファシリテーション&ワークショップ入門<各論> @mixi 開発民俗学-地域共生の技法- 2011年9月19日

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48194843&comm_id=2498370

ちょっと考えたら、‘場’は誰のものか?という問題の立て方のほうがおもしろいような気がしてきました。

まあ、その周辺の話もこのトピックでは交えてします。

ところで最近、おもしろい本を購入しました。

伊丹敬之 『場の論理とマネジメント』 東洋経済新報社 2005年12月29日

11081802
実は、まだ積読状態で読んでいないのですが、一橋大学大学院商学研究科教授の「正しい「日本的経営」のための指針」だそうです。

最近、ドラッカーのマネジメントを下敷きにした「もしドラ」が話題になりましたが、マネジメントっていうのは、はやりでもあるし、いやそうでなくてもビジネスパーソン必須の科目で特にヤングエグゼクティブ(もはや死語?)には欠かせない教養なのでしょうが、当然、開発援助の世界でもITの進化と共に、どんどん入り込んできています。

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もしドラは、アニメになったりマンガになったり、さらには関連本、便乗本など、一時、本屋のビジネス書の本棚を席巻しましたが、確かに考え方としては非常におもしろいと思います。(前田敦子主演の映画を見に行き、それなりに感動しました。出演者の演技というか筋書きが良かったと思います。なにが言いたいのかは想像にお任せしますが^^?)

ドラッカーのマネジメントとマネジメント論については、別途、もう少し勉強してから書く予定ですが、まず設定がおもしろかった。ビジネス的なマネージャー(管理者)ではなく、野球部の女子マネージャーを日本人が即連想してしまうという視点のずれ、これがまた日本的で、作者のアイデアというか着目の勝利でしょう。

岩崎夏海 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』と読んだら』 ダイヤモンド社 2009年12月3日

こちらに突っ込むとはまりそうなので、話を戻しますと、伊丹さんの本は、主にアメリカと日本のマネジメントのスタイルの違いを‘場’という概念で解きあかそうとするもので「場のマネジメント」ということで理論化し、場のマネジメントとしての包括的な説明を加えようとしたものだそうです。

詳しいレポートはのちほどおこないますが、経営学と開発学の接点が、こんなところにあるなんて夢にも思っていなかったのですが、開発民俗学の場を考える重要なヒントとなる予感で一杯です。

11070306 うーん、やっぱり社会人をやっておいてよかった。ビジネスパーソンの端くれとして、それなりにビジネス書も読んだしなあというところで、今日はとりあえずおしまい。

ヒントは、いろいろなところに転がっているということが言いたかっただけの投稿でした。

ではでは^^?

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2011年9月19日 (月)

誰のための‘場’なのか? <その1>

初出: ‘場をつくる’ということ ファシリテーション&ワークショップ入門<各論> @mixi 開発民俗学-地域共生の技法- http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48194843&comm_id=2498370

最近、まちづくりの現場に駆り出されるというか、勝手に参加しています^^?

具体的には、「りぶらまつり2011」というプロジェクトとなのですが、市立の総合図書館の年に一度のお祭りで、図書館としてだけではなく、市民活動のゆりかごとしての位置づけもあり、ようは市民団体の活動の発表の‘場’をつくろうということだと思うのですが、実際に、実行委員会に参加しているのは、実際に、‘活動している’団体のリーダーばかりです。

自分自身、大阪に大学にでてから東京、海外とぶらぶらしてきましたが、正直、それほど住んでいる地域の問題に関わってきたとはいえません。会社員という身分、会社員としての現場が、東京(特に新宿や霞ヶ関)や開発途上国のフィールド(首都圏の政府機関も開発対象となる地方も含めて)であれ、いずれも一過性の‘旅人’としてのかかわりであり、別に会社と心中する気もないし、いくら‘家庭的’な会社であったとしても、それはビジネス主体の擬似的なものでしかない。つまりは、‘足場’をもたないかかわりしか現実には持っていなかったわけです。まあ、結婚していれば、地元への足掛かりができたかもしれませんが^^?

ともあれ、振り返ってみると、あまりに‘風の人’でありすぎたなと。とはいえ、ある土地に人を通じての‘かかわり’ができれば、腐れ縁というか、親心というか思い入れも出てくるわけですが、基本的には私にはそれが稀薄であったといえます。

でも、一旦、かかわりを持つと、それはそれで楽しいものですね。結局、通りすがりの旅人的なかかわりではなくて、'同じ場’を共有した人としてのつながりができる、しかも何か具体的な課題に仲間で取り組むと、目的を持ったグループワークのダイナミクスとか達成感といったものに大きな感動とカタルシスを感じます。

結局、その時に重要なのは、自分が何者で何を、具体的には、その‘場’で、その‘過程(プロセス)’を通してしたいのかだと思います。

何の目的もなく、主体もない‘かかわり’には意味がないとは言えませんが、あまり双方にとって益のあるものではない。なぜなら、何の発言も行動もなければ、居て‘いない’ものに等しいからです。

つまり、場に関わる主体的な人としての態度、それが全て観られて値踏みされているということです。

現場に関わるには、自分の全人格的な'モノ’を出していかざるを得ない。そんな人と人との‘作用’と‘反作用’が、よりその‘場’を盛り上げていく。

そんな活動の積み重ねが、人生を生きるということでもあるのでしょう。

ということで、場を巡る議論は尽きないといいますが、私の開発民俗学の中では非常に重要な位置をしめます。

誰のための?という問いかけは、そういう意味で常に考慮しなくてはならないことなのです。

具体的な考察は、次項以降で、説明してきます。

ではでは^^?

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新しい講座の緒言です。

このような専門?講座を主にmixiのコミュで展開しています。もし関心のある方がいらっしゃいましたら、ぜひミクシイの会員になって、下記のコミュをお尋ねください。

mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」

http://c.mixi.jp/kaihatsu_minzokugaku

ではでは^^?

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2011年9月17日 (土)

その先にあるもの! <しばやんの棚卸し>

初出: mixi日記 2011年9月17日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1775712284&owner_id=11744733

ということを、ちょっと考えてみる。

今まで、しばやんの棚卸しということで、振り返りをいろいろ書き連ねてみたが、さて過去から現在、そしてその先は?というところで、ちょっと一休み。

でもまあ、夢はどうせ夢(byがばいばあちゃん)なのだから、適当に書いてみよう。

1. 素敵なパートナーと結婚(できれば1年以内)、子供にも恵まれる。

2. 社会企業家(まあ、この言葉がどれほどこなれているのかわかりませんが)

3. 大学や自主大学でセミナーや講演をこなしながら、東西南北・世界ツアー(日本ツアーもいいけど、まあ夢なので)

4. たまり場を作る。機能として、研究所(図書室)、集会室、ミニシアター兼ステージ。軽食スペース、書籍販売スペース、フリートレードスペース。できれば、3階建てかな? 1F:軽食スペース、ミニステージ、買い物スペース、インターネットスペース、2F: 会議室、図書室、研究所、3F: 大会議室 保留:宿泊施設(泊りがけで研修ができるように?)、そんなんいるかと思うけど、飲み会もできれば便利じゃないかなあ^^?

5. マルチタレントになる。バラドルではないが、生業は、いろいろあってもいい。書籍の印税、講演・セミナー代、コンサルティング代、店舗の儲け(あまり期待できないが)、オリジナルグッズの販売。基本的には、他人のふんどしで相撲を取ることはやめよう。(アフェリエイトとか大嫌い。人の思惑に振り回されたくない)スポンサーがつくといろいろ言いたいこともいえなくなるので、自分で稼ぐことを主にすること。

<やってみたいプロジェクト>

1. 大学の教員。院生の指導よりかは短大や大学の一般教養レベルでもいいかもしれない。広く教えるのはタイヘンだろうが、そのほうが可能性がある。中学生や高校生への出張セミナーも悪くない。(山田満知子コーチがバンビの養成にこだわるように本当は小さい子供の頃から、気づきのきっかけを与えたいが、まあ内容的には中学生以上からか)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%BA%80%E7%9F%A5%E5%AD%90

2. 世界のカタリストの支援というか、国内内外のまちづくりの達人たちとコラボレートする。全ては無理なので、得意な分野で、個人や団体間のマッチングとコーチング。スタンスは、基本的にはアドバイザー、がんばる仲間を側面支援する。自分は、風の人で、仲間の間を行ったり来たりする。まあ、一つか二つは自分のプロジェクトがあってもいいが、自分だけでがんばらない。タネを蒔くが育てるのは、誰がやってもいい。

3. 海外駐在: まあ可能性は3つ。役人をやるかプロジェクトで入るか。アメリカとか先進国の最先端でルールやトレンドを作るか、復興支援で陣頭指揮をとるか。もしくは研究留学とかで、じっくりとアジアやアフリカに向き合うのか。あまり自分が自分がと出しゃばるのは好きではない(出たがりではあるが)ので、さりげなく、実際に最前線で働いている有能な人に情報(人、モノ全て)を与えて、よりよい考え方や行動ができるような土壌づくりをするのがいいかな。裏返せば、矢面に立つのがめんどくさいというところもある。黒子ではあるが、さりげなく自己主張するとか^^?

まあ、個人の能力は限られているので、いかにそれぞれが生まれ持ったタレントを最大限に発揮できるのか、場を作って、協同する(させる)ことによってグループダイナミクスで、なにか新しいもの(モノ、価値観)を創っていく。

そんな仕事がしたいなあと思いました。

一人ではたどり着けない、その先の世界に!

ではでは^^?

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2011年9月10日 (土)

今、改めて日本の平和を考える・・・ セプテンバー11から10年に思うこと

初出: mixi日記 2011年9月10日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1773105468&owner_id=11744733

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから、明日で、はや10年を迎える。10年一昔とも言うが、正直、もう10年経ってしまったこと自体が信じられない気もする。

Sankei011019

セプテンバー・イレブンやグランド・ゼロについては、今までも折に触れて書いてきたことなので、あえて繰り返さずに、‘今’思うことを書き連ねてみる。

先日、8月28日に隣町(市)の「第24回豊田市平和を願う戦争展」で、沢田昭二先生の「原爆も原発も作らないで」という講演を聞きにいったのだが、その時、たまたま同じ建物の中にある豊田市国際交流教会のイベントで、TIAナショナルデーのスイス・デーとして、豊田市出身で外務省の専門調査員でスイスのジュネーブに勤務していた田中極子さんの「スイス~永世中立国の表と裏」という話を聞いてきた。

のどかな牧用地、ハイジの世界、セントバーナード犬、高級腕時計やアーミーナイフなど優れた品質と技術をもつ職人さんの国、モンブランのスキー場やレマン湖のほとりの高級リゾート地、国際赤十字発祥の地、そして近世史では国際連盟本部(国連欧州本部)をはじめとする国際機関の本部の街などスイスって、日本人の‘憧れ’のヨーロッパの中でも特異な地位を占めていると思うが、それは、いわずと知れた‘永世中立国’という‘素晴らしい’看板であろう。

田中さんは、その表に触れつつも、メディアもほとんど伝えない裏のスイスについて具体的に説明をしてくれました。まず、なぜフランス、イタリア、オーストリア、ルクセンブルグという大国にはさまれながらも独立を保ってきたのか、たとえば、銀行業界、世界に名だたる預金者の個人情報を絶対に明かさないとされるスイス銀行、ナチスへの戦争協力、結局、小国ならであのしたたかさと大嵐に巻き込まれざるをえない地政学的な国際環境、何よりも永世中世国とはいえ、海軍ももち(海もないのに)、全体で300日程度ではありますが、他国のように一度におこなわれず、20代から40代にわたって短期間で長期間おこなわれる徴兵制など、その素晴らしい‘看板’の裏の知られざる一面を教えていただきました。

スイスの傭兵部隊、武装中立、小火器(ライフルや鉄砲)を国ではなく個人が管理する民間防衛など、自分の国は自分で守るという思想や考え方、もういい悪いではなく、そうせざるには生き延びてこれなかった‘小国’の‘悲哀’と‘プライド(誇り)’と、もうなんといってよいかわかりませんがわれわれ日本の漠然とした‘平和’主義と、全くベクトルの中身も違う‘勝ち取る・生き残る‘平和’の一例について、認識を新たにすると同時に、いやままよ、それが‘世界’の‘平和’常識だとしても、日本の‘平和’は甘たるくっていかんという‘変な’有識者的?反省をすればよいのかといえば、やはり私はノーといいたい。

そうそう、重要なことを言い忘れるところでした。田中さんの報告によれば、スイスとイスラエルは、100%だそうです。何がか?核シェルターの全人口に対する配備率だそうです。ちなみに、ベスト5は、3位 ノルウェー 88%、4位 アメリカ 82%、5位 ロシア 79%、6位 イギリス 67%、 そして我が祖国の日本は、0.02%。

いかに日本の‘平和’が特異なものであるか、アメリカの‘核の傘の下’にあることの重要性に気づかざるを得ないでしょう。‘タダ’でもらった「0.02%」では決してありません。それ相応の‘国際貢献’をしているからこその、日本の‘平和’であることを、決して忘れてはなりません。感情や気分で発言することは簡単ですが、現実をふまえないとただの‘空論’で終わってしまいます。

ところで、イヴァン・イリイチは『シャドウ・ワーク』という論文集(岩波全書)の中で‘平和’について言及しているが、今手元にないのでうろ覚えであるが、「平和は、言葉によって意味が違う」ということを言っている。すなわち一口に‘平和’といっても、その地域と人によってその意味するものが違う、そもそも語源からして違うではないか、というような前フリから論を起こしている。

彼の‘平和’論はさておき、ここで気をつけなければならないことは、同じとされる言葉、たとえば日本人の‘平和’と欧米人が使う‘peace’という言葉は生まれも育ちも内容も、‘全く’違うものである‘かも’しれないということ。

言葉と意味、その歴史的な背景をおさえることの重要性は、強調しすぎることはない。

つまり、日本人の持つ「平和」の意味を、他国の人たちに懇切丁寧に噛み砕いて説明すること、‘言葉’(だけ)ではなく、その含意する‘もの’や‘こと’を共有(シェア)すること。

ようは‘我々’も‘彼ら’も‘自分’が何を考えているのか、感じているのかを‘自分’だけではわかりえない。他者と対面・対話することにより‘我彼’の違いや共通点を知り、ひいては‘自分’自身を知ることになるということ。

そういう意味で、これからの時代は‘個人’の思いや感情をシェアすることが、ますます重要になってくるのであろうと思う。

何々‘主義’というイズム(~ism)の時代は20世紀をもって完全に‘終わった’と私は思う。これは、私だけがいっているのではなく、何人もがいろいろな場所で発言していることであるが、この10年を振り返っても容易に‘わかること’で、今のわかもの(自分も含め)は、正直、資本主義も社会主義も何も信じてはいない。過去の遺骸がまだ力を持っていることは認めつつも、すでに形骸化して惰性で走っているということもわかっている。

実は、内部で新陳代謝がおこなわれていることを認めないわけではないが、古い皮袋に新しい酒を入れたところで、所詮、その‘皮袋’自体が変わるわけではない。

そんな‘皮袋’は捨てたら、別にビニル袋だって、いや‘袋’に囲い込んで貯めるではなくて、つまりストックを全部フローに変えてもいいのでないのか。

まずは、ラベルやレッテルという‘袋’概念自体を疑いなさい、袋がどうであれ、‘中身’をどう使うのか(活用?)するのかを考えるほうが、よっぽど今の時代に必要なことであると言える。

まあ、(一見)‘活用’できないような‘無駄’を排除するものではなく、逆にその無駄が必要だと私は思いますが^^?

ともあれ、この10年、私達は、それなりに‘進歩’というか‘思索’を深めることができたと思う。

2007年頃、私は‘冬が来る前に’ということで、かなり世界の行方に不安を感じていたが、10年目のセプテンバー11を迎えるにあたって、いやまだまだできる。阪神大震災ではないが、この2011年3月11日の東日本大震災が日本のみならず、世界の人々の‘気づき’のきっかけの一つとして、今後の世界に大きな影響をもたらすと信じている。

「夜明けの前の夜が一番暗い」とは『詞集たいまつ』のむのたけじ氏の言葉であったと思うが、何かが変わっていく、そんな胎動のディケイド(10年)であったと私は考えたい。

2011年9月10日 愛知の実家にて 柴田 英知

参考:

私の今までの‘平和’についての思索については、こちらの記事をご参照ください。

■ ‘わたし’の平和学~冬が来る前に! @ブログ版 歩く仲間

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

ではでは^^?

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2011年9月 7日 (水)

しばやんミーツ藪谷あや子先生@人間環境大学in 岡崎 <研究者への道>

初出: mixi日記 2011年9月7日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1772025479&owner_id=11744733

先日、9月4日(日)に地元の人間環境大学でオープンキャンパスがあったので覗いてみました。基本的に大学の説明会なので、直接は関係ないのですが、なにより地元(車で10分)という近さと、平成12年に開校という新しい大学なのですが、京都大学の先生が中心に創った大学なので学習内容と先生の構成がおもしろそうだと思ったのが理由です。

◆ 人間環境大学

http://www.uhe.ac.jp/

実は、朝から説明会があったのですが、台風が来ていたので、前日のHPで天候によってはないかもという掲示があったので、中止だろうと思っていたところ、念のために昼にウェブで調べたら朝からやっていたとのこと、午後3時終了のところとりあえず駆けつけたときには、すでに2時半!でした^^?

すでに説明や実習はほとんど終わっていたのですが、せっかくなので入試・広報課の人に大学と大学院(修士まであります)資料だけもらって帰ろうとしたときに、個別相談の教室で話していたのですが、他の机に面談が終わって座っていらっしゃった藪谷先生に声をかけていただきました。

実は、博士までとりたいという話を先生が聞きつけて、関心をもっていただいたようです。最初は雑談でしたが、結局、3時で閉場のところを場所を移して、5時過ぎまでみっちり大学院についての話を聞くことができました。先生は、京大の経済学をでて、学部卒で吹田市の職員で行政に関わっていたそうですが、恩師に声をかけてもらってワーキングスチューデントとして博士をとられたそうで、30年にわたる行政経験と、財政学というか経済学の基礎をしっかり持ったスゴイ先生であることが初対面ではありましたらひしひしと伝わってきました。

現在は地域経済論を専門にされているそうですが、公共政策(NPM)もやっているそうで、さすがに現場をもっていた人は違うと思いました。

先生の経歴とか、自分の研究したいところと非常に近いところにあるのですが、博士をとりたいといったら、いろいろ具体的なアドバイスをいただきました。

結論的には、博士をとるのなら、やはり研究する環境(場)が整っている歴史のある学校にいったほうがよいとのことでした。

理由として、人文系の学問は基本的に、対話なので、先生と話をしなければならない。まわりに議論できる友達が必要だ。博士課程は職場と一緒。素人とシステマチックに教育を受けるのでは全然違う。など。

また、藪谷先生の博士論文は、琵琶湖の水を利用する農業の水利組合の研究だそうです。吹田市の総合開発計画に携わった関係で、他の課の職員と水利組合などいろいろ調査をしたそうで、コモンズ論というか、今までの慣行法のおもしろさにはまったそうです。その絡みで水がらみの水利権とかの研究もされたそうなので、いろいろ話がおもしろそうです。まさに、農業開発では、その水利慣行とか、既存の人間関係、社会の重層性、非常に課題も問題も多いんですよね。

あと興味深かったのが、日本の土地改良区の場合、自作農だけがメンバーなので小作は入っていないこと、それが、また問題ともおっしゃっていました。これって、さすがだと思いましたね。開発の現場で私も何度もワークショップをしていますが、‘みえない’住民が、どこそかに居る気がするというか、実際に居ても出てこれないわけです。フィリピンの水利組合の調査でも、実際に同じことがありました。

きっちりと現場を押さえることは本当に重要ですよね、しかも自分は、海民とか職人とか移動する人たちにも関心があるので、さらに難しそうです。

あと研究者の人って、本当に広く勉強されています。学問のディスプリンはあるのでしょうが、実際の研究は、それを元に2つ三つ別の方法論も使っているのではないのでしょうか。学問に終わりなしというか改めてへんな?ところに首を突っ込んでしまったとも思いました。

ともあれ、大変そうだ。でもチャレンジのし甲斐がありそうだというところで、さらに調べてみます。

ではでは^^?

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2011年9月 3日 (土)

穂坂光彦 『アジアの街 わたしの住まい』 明石書店 1994年12月 <現代の研究者、実践家の紹介コーナー>

初出: 開発民俗学-地域共生の技法- 2011年9月2日

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21752056&comment_count=19&comm_id=2498370

さて、今回、紹介するのは、穂坂光彦先生。

たぶん、初めてお会いしたのは、愛知県の日本福祉大学でおこなわれた国際開発学会大会だったと思うので、もう何年前のことだろうか。(ちょっと調べたら、2003年11月29日~30日というのが一発でわかりました。)

ともあれ、共通演題は「社会開発と福祉」実行委員長が余語トシヒロ先生で、事務局長が、斉藤千宏先生でした。そういえば。

そのずっとのち、2008年10月に、愛知にUターンしてから、同じく日本福祉大学の小國和子先生の「開発ファシリテーションとフィールドワーク」勉強会でも何度かお会いした。

ところがである。確かにお名前としては、それなりにビックネームだとは思っていましたが、元々、都市開発の専門家で、もうずっと以前に名古屋の国連地域開発センターにいらっしゃったことや、国連の職員でタイのESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会や、国連の人間居住センターのチーフアドバイザーとして、スリランカにいらっしゃったことなど、いわゆる来て越し道を全く知りませんでした。

穂坂光彦 『アジアの街 わたしの住まい』 明石書店 1994年12月

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この本を、たまたま地元の幸田図書館で見かけて、そういえば日本福祉大学の先生のということで、手に取ったのですが、非常にその生き方に共感を覚えました。

かなり具体的な開発途上国の都市開発の国連のみならずNGOの開発戦略やその実践について述べられているので、それだけでも都市問題やスラム問題を考えるヒントになるのですが、わたしが、気になったのは、この一節。

「私は通算してすでに十七年も国連職員をしているのであるが、この本に書かれていることの多くは「本務」以外の「NGO的な」場で感じたことである。それは国連機関と草の根の間にはまだまだギャップがある、ということの反映でもある。いっきにNGO活動に専念するのも一つの立場だけれども、それぞれの場で努めることがあるのと私は思うので、ギャップの狭間に身をさらして働くことの方を私は選んできた。つまり大げさに言えば、国連を住民に近づけようと試みてきた。 (中略) それでも限界を感じて、仕事の合間に「ひとりNGO」としてスラムの現場で新しい動きをつくりだすことをいくつか試みたが、それらはおおむね手ごたえのある楽しいことだった。」 (P344~345)

この、それぞれの現場で(20年間)がんばるということも、「ひとりNGO」という生き方も、まるで私がずっと言ってきたことで、ここにも、また優れた‘歩く仲間’の先達を(17年ぶりに)発見した思いである。

さらに引用すると、

「(前略)こうして立ちつくすたびに私は、ネパールで医療活動をつづけた故伊藤邦幸・聡美夫妻のことを思い起こす。

(引用)毎日毎日の食事にジャガイモばかり出たら私たちはどうするでしょうか。「アーア、今日もまたジャガイモか、もっとおいしいものにしてくれ」と言うでしょう。

  しかしジャガイモさえもなかなか口に入れることができない人たちが、アジアやアフリカにたくさんいるのです。こんな不公平なことがあってもよいのでしょうか。 (中略) 引用終わり。

そこに貧しい人がいると見るか、この関係は不公平だと感得するか、それは直感的なことなのだが、この二つの感じ方の間には天地の隔たりがある。スリランカ政府も、私たち「外国人専門家」も、貧しい人たちのためプログラムをつくろうとしてきた。(プログラムに傍点)それに対してルーパたちの活動は、いままでになかった人と人との、また地域と地域との、新しい関係をつくりだす一歩となるに違いない。(関係に傍点)それはひとくちにいうと、伝えあい、分かちあう、ということである。その関係を受けとめて日本にまで広げることができるかが、私のこれからの課題である。」 (p347~348)

この引用にある伊藤さんの言葉をどうとらえるのかも私としては微妙なところで、かつ穂坂先生の続く文章とのつながりがいまいちわからないのですが、穂坂先生のいう「伝えあい、分かちあう」ということは、私も、自分で身をもって開発途上国のフィールドワーカーとのやり取りから学びました。(ex. Three Maria's Tale などを参照)

Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語)開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として)2003年5月4日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

この本が出た1994年の当時は、私も社会人二年目で、右も左もわからずにひとり東京で慣れない東京での‘会社員’生活に苦闘しだした頃、まあ全然、接点がなかったわけですが、当然、私が‘気づいた’ように、当時47歳の穂坂先生も気がついていたということ。

この本には、私がこのコミュ(開発民俗学)で語ってきたことがもっと具体的に学問的?に書いてありました。

特に、第三章は、そのまま私の問題意識とつながります。

III コミュニティをつなぐ

1. 学んで伝える-よそものの役割について 

     こうして私は始めた・・・・・(ホルヘ・アンソレーナ) ※コラム

2. スリランカの住民ワークショップ

     コミュニティによる居住環境計画 ※コラム

3. ネットワークによる開発協力 - ベトナムでの実験

     この家が好きだから(グェン・ティ・ノック・ハー) ※コラム

4. 二つのネットワーク

ここらを読むと、国連職員という顔と、ひとりNGOという二つの顔を使い分けた穂坂先生の実践とその思索の深まりが伺えます。

そして「キャタリスト」(カタリスト)の重要性を取り上げている点も、私と全く同じ。

ともあれ、現場を持っている人は強いわ、というのが、本稿の結論。

また、穂坂先生の実践の具体例については、別途、とりあげたいと思います。

※とりあえず図書館に本を返すので、次が何時になるのかわかりませんが^^?

ではでは^^?

蛇足ながら、

穂坂先生は、「願わくば、そのような歓びを日本の若い世代の人たちと分かち合いたいものだ」(前出、ひとりNGOの文章の続きです。p345)ということで国連職員という実務家から若者を育てる側にまわったわけですが、私はどういう方向を考えるべきなのでしょうか。

以前、(開発)コンサルタントの仲間(同僚)のひとりが「実務家」にこだわりたいと言っていたことを、ふと思い出しました。

わたしはといえば、・・・。たぶん、若者と一緒に考えるのは好きだけど、たぶん自分の本音は、日本人の考え方自体を変えてゆくこと、私が生きているフィールドの中で。 ということは、究極的には、民俗‘学会’や人類‘学会’を変えてゆくことなのかなあという妄想がまた膨らんでいくのでした。

ただ、ひとこと付け加えれば、民博などの学者の先生方が始めた‘実践’の学問というスタンスには、なにか本質的に違うと私は思っています。

当然、正解はないけど、もっと平の人からのアプローチが必要ではないか。軽々しく龍谷大学の中村尚司先生の唱えている「民際学」と結びつけて考えてはいけないと思いますが。※私自身が、‘民際学’を言葉として聞いたことがあっても、その内容についてきっちりと押さえていないため。

ところで、もう一つ、穂坂先生のこの本より引用。

「日本のNGOがその後発性ゆえに「開発協力のプロ」を多く擁していない、ということは、欧米に比してひとつの可能性をも示している。NGOの標榜するのが「市民の海外協力」ということであるならば、いたずらに「専門化」を追うよりも、視野の広い経験交流をめざす方がよい、と私は思う。数週間でも数年でも南のフィールドで汗を流した経験を胸に抱きながら、サラリーマンや看護婦や主婦や運転手や自治体職員をしている人たちが日本のあちこちに住んでいたら、そしてそのような人たちを結ぶネットワークが広がっていったら、私たちの社会の風通しもいくらか良くなるに違いない。」 (前出目次の、III 4.中の、コミュニティをつなぐ-ACHRについて の結語 p314)

まさに我が意を得たりといった感じで、まったく納得です。さすが、穂坂先生、リスペクトです。

ではでは^^?

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2011年9月 1日 (木)

第24回 豊田市平和を願う戦争展に行ってきました^^? <わたしの平和学>

初出: 日記@ミクシイ 2011年9月1日

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1770022576&owner_id=11744733

先日、8月最後の日曜日の28日に、隣町の豊田市の豊田産業文化センターで開かれた標記のイベントに参加してきました。

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お目当ては、沢田昭二さんの「原爆も原発ももう作らないで」という講演会。10時30分からの開始でしたが、初めての慣れないところで駐車場を探してうろうろしてしまい、20分くらい遅刻。一番、肝心なご自身の被爆体験のところは聞き逃してしまったのですが、広島・長崎への原爆投下の歴史的意味を語られた第2章から、3章.原爆による被害、4章.日本の原水爆禁止運動の歴史、5.福岡第一原子力発電所の事故、6.放射能被爆の人体影響など、原子物理学者となってずっと続けてきた研究での知見を惜しげもなく、非常にわかりやすい資料でパワーポイントで説明していただきました。

昭和6年生まれといいますから、もう80歳にもなるのに、全くお年を感じさせない明晰な説明に感心しきり。

どうも素人というか文系人間は、感情的にこれらの問題を考えてしまうのですが、放射能にはアルファ線とガンマ線とあってなど、それらが具体的にどのように生命体(当然、人間を含む)に影響するのか、理詰めに説明されると、いかにあやふやな知識とその言説が世の中にまかり通っているのか、改めて考え直さずにはいられませんでした。

実は、私は、全くの不勉強というか無知だったのですが、沢田先生は、実はWikipediaにも載っているような著名な理論物理学者であり、かつ原水爆禁止日本協議会代表理事という活動家でもあったのでした。

ああ、無知って恐ろしい!平気で歩く仲間の名刺をお渡ししてきました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E6%98%AD%E4%BA%8C

このあと、豊田の産業文化センターで、併設のプラネタリウムでヤッターマンの説明動画をみたり、同じ建物の中にある豊田市国際交流協会のTIAナショナルデーなるセミナーで、スイス・デーとういことで、豊田市出身の外務省専門調査員の田中極子さんの、「スイス~永世中立国の表と裏」ということで、主に裏事情を教えていただいたり、しっかり一日楽しんで帰りました。

ところで、澤田先生の講演会が終わった後に、海軍兵学校の生徒だったというシニアの方が、沢田先生に話しかけていました。この人は、8月21日に江田島からボートで上陸して広島経由で地元の愛知に戻ってきたという話をされていましたが、普段、知らなければ知らないでなにげに通り過ぎている人たちの、それぞれの戦争と戦後、それぞれの生き越し道を考えるとなにか頭がくらくらしてきました。

そうだ、今の80から90歳の人たちは、戦前派であり戦中派であり、実際に戦争を闘ってきたというか耐えてきたんだと思うと、いくら戦後66年といったところで、全然、昔のことではない。

この岡崎や豊田市も、‘軍需'工場の豊田があったり海軍の飛行場があったり、さらに豊川には海軍工廠があったり、もうべたべたの戦時体制下に組み込まれた中枢地域だったのでした。

これから日本が戦争をするとしたら、日本の主要都市部は間違いなく重要な戦略拠点となるのでしょう。特に、太平洋ベルトの諸都市には、大きな工場があり産業が集積しているからで、もう空から爆弾が落ちてこれば、絶対に逃げられっこありません。

以前、アフガニスタン戦争でトヨタのピックアップをタリバン(テロリスト?)が使っているといって、世界中からバッシングがありましたが、そもそも科学に正義も悪もない。

民需品が、即、兵器に変わるのが現代の科学技術(テクノロジー)なのです。アメリカの軍需産業(宇宙開発を含む)は、かなりの技術を日本の民間企業の技術に負っています。町工場が、人工衛星を作るというのが、少し以前に話題になりましたが、日本の中小企業の匠の技が、巨大な(軍事)技術を支えている。

これは事実です。

もう、戦争反対とか平和がどうたらこうたらと話している場合ではないでしょう。

即、この一触触発の極めて不安定な世界情勢の中で日本(人)が綱渡りをしているとしたら、もうすぐにでも手を打たないとダメでしょう。

どこに着地点を持っていくのか。どう‘綱’から降りて‘地’に足を着けるのかそこを真剣に考えないといけません。

ともあれ、夢見る‘現物’主義者の私としては、これからはもっと政治などにもコミットしていかざるを得ない。

別に、青臭い‘正義感’ではなくて、‘自分’が生き残るためには、他人、特にどこ(誰)を見ているのかわからないような‘政治家’には、危なくて怖くて我々の命を任せて置けないというのが本音です。

くだらない見栄やプライドではなく、本当によい‘仕事’をしてくれる人がいい加減でてこなければ、冗談というか嘘でしょう^?

本当に、小学生や中学生に笑われるというか、真剣にバカにされてしまいます。いい年こいた‘大人’が何をやっているのだと。

まあ、テレビ番組にでてくるような‘生意気な’こしゃまっくれた子役はともかく‘普通’の子供にすら愛想をつかされている、これではさすがにまずいでしょう。

今こそ、‘大人’力を子供に見せ付けてやるときなのではないかと思います。

ともあれ、時間がかかりますが、一歩一歩着実に、今よりほんの‘少し’でも住みよい世界にしていきたいものですね。

ではでは^^?

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