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2011年8月

2011年8月21日 (日)

川喜多二郎 『環境と人間と文明と』 古今書院 1999年6月

初出:  「地域研究」と「開発学」 <理論各論> @ 開発民俗学 「地域共生の技法」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31862457&comment_count=7&comm_id=2498370

先日、7月23~24日に大阪のセミナーに出席したときに感じたこと。

どうも、私の学問的ルートは関西、特に京大学派に負っているなあとしみじみ思いました。

なぜか。といわれても一言でいうのは難しいですが、京都には‘場’を作る伝統があり、近衛ロンド、人文科学研究所、東南アジア研究センターなど、理系文系を問わず学者が集う習慣があったこと。登山部、探検部をはじめ世界を目指す風潮があること。何よりも京大の研究所の強みは、文人系よりむしろ地学や農学など理系の実証的な研究者が地域研究をひっぱったことなどがあげられると思います。

つまり、文系のいわゆる文学・哲学系の概念から入るのではなくて、実際の‘モノ’にあたるという態度。それが、独創的で現実をよく捉えた研究成果を生み出してきた源ではないかと思います。

当然、その輪の中には具体的な研究者‘個人’があるわけで、それこそ個性的な研究者を輩出しました。

この本は京大人脈に繋がる重鎮の一人の川喜多二郎先生が、京大の東南アジア研究センターがおこなった「総合的地域研究の概念」という科研費の研究会で発表したもの。講演ならではの平易な語り口が読みやすいです。

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川喜多二郎先生といえば、KJ法という発想法、その生まれと展開についても触れられています。

ともかく、今の日本は、全体を見ようとする人が非常に少ないような気がします。やはり大学者とは、過去の遺物なのでしょうか。

ともあれ、「地域研究」の実践論の一つとして味読したい一冊です。

ではでは^^?

<書評の続編>

初出: 「越境のアドベンチャー」 ‘開発民俗学’は‘総合科学’たりうるか?<各論> 2011年8月21日 @開発民俗学 「地域共生の技法」 

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63493101&comment_count=4&comm_id=2498370

古今東西を越えて本物が選ばれる時代

碩学に学ぶ、というとそのまんまだが、やはり先達から学ぶことは多い。

今、日本では歳多く生きているだけでもありがたいスゴイという考え方に振り戻しがあるが、一昔前までは、やはりシニアに対する敬意が一時、とても低くなった時代があったと思う。

今は、団塊の世代が60~70歳なので、戦後民主主義教育を受けた彼らが戦前派、戦中派に対して感じた不信感から、30~50歳くらいまでに、ことさら人生の先輩にきつく当たってきたと思うのだが、いざ、自分が還暦を迎えるようになると、いやでも自分も歳をとるのだということと自分が反発される立場にあることに、ようやく気がついたということであろう。

大体、若者は自分より10歳~20歳くらいのちょっと上の年配者に非常に反発をするものだが、それ以上、30歳とか上になるともう兄貴や親父といった世代ではないので、単なるお爺さんとして孫のような立場で甘えられるというか素直に付き合えるようになるのであろう。

それが実生活でのトレンドであったと思うのだが、現在のこの21世紀はどうか。

はっきりいうと人間の歳とか風貌とか属性についての関心が薄れて、本質論での議論ができるようになってきたと思う。つまり世界が、年齢や地域に関係なく、フラットになってきたというである。

今までは、先進国の研究者であるだけでむやみにあがめたり、風采だけで信用できないとか、そういう外部用件が、中身の評価に影響していたのが、今なら著名人であろうか無名であろうが、先進国にいようが途上国であろうが、全く等しく中身だけで評価される。そんな時代だと思う。

そうすると何が起こるか。

結局、今までのように、外面的なレッテルにとらわれることなく、いいものはよい、悪いものは悪いと素直に評価できるということで、今まで以上に、現在過去を問わず本物の仕事をした人に評価が戻ってきたということである。

単なる‘古典に回帰’ではなく、古典たるゆえの中身の'スゴサ’が改めて問題にされている、最近の斉藤孝先生の福沢諭吉の『学問のすすめ』の再発見についても同じことがいえると思う。

ということで、今回、紹介するのは、川喜多二郎先生の『環境と人間と文明と』古今書院 1999年。

もう、10年以上も前の本であるし、川喜多先生は1920年、つまり大正9年生まれの戦中派、KJ法で一世を風靡した『発想法』は、1967年なので、もうとっくに終わってしまった?2世代も3世代も前の研究者と思うどころか、今の大学生では名前も知らないかもしれないのだが、ところがどっこい、いわゆる‘昔’の学者の骨太なところを、この講演録は物語っている。

正直、私はこの本を読んで感動した。

京大の地理学をでてからの研究遍歴、地理学から農業経営地理へとオーソドックスに研究を進める中で、自然科学だけではダメだと人間と地域にフォーカスを徐々に移していく。科学者が、いかに地域の‘人’と向き合うのかが実際の経験を通して語られていく。

なぜ、KJ法が生まれたのか、アクション=リサーチの走り、「分析的」な西欧の学問に対する「総合」への道のり。彼のいう、「書斎科学」、「実験科学」と「野外科学」、まだこれが、学界では市民権を得ていないと思うが、彼には市民がついているというか、普通の人の感覚では、やはり「野外科学」を設定しえもらったほうが、実利もあるし、われわれ自体も、(学問に)参加できるという意味でありがたい。

1990年代の後半から2000年の初頭まで、開発援助の現場で、盛んに「参加型開発」だとか「PRA」とか「PLA」とかが話題になったが、欧米経由で英語で学ばなくとも、少なくともそれらが話題となり研究される最初期と時を同じくして、日本でも、そのような動きがでていたことは、やはり日本人としては押さえておくべきであろうと思う。

本当に、日本人の日本人知らなさは恐ろしい。なぜ、このような実践思考の研究者が、開発援助の学界ではあまり認知されてこなかったのか、理解に苦しむ。

というか経済や政治、法律から開発問題を考える人は、理系の農学とか地理学者における開発問題への取り組みについて、盲点というか眼中に入っていなかったのではないか。

開発問題は、‘国際’問題ではなく‘国内’問題でもあり、政策の問題とも非常に密接に絡んでいる。しかしながら、農学、土木、建築などの技術系の開発研究と、行政における開発問題、すなわち政策問題について、比較的に関心が薄かったように思われる。

貧困問題も、福祉の現場では、日本でもそれなりに研究と実践の蓄積があるのにも関わらず、日本のホームレスやワーキングプアと、先進国の失業問題、途上国の貧困の研究は、必ずしも研究者間の横の連携が取れていないように見受けられる。

私みたいな素人にとってみれば、世界の問題も日本の問題も全く同じだと思えるのだが、なぜ、その知見を他の地域に拡げられないのか。それが不思議でもある。

とはいえ、今では、私のような思考の人も増えていると思う。

結局、学問でもなんでも、その人の‘人間的な幅’以上のものはできない。民間企業でよく言われている、「社長のスケール以上に、会社は成長しない」ということと、全く同じである。

かといって、だから昔の学者は凄かったで終わらせてしまっては意味がないので、ぜひ積極的に、批判的に、やったこと自体より、なぜそれをやったのか、なにを考えてそう行動したのかに着目して、自分の今後の参考にしたい。

そんなことを考えました。

京大学派に関心のある方も、注目です。

いかに実践的な学問が立ち上がってきたのかの一端がわかる好書ともいえましょう。

ではでは^^?

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2011年8月15日 (月)

 「巨視的な研究」と語った真意について <補足>

前項の補足です。

小森陽一監修 『研究する意味』 東京図書 2003年5月

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/20035-0b10.html

誤解のないようにつけたしですが、金子氏も、「いまはディテールを知ったうえで学会の壁を突破する力がなければ、大きな枠組みを語れないのです。」とディテールの重要さを強調していますが、私も100%同意です。

私が「巨視的」というのは、‘ディテール’を欠いた大雑把とか抽象的なという意味ではなく、‘ディテール’にこだわりつつも、(世界)全体の中での位置づけを考えながらやりたいということで「大きな枠組み」を語る‘野心’は毛頭ありません。

宮本常一先生がモノグラフ(民俗誌)を50本くらい書きたいと若い頃に志したように、私も具体的な事例にこだわりたいし、なによりも片倉もとこ先生の「平の人」のことを「大文字でなく」語りたいのは、鶴見良行さんや鎌田慧さんの系統を自負するからこそ、でも前嶋信次先生みたいな‘ロマン’を語りたいし、家島彦一先生みたいな地道で世界を股にした実証研究から「パラダイム」そのものをひっくり返したい。

なんだ、結局、「大きな枠組み」への野心はあるじゃんということですが、それはめちゃくちゃ難しいことでしょう。時空を超えるだけの力量が必要で、今の時点では自分にそれだけの力は全然ないし、死ぬまでにどこまで研鑽できるのか、ただスケールの大きさということでは、家島先生は当面の目標というには遠すぎでも頭の片隅に忘れてはいけないことだと思います。

‘歩く’、‘見る’、‘きく’だけではダメ(不十分)で‘読んで’‘書きまくる’。これが上記の私が尊敬する先達の生涯を通じた生き様というかスタンスであった。

まあ、どこまでやれるのか、とはいえ「開発民俗学」を旗揚げしてしまった以上、討ち死にするまでやるしかないのでしょう。

どこかの誰かが屍を乗り越えていってくれることを信じて。

ではでは^^?

参考: 

Giant Steps! 巨人達の足跡 HP歩く仲間 2001年2月25日現在

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/gsteps.htm

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小森陽一監修 『研究する意味』 東京図書 2003年5月 <研究者への途>

初出: mixi開発民俗学-地域共生の技法- 2011年8月14日

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63702552&comm_id=2498370

今日も、市の図書館に行って来ました。

2週間10冊借りれるのですが、ついつい欲張って10冊借りても、実際には、返却期限には2,3冊しか読めていない。まあ、積読といって手元にあるだけでも意味がある?と、しかもこれほど緊迫財政の中で専門書を買う余裕は全くないので、しっかりした本を置いておいてくれている公共図書館には非常に感謝しているのですが、今の読書傾向はこんな感じです。

1. ‘学問’方法や‘学問’をするスタンスに関するもの

2. 深めたい分野の専門書

3. その他

となるわけですが、今の時点では、2の分野が多くて、1の分野がちょぼちょぼ、3の分野は本当に流行の本とか気晴らしが数冊といった感じです。

さて、1の本ですが、前から書いているように学説史とか、研究者自体の問題意識というのに非常に興味があるので、いろいろ新旧混ぜて読んでいるのですが、それぞれおもしろい。

今回、紹介するのは、1950年代生まれの研究者達の‘研究する意味’です。

11081400私は以前、1955年前後生まれの研究者は、それ以前の世代の研究者と根本的に異なると看破?しましたが、実際に当事者に言わせてもそのとおりで、今、2003年に編まれた本を読んでいるのですが、彼らが新しい研究の出発点は、1992年とか2001年の9月1日とか言っている。そして、助手や助教授の時代、すなわち1980年代から1990年代にかけて中堅どころとなった全共闘時代の、つまり団塊の世代の先輩研究者にずいぶんいじめられたと書いている。

私が見ても1990年代から2000年にかけての動きは本当にめまぐるしかったので、時代が先にいってしまって学界というか知識人自体が思考停止というか自分の足場をなくしてしまったようで、傍から見ても悲惨な状況にあったということが、その内部で一線に立とうとしていた先輩方の言葉として語られているのが、非常に生生しかったです。

というか、実は、まだ最初の章の、小森陽一氏と金子勝、高橋哲哉氏の座談会を読んでいる途中なのですが^^?

私には、独自の世代間があります。

1970年生まれなので、非常にわかりやすいのですが、自分の前後5歳までは同世代、10年離れると世代が違うと感じてしまう。

今回のまな板の上の彼ら先輩は、少なくとも10年から20年年が違うとなると、やはり全然、背負っている時代背景や問題意識が違う。

たぶん、自分が研究者としてやっていくとするのなら、やはり彼らを乗り越えるだけのモノがなければならないのだろうなと強く感じました。

自分が大学を卒業したのが、1992年3月のこと。結局、20年近く社会人(会社人)をやっているわけですが、やはりあのときにそのまま進学していなくてよかったと心から思います。

というのは、もやもやとした問題意識しかなかったから。

当時、それぞれの主流派であった人たちは、1950年代の人より以前の古いパラダイムに生きていたし、1950年代の人たちは、まだ発言権がなかったし。

今、空手挙手で学界に殴り込みをかけようとしているわけですが、そうだな、理論は後(別)にして‘現場’から考える姿勢だけは、仕事で鍛えさせていただいた、ただその一点だけを武器にして、というと単なる蛮勇に終わってしまうので、いろいろ学問的な‘素養’を再勉強した上で、新しい地平線や水平線を切り開いていけたらと思います。

なにか、この3名の座談会を読んでいるだけで、モダンやポストモダンの西欧の哲学者の名前がボンボンでてきて、確かに‘学問’としてやるなら、それは押さえておかないとと思いつつも、所詮、借り物の知識をちょっとかじっただけで学者になれるのかという天邪鬼的なツッコミを入れたくなったりして、ただ、この本に出てくる人たちは、基本的には実証的な研究を続けて人たちばかりとは思いますが、‘いちおう’押さえておく必要があるのかなあというのは、今でこそ、疑問で疑問でたまらない。

なんかポストモダンで話題にしていることって、実は、我々の世代は感覚的にわかってしまっているというか難しい‘言葉’を使わなくても、それってあたりまえじゃんという感覚、でもそれを学問の末席で言っては(つぶやいても)だめなのでしょうか^^?

自分としてはもっと‘巨視的’な研究がしてみたいし、世界観の根底にある‘哲学’にイスラーム哲学や中国、インド哲学が‘常識として’含まれていないのは本当におかしいと思うし、西欧哲学研究は、1割以下にして、それ以外の地域の宗教や哲学研究を9割したほうが、よっぽどかこれからの‘日本’のためになると思う。文部科学省はもっと、そういった方面にお金をつけるべきといっても、その‘価値’が、旧帝大系統の日本の高等教育を受けた人たちにわかるのかしら?

少なくとも、自分たちが立っている‘基盤’そのものが間違っているかもしれないという危機感は、1950年代の人たちには、全然欠けていると私は思う。

学問が継承を必要とするのなら、本当の意味での人類の知的遺産とは何かを考えるべきだと私は思います。

まあ、同世代の仲間の活躍に期待するしかないし、我々の世代のもつ世界に対する不安感は、やはり自分達で突き止めて解決していくべきだということなのでしょうか?

まあ、人のフリをみると自分の立ち位置がわかってきますので、上記1の分野の読書は、これからも続けていこうと思いました。

嗚呼、なんかまた余計なケンカを売っているなあと‘ちょっとだけ’反省しつつ。

ではでは^^?

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2011年8月13日 (土)

プロファイ(プロジェクト・フォーメーション、プロジェクト・ファインディング)における2,3の留意点・・・ 開発民俗学の視点から (その2)<講座>

問題意識:

上記の目次では、非常に盛り沢山の内容となってしまったので、実際の学会発表ではポイントを3分の1くらいに絞らないといけないと思いますが、なぜこのようなことを今、考えているのか。それは結局、開発援助(官民含む)の実態と現状に対する不満です。

政府開発援助の世界に16年働いてきて、私はほとんどのODAのスキーム、開発調査、無償資金協力、有償資金協力、専門家派遣、プロジェクト評価などの業務を直接見聞きしてきましたが、そのなかで気になったことは、主に2点あります。

1. ステークホルダーのあいまいさ(カウンターパートが役人であることは間違いないが、開発対象地域の‘住民’が見えてこないこと)

2. 事業実施側(開発コンサルタント含む)の、先行事業や現地で実際に動いているプロジェクトに対する無関心

結局、自分達が思うブループリントの立案や事業実施には関心があっても、今、現在、その開発される現場で何が行われているのか、受益者自身の声といったものに対する関心の低さといったものを、さまざまなプロジェクトで感じました。

特に、政府開発援助の場合、事業規模が大きい場合が多いので、どの段階から地域住民を巻き込むのについては、非常にセンシティブにならざるを得ない。これは政府機関に対しても同じ事で、その気にさせるのはいいが、実際に実現可能か、絵に書いた餅では相手を失望させるだけということがわからないわけではありませんが、あまりに中央で考えていることと、事業が実施される地方での実状・現状との隔たりが多すぎる。カウンターパートである中央の役人は、実は現地の実態を知らないことが多すぎる。ということに気がつきました。

結局、ターゲットとなる住民がどんな人たちなのか、どんな生業で生計を立てているのかがよくわからないままに開発計画を立ててしまう。

そして、実際に現地ですでに多くの事業が実施されていたとしても、その成功と失敗の経験が、新しいプロジェクトの当初の時点から反映されていない。結局、似たような失敗をしてしまう、もしくは、すでに現地にある有効なネットワーク(人脈、ファシリティーなど)を活用できない、さらにはすでにあるのに、同じようなものを新たに設計して作ろうとしている。

こんな非効率で訳がわからないことが実際に行われています。

先行事業との絡みでいえば、日本のNGOの視野の狭さ、他国プロジェクトへの無関心ということも非常に目に付きました。

現場に立ってみると、実はさまざまなステークホルダーがすでに多くのプロジェクトを動かしています。しかしながら、これら‘小粒’なプロジェクトは、プロジェクト対象者を、‘先住民・マイノリティ’、‘社会的弱者・女性、子供’などと事業開始時点でターゲティングしているために、プロジェクトの最初から、その‘枠’に入らない周辺住民は、自動的に選別されプロジェクト対象者から落とされているケースが非常に多いです。

その場合、何か起こるか、同じ地域における開発の恩恵を受けるものと受けないものがでてきてしまう、特に近接している隣近所の中で不平等が生まれているケースもありました。

また、プロジェクト側で排斥された地域住民とは、別に、‘メジャー’な地域住民から排除されている‘見えない地域住民’についてのアプローチが不十分になりがちというか、外部者であるプロジェクト実施者が、全く気がつかないケースも多いです。

そのような既存の不平等や差別にどうアドレスできるのか、プロジェクトの実施によって、既存の差別を固定して住民間の格差をさらに広げてしまうという問題もあります。

つまり、現場の実態把握ということが、非常に重要であるのにもかかわらず、実はプロジェクト形成時には十分調査できていないことが多いのです。

官民をとわず、業務指示書(TOR)というものがプロジェクトの業務範囲を決めているのにもかかわらず、果たして適切な業務指示がかけるだけの下準備、つまり適切なプロジェクト形成、すなわちプロファイができているのかというのが、私の問題意識です。

そして、これは社会環境配慮ガイドラインのあり方にも密接に絡んできます。

間違ったもしくは不十分な業務指示書からは、よいプロジェクトは生まれない、しかしながら、実際には、プロジェクトの進捗過程で不断に業務指示書の書き換えが現場レベルでは行われていて、結果的には、なんとなく成功にこぎつけるべく関係者は多大な努力をするわけですが、いずれにせよ、‘よい’業務指示書があるに越したことはないわけです。

地域開発と地域研究を結びつける、地域と中央を結びつける、なにより人と人とを結びつけることが開発民俗学の目指すところであると私は思います。

といったところを、具体的にまとめられたらと思っています。

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プロファイ(プロジェクト・フォーメーション、プロジェクト・ファインディング)における2,3の留意点・・・ 開発民俗学の視点から (その1) <講座>

初出: mixi開発民俗学-地域共生の技法-

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64344414&comm_id=2498370

今年(2011年)の11月26日、27日と名古屋大学で国際開発学会の大会が開かれます。その場で研究発表となるのかどうか?(8月28日締め切り)

とりあえず自分のメモとしてレジュメを作ってみました。

ではでは^^?

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<構成表>

私の場合、頭から書き込んでいくと、論旨が定まらずしかも細部に入り込みすぎてしまうと分量配分にむらがでてしまいますので、枠組みから決めていきます。

1.はじめに

2.開発コンサルタントの職務範囲

3.フィリピンでの経験より

3.1 風の人、土の人の発見 (2001年頃)

3.2 マニラ事務所駐在員としての発見(2004から2008年)

3.2 フィリピンにおける日本人の援助コミュニティの実態

3.3 フィリピン政府機関における縦割行政

3.4 プロジェクト現場からのフィードバック

3.4.1 パナイ島イロイロにおけるマルチ・ドナー戦略
3.4.2 ミンダナオ島持続的定住地開発事業(円借款)における農地改革省の役所間連携の手法
3.4.3 日本の政府開発援助プロジェクト現場におけるフィリピンの役所間共同(サマール島・カトゥビック総合農業開発事業(円借款)、レイテ島・辺境地総合農業開発事業(無償資金協力))

4. プロファイ活動を通じて学んだこと

4.1 先行事業のレヴューの重要性
4.2 ワークショップによる現場で動いているプロジェクトの把握と問題点の整理
4.3 地域にいけるリーダーの発掘
4.4 地域の政府出先機関のスタッフ間の連携の模索
4.5 ローカルプロフェッショナル(ローカルNGOなど)の知見の活用

5. 地域開発事業における総合的な視点・地域研究的な視点の不在

5.1 地域住民に対する不十分な理解
5.2 アクター分析の不十分さ
5.3 先行事業の批判的レヴューの不十分さ
5.4 地域住民の生業に対する理解の低さ
5.5 受け入れ組織分析の不十分さ

6. 提言
(プロジェクトの枠組みの段階で、プロジェクトの成功の成否は決まっている。)


6.1 プロファイにおける現地のローカルスタッフ(官・民)との協業
6.2 ワークショップ・ファシリテーションによる現場の意向の吸い上げと確認
6.3 他ドナー、他のプロジェクトとの協業
6.4 プロジェクトの実施過程による柔軟な軌道修正の必要性
6.5 より視野の広いプロジェクト形成とプロジェクト運営を。

以上

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2011年8月 7日 (日)

せめて60億分の一の責任をとろう!<広島原爆投下66年目の日に思うこと>

と、先ほど終わったNHKの原爆の特番を見て思いました。

今日は、66年目の広島原爆投下の日です。NHKでは、こんな内容の特集番組をやっていました。私も最後の半分ぐらいをみただけですが、こんな事実が65年ぶりに判明したそうです。

軍部は、広島に原爆を投下に来たB-29について、米軍が特殊な暗号通信を送っていたこと、8月6日の原爆投下前にも、特殊な記号が使われたことがわかったこと、広島の被害からその特殊爆弾が、原爆だとほぼ軍部は掌握していたこと、しかるに国会答弁なのでは原爆であることを一切隠して認めなかったこと。

軍部は、3日後に原爆をつんだ米軍機が長崎に向かっていることを約5時間前に知っていながら、つまり広島のときと全く同じ特殊な記号の暗号通信を5時間前に解読して上層部に伝えていたのにも関わらず、長崎に避難命令も、さらには長崎からわずか10kmの海軍飛行基地に対して迫りくるB-29の迫撃命令を出さなかったこと。

その後、ポツダム宣言の受諾の方針が決まったらすぐに諜報本部の書類を全て焼き捨てることを命じたこと。

実際の当事者の何人かがインタヴューに応じていましたが、結局、自分達の陸軍の幹部がいたこと証言する人。暗号を解読したり、戦闘機乗りで当時、飛行場でスタンバイしていたパイロットの人など、本当に末端でまじめに職務というか任務を全うして働いていたスタッフにとってみれば、上層部の判断と(無)行動はあまりにやるせない。 自分達の努力が一部の人たちの手の中で握りつぶられてしまったという現実を65年後に、知らされた彼らの顔には、その無念さがありありと見て取れました。

自分の保身だけを考える‘お偉い方々’。

よく天皇や軍部、政治家など戦争当時のトップの責任を問う声が大きいのですが、確かにその責任は、普通の庶民に較べてはるかに大きいのは事実なのであるのですが、それを言うだけで事が済むのかという問題が残ります。

私としては、まず、‘彼ら’に期待することをやめることを提案したいと思います。所詮、‘彼ら’も‘我々’も‘弱い’ひとりの‘人間’でしかないのですから。

日本人、当時、7~8,000万人か?の命運が、わずか数十名?のトップの‘手’にあったというのも、おかしなことだと思いませんか?冷静に考えて。

今の国会の場合、1億1千万人の命運が、わずか600名以下の政治家の手の中にある? 馬鹿をいってはいけない。 ということは、やはり実際に戦争を生きた彼らにも、今を生きている我々にも、それぞれの個人個人の責任はあってしかるべきだと思いませんか。

ともあれ、この太平洋戦争が明らかにしたことは、軍隊に任せておいたら日本はつぶされる、つまりあまりにくだらないプライドや自身の保身(戦争責任者として裁かれる)のために、普通の人が平気で切り捨てられ、さらには‘人柱’にされる。

これが、軍隊と兵士の‘論理’であるということ。当然、そうでない、筋を通して自分の‘責任’に見合った言動をした指導者や知識人たちがいることを否定するつもりはありませんが、残念ながら、自分の保身に走ってしまったそうでない人たちの方が結局は多かったのじゃないかと思うし、仮に下のものが正しいことをしようとしても上のものに握りつぶされたり、非国民とか言われて実際に殺されてしまったんじゃないかとも思います。ともかく結果として軍部の証拠隠滅が図られたことは‘事実’であるということ。これは否定できません。

私は、これからの世の中、限られた人に‘自分’の命を預けるという、この20世紀の馬鹿げた言動を、絶対に繰り返したくないと思います。特に武力を持った軍人は絶対に信用したくありません。

最近、ダグラススミス氏の「非常識な」憲法? 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社ライブラリー(2004)を読んでいるのですが、それによると、国が合法的に‘人殺し’を認めた20世紀が人類の歴史のなかで一番、戦闘行為でなくなった人が多いそうです。そして軍隊や警察は、自国民を守るのではなく、自国民を弾圧して殺傷するケースのほうが他国の人たち(軍人、民間人)を殺害するよりも多いそうです。彼が引用しているランメルという研究者の数字では、国家が殺人した約2億人のうち、約1億3千万人が自国民を殺している。国家による「正当」な戦死は3千4百万人に対して、民間人で殺されたのは1億7千万人。軍人より民間人の被害が5倍。

こんな馬鹿な話しが現実に、この20世紀には起こされてきたということです。結局、割を食うのは普通の‘民間人’じゃないですか。ただ私の推測では、その‘民間人’の中の一定数は、兵士の教育を受けた人で‘軍人’の資格はあったとしても、ようはオン・デューティではなかったので‘民間人’としてカウントされたんだろうと思います。

ともあれ、これほど原爆やら細菌兵器やらロボット兵器やらさまざまな兵器がある21世紀では、完全武装で殺人の訓練を受けた職業軍人が死ぬことは‘ほとんど’なく、普通の‘市民’がいとも簡単に殺されていくのでしょう。

アメリカは‘掃討作戦’なんて言っていますが、ゲリラやテロリストを標的にしているといいつつも、現実にはそのまわりの普通の人も巻き込んだジェノサイド(全殺戮)以外のないものでもないのです。

さて、国も政府も、(自分達を守るべき)軍隊も警察も信ずるに足りないとしたら、もうやることはわかりますよね。

自分の身は自分で守るということです。軍隊も警察も結局は上位が絶対という‘縦’の組織であるとしたら、上が一旦、間違えば、彼ら(軍人、警察)に間違った命令を覆す権限も拒否権すらもありません。

いかに軍隊や警察力に頼った組織が内部的には弱いものであるかとうことです。間違った人がトップになれば、組織の成り立ち上、それにしたがわなくてはならないのですから。

とにかく、(他)人に自分の運命や命を任せることを止めて、せめて自分の分だけは、つまり今の世界の‘60億分の一’の人としての責任は自分で取るようにしましょう。

よく戦争では、お国や女や子供のために戦ったというが、それは欺瞞であり自分を慰めているだけ。それは、相手国の兵士も同じことを思っている、なぜ戦いたくない、人を傷つけたくないという自分の‘本能’に素直になれないのか。

そしてついでに言っておくと、女だろうが子供だろうが‘自分なり’に、自分の‘命’や‘幸せ’を守りなさいということ。少なくとも、そのための努力をそれぞれの立場ですべきだと思うし、実際には出来ていると思う。日本の非核とか戦争反対運動の担い手は、はっきり言って母であり妻である女性です。

そもそも、なぜ、強いものと弱い(守るべき)ものとに分ける必要があるのか。

私が言うまでもなく、男も女も子供も老人も所詮は、弱い‘人間’でしかないでしょう。

まず自分の‘命’を守ることを、この65億の人たちが、本当に一生懸命に考えて、‘弱いもの’どおし助け合えば、‘力’を持つとされる‘強い’人(たち)に勝てるかも知れない。

とにかく、死の商人と裏で手を結んでいるような某国の責任ある立場のもの(父子)が、‘平’の人たちから‘政治家’という力のある立場から、引き摺り降ろされないのかが、私には正直、不思議でならない。やっぱり死の商人って儲かるのかなあとか、よっぽどの利権なのだろうなとかんぐってしまいます。でも実は普通の民間会社が、兵器の個々の構成部品を作っているという現実があるのも事実なのですが^^?

ともあれ、21世紀の僕たちには‘英雄’や‘ヒーロー’はいらない。

自分が自分のために自分の‘ヒーロー’であること。

そんな生き方がかっこよくなってくるんじゃないかなあと思う。

あと、事のついでに言っておきます。(たぶん、後では言えなくなるかもしれないから)

私があと何年か生きて、ノーベル平和賞にノミネートされたとしても‘絶対’に私は、ダイナマイト王のアルフレッド・ノーベル氏の‘贖罪の血’のついたメダルは辞退します。(一緒にやってきた仲間が欲しがるかもしれないけど、それはその時に考えるとして)

なにも、これは今までノーベル賞を受賞してきた人たちを侮辱しているわけではなく、しかるべき委員会に認められ世界的にも一定の(高い)評価を得ている‘賞’そのものを否定しているわけではなく、私も人並みに、この‘賞’自体はリスペクトはしていますが、ただ‘自分’ならいらないということです。この点は、私の(生き方の)‘主義’の問題で,別に赤の他人と議論するところではないので、よけいなツッコミはしないように^^?

ともあれ、科学の力は、とんでもないものを持ってきてくれたなあというのが、この数ヶ月の正直な感想です。

とにかく私は私で非核反戦の運動を自分なりにやっていきます。

それがたとえ、60億分の一人の働きでしかないとしても。

あと、本気で日本の政治家に怒っているので、これからは、私がちゃんと地元から立候補する政治家を一人ひとりチェックします。与党や野党は関係なく、‘人’として信用できる人しか‘清き'一票を託せないし、仮に私の押した候補が落選したとしたら(今まで99%そのパターンでしたが)、当選した政治家のところに押しかけてでも、勝手なことはさせないというか言うべきことは言います。

馴れ合いで茶番な‘政治’にはうんざりです。看板・地盤・カバンなどという‘過去の遺産’はもう認められない。2世だろうが3世だろうが能力のないものはやらんでよし。

ということで、これからはもっと政治にもコミットしていきます。

たとえ60億分の一人だって、本気になれば‘世界’を変えられる。

私は、そう思って生きてきたし、たぶん、これからも生きていきたいと思っています。

なんか書きたいだけ書いたらすっきりしたけど、たぶん、この記事が非難轟々になるのがなんとなく目に浮かびますが、そのときはそのときまで。

受けて立ちましょう。かかってらっしゃい。

ということで。

ではでは^^?

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2011年8月 6日 (土)

ワークショップ時に気をつけること 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その5 完結>

(その4の続きです。)

<ワークショップ時に気をつけること>

・相手を待たせない、予定時間を絶対にオーバーさせない、できれば予定より早く切り上げることを考えます。

・ワークショップの時間は、約90分を目安に計画を立て、実際に作業を進めます。延長しても最大2時間が限度でしょう。そして、参加者に疲れが見えたら、潔くワークの途中でも切り上げる勇気が必要です。聞き取れなかった点、現地の人が言い足りなかった点については、きっと後で個別に話しにきたりとか補う方法がいくらでもあります。

・参加者に、かならず‘満足感’というお土産を持たせること。これは物理的なモノではなく、「参加してよかった」という‘感動’と‘気づき’です。ワークショップで作成した資源マップやスケジュール表の模造紙は、調査の取りまとめのために一時借りることはあっても最終的にはグループに返却するようにしてください。

このような協同して作った‘モノ’は、参加したことの思い出であると共に、後で振り返ったときに、そのワークショップでの‘気づき’を忘れないためにも必要なものとなります。

いずれにせよ、基本は、あまり外部者がでしゃばらないこと、ワークショップの際も、裏方に回ってグループワークの作業自体を現場のリーダー格となる人たちにやってもらってください。それは彼らの経験にもなりますし、外部者にとっては、全く別の観点からの意味があります。自分がでしゃばらないことによって、外部者には、作業を外から見て必要に応じてグループワークに参加したり、個別インタヴューをしたりする余裕と時間が生まれます。実際、私はこのやり方で、かなり効率的に情報収集をすることができました。

あと、あまり過度の期待は持たないことですね。これは自分自身にも、相手にとっても期待値が大きすぎるとがっかり感が大きくなりますので、あまり身構えたりがんばる感を出さずに、さりげなくなにげにワークショップを運営しましょう。

とにかく参加者がグループワークを通じて、彼ら自身の力を感じて、グループダイナミクスが彼ら自身の言動の中から生まれてくるようにすること。

外部者がでしゃばって、ハッパをかける問題ではありません。一番、切実なのはなによりも彼ら自身なのですから。

あと調査結果の現地へのフィードバックを忘れないこと。報告書、写真などできるだけ、早く現地の人に手渡すようにしましょう。

ということで、とりあえず気のついた点をまとめてみました。

まあ、いろいろ漏れがあるとは思いますが、現場をみて適当?にアレンジして使ってみてください。

ではでは^^?

この項 了

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全体を通じての注意点 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その4>

<その3の続きです>

3.全体を通じての注意点

まず、現地がかなり疲労していることに配慮しなければなりません。そのためにやるべきことを列挙します。

<現地前にやっておくこと>

・できるだけ事前に現地情報を集める。

日々、現場は動いています。しかしながら都市や町ごとの地誌、地理や産業情報などは基本的に大きくは変わらないし、逆に変わり果ててしまった現状をみても想像できない‘かつてあった’土地情報を前もって調べておくことは、現地でワークショップを行うのにヒントとなることがあります。

・すでに活動の外部者ネットワークにコンタクトする。

当然、現地の市町村や現地のキーインフォーマントを捕まえることは必要ですが、彼らはすでに動いているプロジェクトで正直、手一杯です。

つまり、彼らとすでに協業を始めている外部者のネットワークの仲間にいれてもらうことを考えます。

彼らは現地駐在員とは別に東京など被災地の外部に基地をもっている場合が多いので、できるだけ被災地から遠い、また外部者に近いところ、たとえば東京内部で現地をよく知ったインフォーマントを捕まえて、外部者から見た現状分析を聴いてみましょう。

いろいろなヒントがあると思います。

あと、外部者から攻めることのもう一つのメリットは、現地踏査やワークショップのダブりを事前に防ぐ目的があります。つまり自分のデザインしたワークショップなりがすでに試みられていたとしたら、現地の人から何をしにきたといわれかねません。

大体、人の考えることは似通っていますので、今まで試みられてきたことをなるべくできる範囲で、振り返っておく、そしてロールプレインしておくことが必要です。

<現地に入ってから気をつけること>

・まずは自分の体調管理です。見知らぬ土地に乗り込むこととは、物理的な体力的な疲れとは別に緊張感からかなりとストレスを体は感じています。

決して、無理をしないこと。

・計画は時間的な余裕をもって、ワークショップでは調査項目を欲張らずに、自分の都合だけでワークショップや調査を進めないこと。これは、特に被災地支援では絶対に守るべき鉄則です。

ふつうの平穏時の農村調査でも人を動員してワークショップをするのは結構、根回しやら準備やら大変なのに、みな現場にかかりきりの被災地では絶対に無理に動員しないこと。今回、ワークショップ案を示しましたが、とても思うようなステークホルダーは、一度の集まりません。その場合は、潔く調査方法を変えることを考えるべきです。

たとえば、自分が聞きたいステークホルダーのグループごとにフォーカスグループインタヴューを行います。それぞれ作業中のグループの元に自ら足を運んで、彼らの作業現場で、少しだけ時間をとってもらい(目安として20~30分以内)、手の好いていそうな個人からそれぞれ話を聞きます。

<続く>

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ワークショップデザイン(続き) 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その3>

<その2の続きです。>

ここまで書いてきて、これだけの内容で盛りだくさんだとわかりましたので、現地踏査と、全体ワークショップは下記のように分けることにしましょう。

・地区ごとのワークショップ(ワークショップA)

1.ステークホルダー (同前)

2.ワークショップ作業内容 (上記のA-1 全員参加による地図とスケジュール表づくりのみ)

3.アウトプット

3.1 ワークショップ結果(A-1で作った地図とスケジュール表)

3.2 全体ワークショップ(A-2)への参加者の決定

ここまでの作業を、5箇所全てで行います。たぶんこれだけで、1.5~2時間かかりますので、5箇所回ったら、1日目で3箇所、2日目で2箇所が限度でしょう。またはファシリテーショングループを2つに分けて、1日目にそれぞれ、3箇所、2箇所でワークショップを行い5箇所のデータを1日目中に集めておくのも手です。

<2日目>

午前:

地区毎のワークショップの残りと、ファシリテーショングループメンバー内での調整ミーティング

午後:

・全体ワークショップ (ワークショップA-2) (約2~3時間)

5地区から選出されたメンバーとファシリテーショングループでワークショップを行います。内容は、先にA-2で述べたとおりです。

このワークショップは午前11時頃から昼食をはさんで行い2時か3時に終わるようにします。この場で、一旦、地元の方には帰っていただきます。

なお、ワークショップで作った模造紙は、作業用に一旦借りる形にして、後で必ず地元の人に返却するようにしてください。

・ラップアップミーティング (外部者のみ) (1時間)

ファシリテーショングループと、外部者のみでワークショップ結果について話し合い、今後の援助計画について、大体のコンセンサスを得て、この場で決められないことについて、それぞれ持ち帰ってもらうように手配します。

(続く)

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ワークショップのデザインについて 国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その2>

(その1の続きです。)

・アクティビティ(ワークショップA)

ワークショップAでは、地区ごとの問題点・課題と、将来への展望をあげてもらうことを目的として2つのアクティビティを行う。

A-1 全員参加による地図とスケジュール表つくり (約1時間)

作業を行うのは、多くても7~8名くらいが限度なので、出席者が多い場合は、地区を2つか3つにわけて、それぞれ現地に詳しいメンバーを中心にグループで、下記の資料をまとめさせる。調査者及びカウンターパートは、このグループワークには直接参加せず、タイムキーパーとグループの作業状況をみながら、必要に応じて詳細の説明や資料への加筆を求めたり、個別インタヴューを行う。

1.資源マップ (リソースマップという)

A1かB1の模造紙を準備する。地区のなかで絵心のある人に基本はフリーハンドで地区の主要施設(道路、公共施設、ランドマークなど)を書いてもらった上で、以下の作業を行う。

・被害が甚大なところの網掛け (次に下記のランク分けをする)

A)実施中プロジェクト

網掛け部分に直接、事業名、内容、実施主体、プロジェクト期間 (始まりと終了予定を押さえること)

B)実施してないところ

 網掛け部分でまだ事業が実施されていないところについて、下記の仕分けと優先順位をつける。

B-1 すでにプロジェクトの計画があるもの

 とりあえずわかっている範囲の内容を上記にならって書き込む。

B-2 新規のプロジェクト

 AとB-1以外で必要なプロジェクトを地図上に落とし込む。

2.スケジュール表

2-1 営農カレンダー

1年間の営農・漁業についてのシーズンカレンダーを作る。特に第一次産業の復興にあたっては、現実の作付や漁業についての開始時期を押さえることが必須である。

2-2 スケジュール表

今後、数年にわたる上記1.資源マップで抽出したプロジェクト(A:実施中、B-1.計画中)の実施時期を落としこむ。

ここまでで、現地の現状の把握を行う。

 

A-2 全員ワークショップ (約1時間)

A-1で作成した資源マップとスケジュール表(2種)を元にプレゼンテーションと全体討議を行う。アウトプットは、A-1と同じく模造紙に直接、書き込みながら参加者全員の面前で取りまとめていくこと。

1.プレゼンテーション (20~30分)

A-1 で準備した1.資源マップと2.スケジュール表について、グループごとに発表をしてもらう。1グループのプレゼンテーションは5~10分を目処。事実確認の質問のみにとどめ、次の全体討議の時間を確保する。

2.全体討議 (40~30分)

1で行った各グループ発表内容と全体についての討議を行う。討議内容には、最低限、下記の内容が含まれることが望ましい。

a. 実施中のプロジェクトについての問題点と課題の抽出

b. 実施していないところ(B-1.計画があるところ、B-2.計画のないところ)における新規プロジェクトの優先順位(※)と課題の抽出  ※基本的に計画があるところについてもゼロベースで見直すこと。

c. 全体を通した実施体制の見直し。

・実施中のプロジェクトからの振り返りを具体的にしてもらうこと。

・特に新規プロジェクトについては、実施主体と予算の確保、スケジュールについてできる限り具体的にスケジュールに落とし込む。

出来上がりのアウトプットとしては、下記のものが考えられる。

1)実施中のプロジェクト毎の問題点と課題、

2)新規プロジェクトの概要一覧、

3)全体のスケジュール表(実施中、新規を含む)、

4)実施体制の見直し内容(レッスンラーント、組織図など)

(続く)

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国際協力や開発援助関係者が東日本大震災でできること<その1>

初出: JICAコミュニティ&開発民俗学コミュ @mixi

元(国際)開発コンサルタント会社勤務のしばやん@開発民俗学です。

いままで私もずっと海外の開発援助の現場で働いてきましたが、正直、今回の東日本大震災を見ると、実は海外も国内もないなということを切々と感じています。

実際に、開発民俗学コミュや開発コンサルタントの仲間で現地入りしている人が数名いることも知っています。

このトビでは、そのような実体験や、国際協力や開発援助に関心のあるかたならではの智恵を出しあって現地で働く外部者(政府関係者、自衛隊、ボランティアなど地元民以外全て)や被災地の人たちを励ましてみませんか。

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自分のコミュ(開発民俗学-地域共生の技法-)の仲間が被災地でプロジェクトをやるみたいで、ワークショップについてのつぶやきがあったことに触発されて、こんな文章を書いてみました。

◆ 被災地におけるワークショップのあり方について<東北大震災がらみ>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64187697&comm_id=2498370

自分自身、全然被災地には足を踏み入れていませんが、開発途上国での現地調査の経験からこんな調査デザインをしてみました。

以下、引用です。

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仲間のつぶやき(2011年8月5日):

「地元学などの資源マップやワークショップ時のマインドマップについてのコツやポイントを知ってたら、教えてください。来週末の被災地域におけるワークショップに活かしたいと思います。」

これを受けて:

実はここら辺についても、開発民俗学への途(第2部)で、そのうち?に取り扱う予定だったのですが、そもそも論というか導入編で手間取ってしまったので、ここに別のトビとして扱います。

ポイントのみを列記します。

1.事前準備で確認しておくこと。

・現地でどれだけ時間が割けるのか。

・どのようなステークホルダーを集めることができるのか。

・ワークショップの場所はどこで?

・どのような道具を使うことができるのか。

・対象地域の範囲は?

・カウンターパート(現地での受け入れ先)の立場と人数

 

2.モデルケース

今回、あまり現地に対して、調査者・ファシリテーターなどいずれにせよ‘外部者’が土地勘や人脈がない場合を想定します。

現地調査期間を2日間とした場合のワークショップの組み方です。

<1日目>

午前中: 

・カウンターパートとの打合せ 

事務所で1時間: 地図を元に調査地の概要とワークショップの目的などを確認する。

・現地踏査 

(このケーススタディでは、対象が市で、町村が市街地を中心に5地区とする)

カウンターパートとともに5地区すべてを外部者自身が見て回る。今回の現状に即して言えば、被害状況よりむしろ現場で、どのようなアクターがいてどのような力関係で作業しているかに注目すること。

※被災地には、多くの外部者(自衛隊、ボランティアなど)が入り込んでいる。誰が実際の現地の住民なのか、現地の住民がいたら、彼らに自衛隊やボランティアなど外部者の活動についてのコメントをもらうようにしたい。

現場での活動の内容と、外部者の言動が、押し付けで高圧的なものになっていないかに気をつける。

・ 地区ごとのワークショップ(ワークショップA)

事前にカウンターパートに5地区全ての地元有力者(町内会長など)に地区毎の踏査~ワークショップがあることを通知しておいてもらう。できれば、地元の有力者ら数名には現地踏査にも同行してもらう。

この地区ごとのワークショップへの参加者は、原則的には、地元有力者に人選してもらうが、下記のようなステークホルダーが含まれることが望ましい。

地元民: 地元有力者グループ(町内会長、議員、郵便局長、警察) 

      商業従事者(小売のみならず卸売、流通業者も含むこと)

     農業、漁業従事者

     シニア(リタイア組み)

     近所のおばちゃん

     若い専業主婦(幼児づれ)

     若者(高校生、大学生など)

     子供(中学生、小学生など)

外部者: 市町村の役職

     NGO団体(※)

     自衛隊(※)

     ※実際に、現地で活動している人が望ましいが、広域活動NGOや自衛隊の一つ上のグループ長がいてもよい。

ファシリテーター: 調査者およびカウンターパート

とりあえずここまで。

ちょっと規模が大きくなりすぎましたので、後で見直します。

(続く)

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