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2011年7月 3日 (日)

15.‘リアル’、‘リアリティ’そして‘バーチュアル(リアリティ)’ (続き) <開発民俗学への途 第2部>

15.‘リアル’、‘リアリティ’そして‘バーチュアル(リアリティ)’ (続き)

生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き)
<外部者(異人)論 その6>

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<外部者(異人)論 その6>

とのことですが、その‘外部者(異人)論’に入る前置きとして、‘開発民俗学のアプローチの特徴というのを、かれこれ5回続けています。いい加減に先に進みたいので、ちょっとペースを上げますね^^?

<開発民俗学のアプローチの特徴>

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放  → 済み

2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し  → 今、ここです。

3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。

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久しぶりの登板です。ちょっと間が空いてしまったので、先の講座のこの言葉に戻って話を続けましょう。

>つまり、捉える人により‘リアル’や‘リアリティ’は変わってくる。人によって‘見えたり聞こえているもの’は違う。では、誰が、その一個人の‘リアリティ’を代弁できるのか。

>それは、その当事者である‘(一)個人’でしか、その人の立場を代弁することはできません。

しかしながら、現代社会を考えるのに、果たしてどれほどの‘人(間)’が‘自由’に自分の‘リアル’や‘リアリティ’を語っているのでしょうか。いや、語ることができる、もっというと語ることが許されているのでしょうか。

私は、基本的には、当時者でしか‘リアル’や‘リアリティ’を語ることができないと申しました。

しかしながら、それは理念系というか理想論であることは、いや理想論でしかないことは、普通に生活している私たち誰もが感じていることなのです。

これは、特に社会的な弱者がその立場としたら、もっと顕著に、いやもっと周到に‘当事者’自体が隠されてしまいます。

卑近な例をとれば、水俣病やイタイイタイ病などの公害問題、最近では薬害エイズ訴訟など、姿や形を変え、一向になくならないこのような‘問題’には、単純に‘正義’を叫べばよいというものではないことは皆が感じていることでしょう。

この大震災について言えば、福島第1原発の一連の事故とその対応について、今まで政府も我々も頬かむりしていた‘原発ジプシー’という末端労働者の辛苦が我々がかまおうがかまわなかろうが、もうずっと40年も続いていたことを、改めて白日の元に晒しました。

メディアがいろいろ騒いでいる?(いやそのこと自体は大切なことですが)からではなく、テレビやラジオや新聞や週刊誌があろうがなかろうが、同じ日本人の問題として原発を考えなくてはならないのに、いつのまにやらその恩恵に預かりながら、実際に現実にある‘現場’の‘当事者’のことを知ろうとも、いや意識の片隅にすら置いていない。

それが私も含めた日本人の有様なのです。

さて、この期において「当事者に(原発を)語らせろ」ということが、いかにばかげた茶番劇であることか、もうお分かりですよね。

‘リアル’や‘リアリティ’は、本来的には‘当事者’しかもちえない、しかしいかに‘当事者’がそれを語るかが難しいかということなのです。

そこで、ようやく‘外部者’としての‘異人(論)’が登場となるのです。

これからが肝なのですが、ちょっとブレークします。

「ぎみあぶれいく」(ギブ・ミー・ア・ブレイク)と、社内でつぶやいているのでうすが、誰も反応してくれません。これは、大橋巨泉のテレビ番組のタイトルだったと思うのですが、もう20年も30年も昔のことということなのでしょうか。

ではでは^^?

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