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2011年6月27日 (月)

‘知’の相対化について (あるいは、学問的な‘知’と‘経験知’の格差と断絶について)<連続講座> 序論

初出: mixi 開発民俗学 -地域共生の技法- の新トピックです。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63333112&comment_count=3&comm_id=2498370

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という、新しいテーマで、私の思うところを語ろうと思います。

私自身、いろいろなところで触れてきていますが、‘日本の’大学のひとつである「大阪外国語大学」に1988年に入学して以来、‘日本の’大学教育のきわめて‘常識的な’または‘オーソドックス’な学問についての教育を受けてきました。

また、1980年代から1990年代は、ちょうど世界がアナログからデジタルに切り替わりつつある時代で(例えばCDの発売は1982年)、学問だけではなく世界中の全ての面で‘世の中’が大きく変わった時期で、私はさいわい大学時代は‘アナログ時代’、そして社会人になってからは、‘デジタル時代’の‘知のあり方’と‘リテラシー’の双方を、自分なりに勉強してきました。

具体的には‘アナログ時代’の‘知’に関しては、下記を‘自分’自身のための‘マニュアル’として1991年にまとめました。

◆ アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991) @HP版 歩く仲間

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

特にその中でも、第2部ではアナログ時代のリテラシーについて語っています。

◆ 第二部  リファレンスワーク入門

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

その後、1992年に、開発コンサルタント会社に就職してからは、デジタル時代のリテラシーと同時に、いやそれ以上に重要な‘現場学’具体的には‘フィールドワーク’を中心とする‘フィールドサイエンス’を仕事として16年間やってきました。

その過程で、大学で学んだ‘学問知’と‘現場’との違いやギャップの大きさについて現実に悩み右往左往した‘経験’についてエピソードとして言及するのみならず、結局、‘私’なりの‘経験知’のつかみ方について新たに別の講座(マニュアル)としておこしました。それが、下記の取り組みです。

◆ ‘開発民俗学’への途(第1部)<連続講座> 2000-2008

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

まあ、最初のマニュアルは、実質1年かけて作りましたが、この連続講座は、働き出してから8年目に筆を起こし、それから完了まで8年かけました。いわば、私の16年間の開発コンサルタントとしての学びのエッセンスが詰まっていると自負しています。

その中で、私がとりあげたリテラシーに関するもろもろは下記に代表されます。

◆ 第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1) 2000年8月15日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

この中であえて上記の「アナログ時代のリテラシー」以後の‘学問知’について、レヴューしなおしました。

◆ A.1990年代以降の知の世界

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

ここで気がついたことは、結局、‘デジタル時代’の学問の仕方ではなく、1990年代以降は、フィールドワークに代表される学問の体系化前の‘現場’に戻るための手法や技法の研究が進んだという事実なのです。いやデジタル時代になったからこそ、可能になった‘新しい’フィールドが見えてきたということなのです。

具体的には、今まで歴史学や美術史など、過去から資料はあったしものはあったのですが、X線透視画像など科学の進歩により今までのアナログでは不十分であった調査が、デジタル技術、具体的にはコンピューターのソフトとハードの進歩により、今まで見えなかったものが見えるようになったりして、‘古い’同じ資料から、全く別の‘真実’が浮かび上がってきた。

したがって、理系のみならず文系学問でも、デジタル機器を駆使した新しい現地学・現場学がルネサンス(復興)となったわけです。

また、急激な社会の変化で、パラダイム自体の見直しが学問だけではなく政治でも経済の世界でも世の中のあらゆる分野で進みました。

そのためには、今までのようにイデオロギーや、いわゆる‘イズム’に乗っかって議論するのではなく、‘現実’そのものを今の感性で、今の技術で捉えなおす必要が生じました。

そのために必要なのが、結局、‘現場学’や‘フィールドワーク’なのです。

私は、胸を張って言いますが‘イスラーム’とか‘開発’とか、その時代でホットなイシューについて、その真ん中?とは言いすぎですが、その中で中枢の人たちのきわめて近くで勉強する機会を得ました。

イスラーム関係の学会の諸先生方や、開発援助の現場での先輩達は、私にとってかけがえのない貴重な財産であり、‘生きた’リファレンスです。

まあ、非才な私が偉そうにつらつら書いているわけですが、自分はメインストリームというか王道(の近く)を歩んできたと思います。

さて、上記の前置きを皆様に共有していただいた上で、新しい講座を開始します。

ではでは^^?

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