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2011年6月23日 (木)

14.‘リアル’、‘リアリティ’そして‘バーチュアル(リアリティ)’  <開発民俗学への途(第2部)>

14.‘リアル’、‘リアリティ’そして‘バーチュアル(リアリティ)’ 

生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き)
<外部者(異人)論 その5>

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今回も、第2項の続きです。

<開発民俗学のアプローチの特徴>

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放  → 済み

2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し  → 今、ここです。

3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。

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‘リアリティ’、最近、よく聞く言葉です。あえて日本語で言えば‘現実性’とか‘現実感’といった意味で使われていると思います。たとえば、‘リアリティがない’と語られる場合、それは、‘現実みがない’、‘実現可能性がない’とかいった感じでとられているのではないでしょうか。

そして、私は、‘リアル’と‘バーチュアル(リアリティ)’という言葉をまな板に載せました。

まずは、‘リアル’と‘リアリティ’について説明しましょう。

‘リアル’を同じように日本語に訳すと、‘現実(そのもの)’や‘現実(らしら)’というように‘事実’そのものについてさしていると考えられます。

普通、一般的に‘現実’や‘事実’そのものはひとつのものであると考えられています。仮にそれを是とした上で考えなければならないことは、‘リアル’はひとつかもしれないが、‘リアリティ’は受取人というか‘リアル’を見聞きする‘人’によって異なる。ということが問題というか事実としてあると思いませんか。

もっというと、いや本当は、受取人である‘リアリティ’を感じるもの(人)の‘感性’とでもいいましょうか、アンテナの感度というか‘五感(六感)’の深さによって見えてくる‘リアリティ’自体が異なっているともいえます。

これが前回に述べた‘気づけないわたし’の悲しさとでもいいましょうか、人間そもものの限界であるともいえるのです。

今、あらゆるところで、‘本物’や‘リアル’についての啓発というか関心が高まっています。

今回の大震災でも、‘現実’はどうなんだ、‘リアル’とは実際にどうなんだということで、特に‘現場’にいけずに、ラジオやテレビ映像の二次情報にしかふれられない人にはいらいらというかストレスが募っていると思います。

なぜ、震災の復興委員会はうまく機能していないんだ、義捐金がなんで未だに配られていないのだとか政府の対応、ボランティアのあり方など、‘外部者’のさらに外部のものが野次を飛ばし、‘現場の人’の声や姿は、確かにテレビでドキュメンタリータッチでテレビでもラジオでもさまざまに‘取材’され‘加工’されて茶の間に流されています。

いや、この際、二次情報や一次情報という言い方はもうやめましょう。内野だろうが外野だろうが‘全て’が今までの昔のワーディングでいう‘一次情報’であるからです。

なぜなら、それはそれなりに‘リアリティ’があるからです。取材者の意図や思い込みで刈り取られた‘一次情報’ですら、その‘一片’どころかそういう‘ストーリー’を描こうと取材者がしたこと自体が一つの‘リアル’であり、その‘リアル’に対しては‘リアリティ’が成り立つからです。

結局、‘リアル’も‘リアリティ’もはっきりした一つのものであるとはいえないのではないか、ということを私が言おうとしているのではないかと、ここまで読んできて思われるかたが大多数だと思いますが、そのとおりだともいえるし、いやそうでもないというか、私が、この考察で言おうとしているのは、そういう‘事実’をふまえた上で、如何に‘リアリティ’の精度というか‘リアル’の把握の制度をあげるのかを考えましょうということなのです。

つまり、捉える人により‘リアル’や‘リアリティ’は変わってくる。人によって‘見えたり聞こえているもの’は違う。では、誰が、その一個人の‘リアリティ’を代弁できるのか。

それは、その当事者である‘(一)個人’でしか、その人の立場を代弁することはできません。

これは、私が世界を実際に歩いてさまざまな立場の‘人’たちと直接、会って話して感じてきたことなので、今まで書いてきたような言い方でしか皆様に‘言葉’で伝えることはできません。

本当は‘感じろ’としかいえないようなことを私は‘ぐだぐだ’?と書き連ねています。

ちょっと間延びもしてきたので、具体例は次回にお話しましょう。

あと、‘リアル’の一つの端的な形である‘本物’というものについて、ちょうど10年前に書いた文章を紹介しておきましょう。かなり長文になりますが。

ではでは^^?

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