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2011年5月 6日 (金)

リアル(現実)とはなにか・・・鎌田慧に思う

昨日、地元の比較的大きな書店にいって驚いた。

鎌田慧の原発に関する著作が、旧作と最近の雑誌記事を取りまとめた論集の2冊が、大震災と福島第1原発関係の平棚に他の書籍や写真集と共に山積みにされていたのだ。

実は、鎌田慧の論集が、岩波書店から出された10何年か前も、違和感を感じたいのであるが、今回は、そのときよりもっとサプライズであった。

と同時に、やはり世の中、現実の‘生’の声を知りたいのだ。それに飢えているのだということを感じた。

鎌田慧は、私が就職して働きだしてから出合ったジャーナリストで、その肩書きよりむしろ‘歩く先達’として尊敬してきた。

いろいろなところで彼の人となりや著作にも言及してきた。

今回の地震の問題、原発の問題、実は心ある人たちはすでに何十年も前から予測しその危険性を訴えてきた。

鎌田慧は、もともと東北の青森県出身で、六ヶ所村の核のリサイクル施設と地域的にも深い関係があり、もう40年以上も前から日本の原発について取材し、その実態と問題について深くコミットしてきたジャーナリストの一人である。

今、求められているのは、その場しのぎの気休めや机上の理論や、人をけむをまかせる適当な理想論や希望的観測論ではない。

我々がほしいのは、本物の現場にたったリアルな情報。それは、特にへんな思い込みや脚色のない生の素材そのものである。

一つの事実だけで全てを語ろうとする輩もあるなかで、鎌田慧が積み上げてきたのは、その場に生きる‘生’の人の‘声’だけなのである。もっとも彼が無色透明であるとまでは言っていない。いや、過剰に彼は自分のスタンスというものを自覚し、それをも、彼の言説の前提条件として‘客観的に’わかるように言明している。

そして、現場の人の声が多いのも彼のルポルタージュの大きな特徴である。聞き書きそのものではないが、現代の‘民俗誌’とでもいえるような職人芸的なルポルタージュなのである。そう、現代稀有の‘フィールドワーカー’のひとりでいっても過言ではあるまい。

ともあれ、根のない空虚な議論ではなく、現場の人の声をふまえて、これからの復興などを考えることは非常に望ましいことだと思う。

ちょっと上から目線の言い方になってしまってよくないのだけれども、ふとそんなことを決して今まで通は知っているけど平置きされたことはあまりなかったであろう鎌田慧氏の本を山とこの目で見て深く感じた。

ともあれ、まずは知ることから、そして動くことから、歩く見る聞くが現場のリアルに近づく地味で時間もかかくけど確実な方法であろう。

我々もまた自分の歩を進めることにしよう。

先達の背を横目に見つつ、自分自身のリアルをつかむために。

(この項、了)

私における鎌田氏の位置づけについては、下記を参照ください。

◆ Giant Steps! 巨人達の足跡 2001年2月5日現在

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/gsteps.htm

◆ 「世間師」、「裸足の研究者」そして「絶望」を超えて 2000年2月5日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0009.htm (←特にこちら)

◆ 2001年あるいは、21世紀の始まりに想うこと(あたりまえの時代もしくは本物(ライブ)の時代の到来) 2001年1月28日 

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00016.htm

ではでは^^?

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