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2011年5月21日 (土)

9.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き)

<外部者(異人)論 その1>

ステークホルダー分析の途中ではあるのですが、ここで、ステークフォルダーの一部でもある‘外部者’というものについて考えてみたいと思います。

私の提唱する「開発民俗学」では、現地の人(土の人)に対する外部者(風の人)の役割や、その両者の‘関係性’の重要性について認識し、かつ、その相互が出会うことによる‘ケミストリー(化学反応・融合)'や、その‘グループダイナミスク’の仕組みや可能性に光をあて、いやむしろその‘ケミストリー’をいかにベターのものにするかについて考察していきたいと考えています。

ここのところが開発民俗学の最重要の胆のひとつなのですが、何が今までのアプローチと違い、‘新しいのか’、その理由を3つにまとめたいと思います。

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放

2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し

3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。

まあ、思いつきですが、私が‘外部者(異人)論’にこだわるのは、上の3つの理由からです。簡単に、かつ具体的に上記の説明を試みます。

1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放

私の思想の根底にあるのは、分断され細分化されつくしてしまった‘近代(的)な’「人(間)論」の限界をやぶるというか、‘枠’そのものをはずして、‘人(間)’そのものに向き合わないことには、21世紀は一日たりとも進んでいかないのではないかという‘危機感’があります。

今までにいろいろなところで書いてきましたが、20世紀は、‘イズム’の世紀で、それこそさまざまな‘あるべき人(間)’像が語られ、またそれを理想として、世界の各地で‘望ましい人(間)が住む(であろう)ユートピア’の建設が夢見られてきただけではなく、それを目指して現実に(建設が)おこなわれてきました。

直近の卑近な例で言えば、「資本主義社会(‘第1世界’)」も「共産主義社会(‘第2世界’)」も、‘あるべき人(間)’のための、‘国家’建設でした。でも、結局、この分類で、‘第3世界’と呼ばれたのは、その他大勢の、あまり「資本主義社会」とも「共産主義社会」とも違う、「開発途上国」でした。

「開発途上国」といわれる地域や国の、伝統・歴史やその多様性については、まったく無視され、「資本主義」か「共産主義」のどちらかであるか、という観点のみから‘世界地図’のそれぞれの‘ピース(地域・国)’の色分けをおこなおうとしました。

これが、俗に言う「(東西)冷戦」って奴ですが、1992年以降に生まれた若い世代の人については、もう過去のことで、教科書で習うような‘歴史的’な事実です。

でも少なくとも、1970年生まれの私達の世代にとっては、「冷戦」は教科書に書かれたことではなく、生活の中での‘リアル(現実)’でした。

1945年の第二次世界大戦後に、‘世界’は平和と秩序と安定を取り戻したといわれていましたが、実は、太古から今日の今に至るまで、この地球という‘世界’に戦火の止んだ‘瞬間’はありません。

今のこの瞬間にも、‘世界’のどこかで銃声がとどろき、なんの罪のない、普通の'平’の人が殺され死んでいます。

この項は、途中ですが、一旦、筆をおきます。

実に重要なポイントなので、少し頭を冷やして書き継ぎます。

ではでは^^?

バックステージ:

‘みえてしまった人’というのは実際にいたし、これからもいるであろうし、いや、‘今’の自分は、その領域に足を突っ込んでしまった?のではないかという気がしている。

なんというのであろうか、人(間)の行く末が、私には直感的にわかるというか、まだ言葉にするには時間がかかるが、今まで生きてくるなかでたぶん幼少のことから感じてきた獏とした不安みたいなものに対する‘解き明かし’が、この数年、‘自分’の‘言葉’として問わず語りに、まさに頭から‘こぼれ落ちてくる’ような気がしているばかりか、実際にこうして手が勝手に文字を綴っている。

しばやんも‘預言者’の仲間入りか^^?というような無邪気な話でなく、正直、なんで自分がこんなことを、‘誰のためにでもなく’書いているのかがよくわからない。

これを書いて、果たして、‘金’になるのか → 全然そんなことは考えていないし、今のところは‘一銭’にもなっていない。

自己顕示欲もしくは自己満足。 → まあそうであろうけど、‘偉そう’にこんなことを書いて、誰が喜ぶかとか考えると、おもしろいといってくれる人と、今までとは違った‘世界’を見せつけられることで‘既得権’や自分の‘心の安定(平安)’を奪われることで、不愉快に思われ反感を持つ人も多いであろう。

たぶん、半数以上は‘不愉快’じゃないかあ。自分が今、‘立っているところ’に‘ケチ’をつけるような私の物言いに対して、しかも‘自分のことを棚にあげて’ ^^?

先の章の最後の部分を書いているとき、ふと急に、マイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」が聞きたくなって書くのをやめました。つまり、マイケルも‘世界が見えてしまった人’なのではないかと。

まあ、マイケルと自分(しばやん)を並べるのもおかしいし、そもそも‘不遜な’ことですが・・・^^?

ではでは^^?

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