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2011年5月25日 (水)

‘知’の継承者たち ・・・ しばやんの棚卸し(その2)

 まずは、こちらの冊子から。

11052500_2 人間文化研究機構・監修 『ヒューマン』 vol. 01 角川学芸出版 2011年2月

知の‘巨人’、梅棹忠夫が2010年7月3日に逝って、はや1年になろうとしている。

また、彼がプロデュースに関わった大阪万博の跡地にあり、まさに‘彼’が生み育てた『国立民族学博物館』にて、2011年3月10日~6月14日(火)まで「特別展 ウメサオタダオ展」がおこなわれているという。(まだ行っていないが)

さて、この雑誌、名古屋のJR高島屋の三省堂をぶらぶらしていたときに見つけた。

確かに、日本の大きな知性のひとりの梅棹先生は、他にも追悼特集号がいくつかでているようだが、なぜこの本をあえて購入したのか。

それは、片倉もとこ先生が、いの一番に追悼文を寄せていたからに他ならない。

最近、棚卸しということで自分の来て越し道を考え直している(今でも)のだが、顔や頭は東京に向きながらも、どうも体質的には自分は京都学派のDNAのほうが多いだろうなと感じていた矢先に、この特集号である。

いろいろ思うと、やはり私は関西の大学に進学させてもらって本当によかったと思う。

片倉もとこ先生とは、大学2年生のとき関西大学で第5回目か6回目の日本中東学会でお会いしたのが確か初めてであったと思う。開催校が関西で、しかも池田修先生の党友の藤本勝次先生が大会の実行委員長だったので、当然のことながら大阪外国語大学の先生も学生もバイトで駆り出されて?、私も2日間の日程のたしか初日に、バイト?というかたぶんタダのかばん持ちで参加して以来、なんとなく日本中東学会にも席を置いている。

さて、どうも話が進まないが、たぶんこの大学生のときから、私は大先生とか権威といわれるいわゆるその分野のボスやオーソリティーといわれるものに、畏れはあっても気持ち的には全く気後れすることなく対話というか話を聞いていただいてきた。今思えば赤面なずいぶんバナな質問などをしたことだろうと思う。

これは、今でも全然かわらないというか、どんなに‘偉い’とされる誰に対してもへりくだることなく話ができるということは、私の大きな武器の一つであると思う。

初対面であろうが、何か勉強会なりコンサートであろうがなんらかの会合など公私のきっかけというか‘縁’がありさえすれば、私は‘誰’とでも(自分が興味を持った人に限るが)直接、話しかけてきたし、そのうちの何人かとは、なんらかの親交関係を結んできた。

しかし、これは私が(いまだに)世間知らずの無鉄砲なバカな‘若者’であるからなのか。

いや、それは違うと思う。

たぶん、この(多感な)大学生のときに出会う機会のあった、多くの当世の‘一流’と世間でみなされている(た)人たちは、例外なく‘やさしく’かつ‘(器や懐?が)大き’かった。

つまり、‘一流の人’は、間違いなく謙虚で、全然とがっておらず、誰とでも分け隔てなく付き合うし、そもそも(先入観というか見かけだけで)選り好みもしないし、バカな若造の話にもちゃんと耳を傾けて聴いてくれた(受け入れてくれた)人ばかりなのである。

これは、大学生以来20年生きていているが、世界中どこにいってもトップを張るような‘一流の人’達が怒っているところを見たことがないし、実際にオーラがあるというか、とにかく包容力があって‘大きい’のである。

またどんな世界の果てのような‘辺境地’にいっても、そんな‘人物’はいた。そういう人は、例外なく、地域のボスでありリーダーであった。

これは、私だけが言っている事ではないと思うが、それにしても、私は自分の経験から間違いなく言える。

(表面的な)面子やプライドにこだわるのは二流以下の人であると。(ちょっと不遜な発言ではありますが^^?)。

かといって一流の人が、ノンポリでどうでもいい人かといえばそんなことは絶対なくて、もっと本質的なこだわりというか、プライドは持っています。間違いなく。たぶん、それは他人にいうことではなく自分を律するためのこだわりのような気がします。人にやさしく、自分に厳しい、そんなところがあるような気がしますね。

さて、私は、つらつら考えるに、「保守本流」とか「王道」、「(正統な)継承者」とかいう言葉に弱し、複数に人からもいわれましたが、結構、‘権威主義者’だと思う。でも、私はこれらの言葉は嫌いではないし、いやむしろ好きだ。

思えば、中学校3年生で、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』で、書籍のデータベースを始めて、少しずつでも自分で言葉をつむぐことを覚えたというか、意識的に文章を書くようになったのは、やはり梅棹先生のおかげであろう。

それは梅棹先生の‘技術’論が自分にあったというか、その‘知’を万人に解放しようとした精神、つまり経験主義的な精神論や徒弟制度に代表される‘根性スパルタ’が横行していた?昔の‘学会’に対して風穴をあけたばかりではなく、‘学会’の外に住む普通の人、誰もが‘知的生産者’になりうると、アジテートしたことに自分も共感したからだと思う。今、思うと。当然、当時は、そんなことは意識しなかったが。

そうだ、京都学派とはそもそも京都の公家さんやあきんど(商人)の‘おぼっちゃんの娯楽の学問と’いう側面が多分にあると思う。

11052502_2『私の履歴書-科学の求道者 今西錦司 福井謙一 河合雅雄 西澤潤一 小柴昌俊』 日経ビジネス人文庫 2007年7月

梅棹氏の師である今西錦司先生も西陣織屋のボンボンだし、梅棹先生も、知的な(余裕のある)‘遊び人’である。言い方は悪いが。

まあ、ともあれ文化・美術や学問はある程度、余裕がないと育たない。

京大学派におおらかさを感じるのは、そんな彼・彼女らの出自(生まれ )そのものから来ているのかもしれない。

なにか、話があまり進まずに文章が長くなってしまったので、まだ話は途中ですが、とりあえず筆をおきます。

ではでは^^?

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