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2011年5月20日 (金)

‘平凡’な‘平和’ No Music No Life! 歌う心を探る

基本的に、思いつきで書いているけど!

自分の部屋で、プリンセス・プリンセスのCDを聞いて、ミクシイのレヴューをみていたら不意に泣けてきた。

時代と共にある、唄の数々を思った。

時代がどんなにいいときも、悪いときでも、いや辛いときほど、人は悲しみ悼む歌ばかりでなく、それでもどれほどつらいときでも‘明日を信じる’唄を歌ってきた。

歌のフォーマットには、3つしかないという話を聞いたことがある。

1. 出会いの歌

2. 別れの歌

3.、その他

ミクシイの人のレヴューをみていると、唄はそれぞれの人の心の中にずっと生き続けて折節に、その人を、その社会を、その世界を支え、力を与えてきた。

自分には、何の唄をつくる力もない。でも、人の唄を共有し、一緒にみんなで歌うことはできる。

私は、政府開発援助の仕事で、青パス(厳密にはグリーンパス)という半分外交官みたいなパスポートをつくってもらって国の予算で、途上国で仕事をしてきた。

いわば‘国’の予算で留学させてもらったといってもよい。

途上国は、単に‘貧しい’だけではない。いや、経済的な問題より、政治的な、もっといえば一部の‘人間’の利権や権益だけのために、紛争に巻き込まれている地域や国があまりに多すぎる。その一部の‘人間’の影には、実は先進国のフィクサーたちの影がある。(あまり突っ込むと自分が危ないけど)

実は、途上国の問題は途上国だけでは解決できない。

もっと根本的に、世界の(国々)のあり方、いや‘生き方’をかけないことには、いたちごっこで何の解決にもつながらない。

私には、本当の敵が見えている気がするのだが、一人ではとても立ち向かえないし、今は、そのときではない。

まあ、‘正しさ’がへたに‘力’を持つと、‘悪’が‘力’を持つ(持っている)よりさらに始末が悪いということも歴史が証明しているので、あまり‘正しさ’というか‘正しいと思われること’を追究することは控えたほうがよいのだが、でももう少しなんとかならないものか。

本当に、今の福島の原発ではないが、人類は自滅への道を歩んでいるようにしか思えない。

もう、頭のよい人や声の大きな人のいうことや方向性について、疑問をもって、自分の身の回りの‘平凡’な‘平和’を考えて、いや‘平和’に生きてよいのではないか。

戦うべきは、高所から見下ろした‘平和’や‘ユートピア’であって、自分がすでに持っている‘幸せ’を守り広めていくところにこの21世紀の人類生き残りのポイントがあるのではないか。

と私は思う。

間違っているかもしれないけど。

ではでは^^?

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