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2010年1月24日 (日)

歩く仲間20周年を想う。 <その2> 「CARRY THAT WEIGHT」

「人生たかが30000日」という文章を以前、ブログに書いた。http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/30000_4e3c.html

‘たかが’などと言ってよいのか正直疑問であるが結局、目一杯生きたとしても30000日(ほぼ82年間)しか、私は‘この世’にいない、とすれば、今年の4月1日で40才となる私は、もう折り返し地点に立つことになる。

とすれば、何の遠慮もいるまい。大風呂敷であろうとなんだろうと自分が28才のときに考えたこと。これをやらずして‘死ねるか’ということである。

‘他人’の人生ではない。これは‘私’が自分に課した宿題であり、‘重荷’である。

「歩く仲間」の目的は、「自覚したフィールドワーカー」を育てること、育てるというのがおこがましければ、そのような「仲間」と「仲間」をつなぐこと。

そういえば、この10年でわかったことが一つある。今、開発援助の現場で、「人を育てる」という人的開発に焦点がこの10年ぐらい変わってきているが、それこそ「おこがましい」ことでしかない。

人は‘育つ’のであり、援助というか‘外部者’が‘育てる’のではない。あえて言えば、その地(現場)の自然や人が育てるのであり、援助というか‘外部者’ができるのは、地元が育てた「篤農家」や外にアンテナを向けた「異端者」を結び、‘彼ら’と新しい‘我々の物語’を共に創ることである。

このこと自体も、既に、「人類学者」へのメッセージとして、5年前から言ってきたことだ。またまた長文になるが全文を引用させていただく。

◆われわれの物語を紡ぐために:文化人類学への問い。 (彼岸と此岸を繋ぐもの。しかし、そもそも川はあるのか?) 2005年7月3日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

“開発民俗学への途”の中で、日本における「民族学(文化人類学)」と「民俗学」についてまとめようとして、この数年いろいろ教科書とかを読み漁っているのだが、あまりの民族学(文化人類学)のお粗末さにあきれるというか、かなりがっくりきている。

いつから日本人はこんなに傲慢になったのだろう。そもそも中高生の頃から、文化人類学は気に食わなかったが(詳しくは言及しないが本多勝一の影響がかなり大きい)、いま改めて見直してみても、その基本的な弱点が克服されていないように見受けられる。(注1)

しかし、なぜ同じ‘人間’を‘他者’としてしか認識できないのであろうか。欧米がオリエンタリズムで自分と違うものを、‘未開’なりとラベリングするのはいい。というのは、彼らは自分達とは違う世界を、彼ら‘のみ’が知らなかったのだから。しかしながら、中国やインド文明を知っていたはずの‘日本’人が、欧米人のマネをする必要はあるまい。そもそも日本という‘国家’は、明治以後できたという言説もあるが、実際16世紀に宣教師が来るまでは、隣国の中国や朝鮮が日本人のお手本であった。「未開人」を扱うのが、「文化人類学」で、「文明社会」を扱うのが「社会学」だと。馬鹿を言ってはいけない。人から学ぶのに、人間を学ぶのに、そもそも私とあなたの人間の間に上下などあるわけがない。これは福沢諭吉の一節(「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」『学問のすすめ』1872~76年)でもあるが、この感覚が、日本に紹介されてたかだか130年ほどしか経っていないというのもまた驚くべき真実であるが。

さて、明治時代を通じて日本は今までの経験と同じく西欧文明のいわば一番よいとおもわれる部分のみを摂取しようとしてきた。彼らの中の野蛮性や未開性には気づかないふりをしながら。私は、実際の欧米への留学生達は、かの国の醜いところに酷いところに気づいていたと思う。ただ、日本の人たちの‘幻想’をこわさないためにあえて言わなかっただけだと思う。もしくは、自分の眼が間違っていると思ってしまったのかもしれない。

ともあれ、今改めて文化人類学を学んでみて、その‘まなざし’に対して、どうしても納得がいかない。なぜ、他人を知ることによって自分を見つめなおすことだけが自己目的となっているのか。いつまでも‘他者’でしかありつづけない‘他人’に対して何をなしうるのか、また何をなしてきたのか。文化人類学の専売特許とされたフィールドワークによって、彼らの世界にあなたは何をもたらしたのか。あなたの知識や経験は、そのエスノグラフィー(民俗誌)は、誰のために何のために使われたのだろうか。

今、日本の開発に関心をもつ文化人類学者の間では、「開発人類学」とか「開発の人類学」とかが話題になっているらしいが、いずれも自分の立場だけを問題にしている。相手の立場はどうなっているのか。単なる客体でしかないのか。文明国民のわれわれの彼岸にしかいない人たちなのか。

ここで、特に若い人たちのためにはっきり言っておく。21世紀のこの世の中、どこを探しても未開人や原住民、ついでに先住民といい変えてもよいが、そのような現代社会(資本主義世界と言ってもいい)から隔離された人たちは存在しない。(100%と言い切るだけの勇気はないが。)

開発学を学んでいる若い人にも言っておく。いろいろ開発途上国、低開発国いろいろなラベルはあるが、そんな‘ドル’という経済単位でしか測れない国家や民族は存在しない。私は、なぜ、中国やインド、アラブ・イスラームの国々、どこでもよいが、これらのそれぞれ長い歴史や文化をもった国々を、‘開発途上国’とよぶのか私には全く理解できない。

マクロ的な観点から世界を見るときに、便宜上、話を簡単にするために、地域分けやランク分けやグループ分けという手段がとられることが非常に多い。(注2)

しかしながら、このランクやグループに何の必然性もないことも強調しておく。逆に、かなり悪意の恣意が働いていることのほうが多い。

たとえば、アフリカにエティオピアという国がある。今では‘アフリカ’で全くの途上国のように思われているが、以前はプレスタージョンの国といってヨーロッパがカトリックを受け入れる遥かに以前からのキリスト教国なのだ。まだまだラテン(ローマ)もゲルマンもキリスト教を受け入れる前からの筋金入りのキリスト教国を、いざその事実がわかると正統派(オーソドックス)を自称する人たちは自分達のセクトの都合だけで異教や邪教だと退けてきた。

これは、今でも日常的にみられる現象ではなかろうか。歴史や経緯を全く無視して、現時点での自分の尺度だけで割り切ろうとする人たちのいかに多いことか。

今はたまたま、エコノミクスという尺度だけで世界をランクづけしているが、ただそれだけのことである。

たとえば世界で一番歌のうまい人たちとか踊りのうまい人たちとか、料理のうまい人たちの国とか、芸術性の豊かな人たち、ちょっと評価が難しいが、道徳心の高いとか敬虔な人たち、親切な人たちの住む国(地域)とかいう全く違った観点(物差し)でみると、ずいぶん、この世界も違って見えるだろうと思う。これが、自然情況と宗教を中心としたそれぞれ何百年にも何千年にもわたる価値体系の集大成としての地域を形作っていることはいうまでもない。

文化人類学の目的の一つである「自分(達)自身を知る」ということは、個人にとっても社会にとっても非常に大切なことだと思う。しかし、何かを較べて、自分の優位さだけを確認するような行為はやめてほしいし、するべきではないと思う。それぞれ、よいところもあれば悪いところもあるし、そもそも、その尺度自体が非常にあやしい。それぞれ持っている物差しが違うということは、当然まず一番最初に押さえておくべきことであろう。

「文字をもっている」「もっていない」とか、「あれを知らない」「これを知っている」とか、量や質の違いを問題にすることはもうやめよう。それぞれが、すでに何百年も何千年も生き続けてきたこと自体が、それぞれ尊いことなのだ。

世の文化人類学者たちよ、研究対象と自分を分けたり、調査する側とかされる側という彼岸や此岸という見方を捨てて、それぞれ単なる人間のひとりひとりであると地面に立ってみませんか。そもそもあなたと彼らとの間には、川もなければ溝も谷もありません。みんな、泣いたり笑ったり歌ったり踊ったりする、あたりまえの人間です。たまたまあなたは先進国で教育を受けた‘権威’ある人かも知れませんが、権威と、人間の‘尊厳’とは全くなんの関係もありません。

自分達の物語を書くでもなく、彼らの物語を書くのでもなく、われわれの物語を書いてみませんか。調査する側でもなくされる側でもなく、同じ地球を共有する人間として物語を。

蛇足ながら:

ここまで書いてしまうと、どうしても‘開発’という行為や‘開発コンサルタント’という立場に身を置く自分自身に言及をせざるを得なくなってくる。

しかしながら、この問題は、今後ずっと考えつづけていく宿題として残しておきたい。自分は何をやっているのか、誰のために、何のために生きているのか。言葉にしたら‘ウソ’になりそうで、たぶん、その時々で‘ブレ’そうで正直言って重く辛い宿題だ。

ただ私自身は、‘偉そう’に言っているぐらいのことは実践しようとしている、少なくと実践しようと思っていると自分に言い聞かせたい。

とかなんとか言っているけど、でも本当は、結構、この環境というか、こういう立場を楽しんでいるというのが本音である。自分は、幸い人が好きだし、難しい問題にぶち当たったときほど燃えてくるほうだし、お人よしの馬鹿というかそもそも楽天的な人間だし。そのとき、そのときの情況や人とのやり取りを楽しんでいる。

深刻ぶって考えても、結局、評価は他人がするものであり、所詮、人間は自分の顔すらリアルタイムで自分の目でみることができないのだ。自分だけのための自分もいないし、誰かさんのためだけの自分でもない。

まあ適度に自分の周りの世界をかき回して、そういえば、あんなやつがいたなあとか、楽しい‘仲間’がいたなあと、なにかの折に人に想い出してもらえれば、それだけでも生まれてきた価値があったのではなかろうか。

あえていえば、それが‘私にとって’の「われわれの物語」ということにしておこう。

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引用終わり。注については、以下のページを参照。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

<この項 続く>

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