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2010年1月

2010年1月24日 (日)

歩く仲間20周年を想う。 <その3> 「STARTING OVER」

さて、私の残り半生の課題について、話を戻す。29歳の時の課題をそのまま引用しようとして、ふと気がついた。この項のサブタイトルの「GET BACK」とは当然、お気づきの方はわかると思うが、THE BEATLESの「GET BACK」(アルバム『LET IT BE』)のことを、「CARRY THAT WEIGHT」とは、同じくTHE BEATLESの『ABBEY ROAD』の「THE END」の前の佳曲、「STARTING OVER」とは、ジョンレノンの最後のシングル曲である。「(Just Like) Starting Over」(ジョンレノンの死後に発表された『DOBBLE FANTASY』にも収録。)

ところで、この言葉(STARTING OVER)を私は、高校3年生(1988年)の時の寄せ書きに引用したいわくつきの曲でもある。

(ビートルズへの想いは、こちらの記事も参照ください。http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/09/the-beatles-mag.html )

そのジョンレノンは1980年12月8日に凶弾に倒れるのであるが、そのとき、くしくも40歳であった。なぜ、私がこの言葉をこの場で選んだのかはわからないが、ともかく「死ぬまで生き」続けないものとして、下記を公表します。

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1998年5月2日 作成、2004年6月24日タイプ、2006年4月22日 修正

柴田スクール開催について

A. 仮称: (※再検討の必要あり 2010年1月24日)

開発と人間博物館 (和文)、Development and Human Museum (英文)

B. 目標(理念):

地球市民の一員として、諸先輩の肩をかりつつ21世紀を生きるのにふさわしい理念を作るために下記の点に留意しつつ日々研鑚を重ねていく。

1. よりよい社会を創造するのにあたる有意の人材を育て、かつ共に学び教えあいながら個々人の資質を高め、世界平和のための社会的活動を行なう。

2. “フィールドワーク”をベースに、学問の枠を越えた実学の伝達をめざす。(社会に対して開いた存在をめざす。)

3. 地域研究と開発学の橋渡しを図る。近代資本主義と国民国家主義を超えた21世紀のパラダイムを創出する。

4. 寛容(トレランス)を理念とし、すべての者にとって個々人を否定されない聖域(サンクチュアリ)たる道場を発現させる。

5. 全ての人に開かれた知の世界を現出させるための方策を講じる。(研究成果の公開)

C. 成果(アウトプット):

社会人としての活動は企業の理念に沿ったものとするが、個人的に以下の社会的な啓蒙活動を行なう。

<開発民俗学叢書>

ホームページを利用した双方向の情報発信をベースに、適宜、学界や学会誌への発表も検討する。なお、これらの発信は将来的に単書としてまとめることを念頭におく。

第1期: 2010年までに完成 (※見直し必要 2010年1月24日)

修士論文の執筆と平行して、基礎資料の収集と学問の方法論を比較検討する。

1. 開発民俗学への途(インストラクション)

2. 開発民俗学研究入門(押さえておくべき理論の整理)

3. オリエンタリズムと近代化理論の克服をめざして(20世紀のパラダイム=国民国家主義の相対化を図る)

4. 現場学への招待(現地調査の心得、調査手法、開発倫理、開発コミュニケーション)

5. 住民組織論(地縁、血縁組織と近代的組織の相克をどう考えるか=人間開発理論、エンパワーメント理論と参加型開発理論の再考、フィリピンの住民組織を元に考察する。)

第2期: 2020年までに完成

博士論文の執筆と平行して理論的な研究を進める。

6. 地域研究と開発民俗学

7. マージナルとトランスボーダー(辺境地(山間地)と水をつなぐ世界(海)を考察する。)

8. 実践と理論のあいだ(実務者と教育者として)

9. 開発倫理学

10. 終わりなき挑戦(歩いてきた道とこれからの課題)

<共同研究>

本スクールの主旨に賛同していただける個人・団体に対して共同研究を働きかける。その成果については、社会に還元することを第一の目標として、助成基金の併用を妨げるものではない。しかし、その助成基金の理念が本スクールと相反しないことを前提とする。

<大学生・大学院生に対するサポート>

ボランティア活動の一環として、高校生、大学生、大学院生のフィールド研修や進路相談のサポートを行なう。これは、本スクールの理念を押し付けるものではなく、前途洋洋たる若者の考えるヒントの一つとしてのアドヴァイスを行なう。

D. 対象とする学問分野:

人間社会における全ての分野(側面)を対象とするが、学問のための学問、方法のための方法論、手段のための手段は極力さけることとする。アウトプットとして現実社会に働きかける方向性を持たない(回避した)ものについては、再検討する。

<専門分野>

(学問として)

・ 開発民俗学(開発宗教論を含む)
・ 地域開発学(地域研究法を含む)
・ 開発社会学(歴史・地理を含む)
・ 現代社会学(20世紀のパラダイムを学ぶ、経済学、社会学、政治学、法律学、経営学)
・ 社会福祉論(セイフティネットのあり方の検討を通じて)
・ 人的開発論(エンパワーメント)
・ 経済地理学(イスラーム地理学・社会史研究を含む)
・ 農村社会学

(実務者として)

・ 契約法学全般
・ 開発行政
・ 事業評価
・ 社会・自然環境評価
・ プロジェクト管理

E. 研究方法

開発を考えるための社会科学研究のあり方

(1) 目的

1. 現代、現実を考えるための理論武装

2. 手段(道具)としてのディスプリン

3. 学問のための学問とならない

4. 実践のための理論、ただし修正されるべきものとしての道具を考える

5. 趣味ではなく、ライフワークの一環

(2) 主要テーマ

1. 貧困、平和、寛容にまつわる諸問題

2. 民主主義、人権に対する掘り下げ

3. ラベリング(~主義など)への懐疑

4. 開発、発展、勝ちといった上昇志向との決別

5. 差別、区別に対するニュートラルな考え方の樹立

(3) アプローチ

1. 民俗学研究の手法、志を現在に展開する。(一国民俗学から世界民俗学へ)

2. 開発をめぐる社会科学の研究

3. 現代を生きる知恵との邂逅

4. イスラーム地理書・歴史書の研究

(4) 手段

1. フィールドワークの身体感覚の重視。

2. 現場の問題意識から既存の仮説の検証を行なう。仮説ありきの検証ではない。

3. 文献による学習-文献リスト、キーワード、キーパーソンのリスト化

4. ライブな知恵の定着化-メモの一元保存

5. 特定のテーマごとのアウトプット-1年に2テーマほど、少なくとも一つのメーマについては論文にまとめる。

6. スキルとしての資格取得-技術を客観的に示すものとして、公的な資格を順次取得する。

(5) 目標

1. 開発民俗学の提唱(開発民俗学のテーマで博士論文を英語で書く。)

2. 開発人類学もしくは開発社会学-MA

3. 技術士(地域開発)

4. プロジェクトマネージメント専門家 (PM2資格の取得)

5. 語学(スキルとしての資格)
・ 英語-英検1級、TOEIC860点、TOFEL600点
・ アラビア語-古典語能力・上級、現代語 読む上級、書く中級、口語 中級
(文語の習熟と口語への慣れ)

研究にあたっての留意点

1. フィールド調査の重視

2. 既存の理論についての批判的な検討

3. 足もとを掘り下げること(自然社会環境(歴史、地理)に対する理解を深める)
・ 基本書の理解と、その検証のための補足的な読書
・ 古典に直接取り組むこと
・ 概説、研究成果については、横目でみること
・ 周辺的な雑事(リストづくり等)に、あまり直接的な時間を割かない
・ いかに捨てるか

F. 開始時期:

満50歳前に博士号取得を目指すこととし、実務者としての義務を果たしつつ研究者・教育者としての道を模索する。
ただし、その研究自体は逐次、並行的に進める。他人の批判や恥をかくことを恐れない。

G. 前提条件:

個人的資質:

BA 文学士(大阪外国語大学外国語学部卒業)

MA Master of Development Anthology, Development Sociology 
(40歳を目処に取得する。)

PhD Doctor of Development Studies (Anthology/Sociology) 
(50歳を目処に取得する。)

社会的資質:

よりよい環境であること。

会社(職場)

家庭

学校(どのような形であるか全く検討もつかぬが)ヴァーチュアルなものであってもよい。

H. 学会活動

日本イスラーム学会 『AJAMES』 1991~ 
国際開発学会 『国際開発研究』 2003~
経済社会学会
環境社会学会 『環境社会学研究』 
国際経済学会

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当然、時期的なもの、内容についての見直しは必要であるが、「歩く仲間」のマニュフェストとして、ここに提示します。

<この項、了>

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歩く仲間20周年を想う。 <その2> 「CARRY THAT WEIGHT」

「人生たかが30000日」という文章を以前、ブログに書いた。http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/30000_4e3c.html

‘たかが’などと言ってよいのか正直疑問であるが結局、目一杯生きたとしても30000日(ほぼ82年間)しか、私は‘この世’にいない、とすれば、今年の4月1日で40才となる私は、もう折り返し地点に立つことになる。

とすれば、何の遠慮もいるまい。大風呂敷であろうとなんだろうと自分が28才のときに考えたこと。これをやらずして‘死ねるか’ということである。

‘他人’の人生ではない。これは‘私’が自分に課した宿題であり、‘重荷’である。

「歩く仲間」の目的は、「自覚したフィールドワーカー」を育てること、育てるというのがおこがましければ、そのような「仲間」と「仲間」をつなぐこと。

そういえば、この10年でわかったことが一つある。今、開発援助の現場で、「人を育てる」という人的開発に焦点がこの10年ぐらい変わってきているが、それこそ「おこがましい」ことでしかない。

人は‘育つ’のであり、援助というか‘外部者’が‘育てる’のではない。あえて言えば、その地(現場)の自然や人が育てるのであり、援助というか‘外部者’ができるのは、地元が育てた「篤農家」や外にアンテナを向けた「異端者」を結び、‘彼ら’と新しい‘我々の物語’を共に創ることである。

このこと自体も、既に、「人類学者」へのメッセージとして、5年前から言ってきたことだ。またまた長文になるが全文を引用させていただく。

◆われわれの物語を紡ぐために:文化人類学への問い。 (彼岸と此岸を繋ぐもの。しかし、そもそも川はあるのか?) 2005年7月3日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm

“開発民俗学への途”の中で、日本における「民族学(文化人類学)」と「民俗学」についてまとめようとして、この数年いろいろ教科書とかを読み漁っているのだが、あまりの民族学(文化人類学)のお粗末さにあきれるというか、かなりがっくりきている。

いつから日本人はこんなに傲慢になったのだろう。そもそも中高生の頃から、文化人類学は気に食わなかったが(詳しくは言及しないが本多勝一の影響がかなり大きい)、いま改めて見直してみても、その基本的な弱点が克服されていないように見受けられる。(注1)

しかし、なぜ同じ‘人間’を‘他者’としてしか認識できないのであろうか。欧米がオリエンタリズムで自分と違うものを、‘未開’なりとラベリングするのはいい。というのは、彼らは自分達とは違う世界を、彼ら‘のみ’が知らなかったのだから。しかしながら、中国やインド文明を知っていたはずの‘日本’人が、欧米人のマネをする必要はあるまい。そもそも日本という‘国家’は、明治以後できたという言説もあるが、実際16世紀に宣教師が来るまでは、隣国の中国や朝鮮が日本人のお手本であった。「未開人」を扱うのが、「文化人類学」で、「文明社会」を扱うのが「社会学」だと。馬鹿を言ってはいけない。人から学ぶのに、人間を学ぶのに、そもそも私とあなたの人間の間に上下などあるわけがない。これは福沢諭吉の一節(「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」『学問のすすめ』1872~76年)でもあるが、この感覚が、日本に紹介されてたかだか130年ほどしか経っていないというのもまた驚くべき真実であるが。

さて、明治時代を通じて日本は今までの経験と同じく西欧文明のいわば一番よいとおもわれる部分のみを摂取しようとしてきた。彼らの中の野蛮性や未開性には気づかないふりをしながら。私は、実際の欧米への留学生達は、かの国の醜いところに酷いところに気づいていたと思う。ただ、日本の人たちの‘幻想’をこわさないためにあえて言わなかっただけだと思う。もしくは、自分の眼が間違っていると思ってしまったのかもしれない。

ともあれ、今改めて文化人類学を学んでみて、その‘まなざし’に対して、どうしても納得がいかない。なぜ、他人を知ることによって自分を見つめなおすことだけが自己目的となっているのか。いつまでも‘他者’でしかありつづけない‘他人’に対して何をなしうるのか、また何をなしてきたのか。文化人類学の専売特許とされたフィールドワークによって、彼らの世界にあなたは何をもたらしたのか。あなたの知識や経験は、そのエスノグラフィー(民俗誌)は、誰のために何のために使われたのだろうか。

今、日本の開発に関心をもつ文化人類学者の間では、「開発人類学」とか「開発の人類学」とかが話題になっているらしいが、いずれも自分の立場だけを問題にしている。相手の立場はどうなっているのか。単なる客体でしかないのか。文明国民のわれわれの彼岸にしかいない人たちなのか。

ここで、特に若い人たちのためにはっきり言っておく。21世紀のこの世の中、どこを探しても未開人や原住民、ついでに先住民といい変えてもよいが、そのような現代社会(資本主義世界と言ってもいい)から隔離された人たちは存在しない。(100%と言い切るだけの勇気はないが。)

開発学を学んでいる若い人にも言っておく。いろいろ開発途上国、低開発国いろいろなラベルはあるが、そんな‘ドル’という経済単位でしか測れない国家や民族は存在しない。私は、なぜ、中国やインド、アラブ・イスラームの国々、どこでもよいが、これらのそれぞれ長い歴史や文化をもった国々を、‘開発途上国’とよぶのか私には全く理解できない。

マクロ的な観点から世界を見るときに、便宜上、話を簡単にするために、地域分けやランク分けやグループ分けという手段がとられることが非常に多い。(注2)

しかしながら、このランクやグループに何の必然性もないことも強調しておく。逆に、かなり悪意の恣意が働いていることのほうが多い。

たとえば、アフリカにエティオピアという国がある。今では‘アフリカ’で全くの途上国のように思われているが、以前はプレスタージョンの国といってヨーロッパがカトリックを受け入れる遥かに以前からのキリスト教国なのだ。まだまだラテン(ローマ)もゲルマンもキリスト教を受け入れる前からの筋金入りのキリスト教国を、いざその事実がわかると正統派(オーソドックス)を自称する人たちは自分達のセクトの都合だけで異教や邪教だと退けてきた。

これは、今でも日常的にみられる現象ではなかろうか。歴史や経緯を全く無視して、現時点での自分の尺度だけで割り切ろうとする人たちのいかに多いことか。

今はたまたま、エコノミクスという尺度だけで世界をランクづけしているが、ただそれだけのことである。

たとえば世界で一番歌のうまい人たちとか踊りのうまい人たちとか、料理のうまい人たちの国とか、芸術性の豊かな人たち、ちょっと評価が難しいが、道徳心の高いとか敬虔な人たち、親切な人たちの住む国(地域)とかいう全く違った観点(物差し)でみると、ずいぶん、この世界も違って見えるだろうと思う。これが、自然情況と宗教を中心としたそれぞれ何百年にも何千年にもわたる価値体系の集大成としての地域を形作っていることはいうまでもない。

文化人類学の目的の一つである「自分(達)自身を知る」ということは、個人にとっても社会にとっても非常に大切なことだと思う。しかし、何かを較べて、自分の優位さだけを確認するような行為はやめてほしいし、するべきではないと思う。それぞれ、よいところもあれば悪いところもあるし、そもそも、その尺度自体が非常にあやしい。それぞれ持っている物差しが違うということは、当然まず一番最初に押さえておくべきことであろう。

「文字をもっている」「もっていない」とか、「あれを知らない」「これを知っている」とか、量や質の違いを問題にすることはもうやめよう。それぞれが、すでに何百年も何千年も生き続けてきたこと自体が、それぞれ尊いことなのだ。

世の文化人類学者たちよ、研究対象と自分を分けたり、調査する側とかされる側という彼岸や此岸という見方を捨てて、それぞれ単なる人間のひとりひとりであると地面に立ってみませんか。そもそもあなたと彼らとの間には、川もなければ溝も谷もありません。みんな、泣いたり笑ったり歌ったり踊ったりする、あたりまえの人間です。たまたまあなたは先進国で教育を受けた‘権威’ある人かも知れませんが、権威と、人間の‘尊厳’とは全くなんの関係もありません。

自分達の物語を書くでもなく、彼らの物語を書くのでもなく、われわれの物語を書いてみませんか。調査する側でもなくされる側でもなく、同じ地球を共有する人間として物語を。

蛇足ながら:

ここまで書いてしまうと、どうしても‘開発’という行為や‘開発コンサルタント’という立場に身を置く自分自身に言及をせざるを得なくなってくる。

しかしながら、この問題は、今後ずっと考えつづけていく宿題として残しておきたい。自分は何をやっているのか、誰のために、何のために生きているのか。言葉にしたら‘ウソ’になりそうで、たぶん、その時々で‘ブレ’そうで正直言って重く辛い宿題だ。

ただ私自身は、‘偉そう’に言っているぐらいのことは実践しようとしている、少なくと実践しようと思っていると自分に言い聞かせたい。

とかなんとか言っているけど、でも本当は、結構、この環境というか、こういう立場を楽しんでいるというのが本音である。自分は、幸い人が好きだし、難しい問題にぶち当たったときほど燃えてくるほうだし、お人よしの馬鹿というかそもそも楽天的な人間だし。そのとき、そのときの情況や人とのやり取りを楽しんでいる。

深刻ぶって考えても、結局、評価は他人がするものであり、所詮、人間は自分の顔すらリアルタイムで自分の目でみることができないのだ。自分だけのための自分もいないし、誰かさんのためだけの自分でもない。

まあ適度に自分の周りの世界をかき回して、そういえば、あんなやつがいたなあとか、楽しい‘仲間’がいたなあと、なにかの折に人に想い出してもらえれば、それだけでも生まれてきた価値があったのではなかろうか。

あえていえば、それが‘私にとって’の「われわれの物語」ということにしておこう。

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引用終わり。注については、以下のページを参照。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

<この項 続く>

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歩く仲間20周年を想う。 <その1> 「GET BACK」 編

1989年12月15日に『大阪便り』(※1)などというまんまの個人通信を作ったのが大学の2年生のこと、それを‘再’発見して歩く仲間HPに掲載したのが2000年7月1日(※2)のこと。1992年3月に大学を卒業して開発コンサルタント会社に勤めつつも、また何か発信したいという欲望を押さえきれずに、文章を書き出したのが、1999年11月21日のこと。

ともかく今年が20周年の年であることは間違いない。

※1『大阪便り』及び『江戸瓦版』・・・‘歩く仲間’前史 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/o000.htm

※2『大阪便り』 再録にあたって 2000年7月1日 
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/o0000.htm

※3 始めに(今、僕たちはどこにいて、どこへ行こうとしているのか)1999年11月21日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0001.htm

折節に、振り返りの記事を書いているのだが、その記事を書くときの自分の最大の関心は、「変わること」と「変わらないこと」についてであった。

◆5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・“変わってくこと”“変わらずにいること”) 2005年3月23日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

今、改めて自分に問う。

この20年間で私はいかほどに‘変わった’のであろうか。

思えば、「清く正しく美しく(宝塚歌劇団の‘モットー’?)生きようと考えていた広島の原爆映像に心をかきむしられた少年は、それなりに社会経験もつみ、‘それだけ’ではいけないことも実地に学んだ。

湾岸戦争で現実世界に眼を背け中世史に‘何か’があると道に迷った20年前、たまたま拾われて‘開発援助業界’などに足を突っ込んで過ごした16年間を今思い返すと、‘単なる理想主義者’が少しは‘現実の世界’を知った貴重な足跡であった。

‘書かれた’書面面での‘何か’を‘実態のある’ものかのように錯覚していた20年前、その書面面での‘何か’が‘現実’ではないかと気づきだした10年前、そんな思いから自分なりの「開発(民俗)学」への模索が始まった。

結論から言おう。

私は、結局、根っこの部分では変わっていない。どれだけ人から批判されようが、正されようが、私は‘自分’が正しいと感じることを発信しつづけていきたい。

偽善や欺瞞とか、ええ格好しいとか何を言われようともかまわない。

「歩く仲間」は、そもそも、それぞれの‘現場’で必死に生きているプロであるものたちが、たまたま同じ方向に行こうとしたら一緒に歩いてみよう、しかし、「の会」という‘閉じた’ものになってはいけない。ということを念頭において始まったプロジェクトである。

長文になるが全文を引用することをお許しいただきたい。(以下、引用)

◆ 私的かつちょっと長い前書き(“歩く仲間”構想とは) 2000年3月18日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0000.htm

 まず、“歩く仲間”構想とは、一言でいうと、私の個人的な発信の場であり、かつ触れ合う人々の間での意見交換の場を持ちたいというのが、そもそもの発端です。

 皆、それぞれの“場”で一生懸命生きている、いわば生活者であり、それぞれの生き方においてプロフェッショナルであるという基本的な了承を元に話をしていきたい。かといって誰もが常に高尚な難しいことばかりを考えているわけではない。逆に普通に生きていくことそのものの中に、何らかの共感できる部分があるのではないか。そんなささやかなものを、互いに持ち込みあって、こんな考え方がある、こんなことがわかった!という意見交換みたいなものをやってみたいと思います。

 カルチャー(culture)という言葉があります。その語源*は、耕すという意味のcultivateであるそうです。もし、その語源から考えると、カルチャー(文化)とは、何を耕すのかと言えば、心を耕すもの全てが文化と言えるのではないかと思います。巷では、“サブ”カルチャー、“ポップ”カルチャーなる言葉はありますが、街じゅうの全ての心を揺さぶるもの、それは音楽であれ、映画であれ、マンガであれ、テレビであれ、あらゆるメディア、その他、道端でちょっと拾ったいい話、風景、情景、心象、全てがカルチャー(文化)であろうと思います。

 職業・学問なりの専門性と普段着の世界と、そのどちらの世界をも上記の広義のカルチャー(=心を揺さぶるもの)をキーワードに自由に行き来したい。そんな願いを込めて、今年度、下記のプロジェクトを企画いたします。

1.「歩きながら考える」ニューズレターの発刊。 

2. 文集「2000年に想うこと」;21世紀におけるキーワードとは何かを探る。

3.「開発学を考える」;環境、開発、地球規模の問題が山積するなか、今自分たちが武器にすべき道具は何か、内容として、皆さん自身による本の紹介部分と、ブックリストの2本立てとしたいです。

4.「みる、きく、さわる」;写真にみる第三世界。確かにテレビやビデオなどの画像メディアは多くありますが、ここでも、みんなそれぞれのお気に入りの写真を持ち寄って、世界を知る手立てとしたいと思います。

5. ホームページの立ち上げ;上記趣旨に沿ったホームページを開設します。

 最後に、なぜ“歩く仲間”としたのか。たまたま同じ方向に行く人がいれば、しばし一緒に歩いてみたらという、一期一会のつながりを大切にしたいという意図があります。逆にいえば、決して“の会”というような、閉じたものになってはならない、そんか自戒を込めての命名です。

注:*旺文社 英和中辞典を参考にした。

以上で、引用終わり。

結局、私のこの10年、20年は、上記の言葉に要約される。つまり宣言したとおりのことを実行してきたわけだ。

「GET BACK」そして「STARTING OVER」

今20年目に想うことは、結局、上記に述べた原点復帰「GET BACK」そして「STARTING OVER」といかねばなるまい。

私の手元に、上記の「歩く仲間」発進宣言の前に書かれた一枚のメモがある。

もともとは1998年5月2日に手書きで書いたもので、2004年6月24日にタイプ、2006年4月22日に修正されたものだ。

<この項 続く>

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2010年1月17日 (日)

【歩く仲間通信】年頭にあたって 阪神・淡路大震災そしてオウム事件から15年経ちました。

みなさん、明けましておめでとうございます。

柴田英知@愛知です。

今年の最初の歩く仲間通信です。既に年賀状やメールでご挨拶差し上げた方も
多いかと思いますが、今年もよろしくお願いいたします。

2010年 新年のご挨拶 しばやん@愛知 2010年1月1日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2010/01/2010.html

さて、今日は阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)から15年目となります。

以前にもHPやブログでも触れていますが、当時、私はエジプトに出張中で、この事件は、上エジプトのアスワンのホテルで知りました。

ちょうど農業用フローティングポンプ場(ポンプを着けた台船を浮かべてナイル川の水位変動に対応した灌漑用水システムを構築するというシステム)のプロジェクトの据付検査で会社の先輩に同行してナイル川のいくつかのポンプ場をみてきて戻ったところホテルのロビーかどこかのテレビで繰り返し炎上する町並み(長田区?)の映像をみて、会社の先輩が兵庫の出身で、また同行の業者さんの本社や工場が京阪神にあり、私以外が関西に関連の深い人ばかりでとにかく日本に連絡がとれずに、みなパニックになっていたことを思い出します。

手元に残してある産経新聞の緊急増刊 神戸大震災のグラビア(1995年1月27日号)と、2001年2月2日に神戸に行ってフェニックスプラザ阪神・淡路大震災復興支援館でもらったパンフレットを読み直しています。

たしか震災直後の1995年の秋に、既に東京で働いていたのですが、何かの機会で関西に行った際に、JR元町駅から三ノ宮駅まで歩いたこと、普段、何の記録もつけていないと忘れてしまいがちなことですが、ブログやHPに書いていたことで自分で読み返して追体験する。

ところで、同年にオリックスが初Vやオウムサリン事件があったことなど、本当についつい日々の生活の中で忘れてしまう。

前より何度もいっていることですが、現場に足を運び肌身でその場を感じること、それは個人的な経験でしかないのかもしれないけど、現場だからこそ見えてくるもの感じること、それが未来への‘想像力’を鍛えると共に、人間への希望というか共感なども育てていく、そんなことを思います。

◆神戸にて思ったこと。   2001/02/26 (月)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/k008.htm

◆大阪・神戸に行ってきました。   2003/10/19 (日)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/k068.htm

◆語られない物語と創られた物語 2005年7月14日(木)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog012.htm

さて、今年の抱負はこちらに書いたとおりですが、特に、社外?生活で進展があればと思います。

◆2010年度の課題と目標 2010年1月 6日 (水)
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2010/01/2010-ffc6.html

特に、歩く仲間20周年のアニバーサリーイヤーになりますので、いろいろイベント
を企画しています。

4月18日(日) 午後1:30から午後3時まで 愛知県岡崎図書館交流プラザ りぶら 103会議室
「開発援助の現場から・・・国際協力の最前線(仮題)」  自主企画

5月9日(日) 時間未定  中央大学 日本中東学会年次大会
「援助現象と地域研究 ~ 開発民俗学の視点から(仮題)」 研究発表

7月から9月ごろ 東京 (企画中) 発表演題未定(多分下記の①)
「NGOカレッジ第5回 参加型開発とわたしたち 10周年記念シンポジウム(仮称)」

今年は、あまり欲張らずに下記の2つのテーマに沿って小論をまとめたいと思っています。

①外部からの介入であるフィールドワーク、ファシリテーションと、外部者と現場が向き合う創発の場であるワークショップ論、
②現場を生きる知恵としての複合生業(なりわい)論 ~ 個々人のライフサイクルと地域共同体の接点

①は、異人(まれびと)論、カタリストとしての外部者の役割論、②生業論は、生きるということを中心にすえた農業、漁業、狩猟ほか商業主体としての生存手段についての現状分析のフィールドワーク(方法)を鍛えることと同時に、より現実的な‘開発’の提案とはなにかということを考えてみたいと思っており、特に後者は、国内外の地域開発を考えるのに絶対に欠かせない視点(視角)となると私はにらんでいます。

開発民俗学については、ミクシイのコミュニティで主に書き込みをしていきますので、関心のある方はぜひ、お立ち寄りください。

◆開発民俗学 「地域共生の技法」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2498370
(ミクシイ会員でない方は登録が必要なので、ご連絡ください)

今年もよろしくお願いいたします。

おまけ^^?
龍馬伝が人気みたいなので、ちょっとこんな文章も書いてみました。

坂本龍馬といえば・・・海援隊(武田鉄矢)? 2010年1月 8日 (金) Life, I Love
You!より
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2010/01/post-5405.html

ではでは^^?

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2010年1月11日 (月)

イスラームの知の体系について<各論>

実はミクシイで、「イスラーム地理書・旅行記勉強会」というコミュを主宰しているのですが、その中に、標記のトピックを立てました。ご参考までに下記に転載しておきます。

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イスラームの知の体系について<各論> @ イスラーム地理書・旅行記勉強会

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49550970&comment_count=1&comm_id=4600043

湯川武 『イスラーム社会の知の伝達』 & ダニエル・ジャカール 『アラビア科学の歴史』   日記 2010年01月10日 より

昨年末(2009年)、12月3日のことですが、久しぶりにアラブ・イスラーム関係の本を買いました。

たまたま眼に入ったのが、下記の2冊。

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○湯川武 『イスラーム社会の知の伝達』 世界史ブックレット102 山川出版社 2009年6月

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○ダニエル・ジャカール/吉村作治監修 遠藤ゆかり訳 『アラビア科学の歴史』 [知の再発見]双書131 創元社 2006年12月

特に、前者は、「そうそう、これが(俺の)専門、こういうことがやりたかった」のだと、若き日?のことを思い出させてくれました。

湯川先生は、アラビア学の名門の一つ、慶応義塾大学の教授を長く勤められて私が学生時代(もう20年前)にお会いしたときからエネルギッシュな方で、たしか私が3年生かのときに集中講義にもきていただいた記憶があります。(たぶん授業は取れなかったと思いますが)

まあ日本中東学会では、関東でずっと活発に活動されていたので、いろいろなところでお会いすることも多かったのですが、このテーマはまさに、イスラームという宗教の性格(かならずメッカに巡礼しなければならない)から必然的に引き起こされた巡礼の旅、すなわり巡礼文学=旅行記(厳密にはニアリー・イコールなのですが)ということを考える根源の問題で、私が20年前に追究したかったテーマの一つでした。

あと、同じ本屋で見つけた後者の本も、フランスの研究者の本の翻訳ですが非常にコンパクトに図版も多くまとまっており、イスラーム科学というよりイスラーム文化の隠された一側面を学ぶのに手ごろな一冊かと思います。

久しぶりに自分の好きだったことの本にめぐり合えて、アラブ・イスラーム旅行記・地理書研究への関心を呼び覚まされました。

今年は、開発民俗学関係での学会発表を考えていますが、やはり元々の自分の原点であるイスラーム研究も、少しずつでも進めていきたいと思います。

ではでは^^?

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2010年1月 6日 (水)

複合生業論の開発現場への適応可能性について<理論各論>

ところで、今年の年始の挨拶は、Life I Love You!のほうで触れましたので、よろしかったらこちらもご覧ください。
2010年 新年のご挨拶 しばやん@愛知
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2010/01/2010.html
さて、まじめな話題ばかりで面白みがないかもしれませんが、ちょっとだけ、さわりを^^?
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私の個人研究の今年の課題として、生業(なりわい)論と地域開発、特に村落開発(農林魚村)への適応可能性についての研究をあげたいと思います。
これは、自分が関わったたとえば東ティモールの農林水産業開発調査(JICAマスタープラン)や、フィリピンで調べたPOs(Peoples Organizations)住民組織の現地調査や、ミンダナオ島の開発を考えた(案件形成)の中で浮かび上がってきた問題意識です。
 
つまり農業(平地米作が多い)開発、林業開発の現場をみて何らかの介入(開発計画の立案)を考えるときに、果たして住民の現実の実際の生業は、営農だけなのか林業だけなのかというブループリント型の開発計画では、そもそも問題設定が間違っているのではないか。
 
‘参加型開発’と称していくら住民を集めてワークショップをやってもファシリテートをする我々(先進国の専門家)自体が、住民は一つの生計手段しかもっていないであろうという思い込み(稲作農民や畑作狩猟民、漁民)を持っている限り、彼ら住民のリアリティや生きるための生存手段、すなわち生業への思いや気持ちを汲むことができずに、彼らにとって最も生存率が脅かされる生計の単一化への道(事業計画)を示してしまっていないのか?というのがそもそもの問題意識です。
 
このトビでは、日本を舞台に最新の生業議論を元に、我々フィールドワーカーとしての五感を鍛えるための理論と事例研究の場としたいと思います。
 
参考文献:
国立歴史民俗博物館編 『歴博フォーラム 生業から見る日本史 新しい歴史学の射程』 吉川弘文館 2008

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