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2009年12月

2009年12月28日 (月)

昨日(12月27日)、東京に行ってきました^^?

なにか、今でも夢みたいなのですが、マイミクのSAGAさんに誘われてとある勉強会に参加するために、昨日、東京に行ってきました。

朝の9時14分の電車に乗って、一旦名古屋にでてのぞみで東京へ。12時前に東京駅について、目的地の早稲田奉仕園の合宿所へ。実は、他のメンバーは泊りがけで勉強会(交流会)なのです。

私は、今日も仕事があるので、午後1時から午後5時までのセッションに参加してみんなで夕食を食べて、午後7時には早稲田を出て、午後11時前には家に戻っている。

なんかとても密度の濃い時間でした。そうだ、日帰りで東京に行けてしまえるんだ。理屈というか理屈(時刻表)ではわかっていたけど、なんかとても不思議な感じです。

そうそう、東京駅について思ったこと。

結局、東京にはフィリピンに駐在に出るまで12年間住んだけど、結局終えの住まいにはなりえなかった。俗に言う上京少年の悲哀を感じながらも、まあ東京にも住んだことだし、次は世界進出かって(おいおい)、まあアメリカかイギリスでも呼ばれていくしかないか、なんてふと思っちゃいました。本当に^^?

「歩く仲間」HPを立ち上げた当初は英語で記事を書こうとしたこともありましたが、結局、表紙をつくったぐらいで断念。英語での発信は半ばあきらめていたのですが、まあ20周年を機会に英語版の「開発民俗学」に関するエッセイ(HP)を書いてみようかなと思いました。

そうすれば愛知の片田舎に住んでいようとも必然的に‘世界進出’が図れるわけです。

こう考えるといろいろ課題がでてきて嬉しい悲鳴ということですね。まあ、忘れないうちに書いておきます。

さて、このセミナー自体の内容はあまり公にできませんが「開発民俗学」の実践篇といったところで、中堅どころの実務者や研修者の集まりで非常に刺激の高いものでした。

SAGAさんも他のメンバーの方も、問題意識が近くて持っている現場は違うものの、結構、近い世界に生きてきたような気がします。話してみると友人が結構ダブっているようでした。

本当にこのような場に招いていただいたSAGAさんに感謝感謝です。ほぼ10年ぶりにお会いできたメンバーの方もおられ再会を喜んだり、確かに10年は短いようで長いものです。それぞれの時間を考えると。でも、なにか似たような分野でがんばってきて話がまたできる。それもまた素敵だと思います。

ということで、今年は多くの「歩く仲間」に出会えたり再会できた年でもありました。

明日が仕事納めですが、心置きなく冬休みが迎えられるように最後まで(仕事)にがんばろうと思います。

ではでは^^?

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2009年12月27日 (日)

2001年あるいは、21世紀の始まりに想うこと(あたりまえの時代もしくは本物(ライブ)の時代の到来) 2001年1月28日

先の小論で話題になったので、こちらに「歩く仲間 HP」より転載しておきます。もう9年前の文章ですが、あまり私の考え方は変わっていません^^?

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 2000年から2001年の世紀の変わり目に、私は例年どおり実家(田舎)で時を過ごした。

もう、大学に行くために家を出て10年以上が経ってしまったのだが、大学生の時から、いつも感じていたことがある。

 大阪の北の方のいわば田舎にキャンパスがあったのだが、なぜか空き地というか「オープンスペース」がないのだ。下宿先から大学まで田んぼや畑の多く残る田舎であったのにも係わらずである。

つまり、田んぼの中をとおる畦道さえもが、完全にアスファルトで舗装されていて、いかにも「管理されている」という匂いがぷんぷんするのだ。当時から、そのオープンスペースのルース感を求めて、いろいろな街角を歩いてきたのだが、大阪の後に、半年ほどいた京都でも、どうにも管理された土地という印象をうけた。そしていまいる東京はいわずもがなである。

 今回、実家に戻った際にも、このことを考えつつ家の近所を散歩したのだが、ふと今回、気がついたことがある。

 まず、実家の周りは、①空がひろい(つまり、ランドスケープをブち切る、高い建物がないこと。②生垣がおおく、家や田んぼ、畑の境や境界線が極めてアバウトで、人の家の横道伝いに人の家を横切って反対側の道路に通り抜けてしまったり、家の裏に、俗にいう裏山や、藪を抱える家が多いこと。③仮に仕切ってあっても、鉄線が杭に2~3本打ち付けてあるだけで、なぜか金網に破けたままであること。

とにかく子ども時代を思い返すと、誰の所有なのかわからないような林、山、川べり、秘密の隠れ家を作れるようなルースな土地が、ふんだんに身の回りにあったような気がするのである。

 さて、そんな田舎であったが、結構、電車の駅に近くアクセスがいいものだから、最近特に、畑や田んぼを埋め立てての宅地化や、家の建て直し、マンション建設計画等が進みつつあり、田舎に帰るたびに、町並みも変わりつつあるようだ。

 今回、近所で家の立替工事が進みつつあるのをみて、ふと、昔の抜け道を通ってみたくなった。坂道を下りて、左に曲がって畑の横を通り抜ければ、抜け道になっているはず、と思って道を下っていったら、行き止まりの民家に入ってしまって、以前あったはずの横道がどうしても見つからないのだ。

 ちょっと話題が変わるが、年度末に客先を挨拶に回った時、上司が、「壁を壊すのではなく、壁を溶かして」いい仕事をしたいといったような話をしていたのだが、実は、個人的にこう思っていた。「確かに、89年のベルリンの壁ではないが、急激に「壁を壊す」ということはリフレクションも大きかった。昨今の規制緩和や、業界や官庁間の再編に見られるような、「壁を溶かす」ということは、実際、今現在行われていることであり必要なことである。が、実は、「裸の王様」ではないが「壁なんて、そもそもなかったのではないか」ということを、個人的には感じていた。

 今回、田舎でのあるはずの道がなかったという経験をして、ふと気がついた。つまり、子どもの頃って、実は「壁がある」ことに気がついていなかっただけなのではなかったのか。現実の世界には、様々の壁がある。それは大人の世界では、当たり前のことかもしれない。私が大学生くんだりになっても、「壁なんてないはずだ」と思い込んでいたのも、単なる子ども性が抜けきらなかったからなのかもしれない。

 しかし、私はあえて今、21世紀を前にして、声を大にしていいたい。そもそも、人や物をさえぎる「壁」、分け隔てるという考え方、あるいは「所有」の概念なんて、近代の特殊な一つの考え方にしかすぎないのだと。

日本でも世界でも、「壁」をひしひしと感じさせるところと、逆に、みえるみえないは別にして「壁」を感じさせないところがあるのは何故だろう。

物でも土地でも、所有や囲い込みが行われているのは、全地球的にみれば、極めて限られた地域、それはすなわち、欧米の「経済学」が通用する地域でしかない。

卑近な日本の例でも、明治時代に山野や海に所有権が生ずることになって、濡れ手に粟の、ぼろもうけしたのが、政府(国、県、村)や一部の特定の有力者たちであり、文字の読めなかった一般の人たちが散々だまされて、知らぬ間に、共有地を囲い込まれてしまったことは、ちょっと宮本常一などを読めばわかることである。そこで、まず、ひとつ。

お題目その1.「壁って本当はないのではないだろうか?(物理的にも心理的にも)」

 さて、1月6日(土)に、鎌田慧の『ドキュメント屠場』岩波新書1998に触発されて、品川駅近くを歩いた。前褐書は「日本一の食肉工場-東京・芝浦屠場」最初の段が、「トンネル」と、品川駅の東側の港南口にいたるホームからひたすら続く細くさみしい地下道の記述からはじまるのだが、その屠場で働く労働者達が掘らされたという、「トンネル」は、わずか2年後の今はもうない。というのは、品川駅のまさに東側の再開発で、新幹線の駅の新設等で、地下のトンネルは使われなくなり線上駅・通路となり、線路の上を通るように歩道自体が変わりつつあるからだ。

 東京都中央卸売市場食肉市場(芝浦屠場)自体は依然として存在しているものの、品川駅との間に新設されたビルに隠れて、すっかり「ちいさく」なっていた。

そして、多分よくあることであろうが、その新ビルの2、3階にあるレストランからは、幅5mほどの道一本を隔てて向き合っているのにもかかわらず、芝浦屠場はみえない。というか、その屠場の側には、ガラス窓がないのだ。JRの線路側には、「スカイウォーク」などというガラス張りのサンテラスがあるにもかかわらずだ。

「汚いものにはふたをする」というか、得てして、このようなことは今でも現実に存在するものである。(当事者がどういう考えで、もしくは何の考えもなく、そのような設計をしたのかはあえて聞きたくもないが、悲しいけど、この日本では極めてありがちなことなのである。)

 さて、道を進めて、とりあえず「天王洲アイル」というところまで歩いてみた。デートスポットらしいが、私は行ったことがなかった。

そして、何気にアートスフィアというホールで、『東儀秀樹コンサート-Version2001-』が1時間後に開場であることを知り、急遽、当日券を買うことにする。

私の場合、結構、いきあったりばったりでコンサートや劇を見にいったりすることが多い。事前によっぽど観たいものがあっても、仕事柄、急遽出張とか予定が入ることが多いので、その場その場でチケットを購入することが多い。また、コンサートや劇の場合は、1時間か1時間半前に会場の窓口にいけば、ほぼ必ず当日券があることも経験から知っている。当日券は安い変な席ばかりと思ってはいけない。いい席の当日券もあり、無理に予約して変な席になるより、金さえ出せば、当日でも結構いい席が取れるものなのだ。

 さて、「雅楽界の貴公子」などと騒がれ、巷でも結構有名なこの人、実は私も名前ぐらいは知っているものの具体的な曲名や曲を聴いたことがなかった。

しかし、このステージ、まったく予想を上回る、どきもを抜くようなすばらしさであった。第1部では、平安貴族さながらの古典雅楽や“舞”の披露、確かに正月の神社の雅楽と変わらないとは思うが、篳篥(ひちりき)や笙(しょう)や種々の太鼓、琵琶、琴などずらりとまるでひな人形の、五人囃子や三人官女のごとく、10名近くが、着物姿でずらりと並ぶのはそれだけでも迫力がある。

 そして、第2部では、東儀秀樹氏自身による篳篥(ひちりき)やピアノ等によるオリジナル曲の数々、その中で、MC(語り)が入ったのだが、実にこの第2部が良かった。サントリーピコの宣伝の曲(三ツ星)や琴のための曲(昼のまどろみ)など、ああそういえばというメロディーと、篳篥のぼやけたようなファジーな音色、彼のお姉さんやお母さんが奏でる竜笛や笙との掛け合いは、実に楽しいものであった。

この第2部のなかで、東儀氏が、テレビの取材で現地にいって知り合った中国の西安の、笛、古琴、胡弓の名人(ミュージシャン)を日本に呼んで、舞台で共演したのだが、電子楽器のけたたましさに慣らされた耳には、民族楽器のもつやさしい音色に心が洗われる気がした。雅楽自体1300年の歴史があるそうだが、伝統のある世界の各地で民族が代々伝えてきたリズムとメロディーの美しさは、やはり一概に簡単に比較できるものではない。

 東儀氏は「音楽を通じて世界の人たちと言葉ができなくても、心をかよいあわせることができるのは、とてもありがたい(うれしい)ことだ」というニュアンスのことを言っていたが、それは、客である我々も同じこと、大変、素敵な時間を共有できた。あと、彼が、例えば、「~の曲が、ヒラめいた」という言葉を使ったことがおもしろかった。やっぱり、「天才って、ひらめいちゃうんだな」と思った。

 お題目その2 「まず、あるもの(こと)から始めよう。」

今まで何につけ、金がない、物がない、時間がない等、特に援助の現場においても、「ない」ことから始めることばかりを考えていたが、この篳篥しかり、別に、クラシックをやるためにヨーロッパに行かなくとも、ジャズをやるためにアメリカに行かなくても、別に、日本人なりのクラシックやジャズやロックがあっていいはずだし、元からある雅楽や、三味線(最近、昨年の紅白歌合戦に出場していた吉田兄弟のCDも購入しました)でも、すでにそこにあるもので十分、世界の他地域の楽器や音楽と、セッションやコラボレーション(共同で働く)することができるじゃん、というのが、このコンサートで一番感じたことなのである。

確かに、このことは、10年前ほどからのワールドミュージックの、マイナーではあるが結構ディープ(深い)ブームや、久石譲や、三枝成昭の一連の作曲や、もっと平たく言えば、THE BOOMの挑戦や、ディック・リーなどアジアンポップスの台頭など、大きな流れの中に位置付けられるとは思うが、今ほど当たり前に、世界中の情報が行き来し、かつ「エスニック」等のレッテルを貼られこともなく、「素直」に、「いいものはいい」と言えるようになった時代はないであろう。

お題目その3.「いよいよ本物(ライブ)の時代が到達した。」

 上記2のことに関連するのであるが、IT革命などという、情報革新の波が全世界を飲み込み、かつ席巻するのは、多分10年もかからないであろう。

その際に、気をつけなければならないことは、「マルチメディア」などといっている本質は「デジタル・メディア」であり、「つまり、マルチメディアの本質は、あらゆる表現をデジタル情報へとユニメディア(単一メディア)化したということなのである。」(注)

 そして、インターネットなどで一瞬に情報や連絡がとれるときに、逆に必要なのは、あえて体を動かすことだと思う。実際に、自分の体を運ぶこと、つまり、現場の本物(ライブ)感覚があることの価値がぐんと上がるのではなかろうか。「体験」や「経験」は、特に時間を逃してしまったら、決してお金では買えないし、ましてやテレビやパソコンで視るだけでは、わかったことにならないという時代になると思う。

 

お題目その4.「日本人ほど世界中に実際にいける(パスポートの制限がない)人はない。」

結局、全世界津々浦々を歩きまわって、実際に、人と人と面と向かって「会うこと」が必要な21世紀、一番、世界で利用制限の少ないパスポートを持っているのが日本人なのである。

実は日本人自体が一番知らないのだが、日本人が世界で一番制限が少なく、多くの国々に立ち入れるのだ。(当然、ビザの取得が必要な国は多いが、日本のパスポートで入国できないのは、確か北朝鮮だけだと思う)

例えば、他のアメリカやヨーロッパの国々、逆にアジアやアフリカ、特にイスラームの国はどうであろうか。実は、出稼ぎ労働者の問題や、宗教的なもの、テロリスト対策等、それぞれの国情(外交政策)により、互いに入国禁止の国がいくらでもあるのである。

結局、単純な結論であるが、人間は体ひとつ、いくらお金や物があっても、自分自身という「主体」である「体」は、ひとつであるし、他人もしかり。人は誰でも死ぬ存在(病気であれ、事故であれ)であることを、忘れてはいけないと思う。(ザザンオールスターズ(SAS)の曲にもあるが、いくら自分が元気で、実際に体を運んだところで、「逢いたくなった時に君はここにいない」ことも多々あるのだ。)

つまり、「壁」をものともせず、そこに「あるもの」をみつめ、「本物」を求めて「世界」を駆け巡る、多分それが21世紀に生きる人たちのあり方ではないかと私は思う。

最後に、もう一項目。

お題目その5.

「You may say I am a dreamer. But not the only one」(Imagine, by John Lennon, 1971)

 今年(2001年)になってから、ジョンレノンのイマジンを耳にすることが、3度と重なった。別にテレビの宣伝でやっているからではなく、親しい友達らから、特にこの「イマジン」に関する話題を振られたのだ。私は、この曲全体の思想全てに共感できるわけではない。かなり宗教的な背景が深い危険な曲でもある。

しかし、ただひとつだけ何の保留もなしに同意できるのが、上記のサビの部分なのだ。たぶん、それぞれの人たちが願ったり想像していることは、各々違うだろうけれども、「そう」思っているのは、「自分だけではない。」ということ。それが大事だと思う。

題目その1の、「壁なんてないかも」なんて、まともに社会人をやっていたら、とても恐ろしくていえない言葉である。現実の物理的・心理的な壁はいくらでもあることは百も承知の上である。だが、私はあえて「そう」思いたいし、「自分だけではない」ことを信じたい。

つまり、幸せを求める人々の心(情念とでもいったもの)は、時空を越えるものであろうことを。

この項、了。

 

注;中川昌彦 『図解 自己啓発と勉強法』 日本実業出版社 1996、104頁を参照。

本文にでてきたCD等

・東儀秀樹 『TOGISM』 東芝EMI TOCT10188 雅楽/ニューエイジ 1998 2,039円

・吉田兄弟 『MOVE』 ビクターエンターテインメント VICG60296 津軽三味線 2000 3,000円

・久石譲; 宮崎駿のアニメや、北野武監督作品の映画音楽やCM曲で著名。「ナウシカ組曲」等のオーケストラ曲、ピアノのソロ曲など、オリジナルアルバムも多いが、一番、気に入っているアルバムとして、

・久石譲 『宮崎駿アニメBOX』 AMIMAGE RECORDS TKCA-30004 1989 2,500円(「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」からのコンビネーションアルバム)

・THE BOOM; 時期的には、「からたちの道」収録の『JAPANESKA』1990、「島唄」収録の『思春期』1992、「風になりたい」、「ブランカ」等収録の『極東サンバ』1994 等、沖縄、三味線、ガムラン、ケチャやサンバとの出会い、様々な挑戦がありました。とりあえず、お薦めは、ベスト物ではありますが。

・THE BOOM 『THE BOOM』 SRCL2471 Sony Records 1992 3,000円 島唄も収録。初期の名曲集。

・THE BOOM 『THE BOOM 2』 SRCL3751 Sony Records 1997 3,000円 また『THE BOOM 2(BLUE)』もあり。

・ 三枝成彰 『プロヴァンス組曲』 30DC5315 ニューエイジクラシック Sony Records 1989 NHK「詩情の旅人」テーマ音楽。N響にギター、ピアノ、胡弓をフューチャー。結構、日本の作曲家もやるじゃんという感じです。

・ディック・リー; とりあえず手持ちのCDはなし。但し、90年代の初め、随分はやったのは事実です。

 

予告編;

今年度、「歩く仲間」では、「開発学への途」に加えて、「イスラーム中世地理書・旅行記・歴史書研究」についての連載を開始します。さて、このホームページを立ち上げたとき、大学生時代の友人から、以下のE-mailをいただきました。

「開発について考えるページなんですね。長年来、柴田さんが暖めてきた構想のように思えます。」

そう受け取ってもらえて、本当にうれしかったです。自分では、別にそんなつもりはなかったのですが、鍋にぶち込んでおいたものが、適当に発酵してきたということでしょうか。もうひとつの私自身の課題である「イスラーム・アラブ研究」、ぜひ、ご期待ください。

この項終わり)

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‘チェンジメーカー’としての‘ファシリテーター’ ファシリテーター原論

という記事を、「Life, I Love You!」に書き込みました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/12/post-cc1d.html

こちらの文中にも触れましたが、そもそも「ブログ版 歩く仲間」で扱うべき記事だと思いますが戦略的?にあちらでもあえて話を振るようにしています^^?

前に書いた「‘ワークショップ’~‘フィールドワーク’と‘ファシリテーション’をつなぐもの(試論)」 2009年12月19日

の続きの記事として読んでいただいて結構です。

さて、このような濃ゆい話題を、ミクシイの「開発民俗学~地域共生の技法」とコミュニティで展開しているのですが、やはり‘わざわざ’関心をもって自分からコミュに参加していただいているメンバーの目にさらされるということで、さっそく2名の方からコメントをいただきました。

思えば、私もインターネットを通じた情報発信は、2000年3月18日から「歩く仲間」というホームページから始めたわけですが、その後、HPとメルマガ(特定の友人にBCCで更新の便りを送るという原始的なもの)、掲示板(BSS)の導入(『歩く仲間の声』(2001年1月8日)などを経て、2005年4月23日からココログというこのブログを始めました。

今、新しい職場でインターネット通販というEコマースの最先端の営業企画をしているわけですが、今までの井戸端というか対面的なコミュニケーションとは、似て異なる(全く違うわけではない)新しい関係性の構築が始まっているというか、世界中がその流れにいっせいに大きく流されている。

でもまあ、基本的にアナログ世代の尻尾あたりのアラフォーとしては、やはり戸惑いも大きいわけです。

迷惑メールや2チャンネルや掲示板への悪意の書き込みが特定の個人を自殺までに追い込んだり、さらにはインターネット空間での話題?がきっかけで援助交際などの犯罪も今では当たり前のようにおきている。

仮想空間での「言葉」のやり取りだけで犯罪や自殺が起りうる。これってどういうことかと思いませんが。別に、物理的な暴力を振るわれた訳ではないのに、人間のココロを破壊してしまう。

そのような‘危険’なものでありながら、我々は既にインターナットやパソコンのなかった時代には戻れないというより、戻れなくなってしまっている。

いろいろ問題があるにせよ、インターネットという新しい公共空間の出現は、文字通り‘世界’を変えてしまった。

一言で言うと、インターネットは‘時空’を越えるタイムマシーンというか、ドラえもんの「どこでもドア」みたいなものです。

今、私は年賀状を準備していますが、葉書や手紙を書かなくてもE-mailを使えば、地球の裏側の友人とも瞬時にメールのやり取りができる。しかも今では、スカイプなどを使えば話し相手の顔を見ながらテレビ電話ができる。

ホンの数十年前には、夢のまた夢であったSF小説や映画の世界であったことの大方が現実のものとなってしまっている。

今の子供達は、携帯電話もパソコンもインターネットもあるのが‘当たり前’の世界にすでに生れ落ちてしまっている。落ちるといいましたが、人は「生まれる」のであり自分で生きる世界(場所と時代)を‘選ぶ’ことはできません。

これほどメディアが発達していなければ、自分の実際に目の見える世界(これもまた極端ですが)を中心に考えればよかった、世界のセレブの情報も貧困の情報も、知らなければ知らない(知るすべがない)ということで、全く生きていくのに問題なかった。しかも、冷戦時代には「壁」の向こうの世界は知る由もなかったというか情報操作もありメディアも相手陣営の中に入り込むことができなかった。

第一世界(資本主義世界)、第二世界(共産圏)、第三世界(発展途上国)などというレッテルが現にあり、それぞれが別のものとして存在し、互いの行き来も(表面上は)限られたものでしかなかった。

日本人は、‘島国'日本をでて、ちょっと第一世界の先進国(欧米)や第二世界、さらには第三世界を‘見て来る’だけで一端のコメンテーターや先生としてもてはやされた。

でも、今はもうそんな世の中ではありません。

大学生や高校生だって、文字通り世界中にいけることになった。テレビでもアフリカの、ホンの数十年前にはメディアがいけなかった辺境地に‘リアルタイム’でお笑い芸人などのキャスターが入り込んで‘実況’中継をしてしまう。

ここで忘れてはならないのは、「見る存在と見られる存在」は同じことであるということです。

我々は、貧しい途上国の人を「見ている」つもりが、同時に相手から「見られている」。つまり自分が(無意識にも)しているように相手から「値踏み」されているわけです。

こうなってくると「持てるものとか持てないもの」というマテリアルワールド(物質的・物理的な意味)での‘違い’は、実は全く本質ではなくなってくる。

確かに肌の色も言葉も食べているものも着ているものも‘違う’けれども、「あなたも私も」同じ‘人間’でしょということになる。

それぞれ生きてきた環境や世界がどれほど違おうとも、同じ年代の子供は子供だし、大人も大人、目の前に抱えている悩みや問題は、それほど違ったものではありません。日々の生活に、喜びもあれば悲しみもある。

フリーターの森毅先生流にいうと「ちょっとズッコケ」な‘普通の人’しか世界にいないわけです。

ほぼ10年前に、このようなバーチュアルな時代にこそ、本物が求められていると語りましたが、全く状況は変わっていません。

「2001年あるいは、21世紀の始まりに想うこと(あたりまえの時代もしくは本物(ライブ)の時代の到来)」 2001年1月28日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00016.htm

でも、この10年を振り返ると、やっぱりなんだかんだ言っても、‘よい’方向に世界は変わっていると思います。少なくとも10年前より、内容はどうであれ情報量が圧倒的に増えた。インターネット検索で、テキスト(文字)から画像から音楽から地図はたまた衛星画像から世界中のあらゆるものが検索して‘見える’ようになった。

今までは「あることすらわからなかったもの」に誰でも簡単に‘アクセス’できるようになった。これは非常に大きな進歩です。

この世界の流れはやはり変えられない。当然、問題はいくらでもあるが、このインターネットが変えた世界を、さらには‘現実’の世界を変えていくのか、いかによりよいものにしていくのか、そんなことを模索していきたいと思います。

たぶん、そのための人と人の知恵を出し合う場と手法の一つが「ワークショップ」なのではないかと思います。

「フィールドワーク」や「ファシリテーション」が先に与件としてあるのではなく、よい「ワークショップ」をおこなうために「フィールドワーク」や「ファシリテーション」による個人個人の気づきをうながす「技法」が必要である。

私にいわせれば、「フィールドワーク」も「ファシリテーション」も「手段」であって「目的」=ワークショップによる「その場での知の融合」ではないということです。

たぶん、今後、この方向で「開発民俗学」の論を進めていくことになると思います。

ご関心のある方は、ぜひ、ミクシイのコミュニティに参加してください。

ではでは^^?

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2009年12月19日 (土)

‘ワークショップ’~‘フィールドワーク’と‘ファシリテーション’をつなぐもの(試論)

12月17日に「第12回 開発ファシリテーションとフィールドワーク勉強会(FAFID)」に参加してきました。

日本福祉大学の吉村輝彦先生の「フィールドワークから学ぶまちづくりとファシリテーションのココロ ~場づくりから始めるまちづくりの展開~」という発表を受けて、その話をふまえつつ後日FAFIDメーリングリストに投稿したことを若干、修正して再録させていただきます。

このような勉強会という参加者協同の場の議論をどこまで‘個人メンバー’の立場で外に持ち出せるかについてはいろいろな意見や考え方があると思いますが、その勉強会の秩序を乱さないという範囲での発表はありえると思います。

まったくの公共の場に持ち出すということに対して、‘私’の発言として私の責任の及ぶ範囲(が仮にあるとして)を意識した上で加筆(むしろ削除)・修正を加えたものを以下に掲載します。

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~前略~
ところで自己紹介でも少し話させていただきましたが農業・水資源・地域開発が専門の民間の開発コンサルタント会社に昨年まで16年間(東京で12年間、フィリピン駐在4年3ヶ月)働いてきました。

この勉強会および吉村先生の話題に関連して、今まで私が書いてきたものから数点をご参考までに紹介させていただきます。

◆「フィールドワーク」と「ワークショップ」の連続性と渾然一体性について 2008年4月25日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_3b66.html
 

参加型開発やRRA(Rapid Rural Appraisal)の手法論に関しての発言です。私が勉強会の質疑応答の中で触れました開発実践の現場でのワークショップにおけるファシリテーションの一例です。

勉強会での発言にひきつけて言わせていただければ、ワークショップには、①ステークホルダー(誰)をどのように選ぶのか、②ワークショップの現場で如何に‘グループワークのダイナミズム’を生み出すかが鍵です。

途上国で村落開発をおこなう際に外部者である、たとえば青年海外協力隊の隊員が住民をファシリテートする際に、なかなか集まったメンバーが動き出さないようなときに、‘なにか’がきっかけで彼らの自主性や活動が急に活発化するという現象がよく見受けられるのですが、そのような活動の‘ターニングポイント’は、実は意図的に計算により作り出すことができる場合もあります。それでも、事実や小説(計算)より奇なりという、想定外にグループワークが爆発することもあるのですが^^?

開発コンサルタントの仕事についてなかなかその実態がわかりにくいところが多いと思うのですが’場’を作ることについて、少なくとも私は、かなり意識的に設計や計画をします。

ワークショップの場を短期的なプロジェクトの成果を出すために強力に住民を参加させて特定の方向にファシリテートしようとする、かなり力技を使うファシリテーターやコーディネーターの方がいないわけではないですが、基本的に日本の参加型開発※をやっている(つもりの)方は謙虚な方が多いと思います。

※私自身は、あまりその言葉自体には関心がありません。言い方(ラベル)よりも中身だと思うからです。

ただここで、私が「意図的に計算により作り出すことができる」という真意は、結論ありきというか「ブループリント」に近づけるための(ワークショップ参加者)の動員ではなく、いかに(少なくとも)参加している人たちの個人個人の能力をそのワークショップの場に吐き出させるのかという意味での、公共圏(ハーバーマス)やアジール(阿部謹也)、無縁(網野善彦)を、その‘現場’に出現させるために、どのように、そのような‘場’を持ってくるのか(ワークショップによって作り出すのか)というシナリオづくり(計算)が重要ですよという意味なのです。

吉村先生のいう、「あつめる」のではなく「あつまる(場をつくることが大切)」を如何に「あつめられた人」に「(自分から)あつまった(かのように錯覚させる)」のかが、ワークショップのデザインであり「仕掛け」作りなのだと私は思います。(嫌な言い方になってしまってすみません。)

そのための(に)「舞台を整える」ことを、静岡県の三島のまちづくりの仕掛け人、グランドワーク三島の渡辺豊博さんは、やはり「仕掛け」をつくると言っています。(2001年の日本国際地域開発学会での話より)しかも彼は、それをインフォーマルな場で、つまり飲み屋でまちづくりの方向性が決まるとまで暴露話をしています。(この場でいっていいのやら^^? )直接、この言葉そのものだったかどうかは忘れましたが、インフォーマルな‘場’でのコミュニケーションの重要性は、実は非常に大切なことで、とりうる戦略の‘一つ’でもあります。

脱線しますが、私が東京時代にずっと「歌って踊れるコンサルタント」を目指してやってきた「(開発実務者の)若手会」とかの主な活動?の場は、実はたんなるインフォーマルな飲み会でした。

この会には、開発コンサルタントもNGO、JICAやJBIC,民間人、大学生、大学院生も混じっていましたが、ルールはたった一つだけ、自分の所属先を代表する必要はなく、「個人として」その‘場’に参加して発言してほしいということでした。

この場で、ビジネスとか人脈作りとに走ろうとした人がいないわけではありませんが、結局、そのような言動は、‘個人で参加している’参加者が一番嫌うところで、そのような利害や私欲のために参加する(した)人は、次の会からは消えていたというか呼ばれていませんでしたね。(たぶん、本人もお呼びでないことがわかったのでしょう)

また私はフィリピンの駐在中に、駐在もしくは住んでいる日本人の間で「フィリピンで開発を考える」勉強会を、JICA専門家の方とフィリピンの大学で教えている文化人類学の先生と一緒に立ち上げて、NGO関係者、大使館、JICA、JBICや、民間企業、大学生(留学生)などと帰任までに10数回ほどおこないました。

これも実は、日本人の援助関係者の間での「情報とヴィジョンを共有化する(させる)」という裏?の戦略をもって、このような‘場’を仕掛けました。 まあ、難しく考えなくても自分はいろいろな‘現場’を持っている人たちと「わいわいがやがや」意見交換をすること自体を楽しんでいたというだけなのですが^^?

話を戻すと、私の経験では、①参加者の平等性が確保されること、役人も市民(住民も)同じ土俵で役職や役割(責任)から放たれた自由な‘個人’として参加させること、②アクティビティ、特にマッピングによる‘見える化’が非常に重要で、グループワークで(フリーハンドで)みんなで丸くなって地図を作り、それを元に、具体的な‘もの’に即してワークショップをすすめていくと、実にいろいろな意見ででてきて、‘そこ’に住んでいる人たち自身の盲点=問題が浮かび上がってくるということです。

あと蛇足ですが、私は「ワークショップ」の一番の目的は、参加者の目の前に「見えているもの」と「ビジョン」の共有化を図ることだと思います。つまり、ワークショップに参加した人たちの間で見えるモノが同じものだと実感できたとしたのならば、実際に、その方向性に向かって組織は自然と動き出すからです。

ビジョンの共有というのでしょうか。これには、‘問題’の共有、‘自分達’ができることの確認(役割分担)、そしてやるべきことの‘方向性’さえ大枠決まってくれば、それぞれの参加者が、おのおののペースで‘自分’のできる、‘自分’が「ビジョン」のためにやるべきことを、それぞれの立場で行動していくことができるからです。

実際、例に挙げたフィリピンの水利組合のワークショップは、住民と行政側の距離を近くし、それぞれがやるべきことを、グループワークを通じて感じてわかって、その後の活動の改善につながったようでした。
 
そうそう、そういう‘場’をつくる(仕掛ける)ことができるのか現場に足をすえた「土の人」ではない「風の人」=カタリストである異人(まれびと)なのです。これが、開発民俗学の重要なテーマの一つです。

◆フィリピンで歩きながら考えたこと 2008年4月22日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_45ea.html

開発コンサルタントのキャリアの中で一番、現地で過ごしたのはやはりなんといっても駐在員として4年3ヶ月を過ごしたフィリピンです。もともと中近東やアフリカの担当でしたがやはりというか東南アジアは過ごしやすかったです。フィリピンで考えたこと(小論)へのリンク集です。

◆Three Maria’s Tale (3人のマリアの物語)
(開発コミュニケーション論におけるチェンジエージェントの一例として) 2003年5月4日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00019.htm

開発民俗学では、「土の人」に対比される「風の人」であるチェンジエージェント(カタリスト、異人(まれびと)ともいう)論が重要な理論とひとつとしてあります。そのことに気づかせてくれた私の原体験の一つです。

◆『開発コミュニケーション』をめぐる課題 読書会資料 2001年9月10日
課題図書;久保田賢一 『開発コミュニケーション 地球市民によるグローバルネットワークづくり』 明石書店 1999 2,300円
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000192.htm

上記の‘物語’を語るのに自分の中で理論的な根拠というか論点の整理に役立ったのが、たまたま上記の現場(フィールド)に出会う前に読書会で紹介させていただいたこちらの本でした。ワークショップやファシリテーションを開発援助の文脈で語るのに欠かせないのが「開発コミュニケーション」という学問分野です。この手の本としては、日本でも先駆け的なもので、コンパクトながら非常によくまとまっています。

そんなかんなで、この勉強会は、私が現場で今までずっとやってきたことそのものがテーマみたいで、非常に大きなインスパイアを受けています。

第10回の勉強会に触発されてこんなことを書いていました。

「‘場をつくる’ということ ファシリテーション&ワークショップ入門<各論>」 2009年12月12日

というトピックを、ミクシイの「開発民俗学~地域共生の技法」の中で展開しています。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48194843&comm_id=2498370 (ミクシイの会員の方しかログインできません。関心のある方はしばやんまで)

そこで、こちらの記事の続きを書きついでいます。以下本文です。

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「‘ジャム’セッション ~‘場’をつくるということ」 2009年11月8日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-12d8.html

上記のメモは、2009年10月22日に「開発ファシリテーションとフィールドワーク」の第10回勉強会に初めて出席してからずっと気になっていたことを書いたものです。

実は、その後、一般企業における「ファシリテーション」について最近の本をいろいろ読んで、最新のファシリテーション事情をつかもうとしているのですが、なんか上記の勉強会のタイトルがしっくりこない。

なぜか、と思ったら、「ファシリテーション」と「フィールドワーク」をつなぐものが「ワークショップ」なんですよね。

実は、2000年前後からしばやんの他流試合の武者修行の中で、日本のNGOの方々にいろいろ絡んだ?のですが、その中でおもしろかったのがやはりシャプラニールとかJVC(ジャパン・ボランティアセンター)、アジア女性協会やアジア太平洋資料センター(PARC)、ジェイセフなどのいわゆる老舗といわれる各NGO団体。まあ活動家の創始者クラスの人とも若いスタッフともいろいろ話しましたが、彼らの一つの活動戦略として国内会員のための宣伝と世論に訴えるアドボカシーに力を入れている点があげられます。

しばやんの武者修行の一部はこちらからご覧になれます。
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/b002.htm

いろいろな彼ら主催の勉強会やセミナーに顔を出したのですが、彼らは得てして市民参加のワークショップ自体が非常にうまいです。参加者にいろいろなゲームやグループワークをさせてその気にさせてしまうというか、いわゆる「開発教育」を施す。

この「開発教育」の分野で非常に発達していたのが「ファシリテーション」であり「ワークショップ」なのです。

そうだ、「ワークショップ」のための「ファシリテーション」なのです。

なにかミッシングリンクがあるなあとずっとこの2ヶ月気にかかっていたのですが自分の経験の中ではワークショップとファシリテーションがそもそもセットで一体として捉えていたのでした。

ところで、最近、10日ほど前に気がついたのですが、とてもショックなことがありました。
ふと本を片付けていてなにげに開いた宮本常一さんの『忘れられた日本人』岩波文庫 1984の「あとがき」に彼の「フィールドワーク」と「ワークショップ」のエッセンスが見事に書かれていました。

岩波文庫版 308ページ
「~前略~ 昭和三十年からは、主として山村の調査に力をそそいでいる。~
これについての私の方法はまず目的の村へいくと、その村を一通りまわって、どういう村であるかを見る。つぎに役場にいって倉庫の中をさがして明治以来の資料をしらべる。つぎにそれをもとにして役場の人たちから疑問の点をたしかめる。同様に森林組合や農協をたずねていってしらべる。その間に古文書のあることがわかれば、旧家をたずねて必要なものを書きうつす。一方何戸かの農家を選定して個別調査をする。~略~

古文書の疑問、役場資料の疑問などを心の中において、次には村の古老にあう。はじめはそういう疑問をなげかけるが、あとはできるだけ自由にはなしてもらう。そこでは相手が何を問題にしているかがよくわかって来る。と同時に実にいろいろなことをおしえられる。 ~略~

その間に主婦たちや若い者の仲間にあう機会をつくって、この方は多人数の座談会の形式ではなしもきき、こちらもはなすことにしている。 ~後略~」

これって、農業・地域開発を専門とする我々(開発コンサルタント)が開発途上国の現場で、特に案件の仕込みや開発調査の中でやってきたことそのものなんです。

さすが、歩く民俗学者(巨人) 恐るべし!

私も自分がフィリピンで案件形成をおこなった際には相手国政府の役人やNGO関係者をカウンターパートに地域の有力者に挨拶したり役所の出先機関などにいって資料を集めて所長レベルの人や現場レベルの役人や現地に精通したNGOスタッフを案内人に現地踏査をおこなって(フィールドワーク)、住民を集めてもらってワークショップを開催していました。通例、このような活動は必ず開発援助案件としての 落としどころを最初から考えているので全く白紙や先入観なしで現場に入ることはありません。というのも、中央レベルである程度の下調べも必要ですし、ODA案件を視野に入れれば当然中央官庁の考えを無視するわけにはいきません。

しかしながら、現地に入るとよい意味で期待を裏切られるというか中央で気がつかなかったことに気がつかされます。大体それは、想定もしなかったようなより重要な現場のニーズに気がつかされるケースが多いです。それがわかるのは、やはり自分で現場をみて、その直後に現地の人とワークショップや意見交換を行なうからなのです。

我々コンサルタントが一番頭を絞るのは、いかに文献資料、社会経済データ、自然環境データを効率よく集めかつ現地踏査を行いさらには現地の普通の住民から話を聞くのか、そのような調査工程やワークショップの設定自体をいかに調査の前半もしくは調査以前に段取りを組むかが肝であり調査の精度と社会的な価値を決める大本なのです。

なんだというか、開発コンサルティング業務に、ワークショップもファシリテーションもフィールドワークもどれもが必要不可欠なもので、既にみんなが言われるともなくそれぞれ現場で実践していることなんですね。

この無自覚の知というか、やっぱりこうした実践自体をもっと学界の人に実務者から説明?せんきゃいかんなあと改めて思いました。 そのうちにFAFIDの勉強会で発表させてもらおうと思います。
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ということで、「ワークショップ」を中心にすえて、「ワークショップ~フィールドワークとファシリテーションをつなぐもの」ということで小論をまとめてみたいと考えています。
~略~
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おまけ:

「開発民俗学」についてひとことご紹介させていただきます。私が今、一番力をいれているのがミクシイにおけるコミュニティ活動です。

私の立場と基本概念は、ミクシイのコミュの説明文にコンパクトにまとめています。

◆mixiコミュ「開発民俗学~地域共生の技法~」のご紹介 2008年3月21日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/mixi_1551.html

 ホットなトピックはこんな感じです。
 「(現状)認識論」 方法論や着眼点など(リテラシー、フィールドワークなど) <理論各論>
 「地域研究」と「開発学」 <理論各論>
 「内発的発展論」を語ろう^^? <理論各論>
 「異人論(まれびと論)=チェンジエージェント論」を語ろう! <理論各論>
 「現地調査や開発実践の現場」を語ろう^^? <フリーセッション>
 「教育と伝統芸能・技術の継承」について考えよう <理論各論>
 「海と山の民」論について <理論各論>

ソロ?ワークとして、ご参考まで。

◆「開発民俗学への途 第1部」 2000年7月15日~2007年4月29日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm
 ※最新の報告はブログでおこなっています。
 mixi 開発民俗学 「地域共生の技法」 関連
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/mixi/index.html

◆‘開発民俗学’・私論 <連続講座> 2006年12月8日より継続中。
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0001.htm
 ※ブログ版はこちら↓
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat7393568/index.html

◆開発民俗学’・開発学の101冊
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0002.htm
 ※ブログ版はこちら↓
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat7293170/index.html

ちなみに、開発援助業界についてはこちらに詳しくまとめています。

◆対談・開発コンサルタントとは? with つかささん
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/ondc000.htm

◆ぼくたちの「未来日記」 ~開発コンサルティングを想う~
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20906744/index.html

~後略~

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2009年12月17日 (木)

【歩く仲間通信】 2009年を振り返って ほのかな光が見えた年なのでは^^?

みなさま、お元気ですか。ご無沙汰しております。

しばやん@愛知です。

少し早いですが、今年を振り返って年末のご挨拶をさせていただきたいと思います。

ということで、勝手に今年の10大ニュース(公私を含む^^?)を発表させていただきます。(関連として私がブログなどで言及した小論をついで?に紹介しておきます。)

1. マイケルジャクソン謎の死 2009年6月26日朝(日本時間)
   <映画「THIS IS IT」を観る 2009年11月12日>

関連: マイケル・ジャクソン 『THIS IS IT』 全世界同時公開 2009年11月14日 
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/11/this-is-it-c986.html

2. オバマ大統領の就任とノーベル平和賞受賞(※)

関連:オバマ大統領就任演説 <アメリカ合州国に目が離せない> 2009年2月7日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/02/post-dff9.html

※ まだ文章としてまとめてませんが、若干問題があるような感じです。いずれ、調べてまとめます。

3. 転職1年目をどうにか乗り切る。(2008年10月1日に転職)

関連: 【歩く仲間通信】 転職1年目のご挨拶 2009年10月4日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-6474.html

4. 「開発民俗学」の活動の再開 (主にミクシイのコミュニティにて)

(同じくミクシイでの「海洋民俗学 海からみる世界」、「イスラーム地理書・旅行記勉強会」のコミュの立ち上げ)

5. ビートルズリマスター発売 2009年9月9日 MONO BOX とステレオ盤数枚を購入。ひさしぶりにビートルズを聴きなおす。

関連: The Beatles (ザ・ビートルズ) 『Magical Mystery Tour(マジカル・ミステリー・ツアー)』 リマスター盤 2009年9月16日 

※この記事に過去のビートルズ関係の記事へのリンクが貼ってあります。
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/09/the-beatles-mag.html

6. 「開発ファシリテーションとフィールドワーク」勉強会への参加(第10回 10/22、第12回 12/17 (予定)

関連: ‘場をつくる’ということ ファシリテーション&ワークショップ入門<各論> 2009年12月12日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-549d.html

7. サザンオールスターズ 「真夏の大感謝祭」30周年LIVE (2008/8/16、17、23、24)のDVDを観る。 (2008年12月2日に購入していたのですが、封を開いてみたのが8月末
のことでした)

8. 大阪外国語大学アラビア語会(仮称)設立総会に出席 10月31日 及び11月1日 高槻市のまちおこしイベントに参加(大学時代の恩師のお誘い)

関連: 大阪外国語大学アラビア語科のOB会の設立総会に出席してきました^^? 11月2日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/ob-86d2.html

9. 木更津うみ祭り 2009年9月26日 初めて東名高速を車で出張。初めて商品の2馬力船外機付きゴムボートに試乗する。(恥ずかしながら)

10. とりあえず 空けておきます。

まあ、それぞれを語ったら長くなってしまうのですが、上記が、今年の私の心が動いたことでしょうか。前々回の通信で書きましたが、9月、10月まで全然パワーがでませんでしたが、最近は、いろいろうまい方向に物事が回っているようです。

たぶん、その復活のきっかけの一つが、サザンのDVDだったのではと思っています。その後、9月頭にビートルズショック、そして、11月初めに恩師に会ってマイケルジャクソンの聴き方指南を受けて、「THIS IS IT」の映画を観る。そして、まだまとめていませんが、12月8日のジョンレノンの命日にあわせて、ジョンレノンのオリジナルアルバムを購入して、ジョンレノンの「イマジン」の考えなおしと、またマイケルがらみですが、1985年のUSA FOR AFRICAの「We are the World」のドキュメンタリーのDVDを買って、はたまた当時を考え直
す。

なにか、今年の後半は、音楽を通じて自分の1980年代1990年代を振り返るような感じになってしまいました。

20年前の一番多感?な大学生や高校生の時代を振り返ることによって、その当時の音楽をバックミュージック(まんまやん?)に振り返ることにより、自分の歩んできた道を振り返り、変な話ですが、自分の歩んできた道を再評価する。

結果としてつかんだことは、自分って結局、20年前から全然?変わっていないし、そのころに思った未来は確かに少しずつではありますが、現実になりつつある。

そのころの夢って、実は夢ではなくなりつつある、いや現実にできるのではないかという手ごたえを感じました。

もう10数年前かと思いますが援助業界のJという官組織のMさんから「組織が変わるには20年かかる」という話を聞きました。自分もそれを根拠?に、「まず自分のいる場所から変えていこう」ということを(開発援助業界の)若手会の集まりの中でみんなに語ってきました。

前回のマイケルジャクソン論の中で、「MAN IN THE MIRROR(鏡の中の男(=自分)」という曲に言及しましたが、この曲は1987年に発表されています。

早すぎた天才 マイケル・ジャクソンに、世界がそして時代が20年かかってようやく追いついた。結局そういうことです。この20年間は無駄であったのか?そんなことはないですよね。

昨年末、オバマ大統領が初めての黒人出身の大統領として誕生しました。

昨今話題の、エコ、地球温暖化、核の廃絶問題など実はもう20年も30年もそれ以上も、前から‘わかっている’人たちには既知の問題であったし、声をあげ続けてきた人たちが世界中にいました。その中には、無数の(多くの)殉死者も当然のことながらありました。

今年は、ジョンレノンが1980年12月8日に凶弾に倒れて丸29年になります。来年は、多分没後30周年ということで世界中で話題になると思いますので今年のうちに言っておきます。

ジョンレノンの「イマジン」は、1971年9月9日にアメリカでアルバムの一曲として発表されて、今年でもう38年にもなります。イマジンは1971年10月11日にアメリカのみでシングルカットされるも、ベトナム戦争の真っ最中だったために放送禁止。1991年の湾岸戦争、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件でも放送自粛の措置がとられています。

このイマジンのこの一節に、思えば私はずっと励まされてきました。

「You may say I'm a dreamer / but I'm not the only one」

この後の一節(※)については異論があるので、また別のところで取り上げます。
※「I hope someday you'll join us and the world will be as one」

数年前には、「冬が来る前に」(※)ということで、幾分あせって文章を書きなぐっていましたが、まだまだ人間捨てたものではない、確かに時間はかかっているものの、我々は確かに変わりつつあるということを感じています。

※「‘わたし’の平和学~冬が来る前に!」というテーマで今でも書きついでいます。
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

逆に20年経てば、世界が変わるのであれば、今やるべきことは20年後の未来のために「タネ」を蒔くことでしょう。

ところで、昨日、友人と映画「2012」を名古屋まで観に行ってきました。ネタばれになるので内容には踏み込めないのですが、当然、内容と結末に轟々たる賛否両論があるでしょうが、私が一番感じたことは、「その時にバタバタしないように身辺整理をしておかなくてはならないな」ということでした。

旺文社の創立者に赤尾好夫さんという文人がいます。『若人におくることば』旺文社文庫1965 という受験生向けに書いた教養文学(エッセイ)があるのですが、この書に、「元旦の決意(昭40・1)」という一文があります。つまり、毎年元旦に「遺書」を書くという話です。

私も来年から始めようと思います。そして、最後に、‘そのとき’が来たときに「THIS IS IT」(※)と皆に示せるような人生を送ってみたいものだと思いました。

以上が、私の今年の総括です。

長文をご覧いただきありがとうございました。

みなさまもご健康に留意されて素晴らしい新年をお迎えください。

ではでは^^?

※マイケルジャクソンの幻のコンサートのタイトルがまさに「THIS IS IT」です。CDのライナーノーツから引用させていただきます。

「~前略~ マイケルは(中略)このコンサートを発表した時の短いコメントの中で、これが彼にとっては「最後の公演になる」と宣言。「間違いなくこれが最後の公演なので、皆さんが聴きたい曲を歌います。これが最後のカーテン・コールです」と、公演のタイトル・ワードでもある「THIS IS IT」、すなわち「これっきり、これが最後だよ」という発言をしているのです。 ~後略~」 2009年9月30日 湯川れい子 

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2009年12月13日 (日)

歩く仲間サポーターズ事務局(ASA)(仮称)の設立準備について

といっても単なる私の覚えなのですが^^?

最近というか転職してから車で通勤しているのですが、ハンドルを握りながら、いろいろなことを考えています。どうも電車通勤とはなんかリズムが違うみたいで、たまに自分でもおおっというひらめきがあることがあります。

さて、歩く仲間20周年行事を考えているのですが、ふと事業母体をどうしようかと思い立ちました。いろいろなプロジェクトを同時並行で走らせているのですが、結局、なにが本体かというと、「歩く仲間 ・・・ 歩きながら考える‘世界’と‘開発’」という10年前に始めたHPのタイトル以上のベストタイトルは思いつかない。

実は、鶴見良行さんの対話集が『対話集 歩きながら考える』として2005年に出版されたときにちょっとどきっとしましたが、このタイトルは編集者が考えたものだし、べつに「歩きながら考える」という言葉自体になんの著作権があるわけでもない。

まあ、それはそれとして、「歩く仲間」と名詞止にしたのは、それなりの戦略というか意図がありました。ちょっとだけ引用させていただきます。

私的かつちょっと長い前書き(“歩く仲間”構想とは) 2000年3月18日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0000.htm

「~前略~

 最後に、なぜ“歩く仲間”としたのか。たまたま同じ方向に行く人がいれば、しばし一緒に歩いてみたらという、一期一会のつながりを大切にしたいという意図があります。逆にいえば、決して“の会”というような、閉じたものになってはならない、そんか自戒を込めての命名です。」

このスタンスというか姿勢は、基本的にぶれずにずっと踏襲してきたと思うのですが、その主旨を発展させて行動主体化するためにはどうすればよいのか。

ふと気がつきました。

「歩く仲間サポーターズ」ということで任意団体化を検討しよう。このサポーターズとは「応援団」の意味でもあるのですが、「歩く仲間」を支えるバックストップもしくはバックステージ(舞台裏)という意味があります。

つまり「歩く仲間」たちの活動のあらゆるサポートを行なう人たち(これば複数形のゆえんなのですが)の集まりや、有形無形のモノを含むベースキャンプとしての位置づけを与えようと思いました。

そして、おまけですが事務局というのも設けます。これは、まあ雑用係というか庶務雑務を含めたものであるのが基本なのですが、戦略本部という位置づけもあります。

ちょっと英語にすると、「Arukunakama Supporters Administration」 略して、「ASA」というのはいかがでしょう。

和訳すると「歩く仲間応援団事務局」なのですが、「応援団」がダサいので、サポーターズに落ち着いて標記のタイトルとなるわけです。

まあ、事業内容はこれから徐々に練っていこうと思います。

ではでは^^?

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2009年12月12日 (土)

宮本常一の「フィールドワーク」と「ワークショップ=ファシリテーション」について

<先の記事の続きです>

最近、10日ほど前に気がついたのですが、とてもショックなことがありました。

ふと本を片付けていてなにげに開いた宮本常一さんの『忘れられた日本人』岩波文庫 1984の「あとがき」に彼の「フィールドワーク」と「ワークショップ」のエッセンスが見事に書かれていました。

岩波文庫版 308ページ

「~前略~ 昭和三十年からは、主として山村の調査に力をそそいでいる。~
これについての私の方法はまず目的の村へいくと、その村を一通りまわって、どういう村であるかを見る。つぎに役場にいって倉庫の中をさがして明治以来の資料をしらべる。つぎにそれをもとにして役場の人たちから疑問の点をたしかめる。同様に森林組合や農協をたずねていってしらべる。その間に古文書のあることがわかれば、旧家をたずねて必要なものを書きうつす。一方何戸かの農家を選定して個別調査をする。~略~

古文書の疑問、役場資料の疑問などを心の中において、次には村の古老にあう。はじめはそういう疑問をなげかけるが、あとはできるだけ自由にはなしてもらう。そこでは相手が何を問題にしているかがよくわかって来る。と同時に実にいろいろなことをおしえられる。 ~略~

その間に主婦たちや若い者の仲間にあう機会をつくって、この方は多人数の座談会の形式ではなしもきき、こちらもはなすことにしている。

~後略~」

これって、農業・地域開発を専門とする我々が開発途上国の現場で、特に案件の仕込みや開発調査の中でやってきたことそのものなんです。

さすが、歩く民俗学者(巨人) 恐るべし!

私も自分がフィリピンで案件形成をおこなった際には相手国政府の役人やNGO関係者をカウンターパートに地域の有力者に挨拶したり役所の出先機関などにいって資料を集めて所長レベルの人や現場レベルの役人や現地に精通したNGOスタッフを案内人に現地踏査をおこなって(フィールドワーク)、住民を集めてもらってワークショップを開催していました。通例、このような活動は必ず開発援助案件としての 落としどころを最初から考えているので全く白紙や先入観なしで現場に入ることはありません。というのも、中央レベルである程度の下調べも必要ですし、ODA案件を視野に入れれば当然中央官庁の考えを無視するわけにはいきません。

しかしながら、現地に入るとよい意味で期待を裏切られるというか中央で気がつかなかったことに気がつかされます。大体それは、想定もしなかったようなより重要な現場のニーズに気がつかされるケースが多いです。それがわかるのは、やはり自分で現場をみて、その直後に現地の人とワークショップや意見交換を行なうからなのです。

我々コンサルタントが一番頭を絞るのは、いかに文献資料、社会経済データ、自然環境データを効率よく集めかつ現地踏査を行いさらには現地の普通の住民から話を聞くのか、そのような調査工程やワークショップの設定自体をいかに調査の前半もしくは調査以前に段取りを組むかが肝であり調査の精度と社会的な価値を決める大本なのです。

なんだというか、開発コンサルティング業務に、ワークショップもファシリテーションもフィールドワークもどれもが必要不可欠なもので、既にみんなが言われるともなくそれぞれ現場で実践していることなんですね。

この無自覚の知というか、やっぱりこうした実践自体をもっと学界の人に実務者から説明?せんきゃいかんなあと改めて思いました。

そのうちにFAFIDの勉強会で発表させてもらおうと思います。

ではでは^^?

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‘場をつくる’ということ ファシリテーション&ワークショップ入門<各論>

というトピックを、ミクシイの「開発民俗学~地域共生の技法」の中で展開しています。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48194843&comm_id=2498370 (ミクシイの会員の方しかログインできません。関心のある方はしばやんまで)

そこで、こちらの記事の続きを書きついでいます。以下本文です。

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「‘ジャム’セッション ~‘場’をつくるということ」 2009年11月8日

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-12d8.html

上記のメモは、2009年10月22日に「開発ファシリテーションとフィールドワーク」の第10回勉強会に初めて出席してからずっと気になっていたことを書いたものです。

http://mixi.jp/view_event.pl?id=47142975&comm_id=2498370

実は、その後、一般企業における「ファシリテーション」について最近の本をいろいろ読んで、最近のファシリテーション事情自体をつかもうとしているのですが、なんか上記の勉強会のタイトルがしっくりこない。

なぜか、と思ったら、「ファシリテーション」と「フィールドワーク」をつなぐものが「ワークショップ」なんですよね。

実は、2000年前後からしばやんの他流試合の武者修行の中で、日本のNGOの方々にいろいろ絡んだ?のですが、その中でおもしろかったのがやはりシャプラニールとかJVC(ジャパン・ボランティアセンター)、アジア女性協会やアジア太平洋資料センター(PARC)、ジェイセフなどのいわゆる老舗といわれる各NGO団体。まあ活動家の創始者クラスの人とも若いスタッフともいろいろ話しましたが、彼らの一つの活動戦略として国内会員のための宣伝と世論に訴えるアドボカシーに力を入れている点があげられます。

しばやんの武者修行の一部はこちらからご覧になれます。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/b002.htm

いろいろな彼ら主催の勉強会やセミナーに顔を出したのですが、彼らは得てして市民参加のワークショップ自体が非常にうまいです。参加者にいろいろなゲームやグループワークをさせてその気にさせてしまうというか、いわゆる「開発教育」を施す。

この「開発教育」の分野で非常に発達していたのが「ファシリテーション」であり「ワークショップ」なのです。

そうだ、「ワークショップ」のための「ファシリテーション」なのです。
なにかミッシングリンクがあるなあとずっとこの2ヶ月気にかかっていたのですが自分の経験の中ではワークショップとファシリテーションがそもそもセットで一体として捉えていたのでした。

この項 続く。

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2009年12月 5日 (土)

あれから10年も 「歩きながら考える」 初めの一歩

いよいよ12月となりました。師走とはよく言ったもので、なんとなくせわしくなってきましたね。本当に年?をとると一年が早くていけません。

さて、前回も書きましたが、来年の歩く仲間20周年記念に向けて、いろいろ盛り上げていきたいと思っています。

まずは、10年前の私の立ち止まりというか振り返りの記事を再掲します。最近、自分の足元というかやってきたことを振り返り掘り下げるのが結構楽しい。これは、私が年を取っただけなのかもしれませんが、幼かったり若くてもやもやとしてうまく言葉に表せなかったことが、今にして思うと、あああの時、こんなことを考えていたんだとか、本当は、こんなことがいいたかったんだということが、今になってわかることがあります。これは、また文字に残すことによって自分を客観的にみれるようになったということなのかも知れません。

言葉や文字がひとり歩きするというか・・・。ちょっと恥ずかしい気もしますが、よろしくご高覧ください。 

ではでは^^?

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(HP歩く仲間 歩きながら考えるから再掲)

始めに(今、僕たちはどこにいて、どこへ行こうとしているのか) 1999年11月21日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0001.htm

久方ぶりに、筆を取る気になった。そもそも、このような個人的な発信は、本人の内在的な欲求の発露というか、単なる個人的な気まぐれから始まることに間違いはない。

だが個人的な理由であれ、それは、やはり、この数年の、時代の移り変わりの激しさと、それに呼応する個人的な状況の変化による必然的な欲求であったような気もする。

しかしここでは個人的な理由に絞って、簡単に振り返ってみる。1992年に、大学を卒業した私は、半年ほど浪人を過ごした。それまで、高校、大学と一応第1希望というかストレートで歳を重ねてきた自分にとっては、初めて自分で自分の行く末を考える始まりとなった。

経緯は省くが、縁あって中途採用という形で、1992年9月5日付けで、ある開発コンサルタント会社に就職することとなった。今思うと、極めて幸福で奇跡的な出会いであったと思う。就職活動を振り返って、結果として一番よかったと思えることは、大学4年生の時に、あせって就職活動をしなかったことだ。

体育会系のヨット競技部に所属していた自分は、同期5名のなかで、4年生のクラブ終了後に海外留学が決まっていたり、留年して世界放浪に旅立つ予定の友人たちが、正直言ってうらやましくてたまらなかった。

大学3回の時に留学に応募できず、4年生のクラブが終わった後に、やっと受かったエジプト政府の奨学金も“湾岸戦争”などというもので、辞退という結果になった。(エジプト自体は比較的安全であったとか、実際の留学する時期には、あまり影響はなかったという話を後で聞くが、それはそれでみずから留学を断念したことにはかわりなく、後悔はしない。)

ちょうどそんなころ、いわばやけくそ的に取り組んでいたのが、大学3年生の時に新規開講となった『地球環境論』という各講師持ち回りの連続講義とそれにかかわるエクセトラである。そこに、若くて活動的な諸先生方と、「環境論友の会」なるものを共に立ち上げようと一緒にビラを作った友人との出会いがあった。

そして、専攻語に対して取り組んだのは、『アラブ・イスラーム学習ガイド』なるものの刊行である。確かに4年生としては卒論というものがあったが、11月頃まで、この個人出版の本の原稿づくりに励んでいた。いずれにせよ、そのビラ作りと本作りが、今の自分を型づくる背骨の大きな一本であることは間違いがない。

さて、その大学時代に感じたことは、「知は力なり」ということに加えて「その知とは、すべからく(万人に)開かれたものでなければならない」ということである。

大学で勉強を進めるうちに思ったのは、今思うと随分乱暴な考え方と思うが「なぜ専門家は、自分の研究のみにかまけてしまうのであろう」ということであった。まさに、「浅学を顧みず」一冊の冊子に自分の見たこと感じたこと、大学で学んだことをまとめようと思ったのは、少しでもそれを後から続く人たちに踏み台にしてほしかったからである。

長い前書きになったが、その本の中で、「あとがきにかえて(旅行の勧め)」を書いたのだが、その言葉を受けて、まさに“今”の自分が改めて筆を取ろうとしている。

つまり、自分なりに“旅”に乗り出した自分を感じるからである。就職後、8年目にして、ようやく自分自身をみつめなおす時間が持てるようになった。とにかく5年目ぐらいまでは、仕事を覚えることで精一杯だった。

大学を卒業して、就職が決まってやっと自分のパスポートをつくってヨット部の仲間といったのが、タイである。そして、スペインからイタリアへの個人旅行を経て、大学卒業2年目に、初めて“アラブ”を訪れた。

その初めてのエジプトの地は、あまりに自分の想像していたものと程遠かった。駆け足で回ったまさに典型的な観光地で“外国人”目当てによってくる“アラブ人”(エジプト人、ヌビア人といってもいいだろう)に、片言のアラビア語は全く通ぜず、「おまえのアラビア語はわからないから、英語で話せ」となんども“英語”で言われた。

3年目を過ぎることから、ようやく海外出張に出してもらえるようになったが、つい半年前まで、その出張とは必ずしも楽しいだけのものではなかった。

会社の出張で初めていったのが、アラブ首長国連邦のドバイ(ここもアラビア語圏ではあるがパキスタンなど出稼ぎ労働者が多く、アラビア語というより英語のほうをよく街で耳にした気がする)、アフリカの角にあるエリトリア、西アフリカの象牙海岸国、ブルキナ・ファソ国など、いずれもほとんどわからない現地語と中途半端な自分の英語力に泣かされた。

しかし、今年の1月から仕事として、再びエジプトに乗り込むこととなった。1月に1ヶ月、5月から3ヶ月間、9月から2週間、今年は、まさにエジプトにどっぷりつかった1年であった。ようやく、初めてエジプトにあって感じた違和感、居心地の悪さを自分なりに消化してきたといえる。

今、この仕事等を通じて現地や現場に接したことを思うと、先立つ“勉強”は必要かもしれないが、逆に“先入観”や思い込みばかり強くなって、最初のエジプトに行った時に感じたように、知識と現実のギャップの大きさに自分が振り回されてしまったようだ。(実は、大学時代に苦労して読んだ“専門書”の内容は、当時、全く何が書いてあったのかわからなかったし、記憶に残っていないように思う。)

やはり自分がちゃんとわかるようになってから、初めて触れるべきものがあるのだろう。「すべての個体は、個別に進化を繰返す」という言葉を聞いたことがあるが、まさに、すべからく誰もが身をもって経験により“知っていく”のであろう。

今の仕事の日々は、まさに“走りながら考える”日々である。

ここに、“歩きながら考える”というタイトルで再度、筆をとろうと思うのは、あの時“跳べなかった”自分へのなぐさめであり、“実際に歩きながら考えないといかん”という自戒を含めた、まさに跳ぼうと考えている人たちに対する励ましであろうと願うからである。

(この項 了)

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ということで、続きは、こちらから^^?

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