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2009年10月10日 (土)

いわゆる京大スクールについて<覚書>

最近、どうも京大スクールの地域研究グループのことが周辺で話題になるというが自分の眼の届く範囲に頻繁に登場するので、ちょっとしたメモを残したい。

以前、梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』が私の知的?生活の始まりと書いたが、今、自宅に戻って実際に読書記録の「京大カード」を手に取り直してみると、間違うことない、「1986年12月7日」が000番で、それがまさにこの書名が記載されていた。

もう22年も前のことになる。ちょうど高校2年生の冬の話。確かこれをきっかけに1年間に100冊の本(雑誌を除く)を最初から最後まで読むということを目標にしてやってきたのだが、確かに数年前まで、そのペースを保っていた。(十何年か前からパソコンで読書管理をしてきたのだが、ファイルを壊してしまったこともあって、この数年は記録をしていない。)

57冊目 1987年7月10日 読了 本多勝一 『戦場の村』 朝日文庫 1981

59冊目 1987年7月12日 読了 本多勝一 『殺される側の論理』 朝日文庫 1982

64冊目 1987年7月16日 読了 鎌田慧 『現代社会100面相』 岩波ジュニア 1987

66冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『殺す側の論理』 朝日文庫 1984

67冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』 朝日文庫 1984

68冊目 1987年7月18日 読了 本多勝一 『事実とは何か』 朝日文庫 1984

74冊目 1987年8月26日 読了 岡倉古志郎 『死の商人 [改訂版]』 1962 

ちょっと脱線したが、この記録を見返すとすごい。私の問題意識は、高校時代に既にインプットされていたようです^^?

閑話休題。

私の研究スタイルがどうも京大学派にあるらしいということで、京大の人物列伝。こんな本を読むと京大人脈の一端がうかがわれるのではないかということで、今手元にある内幕暴露的な本の書名をちょっとだけ紹介。

○藤本ますみ 『知的生産者たちの現場』 講談社文庫 1987

※梅棹忠夫氏の秘書による京大人文科学研究所の人物とその現場の空気を伝える。(未読)

○高谷好一 『地域研究から自分学へ』 京都大学学術出版会 学術選書 2006

※京大東南アジア研究センターの創設からを個人の研究史と交えて語る。(未読)

○川勝平太 『文明の海洋史観』 中公叢書 1997

※生態史観-戦後京都学派(今西学派)ということで、唯物史観と親和性の高い東大アカデミズムと対置して歴史観について述べる中である程度詳しく言及している。(未読)

○早瀬晋三 『歴史空間としての海域を歩く』 法政大学出版局 2008

※歴史研究と地域研究の架橋を試み、海域史の構築を試みる筆者のフィールドノート及び書評。京大学派への直接の言及はこの本では控えているが、彼の研究の延長上で、鶴見良行と京大東南アジア研究センターの地域研究に対する強烈な対抗意識があることは本人も明言している。(『海域イスラーム社会の歴史 ミンダナオ・エスノヒストリー』 岩波書店 2003 の「はしがき」を参照)  (未読)

どうも未読の書の紹介ばかりですみませんが、‘フィールド’を重視する地に足のついた「地域研究」と「歴史研究」も視野にいれた「開発民俗学」や「海洋民俗学」を考えるには、(戦後)京大学派は絶対に押さえておかなくてはならないことを改めて確認した次第。

ではでは^^?

蛇足ながら

20年前の学生時代は全く意識していなかったというかわかりませんでしたが、人と人のつながりは特に学問の世界では非常に重要。誰が誰と交友関係があり、どのような学問的な刺激を受けて、また与え合っているか。この人のつながりがみえてくると思考パターンが見えてくるというかおもしろい、ということにようやくこの10年ぐらいで気がつきました。

先行研究や研究者間の交流を調べて読み解くことは後進にとっては非常に重要なことだと思います。

ではでは^^?

(この項 了)

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