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2009年9月29日 (火)

ハナミズキ ~ 再掲 「2年目の9.11(ナイン・イレブン)の前に考える (自分の頭で考えるということ) 2003年9月9日」

最近、8年目のセプテンバー・イレブンについて、「Life, I Love You!」で触れることがありました。

「一青窈 『ハナミズキ』 9月に忘れてはいけないこと。 2009年8月23日」

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/09/post-6efc.html

それをきっかけに自分としても過去の記事を読み直してみました。

「わたし’の平和学~冬が来る前に!」 『ブログ版 歩く仲間』

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

その中で、懐かしい記事を発見。「歩く仲間HP」にこんな記事が埋もれていましたので、この機会に再掲しておきます。

「2年目の9.11(ナイン・イレブン)の前に考える (自分の頭で考えるということ) 2003年9月9日」 (オリジナルはこちら→ http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00020.htm

あと2日で、世界は二度目の9月11日を迎えようとしている。確かにこのアメリカでおこった同時多発テロ以降、世界は変わったという識者が大勢いる。世界中が、この何の罪もない(少なくとも個人的な恨みから殺されたわけでない)多くの人たちのために祈ったのもつかの間、その心からの自省(これはテロを引き起こした側にも、起こされた側にも、そしてその他、見守るしかなかった全ての人たちに等しく求められたことであろう)と祈りからほど遠く、アフガニスタンへの戦争、そしてイラク戦争と、力と力の応酬への突っ走ってしまった。イラク戦争が‘片付けば’達成できると、アメリカがおろかも夢想した「中東和平のためのロードマップ」に関しても、もうすでに暗礁に乗り上げようとしている。

 

 もうなるようになるしかないさ。とことんまで(いきつくところまで)いけばいい。(そして選ばれたものだけが残ればよい。)

 

 キリスト教の思想に「千年王国」というものがある。仏教にも彼岸のかなたに極楽浄土があるという考え方がある。最近、オウム真理教の活躍?によって、20世紀末に世界中を震撼させた「ハルマゲドン」という考え方も、衆目に新しい。

いずれもかなり宗教的な概念で、私は宗教的にきっちりと押さえているわけではないこと、および本文は、特定の宗教(の一部の考え方)や宗教自体を否定するものではないことは、最初にはっきりと断っておく。

 

 しかしである。これらの考え方は確かに今の世界では特に誘惑にみちていて、つらいときほどすがりたくなるいわば蜜の味をもっている。これらの考え方を、否定できるほど、私自身つよいものではないことは事実であるし、そのような人間を否定することは決してできない。

 

でも「今がつらくても未来や死後の世界には天国がある」という考え方は、そう、自爆テロを繰り返すアメリカのいう「テロリスト」と全く根本では同じ考え方ではないか。結局、「自分」のことしか考えない(考えられない)ものの言い草なのではないかと思う。

自分だけ生き延びたいと考えるものも、自分の死によって「世の中」を変えたいと願って死ぬものも、根本では同じことを考えている。これは、非常に矛盾というか不思議な論理だと思いませんか。

 

私はあえて問いたい。本当の人々の闘いは、今この場所からそれぞれの立っている足元から始まるべきことを。確かに「山のあなたに 幸いを求め」たい気持ちはわかる。そんなに素晴らしい世界が、仮にあるのなら、誰もが行きたいであろう。むのたけじ氏は、『詞集たいまつ』の50に、このように言っている。

 

「遠い空も近くの空も、一つの尾根だ。山のかなたの空にあるものは、山のこなたの空にあるものである。山のこなたにないものは、山のかなたにもない。」

 

 いま考えなくてはならないことは、決してあきらめないこと、絶望にかられたとしても投げ出さないこと、「山のかなたの世界」に幸せを求めないこと。あなたが死を選べば、あなたにとっての世界は終わり、もしかしたら「あなた」自身は、天国にいけるのかもしれない。しかし、残された人たちにとっても、この地球はかけがえのないもので、あなたの自分の勝手で、「こなたの世界」に住んでいるものたちを傷つけることは、やはり許されないことなのではないか。

 

以下、非常に長くなるが、最近何度目かに読み返して、気がついた宮本常一氏の文章を引用したい。(『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993、146頁を参照)

 

終戦直後の昭和21年に渋沢敬三氏を東京に尋ねた折の時のこと。

 

「ちょうど役所(先生は当時大蔵大臣であった)から帰ってきた先生は「幣原さん(当時首相)は大変なことを考えておられる。これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられる」と昂奮気味に話された。

「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」と言われた。」

 

この文章に引き続き、宮本氏自身のこの課題に対する決意が述べられるのであるが、このあとについては、ぜひ直接、読んでいただくことをお勧めする。

 

私も、エチオピアとの30余年の独立戦争を経て1993年に独立したエリトリアや、2002年5月20日に独立したばかりの東チモールなどにも仕事でいく機会があったのだが、これらの内戦が続いた国ばかりでなく、たとえばアジアの比較的平和なタイなども含めて、どの国にいっても、軍隊と警察権力のないところはないことを肌で感じていると思う。アメリカの留学生誤殺事件の際に、日本でも武器を日常的に市民がもっていることに対して大きな議論が沸き起こったこともしているが、世界の常識からしてみれば、やはり、軍隊や武器などの目にみえる力を持たない「国家」はありえないと思う。(よく誤解されているのだが、永世中立国のスイスでさて、自国の軍隊をもっているのである。)

 

そんな中で、第2次世界大戦後、63年間も非戦を貫いてきた日本は、やはりそれなりに評価されてよいのではないか。確かに、日本の自衛隊は、統計的にも、世界第3位の軍事力である。確かにアメリカの軍事力の傘の下で平和を享受してきたのも事実であるし、自衛隊という目にみえる「軍隊」が存在していることが、今まで日本に対する軍事的圧力を退けてきた事実については、決して否定できない。

 

最近、イラク立法に見られるように、自衛隊自体の役割も大きくかわりつつあり、また憲法改正の声も大きくなってきた。確かに今は昔ではなく、世界中が大きく変わってしまったのも事実である。しかし、わずか60年前には、日本も敗戦国であり途上国であったこと、その焼け跡から驚異的に復興して「高度成長」したという事実と、その出発点として、上記の渋沢氏がおっしゃったことを、多分、日本人の誰もが自分の問題として考えていたという事実を決して忘れてはならないと思う。

 

逆に今の時代だからこそ、たとえつたない経験であっても、借り物の言説ではなく、もう一度、自分の頭で考えることが求められていると思う。

 

以 上

 

より深く理解するために)

 

○ 宮本常一 『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993

 本文を参照。

 

○ 文部省教科書 『あたらしい憲法のはなし』 

 豆腐屋さんが復刻した本ということで、当時話題になった終戦直後の憲法読本(教科書)。私は、今でもこの日本国憲法の第9条を解説した部分を読むと、その崇高な理念とそれを学童に教え説こうとした執筆者の熱意に目頭が熱くなってくる。たぶん、本文で触れた渋沢敬三氏の言葉にあるようなことを、まさにみんなで考えようとしていた時代を感じることができる。近年、童話社から廉価版が出版されるようになったことは、大変喜ばしいことだと思う。

 

○ むのたけじ 『詞集 たいまつ』 評論社 1997

 むの氏の詞は、金八先生の言葉として脚本家の小山内美江子氏がTV劇中で取り上げたことから、結構なにげに知られているかもしれない。私は、武田鉄矢氏の『言葉をもらいに・・・ 人を旅する』三笠書房知的生き方文庫 1986での、武田氏とむの氏の対談で、この詞集の存在を知った。なお、新書版の『詞集・たいまつ I~IV』評論社もある。

 

○ グレース・ハルセル/越智道雄訳 『核戦争を待望する人びと 聖書根本教義派潜入記』

 朝日新聞社 朝日選書

 少し古い本で、絶版かもしれないが、大きな本屋や古本では手に入ると思う。多分、15年ぐらい前に出版された頃に読んだと思うが、非常に空恐ろしい内容であった。つまり「千年王国を実現するために、(みずから)ハルマゲドンを引き起こそう」という人たちの本である。オウムの事件があったときに、真っ先に、この本のことを思い出した。日本でも世界でも20世紀末から今日にかけて終末思想が、ちまたでも盛んに語られるようになったが、私はその不安心理自体が事件を引き起こしているようにしか思えない。

 

○ 岡倉古志郎 『死の商人』 新日本出版社

 この『死の商人』は当初、岩波新書で出版された。確か(新版)を中学生時代(かれこれ20年前になりますか)に読んで、大変に衝撃を受けた経験がある。今、手元になくて、この9・11以来、大変気になって古本を探していた。たまたまこの文を書くために目録を探したら新書版で復刻されたことを知って、なにか私としてもラッキーである。

 

○ ドキュメンタリー映画『チョムスキー9.11 Power and Terror』 監督:ジャン・ユンカーマン、音楽:忌野清志郎 企画・製作:株式会社シグロ、発売:日本ヘラルド映画㈱、販売:パイオニアLDC㈱ 2002

 

○ 監修 鶴見俊輔 『Noam Chomsky ノーム・チョムスキー アメリカこそ世界最悪のテロ国家だ』 リトル・モア 2002

 チョムスキーは生成文法を唱えた言語学者として有名であったが、ベトナム反戦から始まる戦う知識人としての側面を、2002年の7月頃、出張先の東チモールでたまたま知り合ったアメリカに留学していた友人から知った。日本に帰ってみると、9月には、上記の映画が公開されるという。映画館には結局いけなかったが、DVDとビデオが発売されているのを知って早速手に入れた。

“誰だってテロをやめさせたいと思っている。簡単なことです。参加するのをやめればいい。”

以前は東京の大きな書店では平積みされていたが、地方ではどうであろうか。手に入れにくいかも知れないが、ぜひチョムスキーのアメリカでの講演会の記録を映像で体感してほしい。

 

○ 現代思想編 『総特集イラク戦争 中東研究者が鳴らす警鐘』 「現代思想」4月臨時増刊 2003 vol.31-5 青土社 2003

 2003年3月20日のイラク戦争の会戦直後に緊急出版された日本の一線で活躍する研究者28名による専門論考集。片倉もとこ先生の「「ひらの人」のネットワーク 文化人類学の視角から」という論文を立ち読みして、とりあえず4月頃には手に入れていたが、まだ私自身読みきっていない。非常に密度が濃くて、各論文とも熟読にあたいすると思うが、惜しむらくは専門哲学雑誌なので、どれほど「普通」の人の目にとまるかである。地理書勉強会でも、この本を紹介したのだが、その席で、「いっそのこと、別冊宝島みたいなムックにしたほうが売れるんじゃない」という話題になった。これは、真摯な編集者の方や実際に執筆された先生方を茶化すつもりは全くないのだが、わたしは、「知識人」である学者と「ひらの人」との乖離の一端をみたような気もした。これは決して、非難するつもりは全くない。多くの執筆された先生方の多くは、私自身、以前より直接個人的にもお知り申し上げており、お会いする機会にはいろいろお話もする間柄であることも、念のため申し添えておく。

 

○ CNN ENGLISH EXPRESS編 『永久保存版 イラク戦争スペシャル』 「CNN ENGILISH EXPRESS」2003年6月号増刊 朝日出版社 2003

 イラク戦争直後に出版されたCNNライブCD[53min.]付の雑誌特集である。ご丁寧にも、「湾岸戦争」と「9.11」のニュース記事についても、イラク戦争と同列に扱っている。(逆にいえば、いかにこれらの‘事件’が恣意的かつ一体のものかがわかる。)

英語学習教材とはいえ、ニュース記事とCDによるオリジナル音声の特集は、結構ありそうでなく、後になれば貴重な現代史の資料となろう。時事的な雑誌なので、あえてここで取り上げることにした。

以 上

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