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2009年1月

2009年1月29日 (木)

「天才」とその時代性について <天才論 その2>

天才論の続きです。

3. 天才の大衆性と普遍性

その1では、天才そのものについて考察しましたが、天才を取り巻く外部環境についてもふれておく必要があります。

今までのおさらいでは、「天才性」とか「天才的」なひらめきは全ての人が持ちうる。ただし、それを客観的な外部の人が認めるかたちやモノにすることが非常に困難である。しかし、それを成し遂げて「天才」と目されている人たちは、例外なく本人の「天才性」に自信を持っており、天賦の才(タレント)に加えて、他人との競争ではなく「自分自身の限界というか可能性を極めるべく、日々、努力していることを述べました。

ところで、そもそも論に戻りますが、誰が「天才」を認定するのでしょうか。それは間違いなく、同時代もしくは後の時代の普通の人たちです。繰り返しになりますが、‘未来’の「天才」をわれわれは知ることも想像することもできません。

ここで、「早すぎた天才」などという言葉を思い出していただきたいのですが、つまり同時代であれ、過去の「天才」であれ、他人が、もっと平たくいえば、われわれ自身が、‘誰か’を「天才」と認定しなければ、客観的に「天才」とは認められない。

もっと厳密にいうと「世間」が認めないと、どれほど能力があり才能があり「天才的」なひらめきをもっている人でも「天才」とはみなされないのです。

唐突ですが、よくマーケッティング論でいわれているのが、「時代の半歩先を歩く」というトレンドに関する理論?があります。

つまり「時代」に早すぎていては、われわれ一般大衆といいましょうか「世間」は反応できないし、トレンドを創りだすことはできないのです。

これはトレンドのみに限らず、「天才」論についても同じことがいえましょう。「天才」は時代に、‘半歩’というか‘一歩’先んじた存在でなくてはなりません。

時代の‘半歩’なら、まだわれわれの想定内であれ、ちょっと目利きの人なら十分わかる範囲の突出性です。まあトレンドメーカーというか凡人に少し毛が生えた程度と考えてもいい。しかし、「天才」と目されるには、もう少し突出している、時代の先を行っていなければなりません。しかし、‘一歩’というのがミソです。

現実には、天才は2,3歩先を行っている、もしくは本当には100歩先をいっているのかもしれませんが、一般大衆が理解できるのは、せめて‘一歩’とか2、3歩先のみであるといってよいと思います。

なにが結局いいたいかといいますと、「天才」とはその彼の生きている「時代」もしくは、その「大衆」に理解できることやモノを成し遂げた人であるともいえるのです。

そうそう、‘高い再現性’をもってというのも「天才」の条件にいれておきましょう。これは「天才性」の「ひらめき」を持続して、常にどんなときにでも客観的にみえる‘モノ’にまで昇華するというところで述べたことと重なりますが、「天才」は、当時の世界の、一歩先、2歩、3歩先のことやモノを、なんども「大衆」が納得するまでみせつける必要性があるのです。

とりあえず、「天才」の「大衆」との絡みといいましょうか接点について、つまりは「時代性」に触れた上で、さらに「天才」の「普遍性」について述べたいと思います。

まずは、「コロンブスの卵」について。

特にスポーツ界では、常に記録は破られる運命にあり、逆にそのためにスポーツがあるともいえましょう。団体戦はともかく、個人戦では、水泳でもマラソンでもスケートでもなんでも新しい技や時間を競う競技では、タイムにおける新記録の樹立が目的であり、「天才」たちがしのぎを削るところです。

ところで、常のことですが新しい記録がだされた場合、それ以前のレコードホルダーの価値は全くなくなってしまうのでしょうか。タイムトライアルでは、そう考えられがちですが、実は走ることひとつにおいても革新的なタイムが現れるには、なんらかのそれまでとは違った技術なりの「ひらめき」があり、それを型もしくは今までの言葉でいうと‘モノ’に定着させた人が必ずいます。

フィギアースケートや体操競技を思い出していただくとわかるように、常に「技」という‘モノ’は進歩しており、あらたな型や‘モノ’が常に模索されています。昔は「超ウルトラC」であった技が、今では、誰でもこなせる難易度の低い技になってしまったということは誰でも簡単に思い当たるでしょう。

しかも昔は、10年くらい新しい‘モノ’の賞味期限?があったのですが、今では日進月歩というか日時の単位で新しい‘モノ’はライバル達に研究され、普通の‘モノ’化されています。

これは将棋界などスポーツ以外の競技の世界でも全く同じで、羽生さんを始め、どの棋士も時代の流れの速さを実感を込めて語っています。

しかし、ここで忘れてはいけないのが、「最初の一歩」を踏み出した人の人間世界への貢献です。新しい記録や技術が生まれたからといって、過去の「天才」の相対的な位置がかわるにせよ、その「天才性」についての価値がなくなるわけではありません。

もうひとつ付け加えると、「天才性」の再評価は、常にありえます。でも、その話はおいておいて、「普遍性」について話を戻すと、過去の「天才」と目される人たちは、その記録や発見、業績自体が一般的なものとなってしまっても、記録が破られたとしても、初めてその域に達した「先駆者」としての‘価値’や、その‘先見性’や‘生き様’において時代を越えて共感や感動を与える、いわば「普遍性」といったものをもっていますし、その突出性の輝きは失われることがありません。

つまり単純な成績(記録)や業績だけが「天才」を決める要素ではないということでもあります。

ここでは、「天才」のもつ「普遍性」について、舌足らずながらも触れてみました。

4. 天才とその時代性について

さて、前項で「天才」のもつ「普遍性」について触れてみましたが、ここでいう「普遍」とは厳密な意味での「普遍」ではありません。「普遍性」という言葉をあえて使っている意味がわかりますでしょうか。

結論からいいますと、「普遍」とは実は未来永劫に存在しません。わかりやすくいうと、‘絶対’「普遍」の‘モノ’はないということです。「普遍性」とは「普遍」につながるであろう(可能)‘性’という意味で私は使っています。つまり、その「天才」がモノをなした時代において、かなりの「普遍性」を有したし、その時代の文脈からいって、未来の人たちも、「天才」の成したモノの「普遍性」を感じる確度が高いということを前段ではいっているのです。

このように「普遍」な‘モノ’がないということを前提にすると、何に照らし合わせて「天才」の「普遍」(性)を評価するのか。これは結局、彼なり彼女の生きた時代と地域に照らし合わせて判断するしかありません。

結論的なことをいってしまいますと、結局

「天才とは、所詮、‘時代’の子供なのです。」

次項(その3)では、この「時代性」について、考察をさらに進めます。

とりあえずこの項は了ということで。

ではでは^^?

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2009年1月28日 (水)

いわゆる「天才(主義)」について <頭の整理>

ミクシイというSNSのとあるコミュニティで、トビ主(トピックを立てた人)とコミュニティのメンバーの方々と延々と、とある議題で盛り上がっているのを斜め横からみつつ、どうも自分自身も頭がこんがらがってしまいそうなので、あえて私自身のブログで私の考えの整理をしたいと思います。

ちなみに、元のトピックでのトビ主と参加者のやり取りに触発されたとはいえ、あくまで以下の論考での理解と分析は私にございますので、コメントは私までお願いいたします。

元のトピックを読まなくても文章として理解できるように論述するつもりですが、論理に飛躍がございましたらごめんなさい^^?

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1: 問題の所在: そもそも「天才」とはなにか?

元のトピックでは、トビ主が「天才」の定義なしに、議論を進めていますが、私は議論を進めるために、まず自分の理解する「天才」を定義しようと思います。

「天才」とは、文字からすれば「天賦の才能を持った人」。英語では「タレント」ともいわれますが、一般的な意味合いでは、これまで生きてきた実在の突出した人物をさしていることが多いと思います。まず定義としては、「今まで生きてきた」ここがポイントです。未来の来るべき「天才」は、今、現在の時点では定義も想定もできません。

では、今まで生きてきた実在の天才はと具体的にいうと、たとえば私の身近に感じる(考えるではない)ところは、スポーツ界では、野球選手の「イチロー」、将棋界では、「羽生善治」、フィギュアスケート女子の「浅田真央ちゃん」、マンガ界では「手塚治虫」でしょうか。芸術界でもいろいろありそうだし、さらに研究者という括りでは、さらに多くの「天才的」な人々が上げられるでしょう。

ここで、私は「天才的」という言葉をあえて使ったことに気がつきましたでしょうか。

私の問題提起は、果たして生まれてから死ぬまで一生「天才であった」人は実はいないのではないかということです。

勝負師やスポーツ選手など芸術や技術を‘みせる’人たちは、「天才」としてわかりやすいのでまず例に取り上げたいのですが、たとえばイチローは「4割以上」の打者でしょうか。棋士の羽生さんは、百戦練磨なのでしょうか。羽生さんでも今までの対戦成績は、7割にちかい6割で、それぞれの分野での一人者とも「天才」といわれる人でも100%の「天才ぶり」(=あえていうと)を発揮することはできないし、実際にそれは今の時点で不可能であるといえます。

つまり何がいいたいかというと、「天才」と呼ばれる人たちでも「100%完璧はない」。しかし、では何が凡人と違うかというと、「天才的な」瞬間を多くもっていたり、「天才的な」瞬間を長く再現できる、自分の意思で「天才的な」瞬間をコントロールできるという面で、人から大きなアドバンテージを得ている=それが勝負強さや成果(結果)につながっているといえると思います。

逆にいうと、誰にでも「天才的な」瞬間はあるのです。あってもその頻度が低いか、本当に神がかりというか自分ではコントロールできない「ひらめき」。

「天才性」というのは、そんな「天才的」な「ひらめき」をいうのだと私は定義したい。

つまり、誰もが「天才性」をもっている、「天才的」な「ひらめき」は、人生の中で何度か味わうことができることを、まず最初に述べさせていただきます。

2. では「天才」と呼ばれる人たちは、凡人とどう違うのか。

上記の「天才性」や「天才的」なものと、実際に「天才」とみなされる人たちとの具体的な関連は、また凡人との違いは一体何なのでしょうか。

これは、上記のイチローや羽生さん、真央ちゃんをみていただくとすぐにわかると思いますが、彼らは、突出した「天才的な」技術やひらめきをもっているだけではなく、その業界の中で、人一番努力し続けているということがいえると思います。

そうだ、柔道の「柔ちゃん」こと田村(谷)亮子選手を忘れていました。彼女が確かアテネオリンピックの前のインタヴューで語った言葉は、「世界一の練習をしたから負けるわけがない」。

つまり天才的な資質に加えて日々の努力をしていること、これが天才のひとつの典型であり条件の一つなのでしょう。

また浅田真央ちゃんがいっている「自分のベストをだしきる。最高の演技をする」という言葉にも、天才の秘密のひとつが隠れされています。

つまり、天才(的)な人は、たとえ百万とライバルがいようとも、自分を高めることに精一杯で、人を引きずり落とそうとか、人の足を引っ張ったりとか、ましてやライバルの失敗を祈ったりとか、そんなことは、‘全く’考えません。

自分のベストを出し切ることが‘全て’であると信じきっているのです。

別の言い方をすれば、「天才」は「自己責任を常に意識している」、自分を信じている(自信を持っている)ともいうことができましょう。

結局、ありきたりの答えになってしまいますが、天才とは、

「自分の能力を信じて、‘天才的なひらめき’を大切に、その才能や‘ひらめき’を磨き続ける、追究し続けるための日々の努力を怠らない人」ということもできましょう。

でも、こうして考えると、結局、「天才」も所詮は人間だなあと思いませんか。

‘天才的なひらめき’が、何であるのかは当然人によって違うのでしょうが、自分が「天才的だ」と思える自分の‘何か’を信じてそれを大切に磨いていく、そうすることが、それぞれの人生における「天才的」なものをなんらかの具体的なモノに変えていくことができるのです。

これは、あなたにも私にもできることです。そう自覚して自分を信じることさえできれば。

3. 客観的な「天才」とは。

「天才的」な「ひらめき」の大切さについては、前項で理解いただけたと思いますが、では本当の?いわゆる客観的にいわれる「天才」とは?

それは、「天才的な」ひらめきを他人から客観的に「具体的な見える‘モノ’」にまで昇華した人だけが、客観的な「天才」を名乗ることもできるし、人からそう称されるのです。

つまり、‘かたち’として具体的に実体をもった「天才性」を明示することができなければ、少なくとも他人からは「天才」として認められることはありません。

「自称天才」そんなものに全く価値がないことは、自称する‘本人’が一番わかっていることなのであえて繰り返しませんし、前述の「天才」を‘名乗る’人が本当にいるのか、私は疑問です。

何がいいたいかというと、「天才」は他人が評価することであって、自分で名乗るものでもことでもないのです。あと、真央ちゃんみたいに、自分の‘天才性’を案外自覚していない人(天才)がいるのかもしれない^^?

ただ、凡人のせめてもの慰めとして、「天才的な」瞬間が誰にでもあることは、互いに認めてもよいと思います。

自分を「天才」とはいわないまでも、「あれ、今の俺って‘天才的’じゃん」と自覚することは大いにありなのです。

ちょっと脱線しましたが、本論に戻ると、「天才」とは他人に認められるものであるし、認められるだけの‘何か’をモノにした人、時系列でいうと、誰にでもある‘天才的’な‘ひらめき’を、「誰でもみることができるモノ」にしてしまうことが、その人が「天才」たる最低条件なのです。

とりあえず、私が「天才」とは、と仮に問われたときに、上記のような理由と背景で‘定義づけ’するであろうことをここに表明いたします。

ところで、ある「天才」の「天才的」な部分と、そうではない部分が、当然のことながら同じ人間に同居することも申し添えておきますね。

「天才」だからって、「天才性」を発揮している部分に限らず、人として生きていくことに最低限必要なマナーなりルールを守らなければならないこともまたいわずもがななことです。

「天才」は何をやってもいいのか、自分の「天才性」を発揮できる分野でもわがままな好き勝手なことをしていいのか。当然、そんなわけはありません。

自称天才にありがちな話かと思いますが、そんなバカな話はありませんので、くれぐれも注意しましょう。自分の「天才性」を自分で褒めてあげてもいいです。そこまでは認めますが、それを盾に社会に楯突くというか反逆することはできません。常識で考えても。

そもそもいわずもがなの蛇足ではありますがあえて述べさせていただきました。

ではでは^^?

(天才論 1部 この項 了)

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2009年1月22日 (木)

イスラエルで反戦デモ <転載記事>

ミクシイの友人から日記の転載の許可をいただきましたので、以下、転載させていただきます。

陽ちゃんママさんの日記より。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1055976479&owner_id=6360679&comment_count=5

このトピックは、「ガザのこどもたちさらーむ」の記事の続報と捉えていただいて結構です。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-6cf2.html

ではでは^^?

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イスラエルで反戦デモ   2009年01月18日23:02
派遣村とガザ侵攻であけた2009年。
↓↓知らなかった。ので思わずコピーしました。

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イスラエル首都でも市民が反戦に立ち上がる
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イスラエルのガザ侵攻に対して、3日(土)、イスラエル国内でも
大規模な抗議デモがありました。

テルアビブのデモでは、イスラエル全土から駆けつけた人々、
約1万人(!)が参加。イスラエルの人口は 700万弱、日本で
いえば 18万人(!!)が参加した勘定になります。

イスラエルの平和人権団体グシュ・シャローム(シオニスト左派)
が主導して、その他 23団体の呼びかけで実施されました。

同日、パレスチナ系人口の多い北部のサクニーンでもパレスチナ
系市民主体のデモがあり、こちらは 10万人が参加しています。
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3649584,00.html

しかし、日本のマスメディアでは黙殺されているのではない
でしょうか? 紹介しているのは、オルターナティヴのメディア、
個人ブログだけです。

マスメディアも共犯して、あからさまな情報操作が行われている
ことを、如実に表わす一例です。

以下、グシュ・シャロームのウェブページより、同デモの記事の
邦訳です。
〔邦訳: 岡真理/TUP; 凡例: (原注) [訳注]〕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2009年1月3日 (土)
テルアビブで大規模反戦デモ

エフド・バラク[イスラエル国防大臣]がガザに対する残虐な地上
攻撃を軍に命令していたその頃、テルアビブでは、イスラエル
全土から駆けつけた、戦争に反対するおよそ一万人の人々が、
一大デモ行進を行った。テルアビブの幹線道路のひとつである
イブン・グヴィロル通りの 4車線すべてデモの人々で埋め尽く
された。参加者は、ラビン広場からシネマテックまで2キロの
道のりをずっと歌を歌い、旗を振りながら行進した。

「選挙戦は子どもたちの死体の上でするものじゃない!」参加者
はヘブライ語で韻を踏みながら叫ぶ。「孤児や未亡人は選挙宣伝
の道具じゃない!」「オルメルト、リヴニ、バラク! 戦争は
ゲームじゃない!」「全閣僚が戦争犯罪者だ!」「バラク、バラク、
心配するな――ハーグ[国際刑事裁判所]で会おう!」「もうたく
さんだ――ハマースと話し合え!」

プラカードの文句も似たようなものだった。バラクの選挙スロー
ガンをもじったものもあった。たとえば「バラクに愛想がないの
は、殺人者ゆえ!」(バラクのスローガンの原文は「バラクに愛想
がないのは、指導者ゆえ!」)。こんなのもある「2009年『選挙』
戦争に反対!」「6議席戦争!」。これは、戦争初日の世論調査で、
バラク率いる労働党が 6議席獲得の見込みと出たことに当てつけ
ている。

このデモ実施の前には、警察との衝突があった。警察は、右翼の
暴徒がデモ隊を攻撃するのを抑えることができないからと言って、
デモを禁じるか、少なくとも制限しようとしたのだった。なかで
も、警察はデモの組織者たちに、参加者がパレスチナの旗を掲げ
るのを禁じるよう求めてきた。組織者たちは高等裁判所に請願し、
結果、裁判所は、パレスチナの旗を合法と判断し、警察にデモ隊
を暴徒から守るよう命じた。

デモの実施は、グシュ・シャロームと、平和のための女性連合、
壁に反対するアナーキスト、ハダシュ、オルターナティヴ情報
センター、ニュー・プロファイルなど 21の平和団体が決定した。
メレツとピース・ナウは公式には参加していないが、同団体の
多くのメンバーがデモにやってきた。[イスラエル]北部からは
約1000人のアラブ系市民が 20台のバスを連ねて到着した。
サクニーンで行われたアラブ系国民主体の一大デモを終えて
すぐその足で来たものだ。

組織者たちにとっても、これだけの数の参加者があったことは
驚きだった。「第二次レバノン戦争開始の 1週間後、私たちが
反戦デモの動員に成功したのは 1000人だけだった。今日、1万人
の人々が参加したという事実は、戦争への反対が今回ははるかに
強いことの証だ。もしバラクが自分の計画を続けるなら、世論は
数日で全面的に戦争反対に転じるかもしれない。」

グシュ・シャロームの巨大な旗にはヘブライ語とアラビア語と
英語で次のように書かれていた「殺すのを止めろ! 封鎖を止めろ!
占領を止めろ!」。これらデモのスローガンは、封鎖の解除と
即時停戦を求めるものだ。

この抗議行動の日、極右は力ずくでデモを粉砕するために動員を
かけた。警察は暴動の阻止に極力、努め、ラビン広場からシネマ
テック広場までの 1マイルの行進は比較的平穏に運んだ。しかし、
参加者が警察との合意に基づき解散し始めたとき、右翼の一大
群集が彼らを攻撃し始めたのだった。警察は、それまでは両陣営
を近づけさせないようにしていたのだが、その場から姿を消した。
暴徒はこのあと、デモ隊の最後尾の参加者たちを取り囲み、嫌が
らせをし、小突き回した挙句、デモ参加者たちの最後の何人かが
シネマテックの建物に逃げ込むと、建物を包囲した。暴徒は建物
の内部に押し入ろうとし、 デモ参加者を「片付けてやる」と
脅したが、ぎりぎりになって何人かの警官が到着し、入り口を
守った。暴徒たちは長いこと、その場を立ち去らなかった。

このような状況のため、行進の最後に予定されていた市民集会を
開くことは不可能となった。スピーチもなされなかった。以下は、
グシュ・シャロームを代表してウリ・アヴネリがするはずだった
スピーチの英訳である。


私たちは
裏切り者だといわれる。
私たちは
イスラエルを破壊する者だといわれる。
私たちは
犯罪者だといわれる。

しかし私たちは言い返そう、
犯罪者とは
この犯罪的で無益な戦争を
始めた者たちだと!

無益な戦争、
なぜなら政府が
150万の
ガザ住民に対する
封鎖をやめさえすれば
カッサーム・ロケットを止めることは
できたのだから。

犯罪的な戦争、
なぜなら、なによりもまず、
これは公然にして恥知らずにも
エフド・バラクとツィピ・リヴニの
選挙戦の一部だから。

エフド・バラクを告発する。
国会の議席数をふやすために
イスラエル国防軍の兵士を利用したかどで。

ツィピ・リヴニを告発する。
自分が首相に
なるために
殺し合いを奨励したかどで。

エフド・オルメルトを告発する。
悲惨な戦争を利用して
腐敗と汚職とを
糊塗しようとしたかどで。

ここにいる
勇気と分別ある聴衆を代表して
この演台から
私は彼らに要求する。
今すぐ戦争をやめよ!
無益に私たちの兵士そして市民の
血を流すのをやめよ!
ガザの住民の
血を流すのをやめよ!

地上部隊の侵攻によって
もたらされるは
さらなる惨事、
大虐殺の応酬、
そしてなにより
おぞましい戦争犯罪!

この戦争の後
どの将軍も
戦争犯罪のかどで
逮捕される恐怖を抱かず
欧州の地に
足を踏み入れることはできまい。
他に方法はないと
私たちは言い聞かせられている。
それは違う!!!
今でさえ、そう、まさにこの瞬間にも、
停戦は可能なのだ。
わたしたちが殺人的な封鎖を
解除することに同意するならば、
わたしたちがガザの人々が尊厳をもって
生きることを認めるならば、
わたしたちがハマースと対話するならば。

南部の人々、
スデロット、
アシュドッド、 ビールシェバの人々よ、
聞いてほしい。
私たちとてあなたがたの苦しみは分かる ――
ともに住んでいるわけではなくても、
よく分かっている。
でもこの戦争が
あなたがたの状況を変えはしないということもまた
私たちは知っている。
政治家連中はあなたがたを食いものにしている。
政治家連中はあなたがたに乗じて
戦争を行なっている。
あなたがたも分かっているでしょう!

オルメルト、バラク、リヴニに
要求する。
兵士をガザに送るな!
お前たち 3人とも、戦争犯罪人として告発されるだろう!
お前たち 3人とも、この代償を払うことになるだろう!

今、お前たちに敬礼している
イスラエルの大衆は
明日はお前たちを罰するだろう。
それが第二次レバノン戦争で
起こったこと。
それが今度もまた
起こるだろう!

そしてここに立っているみなさん、
老いも若きも
男も女も
ユダヤ人もアラブ人も、
この身の毛のよだつ戦争に
最初の日から、
最初の瞬間から、
孤立し毒づかれながらも、
抗議の声をあげたみなさん ――
みなさんこそが真の英雄です!

誇りに思ってください、
心から。
みなさんはヒステリーと無知の嵐の只中にいて
吹き飛ばされることもなく
しっかと立っているのだから!
家庭のなかだけでなく、
ここ街頭においても、
皆さんは正気を保っています!

世界中の何百万の人々がみなさんを見ていて、
敬意を表しています。
みなさん一人ひとりに。

一人の人間として、
一人のイスラエル人として、
一人の平和を求める者として、
わたしは今日
ここにいることを誇りに思います。


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原文: "MASSIVE DEMONSTRATION AGAINST THE WAR" (Saturday 03/01/09)
平和人権団体 Gush Shalom のウェブページ上の英文声明
URI: http://zope.gush-shalom.org/home/en/events/1231029668
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2009年1月20日 (火)

愛知県でオフ会を企画しています。できれば2月8日に^^?

ミクシイというSNSで「開発民俗学 地域共生の技法」というコミュをやっているのですが、初回のオフ会を2月に設定したいと思います。

突然の申し出ですみませんが、できましたら、2月8日(日)に愛知県の岡崎の近辺、名古屋もしくは豊橋で。詳しい情報は、コミュのトピックで流しますので、ご関心のある方は、以下にアクセスを。 もちろんミクシイのメンバー以外の方の参加も大歓迎です。
生しばやんに会いたい方?はぜひご連絡ください。
(フィリピンで、「しばやんだ~」と全く見知らぬ人にいわれた日にゃー・・・。結構、個人的には感慨深いものがありました。正直言って。あと、私のHPとブログを全部読みましたという方もいらっしゃいました。A4でプリントアウトすると300枚以上はあるのではないでしょうか。かなりの分量があるはずなのに。自分ですら全部の記事を覚えていません^^?)
ともあれ、ミクシイに入っている方は、こちらもチェックしてください。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=38962034&comment_count=1&comm_id=2498370


一部抜粋します。

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オフ会の議題その1「初顔合わせ フリートーク それぞれの開発民俗学」

っていっても、そもそも「開発民俗学」の定義なんて決まっていないので、平たくいきます。

1.このコミュニティの意図と展望(自己紹介もかねて) しばやんより
2.参加者の自己紹介 
3.共に取り上げたいテーマ (ブレインストーミング)
4.課題の設定 (2,3テーマくらいか、当然参加者にもよりますが)
5.テーマごとの今後の勉強会の方針の検討
6.ラップアップ

7.フリーセクション (お茶会もしくはお食事会)

とりあえずは、東岡崎の近辺の公共施設(一案として、りぶらの会議室←間違いなくかなり難しいですが、日程さえ決まれば、たとえば康生町の近辺の会議室の手配を行います。)と、二次会の設定

スケジュールとしては、午後1:30に会場に現地集合して4時か5時に終わって、お茶かお食事でもしましょうといった流れでしょうか。

もう少し、議題を練ってみます。

なにか議題や会場の場所などについてコメントがありましたらご遠慮なくご連絡ください。

ではでは^^?

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2009年1月19日 (月)

わたしにできること → 使ってやってください^^?

今日、岡崎のまちづくりのワークショップに参加してきました。

都心部の再開発がテーマなのですが、運営側のNPOの準備も基調講演も大変素晴らしく、有意義な会であったと思います。さっそく、私もNPOのメンバーにいれていただきました。

ところで、当たり前のことかもしれませんが、いるところには人がいるものだなあと実感。

まだ岡崎再デヴュー間もないですが、徐々に自分の生活圏を広げていきたいと思っています。

ところで、先般のパレスチナの記事について、ミクシイのほうで書き込みをひとついただきました。

「なかなかみたことも聞いたこともないところのことについては想像力が働かない。もっと身近で見たり触れたりすることのできる場所が必要ではないか」

やはり正確を期すために、ちょこっと引用させていただきますと、

「~略~

私の「リアル」じゃないんです。きっと多くの方がそうだと思います。

~略~ 写真や資料の展示会、イベントなど、自らの足を運んで見聞きできる・体験できる施設や機会が必要だと思います。

自分とは全く常識の違う世界。その世界の実情をいきなり理解しろ、というのは、口で言うより難しいことですよね。」

確かにおっしゃるとおりで、そのとおりです。

でも「リアル」ってなんだろう、最近とみに「想像力が大事」っていうけど、実は本当に非常に難しいことです。

でも、このコメント非常に参考になりました。

やはり私がやらなければダメだなと。リアルを伝えるには、リアルに生身の人間が語らなくてはならない。本やテレビでは発信側のメッセージは十分に伝えることができません。このミクシイやブログなどもしかり。

せめてというか地元岡崎でなんらかの発信ができるように‘手段’を考えてみます。ブログとかでのメッセージでは十分想いが伝えられないような気がします。たんなる一方的なメッセージではだめですね。

双方向のイントラクティブなコミュニケーションも模索してみます。

私にできそうなことやなにか要望がありましたら、ぜひぜひカキコしてやってください。

ではでは^^?

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2009年1月17日 (土)

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991) の目次です。

という記事の目次を紹介します。案内にあるように、私が大学生のときにつくったガイドですが、まだまだつかえるところもあるだろうということで^^?

最近結構いろいろなところでいっていることですが、どれほどまわり道であったとしても結局人間というか「生物は個体進化を繰り返す」しかないと思います。つまり‘自分本人’が学び続けなければ、何もわからないままで一生を終わってしまいます。

思えば、私も最近いい気になって、宮本常一氏の「あるくみるきく」を語っていますが、実はあまり言及されていないものの、彼の本当に尊敬できる点のひとつが「あるくみるきく」に加えて、というかその基盤として、膨大なモノ(文献資料など)を「読んでいる」ということです。

民俗学者「宮本常一」は、渋沢敬三との合作であって、渋沢翁が自宅のアチックミュージアムに宮本氏を居候させて彼の蔵書や人脈を自由に利用させなければ、宮本氏の「あるくみるきく」は非常に薄っぺらいものになっていたであろうと私は推測します。

私は、自分でやってきたという自負をもって、以下をご紹介します。当時手に入る限り、時間も自分の受容能力も省みず、書物を漁りノルマのように読みまくったという原体験は出来る限りの死力をつくしたということで、今でのひとつのよりどころとなっています。

当然、その後、17年の学問の進歩はすさまじいものです。でも、古典は古典であり、逆に基礎的なもののほうが一冊あたりの投資価値というか情報価値が多いです。どうしても後発組は先人の肩の上に乗って、その上に、少しを積み重ねる(それが難しい)わけですから、情報の密度は最初に言った人のほうが濃いです。

ともあれ、日本の中東研究者の言説はおもしろいです。巨人とでもいうべき学識が多くいるような気がしますね。身内びいきみたいですが^^?

ではでは^^?

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http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)



しばやんが、大阪外国語大学アラビア語学科の大学4回生の時にまとめた‘アラブ’や‘イスラーム’に関心がある人たちへの、究極?の学習ガイドです。(第一部、第三部)

また、リファレンスワーク(資料検索の初歩)について一章を設け、特に文系の資料検索にかかる‘コツ’みたいなものについてもふれています。(第二部) 

ただし、第四部、付録2については内容が古いので、利用にあたっては各自の責任で事前にご確認ください。

なお、1990年以降の文献につきましては、「しばやんの本だな」(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blistai.htm)および「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm)のコーナーもご参照ください。

『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』

 

電子ファイル版©2000.May.5

再録に際して 「あらたな地平線をめざして」 2000年5月5日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g0001.htm

初版©1991 (以下の収録内容は初版のとおり。但し、挿絵、図版を除く。)

<目 次>

 まえがき http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g001.htm                      

 第一部 文献案内編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g002.htm

    「アラビア語学習案内(辞書・文法書の紹介)」 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g002.htm

    「中東世界へのアプローチ(BOOK GUIDE)」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g003.htm

     <HOP>(初級編)    <STEP>(中級編)  

     <チョット休憩>(番外編)   <JUMP>(上級編)  

 第二部 リファレンスワーク入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

    1、はしがき                     

    2、資料の検索と整理術                

    3、第三部に関する文献案内とその補足         

 第三部 目録編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g008.htm

    「イスラム、アラブ関係書(文献目録)」        

     <その他>

     <単行本>

    <文庫本>

    <新書本>

 第四部 住所録編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g011.htm

    「イスラム、アラブ関係施設住所録」          

     <書店>       <専門図書館等> 

     <研究機関>     <レコード店>  

     <学会等>      <アラビア料理店>

 付録 1、雑誌類一覧  http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g010.htm                  

    2、アラビア語を教えてくれる所http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g013.htm          

 あとがきにかえて(旅行の勧め) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g014.htm

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2009年1月16日 (金)

ガザのこどもたち さらーむ

みなさんご存知の日本の誇るアラブ人類学者の片倉もとこ先生から、次のようなメッセージをいただきました。ようはこのメッセージを広く伝えてほしいとのことですが、具体的に何をするのか何ができるのかは、私もよくわかりません。

でも、この際、それもみなさんそれぞれ考えてみませんか^^?

このメッセージをみて何かを感じた人は、一言、自分のできること、思ったことを書いていただけませんでしょうか。ここではなく、直接、しばやんにメッセージを送っていただいて結構です。

では、よろしくお願いいたします。

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FACSIMILE TRANSMITTAL

Prossor Dr. KATAKURA Motoko(片倉もとこ)
Director General
  International Research Center for Japanese Studies
〒157-0062 世田谷区南烏山2-31-31-819
FAX 03-3305-6755

DATE: 2009 年 1  月  日
TO:
NUMBER OF PAGES:1    ( including this page )



パレスチナ、ますますひどいことになっています。
子どもたちの悲痛な泣き声が、耳をつんざく気がします。

戦闘している両方の背後に、武器産業が、がっちりとガードをかためています。今しも、おこっている世界経済不況を、戦争で解決しようという動きもあります。ヒズボラのうしろにいるイランと、イランに怨念のあるアメリカとの戦争にまで発展しかねません。戦争景気を期待している人たちもいます。

日本アラブ協会50周年記念式典祝賀会が、1月26日に挙行の予定ですが、お祝いの会をするかわりに、その予算をガザの子どもたちにおくることにしたほうが、アラブ協会のイメージもあがるでしょう。人間を愛しアラブを愛する人が、こんな悲惨な事態になっているなかで、のほほんと祝杯をあげるわけには、いかないでしょう。

そのかわりに、アラブを正しく理解できる「智恵の館」「さらーむの里」建設を記念事業としてやるのはどうでしょうか。いったん戦争がおこってしまえば、狂気と醜悪が人間を人間でなくしてしまいます。戦争をおこさないための智恵を出しあいたいと思うのです。さらーむ(平和)への想いがつのります。日本も、アメリカ、イスラエル、アラブに、それぞれ人を送るくらいのことは、たとえ徒労におわろうとも、するべきでしょう。

死者が千人をこえ、その三分の一が子供たちだという報をききながら、、、、、

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2009年1月14日 (水)

マザーテレサは、「愛の反対語は、無関心」 といいました^^?

パレスチナ情勢は、全然光明がみえず、依然、混迷を続けているようです。

果たして自分に何ができるのか、何が一体、正しいことなのか。そんなことを考えています。

‘知る’ことと‘行動’すること。

かのマザーテレサは「愛の反対語は、無関心」と看破しました。

見てみぬふり、知らぬふり、確かに何もしなくても生きていけるかもしれませんが、その無関心は自分自身に間違いなく戻ってくるものだと思います。

ちょっと話題が外れますが、この「開発民俗学」のコミュを「一国民俗学」ではなくて「比較民俗学」へとの架け橋となるべく鍛えていきたいと思っています。

同じ地上に生きるものとしての感動を分かち合いたい、共感の学問、血の通った学問であってほしいと思います。

‘学問’の定義自体も難しいですね。ここであえて‘学問’といったのは、追体験できるというか筋道立てて検証できるための道筋のひとつとして、単なる個人的な感動にとどめておきたくない、そんな技法なり手法として示したいという意図で使っています。

能書きばかりいっていてもだめですな^^?

具体的な事例にそって考えていきます。

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ということで、「mixi「開発民俗学 ~地域共生の技法」で、メンバーの意見を募っています。

わからなくてもわからないなりに声をあげていくこと、われわれの人生や未来を、どこかの誰か偉い人やモノに簡単に預けてはいけません。

自分の住む世の中は、自分でよくしていく。

そんな心意気を忘れないでいきたいと思っています。

ではでは^^?

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2009年1月11日 (日)

生き方としての「海洋民俗学」 導入編

という記事を、「Life, I Love You!」のほうにアップさせていただきました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/01/post-7021.html

そちらでも触れていますが、そもそも同じ人間が2つのブログを書いているので、実はどちらでトピックを展開してもよいということで、このトピックについては、内容によって、双方のブログに記事を書きたいと思います。

でもまあ、道端に考えるきっかけがいくらでも転がっているので、つくづく安上がりな性分だと思います。

なお、Life に記事を書いたときは、その都度リンクを張るようにしますので、ご関心のある方は、よろしくお付き合いください。

ではでは^^?

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一筋の挑戦が‘わだち’となり‘道’となる 開発民俗学への途 再開

別のところでも触れましたが転職して地元に戻ったので、いろいろな意味で生活パターンが変わりました。

とりあえず海外駐在から戻ってうれしいのが当たり前といえば当たり前ですが、日本語の書籍の多さです。別のトビにも書きましたが、地元の公共図書館が、それぞれリニューアルしており、かなり使えるところがこれまたうれしいです。

最近、雄山閣の『講座 日本の民俗学』を紐解いています。とりあえず、年末に、「第11巻、民俗学案内」、今日、それを返して、「第1巻 民俗学の方法」を借りてきました。

実は学説史って私は好きで、知の系譜というか、誰がどの時点(時代背景)でどのような問題意識をもってどのような研究や著作を著したかが非常に気になります。あと研究者間の師弟関係とか影響の与え合いなど。

いろいろ仕事や今までの経験を振り返ってみて、結局、人間、他者(モノでもよい)との交流なり接触がないのと、個人として成長しないのではないか、というようなことを考えています。

個人も知識も個(孤)として存在しているわけではなく、異なった他者と他者ががスパークというかぶつかったときに、なにか新しいモノがあらたに生まれる、結局、小さなその積み重ねが今日の世界を形作っているような気がします。

夢を描く人、それを実行する人、人はいろいろな立場で世界や社会と向き合い、お互いに影響を与えながら社会に貢献し、またその便益を得ています。

としてみると、この世に無用な生はありえないのではないか。まったく無駄ないらないものは、そもそもこの世にはないのではないかという気もします。

ちょっと脱線しましたが、過去の道筋を振り返りつつ、その先の途を模索する。そんな人生を歩んでいきたいですね。

脱線ついでに思い出した言葉を。

松本零士のマンガで、『わだち』という四畳半世界を描いたものがあります。内容は忘れてしまっているのですが、確かその最初の導入のところで、

「誰かが歩いた‘わだち’が 新しい道となる」といったような格言?が書かれていたようなおぼろげな記憶があります。

山での海でも誰かが新しい道を見つけようとして(世界に)挑戦を試みます。当然、道なき道の先に何があるのか誰も知りません。行き倒れたり自然の障壁に生命すら落としてしまう可能性は多分にあったのでしょう。でも、誰かが通った一筋は、多くの人がその後を歩くことにより‘わだち’となり、いずれかは‘道’となります。

思えば、地上も海上にもそんな無数の一筋があり、そのいくつかが目に見える‘道’として現前にあるという言い方もできるのかもしれません。

そんな時空も遠く離れた遥かかなたの歩く仲間である先人達のことを思いつつ、新しい時代への一筋を模索していきたい。

ふと、そんなことを思いました。

なんか話が終わってしまったので、本の紹介は改めて書き直します。

ではでは^^?

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2009年1月 8日 (木)

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか? (2002年の記事の再掲です。)

すでに7年前の記事ですが、中東問題に対する私のスタンスがよくわかると思いますので、あえてここに再掲載させていただきます。ちなみに、「勉強会」は約10回の活動を経て、私のフィリピン駐在のため終了しております。

アラブ・イスラーム地理書・旅行記 勉強会 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm

ではでは^^?

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2002年9月1日

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか?

(同時多発テロ一周年によせて)

2001年9月11日、アメリカのニューヨーク、ワシントンD.C.その他で突如勃発した同時多発テロは、たぶん同時代に生きる多くの人々にとって決して忘れることのできないものとなったであろう。イスラームの挑戦とか、多くの論者がさまざまな私案を発表しているが、その背景はそんなに簡単に一言で言い表せられるものではないのだろう。

約10年前、私は、大阪の片田舎で、ほぼ世間と隔離された環境でオレ本(オレンジブック=電話帳のイエローページみたいな厚くて馬鹿でかい本)などというミシガン大学で編まれたアラビア語の教科書と日々格闘していた。何かがあると信じて入ったアラビア語学部、当初の目論見では、モロッコからイラクまで、北アフリカからアラビア半島まで話されているというアラビア語を勉強すれば、たとえどんな職業に就こうともつぶしがきくし、などと浅はかにも考えていた。

大学入学当時に想定していた職業は、外交官になってもいいし、現代の問題をやってジャーナリストになってもいいし(当時、イラン・イラク戦争の問題やパレスチナ問題など話題に事欠かなかった)、中世史をやって研究者なってもいいし(当時、ようやく「イスラームからみた十字軍」などという本が話題になりつつあり、近代ヨーロッパ文明に対するイスラームの中世における優位性を「再」発見しようとする大きなムーブメントのなかにあった。)という気もあったし、まあ月並みで今思えば大甘ちゃんな「青年よ大志をいだけ」という言葉しか知らない若造であった。あと、イスラームという宗教に、近代西欧文明に対する精神的なアンチテーゼとなりうる「何か」があるのではとも考えていた。

そんな学生時代のある日、イラクとクウェートとの間で湾岸戦争が勃発した。(1990年~1991年)当時から、イスラーム世界は、10年ごとに問題?を起こすといわれていた。近年だけを振り返っても、下記のような数字に見ることができるだろう。

1967 年 六月戦争(第3次中東戦争)、

1973年 アフガンで王政打倒のクーデター、共和制へ、十月戦争(第4次中東戦争)、

1979年 イラン革命、

1980年       イラン・イラク戦争始まる。1988年 イラン・イラク戦争終結、

1990-1991年 湾岸戦争、

2001年9月11日 8:45 アメリカ同時多発テロ(ニューヨーク、ワシントンD.C.)

2001-2002年 テロに対する戦争(2002年 アフガン陥落)

 ちょうど1989年には中国で天安門事件があり、ドイツではベルリンの壁崩壊があり、冷戦終結のムードの中で、なぜ、湾岸戦争なのか?という思いを感じた人たちの数は数億を下らないであろう。その後、残念ながら、冷戦終結後にも引き続き地域紛争は続き、1945年の第二次世界大戦自体が、まだ終わっていないなどという識者がいるほどである。

 そんな学生時代、イラクへの空爆をテレビでリアルタイムに見なければならなかったことは、はっきりいって精神的苦痛の何者でもなかった。(物理的にはテレビ受信装置があって、キャメラで捕らえた映像をリアルタイムで衛星放送することなど技術的には当時でも難しいことではなかった。)なぜ、人は平気で、まるでテレビゲームをみるように戦争を「眺める」ことができるのだろうか?あの爆撃の下で、何万人の人の命が失われようと、「正義」を語るあなたの前に全ての人間はひれ伏せなくてはならないのであろうか?

 この現実感覚のなさとでもいうのだろうか、ブラウン管の向こうに見えるものと今生きている自分と何の接点もなく、まるで映画でもみているような浮遊感に陥れてしまうメディアのあり方は、倫理上、決して許されるものではないと思う。(これは、その後、数年後に「マトリックス」という映画でみごとに逆説的に描き出された。放映当時は知らず、数年前に始めてみたが、はっきりいって、私はこの映画のコンセプトというかリアリティのあり方に戦慄を覚える。まさに現実と仮想との狭間を突くようなテーマであったから。)

 2001年9月11日の午後11時過ぎに、明日提出の仕事の最終取りまとめをしていた私たちは、約10年前と同じく、まるで、ハリウッド映画をみるように「航空機が、ワールドトレードセンタービルに突っ込んでいく」のを、なすすべもなく、ただただみつめるしかなかった。

 さて、1991年当時に戻ってみると、「湾岸戦争」などというものに、アラビア語やイスラームを学ぶものとして出会ってしまったがゆえに、青臭い正義感などを差し置いて、ふとこんなことを思ったのである。

 今、イスラームやアラブに関して、現代的な話題にばかり目がいってしまっている。あやしげな軍事評論家や、知ったかぶりのコメンテーターが偉そうに語るほど、アラブやイスラームは上っ面だけの簡単なものであろうか?果たして、われわれ日本人は、彼らの何をどれだけ知っているのだろうか。中世ヨーロッパのルネサンス以前の最先端地域であったアラブ・イスラームのコスモポリタンな都市文化(文明)について、まだ十分に日本では研究されていない。そうだ、こんなに移り変わりの激しい現代史を追うよりも、もっと歴史的に掘り起こして、われかれの違いを知ることは十分意味があることなのではなかろうか?

 そんな私が卒業論文のテーマとして取り組んだのが、中世12世紀におけるイタリアのシチリアであった。当時、ノルマン朝で12世紀ルネッサンスの一つの拠点となったイタリアのパレルモの宮廷は、イスラーム教徒、キリスト教徒やユダヤ教徒、ギリシャ語、ラテン語とアラビア語の入れ混じる高度に成熟した文化を誇っていた。その側面を見るのに使ったのが、イブン・ジュバイルというアンダルシア(スペイン)のイスラーム教徒の旅行記であった。そのシチリアは、「寛容と共生」の精神を具現したものと後世、言い習わされてきたが、果たしてどのような世界であったのだろうか?残念ながら、アラブ側からの資料では、とてもシチリアの中世世界を解き明かすことはできない。たまたま、高山博という15歳年上の研究者が、すでにラテン語、ギリシャ語、加えてアラビア語の原著から12世紀のシチリアの研究を、当時(1991年)で、もう10年来研究していることを知って、あっさりとシチリア自体の研究は諦めた。

 (イブン・ジュバイルの『旅行記』は、藤本勝次・池田修監修で1992年に関西大学出版部より和訳が公刊されている。また、高山博先生のシチリアに関する研究は、『中世地中海世界とシチリア王国』 東京大学出版会 1993年、『神秘の中世王国 ヨーロッパ、ビザンツ、イスラーム文化の十字路』 東京大学出版会 1995年として、公刊されている。)

 ともあれ、中世のイスラーム社会は、「知(識)を求めよ。中国からモロッコまで、ゆりかごから墓場まで」(アラブのことわざ)」と言われるほど、広域なネットワーク社会を誇り、実に多くのイスラーム教徒が、「平和の家・戦争の家」というイスラーム圏とそれ以外の異教徒の世界との区別意識は持ちつつも、メッカへの巡礼を契機というかきっかけにして、世界中へ商売もしくは学問追及の旅に乗り出していったのである。(この状況については、『アラビアンナイト』でも多くの説話として取り上げられている。例えば「シンドバードの冒険」は特に有名であろう。ただし、異本扱いだが。)

 1991年当時、イスラームの大旅行家といわれたイブン・バッツゥータの旅行記は、前嶋信次先生の抄訳しかなかったし、他のイスラームの文学者、文化人の著作についても、高校の教科書で名前とその主著書について大学受験のために暗記させられるものの、完全なアラビア語から日本語訳された翻訳書は、皆無の状況であった。これは、ちょっと考えればわかるが、彼ら(アラブ・イスラーム教徒)の誇るべき先達たちの業績を、日本人は全く知らないということなのである。つまり、誰もが国語や社会で常識として知っているアラブ文学史上の綺羅星の数々を、われわれ日本人は不幸にも全く知らないのだ。)

 その後、ほぼ10年経って、確かにイスラームに対する日本人の理解は進んできたといえ、当然、関係者の真摯な努力には敬服するが、まだまだ、このイスラームの知識人たちの残した膨大なアダブ文学や地理学・旅行記に関する地道な書誌学的な研究や、一般日本人への紹介の作業は、その課題の広大さに比して、遅々としてしか進んでいないようにみうけられる。

 現実問題として、アラビア語原典を読めるような高度なアラビア語古典の知識を身に付けることは、一朝一夕にできることではなく、アラビア語の会話ですら、けっして日本人にとってやさしいことではない。

昨年(1991年) 、イブン・バットゥータの『大旅行記』の原典(アラビア語)からの日本語全訳を完成させられた家島彦一先生にある研究会でお会いしたとき、この翻訳を思い立って完成するまで20年かかったとおっしゃっていたことを思い出すと、確かに、この手の作業は果てしのない事業だとも思ってしまうのである。(また、ある学生より、家島先生に「30年やってようやくアラビア語が少し分かるようになりました。」といわれて絶句したということも別の機会に聞いた。)

それでも、たとえそうはいっても、このまま手をこまねいていてよいものであろうか?決して採算ベースに乗らなくても、はやり(流行)でなくても、やはりアラブ・イスラームの古典を研究して、日本人の教養というのは大げさにせよ、知識の一部に、ちょうど中国やヨーロッパの古典と同じく、アラブ・イスラームの考え方の一端でも共有することができるのならば、今後の21世紀の世界市民の一翼を担ううえで、大きなアドバンテージを得ることができると考えられる。

このイスラーム地理学・旅行記研究は、大学を卒業後、就職して働きながらも、何となく頭の片隅を離れない10年来の宿題であった。必ずしも、十分にこのことだけに時間をさけるわけではないが、たとえ遅々として進まなくても、多分、「開発学研究」のあわせ鏡となるライフワークの一つになると思う。

 今後、2003年1月を目処に、上記にかかる読書会を計画している。また、この勉強会の成果も踏まえて、HP上に、『アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会』というコーナーを展開していきたい。関心のある方の、ご参加やご指導をよろしくお願いいたします。

読書会の詳細はこちらへどうぞ。

(この項終わり)

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混迷のパレスチナ情勢にアラビスト・しばやん起つ^^?

年頭のご挨拶のやりとりの中で、偶然にも2名の方から、パレスチナ問題についてのコメントや宗教についての個人的な関心と問い合わせを寄せられた。

一昨年から、「冬が来る前に!」ということで、21世紀の雲行きの懸念を私も感じていたわけであるが、年末からのイスラエルのパレスチナは混迷の度を深めているようで、先に連絡をいただいたある人は非常な懸念を述べていた。

たぶん、そうなのであろう。

ところで、このようなシチュエーションは、中東では近代史の問題として実は第一次世界大戦前後からくすぶっていたと思うが、はっきりいって‘今’の中東問題は、20世紀の問題であると言い切ってもよい。

ということで、今度、この問題にも大阪外国語大学でアラビア語を20年前に専攻したものとしてコミットメントしていきたいと思う。

別にアラビア語がべらべら読めるわけではない。しかし、大学入学前から持っていた問題意識の延長で、アラブ・イスラーム(世界研究)ということで地域研究を志したものとして、もう一度みなさんと、「何が問題なのか」について、じっくりと考えてみたいと思います。

とりあえず決意表明ということで^^?

P.S.

実は2001年9月11日のセプテンバーイレブン(アメリカ同時多発テロ)の後にも、下記に示す活動を起こしました。

今までの「歩く仲間」における中東問題への取り組みはおいおい紹介していきますが、しばやんのアラブへの熱い想いにつきましては、まず、こちらをご覧ください。

2002年9月1日 

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか? 

(同時多発テロ一周年によせて)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00018.htm

あと「‘私’の平和学 ~冬が来る前に!」という、このブログにあるトピックではアラブ・イスラームについての問題意識をふまえて綴っています。過去の記事は、こちらもしくは本文の下のタグで検索ください。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/cat20091295/index.html

ではでは^^?

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2009年1月 3日 (土)

今日、今から 「地域活き生き・アドバイザー」を名乗ることにしました^^?

この三が日、非常に穏やかでよい天気を迎えています。

Pict0266 自分の部屋から見た今年の初日の出。

岡崎・愛知

2008年1月1日 6時25分49秒

Konica・Minolta DiMARGE Xg

28mm(35mm換算) F6.7 1/1000

昨年の10月より実家に戻って、2階の姉のいた部屋を自分の部屋にしていただいたのですが、北東の角部屋でちょっと日中は寒いもの、窓が完全に東側と北側を向いてありますので、ベッドから朝日をみることができます。

毎日、朝日が拝めるのも、本当にありがたいことです。

さて、今朝、起きてふと思いついたのですが、自称「地域活き生き・アドバイザー」を名乗ることにしました。

世の中、結局言ったもの勝ちみたいなところがあるので、謙譲や奥ゆかしい態度をとっていても単なる自己満足に過ぎないので、ずうずうしくも自分なりの生き方を追及していこうと思います。

今年は、新年そうそうのHPのリニューアルを予定しています。今年の抱負も前回の記事で宣言したところなので、方針を早めに打ち出して後は実行する年にしたいと思っています。

昨年の記事に書いて、少しもやもやしていたのですが、将来的には、「アドバイザー」から「コーディネーター」、「コンサルタント」、最終的には「プロジューサー」にまで歩を進めていきたいと思います。

「プロジューサーになりたい^^?」 http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-453d.html

それには当然、経験と実績も必要だと思いますのでまあじっくりと取り組むことにします。

これからもよろしくお引き立ての程、よろしくお願いいたします。

ではでは^^?

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2009年1月 2日 (金)

対談 開発コンサルタントとは? を転載させていただきました^^?

駆け足ですが、対談を全文転載させていただきました。

もう丸5年前の記事ですが、現状はそれほど変わっていないと思います。

あらためて自分で読み返してみて、「開発コンサルティング」の云々というより、「どう外部者がその地域と関わるか」という点に自分が論点を置いていたことに気づかされます。

海外の開発援助のテクノクラート(※)である「開発コンサルタント」の話ではありますが、この命題自体は国内外を問わず現実に起きている日常茶飯の課題であると私は思っています。

※プロフェッショナル論は、私も多大な関心をもっていますが、少なくとも日本の開発コンサルタントの現状を(私の立場からですが)みるに、この場では、「開発(援助)のプロフェッショナル」とはあえて言いたくありません。

開発にプロはいらないという逆説につなげることもできますが、私の見立てでは、日本人のプロの開発コンサルタントは数名(知っているかぎりでも)いらっしゃますが、ほとんどの人たちは‘テクノクラート’に留まっているというか、それ以上の責任も権限も持たされていないということもできる、という点を指摘しておきたいと思います。裏を返せば、そこまでの仕事をさせてもらっていない、ということもできましょう。

このトピックでは、‘これから’の開発コンサルティングを語る場です。今までのところは‘現状’の報告ということで、ご了承ください。

だからどうなのだ、という私見がないわけでもないのですが、まだ獏としていますので改めてお話しようと思います。ただ方向性としては、‘コンサルタント’といいつつも、‘プロ’ではない素人の‘代弁者’であってほしいというようなことは、なんとなく考えています。

ではでは^^?

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ところでこの企画は、ミクシイ(SNS)の『開発民俗学 地域共生の技法』(http://mixi.jp/view_community.pl?id=2498370)でのトピック、「「開発コンサルタント」もしくは「コンサルティング」について語ろう」(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38126575&comm_id=2498370)と、連動しております。

もしミクシイに入られている方でご関心のある方は、ぜひこちらのコミュへもお立ち寄りください。

ではでは^^?

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2009年1月 1日 (木)

‘開発コンサルタント’における‘社会科学系’と‘技術系’の違い(続きです)

17 回答4(無事のお帰りを!) しばやん  2003/09/16 () 23:45

つかささま

返事が遅れてすみません。
多分、貴メールの4-1から3でおっしゃっていることは、ほとんどビンゴと考えていいでしょう。

ただあえて一口言えば、社会科学系の専門家も技術系の専門家と同列に一緒に調査に入るケースが多いです。

逆に、大規模開発では、社会・自然環境調査を先に行ってから、技術系の専門家を投入するケースも増えています。

たとえば、JICAとかの調達情報のコンサルタントの公示情報をごらんになってはいかがでしょうか^^

開発調査などの具体的な案件で、どのような分野の専門家が求められているのか、垣間みることができるでしょう。

2003年)918日に帰国とのこと。無事のお帰りを待っています。

ではでは。

しばやん

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質問その4‘開発コンサルタント’における‘社会科学系’と‘技術系’の違い 『対談 開発コンサルタントとは?』

14 質問(その4-1) つかさ  2003/09/02 () 06:03

まさに私が開発専門家といったのは野田さんの開発フィールドワーカーという用語を念頭においてのことです。しばやんさんが以前おっしゃったように、Master PlanProgram, Projects, Implementationというレベルに大まかに分けられるわけですが、ここで最後のImplementationに主に携わる人を、私は開発専門家と呼んだわけです(当然多少のオーバーラップはありますが)。当然、開発コンサルタントとしても多少はプロジェクト実施段階に関わることはあると思いますが、「コンサルタント」という言葉が意味するように「行う」よりも「考える」ほうに重点をおいた職業というイメージをもっていました。

ただ、プロジェクトを「行う」際にも、受益者と関わりあいながら施行していくのが当然だとは思いますので、その視点でしばやんさんの「専門性をもってドナーと受益者に対して中立の立場で開発に携わるものは、広い意味で開発コンサルタント」という説明を聞くとしっくりきます。

ただ、ここででてくる「中立の立場で」というのはどれほど可能なのだろう、という疑問がわきます。開発コンサルについては調べたことはありませんが、欧米のNGOなんかでは中立であるはずの彼らが中立でないことがよくあります。つまり、政府から援助等をしてもらうために、プロジェクトに関われるように、より視点が政府よりになってしまうというわけですね。結果として、先進国の政府が重点をおいている分野については、十分すぎるほどの供給ができてしまう。これに対して途上国からの需要はそこまで高くないので、結果として半ば押し付けのような形になってしまう。マイクロ・ファイナンスやリプロダクティブ・ヘルスなんかがいい例だと思います。

これはいわゆる「介入主義」をとっている欧米の例ですが、「要請主義」をとっている日本でも、実際途上国政府が自国のニーズを調べて要請しているというよりは、日本の政府なり業者なりが代行していることが多いですからあてはまると思います。何故日本の開発コンサルは建設系が多いのだとうか?当然日本が重点をおいてきたアジア諸国ではアフリカ等他の途上国に比べてソフトな分野がしっかりしていたということはできると思います。しかし、それでも、そこに日本側の強い意向が感じられるような気がします。

15 質問(その4-2) つかさ  2003/09/02 () 06:04

次に、実際の開発プロジェクト立案の際に、コンサルタントが、特に社会学系のバックグラウンドをもった方が、どのように関わっていくのかについて、質問させて頂きます。やはり、もし仮に私が開発コンサルタントに関わることができたとして、実際にどのような仕事を最初に与えられるのかは非常に興味があるからです。一般化し難い点かもしれませんが、しばやんさんの経験も踏まえて教えていただけらうれしいです。

私の推測としましては、技術系の知識をもった方々が現地調査を終えて、必要な情報を得られた後、プロジェクトをどのように施行するかの綿密なプランを打ち立てていくというイメージがあります。そして、実際にそのプロジェクトが施行されたと仮定して、そこから派生する社会的インパクトを推しはかり、適宜修正を促すというのがいわゆる社会的側面への配慮であり、社会学系の知識をもった活躍の場という風に想像しています。つまり、社会的ファクターを加味した、コスト&ベネフィット分析といったところでしょうか。

私がこのように考えますのは、開発コンサルタントのHPを拝見しますと、特に大規模なところでは、様々な部署があるのが分かります。そして、ひとつの推測ではありますが、プロジェクト案件がこうした様々な部署の中から必要するところを経由して形成されていくのでは?という風に推しはかっているのです。各自がそれぞれのもつ専門的な知識を、該当する部分に適応させてプロジェクトをつくっていくという感じですね。

あるいは、あるプロジェクトを行うさいに、会社内の人材から適当と思われる人材をピックアップしていって、プロジェクトチームのようなものを作るという手法。こちらも想像できます。つまり、技術系と社会学系のコンサルが入り混じって、ひとつの案件はチームとしての責任のもとに作成されていくという推測です。F/Sから評価までがひとつのチームの作品のような感じになるわけです。

なんとなく、前者が大規模な開発コンサル、後者が小規模な開発コンサルの姿であるようなイメージを描いています。同時に何件もの案件を抱えることができれば、分業のような体制も必要な気がしますし、一度に一件しかできないのであれば、それはその開発コンサル全体が取り組むべきものとなるからです。

16 質問(その4-3) つかさ  2003/09/02 () 06:04

かなり推測ばかりの質問になってしまいましたが、やはり原因は開発コンサルで自分が働いているイメージがまだつかみきれていないからだと思います。プロジェクトのソフト面のバックアップ、そのように言われれば何となくイメージがつかめないこともないのですが、では具体的に自分に何ができるのか?といわれるとどうもピンとこないわけです。ということで、実際に社会系の開発コンサルがプロジェクトに関わっていくのかについてお願いします。

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2009 新年のご挨拶と 新年の抱負など^^?

みなさま、あけましておめでとうございます。

ということで新年をご挨拶を、「Life, I Love You!」のほうに掲載させていただきました。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/01/post-00da.html

まあ、ご存知の方はご承知でしょうが、昨年10月に地元にUターン転職いたしました。

確かに開発コンサルタント会社を辞しましたが、コンサルタントマインドみたいなものは大事に磨き続けようと考えております。

さて、今年の抱負です。

1.転職先で実績をあげる

新しい会社と業務に慣れて新しい業界でのスタンスを早く確立する。とにかく新しいことばかりなので毎日勉強ばかりです。ちょっと年をいっているので新人が時間をかけてじっくりと身につけることを駆け足でマスターしないといけない。とにかくこれが最優先で最重要事項です。

2.生活基盤の整備

ちょっと大げさですが、地(地元)に足をつけて‘生きる’ための環境を整える。

3.開発民俗学と海洋民俗学の研究を進める。

基本的に海外勤務でなくなったので、ライフワークとして上記の2テーマはしつこく追っかけていく。

4.地元においてオフ会活動をおこなう。

せっかく愛知県に帰ってきたので、地元(岡崎、名古屋、豊橋など)での人的な交流を計画的、もしくは偶発的にも進めていく。

5.学会復帰と新規デビュー

日本中東学会と国際開発学会にちゃんと帰国届けを出して正式復帰する。人類学、民俗学関係の学会にもあらたに顔をだしてみるというネットワークの再構築をおこないます。

ということで、公私いろいろなイベントを企画・実行していきたいと思います。

東方西走、今年もさらにパワーアップして日本を駈け抜ける風となりたいです^^?

と書くと、まるで、ブームの「風になりたい」ではないか、いやいや「千の風になって」いや、こちらはかなり違うということで、今年もよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

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