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2008年12月12日 (金)

第8講: 残された課題と展開の方向性 <第1部 完結>

第8講:残された課題と展開の方向性

2007429

2000715日に筆を起こして、結局、ほぼ7年間にわたって講座を書きついできたが、一旦、筆を置くこととしたい。当然、私の開発民俗学への途は続くわけであるが、当初想定していた目次に立ち返り、何が原因で執筆が止まっていたのかを検証するとともに、今後の残された課題と展開の方向性を述べたい。

第8講 ‘開発民俗学’を考える100冊 (道具箱=ブックガイド)

<今の時点での総括と今後の展望>

当初の構想としては、前半部で、開発学にはじめてふれる方に対して、まず現場からの問題の立て方を紹介しようとした。まず現場に立つこと(開講にあたって、第1講)、そして、「開発」を考える際に、主に2つのアプローチがあることを紹介した。一つは、開発経済学に代表される社会科学的なアプローチであり、また一つは工学的な科学・技術的なアプローチである。一見、違った入り口にみえ、ソフトとハードという違った事象を扱っているようにみえつつも、実は両方とも「近代科学」に基盤をおく、ひとつのイデオロギー(パラダイム)に則ったコインの両面であることを指摘した(第2講)。第3講では、この近代科学という専門知識をもった「専門家としてのバイアスめがね」を一旦置いておいた上で、現実をどうとらえるのかについて言及した。ここでは率直に、科学的なデータと現実世界(現状)の乖離について問題意識を提起した。第3講の補論では、民俗学の視点を紹介した。引き続き、第4講では、開発学研究入門として基礎的な方法論について言及した。ここでは、社会学を中心とするリテラシーと調査・研究方法、情報処理論、フィールドワーク論、開発学の基本的なリファレンスとその使い方の手引きを紹介した。

ここで、基本的な文系の学問の作法というかリテラシーについて、ある意味、紹介しきってしまっている。第5講と第6講では、なぜ、わたしが「開発民俗学」なるものに関心をもつようになったのかを語った。第7講では、日本における“人類学(民族学)”と“民俗学”の現状について主に文化人類学の教科書を比較することにより報告した。当初、想定していた民俗学と開発との関係については言及できなかったため、それを第8講の課題とした。しかしながら、第7講でも触れたようにそれは、民俗学の範疇のみにとどまるものではないため、一旦、この講義とは別の形でふれることとしたい。

第9講 貧困の定義を考える (社会福祉と開発・援助の間にあるもの)

<今の時点での総括と今後の展望>

開発や援助を考える際に、‘貧困’をどう捉えるかという根本問題にぶち当たる。そもそも論であると言ってもよい。この講義では、NGOや社会福祉論が考える‘貧困’概念と、今まで開発・援助の世界で言われてきた‘貧困’概念についての比較検討を当初、想定していた。

現在、開発を考える際に、‘NGOの役割’は軽視することができなくなってきている。また‘宗教共同体として受益者の共同体をとらえること’や、社会福祉論にいう‘セーフティネット’という考え方の援用が必要となってきた。

NGOが多く唱える‘人間としての共感’論とか‘開発支援’という考え方は、実は開発援助の特にODAの世界ではあまり重視されてこなかったと思うし、厳密にいうと出自を別にしていたのではないかと思われる節がある。実際には最近のODA関係者や開発をめざす若者はNGO活動を通じて途上国に関心をもったり、そのNGO的なマインドを十二分にもっていることは当たり前でもあるが、その根底となる考え方や行動原理はずいぶん異なるものであった。

NGO論については私の専門ではないが、実務上の必要や個人的な関心より、2000年以前より、個人的に日本のNGOの方々と接触するようになった。その中で感じたのは、NGOの基盤は、そもそもミッション(社会的な使命感)が創立の動機となっていることと、キリスト教や仏教などの宗教的なバックボーンをもったいわば宗教的な慈善団体を発祥とするものが意外と多いことに気がついた。そもそも宗教とは全体的なもので、経済・政治・あらゆる人間生活を規定し共同体としての一体感を求めるものである。わたしも開発における宗教の役割と重要性については、すでにいろいろなところで言及している。それはさておき、開発を考えるのに、当然対象受益者に向かい合うのに、この宗教・共同体として理解することが必要不可欠である。また、援助や支援をする側のNGOを、ミッションによる共同体(実際は、もっと緩やかなつながりである場合が多いが)と捉えることもできる。

つまり、NGOや地元の受益者をミッション共同体としてとらえること、その共同体の理念の中にある貧困問題への社会的な対応を考えることは、社会福利論と非常に重なるところがある。

そのような問題意識から、NGOとの対話、社会福祉の立場からみた開発へのコミットについて研究をすすめようとしていた。その過程で、2003年頃から、特にセーフティネットと貧困をどう社会福利論の立場で考えているのか、実践に生かそうとしているのかについて解き明かそうとした。

しかしながら、今の時点で社会福祉論自体に、わたし自身が物理的に深入りできないので、読者に対して私の問題意識を上記に示し、今後の手がかりとなるであろう教科書をここで示すこととする。(*未読)

○ 庄司洋子・杉村宏・藤村正之編集 『貧困・不平等と社会福祉』(これからの社会福祉②) 

有斐閣 1997 *

○ 岩田正美・岡部卓・清水浩一編 『貧困問題とソーシャルワーク』 

(社会福祉基礎シリーズ⑩公的扶助論) 有斐閣 2003 * 

○ 古川孝順、岩崎晋也、稲沢公一、児島亜紀子 『援助するということ 

社会福祉実践を支える価値規範を問う』 有斐閣 2002

また、社会福祉分野の研究を進めるのに道先案内として、以下の本も上げられる。

○ 平岡公一、平野隆之、副田あけみ編 『社会福祉キーワード[補訂版]』 有斐閣 

有斐閣双書キーワードシリーズ 2003 (初版1999)

特に、日本でも高齢化社会の進展や、いじめ社会にたいする関心の高まりなどから介護や福祉系の仕事や学部に人気が高まっているようで、1990年代の後半から非常に多くのシリーズや教科書が出版されているようである。そういう意味で、今の若者は、これらの切り口から開発援助や開発支援を考えてくるのに違いない。*

それは、それで非常に好ましいことで、経済効率や短期的な視野に陥りがちな今の援助業界の閉塞性を打ち破ってくれるひとつのきっかけになるのではないかと思う。社会福祉の問題は、社会開発や教育開発の問題とも重なり合ってくる。‘開発民俗学’を考える際に、この社会福祉論の知見は必須であると考えられる。この方面での思索と研究は今後も続けていきたい。

*:昨日(2007428)、たまたまグーグッていて今、大学一年生となった女性のブログをみたのだが、開発‘支援’という言葉を使っているのをみて非常に驚いた。これは、開発援助ではなく開発支援という言葉を使うということは、哲学的にも非常に大きな意味があると思う。全然、違うパラダイムで若者は動こうとしているのかもしれない。

10講 誰のための開発?(内発的発展論から参加型開発へ)

<今の時点での総括と今後の展望>

この講義では、1990年代から日本の援助業界、特にNGO活動の理論的バックボーンとなった鶴見和子や西川潤らのいう「内発的発展論」と1990年代に大幅な進化を遂げた「参加型開発論」について、自分なりのその連関と今後のその発展可能性について整理を試みようと考えてこの講を置いた。しかしながら、現実の援助業界の動きの激しさに巻き込まれて落ち着いて考察する時間がなかったこと、すでにビックネームがいろいろな総括をしているので、あえて私がこれをする必要性が薄れてきている気がする。

また、そもそも学界も実業界も、さまざまな概念がぶつかりあって、時には融合して社会の大きな潮流をなっている。たとえば、ビックネームとして、鶴見和子、西川潤、原洋之介、池本幸生、ロバート・チェンバース、アマルティア・センが上げられるのはもちろんであるが、今の国際開発学会の先生方でも、少なからず上記の2つの潮流の影響を受けたうえで発言や論文の執筆を行なっていることであろう。つまり、今の若い学生諸君にとってはあたりまえすぎる言葉であるかもしれない。

逆に、私自体は上記の論者の本をほとんど読んでいないし、直接に影響を受けたと思っているわけでもない。つまり、この点でこの項を書くのに私は不適切であるかもしれない。

しかしながら、これらの概念につらなる1980年代から90年代の学問的な潮流の中で、多くの日本人の第一線の実務者・研究者に接する機会があり、実際に、彼らは間違いなくその潮流の中におり、互いに影響を与え合っていた。私としては、鶴見良行氏、片倉もとこ先生とか家島彦一先生とか鎌田慧氏らのフィールドワークを実践する人たちの現場感覚と、‘内発的発展論’と‘参加型開発’という理論とどうクロスオーバーするのかという観点での私論は展開できると思う。

その面で、引き続きフォローしたいテーマではあるが、少し旬を逃してしまった感があるので、また別の切り口で勝負をしたい。

11講 ひとびと(現地の人と専門家と第三者(市民))をつなぐべきもの

12講 ‘開発民俗学’のめざすもの ~Over the Rainbow 新たなる挑戦~

 <今の時点での総括と今後の展望>

10講までに上記のような検討を行った上で、自分としての‘開発民俗学’のめざすものを展開するのが、第11講と第12講である。

タイトル自体は悪くないし、今の段階でも暫定的なことがいえるのかもしれないが、まだまだ時期尚早であるという気がしてきている。

多分、私のいう‘開発民俗学’は、かなり開発倫理学に寄ったものとなるであろう。

しかしながら、今まで強調していたことは、A.いかに現状を認識するかに関して、‘フィールドワークの技術’や ‘リサーチメソッド’などの方法論にも配慮が必要なこと、B.様々な‘既存知’を縦横に利用する必要性があること、C.細かい細分化して分析することも必要ではあるが、本当は全体として捉える‘ホーリスティックなアプローチ’が必要であることの3つで、主にテクニックや心構えといった初歩的なことであった。

これらのことについては、実は第7章までにそのエッセンスを語りつくしている気がしている。つまり今の私のレベルで他人に示せるものは出し尽くしたといえる。バリエーションはあれ、基本的に考えかたは変わらないし、歩く仲間HPの他のページでも同じ問題意識にもとづき実例やその理論(まで至っていないけど)の検証を積み重ねようとしている。

すでに必要な道具はお渡ししました。あとは実践あるのみである。

ということで、『開発‘民俗’学への途 (第1部)』を完結させていただきます。

第2部では、第1部での積み残しやその後の実践を踏まえた上で、次のステージ、‘21世紀のパラダイム論’にまで踏み込んだ考察を行ないます。

ここまで、長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。特に、これから開発や援助を考えてみたい人や、実際に実務者を目指す人のツール箱の一つとしてご活用いただけたら幸いです。

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