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2008年11月27日 (木)

第1講:現場からみた開発

第1講:現場からみた開発

2000715

 

ところで、人は一体誰のために、また何のために生きようとするのであろうか。世のため人のためと言っては、あまりに話が大きくなってしまいすぎるが、実際の問題として、世界の“開発”のための“援助”をとりまく業界は存在する。

 

実際に目に付くのは、政府高官の国際政治がらみの巨大なプロジェクトの数々や、特にうまくいっていないものをマスコミは格好の餌食として広報してくれるが、実際には表には積極的にでてこないが、日本として、そして世界として国際機関、2国間協力をとわず、膨大な数のプロジェクトが現在進行中である。

 

個々の内容は、はっきりいって技術的な専門家の仕事である。実務担当者として、援助機関の職員、調査・計画を行うコンサルタント、実際の工事や調達を行うサプライヤー(商社)、コントラクター(建設)が、先進国サイドとしてあげられよう。そして、受け手(途上国サイド)として、カウンターパート(先方政府機関の担当役人)、実際に便益を受けるべき民衆・住民がいる。

 

いままで、この極めて密接な実務担当者たちの声は、表にでることなく(国家政策の大規模開発の場合、通例、計画自体が実施に移されるまで、公正な入札等のために原則、非公開である)、出来たもの、見えるもののみ批判が集中している。

 

日本の実施したプロジェクトに限ってみても、例えば、とある途上国に行って、この社会インフラ(空港、道路、地下鉄、橋、建物etc.)の建設にあたって日本の企業が計画・設計・施工したことをよっぽど関心がなければ知らないし、見てもわからない場合が大多数であろう。さらにダムや取水施設など山の中にあったり、水道施設のように地中に埋設しているものについては、全く見えないか、仮に街中にあっても道路の下のものには、全く気がつかないで通りすぎているのだろう。

 

これら巨大建造物や社会インフラについて、国内の事業についても、あまりに普通の人たちの関心は低い。瀬戸大橋やレインボーブリッジ、新幹線、高速道路、なにか全てあって当たり前のもの、はるか昔からそれがあったかのように思いこんでいないだろうか。

 

確かに、与えられているものを十二分に利用し、恩恵にあうのは当然のことであるし、都会生活者は特に、自分のゴミの処分すらできない。ひとたび災害に遭えば、ライフラインなどと言われる電気、水道、ガス、電話、鉄道、道路などの破壊は、住民に確実かつ致命的な被害と長期にわたる“不便”をもたらす。

 

ところで、この“便利さ”は、いつからのものかと考えれば、実はそんなに昔からのものではない。トイレや台所回り、洗濯機、冷蔵庫など、身の回りの生活設備にしても、実はこれほど普及するのは、つい最近のことである。

 

時代が進むと、何が変わって、何が変わらないのか。何がよくなって、何が悪くなったのか、特に渦中にいる私たちは、気がつかずに日常を過ごしている。自転車、スクーター、バイク、自動車など移動手段、テレビやラジオやカメラなど、情報機器のありがたさに気がつかないほど、日本はわずかな年月で、“みんな”の耐久消費材としてしまった。

 

物に囲まれる幸せさ、まさかこの数年で、テレビが各部屋に、個人が携帯電話を、テレビゲーム機やパソコンすら、みんなの玩具や文房具扱いになると誰が想像したであろう。なんでもある世界、そして物がなくてもかまわない世界。物質中心的で、みんな文字が読めて書けて、計算もできる世界と、文字をもたない世界、どちらがいいのか。人間の条件とは一体なんなのであろうか。

 

現実の世界は厳しい、特に途上国にいくと本当に何もないようなところで人が住んでいる。ブルキナ・ファソの地方では、全く昔ながらの生活があった。国際機関や各国の援助で、ハンドポンプ付の井戸が掘られたとはいえ、その村の酋長さんの家にはラジオとスプリングが剥き出しの鉄製のベッドと、自転車しかなかった。村の市場でたむろしていた男たちは、みな誇らしげにラジオを身につけていた。学校もあるとはいえ、彼らの何人が“高等”教育を受けているのであろう。いや何人が、読み書き計算ができるのであろう。

 

エリトリアに行ったときのこと、アスマラという60万人ほどの首都は、イタリアの植民地であったこともあり、モダンな西洋風な洋館のたつ街区があると思えば、町のはずれの岡の回りは、給水車がドラム缶に水を配っていた。町の市場では、親父が座っているものの、外国人である私に英語で話し掛けて、数字を計算して領収書を書いてくれたのは、小学生2、3年生かと思われる息子である少年であった。(当然、現地人相手には親父の方が貫禄がある。)

 

パワーエリートと民衆との接点はどこにあるのであろうか。政府の高官に付き合うのと同時に市井の人に触れ合うと、逆に亀裂や溝の深さにたじろぐことが多々あった。しかしどこでも英語学習熱があり、特に子どもに対する教育熱心さには、驚かされる。話が、どんどん飛躍してしまうが、私たちは、何を学ぶことによって、豊かになっていってきたのであろう。この日本で生きていくためには、文字は読めないといけないし、計算もできないといけない。道路の渡り方や電気・水道・ガスそのものというより、それら見えないものの危険さおよび、その器具の取り扱いを知らなければならない。文字を知らなければ、本当に生きていけない。

 

逆に、勉強どころではなく自然条件の厳しさに必死に戦わなければ生きていけない世界の人たちがいる。果たして、よりよい世界とは何なのであろうか。BHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)の充足がまず必要といわれるが、一体、私たちはどこから手をつけていったらいいのだろうか。特に職業として、開発に取り組まざるを得ない人たちは、どこに足場を置いているのであろうか。専門家の世界として、個々人に専門の技術が求められる職場で、私は何を足場に生きていけばいいのであろうか。

 

(参考文献;0-13も関連します。しかし、とりあえず海外に行って歩いてみることをお薦めします。)

 

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