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2008年11月27日 (木)

開講にあたって:いま‘開発’を考えるとは

開講にあたって: いま‘開発’を考えるとは

2000715

 

世の中、この日本国内に限っても途上国や開発に対する人々の関心は、非常に高まっている。ほんの10年前は、まだ欧米以外の外国に関心をもつものはいても少数であったと思う。当然、かなりマニアックな先人が多くいたことは承知の上であるが、実際、私が12年前に「アラビア語」を大学で専攻しようとした時、高校(それなりに進学校であったが)の同級生からは、随分、奇特な人とみられたと思う。

 

全く今思えば本当に不思議なくらいイスラームに関する認識が変わった。たった10年前なのに、ムハンマドはマホメットと言われていたし、イスラーム教徒(いまではムスリムという専門用語も定着してきたが、当時には、回教などという古い言葉を使う人もいた)は4名まで妻をもてるとか、「右手にコーランを左手に剣を」などという言葉がまことしやかに学校教育の場で語られていたように思う。

 

さて、そんな世論や風潮がいかに変わってきたかという、‘超’現代(*)の移り変わりについては、みなさんそれぞれが実感していると思うので詳細ははぶくが、本講でよってたつしばやんの立場について、若干、先に説明したい。

 

しばやんは、1970年(昭和45年)生まれである。(大阪)万博が行われたとか、よど号ハイジャックがあった年とか、「ドラえもん」が少年マンガ紙に連載開始された年と言ってもいいであろう。

世代論というか、生まれ育ちの環境は、人間形成にかなり大きな影響を占めると思われるので、ことあるごとに、それと踏まえずこのホームページで語られると思うが、逆に今、学生をしている人たちとかに対して、まず強調したいのは、「日本もホンの50数年前までは途上国であった」という歴史的事実である。

 

当然、戦後25年もたって生まれた私が、当時のよすがを知る由はないが、しばやんが共感できる一つの立場として、上記の言葉を軸に、今の‘開発’問題を考えていきたい。

 

あくまで、この講義はしばやんの実感から書き起こすが、項の終わりに出来る限りその都度、関連する参考文献をあげて読者の参考としたい。

 

まず、この「日本」の戦後についての手軽な概論として下記の本の立場というかスタンスを大いに参考にしていることを述べておく。

 

(参考文献)

0-1 加々美 光行 『アジアと出会うこと』 河合文化教育研究所 河合ブックレット30 1997

0-2 木村治美 『こころと技術革新』 文春文庫 1989(学習研究社 1985

0-3 朝日新聞学芸部 『台所から戦後が見える』 朝日新聞社 1995

 

*しばやんは、仮定①1955年以降に生まれた日本人は、それ以前の世代の人と人種が違うかと思うほど発想方法というかセンスがかなり違うのではないか、②1992年か93年以降は、‘「超」現代’と言ってよいのではないかと考えている。この件は別項目として「歩きながら考える」で取り上げたい。(ちなみに、当然、お気づきだと思うが、野口悠紀夫氏の『「超」整理法』が中公新書で発表されたのが1993年である。)

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