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2008年11月29日 (土)

第2講: 「開発」をめぐる論議

第2講:「開発」をめぐる論議

200081

 

 開発に対するアプローチとして、その前提条件がどこにあるのかをまず確認しなければならない。私は、特に系統だった開発についての教育を受けたわけではないので、かなり論理に飛躍や見落としが多いと思われるが、とりあえず私見の範囲でまとめると、いままでの、この分野に関するアプローチとして主に次の2つがあるように思う。

 

1.開発経済学に代表される社会科学的なアプローチ

 

‘開発’を経済学が引っ張ってきたという側面はかなりあると思う。そもそも経世済民から、経済という和製語が生まれたとはよく言われていることである。しかし、幕末以来、外来の思想(科学)として輸入してきたこの概念を消化し、自国(この場合、日本)を超えて、世界に適用させようと日本の学界が動き出して、かつ実証的な成果が現れだしたのは、恐らく1970年代以降ではないか。その成果の発表に先立つ現場に足のついた「アジア」を見据えた研究の出発点は、多分、戦後にあり、ある程度日本の戦後復興が落ち着いてきてからだと思う。

 

(海外への展開の萌芽としては、日清、日露戦争に遡れるかもしれないし、満鉄など特殊な機関があったことも事実であろう。そして大東亜戦争を戦い抜くため、もしくは純粋に学術的な興味から、あるいは他分野である歴史・地理などの立場から地域研究を推進した先達たちの問題意識や功績や経験は、いま改めて別の視点からきちんと系統だって評価されなければならない。)

 

ここで使っている「開発経済学」の定義自体をまずはきちんと学問的に押さえなくてはならないと思うが、乱暴に社会科学的なアプローチとしてくくってしまうと、いま話題の「開発社会学」や「開発政治学」等も基本的にこの社会科学的なアプローチといえるであろう。

 

2.鉱工業・農業・社会開発に代表される工学「(CivilEngineering」としての科学・技術的なアプローチ

 

しかし、‘開発’の理論的な枠組みはどこにあれ、実際に開発自体を推進してきたのは、全地球上で普遍と思われた科学・技術自体ではなかろうか。特に、文系の学部から見落とされがちであるが、経済発展の基盤となる社会基盤の整備から、もっと小さく公衆衛生の改善プロジェクトまで、純粋に科学的・工学的・技術的なアプローチであると言い切ってしまうのは乱暴すぎるだろうか。いくらソフト型開発といっても、その前提条件としているのは、科学・技術的な知識そのものだと思う。

 

ところで上記の2つアプローチをみて、単純に気がつくのは、いずれも近代科学の成果を利用もしくは応用して‘開発’をはかろうとしている点であろう。こう考えてくると、‘開発’というもの自体の位置付けというか、定義づけがあらためて必要となってくる。このこと自体が、この小論の目的でもあり、単純に結論づけられるものではないので、まず考える視座というものから確認していきたい。(第3講を参照)また、文脈により括弧つきで‘開発’という言葉を使うことを許していただきたい。(ここでは暫定的に、和語の‘開発’について議論しているが、先進国の中での、例えば’development’という言葉を使おうとすれば、それ自体に対する別の考察が必要である。)

 

 とりあえず、今確認したいことは、‘開発’をめぐる論議の全てとはいわないが、主だったものは、やはり暗黙の前提として‘近代的な’世界における‘開発’の実践なりが前提として討議されているのではないか、ということである。

 

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補足1:結果としての‘開発’行為をどう考えるか?

 

実は、非常に見落とされがちなのだが、実際に世界に‘開発’を輸出し実施、推進しているのは、多国籍企業等、民間による直接・間接的な投資による世界の単一市場化であろう。本稿では、「開発援助の現場」での‘開発’を前提に論を書き進めているが、現実の民間の動きのほうがはるかに速く、ある意味で政策や学問レベルとは全く違った座標軸で世界を変えている気もする。ただし、本稿での議論の対象とはしない。

 

補足2:‘脱’開発をめぐる論議とは?

 

 当然視野にいれなければならないと思うが、いかんせん今の私の力に負えない。今後の講義でいくつかその動きを紹介したいが、個人的には、単なる‘裏返し’の‘開発’議論であってはならないと思う。また、同時に‘開発’自体の位置付けが日本では明確にできていないとも思う。加えて、例えばエジプトの新聞で読んだが、’Development’ の推進や、‘Living Standard’の向上等の言葉は、いわば錦の旗ではないが生きた言葉として途上国では民間に流布している現実もある。したがって、今の時点で‘脱’開発を議論するのは時期尚早な気がするし、‘開発’自体の中味を問い直すほうが先であろう。

 

(参考文献;第3講を参照。)

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