宮本常一+案渓遊地 『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』
出版直後に見かけてはいたのですが、ようやく購入しました^^?
『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』
みずのわ出版、1000円
2008年4月
お薦め度: ★★★★★
一口コメント:
学術的なフィールドワーカーのみならず地域研究や開発援助に携わる人(特に日本人)は必読。
ロバート・チェンバースを読んで感動している場合ではない。
という2つ目のセンテンスは極論ですが、元開発コンサルタントとして、特に開発途上国の開発に携わるコンサルタントなどの実務者に限らずいわゆるお上の人にも読んでいただきたい一冊です。
A5サイズで、事項索引を入れても、わずか118ページのブックレットですが、その訴えるテーマは古くて新しいというか、ずばり「開発倫理」の本です。
歩く民俗学者、歩く仲間の大先輩の宮本常一氏が、1972年に、『朝日講座・探検と冒険 7』に著した小論「調査地被害-される側のさまざまな迷惑」(のちに未来社版 『宮本常一著作集 第三一巻に、「調査地被害」として再録)を第2章に全文を引用して、直接、宮本氏から指導を受けたフィールドワーカー(研究者)である案渓氏が、日本の南の島々でのフィールドワークで体験(経験)した、今なお続く調査地被害、特に調査‘される側’の声をふまえて考察した論文を再録しています。
なお、宮本氏の「調査地被害」という論文については、『歩く仲間-歩きながら考える世界と開発』のブログ(HP)の中で何度も取り上げておりますので、私の立場と理解についてはこちらを参照ください。
>われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(2005年7月3日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm
>文化人類学の1990年代を振り返る (2005年7月3日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm
>ブームの宮本常一? (2006年4月1日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm
>人類学者の皆様に ~援助の‘効率化’って何?~ (2007年2月10日)http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog051.htm
>人類学者の皆様に(補足1) ~援助‘する’側、援助‘される’側の認識について~ (2007年2月18日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog052.htm
>実務者不在の議論(その1) (2007年4月14日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog063.htm
>実務者不在の議論(その2) (2007年4月14) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog064.htm
実は、3月に日本に一時帰国して、大型書店で平積されたこの本をみたとき、宮本氏の論文の再掲ならば、わざわざ買う必要もないと思ってあえて購入しなかったのですが、今回、案渓氏の論文を読んで、‘いまだに’調査地被害が、日本で続いていることに暗然たる気持ちになりました。
上の私の論考でも触れていますが、今の開発援助に関心のある勉強しているはずの若い人たちの間でも、本多勝一の「殺す側の論理」と「殺される側の論理」の議論についても知らない人が多い。既に時代遅れの二項分類ともいわれていますが、これは、ロバート・チェンバースのいう「アッパー」と「ローワー」の議論と同様以上に重要な概念だと思います。
ともあれ、人文科学を目指す人のみならず、広く(地域)社会に関わろうとする人たちは必読の小冊子です。
そうそう、蛇足かもしれませんが、一言で上記の問題を語れば、
「人として」ということではないのかなとも思います。「倫理」と大きな声でいうものではなく、人の迷惑や痛みを考えることとは、人として当たり前のことでもあります。
それを「学問」や「開発」のためというのを錦のお旗というか言い訳にするのは、どうしたものかと思いますね。あなたも私も社会に対して‘上から目線’になっていませんか。自分への戒めとして^^?
P.S.
別のところでも書きましたが、宮本氏のフィールドワーク論(方法論のみならず倫理を含む広い意味での)を編集した『旅に学ぶ』は、フィールドワークに関心を持つ人はぜひ手元において味読していただきたい論集です。
宮本常一 『宮本常一著作集 旅に学ぶ』 第31集
未来社 1986年 2800円
お薦め度: ★★★★☆
一口コメント:
ちょっとお値段が高いのがキズですが、どれを読んでも氏の鋭い視線を感じます。現場で何をみればよいのか。
「あるく みる きく 考える」は氏のモットーでもありましたが、フィールドワーカーである『歩く仲間』の必携書ともいえるでしょう。
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コメント
あんけい・ゆうじ です。ごひいきにしていただき、ありがとうございます。http://ankei.jp/yuji/?n=613
に引用させていただきました。これからもいろいろ、意見交換させていただければ幸いです。
投稿: そのままペンネーム | 2008年11月17日 (月) 09:19
あんけいさま
初めまして。
著者のご本人から直接ご連絡いただけて感激です。素人のなにやらですが、開発と民俗学を(仕事は離れましたが)これからも考えていきたいと思いますので、よろしくご指導をお願いいたします。
なお、宮本氏の論文については、こちらの方に直接に、本多勝一とも絡めて言及しておりますので、ご高覧をいただけますとさいわいです。
人類学者の皆様に(補足1) ~援助‘する’側、援助‘される’側の認識について~ (2007年2月18日) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog052.htm
では、これからもよろしくお願いいたします。
投稿: しばやん | 2008年11月17日 (月) 23:40
親愛なるしばやんさま
上記の補足1その他のblog中のエッセーは読ませていただきました。おっしゃるとおりだと思います。ただ、私は近頃、「側」 という言葉を使わない方がよいかなとも思うようになりました。どちらか一方の立場に固定したイメージにつながらない表現の方がよいとおもっています。10年前からまたアフリカにかよって、ケニアの「鎮守の森観光」のたちあげの場面をコンゴ民主の友人といっしょにみてきました。
http://ankei.jp/yuji_en/?n=102
に英文でのせています。その時の共通の目標は、1)消えゆく森となんとか共存したいと願う人々との交流とはげましあい。2)アンフェアで思い上がりの塊と地元の方にしかられるような現状を超えるフィールドワークの方法の模索、3)私自身の暮らし方を変えて、環境破産と戦争にむすびつかないものに変えるという挑戦、でした。
される側の声の英語版とか、
Researchers, go home! で始まる論文とかも書いていますので、近々私のHPのEnglishのところにのせておきたいと思います。
安渓遊地
投稿: そのままペンネーム | 2008年11月19日 (水) 10:26