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2007年4月

2007年4月25日 (水)

選挙の季節 フィリピンも!

さて、久し振りにフィリピンの話題にふれます。ところで、日本でも統一地方選が4月22日(日)に終わったところですが、以前もふれているように、ここフィリピンも5月14日投票・即日開票の中間選挙に向けて全国津々浦々、選挙活動の真っ只中です。

Pict7375 まずは、マニラの市街の様子から。フィリピンではバランガイ(最小行政単位、日本でいう町内会みたいな規模と感じです)ごとに、主に守護聖人によるフィエスタというお祭りが年に一回あるのですが、そのときに、道路の上に常にセットされている?糸にというかコードに、カラフルなカラーの旗をつけてフィエスタ気分を盛り上げます。

先日、マニラに住む日本人の仲間と話す機会があったのですが、フィリピン生活経験がもう5年以上になる彼女がいわく、「フィリピンの選挙が、フィエスタ(お祭り)であることが、ようやくわかった。」というエピソードを紹介しましょう。「なんか、選挙になると(NGOの生計向上のプロジェクトのメンバーの)お母さん方が、全然、活動に参加しないのよね。なんで、そんなに忙しいのかってきいたら、「選挙で。」って別に何もしているわけでもないのに町が選挙で盛り上がってしまっていて、「いろいろ大変なのよ。」ってことで、そうか、こちらの人にとっては、選挙も祭りと同じ(非日常の場)なのだ。と納得した。」ということで、確かに、みかけだけとってもこりゃフィエスタですわ。

Pict7398 もう、町の商店の壁にもポスターがべたべたです。あとすごいのが、トライスクル(三輪自転車のタクシー)の客席の後ろに候補者のポスターをはったり、候補者の名前入り(さらにすごいのは顔写真つき)のカラフルなTシャツをおそろいできて乗務していたり、本当に、一目で選挙中だなあと感じます。(そのうち、写真を掲載しますね。)

Pict7399 ところで、フィリピンの選挙の激しさもまたよく知られているところです。

フィリピンはそもそも今でも‘国’でないという話があるのですが、まるで地方の豪族というか茗家というか一部の有力なファミリーに政治・経済からアンダーグランドまで牛耳られているという話もあり、選挙では、本当にファミリー対ファミリーの抗争というか、政敵の暗殺というか、実に血をみる激しい選挙運動が繰広げられます。そもそも犯罪率も高い上に、選挙になるとさらに熱くなるというところです。

日本では、投票日直前の4月18日に長崎市長が暴力団に狙撃されたということで、非常に大きなニュースになっていますが、‘フィリピンの選挙で血をみるのは結構あたりまえだからなあ’と、すっかりフィリピンボケしている自分に気がついて、ちょっとぞっとしました。

「暴力や武力による民主主義や自由な言論への挑戦は、断固として許してはならない」というような言説が日本で高まっていると思うのですが、そのようなこともありうる世界(フィリピンも一例)に身をおいてみると、そこまで‘民主主義’や‘自由’が絶対無比の価値をもつものなのだろうかと、ちょっと身を引いて立ち止まってみたくなります。(フィリピンも建前としてはアメリカの忠実な弟子(20世紀初頭から太平洋戦争までアメリカの統治下に置かれた)であり、‘民主主義’国であるのも、また事実であり真実です。)

確かに‘あるべき理念’の‘ひとつ’なのかもしれないが、まだまだ世界は広いし、そこまでたどり着いていないというか、多分わかっていても実現できていない地域や国があるのも事実です。この事実や現実に対して、とにかく‘民主主義はすばらしい’のだから、みんな全世界がそのルールに従うべきというのは、わたし的には、かなり無理があるなと思います。‘Democracy’と日本語にいう‘民主主義’とは実は似て異なったものとなってしまっています。もともと明治時代に輸入された概念は、言葉を変えると共に、その中味も日本人が勝手に作り変えてしまいました。別に英語や元の言語による‘本来’の定義に戻れという気もないし、その必要はありません。

なんとなく(本当は違っているかもしれないけど)合意できる範囲での意味での共通認識がもてれば、まずはいいのではないのかと、そして、やはり、世界は言葉ありきではないので、現実から、誰もが共感・同意できる価値観を探っていく。わたしは、多分、それは非常に簡単(シンプル)な言葉であるだろうと想像しますが、それだけでもOKではないかと思うのです。

無理に‘理念’や‘あるべき論’からはいるのではなく、現実の世界から我々がその場でできる範囲での実行と、そのちょっと先にあるであろう‘理想’を追っていく、そんな仕事(生活と言い換えてもいいのですが)の仕方がしていきたいと思います。

現実を見据えた上で、何をするのか、何ができるのか。世界というか世の中、いろいろチャレンジング(挑戦しがいのある)です^^?

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2007年4月23日 (月)

岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』(2)

さて、前回の記事が中途半端になってしまったので、再度、ここで解説に挑戦します。

岡田氏は、‘洗脳社会’という言葉で何をいおうとしたのでしょうか。目次に沿って、そのパラダイムシフトをみてみましょう。(以下の文章は基本的に、岡田氏の言葉の引き写しもしくは再構成です。)

<岡田氏のパラダイム論>

狩猟時代   (モノ不足、時間あまり)

 ↓

「第一の波」=「農業革命」 (トフラーいうところの)

 ↓

管理社会と身分制度の成立→奴隷制、封建制度の誕生

 ↓

古代科学帝国の成立と限界 (モノあまりからモノ不足へ)

 ↓

「中世」 (モノ不足、時間余り) ⇒ 「高度抽象文明」

 ↓

15世紀の新大陸発見+科学の発展 ⇒ (モノ余り・時間不足の時代)

 ↓

「第2の波」=「産業革命」 (トフラー)

科学技術の発達、合理的思考法、民主主義、経済主義

「自由経済競争社会」 ⇒ 「自我の確立」を求める社会

 ↓

「第3の波」=「情報革命」 (トフラー)

「モノ不足、情報余り」の時代

「情報余り社会とは、一つの事実に対する様々な解釈、様々な価値観や評価・世界観といったイメージがあふれる社会」すなわち「洗脳社会」である。

 ↓

「自由洗脳競争社会」

マスメディアの衰退とマルチメディアの台頭によって、洗脳行為が双方向になり、いままで権力者が独占していた洗脳行為が、マルチメディアの発達によって民衆に解放されつつある。

私たちの生活の変化は、「日常生活において、被洗脳者、つまりイメージ消費者である私たちは、多くのイメージや価値観の中から自分が気にいったものを複数選択していること。/価値観やイメージが増えれば増えるほど、同じ価値観を共有するグループが刑されること。/私たちはそんなグループの中で、自分の価値観を基に複数選択して自分の生活をコーディネイトしていること。」に、すでに現れており、こうした人間関係の細切れ化は、これからもどんどん激化する。これは、「結婚」や「家族」の解体をも意味する。

 ↓

「何ものにも自分の人生を縛られない」という自由を得ることができる(社会)。

以上に岡田氏の理論をかいつまんでみましたが、氏いわく、現代社会は以上の世界観で読み解けるというものです。ほんまかいなと思うむきもあるかと思いますが、かくいうわたし自身は非常なる‘納得’をもって氏の論に合意してしまっているのです。

氏がいうところの近代/現代のパラダイムである『科学至上主義*=「科学や合理主義は、私たちを幸せにする」という価値観』や『経済至上主義=「一生懸命働くことが、みんなの幸せにつながる」という価値観』を、わたしもすでに素直に信じられないのです。

* 科学主義とは民主主義、資本主義、西欧合理主義、個人主義といった価値観を含む一つの世界観をいう。

なにか、ついポロリとカミングアウトしてしまったような後味の悪さが残りますが、わたしも近代のパラダイムに乗っかりながら、自分も裨益しながらも「現代社会」を居心地悪く感じている「洗脳社会」世代の一員であることは、間違いありません。

でなければ、そもそもこんなブルグもやりませんって^^? すでに洗脳戦線に参戦しているって感じです。

最後に、あえての私の「洗脳社会」論に対する疑問をのべます。

疑問というか、そもそも論なのですが、今の現代社会が全て、「近代社会/現代社会」の段階に至っているわけではありません。文明論や歴史論で陥りがちなことですが、現実の世界ではいろいろな段階の「社会」がそのまま共存しているのです。そもそも社会発達論ってわたしは嫌いなのですが、全体を俯瞰しようと抽象化すると具体的な‘現実’そのものを見落としてしまいます。ある意味、この岡田論は、日本とか一部の西欧地域では妥当なところもあるでしょう。しかし、それ以外の地域では、「自由経済競争社会」にも至っていない(いやな言い方!)地域が多く、まさにそれが「グローバリズム」に適応できる地域(国)とそうでない地域(国)との大きな摩擦を引き起こしているのです。

「狩猟社会」、「農耕社会」、「封建社会」など言い方(ラベル)はどうでもいいですが、それはそれでよい(認める)というところまでいかないと、これからの世界はきびしいと思います。

まあ、最後は、「グローバリズム」はあきらめて、何でもありの世界のまま=ほっておくのも手かもしれません。

結局、国連とか国際機関というチョー近代的な組織のいう論理は、『科学至上主義』『経済至上主義』の枠(フレームワーク、パラダイムといってもよい)から一歩も踏みだせていないのです。変な話ですが、それらの「科学主義」や「経済主義」の考え方が全ての地球の人類ができるようになるために、何百年かかることか。(すでに何百年も啓蒙や教育に字間を費やしていることを考えてみましょう)

わたしは、誰でもわかるような、もっとシンプルな原理・原則があるはずだと思います。もしくは、すべてのパラダイムの存在を可とするような、「メタ・パラダイム」というか。

おっと、形而上学や「メタ」理論に走るまいと思っていたのに、結構それも好きだったりして^^?

まあ、現実世界のフィールドワークから、どう「小」理論、「大」理論を展開するのか。やっぱりどこかで抽象化は必要だと思うのです。飛躍しすぎてもいけませんが、いつまでもバタバタと地べたを這いずり回って事実だけを重ねてもみえない‘もの’があるのではと思います。

いろいろ考えることがあると楽しいですわ、本当に。

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2007年4月21日 (土)

岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』

パラダイム論の最高傑作。おそるべし、オタキング。

Bokutachi 岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』 朝日新聞社 朝日文庫 1998(単行本は、1995)

お勧め度: ★★★★★、 ジャンル: パラダイム論

少し古くなってしまったが、この本を読まずしてパラダイム論を語るなかれ。確か、2000年ごろたまたま図書館で借りて読んで、のぞけそった覚えがある本である。(すぐ購入しようとしたが、なかなか手に入らなかった記憶がある。)

著者は1958年生まれ、アニメやコンピューターゲームのプロデューサー・社長、俗にいうオタク文化の情報発信者。1992年の東京大学教養学部オタク文化論ゼミの非常勤講師など、‘オタク学’のオーソリティーというか、知る人ぞ知るすごい人なのである。‘トンデモ本’というジャンルを一躍有名にしすめたドンデモ学会の創設メンバーの一人でもあると思う。

この本を一言で説明すると「アルビン・トフラーの『第3の波』(1980年)と境屋太一の『知価革命-工業社会が終わる 知価社会が始まる』(1985年)を敷衍して、‘新しい’パラダイム論を展開した」ところにあると思う。

つまり、戦後世代のパラダイム=21世紀のパラダイムを先取りしたとでもいおうか。特に、パラダイムの考え方とその説明、今まで支配的であった旧世代の考え方を『トフラー・境屋タイプ』、『私たち=若者を中心に広がりつつある価値観』(=戦後世代、私がいうところの1955年以降生まれの世代 しばやん補足)という2つの価値観を仮に設定し、今までとこれからのパラダイムを考えてみるというものである。

トフラーのいう、第一の波(農業革命)、第2の波(産業革命)、第三の波(情報革命)の特に、第三の波について、それは、第2の波である産業革命によって形作られたパラダイム、たとえば、「自由競争」「民主主義」とかニュートン力学などによって代表されるパラダイムでは読み解くことができないことを、境屋の「豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しいと感じる、人間のやさしい情知」というキーワードで読み解くという試みである。

ちなみに、岡田は、「高度情報化社会」を「洗脳化社会」と読み解きます。

うーん、ここまで書いてきて、非常に解説が難しいことに気がつきました。一言、非常にわかりやすい本です。ぜひ原本にふれてみてください。

自分の立っているこの‘世界’が決してひとつの世界ではなく、常に新しい‘パラダイム’によって解釈しなおされてきた、きわめて恣意的なものであったことに気がつくでしょう。つまり、すでにわれわれは‘パラダイム’によって常に洗脳されているのです。

自分がそのようなものに縛られていることに気がついたとき、あなたは昨日や今日とは違う明日へ一歩を踏み出していることでしょう。

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2007年4月16日 (月)

開発学の101冊 凡例

「開発学の101冊」、これは、『開発民俗学への途』の第8講に位置づけられるものである。とりあえず、はじめの一冊を紹介したが、ここで凡例をまとめてみたい。

構成:

1.表紙写真、

2.タイトル (著者名、タイトル、出版社、出版年)

3.お薦め度: 星マークによる五段階評価。(例 ★★★☆☆ 3つ星のお薦め度)

4.使える度: ◎購入する価値があるかも。、○知っておくとよいかも。

5.ジャンル: 「ディスプリンによる分類」(A)、もしくは「調査・方法論」(B)

上記について補足説明すると、まず「3.お薦め度」と「4.使える度」については、あくまで私の主観であるので適当に参考にしていただきたい。なぜなら開発学の分野はとても広いので、何でもかんでも読む必要はないし、全てを買うわけにもいかないだろうからである。まあ、おもしろそうだと思えば手にとってみてください。

また5のジャンルについてはあまり細目を決めていない。今の時点で考えられるのは、A: ディスプリンに関わるラベリング B.調査・方法論くらいで、Aについては、通常どのように分類されるかをラフに書くぐらいのことしか考えていない。実は書籍や論文のジャンル分けというのはあまり意味がないと思う。同じ本でも、哲学書としても読めるし、社会学としても経済学としても、つまり読む人の関心によってどうとでも読めてしまうのである。

したがって、このブックガイドでは、広い分野から、開発学、特に開発民俗学を考えるのに参考になりそうな本をA分類の本として取り上げることとする。

ただし、調査・方法論の本は、ディスプリンを問わず、いわば共通のテクニックみたいな側面もあるので、それはそれで一分類(B)とする。

ところで‘歩く仲間’の大先輩の鶴見良行氏がおもしろいことを言っている。

「学問の技術と方法は、鎖の輪のように、重なりあっている。この二重部分の核心にあるのが関心や問題意識だ。ややアカデミックにいうと、作業仮説である。この核心から右に行くと技術になり、左に進むと方法にゆきつく。」 138頁 「フィールドワークの方法」『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995

このたとえでいうと、‘関心や問題意識’を高めるための本(A)と、技術や方法についての本(B)という区分ということもできよう。

もし一冊でも、読者の方におもしろそうな本があると思っていただければ幸いである。

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日沖宗弘 『プロ並に撮る写真術II』

Cci00015 日沖宗弘 『プロ並に撮る写真術 II 心を揺さぶる写真をとるために』 勁草書房 1993

1.お薦め度: ★★★☆☆、 2.使える度: ◎ (凡例は下述)

3.ジャンル: 調査・方法論 (凡例は下述)

前回、『開発民俗学への途』で予告した100冊の本(ここでは101冊と仮にしておく)について、どういう形で発表するか考えてみた。一気に101冊を選んで概説をつけることは逆にやさしいことだが、この手のリストは、今までにもいろいろ試みている。したがって、ひとつひとつ解説を多くして小出しにすることにした。

まず一冊目、何にしようかと迷った。一言でいうと「不思議な本」である。写真術の名のとおりの本でありながら、単なる‘カメラ’や写真‘技術’の本ではない。内容は、クラシック・カメラやレンズの案内、作例紹介、写真をめぐる日沖氏の精神論というか宇宙論というか人生論というか、非常に‘哲学’的な内容で、カメラや写真に関心を持つ人はぜひ手にとってほしい。

日沖氏、いわく、「小さく軽くて丈夫でよく写り、応用がきいて愛着がわく」カメラを追い求めていくと、「一部のクラシックカメラ(1930~60年代)」に行き着いたということで、特に仏像や日本画の研究者として美術写真のプロとして、古今のレンズ・カメラを彷徨した記録でもある。

私が写真に関心をもって自分でカメラを買ったのは、実は非常に遅く、大学を卒業してからのことであった。それまでは、「写るんです」をまじめ?に使っていた。さすがに、卒業旅行でタイなど東南アジアに海外旅行に行くので、ようやくしぶしぶ購入したというのが正しい。まず最初のカメラは、オリンパスのμパノラマ、最初期型の黒のボディーのもので、35mmの単眼レンズのものだった。たまたまデザインがよかったのと、小型軽量でスライドスイッチひとつでパノラマが写ることと、レンズカバーがスイッチになっていて余計なボタンがなくシンプルであったことが選んだ理由だったと思う。

しかしまた、このカメラは非常によく写った。レンズは、f3.5とすこし暗いのだが、写真の絵が非常にビビッドなのである。また軽量でコンパクトなので世界中に持ち歩いたが、非常にタフであった。エジプトの北東シナイの調査で、沙漠で写真を撮ったときもほかの人のカメラが砂を噛んで故障したときも、私のカメラだけは、全く故障知らずであった。

結局10年近く使ったが、最後に、ヨット部のファミリーデーで海に行ったときに、ハーバーのスロープでヨットを引き上げるのを手伝った際に、うっかりズボンのポケットに入れたままで塩水の洗礼を受けて一発でお釈迦となった。

そのときに思ったのが、電池がなくても写るカメラがほしいという気になってクラシックカメラに関心をもって、ライカを買おうということになったのだが、その失敗や、その後のことについては、またあらためて述べることとする。

とにかく今はデジタルカメラや、カメラ付き携帯電話が全盛の世の中であるが、研究や仕事でよい写真を撮ってみたいと思う人は、ぜひ一読することをお薦めする。

ローライ・コードなど2眼カメラから、ライカ、コダックレチナ、コンタックス(カール・ツァイス)ヴィテッサ、ローライ35など往年のクラシックカメラ(レンジファインダーのみならず1眼レフのコンポについても詳しい)の購入ガイドと読むこともできるが、氏の‘本物をみる目’というものを垣間みるのは非常に興味深いと思う。

主な目次: 「今、なぜ写真なのか」、「初心者の皆さんへ」、「取材・撮影旅行の実際」、「取材を前提としたカメラシステムの選び方」、「名レンズを味わうシステム」、「新型カメラ・クラシックカメラの使いこなし」 など精神論から実践論まで。

ちなみに、同シリーズとして、正篇「ひとりで仕事をする研究者・ライターのために」からIVまであるが、正篇、II、IIIを読んだ経験からは、このIIが一番、内容がまとまっていると思われる。とにかく不思議な本である。

なお、氏はオーディオや車おたく?でもあります。

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2007年4月15日 (日)

‘みる’ということ ある対話より

先日、シニアのコンサルタントの方とお話しする機会があった。彼いわく、見るには3つの段階があるとのこと。

A: 見えるものが見えない人

B: 見えるものしか見えない人

C: 見えないものも見える人

いちおう説明すると、Aは、視野が狭かったり先入観で眼に入っている現実そのものを、みることができない人、Bは、見えるものしか見えない人(まあ、普通の人という意味ですか)。Cは、想像力と経験がものをいうというか見えていないものも見えてしまう人。

その後、彼いわく見るためには訓練がいるとことに話が続いたのだが、彼が自分をどうとらえているのか、どういう意図でこのような議論をしたのかということは一旦、置いておいて、そののち一人で、果たして自分はどれにあたるのか、どういう意味の例えであるのかについて、つらつら考えてみた。

今時点の結論からいうと、本人がどう思うかは別にしてAの人が世の中の大多数であろうこと、そしてBの人間であると自己断定するのは非常に難しいであろうこと、もし自分をこのスケールに位置づけるとしたら、下記の感じでありたいと思った。(○が私の理想とするポジション)

  A ---○- B ----- C

彼が自分自身をどう考えているのか、わたしをどこに位置づけているのかは、今は問わない。もし彼がCをよい意味での価値を置いているとしたら、わたしは、本当にそうだろうかと思う。

Cの‘見えないものも見える’ということは、想像力の問題、シンパシーの問題、さらにいえば経験の問題、思考の柔軟性の面など確かに重要であることは認める。

しかし、自分が、‘見えないものを見える’と考えてしまうところに、傲慢があるのではなかろうか。

わたしは、Aの人こそ、‘人間’として共感が持てる。自分をBだと自信をもって言い切れる人がどれほどいるか知らないが、そう思うことにについてもそれは勘違いではないかと言いたい。

いくら気をつけたところで、必ずといっていいほど見落としがあるものである。これは、宮本常一が渋沢敬三の言葉として何度となく繰り返していることで、私の仕事での経験や人生を振り返ってみてもBというよりむしろAの‘見えていることすら見えなかった’という経験のほうが多い。何であの時、気が付かなかったのだろうと、反省というか後悔することしきりである。

Cのようなことを平気で語るというのは、ある意味、無茶だと思う。‘見えていないことが見えた’と言ったり考えたりするのは、その本人が言っているだけで、なんら‘見えないもの’を見たという証明や根拠がないからである。

‘見えないものがある’という仮説を立てたり、そういう前提を持つことは必要で重要なことである。しかし、それは仮説であって、もし‘見えなかったものが見えた’というのであれば、‘見えなかったのもの’について必ず裏をとるというか検証しなければならない。

‘生涯一書生’という言葉がある。Cのような人が現実にいるかもしれないし、別にそれを否定する気はないが、Cのような考え方は‘専門家のわな’のひとつの典型のような気もする。

自分はといえば、別にそうなりたくもないし、わかったつもりでも見落としがあるはずだと思っておいたほうがいいと思う。少なくともAとBには、それなりの、つまり‘本人が見た’というリアリティがある。しかし、Cの‘見えないことが見える’ということには何の根拠もない。単なる‘自分がわかっている’、‘見えている’という思い込みだけである。これは、科学的な態度としてもどうかなと思う。

別に、シニアの方がいわんとしたことは、私の上の議論とは関係ない別のことをいおうとしていたのだと思う。以上の考察は、単なる私の解釈であることを申し添えておく。

P.S.

ところで、実は‘みる’ということについて、自分なりに以前も、考察したことがあった。参考までに紹介させていただく。

『開発民俗学への途』: 

「第3講: 現状分析の視座をどこにおくのか?」 2000年8月12日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r003.htm

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実務者不在の議論(補足)

そういえばと思って、仲間の環に吉田鈴香さんの雑誌記事のブログをリンクしました。

国際支援ジャーナリスト 吉田鈴香の人物レポート「国際協力を仕事にした女性たち」

http://blog.5012.jp/nikkeiwoman/essay2/

吉田さんは、直接面識がございませんが、国際開発ジャーナルという業界紙でもよく記事を掲載されています。この出版社は、私のHPの別のところ「SKNS :http://homepage1.nifty.com/arukunakama/l001.htm]や「開発援助に関心のある方へ:http://homepage1.nifty.com/arukunakama/odainfo.htm」でも紹介(リンク)がありますが、ここでも再掲しましょう。

国際開発ジャーナル社:http://www.idj.co.jp/

まあ、開発援助業界は、業界紙も少ないし、専門のジャーナリスト自体も少ない。それはそれで仕方のないことかもしれませんが、誰かベンチャーでもっとこのような情報発信をしていただきたいものです。

私の新しいHPもアドボカシーや情報発信についても正面にとりあげたいと思います。

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2007年4月14日 (土)

実務者不在の議論(その2)

さて、ちょうど10年程前から、日本の開発援助の世界でも「参加型開発」とか、PCM、PRAなどの概念やツールが入ってきて、特にJICAの開発調査の世界で、参加型バブルみたいなことがあった。

私はそのころ海外部には属していたが契約管理や事務方の書類作成など後方支援の仕事をしており、社内でも、そのような調査に参画した方々が新しい概念やツールに夢中になっているのを横目で見てきた。しかしながら、そのような渦中にいながらも、自分は非常に醒めていたのを思い出す。

例えば、アフリカでパイロット調査や実証調査を行なう。今までは、JICAの開発調査の中ではやってこなかった。当然、新しいトライアルでいろいろ調査を行なう側のコンサルタントも日々、新しい経験の連続だ。だが、それを横で見つつも、私は、「パイロットや実証調査をする受益者の人たちは調査団(調査主体と言ったほうがよい)のモルモットではない。彼らには彼らの生活がかかっているのだ。」と思っていた。

私は、大学でアラビア語を学び、地域研究の入り口のようなことを学んできた。少なくとも人文系の自分にとっては、現地の歴史、風土、人間文化に対する社会配慮は常識の話で、特にアラブ・イスラーム関係については、大学時代から日本の最先端の一流の研究者の方々の謦咳にふれる機会も多く、歴史、文化、人類学、日本の研究者の関心と、その研究成果について、なんとなくつかんでいた。

特にイスラーム地域の開発を考える場合、ザカート(喜捨)やワクフ制度などの土地制度や社会保障制度が全然西欧とは違うことや、宗教の生活面における制約が大きいことなど当たり前の話であり、特に日本の中世研究では世界レベルでも非常によい研究を行なっている。しかしながら、それらの日本の学界の知見は、援助業界ではそれほど知られてもおらず生かされてもいなかった。今でもギャップというか溝があると思う。

しかし、一見古臭い歴史研究や社会学的・人類学的な研究は、当然、今の現実世界と対峙するのに有効であり、特に‘開発援助’などという大きな社会的な介入にあたっては当然、踏まえておくべきことである。

ただし、なんどでもいっていることだが、仮にそのような知見を持っていたとしてもそれを「効率的に」「効果的に」使うことに対しては私は反対である。

「誰のために」、「何のために」という基本的な力の方向性を定めぬままの力の行使は例えば、「諸刃の刃」のようなもので、自分も相手も傷つけてしまうと思う。

私は、開発推進論者ではない。あえて言えば、消極的開発論者というか単なる実務家でありたいと思っている。もし、開発が歴史的な必然であれば(実は先進国の意図が大きいのは明らかなのであるが)、その自然や社会に対する主に悪影響をすこしでも緩和しようと思っているだけである。

あと、自分のモットーとして、「内部から変える」ということを常に思っている。もし、今の援助業界に問題があるとすれば、外部からコメントや文句をいうだけでなく内部の人間が変えていく。それは、ずっと意識してやっている。

さて、最近の学界と実務者の世界の接近で気になるのは、「研究の手段としての開発援助」を考える人(特に若い人)が増えているのではないかということだ。

私にとっての開発援助は仕事であって、研究や自分の趣味の対象ではない。当然、自分の観点からの分析はする。しかし、自分の趣味のために仕事をしているわけではない。

変な言い方だが、自分の研究のために援助の現場を利用するというのは邪道ではないかと思う。「学界」と「実務」の世界を橋渡しするというと聞こえはいいが、それぞれの分を守った上での共同はできるはずである。

逆に、学界には、声を出したくてもいろいろな事情で自ら話すことのできない「実務者」の声を聞いて、社会に問うてくれることを期待したい。

私は、援助業界に限らず、日本の社会すべてが実務者のこえが適切に社会に還元されているとは思わない。例えば、新聞記事のいかに表面的なことか。これは、ジャーナリストや学界の怠慢というべきではないか。もし、オピニオンリーダーを自認するのであれば。

まあ、そんな個人的な不満も踏まえ、新しいHPを近々開設します。

「(自分のほしいものが)なければ、自分で作ってしまえ」 これも私のモットーのひとつです。

ではでは^^?

P.S.

ところで私の会社は農業・水資源開発・地域開発が専門のコンサルタント会社である。「参加型開発」などという言葉が話題になる前から、農業・地域開発は、農民や受益者の参加型の開発計画を立案し、事業を実施してきた。これは日本でも海外でも同様である。PRAなどという言葉以前に、そのような調査はしてきたし、受益者の声を聴く。これがなければ、どんな農業開発の事業も行うことができなかった。と、シニアのコンサルタントたちが笑っていたのを思い出す。

「学者」には目新しいことでも、「実務者」にとっては当たり前のことって、いくらでもあるのです。本当に^^?

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実務者不在の議論(その1)

最近、なぜ、日本の国際開発学会のうち、特に人類学系の人たちの研究方針に関して疑問というか危惧を感じているのか、ちょっと考えてみた。

一言でいうと、「実務者の不在」である。少なくとも日本の開発援助を語るのには、概略2万人とも3万人ともいわれるコンサルタント・エンジニアの存在を無視するわけにはいかない。

確かに彼らは、民間企業の人間で、JICAやJBICの仕事をしているとはいえ、それは契約ベースでの話しで、しかも契約上の守秘義務という問題がある。(わたしもその業界の内部の人間ではあるが)

あと、スキームの問題もある。日本の一般では、青年海外協力隊やNGOの国際協力活動は目にもつきやすいし、近年は、いろいろな紹介されるチャンネルも多いが、逆に、JICAが行なっている開発調査は、ほとんどの人が内容も知らないし、円借にいたっては、どうしても経済インフラばかりという偏見?もあるし、実際には多くの日本人がコンサルタント業務を担当していても相手国政府から雇われているということもあり、日本では大きなニュースとして取り上げられない。

しかしながら、多くの日本の普通の観光客が利用している例えばアジアの空港や高速道路、鉄道など、ほとんどの主要インフラが日本人の税金で作られている(円借なので、正確には相手国政府から返してもらっているわけであるが)ことに、誰も気が着かないし、二本政府も積極的に知らせようともしていない。

例えば、フィリピンでは、ニノイ・アキノ国際空港の第2ターミナルや、マニラの高速道路、LRT(軽架鉄道)あと、目に見えにくい水道やパッシグ・マリキナの排水事業も、日本の援助が使われている。またサマール島とレイテ島を結ぶ美しい道路架橋も日本の援助だ。

つまり地元の観光資源や社会基盤となって十二分に地元社会に貢献しているのに、日本の文字はそこにない。サマール島の橋にいたっては、日本語の旅行ガイドブックに載っているくらいなので、それなら、これは日本の援助で作りましたと注をつけていただきたいくらいだ。

ちょっと脱線したが、日本の開発学界に、これらのコンサルタントやエンジニアの実務者の声を積極的に聞こうという雰囲気があまりみられない。彼らは、当然、積極的に発言する立場にないし、先の守秘義務ではないが、言いたくてもいえないことも多い。

しかし、彼ら、実務者を抜きに、「ODA改革」や「ODAタスクフォース」など委員会などを、官や有識者(学界、ジャーナリズムなど)だけで構成することに対して、非常に違和感を感じる。当然、業界団体を通じた介入というか陳情?はしているのは承知のうえであるが。

何度もいうようであるが、開発の道、30年、40年という実務家のプロが日本には何万人もいるのであるが、彼らの声は、ほとんどメディアでは聞くことができない。

まるで存在しないかのように。

ただし、これは日本の全ての働くお父さん・お母さんについていえることである。みんなそれぞれ社会に貢献しているのに、一部の人の間でしか、その経験や業績は語られない。

まあ、そのようなささやかな経験や幸せを語るメディアが存在しないというのも、事実であると思う。

(この項、続く)

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2007年4月 7日 (土)

春なのに~外大ヨット部フォーエバー

日本では春漫爛の新学年、新学期の真っ最中のはずなのですが、私はといえば「春なのに」という感じですね。理屈ではわかっていたはずなのですが、いざ実際に大学やクラブがなくなってしまうとは。

ご存知の方も多いかと思いますが、大阪外国語大学が2007年10月から大阪大学に(吸収)合併されてしまいます。キャンバスは当然、そのまま残りますし、学部の一部分は大阪大学の外国語学部として残るわけですが、それにしてもまあ・・・。

Fh000023 とりあえず2002年8月3日のヨット部のファミリーデーの写真をマイフォトのところにアップデートしました。今後、ちょっと外大ネタやヨット部ネタが増えるかもしれませんが、それはそれとして見逃してやってください。

P.S.

そういえば、『かぐや姫 フォーエバー』という2枚組みのアルバムがあったけどあれはよかったなあ。田舎にCDを置いてきてしまったので今、手元にないのが残念です。

↑だめだめ、こんな後ろ向きのことを言っていては^^!

上を向いて歩いていきましょう^^?

<ちょっとした薀蓄として>

大阪外国語大学の人は、自分の学校のことを、「外大」といいます。東京外国語大学の人は、「外語」という人が多いようですね。ぜんぜん関係ない人に「大阪外語」と省略されるとちょっと違うのではと思います。「東京外語」はあっても「大阪外語」とはあまり言わない。「大阪外大」は当然OKなのですが、「東外大」とは言うなあ。まあ、どうでもよいことですが。

あと、これもまたしょうもないことですが『現代用語の基礎知識』に「関西弁」のコーナーがあるのですが、以下の例は、たぶん間違っていると思う。なんど聞いてもどうにもしっくりきません。

「茶をしばく」とは言いますが、「牛をしばく」とは絶対に関西人は言わない。「牛いわす」とは言いますけど。これは、ギューといわせるということなのでしょうね。(ネイティブな関西人でないものがいうことではないと思いますが)

「茶をしばく」: お茶を飲みにいくこと。

「牛いわす」: (吉野家の)牛丼を食べにいくこと。

マニラで日本のちょーマイナーなローカルネタも、まあよしとしましょう^^?

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人の話しをきくということ(ミンダナオ調査)

3月にミンダナオに調査に行ったときのワンショットです。

Ruth_interview 農地改革の仕事で、EUの援助している中部ミンダナオ農地改革地区サポート事業のプロジェクトサイトをみてきました。

ローカルコンサルタントと一緒に受益者の話を聞くのですが、実はしゃちほこばった公式な?インタビューよりも何気ない世間話の方が、おもしろい話を聴くことができます。左の女性は3人のマリアで紹介したルースさん。パナイ島のイロイロの水利組合の組織化の実践者でもある彼女の冗談交じりの話はおばちゃんたちにも受けていました。

こんなときに、外部者の限界とその利点を感じますね。ワークショップやインタヴューではどうしても言葉ができないので、英語のできるローカルコンサルタントや同行してもらう役人のスタッフや、現場のNGOに通訳を頼まなければならない。でも実際、彼らも興にのってくると現地語でどんどん話が進んでしまうので、いちいち通訳してもらえるわけではない。でもなんとなく何が話題になっているかはわかるものです。この話に十分入り込めないところは外部者しかも外国人の限界でしょう。

でも外部者の利点は、違った視点で現場でみることができたり、特に他地域と較べた話ができることでしょう。特に非構造的インタヴューでは、ローカルスタッフが当たり前だと思っているところを、しつこく何でとか、どうしてと突っ込むことができること。政府の職員も受益者や農民が当たり前だと思っていてわざわざ記録にとらなかったり話題にもならない点を突っ込むと、お互いに目からうろこ的な発見があったりします。

個人的には、こんな七面倒くさい理屈よりも単純に、さまざまなところに行って、自然にふれて、人にあって、特に子供の顔をみるのが楽しいということが自分のモーティベーションを高めているのだと思います。

Children_1 左の写真は、上の写真とは別の農地改革地区の写真ですが、この集落は山奥にあり、近年、砂利道ができるまでは、バイクや馬が通れるくらいの小道しかなく、ふもとの町まで、丸一日かかったとのころで、当然ながら電気もなかったところだそうです。プロジェクトによって簡易水道施設ができたり、多目的集会場、保健所ができたりする。このEUのプロジェクトのひとつの特色は、NGOが村に住み込んで住民の組織化を図っていくところです。インフラ整備は、1年に1個のみ。極力、住民負担と地方自治体の貢献を重視する。今回の調査では、事業の実施のグッドプラクティスを検証するというのがひとつの大きな目的だったのですが、現場から非常に学ぶ点がありました。教訓としては、教科書に書いてあるような結構当たり前の答?ばかりのような気もするのですが、それが単なる理論でなく実践の裏づけがあるということ。その1点だけでも、現場を見にいった価値があるというものです。

ところで、これらの子供たちは、先住民族の部族の人たちで、1-6年生まで400人、7クラスで先生が8名、午前と午後の2回の授業があるそうです。小学校の完了率は一学年70名ほどのうち20数名、つまり30パーセントしか卒業できない。小学生で、片道10Kmを2時間かけて歩いて通っている子もいるそうです。高校はこの集落にはなく、近隣の3つの集落に1つの高校があるそうです。当然ながら、高校進学率も10%以下と低く、毎日、片道3時間かけて歩いて通っているそうです。

つくづく如何にわれわれ日本人が恵まれていることかと思わずにはおられません。

スタッフの一人から、「この子供たちは日本人なんてみたことがない」と言われましたが、それもさもありなんという感じで、一体、自分に何ができるのだろう、この出会いに対して自分はどこまで真剣さをもっていたのだろうかと思う今日この頃です。

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2007年4月 1日 (日)

夕日がとっても・・・。

1_pict7359 夕日がとってもきれいだったので、とりあえずアップしてみました。(3月27日(火)のマニラ・ケソン市の夕日です。)ヤシの葉っぱがやっぱり南国らしいでしょ。

前にも書きましたが、11月に事務所を移転しました。新しい事務所は、3階の角部屋で、2面にガラス窓があって外の景色がよくみえます。わたしは、窓がない部屋とか風とおしが悪い部屋はどうしてもだめで、窓を開けて外をみるとほっとします。

窓で思い出したけど、私は必ず窓を開けて寝ています。その理由は、たしか小学校の高学年の時、探検家にあこがれていて、20世紀始めに南極点の一番乗りの目指したノルウェーのアムンゼンか英国のスコットのどちらかが、極地探検に備えるために、子供のときから、どんな寒い夜でも窓を開けて寝たという話を本で読んだのがきっかけで、自分もそうしようと^^?

(たしかこのエピソードはアムンゼンだったと思います。)

でもおかげさまで、風邪もめったにひかないし、小学校4年、6年から高校卒業まで、無遅刻無欠席だったのもアムンゼン様様ですね。本当に子供ってやつは、しょうもないことに意地を張るものです。(小学5年生の時、2月の土曜日に半日だけ休んでしまったんですよね。半日這ってでも学校に行っていれば9年間連続だったのに^^!)

おっと、夜の静寂もふけてきました。今日は、私の37歳の誕生日なんですね。

とにかく今まで健康で生きてこれたことにまず感謝。これからまだ何があるかわからないけど、自分でも、なにか生きてきてよかったなと思える人生を送りたいです。よくばりですが仲間から、しばやんと出会えてよかったと思ってもらえると、さらに嬉しいですね。

では、これからもよろしくお願いいたします。

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