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2006年11月12日 (日)

誰のための旗? 国旗を掲げるということ。

今日、Flags of our Fathers - Every Soldier stands beside a Hero - Clint East wood 監督をみてきました。

フィリピンに滞在していて嬉しいことの一つが、映画が非常に安く鑑賞できること。これはあくまでも外国人の私たちにとってという意味ですが、街中の映画館で、100ペソちょっと、指定席でも200ペソかからない(日本円に換算するときは、ラフに2倍にしてください)ということ、フィリピンの映画産業もそれなりに盛んなのですが、洋画(アメリカの大手映画配給会社がさすがに多いですが)が、リアルタイムで、ぼんぼん封切られている状況というのは映画好きにはたまらない環境といえましょう。(封切られる映画の件数が、日本に較べてあまりに多いため、日本では話題のロングランとなるような映画も、2週間あまりでロードショーが終わってしまうことが多いことは、その反面、残念なことですが)

さて、この映画は、1944年、太平洋対戦末期のアメリカの硫黄島への攻撃と、そのときの硫黄島の山頂に立てられた星条旗をめぐる話で、当時、フロッグを山頂に立てたとされる若い6名の兵士たちのアメリカ本国での戦争ヒーローとしての歓待というかアメリカ市民の熱狂振りと、兵士の回想の形で示される実際の戦闘の激しさのギャップ、そして戦争が終わった後の、ヒーローたちの足跡が、一人の兵士の息子の取材活動という形で丹念に描かれます。

非常に、重たいテーマの映画ではありますが、まずなによりも、このような映画を撮影して公開してしまうというアメリカの懐の深さに感心します。(ワーナーブラザーズが配給)

ところで、このような戦争回想ものの映画は、かなり政治的な意図というか、その時代の空気を反映して作られるのが常ですが、この映画には、確かにイラク戦争を戦っているアメリカの時代を反映しているといっても、微妙に肩透かしをしているというか、この監督は非常な確信犯だと思います。つまり、アメリカの立場を反映していないというか、決してプロパガンダ映画ではない、観るもの全てに、いろいろなことを考えされる作品だと思います。

最近、日本でも話題になった『ワールドトレードセンター』を観てきたので、それと絡めてこの映画について書こうと思ったのですが、やはりそれはやめておきます。セプテンバー11(2001年9月11日)と、この映画を併せて語ることは、かなりの曲解をしようとしているというか、危険な気がしたからです。

「ワールドトレードセンター」の感想は、別途のべるとして、この2つの作品の共通点として、なるべく事実(と思われること)を淡々と語ろうとしている点、つまり事実の重大さをそのまま観るものにぶつけるという、いわばドキュメンタリーのような手法なのですが、ステレオタイプな単純な解釈を押し付けるという今までのメディアのあり方と一線を画している点に、共感を覚えます。

英語の映画がアメリカとリアルタイムで観れるという恩恵はあるのですが、いかんせん字幕も何もなしで英語だけで話の筋を追わなくてはならないので、解説本や映画のパンフレット、字幕がある日本で同じものを観た時と、同等以上の理解を得ているかという点については、私の英語力から、若干、差し引かなければならないかもしれませんが、この2つのドキュメンタリータッチの映画、私は、非常に興味深く鑑賞しました。

最後に、この映画について、蛇足ながら2点、コメントします。

1.アメリカ軍が太平洋の覇権を日本から取り戻すためにめちゃくちゃな砲火と兵隊を投じて、硫黄島を奪回したわけですが、この戦で、日本人は全滅しているという事実。当然、この島にも当然、住み着いていた原住民がいたと思われますが、日本とアメリカの兵隊以外の人間に全く触れていない。

戦争は、一般の民衆と全く関係ない次元で行われていると簡単に一般化するつもりはありませんが、他のアメリカの第二次世界大戦にふれた映画にしても、兵隊内のドラマを描いたものは多くても、一般民衆、特に占領下にある原住民は、背景というかお飾り扱いで彼らが主人公の映画は非常に限られています。具体例は特にあげませんが、ぜひ、戦争映画の‘名作’といわれている今までの作品をその視点で見直してみてください。

2.アメリカ軍は日本軍を壊滅するために、大量の兵器(この映画では、ライフル、自動小銃、地雷、戦闘機、軍艦からの砲撃など火器が多いのですが)と兵隊(まさに歩兵の白昼線です)を投入して、硫黄島の本来の地面がわからなくなるほどのめちゃくちゃな破壊を行っていますが、塹壕に隠れた日本人に対して行った「火炎放射器」、この非道さは絶対に黙視できません。ガスバーナーで、全てを焼き払おうとするその発想、映画でも火炎放射をされて焼け死ぬまでもがき苦しむ日本人?がでてきますが、アメリカの兵隊というより、そのような兵器を平気で生み出し、さらにそれを採用する軍隊という組織、さらに言えば、多量の兵器を、敵味方なく売りつけ大もうけしている‘死の商人’達に対して、非常な憤りとやりきれなさを感じます。

‘死の商人’については、以前も触れたことがあり、今後もしつこく取り上げていきたいと思いますが、開発で貧困と闘う以上に、特に先進国の‘死の商人’と闘うことは、それ以上に重要であるということを私は世界に訴えていきたいと思います。

ともあれ、今日はこのへんで^^?

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